1

日暮れも早くなっていくばかりの街はハロウィーンの飾り付けでいっぱいです。個人的にはハロウィーンは嫌いなんですが、やはり子どもたちにとっては楽しみなイベントですね。最近のトレンドとしては、親に連れられてTrick or Treat ! と一軒一軒家を回る代わりに、Trunk or Treat というやり方が増えてきています。トランク、そう、車やトラックにキャンディを積んで、賛同する人たちが教会や公園などに一同に集まって、その敷地内だけで車から車へとキャンディを集めて回るという仕組み。知らない人のドアをノックするよりはぐんと安全でしかも効率的。付き添いの親にとっても楽ですよね(笑)。 最近のトレンド、”トランク オア トリート”!いま日本からトウリーダーらのグループがアリゾナを訪れており、私も嬉しいことにアリゾナに戻ってきました。ばあちゃん行は少しだけ休業、イェイ(笑)アリゾナは今、暑くもなく寒くもない、ベストシーズン。みんなで砂漠を歩いて魅惑の石拾いしたり(どこへ行ってもだ)、SWIHAでゴングバスを体験したり、KCミラー先生の新たなチャクラのコースをお勉強したり・・・と、充実した毎日です。サワロサボテンの林立する広大な景色の中を走破するのは、やはりアリゾナならでは!やっぱ、アリゾナ、大好きです! アリゾナトレイル、ハイキング、魅惑の石たちがいっぱいで幸せ!そして、セドナでまたUFOツアーに参加しました!今回はちょうど新月。ずっと晴れていた空に集合時間になる頃には雲が立ち込めてきて、ガイドさんは次回にしてもいいですよ、と。7人集まったうち4人は引き返していった。私と一組のカップルの3人だけのツアーとなった頃から、空の雲はウソのように消えていき、真っ暗な夜空に満点の星星がきらめく、UFOウォッチには最高の夜となったのでした!私にとってはこの日しかなかったからね。軍用暗視ゴーグルを渡され、ガイドが照らすレーザービームの夜空の方向を次々と眺めると、いやはや、裸眼ではとても見ることができない夜空に次々と忙しく上空のアクティビティが展開されていく。新月が幸いして最高に良く見えてWOW!でしたよ。もちろん飛行機や衛星、彗星(いっぱい見ました!)などは除いて、ん?これは?というような不思議な動きをする物体は1時間のうちに20回くらいは見えた。なかにはこちらのレーザーに反応するかのようにピカー!と合図を3回送ってくるような飛行体もあって、まさにWOW! ガイドさんによればとても珍しいアンドロメダ星雲もその夜はよーく見えたし、さらにプレアデス星雲のきらきらとした美しさといったら! ベガや土星も明るく輝いている。いやはや~~!ずっとそのままそこで夜を過ごしたかったけど、そういうわけにもいかず(笑)、興奮冷めやらぬまま帰宅したのでした。昨日はセドナ近郊に住む石友、ジェイミーのところへも立ち寄り、チャロアイトやらターコイズから・・・のカボを研磨して遊んできたところ。嬉しい再会だった~! ジェイミーとキャビング!カット、研磨してカボションを仕上げていきます。楽しい~~!そう、ずっと続いているアジアの旅ログはインドからミャンマーに入るところからです。時はちょうど今年初め、ミャンマー情勢がテレビなどでも騒がれていたときと重なり、そんな時に行かないほうがいいよと忠告してくださった方も多かったけど、でも今しかないと決めていたから・・・デリー空港からバンコック経由で乗り換え(夜中にシンドかった)、朝ミャンマーの首都、ヤンゴンに降り立ちました。私、ビザとか事前に取ってなかったから少し心配だったけど、アライバルビザのところへ行くと、他にはほとんど誰もおらず、簡単に取れました。ひと安心!さっそくシムカード買うのに少し両替するのだが、ミャンマーチャット、公定レートは1ドルあたり2100チャットなのに、3400くらいで日々不安定、ゼロの数が多いから札束ドーンでもほんの数ドルだったりで非常に混乱します。Grabというアプリで呼んだライドでホテルへ。インドのバラナシがあまりに汚な過ぎてインド疲れしていた身には(失笑)、ちょっとだけいいホテルで久しぶりにほっとしましたよ。やっとひと息つけた感じ。ツアー旅行じゃないから全部一人で手配。翌朝、またGrabでバス停へ。夕方発のバガン行き高速バスに乗りました。ヤンゴンから夜通し北上したバスは、明け方4時半くらいにバガンに到着。まだ真っ暗です。こんな田舎にはGrabもない。へんなおじさんが寄ってきて2万チャットでホテルへと連れて行かれた。普段なら一泊140ドルくらいするいいホテルだけど、ミャンマー内戦で誰も来ないから40ドルくらいに値下げしていてラッキー。でも一日のうち、ほとんどは停電状態。Wifiの接続もよくない。美しく手入れの’行き届いた広い庭園、巨大なアカシアの木々が大きな木陰を提供してくれ、鮮やかなブーゲンビリアが咲き乱れている。そんな天国のようなところで豪華な朝食をとっていると、そこが内戦状態であることを忘れそうだけど、夜になると川向うを占領しているらしい政府軍らによる発砲音、銃声が聞こえてきたりする。 こんなに美しい花々が咲き誇るホテルなのに、対岸では銃声が・・・ 巨大なアカシアの木々の下でビュッフェ式、美味なミャンマー料理の朝食を。バガンでは街を少し歩いていると必ず観光客目当てに寄ってくるバイクのおじさん、おにいさんらがいる。彼らは自称絵描きで、ここ世界遺産古都バガンの仏塔群を描いた絵を売りつける目的で、バイクであちこち「無料」観光をしてくれる。それはそれで便利なところもあるからとりあえず乗ってみた。そのおじさんも対岸から逃げてきた難民だという。最古のシェゼニゴン寺院に連れて行かれた。親切に丁寧にガイドしてくれる。自分は敬虔な仏教徒であることのアピールも忘れない。サンセットポイントにまで一日じゅうあちこち連れて行かれ、結局あの絵を普段なら買わない値段で買わされる、というか、この際ガイド料金プラス難民支援だと思ってお支払いしました。まあね。そして翌朝、5時半に迎えに来たバスで念願の熱気球ライドへ!バガンを訪れた目的はこれ!世界遺産バガンの仏塔群を上から眺める、でしたからね。世界三大仏教遺跡といえばカンボジアのアンコールワット(行った)、インドネシアのボロブドゥール(このあと行くところ!)、そしてここバガン。広大な平野に残る3000以上もの仏塔、パゴダ、寺院群であり、一度は見てみたいバケットリストのひとつでした。先ずは気球に乗って全体を見回してみること。政情が安定していた頃は毎朝、35基ほどの気球が挙げられたらしく、それは凄い光景だったはず。でもこんな内戦状況下でその朝は3基だけ。でも上がっただけラッキー。日によってはキャンセルになるから。果たしてビルマの古都バガン上空から3000余りの仏塔群を眺める気球ライドは文字通り最高でした!またしてもバケットリストのひとつにチェックマークが入ったことに感謝いっぱいです。最後、ゆっくり落下した後はお祝いのシャンペンと軽食でみんなでおしゃべり。気球ガイドは世界中で気球を上げているドイツ人で、先月はトルコのカッパドキアで、その前はタンザニアのセレンゲティにいたんだよと言ってました。気分次第で風まかせ、世界中で気球を上げるのが趣味であり、生きがいであり、お仕事、というのもなかなかいいですなー。 早朝、気球が上がります。チームワーク! バガン上空で日昇!3000余りの仏塔パゴダ群が輝き始めます。 世界中で気球を上げているアンディさん、なんていいライフスタイルなんだ! かつては毎朝35基ほどの気球がバガン上空を舞っていた! それはさぞかし見ものだったことでしょうね!翌日はその上空から見た仏塔群を、今度は自分で電動バイクをレンタルし、広大な平野を縫うようにして古代ストゥーパ、寺院群を一日じゅう訪れてみました。とてもじゃないけど3,000箇所を全部回ることはできないけど、気の向くままに広範囲の仏跡群を周ることができた。そしてあちこちで密かにアンダラ、シヴァグリッドのための祈りとご奉納をすることができたことに、あらためて大いに感謝です。驚くべきことは、3000余箇所の祠に奉納されている仏像がみなそれぞれの個性と特徴を備え、一つとて同じお顔のブッダがいないこと。なんとも幸せな一日でした。 気球の翌日は地上を這うように、仏跡をたくさん回りました。この中国製Eバイク、乗り心地も使い勝手も正直、最低。でも行きたいところには行けた。 とにかくたくさんの仏塔、パゴダ、寺院を回りました。 ナツメ?みたいな実を干してた。 驚くことには、ふたつとて同じお顔の仏像はない。それぞれにとっても美しいのです、翌日は、電気がついて、いらいらするくらいスローなインターネットでやっと予約できたマンダレー行きのバスに乗りました。マンダレーにはイスラム教徒も多いようで、朝は大音量のアザーンで目が覚めた。この古都を回るのだが、たとえば王宮には軍が占拠していて入れないとか、街のあちこちで内戦ゆえの制限がいっぱい。それでも市民は懸命に日々を生き延びていて、私もそんななか行けるところを回りました。有名なマンダレーヒルに登ったり、何と729といわれる白亜の小仏塔が林立するクトードーパゴダで紺碧の青空との対照に感激したり、圧巻の総チーク材造りのシュエインビン僧院の見事な彫刻群に唸ったり・・・夕刻には有名なチーク材のウーベイン橋を渡り、美しい夕日が沈むのを見届けたり・・・と、楽しませていただきました。私がマンダレーを出た後に、ここであのマグニチュード7.7の巨大地震が起こり、私が見て回った多くの建物が倒壊し、3,800人ともいわれる死者数を出したのでした。心は平安ではいられません。 古都マンダレーでもたくさんの寺院を回った。今ではあの地震で崩壊した寺院もあるとのことで・・・胸が痛いです。 白亜の仏塔が700体も林立するクトードーパゴダで:ミャンマー人の女性たちはなんて細いの!羨ましい~ マンダレーの最後は夕日スポット、総チーク材でできたウーベイン橋から~美しい夕日を眺めました。ミャンマーの旅はさらに奥地へと入っていきます。せっかくならインレー湖にまで行ってみたくなったのです。この秘境への旅は次回に続きますので、どうぞお楽しみに!いまアリゾナを離れ帰宅するにあたり、新月のセドナのボルテックス上で見た多くのUFO軍団や飛行物体に思いを寄せれば、いや~、この惑星は実に大きな試しと人類の選択のときを迎えているなーと。今こちらに向かっている3Iアトラスもきっと、こんな地球人たちをチェックしに来ているのかも?なんて思っちゃいます。前代未聞のワクワクが止まらない時代をいま生きている、生かされている、このときを自分で選んできたこと、考えてみて。人類の集合意識が今回は何を選ぶのか?楽しみでもあります。不要な恐れは振り払い、ハラワタの感覚にのみ従ってワクワクな毎日を過ごしましょうね。だんだん寒くなっていく日々。冬至までが一番暗いときです。朝起きもツライ。同じく惑星レベルでも、今が一番暗いとき。これまでなら決してありえなかった闇が次から次への浮上し、どんどん光があたっていく。そんな周辺のドラマをジャッジしてるヒマがあったら、そして混乱したらイメージでいいから熱気球に乗ってみて、もっと大きいところから状況を俯瞰してみるのもいいですね。ときどきそうやって自分の今の立ち位置を確認してみることは大切。深呼吸して、また大地を踏みしめて歩き出しましょう。もうすぐ人類が迎える真の宇宙時代。それがどんな夜明けになる(する)るのかは、私たち一人ひとりにかかっていますよ。いまちょうど季節の変わり目、どうぞご自愛くださいませね。ナマステ~!
2025年10月24日
閲覧総数 128
2

いやはや、私はいまいろいろわけあって、ずっとバルカン半島の旅を続けております。もうすぐ新月には、ボスニア・ヘルツェゴビナのピラミッドにアンダラとシヴァのご奉納をさせて頂く予定です。ハートでご協力、ご支援いただける同志のライトワーカー、グリッドワーカーの皆様、どうぞ祈りのなかで共にあってくださいませね。いや、そもそもこれは今月初めに始まったのでした。過労とストレスの日常から少しでも逸脱したいと切望する娘が、自分の稀有な休暇を利用して一家でモロッコへの旅行を計画したのです。私も随行要員に入れられてしまい(要はベビーシッター:苦笑!)旅が終わると、私はマラケシュで娘一家とは別れてひとり、グリッドの旅を続けているわけなのです。ここでモロッコやボスニアの話に入ってしまうと、ずっと続いているミャンマーからいつまでも出られないので(苦笑)、現行の旅は少しだけホールドにして後日共有させていただくことにしますね。だってアフリカを出てからも連日、実に刺激の多いバルカン半島の一人旅が続いていて、それはそれは・・・なかなか一気に語りきれそうにないから。さて、そういうわけで軍政下のマンダレーを離れた私は、一日じゅうバスに揺られてミャンマーの奥地、インレー湖へと向かいました。朝7時半に乗ったバスがミャンマーの山岳地帯をどんどん高度を上げて走り続け、やっと降ろされたのは夕方6時半、もう陽がすっかり傾いていました。途中、バスが止まったな?と思って窓の外を見るとパンクの修理中だったり、あちこちでトイレや短い食事休憩などを入れながら、さらに山岳少数民族のシャン族の居住区に入るときには車両チェックがあったり・・・といろんなことが起こるから、決して退屈はしなかった。それどころか大自然の緑豊かな丘陵地帯は、先日までいた荒涼とした砂漠地帯とは違ってホッとしましたね。 バスはミャンマー奥地へとどんどん高度を上げていき、シャン族の居住地に入っていった。 一日じゅう走ったバスを降りた頃には、インレーの街は日暮れていき、やがて満月が夜空を照らしていた。着いた~~!インレー湖畔にとった宿の主人は、美味しいお茶で迎えてくれた。でもいつも停電しているし、特に複雑な紛争が続いている最中なので、人々の日々の暮らしも何かと大変そう。電気がつかないからWifiもないし、お湯も出ない。でも私の目的はインレー湖の夜明けを見ることだったから、そうした不便さはさほど苦にならなかったけど。インレー湖までのバスで同乗したイタリア人の若い女性と、翌朝は一緒にインレー湖のボートに乗ることになり、そのつもりで朝6時にボート乗り場に行くと、あ、あの娘はもうポーランド人の男と出て行ったよと告げられる。Oh No ! ま、そんなわけで、そこには米国在住の韓国人男性がすでにボートに乗っており、私は期せずしてその彼とほぼ一日の湖上ツアーに繰り出すことになったのでした。彼はリタイアして世界中を一人旅しているという誰かみたいな人で(笑)、楽しい一日になりました。 夜明け前にインレー湖をボートが滑り出しました。 ナンパンマーケットはシャン族の人々の活気で賑わっていました。 湖上、族のお店にも立ち寄ってみました。 私が見たかったインレー湖の夜明けは、まさにこれ!これが見たかったんだ~~!と唸るほど素晴らしい感動のシーンが湖上に次々と展開されていき、やっぱり来てよかったなーと深く感じ入るのでした。ボートは湖畔のあちこちの村、集落に立ち寄るのですが、ちょうどその日はラッキーなことに五日市、ナンパンマーケットが開催される日だったので、シャン族のカラフルな民族衣装に身につけた人々で賑わう市場を楽しむことができました。私はできたら欲しかったものがひとつだけあって、それはロータス(ハス)の茎の手織りのストール。’以前ベトナムであまりにも高価で手が出せなかったものでした。でも旅の道連れとなった彼が持つ成功したビジネスマンの交渉術がみるみると功を奏して、私でも買えるところまで値段をどんどん下げてくれたのでした。いやー、ほんとにカムサハニムダでした。やっぱ、あのイタリア人の若い女の子が裏切ってくれたことにも意味があったのね。仏教寺院に立ち寄ったり、楽しい9時間ほどの湖上ツアーが終わって陸に上がると、彼は翌日、スリランカーインドへと旅を続けるらしい。旅の幸運を祈って感謝のお別れを言い合う。 まもなく、この世のものとは思えない神秘的な太陽が湖面を輝かせた!大感動!私はといえば、インレー湖からさらに奥地へと入った秘境の村、パオ族らの居住地区にあるカックー遺跡にどうしても行ってみたかったのです。でも宿の主人に相談しても、いや、現在は危ないからやめたほうがいいと言う。いまや政府軍ばかりか、反乱軍も勢力拡大していて一帯を支配しているから、もし誘拐でもされて人質にとられたらどうするんだ?と。他の人達もみな口を揃えてNOと言うのです。私も実際、何軒かのタクシーと交渉してみたけど誰も行きたがらないし、普段の2倍の値段をふっかけてきたりする。この際、2倍でも行ってくれるなら仕方ないか?と一応、翌朝8時に宿に迎えにくるという予約を入れた。人に行くなと言われるほど余計に行きたくなるという悪いクセが私にはあるのですよね。翌朝、8時。しかし誰も来ない。やっぱりなぁ。今度はトンズラかー。参ったなぁ。ところがそれが幸いした!宿の主人が、同宿した素敵な母娘らに話をつけてくれ、途中まで彼女たちの雇ったタクシーに途中まで同乗させてくれることになったのだ。ジャンクションまで出れば、もしかするとチャンスがあるかも?というわけだ。そこで私は何台かのタクシーらと交渉したのだけど、やっぱり誰も行ってくれそうにない。となれば、もうバイクしかない。バイクにまたがってでも行くぞと、私は腹を決めた。すると天はとても人の良さそうなバイクの運転手のおじさんを私に与えてくださったのです!しかも帰りは宿まで乗せて降ろしてくれると。しかもタクシーの半値で。かくして私は寒い朝、ヘルメットをつけて頬に風を切りながらバイクにまたがったのでした。そして約3時間弱。いや~、タクシーなら楽々だったろうに、バイクで風を切りながらの3時間はかなりキツかった~~、いやおじさんだってもっと大変だったはず。ほんとに感謝しかないです。途中、バイクのガソリンを入れるというので止まった。私はその頃には身も冷えてトイレに行って戻ると、あれあれ、おじさん、どうやらガソリン代も持ち合わせてないようで・・・それで私が1万チャットをとりあえず建て替えて、と。それからおじさんは赤い噛みタバコで真っ赤になった口元を悔いしばり、上手で安全な運転で、あちこちにあった検問所も問題なくスルーして、やっとのこと晴れてカックー遺跡に到着しました! バイクの後ろにまたがって寒い風を頬に切りながら、やっとカックー遺跡に近づいてきた!すると、なんと予想外にそこはたくさんの観光客で賑わっていたのでした!大半はミャンマー人や近隣諸国の人々のようだった。え~~。だから実際に自分で来てみないとわからないんだよねー。外国人は入場料5ドル。ドル札でお支払いです。そこからは私は一人、もう素晴らしいとしか言いようのない遺跡を、じっくりと時間をかけて回ったのでした。おじさんはずっと外で待っていてくれた。 やっとのことでカックー遺跡到着! ものすごい繊細な仏塔群が見えてきた!感激の一瞬! たくさんのミャンマー人らが遺跡を訪れていて、ある意味ホッと安心した!寄進された無数の仏塔群が立ち並ぶカックー遺跡が際立って美しいのは、その仏塔の上の方にぶら下がった鈴の音が風に揺れるたびにシャンシャンという美しい音を奏でるから。その夢のような音色が仏塔の杜を渡り、まるで異次元に迷い込んだかのような不思議な感覚になるのでした。あれだけいろんな人たちにやめとけと脅されたけど、危険を冒しても私を乗せていってくれたバイクのおじさんも現れてくれたおかげで、このミャンマー秘境のなかの聖域にもアンダラ、シヴァグリッドを広げ、奉納をすることができました。もうひたすら心から感謝です! この繊細な仏塔群の上にぶらさがった鈴の音がシャンシャンと風に鳴り響くとき、そこは異次元世界に迷い込んだような不思議な感覚があります。 ここまでグリッドを広げる旅の助っ人、バイクのおじさんはずっと外で待っていてくれた。感謝、感謝です!翌朝はその同じおじさんにバス停まで乗せてもらう約束をしました。もちろん彼は時間通りに現れ、朝靄のなか、またバイクにまたがります。そこでヤンゴン行きの高速バスを待ったのですが、バスが来たちょうどそのとき、あのおじさんが通りを挟んだ向かい側にいて、互いにバイバイと手を振り合えたのがやたら嬉しかったです。そしてヤンゴンに向けて、今度はいろは坂をどんどん、くねくねと高度を下げながらバスは一日じゅう走ります。途中、一体何回の検問に合ったことか!高速バスとは名ばかり、いろんな物資の配送業務も兼務しているらしく、あちこち止まりながら、やっと首都ヤンゴンに着いて、ホテルにチェックインする頃には夜中の2時を回っていた。あーほんとに疲れた~。翌日はヤンゴン空港へ。空港の建物は立派だけど何だか薄暗い感じで、人気もなくガラガラ。便数表示板にも3便くらいしかなくて、やっぱりこんな軍政下、旅をする人はごく少ないのだと納得。そんなこんなで、ようやくミャンマー出国スタンプを押された時にはちょっとホッとしましたね。それでも飛行機は1時間ほど遅れてタイへ出国。バンコックに到着するや、夜中を回っていたというのに、その町の賑やかさと活気に驚いた!さっきまでいたミャンマーとはあまりにも対照的過ぎる。入国する物凄い数の旅行者らが空港を埋め尽くしていた。バンコックの喧騒と明るさ(薄暗くない)、街にはないものはないくらい何でも揃っているし、口に合う食べ物も豊富にあって、生きた青いカニとパパイヤのサラダを食した時には、ほんとにミャンマーを出たことが確信できましたね(笑)。Wifiも速くていろんな手配やらがスイスイと進む。ほっとするなぁ。タイへやってきた目的のひとつはアユタヤ遺跡でした。今回訪れたアユタヤ遺跡は、カンボジアのアンコールワットと比べてしまうのがいけないのだろうが、何だかいまいち感激が少なかったかな。それともたまには楽してと、現地ツアーに便乗してガイドの後をついて回るだけだったからかな。あの有名な仏像の周囲にはたくさんの人々が群れていた。 アユタヤ遺跡、あの有名スポット、謎の場所にて!翌日はもうひとつの目的地、チェンマイへ向かいました。ミャンマーでは一度もネットが使えなかったので、タイに入ってギリギリになって列車を予約したため、もう3等の夜行列車しか残っておらず、これがまさにヒッピー車両でいやはや大変だった!外国人のヒッピー風若いバックパッカーらばかりがひしめいていて、ほぼ満席。タイ人はほぼいなかったな。いまでもまだヒッピーはいることを知って嬉しくなった。いま日本人の青年は、もはや荒野を目指さなくなっているからね。もちろんエアコンなしで列車の窓は大きく開け放たれたまま。そこに音の煩い大きな扇風機が天井からぐるぐると熱風をかきまぜてくる。荷物棚は見渡す限りバックパックがぎっしり占領していて隙間もない。車両の電灯もギラついたままで、夜中じゅうこの状態なのか!とショックでパニクるも、こうなったら仕方ない。カンネンして目をつぶっていくしかないではないか。夜8時20分にバンコックのドンムアン鉄道駅を出た夜汽車は、こうして夜通しタイを北上し続けたのです。思ったより早く最初の3,4時間がたち、勇気を奮い起こしてトイレに行ってみたが、それほど悪い状態ではなくてホッとした。眠れるはずはないけど周囲の誰もが同じくカンネンして目を閉じている。夜中の2時を過ぎる頃には天井の扇風機が止まった。気温もぐんと冷えてきた。私もウインドパーカーを羽織って、またカンネンして目を閉じてみる。そのうち次第に夜が明けていき、朝食やチャイを売る車内販売が車両を行き来するようになった。もうすぐだ。朝9時過ぎにチェンマイ駅に到着。駅を出て街で美味しいコーヒーにありつけた時は生き延びたと思った。チェックインの時間になり、ホテルに着いてそこでタイでは珍しい浴槽に浸かったときは、本当に生き返った気分になれた。いつもシャワーだけで、浴槽につかったのはンヶ月ぶり?やっぱり日本人はお風呂に入らないと駄目なんですよね。シャワーでは癒やされない。 バンコクからチェンマイ行きの夜行3等列車、私は横になることもできず、ひたすら翌朝まで耐え忍びました・・・チェンマイは大好きな街だ。特に嬉しいのは、あちこちの仏教寺院内で、手頃な値段でマッサージを受けられることも有り難いことだ。街に滞在中、近くのお寺でトーンセンという木で体のツボをトントン、ポンポンと叩くマッサージとか、いろんな種類のマッサージを受けた。こんな贅沢、日本やアメリカでも決してできないよねー。あくる日はツアーに乗ってタイ最高峰の山岳地方へ出かけ、カレン族の住む村で織物を見て歩いたり、楽しい時間があっという間に過ぎていきました。この後、私は所用のためいったん日本経由でアリゾナに帰国し、またすぐパート2のアジアの旅を、今度はインドネシアから開始するのでした。旅はさらに続きます。ここからはまた次回にしますね。 いよいよ11月、霜月も後半になり、気がつけば師走は目の前。目が回るような、いや実際に回り続けた2025年ももう最終コーナーにさしかかっているとは、まさに驚きです。2026年のカレンダーも入手したけど、午年はどんな年になるのやら?いや、どんな年にしたいのか、冬至に向けてもう今から気持ちを向けていかないと、ですよね。私はここからあと少しだけバルカン半島の旅を続けてから帰宅し、ばーちゃん行に復帰する予定です。孫ちゃんたちも日本食が恋しいらしいし(笑)。さて当方の純正アンダラのペンダントは、ショップに載っているものが大半で、もうほとんど在庫がなくなってきているのが実情です。これまで気になっていた方、本物志向の方は、無くなる前にどうぞお早めにご注文くださいね。なお再度のお知らせですが、当方のメルアドも mihocosmic7*(ここに@が入ります)gmail.com に変わりますので、更新をよろしくお願いいたします。どんどん寒くて暗くなる一方の季節ですが、この一年のまとめ、総仕上げに専念し、もうすぐやってくる新年を視野に入れて充実した日々をお過ごしくださいね。そしてご自愛されてくださいませ。ナマステ~!
2025年11月18日
閲覧総数 61