おぢさんの覚え書き

おぢさんの覚え書き

2019.05.04
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カテゴリ: 歴史/考古学/毛人
黄金週間旅行は和光市周辺の博物館と遺跡を巡り歩いた。

埼玉県の南部、荒川の右岸の富士見市や和光市周辺には環濠集落が集まっている。星印が環濠集落。


まず富士見市の弥生後期の環濠集落である南通遺跡周辺を歩いた。薄緑の★が南通遺跡。概要は以下のページを参照。

南通(みなみどおり)遺跡 (富士見市)
南通遺跡の復元住居(弥生時代) (ココシルふじみ)
富士見市遺跡地図 埼玉県埋蔵文化財情報公開ページ

南通遺跡が所在する針ヶ谷2丁目付近の地図。丸囲い数字は写真を撮った場所。

環濠が現地図上のどこを廻っていたのかは今後しらべたい。集落はいわゆる舌状台地上に営まれていた。東南には柳瀬川が流れ、その河川敷から台地上面まではきつい勾配になっている。付近の柳瀬川標高が6m、台地上の針ヶ谷小学校前交差点辺りが標高19mなので高低差は13m程度。

環濠集落ということで防御面に注目すると、東南に流れる柳瀬川と河岸段丘は非常に堅い守りとなっていることが分かる。遺跡の南西側は、谷津となっておりここもかなり防御に貢献するはずだ。その谷津の末端部分、針ヶ谷小学校の南は、現在は堀のような池になっている。遺跡の北側は目立った障壁はないが、先ほども触れたように、台地に降った水が流れ出す小川と付随する谷が幾筋もあったことは間違いない。さらに、北東に2Km程には新河岸川が流れており、その間には北通遺跡など弥生後期の遺跡が点在している。これらの集落が友好的である場合には、柳瀬川と新河岸川に挟まれたこの一帯を共同で防衛することも考えられるだろう。
西側以外は天然の障壁に囲まれていたと考えることができる。台地上面の西側は水か得にくく、ほとんど人の住まない土地だったのだろう。後に閑地であることから、半島からの移民を入植させ、新羅郡や高麗郡が置かれたことも、それを裏付けている。西側からは、迂回してくる敵以外は考えられなかったかもしれない。
このようにしてみてくると、環濠という人が作った溝と土塁によるたかが2・3メートルの高低差よりも、もともとの自然地形の方が大きな障壁であることに気付く。環濠は人工物であるために、中と外を区画(大抵は防御の為)する構築者の意識は明確であるが、実際の防御においては自然地形の果たす役割の方がはるかに大きい。環濠は弱い西側に対する守りなど、補完的なものだったのではないだろうか。
おぢさんは以前、高地性集落として有名な富岡市の​ 中高瀬観音山遺跡 ​を紹介した。また、環濠集落として有名な高崎市の​ 日高遺跡 ​も紹介している。今回の南通遺跡は集落の地形に注目すると、中高瀬観音山遺跡に近く、後世の平山城に通ずるものがあると思うのだがどうだろう。
環濠集落についての議論で以前から思うのは、もっと立地に注目すべきだということだ。日高遺跡のように特筆すべき自然地形がない(それでも、やや離れて東側に染谷川、更に東に利根川がある)ところに環濠集落が営まれるケースはまれで、高低差のあるところ、やや大きな河の流れる所を選んで集落を築いているケースが多い。
われわれが、住む場所を選ぶ際に、職場に近いとか、自然災害に対する安全度、親の住む場所などの歴史的経緯など様々な条件から総合的に判断するように、弥生人たちも様々な条件を勘案して住む場所を選んでいたはずだ。この南通遺跡の場合も含め、住処選びの一番の条件は、稲作などの生業を営むのに適しているかということだろう。それは当然として、防御に適した土地であるか、ということも弥生後期の毛人たちが住む場所を選ぶ際に重視していた点であることは間違いない、とおぢさんには思える。


①西方の台地上に向かう道。河岸段丘をなしている。自然による変化、人為的な改変、成形など当時の風景とはかなり変わっているだろうが、何段かの崖があり、台地に切り込みを入れる幾筋かの小さな谷が所々にあるという地形が自然と想像できる。


②同じ場所から南西方向を写す。土留で成形されているが、もともと崖だろう。人工の環濠とは比べ物にならない障壁だということが納得できるだろう。


③崖の下には、また段差がある。





⑤暗渠から柳瀬川に流れ出す小川の出口。小学校の南の池から通じているようだ。


⑥暗渠出口から柳瀬川に注ぐ小川を眺める。丁度、環濠のV字型の溝くらいの規模。


⑦左に小学校の南側の池が見える。池の対岸が崖になっている。当時のままではないとはいえ、防御に向いた地形だったのは変わらないだろう。


⑧小学校の北東側のやや曲がった道路。もとは沢だろうか?


⑨小学校の入り口にいきなり竪穴式住居。ご先祖様?が見守る学校。




環濠などなくても、十分防御力の高い地形であることが納得していただけただろうか。環濠はこの天然の要害を補完しているに過ぎない。勝手に命名すると、平山城集落と呼ぶのが相応しい。


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Last updated  2019.05.10 20:33:41
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