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4/1:最終日:沖縄→… New! 天地 はるなさん

Welcome to Ichiro’s… Ichiro_Kishimiさん
沖縄でウエディング… 上等沖縄司会屋さん
2005/03/30
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 東京都教委が「日の丸・君が代」強制に精力を注いでいる。昨日の日記にもかいたNHKの番組では、高校教育課の会議で「れいぎ」ということを強調しようと作戦を練っていた。

 日の丸・君が代に起立し直面し頭を下げるのは礼儀であり、当然なすべきことだという理屈だ。礼儀をなぜ、強制するのか、礼儀ならなぜ処分までするのか、そのあたりを聞きたいものだ。

 まだある。児童、生徒だけでなく、大人などでも礼儀しらずは結構いる。都教委のしていることは、結構礼儀から外れている。でも、「指導」しない。放置したままだ。私はそういうことに指導が必要だとは考えないが、都教委の論理は、矛盾している。

 日の丸・君が代に礼儀を出すのには、先例がある。戦前、戦中強制された「国民儀礼」がそれである。

 「本土」に住む日本人は「国旗掲揚、国歌奉唱、宮城遥拝」などが、国民の「儀礼」つまり礼儀として強制された。日の丸は、掲揚運動が展開され、国民精神総動員運動では、国旗掲揚率が地域ごとのこまかく点検された。あの時代に国旗掲揚が点検されたのだ。そこまでの強制があった。

 植民地朝鮮でも「国民儀礼」は特に強制された。「国旗掲揚、国歌奉唱、宮城遥拝、皇国臣民の誓詞斉唱」を毎日行うことが強制された。

 儀礼あるいは礼儀ということで強制し、国民(1945年以前は臣民)を形にはめ、こころもからだも国家に忠実な人間につくりかえる。そんなことが行われたのだ。

 東京都教委が、「礼儀」といいながら「処分」などで脅し強制することと「国民儀礼」の強制とどれほどの違いがあるのだろう。都教委は、明らかに天皇と国家に忠実で、国の統制に黙々と従い、国の望む教育内容を、政策を従順に受け入れる国民作りを狙っているのだ。

「れいぎ」などという言葉にごまかされてはならない。



 ここに『新昭和国民礼法要項』(文部省制定昭和16年刊)という小さな本がある。この前文をよむと礼法を文部省(国)がいかに重視していたかがわかる。
 内容は礼の種類から始まり(たとえば最敬礼は天皇にのみ行うとしてその方法を説明する)皇室・国家に関する礼法、家庭生活に関する礼法、社会生活に関する礼法に渡って詳細に説明している。
 皇室・国家に関する礼法では、皇室に対する心得、拝謁、御先導、行幸啓の節の敬礼、神社参拝、祝祭日、軍旗・軍艦旗・国旗・国歌・万歳を項目としてあげ方法について説明している。

 その詳細な規定、厳粛を旨とする記載をみると東京都を始め、全国ですすめられているものの淵源がここにあるような気になる。       







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Last updated  2005/03/30 12:03:09 PM


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