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小説「木挽町のあだ… New! 天地 はるなさん

Welcome to Ichiro’s… Ichiro_Kishimiさん
沖縄でウエディング… 上等沖縄司会屋さん
2012/01/24
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 石原吉郎が『望郷と海』(筑摩書房)の冒頭の「確認されない死のなかで」の書き出しにこうかいている。

 「ジェノサイド(大量殺戮)という言葉は、私にはついに理解できない言葉である。ただ、この言葉のおそろしさだけは実感できる。ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない。そのなかに、ひとりひとりの死がないということが、私にはおそろしいのだ。人間が被害においてついに自立できず、ただ集団であるにすぎないときは、その死においても自立することなく、集団のままであるだろう。死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ。」

 東日本大震災においてもおなじことがいえる。多数の死傷者や被災者が数として処理されてはいけないのだ。死傷者も被災者もひとりひとりの名でよばれなければならない。

 日が経つにつて、そのことが忘れられ、政治においては、さらにそれがひどい。消費税やTPPが声高に言われ、国難などという言葉が乱用されているなかで、東日本の被害、死傷者そのものがわきにおいやられている。原子力発電崩壊などは意識的に忘れるように操作されている。

 先の戦争においてもそうだった。三百万とか二千万とか数で呼ばれ、ひとりひとりの名がよばれることはなかった。そのことが、今の政治の無責任とつながっているようにも思われる。






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Last updated  2012/01/24 05:28:52 PM


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