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四国は高知、四万十川に行って参りました。天然のうなぎを食べたい! という気持ちもさることながら、高知へ農業研修に行っている友人に逢うという名目もあり、お盆をはずしたこの時期に出かけてきたのです。ゆったりと温泉に浸かり、おいしいものを頂き、まさに命の洗濯という気分でした。二日目は、朝から四万十川を上流に向かってドライブ。今や全国各地にある「道の駅」や四万十川で行われているカヌーなどの教室やツアーを眺めながら、のんびりと移動してきました。東京で暮らしていると、自分でも意識しないうちに、気を張っていたのだなあということ、こういう壮大で雄大で、手付かずの部分の多い自然の中で過ごしたことで改めて実感しました。また道の駅をいくつか眺め、地産地消の動きがかなり進んでいること、エコへの意識も高まっていることを肌で感じました。台風や豪雨などの激しさが増す昨今、また猟師や農家の方たちは地球の変化をそれこそ自分の問題として捉えていらっしゃるのでしょう。それにしても、このゆたかさ、素敵です。お金がなくたって、風や雨にやられたって、たくましく生きていることの素晴らしさは、東京ではあまり感じられない感動でした。もう少し年齢を積んだら・・・いやいや年をとったら都会の方が・・・など、ぼんやりと自分の将来のことなども考えたりして。旅に出かける直前、4匹いる我が家の猫のうちの一匹が、三日ほど帰ってこないので、心配になり、表に出て名を呼んでいたら、ご近所の方が外猫として可愛がっている顔見知りの猫にあい、「らんまる(内の子の名)知らない?」と尋ねたら、ニャーと一声、そしてとことこ歩き出したので、後をついて行きましたら、その子がぴたった立ち止まり、そこでまた私に向かってニャーとないたので、その場所付近を見回したところ、鉄製のアパートの外階段の下、何かがビニールシートに包まれている、その下から、らんまるが顔を出していました。その数日前にどこかの猫と喧嘩して、目をやられていたので、一日三回目薬をしていたことがイヤで家出していたのかと思いきや、この夏前から近所のマンションや隣家の立替やらで、ストレスも溜まっていたのでしょう。かなり衰弱していて、抱いて家まで連れて帰ろうとしても、腕の中でイヤだ、あそこにいたいという動きをするのです。何度も猫を飼ってきて、死に際も見てきたので、それが彼の本能的な動きであると分かり、これは大変と病院へ連れて行ったら、即入院。でも旅は決まっていたので、返るまで預かっていただくことになったのでした。昨日、帰ってきて、詳しい病状を聞きましたところ、心臓肥大が進んでいて、普通の猫の4倍近くになっていて、その検査をした医師(この方はらんまる自体を診ていない)の言葉ではこの心臓ではあと一週間もたないとおっしゃったそうです。ところがかかりつけのお医者様の見立てとしては「この子は食欲もあるし、まだ退院しても大丈夫」とのこと。でもそれは大変珍しいことなので、もし万一(というか、遅かれ早かれ死ぬであろうと言う想定の元)のことがあったら、検体に出していただけますか?と尋ねられ、絶句してしまいました。これまでは築60年の日本家屋である我が家で、自由に出入りしてきた猫ですが、もはやそれも無理と言うことで、昨日から私の事務所のほうで、面倒を見ることになりました。今は、私の横で、すっかり安心した顔で眠っています。この子が、あとわずかで死んでしまうなどとは到底思えません。でもいろいろ考えた末、もし万一のことがあったら、検体に出そうと思いました。その結果が、今後の動物医療に生かしていただけるなら、らんまるも納得するだろうと。というわけで、帰京したとたんのバタバタ。のんびり過ごした四万十川が遠い過去の陽に感じています。高知の後、愛媛へ行き、松山にある「伊丹十三記念館」を訪ね、いろいろ思うこともあったのですが、そのことは次回にして、まずは近況のご報告でした。
2008年08月27日
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先日、ポルトガル料理店でファドのライブを聴きに行って参りました。歌っていらっしゃったのは、月田秀子さんという日本のファド歌手の第一人者。ポルトガルの第一人者のお墨付きと言う方で、心と言うか、もっと深い魂にいきなり訴えかけてくるような重みのある歌でした。ファドとは英語で言うところのFATEつまり宿命と言うような意味なのだそうです。 ポルトガルの演歌とでもいうべきファドの世界に、なぜ日本人の女性が惹き込まれて行ったのか、これもまた縁と言うか運命みたいなものなのかもしれません。考えてみれば私だって西洋占星術にハマってしまったのは、なぜだろうと考えると、とても不思議な気がします。ともあれ3ライブすべて聞いてから家路についたのですが、ファドが頭から離れず、地元の歌えるスナックで、ファドに近い歌を歌いたい! なんて思い、ちあきなおみさんの歌を端から歌っちゃいました。声質といい、月田さんのお声はちょっとちあきなおみさんに近いような気がしたのです。またちあきさんの生き方伴侶をなくして以来まったくメディアから離れているという生き方にもファド的なものを感じたのかもしれません。その翌日、友人にこの話しをしたところ、「ちあきなおみさんにもファドを歌ったCDがあるよ」と持ってきてくれ、聴いてみたら、本当にファドでした。人間誰しも、自分の中に咀嚼しきれない、納得しきれない不条理やモヤモヤを抱えているもの。ファドはそんな、思いを歌にしたもののように思えました。もう一つお知らせ。私の弟が、マーチャンダイズグッズのウェブ販売を始めました。今のところギネスやコロナなど大手ビールメーカーのロゴが入ったマーチャンダイズグッズばかりですが、ゆくゆくはさまざまなブランドのロゴ入りグッズ(海外ではかなりの企業がさまざまなロゴ入りグッズを売っているとか)が買えるるようにしたいとか。また、日本の酒蔵さんなどのロゴグッズを海外に紹介するということも考えているそうです。ぜひ以下にアクセスしてみてください。http://beerman.pn.shopserve.jp/
2008年08月07日
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毎週火曜日の夜、なぜか「ガイアの夜明け」と「ビジネスサテライト」を続けてみることが多くなりました。昨夜の「ガイア」は、家庭や商店から出る廃油を回収して、燃料化する事業が始まっていることと、愛媛のみかん農家の窮状を救うべく、これまでは飼料にしか出来ず、赤字続きだったジュース用につぶされた後の残りかすを、バイオプラスティック化する事業を紹介していて、ちょっと希望を感じたりしました。廃油のほうは沖縄で始まっているそうですが、もしも都心にもそういう流れが出来たら、以前繁華街や住宅街を回っていた、不用品回収業者のような人たちが、廃油を回収して回り、それが燃料になり、みかん農家で使う燃料を安くし、しかもジュース用に絞られた残りかすが、ほとんど木材と見まごうほどの板になり、雨ざらしにしても木材より持ちが良くてしかも安い住宅のウッドデッキ用の材料として再利用される・・・なんてすてきなリサイクルだなあ・・・と思ったわけです。江戸の町はかつて、世界でも類を見ないリサイクル都市だったとか。なんと、床に落ちている髪の毛まで集める人がいて、再利用していたそうですが、こうして多くのものが形や用途を変えて何度も使われるようになることって、素晴らしいことだと思いませんか?私などお弁当を買うたびに割り箸をつけてもらうのが申し訳ないと思いつつ、マイ箸を持ち歩くことがまだできずにいるのに、自分のもっている知識や技術を使って、リサイクルの可能性にチャレンジしている人たちの存在に、頭が下がりました。でもその後のビジネスサテライトでは、相変わらず、原油高騰による株価の下落が伝えられ、アメリカ経済の不安がそのままこの減少に繋がっているということをグラフで見せられたりして、暗澹たる気持ちになったり。この二つの番組が続けてあることに、何か意味があるような、ちょっと考えさせられるような気がしているのは、私だけじゃないと思いました。
2008年07月16日
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今、発売されている占い専門誌MISTYで、7人の女神の心理的元型を用いた企画を展開してます。1984年に発行され、アメリカでは大ヒットを放った「女はみんな女神」と言う本を下敷きにして、アテナやアルテミス、ヘラやデメテル、ペルセフォネやアフロディーテという7人の女神の持つ特質を、読者の方それぞれが今、望んでいるものを手に入れるために、自分の中で活性化していこう! と言うようなないようです。たとえば、大好きなあの人を虜にしたい! 時にはアフロディーテを自分の中で活性化すればいいし、仕事で戦略的に動き、成功を収めたい! 時にはアテナ、そして他のことに気をとられず、目標に向かって一直線に集中したいときは、アルテミスというように、それぞれの神話を入れながら、1女神ずつ1ページで展開しています。ご興味のある方はぜひご覧になってください。一人の人間の中にも、さまざまな欲望や要素が複雑に絡み合っているもの。自分を知るためにも、またまだ活性化されていない部分を引き伸ばすためにも、ぜひ読んでみてほしいと思います。
2008年06月27日
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最近とっても気に入っていて、しかも親しくさせていただいているブティックSAAYAにて、先日不思議な出会いがありました。確か先週の火曜日、sAAYAのお客様にチャート鑑定をさせていただくためにお店を訪れたときのこと、以前からSAAYAのサイトをご覧になっていてオーナーの加納さえこさんのブログ「beautiful life」もよくご覧になっていらっしゃるというお客様が、始めて来訪されたのですが、SAAYAにおいてくださっている拙著「火星占い」を見つけられて、大変驚かれたとの事。彼女も占星術に大変興味を持っていらっしゃり、ご自身でもチャートをおつくりになるらしいのですが、本屋で私の本を見たときに、「ようやく日本でも一つの天体で一冊の本が出るようになったのだ」と感慨深く思ってらっしゃったところ、SAAYAにそれがあるので驚いた上、それを書いた本人が、店にいたのでさらに驚いてらっしゃいました。もっとゆっくりお話したかったのですが、私も鑑定があり、名刺も持っていなかったので、ご挨拶さえ出来ませんでした。もしもこれを読んでくださっていたら、私書箱にご一報いただけますか?お待ちしてます。
2008年06月18日
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食糧が急騰しています。バターやマヨネーズから醤油、インスタントラーメンまで、ものすごい勢いで値上がりしています。これは原油が高騰しているからだとか。サブプライム問題以降、投資家たちがオイルマネーに群がっているのだそうです。しかもブッシュ政権の石油に変わる代替エネルギーとしてコーンなどの穀物をエネルギー用に使用するため、本来牛や豚の飼料となったり、穀物を主食としている国への食糧として回らなくなっていることも原因とか。これを神話的に紐解くなら、穀物の女神と言えばデメテル。この女神は慈悲深く寛大ですが、一度だけ娘コレーが冥界の追うハデスに誘拐された時には、怒り、地上を不毛にし、飢饉を招き、食糧を根絶やしにしたことがあります。一方オイルマネーと言えば、私が想起するのは冥界の王ハデスです。占星術的には石油は海王星の範疇でポセイドンの支配下にあると見る筋もありますが、マネーとなればこれはもうハデスに関ることのように思えます。そしてデメテルとハデス双方が登場する神話と言えば、ハデスによるデメテルの娘の誘拐事件の顛末でしょう。本来食糧となるものを石油の代替エネルギーとして用いるなんて、言語道断、と、デメテルなら思うはず。これはまさに娘コレーの誘拐に等しい出来事かもしれません。オイルマネーで大もうけしている投資家たちは、みんなプチ・ハデスみたいなものでしょう。そうして食糧問題に心を痛めているのは、一般の主婦や国連の食糧機構や赤十字の人々であり、彼らはプチ・デメテルに見えてきます。つまるところこれって、ハデスとデメテルの闘いを、人間たちが代理戦争しているみたいに見えます。地上の実りを保障する女神デメテルは、ないがしろにされれば怒り、大地を不毛にします。数々の飢饉や災害を起こすわけです。話は転じますが、つい最近、アポロが月に着陸して以来、研究が進み、月の軌道がネンに2センチずつ地球から遠ざかっているとか。神話上では月の女神はセレネとかアルテミスとかヘカテなどと呼ばれますが、やはり地上の動植物の生育に深く関与していることは、月の満ち欠けが自然界に与える影響を見れば、あながち神話だけの話ではないことが分かるでしょう。その月が年に2センチずつ地球から離れているということは、女神デメテルの管轄である大地にも確実に影響を与えているはず。森林伐採や砂漠化が進むことで、ますますデメテルの怒りは猛々しくなっていくことでしょう。高笑いしているのは冥界の王ハデスと彼の信奉者であるオイルマネーに群がる投資家たち・・・。いったい地球はどこへ向かっているのでしょうか。みなさんはどう思われますか?
2008年06月05日
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かなり久々にブログ更新です。ここのところ、バタバタと忙しく、ブログにまで手が回りませんでした。ところでここ2年ほど一生懸命伸ばして、かなり長くなっていた髪をばっさりベリーショートにしました。短くなったら、頭が軽い! 髪の毛って意外と重たいものなのですね。しかも日々の手入れが超ラク!シャンプーもコンディショナーも1プッシュで十分だし。気分も軽くなり、フットワークよろしくあちこち飛び回っていたら、ブログの更新をすっかりご無沙汰してしまいました。昔よく一緒に仕事をしていたイラストレーターさんに再会できたり、新しく魅力的な人たちに引き合わせていただいたり、何だかハッピーな気分です。髪は女の命だとかいうけれど、私にとってむしろ髪は未練や後悔を引きずるものだったのかも。周囲の評判も上々なので、これからはもう「占い師っぽく」なんて考えて髪を伸ばすのはやめました。短髪で風を切って闊歩します。ブログももう少しマメに書きますので、みなさま見捨てないでくださいませ・・!
2008年05月29日
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ここ数年、若いアーティストによる「サクラ」と言うタイトルの歌が激増してますよね。私もカラオケでコブクロの「桜」など良く歌っています。いい歌ですよね。でもなぜ今になって桜? もしかすると現れては消え現れては消えてしまうポップスや歌謡曲の世界で、「桜」のように毎年咲くものを題材にすれば、必ず毎春、チャートに載るかもと言う期待もあるのかもしれません。とはいえ花見のシーズンの皆様の乱痴気騒ぎ振りは毎回ニュースになりますが、そのけたたましさとはウラハラに、歌の方の「桜」は、どこか切なく胸をつかれるような内容であるのが面白いなあと思いました。きっとハラハラ散り行く桜に、無常観や潔さや清らかさを感じるのかもしれません。私などより年配の方たちにとっては「桜」と言えば「同期の桜」など戦争に出かけていく若者たちの末期を思う方も多いでしょう。つい最近、アメリカの日本マニアの女子大生が「日本に行って桜を見たら死んでもいい」と言い残して来日、行方不明になっているとか。彼女は梶井基三郎の「桜の樹の下には屍がたくさんある」という言葉に惹かれていたそうです。実は私にとっても桜のシーズンは、物悲しいものでした。というのも父親ががんの宣告を受け、その年の一月に余命三ヶ月と言われ、末期は自宅でと思って、御茶ノ水の病院から荻窪の自宅まで彼を移送した時が、まさに千鳥が淵や市谷の桜が満開の頃で、父を乗せたクルマの後を自分の車でついて走ったとき、あまりの美しさと、あまりの悲しさで涙を流しながら運転した思い出があるからです。あれから15年近く経って、ようやく桜の季節を楽しめるようになって来ました。そうなって思い出すのは、20代の頃、さかんに聴いていた桜の舞い散るシーンの描写がとても美しい詞をもつ歌です。南佳孝さんの「セブンス・アベニュー・サウス」というアルバムに収められている「口笛を吹く女」と言うタイトルの曲。かつては愛し合ったであろうカップルが男の裏切りから散々傷つけあった後に、ある種諦めの境地なのか、車を走らせ、狂い咲きの桜の樹の下に車を止める。松本隆さんによるその詞の一節は、 桜の樹の下に、車を停めれば 調子はずれ、君は下手な口笛を吹く 瞳を覗き込めば、空ろな部屋が見える。 積み木が一つ一つ崩れていくよ。 痛みがあまり強いと 何も感じなくなる そして平和な顔で花は散るよ。 狂い咲きの桜が風に散り急ぐ フロントグラス埋める花で 何も見えない・・と言う感じの歌詞だったと思うのですが、恋人に対して怒る気持ちも憎む気持ちもなくした女性が、下手な口笛を吹く。その気持ちがとてもよくわかって、ひんぱんに聴いていました。もし興味を持ったら、ぜひ聴いてみてください。
2008年04月17日
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最近、面白い女性に出会いました。彼女は夫の赴任地であるトルコで三年過ごした人。今は日本に帰ってきて、たった一人で「地中海の薔薇水」を売っています。この「地中海の薔薇水」は、彼女がトルコの製造所まででかけ、現場でのコミュニケーションを綿密に行い、本当に純粋な薔薇水を輸入しているのです。薔薇水(ローズウォーター)はさまざまなところで売られていますが、内容には大きな違いがあるそうです。製造法は、昔から変わらず、大量の薔薇をまず蒸して、蒸留水を集める。次にそれを冷却すると、精油と蒸留水とに分離される。その蒸留水が、本当に純粋な薔薇水なのですが、多くのメーカーはこれに水などを足して何倍かに希釈しているところを、彼女は「何も足さずに」売っているのです。しかもそのお値段が3800円とかなり安い。これで採算が取れるの?と尋ねたら、今のところは赤字だそうで・・「それでも私はこれを売る使命を感じている」という彼女。なぜなら彼女自身、この薔薇水によって長年悩まされていたひどいアトピーがすっかり治ったのだそうです。それで私も最近これを使い始めていますが、洗顔後に、この薔薇水をたっぷり顔に振り掛けただけで寝ても、翌朝、肌に潤いがある。純粋なものだから、飲んでも大丈夫。お酒などにちょこっとたらして薔薇の香りのするカクテルも作れるのだそうです。現在彼女は、東急ハンズをはじめとする都内の各所で実演販売をして回っています。どこかでこの薔薇水に出会ったら、まず試してみてください。彼女の心意気も伝わってくると思います。がんばっている人を見ると、応援したくなるのが人の情というもの。この薔薇水がアトピーや皮膚炎に悩む人たちの一助になったら、素敵なことですよね。そういえばこの前テレビの「ガリベン」で江戸時代の勉強成果を競っているのを見ていたときに、江戸時代の女性たちも野ばらの蒸留水を化粧水として使うと、肌に良く、化粧のノリがいいことを知っていて、使っていたとか。薔薇は占星術では天秤座や金星、アフロディーテのシンボルとなっています。つまり美と愛と調和をもたらす花。ぜひ「地中海の薔薇水」、見つけて使ってみてください。
2008年03月26日
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前回に引き続き、「火星」の本について書きます。小倉ゆきこさんとともに12の星座の火星それぞれに対する綿密なセッションを行い、この本を書いたわけですが、実はページ数の関係で、前書きのほとんどと一章分の原稿を削除せざるを得なくなりました。本当は冒頭にもう一章「すでに亡くなっている著名人の人生を手繰り、その人の火星がどのように働いて、彼らの人生を衝き動かしたか」を書いたのです。このブログでその部分をご紹介したいなと思いつつも、あまりに分量が多いのでまずは、おおかた削除された「火星」が物語るものについての文章を、今回ご紹介します。これを読んで興味や関心をもたれたら、ぜひ本のほうも手に取っていただけたらと思います。 この本は、占星術では「闘いの星」と呼ばれている火星をクローズアップした本です。なぜ、私たちが火星に着目したかについてはワケがあります。西洋占星術では、あなたが生まれた瞬間の太陽以下冥王星まで、最近ではカイロンも入れて合計11個の天体の配置で、あなたの人生の可能性を探ってきますが、これをホロスコープと呼んでいます。そしてそれぞれの惑星は、ギリシャやローマ神話の神々の性質がシンボライズされていると考えられています。たとえば太陽は太陽神アポロンの象徴で、ホロスコープ上の太陽が位置する星座はその人の人生に対する理想的なあり方を示していると考えられています。たとえば牡羊座に太陽を持つあなた(いわゆる牡羊座生まれ)なら、得がたい宝を求めて冒険をするヒーローでありたいと思うでしょうし、蟹座に太陽を持つあなたなら、心の通じ合う家族や仲間との暖かい交流に満ちた人生を望むと考えられるわけです。 けれど人生は、その人の太陽が思い描く理想どおりには進みません。むしろ想定外のことが起きたり、自分自身、ふいに衝動的な行動をして、太陽の望む生き方とは異なる方向へ向かってしまうこともしばしばあるでしょう。つまり心が望むあり方と、実際の行動力との間に開きがあったりするのです。そして占星術においてその行動力をつかさどっていると考えられているのが、火星なのです。●あなたの中のケモノの部分を表す火星 火星は、あなたの中のケモノの部分を色濃く表現しています。生物としての生存欲求の強さやサバイバル本能を表すのです。ギリシャ神話で火星の象徴と言われているのは、アレス。この神様ははっきり言って、嫌われ者でした。なぜなら彼は自分にとって都合の悪いものや邪魔な相手はことごとく問答無用で切り捨てたからです。神話に登場する神々は、そのままあなたの心の中のさまざまな性質を表すと考えるのが、心理占星術と呼ばれる分野の一般的な方法ですが、あなたの中の火星をギリシャ神話時代のアレスと重ね合わせるなら、決して望ましい存在ではないといえるかもしれません。事実西洋占星術に於ける火星はどちらかというと凶星扱いされてきましたし、あまり深く突っ込んだ解釈をなされてきませんでした。雑誌などでは「火星で見るあなたのセックス」などというテーマで展開することはありましたが、生存欲求のシンボル=性的衝動と考えるような底の浅いものばかりでした。愛の女神で占星術では金星の神様であるアフロディーテと浮気して、その情事がアフロディーテの夫ヘーパイストスによって、神々の前にさらけ出され、嘲笑の的となったアレス。占星術をよくご存知の方なら、お分かりでしょうが、金星と火星を表す記号は、それぞれメス・オスを表すマークなのです。そのため占星術での火星は、女性のチャート上での「好みの男性」として解釈するだけにとどまることも多いようです。本書ではそれを男女に関わらず、その人の中にある男性的な性質としてみることで、あなたが異性や同性に心理的な投影をする対象と解釈し、あなたの中の火星を、恋愛や人間関係における実現力に変える方法を探っています。 ●火星の力を夢の実現力に変えるには? けれどこの本で私たちが伝えたいのは、単に恋愛や人間関係を見るだけではなく、火星があなたの中のサバイバル本能、ケモノの部分、隠し持ったナイフであることを直視し、上手に扱うこと、表現することで、いかにして夢や願いを叶える「実現力」に変えられるかを探ることです。なぜならば、何もかもが便利になった今の時代には、健全にこの火星の力を表現できる場所があまりに少なく、そのため「キレたり」「オチたり」「諦めたり」する人々が続出していることに強い危惧を感じたからです。 著者である中谷も、つい最近まで自分の中の火星の力をほとんど感じることもなく、だからこそ積極的に表現する術を知りませんでした。自分の中の火星を実感したのは、ここ数年、縁あって女子プロレスラーの人たちと知り合い、彼女たちの試合を観戦するようになったからなのです。中谷の火星は、魚座にあります。そのせいか戦うことは大嫌いだし、ましてや女性同士が取っ組み合いをするのなど見たくもないなどと当初は思っていた。ところが何度か観戦すうるちに、いつしか素晴らしい技が決まった時など、腕を振り上げ「ヨシ!」なんていっている自分に気づいたのです。この興奮する感じ、何かが開放される感覚を味わうと結構すっきりしたりする。 と同時に考えたのは、今、男女に関わらずK1やプライドといった格闘技系のスポーツに熱中する人が多いのは、誰もが無意識のうちに自分の中の火星を擬似体験する場所を求めているからなのかもしれないということでした。 時代がギリシャからローマに移り、アレスがマルスと呼ばれるようになった頃、火星の神様は粗暴な嫌われ者ではなく、むしろ勇気ある闘いと豊穣の神として敬われるようになっていました。そしてローマ時代、コロシアムでは人間同士の生々しい戦いが喝采を浴びていたことは、皆さんもご存知の通りでしょう。つまりローマの人々は、自分の中のケモノの部分を、生身の他人の闘いを通じて疑似体験することで自分の中の攻撃性に折り合いをつけていたのかもしれません。時は過ぎ、現代では子どもたちがテレビ画面でファイティングゲームに興じていますが、これもまた一種火星の疑似体験と言えるでしょう。けれど、残念ながらゲームの中の戦いに負けても、リセットすれば蘇る。むしろ簡単に人を殺すきっかけにこそなれ、自分の中の火星の力をうまくコントロールすることにはなっていないのが現状です。 生き延びるために必要なさまざまな脅威が克服されつつある現代社会では、火星の出る幕はあまりありません。ホロスコープ上の11個の天体の中で、火星だけが出番の少ない役者ということになってしまっています。現代、合法的に見る火星の姿は、F1レースやトライアスロン、火事現場に向かう消防士や手術にあたる外科医など、思いつく限りでも、その数は激減しています。共著の小倉ゆきこの火星は山羊座にありますが、彼女の記憶の中で火星を実感したのは、台風が来た時、雨戸を閉めて、その雨戸が風で飛ばないように板を打ち付けたり、急な停電に備えてローソクとオニギリを用意した時のことでした。あのドキドキハラハラ感が今も忘れられない。子供心に危険に立ち向かうスリルにたまらなく興奮したといいます。そんな時代も今は昔。今になって、昭和レトロのインテリアや食べ物が流行するのは、人々があの時代にはまだまだ生き生きしていた火星の力をイメージできるからかもしれません。 ●現代だからこそ自分の火星と向き合い、力に変えられる! とはいえ、こういう時代になったからと言ってあなたの中の火星の力が無くなってしまったわけではないのです。むしろ無理やり家に閉じ込められた子供が欲求不満で暴れだすように、出番の少ない火星は陰湿なやり方で、私達を内面から脅かします。自分より弱い者や、力を持たない少数派をいじめることで、自分の強さを確かめようとする人も多くなりました。暴力を振るう人が、必ず自分より弱い者にその鉾先を向けるのは悲しいことです。 会社で上司に怒鳴られた夫は、飲み屋で「オレの人生こんなもんじゃない。」とクダを巻き、家に帰って妻を殴る。殴られた妻は子供を叩く。叩かれて育った子供は学校で自分より弱い子を攻撃します。火星の持つ攻撃本能は歪んだ形で、その姿を現そうとするのです。けれどこれはフェアな火星のチャレンジ精神に反するでしょう。 病気、天災、人災、全ての危険を排除しようとした結果、危険や怒り、攻撃性に対する免疫力が極端に弱まり、チャレンジと暴力・無謀の区別がよくわからない人もたくさんいるようです。野犬に追いかけられて必死で逃げて帰ったことのない子供や、西部劇ごっこ、忍者ごっこで骨折したり、針で縫うほどのけがをしたことのない子供は、自分のなかの攻撃本能と出合ったときに、いきなり金属バットを振り上げたりするわけです。 子供ばかりではありません。家のローンをいつまで払い続けられるのかという経済不安を抱えて生きる主婦は、いつか家を失うのではという恐怖心をホームレスの人たちに重ね合わせ、彼らを公園からしめ出すことで、自分の不満、不安をシャットアウトしようとします。チャレンジも失敗も許されず、怒りのはけ口が見つからない10代は、攻撃性を自分に向けてリストカットに及びます。 衣食住それなりに事足りてはいるけれど、生きている実感が湧かない。張り合いが見つからない。熱い情熱を注ぐものが見つからない。現状に不満だが変わるのがコワイ。多忙な毎日が飛ぶように過ぎていくが、心はどこか虚ろだ・・・。という人々はますます増えつつあるでしょう。 ギリシャ神話では、人間が他の生物にはない理性や知性を身に着けられたのは、プロメテウスという神が神々だけに使用を許されていた火を盗み出し、人類に与えたからだということになっています。プロメテウスはその罪を問われ、岩山にくくりつけられて、ハゲタカにくいちぎられるという罰を与えられたのです。火はもちろん叡智の象徴ですから、人間は、プロメテウスの犠牲によって限りある生を生きる生物であると同時に、神の持つ叡智も手に入れたのです。以来、確かに人間は原子力やインターネットを生み出す知恵を手に入れましたが、作り出したものを完全に上手く使いこなしているといえるでしょうか。原子力を武器として戦争に使用することを考えたり、インターネットの匿名性を利用して特定の他者を誹謗中傷したりするのは、人間の中の神性ではなく、ケモノとしての獣性がさせているともいえるでしょう。占星術で言えば太陽がもたらす意志や理想に反して、抑圧された火星が暴れだしている。そんな気がしてなりません。だから私たちはあえて火星について書きたいと考えたのです。 本来あなたのホロスコープ上の火星が意味するチャレンジ精神は人を打ち負かすことを示唆するものではありません。自分の目標とするものに全力投球で向かっていって、たとえ失敗してもよく頑張ったと実感できる、誰よりも自分自身が納得できるパワーを表すことが、現代社会には何より必要なことでしょう。納得できない人生ほど辛いものはありません。本書がそんな気持ちを抱えて日々をやり過ごす人々にとって、夢や目標を実現しようという勇気を持つきっかけとなるなら、とても嬉しいと思います。
2008年03月20日
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昨年、2007年4月に、私は「夢の実現・幸せな生き方を作る「火星」占い」という本を出版しました。その前の一年間、当時大阪で体験的占星術という分野を取り入れて教室を開催していらっしゃった、小倉ゆきこさんの教室に毎月通って、自分のバースチャートに散らばるそれぞれの天体のイメージを、体験的に実感していくことで、占星術の持つ豊かなイメージの拡がりを肌で感じていました。一方、数年前から、縁あって女子プロレスを観戦するようになっていた私。当初は、女同士が戦いあう姿なんて・・・と思っていたのですが、回を重ねるうちに、その面白さがわかってくるようになりました。ある意味興行ですから、シナリオを感じさせる部分がないわけでもない。けれどその合間合間に本気が見えたときに、妙に興奮している自分に気づいたりしました。対戦相手に押さえ込まれ、ギリギリ3カウントで肩を上げる選手の姿に、「よし!」なんて叫んでいる自分に、自分の中の闘争心や攻撃力を見つけたというか。それはまさに、私の中にある「火星」の力を実感させてくれたのです。占星術をご存じない方からはよく「火星」占いって、細木さんの六星占術の火星人とかというのとは違うんですか? という素朴な質問を受けたりするのですが、それも無理はない。というのも私たちが雑誌などで目にする「星占い」は、誕生日から○○座生まれという判断をして展開しているものですか、あたかも占星術では人を12タイプに分けて判断しているかのような印象をお持ちの方も多いと思うのです。けれど本来の占星術はそんなに単純なものではなく、ある人が誕生した瞬間、宇宙空間に散らばる太陽・月・水星・金星・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星の配置図から、その人の生まれ持った性格や運勢を読み解いていくものなのです。けれどこのやり方では個人・個人を総合的に見ていくことしかできず、雑誌などでマスに向かって占いを展開することはできません。そこでその人の誕生日から、その人が生まれたときに「太陽」がどの位置にあったかだけで占うようになったので、○○座生まれという呼称ができたわけです。確かに個人の誕生時の星の配置図上の「太陽」は、その人自身の「自我」や「こうありたいという自分」の姿を表している場合が多いので、太陽を中心に見ていくのは妥当なやり方といえるかもしれません。けれど、私は「火星」に着目し、その人・その人の中で、火星が表す攻撃力や闘争心がどのように日常の行動や対人関係に作用しているかを知ることが、今の時代とても重要なことに思えたのです。占星術のセオリーで考えると、女性のチャート上の火星は、多く自分自身で表現される以前に、「好みの男性」を表していたりするものなのです。つまり女性にとって、自分の中の男性的な部分である火星の力は自分で表現するものではなく、周囲にいるおもに男性に投影されると考えるのです。たとえば牡羊座に火星を持つあなたなら、本来自分の中に瞬間的に激しく燃えるような攻撃性や怒りのパワーをお持ちだと思いますが、それを自分で表現することを抑えているために、周囲にいる闘争的で野心的、常に「一番になりたがる」男性に強烈に惹かれ、そういう人に振り回されてしまう・・・ということがありうるわけです。でもあなたの「火星」を投影された他者だっていい迷惑かもしれませんよね。もしもその力を自覚的にコントロールしながら、表現するなら、それこそ心に抱く夢や目標をかなえる力にしていけるのではないか。そう考えて、「火星」の本を出したいと思うにいたったわけです。火星は言ってみればあなたの太陽が望むことを実現に持っていくために必要な武器であり、乗り物である。そのような視点から、この本を書いたわけです。自分の中の火星をしっかり自覚することで、むしろ無自覚に他者を押しのけたり、攻撃の対象にして無駄な諍いをすることも少なくなり、もっと生産的なエネルギーとして使えるのではないかと思ったということ。たとえば包丁は、食材を切り分け、料理を作り、その日の食事を作る上に欠かせない道具であると同時に、それを用いる人によっては「殺人の道具」にもなる。このように、あなたの中の火星の力も、どう使うかで、生活や人生も大きく変わってくると思うのです。自分の火星が何座にあるかを知って、どう付き合うかを知りたいと思われる方は、ぜひ、この本を読んでみてください。そして感想などお聞かせいただければとてもうれしいと思います。
2008年02月24日
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先日に引き続き、誠実さって何だという話。たとえばある日、ふらりと旅に出て、地方都市の駅につき、空腹を感じたけれど、表通りの華やかな店に入るのが気が引けて、ちょっと横道に入ってところに、ぼんやり明かりのともる居酒屋を見つけて入ったら、その店が意外にもおいしく、店主は言葉は少ないけれど、こまやかな心遣いを示してくれた。それから10年後、仕事でたまたまその駅に降りたから、その店を思い出し、記憶をたどりながら訪ねてみると、10年前と変わりない景色がそこにあり、店主も相変わらす淡々とおいしいものを出していた。こんなことがあると、その店主に対して、誠実な人柄を感じたりしますよね。多分その人は、誰に対しても同じように自分のすべきことをして提供している相手が誰であろうとその態度に変わりがないというところに、人は誠実さを感じるのでしょうか。あるいは、彼の料理に対する姿勢に誠実さを感じるのかもしれません。大昔、まだ女性が25歳で結婚してないとオールドミスと呼ばれていた頃、お見合いが唯一の相手を見つける手段でしたが、多くの女性が「どんな男性を望むか」と聞かれて必ずベスト3に入っていたのが、「誠実さ」でした。この場合の誠実とは、きっと妻に対して誠実であるということでしょうね。浮気はしない。ギャンブルをしない。酒は飲まない。嘘をつかない。給料袋は封をあけずに妻に手渡す・・・などなどが、暗に含まれていたのではないかと思います。真面目な公務員と結婚した女性が、「誠実なのだけがとりえの夫で・・」などという言葉をよく口にしていたような。つまり誠実というのは、人間として最低限の条件で、その上で、前向きだとか、やる気があるとか、野心家であるという個々人の志向性があるという感じの位置づけだったように思われます。ところで今現在は、どうでしょうか。誠実さというのがどういうことかさえ、ちょっと具体的に見えない。どちらかというとお金持ちかどうか、美人かどうか、成功しているかどうかという目に見える結果だけが重大事で、中身はどうでもいいということになっているように思います。反面、お互いに最低限の誠実ささえも信頼しあえないため、親子や夫婦間での殺し合いや憎しみあいが急増しているのも事実。やはりここで一度、原点に立ち返り、誠実な信頼関係を育む意識を取り戻したいものだと思います。最初にあげたエピソードのように、ある人の誠実さが理解できるまでには、時間がかかるかもしれません。けれどそれをお互いに確かめ合う時間をもったいない時間だとは思えません。むしろゆたかな 人間関係を築くために必要なのではないかと思う今日この頃です。
2008年02月13日
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お久しぶりです。ここのところ、昨年12月に拡大と発展の星・木星が山羊座に移り、今月26日に冥王星も山羊座入りし、世の中にちょっと違ったムードが漂うようになってきたと思いませんか?私は人に会うたびに、言い古された言葉ですが、信頼と誠実がキーワードよ! なんていってますが、ばれなきゃなんでもやっていいというお気楽ムードから一転、経験や実績、信用や信頼といったものを取り戻すにはどうしたらいいか、という動きがあちこちで起きているように思います。最近始まったドラマも山羊座の木星をかなりストレートに現しているものがいくつか。今日はそれについて話したいと思います。「明日の喜多善男」と「ロスト・タイム・ライフ」です。どちらも「限られた時間をどう生きるか」がコミカル、なおかつシニカルに描かれていて、さすが、山羊座の木星だわと納得してます。というのも山羊座の守護星はそもそも、誰にとっても同じように過ぎていく時間の神様クロノスだから。人に与えられている時間は、等しく1日は24時間だし、動ける身体はひとつだということ。それを痛感するのって、自分の時間があと少ししかない!というときだと思うのですが、この2つのドラマは、まさにそのことをテーマにしているわけです。「明日の~」の主人公は、自分の人生をあと11日と決めて、やりたいことをやろうと動いているうちに、とんでもない事件に巻き込まれていきます。そして「ロスと・タイム~」の方は毎回、主人公が死ぬ間際、サッカーの試合よろしくロスト・タイムを与えられて、その時間内に何をしていくかを描いたもの。前回は、報道カメラマンとして自分の時間のすべてを注ぎ込み、愛をないがしろにしてきた男が、取材に入ったクラブで男に殺される。その瞬間、ロスト・タイムが5時間ほど与えられ・・・。彼は最後のスクープをと奔走しながら、他人の出産に巻き込まれ、そこで出産を見、その後かつて分かれた女性が4年前に自分との子供を産んでいたことに気づくというお話でした。生と死のテーマが、あまり重たくならずに語られているところが、山羊座らしいですよね。これ蠍座だったりすると、もっと深刻な重圧感を伴いそうですが、山羊座の合理性や情を省く感じが、ほどよく出ていて、コミカルな範囲で収められていて、好感が持てました。最近、周囲でさまざまなことが起こり、私は改めて「信頼ってなんだろう」とか「誠実さってなんだろう」と考えています。この前も友人と話していて、「これは絶対誠実だよね」と言える決定的なエピソードってなんだろう? ということになり、私も友人も、すぐに思いつくことができないことに、愕然としちゃいました。誠実って、昔は「フツー」とかなり近い使われ方をしていた言葉だけど、いまや誠実はフツーではなくなっているのかも。私は自分の中に、「これをやったら信頼はなくなるという一線」「これをしたら誠意を疑われるという一線」をきちんと作って行きたいと思います。とはいえ、「これが誠実だよね」という何かわかりやすいエピソードがありましたら、ぜひ教えてください。参考にしたいと思います。
2008年02月04日
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ものすごく久しぶりにブログ更新します。年末から年始にかけて、みなさま、どのようにお過ごしですか?私は心理的にシビアな状況が続き、その結果ひどい風邪を引き、ようやく平常の状態に戻りつつあるところです。この期間の星回りといえば、射手座のおしまいの方を運行している死と再生の星・冥王星と蟹座を運行していた戦いの星・火星が逆行して双子座のおしまいの方を運行しているというタイトな状況。この配置はのっぴきならない出来事から極限まで力を出させる働きをしたり、闇を暴く力となって働いたり、人の裏切りに対して抗したりせざるをえなくなるということが読み取れるものですが、まさに私の場合は大当たり。私自身のチャートも、この二つの星の配置上にASC DSCがあったり、太陽とも絡んでいたりするので、よけいに大変だったのかもしれません。さりげなく周囲の人に「年末・年始どうしてた?」と尋ねると、いや実は風邪引いて寝込んでたとかノロウィルスにやられて大変でしたという話を例年以上に激しく聞くので、ひそかに「大変だったのは私だけじゃないのだ」なんて安心したりして・・・。今月26日には、その冥王星が山羊座に移行します。土星よりも遠い星が星座を変える前後には、大きな出来事が起こりやすいといいます。いったいどんなことが起こりうるのか・・。前回この冥王星が蠍座から射手座へと移動する直前の満月の日に阪神淡路大震災が起こり、占星術師たちはみんな驚いていました。今回も冥王星が移動する三日前が満月。株価は日々下落しているし、原油は値上がりを続けているし、政局は何がなんだかわからない様子だし、何が起きてもおかしくないところですが、温暖化によるさまざまな現象も頻繁に起こっている今日この頃ですから、思いもよらない天災ということもあるかもしれません。でもまあこうしたことはすべて、人間がまいた種の結果。冥王星は根こぞぎ滅ぼすことで、再生を促す星ですから、何が起きたとしても、その先に希望があると信じたいものだと思います。
2008年01月17日
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ここのところフィギアスケートをちょくちょく見てました。浅田真央さんや高橋大輔さんの活躍ぶり、すごいですね。一昔前の日本のスケーターとはスタイルも技術も格段にアップ。また突出した一人だけでなく、次々と若い人が登場するあたり、層の厚さを感じます。私はシングルも好きですが、実はペアやアイスダンスなど、男女が組んで演技するのが好きなのです。でもこの分野はこれだけフィギア人口が増えているのに、なぜか手薄な感じがします。というか、日本人選手がいないのか、放映されることが滅多にない。なぜペアやアイスダンスが好きかといえば、男性と女性が、それぞれの持ち味を出し合い、協力し合って一つの世界を表現する姿が美しいと思うから。同じ動きをしていても、男性は力強く、女性はたおやかだったり、二人の体格の差を利用して華やかな演技を作り出していたり、似たような体格の二人の場合は、またそれなりにダイナミックだったり、それぞれのペアの持ち味が際立っていて感動します。日本でこの競技が発展しないのは「男女七歳にして席を同じうせず」という思想がいまだに刻み込まれているのか、人前であんなに密着することに恥じらいがあるのかもしれません。でも私には今の日本の男女関係を象徴しているように思えます。男女が対等にに力を出し合うためには、お互いに対する敬意や理解が必要だと思うのですが、その意識が足りないのではないかなーと思ったりしています。社会的な権利や義務・責任は今はかなり平等になっていますが、中身はそうでもないということを実感している人も多いでしょう。権利や責任が平等であっても、男性の男性らしさや女性の女性らしさをなくしてしまうということにはならないと私はフィギアのペアやアイスダンスを見ていて思いました。大昔、「北の蛍」という映画を観たとき、ラストで主人公の男女、確か岩下志麻さんと仲代達也さんだったと思いますが、二人が同じフリで観客のほうを向いて踊る姿が流れていて、とても感動した覚えがあります。物語はほとんど忘れてしまったけど、同じフリであっても男性はあくまで男性らしいワイルドな感じがし、女性もあくまで女性らしい優しさを感じて、まだ20代前半だった私は、わけもなく涙が流れました。監督があの映画で言いたかったことが、あのシーンだけですべて表現されているような気がしたものです。いつかフィギアの世界で、ペアやアイスダンスの素晴らしい選手が日本にも登場したら、素敵だな・・・・・と思わずにいられません。
2007年12月19日
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先日、バスの中での出来事を経験してから、こんなにデジタル化された世の中だから、心までデジタルにならないために、何を心がけたらいいのかなーなんて考えてました。昭和の時代なら、当たり前に暮らしていても生活そのものがアナログだったからこんなこと考えなかった。だけど携帯不携帯だと、それだけで不安になったり、このようにブログを書くことが当たり前になってくると、やはり意識してアナログを取りこんでいかねばならないような気がします。たとえば誰かに直筆で手紙を書く。最近やってませんよねー。だいたい綿々と気持ちが綴られた手紙を貰ったら、ちょっと重いなんて思ってしまう人も多いかも。それくらい人との関係が希薄になっているんでしょう。でも、短い絵葉書など頂けばとても嬉しかったりするから、私もマメにハガキを書いてみたいと思います。それから散歩をする。電車もバスも自転車も使わず、街をぶらぶら歩いて、季節の変化や野良猫の生息分布や人の表情などを細やかに観察するのもいいかもしれません。何かアナログな心を取り戻すために意識してやっていることがあったら、ぜひ教えてください。生活に取り入れて生きたいと思います。
2007年12月08日
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昨日、収賄容疑で守屋元次官とともに逮捕された妻・幸子さん。山田洋行の宮崎さんのことを「宮ちゃん」と呼び、当たり前のようにゴルフ接待や贈り物、飲食費を払わせていたとか。影では「おねだり女帝」なんて呼ばれていた彼女は防衛省の幹部夫人しか入会できないという「美鳩会」なる会の催しでの飲食費まで「山田にツケておいて」と言って払わせていたんだそうです。「美鳩会」は、夫の肩書きによって、会員の女性の地位が決まるという仕組みになっているらしい。いまどき夫の地位をカサにきる女性など、流行らないよな・・と思っていましたが、どっこい、こんなところで脈々と生き続けていたのですね。女性が自力で生きていくのが困難だった頃は、夫に自分の人生を託し、その出世や昇進のために陰で支えるのが女性の美徳だったわけですが、幸子さんの場合は、それが行き過ぎた・・というか、夫より前に出ちゃったところが今の時代を反映してますね。彼女の心の中では、どんな女神がどのように働いていたのだろうか。個人的な見解としては、彼女の中では戦略と知恵の女神アテナと婚姻の女神ヘラが強力タッグを組んでいたように思えます。彼女は高校を卒業後、防衛庁に入庁し、高官の秘書をしていたところ、守屋さんと知り合い恋愛結婚。結構美人ですから、多くの求愛者がいたことでしょう。その中から将来次官にまで登りつめるであろう守屋氏を選ぶというのはまさにヒーローに味方して勝ち組になろうとするアテナ的な慧眼の持ち主でしょう。後に防衛省で君臨するようになった夫を「坊や」呼ばわりしたところなども女神アテナを彷彿とさせます。一方ヘラはパートナーへのコミットメントの強い女神。神話上の女神ヘラは、神々の王ゼウスの正妻で、夫がどんなに浮気三昧しようとも、夫自身を責めなかった。その代わり、浮気相手になった女神や人間の女性たちに、ひどいお仕置きをして回ったことで知られる女神です。ヘラの心を持った女性は、基本的に夫とともに出席するパーティで、自分と似たような境遇の女性たちと親しくしますが、万一、その中の一人が離婚などすると、その人とは付き合わなくなったりする。その程度のお付き合いにとどめ、家庭内の悩みを相談しあうなどと言う事はありません。実際防衛省の「天皇」とまで呼ばれた守屋元次官が浮名を流したか、幸子さんが夫の浮気相手に対して手ひどいことをしたかどうかは分かりませんが、夫へのコミットという点でやはりヘラ的な心が働いていたのだと思います。「美鳩会」などヘラの集団のように思えますし、だからこそ、夫の地位や権限が、まるで自分の権限のように思えちゃったのではないでしょうか。防衛省のことはよく知らないけれど、その内部が、かなり父権的な社会構造を持っているだろう事は、容易に推測できます。縦の人間関係が強い力を発揮し、先輩が後輩を、親が子を育て、育った後輩や子供は、先輩や親に感謝しながら次の世代を育てる・・・。父権社会のいいところは、こういうところでしょう。けれど負の部分もある。それは派閥争いや収賄などがまかり通るというところ。女神アテナもヘラも、父権社会の負の部分を容認した女神です。アテナは父ゼウスの浮気三昧を見逃し、それを告発しようとしたアラクネを罰しましたし、ヘラは前述の通り。思うに、江戸時代「大奥」を形成していた女性たちの多くが、心にアテナやヘラを育てていたに違いありません。よく考えると、現代日本も江戸時代と変わらない意識で生きている人は多いのかも。とはいえ、鎖国時代じゃない現代。自分が暮らす世界ではまかり通ったことが、世の中全体からみると悪いことになるという意識をもてなかった幸子さんは図らずも夫を君臨させてくれた防衛省のウミを出す役割を果たしたともいえるでしょう。そういう意味では彼女の存在は、時代の変革の端緒を作るという大きな役割を担った・・・。ということになればいいのですが。かつては総理であった田中角栄さんまで牢獄に送った検察ですが、今もなおその正義感は生き続けているかは分かりません。
2007年11月30日
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ここのところ、食品の偽装事件が相次いでいますね。きっと現場の誰かが告発したことがきっかけなのだと思います。船場吉兆など、責任を追及されて現場のパートの主婦が勝手にやったなどと言ったりして、相当なうそつきですよね。たとえば私がパートの主婦だとして、上司からラベルを張り替えろと言われたら、どうするか、考えちゃいました。「そんなことできません!」と言ったら、きっと即座にクビでしょう。ですからラベルを張り替えることの「意味」を考えることをやめ、「そういうものなのだ」と思って張り替えてしまうかもしれません。けれど他の会社がそれで告発され、事件となっているのが嫌でも耳に入ってくれば、「やっぱ、悪いことなんだ」と思わずにはいられないでしょう。ある行為が意味することを考えず、言われたとおりにする。この感じ、まさにギリシャ神話でざくろを食べちゃったペルセフォネです。「だってそれが冥界にい続けなくちゃいけないという意味を持つなんて知らなかったんだもの」というのが言い訳でしょうし、上司の命令でラベルを張り替えていたパートの主婦も、ペルセフォネ同様あまり深く考えていなかったのではないでしょうか。けれど彼女たちに勝手にラベルを張り替えるなどという権限がないのは、誰が聞いてもわかること。政治家に賄賂問題が起こると、たいていが「秘書が勝手にやった」と言い逃れますが、それは秘書の方にも身代わりになることのメリットがあるからできること。その論理をわずかな時給で働くパートの主婦にも当てはめるなんて、考えられないことですよね。最近では、パートの女性が自ら偽装を告発するケースも出てきているようで、責任を押し付けられるのがもともと苦手なペルセフォネにしてみたら、当然の逆襲というべきかも。ともあれ、「何がイケナイことで、何が合法なのか」たとえパートの身分でも、考えて行動しなきゃいけない時代になったのだと痛感します。でも権限がないのに責任ばかり重くなるのは、いかがなものか・・・?と思う今日この頃です。
2007年11月22日
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今日、ワイドショーで松田聖子さんのことが話題となっていたもので、ペルセフォネのことを思い出してしまいました。なぜか私の中ではペルセフォネを具現している典型的なタイプとして松田聖子さんが浮かんでしまうのです。シネコン・ウォーカーではペルセフォネ系女優としてキャメロン・ディアスを挙げました。それは単に彼女が、「母親を非常に慕っている」という一点からそうしたのです。というのも前のブログでペルセフォネの神話を紹介しましたが、この女神は母親である豊穣の女神デメテルと一対をなしているため。実際のディアスの母親は、フルタイムで働きながら、家事・育児もこなすスーパーウーマンだとか。もしかしたらディアスの母は、デメテルの元型を強く生きているのかも・・・などと考えたわけです。ディアス自身は「白馬に乗った王子など求めていないし、女として自立した存在でいたい」と発言しているそうですが、年下の恋人と別れてからは、次々と付き合う男性を変えているそうな。実は本音では白馬の王子ではなく、冥界の黒馬車に乗ったハデスを求めているのかもしれません。私のイメージするペルセフォネを生きている松田聖子さんも男から男へのイメージが強い人ですよね。むしろ相手から愛を搾りつくして、次に向かう自分の力にしている・・・?かつて郷ひろみさんとの離別会見で「生まれ変わったら一緒になりたい」と言ってマスカラまみれの涙を流した数日後、神田正輝さんとの結婚が報道されたりした時には、スゴイ女だと思いましたけど、常に「私の意志じゃなくて、そういう成り行きになってしまったから」という一貫した(?)態度がまさにペルセフォネ的。神話でもペルセフォネが冥界でざくろを食べちゃったのは、目の前にそれがあり、空腹だったからで、そのことが母デメテルの娘引きもどし作戦を反故にさせる影響力を持つなんて、知らなかったときっと彼女は言うのでしょう。ですが心の底でペルセフォネは、母離れしたかったのかも。実際ゼウスによって冥界と地上を半々で過ごしてよいという決定があったとはいえ、冥界の女王となったペルセフォネが、母デメテルを訪ねたという神話はほとんど聞きません。ペルセフォネの元型を生きる女性にとって、強い母親から離れるには、ハデスのような強制力の強い男性の力が必要なようです。要するに、誰かや何かのせいにしながら、自分の欲望を達成できるのが、ペルセフォネの最大の特徴でしょう。それは謙虚であるという美徳でもあるし、自己責任からは常に逃れるという悪徳でもあるわけです。そういえば今日のワイドショーで、サンミュージックの相沢社長(だよね)が、聖子さんをデビュー前に家に居候させていた頃の逸話として「毎朝、一緒にマラソンするのだけど、どんなにこちらが疲れて速度がのろくなっても、彼女は自分を追い越さなかった」と語り、後にそれが「追い越したら悪いと思っていたこと」を聞かされたとおっしゃっていました。こういうのって男性から見たら、すごく可愛く思えるんでしょうね・・・。
2007年11月14日
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最近、よくバスを利用します。バスの窓際に腰掛けていると、街の様子がよく見えて何だか楽しい。それにバスの利用者って、なぜだか優しい人が多いんですよね。この前も、一度ある駅で降りた学校帰りの少女が、「忘れ物しました」と戻ってきた。どうやらカギを忘れたらしいのですが、どこを探しても見あたらない。少女は、泣きそうになりながら、再びバスを降りていった。そうしたら少女の隣に座っていたらしい初老の女性が、一緒に降りて少女に一生懸命、話しかけている。その女性はバスを降りながら運転手さんに「行ってくださってかまいませんから」と言っていたけど、運転手さんはドアを開けたまま待っている。一方車内の乗客たちも、少女のカギの事が気になるらしく女性と少女のやり取りを聞いているため、「早くバスを出せ」などと誰も言わない。「もしかしたら、学校に置き忘れたのでは?」という女性の言葉に少女はようやく「そうかも」という表情になった。すうrと運転手さんがマイクで「じゃあもう一度学校へ戻ってね」と声をかけ、少女は逆方向のバスに乗るために歩き出し、初老の女性は再びバスに乗り、バスは何事もなかったかのように走り始めました。わたしはその様子を眺めていて、何だか嬉しくなってしまいました。少女に声をかけた初老の女性にしても、運転手さんにしても、乗客にしても、みんな優しいなと。同時に、その出来事に私自身の心が癒される気がしたのです。そうして日々、どうしようもなく自分のことしか考えていない人たちの犯罪が報道されるのを聞いていて、すっかり心が乾いてしまっている自分に気づかされました。よく考えてみると、バスに乗る人たちって、「何時にはあそこへつかなくちゃ」なんて焦っていない人たちなんですよね。だから少女と女性のやり取りを気にかけられるし、それを待つゆとりもある。もちろん、たまたまその日、急いでいなかった人たちなのかもしれませんが、もっとみんなが、そうしょっちゅう急がなくてすむ生活をしていれば、優しくなれる時間が増えるということなのだなあなどとしみじみ思いました。だから、私もできるだけそうしようと思いつつ・・・日々の仕事でインターネットやパソコンを利用して、デジタルなしではいられない私たちですが、心ぐらいはアナログでもいいのではないかな。と思う今日のこのごろです。
2007年11月11日
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この前のブログで、ギリシャ神話に登場するペルセフォネの心理的元型はいわゆるブリっ子の元型と書きました。でもブリっ子のあり方も時代とともに変わってきていますよね。たとえば日本ではペルセフォネ元型のピラミッドの頂点を松田聖子さんとすると、そのすぐ下にはおにゃんこクラブのメンバーがいて、その下にはモーニング娘がいて、更にその下にアキバ系メイドルがいる・・・という感じでしょうか。ペルセフォネはそもそも固有名詞ではないただの娘としてのコレーの進化系ですから、おにゃんこクラブにいたメンバーが今なお全員コレーから発展してペルセフォネの元型を生きているというわけではないでしょう。中には百戦錬磨の経験を積んで、国生小百合さんのように立派な熟女になられていらっしゃる方もいます。このようにある一つのキャラで生き続ける人は少なく、またいくつかの女神の元型を時と場合で自分の中で使い分けていらっしゃる方も多いでしょう。たとえば母親としての松田聖子さんは、娘さんを育てていく過程で、きっと神話上のペルセフォネの母親であるデメテルの元型も発揮していたに違いありません。藤原紀香さんだって、デビューしてきた頃は、アフロディーテとアルテミスの複合元型のようにみえましたが、結婚を境に、かなりデメテル的要素を打ち出しているように思えます。豊穣の女神デメテルは、平たく言えば母性の元型。人や仕事、物事を育む力を象徴していますから、結婚して出産を経験、子育てをする段階にこの女神が自分の中に発現しないと、むしろ子供が不安定になってしまうこともあるでしょう。ボーレンはデメテル・ペルセフォネ・ヘラの三女神を「関係性の女神」と位置づけ、他者(夫とか子供とか親)との関係が重要で、自分がどう生きるかは二の次になると考えています。そして、アテナ・アルテミス(もう一人ヘスティアがいますがシネコンウォーカーには取り上げませんでした)を、「自立した女神」と位置づけ、自分の意志や志向に従って人生を生きようとする女性のあり方を描いています。「働きマン」で描かれているのは、まさに「関係性の女神」を生きるか「自立した女神」を生きるか、それを両立できる地点はないのかと葛藤する現代女性の姿といえるのではないでしょうか。
2007年10月31日
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懸案のペルセフォネ女神についてです。ペルセフォネは、元はコレー(固有名詞ではなく、ただの娘という意味の言葉)と呼ばれていて、母親である大地の豊穣の女神デメテルの深い愛に守られ、ただ楽しく暮らしていました。たとえばあるお話によると、デメテルはコレーに魔法の絵の具を持たせていて、それで彼女が花の絵を描くと、その花が本物の花になって咲くのだそうです。そんな絵の具、私も欲しいものですが、ともあれそのように<お母さんのかわいい娘>として育ったコレーは、自我を主張する必要を感じることなく育ちました。ところがある日突然、コレーにとっては伯父で、デメテルにとっては弟に当たる冥界の王ハデスがコレーを見初め、密かに神々の王(デメテルとハデスの弟で父親クロノスを倒して兄・姉を救い王となった)であるゼウスと掛け合い、彼女をさらって冥界に連れて行くことを了解させた上で、本当に彼女をさらってしまった。娘が行方不明となったことでパニックに陥ったデメテルは、怒り狂い、地上を不毛にし、作物を実らなくさせ、人間たちを飢餓に陥らせたのです。困ったゼウスはデメテルに娘が冥界で何も食物を食べていなければ、地上に連れ戻してもいいと伝え、伝令史ヘルメスをつかわしました。ここら辺の経緯は諸説ありますが、コレーはヘルメスが到着する直前に冥界のざくろの実を食べてしまっていたのです。コレーが食べ物を口にしてしまったことで地上に戻れないと知ったデメテルは更に荒れ狂いました。そこでゼウスはデメテルに、コレーが食べたざくろの実が6粒だったことから「一年の半分を冥界でハデスの妻として過ごし、半分を地上に戻って母親と過ごすというのは、どう?」と掛け合い、めでたくコレーは一年の半年を冥界の女王ペルセフォネとして過ごし、残りの半分を地上で母親と暮らせるようになったのです。・・て、これペルセフォネの話なのに、彼女の意志や自我はどこにも出てきませんよね。そう、コレー(ペルセフォネ)の心理的な元型の一番の特色は、自分の意志や自我をはっきりさせず、状況に任せていること。その割りにちゃっかりざくろを食べちゃっていたりして、実はハデスのもとに痛かったのかしら?とも深読みしたくなります。というのもその後冥界の女王となったペルセフォネは、愛と欲望の女神アフロディーテとイケメンを取り合ったりして堂々たる女王っぷりなのですから。シネコンでは私、このペルセフォネ族に属する女優としてキャメロン・デイアスを上げました。これは私の個人的見解ですが、現代の日本女性はこの元型を生きるのが結構楽なのではないかと思います。たとえばメイドカフェが流行り、ロリコン好きが「萌えー」なんていう対象は、まず甲高い声で「えー!」「うそー」しか言わないかつてのブリっ子タイプですよね。大げさな自己主張などせず、大人の色気など振りまかず、素直に状況に従いながら、いつしかメイドカフェでアイドルとなり、スカウトされて歌まで出しちゃう。こういうの、やっぱりペルセフォネだよねーと思う。冥界の女王となってからペルセフォネのエピソードは、元祖ブリっ子の松田聖子さんの今を見るような気もするし。やっぱり日本男子は、基本的にペルセフォネが好きなのではないでしょうか。
2007年10月25日
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ここの所忙しくて、ブログまで書いてる暇がありませんでした。やはり文章を書くことをお仕事にしていると、どうしてもブログが後回しになってしまうのですよねー。本当はペルセフォネの神話と、それが紡ぎだす現代女性の心理について書こうなどと思っていましたが、この間に亀田さんちの問題とか、若い力士の死にまつわる疑惑があぶりだした相撲協会の問題とか、いろいろ考えさせられることがあって、こちらについてちょっと書きたくなりました。これは個人的な考えなのですが、格闘技って、もっとも人間が試される競技なのではないかと思います、なぜかといえば、人間の持つ野蛮なケモノの部分と考えることができるという人間ならではの理性の部分がきわどいところで接点を見つけるポイントというのが、格闘技にはあると思うのです。だからそれぞれの競技はルールを作り、フェアプレイやスポーツマンシップを誓うのでしょうが、身体同士がぶつかり合う格闘技は、その精神を強く持っていないと、ただの殴り合いや喧嘩になってしまいますものね。だから強きゃいいってモノではない。だけど競技だから勝たなくちゃいけない。とはいえズルしたり、卑怯な手を使ってまで勝ちたくはない・というのがフェアな精神の基本ではないのか・・。以前から思ってましたが、お金になるスポーツにしか人気が集まらないというのは、勝てば金になるからなのでしょう。現に亀田さんに勝った内藤さんはいきなり極貧生活から脱却したとか。ハングリー精神で、がつがつするのもフェアであればかっこいいことにはなると思います。いずれにしても相撲協会もボクシング協会も、強くて金になる選手を特別扱いしてきたことのツケが回ってきたとしか言いようがありませんよね。ていうか、こういう現象って、スポーツの世界だけじゃなくて、さまざまなジャンルで起こっているような気がするのは、私だけではないと思います。ちょっと前に「アンフェア」っていうドラマが人気を集めていたけど、じゃあフェアであるって、どういうことなのか、今一度考え直す時なのかもしれません。占星術的にも乙女座や山羊座という現実的、実際的な感覚を象徴する星座に縮小や制限や時間や伝統を表す土星や拡大と発展を表す木星が入るし、世の中の変化に伴った、ルールや秩序の改革が求められているのかも知れませんよね・・・。
2007年10月20日
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昨夜、録画しておいた「働きマン」の初回を観ました。正直言って、身につまされた。仕事を選ぶか、恋を選ぶかの究極の選択を迫られ、つい仕事を選んでしまう主人公は、どの女神に愛されているのでしょう?やっぱりゼウスの頭から生まれたアテナが思いつきます。アテナは「自分は母親なしで生まれた」と信じていて、父権的男性社会のために奉仕する女神。主人公が仕事に集中していく時「男モード」に変身するあたり、かなりアテナっぽい・・。恋人の優しさに触れて泣きそうになりながら、我慢して平気を装うあたりも、理性重視のアテナ族に属すると考えていいのでは?80年代、アメリカで大ヒットしたギリシャ神話に登場する7人の女神の心理的元型から、現代を生きる女性の生き方や心理をあぶりだしたジーン・シノダ・ボーレンの名著「女はみんな女神」日本でも1991年に新水社から心理学者の村本詔司先生と臨床心理学者の村本邦子先生のご夫婦による共訳で出版されましたが、残念なことに今は絶版になってしまいました。でも私はこの本とであったことで、ユング心理学というものに触れ、そうして心理占星術という分野に深く関わるようになったので、思い入れの深い一冊です。ボーレンによれば、アテナ元型と同一化して生きる女性は、自分が仕えているボスのために人生を捧げる献身的で実務的な秘書を努めているケースが多いとか。してみると「働きマン」初回で登場した夏木マリさん演じる政治家の秘書であり、愛人として20年間仕えてきた彼女こそが典型的なアテナタイプで、その彼女に共感と同情を寄せる主人公は、準アテナくらいな感じでしょうか。女性の生き方が多様化し、選択肢が増えてきた今だからこそ、「女はみんな女神」みたいな本がもう一度世に出てくることを望んでやみません。コメントを下さった皆様、次回はペルセフォネ、アルテミス、アフロディーテのお話をしたいと思いますので、読んでね!
2007年10月11日
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今日は私のやったお仕事の宣伝です。シネコンウォーカーって知ってますか?全国のシネコンで配布されるフリーペーパーです。それの本日配布開始される号で、女神占いというのをやってます。いわゆる心理テスト形式で、ギリシャ神話に登場するアテナやアルテミス、デメテルやペルセフォネ、ヘラやアフロディーテという女神のキャラを既存の女優さん、スカーレット・ヨハンソンやアンジェリーナ・ジョリー、ドリュー・バリモアやキャメロン・ディアス、ジェシカ・アルバ、ペネロペ・クルスに置き換え、あなたはどのタイプか? を探ります。たとえば「あなたは・・・アルテミス族 アンジェリーナ・ジョリー系です」てな感じで、やってます。もし映画館で手にされたら、ぜひやってみてください!今後、ブログ上で、それぞれの女神キャラをもっと詳しく紹介したり、登場する女優さんについてのお話も入れて行きたいと思いますので、よろしくです!
2007年10月06日
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先日に引き続き、占星術の話。この12月に拡大と発展の星木星が山羊座に入ります。同じ地のエレメントである乙女座に入った縮小と制限の星土星の影響とあいまって、「大人」とは? 「プロ」とは? どういうことかということがテーマになっていくと思われます。私は大人って、責任をきちんと取れる人のことを言うのだと思っていました。でも最近の大人たちはどうでしょう。特に長がつくような立場、親方とか呼ばれている人たちが進んで責任を取ろうとしているようには思えません。責任というと義務のように思う方が多いかもしれませんが、私は責任には義務の部分と権利の部分の両方があると思うのです。つまり責任を取ることを許されている立場であるというのは権利ではないでしょうか。たとえば私たちは総理大臣を選ぶ権利を持っていません。つまり自分たちの意志で選んでもいない総理の采配に身を任せなくてはならない立場にいる。だから選んだ責任を取る権利も義務もない。てことは「大人」じゃないってことなのでしょうか。それでも税金はちゃんと払ってるし、保険料だってかなり払ってる。それなのに、国の代表者を選ぶことさえできないのはどういうことなのでしょうか?てな具合に、これからは「大人」についての定義が、各方面で取りざたされていくでしょう。地に足の着いた議論がなされ、誰もが納得のいく、「大人」として生きる権利と義務を行使できる世の中になってほしいものだと心から願います。
2007年10月03日
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久しぶりに占星術の話です。土星が獅子座から乙女座に移動した話はすでに書きましたが、土星って、その働き方がじわじわと時間をかけて物事に影響を与えるようなのです。ですから乙女座に移っても、まだ獅子座の土星の名残りみたいなものを感じることもしばしばあります。たとえばちょっと前に黒澤明の「生きる」がドラマ化されましたが、あれなど、まさに獅子座・土星のテーマ。息はしているけど、死んでるみたいな生き方をしていた男が、余命半年と言われて、自分の生きた証を作ろうと奮起する話。人は何のために生きるのか、本来の自分とは何かみたいなお話で、ああ獅子座・土星の集大成を見た気がしました。一方、木星はまだ射手座にあり、射手座生まれだったエディット・ピアフがここへ来て注目を浴びていたり、射手座・木星をシンボライズするような出来事も続いている中、すでに次の山羊座・木星を感じさせることもポツポツ表れている気がします。たとえばマナーブックや常識を見直すような本などがけっこう売れていたり。木星は物事の拡大や発展を促す星で、チャンスを与えてくれるものですが、チャンスの神様には後ろ髪がないと言われるように、常に先へ先へ進む感じがあります。そのため出来事も、木星が次に動く先である山羊座のイメージを先取りしているような・・・。こんな風に占星術のシンボルから世の中の事象を見ていくのってさまざまな発見があって、楽しいのです。
2007年09月29日
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阿部さんが唐突辞任して、あっけにとられた・・・と思ったら、すぐさま麻生VS福田の構図ができて、今や国会は空転し、お二人は地方回りして票稼ぎに血道を上げていらっしゃる中、舛添さんが大臣としてちゃんと仕事しているのが、光って見えますね。思うんですけど、こういう時の自民党以外の政党に所属している議員さんたちは、国会に一応行ってみたりしてるんでしょうか。それとも「どうせ開かれないんだから」とどっかでゴルフしたりしてるんじゃないだろうか、なんてうがったことを考えちゃいました。なにやらこの騒動のおかげで、地球温暖化や環境問題についての国連の会議に日本は首相が参加しないことで国連議長から非難されてるとか。政治家って、国内のことにも国外のことにも目を向けなくてはならなくて大変とは思いますが、自分たちの進退や存亡にばかりに気を配らずに、もう少し今のこの世界を広い目で見られてもよろしいのではと思います。・・・て、偉そうなコト言っても私は自分のことで手一杯だから、人のことは言えませんが。せめて舛添さんみたいに国会空転してても、自分のすべき仕事をこなそうとする姿勢のある人をもっと見たいなあ・・・
2007年09月20日
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昨日、安部総理が突如辞任表明! で巷は大騒ぎ。なんで参院選直後じゃなくて、今なの?身体が弱いなら最初から総理なんて無理だったのでは?などなどさまざまな疑問が往来しますが、とにかく驚きました。そして思ったのは、朝青龍事件でも感じたことですが、「無理が通れば道理ひっこむ」というコトワザ結局ごり押しし続ければ、駄々こねた者勝ちってことになると、世の中恐ろしいことになるんじゃないでしょうか。総理がこれじゃ、国民だっていろいろ勝手に決めてごり押ししちゃうぞ、てな気分にもなりました。とはいえ基本的に気が弱いから、何も出来ない私。ほんと、ルールとか秩序とか、「それはないだろう」とみんなが思う暗黙の決め事などももはや通用しないのでしょうねえ・・・
2007年09月13日
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「ビエンナーレの未来について語る」というテーマでのシンポジウムに参加してきました。以前、ワンピース倶楽部のお話をしたと思うのですが、会員になった以上、単なる絵が好き! みたいな姿勢ではいられないかな、と思ったのと、昨年、栗林隆さんというインスタレーションという分野のアーティストと知り合い、ドイツから帰国したばかりの彼を一般の方々に紹介しようと、小冊子を作って配ったことをきっかけに、他のアーティストの作品も見てみたいと考え、シンガポール・ビエンナーレの日本での記者会見に出席して、その後実際にシンガポールに行って、ビエンナーレを拝見したことから、いろいろ考えるところがあり、「ビエンナーレ」って何? と思っていたので、恰好のテーマだったわけです。で、参加してみたら、三人のパネラーのうちお二人がこの9月28日から門司港で開催される北九州国際ビエンナーレ07のアート・ディレクターで、基本的には当ビエンナーレのご紹介という形のシンポジウムでした。とはいえ、非常に面白かった。というのも、シンガポールで感じたさまざまな? ? ? を解消することができたから。ビエンナーレとはそもそも二年に一度という意味で、本来はそのつもりで開催されるのですが、近年ではその地域の活性化のために行政が開催するものが多いらしい。確かにシンガポールの場合も、行政が入っている感じで、テーマ「BELIEF」のコンセプトも立派だし、私としてはかなり期待して行ったのですが、まず空港からホテルまでの道で、草間弥生さんの作品に遭遇、ちょっと自慢げに運転手さんに「これ、日本のアーティストの作品なのよ」と言ったら、むちゃくちゃ怪訝な顔をされて、もしやと思いました。もしかしてシンガポール国民は、このビエンナーレのことなど、ほとんど眼中にないのでは? と思ったのですが、その懸念は、あちこちで的中したわけです。そもそも国や地域の活性化のためと言いながら、そこに住む人がほとんど関心がないってどういうこと?という疑問やら、参加アーティストの選び方に関する疑問やら、いろいろ抱えて帰国したのでした。そうして今回のシンポジウムで、北九州国際ビエンナーレが、行政とはほとんど関わりなく有志によって始められたことや、アートだけではなく、音楽などのイベントもあったり商店街の協力をあおいでいたりして、さまざまなジャンルとの融合を試みているらしいこと、ようするに既存のビエンナーレとは成り立ちも規模もまったく異なりながら、あえて「ビエンナーレ」という名を冠したところに意味や意図を感じました。ディスカッションの時間には、いくつか批判めいたご意見もありましたが、私としてはシンガポールでの体験を踏まえると、かなり期待というか面白みを感じています。もし興味有る方は、http://artonline.jp/indexJ.htmlにアクセスしてみてください。
2007年09月08日
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9月2日の夜、縮小や制限、障害や遅延を象徴する土星が、乙女座に入りました。それと前後して、友人が何人か、病気で入院したり、長年抱えている病気をしっかり治すための長期入院に入ったりして、ふーむ、なるほどと思う今日この頃。土星は入った星座の意味する事象に「待った!」をかけて見直しを促します。乙女座は健康と雇用の星座であり、細々した日々の営みや役割意識を表す星座。ですから早々に健康の見直しをした友人たちは、先取りしている! というわけですね。私としては、自分のチャートとの兼ね合いを考えつつ、これからは計画性と節約を旨として、生活していこうと思います。獅子座に土星があった期間は、ハイテンションで行動したいという思いが強く、どこかへ出かける時は、すぐにタクシーに乗る生活をしていましたが、これからはできるだけ徒歩・自転車・電車を活用するように心がけ、地球のため健康維持のために深酒を避け、一日一日を大切にしていこう!と、思うのは勝手ですよね。守れなかったら、どうぞ笑ってください。たぶん皆さんすでに笑っていると思うけど。というわけで、みなさまも土星・乙女座に則した生活に切り替えていくと、この星回りを上手に使えると思います。ところで今年12月には拡大と発展の星も乙女座と同じ地のエレメントである山羊座に移り、来年には冥王星が山羊座入り。いずれは乱れに乱れたモラル、バブルとネットカフェ難民が共存し、都市部と地方都市が明暗を分けるような格差社会にカツ! が入れられることが望まれます。昔のバブルを覚えている私としては今回のが「弱者の犠牲の上に立った」プチバブルという感じがして心から喜べません。ていうかバブルはそもそも嫌いです。堅実に、誠実に生きている人が報われる世の中であってほしいと心から思います。皆様はどう思いますか?
2007年09月04日
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ここのところ涼しい日が続いて、なんと、ようやく朝顔が咲きました。朝、起きて窓を開けて咲いている姿を見たとき、ものすごく嬉しかった。朝顔が咲いて、こんなに嬉しいと感じたとのは生まれて始めてかも。なんと言っても朝顔は植えれば確実に咲くものと思っていましたから・・・。とはいえ咲いた花は、小ぶりで咲きっぷりも弱弱しい・・・。やはりこの猛暑を乗り越えるだけでかなりエネルギーを消耗したのでしょうね。しかも連日の曇り空、時々雨などもふり、秋風に時雨の中で咲いている朝顔は、真夏の朝顔とはまた異なるけなげな風情があります。何はともあれ、咲いてよかった!
2007年09月01日
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いつもブログを書いていて、コメントを下さる方が少なくて残念と思っていたのですが、今回初めて複数のコメントをいただいて、嬉しい!そこで前回の続きを書きたいと思います。世界各国の神話に登場する神々は、共通する要素がたくさんあります。たとえば自然や農作物の発育や収穫を司る大地母神的な神様としては、日本神話のアマテラスやギリシャのデメテルなどが上げられます。私はそれほどせかいかぅt国の神話に詳しくはありませんが、神々が持つ固有のキャラクターは、人の中にあるさまざまな心の働きを象徴しているように思えます。つまり誰の心の中にも、物事を育もうとする慈愛もあれば、奮い立ち、闘おうとする戦士のような心もある。神様たちは、それをメインキャラとして動いているわけです。今回取り上げたスサノオはあらぶる神であり闘いの神。私はギリシャ神話のアレスとローマのマルスの性格を併せ持つように思えます。どちらも闘いの神ですが、ギリシャ神話上のアレスは、単なる乱暴モノであまり尊敬される存在ではなかったけれど、ローマになると、マルスと呼ばれ、品格を伴った英雄としてあがめられている。ですから凶暴で子供じみた一面とバケモノを退治する英雄的な一面を両方持つスサノオは、アレスとマルスを両方あわせた存在のように思えるわけです。実は占星術ではこの神様によって物語られる星が、火星(英名はマース、マルスのこと)であり、今回、「火星」占いでわたしがテーマとした星です。で、朝青龍の誕生した日の星回りを見ますと、彼の誕生時の火星は蠍座にありました。蠍座の火星がどんな性質を物語るかは、本を読んでいただければ分かると思いますが、朝青龍の場合は、この火星のすぐ近くに変革や革命と言った既成概念を覆す星である天王星があり、この二つの星とは正反対の位置に母性や生理的感情を表す月と傷と癒しをあらわすカイロンという星が配されています。この配置が物語るのは、キレやすい傾向と、甘えられる母親みたいな存在を求める傾向が対峙していて、まさにスサノオの持つ子供じみた凶暴性を思わせます。また太陽は天秤座にあり、彼が本来バランス感覚をもって有利にコトを進めようとするタイプであることを物語ります。そんな彼のチャートを、今回の状況に照らし合わせて見てみると、彼はできるだけ有利な状況で、自分の望む展開を手に入れようとしているように思われます。のんたさんのご指摘の通り、気弱な部分もあり、とことんふてぶてしくはなれない。とはいえ思い通りにならないと駄々をこねる子供のような部分を押し通すことで、モンゴルに帰り、ビジネスを推し進め、同時に横綱としての立場も保とうとしているのかしら?なんて考えたりしています。反面、天秤座の太陽のすぐそばに物事を悲観視させる土星があり、同じ天秤座に知性や論理能力を物語る水星と、関わるものをとことん突き詰めさせ、根本的な変容を促す冥王星がほぼ同位置にあることから、かなり深刻にいろいろ考え、策略を練っているのではないか。そうしているうちに本当にノイローゼみたいな状態に陥っているという可能性も否めません。ですからここでお母さんが来日するなどしてケアし、一言「あなたはこうすべき」と言って上げられたら、彼は意外にも素直に動くのではないかと思うわけです。まあ他人事ですから、こんなことを言っていられるので、渦中にいる人たちは、自分たちの立場を守ることに一生懸命で、状況を俯瞰して眺めることも出来ないのかもしれませんね。朝青龍が強い横綱であることは誰もが認めるところだし。個人的にはもう少し彼の活躍ぶりを見ていたい気もしますが、どうなるのでしょうか?
2007年08月27日
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ここのところ連日朝青龍の病状やモンゴル帰国か?の話がテレビをにぎわしています。私は以前から彼の行状を見ていると、まるで日本神話に登場するスサノオのようだなと思っていました。スサノオはヤマタノオロチを退治した英雄ですが、一方で粗暴でキレやすい暴れん坊として嫌われてもいたからまさに朝青龍に近いかも、と。それで今回の一連の騒ぎをキッカケに、スサノオの神話を確かめてみたのですが、彼はイザナギとイザナギの間に生まれた末っ子。当初イザナギは彼の姉であるアマテラスに高天原を、ツキヨミノミコトに夜を、そしてスサノオには海原を治めさせようとしたのだけれど、スサノオはそれに反抗し、母イザナミのいる根の国(これって冥界のこと?)へ行くと言ったので、イザナギは怒って近江に引きこもってしまったそうな。で、スサノオは根の国へ行く前に姉に挨拶しようと高天原へ行ったのですが、姉であるアマテラスは弟スサノオが攻めにきたと考え、武装して対応、後に誓約によって彼が高天原を攻めに来たのではないことが分かり、しばらく滞在するのですが、そこでのあまりに粗暴ぶりにアマテラスは呆れて天岩戸に隠れてしまったのでした。この伝説を朝青龍に重ねてみると、ちょっと面白い。もしかしたらそもそもモンゴル人力士に対して、相撲協会は警戒心を抱き、アマテラスのように武装して対応したのではないでしょうか?それに対して朝青龍は横綱になるということで自分を認めさせた。スサノオもアマテラスに自分を認めさせたわけですが、しかし粗暴な言動が結局アマテラスを怒らせたように、今、相撲協会は朝青龍に手を焼いているのかもしれません。誰も責任を取らず、雲隠れしたがっているように見えるのは、アマテラスが天岩戸に隠れるのと同じですかね。とはいえそもそもスサノオは母親に弱い。父親の指令に従わず、母のいる根の国へ行こうとするくらいですから。朝青龍もきっと母親に弱いに違いないから、この事態を収拾できるのはお母さんの一言なのかなあなんて思っています。実は朝青龍の出生チャートも作ってみましたが、このチャートとスサノオ神話を重ね合わせても、やっぱり似たような感じを受けるのですよねえ。さてさて。事態がどう展開していくのか、興味深く眺めています。
2007年08月23日
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今日の出来事というわけではないのですが、16日に後楽園ホールにオズアカデミー主催の女子プロレスを観にいってちょっと興奮してきました。数年前からちょこちょこ女子プロレスを観るようになったのですが、最初のうちはその楽しみ方が分からず、戸惑っていました。でも何度か観ているうちに、きれいに技が決まった瞬間とか、マットに押さえつけられた選手が、スリーカウント直前に肩を上げてセーフという瞬間に、「よし!」なんていっている自分に気づくようになりました。その時に私は自分の中の「火星」の存在に気づいたのです。もともとキレイなものなら何でも好きで、幼い頃からバレエを習い、ダンスやミュージカルを観劇したり、陶芸教室に通って器を作ることに熱中していた私にとって、女子プロで興奮している自分は新しい発見!だったわけです。この4月に「火星」についての本を出そうと思ったの最初のキッカケは、実はまさに女子プロレスにありました。火星は、自分の中の野蛮な部分、ケモノの部分を色濃く表す星ですが、そこを自覚することで、生きる力に変えることができる!そんな風に思って、それを多くの人に伝えたくて書いたのです。それを教えてくれた女子プロレスに感謝!そして日々リングで身体を張っていらっしゃる選手の皆様に感謝しています。回を重ねるうちに、試合を見る目も変化してきて、今では「あの試合はあーだったよね」なんてえらそうに話している私。自分の中に鬱々としたものを抱えているなら、ぜひ一度、女子プロ観戦してみてはいかがでしょう?結構スカッとできますよ!
2007年08月18日
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今日は終戦記念日です。毎年、この時期になるとメディアが一斉に戦争に因んだ番組を流したりするので、実は憂鬱な気分になることが多かったのですが、今年はいつになく多い。例年だと戦争を体験した年齢層が見そうな番組が多かったけれど、昨年あたりから若者向けの番組でも「戦争について考える」的なものをやるようになったように思えます。ついこの前も爆笑問題の大田光さんが「私が総理になったら」という番組で、原爆を落としたアメリカに補償を求めるという法案を出し、議論を展開していて、思わず見入ってしまいました。私は戦争体験者ではありませんが、小学校時代の先生の中には、東京大空襲でガラスの破片が全身に入り、10数年後にあたるその頃もなお体内からガラスの破片が皮膚を破って出てくるという方もいらっしゃいましたし、当時栃木県に疎開していた叔母が、大空襲の知らせを聞いて家族を案じて、そこから歩いて東京までやってきた話など、しょっちゅう聞かされていたので、まるで自分が体験したかのように鮮明にその様子をイメージできてしまいます。ですから四谷にあるこの家に引っ越してきた9年前にも向かいの家に暮らすお年寄りが戦前からこのあたりに暮らしていたという話を聞いて、すかさず「3月10日」の大空襲はいかがでした?なんて尋ねてしまいました。そうしたら向かいのおばあさんは、まるで昨日のことのように、その様子を話してくれました。敗戦直後には茫然自失になって話せなかったことも、時を経て冷静に伝えられるようになるのでしょうか。だとするとまだ戦争体験者が生存している間に、いろいろ聞いておきたいものだとその時に思いました。が、日々忙しくいつの間にかそんな思いも薄れてきた今年、向かいのおじいさんが病に倒れ、いよいよ聞いておかなくちゃと思うようになっている今日この頃。いろいろな思いをもって、今日は、終戦の瞬間、1945年8月15日正午東京の星の配置図を作り、本日正午の配置図と並べてみました。1945年のほうは、チャートの上方にしか星がありません!乙女座6度の天頂にコミュニケーションや伝達を表す水星がくっついていて、まさにお上(天皇)からのメッセージが流された瞬間のイメージがあります。そしてその水星は逆行していて、獅子座の太陽、冥王星とともに未来の可能性をあらわす9室に。一方パートナーシップをあらわす7室では戦いの星火星と天王星が双子座でほぼ同位置にあり、絆や継承、死と再生をあらわす8室では蟹座のドラゴンヘッド・金星・土星の織り成すステリウム(星が揃い並ぶこと)が無意識や見えない事象、隠された物事を表す12室にある蠍座の月と120度の角度を形成しています。そして拡大と発展の星木星は乙女座28度で権威や社会的地位をあらわす10室にありながら、他のどの星ともコンタクトをとっておらず、同じ10室の後半、占星術本来のセオリーで読み解けば、すでに友情や横のつながりをあらわす11室にあると見て構わない位置に傷と癒しをあらわすカイロンと海王星が天秤座でほぼ同位置に。このチャートを、国民に「戦争は終わりです」と告げる天皇のお気持ちと考えると、ひどく切ない気分になります。一方それを経験した国民の気持ちと考えると、「リセットだ! 未来に向かう道を追求しよう」という感じにも捉えられます。ちょっと長くなりましたので、今日の星の配置図については、明日以降にお伝えしたいと思います。占星術をよくご存知の方、あなたならどんな見方をされますか?ご意見をお聞かせください。
2007年08月15日
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このブログを始めたばかりの頃に、朝顔を植えた話をしましたが、三本植えた苗のうち、蔓が出て、用意した竹ひごに絡んだのが、一本だけ。残りの二本は、蔓が出る前に、花芽がいくつも出てしまい、茎ばかり太くなって一向に竹ひごに巻きつきません。どうなってるのか毎日、頸をかしげながら水遣りをしています。いきなり猛暑になったこととか、その割りに日当たりが悪いことなど、いろいろ思い当たる理由はあるのだけど・・・蔓が出てきた一本も、いまだ花を咲かせていなくて、このまま朝顔の花を水に夏は過ぎてしまうのではないかしらと思うと、残念です。朝顔なんて、誰でも植えれば咲かせられると思っていたけど、近頃はそうでもないのかも。こんなところにも地球環境の変化に伴う影響が出ているのかしらと考えています。どなたか、このような状況の朝顔をすくう手立てをご存知ではないでしょうか?
2007年08月14日
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来月の9月2日、この2年半の間獅子座を運行していた土星が乙女座に入ります。獅子座は強い自己表現欲求を持ち、生きる喜びを創造性に求める星座ですから、ここにある土星は多くの人に「生きる喜びとは何ぞや」ということを訴えかけ、深く追求させていたことでしょう。土星は一般的には「凶星」と言われています。それは物事の縮小や制限を意味し、見直しを強いるから。でもそれって実は悪いことではなく、見かけは停滞しているように見えること、制限や障害に見えることにも、きちんと向き合い、じっくり考えるなら、むしろ物事がするするとうまく運んでいるときよりも、学ぶことは多いように思えます。その土星が乙女座に入ろうとするこの時期、隣家が建て替えを始め、我が家は今、大変なことになっています。なんと言っても家で仕事をしているもので、朝9時からの工事の音や響きは耐え難い。しかももう一軒すぐ傍のビルがマンションとして建て替えを始めるとか。実は私の誕生チャートの天底は乙女座の若い度数にあり、来年の8月ごろ、天底のポイントを通過します。天底は、ご存知かもしれませんが、自分自身がほっとするポイント、故郷やルーツ、あるいはホームの感覚を呼び起こすポイントと言われています。ですからこの時期、私にとって乙女座の土星は、自分の居場所を見直し、将来を見据えて改めて築きなおすことを促しているのかもしれません。乙女座は、雇用と健康の星座。細部に拘り、役割意識と計画性をもって、物事を達成していく星座です。ですからこれまでその日ぐらしで満足してきた私も、この期間に、人生設計を考え、すべきことをしていく時期なのかもしれないなあと思い始めています。とはいえ、長年暮らしてきたこの家への愛着もあり、また引越しの面倒や散在を思うと、重い気分。まさに、土星的な気分を味わっている、今日この頃です。
2007年08月11日
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先日、新宿の京王プラザホテルのエントランスロビー&ギャラリーで行われている田中逸齋さんという書道家の個展を拝見してまいりました。とても面白かった。たとえば「樹」という一文字の作品が、確か二つあったと思うけれど、一つは木陰で涼めそうな大木を思わせるもので、もう一つは冬の小道にぽつんと一本立っている細い樹のように見え、漢字って面白いものだと思いました。特に漢字を理解する国の人にとっては、本来表意文字である漢字ですから、もともとの意味が分かる上に、田中さんの感性によって、時に生き生きと、時に大胆に、漢字というものが迫ってきます。最近、毎月の12星座の運勢を、漢字一文字で表現するというお仕事をしていて漢和辞典を紐解くことが多いので、よけいに楽しませていただきました。同じ意味の漢字でも、語源を辿ると、「この場合は使わないだろうな」と思えるものがあったりして、その奥行きの深さに毎回驚いています。田中さんはさらに文字というものを越えて、今はアートの世界に入っていこうとしているように思いました。残念ながらこの個展は明日10日までですが、都合がつく方はぜひ見てみてください。
2007年08月09日
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昨夜は、葛城ユキさんのライブでした。いつもにも増してパワフルなライブ。しかもむちゃくちゃステージに近い席だったので、迫力満点! いつもながら一曲一曲に全力投球されているお姿に感動いたしました。葛城さんの故郷である岡山の方や、地方からわざわざ彼女のライブを見にいらっしゃる方もいて、会場は熱気でいっぱい。目黒のホテルウィングの地下にあるライブハウス、「ブルースアレイ」はかなりお洒落で大人の雰囲気漂うライブハウスです。私も葛城さんのライブに行くようになって知ったライブハウスですが、ジャズやポップスなどさまざまなジャンルの方のライブが連日開催されています。葛城さんの次回の「ブルースアレイ」でのライブは11月1日。また近くなったらご案内しますので、ぜひ皆さん一度、体験してほしいものだと思います。必ず、元気をもらえます!
2007年08月04日
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昨日に続いてお洋服の話題。今、私が一番気に入っているセレクトショップSAAYAではインド人デザイナーによる、インドの伝統的な刺繍を用いた繊細で美しいお洋服や、ユニークなアクセサリー、バッグなどがあります。お店に入ると、私はいつも大好きなものばかりなので、胸がきゅっとなります。私は手の込んだ刺繍のしてあるものとか、リボンやレース、羽根が使われているものが大好きなのですが、まさにSAAYAはその世界が店中に展開されているのです。このお店のオーナーである加納小夜子さんの太陽は射手座。本来は自由奔放でチャレンジ精神に溢れたお人柄だと思われますが、火星は乙女座にあり、繊細で手のこんだものに惹かれるあたりは乙女座の要素がかなり強く出ているのではないかと思いました。昨日も久々にお店を訪ねたのですが、「素敵」「かわいい」「面白い」「きれい」を連発するばかりでした。もしもあなたが美しく手のこんだものをお好きなら、ぜひ訪ねてみてください。場所は乃木坂の桂由美ブライダルサロンの裏手にあります。ホームページもあるので、覗いてみてください。www.saaya-k.com
2007年08月02日
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昨夜服飾デザイナーの友人と話していて、最近の若い子は、コーディネイトの工夫が出来ないんだよね、と聞かされました。確かに今街を歩いていると、薄生地でふわっとした感じのワンピの下にスパッツをはいたりしている人を数多く見かけます。一つの着方が流行ると、みーんながそれをやるという現象、昔からあったけど、近頃はさらに激しくなっているのかな。でもオートクチュールとか、注文して作ってもらう服のようにあらかじめ自分に合わせて作る服と異なり、既製服の面白さって、同じ服でも容姿やスタイル、好みの違う人が着たら、こーんなにも違っていて、それぞれ面白い、ユニーク。っていうところにあるような気がします。私の出生チャートで生理的な感情を表す月が水瓶座にあるためか、昔から私はその時期の流行りモノが似合わないことで悩んでいました。トラッドやアイビーが流行していた頃、私はまだ10代だったので、そういうのを着て、みんなと同じでいたいと思って着てみると、まるで猿回しのサルのようになってしまい、すごく気にしていました。今は昔みたいなタイトな着こなしルールのある服が少なくなっていて、もっと自由に組み合わせられるのに、もったいないです。ちなみに私は30代の頃、デザインがユニークすぎて誰も買わなかったような服をバーゲンで買って着ていると、似合うよね、その服なんて言われたことから、「私って安上がりな人間かも」と自己肯定できたことを思い出します。多様化の時代なんていわれながら、むしろ不自由になってきているようなこの感じ、なんとかならないのでしょうか。選挙で民主党が予想以上に圧勝したし、ここで一挙にみんなの意識も変わらないかなあ・・なんて思う今日この頃です。
2007年08月01日
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土曜日、隅田川の花火を観てきました。とある料亭で、食事をし、芸者さんと一緒に「投扇興」という扇を投げて、台の上に立っている木製の飾りを倒すという雅やかな遊びをした後、花火を見るという趣向の会合に参加したのです。ご一緒したのはごく最近ワンピース倶楽部というものを立ち上げ、アート(特に現代アート)の普及に貢献しようとしていらっしゃる女性。この倶楽部の趣旨は、好きなアーティスト(音楽じゃなくて、美術の方です)の作品を一年に一枚、買いましょうよ。そして月に一度の会合を持ち、情報交換したり、勉強会したり、みんなで各国のアートフェアやビエンナーレに行きましょう。てなことで、アートが好きで、作家さんたちを応援したいけれど、パトロンになれるほどお金持ちじゃないし・・という方にはぜひおススメしたい倶楽部です。まあその彼女と花火を見ながら、話をしていてその美しさに感動しながらも「この花火を作るために、毎年何人かの花火師さんが亡くなってるのよねえ」つい最近も、ここ数年画期的で革新的な花火を作り出していた花火師さんが事故でなくなられたのだとか。一つ一つの花火が上がる時に、スポンサー名は紹介されても花火師さんの名が伝えられることほとんどないでしょう。それでも彼らは一瞬のこの芸術ともいえる花火に命をかけている。結局「アートも花火も、同じ目線で美しい」と感じられる心が大切だよね・・・という話になったわけです。有名だからいい絵に違いないとか、無名だから大したことないという見方をしていると、美しいものを自分の五感で感じられなくなってしまいます。「私はこれからはとにかく美しいものだけをこの目に焼き付けて人生を送りたい」といっていた友人の言葉がひどく印象に残りました。ワンピース倶楽部に興味や関心のある方はぜひ以下のホームページにアクセスしてみてください。one-piece-club.jp
2007年07月30日
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今日は、かねてからの知り合いで、北海道は浦幌で漁師をしている近江正隆さんが主宰するNPO法人「日本のうらほろ」の活動振りが放映されたビデオを拝見しました。近江さんは東京生まれの東京育ち。にもかかわらず北海道に惹かれて何とか漁師になりたいと考え、20年近く前に、北海道の猟師町を旅して歩き、ようやく受け入れてもらえたのが浦幌だったということで、この地でししゃもや鮭を釣り、楽天市場で全国に売り出したりしています。実は私、7,8年前に彼が主催した「秋鮭釣り体験ツアー」に参加したことがあるのです。自慢じゃないけど、船に乗ってすぐに酔ってしまい、一匹も釣れなかったのに、お土産に二匹もいただいて、しかもおいしいイクラをたっぷりご馳走になったりしました。その当時から近江さんは、何とかして浦幌の農業や漁業の生産者たちと、都会との橋渡しをしたいとおっしゃっていて、この時も地元の農家の方たちの親睦会をしていただき、楽しい時間を過ごさせていただきました。その後、さまざまな紆余曲折(?)を経て、昨年秋にNPOを立ち上げたのです。「日本のうらほろ」では都会はもちろん、浦幌に現在暮らしていらっしゃる方たちにも、自分たちの街の魅力を再発見しようと呼びかけ、たとえば「ししゃも」でどんな料理が作れるかコンテストなどを催したり、町民でツアーを組んで、自分たちの町の見所を見て回るということもやっています。自分たちの暮らす町を、まず自分たちが愛して自信を持つことが必要だということ。ビデオで拝見する町の方たちの表情もとても生き生きされていました。これって個人でも同じですよね。自分を好きになれない人が、誰かから好きになってもらえるはずもないというわけで。近江さんのやっている「旬の逸品やさん」は楽天市場からアクセスできますので、一度覗いてみてください。北海道産の行者にんにくのしょうゆ漬けやきゅうり魚など、美味・珍味がお取り寄せできます!
2007年07月27日
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昨夜は江古田にあるスワタントラというネパール料理のお店で、周年パーティ!店主の方のバースディ・デザートを常連さんたちがサプライズで用意してあり、それがとても美味しかった!フードコーディネイターをしてらっしゃるダイさんというかたが作った、何と西太后が美肌のために食していたという、お汁粉。胡桃やさまざまな穀物の入ったお汁粉の中に、やはり胡桃を使ったという白玉のようなものが入っていて、本当に美味で、しかも身体にいい! というお味でした。しかもたくさんお酒を飲んだのに、起きぬけの気分は爽快。便通もすっきりだったりして、もしかしたらこれもあのデザートのおかげかしらと思いました。医食同源を実感いたしました。
2007年07月22日
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久しぶりのブログ更新です。昨日「徹子の部屋」にカンヌ映画祭で最近グランプリを受賞された監督の河瀬直美さんが出演していて、とても興味深いことをおっしゃっていました。彼女は2004年に出産を経験した時、その場面を人に撮影してもらっていたのですが、「へその緒」を切る段階になって、これは自分で撮りたいと思い、カメラをもらって自分で撮ったということ。彼女いわく「この瞬間がとても重要だと感じたから。それまで一つにつながっていた命が、二つになる瞬間だと感じた」というようなことをおっしゃっていて、あー、親子といえでも、その瞬間から二つの別の命を生きることになるのだということを、河瀬さんは直観的に感じたのだと思いました。ずっと以前、もう10年近く前のこと、友人で占星術をよく知る女性が出産した時に、子供が生まれた瞬間の星の配置図を作り、自分のと比べて「あーこの子は、私とは別の人間だ」と感じたということを言っていたことを思い出しました。最近クルマかなんかのCMで「子離れした彼女は、何かまぶしい」てな台詞を息子が言うのがありますが、あれって逆にその年齢になっても親離れ、子離れできていない人も多いことを物語っているように感じます。本当はへその緒を切った瞬間に、別に人間になっているのに・・・。河瀬さんは「へその緒を切って別々の命を生きる」からこそ、新たに絆を築くこともできるし、他の人にもやさしくできるのではということをおっしゃっていましたが、私もまさにそう思います。これまた10年近く前の英国占星術協会のカンファレンスのある方の(というかどなたの講義だか忘れたのですが)講義で、「子供の出生チャートは、親のトランジットだ」ということを聞いて、そのシンプルな事実の指摘に目からうろこが落ちた覚えがあります。占星術をご存じない方のために説明すると、子供が生まれた瞬間の星の配置図は、当然その子の出生チャートとなるわけで、その子はそのチャートを具現化する人生を歩んでいくと考えられるわけですが、親にとって、子供を生んだその瞬間というのは、刻一刻と移り行く星の動きの中の一瞬であるが、一方でとても重要な一瞬であるということだと思うのです。親子のチャートにはかなり面白い特色があります。親がある星座に持つある星と同じ位置に、子供が別の星を持っていたり、占星術を知る人の間では「星は遺伝する」みたいな言い方をしますが、やはり別々の命を生きるとはいえ、親子には何らかの縁があるからこそ親子なのだということを実感させられます。一度切り離して二つになった命同士が、どのように再び絆を築いていくのか・・・。いつか親子のチャートについてのお話など、書いてみたいと思いました。
2007年07月20日
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今日から、日記の文字が大きくなりました。読んでくれている友人Kさんから、「これを読む人の年代って、そろそろ老眼入ってるから、文字小さすぎるのでは?」という助言をいただき、ブログ管理してくれている友人Gさんにお願いしたところ、すぐさま対応していただけました。確かに読みやすい!近頃はパソコンの普及もあいまって、30代から老眼になる人も多いそうな。それで思うのは、新聞の文字でしょう。あれって小さすぎますよね。テレビ番組欄を見るのも、最近はちょっと苦痛。もともと文字という文字はそれこそ車内の中吊りからスナック菓子の口上まで何でも読みたがる性格なのに、最近は読むのを諦めちゃうことも多くなった私。でもこのブログは読みやすくなったので、ぜひご愛読のほどを・・・!
2007年07月09日
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私、実は大変な酒好きです。もしも私の人生に酒がなかったら、(たぶんもっとお金持ちになっていたでしょうが)、ほんとにつまらないものになっていたかもしれません。酒の神様といえば、バッカス。ギリシャ神話ではディオニュソスと呼ばれる、異境の、狂気をはらんだ神様です。この神様は、乱痴気騒ぎの中心人物で、周囲にはたくさんの取り巻きがいたそうです。あんまり深く関わると、ホントに狂ってしまう人もいるとか。とはいえ確かに飲み仲間とバカバカしい会話と行為をして過ごす時間はこよなく楽しい・・・!占星術的に言えば、この神様が司っているのは、海王星。物事の輪郭をぼやかして、ユルユルにさせちゃって、むしろキレイに見せる星と言われています。芸術や音楽はこの星が関わっていると、素晴らしくなるわけですね。物事をぼやかし、ユルユルにさせることもお酒を飲んだ時の現象の一つですね。ちなみに飲酒運転というのは、この海王星に行動力や闘争心、スピードをあらわす火星が絡んでくるように思われます。たとえば誕生チャートで火星と海王星が、タイトな角度を取っている人は、ご用心。ゆめゆめクルマにのった時は、どんなに誘惑があっても飲まないようにしてくださいまし。かく言う私も、火星と海王星が妙な角度を取っているので、20年以上前は、運転をしていて誘惑に負けそうなことが多々ありましたが、あるときを境に、クルマを辞めて酒を取りました。おかげで今は楽しい毎日です。私の火星は魚座にあって、ただでさえ酒好きになりがちな火星。きっぱりクルマをやめる決意が出来たのは、正しい判断だったと自負してます。
2007年07月08日
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私は一人で食事をするのが、結構好きです。もちろん親しい友人たちとワイワイやるのも好きだけど、一人部屋で食べたいものを作って自分のペースで食べるのも好きだし、一人でレストランで食事するのも大好き。今日も近所のステーキ屋さんへ、一人で食べに行ったのですが、いつもは一人で食事しているのはほとんど男性のその店に、一人で来ている女性が結構いて、なぜか嬉しくなりました。ここ一、二年の現象ですが、さまざまな場所で一人を楽しむ女性を見るようになったような気がします。一人で行動できるって、人としての自立性があるということだと思うのです。そういえば、今日は月が牡羊座に入っているので、何となく皆さん単独で行動したくなるのかな・・・なんて思いました。ところで我が家には4匹の猫がいるのですが、その中の一匹(黒猫で肉球も黒い!)は生粋のノラの家系で育っているためか、外へ出て行っては狩をして帰って来ます。先日もいたいけなスズメを持ち帰って家の中でいたぶっているので、ワナワナしながら、手出しできずに眺めていました。ゴキブリをいたぶっている時もあり、その時は内心「早くしとめてね」なんて思っているくせに、ネズミやスズメになるとそうも思えない。でも彼女(この子はメスです)にとっては、自分の中の野生が奮い立つものなのだろうと理解するように努めています。牡羊座は、チャレンジャーであり狩人の星座。冒険を求めて旅立つ英雄を求める星座です。もしかしたら一人ゴハンする女性たちは、自分の中のチャレンジャーや狩人を、一人で行動することで満足させているのかも・・・と思いました。
2007年07月07日
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私は今でこそ占星術の専門家のようになっておりますが、20代の頃には、編集プロダクションで日々身体を酷使し、フリーとなってからも仕事・仕事の日々で、いつの間にか体調が悪くなり、数年前より原因不明の冷え(身体の左ばかりが冷える)に悩まされるようになりました。で、それ以前からマッサージや指圧、アロマテラピーや鍼灸など、いいと聞いたものを何でも試していたものの、どれもその場しのぎで、肩こりがひどくなった時に駆け込み、少し楽になると行かないということを続けていたのですが、ここで一念発起。4年ほど前から1年ほど漢方の処方を受け、私の体質にあった薬を煎じて飲むことを続け、昨年からはやはり患者さんの体調や体質に合わせて、治療方針を決めてくださるという鍼灸に通うようになりました。そうしたら、びっくり。以前はまったく興味のなかったお肉が大好きになり、今では一人で近所のステーキハウスに行って「和牛ステーキ」をガツガツ食べたりしています。と同時に仕事への意欲も沸いてきて、身体の大切さ、心と身体ってしっかり結びついているものだと実感する日々です。「火星」占いの本を書くことが出来たのも、漢方と鍼灸のおかげだと感謝しています。そしてそのおかげで書くことが出来た本が、多くの人たちを励ましたり、勇気付けることが出来て、その人たちがまた他の誰かを励ましたり、勇気付けたり出来たら、こんなに嬉しいことはないと思います。私の仕事は不特定多数の方に向かって文章を書くわけですから、常に、それを読む方がどんな方であっても、何かしら考えたり、励まされたり、勇気付けられたり、まあ単に面白い情報が得られたと感じたり、とにかく何か、得るものがあるようにと考えてきましたが、自分の名前で本を書いても、その思いに変わりはありません。イギリスで出逢った占星術を勉強しているポーランド女性に、火星の本を書いたといったら、「なぜ火星を選んだのか」と尋ねられて「今、自分の中の火星の力に気づく必要があると考えたから」と言ったら、彼女は「私もあなたの意見に賛成だ」と言ってくれたことがとても嬉しかった。やはり書いてよかったなと思うし、これからも意味のある仕事をしていきたいものだと思っています。こんな風に思えるようになったのも、漢方と鍼灸のおかげなのです・・・!皆様は、自分の身体と心に対して、日ごろどんなケアをしていらっしゃいますか?
2007年07月04日
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