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民主主義とはほとほと縁遠いことが行われている。民主主義は議会制だけによるものではないが、その議会制度が機能していない。ペテンの選挙制度で選ばれた議会がまったく議論をしようとしない。
民主主義を支える、市民の行動もほとんど目立たない。労組や市民団体といった組織そして個人の行動も見えていない。
あるのはサル山のボス争いである。
先の衆院で、新テロ特措法を通すということで与党と民主は合意し、審議をほとんどしなかった。重大課題が山積しているのに、それらの審議を放棄して新テロ特措法だけに絞りしかもそれを通すことで合意し、そのとおりに通した。
あれほど、反対していた民主党はどうしたのだと批判したが、知らぬ顔で、その後の重大な問題についてもおざなりな審議を続けた。
民主党と自公与党は、議会での討論を避け、ボスどうしの談合で取り引きしようとした。談合は失敗で、民主党はまた新テロ特措法などで審議拒否をするのだという。
眠り続けた民主党が目を覚ましたと思ったら談合で、談合が失敗すれば審議拒否である。またまたかと思う。審議拒否でうやむやのうちに法案は次々通ってしまう。議会はその存在意義を失っている。
自民党は、それを好都合に当然国民の審判をうけるべき選挙を後延ばししている。百年に一回の云々を繰りかえし、それを口実に正統性のない政権を維持し続けている。口実の景気対策も選挙目当てのエサまきで、実質なにもできていない。
民主党も自民党も、国民目線などといいながら、目に見えているのは、政治権力だけである。国民の生活をどうするか、崩壊する庶民の生活や社会保障をどうするか、日本の未来をどうするか。そんなことよりも、どちらが多数派になり、政権の座につくかということだけである。
猿山のボスの座をどちらが取るか。民主も自民もそれだけしか考えていないようである。それだけしか見えていないようである。
国会という国民の目のまえで見える形で議論せずに、闇のなかでボス通しが談合する。
これを猿山のボス争いという以外になんといえようか。