16 生命の実相
p.24-25 昭和14(1939)年「近きより 16 生命の実相」『近きより2』第三巻第一号<新年号>
そう言えば過去数年間の日本は、外国を馬鹿にし、日本を世界一のように言うことが愛国者の資格である如く流行していた。
p.32 昭和14(1939)年「近きより 19 戦時下の国民」『近きより2』第三巻第一号<新年号>
もし戦争がこんなに拡大することが初めから解っていたとするならば、国際連盟にいて、日本の八紘一宇の大思想を彼等の面前に叩きつけ、人種平等、門戸開放、移民の自由、関税障壁撤廃、印度独立等を叫び、支那を味方にひっぱりこんでおいた方がよろしかったかも知れない。
p.33 昭和14(1939)年「近きより 23」『近きより2』第三巻第一号<新年号>
総理、ここで、私は八紘一宇の理念というものが大事ではないかと思います。税の歪みは国家の歪みどころか、世界の歪みにつながっております。この八紘一宇の理念の下にですね、世界がひとつの家族のように睦み合い、助け合えるように、そんな経済、および税の仕組みを運用していくことを確認する崇高な政治的合意文書のようなものをですね、安部総理こそがイニシアティブをとって提案すべき、世界中に提案していくべきだと思うのですが、いかがでしょうか?
三原じゅん子議員 2015/3/16 参議院予算員会 (取り消し線はおぢさんによる)
私とて、この言葉が戦前に国威発揚のために使われたことは存じております。そしてあの戦争が日本の歴史に悲劇をもたらしたことも十分に理解しているつもりです。
よって戦争の原体験を持つ政治家たちの多くは、「八紘一宇」をそういう意味としてとらえてきたのです。でも私たちにはそうした体験はありません。だからこそ、この言葉が持つ本来の意味を評価する必要があると思います。
三原じゅん子 「だから私は「八紘一宇」という言葉を使った」 (東洋経済オンライン)
松岡〔洋右〕に言わせれば、八紘一宇は「世界的な同胞主義」を意味し、八紘一宇のもとで世界中のあらゆる国民が「それぞれ自分にふさわしい場所」をもつようになるという。だが松岡自身が明らかにしたところでは、この「同胞主義」は日本を「盟主」とし、各国民に「ふさわしい場所」を割り当てるのは当然、この「盟主」になるだろうという。
p.42 オットー・D・トリシャス 著、鈴木廣之/洲之内啓子 訳『トーキョー・レコード(上)』
そもそも「八紘一宇」の本来の意味は何なのでしょうか。この語源は、神武天皇が即位された際に作られたとされる「橿原建都の詔(みことのり)」に遡ります。
「八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(せ)むこと、亦可(またよ)からずや」
つまりは「世界のすみずみまでも、ひとつの家族のように仲良く暮らしていける国にしていこうではないか」という建国の理念です。
三原じゅん子 「だから私は「八紘一宇」という言葉を使った」 (東洋経済オンライン)
此の三処の土蜘蛛、並に其の勇力(たけきこと)を恃みて、来庭(まう)き肯(か)へにす。天皇乃ち偏師(かたいくさ)を分け遣して、皆誅(ころ)さしめたまふ。又高尾張邑に、土蜘蛛有り。其の為人(ひととなり)、身短くして手足長し。侏儒と相類(あいに)たり。皇軍、葛の網を結きて、掩襲(おそ)ひ殺しつ。因りて改めてその邑を号(なづ)けて葛城と曰ふ。夫れ磐余(いはれ)の地の旧の名は片居。亦は片立と曰ふ。我が皇師の虜(あた)を破るに逮(いた)りて、大軍集ひてその地に満めり。因りて改めて号けて磐余とす。或の曰はく、「天皇往(むかし)厳瓮(いつへ)の粮を嘗(たてまつ)りたまひて、軍を出して西を征ちたまふ。是の時に、磯城の八十梟帥(やそたける)、彼処に屯聚(いは)み居たり。果して天皇と大きに戦ふ。遂に皇師の為に滅(ほろぼ)さる。故、名けて磐余邑と曰ふ。《中略》又、族衆戦ひ死(う)せて僵(ふ)せる屍、臂(ただむき)を枕きし処を呼びて頰枕田と為ふ。
p.236 岩波文庫『日本書紀(一)』
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