Laub🍃

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2017.08.10
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カテゴリ: 🌾7種2次表
7種の中でも解釈に迷う20巻「逃げられたんです」について嵐の過去、嵐の行動理念と併せて意図を考察・解釈した二次創作SSを先日投稿致しました。
原作の言葉・モノローグを引用していますが、勝手に解釈している部分も多いです。
そして嵐が傲慢です。
『いいから黙って救わせろ』嵐独白SS
※→long ver(前半長め/別サイトに飛びます)

以下、書いていて思った安居達、価値観殺し嵐達に関する事。
深読みし過ぎでぐだぐだしています。長いです。




●「逃げられなかった」から今も一歩も踏み出せない→「逃げられた」と認識を捻じ曲げる

「逃げられたんです」

この言葉、何度見ても勝手。

知らないからと言って、もっと言い方は選べただろうともやもやすることが幾度もあった。



逃げられないって。監視カメラだらけなのに。
逃げられないって。国家の極秘プロジェクト生贄なのに。
逃げられないって。恐らく殺されるか連れ戻されるのに。
逃げられないって。そこしか生き方も夢も知らないのに。
逃げられないって。大事なものは全て箱庭の中にあるのに。

逃げられないって。温室育ちの植物も、放牧されている牛も、皆人間の命の為消費される為に産まれているのに。
逃げられないって。それに似たことを夏のAチームは使命と思っているのに。


ーだけど、あの言葉を嵐は世の中の絶対正義として言っているわけでない。
田村先生もきっとそうした万能の言葉や真理としては描写していない。

では、何の為か。



あの言葉は、嵐の自己満足の為の言葉。



嵐の青臭くエゴイスティックな言葉でも、
半端に共感と理解を示しているからこその言葉でもある。

そして、それ以外に手を差し伸べる方法を知らないからこその言葉でもある。





実際に逃げるのが可能か否かはこの時点では(嵐・展開の為には)重要性の低いこと。

(それを実現する術はもうどこにもない。それを確かめる術も、百舌に対応策を訊く位しかない)


過去安居が「逃げられなかった」から、今の安居も「どうすればいいか分からない」事が重要。

過去安居は「逃げられた」と事実認識を捻じ曲げることで、今の安居を解放する


「逃げないで闘う=生」「闘うことから逃げる=死」 という安居の二元論を壊すことが第一。


過去の世界の安居には手が届かない。救えない。
だから、安居のインナーチャイルドの境遇を疑似的に変化させた。

過去のトラウマの前提を捻じ曲げることで価値観をぶち壊して心の家を一部更地にした。


……この言葉は理詰めなんかじゃない。やり方が少し違えば逆洗脳にさえ近い。
これまでの"常識""大前提"を混乱させることで新たな観念、視点を植え付けているのだから。
また、それが成功するかも賭け。

安居への絶対的な切り札でもなく、ある種の押し付けであり、賭けでもある言葉。

あの言葉は、一度沈んだ安居を、周りの声がきこえるところまで引きずり出す、ただそれだけの言葉。
そして安居もきっとそれ以外に取れる手が見付からなかった。
心のどこかでは、このままでは駄目だと、教えてと、「俺は何をやってるんだろう」と思いながらも、蹲る事しかできなかったから。
動いたらもっと酷い事になるかもしれない迷子の状態だったから。

だけど、安居はやっと手を取れた。声が聴こえて、視野が拓けて、一歩だけでも歩みだす力を得る事ができた。
だから、涼の話を聴けた。茂の想いが伝わった。ナツに今までと違う声をかけられるようになった。



…喩え思い込みだとしても、『7人に残らなければ生きてここを出られない』と思ったことで未来への片道切符を手に出来たあの時の安居のように、新しい世界に辿り着く前に足切りされることはなかった。

それが幸か不幸かは別として。



●安居のジレンマと矜持

ここで、後々特に問題になってくるのが
『逃げられた』と事実認識を捻じ曲げることで、茂達の死を『避けられた』=『自分でそれに気付けていたら逃げられたかもしれない』こととして認識してしまうこと。

「オレたち皆馬鹿みたいだ」
「受けなくていいテストで死んだって」
「オレのせいで死んだ茂は」

といった安居の自戒と自虐と自責。
これを昇華しきることは喩え大前提にショックを与えたとしても、茂が喩え安居を助けて死ぬことに誇りを持っていたとしても、難しいと思う。

実際要先輩との再会で再び思考の地獄巡り再発してしまったし。

だから、まず地獄巡りだらけのあのシーンでは、整理する為の一手目として
「そもそも誰のせいなのか?」が問われたんだろう。

最終的に責任を取ろうとしたのは百舌。
原因の原因とされたのは恐らく先生及び上層部、計画担当した人。
彼らがほぼ100%悪いし、愚かで、弱い。

その中で夏Aは、安居は、茂は、涼は、精一杯やった。
結果は最悪だったとしても、過程に醜い想いがあったとしても。
因果の中に安居達の決断も含まれてしまっているとしても。


だけど、夏A施設について責められる人が、責任を負うべきと思い当たる人が、中盤の安居にとっては一人しか居なかった。
皆死んでしまったから。
その責める人さえ死んだ(と思った)時、そして安居への混合チームの恨みが爆発した時、恨みも怒りも悲しみも燻った。だけど消すことも安居には出来なかった。不完全燃焼を続けていた。

だから、この責任の話で一つ安居の肩の荷が下りた。鎖が一つ外れた。

そして恨み続ける事で維持していた身体を、ナツ達の為そして105人の為に使うことで、いくつかの思考回路をそちらに移動することで、少なくとも何をやってるんだろう状態にはならずに済んだ。

(因みに安居の過去にもしこうしていたらと想うことも事実認識の迷路になってしまうし、
 現在にうまく生かすまでは単なる夢物語なので涼が止めたということだと思われる)


他にも当然まだまだ解消されていない想いはある。
誤魔化した思いも、誤魔化された思いもある。あの時は絆されたけどよくよく考えてみると…と後々思うかもしれない部分はあるだろう。後になって後悔と自責とどうしようもなく鬱な想いが湧いてくることもあるだろう。本人の与り知らぬ所で勝手に膿んで暴発する部分も。

だけどそうした複雑な想いを助けるのは、まずは連れ出してから、傷を曝け出せる環境ができてから……なんだろうと思う。

嵐の「いつか」と花の「いつか」はその後の可能性で、希望という描写なんだろう。

番外編でその描写、フラグが消化されるとは限らないけれど…。

……番外編の中で安居に関して与えられたページで100%それが解ききれるほど簡単なものでもないと思うし、ここまでえぐいと実際の似た例と同様簡単に語り終えてしまうのもなあ、と想うし。

それでも、何とか昇華しつつあって、過去の色々な事を今までと違った視点で見直せるようになった安居の姿は見たい。






●群れるから弱いのか、弱いから群れるのか

安居への暗示が解けたのは、安居が途轍もない素直さを持っていて、涼がナイスオブザーバーをやってのけて、茂が昔のように何気なくさりげなく安居の隣で声をかけることが出来たからこそ成功したこと。

そのきっかけを作ったのがきっと、「ナツが一度落ちたけどもう一度登り切ったこと」と、嵐の言葉のナイフだった。

……安居が、そうしたきっかけ、ある種のレールに似たものがなくてもどうすれば最善か分かるような、あるいは選んだ道イコール正解だと主張するメンタリティを持っていれば。
……安居達がそうした育ち方をしていなければ。
……涼がまつり・蝉達により影響を受けていなければ。
……右手の動かない理由が、勝手に出てくる言葉や涙の正体がはっきりしていれば。

もしかしたら、彼らは自力で「強く」解決することができたのかもしれない。
あるいは、もっとチームワーク然とした、嵐が滔々と語る必要のない展開になっていたのかもしれない。

けれど、自分で決めて自分で責任を取るーそれが必ずしも正解とは限らない。

「そんな状況で起きたことに責任なんかない」
ーというように。

あれは、安居の弱い部分への赦しでもあるんじゃないだろうか。
ずっと強くあらねばならないと思ってきた安居の為の、「自分で決めて自分で責任を取る」ことさえ、命の存続と引き換えに押し付けられてきた安居の為の言葉なんじゃないだろうか。

誰かに勝手に押し付けられた苦しみが、誰かに勝手に押し付けられる救いによって消化される。
だからこそ生まれる絆も、20巻では描かれていた…のかもしれない。







……それと、そうやってとてつもなく素直で弱くて仲間依存でヒントさえあれば強くて頼もしくなる(※ただし肝心な所が迂闊)安居じゃなければここまで読み続けたり読み解いたり、応援したりなんて続けていなかったかもしれない。



●田村先生の意図とは?

ナツの過去思い返しでも安居の闇落ちでも花のモノローグでも34巻要さんでも貴士先生でも思ったけど田村先生は7種で、成熟した文明社会を奪われた人間の弱い所、駄目な所、醜い所を描こうとされていたのかな……。

成長過程にある社会で、強く、見事な人間の様子、そして自然環境よりも人間の罠や悪意、そして知恵や決意が勝る様子を描かれてきたBASARAとは趣旨が違うのかもしれない。


成長しているようで、またぶり返すようで、不条理な神様に振り回されるようなちっぽけな人間を。
どこかのとらうま町に居るような、エゴ剥き出しで、優しく、同じ失敗を繰り返し、狡くて、都合のいい、優しくない人間たちを。
どこかのセンサーに反応するような、ありとあらゆる恨みや怒り、蔑視や害意、その手段を。

それら悪徳や毒たちを経て、どう変わって行くのか、どう生きて行くのかを。
田村先生は描こうとしていたのかもしれない。



そんな人の欠点を、作品内の人々が完全に乗り越えられているのかは分からない。
ずっと乗り越えられないままかもしれないし、乗り越えた所も根治できていなくてまた再発するのかもしれない。

だけど、そうしたところを含めて愛せるようなーあるいは、慣れることのできるようなー読み方が、望ましいのかもしれない。


そういう特徴は、ほとんどが各々が歩んできた道、人と関わって来た歴史を体現してもいるから。



35巻のカバー下の泣きも笑いもせず強がりも弱い所を見せてもおらずどの仲間にも目を向けてない安居に若干居心地の悪さを覚えたのも多分そのせい

**********************



……でもそれはそれとしてヘイトぎりぎりの感想や二次創作は書くかもしれない。

新たな特徴・思考回路が出るごとに考察厨の血が疼くし。喩えそれが欠点であっても。
安居相手だと普段秘めてるダークな部分が表出するキャラもある意味面白いし。
そのポジションが安居含む夏Aにとっての卯浪で貴士で要なのは皮肉…なんだろうなぁ


嫌われと違って安居に安居らしい非もある。
だけど、安居の背負う必要のない責も安居が背負ってる。
一般猟奇と違って肉体的な拷問はしてない。
だけど精神的に共有できない外傷を負っている。
よくあるデスゲームと違ってある程度育ってから閉鎖空間に閉じ込められたわけじゃない。
だけど、子供の頃から施設しか生きる場所を知らなかった。
ディストピアものと違って幼い頃に抱く夢や気持ちは読者と近しい。
だけど、外の人に言われるまで未来以外に道を見出せなかった心理状態。

だからこうした作品に出てくる人の駄目な部分、暗い部分、どうしようもない部分と重なるようで、重ならない。独特。考察や深読み、IF展開を考える甲斐がある。





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最終更新日  2017.08.27 20:53:01
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