軍政下のミャンマーでは何かと困難、困窮が続きましたが、いまタイに入ったとたんに停電なし、
wifi
環境もバッチリ、もう気抜けするくらいあっという間にネット環境が改善しましたのでまた更新できます!
それにしてもタイ、バンコック、市街地には高層ビルが林立し、安心して食べられるクリーンな食料、これでもか!というほどの(おそらく
C
国産の)衣料の山々、この国にないものってないんじゃないの?と思えるほど、街は大変な活況に包まれ、北半球の寒い冬を逃れて欧米や(日本からもの)越冬中の渡り鳥たち、たくさんの観光客らに溢れかえっていて、一昔前のタイとは見違えるほどです。いま都会を離れ、ひと晩夜汽車に揺られてチェンマイに滞在しています。
そう、時事的にもいま!と思うので、まずはインドでのマハ・クンブメーラのことを共有したいと思います。というのも、このヒンドゥー教最大の祝祭はたしか今日あたり、マハシヴァラトゥリの日まで 北部、ウッタルプラデシュ州で まだ継続中なのです。
先日のニュースによれば、このマハ・クンブメーラを目指す群衆がまたもやデリー鉄道駅で押し合いヘシ合いの将棋倒し状態、スタンピードが起こってさらに十数人の死者が出たようです。そうなんです、いやはや、一生に一度は行ってみたいと願う私のバケットリストのひとつがこれ、マハ・クンブメーラでした。特に 2025 年のはまさにマハ(偉大!)で、 144 年に一度の星の巡りと重なり、実にパワフルで、世界中から日々延べ 7 千万人、最大時には1億人ともいわれる敬虔なヒンドゥー教徒らが集っているのです。え~~~!1億人が集って沐浴、祈りを捧げる?いったいどうやったらそんなことが可能なのか?何としても一度はその時、その場に居たいものだ、という願いが具現化したのでした。通常は 12 年に一度のマハクンブメーラですが、 2025 年はさらに特別で、 144 年に一度、天体に月、木星、金星、火星が一直線に並ぶ特別なメーラ(集い)なのです。「マハ」は偉大な、の意。「クンブ」は壺、水瓶、「メーラ」は祭り、集会を意味します。この一大祭典はヒンドゥー教の経典にあるサムドラ・マンタンという海の撹拌伝説に基づいているらしいです。

いたるところに、144年に一度の大祭典、マハクンブメーラのポスターが。モディ首相と、ウッタルプラデシュ州知事が大々的に盛り上げてます。
2
月
14
日には
9,200
万人が沐浴した
と伝えています(動画の
2
分
52
秒あたり)。聖地プラヤグラージ行き列車がキャンセルになったことに怒りだした巡礼者らが力づくで車内に押し入ろうとしたことからこの状態になり、少なくとも
18
名の死者が出た模様です。
1
億人がひしめき合うシーンは、まさにこんな感じでした。ここまでで合計約
6
億人ほどがマハ・クンブメーラを訪れているそうで、私はその一人というわけ。私が現地入りしていた間にも、沐浴を目指した巡礼者らが将棋倒しのスタンピード、窒息死等で約30名(主催者発表)ほどが亡くなっています。
私自身が同じく大変な苦労の末に
,
ようやく聖地プラヤグラージに到着したのは
1
月
27
日のこと。ひと月以上にわたって開催されているクンブメーラの期間中に
3
回ほど特別な聖者らの沐浴日があり、その前後には巡礼者がぐんと膨れ上がるのです。私が目指したのは真ん中の特別日、1月
29
日の
Mauni Amavasya
の日でした。私、今回まったくの一人旅。ツアー会社のお世話になっていないので、すべて自分で手配、準備しなければなりません。若き頃の風まかせの旅再開!というか、まあ~それはそれで自由な分、なにかと大変でした!壮大なスケールの壮大な旅なので、数回に分けてお話ししないといけませんね。まずは聖地、プラヤグラージに到達する部分からね(笑)!いまどき、この時代にあって、クンブメーラほど訪れることそのものが大変な祭りはないです!
私は仮設テントだけは早めに予約しておいたけど、あとは現地でという主義だから、日程が近くなってからの飛行機代はものすごく高くて手が届かない。それでまずはバラナシ(ベナレス)に飛びました。いやはやバラナシもまたメーラへ行く、メーラから帰った人々で街中ごった返し、あちこちでポリスがバリケード張ってコントロールしてました。そこからは「いいバス」でプラヤグラージに行く手筈を整えたのですが、実際、リキシャーでバス停に降ろされるや、バス会社の人も含め、周囲のみんなが、いや、このバスは
15
キロも離れたところにいて渋滞で遅延状態、こっちのに乗れ!と、もう動き出しているローカルバスに勝手に荷物ごと押し込められてしまったのだ!え~~!わけわかんないけど、このバスが目指すプラヤグラージに行くことだけは確かだったから、ま、いいや、という感じ。周囲のインド人らがヒンドゥー語でワイワイやってるうちにそうなっちゃったわけで、インドあるあるなんですが。私は高速の指定席バス(
1,500
円)を無駄にして、いつの間にか押しこ込まれたローカルバスの、しかもぎっしり詰まった人々のなかに
1
席空いてた(!)席に腰掛けたのでした。全員、インド各地からメーラを目指している人々。そして私のことをあの大きな目でジーっと強烈に、穴が開きそうなるくらい見入るわけ。こっちが目をそらしてもジーっと凝視し続ける。ニコリともせずに。きっと彼らにとって「外人」である私みたいな人は初めて見たのだと思う。そんなド田舎から野宿用の?大きな荷物抱えて聖地に移動しているわけ。そのうち、バスの中には豆売りから飴売りから・・・いろんな人が乗り込んでくる。みんながバスの窓からゴミはポンポン捨てるし、ツバをペッ、ペッと吐き出すのも昔と少しも変わっていないな。バスがなぜか停まったなと思ったら、男性群ほぼ全員降りて、バスに背を向けて一斉に放尿。これも昔のままだ。そのうち女性もトイレに行けるように(?)レストランのある場所に停まった。でも誰も何分間止まりますとも言わないし、わけわかんない。バスに乗り合わせていた若者らがランチ、ランチというから降りてみたら、何か注文することになり、そうこうしているうちに車掌が、バスが出るよ、戻ってと呼びにきてくれたからよかったようなもんで、でなかったら置いていかれたんだろう。あー、インドだ~~!
そのうち、バスも周囲の渋滞もまったく動かなくなってきた。本来なら
2
時間で到着のはずが、延々と
5
時間以上かかってプラヤグラージに着いた。こうなると
1500
円の高速バスも、
320
円のローカルバスも同じことだったようだ。
プラヤグラージまであと1時間というあたりから、周囲は全然、全く!動かなくなった!
そしてバスを降ろされたところからテント群が並ぶエリアまでなんとかして行き着かないといけないのだが、予定ではそれなりのバスが出ているはず?なのに、現地は混雑し過ぎてもうめちゃくちゃになっていて、誰も何もどんな状況なのかを把握している人はいない感じだった。それだけは確か!タクシーもない、リクシャーもない、たまにあるけど法外な値段をふっかけてくる。それに車やリクシャーでは街じゅうに設置されている検閲バリケードを通れないから、いずれにしても無意味。となるとバイクしかない!ということを察知した時点で、そこに一台のオートバイに乗った若いニイチャンがいたので交渉することにした。ニイチャンはオンリー
500
ルピー、とか言ってくる。通常なら
40
分くらいの距離なのでそんなに?と思ったけど、状況が状況だけに、これは仕方あるまいと決めて、ニイチャンの後ろにまたがり、ニイチャンとの間に大きな荷物を挟んで乗り込んだのです!
たまたまそこに居合わせたニイチャンのバイクに、大きな荷物ともども乗り込んで出発!したのだが・・・
巡礼者でひしめき合う道をひたすら進むのみ・・・
そ
れから私は荷物のバランス取りながら、ニイチャンにもつかまって、目指す会場方向へとバイクをビュンビュンと飛ばしたのでした。あちこちで交通規制のバリケードがあり、あるところではポリスらが、その男にいくら払うんだ?こいつには
100
ルピーでも多いよ。わかったね?困ったら警察呼ぶんだよ。と言われた。えー?でも仕方ないじゃんねー。ニイチャンはめげずに、追い返されたその場は引き返し、また別のルートで長い橋の上をサンガム目指してぶっ飛ばした。橋の両側とも大変な巡礼者の群れが歩き続けていく。橋の左右には、ツーソンジェムショーの比じゃない巨大なテント群も遠くに見える。これは見逃せないからと、荷物抱えながらパチパチ写真も撮りながらだからもう大変(!)橋を渡り終えるとニイチャン、ちょっと一休みだという。私の大きな荷物が彼をプッシュし続けるし、あの尋常じゃない人混みに気を使い、ポリスに脅かされ、彼も大変なのはわかる。するとニイチャン、携帯のグーグル翻訳でヒンズー語で入力、英語で伝えてきた。「さっき
500
ルピーって言ったけど。君が払ってくれるだけでいいよ。ゼロでもいいよ」とか。なんだー。ニイチャン、いいヤツなんじゃないのー。でもこの会話でわかったことは、この彼、バイクの運転手ですらなかったってこと!たまたま自分もメーラに行くために
50
キロ離れた近隣の街から来ていた学生さんだってこと。え~!なんとー。
橋の両側に広大なキャンプ、テント群が広がる。圧巻!巡礼者らはひたすらサンガムを目指して歩く。
ただひたすら、延々と歩きます。
これは信心なのか?狂気?ただ延々と何日も歩き続けます。
この短い休憩後、さらに目指すテント群へと進むのだけど、もうとにかく押し合い、へし合いで頭上にお泊り道具、鍋釜一切を乗っけた群衆の数がいっそう増え続け、リクシャーとオートバイと・・・でほとんど動かなくなってきた。あるチェックポイントではここまでだ、と言われ、私は降りて歩いて向こう側にわたった。ニイチャンはポリスの見ていないスキを狙って、道脇から回り込んでバリケードのこっち側に入ってくれて、さあまた続行。いやはや、大変。本来なら
40
分くらいのはずのところ、やっとのことでたどり着くと
2
時間半以上たっていた。そこにはもうこれでもか!っていうくらい大きな火の玉大の夕日が沈むところだった。
強烈なインドの燃えるような夕日が沈むとき、やっと到着かと思いきや・・・
するとちょうどそこで(!)彼のバイク、空気抜けてもう走れなくなったのだ!ガソリンもなさそう。予約していたテントには電話してくれて、そこまでスタッフが迎えに来てくれることになったからよかったものの、ニイチャンは一緒に長い間、そこで待ってくれた。そのうち迎えが来てくれて、やっと私はテント群に入れたのでした。ニイチャンはその後どうしたのか?といえば、数キロバイクを押して空気とガソリン入れて、ちゃんとメーラも見て帰路に着いたとのこと。よかった。彼には約束通り
500
ルピー払ったら嬉しそうだった。でも後でわかったことには、これって考えられないほど超破格なお値段だったんだって。状況が状況だけにみんなその数倍はボッていたようで、もう、あのニイチャンに感謝です。
そしてこんな感じの、主に外国人らが泊まっている仮設テントに到着。ここも国内はもちろん、世界中からの観光客らがチェックイン手続きで賑わっていました。このクラスの外国人用テントだと、ほぼ全員が主催者側が手配した特別タクシーで会場にやってくる。私は自分でローカルバスでたどり着いたと言うと、カウンターのインド人もびっくり!「WOW! あなたは相当に勇敢な女性だ!」(brave lady!)とコメントされてしまった。
寝静まった仮設キャンプ群:これはかなり高級クラスといえます。
テント群のすぐそこにガンガ(ガンジス河)が流れている。北インドの冬はものすごく!寒いんです。しかも明け方、ガンガの冷気が大気に混ざって川から吹き込んで、文字通り骨まで凍りつくように寒いんです。こんなとこで風邪ひいてはいられない。イギリスから来たおばあちゃんは電気毛布持参していて、もういっぺんに尊敬!ここはもちろんオールベジ(菜食)で有り難い。チャイとたくさんのカレースパイス(=薬)のおかげ?で、なんとか乗り越えた感じ。
日々、さまざまなカレーのベジ食はとっても美味しかった:)
でもほんとの話、インドでしか、インド人にしか、こんな
6
億人の集会をオーガナイズすることって無理です。何かにつけ、インドの強烈な電圧サージのように(!)許容範囲を超えるエッ?
ハー?というたくさんの試練が訪れ、メンタルも体力も相当鍛えられます。
じゃあ、次回は肝心のクンブメーラのお話をいたしますね!
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