南京が陥落 [1] してみると、急に今までの戦いが大戦争の序曲であったことがはっきりして来た。
上海での敵のトーチカにユニオン・ジャックを掲げさせていた英国、上海市街行進の時、日の丸の旗を往来に投げ捨てた英国、自国の小艇が誤認されて爆撃されたと言ってその騒ぎよう。
p.169 昭和13(1938)年「近々抄」『近きより』第2巻第1号<一月号>
[1] 一九三七年八月九日、抗日機運がたかまり緊張状態のつづいていた上海で、中国保安隊によって、日本海軍陸戦隊中尉大山勇夫が射殺されたことによって、同一三日には上海地区での日中両軍の熾烈な戦闘が火ぶたを切った(第二次上海事変)。日本政府は同年九月二日、戦線の華中への拡大にともない「北支事変」を「日支事変」と改称。同五日には日本海軍が全中国沿岸封鎖を宣告し、つづいて日本軍は、中国国民政府の首都南京を作戦目標とするが、対する中国側のすさまじい抵抗に思わぬ苦戦を強いられ一時戦況は停滞した。進撃を阻まれた日本側は兵力を増強し、同年一二月一三日、ようやく中支方面軍が南京を占領した。しかし、南京に入城した日本軍は翌年二月まで住民に対して略奪暴行虐殺を続けて、南京のみで約四万二〇〇〇人(大部分は婦女子)の中国人が殺された。また南京への進撃中、約三〇万の中国人が殺され、一万二〇〇〇の商家が略奪されたが(南京事件)、日本人がこの事件を知ったのは、敗戦後であった。
おとなしい米国に対しては誠に気の毒であったが、パネー号に対する我が海軍機の命中率 [1] の偉大なことよ、高射砲の届かぬ高さから、二十数発の投下、全部命中、何という訓練の厳格さであろう。これを上海埠頭の旗艦「出雲」が四ヵ月間も碇泊しているのに、雨と落とした敵投下弾が、一個も中らないのと比較するとき、蒋介石の大言壮語の底が知らるるではないか。
p.170 昭和13(1938)年「近々抄」『近きより』第2巻第1号<一月号>
[1] 一九三七年一二月一二日、日本海軍機が、揚子江南東付近を航行中のアメリカの軍艦パネー号を中国軍艦と誤認して、撃沈したこと(パネー号事件)。日本政府は翌一三日、ただちに駐米大使を通じてアメリカ政府に陳謝。外交折衝の末、三八年三月二一日、アメリカ側はパネー号事件に関して賠償金二二一万四〇〇〇ドルを要求し、日本側はこれを承認した。
80年前より―その63(『近きより』をな… 2020.02.22 コメント(6)
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