<アンケート>
公私の生活において
一、最近愉快だったこと
二、最近不愉快だったこと
三、その他の偶感
中 原 東 吉
一、独逸がなければ夜が明けず、日も暮れないように独逸を尊重して居た人が独ソ不可侵条約成立を聞いた時の様子、ナニ独逸は前世界戦争に於て日本の敵だから日本の利害などに頓着するものかとこの始末予見して居ったような人の様子共に見ものでした。――筆者は弁護士――
p.232 昭和14(1939)年『近きより2』第3巻第8号<9月号>
秋 田 雨 雀
一、独ソ不戦条約の締結の問題には可なり驚かされました。これは独ソ両国にとっては避けがたい必然性であったろうとは思いますが、これが世界に与える影響は相当大きいことと思います。《後略》
二、不快なことは独逸の背信行為。――筆者は伊太利の声楽家――
p.232-233 昭和14(1939)年『近きより2』第3巻第8号<9月号>
小 佐 井 清 平
《前略》日本の面目玉を全くつぶした独蘇条約が発表された時、彼等《おぢさん補:日独親善に浮かれていた人々》はどんな顔をしましたか。私はそれ見たことかと思いましたが、実は人一倍憤激せずにはいられませんでした。――日本新聞記者、美術之日本主幹――
p.234 昭和14(1939)年『近きより2』第3巻第8号<9月号>
独蘇の不可侵条約締結の報は何だか霞ヶ関や三宅坂〔陸軍〕辺には晴天の霹靂であり様に見へる。驚天し狼狽し憤慨し怨恨するなど取り取りの形相が現れて居るが、余は何も驚くには値せぬ、来るべきものが当然に到来したのであると考えて居る。《後略》(《昭和十四年》八月二十三日)
p.1353 宇垣一成『宇垣一成日記3』
平沼内閣の辞職理由は言辞抽象的なるも、責任感を表明せるものにして内閣更迭の理由を公表せざる我国近時の慣例を破りたる好例と謂ふべし。ただ独逸の不信行為に出逢ひて国際情勢複雑怪奇なるに驚きたりと云ふは、余りに純朴らしく、外交史に通ずるものの苦笑を禁じ得ざる所なり。国際信義の必ずしも頼むに足らざるのみならず、詭計を憚らざる独逸外交の流儀は過去数十年に於ける昭著の事実にあらずや。(昭和二十年二月記)
p.41 深井英五『枢密院重要議事覚書』
日本政府部内の苦悩に満ちた論議が、もはやどんな結果を生んだとしても、ドイツとの同盟の主目標は、いまや無断で修正されつつあった。当時までは、日本の主目標は、反ソヴィエトの同盟国を獲得するということであった。この時以来この目標は、日本がロシアを味方と認めて、ドイツとともに西欧列強にくってかかる計画に加わるかどうかという問題に変わっていったのである。
注目されるべき点は、このような事態の逆転は、つきつめれば最後に日米間に戦争が起こるというほとんど完全な確実性を包蔵していたことである。なぜなら、日本とソ連が結び付けば、日本の膨張政策は南方にしか向かうことができなくなる。南方に向かえば、日本は、アメリカにとってきわめて重要な原料源や連絡路を脅かし、かつフィリッピンを包囲することになるからであった。
p.126 芦田均 『第二次世界大戦外交史』
80年前より―その63(『近きより』をな… 2020.02.22 コメント(6)
80年前より―その62(『近きより』をな… 2019.12.14 コメント(1)
80年前より―その61(『近きより』をな… 2019.10.22 コメント(2)
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