長期抗戦というのは蒋介石の戦術かと思っていたら、いつの間にか日本の首相の口からもでるようになった。長期でも短期でもいい、終わりよければ凡てよし。
p.286 昭和13(1938)年「近々抄」『近きより』第2巻第5号
ダンスホール、喫茶店等は国情に合わないから弾圧するんだという。待合と女郎屋は国情にピッタリと合っていると見えて、事変以来非常に繁昌しているそうだ。
p.290 昭和13(1938)年「近々抄」『近きより』第2巻第5号
ダンスホールから追われたダンサーは、多くダンス芸者となって人生のドン底へ沈淪して行く。それに対しては、東北地方の女人売買に対する如く見て見ぬ振りをするつもりであろう。
p.290 昭和13(1938)年「近々抄」『近きより』第2巻第5号
ただ義人は何時の世にも権力者と反対の側にあることを記憶せよ。
p.291 昭和13(1938)年「近々抄」『近きより』第2巻第5号
東朝記者坂井米夫氏の南京通信に曰く、
「米国の半分でもいい、日本が支那に文化的施設をしていたら、娘子供の指輪にまで抗日の文字が刻られるようなことはおそらくなかったであろう」と。
p.293 昭和13(1938)年「近々抄」『近きより』第2巻第5号
80年前より―その63(『近きより』をな… 2020.02.22 コメント(6)
80年前より―その62(『近きより』をな… 2019.12.14 コメント(1)
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