おぢさんの覚え書き

おぢさんの覚え書き

2018.01.14
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カテゴリ: 歴史/考古学/毛人
小塚エリアの中心である小塚遺跡群から南東へ500メートル、白倉川が流れる谷を挟んだ対岸の台地上に白倉下原・天引向原遺跡がある(位置は 「鏑川流域弥生集落」 を参照)。その東には前回取り上げた​ 天引狐崎遺跡 ​が隣接している。白倉下原遺跡C区は既に「​ 白倉下原遺跡C区―磨製石鏃生産集落 ​」の記事で紹介し、磨製石鏃の形態について少しばかり検討した。今回は住居数推移、磨製石鏃推移の表を作成した。白倉下原・天引向原遺跡に関する各種データを以下シートに入力した。

白倉下原・天引向原遺跡Ⅲ―石鏃

住居の推定時期は報告書に示されているが [1] 、一部「2~3段階」とされているものはおぢさんが住居プランや土器の図を参考にして2または3段階に分類した。また「3段階?」のようにクエスチョンマークが付されているものは提示されている段階をそのまま採用した。このように各住居の段階を決定して以下の図に住居数推移を集計した。


磨製石鏃の数を集計しようとすると、どのようなものを完形、あるいは未成品としてカウントするかということが問題になる。

[2]
①石材の入手
②分割
③研磨
④穿孔

破損していても元は完成品だったと思われるもの、最後の工程と考えられる穿孔が施されていなくても、刃部がつくられ、穿孔工程直前に到達しているものは磨製石鏃としてカウントする。
未成品としてカウントするのは、上記の②分割工程に於いて磨製石鏃の製作を意図した分割が行われたことが形から認められる段階(ここは主観的判断になる)から③の研磨工程にあるものとする。
磨製石鏃の大きさは一定の範囲に収まるので、大きさが破片と未成品を分ける目安となる。
縦2.5~8.0
幅1.5~3.0
厚さ0.2~0.7

素材片、チップなどはカウントしない。どうしても、あいまいな部分は残ってしまうが、最終的にはおぢさんの独断で判断して集計したのが以下の表。このほか、遺構外から完成品未成品素材片など合わせて30点以上の石鏃様のものが出土しているが、ごく一部を除き白倉C区の出土であり、1期のものと思われる。弥生後期1期におけるC区からの磨製石鏃未成品や素材片の出土数はこれまで見てきた集落とは隔絶している。集落内の需要を超える石鏃生産を行なっていたことは明らかであり、その配布あるいは流通はどうなっていたのかということが気になるところだ。




[1] p.133 右島和夫 1994「Ⅳ遺物」『白倉下原・天引向原遺跡Ⅲ 弥生古墳時代本文編』
[2] p.134-135 右島和夫 1994「Ⅳ遺物」『白倉下原・天引向原遺跡Ⅲ 弥生古墳時代本文編』


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Last updated  2018.01.17 21:38:59
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おぢさん@ Re[3]:無(03/15) なんだかねさんへ お久しぶりです。永ら…
おぢさん@ Re[1]:土器-編年(02/14) 上毛野形名さんへ 長いこと返信もせず失…
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