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土曜日のキッズデー、胸が詰まるような感動。野球少年たちが大きな声援を送り、選手も応える。「日本もやっとここまできたか」とうれしくなる。NFLの取材をしていて、子供の多さに驚き、、家族全員で地元を応援するのを見ていたから。そうやって育てば「自分もいつかあそこに立とう」と思うよね。イオンのジャスコはMLBのスポンサー。松井のマグナムドライで、限定品プレゼントキャンペーン中。なかなか、買い物してもそこまで気づかない人が多く、出せば当たる予感。開幕戦チケットも当たったし、お台場のワールドスポーツビジョン(昔NFLの広告出稿担当でした)では、チケットがあれば10%オフというので、提示。応援グッズそろえました。マクドナルドも、子供たちにメッセージを書かせて、松井選手に贈呈してました。今日は小泉首相の始球式だって。警備が大変そうだけど楽しみ。昨日はフレンチの名店で勉強会。いろいろ学びました。
2004年03月30日
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毎週土曜日はジャスコの日。子供をモール内の英語教室に連れて行き、一人40分のレッスンを受けてる間に、上の子、下の子がベビー同伴ながら、それぞれママを独占できる。アイスクリームを食べたり、ゲームをしたり、マクドナルドで買い物したり。そんななか、マックのカウンターに「MLBキッズデー」のチラシ。何これと思ってゲット。明日の公開練習の無料参加権でした。そしてジャスコではチケットプレゼント.3万6千円分のチケットあたった。ラッキー。
2004年03月26日
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小学生のころ、ドリフの全員集合の公開放送へ行った。父の所属した会社がスポンサーだった。「お化け番組」と言われただけあって、相当いい給料をもらっていたようだ。父はひところ宣伝部にいた。昔話で「ドリフの担当はOOちゃんで、電通のOOがさー」なんて話をよくしていたし、親友が代理店の人だったんで、華やかだったようだ。叔父はTBSの音楽番組のプロデューサー。スティービワンダーを呼ぶようなイベントの担当で、祖父の葬儀には、紅白出場歌手からもたくさんの花が届いた。西田敏行や松崎しげるを発掘したバラエティ番組も作っていた。毎週土曜日はそのスタジオに見学で入れてもらっていた。ザ・芸能界的な華やかな業界が日常にあった。昨年、友人が店長のラーメン屋「一風堂・六本木店」に父と子供と一緒に行った。かなり満席で、「奥に入れてね」と無理を言って通してもらった。隣にいたのが、打ち合わせ中の「いかりや長介」さんだった。子どもが騒いだらまずいな。大丈夫かな??まったく気にも留めずに、いやな顔ひとつされずに、ご自分の衣装について、こんな感じがいいなと熱く語っている。自ら演出するライブイベントのようだった。安心してすぐ隣でラーメンを堪能した。保育園の前の葬儀場が会場だったので、昨日のお迎えの帰りに、通夜に参列した。文字通り、ドリフのおかげで育ててもらったんだよな。「ありがとうございます」「ファンの方はこちらです」記帳所がファン用にも設けられていた。さすがだ。「関係者はこちらへ」関係者の中は親族、業界、一般だった。私はその中の一般へ。行列の仕切りをしていたのが、イエローキャブの社長の野田さんだった。恩師なんだろうか。隣に「柳葉敏郎」さんとならんでの焼香となった。赤ちゃんが泣き出してしまったが、つまみだされもせず、素敵な笑顔で見守ってくださった。テレビで見たら、相当すごい数の芸能人が集まってきたようだ。先輩として、兄貴として、厳しい人であり面倒見の人であったという。場内は超高級車が行列していた。芸能人って儲かるんだ。と言う現実を見た。しかし。ひとつのことを極める。あの日の晩に見た打ち合わせ、大スターなのに、ラーメン屋さんにいる姿に、自分もこうなりたいと思った。
2004年03月24日
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母校の部の応援サイトの私の書き込みを転用。★ ★ ★ ★ ★ 10歳からカレッジフット(ミラージュボウル、モンタナが来たジャパンボウル)などと出会い、日櫻に入って3年の春はカメラを持ってファイヤーズのおっかけ、(チアと女マネが友人だったため)、松岡さんの甲子園ボウル見たさに女マネと応援バスツアーに参加させていただき、そのときに超有名なS監督と出会い、グラウンドに出入りさせていただいてました。彼女たちの進級とともに、おやじこと監督の周辺写真を撮り、監督が、黄金期のOBの方たちともよく笑う楽しい時期をすごしました。写真専門学校の課題のため週末だけ試合の写真を撮り、アメフット専門誌のTD誌にも提供。その1年後にやった写真展にフェニックスをテーマにした5枚の組写真を出展。なんとそこに監督がお越しになり、感動。その日に日大受験を決め、1ヶ月の猛勉強で日大に入りました。最初は三島から新幹線で試合に通い、3年の夏、NFL発祥の地オハイオ州カントンの名誉の殿堂にて行われた、49ナーズの試合で、伝説のQBジョー・モンタナのサイドラインの開幕ショットを撮影し、単独取材、その写真はTD誌の開幕特集号の巻頭起用。さらに、S監督には「49ナーズには、正式メンバーとして、チームカメラマンがいたんですよ」と報告したら、「じゃあ、うちではお前がやれ」と任命され、チア以外は女子禁制といわれたチームに、ポジション的には「女子マネ」と言う名前でチームに所属させていただきました。その後は深夜まで毎日グラウンド通い。監督が常に「お前らなんて最低だ!!」と言うほど(モチベーションアップ)のチームが徐々に自信と力をつけ、日本一になっていく階段を昇るのを真横で見ていました。たまたま東宝での日大100周年記念映画化の話と、記念すべき年が重なって、主人公で、女子学生でカメラマン役の富田靖子のモデルということになって、チームも実質日本一に!!卒業後は、映画のストーリーのようにTD・NFL誌の記者をしながら見ていました。家の事情で、8年前から六本木で沖縄料理店をやってますが、最初はフェニックスのヘルを飾り、社会人選手やリーグ関係者の集う場でアメリカンボウルのプレイベントまでやってました。NFLやカレッジを現地で見ていると、地元や出身校を応援するのに家族総出で、チームカラー一色で楽しむ試合を演出するため、ライスボウルの日は、母がチームロゴ入りの風船を作って会場に配りました。真っ赤な国立競技場に感激しました。今でも関学OBは「青と赤じゃないとやる気がしない」と言われてます。先日OB会で「今後何をすべきか」と一人一人意見を言いました。TDでNFLのファンクラブやタッチフットリーグを事務局長として、NFL解説者でも有名なG社長と一緒に立ち上げていたので、10年たってNFLや連盟の配下におかれたと聞いて、やっと実を結んできたかと思います。最初は一人の熱狂的な気持ちで、大きく実を結ぶものです。最近は、日大フェニックスについての応援サイトや公式サイトできています。このサイトがあったことに感謝します。OB会では「とにかく、昔はいいから誰もが楽しく会場に足を運ぶこと。誰もいない会場で試合をさせないように。そして、子や孫をファンにさせてください」とお願いしました。同期のS君(主将)にもばったり出会ったので、「何かやろうよ」とは言ってます。いちおう映画のような人生を歩ませていただいたので、恩返しはしたいところ。店は、選手の結婚パーティーにも使えます。(70人収容)フェニックスカフェ、やりたかったんですよねー。同期の超有名QBやH大の選手もスタッフになってた時期もあるんですよ。http://homepage1.nifty.com/myers/
2004年03月21日
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偶然が重なったみたい。出会いのきっかけは、本人もまったく予想していなかった。主人・友人と合コンの予定~ドタキャンされる~じゃあ、彼女が行ってた六本木の新しい店でも行くかと友人の誘い~六本木なんてめったに行かないのにナー~恐る恐る入店~八重山・石垣出身なんですよ~とスタッフと会話。「私は石垣はわからないけど」~母「娘が石垣によく行くのよ」~私~「起業したてで毎日毎日がみがみ母に怒られ、あーうざい、あーやめたい」~母~「石垣の方よ、お相手しなさい」私「面倒くさいな、えー石垣?????」そこで出会う。石垣の地元話で意気投合。近くに先輩の民謡歌手が出てるライブハウスがあるよ「その店に行きたかったんです。案内してください」外は雪。ムードはばっちり。夏に石垣で友人の結婚式があるから一緒に行こうよ「うわー、結婚式、みたいみたい」石垣では主人のお母さんに「ありがたい、神様のお導きだねー」と言われ、石垣発祥の地であるウタキでは、女性の神官であるツカサの親戚のおばさんに「結婚はイツね」といわれ、きづけばあって1年後に結婚式でした。でもサー、出会う前は「結婚なんて無理、相手がいないシー」と言ってたから、人生なんて本当にわからない。ただひとつ「素敵な石垣出身の人と結婚したい」と言う夢はかなってしまったのだ。格言・意志あるところに道は開ける。
2004年03月20日
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昨日はジムに顔を出した。わたし様のプログラムは組まれていた。六本木ヒルズのビレバンで、「夢をかなえる手帳」を入手。ネットサーフィン中に、無料サンプルのサイトで「Mダイエット」のモニター募集のページを発見。これはやらねば。毎回飲む分が無料な上、雑誌などでの公表に耐えられれば、コンテストに出場、優勝賞金300万円。これはおいしいかも。でも、新聞のエステの折込を見ても、結局は、自己管理。何を食べたか、どんな運動をしたか、今日のサイズは??行動は??これをことこまかく誰かに監視されて、注意されて、自意識が変革する。そして、栄養のバランスのいい補助食品を食べて、規則正しく生活する。これが究極なんですよね。そのためにも手帳は必要。日記も重要なのだ。夢はやっぱり55松井。
2004年03月18日
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NHKの「ためしてガッテン」で町内会のおじさんおばさんを相手に見事成功という事例を見て、「あのグラフほしー」とおもっていたところ、コンビニで見つけた。これだこれ。それが「測るだけダイエット」の本。記入式で、朝と晩だけ体重をはかってメモリの大きなグラフに記入。しかも「食べ放題に行った」「旅行でご馳走食べ続けた」「夜中にラーメン食べた」など、言い訳もOK。言われるままに、200グラム単位の体重計で測る。すると、朝と夜では1キロぐらい差がある。徐々に右肩下がりにジグザグと下がってくる。しかもスタートは、雪の日の主人との出会い記念日から。「やっと努力を始めたか」と、主人も少し優しくなった。「目標を達成したら、旅行かな」の声に気合も入る。さらに、徐々に右肩下がり。企業家としては売り上げは右肩上がりじゃなきゃいけないけど、こっちのグラフは最高にいい。3月の頭には、スポーツジムのロッカー更新のお知らせも来た。「来ないと荷物捨てちゃうよ」と書いてある。まずい。入会以来4回ぐらいで行けてない。悔しいと思って更新に行ったら、キャンペーン中。減量した脂肪100グラムにつき100円の商品券をくれるとか。こういうのって大好き。目先の目標で、わかりやすくって、ゴールがあり、叱咤激励される。やるぞーー。起業塾の中級コースでは人数増員。仕事のサポートをしてくださる方や、基本的に身体にもよく最低限の身だしなみ的な、美の世界のかたもいる。(技ありエステや自然化粧品業界も)私のほしかった情報がすぐに入る、いい感じの会。今日は、その中のメンバーのやってる、自然派化粧品のサロンへ。「赤ちゃんにチューされてもOKなもの」なんだって。これならNHKでも何の取材でもスッピンで登場というすっぴんライフも解消か??産後の元妊婦から、目指せ松井の55キロです。
2004年03月12日
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今日は日曜日でお休み時間を利用しての「初心者万華鏡教室」の日。先日も朝のNHKに出演した、大熊さん(元ビックリハウス編集者・現日本万華鏡博物館館長)と、山見さん(日本、いや世界でも評価の高い万華鏡作家の第一人者)、万華鏡作家、愛好家の方が、初心者にその魅力を伝える企画で、日本中飛び回っています。次回のオレゴンでの万華鏡の世界大会では、山見さんのレッスンも企画されている。そんな人が教えるんだよ!!流行、ブームといっても、そのアンテナに引っかかって、この場に来る人はまだまだ数人。逆に考えると、「これを極めたい」と思ったら、その第一人者のところに。飛び込む勇気があれば、何でもかなうはずよ。水野真紀の言葉「学生時代のあまりもの同士の結婚」といってましたが、まさに、「高値の花」と思われる人ほど、実際求婚される割合は少なく、お買い得ってこと。イヤーー、人生って面白い。子供のころからおせっかいといわれたるこの性格ですが、昨年ご相談を受けた10期生の方も、悩みながらも一歩を踏み出し、充実の日々のご様子。何かを始めるのは大変なことだけど、「大変だからやらない」と言う人のほうが多い。だったらやったもん勝ちなのです。楽天の出店も、相当数セミナーに来ていて、「自分でやるノー」って感じでやらない、やれない人が多いようだ。人気ショップになるには、まず出店!!ロッポンギヒルズのなかに楽天大学も越してきたし、光ファイバーもきたし、ビルの地下には電気屋さんも引っ越してきた。環境が勝手に整った。いいはずよおー。
2004年03月07日
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定時にいっせいに三線の合奏をするのがお約束の「三線の日」。今年は、渋谷のクラブ・エイジアでもイベントが行われるなり。シマパラでも、「花風月」(かふうむーーん)のライブなり。たまたま見た雑誌のグラビア。「捨てる!技術」の辰巳渚さんの家の茶の間にも、三線がかかってたよなー。ここでも、三線教室やってるけど、最近とくに問い合わせが多く、反響が大きい。スローライフの第一歩は、「一家に一台、万華鏡と三線なり」今年はこれを提唱しますか。やっとライブ情報を更新しましたが、あっという間に満席の人が多くて困る。嬉しい悲鳴。やっぱりいいものはいいんだよね。一応三線教室のサイト載せます。http://www.shimauta.com
2004年03月04日
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