おぢさんの覚え書き

おぢさんの覚え書き

2019.08.31
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カテゴリ: 近代
​​30日、香港で「雨傘運動」を主導したリーダー2人と、民主派の議員3人が逮捕された。香港の権力は民主化を求める人々を、秩序を乱すもの、暴力的なものとして位置づけ、あたかも過激派を取り締まっているかのような顔をしている。実際に過激なのは香港警察と背後の中国共産党であることを人類は忘れてはならない。権力が秩序あるいは社会の安定という言葉を使うとき、それが権力者の為の秩序や安定となってはいないか監視していくことが重要だ。

深圳の武装警察の映像が公開されたり、装甲車が香港に入る映像が中国の国営テレビで放送されている。この状況に​ 天安門事件 ​(中国共産党政府が民主化を求める自国市民を多数殺傷した事件)を思い出した人も多いだろう。中国共産党に求める「天安門殺戮を繰り返すな」。

 Don’t repeat Tiananmen Square.

中国本土も香港も監視社会、警察国家の度合いが酷いものだが、どちらも一朝一夕でこうなったわけではない。徐々に悪化していく。中国、香港そして日本を含む世界の多くの国民がこの過程を追っている。一見香港の方が状況は悪そうに思えるが、日本国民には権力に対する警戒心が全くないという点は明らかに香港より劣っており、簡単に状況が悪化する恐れがある。

話題を変えて。。。田圃の片隅で育てていた里芋が猪の襲撃を受けて全滅した。今度見つけたら猪鍋にして食ってやる。

あまりにも悲しいので、80年前に戻ろう。

80年前の8月23日に独ソ不可侵条約が締結された。この条約は、日本がソ連と戦争した場合に、ソ連の負担を軽減したり、そのような条約をソ連と締結することを禁じた日独防共協定に違反していた。しかもこの条約は日本とソビエトがノモンハンで激しく戦っている最中に締結されたものだった。アンケート回答でこの不可侵条約締結に言及したものがあった。

​​<アンケート>
 公私の生活において
  一、最近愉快だったこと
  二、最近不愉快だったこと
  三、その他の偶感

中 原 東 吉
一、独逸がなければ夜が明けず、日も暮れないように独逸を尊重して居た人が独ソ不可侵条約成立を聞いた時の様子、ナニ独逸は前世界戦争に於て日本の敵だから日本の利害などに頓着するものかとこの始末予見して居ったような人の様子共に見ものでした。――筆者は弁護士――
p.232 昭和14(1939)年『近きより2』第3巻第8号<9月号>​

秋 田 雨 雀
一、独ソ不戦条約の締結の問題には可なり驚かされました。これは独ソ両国にとっては避けがたい必然性であったろうとは思いますが、これが世界に与える影響は相当大きいことと思います。《後略》
二、不快なことは独逸の背信行為。――筆者は伊太利の声楽家――
p.232-233 昭和14(1939)年『近きより2』第3巻第8号<9月号>​

小 佐 井 清 平
《前略》日本の面目玉を全くつぶした独蘇条約が発表された時、彼等《おぢさん補:日独親善に浮かれていた人々》はどんな顔をしましたか。私はそれ見たことかと思いましたが、実は人一倍憤激せずにはいられませんでした。――日本新聞記者、美術之日本主幹――
p.234 昭和14(1939)年『近きより2』第3巻第8号<9月号>​

日本人一般に驚きを以って迎えられた独ソ不可侵条約締結は、その後の世界を変えていく。当時オーストリアを併合し、チェコスロバキアを飲み込んだナチスドイツを抑止するために英ソ間の条約が模索されており。四月以来、日本の紙面でも頻繁に報道されていた。独ソ接近説も報じられることはあったが回数は明らかに少ない。
この条約締結で陸軍や内閣の面目は丸潰れとなり英米協調派が一時盛り返した。平沼騏一郎は「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」と発言し、内閣は総辞職した。親独反英米の心情がこの頃には陸軍だけでなく日本国民一般に相当浸透しており、そういった人々には大変なショックだったことが上のコメントからも伝わってくる。
しかし、秋田雨雀のように必然とみる向きもあった。宇垣氏も同様の見方だ。

独蘇の不可侵条約締結の報は何だか霞ヶ関や三宅坂〔陸軍〕辺には晴天の霹靂であり様に見へる。驚天し狼狽し憤慨し怨恨するなど取り取りの形相が現れて居るが、余は何も驚くには値せぬ、来るべきものが当然に到来したのであると考えて居る。《後略》(《昭和十四年》八月二十三日)
p.1353 宇垣一成『宇垣一成日記3』

平沼氏の発言は「想定外です」と白状したようで名言(迷言?)だ。

平沼内閣の辞職理由は言辞抽象的なるも、責任感を表明せるものにして内閣更迭の理由を公表せざる我国近時の慣例を破りたる好例と謂ふべし。ただ独逸の不信行為に出逢ひて国際情勢複雑怪奇なるに驚きたりと云ふは、余りに純朴らしく、外交史に通ずるものの苦笑を禁じ得ざる所なり。国際信義の必ずしも頼むに足らざるのみならず、詭計を憚らざる独逸外交の流儀は過去数十年に於ける昭著の事実にあらずや。(昭和二十年二月記)
p.41 深井英五『枢密院重要議事覚書』

独ソ不可侵条約締結前から日独伊の軍事同盟を目指す動きがあったが、日本はソ連をその対象としようとしていたのに対して、独逸は英仏を対象としようとしていた為、初めから軍事条約締結には無理があった。各国の関係を独ソ不可侵条約締結前と後で図にしてみる。



独ソ不可侵条約締結によって、ソ連はドイツと日本というファシズム国家との二正面作戦を回避するとともに、英独の潰し合いを高みの見物するという、この上ないポジションに立つ事が出来ている。ドイツもやはり英仏とソ連を同時に相手にするという二正面作戦の危険を回避し、英仏に集中できるということを考えると、この条約締結は意外というよりむしろ当然と思えてくる。

この独ソ不可侵条約は日本と米国との戦争の可能性を高めたのかもしれない。芦田均は「確実性」とまで表現している。

日本政府部内の苦悩に満ちた論議が、もはやどんな結果を生んだとしても、ドイツとの同盟の主目標は、いまや無断で修正されつつあった。当時までは、日本の主目標は、反ソヴィエトの同盟国を獲得するということであった。この時以来この目標は、日本がロシアを味方と認めて、ドイツとともに西欧列強にくってかかる計画に加わるかどうかという問題に変わっていったのである。
 注目されるべき点は、このような事態の逆転は、つきつめれば最後に日米間に戦争が起こるというほとんど完全な確実性を包蔵していたことである。なぜなら、日本とソ連が結び付けば、日本の膨張政策は南方にしか向かうことができなくなる。南方に向かえば、日本は、アメリカにとってきわめて重要な原料源や連絡路を脅かし、かつフィリッピンを包囲することになるからであった。
p.126 ​ 芦田均 ​『第二次世界大戦外交史』

芦田の見解からすると、独ソ不可侵条約は南進の要因であり対米戦争へと繋がっていたことになる。スチュアート・D・ゴールドマン氏はノモンハン戦争が独ソ不可侵条約をめぐるスターリンの意思決定に影響を及ぼした可能性があるとしている。そうするとノモンハン戦争は結果的に独ソを結び付け、それにより日ソ関係を改善させ、日本に北進よりも南進を選ばせるという、巡り巡って意外な影響を及ぼした戦争であったのかもしれない。
この他にもノモンハンでソ連手強しという印象を持った、辻政信や​服部卓四郎が参謀本部作戦課に返り咲き、南進を主張し対米開戦を主導したということからも、ノモンハン戦争は南へ、そして対米へという影響を与えたように見える。





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Last updated  2019.08.31 22:24:54
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おぢさん@ Re[3]:無(03/15) なんだかねさんへ (続き)昔ある人がお…
おぢさん@ Re[3]:無(03/15) なんだかねさんへ お久しぶりです。永ら…
おぢさん@ Re[1]:土器-編年(02/14) 上毛野形名さんへ 長いこと返信もせず失…
なんだかね@ Re[2]:無(03/15) おぢさんさんへ 遅ればせながら「人新世の…
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