おぢさんの覚え書き

おぢさんの覚え書き

2018.06.10
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カテゴリ: 近代
6月6日放送のクローズアップ現代 「自称“難民”が急増!?超人手不足でいま何が…?」 を視聴した。おぢさんが気になったのは「労働目的での難民申請が本当の難民の審査に支障を来たしてしまう」という点と「外国人労働者の良好な労働環境の確保」という課題である。第一の点は簡単な審査で明らかに難民とは思われないケースでは、就労及び滞在を認めないという対策をとるようになったそうだ。第二の点は番組では指摘がなかったのが残念だが、安全性や待遇で外国人労働者にも日本人と同じ条件で働けることが重要だと考える。
経済界は外国人労働者の受け入れ拡大に前向きであるが、日本国内の議論はまだまだといった感がある。おぢさんは閉鎖的で凝り固まった日本社会変革のためにも彼らの受け入れ拡大を望むものではあるが、よくよくコンセンサスを得て進めるべき問題であると考える。彼らを都合の良い労働力とだけ捉えて安易に受け入れるというのでは禍根を残す。長期的に受け入れるのであれば、経済状況が極端に悪くなった場合でも日本人と同じように扱われる必要があると考える。

話は変わる。赤城山に出かけて、スケッチ少々と写真を撮ってきた。
写真と記憶を元に下の画を描く。少々構成した。
なぜ突然、赤城山でスケッチ?という疑問は以下の文章で分かる筈。


赤城山大沼から地蔵岳を望む。

さてと、80年前に戻るか。

1938年の9月17日から三日間、正木ひろしの発案企画により皇軍失明勇士に感謝する絵画展覧会が開催された。場所は銀座三昧堂ギャラリー(銀座八丁目、現在の兜屋画廊の場所らしい)。

 日支事変が始って以来、既に一年数カ月になり、《中略》本年一月に発表された犠牲者の数が万を越え、その後数十回の大激戦を経過した今日、多数の戦死者、またそれに数倍する傷病者の加ったことは当然であろう。
 我々銃後の国民の一員として、皇軍がかくの如き劣等なる敵によって多少なりとも犠牲を蒙ったことを遺憾とすると共に、その犠牲者に対し一層深甚なる同情を感ぜざるを得ない。
 いかに劣等なる敵と雖も敵は敵である。もし皇軍のかくの如き犠牲を敢てする戦闘なくしては、彼らは如何なる暴威を振って我が権益を蹂躙し、国威を傷つけたか解らない。我々が今日国内に於いて安んじて業務に服し得るのは、皇軍将士の犠牲の賜である。《中略》
 我々はもとより与うべき人爵もなく、富もない。けれど彼らに対し、同情し感謝する念は乏しきものではないと信じている。我々は国民各自が、何等かの方法に於いて、絶えずその感謝の情を彼らに伝えることは同胞としての至情であると共に、義務でもあると思う。
 伝え聞くところによれば、今次の戦闘に於いては、敵味方共に機械化部隊の活躍が盛んであったため、失明者の数が非常に多く、中には上陸間もなく失明したため、その予期する奮闘が出来なかったことを煩悶懊悩している者もありとのことである。《中略》
 皇軍勇士の失明は、我々に代わって失明されたのだ。
《中略》彼等に感謝する唯一の手段は、彼らの失明によって我々の眼が活かされ、彼等の御蔭によって我々がその恩沢に浴していることを知らせるにあると直感した。《中略》職業以外に眼の恩沢に浴している者は、その余分なる労作の一部を彼等に対する感謝の形として提供することが出来易いと考えた。
p.320-323
昭和13(1938)年「皇軍失明勇士に感謝する絵画展覧会開催について(招待状に代える)」『近きより』第二巻第六号

正木氏は相変わらずの愛国ぶり。愛国と人道主義が重なっての行動ということか。
それにしても気になるのは中国軍兵士の失明だ。おそらく皇軍の何倍もの犠牲者が出ただろう。更には失明どころか殺されてしまった中国の兵士と民間人のことを忘れてはいけない。
しかし日本人には日本人のことしか見えない。当時の大流行に「日本主義」というのがある。

喜多氏《おぢさん補注:院展の同人、喜多武四郎》来訪の目的の一つは、同氏が『日本文化』八月号に執筆された「彫塑に於ける日本主義の問題」という論文に就いて、小生の批評を求めに来られたのであった。私は無遠慮に、同氏の日本主義も多くの日本主義者と同様に、生の日本主義でなくて、死の日本主義であることを指摘し、かつて私が東京薬専女子部の雑誌に書いた「戦争・愛・女性」というエセイを示した。
p.328 昭和13(1938)年「赤城山に登る前夜」『近きより』第二巻第六号

エセイ「戦争・愛・女性」の内容は如何なるものであったのか分からないが、正木氏の日本主義は快活な日本主義なのだろう。
正木氏は絵画展のための画を準備しようとするのだが、邪魔が入って集中できない。ということで、旅行に出ることに決める。「赤城山ならば十数年前に行ったことがあるので、そこが甚だしくよくないと共に、甚だしく悪くないのを知っている」という理由で赤城山となったようだ。

 《おぢさん補注:八月》十七日、朝グズグズしていたら九時の汽車に間に合わなくなった、次は十一時過ぎだ。二時頃前橋へ着き、赤城山行きのバスが出るまで一時間半停車場前のバスの中で待たされた。バスの中で女の車掌も待っている。昼寝を始めると車掌さんが時々大きな声で流行歌を唄い始めるので、その度にびっくりして目を醒ます。怒るわけにいかない。いよいよ動き出した時にはバスは満員になっていた。前橋の郊外に出るまでには、辻々で乗客が増え東京の市電以上にギュー詰めになった。男女混淆だから、ダンスに数倍する風紀問題である。しかも絶えずガタンゴトンと揺れるのである。
 バスは新坂平という所まで行く。富士で言うなら七合目くらいでもあろうか。前橋から約一時間かかった。
p.330 昭和13(1938)年「赤城山に登る前夜」『近きより』第二巻第六号

現在もおそらく当時とほぼ同じルートのバスが運行されている。正木氏の旅をなぞるのも良いかも知れない。
女の車掌さんが流行歌を唄う?バスガイド的な役割も果たしていたのということだろうか。。。


​  「新坂平」の時刻表/バス乗り換え案内 ​(NAVITIME)

風紀関係では、旅館で正木氏の隣部屋に泊まった男三人女三人の客のエピソードもおもしろい。

おそらく汽車の中か、バスの中で知り合ったのだろう。それにしても自己紹介もしないうちから六畳一間に六人が泊まることに定めてしまうなんて、随分思い切っているなと考えざるを得なかった。警視庁が、カフエーだ、喫茶店だなどと気をもんでいる間に、彼等は鉄道省宣伝のハイキングによって、思う存分な自由を呼吸しているのである。
p.332 昭和13(1938)年「赤城山に登る前夜」『近きより』第二巻第六号

当時の警察は大学の周囲で喫茶店を営業させないなど、無駄なことをしていたが、無駄な抵抗でもあった訳だ。



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Last updated  2018.06.10 21:19:36
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