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上野天満宮のお旅所。以前は周りを木々で囲われた社がありました。現在はコンビニ駐車場の南西角に、小さな祠が建てられているだけで、当時の面影は残っていません。お御祭神は本宮御分霊。毎年10月25日の上野天満宮の例祭後、御祭神である菅原道真公が本宮から別宮(御旅所)までお渡りになる神幸祭が行われ、その日以外はこの祠にはおみえにはなりません。普段は本宮におみえです。祠の前には云われと本宮までの案内があります、本宮まで迷う事はないでしょう。こちらの交差点の向かい側が茶屋ヶ坂公園になり、山口街道と民族史跡巡り6となります。6月の紫陽花が見ごろ時期は綺麗です。地下鉄名城線「茶屋ヶ坂」下車 南へ10分名古屋の昭和 山口街道と民俗史跡めぐりhttp://www.city.nagoya.jp/chikusa/category/71-2-2-6-0-0-0-0-0-0.html
2017.02.19
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茶屋ヶ坂の名は、昔山口街道のこの辺りに一軒の茶店があったことからついたといわれます。今でこそ住宅街として整備されていますが、他界した明治生まれの婆さん曰く「ここから東は細い山道で狸に化かされ道に迷った」とよく聞かされたもんです。年寄りの話は聞いて楽しいですよね。まだ月が残る空をバックに公園の木々は確実に芽吹いています。桜の時期もまもなくです公園の中央にある茶屋ヶ坂池は、昔このあたりの田んぼをうるおす用水池。今は野鳥の楽園池に流れ込む小川では夏には蛍を見る事ができます。また、この公園には紫陽花が多数植えられ、時期になると結構見応えがあります。名古屋の昭和地下鉄名城線「茶屋ヶ坂」下車 南へ10分山口街道と民俗史跡めぐりhttp://www.city.nagoya.jp/chikusa/category/71-2-2-6-0-0-0-0-0-0.html
2017.02.16
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今日も暖かい。基幹バス「谷口」で下車、吉見幸和の墓を訪ねる。鍋谷上野浄水場の東に隣接し、基幹バスレーンから北に一本入ったところ。住宅街の奥まったところに墓地がありその一画に墓所はあります。 墓所入口の石碑 墓所入口より北を望む 吉見 幸和(よしみ よしかず・1673年生まれ、1761年没)江戸中期の神道学者、名古屋東照宮の祠官吉見恒幸の子で儒学や武術なども究めた。天野信景らとともに『新撰尾張風土記』の編纂に携わった。アクセス基幹バス2 栄ー四軒家 「谷口」下車茶屋ヶ坂方向へ徒歩15分(鍋谷上野浄水場東側に隣接)山口街道と民俗史跡めぐりhttp://www.city.nagoya.jp/chikusa/category/71-2-2-6-0-0-0-0-0-0.html
2017.02.13
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長福寺は、愛知県名古屋市千種区にある、千手観世音菩薩を本尊とする 黄檗宗の寺院。写真の様に丸窓がある近代的な外観の寺。 長福寺は1584年頃まで、現在の香流小学校の辺りに創建されたと言われ、「千手観音菩薩像」が発見された事を期に以来長福寺の寺宝として50年に一度御開帳されている様です。 境内の南側に祟り石と呼ばれる石ががあります。云われは長久手合戦後に、戦死者を葬った際に使われた石が藩政時代の旧猪小石村の中心にあった、この石を粗末に扱うと祟りがあると恐れられていたため、長福寺十代和尚がお祓い、境内に移動しお祀りしたと言われる。名古屋の昭和住所 名古屋市千種区京命1-12-10アクセス 基幹バス2 栄ー四軒家 竹越下車竹越交差点右折 徒歩20分 asty京命店南側 長福寺より5分程香流川堤を下流に歩くと馬頭観音があります、併せてお立ち寄りください。楽天ブックス山口街道と民俗史跡めぐりhttp://www.city.nagoya.jp/chikusa/category/71-2-2-6-0-0-0-0-0-0.html
2017.02.12
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地下鉄「名城線」茶屋ヶ坂駅からほど近い茶屋ヶ坂交差点の北角に三十番神社はあります。陰暦の1日から30日までの毎日を交替し、法華経を守る神を三十番神といい、その神々を祀った社だといわれています。因みに三十番神とは下の神々になります。 かつての山口街道を西に眺める。茶が坂方向交差点角に三十番神社を望む(手前にはちょろちょろ弘法)周辺は駐車場と歩道に囲まれポツンと祀られています。おやじが鼻たれ小僧のころ、この裏に駐在所があったのを記憶しています。周りは様変わりしましたが、こちらだけは今も残っています。山口街道と民俗史跡めぐりhttp://www.city.nagoya.jp/chikusa/category/71-2-2-6-0-0-0-0-0-0.html
2017.02.11
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もともとは香流川の治水対策として、あふれた水をくい止め、矢田川に導くために幕末に築かれた土堤らしい。現在は猫ヶ洞池からの排水路が通っている。以前は上が開いていました、都市化と共に上は塞がれ道路に様変わり。堤の面影は今も残っています。堤の両側は桜が植えられており、満開時期には綺麗ですよ。おやじ的には屋台でも出れば最高なんですが。猫が洞池の調整水位を超えると、この導水口から地下導水路を流れ・・・・・横堤の端からトンネルを経て地上に現れ香流川に至ります。ちょろちょろと流れ流れて矢田川に至ります。山口街道と民俗史跡めぐりhttp://www.city.nagoya.jp/chikusa/category/71-2-2-6-0-0-0-0-0-0.html
2017.02.11
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金森神社は基幹バス2 栄ー四軒家「茶屋ヶ坂」で降り、2分ほど南に歩いた右手角にあります。うっかりすると通り過ぎるかも。集合住宅、駐車場の一画ひっそりと佇んでいます。金森神社は別名「景清さま」と呼ばれ、眼病に霊験があるといわれている。景清とは、鎌倉時代の源平の合戦で失明した平家の武将「平景清」。年老いた婆さんが良くここに拝みに来ていた訳をこの歳になって知りました。老眼が進むおやじも拝んできました。アクセス地下鉄名城線「茶屋ヶ坂」から徒歩10分基幹バス2 栄ー四軒家「茶屋ヶ坂」下車、バス停から南へ2分山口街道と民俗史跡めぐりhttp://www.city.nagoya.jp/chikusa/category/71-2-2-6-0-0-0-0-0-0.html
2017.02.07
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東区山口町から東、長久手方面へ伸びる街道。かつては山口街道と呼ばれ、街道沿いには、今も地元の人々の信仰を集める様々な信仰があります。地下鉄名城線「茶屋ヶ坂」から基幹バスレーンを徒歩10分ほど歩いた南側の一方入ったところに弘法堂はあります。子供の頃、婆さんに連れられ何度か来た事があります、当日は中には入れませんでしたが今も残っていることに感激。覗き込むと花は供えられ、地域の方々に大切にされていることが伺えます。毎月20、21日に地域の人が集まり、「お待夜(おたいや)」を行っているそうで廿日弘法ともいわれるようです。きっと、これに連れられていたのかな、当時の重要なコミュニティー。千種区の「山口街道と民俗史跡めぐり(詳細)」によると、堂内には四体の石仏がある。一番大きい地蔵像は道標仏で、「右・みなみかさでら道 左・坂を下って左へりゅうせんじ道」という刻銘があるそうです。記憶がない、是非とも拝見したいものです。子供の頃通った弘法堂、地域の皆さんいつまでも残してください。千種区「山口街道と民俗史跡めぐり(詳細)」URLhttp://www.city.nagoya.jp/chikusa/page/0000016556.html
2017.02.03
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ちょろちょろ弘法地下鉄名城線「茶屋ヶ坂」から徒歩で10分、丘陵地への登り口に「ちょろちょろ弘法」があります。お堂の脇からちょろちょろと清水がわき出ていたことから、こう呼ばれこのような場所にはよく弘法大師が祀られ、「弘法清水」と呼ばるそうです。 確かに、子供の頃のこの周辺は、田園と山が広がる名古屋東部の外れの感がありました。周辺で湧き出る湧水は喉の渇き潤すとともに、今は見かける事がなくなったモウセンゴケが自生し、東京サンショウウオも生息していました。今は水も枯れ、周辺はマンション群、崖に取りつくように家が立ち並び面影は皆無です。 昔は中の弘法様を見る事が出来ましたが今は扉が閉じられ内部は窺えません。こちらの手入れをされていたお爺さんが亡くなられてからは手入れが滞っているようです。地元のおじいちゃん、おばあちゃんに親しまれています。名古屋の昭和楽天ブックス
2017.01.19
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地元で生まれ育ったおやじ。今の香流橋は当時土橋と呼ばれていました。橋から先、瀬戸方面に向かって田んぼと荒野だったのを記憶しています。当時はバスに車掌さんがいた時代です。その橋の手前右側に馬頭観世音菩薩が二体祭られています。 右は安永9(1780)年と左は平成10年の銘をもつ二体になります。 戦時中に行方不明になったそうですが、昭和44年の区画整理中に発見され、ここ香流橋のたもとに新旧二体の観音様が並んで安置されています。昔を知る地域の古老には「土橋の観音様」として、雪の降る早朝から、ろうそくを手向け親しまれています。アクセス 基幹バス 引山行き 「竹越」下車 徒歩10分山口街道と民俗史跡めぐりhttp://www.city.nagoya.jp/chikusa/category/71-2-2-6-0-0-0-0-0-0.html楽天ブックス名古屋の昭和
2017.01.15
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