盲目の海亀ダイアリー

盲目の海亀ダイアリー

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

ゆげゆげ1381

ゆげゆげ1381

Comments

王様@ 潮 吹 きジェットw サチにバ イ ブ突っ込んだ状態でジェット…
ドライブ好き@ 風呂入るのメンドクサイ! http://feti.findeath.net/7cue6md/ 今日…
開放感@ 最近の大学生は凄いんですね。。 竿も玉もア○ルも全部隅々まで見られてガ…
まさーしー@ なんぞコレなんぞぉ!! ぬオォォーーー!! w(゜д゜;w(゜д゜)w…
通な俺@ 愛 液ごちそうたまでしたw http://hiru.kamerock.net/fqkifl5/ フ○…

Freepage List

2008.02.09
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
「本物」


友人のブログに「本物とは?」という考察があったので、私も真似て(笑)本日のブログといたします。

高校生の時、美術展にてコローの絵を観たのですが、まあ、この方、風景画なんですよ。ほぼ全て。

ヨーロッパの森とか草原とか林とか、牛とか。そのあたりの人間の生活圏と植物の生活圏の狭間の風景を描いてきた人です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Jean-Baptiste-Camille_Corot_012.jpg

とりわけ正直凄い心に直感てきにせまりくるような、例えばピカソなどの感動を呼ぶような絵とも言えないと思う。
大概の人は「綺麗な美しく上手な絵」という捉え方をするのではないでしょうか?
ピカソの絵の素晴らしさとか、ピカソの絵を観た時の衝撃や感動と同じように、人々が「コロー」の絵について語るのを私は知らないし、聞いたことはいまのところない。
これはあくまでも私の主観ですが・・・・。



もちろんそのフランス現代画家達も命を架けてその絵を描いているのだと思う。
ただ、ジャンルも表現方法も違う「絵」ではありつつも、明らかにその現代画家達とは違う「コローの絵」には「命」を感じたのです。

何が違うかといわれても一言「絵に命が入っているか、入っていないか」としか表現のしようがない。

この違いはなんなんだろう。

私にとってコローの絵は「絵」に対して特別な記憶はなくとも、私の中に何か「気づき」を起こし、「基準」を作ったものになってしまった。

音楽・美術、あらゆる芸術。

私の中で「本物」であると思う「基準」はそれが私にとって「命」を感じさせるか、させないか、というラインで分け隔てられている。
それがいかに主観であっても。

もちろん西洋の「美術」が歴史の流れの中で、その作品がどのポイントに存在し、その歴史にどんな意味を与えられるか?というような視点からなりたっている世界であったとしても(「芸術起業論」著:村上隆)、私にとっての「基準」はここにあって、
そして文化とか芸術とかアートとか、そういわれる全てのものの存在意義は「人間を人間たらしめる」ためのスパイスであると思っている。

で、ちょっと宗教ちっくになってしまうけど、仏陀が言ったといわれる言葉に

というのがあるのですが、(缶コーヒー「BOSS」の宣伝いうところの「このろくでもない素晴らしき世界」が表現として近いかな?)芸術は一度自分の心に入ってきて、そして自分の外に向かうものではないかと・・・・。

感じることで、人間を人間たらしめるものであり、世界との交換(コミュニケーション)なのではないかと。

そのための「力」を内包するためには「本物」でないと力不足となるし、では「本物」とは?といえば「命・=生命力」なのではないかと・・・・。

そう考えています。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.02.09 12:33:27
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: