おぢさんの覚え書き

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2016.12.22
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カテゴリ: 歴史/考古学/毛人
中高瀬観音山遺跡

中高瀬観音山遺跡の発掘調査報告書 [1] には推定例も含め271の石鏃が報告されている。弓矢は弥生時代の主要な武器の一つであり、この石鏃が狩猟目的の物か戦闘用の物であるかはこの集落の性格を評価する際に重要だろう。また縄文時代の石鏃を多く含むと推定されているがその割合は不明だ。

佐原真氏は縄文から弥生前期までの石鏃は1~3センチ、2g未満に留まっていたとしている [2] 。松木武彦氏はその基準を超える石鏃を著書の中で「戦闘用石鏃」と呼んでいる [3] 。今回はこの基準を使って中高瀬観音山遺跡の石鏃の分析を試みた。報告書所載の石鏃から未製品の可能性のあるもの、欠損などによって全長の分からないものを除いた196個を分析対象とした。

石鏃重量は0.1g単位のデータが欲しいところだが、報告書では1g未満を四捨五入した1g単位のデータとなっている模様だ。戦闘用石鏃の目安となる2gを超える石鏃の割合はデータが大まかではっきりしないが1割程度だろうか。




石鏃の長さは2cmぐらいに分布の中心がある。


戦闘用石鏃の目安である3cmを超える石鏃は196個中わずか7個で全体の3.6%に過ぎない。








ところで、出土した石鏃は黒曜石製のものが大部分であるが、大きさが2.5cmを超えるあたりから他の石材の割合が増えることが分かる。また出土した磨製石鏃5点中4点は長さ2.5cmを超えている。2.5cmのあたりに縄文と弥生の境界あるいは狩猟用と戦闘用の境界があるのかもしれない。












[1] 群馬県埋蔵文化財調査事業団 1995 『中高瀬観音山遺跡』
関越自動車道(上越線)地域埋蔵文化財発堀調査報告書 第32集
[2] 佐原眞 1975 「かつて戦争があった―石鏃の変質―」『古代学研究』第78号
[3] 松木武彦 2007『日本列島の戦争と初期国家形成』



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Last updated  2017.03.28 16:16:47
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