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「始業1時間前に出社して休日勤務は当たり前のまじめな夫が、長年勤務した会社を課解雇された。46歳の夫に地方での再就職の壁は厚く、月収10万円台の仕事すら面接に至らず、履歴書だけが次々と返却されてくる。
ニート、ネットカフェ難民……そう呼ばれるのは別世界の人たちだと思っていた。努力したり我慢したりが不得手な人たちだから仕方なかろうと。それが、自分もこれから先、いつ、そうなってもおかしくない。」
これは「朝日新聞」23日の「声」 欄に掲載された40歳のパートの女性(札幌市)の投稿の前半部である。まじめに働いていても、いつ、誰が会社から無用のものとして放り出されるかわからない。そして放り出されれば、どうなるかわからない。地方であれば、なおさらである。
今の企業は、人間をたんなる部品のように扱っている。それは大企業の場合、特にひどい。企業も社会もl、そうして放り出された場合、自己責任だとして救いの手をのべない。
こういう場合に、手を差し伸べるべき私たち主権者の代表である政治家はどうか。彼らの多数派は改革と称して、セーフティーネットを壊し、職を失った人たちが再就職できる施策をこうじようとはしない。それどころか、企業が首を切りやすくしようとまでしている。
それだけではない。「百年に一度の不況」などといい、今は景気回復に専念する時、などといいながら、給付金をばらまいたりする程度のことしかできない。政治的空白は許されないなどといいながら、空白、無策の時間が続いている。この投書をされた人の夫のような人を放置したままで政治ゲームに遊んでいる。
この人は投稿を「今後どれだけ、頑張っても報われることはないのか。明日の不安を感じないで眠りにつける日がきてほしい。」と結んでいる。
私たちは「健康で文化的な最低限度の生活」を保障しあうことを誓っているはずである。それは、投稿者のいう、頑張れば報われる、明日の不安なく眠りにつける生活を保障するということではないか。
このような声に敏感に応える社会、政治でありたい。