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センスが無いやつはなにを一生やったところでダメなやつはダメ。今日さんまのからくりテレビで子供たちのバンドを見、ぶっとんだ。とにかく凄い。演奏技術などはプロを目指しているクラッシック系の子供やエレクトーンを真剣にやっている子たちでは8歳で大人顔負け、どころかおよそ人間とは思えない力を有する子はいくらでもいる。音の聞き取り、演奏技術、そんなのはものすごい子供たち、というのは意外とたくさんいる。だからリズムが良い、ギターの指が速く動く、その程度なら正直わたしゃ、「ふぅん」としか思わない。しかし何故、今日その子供たちの音で鳥肌たったか。子供大人関係なく、音のキレ、これがすばらしい。ある意味では音に対してものすごい残酷なほど冷たくそして、だからドライブ感が溢れてた。もし大人でそしてプロのバンドとして聴いてたとしてもこのバンド、凄いな、と思ったろう。子供だから、年の割には、そう言う事は一切関係なく彼らの音が、ごくシンプルに すばらしかった。ーーーーーーーーーーーーー技術は練習すれば良い。しかしセンス、これだけはどうしようもないのでは、無いだろうか、と思う。以前、中学3年生の女の子を体験レッスンした。すでにどこかの事務所に在籍していて活動しているという。本人からではなく父親が是非にと私に一度見てもらいたいと頼み込んできたのでまず、簡単に歌ってもらったのだが。いすから転げ落ちるかと思った。これほど、ドへたくそな唄は聞いた事が無いというくらい下手。さらに本人もその父親も、下手だとまるっきり思ってい無いどころか結構いけてる、と思っているというのでわたしゃ、漫画のように、あごが床に着くかと思うほど呆然としてしまいもう、何をどうコメントしようもなく・・・「これほど唄に向いていない人、そしてそれをわかってない人 というのを初めて見ました」と言いたかったが絶対通じないと思われたので止めといた。自分のへたさをわかっていない、これはつまり上手い人と自分を比較していない、とも言える。良いものは何か、唄が歌えてるとはどういう状態なのか特に父親がまるでわかっていない。さてセンス、というのは自発的感性のように思われるけどそれを身につける段階では良いものに触れ、「良いものの良さ」を知る事から始まる。何が良いのか、それを知りそれに近づくことで自分の中に養い育み、その情報量が一定を超えたときはじめて、ここはこうだろう、という良い常識によって自分の判断が創られる。武道も同じだが、ある程度しっかり稽古をすれば勘が利くようになる。以前クラッシック系の学校で教えていた時現代音楽の作曲の先生が学生の書いた楽譜をちらとみては、右と左にわけていく。何をしているのかと聞いたら、学生の作品を良い悪いにわけているのだと。ちら、と見ただけでわかるんですか?と聞いたら良い曲の楽譜というのは、模様が良いのだ、と仰った。その先生は芸大出身でその当時も現代音楽の作曲家として活動してた、だから小さいうちから何10年とトレーニングに励んできたと思われる、だから一瞬楽譜を見れば、良い曲かどうかを 音符のならんだ模様 として判別できるのだろう(私には全然出来ん)良いものを良いと判断できるセンス。それは生まれつきではなく、どれだけ良いものに触れ記憶に残し、そして現在の自分と良いものを比較しどれだけ自分が、良いものに近づくか、そういう行為(練習)をどれほどの量したか、でわかれる。だから20年やってもダメなやつはダメで8才であっても、数年間、良いトレーニングをすれば身に付くものだ。センスが無いやつはなにを一生やったところでダメなやつはダメ。基礎力の無いやつは絶対センスがない。あるはずがない。センス、というのは、生まれつきの才能だけではなくどれほどよいものに触れたか、その量と現在の自分を正直に受け入れて「良いもの」と自分を比較する事そうやって養われていく。
2007年09月30日
世の中には大胆な態度に出られる人とそうでない人がいる。守るべき時に守り攻めるべき時に攻めることができる人と攻めるべき時に自分を守り、妥協すべき時に無駄な諍いをしてしまう人がいる。理由は、たった一つではないけれどとても大きな要素と言えるものがある。それは。腰が固い人は気が小さい。自分のバランスをとるべき中心点の腰が固いと自己コントロールが非常に悪くなる。スポーツだけでなく歌を含めた肉体表現すべて股関節を使う。必要な時に大胆さを出せない人、笑顔が少ない人相手を無意味に緊張させる人嫌われる人こういう人は一度、自分の腰、股関節がどれだけ柔軟さをもっているか(またはいないか)を気にしてみるべきだ。
2007年09月28日
今日のレッスンをした男性。前回2週間前の時点で非常にまずい状態だと感じた。とにかく理性が邪魔をしてる。一生懸命さこそが、上達を妨げてしまっている状態。それから2週間。その彼の気になる点を精神医学的に徹底的に調べ、勉強してみた。そして得た回答。交感神経優位のトランスへの導入。普通リラックスというのは弛緩性をさすけれど実は、緊張、興奮状態でのリラックスというのもある。単純に言えば朝までディスコで踊りくるって楽しめる人はゆったりのリラックスするよりも動的に夢中になる状態の方が深いリラックス状態になるタイプ。人にはアロマやリラクゼーションミュージックが向かないというタイプもある。かえって緊張を引き起こす場合すらある。その人に適したものを診断し具体的解決法を指導するのがトレーナーな訳だから、冒頭の彼にふさわしい練習方法はなにか?それをずっと考え続けていたのだ。ただ簡単に言ってしまえば彼に行ったのも 催眠の一種。導入の仕方が通常と異なるが。休日にゆっくり休んでも疲れが取れない人はかえって運動をするなりした方がよかったりする。人にはいろんなタイプがあるから適した方法はそれぞれ異なる。それを見抜くのが私の仕事。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ。はい、目を開けて!そうして終えた2時間のレッスン後、彼の表情はとても気持ち良さそうにそしてすっきりしていた。
2007年09月27日
先日のプライベートレッスン。この男性はこれまで基礎発声と某マッキーの曲でこれまで練習してた。ほんで最近オリジナルを創ったのでそれで練習したいという。もちろんかまわない。さてオリジナルを歌う上で一番気をつけなければいけない事。それは、我々トレーナーが俗に言う団子になる事。つまり一音一音が、くっついて雑に聞こえてしまう。本人としては、言いやすい歌詞、歌いやすいメロディーで創っている。そ、歌いやすい。しかしこれが危険で、やりやすい = 雑 になる。安易な便利さが人間をダメにするように自分で歌いやすいと思っている曲ほど他人からすれば、下手に聞こえやすい。だから。彼にはソルフェの指導をした。彼の曲のキー、でてくるシークエンスを元に本人にやりやすくオリジナルを歌う上で最低限必要なパラフレーズを創りそれを徹底練習。それを1時間するだけで、見事に変わる。そして面白い事にこういうことをするとその他の曲もうまく歌える。つまり大事なコツを効果的につかむことにつながる。「自分で歌いやすい曲」は、意外と下手に聞こえているものなんだよね。
2007年09月27日
前回、今回のレッスンは対なのでまとめて感想。人間は宇宙であり、星。光ることができる。どうすればいいか、それをここしばらく具体的な方法としてレッスンしてきた。結局は 「自分を信じる事」 これにつきる。でそれをどうすれば可能にできるか?を突き詰めていくと1ページ1秒で本が読めるようになる。かんがえること信じる事迷わず突き進む事そして、冷静に客観的に自分をとらえ振り返り、かつ何も考えず、ひたすら行動する。ふふん。自分でも何言ってるかよくわからんが正会員の人たちには、幸い伝わったようだ。証拠はレッスン後の飲み。普段はそこまで飲まない人たちがさも美味しそうにビールのジョッキを空ける。開放感、達成感、そして充実感。そこには、インチキセミナーや宗教の勧誘のような自己陶酔や異様な興奮はない。ただこれでよいのだ、完全完璧ではないけれどしかし現時点の100%。やべ、また何言ってるんだかわからん文章になってしまったがいずれにしても、人が光り輝くのに具体的な方法はある。そして昨日説明したけれど、1ページ1秒の読書というのは才能など一切関係なく誰だって出来る。ちなみにずっと音が悪いと困っていたiPodだけれども最適な、というか最高の音質で聞ける方法をやっと見つけた。具体的な内容は後日にするけど今言いたいのは探せば絶対欲しい解決法というのはある。いや解決できるまであきらめない、それこそが重要なんだろう。今の私のiPodは付属のヘッドフォンでものすごい音質で鳴る。ーーーーーーーーーーーーー昨日のレッスン、そしてレッスン後会員の一人一人がそれぞれの形で光ってた。互いに良い面を引き出し合い、誰もが重要な役割をもって互いを助け合い互いの光を引き出し合う。技が出来る人の役割、だけではなく出来ない人がいるからこそ互いが活きる。すべては無駄が無く、活かし方次第。そうは言っても誰でもよいわけではなく光り方がわかってない人、出来ない人は邪魔にもなり無駄にもなる。うちのレッスンは仲良しサークルではない。安くない会費を払って受講する人同士が互いを切磋琢磨するところ。そして私は成功のための水先案内をする。何をやっても邪魔な人というのはいる訳でだからこそ、求められる人間、つまりそれをモテる人、と呼ぶがモテるために必要な事、そして必要な事をしっかりする人だけが自分を信じられる。しかしそのためには事実が無ければいけない。この事実を作るというのが地味で時間もかかり、かつ大変作業、なのだけどもいかにそれを効率よく行い最大限の効果を得るか。一つ間違うと大変に面倒でつらいことだけれどそれを楽しくなるべく短時間で行いそして、やっている時は必死で頭が真っ白になるほどやったあと、めちゃくちゃ酒がおいしいと思える開放感と充実感がある。そのとき、良い声になるのだ。
2007年09月23日
大変残念だが 麻生太郎氏は負けてしまった。だが得票数から言えば大健闘なのだろう。にしても 福田首相になるわけで なんか腹立たしい。むぅ。
2007年09月23日
以前、拉致事件に関するドラマで福田が解決のための陳情にきた被害者家族に対して、「ふざけるな、甘ったれるな!」と怒鳴りつけたシーンが忘れられない。彼は事件の真実より被害者より、北朝鮮が大事で中国が大事のようだ。拉致事件と北朝鮮は絶対関係ないと声高に叫んでいた 土井たか子、菅直人よりさらに親中国、親北朝鮮である福田氏が総理になったらこれまで以上に論理になっていない主張を繰り返す国々にあやまり土下座することになると危惧している。もちろん、頭を下げるのは福田自身ではなく我々国民だ。それは野中広務以上なことになるのではないか。左翼的な自虐感はもうたくさんだ。がんばれ麻生太郎!
2007年09月21日
タツヤ声日記「2007年9月東京レッスンの感想」タツヤです。先日の2007年9月東京レッスンの感想を送ります。ゆ~じろ先生。今月もレッスンをして頂き、ありがとうございます!東京会員の皆さん。レッスン、大変お疲れ様でした!今回のレッスンでは、リラックスする為の方法を教えていただいたのですが、リラックスするにはまず集中するというのが、とても意外でした。確かに緊張したときにリラックスするための方法として、1から数字をとにかく早く数えるのが良いと聞いたことがあります。数字を数えることに集中することで、逆にリラックスできるのかもしれないと、レッスンを受けて感じました。ぼーっとした感じであるのに、しっかりと周りの音や話はきこえてくるという状態を作ることが出来る。その為のスイッチを作るためにも日頃からリラックスすることを習慣付けていきたいと思います。またアドバンスドレッスンでは、人前で声を出すというテーマで、会員と先生の前での発声だったのですが、発声の仕方が良くわからなくなってしまいました。今までに教えていただいたことが、なかなか繋がってこない。前回は良くても今回はだめだったりと安定しない。先生のブログも拝見したのですが、自分の中でも勝手に解釈したり、置き換えたりしてしまっているのかもしれないと思いました。自分が意識していないところで、声を出すのに力を使ってしまったり癖がついてしまっていたりするのかもしれません。今一度、初心に帰るではありませんが、自分の発声の仕方を掘り下げていきたいと思います。改めて、レッスンしていただきありがとうございました!
2007年09月19日
先日プライベートレッスンをした人がとてもまずい状態である。とても一生懸命なのに、その一生懸命さがすべての邪魔をする。よくなろうとするとわざわざ、自分で上手くならないようにしてしまう。なぜ、一生懸命さが裏目に出るか。たまたま見ていたヤフーニュースの紹介記事でボストン・レッドソックスの松坂大輔投手がなぜ不調なのか?を同僚のベテラン右腕カート・シリング投手が語っているというのを見た。ーーーーーーーーーーーーー(今の松坂は)重要な場面で速球に頼りすぎ、その結果コントロールを失っていると分析する。「速球派の投手が陥りやすい問題だ。投球術を忘れ、 ただ投げることでピンチを切り抜けようとしてしまう」以上、MLB日本語サイト major.jp より引用ーーーーーーーーーーーーー術を忘れただ投げる。術を忘れるというのがとても大きな意味を持つ。このサイトで別な、とても興味深い記事を見た。負けるチームには負けるだけの理由がある、というもの。フットボールで連勝し調子づいたチームが試合前日に夜遊びするようになってその後ぼろぼろに負けだしたこと。連敗が続いている野球チームが全員一丸となる時に一部のメンバーが気晴らし(1日だけのバケーション)をして、結果チーム全体がぐだぐだになってしまったこと。それをこう解説している。DISTRACTION:気の散ること。気を散らすこと。注意散漫。心の混乱、動揺、乱心。負けるチームはこういう、気のゆるみ、注意力散漫がありだから勝てないのだ、と。勝てないチーム勝てないなりの理由があり、それがDISTRACTION、だと。冒頭の話に戻る。一生懸命やっているのに上手くならない(かえって自分で下手にしてしまう)。しかし一生懸命やっているんだから DISTRACTIONではない、と普通は思う。確かに普通は違う。しかし彼の場合は、一生懸命さが DISTRACTION になっている。なぜか。指導、指示されたことをあーだこーだと自分なりに置き換えようとすることで実は気が散っている。上手くなる人は、言われた通り素直にやる。これは思考の停止ではなく積極的受動態、つまり 受け入れる ことが出来る状態になっている。できもしないのに考え、自分なりの形に置き換え迷いと不安を生んで結局いつも通り、今まで通りの延長にしてしまう。考えるべき時には考えた方が良い。しかし考えない時に考える、これはDISTRACTION。グループレッスンでやっている技もそうだがわからない出来ない点を個人練習してない人ほど反復、応用が出来ない。レッスンの時に教えてもらおうとする、この態度は素直に受け取る、ではなくて依存でしかない。教えてください、という人は行動も思考も遅く出来ないことを反省もしないからいっつまで経っても成長しない。こういう人は運も悪い。なぜなら運がいい人というのはチャンスにも機敏に反応する、何故それが出来るかと言えばいつも探しているからだ、レーダーのように。良い情報、チャンスはないかと無意識であっても積極的に探している。それが、してもらう依存では無理だし自分の考え、都合、要求ばかりするのも無駄。欲しかった品物が今クイズに答えてプレゼント中!を発見してよし応募してみよう、となった時、締め切り日がすぎていた、これは運が悪い、言い方変えるとその情報を活かすだけの鋭さがなかった、とも言える。上手くなる人は欲しいもの、状態に対してとても積極的プラス素直になっている。それを、自分なりの考え、自分のやり方、自分のペースで、などなどなど都合良く変えてしまっては 素直 とは言えない。以前ヘッドハンッティングの会社に勤めているという女性がまさにこのタイプで、グループレッスン参加のとき場所を間違えて結果、遅刻した。場所、名前、時間などをなぜか勘違い(が多い)という人はこのタイプかもしれない。情報を正しく受け取る、ではなくつい自分風にアレンジを加える、それも無意識に。新しい価値観、ルールを身につける、ではなく「自分」というものがまず出てきてしまう。歌で言うと、自分の歌う曲も、いつのまにか勝手に変わっている。元音をキチンと聞く、という耳が鈍く気づかず勝手なアレンジをしてる。聴く というのが音楽では一番大切な能力なのだが。ーーーーーーーーーーーーー調子づいて羽目を外す、調子が悪いからと勝手に休息を入れてしまう、結局 DISTRACTION というのは気のゆるみ、というより正しい集中 の反対の状態を指しているように思う。集中する、それは空っぽになること。自分にとらわれている人は永遠に基準に合わない DISTRACTION の状態だろう。負けるチームにも上手くならない人にも、やはり相応の理由がある。何故言われた通りやらないのか?そう問われて「よし次は言われた通りやろう」と考える人は少なく何故今上手く行かなかったかの理由探し(つまりいい訳)で自分を守ろうとする。赤ん坊は筋肉が少ないからこそ、バランスが優れている。筋肉に頼らない(頼れない)、だから良い状態でいられる。大人はすぐ、理屈に頼る。だから、変わらない。赤ん坊のように、すべてを受け入れ心を真っ白に。これがものすごく難しい、のだけど実は方法がある。次回レッスンの彼にも今後グループレッスンにも取り入れる。以前やっていた方法で結果は証明済み、しかし本当は私はやりたくない。なぜなら副作用があるから。しかし、今そういう劇薬を用いないとだめ、そういう時代になってきてる。便利だけど人間の力はどんどん落ちてる、そういう時代。さて、副作用ありありの劇薬。うーん。使いたくなかったんだけどな・・・ずっと迷っていた新しいメルマガの内容だけどいかに自分が光り輝けるか、そのためにもこの劇薬の秘密を解く内容になりそうだ・・・
2007年09月14日
決して大きな声では言えないが私のボイストレーニングレッスンにはプロ歌手だけでなくて実はボイストレーナーも習いにくる。それも結構な人が来る。そこで思うのだけどその人の自分の持ち得ている知識や技術、具体的なテクニック等々をアウトプットするのに論理と感覚のバランスが悪い人がとても多い。感覚的に出来ることを論理で説明するのは難しいしその逆もしかり。そのトレーナーが教えるとき雰囲気だけで説明しても理解、納得されない場合もあるし理屈だとかえって混乱する生徒もいる。しかし、スポーツトレーナー同様我々、発声や歌を教える人間は理論と実際を 実演してみせてそれを具体的に伝える が必須である。能書きばかり、ではだめだし音楽とか歌はさー、ノリだよねー、だけでは ただのアホだ。自分にインプットされている情報をアウト(出力)する時右脳タイプなのか左脳タイプなのか、は非常に重要な問題。でも自分では意外とわかっていない。私のはその人の呼吸と声でいくつかのパターンに聴きわけることができる、だからその人が教える時に何が足りないか、どこをどうすればいいか、が瞬時にわかる。それはなにか?なぜか? は企業秘密だから書かないけどその人が情報をインプットする時もアウトプットする時も脳のどこを使っているのか、どこをどう使うのが得意で逆に不得手はなにかこういう部分は非常に重要。で。このバランスが優れてくると、歌もうまくなる。喜久男とダス男と、ぢゃねーよ、聴く音、出す音このイン・アウトのバランスを高める。言ってみればPAのインサーションが近いと思うがようは自分は論理で受け取るのか感覚で受け取るのかそしてそれを表現、説明などでアウトする時論理もしくは感覚どちらのタイプまたはどのくらいどっちなのか、そういうことをきっちり知ることで、伝わり度は非常に高まる。で、おわかりのようにこれはボイストレーナーに限ったことではなく会話やコミュニケーションをする人ならあって絶対得する、技術なのであ~る。
2007年09月12日
最近またプライベートレッスンの人たちの成長が著しい。何故上手くなるのだろうか、改めて考えてみる。良い声を出したときの気持ちよさを追い求めている、と言えるのかもしれないな。残念ながらとても良い発声になってきてもそれに気づかない人、というのは少なくない。例えれば、美味しいものを食べてもそれを「美味しい」と感じるかどうかは食べる側の自由、というより食べる側の味覚という 力。自分で良い声を出しているのかどうかがわからない、という人は少なくないが、これは自分でどれだけ悪い声を出していても気がつかない、ということだ。料理を教えることは出来てもその人の味覚センスを鍛えるのはまた別問題だしさらに言えば、鍛え方を教えてもそれを実践するかどうかも本人次第。教える側はその人の、舌にも耳にもなれない。おいしい料理の作り方を教わって実際作る。しかしそれを試食して「そのおいしさがわかるか、わからない、か」これは教わる側の、才能というより自分に対する責任感ではないだろうか。上手くなる人は自分に責任を持つ、ということなのかな。だとすれば歌がうまくなるために必要なことをすれば自分との関わり、他人との関わりそして自分の人生との関わりも変わる。そう言えば、私のレッスンを受けだすと仕事を変える人がとても多い。自分に責任を持てると、発揮の仕方が変わるんだろう。であるなら突き詰めればもっとよくなりたいそう望むことこそが、どんどん上手くなる秘訣であるのかもしれない。もちろん、思うだけ ぢゃ ダメなんだけどね。
2007年09月11日

昨日、フォトリーディングとはなにか?の重要なコツを発見したので違う本で挑戦(確認)。藤原正彦 著 国家の品格 191ページ所要時間 4分5秒もし1ページ1秒なら191秒、つまり3分11秒なのでちょっと遅いな。でもまいい線であろう。コツ。それはとても合気に似てるぞなもし(←?)合気とは何か?これだってなかなか説明できないってよりわかる人にはわかる、わからん人には絶対、一生理解不能。ちなみに私は中次合気までなんとかできるがいわゆる達人の高次合気はできない。これまで私のレッスンで低次合気まではマスターした人は数名いる。んで、合気とフォトリーの共通点。例えで言うとすると、いかに全力で止まるか、だ。全力で走って、ある指定の地点で全力で止まる。しかしこれをさぁ、やってみようとすると普通、止まることに気が行き、全力で走ったとしても止まる場所に近づくにつれ速度を調整してしまう。さらにもっと悪いことに多くの人は、ちゃんと止まれるようにと走るスピードを遅くする。遅く走る、ちゃんと止まれる、これでいいじゃん、らくだし。こうなりやすい。これが最悪なんだ。らく、やりやすい、しかし一番肝心なことからどんどん遠ざかっていく。ちんたら走って一応指定の場所で止まれるがこんなことを何年やっても絶対生まれない、なにが?大事なのは、全力で走ってある地点で全力で止まろうとすると落差が生まれる。慣性と反動という地球の力が生まれる。この落差を生む(作る)ことがもの凄い重要、だから走るときも全力で止まるときも全力。ちゃんと止まれるやり方ではなく うぉお、とまれんっ! となったその感覚(これを合気では「浮く」というが)この不思議な状況を生み出すのが最大級に大事なのに、ちんたら、ではこの、言葉や理解を超えた自分の意識外の力がはたらく状況が生まれない。これこそが、合気やフォトリーに必要なことであってだから普通では理解しがたい身体の動きや脳の働きが生まれる。じゃどうすればいいか。とにかくまずは本をたくさん読むこと。時間かかろうがとにかく、量 読む。量稽古をすること。ちなみに私が仕事の合間にこの二日間で読んだ本。やらなきゃ絶対出来るところまで行けない。だからやるしかない。ほとんどの人はフォトリーが出来ないというよりあきらめているだけだ。ちなみにフォトリーの講座に何度も出席したことがある人に話を聞いて思ったけどセミナーなどでは、まず出来るようにならないというか結局出来る人は、そんなん行かなくてもいいし出来ない人はセミナー行っても、無理だと思う。その人は結局、要点を付いた読書が出来るようになったとは思うがそれはフォトリーじゃないんじゃないの、と思った。1週間のボクシング講座受けて、強くなったつもりだけみたいな(笑)最後に言っとくと、合気もフォトリーも魔術でもなければ奇跡でもない。種も仕掛けもある。そしてその種というのは、巨大なビルを消すイリュージョンが実はちょっとした錯覚を利用しただけという知ったら、「嘘、たったそれだけ?」みたいなものなんだけどね。
2007年09月08日
今日はじめてフォトリーディングが出来た。ページ数410ページ。所要時間 10分間(=600秒)、つまり1ページ(800字) 1.5秒で読んだことになる。なるほどなー、やっと「やり方」がわかった。
2007年09月07日
ある日目が覚めると虫になっていた。こんな出だしで始まる超有名なカフカの著作、「変身」。だいたいからして虫嫌いの私が変態を目指してる今虫に挑戦っ! って読んでみた。で、感想。おもしれぇ。文学として確かに面白い(凄い)のはこの主人公、グレーゴル・ザムザの変身した巨大な褐色の虫はヒョロロンカ(評論家の意byクレヨンしんちゃん)の言う社会的弱者の比喩、またはユダヤなどの異邦人や異質の者などなどの象徴で理由なく 蔑まれ虐げられるもの、としての視点から見た写実であると言われる。ザムザは今まで両親と妹という家族を支える唯一の働き手としてやりたくもない仕事をがんばってきたのにある日突然、異質なものになってしまった途端いわれなき扱いを受け、最後には今自分が出来る、家族ために出来る最大のことはこの場から去ること、それは父にさせられた怪我を元に静かに息を引き取るという、別れと知る。ーーーーーーーーーーーーー「その種において完全なものは、その種を超越する」(ゲーテ)マールホルツはカフカの作品を「徹底的に写実的な手法によって純粋に象徴的なものを表現する」と語りマルティーニは「ヨーロッパのニヒリズムは致命的な自己意識に到達した」と語った。高橋義孝(新潮文庫版カフカ あとがきから)ーーーーーーーーーーーーーあたしは思う。つまりは、他のヒョロロンカ同様虫になってしまった主人公ザムザは異質だとされ虐げられるすべての象徴であると同時に変身、とは実はもう一つ意味があって自分が虫になった変身と同時にその出来事における、家族や周りのものも変わる、その変貌ぶりをいってるのではないかと。ある日突然すべてものは変わってしまう可能性があること主体と客観、そして一つの出来事があればその場全員がいつだって想像を超えた「変身」をしたい、したくないではなく、させられてしまう可能性があること。ある日戦争が始まるかもしれない。突然刺されて殺されたり大けがを負うかも、いや自分の大事な人がいつ、何時、どうなるか。変身とはつまり、世の儚さ(無限の可能性)をとてもシュールに、そしてシニカルに、(私が感じたのはとてもコミカルに)展開してると思った。実際、笑えた。ぎゃはは、ではなくえへへへ、という感じ。きっと読んでる間中薄ら笑いを浮かべて、もし誰かに見られたらかなりヤバかったろうと思う。さて表題の無理の反対。まず無理とは何か。理が無い。理とは何か。ことわり(=理)、つまりルール。無理の反対は自然?微妙に違う。自然の反対は不自然。無理ではない。数学に 無理数 というのがあるのをご存知だろうか?正しい説明はややこしいのではぶくが1とか15.3とかこういう これ と定義できない数。分数でも表せず循環小数でもない。なんやらややこしいがこういえばわかるだろうか?10÷33.33333・・・・・と延々と続く、これ無理数。だからπ(円周率)も無理数。ちなみにそこから超越数というのが出てくるがそれはさておきこれと定義できる有限な数ではない、これが(あくまでおおざっぱに言えば)無理数。ではその反対は?有理数。つまり無理の反対は 有理 である。ルールがある、断定限定が出来る。で、変身に戻るがこの世とは不定であり不条理な方が多い。大事にしているものが突然壊れる。重要なデータがハードディスクごといかれる。そうなっては欲しくなくても、そうならないという保証などどこにもない。話が飛ぶが昭和が終わったとき私はカナダのバンクーバーにいた。昭和天皇が危篤だと言うのは日本語テレビで多少伝え聞いていたがある日、カナダ人の友達と食事をしているとき「お前知ってる?昨日、日本のエンペラー(天皇の意) 亡くなったんだってね」私は知らなかったのでわけもわからないままその場に立ち上がって、呆然としていた。そして昭和から平成になったとニュースで見た時ほんとに頭をがつんと殴られたようなショックを覚えた。私は漠然と昭和というのが永遠に続くと思ってたから。その時の元号が天皇によって変わるなど思ってなかったから。日本にいればその手のニュースで心の準備ができていたのかもしれないけど何しろ日本関係の情報が少なかったのでまるである日突然、目の前から 昭和 が消えた、そんな感じ。「嘘だろ???」なぜかはわからないけど私の頭は真っ白になってしまった。ーーーーーーーーーーーーーある日突然、想像を遥かに超えた瞬間というのが来ないという保証はどこにもない。変身の主人公 グレーゴル・ザムザ が元気に仕事している時は父はろくに働かず母は家事を家政婦に任せきり妹は音楽家を目指して、音楽学校に通っている。その一家の大黒柱が「家を這いずり回るだけの巨大な虫」になった時父は働きだし妹は学校を辞め勤めに出、母はしっかりと支えるようになる。ザムザの変身は家族を変身させた。何が良いのか悪いのか、誰にとって何がどうだったら正しいのか。薄っぺらい平和主義とみんな仲良く日教組、ではない現実としてのルール、それを真っ向から多角度的にとらえ笑いにしたカフカは、やはり語り継がれるべき作家だろう。あなたが明日目を覚ました時今の現実は明日も現実であるだろうか。
2007年09月06日
最近思うことシリーズ。レッスンでプロ歌手やアナウンサーなど声を職業としている人に発声を教えるわけだけど最近つくづく思う。プロのレベル、さがってんなー。基礎がない、技術がない、のはもちろんこれもできない、あれも知らない、それを100歩、いや10000歩譲ったとしても教えていて頭抱えるのは学習能力の低さ。その一番の理由かなと思うのは自意識過剰。一様に自分に対する評価、客観的視点が高すぎるんだよっ!もっと高い内容をやりたがってはそのための基礎をやらせると全く出来ない。でそれを出来るように、ではなく、このやり方は自分に合ってないとか違う方法で教えてくださいとかこれは自分には必要ないだとか、なんだそれ?プロは基本的に短期間しか時間が取れない。だから3回とかが多いけれど以前はとにかく何でも九州します、ぢゃなくて吸収しますってすごくどん欲な人が多かった。最近の人は、あれもくださいこれもくださいでもこれはいりません、こういうのないですか?って食べ放題のバイキングぢゃねーんだよっ!自分に都合の良いことだけ美味しいとこ取り。料理のフルコース食べるのに最初はまずアパタイザー(前菜)から。これは葉ものをたべて胃を膨らませてこれからメインディッシュにかけて盛り上がっていくその準備。なのに、今これ食べたい、次はこれ、もうお腹いっぱいでも損したくないから意地でも食べる、そんな貧乏ったらしい考えの人が増えた。5000円のバイキングでとにかく元を取ろうと好きでもないのに原価の高いものを食い散らかす。自分だけが得しよう(=店を損させよう)というのはばかだ。店が赤字続きならそのサービスは中止、または閉店。したら、バカは次の店を探しまた同じことをする。これ、イナゴ。畑から畑へと食い尽くしてはさまようから。セミナー、講座をさまよい続け自分にふさわしいものあるはずもない、本当の自分探し。インチキなポジティブシンキングと努力をしないオンリーワンの弊害なんだろう。いっとくが、大声出して(長時間歌って)声がかれるようなやつは、年齢とともに絶対ひどくなるだけ、ある日よくなることはあり得ない。粘膜、筋肉の疲弊は部位に原因がある前に使い方に、すべての原因がある。頭も身体も、使い方を変えなきゃ変化はしない。今の発声をあと二回やってください、こういわれて平気で延々と何十回と続けるのはこちらの指示が全く聞こえてない人なのだけど以前なら、アマチュアではそう言うことがあってもプロではあり得なかった。なぜなら、発声のとき、筋緊張があると聴力が落ちるので無理な発声、自分勝手にがんばった発声をしている人は声を出しているとき、周りの音が聞こえない。ちょっとまえ教えていたプロ志望の女子大生は自分で声を出し始めるとすぐに目をつぶって自己陶酔して周りが全く見えなくなる。そしてふと割れにかえったときまたやってしまった、と自己嫌悪。彼女はものすごい自意識過剰とコンプレックスが混在していて自分はダメだ、といいつつ今の自分を絶対変えようとしない。こういう症状もど素人ならわかる。が最近はプロでもこういう人がとても増えた。小手先でがんばって無理して(自分では)良い発声をしているだけのつもり。それで問題が起きるから私のところにくるのだが今の自分を客観的に見る(=欠点を見、受け入れる)が出来ないというより、その意味が分からない。「私、結構出来てます。」自分で言うか、どあほ。「できてないよ」「いや、そんなことないですよ」何の基準がある訳でもなく、自分が出来ていないということを受け入れることをしない、出来ない、だから認めない。恐ろしいくらい、こういう独りよがりの人が増えそして、プロにさえなれている。逆に言えば。今、そこそこの力さえあればいくらでもプロになれる、そう言う時代なんだろう。誰とは言わないが「あんた、そんな発声しか出来ないのに生徒とって教えてんの?」っていうトレーナーが実はいっぱい、いやいやいや。でも、実際いる。ライブ一回やって声がかれちゃうようなボイストレーナーが。今、プロのレベルが下がってる。昨年娘に家庭教師をつけたけど、その時のノーバスっていう会社。先生の質が悪すぎて苦情を入れて変えさせたが、その時の担当者もお前学生?と聞きたいくらい、社会人のプロとしては思えないレベルだった。どんどん、プロが下手になってる気がするんだが。
2007年09月04日
最近、楽天ブログの調子が悪い。先日は変態ビデオを見るには寒い日が続くのでなんか「萌え」ないため(?)哲学していてあ、変態ビデオと言ってもちゃんと映倫通って劇場公開してるものね。本気のマニアっぽいのはさすがにまだ見る勇気がないのでとお断りしておく、いちお。(まずそんなビデオ持ってないし、笑)あらためてタレスの「万物の源は水である」とかゼノンのパラドックス「飛んでいる矢は本当に静止しているのか?」を微積分で検証したりしてカントにいたるまでの哲学史を長々と解説した文章をいざ「あ~~~っぷ」と送信したら「ただいま込み合っております。時間をおいて 改めてアクセスしてちゃぶだい」みたいなメッセージに「ええー、2時間かけて書いたあたしの文章は~~~っ!」露と消えて、めげた・・・ま、しょがない。さて今日の話題は面白いものを見つけた報告。商社と歯医者、ではなくて勝者と敗者、この考え方の違いを10こ、わかりやすく述べているサイト。例えば 勝者は敗者よりも勤勉に働く。 敗者はいつでも忙しい。文句を言うのに忙しい 勝者は間違ったときには「私が間違っていた」と言う。 敗者は「私のせいではない」と言う。勝者は自分より勝るものに敬意を払い学び取ろうとする。敗者は謝罪をするが同じ間違いを繰り返す。こんな感じで10こ、まとめてあってとても面白い。原題The Big Difference between Winner and Loser紹介記事の元をたどるとどうやらこれはスタンフォード大学の Yaniv Konchitchki(←読めねー)という人のお気に入りの詩、らしい。他にもとても良い詩があった。勝手に載せていいのか、勝手に訳しちゃっていいのかわからないので原文引用は避けるけど今を大切にする、とはどういうことか今というこの瞬間以上に大切なものは?みたいなテーマで、美しくまとめられている。ゼノンの「飛んでいる矢は止まっている」、というパラドックス(矛盾)これは数学で間違いを証明できる、が論理と知識がないと矛盾に戸惑い悩む。光、をきちんと認識するには知識がいる。私は骨董品の価値がわからない、それは何が価値があるのか、を知らないから。しかし、声や歌、音ならわかる、それは知識があるから。私は光を正しく認識できる、それはたくさんの光った人と光れなかった人を見、自身が光った経験と合わせてその理由を知ったから。多くの人は自分の感性という言葉を使うがそれは、ただの知識不足、トレーニング不足のいい訳でしかなかったりする。私には個性(感性)がある!これは知識、トレーニングが足りていない、とほとんどの場合同義語。そう言われて「違う、私には私だけの感性があるの!」こういう人にはこの言葉が良いのかもしれない。「敗者は妥協すべきでないところで妥協し、 戦う価値がない所で戦う。」敗者というのは努力すべきところでいかに努力しないですむかということを正当化するのにものすごい努力をする、という不思議な傾向があるものだ。光を正しく認識する、これはただの自分の好みとは違う、光の基準を、時間かけて学ばなければならない。何となく思う、感じるとは次元が違う。敗者はいつもいい訳、弁解のために必死になるが勝者は、謝ることができる、私が悪かった、と。この一連の詩を読んで改めて思ったことがある、それは 勝者は現実の自分を知ろうとする。なぜなら「生きること」において敗者は目的地にのみ価値を求めるが勝者は「冒険」という旅行にこそ価値を見いだすから。で、踏まえて最後に一つ、あたし版勝者は 答えを求めるから考える敗者は 答えを出したくないから、悩む興味ある人は(翻訳されてるページをどうぞ) ↓http://www.geekpage.jp/blog/?id=2007/8/29
2007年09月01日
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