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リコネクティブヒーリング® & リコネクション®は、1993年にアメリカのカイロプラクティック医エリック・パールが開発した、宇宙的な新しいスタイルのヒーリングです。宇宙からのリコネクティブ周波数と繋がり、そのエネルギーがあなたに必要なヒーリングがを起こし、心身だけでなく魂をも含む全てののバランスをとり戻すことができます。リコネクションを受けると、新しい意識レベルと繋がり、永久にそれが続きます。。新しいラインと再結合することで、様々な変化が個人それぞれのペースで起こってきます。(例えば、古いもの、従来の考え方、状況を手放したり。劇的な変化のある人もあります。)意識が変化していくことで、あなたの質が変わり、受け取る量も増えます。リコネクションは、変化し続ける宇宙意識の上昇と共に、あなた本来の姿へと、自然に変化することを可能にする一生涯途絶えることのないツールとなります。*メニュー料金* リコネクション(対面のみ)・リコネクション・・・1セット 54,333円(2回のセッションで1セット) 1回目 (30分程度) /2回目(40分程度) リコネクティブヒーリング(対面・遠隔)・遠隔セッション・・・1回12,000円 / 3回36,000円 (30分)・対面セッション・・・1回18,000円 / 3回54,000円 (30分)お問い合わせのメールは pipinaoko39@msn.comへ
2007年11月18日
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<2007年フィンドフォーンツアー募集!> 日程;2007年5月31日(木)~6月11日(月) 内容:フィンドフォーン体験週間(6/2~8日) 定員:20名 費用:17万円 (航空運賃別途14万円位) 女神山ライフセンターの主催でフィンドフォーン体験週間ツアーが行われます。 ★体験週間(Experience Week)とは フィンドホーンの生きた暮らし、アイリーンや共同体の生い立ち、目標などを知り、また、 フィンドフォーンのメンバーや参加した一人一人と人生を分かち合いながら過ごします。 土曜日に始まり金曜日までの凝縮された1週間です。1日はサンクチャリでの瞑想から 静かに始まります。テーゼ(聖歌)セイクレッドダンス、ミーテイング、シェアリング (分かち合いの時間)ゲームや自然散策、週4日のラブインアクション(愛を込めた仕事 /キッチン/がーでん/メンテナンスなど)事故を見つめ互いに心開き、聖なる体験を共有します。 静寂、情熱、自己変容や再出発などそれぞれに最も必要なことが体験されることと思います。 □女神山グループで行く場合 5月31日(木)直行便 成田空港10:55発B.A006Y -ロンドン・ヒースロー空港15:00着 ロンドン・ヒースロー空港B.A1316Y -アバディーン空港19:50着 ☆6月1日(金)フィンドフォーンで見学、自由時間等。 ☆6月2日(土)~8日(金)体験週間 ☆6月9日(土)ショッピングなど自由時間。 ー帰国便ー 6月10日(日)フィンドフォーン発 アバディーン空港11:55発BA1307Y -ヒースロー空港13:25分着 ヒースロー空港15:45分発BA007Y 6月11日(月)成田空港午前11:05分着 ★詳しいことは、女神山ライフセンターへ お問い合わせください。 〒386-1437 長野県上田市大字野倉84-2 mail:dream21@janis.or.jp 電話 0268-38-0777、9639 Fax 0268-38-6099
2007年02月23日
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しばらく閉鎖していましたが、どうしても見て欲しい映画があるのであえてここに日記を掲載しました。内容は、ミクシーのものと同じです。久しぶりに昨日映画を観ました。 昨日は、阪急・岡本の歯医者さんへ行って帰りに 梅田へ。 友達ののりぴー推薦「不都合な真実」を見よう! と意気込んで、レデーィスデイで1000円でに入場券を買い 時間待ちしようと思ったら なんと「エラゴン」がまだ上映中。 いそいで戻って券の交換をお願いしたら、しぶしぶだった。 でも、両方観るってことで、うまく行った。 「エラゴン」は本も読んでいるので 映画だったら、こんな風になるんャ。とかなんとか・・。 とにかくでてくるドラゴンは、本の表紙と同じ感じだった。 楽しめたけれど、ハリポタやロード・オブ・ザ・リング 観てるからな~。 エラゴンを見終わり、1時間半ほど待って いよいよ「不都合な真実」。 最初映画が始まる前の予告編がちょっと違うのに驚き! やっぱり客層の意識が違うって?? こちらの予告編は、故国パキスタンへ行った3人の青年が テロリストとして無実の罪で捕まり収容所に送られる 話や。貧しくとも幸せに暮らしていた黒人家族がこれまた 無実の罪でテロリストにされてしまうお話とか・・。 映画になったこのようなことは、私たちが知らないだけで アメリカと言う国では、結構あるんだと思う。 ひょっとすると日本だって!! 「不都合な真実」も今の地球の状態を知ってもらうために 是非、観て欲しい!! この映画を観たからどうなるの??って。 映画を観て、地球温暖化の現状を知る。 このことだけでも大きな意味があると思う。 だって、知ったら!よほどの人でないかぎり そのことを意識する。 観たら、潜在意識に確実に入っていくから。 意識したら、それだけでも変化は確実に起こっていくと思う。 そして、彼(ゴア元副大統領・すごい人!) 言う「私に出来る10の事」を自分の出来る範囲で 少しずつ増やしていけばいい。 昔、人が自然と一緒に暮らしていた時当たり前のことだった ことを思い出し、実践すればいいと思う。 以前から思っていたことだけれど、 ニュースや報道を鵜呑みにしない! それを肝に銘じよう!と再確認できた。 都合の良いように造られた情報に振り回されない 何が本当なのかいう問いを忘れないようにしたい。
2007年02月08日
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思うところあって・・・・。しばらく、この日記を更新しないことにしました。もし、もっと読みたい~!と思われる方は、pipinaoko39@msn.comへメールをお願いします。折り返し、mixsiへの招待メールを返信します。それでは!またね~。
2006年08月12日
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少人数の旅をした時、その旅のガイドさんとは過去の人生で深い係わりのある人だった。カイラスさんを共に旅したネパール人のガイドは、ある時代では幼馴染でとても仲がよくお互いに好意を持っていたのに結婚できなかった人だった。その人は縁が深く、親子だったこともあった。ハワイにトレッキングへ行った時のガイドさんは、夫婦だったことも、友達だったことも会った人だった。私達二人の旅のガイド・ヨセフさんとは一体どんな関係だったのだろう?モロッコ最後の朝は、3時半のモスクのお祈りで目が覚め、その後うとうと状態。頭がぼ~っとしている。朝食を取りながら、はっきりとした関係が浮かんでこないことをgさんへ言うと「親子だったんでは?」と・・・。日本から持って来たほとんどの衣類を手放し、モロッコで買った石などを入れても私のスーツケースは、結構余裕だった。しかし、砂漠の赤い砂がまだ車の中。のんびり者の運転手さん忘れないで!マラケシュからカサブランカの空港まで、車で4時間近くかかるので8時過ぎに私達は出発をした。車に揺られながら、ボンヤリとしているとず~っと待っていたヨセフさんとの過去生が浮かび上がってきた。それは、今まですでに知っている私の過去生に新たな登場人物としての彼との関係だった。時は、中世のヨーロッパ。ある領主に二人の息子がいた。私とその兄弟はいとこ同士で、その兄の方へ私は嫁いだ。幼いころから行き来をしていた私達はお互いをよく知り、仲もよかった。私は男の子を授かり、それがヨセフさんだった。そう!彼は、私の息子だった!!戦いがあり、若い領主、私の夫は戦死してしまう。私は、深く嘆き悲しみ、その悲しみで心を閉ざしてしまう。そして、息子へ愛を注ぐ。しばらくして、弟の方のいとことに望まれ再婚をする。新しい夫のことも幼馴染で好きだったけれど、亡くなった夫への嘆きがあまりにも深く、その愛を受け入れることが出来ない私だった。そして愛する夫の忘れ形見の息子。とても複雑な人間関係。息子は、いつも母である私を大切に敬ってくれ、義理の父にも尽くすよく出来た子どもだった。そして、私が年老いて亡くなるまでず~っと側に居てくれた!それも、うれしい~!「慈愛!母の愛!」それが、はっきりと分かってくると、涙が止まらなくなった。今回の人生で子どもを持つことはない私に、母の愛を思い出させてくれた!こころからの感謝の気持ちで胸が熱くなってくる。こうやって旅に出て、自分と深い係わり合いのあった人々に出会い、過去のカルマを解消し、感謝の気持ちで浄化していける。本当にありがたい。gさんは、私が急に泣き出したので驚いたそうだ。しかし、ヨセフさんも運転手さんもきっと気付いてはいないだろう。下痢や嘔吐できつい旅だった。しかし、私達二人にとってそれぞれ深い気付きを与えてくれた、いい旅だったと思う!モロッコ、ありがとう!ヨセフさん、魂の約束を果たし出会えてありがとう。旅の友、gさん一緒に行ってくれて、ありがとう!
2006年08月09日
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昨日は、父の一回忌でした。一年経つのが、本当に早いです。父親を亡くし、悲しみと共に、見る目が開けたように思います。親をすでに亡くした人への尊敬です。あんなに悲しいことがあっても、普通に普段通りに生きて行く!みんな、えらいな~!
2006年08月07日
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先日、フラを習っている友達がアロハ・フラ・フェステイバルに出演するので、それを観てきた。友達の教室は、2番目の出演なので10時に会場へ着くように!!私は、ちょっと必死。南森町下車で出口を2番なのに4番と、大きな勘違いして遠回りして、天神橋商店街めぐりをしながらやっと、会場へ。時間は余裕だったけど・・・。これじゃ、何の為に早起きしたんだ!とちょっと思ってしまった。日ごろ歩いていないから、歩きなさい!ってことなのかな~?会場は、ハワイのフラのワークショップ?の映像が写されていた。ハワイ!!いいな~!また、行ってやる~!気分はハワイでも、会場の室温はエアコンが効きすぎで寒かった。踊る人には、こんな寒さで丁度いいのかも~。どのグループも衣装がとても華やかで観ていても気分がいい。踊ってる人の年齢層も広く、みんな生き生きと踊っていた。とても楽しそうに踊っていた!痩せた若い人より、年齢を重ねた人の踊りの方が、今までの人生で体験した何かがかもし出されているようで、私のハートに響いた!!行って一番良かったのは、何といっても友達のグループが一番明るく楽しそうだったこと!それが、いいな~!と思ったし彼女に伝えるとそれが一番うれしい!って言ってくれた。それと、先生の踊りが最高!どう最高かって?踊りを見て泣きました。私の魂に響いたんだろうな~!
2006年08月03日
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その日の夜は、モロッコにあるスーパーマーケットへ連れて行ってもらった。リヤドのある細い道からフナ広場を抜けタクシーの通っている所まで歩いていった。日曜の夜と言うこともあって広場は昨日以上に賑わっていて、人、人、人で溢れかえっていた。夜のフナ広場は、とてもエネルギッシュだ。新市街にあるスーパーは、車で15分ほど距離にあった。とても、大きなスーパーだった。カルフールやKマートのような感じで、日本とほとんど同じような商品が日本のスーパーと同じように並べられていた。(食料品から日用品、電化製品まで品物は豊富)ある所へ行けば、あるや~ん。と言う驚きと安心。でも、フィンランドやハワイの大型スーパーのように土産物がまったく置かれていない!期待はずれ感でちょっと複雑だった。それにここには、マクドナルドまで存在していた!写真から想像するメニューは、00アラビヤ風みたいな感じ。値段も日本と同じぐらいだからモロッコでこれを口にするのは、都会に住む限られた人に違いない。何でも揃っているこの大きなスーパーでお買い物が出来るのも、きっと限られた車のある裕福な人だけだろうなと思った。新市街を車で走っていると、建物もコンクリートで出来たものが多く、道行く若者達の服装はは日本の若者のとそれと変わらず、女の子達もスカートやTシャツ姿でメディナの中の女性達とはまったく違っていた。スーパーマーケットは、期待はずれだったけれどマラケシュの新市街に来て良かったと思う。同じマラケシュなのにメディナ(旧市街)と新市街の人々の様子がこんなに違う。きっと物事に対する考え方にも違いがるのかもしれない。明日、いよいよモロッコを去るんだという思いとガイドのヨセフさんと私の過去世の関係は一体何だったんだろう?そう思うとヨセフさんの顔が浮かんできて、その夜は、なかなか寝付けなかった。
2006年08月02日
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もう、モロッコから帰ってきて1ヶ月以上たちます。日曜日に(7/30)ウルルンでモロッコをしてました超なつかし~い!解答者の泉谷しげるが、「心は豊かになるけど、体が疲れる。」と言ってましたが、そのお言葉通りモロッコはまさにそうでした。そして今でもラクダや山羊や羊を放牧しながらあんな粗末なテントで生活している人達もいるのです。都会の人たちも日本に比べ本当に貧しいです。スークの職人さんの中にはきたな~いTシャツ!と驚くような汚れていてぼろぼろの物を着て働いている人もいます。でも、みんな明るいです。ガイドのヨセフさんは、旅の1日目に「もし、捨てる物があれば旅の終わりに下さい。」「モロッコは日本に比べはるかに貧しい国ですから。」と言いました。私は、すでにTシャツを初日に泊まったリヤドに置いてきていました。ヨセフさんの言い方には、へんに媚びたところもなく私達の心に「ああ、そうなのか~。それでは、旅の終わりに渡そう!」と思えるようにすーっと入って来ました。でも、どれほど貧しいかは旅をしていかなければ自分の中に入ってはこないものです。体験を通してでしか、人はハートで分かることは出来ないと思います。マラケシュの夜のメディナの物売りをみていると明らかに着古した女性用の下着を売っている人がいました。ここでは、こんな物も売れるんだ~!とちょっと驚きました。しかし、私達が近くにいるときは買っている人は誰もいませんでしたが・・・。そこで私は、ヨセフさんに聞いてしまいました。「本当に何でも渡していいのですか?」「ブラジャーは?」(別に恥ずかしいとも思わなかったんです。)「それは、僕はしないので要りません。」と断られました。でも、あの店で売ってたのより私が捨てるほうがず~っと色といいレースといい素敵なのに~~!と思いました。最後に泊まったリヤドのお掃除をしてくれるお姉さんの手に渡るのか??それともいつかフナ広場で売買されるのか?せめて洗ってからにして欲しい!それが、私のささやかな願いです。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~明日帰国する私達は、リヤドへ帰ってから私達は陶器や化石やクリスタルの荷造りをした。化石やクリスタルは、自然が作り出してくれた世界中を探してもたった一つだけの貴重なもの!梱包は、厳重に。一人暮らしの私は、普段から寂しいかな、誰も頼る人などないので自分で何でもしなければならない。だから、荷造りをてきぱきとこなす。一方、gさんは、こういう事が苦手で普段は旦那さんにしてもらってるそうだ。あんなに、値切り上手なのに・・・。人にはそれぞれ得意分野が違うんだな~!ちょっと、見直し、かわいいな~と思ってしまった。ヨセフさんは、一生懸命gさんの荷造りをしている。ガイドがここまでしてくれる所は、あまりない。モロッコ人の人の良さかヨセフさんが仕事熱心なのか?本当に助かった。
2006年08月01日
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昨日、「ゲド戦記」を観て来ました。棚ぼたというか、わらしべ長者というか、チケットののキャンセルが発生していけることになったんです。前日まで、何を観るのか私も行けるのかまったく知らなかったし、当日も「ゲド戦記」の初日だってことさえ知りませんでした。夏休みやし土曜やから人も多いし親子連れも多いな~!なんて暢気に思っていました。どんな内容なのかもまったく知らずただ、ジブリの作品なのでワクワク感は高かったです。戦記という題名ですが、激しい戦いの場面などなく人の心の中の戦い、闇と光の戦いが主題だと思いました。登場人物の言葉に素晴らしい物が多く、ぐいぐい引き込まれてしまいます。最初画面にことばは沈黙に光は闇に生は死の中にこそあるものなれ飛翔せるタカの虚空にこそ輝ける如くにと出てきます。この詩の重み、深さがハートに響きます。思わずこの言葉でもう、涙がにじみ出ます。いいかい、生まれ変わるためには、人は死ななきゃならないんだ。しかし、それは、別の見方をもってすれば、さほど、むずかしいことではない過去を否定することは、未来も否定することだ。人は自分で自分の運命を決めるわけにはいかない。受け入れるか、拒否するかのどちらかだ。知性があるのなら、あるように行動しなければ。選択が許されているのなら、それなりの責任を持って行動しなければ。この映画を観ている人の年齢や性別、それぞれの思いの持ち方で、違った見方が出来ると思いますが、私には、じ~んときました。原作とは、随分違うそうですが魔法使い大好き!龍が大好き!岡田君の声が聞けた!私的には、充分心が楽しめました。涙も結構出て、脳内リセットも出来たように思います。一緒に行ってくださった方々、お誘いくださったMAAYAさま本当に深謝です!。
2006年07月30日
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旅の始めに泊まったマラケシュのリヤドがとても気に入った私達は、移動ばかりで疲れてもいたし最終日のカサブランカ泊を取りやめマラケシュに連泊することにした。旅の連泊は、本当にうれしい!てっきり同じリヤドへ泊まれるものだと思っていた私達だったが、3軒ほど先の新しいリヤドへ案内された。先に泊まったリヤドより小さめのここに泊まるのは、なんと!私達だけだった。このリヤドには、中庭の一角にプールがあった。塩素臭いのととても疲れてたのと、なんとラクダに3時間近く乗ったせいでお尻の皮がむけてひりひり状態になり、結局入ることはなかった。一皮むけていい女!そんなこと誰も言ってはくれない。このプールを2階の部屋から眺め降ろすだけで、涼しいような感じがしてくるから不思議だ。せっかく水着を持って来たのに~。この旅では、1度も使わなかった!!夜のマラケシュは、とても涼しかった。ヨセフさんに聞くと私達が初めて来たときと、さほど気温の変化はないそうだ。あれほどの暑さの砂漠地帯でしばらく過ごしていたから私達の体感温度が狂ってしまったのかもしれない。土曜の夜と言うこともあってか、メディナの中心フナ広場は人々でごった返していた。この広場には、オレンジ売りの屋台や食べ物屋の屋台から日本では決して見ることの出来ない蛇使いや火を吹く人。それにヘナを手に描く人、占い、地べたに布を広げた上に何か怪しげなものを売っている人やこじきなど様々な店と人々で迷子になりそうだった。暗い夜空に屋台の灯りや火を噴く人の火がとても鮮やかで幻想的だった。夜のマラケシュの涼しさと旅の疲れで早朝3時半のモスクから聞こえるお祈りにも目を覚まさず、ぐっすりと眠ることが出来た。朝食は、とってもおいしいフレッシュオレンジジュースとクロワッサン(モロッコでクロワッサンが食べられたのはここだけ。)自家製ヨーグルトとお茶の簡単な朝食をいただいて、いよいよメディナの観光に出発。昨夜のお祭りのような喧騒とした様子と違って朝のフナ広場では、働く人々とロバや馬車が仕事をしていた。瀬戸物スーク通ると、あるお店ではとてもカラフルな可愛いお皿やサラダボールに日本のようにきちんと値札があった。モロッコに来てこんな風に値札のある店は、初めてだ!買いたかった!でも、砂漠の砂もあるし、荷物のことを考え躊躇してしまった。買っておけばよかったな~と後で後悔。バヒヤ宮殿では、中庭の緑とアラブ模様のタイルや漆くいを見事に彫刻した建物内部が素晴らしかった。アラブの建物は、タイル・大理石・漆くいがセットだそうだ。天井も日本の神社のようにみごとな細密画が描かれていたのにも驚いた。ここには、かつて4人のお妃と24人の側室が住んでいたそうだ。王様は、皆を平等に愛していた。とガイドのヨセフさんは言ったけどそんなん、無理に決まってるとヨセフさんに分からないように顔を見合わせ小声で肯きあった。ここの中庭に来たとき、あ~ここもパワースポットだと思った。パワースポットのチベット・ポタラ宮広場と同じ波動をここの中庭は持っていた。とにかく美しい宮殿だった。ベン・ユーセフ・マドラサは、1956年まで神学校と使用されていた建物だった。建物の中庭は大理石がしきつめられ中央の水盤はお祈りをする前に手や足などを清めた場所だそうだ。(イスラム教もモスクへお祈りをするとき、必ず手や足を清めるそうだ。)回廊が周囲に巡らされここの建物も漆くいと木にそれはそれは見事な細かい彫刻がされていた。2階は、学生の寄宿舎だった小部屋が130以上も並んでいる。この小さな小部屋を見ていると、イスラム教徒に攻められ地中深く埋まっていたインドの仏教の遺跡ナランダー大学を思い出した。ここと同じように石で出来たベッドと小さく仕切られた部屋。なんとなく共通点がある。学ぶ物こそ違っても、そこで勉強した学生達には同じような思いがあったのではないんだろうか?次に訪れた博物館では、お腹もすいてきたし足も疲れてきてもうどうでもいいような気分だった。ここで残っているのは、モロッコの絨毯とアフガニスタンのものととてもよく似ていること。ラクダも一こぶラクダでいっしょだな~。それと100年前のマラケシュが今のマラケシュとあまり変化がないことだった。次は、迷路のようなスークを案内してもらう。職種によって同じような店が立ち並んでいるスークは、とても活気があった。gさんはそれに負けると言っていた。鍋の穴を修理する所や古タイヤから額縁や椅子を作るところ銀製品に彫刻をするところなど職人の地域とそれを売る地域は分かれていてまだ、小学生くらいの子供達もここでは、立派な働き手のようだ。日本では、鍋に穴が開いたら簡単に捨ててしまうし、ほとんどの人は穴が開くほど鍋を使うこともないと思う!本当に物を大切にする国だと思った。日本は、お金を持っていて、モロッコは貧しいからと言う理由だけでは、納得できないものを感じてしまう。私達の国、日本は何かおかしい。大切な何か忘れてしまったようだ。お店の地域でも靴とか薬とか革製品との品種によって店が固まって並んでいる。ここでは、客引きが大声で「安いよ。安いよ!」と叫んでいる。「要らない。」と首を振ると「貧乏ね~。」と。ここで、香油とヘナとバブーシュといモロッコ風スリッパと荷作用のぷつぷつパッキンを買った。モロッコ風スリッパは、私が欲しかったものだか最後の値段交渉はgさんにお願いした。本当に心強い旅の友だ。
2006年07月26日
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昼食に私達が立ち寄ったのは、ワルザザートの小ぎれいなレストランだった。階段を登って、高い天井とアラブ柄のタイルの床のちょっと豪華なゆったりとした、まるでアラブのお金持ち(実態は知らないのであくまでも妄想です。)がくつろぐような部屋へ案内された。もちろんここにもエアコンはないが、くつろぎやすく、風が通り抜けると外の暑さを忘れることが出来た。ここでも、料理はおいしそうだったが、気分が悪かったのと二人ともあまり食べていないので、胃が小さくなって食欲はなかった。(結局モロッコ料理で有名なクスクスは一度も食べなかった!ちょっと残念だ。)私達二人の足元にどこからかロシアンブルーがやってきて、すりすりをしてくれた。そしてシシカバブーのお肉の食べ助けをしてくれた。日本では、高価な猫だからこんな風にさわれることはめったにないんだけど・・・。猫はねこ。どの子もかわいい!満腹になったねこにヒーリングをするとじーっと目をつぶり気持ちよさそうにしていた。家で留守番している3匹の猫とおんなじ。気持ちいいんだろうな~!ここワルザザートは、世界中からロケ地として注目している映画の町で映画スタジオもある。「シェルダリング・スカイ」「アラビアのロレンス」「ハムナプトラ2」もこの近くで撮影されている。今は、ホテルになっている「ハムナプトラ2」の撮影現場を訪れたときにはちょっと元気が出て来た!「ハムナプトラ2」は、結構好きな映画だったから。エジプトが舞台だったけれど、モロッコで撮影してたんですね。ホテルの中へは、入らず外からの記念写真だったけど満足しました。ハイ。車は、一路マラケシュへ。私は後部座席でうとうと状態。車が止まったのは、オート・アトラス山脈の峠にある行きにも立ち寄った石屋さんだった。gさんが、アメジストの原石を買うためだった。行きのときほどの元気のない私は、椅子に座ってぼ~っとしていた。高さが50cmぐらいで抱えるほどの大きさの原石は日本で買うよりは、安くいい石だと思った。厳重にパッキングをしてもらって、車に乗る。またうとうと・・・。次に目が覚めたのは、マラケシュのメディナの中だった。夕方のメディナは、人やロバや、ごちゃごは状態だった。細い道を車や馬車や荷車を引いたロバが行き来をしていて履行がすごく大変で立ち往生したり、バックしたり、これで事故がおきないのが不思議なぐらいだ。死んだように眠っていて、気が付くと大勢の人に囲まれ私達の様子を覗き込む。こんなことが、ずーっと昔に経験したようなそんな風景だった。ふっと、場面がトリップしてしまう。そんなこともあったんだろうな~??結局、細い道が混雑状態で私達の泊まるリヤドまで車で行くことはできなかった。このエネルギッシュな人の波の中を歩いていくと、いろんな物が売られてるのがよ~く分かった。ここでは、まだ、ガムや飴を1個ずつ売っているし、(箱入りは、高くて買えないのだと思う)生きた亀や縁日の輪投げの景品のようなおもちゃや古着なんかもあった。日本のように小ぎれいな物は少なかった。でも、町を歩く人々は楽しそうだった。
2006年07月24日
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トドラ渓谷はその名のお通り道の両側に切り立った岩壁がそそり立っている。この渓谷へ入ったとたん、さっきまでの暑かった空気がひんやりとしている。エアコンなしで車の窓を開けていても充分涼しい。この渓谷は200mを越す高さのがあり、見上げると首が痛いほどだ。そそり立つ高い岩肌の間から青空が天井のように見える。そしてこの高い岩壁でロッククライミングを練習する為にわざわざヨーロッパからロッククライマーもやってくるという。渓谷の奥に向って右側が広い川原になっていてそこを細い川が流れている。きっと今が、雨の少ない時期だから川の流れも少ないのだろう。この渓谷には、観光に来ているのか近くの村から涼を求めてに来ているのかトラックや車で来ている人も多かった。そして上流へ向うにつれ遊牧民が羊や山羊やロバに水を与えていた。写真を撮りたかったが、にらみつけるように立っている遊牧民の女性にカメラを向ける勇気は無かった。渓谷の一番奥にあるのが今日私達が泊まるホテルだった。ホテルは、川向こうの崖の下のわずかな土地にへばりつくように建っていた。さすがにここは涼しい。午前中の暑さが嘘のようだ。私達の車は、道から川原へと下り川の中の水の中ををジャブジャブと渡ってホテルに到着。川の水の多いときはどうするのだろう??だって、こんな渓谷を作るには相当の水の流れが必要だと思ったから。電気は、この渓谷までは通っていなかった。私達の泊まったホテルでは自家発電があったが、なんと電気がつくのが6時から12時までだった。1階の私の部屋は涼しかったけれど、窓の蔦が絡み付いていてとても暗かった。トイレなどはろうそくを灯さなければならないほでとても不便だった。(日本のようにどんな田舎でも電気水道ガスがあるって!世界の多くの国々のなかでも、すごいことなんだ!!)でも、ホテルのボーイさんも親切だったし、部屋も小ぎれいに整えられ暗い意外は何の不足もなかった。まず。到着後シャワーを!(海外に行くとバスタブのないホテルも多いんです。モロッコで、バスタブがあったのは1箇所だけでした。)お湯も出て気持ちよくろうそくの光でシャワーを浴びた。そこまではよかったんだけれど・・・・。いくら詮を回しても水が止まらない!!ジャージャーと水は流れ続ける。どうしよう~!ちょっとあせる。とにかく着替えて、ロビーに走った。ボーイさんも四苦八苦してやっと、水を止めることが出来た。なんと、gさんもシャワーが止まらずボーイさんを呼んだそうだ。こんなことが二人に同じような時間に起こるのはどうしてだろう??きっと意味があるに違いない。今は、その訳がは分からなかった。ホテルの前で私達は待ち合わせて、渓谷の奥へ行くことになっていた。向こうの道路へ行くにはまず、川を横切ら無ければ行けない。私達が選んだのは今の川の源になっているところの近くだった。やはり水は冷たく足に気持ち良かった。しかし、いくら水源近くといってもその水を飲む気にはなれなかった。川原から道路へ登って先へ進んでいくと、崖の左側に屋台だけの土産物やが何件か続いている。さらに進んでいくと岩壁は終わって、次の村へと向う山道になっている。川を渡ったころから、だんだん頭が痛くなり気分も悪くなってきた。私の波長とこの渓谷と合わないのか?過去ここと同じような波動を持っている場所で辛い体験をしたのか?とにかく急に体調が悪くなってきた。先へ行っても仕方がないのと気分の悪さに岩壁が終わったところでしばらく休んだ。そこで、今回gさんとなぜ旅をしたのかと言うことを考えて見た。ビジョンで浮かんできたのは、私達二人は、西遊記の孫悟空や猪八戒達のように偉い聖者の弟子として小さな子どもころから3人で旅をしていた姿だった。苦しく険しい道を聖者に従って旅を続けていた。幼いころからず~っと一緒だった私達二人は、共に助け合い仲良く、励ましあって生きていた。あるときこの崖のようなとても険しい道で過去生のgさんが足を踏み外して転げ落ち、首の骨を折って死んでしまう。私は、嘆き悲しみながら彼を埋葬する。そして、彼が神と誓ったことを代わりにやり遂げた。そんなビジョンだった。それをgさんに話すと同じ場面、崖から落ちて首の骨を折って死ぬ場面が浮かんだそうだ。そのときの聖者は、私の知っている人だった。gさんは、その人の写真を雑誌などで見るととても嫌な気分がしたそうだ。(ちなみに浮かんだ過去世で、gさんが亡くなったとき振り返らず聖者は先へ行ってしまった。)部屋へ戻って少し休んだが、気分は悪くむかむかと吐き気のようなものも催してくる。川岸のレストランで遅い夕食をとり始めると、また吐き気が襲って来て、gさんとヨセフさんにはちょっと悪かったけれど部屋に帰って休むことにした。まず、お腹が痛くなって・・・・下痢に。トイレへ走る。しばらくすると先ほどの吐き気が波のように襲ってきてトイレへ。まるで、シンガポールのマーライオンの水のように勢いよく一気に吐いてしまった。吐いたとき、特有の喉の痛さやすっぱいような後味の悪さもまったく無く、噴水のように・・・。この後3時ぐらいまで、トイレとベッドとを繰り返す。とても気分は悪く、「大丈夫かな~?こんな状態だったらあの長時間の飛行機に耐えられるだろうか?」ちょっと不安がよぎる。「でも、ここでこんな風になるのは絶対に意味があるし、必要なことだから。なんとかなる!大丈夫。大丈夫!」と言い聞かせているといつの間にか眠ってしまった。朝、頭がふらふらして顔色も悪いのが自分でも分かった。今日は、このままマラケシュに戻るだけだから、何とかなるだろう。それに来た道を引き返すだけだから、別に景色もいいや~。車の中で眠っていよう。昨日まで、gさんが横になっていた後ろの場所に私は乗り込みすぐに横になった。今までずっと気分の悪かったgさんは、私と交代したかのように元気になっていた。
2006年07月23日
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昼食を食べに向う車の中で先ほど買ったラブラドライトのピアスのことを思うと。「これで龍の目が揃った。」とメッセージが・・・。う~んそうかー。すーっと龍が私と一緒にいて今は、随分小さくなっているそうだ。この龍は、私の夢の中やマイケルのリトリートのエクササイズに表れるようになって、その存在を初めて知ることが出来た。まさか~!私と一緒に龍がいつもいるなんて!びっくり仰天!だから、マイケルに言われた2003年まで、その存在を意識したことは全く無かった。私の龍が面白いのは、私の精神状態によって青になったり、赤だったり、白だったりすること。その子にちゃ~んとした目が来たってことなんだ!これからどうなるのかちょっと楽しみ!町の食堂??地元の店?に着くとヨセフさんは、私達のオーダーを済ましすぐに車で地元のモスクへ正午のお祈りへ向った。ここは、タジンのとてもおいしいお店だそうだが、「また、タジンか!」と思ってしまう。運転手さんはすぐ帰って来て、店の奥で食事を!同じイスラム教徒でも、個人差があり、へ~っ??でも、それでいいんだと思う。それぞれの信じるところを強制でなく自由に実行していけばいいんだから。みんな食べ終わって(私達は、ほとんど食べれず・・・。)いざ出発!運転手さんが、ドアを開けると荷物が飛び出してきて道路へ落ちてしまった。その荷物は、ザゴラで私が買った陶器だった!!ザゴラで簡単な包装をされたこの陶器は、移動中私の足元にあった。そして、油断すると車の動きと共にごろごろしがちな陶器を私は、足やリュックや他の荷物で動かないようにといつも気をつけていた。なんとそれが、ガチャーン!!と!その場ですぐに開けてみると、小さいほうのボールだけが残り、後の物は全て割れてしまった。ちょっとショック!現象としては、運転手さんが割ったんだけれど、誰にだってその可能性はあったし、必然しか起こらないのだからきっと意味のあることだと思った。運転手さんも謝ってくれたし、私も諦め、起こった状況を受け入れることにした。ちょっとしょんぼり沈んでいた運転手さんも「しかたないです。いいですよ~。」と伝えてもらう。彼のいい所だと思うけど、すぐに何もなかったかのように元気になっていた。(gさんが言うには、最初彼は目に涙を浮かべていたそうだ。)後で運転手さんのことを今だけに生きている人なんだな~と二人で話し合った。ザゴラで買った陶器は、きっと持って帰る必要の無いものだったのだと思った。重い荷物→重荷の解放?それと人が亡くなったとき、その人が普段使っていたお茶碗を割る習慣があるように、私のもう要らない物で手放せなかった何かをここで捨てることが出来た。そんな風にも思えた。車を進めて行くと草もまばらながら生えていて風景が少しずつ変化して行く。すると突然目の前をラクダを連れた遊牧民のおじさんとが現れた。本当に驚いた!うとうと状態だったし、ラクダの放牧??本当にラクダ?そんな気持ちだった。20頭ほどのラクダを連れているおじさんにカメラを向けるとにっこり笑ってくれた。お礼に10ディナール渡すと、「なんだ!これぽっちか!」とわめいていた。(これは、はい、表情だけではっきりとわかりました。モロッコでは、写真を撮ったら必ずお礼をしなければいけないそうです。所変われば習慣もまったく違います。受け入れることですね~。はい。)途中緑と赤い土レンガのコントトラストの美しいティネリールのオアシスを眺めトドラ渓谷へ到着した。
2006年07月18日
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日の出を見ることは出来なかったが、裸足で冷たい砂の感覚を直接感じるのがとても心地良かった。もちろんここもサハラ砂漠。同じ砂漠でも昨日のマアミドに比べ砂の色がもっと赤い!粒はどちらも本当に細かくてさらさらしてそのまま砂時計に入れても充分使えそうだった。部屋に帰って朝食までの時間を少し休む。しかし、今日も次の場所へ移動だ!毎日移動の旅ってホント大変!しかし、日程や移動範囲を考えるとこれも仕方がないんだけれど。途中に連泊があると荷物を毎日作らなくてもいいし~洗濯なんかもできて、ちょっと心にゆとりが出来る。そうすると体も元気になる。朝食は、なんと9時半。お腹がぐ~ぐ~空きすぎてその時間には、ピークが終わってしまい、食欲も半減してしまう。砂漠の真ん中で他にお店もなし、出てくるものはモロッコのパンを主食とする料理。いいつでも、好きな時間に食べたいものを食べれるって、贅沢なんだ!と改めて思い知った。でも、世界の中でそんな国のほうが限られていて少ないのかも?海外へ旅に出ると日本で当たり前のように思っていることが当たり前でなく、すごく恵まれていることだと分かるときが多い。日本を選んで生まれてきた、世界中の国のなかでもいろんな面で恵まれたこの国を選んだことの意味を考えたことがある人がどれくらいいるのだろうか?(いつも、いつも考えていたらしんどくなるけど・・たまには考えてしまう・・。)車の太陽の当たるほうに内側からガムテープで布や耐熱シートを貼り付けた日除けをつけて、完全?防備で出発!gさんは後ろの席で、お休み。ず~っと体調が悪い。もし、私達がスピリチャルな考えを知らなかったら、下痢や嘔吐を自分自身の浄化で起こっていると自覚が無かったら、不安と心配ばかりでちっとも旅を見つめることが出来なかったと思う。だから、私も自分の体調の悪さも心配しないし、gさんも大変だろう?と思ってもそれで、病気?治る?なんて思ったりはしない。途中の町、エルフードで絨毯屋さんと化石屋さんへ立ち寄った。きっとここはお決まりのコースとなっていてお客さんを必ず連れて行くようになっているのだと思った。絨毯屋さんでは、熱心にいろんな物を見せてくれたけれど、はっきりと買う気が無いことを伝えた。するとgさんと私の関係をいろいろ聞くのでヒーリングの生徒です。と答えた。すると、なんと自分にもして欲しい!とさっきまで絨毯を熱心に勧めていたおじさんが言って来た。あれっ~!!こんなところで、するなんて!!意外な展開に驚く私・・。二人に別々のヒーリングをする。短時間だったけれどとても喜んでくれて、絨毯を買わないのにベルベル人風の赤茶の布をプレゼントしてた。びっくり!その時、gさんは、絨毯の臭いで気分がさらに悪くなり車へ退場していた。地下へ降りていくと、そこはアラブの剣や骨董品風ないろいろな物がごっちゃごちゃしていて波動も、混戦気味。でも、なかなかの剣もあり、剣好きのgさんを呼んでもらう。そこで先ほどのおじさんの説明を聞く。その中で印象に残っているのはアラブの剣の先が三日月のようにカーブを描いているのは、「戦うつもりが全くありません。」と平和を表しているとのこと!知らんかった~!私が知ってるアラブ人が剣を振り回してるシーンは、映画でも戦いの場面ばかりだから・・・。物の生業も奥が深い。この地下室で、私にはうれしい出会いがあった。それは、ラブラドライトのピアスが見つかったこと。宇宙繋がりでラブラドライトがとても気になって、ペンダントトップとリングは見つけることが出来たが、ピアスはなかなかお目にかかることが無かった。それをこのモロッコの田舎(ごめんなさい~)エルフードの絨毯屋さんで手に入れることができるなんて!まず、値段交渉。最後にまた、gさんの力を借りて「これぐらいなら払ってもいいかな~?」と言う金額になった。私には、まだ少し人に悪く思われたくない!そんな気持ちが残っているのかも知れない。それともお金に対するこだわりか?最後の最後まで粘りきることが出来ない。う~ん、考えちゃうな!次に行った化石屋さんは、お金!お金!儲ける!そんな感じがビシバシくる。抜け目なさそう~!欲しいものもあったけれど、なんか日本で買うほうが安いようだし、こんな重くて壊れやすいものを何千キロも持って帰るなんて考えるだけでも嫌になってきた。最後にどうでもよくなっり、「いらん。」と言うと言い値にボールペンを付けたら売る!なんやねん~。(モロッコ人は、日本製のボールペンを欲しがります。行く機会のある人はお土産に持っていくといいでしょう。)ここで買った一番大きなアンモナイトの化石(真ん中で二つにカットしてあるがそれをあえて2つ買った。二つを合わせると元の形になる。)は、猫の面倒を見に来てくれた石好きの姪にお土産で渡した。(彼女曰く、うれしけどこんな重いもんよう持って帰ったね。場所とるしどこに飾ろうか~?だった。)喜ばれているのか、迷惑がられているのか、分からんコメントやったけど渡した私が一番満足していたからそれでいいと思っている。結局どんなことを自分が相手にしても、相手がしてくれても、自分自身がどう思うかが一番のポイントだと思う。それを基準にして物事を進めて行くと腹の立つことが随分減ると思うな~。写真はチェレステに掲載中・上の猫の写真をクイック!して下さい~。
2006年07月16日
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翌日は、朝日を砂漠で見るために4時半起き。ヨセフさんのノックで、まだ暗い中を懐中電灯を持って外へ出る。gさんは来ていなかったが、きっと体調が悪いのかな~?と思った。(後で聞いたら、行く気満々だったとのこと。きっとぐっすりと眠っていて起こされなかったのだと思う。)ラクダが、待っている場所へ行くと、何頭かのラクダとラクダ使い?がスタンバイしていた。その中で私の乗ったラクダは、とてもおとなしそうだった。ウサギのクッキーを差し出しても顔を横に向けていらないという動作をした。この態度が??で何でかな~?と。しかし、砂漠へ行って帰ってきたときにあげたら、パクパク食べた。あ~仕事を終えたら食べるという習慣があるのか~それを守るんだ~と納得した。昨夜、夕食の席で賑やかに騒いでいたフランス人のバイクツーリスト達もまだやって来ていない。彼らは、大型バイクに夫婦で二人乗りでやって来ていた。10人ぐらいだったかなぁ。フランスからバイクで来るって、バイクが好きでないとなかなか出来ないことだと思う。長距離の移動は車よりバイクははるかに疲れる。それにこんな暑い所をエアコンなしの屋根なしで、ギンギンの太陽で頭がクラクラしそうだと思うのは私だけなんだろうか?結構、年齢も行ってて(多分全員が40才以上間違いなし!)、ず~っと夫婦で一緒ってのもなぁ~。いい時も悪いときもあるだろうし・・・。車だったら、横を見てたらいいけどバイクだったら、しっかり捕まっていないといけないし~。まいっか私のことではないんだからね。昨日長時間ラクダに乗ったせいか、お尻は少し痛かったが高い目線で揺られながらラクダに乗るのは、とても気持ちがいい。揺られているとラクダの体温が体に感じられる。ラクダの一歩ずつ歩む足の運びがそのまま揺れになり、それも心地いい。生き物に乗せてもらいながら共に歩むってことがこんなにも私の心を穏やかにさせてくれることがとてもあり難く思えた。もう、ず~っと思い出すこともなく記憶の彼方に忘れ去られていたこの感覚を私は確かに知っていた。そして、この感覚が、大好きで共に歩む動物達も大好きだったことも。ある時は、ラクダ。ある時は、馬。ラクダや馬は、私の命で互いに深い愛で結ばれていた。そう、過去でそんな風に生きていたこともあったんだ。フィンランドでハートの扉が開いたとき、森の力とそこに住む太古からの叡智と精霊たちの存在を強く感じたように、この赤い砂の地にとても大きな存在を感じることが出来た。私はこの地を訪れてこの存在と繋がる必然があったのだろう。ラクダ使いとガイドのヨセフさんは、歩いて私だけ20分ほどラクダに揺られ砂漠の始まる所へ着いた。そこからは、ラクダを降りてしばらく砂の山を歩く。途中でカメラだけ持って、荷物とビーサンを脱いで砂の山を登っていく。朝の砂は、まだひんやりしていて足の裏が気持ちがいい。かなり登って行くと見晴らしがよく、メルズーガの村が遠くに見える。反対側には、赤い砂の砂漠が大山小山も状態でかなりの起伏を持ってず~っと広がっている。村の景色を見ていると、5月に見たアトランティスの風景が蘇ってきた。村の中に大きく高いクリスタルがそそり立っていたその風景は、モスクが村の中心に建っているこの風景とほとんど同じだった。違う所は、クリスタルがモスクになっているところだけだった。ラクダ使いのおじさんとヨセフさんの会話から、なんとこの砂漠のメルズーガで、2週間ほど前に大雨が降り雹までも降ったと言う。すご~い浄化作用だ!でも、洪水状態だったそうで(他の人のブログから知りました)ここの人たちは家が壊れたり家畜が流されたりで大変だったそうだ。それを聞いてホテルの部屋の中に泥があったり、プールにどろがあった理由も分かった。大変だったんだな。ホントに。この日は、あいにく曇っていて日の出を見ることが出来なさそうだった。休憩しているとフランス人たちも賑やかにわいわいしながらやって来た。上から見ているのでフランス人たちは小さく見え結構距離があったけれど人数が多いからか、いつも誰かが大きな声で話してるので近づいて来るのがはっきり分かった。
2006年07月13日
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オーストライアのウルル(エアーズ・ロック)が一番美しいのは、影があるときだった。その影が出来るのは、朝夕、晴天で雲がある時などだった。この砂漠でも、朝、夕影が出来るときがとても美しい。赤い砂に黒い影。いつまで眺めていても飽きることはなかった。足を縛られていたラクダも縄を解かれ、全てのラクダたちは、テントに暮らす男の子に連れられ餌を食べながら遠くの方へ行ってしまった。私たちは、暑さに(さすが砂漠。8時を過ぎると日のあたる場所は暑い)耐えられそうもないし、お尻も痛くラクダに乗らず車で出発することにした。今日は、また砂漠のメルズーガを目指す。(約410km)出発前に車の太陽が当たるほうへ日除けをテープで貼り付ける。gさんはすごい!なんと、銀の耐熱シートを用意していた。日除けをつけるのと付けないのとでは、車内の温度が大きく違う。それほど砂漠は暑い。テントで生活しているベルベル人の男性がザゴラまで行くので一緒に車へ乗り込んできた。テントからマアミドまでは、道のない砂漠を走って行く。車の通る舗装された道に出ると、彼は車を降りた。道で待っていたら通りかかる誰かが拾ってくれるからだそうだ。それと私たちが観光客で、この車は仕事で私たちを乗せていることに遠慮をしたのだと思う。あまりの遠慮深いと言うか、分かっているというかそういう行動にちょっと驚いてしまった。もちろん、私たちはガイドさんにも言ってザゴラまで一緒に行くことに全く問題はないし、こんな暑い所でいつ来るのか分からない車を待つ苦労を思うと一緒に行くことを強く勧めた。やっと、彼も車に乗って5人でまず、ザゴラを目指した。ザゴラまでの道は、昨日も通った見慣れた道で風景にも特別な感動もなかった。町に着くとベルベル人のお兄さんと写真を撮った。かっこ良かった。お礼にボールペンまでプレゼントをしてしまった。お昼を食べたレストランでも、またタジンが出て来た。gさんはダウン状態で食べることが出来ず、私も一口二口で、食欲がない。メルズーガまで、道中運転手さん以外うとうと。途中砂嵐の中も走りメルズーガの天気がちょっと気にかかった。メルズーガに着いたのは、夕方だった。赤い土レンガの塀に囲まれたホテル??だった。中央に小さなプールがありそれを囲うように部屋があった。部屋は、プールのほうに入り口と小さな窓があるだけの昼でも薄暗い、部屋の奥にあるシャワールームには土ぼこりがたまり今までで一番気に入らない部屋だった。gさんも、もちろん気に入らず、牢屋のような部屋で眠る気がしないと夜もプールサイドにあるリゾートチェアで眠ったそうだ。その日、私にはgさんの過去世が浮かんできた。それは、学者だった過去に捕虜として捕まり。一生を牢屋で過ごした過去だった。その時に囚われていた部屋がまさにこんな感じだった。そりゃ、中で眠る気になれないのは当然のことだと思った。プールも砂が底に溜まっているし見るからにきれいとは言えない水だった。しかし、こんなプールでも外国人観光客は泳いでいた。ちょっとビックリ。こんなに暑いのだから、泳がない私たちのほうが変だと思われているのかもしれないが・・・。しかし、夜日が暮れるとこのプールもライトアップされ水色の水がとてもきれいに見えていた。それに朝は、係りの人が時間をかけプールを掃除していた。また、旅行者か住んでいるのかはわからないが、朝からここへ泳ぎに来ている家族ずれや女性もいた。でも、泳ぐ気にはとてもなれないプールだった。このホテルには、ブラッド・ピットも泊まったことがあるそうだし、車のレースで立ち寄る人も多いそうで翌日の朝食を食べたレストランには彼らの写真を見ることが出来た。夕食は、いつも8時とか9時とか結構遅め。お腹がすいたときに食べ物を口に出来ないこと。もちろん、毎日の移動、暑さで疲れていることそうだけれど、食欲と言うものが湧いてこない。しかし、ここでの食事は今までの中で、私たちの口に一番合っていた。思うように食べられないのが残念だった。食事中、北のモロッコ人(黒人)の人たちの演奏と踊りがあった。力強い太鼓と金属のカスタネットそれと簡単な踊り。ヨセフさんが言うには、この踊りや演奏はマラケシュでは、なかなか見られないそうだ。北の地方のこれらの人たちは、身長があり痩せていて白い衣服を纏っていた。昔奴隷としてつれてこられた人らしい。モロッコの人たちは、部族によって衣装の色が違い、その色を見るだけでどの辺りに住んでいるかも分かるそうだ。この白い衣服は、アフジェエリア近い砂漠地方の服らしい。
2006年07月12日
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今の季節のマアミドの砂漠地方は、砂嵐が多いそうだ。だから、ガイドのヨセフさんは、私たちに「とても運がいい!」と言った。私からすると、このモロッコとこの砂漠と何千年も前からまたやって来ることを約束していて、その約束を果たす為に何千キロもかけて空を飛んでやって来た私たちに砂嵐なんて!ありえない。一番素敵な砂漠を歓迎を込めて、きっと見せてくれるはずだと信じているのだから・・・。砂漠の真ん中にテントがポツリそんな所で眠れるなんて!贅沢だ~!!(テントの写真はなしです。撮るってことも浮かばず・・・。)だんだんあたりが暗くなると、それまでの暑さが嘘のように。涼しい風も吹いてくる。最初、木星かな?大きな星がぽつんと東南の空に明かりを灯した。今夜は、新月に近く月がでることは無い。どれほどの星空をお布団の中で見ることができるのだろう~?わくわくしてくる。だんだん暗くなるにつれて、星が見えてきたまず北斗七星がはっきり姿を現し、もうあとは、星だらけ!天の川をミルキーウエイと言うのが分かるほど、小さな星の光が白く連なっている。人工衛星も流れ星も見ることができた。星が多すぎて星座の知識にも乏しい私たちにはどの星がどれか?ほとんど分からなかった。これに星の説明があれば言うことなし!ちょっと望みすぎかな~!星は、チベットよりもハワイのキラウエアより(キラウエアは星を見る条件は、そろっているけれど、なにせ3000m以上なもんで寒くて寒くて!)もきれいに心地よく見えることが出来た。だって、寝床の中から見上げれば星、星、星。最高!雪野原に寝転んで見たオーロラも素晴らしかったけれど-40度が辛かった。それを思うと暖かい毛布に包まれ、星が見守る中を眠りにつく。これって最高の贅沢かも!ありがとう!サハラ砂漠よ!翌朝目覚め早く、朝焼けがとても美しかった!だんだ太陽が顔をだしてくる。朝日の素晴らしさ。昨夜の星もそうだけど砂漠の朝日に大自然の美しさと雄大さただただ見とれてしまう。朝の砂漠には、夜に行動したのか?虫や動物の足跡が残っている。この厳しい環境の砂漠の中をどんな生き物がどんな風に生きいるのだろうか?小さな足跡にすごいな~!えらいな~!愛おしさを感じる。私たちのお世話をしてくれるベルベル人のテントの周りには、どこから飛んできたのか沢山のカラスが集まっていた。モロッコに来て初めて見るカラス。カラス好きの私は、ここで出会えるだけでとってもうれしい。昨日のラクダたちは、足を縛られ動かないようにされているものもあった。遠くから見ていたgさんは、足のないラクダがいると心配そうだった。近づいてよ~く見てみると、勝手に動かないようにし前足を縛られていたのだった。私たちは、昨日のわんちゃんや子猫と遊んで出発を待った。ヨセフさんと運転手さんは、車の側で眠ったそうだ。もちろん戸外。写真はチェレステに掲載中・上の猫の写真をクイック!して下さい~。
2006年07月11日
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写真はチェレステに掲載中・上の猫の写真をクイック!して下さい~。お昼は、ザゴラに戻ってオアシスの中で食べた。いつものようにモロッコ独特の丸い固めのパンとサラダとタジンとい煮込み料理。モロッコ人はこのタジンを毎日食べているそうだ。ご飯は、サラダの具の一部として食べることはあってもそれだけでは、決して食べないそうだ。元気もりもりだとこのタジンもおいしいと思う。けれど、下痢や吐き気(もう、gさんは吐いていた!)暑さに参っている私たちにはちょっと飽き飽き!それに固めのパンは喉を通りにくいし、同じ味のタジンは正直食べれない。1人前も量が多く、申し訳ないがいつも残していた。日本って!いろんな味のいろんな料理を食べれて、なんてすごいんだろう~!と改めて思った。恋しい~!!海苔やふりかけ・・・・。このオアシスで、砂漠のマアミドへ行ける時間を待つ。何しろ砂漠は、とても暑いので夕方に行ってラクダに乗るのが丁度いいとのことで、皆、昼寝をして時間を待つことになった。先ほど食事をした木陰の椅子やテーブルの置いてある場所でごろんと横になったが、暑いのなんの!昨夜のエアコンのホテルが、懐かしい~!汗は、出るしとにかく気温がかなり高そうだ。こんなときせめて、天井のある屋内で時間を過ごしたかった~!ここの暑さが、私たちをさらに弱らせてしまった。いよいよ砂漠のマミアドへ出発する時間がやって来た。その前に今晩飲むビールをホテルで購入した。ビールは、アイスボックスに入れて車で今晩の宿のテントまで運ばれる。禁酒のイスラム教だが、モロッコでは、観光客用??に簡単にアルコール類を手に入れることが出来るそうだ。ちなみにガイドのヨセフさんは、お酒を1滴も飲まない。運転手さんも同じイスラム教徒なのに、O・K。この違いって何で~??個人の意識の差??どちらがいい、悪いはないんだけれど・・・。微妙。。マアミドは、ザゴラから南へ約100km。近づくにつれてだんだん赤茶けた砂地になってくる。ラクダに乗れるんだ~と思うとわくわくしてくる。しかし、gさんは、ダウン。私も疲れて、ついうとうと・・・。マアミドに着いて冷たい物を飲んでしばらく休憩。いよいよ待ちに待ったラクダに乗ると言うのに100%元気で無いのがほんとに残念だ。gさんは、ベルベル人の布をターバンに巻いてもらい、私は日よけに頭からかぶりラクダに乗った。先頭は、ベルベル人の男の子(ターバンをしてるので年が??分からん)2頭目が、gさん。私は、3頭目。あと荷物を積んだラクダが1頭。それともう1頭の全部で5頭で砂漠へと出発した。このとき、フィンランドで乗ったトナカイのことを思い出した。あの時もgさんは、2頭目のトナカイの橇に乗って私の前を進んで行っていた。極寒を生きるフィンランドのサーメ人も砂漠をでラクダを操るベルベル人も彼らの国以外の所へ行こうと思ったことも行ったことも無いのだと思う。(なぜこんな事を思うのかと言うとフィンランドでgさんがサーメ人のおじさんに対してこのような疑問を持っていたから)どちらも厳しい自然のなかで厳しい状態で生活しているのだと思うが、砂漠を生きるベルベル人の方がサーメ人より明るいように思った。サーメ人には、サーメ人専用の教会があった。ベルベル人は、町のモスクがありだれでも自由に礼拝できるし、無ければメッカのほうを目指してお祈りを奉げればいい。明るさの違いには、宗教が影響をしているのだろうか?日本人の私には計り知れない何かがあるのだと思った。ラクダは、象ほどは高くはないが馬より高く、乗り心地は馬よりもず~っといい。でもこぶの前に乗るか後ろか、微妙に違ってくる。最初のラクダは、鞍?の位置が悪いのか前のめりになり、お尻が痛くて、途中で違うラクダに変えてもらった。しかし、妙にうれしい。遠くには、山が見る。赤い砂丘へと進んでいくと影がだんだん長くなってくる。赤い砂の中には、まばらに背の低い潅木や草も生えている。その中をゆっくり、ゆっくりと進んでいく。こんな風にず~っと昔に(多分千年以上は前)ラクダに乗って旅をしていたのかもしれない。乗り始めたときには、まだ、暑かったが太陽がだんだんと沈んでくると風も先ほどに比べ心地よく思えるから不思議だ。テントへ着いたときには、日が沈んでいた。ここには、可愛い子犬がいてちょっとびっくり!とてもよくなついていて私たちの周りをじゃれ走り、心が和んだ。こずるそうな目つきも、ぴょンぴょン飛び跳ねれように走る様子もとても可愛い。その他にお母さんと子猫2匹もいて楽しかった。こんな砂漠のテントの水も無い厳しい生活の中で生き物を飼う優しさがこの人たちには、あるのだと思った。食事は、またパンとスープとタジン(ごめんなさい)。ビール好きの私たちも小瓶1本しか飲めず。食べられず!早く横になりた~い!それほど疲れが・・。私たちの、寝床は星が見えるようにとの配慮からテントの外へと運ばれていた。
2006年07月10日
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翌朝、ザゴラのホテルを出てまず訪れたのが小さな砂漠。緑も少しある中に突然小山のようなそこだけが赤茶けた砂丘が現れる。砂漠のあるマアミドやメルズーガへ行けない人たちがここへ来て記念写真だけを撮る言う。夕方、砂漠へ向う私たちも初めて見る赤茶けたこの砂丘にちょっと感動!ベルベル人の運転手さんはベルベル人のブルーの民族衣装に着替えていて砂よけ?のターバンまでしている。すぐに一緒に写真を!するとこの小さな砂漠の入り口のテントからラクダを連れて民族衣装を纏った15~6才の男の子が2頭のラクダを連れてやって来た。ラクダと写真を撮るといくらかを支払うのだと思う。私は、ラクダと共に人生を歩んだ過去生があるので今回ラクダに会いたい!という気持ちがとても強かった。だから、出会ったラクダにお土産として考えに考え「ウサギのクッキー」と日本から用意して行った。ラクダにクッキーをあげてもいいか許可を取ってクッキーをあげると2頭ともとてもおいしそうに食べてくれ、思わずにこにこ。クッキーは、とてもおいしそうな香りがして残りを男の子へラクダのクッキーだからと言って手渡したけれど、彼は食べそうになり、違う違うと伝えた。その時は、まったく知らなかったけれど、この地域はモロッコの中でもとても貧しい地域だそうだ。この後出会った子ども達は、飴を欲しがり「ボンボン。」と言っておねだりをしてくる。ラクダにクッキーだなんて!変なやつ。考えられんわ~!と思っただろうな。このクッキーは、500円ぐらいしたので、その分チップで還元するとか飴を貰ってもらうとか・・・・。ま~ぁしかたないなぁ~!ラクダに会いたい!それがこの旅を選んだ大きな理由の一つなんだから。途中、村のモスクの近くの学校で小さな子ども達を見て、gさんが写真を撮りたいということで、みんなに並んでもらって写真を撮った。お礼は、飴。gさんは、沢山飴を持ってきていた。えらいな~!よく気がつく。ラクダのクッキーより役に立ってるゎ~。大人の女性は、写真を撮られるのを嫌がるのでここの先生達もカメラを出すとすぐに物陰に隠れてしまった。次に訪れたのが、ザゴラから南へ約20kmぐらいの所にあるタムグルート。ここには、シディ・ムハンマド・ベンナサイルという聖人が400年前に建てた図書館がある。彼は、毎年メッカへ巡礼に行き、そこから本を持ち帰ってこの図書館を建てたそうだ。現在この図書館には、約4000冊の蔵書がある。本は触ることは出来ないが、何冊か直接見せてもらえた。パピルスや羊の皮に書かれた何世紀も前のイスラムの聖典を見ていると、昨年アイルランドで見たキリスト教(カトリック)の写本ケルトの書を思い出した。どちらも神の教えを書き記し、聖職者がその教えを学べるように広めようと書き記したこれらの書物。見ているだけで、書き写している人々の真剣さが伝わってくるようだった。両者を比べるとケルトの書のほうが飾り文字とか絵画的に見てもきらびやかだけれど、ここの本もアラーの神を表す文字は金色でそこだけが華やかだった。スラム教が形あるものを信仰することを禁じているから聖典も地味目なのかもしれない。それほど広くはないけれど、聖典を見ることで少しはイスラム教を見ること(知るまでは、とてもいかないから・・。)が出来たように思えた。図書館から出るともう、暑くて暑くてたまらない。建物と建物の間のトンネルのような道を通り抜け窯元を訪れた。この薄暗いトンネルのような道は、日陰で太陽の光はわずかにしか漏れ入ってこず、ちょっと不気味なような早くこの道から抜け出たいように思えるあまり気持ちのいい道ではなかった。窯元では、この地方独特の緑の素朴な焼き物を作っている。ここで私は、2枚のお皿と2つの鉢を購入。gさんも6つほど購入。ここで私たちは、大阪人の意地を見せるかのように値切った!私は後一歩というところで「もう、いいわ。」と諦めてしまう所がある。しかし、gさんは心強い。窯元のおっちゃんが、「あんたは、ベルベル人や。」と言うほど。gさんを尊敬する新たな一面を発見した。
2006年07月09日
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ザゴラのホテルへ着いたのは、すでに7時を過ぎていた。時差や睡眠不足、長距離のドライブで私たちはとても疲れていた。すぐにプールサイドでバイキング形式の夕食をとる。そこは、フランス人の団体さんでプールサイドは賑やかだった。料理が、菜食主義??と思うほどサラダ系ばかり。味もモロッコ風??それとも体調のせいか?おいしいと思わなかった。海外へ来て改めて日本の食生活の豊かさがはっきりと分かる。お酒を飲まないイスラムの社会ではあるけれど、モロッコのホテルでは、酒類を飲むことが出来る。ビール好きの私たちは、飲めるときには飲んでおこう!!とビールを注文。そこで、今日1日中付き合ったガイドのヨセフさんのことや運転手さん(名前を聞いたんだけれど、二人ともおぼえられず・・・どうでもよくって結局名前分からず)について感じたことを話し合った。二人の見解がまったく同じで、うん!納得。ヨセフさんは、向上心がすごい。日本語を日本人に習ったのは3ヶ月だけで、あとは自分で勉強して話せるようになったそうだ。私たちと会話をしていて聞きなれない熟語(例えば合理的など)を聞いたときにすぐに「それは、どう書きますか?」と質問し、ひらがなを伝えると電子辞書でそれを調べ意味をしり、自分のノートに書き込んでいた。ほんと頭が下がるほど意欲がある。それと話をしていて家族(まだ未婚)を大切に思っていること。特にお母さんをそう思っているという思いがなんとなく伝わってくる。そして、頭がスマート。などなど。運転手さんは、よく言えば今を生きる人。あまり、物事を深く考えたり、先の見通しを立てたりしない明るい人。これも、リーディングの一種だと思う。gさんと全く同じだったのでうれしくなる。gさんもすごい!ホテルは、アラビヤ風のタイルを使ったロビーや模様の天井以外は他国で泊まるホテルと大差は無かった。エアコンも効いていて外の暑さも全く感じず快適に過ごすことができた。
2006年07月08日
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昨日、叔母が亡くなりました。8人兄弟の母の一番上の姉です。8人の兄弟の一番上のこの叔母と一番下の叔父とは、24才年が離れている。一般的に今の時代には、考えられないような兄弟の年齢さです。その叔母が、何と6月に100歳を向え光の世界へと旅立ったのです。100年は、1世紀です。彼女の人生にも日本の変化にもいろんな目まぐるしい出来事が起こった時代です。ほんとすごいです。夫に早く死に別れた叔母には、いろいろ苦労もありましたが、晩年は、幸せだったと思います。小さいときから、接する機会が多く可愛がってもらった叔母の御通夜から先ほど帰ってきました。明日は、お葬式です。最後のお別れをしてきます。昨年からお葬式続きで見慣れた斎場。ちょっと複雑ですね~。
2006年07月07日
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写真はチェレステに掲載しています~。赤い要塞の村、アイト・ベン・ハッドゥに足を踏み入れたとき、懐かしい~何だかこんな場所に居たようなそんな感覚を覚えた。そう思うとき、そんな感じが浮かんだとき、きっとこんな所に居たのだと今は、確信を持っている。そして、とても暑かったけれど、気分が晴れて行くようなすがすがしい気持ち、ここへこれて良かったな~と素直に思うことが出来た。人の過去生を私が見ることを知っているgさんは、ガイドさんや運転手さんの過去が「何か分かりましたか~?」と聞いてきた。会ってしばらくして、もう、二人の過去生は見えていた。言ってしまうのは、簡単だけれど私が「こんなのが見えた。」と伝えると変な固定観念を植え付け、彼女の持っている感じる力を伸ばせないように思え、ちょっと悪かったかもしれないけれど、適当にごまかすことにした。運転手さんは、カソリックの結構偉いお坊さん。(赤い帽子をかぶり、白い衣装、胸には十字架を下げている姿)ガイドのヨセフさんは、中世の黒っぽい鎧を着た人と日本の戦国時代の武士の姿が見えた。アイト・ベン・ハッドゥの大きな門を出ると川原を数頭を連れて歩く人が見えた。モロッコへ来て初めて目にするラクダだ!うれし~い!写真、写真!とあわてて撮った写真は、満足できるものが無かった。(ちょっとしょんぼり)再び車に乗り込みザゴラを目指す。途中水の流れている川では洗濯をする女性を見かけたりしたが、だんだん川に水が無くなってきた。水があるところは、ナツメヤシが生えてオアシスを作っていて遠くからでもそこが川になっていることが分かった。ドアラ渓谷は、緑の山ではなく岩山というか地面が大きく裂け、隆起して侵食されてはっきりくっきりとした地層がうねり大地の雄大さ、地球の姿の一面のすごさに思わず息を呑むほどだった。大きくて力強くい、こんな場所に立つとくよくよ悩んでいることなんかどうでもいいさ~!ここで大声で叫んだら、全ての嫌なことが吹っ飛んで行って、大地がそれを受け入れ許してくれる。どんな悩みだって、ちっぽけなことのようにきっと思えると思う。谷から吹き上がってくるやさしい風は、大地の優しさのように感じた。
2006年07月05日
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途中立ち寄ったアイト・ベン・ハッドゥは、赤い日干し煉瓦で造られたカスバ化した村で、モロッコで一番美しいといわれる。1987年にユネスコの世界遺産に登録され、私たちが訪れた今も修復作業が行われているそうだ。ここは、「アラビアのロレンス」、「ナイルの石」、「ハムナプトラ2」等多くの映画のロケ地として使われことでも有名だ。川沿いにある丘の斜面に沿って建てられた村は、立体的で模型のような作り物のような不思議な雰囲気を持っている。この風景を見て、思い出したのはチベットの西の果てにあるグゲ遺跡のことだった。色は違うが同じ土レンガで建てられ、時の流れの中に朽ちているところの多かったその遺跡にも不思議な感覚を持ったことを覚えている。気候や風習、文化の全く違った場所なのに権力を守る為に作る砦を持った村は本当によく似ているように思えた。大きな門をくぐりぬけ中に入るとここで生活している家族がまだいるという。牛や馬が飼われ、モスクだったと思われる高い塔の上には、なんとコウノトリが巣を作っていた。野生のコウノトリを見るのは始めてだ!つがいの2羽が巣を守るように遠くを見つめていた。坂道をどんどん登って小高い見張りのような場所へ来ると眼下にアイト・ベン・ハッドゥを見下ろせる。ここが大きな砦で沢山の人が暮らしていたことがよく分かる。また、かつてここで暮らしていた人々が今暮らしている対岸の新しい村もよく見える。写真を撮り景色を眺め道を下っていくと、登るときには気付かなかった細い路地が目に付く。かつてこの道も人々が行き来したのだろう。
2006年07月04日
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写真はチェレステに掲載しています~。翌日マラケシュから砂漠の砂漠を目指す人の拠点となるザコラを目指す。(走行約410km、約8時間)マラケシュをでてしばらく走ると市場が開かれていた。火曜日だけ開かれるそうだ。ここには、日本で売っているのと同じような種類の野菜や果物、羊や山羊や日用品まで様々なものが売られていた。明らかに人種が違う私たちが、うろうろしても皆、じろじろ見るわけでもなく、結構楽しく市場を見学できた。ガイドのヨセフさんは、果物などを買っていた。ドラブ中に食べたやや小ぶりで色の白いイチジクは日本で買うものよりもはるかに甘くおいしかった!残念なことにもう、浄化の下痢が始まっていたgさんはそのおいしいイチジクを食べることが出来なかった。ちょっとびろうだけれど、旅をすると浄化の下痢が起こる場合がある。エネルギーの強いハワイでは、一緒に旅する人の多くが下痢を起こしていた。だから、私たちは下痢が起こってもそれほど心配はしない。体の中から今、ここでこの場で清算しなければならない不要なものが出て行っているんだ!と思う。何度もこんなことを体験しているからそう思えるのだと思うが・・。下痢が浄化と一番顕著に分かったのは、インドを旅したときだった。下痢をするのは、ホテルに居るときだけで、観光中はまったくお腹が痛くなったり、ぐるぐるなったりすることが無かった。不思議な下痢だった。車はだんだんくねくねの山道を進んでいく。車で酔うことのない私もちょっと気分が悪くなるほどの道だった。だんだん高くなって景色もよくなって見下ろすと崖って所もあったり。そしてだんだん空気がひんやりとしてきた。途中の山村では麦を収穫している所もあり、山にへばりつくように建っている村を見るとチベットでカイラスを目指したときの風景と重なってくる。そこでも農耕には、牛や馬が使われていた。ここでも、はるか下のほうの畑では、牛を使って耕している女性の姿が見られる。道の途中には、行きかう車の埃をかぶったセレナイトやクリスタルをただ並べただけの簡単にな陳列が何箇所も見られた。水晶等の石が好きな私たちは、途中で石屋さんへ寄ってもらう事にした。オート・アトラスのテシュカ峠(標高2260m)の所にお土産物やをかねた石屋さんが何件かあった。こんな所にもちゃんと土産物屋がある!ちょっとビックリ!ここには、標高を示す大きな看板があり、それを背景にして写真と撮る為に止まる車があるからに違いない。標高が2000m以上あるだけ風も吹いていてにさすがにここでは半袖のTシャツは、肌寒かった。ガイドさんの知り合い?の石屋の叔父さんはセーターを着ていた。車で1時間ほど走っただけなのこんなに気温が違う!すごい!まだ旅が始まったばかりで元気な私たちは、ここで1時間以上も過ごしたと思う。モロッコで有名な砂漠の薔薇、アンモナイト、オウムガイ、水晶なが~いセレナイト。いくら見ていても飽きることがなかった。峠を越えると道は下りになって行き、だんだんと気温が高くなってくる。開けた窓から入って来る風も生ぬるくなってきた。
2006年07月03日
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カサブランカから今日の宿泊地のマラケシュまでは車で3時間強。モロッコの主な産業は農業。道の両側に小麦畑やとうもろこしの畑などが広がっている。途中の道には、ロバや馬を使って荷物を運んだり農作業をする人々も目に付く。最初は、この風景がとても珍しく写真を撮ろうと揺れる車から努力したものだが、帰るころには当たり前の風景になってしまって、すれ違っても元気で頑張ってるんだな~!ロバは、大変だな~!大切にしてもらってるのかな~?と思うだけになってしまった。でも、このロバや畑のほっとする風景をみていると旅の疲れも少しは減っていくように思えた。マラケシュは、モロッコで3,4番目に大きな町。私たちが泊まるのは塀に囲まれたメディナ(旧市街)のリヤド。リヤドという中庭のある邸宅を改造したもので、部屋の様子、広さはまちまち。gさんは1階。私は3階。私のほうが階が上だけに明るかった。シャワーやベッドの大きさも部屋の調度品や内装の様子もそれぞれに違っていてそれが、まるで個人のお家のようで、そこもよかった。中庭はブルー系の綺麗なタイル張りで模様がすばらしかった。大きな植木と大きな鉢植えがあり、噴水もある。朝になると小鳥が木々にとまり歌を歌ってとてもすがすがしかっった。そこから見上げる四角い空が青くて、また良かった。私達が泊まったリヤドには、コカというおとなしく人によく慣れた大きな犬がいてそれも、心が和んだ。この後の旅で見かけたほとんどの犬は、痩せていて、ここのコカが一番太っていた。この、こじんまりしたリヤドでの宿泊は、他のホテルには無いモロッコらしさを体験することが出来てとてもよかった。私たちは、とても気に入って、最終日の予定をカサブランカからマラケシュのリヤド泊へ変更してしまったほどだ。
2006年07月01日
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飛行機好きの私。乗っている時間はそれほど苦にはならないけれど、遠かった~。時間かかりすぎ。関空~ドバイー10時間45分。3時間近く待って、ドバイ~カサブランカー8時間30分。一日近く移動にかかり、時差が9時間。カサブランカ到着時刻は、12時25分。めちゃくちゃ疲れました。西へのフライトはそれほど疲れないのだけれど・・・。ドバイからまだ8時間以上乗り続ける。これが初体験で、遠いな~と実感。初めてのアフリカは、ほんまに遠かった~!!エミレーツ航空を選んだのは、料金が少し安かったこと。私が、初めて勤めた商社が中近東向けの織物輸出の課だったことから、ドバイやクウェート、サウジアラビアやアブダビ等仕事で関わっていたところが一体どんなとこかな~?ついでに寄れるものならよってみたいって単なる好奇心からそう思っていたから。ドバイ~カサブランカのフライトでは、もうすでに明るくなっていて機内から外の景色を眺めることが出来た。人工的な建物のドバイ空港から飛び立ってしばらく行くと緑の全く無い茶色の砂漠だけしか見えなくなってきた。灼熱って感じ。窓の外からも熱気が伝わってくる。ふとgさんと昨年オーロラを観にフィンランドへ行ったときのことが浮かんで来た。2月のシベリヤ上空をフィンランド目指して飛ぶ飛行機の窓は氷が張ってきて、眼下の景色は氷と雪の氷点下の世界。白一色だった。地球って同時に様々な気候を作り出していて、そのどちらも今回の人生で体験することを選択した私たちってすごいな~!なんて思った。初めてのアフリカでアラアビア人、アラビア語圏イスラム社会。日本へは、イスラムの情報は偏ったものばかりでそれを鵜呑みに信じる訳には行かない。だから、どんな所かまったく想像も出来なかった。それに変にこうかも?ああかも?と先のことを思い煩うのは、今の私には、まったく合っていないし・・・。今まで、ネパール人、インド人、チベット人のガイドさんたちとは1~2人の旅で、ハワイでは、6人の団体でお世話になった。それぞれ、宗教も人種も違い、感覚も日本人とは大きく違っていた。今までの体験から踏まえて、違うことが当たり前と接していけば、摩擦も少なくて済む。でも、人生のガイドになぞらえるように旅のガイドとの出会いは私の人生にとってとても重要なことだ。今までガイドさん達も皆、全員が私の過去生と関わりのあった人達だったから・・・。世界を旅して様々な出会いは、その人々と私の魂の約束を果たす為だと、今は確信しているから。
2006年06月30日
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写真はチェレステに掲載しています~。モロッコへ砂漠とラクダが目的で行くことになったにもかかわらず、のんきな私たち(旅の友gさんと私)は、旅の一週間前ほどになり初めてパンフレットと地図を見て、7泊中3泊がサハラ砂漠の近く、隣国のアルジェリが国境がすぐ側であることを知った。やっぱり、砂漠や~。やっぱり砂漠とラクダで選んだ旅は普通の観光気分のツアーとは、違うな~!気づくのが遅すぎ。一体誰が旅にでるん?って突っ込まれそうな暢気というかボーっとしてる?そんな私たちだった。今回の旅で、私は捨てるぞ~!!と決心をしていた。何を?Tシャツや靴下やとにかく毎日着たものを捨てる!そう強く心に思っていた。年に何度か海外へ旅をするが、こんな気持ちは昨年4月のイタリア以来。いろいろ捨てたイタリアの時も、気づきがあったから、モロッコでも何か大切なことが分かるかもしれないな~。そんな期待も沸いてきた。だから、スーツケースの4分の1以上は捨てて帰る予定で荷物を詰めた。実際、置いてきたものは、Tシャツ6枚。スェット2本。靴下5~6足。それに下着。旅の友の百均の洗面器。物干し。サンダル。ハンガー2本。乾電池。等など。帰りの飛行機では、なんと首枕が空気漏れをしていてそれも捨ててしまった。百均の洗面器。物干しは、2003年以来一緒に何度も旅を続け、いつ捨ててもいいよ~な~んて思ってはいたけれど、愛着が湧いてなかなか捨てられなかった物だった。それさえも最終日に、ガイドさんへ貰ってもらった。ドゥバイ経由カサブランカのエミレーツ航空の出発は23時15分。だから、2時間前の21時15分集合。今までで一番遅いフライト。自宅で荷物が出来あがってからも出かけるには時間はかなりあった。なんとその時間で、掃除機を持ち出し部屋の掃除をした。こんなことは、初めてだった。それに、27日に帰宅したときにも猫との挨拶を終えすぐに部屋に掃除機をかけた。そうしないとなんだか気分がとても悪いようで落ち着かず・・・・。あ~私って変化してるんだな~!なんて思ってしまった。
2006年06月29日
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モロッコから帰りました。今までの旅と疲れかたも違っています。今までは、関空でとっど疲れ~。家でぐったりのパターンでした。ところが今回は、モロッコに着いた時にとっても疲れていました。そして、その疲れは、結構続いていました。帰り、関空についても何だかとても身軽になったようで、睡眠も充分とれていないのに、今も元気です。肉体的にはとても辛い旅でしたが精神的には充実した気づきの多い旅でした。それに、ガイドのヨセフさんと出会えたこと。出会う必然の旅でした。出会いで、気づきが始まり感謝で旅を終えることが出来ました。少しずつ旅のことを書いていこうと思っています。
2006年06月27日
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18日からモロッコへ行ってきます~!!昨年12月にオーストラリア・ウルル(エアーズ・ロック)へ行ったときラクダにのってウルルと沈む夕日を観るというオプショナルツアーが、ありました。その時、ラクダに乗りたかった~。なんで、オーストラリアにラクダ??それは、まだ鉄道も車も無かったころ砂漠の多いオーストラリアに砂漠に強いラクダをアフガニスタンから輸入したからだそうです。その後、車の発達に伴いラクダの需要が減りました。逃げ出したり、放されたラクダが今では野生化しているそうです。どうしても、乗りたい!そう思って、3月リビヤへ皆既日食を観に行くつもりでしたが、母の入院もありそれは諦めました。でも、やっぱり・・・・ということで「ラクダに乗って、砂漠でテントで寝る」そんなツアーを見つけ(風の旅行社)行くことにしました。ありがたい旅の友も見つかりいよいよ18日の夜の便で行くことになりました。モロッコへ行く!と決めた数日後にTVの「不思議発見」でモロッコがかつてアトランティスの一部だったと放送がありました。モロッコには、アトラス山脈という山脈がありますが、これがアトランティスだった根拠の一つになっているそうです。そうか~アトランティスだった場所へいくのかぁ~!!と言うことは、私もアトランティスにいた事があるんだなぁと繋がってきます。(21世紀になって私が旅する外国は、過去の人生で生きていたところだから)先日、ご縁をいただき「いるかくん、いるかちゃんヒーリング」の小田原さんご夫婦のセッションを受けることができました。そのセッションの中でアトランティスのにいたときの過去生を見る事ができました。う~ん。今回はそういう流れになっているのか~!と妙に納得しています。旅の荷物はまだ完成していませんが、なんとかなると思います。ドゥバイ経由の二人旅。何が待っているのか、とてもワクワクしています。
2006年06月17日
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昨日、京都の出町近くで「ひきたま」さんのカリンバ演奏会がありました。イリスに誘われていたのですが、遠いしどうしようか~??なんてちょっと躊躇ぎみ。トリーニーが亡くなったことのショックや、2週間連続で東京へ行ったこと。それに18日から出かける旅の用意が全くできていない~!!なんか、のんびりしたい~。モード。ところがイリス経由で訪ねてくれた、t君も行くというので急遽出かけることにした。家を一歩出れば、もう、目的地へ向って一目散だ。なんで、だらだらどうのこうのと思っていたのかさえ「それって、何のこと?誰のこと~?」って感じに思えるほど、自分が変化している。面白い私だ。そして、そんな私が今は大好き!!カリンバを演奏する「ひきたま」というネーミングからも分かるように、な~んか歌の中に「インナーチャイルド」や自分だけのためにとか、精神世界系の言葉が山盛りに出てくる。聞きながら、「うん、そうや~ぁ」と頷いてばかり。力強い歌と演奏。カリンバだけでしているとは、思えないほどだった。素晴らしかった~!家にいたら感じることもできなかったことが、ちょっと行動するだけで私の心の中に体験という形でいろんな思いを連れて来てくれる。生きるって、結局体験だと思う。どれだけこの人生で自分なりに体験を重ねていくかが後悔のない人生を送る手立ての一つになるんだと思うな~。(一部写真はチェレステに載せています。)
2006年06月15日
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私は、マイケル・J・ローズと奥さんのトリーニーのリトリートをとても楽しみにしている。私にとって数少ない特別な人たちだった。私がワークを受講する大きな理由は、資格をもらえたり、テクニックを教えてもらえたりできるからで、それ以外に資格も貰えるわけでもないのに毎年毎年何度も行こうと思った人はほとんどいない。それでも、毎年二人に会いたい。そして、私の成長を感じてもらいたい!二人がどう思っているかは、???でも、暖かい眼差しは、そんな風に感じてくれているように思えた。彼らがやって来る10月は、必ず会えるようにと予定を入れず、2003年から3回、長野の女神山へ行った。今年ももちろん行こう!そう思っていた。そしてマイケルとトリーニーに会えると信じていた。 (2年前の10月の二人の様子です。)昨夜、友達のイリスから旅先の私にメールが届いた。そのメールを読んで頭の上から、血液がなくなるような感覚が広がりがって行った。周囲の人に平静を装うのも辛かった。メールの内容は、「トリーニーさんが、光の世界へ帰られたそうです。」だった。ホテルへ帰り、一人になって、信じられない!マイケル大丈夫だろうか?何で~。くるくるとそんな思いが頭の中を回っていく。h・pやメーリングリストからのメールを見ると、10日アメリカでのリトリートの始まる日の朝に急逝されたとのこと。東京で先週に引き続きワークをしているとき、私のハートはきりきりと痛むことが何度もあった。どうしてそうなるのか自分でも分からなかったけれど今になって思えば、納得できる。6月になって二人の写真をセンッションルームに移し、セッション中はいつでも目に入るようにしていた。だって、本当に心から尊敬できる人たちだったから。いつも身近に感じ、感謝と敬意を払いたいそうな風に思っていた。トリ-ニ-を深く愛していたマイケルの深い哀しみを思うとまた、胸が痛む。トリ-ニ-とマイケルに深い愛と感謝をおくりたいと思います。もう、地球でのお役目を終え旅立たれたトリーニー。翻訳家でお二人のリトリートのお世話をしてくださっている大亀さんは、 「もう伝えることは伝えたでしょう。それぞれの真理の道を歩いていきなさい」ってトリ-ニ-に言われているようです。とメールに書いておられました。
2006年06月12日
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3月から始めた合気道を辞めたのには、もう一つ訳があった。過去世で敵同士だった人たちと出会うことは、特別なことでもなく今までにも何人もの出会いがあったと思う。だから、それだけで辞めたのではないんですよ~。合気道を習っている人たちの多くの人が、何年も中には10年以上も通っていて技能的に結構ハイレベルの人が多かった。教室は、何箇所かあってほとんど毎日何処かで合気道を学びに行けるようになっていた。そして、なんと多くの人たちが週のうち3回以上その何処かの教室へ行っているという事が分かってきた。そりゃ、一週間に3度、4度も同じことを何年もしていれば上手くなるはずだゎ~。最初、私も上手くなりたいな~。と思った。合気道を熱中して取り組んでいるときは、本当に何も考えず無心でからっぽになってそのことだけに今だけに生きていることをまさに実践している。そこが、とっても好きだった。だけど、通っている人のほとんど人が週のうちにそんなに合気道に時間を費やしているのを知って、私にはそんなこと出来ない!そう思った。だって、そのことだけに自分の時間の多くを割くなんて!往復2時間。合気道に1.5時間。4時間近くをそれも1週間に3~4回。時間が、もったいないって!それって、依存?先生は、とても素晴らしいことをおっしゃる。うんうんと肯くことばかり。そして、思いが実現すると・・・。でも、私が勝手にそう思うだけなのか??来ている人たちの思いって何?いつでもどこでも幸せになることだとしたら?合気道をしているときは、満足そうだけど・・・。終わると、す~っともとの様子に戻ってしまっているように思えてならない・・・。紹介してくれた友達や私のほうが、ず~っと幸せそう。ほんと。自分の普段の生活・日常において思いが実現して、幸せ感を味わえないならいくら通ったって仕方がないちゃうん?日常で自分の力でそうなれるように導いていく。いつまでもず~っと沢山の時間を割いてやってくる技の上手な人でなく、人生を豊かに過ごせるように導くってことのほうが意味あると思うんだけど・・・。結局は、人はそれぞれだからいい悪いもないし、私がその型に当てはまらないし、はまりたくなかったってことだと思う。
2006年06月07日
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大人になって初めて皇居へ行った。以前一緒にチベット・カイラスを旅した東京に住む過去世の妹と行った。木陰で久しぶりに会っていろいろ話していると、3~4人に警備の人が警備している門へ吸い込まれるように入って行く人たちがいることに気づいて来た。もちろん、一般ピープルの皇居の中には全く縁の無い者は入れる訳はないんだから・・・。一体どんな人がどんな用で入っていくのかとっても気になった。男性は、背広に黒い書類鞄や紙袋。なんか学者のような専門家のような、明らかに観光客ではない人が入って行く。2人ずれの女性たちは、普通の人のようで日傘をさし、話をしながら・・・。誰もが、一直線に進んで行く。当然のように。興味があったが、ま~ぁ縁のない世界。皇居は、とても気がよかった。次回は、久々に明治神宮へ行ってみたい!
2006年06月07日
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今日は1日、映画の日だった。友達と別れてから、急に思い立って映画館へ。突然だったので、時間を合わせることも無く、何を見るかも決めてなかったついた。あんまりヘビーなものを見てしまうと、暗い気持ちになって抜け出せなくなるときがあるので社会派00なんて、内容がハードで深刻なものは避けてしまう。以前とっても暗い映画を観てしまって、「このまま家へ帰るわけには行かない!」と「バンヘルシング」に飛び込んだことがあった。今日は、「ダ・ヴィンチ・コード」を。しかし、原作を読んでいたので・・・・。次はどうなるの?はらはら、どきどきが全く無かった。あ~こうなって、次はこうで、うんうん。え~、原作とちゃうで~と文句も出そうになる場面もあったりで、ちょっと、しょうもなかった。でも、日本人の私にとって、教会の様子や、原作を読んでも想像できなかった場面や風景を画面で見られるのは、ま~よかったかなぁ。世界史で学んだだけで、キリスト教徒でもないし、宗教の勉強もしたことが無いので想像にも限界がある。画面は視覚的なので見ていて、へ~そうなのか~って感じ。今起こっている戦争の原因は、ほとんどが宗教だけれど、同じキリスト教のなかでも争いがあったんだ。人は神という名の下にずいぶん残酷になれたんだ。それと今でも身を清めるために自分を鞭で打つなんて!そんな人もいるんだ。神様は、身を痛めつけてまで清めよ!なんて望んでないのに・・・・。キリスト教系の学校の校章がゆりやバラが多いんだとか、五芒星、六芒星や三角形の意味などが分かって、納得できた~!DVDが売り出されても、買わないだろうな~。たぶん。
2006年06月01日
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今日、イルカがやって来ました。 ヘリウムガスの入った風船のイルカです。 Aさんがお土産に持ってきてくださいました。 風船が大好き!イルカも大好きな私にとって とっても、とってもうれしいお土産でした。 Aさん、ありがとう! (写真はチェレステに載っています。) やさしい顔で、ふわふわ漂っています。 きょうのヒーリングの最中も私たちを見守っていてくれました。 ももこは、なが~い紐に興味があるようでイルカには反応しません。 のりちゃんは、上を見上げて恐そうでした。 ランディは無関心。 ふわふわ漂うやさしいイルカは、一週間は浮かんでいるそうです。 これから、見るたびに幸せな気持ちになれます。 うれしいな~!
2006年05月28日
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今日、梅田のシアター・ドラマシティへ美輪さんの「愛の讃歌」を観に行ってきました。チケットは、母が入院する前、2月の上旬に先行予約で手に入れたものでした。そのころでも、「オーラの泉」は結構有名でしたが、決して今ほどではありませんでした。が、美輪さんのファンは多くてチケットを手に入れるのは大変でした。9時からの受付電話は、繋がらず諦めて、どうにか夕方に繋がりました。だから、席はあまり期待していませんでした。会場に着いたのは、2時少し前。もう行列ができています。チケットがあって座席も決まっているのだから・・・。と思ってもみんな早く入りたいのだゎ。一幕は、ピアフの不遇の時代。衣装も黒いワンピースで、お芝居に慣れていない私には少し退屈でした。しかし、歌は凄い!1曲目の歌が始まるとそのエネルギーで体が熱くなって、ハンカチで額の汗を拭うほどでした。ピアフが有名になってからのドレスの美輪さんはまたまた凄かった!華があるというか、存在感が増すというか、ドレス姿が本当に良くお似合い。きらきら光るアクセサリーも素敵~!!最愛の人を亡くして歌う「愛の讃歌」では、涙が止まりません。周りのほとんどの人も涙を流しているようでした。鼻水をすする音がきこていました。凄い愛のパワーを持った歌でした。愛の深い人なんだな~と思いました。先週の「オーラの泉で」ゲストの研ナオコさんとと国分君がステージを観れば分かる。みたいなことを言っていたけれど、それが今回その通りだとはっきり分かりました。とにかく歌も衣装も良かったです。一緒に行ったsさんが、仏様の後光をあらわしているのか黄色と赤い色が印象的だったそうです。エンディングで出演者が並び挨拶をします。そこへ美輪さんが中央から表れます。それだけで、涙腺が緩んでしまいます。お客さんは、拍手拍手。立ち上がって拍手をする人も沢山いました。3度目の幕が開いたとき、sさんは、舞台の近くまで走って行きました。あまり感じないsさんにも顔がはっきり分かる近くまで行くと凄さがはっきりと分かったそうです。開演中私の周りには、ず~っといい香りがしていました。天使たちも来ている事がその香りで分かりました。心と魂が純粋に喜んだ楽しいひと時でした。
2006年05月25日
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合気道楽しくやっていたのだけれど・・・・。5月になってから、一気にやる気無し!それは、教えていただいている先生の奥さんとヘルプに来ている男性のことで分かったことがあったからだ。それは、何度も「いや、違う。勘違いかもしれない・・。」と自分をなだめてきたけれど違うと思えば思うほど、その思いとは裏腹に私の気持ちは確信へと近づいて行く。あるとき、何気ない私に対する視線が気づきの始まりだった。無意識の中の敵意識と言うか・・・。その視線を見て「あ~この人は、いつの時代か、きっと過去の人生において私と敵対関係にあった人だ!」と気づいた。そう思って、練習をするようにすると彼の方も私との視線を避けようとすることに気づいてきた。それが分かったその日から、練習の回を重ねるごとにそれが確信となってきた。そうするとだんだん練習も楽しくなくなってきて、先週それがピークになってちっとも楽しくなくってきてしまった。楽しくなかったら、来たって意味無いな~。だから、まったく型も覚えられない。同じ時間を過ごすのに楽しさを感じられなくなったら、ホントに無駄な時間を過ごしているのと変わりない。あんなに楽しかったのに!分かるって、困ったもんだ!でも、これで私とその人たちの過去世での関係のカルマは終わったことは確実だ。
2006年05月23日
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へナを始めてから、3年以上たったと思う。もちろん口コミでへナのことを知った。それまで、耳にしたことも無い単語。でも、なんかいいかも~とピンと来て詳しくヘナのことを先生の所へ行って勉強することにした。それからは、パーマも毛染めも一切おさらば。それは、健康志向のヘナの先生の所だからパーマも毛染めも絶対禁止だからそうしているのではない。初めてヘナをして、15分ほどでトイレへ行ったときに、出た尿の色は黄緑だった。それは、頭に塗っているヘナの色そのまま。頭皮と腎臓は直結しているからそうなるのだそうだ。それを見て本とにビックリした。 こんな風に頭に塗ったものが、すぐに体の中に入っていくなんて。パーマも毛染めは、劇薬!ぞ~っとした。もう、絶対パーマも毛染めはしない!大切な自分の体にちょっとした見た目で、そんなリスクを負わせたくはない。そう、強く思った。先生の所では、へナの塗り方やどんな植物かなどいろいろ学ばせていただいた。へナは、民間療法的な効能も沢山もっている。例えば、古代エジプトの肌の色がオレンジ色なのは、虫除けのためにヘナを体に塗っているからだそうだし、インド人の余裕のある女性は、小さい時からへナをしている。それにより髪の毛を美しく保つだけでなく体の為でもあったそうだ。へナを始めたころは、1週間に1度はヘナをしていた。今でも2週間に1度は必ずへナをしている。今日もこれからしますが・・・。そして、ずいぶん体が元気になってきているように思う。それにへナをすると美白効果がある。ある年には、ハワイへ行ってインドへ行って、西表島に2回行っても、へナをしているとそれほど色黒が残らない。去年の12月オーストラリアで、2月にハワイで泳いでいるけれど、それほど黒くはない。 これは、へナに解毒効果があって肝機能を高めるからだそうだ。へナには、いろんな種類があるし値段もピン、キリ。あまり値段が安いものはお勧め出来ない。ヘナのなかに雑草や茎が多いものもあり、塗っている時間が短いのは中に粘着剤が入っているそうだ。私は、これからもず~っとへナを続けていくんだと思う。
2006年05月22日
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私たちが、地球という3次元の世界で生きている意味はなんだろう? 何度かの転生を繰り返しながら、私たちはまた肉体を持って活動する 地球へとやってくる。 (転生の回数は、人によって大きく違うそうだ。最近、地球に初めて来た という人にも出会ったし、この前生まれたのは、5000年前だったという人 にも出会う機会があった。) 地球は、感情を体験する場所で結構人気で地球に生まれたい!という魂 が順番を待っている。私の時もそうだった。どこが先頭だか分からないほど 長~い列で、私の後ろにもず~っと列が続いていた。私は、ゆっくりと構えて 順番を待っていた。すると、空間を超スピードで走る乗り物に乗った人が やって来て、早く!前へと。いやいや列の一番前へ行かされた記憶がある。 肉体を持って、何かを成し遂げた場合、肉体を持たない状態よりも簡単に 出来るそうだ。 それと感情を体験できるのも肉体を持ったときだけらしい。 多くの人は、物事を良い悪いでみてしまう。物事はただそこで起こっているだけ で、意味はないのに・・。そこから、感情が発生して状況をややこしくして行く。 ややこしくする結果が自分に関わってくるとも分からずに。ぐるぐる迷宮へ。 そうなってしまった、出来事を解きほぐし感情を解放できたときのさわやかな顔。 劇的に顔つきが変化する。感情を解放することで、それほど心が楽になって いけるってことだ。 このぐるぐるの迷宮状態からどうしても抜け出せない人がいた。 しかし、行動を起こし新しい体験をすることで自らの運命の歯車を変化させた。 体験する、行動するってことがどんなに大切か今まで以上に明らかになった ことだった。 行きたい所へ旅をするのもよし。したいことをするのもよし。私たちはこの地球へ 体験という経験を積にやって来たのだと思う。 「百聞は、一見にしかず。」という諺があるけれど、100冊本を読んだりDVDを見たり するより、一回そこへ行ったりその体験をしたほうが、ず~っと自分の中に落ちる し自分の為になると思う。 そのほうが、きっと魂も喜ぶと思う。
2006年05月19日
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3次元、この地球で生きていくのは自分の体がとても大切だと今年になって急に思うようになった。私たちの魂は永遠に行き続ける。しかし、肉体は、年月と共に痛んでくる。ヒプノにこられるクライアントの方には、この仕組みを車とドライバーの関係に例えてお話しする。車は、古くなったり、事故にあって壊れた場合は、次の新しいものに乗り換える。しかし、ドライバーは、年齢は取るけれどいつも同じ。だから地球で生きていくには、特に今をより快適に生きていくには肉体のケアーがとても大事だと思う。人は、たとえ歯が1本痛いだけでも決して幸せにはなれないのだから・・・。今までの私は、人の体に付いて学ぼうと言う気持ちは少なかった。しかし、今年になって、体を大事にしたい!と思うし、ハワイのチャンネリングでももっと人の体の構造を知って欲しいと言われ、エネルギー以外にも体のことも学んでいる。先日鎌倉にもそのワークを受けに行ってきた。もう少し、練習を重ね今回のこともメニューに入れて行きたい。私は、ライト・コーワーカー、それは、ライトボディーワーカー。心と体は、切り離せない。だから、それを目指そう!
2006年05月17日
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H・Pのリンクのお願いのメールが来たら、ほとんど有難くお受けしている。わざわざ捜してくださって、メールでお願いしてくださる!!私には、できません!!とっても!!こんな手のこんだこと・・・。ところが・・・・・。私のクライアントの友達が、私のリンクのページに掲載しているあるヒーラーのところへメールで相談をした何度かメールをしていうるうちに法外な値段を請求されたそうだ。(このことを聞いてすぐ、こことはリンクを止めたので今は掲載されいていませんが!) なんか、ちょっと驚いてしまった!!やっぱり、OOO万円が必要だなんて・・・。まるで、壺や印鑑を買わなければ不幸が~と言った宗教団体のようにしか思えない。先日OOO万円請求されたご本人が来られて、確認もとった。そんなヒーラーがいること自体、いやだな~と思うのに、私のリンクに載っていたから飛んで行ってそうなった・・・。複雑。自分は、そうならないようにって思うしかないのかな?
2006年05月11日
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人は誰でも、生きている。普通に。当たり前に。 ほとんどの人が、生きていることの意味さえ考えたことがないのかも知れない。 先日東京へ行って、裂けていた私の魂を修復してもらた。 それから、やっと生きている、生きていくことが普通のことに思えるようになった。 それまでの私にとって、「生きる」ことは仕事の一つだった。 「生きていくこと」は、死ぬまでの私の仕事。 そうでも思わないと生きていけない・・・。そんな思いが、ず~っとあった。 19歳のときにも30歳のときにもこれ以上生きていない!生きているはずがない。 そんな確信に似た思いを持っていた。 あるとき80歳以上の寿命が自分にあると分かった。 でも、その年まで生きていく自信がなかった。 小学生の低学年のころ「生きるより、死んだほうが楽だな。生きるって難しい。」 なぜそう思ったのか原因は分からないけれど、そう思ったことは今でもはっきり と覚えている。 そして、家族に対しても何か自分とは違う。といつも思っていた。 私は、生きることに対してとても孤独だった。 それが、魂の裂け目が無くなってから普通のこと当たり前のことに思えてきた。 生きていくことが、とても軽く思えてきた。 死ぬまで生きればいいのさ!ただ、それだけ。 そして、ちょっぴり欲が出て来た。 魂の望むことを見つけよう! 魂の望むように生きていこう! 6年ほど前に、初めてチャネリングする人出会った時のこと。 その人に「普通の生活なんか、あなたの魂は望んでいません!」と言われたことを 急に思い出した。 それでは、一体どんな生き方を望んでいるんだろう? 普通に思えるようになった今、ちょっと聞いてみたい。
2006年05月06日
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もうすぐ、トム・ハンクス主演で「ダ・ヴィンチコード」が上映される。 その前に、ずーッときになっていたこの本を姪が持っているので借りて読んで 見ることにした。 図書館で借りればいいのだけれど、最近はよほど高価な本でない限り図書館で 借りないようにしている。その大きな理由としては、借りた本に他の人の想念とい うか波動と言うか、エネルギーが入っているからだ。 図書館で借りた本を読むだけで、なんとなく気持ちが沈んでしまったり、頭が痛く なったりすることがだんだん多くなり、最初は原因が分からなかったが、なんとなく そうだと思えるようになった今、借りることはほとんどなくなった。 私自身が、他の人のエネルギーに敏感になったからかもしれない。 しかし、AMAZONで専門書を古書を買うことはある。その場合、明らかに他の人 が読んだ本と分かったときには、ベランダに本を広げ日光浴をさせてから読むよ うにしている。(但し、精神世界系の本は古書では絶対に買わない。) 「ダ・ヴィンチコード」は、謎解きが面白く物語の展開も早く、すらすら読めた。 キリスト教についてほとんど何も知らない私にも興味深くとても面白い内容で、 私の中で納得がいったこともあった。 例えば、バラの花の意味。 アモラ・クァン・イン著「プレアデス覚醒の道」にも書かれているバラの花による浄化法。 著者が過去世の記憶からと書かれていたけれど、どうして、バラの花を使って浄化 するのか、ピントこなかった。 しかし、「ダ・ヴィンチコード」を読んで「なるほど!そうだったのか~!!」 それと以前、ショーン・コネリー主演の「薔薇の名前」って映画を見たとき、無知な私は 題名に何で「薔薇」なん??と思ったものだ。それもこの本をよんで納得できた。 「正統」と「異端」。隠された秘密が暴かれるなかで信仰と宗教は同じでなくてもいいの かも~?とまたまた納得してしまった。 この原作を映画でどう表しているか今からとても楽しみだ!
2006年05月03日
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昨日、髪をカットした。こんなに短くしたのは、学生の時以来。それほどのベリーショート。これどカットしたのには、もちろん訳がありま~す。美容師Tさんがするカットは、なんと言うか。そうスピリチュアルカットって感じ。お客さんが来ても、今は時期でないと思えば、顔だけ見てお帰り願うそうだし、また、とにかく最低ココまでは切って、それからどうするか?ゾーンがあってとにかくそこを突破させない人は、論外でいくら短くして欲しいと思っても、あなたは今日はココまで!これ以上は切れない!ってこともあるし、髪を切った後、顔を見たくない!話をするときも顔を見れない人もいるそうな。また、何人かの人を切っていて最初に人がまた切って欲しくなって同じ人を同じ日に2回切る時もあるそうだ。とにかく自分の思い通りのカットを望むのは、無理!望む人はそこへ行ってカットしてもらうことは多分出来ないと思う。そして、カットの時にいろいろアドバイスやメッセージを伝えてくれる。その言葉に隣の家まで聞こえるくらいに大泣きする人、ポロリと涙をこぼす人。分かった~と明るく、別人のようになる人様々だそうだ。私も最初ココまでゾーンを言われた。「ココまで切らないと。不要なものを整理ができない。」「切っていいですか?」「はい、もちろん。」「それ以上は、どうしますか?」「お任せします。」すると、ばっさ!ばっさ!気持ちのいいほど髪の毛が散っていく!「自分を許していいんだよ。」涙が、ぽろり。(あ~これで、姉に対する気持ち。姉を許せない気持ちが、溶けていく~。)そう分かった。心も頭も春風のように軽~くなって行った。それは、表情にも表れていったみたいで、そこに居た友達も驚いていた。ここでしか、こんなに短く髪を切れなかったと思う。そして、今まで以上に明るく、軽くなって動く!そう心に決めた。
2006年04月26日
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今日は、嬉しいことがあった!まず、Yahooのオークションで買った版画がやって来た。何気なく、オークションを開いて何気なく、絵画の所へ進んで見るとラッセンなど結構安くて出ている。安いといっても、正常の値段と比べてという意味なんだけれど。だって、ラッセンは100万ぐらいはするから・・・・。そこで、何気なく目に飛び込んできたのが「からすと・・・」(正式な画名は、覚えてない)の版画だった。オレンジ色の夕日。畑に4羽のカラス。カラスは目の表情がすご~くいい!!夕日とカラスは、どちらも大好きだ。買うつもりはなかったけれど、オークションの画面を毎日見ているとその絵のカラス達が私のところへが来たがっているような。そんな気分になってきた。オークションの終了時は、関東方面へ出かけているので、画面とにらめっこな~んてことは出来ない。「ま~っ、これぐらいまでなら払ってもいいか!!」と思う金額を提示して旅に出た。帰って、すぐにpcを開くとな~んと私が最高額。そんな訳で、カラス達は家にやって来てくれた。今日からまた、大好きな絵が一つ増え、それを眺める楽しみも増えた。そう思うだけで、とってもうれしい。(絵は、写真日記チェレステに載せています。)
2006年04月21日
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去年の3月にバイクで転倒してから、時々頭痛がするようになった。それまでは、頭が痛いなんてことはほとんどなかった。たまに歯が痛くなってその影響で、頭痛が起きることがあるくらいだった。先日母が、リハビリのために転院した新しい病院へ行ったとき頭が痛くて痛くて家に帰ってからもずーっと続き、痛み止めにワインを飲むほどだった。これは、母に対するわだかまりから来たのだろうか?母に対する確執は、ほぼ100%解決できてきたと思っていたのだが・・・・・。先日いただいた「斉藤一人」さんのカセットを自宅に戻って聞いていると「頭と言うのは目の上にある。頭が痛くなるのは、目上の人に対する許せない思いがある。」というくだりがあった。それを聞いて、あの時の頭痛は姉に対する思いだとす~っと分かった。これは、姉に対する私の気持ちが、まだまだ充分に許せる位置には行っていないということだ。姉達は、母が転院することを私から見るととても急いでいるように思えた。私は、母の願いどおりの病院に例え少し待ち時間があったとしても行かせてあげたいな~と思っていた。その思いが遂げられずに入った病院の病室や看護士さんたちの態度をみてこんな所へ身の回りのことが出来るようになるまで、1ヶ月以上も生活していくんだと思うだけで、母のことが可愛そうに思えた。その時私の表面に意識は、浮かんでこなかったけれど姉に対する怒りの気持ち・許せないと言う思いが、頭痛と言う形で私の体に現れてきたのだと思った。それが分かり、何だかすーっとした。不思議だけれど、これで姉に対する気持ちが軽くなったように思えた。こんな風に気づくだけで、自分の気持ちの切り替えができるんだ。ほんとに、気づくって何よりも大切なキー・ポイントだ。自分の周りで起こるどんな出来事も学びの教材!!
2006年04月19日
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今年になって、「東京へ。東京へ。」と妙に心へ浮かんできていた。でも、東京へ行く用事もないし、行きたいところもない。何故だろう??行きたい所がない?いいや~そんなことはない。私には、分かっていた。でも、その為にだけで東京へ行くのはちょっと贅沢なような気がして実行出来ないんだと。オステオパシーをY先生にしてもらいたい!!ほぼ一年ぶり。やっぱり先生は進歩していた!!会うなりいきなり「魂が、来たがっていた。来なければ、4~5日後に何かが起こる状況だった。」「魂に傷がある。」「その傷は、21歳から出来た。36歳まで裂けた。」「自分から傷を作る人もいるし、何気ない言葉や出来事で気づかないうちにできること もある。」「出来た原因をどうこうする時間もないし、突き止めてもしかたない。」魂に傷のある、私は地球としっかりと繋がるグランディングが出来ていなくて第一チャクラが、機能していないそうだ。だから、生きていくのが嫌になったり孤独感があるみたいだ。第一チャクラがしっかりしていない人は、この地球で生きていくのが難しいそうだ。そして、その裂け目へ他人が入り込むそうだ。なんと、自殺をするほとんどの人には、魂の傷があるそうだ!毎朝、グランディングしたり白いまゆなどで自分を守っていたけれど、そういう問題ではないそうだ。とにかく魂の裂け目・傷を繕ってもらった。そして第一チャクラが機能するようにしてもらった。グランディングの感覚も教えてもらった。5~14日後には、もっとしっかりしてくるそうだ!!6月に東京へ行く予定にしている私は、6月の予定を先生に聞いた。すると「6月は、未来だし先すぎるので予定が立たない。5月10日以降に聞いてください。」と・・・。以前は、そんなこと言わなかった。先生は、進化してる~!!私は、6月に絶対!また来る!!そう焦点を当てる。どうなるか楽しみだ。
2006年04月16日
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次は、私のH・P。急に、最初のページが嫌いになった。とにかく嫌いだ!嫌だ!何故だか、突然そんな思いがむくむくと沸いてくる。水色がイヤ。白い画面がイヤ。目次がイヤ。いや、イヤ、ホントに何だか急に全部が嫌になってしまった。こんな風に思ったのは、ほんとに初めて。どうして、こんな気持ちになるの~?状態。h・pを作ってもらっているMさんともなかなか会えず、話もできず・・・。そんな環境がこんな気持ちを作り出したのか~??とにかく他の気に入ったページと比較してしまう。すると、どこらともなく、そう思うしかないようなタイミングで、全く知らないH・Pの製作会社から 電話があった。なんだ~!!これって!!今のH・Pのことを不満に思ったからっこうなったのかなぁ?(こうやって自分の気持ちが、引き寄せているんだ~!!)とにかく担当者と会うことにした。担当者からは、具体的な提示は、全くなかった。とにかくお話しただけ。でも、若い担当者の仕事に対する考え方は、そのときの私には、とても大きなヒントになった。人ってコミュニケーションが、ほんとに大事だ。何気ない会話の中からも答えは、やってくるのだから・・・・。すると、私のH・Pを作ってもらっているMさんとも話す機会があり、なんとなくたまっていたお互いのもやもやもすっきりすることが出来た。そして、今は、どうして今の自分のページがあんなに嫌だったのか?分からない。結構いいじゃ~ん。と素直に思っている。不思議?!
2006年04月10日
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物事は、やって来るんじゃない。引き寄せているんだ。誰が?もちろんそれは、私が。なぜなら、この人生の主人公は、私。私以外の誰でもないのだから・・・・。思考が現実化、実現化する。そんなことは、知っていたし分かっていた。どこが??どんな風に??そう分かっていたのは、私にの頭だった。分かったのは、本を読んだり、ワークに参加して話を聞いた時に「ふ~ん、そうか!そうなのか!!」と肯いたときだった。なんとそれが、最近わしの前に現実としてやって来た!驚き!まさに、そうなるしそうなんだ!!またまた驚き!まず、最初の出来事。私は、i社にだけに営業広告を出している。3月が更新。その時電話で、担当者から更新するかどうかの問い合わせがあったのは確か2月の初めだった。もちろんその時は、更新するつもりだった。だから、快く更新をお願いした。それから、しばらくして2月24日までに振込みを依頼する請求書がやって来た。その時、ちょっといや~な気持ちがした。だって、今までの担当者は、更新のときには、 必ず訪問をしてくれた。その、気持ちは、ず~っと引っ掛かった。今までなら、きっと請求書が来たらすぐに期限内に振り込んでいたと思う。でも、その引っ掛かりが気になり、すぐには振り込むことが出来なかった。すると、いよいよ明日が振り込み期限と言う日に、今まで考えたことのないような所からネットの広告を!と言う電話がやって来た。何だこれは?(その時は、どうしてこうなるのか、全く分からなかった)「今回は、i社に広告を出すので、お宅とはする気が全くありません。来年の参考としてなら資料を見たいと思います。ポストに入れといて下さい。」とつれない返事。だってそんな気が、今はないのに。自分の気持ちを正直に伝えるのが 大切(何より自分に対して)だと思うから・・・。ところが、そこの担当者はやって来た。新規開拓と言うこともあるかもしれない。でも、その熱意が心を動かす。私は、i社から新しいところへ広告を移した。全くの予断なんだけれど、その時彼が履いていた靴が気に入ったことも大きな原因だった。しかし、これは私が、i社に対して「いや~」な気持ちを持ったことが引き寄せた現実なんだと思う。
2006年04月09日
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