PR
Keyword Search
今 日出海(こん ひでみ)という作家がいた。今東光の末弟で文化庁長官などもつとめた。彼はフィリッピンのルソン島に二度行っている。一度は徴兵された兵士として、二度目は従軍作家として。その二度目の体験を『山中放浪』(中公文庫)という本に記録している。
レイテ戦がほぼ決着し、次はルソン島だという時期に彼は現地に着く。司令部はすでに避難を始めており、彼は兵団司令部とともに移動する。
彼は司令部とともに山中を5ヶ月放浪する。前線には出ないので、戦闘は経験しないが、(空爆にはたびたび会う)軍隊の実態をつぶさに見る。特にルソン島から奇跡的に帰還した台湾で見た軍幹部の腐敗振りがすごい。
その帰還した台湾で彼はこんな体験をする。
「ようやく台北の旅宿に身を置いたある日、隣室に数十人の人の気配を感取した。夕飯を持って来た中年の女中は、「明日朝、隣の少年航空兵の方々は沖縄へ突っ込みはるんでっせ…」と泣きながら話してくれた。
私は唐紙のすき間から、そっとのぞくと、少年航空兵らしい15,6歳の小さないが栗頭をころがして、机のないままに寝そべった姿勢で、何か書いていた。女中は、「親御はんに最後の手紙を書いてはりますねン」とそっとささやいた。
その翌朝、彼等は暗いうちに起き、朝食を音もさせず、こっそりというか粛として食べ終わると、隣の私でも気付かぬほど静かに出て行ったらしい。やがて陽が昇ると、爆音がして編隊の飛行機が数十機、台北の上空を一回旋回した。「台北にお別れしてはるんでっせ。」と女中は手を合わせ、うずくまって泣きじゃくっていた。
私はこの状景をこれ以上は書けない。私はそれから1,2週間後に、ひとり無事に日本に着いたのだが、この少年たちのことを思うと、いつも胸を突く気持は三十余年を経た今でも重く、暗く、自分の上を揺曳するのである。」(文庫版あとがきより)
彼は、ルソンへたまたま不時着した飛行機にただひとり便乗できたため、ルソンから台湾に脱出でき、台湾から日本本土への最後の飛行便にただひとり乗れたため、沖縄の上空を経由して九州へ帰着した。少年たちは、軍隊の腐敗と愚策の犠牲となって沖縄戦に特攻した。彼はつくづくと思う。
「私はこのような人々のことを思い浮かべながら、しみじみ戦争の罪過ということを考えずにはいられない。いまは誰も戦争の頃を悪夢と思い、目を外らしたいと思うだろう。だが忘れたい事実をもう一度想起して、これからはっきり戦争を放棄した国の非戦論、反戦論を強固にしたいと思っている。」(あとがきより)
二度と戦争を起こしてはならないという思いが彼自身の体験を通して痛切に響いてくる。この本が書かれた頃、このような思いは多くの人の共有するものだった。今は、田母神氏のような意見があらわにされ、それを批判する声が遠くにしか聞えないという時代になっている。
私たちは、戦争の時代を生きた先人の思いを忘れてはなるまい。