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TOHOシネマズ上野で初日鑑賞してきました。ラストシーンは見事にこちらの予想を超えていました。あそこまで全部包(くる)んでくるとは..!良いお話でした。「さらば」よりも「2」よりも、僕はこちらが好きです。2202は2199に比べて、えらく重たい物語ですが、それだけに2199とは異なる見応えがありました。同じテイストで新作を創るのでは無く、それぞれ独立したポリシーで紡いでいくのはとても意味があること。かつて「復活編」に感じた不満の多くは、あの作品が結局「完結編」テイストの劣化再生以外の何物でも無く、創作力を全く感じなかったことにあったように思います。2202はあれとは全く逆で、創作エネルギーのぶつかりがもの凄かった。ビジュアルの好き嫌い、展開の多少の強引さ、ついていきにくい難しい説明はいくつかありましたが、総じて感じていたのは創り手達の“志の高さ”。とりわけ福井晴敏氏が背負った課題とそれをやってのけた姿から、何だか元気をもらった気がします。「どこに向かうんだ、この物語?」と戸惑いつつ、僕もものつくりの人間として予想してみたり、逆にそういうことをしていると疲れるから頭を止めて浸ってみたりと、何やかやで幸せな足かけ三年でした。これでとうとう終わってしまうのかと思うと、ちょっと寂しいですね。(いや、終わらないんだろうと思っていますが、この先となると、僕自身はさすがに追いかけない気がします。今作で綺麗に語りきられた気がするし、次が「永遠に」のリメイクだとしても特に見たくないし。..)最後に、ここで僕などが書いて良いものか迷うけれど....岡さん、お疲れさまでした。面白かったです!
2019/03/01
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久々でこういうことを書くのはどうかと思うけど...楽天ブログ、使いにくいよ...(^^;)テキストがだだーっと流し込まれちゃうのも美しくないし、ブラウザによってはうまく編集できないし、なんかねぇ。それに正月にいつも思うけど、愛宕神社の「楽天Edyで払える賽銭箱」も何だか俗々していて宜しくないよ。(←それは関係ないだろ>自分)今後のことはそろそろ考えないといけないな。
2015/01/15
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おかげさまで、月曜からかかっていたインフルエンザ(A)の発熱が完全におさまりした。(熱が下がったと喜んでいたら、現在35.2度。そんなに下がらなくて良いです。>自分)「体内に抗体がなければ、一週間くらい熱が下がらない」と言われたのに、予防接種をきちんと受けた妻と同じ時間で治ってしまった。真面目に予防した人に対してそれはフェアなのか?とも思いましたが、おそらくお医者さんにかかるタイミングが良かったのでしょう。真横で妻が発症して、自分にうつるのも時間の問題と思っていたので、発熱を確認するやいなや飛んでいけたのです。自覚症状が出る少し前から他人に会わずにいたし、これで2日間もじっとしておけば、他人にうつす心配も無いと思います。それにしてもきつかったのは、発熱ではなく、みぞおちあたりから背中に抜けるような重い痛みと、熱が下がった後も全身至るところに出続けた蕁麻疹でした。インフルエンザでそんな症状、聞いてないよ?と思いつつ、『たぶん肝臓、無理かかってるよね?』と勝手に反省。医学的にどうなのかは知りませんが、これには本当にまいった。...いい機会なので食生活を改善しようと思いました。病床にいて唯一良かったことは、FMの「ジェットストリーム」を久々に生で聴けたことくらいでしょうか。ボードゲームを練るチャンスとも思いましたが、もの凄くネガティブなアイデアを思いついてしまうので、案外駄目でした。(苦笑)ところで僕が会社にいない間に、冷蔵庫が壊れ(正確には一度壊れて復活したのがまた壊れた)、流しが詰まって業者が出動したそうです。僕が病欠すること自体、10年に一度あるかないかのことですし、いろいろと不思議な一週間でした。思えば一昨年の暮れ近くから延々と、会社経営上あらゆることが裏目に出続けて、特に去年は本当に苦しかったのですが、これで全てリセットされたかも?と、こちらも科学的根拠の欠片もなく感じております。信じた者勝ちですからね、こういうことは。さあ、週明けが新年だと思って頑張るぞ!
2015/01/15
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ここ数ヶ月、動かすたびに痛くてたまらなかった右肩。ようやく整形外科で診てもらったところ、めでたく(←ヤケ?)「五十肩」と認定されました。てっきりテニスで痛めたのだと思っていましたが、テニス肘とは無関係で、肩関節付近の何たらかんたらいう部分が癒着してすでに固まり始めているとか。右腕はしっかり上がると思っていたけれど、医者の前でやったら途中までしか上がってない。腕を横に伸ばすことまではできる(既に痛い)けれど、そのまま後に反らすのが駄目。そう言えば、両手を腰に付ける(=威張っているようなポーズ)もやってみたら痛くてできない。ありゃまあ....。筋を痛めたのなら、使わずに安静にしなければなりませんが、「五十肩」となれば話は逆。痛かろうが我慢して「肩を動かせ!」だそうです。(;_;)湿布を貼りつつリハビリするか、注射を打ってリハビリするか、我慢して肩を使うか。スポーツはリハビリに良いというので、さっそくテニスコートに行きましたが、痛いものは痛い。(^^;) それでも「動かして良い」という医者のお墨付き(注:そこまで言ってない)に元気づけられたのか、途中からは痛いなりにサーブを打てるようになりました。50歳を過ぎてから、やはり少しずつ身体にほころびが見つかり始めています。記憶力はここ1~2年で急に落ちましたし、動きが遅い。身体の芯から絞り出せる体力も明らかに減りました。老眼も着実に進んでいる。「気持ちが老け込まなければ、何歳になってもできる!」なんて言ってられるのは40代までだなと実感しています。だから今は気合いでどうにかするのではなく、自分の現在のスペックを認識し、カバーリングした上で、若い人達に対抗する。仕事でも趣味でも、そういうスタンスで戦っていくつもりです。何しろ僕がいる世界、周りはいつも若い人達ばっかり。(苦笑) どこまで食いついていけるかの勝負みたいになってきています。そして、それが楽しい。いつかやってみたいと若い頃から思っていたスタンスにとうとう今立っているんだなあ...と、改めて認識しています。
2014/09/15
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※facebookとダブルポスト「宇宙戦艦ヤマト」ハリウッドで実写化 MI5のマッカリー監督で僕は先年の実写版「SPACE BARRLESHIP ヤマト」けっこう好きでした。アニメ版と全然違うのは間違ったことじゃない。アニメはアニメでつくればいいんです。もともと2時間枠にハマる物語じゃないし、相当ドラスティックに変えるのは仕方ない。それにあれはあれでSF物のひんやりしたテイストというか、NHKのラジオ版や石津嵐の小説版に近い魅力を感じたものでした。もちろん、構成の甘さや画面づくりの問題点はいろいろ感じましたが、心意気は買いました。とまあ、そんな前置きはともかくとして、ハリウッド版の話です。(笑)ハリウッド版「GODZILLA」の何が最悪だったって、エメリッヒ監督がゴジラを知らなかったことですよ。「「ゴジラ」は「原子怪獣現る」の焼き直しだから、むしろ「原子怪獣現る」をリメイクするよう心がけた」と言ったとか。今回の「ヤマト」だって、ああいう監督に任せたら「「ヤマト」は「ギャラクティカ」のパクリだから、「ギャラクティカ」をリメイクした」とか言い出しかねません。(苦笑)「ギャラクティカ」被れに「ヤマト」を創らせちゃ駄目に決まってますよね。......あれ?(^^;) ※注1いやいや、今回の監督は「ヤマト」好きだと言っているから、心配ないとしましょうよ。あとは配役ですね。「SPACE BARRLESHIP ヤマト」は主演がキムタクだというだけで駄作と決めつける人がたくさんいました。僕に言わせれば、そんなのは「映画評」でも何でもない。創造力のない人の戯言です。キムタク、頑張ってたじゃないですか。ハリウッドだったら、誰にあたる感じでしょうかね? やっぱりあの人あたりか?...トム・クルーズ。トム・クルーズが出るというだけで文句言う人いますもんね。......あれ?(^^;) ※注2あと、ハリウッドでありがちなのは、クライマックスに近づくとだいたい海兵隊みたいなのが決死の突入をするんですよね。それまで友情を培ってきたマッチョな人達がぼこぼこ死んでいく。で、何故か主人公とヒロインは愛を育むと。最後主人公が自分の妻子を救った形でいきなり終わる。そういうアメリカ映画のパターンはやめて欲しいところです。......あれ?(^^;) ※注3ま、続報を待ちますかね。(^^;)仮に期待はずれになったって、減るもんじゃなし。※注1:「SPACE BARRLESHIP ヤマト」の山崎監督は「GALACTICA」好き。※注2:トム・クルーズが主演する可能性も?と記事に書いてある。※注3:「SPACE BARRLESHIP ヤマト」そんな感じだった。
2014/09/08
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本日の出来事最近は簡単なことはTwitterで済ませちゃうし、時事へのツッコミはfacebookだし、なかなかブログに書くまでに至りませぬ。とはいえ、いくら何でも書かな過ぎだったので、また時々簡単に書こうと思います。(止まったままのアメリカ旅行記もまた..)「本日の」と書いておいていきなりだけど、昨日は会社の創立記念日でした。どうなることかと不安でいっぱいだったあの日から、何やかやで丸9年。「10年続けないうちは会社とうぬぼれるな」と言ったのはサンリオの辻信太郎氏だったと思うけど、ようやく10年目。いろいろピンチもあったけど、我が社は元気です。課題だらけだけどねぇ...そして今日は(結果的に月1~2回ペースになっている)テニスでした。今年の2月に突如17年間のブランクを越えてラケットを手にして、これで確か7回目くらい?20~30代の頃の自分と比較しても、今日はフォアハンド・バックハンドとも9割くらいまで調子を戻せた気がします。スタミナさえ切れなければ(^^;)、思うようにボールを打てるようになってきました。昔は得意だったのにここまで何故か全くできなかったハーフボレー(ボレーとストロークのどちらともつかない打ち方)の処理も今日ようやくできました。目と身体の動きに誤差が無くなってきたのだと思います。痛めていた肘も多少痛みが残っている程度で、テーピングでじゅうぶん誤魔化せるレベル。ただ、何故か右肩が痛くて、前回からサーブを打てません。これさえ治れば、サーブの復旧に取りかかれるので、秋ぐらいには"外"に挑みにいってもいいかな..。テニスは取り戻した。身体を活性化させたところで、次は頭脳を若返らせなければ。ボードゲーム創りのペースがなかなか上がらないので、自分でじりじりしています。まだまだ老け込んでいる場合ではないので、がんばります。
2014/06/14
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先週末は(復帰後)3回目のテニスだった。日比谷公園のオムニコートで4時間。回を重ねるごとに、昔の自分のテニスを確実に取り戻してきている。今回はなんと、フレームショットが(確か)ゼロになった。バックハンドストロークは6割方元に戻った感じで、フラットもスライスも使い物になる。ただ、もともと3種類打ちわけていたスライスがまだ1種類しか使えないし、リーチが狭い。フォアハンドは4割程度か。まだ返すだけで、コースを狙える状態ではないし、パワーが乗っていないので、打ったこちらから見ていても何だか弱々しい。(年齢的な限界もあるのかもしれないが、自分としては単に体重が乗っていないだけだと思っておきたい。)サーブも相変わらず駄目。それでも、たった3回でよくここまで戻ったなあ..と自分でびっくりだ。ただ損傷は多い。1回目で腕を痛め、2回目でテニスシューズが両足とも崩壊(経年劣化で底が全部はがれた^^;)し、今回は...なんとテニスエルボーだ。正確には1回目に数々のフレームショットの衝撃で痛めた腕が、治りきらずに再発したようだ。考えてみたら、人生初(^^;) 昔は足首ばかり痛めて、肘は一度も故障しなかった。スクールで教わった基礎が役立っていたのだと思う。今はその基礎が一度がたがたになったので、怪我をしたのだ。まあテニスをやる以上、どこかしらの怪我は覚悟の上なので、筋力をつけつつ、騙し騙しやっていこうと思う。ところでそのテニスエルボーで(さっきまで)すっかり忘れていたのだが、もっと大事な損傷があったのだった。愛用のラケットのバンパーが欠けた!今使っているラケットはPROSTAFF MIDの「セントビンセント島バージョン中後期モデル」で、ラケットヘッドの部分にグロメット(ガットを通す穴あきの板)と同素材のバンパーが装着されている。それが打球時の衝撃で大きく欠落し、吹っ飛んだ。もともと初期モデルにはバンパーなど付いていなかったので、おまけみたいなもの。無くなっても実用上困らないのだけれど、問題なのは打球時に吹っ飛ぶほど素材が劣化しているということだ。使い始めてから30年近く経っているのだから、無理もない。いくら何でもそろそろ、使い納めですかねぇ....。(ため息) 僕にとってはこれが最後の1本だし、できれば折れる前に引退させたい。あと半年くらいやってから、現在の実力に合わせてラケットを選ぶつもりだったけれど、思ったよりも早く選択を迫られそうだ。幸い、このラケットにかなり近いと思われる新作ラケットが出てきているが、問題は僕がそれを使いこなせるところまで復調するのか、それとももっと楽に打てる(けど、打球感は別物になってしまう)ラケットを選ぶべきなのか? 今のところ、まだどちらとも判断できない感じだ。
2014/04/14
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今月は面白い。まるで80年代に舞い戻ったかのようなイベントが続いた。8日(土)はパーティジョイ(ボードゲーム)のトークライブ....の予定が、希に見る大雪で延期。しかし僕と主催者の有田さんはお店に詰めて、パーティジョイ大会を決行。延期を知らずにやってきたお客さんやら、知ってたけど来ちゃったお客さんやらも集って、わいわい楽しく過ごした。こう言っては何だが、あの日のゲーム(自分がつくったもの)はたぶん発売以来初めて遊んだんじゃなかったか? なにしろたいていのゲームはテストプレイが終わってGデザイナーの手に渡ると、発売までほぼタッチできないし、発売後は次のゲーム企画で忙しくて振り返る機会がなかった。つまり約25年あるいは30年振りの再会(?)だ。※ちなみにトークライブ仕切り直しは4月5日(土)目標で調整中。に決定!15日(土)はスペースカインズのライブ、その名も「スペースカインズ×ヤマト講座~宇宙戦艦ヤマト2199サントラの夕べ~」に行ってきた。スペースカインズのメンバーであるJUNさんとはもともとボードゲームの集まりで繋がりがあり(それにトークライブの司会でもある)、しかも今回のお題はヤマト! 僕が行かないわけがない。これがもう、素晴らしい3時間45分(確か)だった!..いや、普通コンサートって2時間くらいと思っていたので、けっこうびっくり。(笑) 「ヤマト2199」をあの楽器編成でやるなら、確かに元々のサウンドに近いかもしれないなと思っていたし、だとしたら「ヤマト渦中へ」と「虚空の邂逅」と「イスカンダル」と「ヤマト乗組員の行進」と「新コスモタイガーはぜひやって欲しいなあ..と思っていたけど、まさか全部やるとは思っていなかった。いやそれどころか、31曲もやった上にアンコールが5曲もあるとは思わなかった。(笑) 主題歌は予想していたけれど、『これで4番までやったら完璧だよなあ』と思ったらホントにやったので、ぐうの音も出ない。ましてや僕自身がカラオケでよく歌う「愛よその日まで」をJUNさんが歌うとは思わなかった。(まあちゃんが本人に「さすが、旦那よりずっと上手でした!」とツイートしようとしたのを必死に止めた(笑)) 強いて挙げれば「ラブ・シュープリーム~至上の愛~」が無かったのだけが残念かな?とにかくヤマト...。まさに聴きたい"あの頃の"サウンドそのものだったし、80年代前半まで僕もハマりにハマったアニメだから、これはもう気分は中学・高校時代だ。22日(土)はなんと17年振りにテニスをやった。注:ここからが本題なので、長いです。正確には17年の間に2時間ずつ、2回だけコートに立ったことがある。でも2時間じゃ、身体が温まって終わりなのだ。やった気がしない。ましてや試合もろくにしなかった。今回は有明テニスの森でじっくり4時間!テニスウェアに身を包んで、愛用のラケットPRO STAFF MIDを手にコートに立つと、何となくコートにキスしたい気分になったけれど、砂だらけなのでやめた。(笑)残念ながら僕の最も苦手なクレーコート...の次に苦手なオムニコートだ。ボールが全然弾まずに失速するので、もともとライジングボールをブロックして押すような打ち方(注:非力なので、相手の力を利用しないと駄目なの..)をする僕にとってはやりにくい。まあ、ここまではただの言い訳だ。そんなこと以前に、全くといっていいほど、ボールがラケットに当たらなかった。昔さんざんやっていた頃(表現が長いので、以後便宜的に"現役"とする)はスイートスポットに当たらない方が珍しかったストロークが、4時間もやってたった2球だけだ! それ以外は全部フレームショット! 打っているうちにだんだんボールが怖くなってきて、これはいかんとあちこちフォームを矯正してみたのだけれど、全く効果無し。唯一効果があったのは、グリップを前に押し出すように意識した時だけ。終わった今となってみればよく解る。やはり脚が遅くなって、というか動くのが横着になって、打点にきちんと入れていなかった。左右はまあ良いとしても前後が足りていなかった。ボールが本来の打点より前にあるのに無理矢理ラケットを出すから、面が斜めになる。当たっても弾道が横にそれるし、ボールがはねないから下側のフレーム近くに当たる。スイートスポットに当たるわけもないから、ボールが飛ばず、余計に変な力を入れるし、薙ぐようなスイングになったせいで腕も痛める。(注:テニスの基本から言えばですね、打ちたい方向に向かってボールを5個分打ち抜けと言うのですよ。1個分の前を横にこすってどうする。)打った後の重心もおかしかった。フォアハンドは重心を右脚から左脚に移しながら打つ。現役の頃は、打った後、重心の乗った左脚がそのままコート上をネットに向かって少し滑っていた。(ハードコートなのに。)それが今回は重心がどっちつかずのままで、打った後は両脚とも突っ張っていた。挙げ句の果てに、姪っ子とラリーをしていたら、バックハンドを打ったのに右脚が攣った。バックハンドは右脚に重心を移してから打つので、その右脚が攣るほど伸びたのはおかしい。めちゃくちゃだ。ああそうか、そういうことか。ラケットを振ろうと思うからいけなかったんだ。身体の踏み込みと腰の軸回転にラケットが付いていくのが基本だった。...今頃気づいても遅いが、そりゃ駄目だわというテニスだった。ボレーはまあまあだった。下手すると現役の頃より巧かったんじゃなかろうか? 力が無くなって、若い頃のように無駄振りせずに済んだだけだ。でも、ハイボレーはフレームショットになった。高めのボールの処理が下手なのは現役時代と同じだ。もっと意外なのはサーブ。1球目から簡単に入った。続けて打っても、なかなか崩れない。そりゃあ、サーブだけは唯一"全部自分次第"のショットだ。オムニコートも相手の球質も関係なく、正しくトスが上がればいい。(相変わらず、スピードはほとんど無かったけど。)...とはいえ、これもそのうち腕が振れなくなってしまい、最終的にはまるで入らなくなった。どうも身体がすぐに疲れてしまうようだ。試合は2ゲーム先取の短いダブルスを2回。(1回は人数の関係で、向こう側はシングルスだった。)これは我ながら面白かった。考える間もなく、身体が勝手に動くのだ。返球と相手の位置関係、味方の位置を見るとつい移動してしまい、『これってミドルボレーを打つパターンだよな』『スマッシュ打つの嫌だなあ』と思っているところにちゃんとそんなボールがやってきて、カコン(←フレームショットの音)と言って、しょぼくポイントを取る。どれもボールを半ば強引にねじ込むようにして、終わってみたら2つとも勝っていた。こういうのって、身についた試合勘なのだろうか? 面白いくらい思い通りの展開だった。終わってみたら、右脚が攣り、左脚も半ば攣り、右親指の腹と掌の下の方を大きく剥き、右腕の付け根と肘、左足首、両足の付け根の内側に強い筋肉痛。PRO STAFF MIDというラケットは容赦がないので、きちんと打てないとズシンと衝撃を返してくる。ほぼ全部フレームショットだったので、痛いのなんの。たぶんそうなるとは思っていたけど、予想以上にラケットに叱られた。とにかく、反省材料多々。体力トレーニング不足は認識していたので、ここしばらく毎晩二駅分相当を歩いたり走ったりしてみたけど、所詮は付け焼き刃だった。(苦笑) もっと集中的に筋肉を使うようなことを続けないと駄目みたいだ。フォームはフォームで矯正が必要な感じだ。コートで矯正しようとすると相手に迷惑がかかるので、オートテニスしかないな..と思って調べたら、今やほとんど残っていない。久我山にはあるようなので、そこまで遠征するか。...ん? 久我山でフォームを矯正してくる? なんて甘美な響き!(笑) ←テニス好きにしか解らない気持ち次回は3月22日(土)に舞浜のコートでやれるようだ。今回の反省をもとに諸々何とかして、次回はリベンジを期す。(せめてハードコートだといいな...^^;)
2014/02/24
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トークライブの話前々からいろんなところで告知されているトークライブが6日後に迫った。まだ人数に余裕がありそう(たぶん)なので、ここでも宣伝しておこう。(^^;)「徹底的に語りつくしてもらう」と書いてあるけれど、せいぜい二時間くらいなので、たぶんあっという間に終わっちゃうんじゃないかと思う。むしろその後のフリートークタイムと、お店の料理がお勧めです。(笑)このお話を頂いた時、30年近くも前の仕事の話を今頃しゃべるのは果たして良いことなのか、実は少し迷った。自分の手の内をすべて封印して"新しいゲーム"を創ると決めたのに、過去に気持ちが逃げ込まないか?とか、当時のことを僕だけが語って良いものか?とか、そんな迷いだ。考えた結果、意味が二つ見つかった。一つは、昔のゲームデザイナーの熱気を多少なりとも伝えること。日本のボードゲームは昔からどうしても「人生ゲームみたいなやつでしょ?」の一言で語られがちなところがあって、今のボードゲーム愛好家からみると過去は不毛の時代に見えるかもしれないが、思いは一緒だよと。ついでに、例えばこんな状況でこのへんとこのへんは試したから参考にしてね、といった情報伝達のかけらでもできたら嬉しい。もう一つは、僕がこうしてWEB上やトークライブで好き勝手に喋っていれば、そのうちたまりかねて(?)当時の誰かが釣れるんじゃないか?という期待だ。何しろ当時の関係者、今はもうほとんど連絡が取れない。話したい、話してほしい人が何人もいるのだ。「みんなあれだけ頑張ったのに、今語っておかないと知られずに埋もれるだけだよ!」と、そんな感じ。まあそんなことを抜きにしても、「80年代」というテーマはまさに今が旬だろうと思う。もう少し時が経つと「90年代」に関心が移ってしまうだろうから。そんなわけで、懐かし話をするつもりで足を向けて頂ければ幸いです。曙橋で会いましょう。
2014/02/01
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今年の大河ドラマが始まった。個人的に95点を付けたいほど良かった「八重の桜」から、一気に定番の戦国ものへ。主人公が黒田官兵衛となると、いきなり「小田原の役」から始まるのか....と思ったら、タイトルロールとともに、少年時代に遡ってしまった。まあ、仕方ないか。それにしても、秀吉の奉公はじめから平行して描くとなると、戦国&信長の定番シーンをいろいろ描写しなくちゃいけなそうだ。そういうのはできれば軽く飛ばして頂いて、兵庫周辺の戦国史をじっくり描いて欲しいと思うが、どうせ無理だろう。(苦笑)石垣山城、竹田城並の高さ!(笑) 石垣がせり出しているせいか、"関東の連れ小便"にも度胸が要りそうだ。(つっこまなくていいですよ、知ってて書いているので。)桶狭間の戦い、久々に雨が降ったなあ。古いというか、定番過ぎるというか。竹中直人、さすがだなあ...。あの年齢でかつての秀吉を無理なくきっちり見せてきた。まあ、感想はそんなところか。第一話なので、ジャッジするにはまだ早い。ただ今日見た範囲では、 とりたてて心に響くものは無かった。「天知人」や「江」のように酷い内容ではないけれど、全体に平凡で少々綺麗事な香りがする、いわば「利家とまつ」クラスの予感がして、心配ではある。ジョブナイル大河になりませんように。
2014/01/05
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帰国(2013/10/27)ここから先は蛇足だが、ちょっとだけ書きたい。 おお、黒塗りの二階建てバス! ウィンブルドンを出て、午後3時頃にホテルに戻り。預けてあった荷物を回収。飛行機は午後7時だから、4時に空港に着ければバッチリだ。地下鉄で戻っても間に合う。でも何となく不安を感じたので、タクシーでパディントン駅に向かった。タクシーで20分かかったとして、駅からヒースロー・エクスプレスでさらに20分強。地下鉄で一時間かけて行くのとそれほど変わらない所要時間ではあるが、"不安を感じた"時は直感に従う。地下鉄がどこかで止まりそうな気がする。乗り間違えたりして?..いろいろ考えられるが、実際どうだったかは、今となっては判らない話だ。 とにかく、タクシーに乗った。 何なんですかね、この天気!(苦笑)帰る頃になって晴れるとは! (←ウィンブルドンも晴れてたけど。)とにかく、余裕のある時間帯に無事にヒースロー空港に着いた。さっさとセキュリティゲートをクリアして、構内のハロッズであちこちのおみやげを買って、定刻通りにJAL便でテイクオフ!往路同様、何のトラブルも無く、僕らはロンドンを後にしたのだった。そして翌日。異常な暴風雨が欧州を襲い、 ロンドン郊外で木が倒れ、全交通機関がストップし、空港でも130便が欠航になった....というからびっくりだ。あと一日スケジュールがずれていたらと思うと、僕らは運が良かった。 離陸した飛行機の窓から、ロンドンの街が見えた。もうすっかり陽が落ちて、窓明かりが灯っている。高度を上げて夜景が雲に隠れるまで、しばらくそのまま見入っていたら、スタッフSが声を上げた。「花火が上がってる!」指さす方角を見ると、確かに打ち上げ花火が続けて上がっているのが見えた。「あれ、ウィンブルドンだよね?!」間違いない、ウィンブルドンの方角だ。昼間看板を見た、ウィンブルドン・パークの花火が上がっているのだ。『そっか...晴れたからこそ、花火も決行されたんだ。』昼間あれだけ観てきた後だ。ウィンブルドンが手を振ってくれている気がして、何だか嬉しくなった。イギリスって、やっぱり良い所だ。(完) <一つ前
2013/11/12
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ウィンブルドン・ローン・テニス博物館(2013/10/27) ウィンブルドンのほとんどのコート(注:いくつか工事でひっくり返されていた)を見て回る夢のひと時の後は、もう一つのお楽しみが待っている。ウィンブルドン・ローンテニス博物館だ。 テニスが誕生した初期から現代に至る、道具やカップの数々昔のテニス道具なんて、なかなか見る機会が無いものばかりだ。当時の記録を書き記したノートやスコアなど、実に興味深い。ボルグの衣装とラケット!コナーズのラケット!マッケンローのラケット!マッケンローの幽霊が出現!(まだ生きてますが。)そのすぐ横に、マッケンローのロッカールームを再現した展示。(ナイキのCMを思い出しますな。)マッケンローが映像イメージで登場し、語りかけてくる。ロッカーにボールをぶつけて遊んでみたり、ボルグやコナーズの思い出を語ってみたり。本物の優勝トロフィ・カップが並んでいる。男子の優勝カップ(左下)はほとんど名前が彫られていない、新品に近いものだった。前のヤツが優勝者名で一杯になっちゃったんだな。...(そんなわけで、1982年の刻印は無かった。)ところで、先のガイドツアーは英語オンリーだったが、ここ博物館では日本語の音声ガイドを借りることができる。借りられると聞いていたのに、現地では気持ちが舞い上がっていて、すっかり忘れてしまった。気がついたのは、全部見終わって出る直前だ。もう見ちゃったし、まあいっか..くらいに思っていたのだのだが。失敗したなあ...と、(帰国してだいぶ経った)今頃になって思う。(苦笑) 一方、こちらはセンターコートに併設されたラウンジ&バーへの入口。ゴーラン・イヴァニセビッチが何やら語ったようだが、面倒だからまだ訳していない。 いや、そう言わずにちょっと訳してみるか。(^^;)原文は、I don't care now if I ever win a match in my life again. Whatever I do in my life, wherever I go, I'm going to be always Wimbledon champion.と思われる。人生でもう一度勝てるのであれば、今のことはどうでも構わない。何をしようが、どこに行こうが、私は常にウィンブルドンチャンピオンになるつもりです。..って感じ?それはそうと、ここの食事はなかなか美味しかった。つい赤ワインなんぞを頼んでしまったが、銘柄がジェイコブズクリーク。なぜかオーストラリアワインだった。このワインなら近所のスーパーでも売っているが、ウィンブルドンで飲むと、なぜかいつもより美味しいから不思議。(笑)ヨーロッパって、マッシュルームスープばかりなのか?(→エッセンの項参照)そして、ここはセンターコートの建物の中だ。ラウンジ横の通路を通っていくと、なんとセンターコートに出る!画面向かって左端の突き出たスペースに出る大きな鳥かごみたいな展望スペースに出るだけだけど、かなり低い視点でコートを見渡せるのが魅力的だ。センターコートの構成図(どちらかというと、テニスコートの説明が多い。) こんな感じで、施設内は見所がいっぱいだ。グッズショップも思いの外充実していて、魅力的な商品も多く、おみやげ選びには悩みに悩んだ。(1ポンド=178円かと思うと、どれも高いし....)すっかり長居してしまった。ショップを出て、入口のフレッド・ペリー像の前で記念写真を撮って、守衛のおじさんと話していたら、もう午後の2時過ぎ。午前10時20分に来てから、なんと4時間もいたことになる。もう帰らなければ!(苦笑) あたりを眺めているときりがない。後ろ髪を引かれつつ、楽しかったウィンブルドンを後にした。帰路はサウスフィールズ駅まで歩くことにした。行きは道を間違えることを警戒して、タクシーを使ったので、途中の景色をちゃんと見ていなかったからだ。さっそくこんな景色が道沿いに広がった。 練習コートらしい。ここもまだ、クラブの敷地内だ。道路の向かい側には、広大なウィンブルドン・パークが広がっている。何やら、大きくプレートが付いている。今夜、花火を打ち上げるそうだ。何かのお祭りだろうか?なんだかオシャレで、凝った住宅街が続く。ハイソな方々が住んでいるのだろうか?そういえば選手権のシーズンになると、ナブラチロワ選手等が近くの家を一ヶ月借りて住んでいたと聞いている。(確か伊達選手も同じことをやっていたかも。自炊でおにぎり作ってたとか。) もしかしたら、このあたりを借りるのかな?フィッシュ&チップスの店時間があって空腹なら寄っていきたい、魅力的な店。ここはもう駅前の一角だ。 ほんとに、歩いても大したことなかった。 -----------[おまけ]-----------今後行く人のために、簡単に説明しておこうと思う。 <ウィンブルドンへの行き方(おさらい)>ディストリクト線「サウスフィールズ」駅。この階段を上がると、目の前はこんな光景。標識もある。この写真の、正面奥に向かってまっすぐ伸びる道。これを直進。これが入口。普通の人は20分かかるのかな? ああ、また行きたくなっちゃった。というか、またテニスやりたいな...... <一つ前|次へ>
2013/11/12
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ウィンブルドンへ!(2013/10/27) "New Yorkers love it at the U.S. Open when you spill your guts at the U.S. Open. Spill your guts at Wimbledon and they make you stop and clean it up." Jimmy ConnorsUSオープンを見に来るニューヨーカーが望むのは、選手がコート中にガッツをまき散らして戦うことなんだ。ウィンブルドンのお客さんもそれは同じなんだけど、試合が終わると、まき散らしたガッツを選手に片づけさせるんだよね。ジミー・コナーズ ウィンブルドンはロンドン郊外のかなり離れた地域にあるものと、ずっと思いこんでいた。実はロンドン市内から地下鉄でせいぜい30分程度の距離だと知ったのは、つい数ヶ月前のことだ。 テムズ川の北側、エンバンクメントやウエストミンスターを通って東から西に向かうディストリクト線。そのものずばり「ウィンブルドン行き」に乗って、敢えてウィンブルドン駅まで行かず、一つ手前のサウスフィールズ駅で降りる。駅前から伸びる道をまっすぐ行くと、住宅地を抜けた先に天然芝の広い空間と巨大なスタジアムが見えてくる。オールイングランド・ローンテニス&クリケットクラブ。毎年あのウィンブルドン選手権が行われる、歴史の長い会員制テニスクラブだ。 ようやくやってきた。憧れのウィンブルドン!....と、来て早々思ったんだけど、そのウィンブルドンの敷地の一角で、子供達がテニスレッスンを受けているのですよ! なんて羨ましい! No.1コートの目と鼻の先でテニスを教わる少年少女時代ってあなた、甲子園球場の隣で野球教室に通う子供より凄い気がするぞ。(注:一部、主観混じりです。)それはともかくとして、僕はさっそく売店のフロントに行って、プリントアウトを見せた。ここウィンブルドンのガイドツアー&ミュージアム見学をあらかじめ予約してきたのだ。ガイドツアーは一日に何回もあるが、混む時期は予約で一杯と聞いていたからだ。ガイドツアー開始まで、あと5分。(時計のイメージもウィンブルドンだなあ..)そうは言っても、今年の選手権もとっくに終わった後だ。見学者なんてそんなに来ないんじゃないかと思っていたら、とんでもない! 全部は憶えられなかったけれど、カナダ、アラスカ、中国、インド、バングラデッシュだかアゼルバイジャンだったか、フランス、北欧のどこだったか、オーストラリア、そして日本(僕とスタッフS)。見事なまでにインターナショナルな見学者が10人以上集まっていた。ガイドツアーはまずNo.1コートに向かった。入口を入って階段を上がったところで、一通りの説明。綺麗な英語だが、とても全部は聞き取れない。でも、僕もウィンブルドンやテニスの歴史にはそこそこ通じているので、概ね何を言っていたかは判る。ウインブルドンがいつ始まって、西暦何年に会場を移動したか。何年に使用ボールが白から黄色に変わって、何年にセンターコートに屋根が付いたか。あとは生々しい話。「No.1コートの入場料は大会初日で41ポンド、2週目に72ポンドに上がります。センターコートは初日で48ポンド、2週目で93ポンド。最終日には148ポンドに達します。ところが今日は22ポンド。センターコートを観るには最もお得な日ですね。(笑)」そもそも欲しくても買えないけどね、最終日のセンターコートなんて。そんな感じで、観客席への階段を目の前にだいぶじらされて(笑)、説明が続く。やがて、ガイドに続いて階段を上がると、視界がばあーっと明るく開いた。No.1コートだ! No.1コートセンターコートに準じて使われる、TV中継で見慣れたメインコート!のっけから胸が高鳴った。コートはもちろん天然芝。今は周囲を金網で囲ってあって、ラインも引いていない。ここもセンターコートも、来年の選手権まで使われることなく、一年かけて芝を養生しているのだ。 (コート中央に立てた木に結んで凧を飛ばしているのは、鳥除けかな?)ちなみに、次の選手権でセンターコートの"バージングラス"を最初に踏むのは、前年度男子チャンピオンと決まっている。(初日センターコートの第一試合)記念写真を撮らせた後、ツアーはNo.1コートを出て、見所を次々に回っていく。ヘンマン・ヒル芝に座って、向かいの巨大モニターでセンターコートの観戦が出来る丘。ヘンマン・ヒル。フレッド・ペリーの時代以降、イギリスのテニス選手達はウィンブルドンで全く勝てなかった。(確か、本戦にすら、ろくに進めなかった。イギリスの大会なのに!)そんなイギリステニス界の希望の星となったのが、ティム・ヘンマン。1990年代後半から2000年代前半まで、何度も準決勝まで進んで、イギリスの観客達を熱狂させた選手だ。彼を見るためにファンがこの丘に集結したことから、ヘンマン・ヒルと呼ばれるようになった。..なんだけど、今年ついにアンディ・マレーがウィンブルドンで優勝し、実に77年振りのイギリス人チャンピオンになった。そんなわけで、ここは間もなく「マレー・マウンテン」と改名される模様。(^^;)No.18コートここは現在"史上最長記録"となっている、2010年のジョン・イスナー対ニコラ・マユ戦が行われたコート。結果は「6─4、3─6、6─7、7─6、70─68」でイスナーの勝利だが、何と三日がかり!※最終セットにタイ・ブレークが適用されないため、拮抗するとこういうことになる。2ゲーム引き離さないと、未来永劫終わらない理屈だからねぇ..このコートにはナイター設備がないし。No.3コート(旧No.2コート)元々のNo.2コート。時々番狂わせが起きるので、「チャンピオンの墓場」と呼ばれたが、No.13コートを潰して新しくNo.2コートを造ったので、こちらはNo.3コートに改称された。名前が変わって"呪い"が解けたかどうかは知らない。一番奥に見えるスタンド付きが新No.2コート奥側:手前からNo.8.9.10.11コートこちら側:手前からNo.4.5.6.7コート記者会見ルーム(全員順番にインタビュー席に座って、記念写真を撮った)そして、いよいよ一番の見所、センターコートへ!ぞろぞろ...センターコート! ロイヤルボックス最後のスコアがそのまま残っている 感無量..... あの1982年の決勝戦は、まさにここで繰り広げられたんだ。... 言葉も思いつかず、ひたすら見入ってしまった。センターコートの中に入れるなんて、去年まで知らなかったのだ。こうして観客席に座っているのが、何だか信じられない気持ち。ガイド達に急かされるまで、一秒でも長く、ここに居たかった。 センターコート出口の壁に並んでいたパネル <一つ前|次へ>
2013/11/11
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ロンドンのパブで(2013/10/26)晩ご飯を食べに、ホテル近くのパブに入った。カウンターはいつも賑わっている左手前がビール。指さして注文する。ロンドンのパブでは、飲み物はカウンターで注文して、自分で席まで運ぶ。料理はやはりカウンターで頼むが、(作ってから)店員が席まで持ってきてくれる。去年入ったパディントン駅のパブはテーブルにあらかじめ番号が振ってあって、カウンターで料理を頼むときにテーブル番号を伝えたのだが、ここは少し違うようだ。(たぶん、こっちが普通?)テーブルに番号はなく、オーダーを伝えた時に渡される番号札をテーブルに立てるのだ。 「料理は30分くらいかかるけどいいか?」 「問題ないよ。」今はまだ20時。この後はホテルに帰って寝るだけだから、気楽なものだ。それに日本にいたら、今頃の時間は当然仕事の真っ最中。こんな時間から飲んでいること自体、優雅な話だ。明日だって、朝から空港に向かうわけではない。夕方まで滞在して、長年の憧れの場所に行くのだ。ビールを飲みながらのんびり待った。イギリスならではの、全く冷えていないピルスナー。冷えていないので、いつ飲んでも味が変わらない。冷えていると、時間と共にだんだん美味しくなくなるから、こういう発想もあるなあ..と納得。味も良い。むしろ冷えていない分だけ、ビールの味がしっかり伝わってくる。そのうち、料理がやってきた。コッド&チップス、つまりフィッシュ&チップス(大きさ比較のために、4色ボールペンを置いた)毎度ながら、大きい。.....いや、白身魚のフライ(?)は大好きだし、美味しいのだけれど、大きすぎて、やっぱり途中で飽きるなあ。去年の経験で、ビネガーをたっぷりかけた方が食べやすいことは判っているけれど、限度がある。それに、どうしていつもこんなにグリーンピースが載っかっているのか。(そんなに好きなの? 冷凍のグリーンピース。)でも、これぞイギリスという気がする(=今しか食べられない)ので、せっせと食べた。スタッフSが注文した、何とかパイこちらの方が凝った味で美味しかったかも。でも、やっぱりグリーンピースが多い。イギリス人が「これが好き!」と思うなら、それでいいのだと思う。イギリスにやってきた外国人が、自分達の好みで勝手に「イギリス料理は不味い」と決めつけるのは不遜というものだ。 ステラアルトワビール 2杯目はこれにした。 ステラアルトワといえば、テニス界最大の大会「ウィンブルドン選手権」の前哨戦のスポンサーだ。「ステラアルトワ・グラスコート選手権」。ウインブルドンの直前に開催され、同じ"天然芝"の大会であるため、ここで優勝した選手がウィンブルドンを獲る確率が高いと言われている。(20年くらい前の話だけど、もしかして今は違うのかな?)さてお酒の酔いが回ってきたところで、少し話が脱線する。 あれは1982年の初夏だったはず。終電で帰宅してつけた深夜のテレビで、ウィンブルドン選手権の男子決勝を生中継していた。前年に王者ボルグを激戦の末に倒し、今や全盛期を迎えていたマッケンローと、1974年に神様ローズウォールをやはりウインブルドン決勝で倒してNo.1に君臨したが、今や30歳を越えて衰えを指摘されていたコナーズの対戦。下馬評は当然、圧倒的にマッケンローが有利。当時全く素人の僕が観たって判る。マッケンローは独特のフォームから、もの凄くキレのあるサーブをコーナーに打ち込む。飛び込んでボールを打ち返すコナーズの身体はそのままコートの外に流れてしまい、何とか返ったボールをネット際までスルスルッと詰めたマッケンローが反対コーナーにボレー。これで決まりだ。たった2ショットでポイントを決めてしまう。天才マッケンローの、芸術的なまでに完璧なサーブ&ボレー。これに対して、コナーズはとにかくコートをかけずり回る。どう考えても取れそうにないボールに食らいついて、銀色のラケットを煌めかせてリターン。芝にひっくり返って立ち上がり、肩で息をしながら、まるで自分を鼓舞するかのように両拳に力を込めて吠える。コナーズのサービスゲームはマッケンローの3倍くらい時間がかかっている。ただでさえマッケンローよりずっと歳を取っているのに、あれではすぐにへとへとになってしまうだろう。しかしだ。観ているとハラハラするけど、ジーンと感動がこみ上げる。(たぶん、判官贔屓)それに何やかやでコナーズは善戦していた。時には、絶対届かないと思われたボールに飛びつき、ダウン・ザ・ライン(コートのサイドラインに沿って真っ直ぐ!)パスを抜く。慌ててボレーに跳ぶマッケンローのラケットが空を切って、芝の上にひっくり返る。観客がどっと沸く。コナーズが吠える! コナーズ 3 6 6 7 6 マッケンロー 6 3 7 6 4気がついたらスコアが全くのタイで進んで、あろうことか最終セットにもつれ込み、翌朝の新聞の写真ではコナーズが飛び上がってガッツポーズをしていた! 『コナーズ、勝っちゃった....』いっぺんでコナーズという選手が大好きになってしまった。どんなに厳しい状況にあっても、全力以上で戦い続けるファイター。「ボルグはマシーン、コナーズはアニマル、マッケンローはアーティストである」と言われた時代だ。あらゆるテニス雑誌を読みあさっては、コナーズや他の選手達の動向を追いかけた。ボルグもマッケンローも、レンドルもビランデルも、ノアもルコントも、ビラスもゲルライティスも皆個性的で、どの試合も面白かった。テニスは個人競技だし、世界中の選手達が同じコートで戦う。ダブルスでは国籍に関係なく、ペアを組む。いろんな国の人がスポーツのルール内で正々堂々と戦い、観客も戦う両者を純粋に応援する。観客同士が罵倒し合うようなこともない。フーリガンなど皆無だ。政治思想で国旗を掲げて走り回るバカな選手もいない。そんなプロテニスの世界が大好きだった。海外旅行など行けるはずもない、行けても一生に一度くらいだと思っていた当時の僕にとっては、憧れの「世界」の空気を自分の部屋に居ながら感じられる"媒体"でもあった。そしてそのうち、中学時代にちらっと思ったきり、心の中に封印していた「テニスをやってみたい」欲求が芽を出した。あれは確か1984年の11月。すでに社会に出て、月曜から土曜の毎日、毎朝8時半から夜11時まで(注:週休二日制なんて、後の時代の話)机に向かって仕事をしていた僕は、時『何か身体を動かすことをしないとおかしくなる』と思った。思えば中学では卓球部と剣道部をさぼりまくり、高校では入学早々膝が剥離骨折を起こして正座禁止を言い渡されたのを良いことに「文化部は許さん」と言う親を沈黙させてマンガ研究会に没頭し、専門学校では課題の嵐とアルバイトでクラブ活動どころではなかった。要するに僕は、生まれてこの方、スポーツを一つとしてモノにしたことがないんだ..。今こそがたぶん、人生で最後のチャンス。毎週日曜に、テニスかスキューバ・ダイビングのどちらかをやろう。(注:水泳も大好きだったので。)冷静に考えると、スキューバ・ダイビングは海に行かないとできないが、テニスなら近所のテニスクラブでできる。たぶん続けやすい!そんなわけで、僕はNASテニスクラブ越谷の戸を叩いた。日曜朝9時から1時間半のレッスン。その後は外のハードコートを丸一日使って、夜の9時まで好きなだけボールを打てるという、今でもなかなかない好条件のクラブだった。競い合える仲間もできて、組み合わせを変えながら、シングルスやダブルスを毎週何試合もこなし、帰宅すると11時からの東京12チャンネル(=現在のテレビ東京)でテニスの番組を見て寝るというスケジュール。以後の11年間、会社から「パーティジョイのセット(箱詰め)が間に合わないから、手伝え」と臨時招集がかからない限り、あるいはプログラマーに張り付いていないと納期に間に合わない状況にならない限り、唯一の休日である日曜日は丸ごとテニス漬けだった。そんな懐かしいあの頃の「きっかけ」をつくったウィンブルドン。あの舞台を一度この目で見たいとずっと思っていた。前哨戦のステラアルトワを飲んで、 それがいよいよ明日叶う。 <一つ前|次へ>
2013/11/10
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ロンドン徒歩観光(2013/10/26)雨が降るんだか、降らないんだか、もしかしたら降っている気もするけど微妙。はっきりしない天候のロンドン市内。渡航前はピカデリースクエア方面から歩いていくつもりでいたが、この角から遠くにビッグベンが見えて、気が変わった。まっすぐ、ビッグベンに向かって歩いていこう。 すごいなあ..と思うのは、この街、目に付く全てが文化遺産のような建物ばかりだ。観光名所と言われていない、ごく普通の建物もことごとく魅力的で、目が離せない。雰囲気としては昔の銀座のようだが、銀座中の建物が全て和光ビルになったような感じ。 ライフガーズ騎馬警官...いや、騎馬軍人か? 歩き始めて早々、足が止まってしまった。 ホースガーズ(騎兵連隊)という建物らしい。取り立てて止められない雰囲気だったので、中に入ってみた。(全くノーマークだったが、騎兵交代式が見所の観光名所らしい。)戦車?!パラディオ様式の建物をくぐると、広大な空間が広がっていた。なんと、いたるところに戦車やら軍用ヘリやらが置いてあって、軍人さん達が一般の観光客と楽しく語らっている。静岡ホビーショーあたりでやっている自衛隊の広報活動の大規模版の雰囲気だ。これ、見る人が見たら嬉しいんだろうなあ.....せっかくだが、軍事関係には全く興味がないので、先を急ぐことにした。 ちなみにこの周辺には旧海軍省や旧陸軍省の建物があって、何となく国防ゾーンのようだ。チャーチル像少し歩いたら、チャーチルがいた。いや、チャーチル像が立っていた。あんたか、大戦中にマティーニを飲むと言って、ドライ・ヴェルモットの瓶を横目で睨みつけながらジンを煽ったというのは。(そういえば、いつかデュークス・バーに行って、イアン・フレミングが好んだというマティーニを飲んでみたいけれど、今回もルート上難しかった。)そんなことを思いながら、ちょっと歩いたら、いきなり目の前にビッグベンが現れた!(注:現れません。) ビッグベン!(いや、国会議事堂) 思うに、ロンドンって案外狭いな。(^^;) そんなに大した距離を歩いたつもりはなかったのに、あっという間だ。しかも向かいには、つまり今立っている斜め右前にはもう一つ有名な観光名所がある。これ。ウエストミンスター寺院ウエストミンスター寺院! なんて楽な観光コース!あいにく中には入れてもらえなかった。どこもそうなのだが、土曜日はだいたい午後2時過ぎくらいで閉まってしまうのだ。(日曜日は終日入れない。)でも併設された土産店にいろいろ魅力的なグッズが揃っていて、けっこう散財してしまった。あたりを見て回ると、他にもいろいろ名所がある。このあたり一画だけで3時間くらい過ごせそうな感じだ。ここから方向を変えて、国会議事堂に歩を進めた。近くで見ると、なかなか複雑で面白そうな建物だ。並べば見学できそうな印象だったが、見学コースのゲートをくぐって早々、長い行列が出来ている。並んでまで観たいとは思わなかった。国会議事堂脇の橋から、テムズ川を渡る。 テムズ川橋から国会議事堂側を眺めると風格があるのに、反対側を見ると、何だか隅田川を思い出してしまうのは何故なんだろうな?業平橋側から、言問橋や墨田区のスポーツセンター方面を眺めた感じと似ている。(銀座を出発して、浅草まで来てしまった。銀座線かよ?)橋を渡ってすぐに側道に降りて、川沿いに伸びる道を先ほどと逆方向に歩いた。何やらいろいろ楽しそうなカウンティホールの前を通ると目の前に姿を現すのが、古風なロンドンで異彩を放つ丸くてデカいやつ、ロンドン・アイだ。 ロンドン・アイギネスブックに世界一と記録された(...けど、すでに過去のモノ)名物だが、こう言っちゃなんだが、料金は高い。通常料金22ポンド。渡航時の為替レートは1ポンド=178円だったから、3,900円くらいの観覧車!(東京スカイツリーかよ。) 「水族館とセットでお安いチケットはいかが?」とか「テムズ川クルーズとセットなら安いですよ」とか、いろいろセールスされたけれど、何しろ天気も心配だ。シンプルにロンドン・アイだけ乗ることにした。チケットを持って外に出ると、とんでもない行列ができていた。(注:事前にWEB予約すると、並ばずに済むチケットが安いらしいです。)これは乗る目前に撮ったもの(画面奥の見えない方まで行列)そこまでして乗るほどのものか?と(自分を棚に上げて)思ったが、行列に並ぶのが大嫌いな僕にしても、3,900円のチケットをやぶり捨てて去るわけにもいかない。我慢して並んで、ようやく順番が回ってきた。ようやく乗った(なんと25人乗りのゴンドラ)天気が悪いのが残念だが、景色はなかなかのものだ。「ブレードランナー」を連想したくなるようなビルおお、もしかしてあれは....MI6の本部ビル!(007の勤め先ね) 思わぬものを観られたので良しとしたい。ロンドンアイの先はちょっとした遊び場のようになっていて、メリーゴーランドや店が出ていた。メリーゴーランド! となれば、やっぱり回しましょうかね。(笑) すでに廻っていますが..もっと回しちゃいましょ~エレキテルも発明されていた もう、すっかり夕方だ。こうして見ると、要するにテムズ川にかかる2本の橋の間を歩いたに過ぎないようだ。でも、手頃でなかなか楽しい午後のお散歩だった。 <一つ前|次へ>
2013/11/10
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ロンドンに着いた(2013/10/26)ブロッケン現象、撮っちゃった!ヒースロー空港は慢性的に渋滞なので、こうやって上空をぐるぐる回る。ブリティッシュ・エアウェイズの変わった飛行機。高貴なお方が乗るんでしょうか?(そんなわけない)(後日追記)オリンピック向けの特別塗装と判明しました。ロンドンに着いた。エッセン・シュピール視察は終わったが、せっかくヨーロッパまでやってきたついでに、経由地で一泊して、ちゃっかり観光してから帰国しようというわけだ。要するに遊んで帰るわけだが、どうせ土日だ、文句は無かろう。(笑) それにまんざら"関係ない"わけでもなかったりする。(内緒)往路に泊まってもよいが、やはり本来の目的を先にこなしたいし、ドイツ語圏を出て英語圏に入るとなんだかほっとする。口直しのデザートといったら怒られそうだが、力を抜いてから帰国したい感じなのだ。空港からは地下鉄でまっすぐピカデリーサーカスに向かった。去年のようにヒースローエクスプレスに乗れば楽で速いが、今回は何度も地下鉄に乗る予定でオイスターカード(イギリスのSuica)も用意してある。慣れる意味で乗ってみた。なぜか、たった三駅くらいで降ろされた。ロンドン地下鉄、恐るべし...もっとも僕らだけでなく、乗客全員だ。車内アナウンスは特になかったと思うが、駅に着いたとたんに駅員が走りながら「降りてください!」と呼びかけて回ったのだ。車両が故障でもしたのか(快調に走っていたけど?)、あるいはイギリスでは多いらしいが、テロ予告でもあったのか。とはいえ、後から来た電車は明らかにおんぼろで、車のハンドブレーキが外れきっていないかのように、ガガガガっと振動が走る。そうなると、前の電車が故障だったとは思えなくなる。(じゃ、やっぱりテロ予告だったのか?)そんな、おんぼろな上に二編成分の乗客を乗せて満員のロンドン地下鉄に揺られること、確か1時間弱。(すでに曖昧)ロンドンの街に到着!トラファルガー広場ホテルはトラファルガー広場のすぐ近くだという。地図上では、ピカデリーサーカス駅で降りても近そうだったが、いざ出てみるとまるっきり方角が分からない。おまけに雨まで降ってきた。(去年と似たようなことを書いている。)いくら何でも、有名な観光地であるところの「トラファルガー広場」くらいすぐに見つかるだろうと思った自分が甘かった。しばらく勘に頼って歩いた結果、何とか広場にたどりついたものの、そこから先が判らない。何しろ、ヨーロッパ特有の円形の路線から放射線状に道路が伸びているスタイルだ。どの通り沿いにホテルがあるか、さっぱり見通せない。(広すぎて。)仕方がないので、iPhoneでGoogle Mapを起動して、ホテルの位置を入力。道案内を開始させた。ところが矢印に従って歩き始めたら、信号を一つ渡ったところで、突如方向指示が180度ひっくり返る始末だ。おいおいおい!...(iPhone5sのコンパスが狂っているというのは本当だったのか!と、この時心底思った。)交通整理に忙しい警官に道を尋ねたが、さすがに手が離せそうになく、近くで聞いていた親切な紳士が助けてくれたおかげで、僕らはようやくホテルにたどり着いた。なんか..豪華な感じ。何だか、凄いところに来てしまった予感。...(苦笑)いやいや、確かに少々お高かったけれど、ここはロンドンだ。ロンドンとエッセンのホテル設備に過剰な期待をしてはいけない。(実際、扉がやたらと重かったりして...)さて荷物を置いて、いよいよロンドン見物に繰り出そう!..ってことで、続きは明日のココロだ。(番組もじりはそろそろやめれ)<一つ前|次へ>
2013/11/08
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夜のエッセン街歩き:その2(2013/10/25)さて、今年のエッセンも(僕らは)今宵限り。見納めと言うことで、昨晩に続いて、夜の街を見物に出かけた。どどーんとライトアップ!(僕が見なかっただけで、たぶん昨日も点いてた。)樹木も輝いている(確か丸ごとつくりもの) 露店も輝いている。 少し幻想的なムードもあって、いいですなあ。ヨーロッパのクリスマス市は華やかで美しいと聞いたが、さぞやと思う。 メリーゴーランドもあちこちで稼働している。子供達がはしゃいで楽しそうだ。車の渋滞に慣れるよう、幼少時からこうして潜在意識下に刷り込んでいるのだ(想像)ところで、メリーゴーランドはやっぱり回ってなんぼでしょう。このとき、僕は突然カメラの絞り・シャッタースピードをいじる技を身につけたのだ。では、さっそく回してみたい。はい、乗って乗って..廻った~(速いよ)さて、よく廻ったところで、再び街歩きを続けましょう。(by NHK)暗い中に店がこうも明るく浮かび上がると、誘蛾灯のように吸い寄せられてしまいますな。 クリスマスはまだ先だけど、クリスマス用品の店も出ていたようだ。こっちはポテトか? 雰囲気が何となくクリスマスということで。 一度、クリスマスシーズンに来てみたいものだなあ...(毎年この時期に来てしまうので、そこから1~2ヶ月の内にまたドイツに行くなんて..とても言えない、クライアント各社に。^^;)そういえば某クライアントの担当者は、新婚旅行先がドレスデンのクリスマス市だったそうだ。 3年続けてエッセンに来たことで、だいぶこちらにも慣れてきた。情報が乏しいこともあって、はじめは何も無い街だと思っていたけれど、見るところはいっぱいあるし、ボードゲームが欲しければガレリアも書店もある。スーパーマーケットも駅ビルの中にあるから、食べ物も飲み物も困らない。ただ一つ難点があるとすれば、手頃なサイズのウイスキーがない。ほぼワインかビール。あとは薄めたブランデーみたいな飲み物をよく売っているのだけれど、あんまり美味しくない。ハムはどれも美味しそうだった。それから、観光地っぽい賑やかさはないけれど、スーベニアショップもある。(たった2軒程度だけど。)僕はそこでエッセン柄のショットグラスを買った。ここ数年、底の厚いタイプのものを旅先で必ず1つ買おうと決めているのだ。宿泊したホテル・モーベンピックもとても良かった。来年はどういうスケジュールで来ることになるか判らないけれど、できれば宿泊先は同じにしたいと思う。ついでに言えば、ドイツ自体にもずいぶん慣れてきた気がする。少なくとも、鉄道で移動する分にはどうとでもなりそうだ。来年もまた来るよ、エッセン。でも、いまだにドイツ語はほとんど話せない。... 何となく「パイレーツ・オブ・カリビアン」を連想したくなる露店もあった。 明日はロンドンに向かいます。(富士通の提供でお送りしました) <一つ前|次へ>
2013/11/07
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ドルトムントに行ってみる(2013/10/25)エッセン・シュピールは二日目も大盛況。今年は最終的に四日間で15万6千人を動員して記録更新したそうだ。それだけ人がいても、会場内では不思議と顔見知りの日本人に会う。テンデイズゲームズのタナカマさん一行、TGWの小野さん、ニューゲームズオーダーの吉田さん一行。ホールが3つしかないせいか、例年以上に遭遇率が高かった気がする。(笑) プレスルームやホールの一角でふいに出会い、しばし業界事情を聞いたり、ゲーム談義をするのもエッセン・シュピールでの楽しい時間だ。はるばるエッセンまで来なきゃできない話なのか?と聞かれれば返す言葉もないが。(笑)会場の隣は広大なグルーガパーク。鹿がいた。 さて二日間でじゅうぶん見物したので、1か所くらい観光しておこう。一昨年行った(せっかく大聖堂のてっぺんまで登ったのに、霧で何も見えなかった)ケルンに行こうかとも思ったが、案外と電車賃が高いので、スタッフSが却下。お隣のドルトムントに行ってみることになった。天気が悪いちなみにドルトムントといえばビールとサッカーだが、僕もスタッフSもサッカーに興味はない。町の道路の至るところにサイ?がいる。何かのシンボルだろうか?とりあえず、駅前からまっすぐ伸びた道の先に大きな教会があって、その手前を横切るように商店街の並ぶ道路が左右どこまでも続いている。地元サッカーチームの公式グッズショップらしき店もある。飾られている、あらゆる商品が全部黄色だ。あいにく教会は見学できない時間帯で、他にとりたてて目的地もなかったので、少し遠くに見える、壁に大きなビールのオブジェというか、シュワーッと泡が弾ける様子をネオンでリアルに表現している建物に行ってみることにした。期待が高まるシュワーッどうやら、工業関係の博物館らしい。ドイツ語で説明されても解らないが、無料で入れるエリアがあるようなので、試しに入ってみた。えっ?最上階まで吹き抜けた白壁に、なぜかコンピューターゲームの画面が投影されている。それも懐かしのファミコンだ。投影されているというか、明らかに遊んでいる?遊んでいる日本人ちょうど遊んでいる日本人を見つけた。(うそ)天井からコントローラーがぶら下がっていて、自由に遊べるのだ。うーん...最上階まで上がってみて、観られたのは結局これだけだった。うーん....なぜファミコンだったんだろう?...さて他に観るものも無さそうだし、エッセンに戻るとしますかね..いやいやいやいや、大事なものを忘れているではないか!ドルトムントはビールの街!そんなわけで、旧市街と思われるエリアまで歩いて、目当ての空間を見つけた。確かガイドブックで見たことがあるような光景だ。広場の周囲がみんなビールを飲めるレストラン(^^;)この店にした。店の人がなかなか相手にしてくれなくて、しばし途方に暮れる。どうも、ここでは英語が全く通じないようだ。それでも粘って(自分の短気な性格と戦って)、ようやくビールを持ってきてもらった。壁に貼ってあったお薦めと思われる料理も頼んだ。これだ。ドルトムントのビールと..生肉のバーガー?!!しばらく途方に暮れて眺めてしまった。店員達があまりにも愛想が悪い?と思い、何度も交渉したのだ。それで嫌がらせみたいに出されてしまったんだろうか??よく見ると、前方のテーブルで綺麗なお姉さんが同じものを美味しそうに食べている。嫌がらせでも何でもなく、そういう料理らしい。そして、食べてみたら、これがたいそう美味かった! ほどよく塩気が利いて、上に乗っかっている玉葱のみじん切りがアクセントになって、堅めのパンにはさまれた生の挽肉...いや肉が美味しい。問題は、手に持って食べようとすると、乗っかっている玉葱が全部こぼれてしまうことか。でも、これは癖になりそうだ。ビールも美味しかった。見た感じ、店ごとに銘柄が違うようなので、はしごしたら楽しいかもしれない。ドルトムントは、ビールと生肉バーガーが美味しい、とても楽しい街だった。(終わりよければ全て良し)ベンチまでサッカーボールかよ。<一つ前|次へ>
2013/11/06
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夜のエッセン街歩き:その1 (2013/10/24) 閉場時間まで残っていると帰りの電車が混むので、少し早めにメッセを退散。どうせ明日もゆっくり見る時間がある。いったんホテルに戻って、まだ明るいうちに夕食に繰り出した。昨日と同じ駅前からの道を適当に歩いて、ちょいと横の道に入ったところで、店を見つけた。確かここ、トリップアドバイザーあたりで評価の高かった店じゃないか? 位置関係と名前に聞き覚えがある。今日はここにしよう。ところが、先に入っていったグループがすごすご出てきた。あらら、予約でいっぱいかな? と思いつつ、れでも一応店の人に交渉してみたら、20時に団体の予約が入っているので、それまでならOKだという。時計を見ると19時近く。まあ1時間もあればそこそこ食べて出られるだろう。 店のおすすめピールがあるというので、それを頼んだ。 これは美味しい。キリッとして癖が無く、後味がいい。ぐいぐい飲める感じだ。料理はテキサスステーキ「ハイシャパル」を頼んだ。スタッフSはランプステーキ「ヘルベチア」。(ドイツまで来ておいて、二人してステーキだ。)スモール? ミッド? ラージ? と聞かれたが、大きさの基準がよく判らない。スタッフSが先に同じことを聞かれて、おそるおそる「スモール..?」と答えたら「それで足りる?!」とびっくりされていたので、僕は普通に「ミッド」と答えておいた。(笑) 「焼き方もミディアム?」 「それはレアで。(笑)」 肉以外もボリュームがあるのを忘れてた。 ハーブバターとソースが溶け合って、柔らかな肉とよく合う。美味しい!店の雰囲気も良いし、店員さんも明るくて良い感じ。なるほどこれは人気が高いはずだ。(来年も来よう。) 一通り食べ終わった頃、20時から予約していた団体客がやってきた。何やら全体にお年を召した男女がぞろぞろぞろぞろ。始めは大家族が高齢のお父さんの誕生日か何かを祝うのかと想像していたけれど、どうも違うようだ。同窓会か? 皆さん、がやがやと赤ワインを飲みながら楽しそうだ。時間も来たことだし、頃合いと思い、僕らは店を出た。 Pfefferkorn、いいお店でした。 すっかり暗くなっていたが、あとは例によってぶらぶら歩き。そろそろ飾り付けに少し灯りが入り始めて、明日の夜あたりは一気に街が輝きそうだ。 すでに出店が輝いてますな教会も趣を増して..昨日から何を造ってるんだろう?と思っていたが、なんと一昼夜で観覧車が組み上がっていた! ライトアップされた街の様子はまた明日。 <一つ前|次へ>
2013/11/05
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エッセン・シュピール2013 初日 (2013/10/24) 朝食はまたもや「ノルトゼー」で。これはスモークサーモンのサンド。 今日からいよいよ一般デー。それも、今日明日の2日間は"ゲームマニア"が集結するので、それはそれは熱いお祭りになるのは例年の通り。開場は午前10時。会場までの所要時間は概ね20分強。9時半に駅のホームにいればちょうど良さそうだが、去年の教訓もある。少し早めに現地に着いて、のんびり散歩でもしていれば...。 そう思って駅に着いたら、すでにこんなだった。 これは大変。10分ほど待って、ようやくホームに滑り込んできた電車に人々が我先にと飛び込んでいく。よほど強く押して身体を押し込もうとしても、びくともしない。ましてやこちらは女性のスタッフSが一緒だ。あっという間に電車が一杯になって、ようやく乗り込む勢いが衰えた頃、諦めて降りた人と入れ替わりに、僕はそそくさと乗り込んだ。スタッフSにも目配せをして、無理矢理乗せてしまう。扉が閉まらず、警告音が鳴ると、係員がやってきて、僕らをほんの少しだけ押しこんだ。これで扉が閉まり、電車が走り出した。 ....東京のラッシュアワーに慣れた日本人を舐めるなよ。(苦笑)いや、実際は無理矢理というほどでもないのだ。もう少し詰めればまだ乗れるところを、どこか皆さん甘い。警告が鳴る位置から身体を少しはずせばいいだけなのに、あと一歩詰めてくれなかっただけ。 そんなわけで、会場に到着。すでに開場時間を回っているとはいえ、外に待ち列があまり出来ていないのが驚きだ。(毎年、チケット確認の係員がとってもアナログで遅いので、なかなか入れない。) 中はすでに凄い状態。 今年も盛況だ。ただ、今回はホール1・3の2カ所から入場できようになっていて、去年まで入口すぐの位置で目立っていた大手メーカーが結果的に少し散った感じ。この写真はホール1から入ったところだが、例えばラヴェンスバーガーやコスモス社が見あたらない。そのあたり、ちょっと意外な感じだ。ついでに言えば、去年までより格段に歩きやすい。 日本陣営も賑わっていた。 ヤポンブランド ねこまど 日本の出店は他にもあるのだが、どうもうまく見つけられなくて、このくらいで。(来年はもうちょっと何とかします。そもそも回る余裕が無いかもしれないけど..^^;) 挨拶を交わした後はぶらぶらと、あてどもなく、会場内を何度も何度も歩き回る。 僕らの場合、特に目当てのゲームがあるわけではなく、会いたいデザイナーがいるわけでもなく、極めてニュートラルに(?)、 自分の興味がひっかかるゲームを求めて回るだけだ。 うーん、例えばこういうのが好きみたいだ。自分が作ってきたゲームと合わせて考えると、もしかして地図好きなんだろうか? やっぱり見て楽しいゲーム盤じゃないとね。.. デジタルなアプローチもあった。iPadで遊ばせるボードゲーム自体は珍しくないが、これはデモンストレーション用だろうが、やたらと大きいのが素晴らしい。 これだけ大きければ、ちゃんとボードゲームにできそうだ。(iPadの画面はどうも小さ過ぎて、本来ボードゲームがアドバンテージにしているはずの視認性・一覧性がかなり抜け落ちてしまうように思う。)こんなテーブルが家にあったら楽しいだろうなあ。..気が向いたら電源を入れて、ポーカーやブラックジャックをやったり、エアホッケーやビリヤードをやったり、得点計算が難しいゲームや、リスクや、その日の相場で変動する人生ゲーム(注:存在しません)なんかをやったりするのだ。 歩き疲れたところで、中庭(?)に出てランチだ。考えてみたら、今回はあまりソーセージを食べていない。去年までの経験で『油断すると、全部の食事がソーセージになりかねない』と思っているせいか、つい避けてしまうのだ。そんなわけで、ここはソーセージを。話には聞いていたが食べたことがない、「カリーヴルスト」を頼んでみた。 カリー・ヴルスト(ビールなんて飾りですよ!) 日本語に訳すと「カレー・ソーセージ」と言う意味だが、カレーというよりケチャップ味だった。僕はカレーと醤油は大好きだが、ケチャップとソースが(概ね)嫌いだ。(苦笑) こちらはクレイジーチップスという店の「スパイラルチップス」という品物。(商品名もクレイジーチップスでいいんじゃないかと思うけど(笑))じゃがいもを丸々1個使っていると思われるが、程よい塩加減でホクホクしていて、とても無美味しい。そのうち、スタッフSが言った。 「社長、こっちに来てから食欲が戻ったんじゃない?」そういえば、ここ半年くらい食欲が半分くらいに落ちていたのだった。疲れやすく、胃腸が完全停止したように、少し何か食べれば体が拒否反応を示してしまう。それがここへきて、何事もなかったように食べられるようになっているらしい。良いことに違いないので、そのへんは深く考えないことにした。 スタートレックの新作ゲームも発見。WizKidsと書かれているので、宇宙船のミニチュアを使った昨年のゲームのアドバンスキットかと思ったら、どうも別個の新作のようだ。(宇宙船の台座部分が従来のものと全く違う。)こういう時にせめて英語が堪能でないと、説明を聞いても理解できないのがもどかしい。仕方がないからディスプレイを眺めて理解してみる。今後半年くらいのうちに、さらに新作をリリースするらしい。「ドミニオン戦争」はスタートレックDS9で描かれた人気テーマだ。あらゆる勢力が入り乱れる、スタートレック史上初の艦隊戦。そりゃあ、ファンには大うけだろうし、スタートレックにおいて、これ以上ゲームにしやすい題材は他にない。 ホール内をさんざん歩き回って、エスカレーター前で行く手を阻む警備員をプレスパスでどかして(水戸黄門の印籠かね?)二階に上がり、トイレを借りるついでに、プレス向けの展示スペースを再びゆっくり見物。体力が戻ったところで再びホールに舞い戻って、またぶらぶら見物。そして疲れると、けがわ氏のおかげでようやく突き止めたプレスルームで休憩。今作ろうとしているゲームでやろうとしていることに多少なりとも似ている(気がする)ゲームや、試そうと思っていた素材を使ったゲームをチェックして買った。今年は一切買わないつもりだったけど、やっぱりどこかで買ってしまいますな。..(帰路は機内荷物制限が23kg1つなんだけど、載せられるかな。)そんな感じで、一日が終わった。 <一つ前|次へ>
2013/11/03
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エッセン街歩き (2013/10/23) 準備中のブースばかり見ていても仕方ないので、ホテルに戻り、エッセン中央駅前から伸びる道沿いに街を散歩することになった。去年スタッフTと散歩したが、スタッフSにとってはこれが初めてのエッセンだからだ。 いろいろ店が開いて、楽しそうな予感カレンダー上は去年より少し遅い。記憶では、エッセンの街がライトアップされるお祭りが近いはずだ。そのためか、街が少し華やいでいる。 いきなりの、リンゴ飴 写真中央あたりに盛られているオレンジを買ってみた。(あとでホテルに帰って食べたら、酸っぱかった。) 去年も見かけた教会。 撮りそびれたので、去年の写真を.. せっかくだから、今回は入ってみることにした。(撮影禁止なので、内部の写真は無し。) いやあ...、ヨーロッパの教会はどこも雰囲気がありますなあ。静かで、適度に重みがあって、どこか気持ちが落ち着く。僕はクリスチャンではないけれど。 (中庭)再び、街歩きへ。何やら小型のメリーゴーランドがところどころに置かれていて、楽しそうだ。普通の街の歩行者中心の道路にいきなりメリーゴーランド。...日本ではあまり見かけない光景だ。 美味しそう... そういえば、今回はまだソーセージを食べていなかった。 というわけで、本年の初ソーセージ。(笑) さて、初ソーセージの後はやっぱり"初ドイツビール"といかねば。ちょうど近くに、去年入ったレストランがある。スタッフTと怪しい日本蕎麦&ラーメンを食べた後に、口直し(!)にビールを飲んだ「DER LOWE」という店だ。 ※これも去年の写真。(どうもこの日は写真を撮り忘れがちだった。) 店に入って適当に座れと言われ、その後なかなか注文を取りに来てくれなかったが、ようやく頼んで出てきたのがこれ。 いやあ...待たされた分、とっても美味しい。名前をメモしそびれたけど。(苦笑)去年はビールだけ飲んで出てしまったが、今年はちゃんと料理を頼むことにした。 名前は忘れたが、要するにポークステーキ そういえば、ザウアークラウト、ドイツで初めて食べた...一方、スタッフSはこれだ。 シュニッツェル、いわゆるドイツ名物のカツレツ 一昨年ケルン駅内の店で食べて『何だか、塩っぱいカツレツみたいだなあ..』と思っていたが、本当にカツレツだとはその時知らなかった。カツレツだと思って食べると、美味しい気がするな。(なんだ、その感想?) いやいや、ちゃんと美味しい店でしたよ、はい。(^^) さらに道を進むと、途中に教会が二つ。教会って、こんなにあちこちにあるものなのか.. それぞれ歴史が感じられる風格で、ガイドブックに載っている建物ばかりが偉いわけじゃないんだな、と感じさせられる。(それは人間も同じ。) やがて大通りに出たので、このへんで引き返すか、迂回することにした。と、スタッフSが声を上げた。 「コインランドリー、見つけた!」 どう見てもコインランドリー ほんとだ。先日エッセン・シュピールに参加する女性陣の間で、コインランドリーは無いか?と話題になっていたのだ。男性は気づきにくい盲点で、そう言われてみれば確かにこちらにはコインランドリーがあまり見あたらない。(ホテル近くにも見たことが無い。)そんなわけで有益情報だと思うので、ここに情報を載せておきたい。 エッセン中央駅からも歩けるが、最寄りはUバーンのRheinischer Platz駅。駅を出たら、 この景色の方向に向かって一直線に歩けば、それほど歩かずに見つけられると思う。 Friedrich-Ebert-Straße 77, 45127, Essen, Deutschland(自転車屋さんの隣) ぶらぶら歩いているうちに、すっかり暗くなってきた。Rheinischer Platz駅からUターンして、先ほど通った道の1つ隣を歩きながら、ゆっくりとホテルに引き返すと、途中にちょっと興味深いレストランが見つかった。 「バルカンホフ」 バルカンって、あのバルカンだろうか?いやもちろん、論理的で身体能力に優れた宇宙艦隊士官じゃなくて、太陽系内にあって水星の内側を回っていると噂されて否定された惑星でもなくて、バルカン半島のバルカン。でも、ステーキハウスと書いてあるような.. メニューが飾ってあったので、眺めてみた。 いよいよ判らない。(^^;)でも何となくブルガリアとか、ルーマニアとか、ギリシャっぽい感じがする。面白そうだけど、何かの宗教色が強かったら入りづらいな。..今日は食事を済ませてしまったので、また調べてから再訪しようと思った。追記:調べたら、「伝統的なバルカンと各国料理を組み合わせた新鮮な地中海料理と季節の料理」だそうだ。(入れば良かった^^;)[バルカンホフ] 異国の街歩きはこういうのが楽しいのだ。興味の赴くままに歩いて、店を眺めて、写真とほとんど読めないドイツ語から推測して、あれこれ想像する。一昨年はほとんど何も見なかったエッセンの街だが、こうして毎年歩くことで、少しずつ身近になっていく。 (かといって、あんまり身近になっちゃうとつまらない(笑))この日の散策はこれでおしまい。 <一つ前|次へ>
2013/11/02
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エッセン・シュピール2013 プレスデー (2013/10/23) 朝食はエッセン中央駅の「ノルトゼー」で。去年以来病みつきになった、マチェス(若ニシンの塩漬けをパンにはさんだもの)。同行したスタッフSは隣に並んでいた「ビスマルク」を注文。本来は"ニシンの酢漬け"らしいのだが、一口もらって食べた感じでは鯖のようだった。身が締まって塩味が利いていて、こちらも美味しかった。こんな風にいろいろ並んでいる。エッセン・シュピールが開催されるメッセ会場へは、エッセン中央駅からUバーン、いわゆる地下鉄で数駅だ。しかし、このUバーンの券売機は一見すると分かりにくい。これは一昨年撮ったもの。(近くで画面を撮影しようとすると警告のような表示が出るので、遠くから。)AだのKだの、四角いパネルばかり並んでいるわけだが、どれを押せばメッセまで行けるか、一見でわかる人なんていないだろう。かく言う僕も、一昨年はあてずっぽうで切符を買ったものの、電車が混みすぎて検札が来ようはずもなく、果たして正しかったかどうか判らないまま終わった。昨年は宿泊したホテルに市内交通機関が全部無料になるカードが付いていて、そもそも切符を買う必要がなかった。そして今年だ。さすがに、きっぷの買い方が分からないとも言っていられない。今回はしっかり調べて、この切符を買った。券売機で言うところの「Aチケット4枚つづり」。数駅以内の制限を超えて四回乗れる割安なチケットだが、複数人で使うこともできる。僕の場合はスタッフSとの二人旅なので、二人で往復すれば使い切れる計算。念のため、インフォメーションセンターで聞いたら、その使い方も問題ないそうだ。ただ、切符の両側に刻印しろという。(買ったチケットはいつでも使えるので、使うときにホーム上や車内の機械で日付を刻印するのがルール。) なるほど、ふたりだからね.. と単純に解釈していたけれど、4人が片道で使い切りたいときはどうするのか? 今にして思えば、往復で一回ずつ刻印しろという意味だったのかも?で、結局のところ電車はまた混んでいたので、切符の使い方が正しかったかどうかはやはり判らず終いだった。今年の会場は、去年と同じメッセ・エッセンではあるものの、去年までのOst側からWest側に移った。どう違うかといえば、Uバーンの駅が一つ先になって、1ホール当たりが格段に広くなった。以前に「ゲームリンク」誌にも書いたが、去年までの会場はなぜか12から始まって、ホールの数字が次第に若返っていきつつも、途中の数字を飛ばした上に、7.1やら6.1が混じって、しかもそれらのホールが番号順に並んでいないという、よく判らない配置だった。今年の場合、メインエントランスを入ればホール3で、なんとなく三角形な位置関係でホール1と2が配置されているだけなので、理解しやすい。ホール構成日本で預かっておいたヤポンブランドのカタログ500部をブースに届けて、しばし歓談。ヤポンブランドは今年は参加者が多く、ブースに入りきれないほどだ。什器類の受け取りも順調だったようで、僕らが着いたころにはブースがあらかた完成していた。ヤポンブランド設営中さて、倉庫同然のホールばかり見ていても仕方ないので、11時からのプレスカンファレンスを見物することにした。何やら物々しく行く手を遮る警備の人間にプレスパスをかざして道をあけさせ、二階の会場へ入る。 ちょうど、間もなくカンファレンスが始まるというタイミングだ。サンドイッチを盛った皿とドリンク類が用意された長テーブルの席に適当に座ると、係員がやってきて、コーヒーは飲むか? スープはいかがか?とサービス満点だ。 テーブルの上はこんな感じ贅沢ですな。これだったら、さっきの朝食は要らなかった。(知ってたけど、マチェスを食べたかったので..^^;)このカンファレンス、今年のボードゲーム市場の動向なんかを延々と説明しているらしいが、容赦なくドイツ語なので、正直なところ、聞いてもちっとも解らない。解ったところで、そもそも"欧米向き"にゲームを創る気がないのだから、僕にはあまり関係ない。じゃあなんでここに来たのか?といえば、それはもう"雰囲気"を味わいたいだけだ。ほんわかとした期待感の中で、ボードゲームのことばかりが延々と話題になるなんて、幸せな空間ではないか。(笑)なんか有名人らしい人が出てきたドイツの芸人なんだろうか? たぶんどれかのゲームに関わっているのだろうが、あいにく全く判らない。カンファレンスはあっという間に終わって、人々がぞろぞろと出て行く。続いて向かうのはすぐ隣の部屋。ここにはプレス向けに各パブリッシャーのブースが並んでいて、新作ゲームが並んでいる。広い会場を回らなくても、ここで各社のイチオシを一通りチェックできるのだ。カナイセイジ氏の「ラブレター」...の海外版(ペガサス・シュピーレ社が権利を買って出した自社製品)「ラブレター」が大々的に展開されている!これは素晴らしい。あとでヤポンブランドに戻って、カナイ氏本人を呼んでこようと思った。↓で、実際呼んできたりして。勝手に掲載しちゃ悪いかと思ったけど、11/4のゲームマーケットでOKAZU brandの林夫妻に聞いたら「載せちゃえ、載せちゃえ!」というので、載せちゃう。(^^;) ←本人にも会ったのに、聞かなかった両側の人達、会社の人だって。(おもちゃショーと同じだ。)スタッフに熱烈に歓迎されて、本人は「HPを使い果たした」そうで。..(笑)いや、こういう華やかな瞬間って、この世界、あるようでなかなか無いものだ。良き時を楽しみ、そして再びそんな日が来るように頑張れ..って、卒業式を前に母校の先生に言われたっけ。それにしてもヤポンブランド陣営、今年は絶好調だ。OKAZU brandの「トレインズ」...の海外版こちらも同じく海外版が展開。オリジナルより、箱が大きくなったかも??こちらは専用ディスプレイこそなかったが、一般デーにゲームを買うと手に入るバッグに大々的に「トレインズ」の絵柄が使われていて、会場内のいろんなところで目立っていた。それはとても素晴らしいことだ。いずれも日本のゲームデザイナーにとって、励みになる光景ですな。(^^)その他の展示もいろいろと。.. ヤポンブランドに戻ったら、特徴的な"緑色の髪の男"がふらっと現れた。ドイツゲーム界には未だ疎い僕ですら一目で判る(苦笑)有名デザイナー、フリードマン・フリーゼ氏だ。にこにこ顔で気さくに声をかけつつ、なんだか慌ただしく走り去っていったが、それから僕らが設営中の会場内を見物していると、またまたフリーゼ氏と出くわした。「ええと、..ヤポンブランドの人だっけ?」今のところ関係者というほどではないし、なんて答えようか?と思ったら、スタッフSが答えた。「日本のオールド・ゲームデザイナーです。」『オールド..』その単語に妙にどんよりしつつ(笑)、何か話さなきゃと考え込む僕。フリーゼ氏も「そっか」と言って話題を模索していたが、誰かに声をかけられて「それじゃ!」とまた走り去っていった。このフリーゼ氏、その後もブースで指示しているのを見かけた上に、僕らの行く先々、いろんなところで目の前を横切って走っていく。たぶんフリードマン・フリーゼって、本当は10人くらいいるんだと思う。(笑)<一つ前|次へ>
2013/11/02
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今年もエッセンへ (2013/10/22) 今年もエッセン・シュピールの季節がやってきた。 のっけからビールとスタ-・トレックで始まる旅今、このへん 最近の機内食は"日本志向"が強いけど、昔はまず食事から"異国気分"に浸れたものだったトレイの敷き紙はなかなか贅沢素材。JALといえば、コンソメスープでしょ!空の上で飲むと最高に美味しい(^^)なんやかやで一番美味しい機内食はこれ。乾燥しやすく、気圧が違う空の上で、誰もが知っている牛丼の味を現する苦労があったようだ。経由地ロンドンを目の前に、シンガポール航空の上を飛ぶ。さすがに3年目ともなると、これといったトラブルもなく、無事エッセンに到着した。しいて言うならば、経由地のロンドン・ヒースロー空港で、次のデュッセルドルフ行きのゲートナンバーがなかなか表示されず、遅延が心配されたことくらいか。(実際、同時刻のフランクフルト行きは遅延になった。) ただでさえデュッセルドルフ空港には21時30分の到着予定で、入国審査の時間を考えると、エッセンに向かう列車に乗れるのは優に22時をまわる。事前に調べた時刻表によれば、このあたりの時間帯を境に本数がぐっと減っていく感じなので、飛行機が一時間レベルで遅延すると面倒な乗り継ぎを強いられるかもしれなかった。DB(ドイツ国鉄)は割と遅延があって、アナウンスはドイツ語でしかしてくれないから、来るはずのない列車を漠然と待ってしまったりして、いろいろ困るのだ。実際には飛行機はきちんと予定通りに離陸し、デュッセルドルフ空港で間違ったゲートに着くこともなく(去年のあれは何だったんだ?)、入国手続きはあっという間に終わって、21時50分には空港駅のホームに立っていた。この時間帯ならば、まだいくらでも列車がある。おまけに経由地ヒースロー空港の出発エリアには店がたくさんあって、退屈しなかった。成田からJALで到着したのがターミナル3で、表示に従ってバスで移動した先がブリティッシュ・エアウェイズ専用のターミナル5。そこは広々としたエリア二階分に専門店や飲食店が軒を連ねている。去年立ち寄ったシャルル・ドゴール空港のトランジットエリアにはキヨスクと喫茶コーナーくらいしかなかったことを思うと、大違いだ。ヒースロー空港での乗り換えは退屈知らず。さてそんなわけで、今年もエッセンシュピールの季節がやってきた。今年こそは自作を持って乗り込むつもりだったが、日常業務に忙殺されて残念ながら間に合わなかった。「まだ創らないんですか?」「いつになったら創るんですか?」そう言われることも多くなった気がする。自分自身が一番そう思っているので、身近で言われると辛いのだが、それで脚を乱したらモノづくりはできない。だから、今の答は"沈黙"だ。(ここで書いたら、沈黙にならないか。)頭の中でかなり具体化しているのに、手を動かし始めると新規案件が次々に飛び込んでくる。新規案件だって多くはゲーム企画開発だから、自分の創作エネルギーはそっちに持っていかれる。成果も出ており、会社経営上は(自分はこれでも経営者なので)大変ありがたいことだが、個人としてはもどかしい。そんなところ。僕が今作りたいのはボードゲームであって、コンピューターゲームではないからだ。20代の頃、つまりパーティジョイを作っていた当時も、ボードゲーム専業ではなかった。印刷会社のデザイン部門だから、商品のパッケージデザインやら版下やら、急ぎの仕事がひっきりなしに入ってきては、ゲーム作りの思考を中断されるのが悩みの種だったのだ。あの頃はそれでも平気でボードゲームを量産していたのに、今はスタミナが落ちたのか、それとも単に昔よりも自分に甘くなっただけなのか? 自分でもよく判らない。たぶん、モノづくりの長い道のりの半ばにそんな時期があるのだろうと思っている。焦らぬように。そして止まらぬように。せっかく自分が作りたいゲームを作っていい機会が目と鼻の先まで来ているのだ。手を動かせない間も頭の中には次々にアイデアが追加されているのだから、熟成させすぎて腐らないうちにアウトプットしてテストプレイを重ねれば、良いゲームができるのではないかと思っている。旅をキャンセルしようかと迷った時期もあったが、全てが過程の中なのだと思い至った。今回のエッセン行きは制作中のゲームを後押ししてくれるような、刺激を受けるためだけの贅沢な旅だ。 今回の宿エッセン中央駅 ホテルに着いた直後、エッセンの街はなぜか突然の雷雨に見舞われた。(こんなの初めて。) |次へ>
2013/11/02
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今年は間に合わなかった...(^^;) 昨年の「アメリカ旅行記」を書き終えないうちに、また渡航する日がやってきてしまいました。明日朝から1週間、エッセン・シュピール視察のため、ドイツ・イギリスに行って参ります。 ドイツはそんなわけでボードゲームばかり眺めていると思いますが、イギリスでは(今年はちょっとリミッターをはずして)念願の「ウインブルドン」を見学してくる予定です。(試合はやっていないので、施設だけです。コートと博物館。)ではでは、台風27号が成田に近づく前に行って参ります。m(__)mなお、恒例の"失敗談"を期待されている方には申し訳ありませんが、今年はトラブル無しで終始する予定です。財布をすられたり、電車を乗り間違えたり、パスポートにちゃんとスタンプを押してもらえずに止められたり、といったことはない!...はず。(^^;)
2013/10/21
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2012アメリカ旅行記[10] インターナショナル・フード&ワイン・フェスティバル(後) まだまだ続く!...とは書いたが、実はのんびりしすぎて、あっという間に夜だ。地図ではスケールが判りにくいが、ワールドショーケースはけっこう広い。見物しながら湖を一周するだけで、丸一日かかってしまう。(これでEPCOTの半分に過ぎないのだから、観光には充分な日数が必要。)そんなわけで、都合2日分(正確には3日分)の写真を繋げて説明しているので、もう少ししたらまた昼間になっちゃうけど、気にしないでください。(笑)とりあえず、多少なりともフェスティバルの雰囲気が写っている写真を一点。 アメリカ館 本場のターキーレッグ、美味しい(国内テーマパークのものとは全然違う)あらら、建物の写真をちゃんと撮っていない? 日本館 なんで昼間のウチに写真を撮らないかなあ..>自分 明らかに間違っちゃった(というか、あちこち適当に繋ぎ合わせちゃった)日本の建物がお出ました。 (手前右側:お寺の本堂チックな三越でございます)(奥の方:明石城に近いけど、姫路城でございます) (バカ高いお蕎麦とにぎり寿司をお召し上がり頂ける、茶屋でございます) (向かい側は厳島神社の鳥居だけでございます) 雰囲気だけは何とか伝わっただろうか?(^^;) 三越で売っている、不思議な掛け軸「いらっしゃい」っていう"のぼり"は新鮮 姫路城(?)内は日本の伝統文化に関する展示スペースだが、ツッコミどころ満載だ。 例えば、 古来から伝わる日本のスピリチュアル 「鬼」(ラムちゃん!) 古来から伝わる日本のスピリチュアル 「化け猫と犬神」 (綾波レイもか..) 古来から伝わる日本のスピリチュアル 「狸」(マリオ...) まだまだあるが、実際に行った時のお楽しみということで、このくらいにしておこう。 モロッコ館 フランス館 そろそろ疲れてきたので、適当に土産物を眺めるだけで、概ね足早に歩いていた。夜になって肌寒かったし。..写真を撮った気がするが、見つからないのでパス。m(__)m イギリス館 (これ、イギリスかな? フランスかな?) イギリス館には、くまのプーさんがいた。考えてみれば、そりゃそうか。 (自分達がしっかり写っている記念写真しかないので、省略) カナダ館ここのレストランの料理は美味しい 佇んでいても良し、散歩しても良し、(世界中のお土産があるので)買い物も楽しいし、ライドも楽しく、食べ物も美味しい。EPCOTのワールドショーケースはWDWの中で一番好きな場所だ。 <一つ前|次へ>
2013/09/23
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インターナショナル・フード&ワインフェスティバル旅日記をのろのろ書いている間に、今年のフェスティバルが開催間近になってしまった。Inter National Food & Wine Festival ちょっと早足で、やや総集編的な編集に切り替えて、旅日誌の残りを書き進めたい。(去年もこんなことを言っていた気がするけど、来月はまたドイツ行きだ..) 結婚15周年記念のランチを終えた僕らは、そのままEPCOT内を奥に向かった。 「EPCOT」はWDW内にあるテーマパークの一つで、広大な敷地をおおむね2エリアに分かれている。一方はフューチャーゾーンと名付けられた、「科学技術」をテーマとしたパビリオンやアトラクション。そしてもう一方は「ワールドショーケース」と名付けられて、広い湖をくるりと取り囲むように世界各国のパビリオンが並んでいる。要するに、万国科学博覧会を恒久的かつ発展的にやっているようなものだ。その「ワールドショーケース」全域を使って、9月から11月にかけて開催されているのが、冒頭で書いた「インターナショナル・フード&ワインフェスティバル」だ。各国パビリオンの前に屋台が出て、それぞれの文化が感じられる珍しい料理とワインが並ぶ。まだ暖かい秋のフロリタのお日様の下、食べ歩きしながら世界見物が楽しめる、このフェスティバルこそ、僕らがどうしてもWDWを再訪したかった最大の目的といっていい。新婚旅行で訪れた時、ちょうどこのフェスティバルをやっていて、夫婦二人でのんびり歩きながら、各国の建物で涼んだり、フィンガーフードを買って食べたりと、気の向くままに世界の文化(のかけら)に触れるのが楽しかった。そしてどの国のパビリオンだったか忘れたが、明るい太陽の下で飲んだ白ワインがとにかく美味しかった。何を隠そう、あれで僕はワインの美味しさを知ってしまったのだ。あれからずっと、僕は夏になると白ワインを屋外で飲みたくなる。試しに葛西臨海公園の芝生エリアまで行って寝転がり、持参した白ワインを飲んでみたことがあるが、何かが違った。(苦笑)そんなこともあって、どこかで再訪したいと思っていたのだ。説明はこのくらいにして、後は写真中心に。ワールドショーケースのパビリオン見物もしながら、ぐるりと一周してみたい。[パーク全体図][フェスティバルガイド(2013年版ですみません)] パーク全体図でいうと、湖手前の「ショーケースプラザ」から時計回りに回っていく。 メキシコ館室内はこんな感じ。 もともと「夜」の設定で作られているので、昼間ここに来ると時間の感覚が狂う。 ここの担当キャラクターはドナルド・ダック。まあちゃんが驚喜して、記念写真を撮ったのは言うまでもない。 ノルウェー館 バイキングの、ごく真面目な展示。(個人的には大好き。) ノルウェーサーモンとスパークリングワインで乾杯! そしてここには、ちょっとマニアックなライドもある。 「マウルストラム」船に乗って水路を進むタイプのライドだが、途中で北欧のトロールだか何だかのパワーで押し戻されて、後ろ向きに進んでしまうのが特徴。 (上の写真左側の洞窟っぽい中を時々ライドが通っていくのが、外からも見える。)涼しげで適度にスリルもあって、楽しい。(WDWに来るたびに欠かさず乗ってます。(笑)) 中国館 建物はそれっぽいんじゃないかな。 (すんません。お隣の国に悪気はないんだけど、全然印象に残らなくて...) 売店はちょっと面白かったかも。なぜかパペット人形をあれこれ売っていた。 ドイツ館 中は「オクトーバーフェスト」っぽく、ビールやソーセージを楽しめるレストラン。別に今ここでドイツに浸らなくても良い気がして、何となくパスした。 さすがはメルクリン社の国。鉄道模型もバッチリ。 イタリア館 ヴェネチアングラスを売っていたりして、コンセプトは他の国と同じ。でも、さすがに建物の再現度はなかなかのもの。後で出てくる日本館なんてひどいものなので、ここに欧米文化と東洋文化の溝を感じるのだ。(そう考えると、さっきの中国館は出来が良い方。) 写真奥の方に注目。左奥から右に、モロッコ館、ドイツ館、中国館が見える。(これでまだ半周できていないのだから、湖の広さが掴めるでしょ?) というわけで、またまた乾杯!何しろ、このだらだら飲み食べ歩きが楽しい。 こうしてみると、せっかくのフェスティバルを写真に納めていないのが悔しい。各国パビリオンの前か、すぐ近くに立派なブースを設けて、お酒と料理を売っている。新婚旅行で来た頃は、どうも最初の開催からまだ3年目くらいだったようで、小さなテントかカート程度を出していただけだったが、イベントとして確実にステップアップしたようだ。 ワールドショーケース巡りはまだまだ続く! <一つ前|次へ>
2013/09/23
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「宇宙戦艦ヤマト2199」最終章の劇場公開最終日・最終上映を観てきた。今回は通常より少し早めの20時スタート、それも予告編・CMをいっさいやらずに(さすがに映画泥棒さんは出てきたが)いきなり本編上映だ。それというのも、本編終了後にスタッフ・関係者が登壇してお喋りするイベント「ヤマトーク」に目一杯時間を取るためだ。通常1時間弱のところを概ね1時間半! まるで居酒屋にいるようなファントークや裏話がとめどもなく続き、誰もが終電を気にしてそわそわする頃になって無理矢理打ち切る。朝まで聞いていたかったなあ..と後ろ髪を引かれつつ、全員出口に殺到。駅に急ぐ。いい歳をして、みんなで学生時代のようなやんちゃタイムを楽しんだわけだが、どれもこれも全てがあの「ヤマト」らしいひとときだった。「ヤマト」といえば熱狂・徹夜がつきものだった。それに、かつての「ヤマトブーム」は"若者が徹夜で映画館に並んで漫画映画を観る"ということで当時の世間を驚愕させたわけだから、最後の劇場上映で"若く無くなっちゃった僕らが終電に急ぐ"というのは、楽しいオチだ。終わっちゃったんだなあ....(いや、最終章部分のTV放映は明日からだけど。)この1年半、とっても幸せだった。中学時代に舞い戻ったように、次の「ヤマト」を待ち焦がれ、友達と語らい、あれこれ予想し、パンフレットに見入り、たまに落書きしてみたり。かつての「ヤマト」の堕落(断言)と共に国産アニメへの興味を一気に失い、以降(仕事絡みと「復活編」を除けば)今まで「宮崎アニメ」以外全く観ないで過ごして来たので、本当にタイムスリップした感覚だった。何しろ最高の人材(の多く)が制作に関わったのだから、それは素晴らしいに決まっている。まだヤマトブームが巻き起こる前からスタジオに出入りしていたファンクラブの走りみたいな出渕総監督や、父親が作ったヤマト音楽に魅了されて今の仕事を志したという宮川彬良氏が象徴的だが、とにかく"あの時"「ヤマト」に出逢って人生が決まっちゃった人達が集結して、リミッターをはずして"ファースト・ヤマト"をリビルドしたのだ。押さえるべきところは押さえ、要所は強化し、なぞるのではなく敢えて別の軌道を通ることで、オリジナルが伝えようとしていたメッセージがよりクリアになって、まさに"ファースト・ヤマト"が蘇った。しかも、まるで「ヤマト」が切り開いたアニメブームの歴史をなぞる、あるいはタイムカプセルに詰めこむかのように、周辺のさまざまな作品のキーワードがあちこちに見え隠れしていた。「うる星やつら」やら「ガンダム」やら「ウルトラシリーズ」や、松本零士の別作品、さらにソノシートのネタ(幼き頃の駄菓子屋さん!)まで! そんなことが許されるのは「ヤマト」だけだと、個人的には強く思う。一般名称を「TV漫画」から「アニメ」に変えさせた、アニメブームの事実上の元祖(一部異論もあるだろうけど)である「ヤマト」だからこそできることだ。「ヤマト」が蘇っただけでなく、まるで70~80年代サブカルチャーそのものがリビルドされて蘇ったようだった。それにデジタルでCGを使用しているのに、絵にぬくもりがあって画面が温かい。キャラクターの動きに意思が感じられ、メカの動きも一回見ただけでは気づかない細かな部分まで手が入っている。(ブルーレイでコマ送りして見て欲しいそうだ。もっとも画面に見えない裏側の背景まで描きこんでいるらしいけど..)さすがにTV放映が始まってからの21話以降は時間が足りなかったのか、絵も動きも粗くなってしまったエピソードも少々あったが、全体にびっくりするほど丁寧で、細かく気配りされた画面づくりだった。オリジナルよりも遙かに綺麗で、人物の動きもきめ細かくて(きちんと演技して!)今風の絵柄に変わっているけれど一線を守っている。時々、オリジナルの白土さんバージョンあるいは芦田さんバージョンとしか思えないタッチが由来のあるエピソードでさりげなく挟まれているのも楽しい。新しいけど、ところどころ懐かしい。まず見せたいビジュアルがあって、見る側が快く"騙されるように"必要なところは作劇上の理論武装を施すが、理屈をこねてつまらなくなるくらいだったら理屈を無視する。その匙加減がとても巧かった。音楽も素晴らしかった。オリジナルをそのまま使うといっても、そのままでは新しい絵柄に合わないし、譜面も残っていない。宮川氏は耳コピーで片っ端から譜面を起こし直し、絵柄に合うようにアレンジし(現在可能な楽器編成に変える苦労もあったとか)、しかも新曲をいくつも投入した。「ヤマト渦中へ」や最終章で印象的に使われる曲(たぶん次のCDの「虚空の邂逅」あたりがそれ?)などはあまりに良すぎて、一度聞くと頭の中を無限ループしてしまう。まるで昔から「ヤマト」に存在したかのようにしっくりしていて、しかも他には置き換えられない、そのシーンにはその曲じゃないと絶対に合わない!..そんな曲ばかりだった。とにかく、すべてが素晴らしかった。"ファースト・ヤマト"には僕も深い思い入れがあるが、変な歌じゃない方のOPの映像1カ所を除いて全く文句なし、むしろ予想を遙かに超えた最高の「ヤマト」を見せてもらって、まさに"感謝の極み"。いやいや、ネタで書くと不遜なので、ちゃんと書きたい。最高のファースト・ヤマトを見せてくれて、ありがとう!!ところで、出渕総監督が掲げていた(雑誌などで語っていた)キーワードは「責任を果たす」だった。「必ず地球に帰ってくると約束して、本当に帰ってくる話ですからね。困難にぶつかったとき、諦めずに頑張る象徴がヤマトなんです。」絶対に無理だと思っても、まず一歩踏み出してみよう。諦めずに進んだ先には必ず何かがある。実際の日常で"壁"に出くわしたら、思い出せ。ひ弱な自分探しの物語ではなく、暗い世の中に唾を吐く物語でも滅びの美学でもなく、真正面から皆で頑張って未来を勝ち取るポジティブな集団ドラマ。かつて自分達を今の人生に導いた作品を、その人生で培ったクリエイティヴィティーとエネルギーで蘇らせる。「時代が違うし、コアなファンがうるさいから、どうせコケるんじゃないの?」と誰もが判ったように言ったであろう、"火中の栗を拾って"結果を出す。今のアニメ界の主流とは真逆のような「ヤマト」を敢えてぶつけて、今の世にこそ必要な「ヤマト」の強いメッセージを伝える。かつて自分達が受け取ったものをきちんと次の世代に伝える。それが彼らの言う「責任を果たす」ということだろうと思う。「世の中に責任を取らない大人が溢れてしまいました。若い人達に、責任を果たす大人もいるのだということを伝えたかった。」そして、彼らは責任を果たした。途中で打ち切られることもなく、観客動員やDVDの売上げは右肩上がりで伸び続け、若いファン層も多少なりとも?獲得した。清々しいというか、頼もしいというか、この1年半というもの、「ヤマト2199」を観るたびに『自分ももっと頑張らなくちゃな』という思いにかられた。彼らと同世代で、全く同じ時期に「ヤマト」に感化されて今の道に進んだ自分も、この道でやるべきことをしっかりやっておかないと、あっという間に歳を取って後悔しそうだ。それにしても(繰り返しになってしまうけれど)、これで終わっちゃったんだなあ...少なくとも、劇場のスクリーンでヤマトを観るのは昨日が最後。やっぱりちょっと寂しい。「さらば..」以降の「ヤマト」は蛇足以外の何者でもないと思うし、今回の終わらせ方は全力で"続編封じ"しているようなので、ここで幕を閉じるのが正しいと解っているけれど、..それでもちょっと続きを観たくなってしまった。あのスタッフが創るのであれば、きっと「ヤマト」は二度と"ご都合主義でなんでもサブキャラの特攻で解決する、愛愛(あいあい)お猿さんドラマ"にはなるまい。
2013/09/07
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9月2日の御報告突然、越谷/松伏(埼玉県)・野田(千葉県)を襲った「竜巻」ですが、おかげさまで越谷の実家は進路から僅かにはずれていたため、損害はありませんでした。停電もなし。..ただ(竜巻という自然現象のレベルでは)本当に僅かな差で、少しでも竜巻が左右にぶれていたら危なかったところでした。"大きな道路"2本くらい向こう..なだけ。竜巻は実家の最寄り駅の横を通過し、父が画材や家の補修材を買いに行くホームセンターの屋根をはがし、僕ら親子が昔シンボルマークをデザインした公民館近くの小学校の窓ガラスを吹っ飛ばし、僕が通った中学校の体育館の屋根をはがして、フィールドアスレチック目当てで自転車で通ったこともある醤油の街・野田に抜けていきました。通過したブロックには中学時代の学友達の家も多々あるはずで、気になっていますが、実際どうだったのか、確かめる術がありません。それにしても、まるでフロリダのハリケーンです。ここ数年感じていたことですが、もはや「温帯」とは思えない。日本の気象はどうなっちゃってるんでしょうね?
2013/09/02
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2012アメリカ旅行記[8] 思い出のレストランへ午後1時過ぎ。(確か15分くらいだったろうか。)気持ちははやるが、とにかくチェック・インだ。出発前にオンライン・チェックインしていたので、専用レーンに並んで楽々と....のはずが、そもそも自分達以外に一人しかゲストがいない。(笑)たぶん、早朝か3時過ぎに混むのだろう。レセプション(都合により、後日撮った写真を使っています)とにかく、手続き開始。「部屋のキーカードにクレジット機能付けてね。」「付けてありますよ(^^)」言うまでも無かったらしい。これで滞在中、ほぼ全ての支払いがルームキー(カード)でできる。同時にこのカードは循環バスや各パークの入場パスでもあり、1枚3役だ。要するに、これさえあればWDW滞在中は生きていける。(笑) さらに付け足す。「誕生日なんです。」「おめでとうございます! では、これをどうぞ。」嘘じゃなく、実際今日その日が僕の誕生日だ。ただ、このデータ自体は予約時に登録されているので、念のために言ってみただけ。そんなわけで、「ハッピーバースデー」と書かれた大きなバッヂをもらった。(名前付きで。)カップルで片一方だけじゃまずいということか、まあちゃんは「アイム セレブレーティング!」と書かれたバッヂをもらった。「しかも、結婚15周年記念旅行なんです。」「おめでとうございます!」さらに「ハッピーアニバーサリー」と書かれたバッヂを2つもらった。もらい過ぎである。(^^;) しかし、これは単なるバッヂじゃない。これを胸に付けてWDW内を歩くと、あちこちでお祝いしてくれるのだ。手続きは終わったものの、部屋がまだ用意されていないということで、今度は荷物を預けに行かなきゃいけない。ここでもちょっと時間をロス。ようやく出発できることになったので、エントランス斜め前のバス停に移動した。2つ並んでいるうちの「EPCOT」と表示がある方で、バスを待つ。バス停EPCOT行きのバス、なかなか来ないねぇ.....(^^;)こういう時は不思議なもので、「ブリザード・ビーチ」(プールです)行きや「ハリウッド・スタジオ」行きのバスが続く。EPCOT行きだ!ようやく来た!やたらと冷房の効いたバスに乗り込んで腕時計を見ると、午後1時30分だった。遅刻決定。...(^^;)空いているように見えるけど、ゲートの向こうにセキュリティチェックの列が待つ。 そんなこんなで、ようやくEPCOTに到着した。時間は...午後2時。「ハッピー バースデー!」さっそく、ゲートのキャストが満面の微笑みで声をかけてくれた。やっぱり嬉しい。(この歳でも。)とにかく、目的地「シー・ウィズ・ニモ&フレンズ(旧名:リビング・シー)」に向かってひた走る!..いや、走ってはいないな。(まあちゃんもいるので。)小走りに、過去の記憶を頼りにつき進み、途中でやっぱり判らなくなって(笑)、地図を見て、何とか到達した感じだ。ええと、このパビリオンだけど..どっちが入口?アトラクションプレート。向かって左奥に「ファインディング・ニモ」に出てきた"やつら"が(笑)時々おしゃべりを始めて、最後は「マイン!マイン!」と連呼する。おお。これじゃ、これじゃ。コーラルリーフ・レストラン。[公式解説]海をテーマにしたアトラクション「シー・ウィズ・ニモ&フレンズ」に隣接したレストランで、シーフード中心のテーブルサービス。(つまり、魚について学んでいる横で、魚を食べるわけだ。)これが15年前の新婚旅行で最初に訪れたレストランだ。ほんとにぴったり15年前、11月11日だった。僕の誕生日であり、まあちゃんが店員さんにそう告げたら、何だかとっても大きなデザート...というか、ケーキを出してもらった思い出がある。(ほぼ、まあちゃんが食べた。)店内には順番待ちのゲストがいっぱいだった。僕らは予約していたとはいえ、30分以上遅れている。これはさぞや待たされるだろうなあ...と覚悟したが、とりあえずいけしゃあしゃあと言ってみた。「予約していた●●です。」なんと! すぐさま、席に案内された。ごめんなさい、待っている皆様...(^^;)しかも、僕とまあちゃんの記憶が正しければ、偶然にも15年前と同じ席だった。巨大な水槽のすぐ横の席海亀も泳ぐダイバーも泳ぐ...って、けっこう大きいんだな(^^;) 巨大水槽があるレストラン自体が珍しいが、テーブルに「魚のガイド」が置いてあるのが何だか不思議。なぜかここでは「バースデーバッヂ」の神通力が全く効かず、(しかも事前にデータが店に回っているにも関わらず?)とりたてて声をかけてもらえるわけでもなく、淡々と注文を取って(しかも最後まで聞いてくれずに去るので、いくつか注文し損なう)、淡々と料理を運んでくるだけ。15年前と比較してちょっと拍子抜けしたが、まあ...そんなものなんでしょうな。(^^;)思い出の場所は、思い出のまま留めておいた方が良いのかもしれない。今回は「ダイニングプラン」(後で書きます)が付いているので、オーダーはある程度縛りがあって、飲み物(ノンアルコール)・メイン・デザートだけ選ぶ。それで済ませば、料金がかからない。ロブスターのスープが食べたくて、予定外に追加注文。時差による眠気を警戒して、お酒は控えた。(テーブルの端が青いのは、水槽からの反射。)メインのシーフード料理まあちゃんが頼んだ料理。こちらもシーフード。デザート料理は美味しかった。とにかく、15年前に「もう一度ここに来ようね」と話し合った、まさにその場所に来ているのだ。そう考えると、感無量だった。(^^) せっかくなので、記念写真 <一つ前|次へ>
2013/05/08
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ディズニー・マジカル・エキスプレス「ディズニー・マジカル・エキスプレス」(以下DME)は、オーランド空港とWDW内の各リゾート(泊まる場所のこと)を無料送迎するシステムだ。直営ホテルに宿泊するゲストは、予約時に申し込んでいると、この特典を得られる。ディズニー・マジカル・エキスプレスの書類具体的には、オーランド空港に専用のステーションを設置して、広大なWDW全域に点在する各リゾート(宿泊地)と空港を専用バスで結び、ゲストを送迎してくれる。自前で行くとけっこう交通費がかかるので、かなり助かる。さらにスーツケースを自分で運ぶのが面倒な人は、空港のバゲージクレームでピックアップせずに、荷物タグを受付で渡せば、あとで宿泊先の部屋まで運んでくれる(..らしい。使わなかったけど。)日本から行く場合はここまでだ。聞いた話では米国内の旅行に限り、行きは係員がスーツケースを空港で直接ピックアップして部屋まで運んでくれる上、帰路も宿泊先でチェックインできて搭乗券が渡される。つまり、行きも帰りもほとんど荷物をお任せ状態になるらしい。すばらしい。こんなの、新婚旅行の頃は無かったよなあ...たぶん。(^^;)いや、あれはパッケージツアーだったから、あっても知らなかっただけかな?でもその数年前に友達と行った時は確実に無かった。(タクシー、高かった。夜のオーランドからのドライブ、遠かった。)というわけで、今回は利用させてもらう。手配済みの我々も受付カウンターにGO! (スーツケースは自分で持っていった。)受付そこそこ並んでいたが、意外にスムーズに順番が回ってきた。かなり早口で説明されたが、何を言われるかは判っていたので、問題無し。乗り場に向かう。自分の泊まるリゾートが書かれたラインバスはリゾートを複数巡回していくが、リゾートの数が多い上、広大な敷地のあちこちに分散しているので、複数のラインがある。自分が泊まるリゾートが書かれたラインに並ぶ。(間違えても、乗る前にチケットでチェックされるはず。)カートを引きずる女の子が微笑ましいが、はるか前方に人だかりが...!長蛇の列!.......... DMEはとりたてて時間指定が無いので、空港でのんびりしていたが、ここで並ぶことを計算に入れていなかった。東京ディズニーランドでいえば、混んでいる時間帯のスペースマウンテンくらい(いや、もっとか?)の列が出来ている。バスは15分くらいで一回ペース。ゲストが多過ぎて、なかなか進まない。ここでかなりの時間を費やしてしまった。(^^;)次の予定は午後だと思っていたが、バスに乗れたのはなんと12時半を回った頃。宿泊先まで仮に30分とみて、ぎりぎりか?...と焦った。ディズニー・マジカル・エキスプレス乗ったバスはこんな感じ。係員さん達もかなり気さくで、楽しい。さすがはディズニー。(バスの運行はミラーズ社だけど。)「さあ、お待たせ! WDWに行くよ~!」ってな感じで、バスをスタートさせるのだ。車内バス内はモニターがいくつもぶら下がっていて、延々とディズニーアニメやら、ミッキーマウス達がWDWにチェックインする映像(あの人達、お金持ちだねぇ..グランド・フロリディアン・リゾート&スパかよ^^;)が流されている。当然、音楽も鳴り響く。当然ではあるが、とことんディズニーの洗礼だ。そして....やがてウエルカムゲートが目の前に現れる。WDWのウエルカムゲートこのゲートを通る瞬間、当たり前のように(いや、儀式のように?)車内で歓声が巻き起こる。夢の王国に入ったぞ~!...って感じ。確かに、ここから先はもう何にも心配いらない。全方位・遙か彼方まで楽しい空間ばかり、4つのテーマパークと数々のテーマホテル、ウォーターパークやらゴルフ場やらキャンプ場やら、「シルクド・ソレイユ」まで擁した遊びの街、そしてディズニーの圧倒的なホスピタリティが我々を待っている。そりゃまあ、浮かれもするわけだ。わけだけど.....これって、ほぼ「宗教施設」だよなあと思う。(苦笑) 湿地帯なので、あちこちに湖や沼がある。(ワニ、います。)そして、ゲートをくぐったからといって、すぐに到着するわけじゃない。西方浄土...じゃなくて、ディズニーワールドという国(?)に入っただけだ。ハイウェイをかっ飛ばして、まだまだ走り続ける。何しろ、WDWは総面積が東京のJR山手線内の約1.5倍という、とんでもなく広大なところだ。(追記)なんと、検証された方が!→[Google Earth で敷地の広さを比較]僕は時計を見て焦る。いくつかのリゾートを巡回していくが、それぞれがもともと離れている上に、敷地に入るたびに先発バスが出て行くのを待つため、予想以上に時間がかかっている。これは...やばいんでないかい? リゾートへのゲート..と思っていたら、途中で運転手がいくつかのリゾートの宿泊者を確認し始めた。おおっ、意外に誰も手を挙げない?やがて「リバーサイドの人、いる?」と言うので、手を挙げて返事。「オッケー! 次はリバーサイドだ。」途中誰もいないリゾートをスキップしてくれた!次はようやく僕らが泊まるリゾートに向かってくれると知り、ほっと胸をなで下ろした。ポート・オーリンズ・リバーサイド・リゾートそして、ようやく到着!....「ポート・オーリンズ・リバーサイド・リゾート」。このリゾートのことはまた今度書くとして、先を急ごう。時計を見ると、すでに午後1時過ぎ!間に合うのか? 午後1時半に予約してある、EPCOTのレストラン!?確か、ここからバスで20分くらいかかるんじゃなかったっけ? <一つ前|次へ>
2013/05/07
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オーランド空港2012/11/11肌寒い早朝の羽田空港を経って、ニューヨークまで12時間。「いつも混んでいるから、トランジットに2時間かかる(それ、次の飛行機に間に合わない)」と言われたJFKも、早朝の嘘みたいに空いている時間にささっと通過し、さらに2時間。JFKでの待ち時間を含めて合計16時間かけて、ついにフロリダの空の下、オーランド空港に着いた。オーランド空港・コンコースこれですよ、これ。陽光を目一杯取り込んだ、明るいコンコース!ホノルルもそうだけど、「目一杯遊んでいけよ~!」という声が聞こえそうな、楽しい雰囲気がここにはある。今すぐフロリダ産オレンジジュースを飲みたくなる。到着は朝の9時半。次の予定は午後1時のランチだ。今回スケジュールにこだわったおかげで、空港内を見物できる余裕がある。(注:通常パッケージツアーでは到着が夜で、しかもすぐに空港を出てしまうので、ほとんど滞在していられない。)何しろこの空港は楽しいのだ。ウォルト・ディズニー・ワールド(以降、WDW)はもちろん、ユニバーサルスタジオ・フロリダ(USF)、ケネディ宇宙センター、シーワールド・オーランド..。各テーマパークが軒並みショップを出していて、順に見て回るだけで観光気分! 魅力的なグッズがあっちにもこっちにも並んで、この時点でテンションが上がる!他にも例えばハーレー・ダビットソン・ショップ等、アメリカならではのFC店がいくつも入っていて、空港を出る前にもう大変(何が?)なのだ。だからといって、他の大空港のようにターミナル間をシャトルで大移動しなければいけないわけではなく(注:到着ターミナルからエントランスまではシャトル)、店を回るくらいであれば繋がった大規模な建物内を移動するだけで済む。[空港MAP]ケネディ宇宙センターの店個人的に一番楽しいのが、NASAのマークが燦然と輝くこの店。アポロですよ、アポロ! スペースシャトルもいいけど、やっぱりアポロ!(注:昭和30年代生まれです。)もう、何と言ってもTシャツがかっこいい。あれもこれも欲しくなる。....「自分で作れば?」という声が聞こえた気がする。いやいや、作れないんです。市販のカラープリンターで作れる限界というものがあって、そういうのは仮に売っていても欲しくならない。この店に並んでいるTシャツは印刷範囲が広かったり、裏まで回っていたり、ムチャクチャ白抜きだったり、エンボスだったり...と、自分で作れないものが多いのだ。実は今回の旅行目的のひとつに「この夏着る物を調達する」というのがあって、ある程度衣類を買い込むのは想定内だ。買ったTシャツの一部だからといって、買いすぎた。.....ついでに会社へのおみやげも買ったりして、空港を出る前に荷物がどんと重く.....写真には撮らなかったが、USFの店も楽しかった。かなりの範囲を「ハリー・ポッター」関連商品が占めていたが、これは2010年にオープンした同作品のアトラクション(USJにも建設予定)がイチオシだからだろう。今回はUSFには行かないことにしていたが、場合によっては寄っても良いかな..と、ちょっとだけ思った。USFの「ハリー・ポッター」熱は凄くて、渡航前に調べた情報によれば、現在アトラクションがある「アイランド・アドベンチャー」エリアから元の「ユニバーサル・スタジオ」エリアまで、ほんとに汽車を走らせる気らしい。実際、駅でも作るためか、すでに「ジョーズ」を潰して池を埋めちゃってた。..(注:グーグルアースで確認しました。)ちなみに、今回USFをパスした理由は3つある。 大好きだった「ジョーズ」が無くなったから。乗ってない(前回来たときになかった)アトラクションのほとんどがスリルライドだから。(ジェット・コースター、乗れない。)「ハリー・ポッター」には興味あるが、どうせいつかUSJに来るから。何しろUSFに行こうと思えば丸一日、あるいは2日必要になる。入場料もけっこう高い。多少の興味程度だったら我慢して、もともと全日程分のパスを持っているWDWに回した方が得策ということだ。ケネディ宇宙センターの場合は、やはり丸一日かかることもあるが、それ以上にあそこはツアーに参加しないと行きづらい。新婚旅行時の思い出の場所ではあるが、今回は"我慢"したのだ。そんなわけで、諦めたテーマパークにちょっとだけ行った気分になれるショップ巡りは、かなり楽しい時間になった。(^^)楽しみ過ぎたせいで、1時間もいてしまい、この後すぐに慌てることになるのだけど。 <一つ前|次へ>
2013/05/06
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アメリカン航空(その2) [機内食]AAは2012年に「エコノミークラス」のサービス向上を発表した。(以下、公式サイトより転載)エコノミークラスのビール・ワインが無料に!2012年2月1日より、日本発着太平洋路線を含む国際線*のエコノミークラスでは、ビールやワインを無料でご用意させていただいております。その他のアルコール類は有料にてお楽しみいただけます。それはすごい!..『今まで有料だったのか!』という意味で。(笑)こうしてみても、全体にアメリカ系のサービスは日系より10年くらい遅れている気がする。公式サイトを見ても、情報量が全然違う。JALもANAも全クラスの機内サービスを事細かく紹介しているけど、AAは(エコノミークラスの)機内食の中身にすら触れていない。で、その謎に包まれた機内食がついに目の前に現れた。羽田→JFK:出発後の食事(2012.11.11)やたらいろいろ並んでいるけど、メニューとしては「Fish」だそうだ。味は....語れない。(苦笑) 魚とご飯だけ日本風だったけど、ちょい堅めでぱさぱさしていて、レンジで温めすぎた感じ?でも、これは行きの最初の機内食で、まだましな方だった。(帰路はもっと凄かった。)続いて、ニューヨーク到着間際に出た食事。羽田→JFK:到着前の食事(2012.11.11)玉子が中途半端だけど、下のご飯が今一つだったので、塩気の中和にちょうどいい。何より、飲み物サービスでもらったアップルジュースがありがたかった。実際にはこの前(暗くしている間)に一度、サンドイッチが配られたらしい。僕は寝ていて知らなかったけど、まあちゃんの話では、途中まで配ってやめちゃったとか。在庫切れではなくて、配るのをやめた? で、ギャレーに積んで、食べたい人は自分で勝手にどうぞ、と? そのへんの感覚も何だかアメリカン(笑)。そのギャレーだが、これといってアナウンスしていないので、気づかずに終わってしまう人も多いんじゃないかと思う。エコノミークラス・エリアの中央くらいと一番後ろの二カ所に、飲み物や簡単なスナック菓子をトレイに積んだまま置いてある。いろんな航空会社がやっているありがたいサービスだが、ちょっとびっくりしたのは、バドワイザーの缶ビールが山ほど置いてあったことだ。"誰"でも好きなだけ持っていけるけど、そのへんは特に気にしなくていいものなのかな? 正直、僕は嬉しいんだけど。そして、こちらが帰路(ニューヨーク→羽田)の機内食。JFK→羽田:出発後の食事(2012.11.17)今回、一番凄かったのがこれだ。食べてから、まあちゃんと二人してしばらく考え込んだが、結局のところこれが何料理なのか、全く結論が出なかった。何となく煮詰まっちゃった「すき焼き」風「回鍋肉」的「牛肉炒め」?それなりに料理を得意とする僕らが検討して答が出せない、何を作ったのか全く判らないレベルというのは、なかなか無い。たぶん生まれてから今までに食べた全機内食の中で堂々の最低ランクだ。JFK→羽田:到着前の食事(2012.11.17)日本到着間近に出た軽食。そこはアメリカン航空だから、アメリカならではのナイスなピザを.....と期待したのが間違いで、コンビニにありそうな冷凍ピザをチンした感じだが、むしろほっとした。数々の攻撃を食らってかなり基準点が下がったと、自分でも思う。だって、さっきのに比べたら...(笑)ちなみに、機内が暗い間に配られた?という(笑)サンドイッチは、帰路にギャレーで入手して食べてみたが、ちゃんと美味しかった。むしろ、あれを機内食として配った方が良いんじゃないかな..。[機内サービス]今回ご紹介したいのは、羽田発便で機内食を運んできたCAだ。映画「トイ・ストーリー2」に鶏の着ぐるみを着たオタクおやぢが出てきたと思うが、ちょうどあんな感じのおっちゃん。それがこんな感じで注文を取りながら配ってきたのだ。「フィッシュ、オア、オムルェ~ッ! ヌォー ビーフ! ヌョー~~ウッ チキン!!」最後のチキンのところで、変顔で口をすぼめておどけながら、両手をバタバタさせる。(ますます「トイ・ストーリー2」のおやぢそっくり。)正直、ちっとも面白くない。(苦笑)そして全席全列、ほぼ欠かさずこれをやり続けるものだから、僕らはそれを延々と繰り返し見せられる羽目になった。(泣)早朝フライトだよ? はっきりいって多くの乗客が半徹夜状態で疲れている。そこへ繰り返し、繰り返しやるか、普通?しかも、いざ自分の番になった時に、つい「フィッシュ、オァ..ホワット?」とか聞いちゃったものだから、さあ大変!「フィッシュ、オア、オムルェ~ッ! ヌォー ビーフ! ヌョー~~ウッ チキン!!」至近距離で見せられた。....ああ、やっぱりオムレツって言ってたのね。その単語だけ答えてくれればありがたかったんだけどね。あまりにもつまらなくて、しかも使う場を間違えたアメリカン・ジョークには殺意を覚える。(苦笑)アメリカン航空。.......そんなこんなで、残念ながら概ね予想通り。「飛行機に移動手段以上の意義を求めるな」と悟らせてくれた。まあ、"昔"の飛行機はどこもあんなものだった。こっちが贅沢になったのも確かだろう。なまじ、前月にドイツ・イギリスに行かなければ、もうちょっと満足できたのかも?でも、まあちゃんも隣でうめいていたから、やっぱりだめか。(^^;) 次回はちゃんとJAL機材便にしようと誓った、晩秋の夜。(帰路・羽田空港のシャトルバスにて) <一つ前|次へ>
2013/05/04
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※楽天仕様に引っかかって文字数制限オーバーしたので、2回に分けます。アメリカン航空(その1)そういえば、アメリカン航空に乗るのは初めてだった。ユナイテッド航空・デルタ航空・コンチネンタル航空と、ローカルなところではアロハ航空とサウスウエスト航空とグランドキャニオンの何たら?航空には乗ったことがあるが、アメリカン航空はとことん避けてきた。昔からあまり評判が良くなかったからだ。それに、そこそこ海外旅行慣れした今となっては、アメリカの航空会社自体が好きじゃない。なにしろ、アメリカ人のエンタテインメントは極めて優秀なのに、機内サーヒスはぞんざいだ。肩が凝らない自然なサービス..ならいいが、中途半端なケースが多い。(10年近く前、最後に乗ったユナイテッド航空では、男性のキャビンアテンダントが「オーケ~、キッズ!」とニタニタしながら、機内食を配っていたっけ。)また、アメリカ人は何でも自分たちが世界一でないと気が済まないのに、機内食はとっても貧弱だ。そしてアメリカ人の身体はあんなに大きいのに、何でもでっかいことを良しとする国民性なのに、エコノミークラスはやっぱり狭い。(ちょっと不思議)しかしこのアメリカン航空、昨今はなぜだか"比較的"評価が良いようだ。(米国系の中では..という意味らしいが。)それに羽田空港からオーランドに行けて、しかも現地で到着早々遊べるスケジュールとなると、これしか選択肢がない。そんなわけで、物は試しということもあって、乗ってみることにしたのだった。果たして数々の悪印象は今日で払拭されるのか?ワクワク...(笑)[座席]シートはやっぱり普通だった。つまり狭かった。いや、エコノミークラスに乗っといて文句をつけたって仕方ないわけですよ。航空会社にしてみれば、稼ぎの大半はビジネスクラスまでなのだから。でも、ちょっとだけ期待してみたけど、やっぱりダメだった。(笑)座席前のモニターは、やっぱり小さい。....一ヶ月前(ドイツからの帰路)に乗ったANAは10インチ越えだったから、どうにも比べてしまう。とはいえ、つい最近まではエコノミークラスならこれが普通サイズだ。比べちゃいけない。文句言っちゃいけない。しかし、これだけは言わせてもらっていいと思う。画面デザインはもう少し何とかならないものか。無理に日本語化してくれて...有り難う「有り難う」なんて、不必要なところを漢字にしてしまっているあたりが、のっけから不安を増大させる。(全体がどんな感じになっているか、だいたい想像がついてしまった。)で、中央下のメッセージはなぜ英語で? 「私はあなたが飛ぶ理由を知っている」...怖い。「摂氏」を後に付けると、何だか摂政家みたいだ。 まるで往年の日本映画を思わせるようなタイトルバック...じゃなくて現在データ表示。ここにさりげなく「本郷功次郎」と書かれていても、自然に読んでしまいそうだ。どうして外国の人って、日本語といえばこういうフォントを選んでしまうんだろう。(苦笑)..筆っぽいのが日本らしいって、どこかで壮絶に勘違いしてるんだろうな。..そもそも文字が大き過ぎるよ。音量を上げ下げすると出てくるので、「OK」の意味らしい。無理に訳すな。これは音量調節画面。ここに「はい」ボタンを付けられても困る。...誰かしら日本人スタッフがいるだろうに、事前に相談するなり、チェックさせればいいのになあと思う。しかもこのインターフェイス、ちょっと先に進もうとするとすぐに「UNDER CONSTRUCTION」の画面になって、トップ画面(のさらに前、原語選択)に戻るしか無くなる。そうかと思えば、あるところでは「検査」と謎の表示が出て、いきなり英語のアンケートが始まる。デバッグしてないんじゃないの? 「検査」なんて言うから、ウイルスにやられたのかと思った。「検査」と日本語表示しているんだから、日本人が読むべき画面だという認識はあるんだよね? 翻訳が間に合っていない認識はあるんだよね?..(苦笑)よくこれで本番投入するものだ。<一つ前|次へ>
2013/05/03
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コードシェア便の迷宮:その1「お客様、申し訳ありません。航空券のご予約は全て確認できたのですが、ニューヨークからオーランドの予約がなぜか通っていないようです。..」はい?...羽田空港でトラブル発生だ。搭乗券発行機で何度試してもエラーになるので、近くのJAL職員に調べてもらったら、驚きの事態が判明した。つまり、航空券は取ってるけど、座席は取ってないよと。(立ち席かよ?..(笑))もちろん座席指定はとっくに済ませてあって、現に手元のプリントアウトにも明記されている。それが何かの理由で吹っ飛ばされた状態だ。かといって、オーバーブッキングではないらしい。何しろ、僕からプリントアウトを受け取った職員がカウンターでカチャカチャ操作したら、ちゃんとその席を取れたのだ。「もしかして、この調子だと、帰路も向こうで確認してもらわないと危ないですかね?」職員は「いえ、ただ今全行程の状態を確認しましたので、もう大丈夫ですよ」と言って微笑んだ。今回の予約はJAL便にこだわったつもりだった。でも、蓋を開けたら全部コードシェア便だ。羽田とニューヨークの往復はアメリカン航空(以後AA)とのコードシェアで、機材と人員がAAなので、実質はAA便そのもの。ニューヨークとオーランドの往復はジェットブルー(以後JB)とのコードシェアで、こちらも実質はJB便だ。こういう場合、予約照会はどこにすればよいのか? あくまでJAL便で取った予約なのだから、JALのホームページで..と思ったが、予約は見つからなかった。かといってAAのホームページに行っても、そもそも予約番号が全く該当せず、これまた照会できない。JBに至ってはLCCだし、たまたまミッキーネット(WDWの予約手配を頼んだ代理店)からの連絡で初めてJALじゃないと判ったくらいで、正式には全く聞いておらず、「それ、どこ?」状態だ。そんなわけで、羽田空港ではしれっとした顔でJALの職員に声をかけた。さすがは日本のフラッグキャリア、にっこり微笑んで確認・発券手続きをやってくれたのは冒頭で書いた通りだ。おかげで、ニューヨークからの乗り換えはとりたててトラブルもなく、僕らは無事オーランド行きの飛行機に乗ることが出来た。ただ、JAL職員の「もう大丈夫ですよ」は、実はちっとも大丈夫ではなかった。コードシェア便の迷宮:その2 につづく。....(笑)※その前に、ちょっと他の記事を書きます。 <一つ前|次へ>
2013/04/20
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大江戸温泉物語<羽田前泊プラン>羽田空港から直接欧米に飛べるようになって、かなり嬉しい。家から成田でも羽田でも、所要時間としては実はさほど変わらないけど、何となく近い気がする。成田は千葉県の彼方で、羽田は東京の中心部という意識の違いか?(^^;)しかし困ったことに、アメリカに飛ぶ飛行機は全て深夜か早朝に出る。今回予約したフライトは何と朝の6時50分。その1時間半前に空港に着こうと思うと、始発でも間に合わない。かといって終電で空港に乗り込んで待つには、時間が空きすぎる。空港近くのホテルに泊まっても、ほとんど寝られないから勿体ない。そこに目を付けたハナツアー(韓国の旅行代理店)が、お台場のスーパー銭湯「大江戸温泉物語」とのタイアッププランを打ち出してきた。大江戸温泉物語・羽田前泊プラン温泉に浸かって、お酒でも飲みつつ、深夜までのんびり過ごす。何なら仮眠室もある。で、午前3時50分になると、施設の前に大型バスが横付けされて、羽田空港・国際線ターミナルまで乗せていってくれるのだ。それで4時30分にはチェック・インできるので、6時50分のフライトにはまさにうってつけ!これで、一人2800円。空港近くのホテルに泊まるよりずっと安いし、長旅の前にリラックスするという意味ではこっちの方が至れり尽くせりだ。(笑)ところが、これが意外にキツかった。(^^;)コンサートの後で疲れていたせいもあるだろうが、深夜に温泉に浸かれば眠くなる。でも仮眠室は男女別だ。もし僕とまあちゃんのどちらかが寝過ごしてしまった場合、相手を起こしに行けない。(^^;) 空港行きのバスは待ってくれないルールなので、乗れないとえらいことになる。安心して仮眠なんかできやしない。でも眠い。この状態でこれから長時間フライトに臨むのか...そこで、ロビー(?)というか、食事処の広いスペースに置かれた長椅子で仮眠することにした。いや、実際には目を閉じるだけで寝られないのだけれど。(^^;)考えることは誰しも同じらしい。ふと見ると、周囲は僕らと同じことをやっている客ばかりだ。あちこちの長椅子という長椅子、床(笑)に男女入り乱れて倒れ伏している。見方によっては地獄絵図。(笑)そして、3時50分までは予想以上に時間を持て余す。仕事で徹夜する時はあっという間なのに、何するわけでもなくゴロゴロしていると、いつまで経っても時間が来ない。まるで、眠らずに耐える耐久レースのようだ。もっとも、それは「大江戸温泉物語」に責任はなくて、スケジュールにもともと無理があるわけだが、もう一つ問題があった。温泉が何だかとっても塩素臭かった...(^^;)あそこは一時期"衛生問題"で大変だったから、かなり慎重なんだろうなあ。解らないでもないけれど、ちょっと残念。そんなわけで、我が家としては、次回この手は使わないと思う。でも効率的で便利なことは確かなので、体力のある人にはオススメだ。<一つ前|次へ>
2013/04/16
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※この旅日記は本来去年の11月に載せるものでしたが、楽天ブログの仕様上、前月以降の日記しか記述できないため、ここにアップしています。※飛行ルート、追記しました。(2013.5.6)15年振りのディズニーワールドへかつて新婚旅行でディズニーワールド(米オーランド)に行った時、僕ら夫婦はへとへとだった。僕は東京で新居探しと引っ越し2回分(=僕とまあちゃん)と入籍の手続き、旅行の手配。まあちゃんは京都で結婚式・披露宴の手配。それぞれ仕事の合間に手分けして、半年間動き回った。当時会社には中堅レベルの(←後に全員幹部クラスになった)新人が続けて入ってきていたし、玩具・ゲーム業界なので、今と同様、徹夜もざら。さらに当時はNiftyServe(スタートレックフォーラム)の運営でもあれこれ徹夜作業が多かった。それに結婚となるとなぜかもめ事も出てくるし、結婚披露宴以外にも結婚パーティ(仲間向け)が京都と東京で2回も予定されていた。そんなこんなで準備につぐ準備で毎日が飛ぶように過ぎていった。無事に京都での結婚披露宴を終わって翌日東京に戻り、一日旅の準備をしてから、ようやくオーランド行きJAL便(当時はあったんです、そんなのが調べ直したら、アトランタでデルタ航空のコードシェア便に乗り換えてた)に乗って成田から飛び立った時点で、「ようやく終わった..」と、ぐったりだったのだ。おかげで、疲れの反動が現地で襲いかかった。せっかく二週間も(!)オーランドにいたのに、半分はホテルで寝ているていたらく。もったいない!!...で、僕らは誓い合ったのだった。「10年後に、子供を連れてもう一度来よう!」それから、結局15年。まさか子供が出来ずにいるとは想像もしなかったが、とにかくあの時の誓いを実行する時が来た。節目の年だからというのもあるが、ここ数年は諸事情で、まあちゃんが実家に戻る期間が長かったし、僕も会社経営に振り回され続けていて、すれ近い生活が続いてきた。夫婦の危機を心配しているわけではないが、ここいらで一つイベントが欲しかった。「もう一度、新婚旅行気分に浸ってこない?」今回の旅行はそんな理由で実現したのだった。一方、こうも考えた。僕らももうそこそこの年齢だ。今さらディズニーワールドでもなかろう? 何しろ旅行中は、右も左もディズニーだらけだ。10年前までならいざ知らず、もし万が一、途中で飽きちゃったらどうしよう?...まあ、行ってみなければ判らないことだし、逆に考えれば、今のうちに行かないと、それこそ今後行く機会はないかもしれない。60歳を超えてフロリダで巨大なターキーレッグをかじっている自分や「ドナルド~!」と狂喜するまあちゃんを想像できない。(苦笑)そんなわけで、行くことになった。15年の間に進化したディズニーワールドは自分の職務上やはり興味津々だし。忙しい時期に会社を空ける不安を除けば、悪いことはなかろう。日程は何だか妙に忙しい。希望は結婚記念日に近い11月だが、月末月初は避けたいし、動いているプロジェクトの挾間も狙いたい(読みが当たるかどうかは別として)。しかも想定外のエッセン行き(2012)が前月に割りこんできた。そして11月10日の夕方にはコンサート(「ヤマト」)を予約してある。さらに僕らにははずしたくない条件があった。「フード&ワインフェスティバルの開催中に行きたい」。新婚旅行で一番思い出深かったイベントだが、それは最終日が11月12日なのだ。(サイトによっては11/11までと書かれていて疑問含み。)そんなこんなで、結果的にこんなスケジュールができあがった。11/10(土)荷物を持って出発。バスとタクシーで舞浜(千葉県)へ。夕方:コンサート「ヤマト音楽団結団式2012」鑑賞(舞浜アンフィシアター)終わり次第、早ければお台場のST45イベントに合流。23:00 大江戸温泉物語(お台場)へ。「羽田前泊プラン」で滞在。11/11(日)03:40 専用バスで羽田空港へ。06:50 JL7008便で羽田→ニューヨーク(JFK)へ。[飛行記録]05:25 ニューヨーク着。07:00 AA1815便でニューヨーク→オーランドへ。[飛行記録]09:45 オーランド空港着。ディズニーマジカルエキスプレスでWDWへ。12:00 エプコットセンターへ。ビバ、フード&ワインフェスティバル!11/11~11/16WDWに滞在。今回はユニバーサルスタジオもケネディ宇宙センターもパス。11/17(土)07:00 JL5835便でオーランド→ニューヨーク(JFK)へ。[飛行記録]09:27 ニューヨーク(JFK)着。以後、夕方まで時間つぶし(ニューヨークの街を見る)18:05 JL7007便でニューヨーク→羽田へ。[飛行記録]11/18(日)22:15 羽田着。飛行機が遅れると電車がないが、明日から仕事だ!東京からわざわざ東京ディズニーリゾート(舞浜)経由でディズニーワールドに向かい、6泊の宿泊期間で丸6日遊び(通常は移動で一日潰れるものだ)、さらに帰りがけにニューヨークを半日見て、ちゃんと一週間以内に帰国する算段だ。仮に(年齢的な理由で?)ディズニーワールドに飽きるようなことがあっても未知のニューヨークが待っている。それでいて旅費は安めのパックツアーと同額程度だ。これでもかというくらい効率的で、我ながら完璧な計画!(自画自賛)しかし、できればパックツアーで行きたいけどなあ....という思いもよぎる。自分で手配すると、最初から最後までスケジュール管理に神経を遣うし、交渉事も自分でやらなきゃならないし、突発的なトラブルにも気を張らなければいけない。今回は夫婦水いらずでのんびりしたいので、ドイツ行きのようなハラハラドキドキは避けたい。5年前のイタリア旅行のように、頼れる添乗員さんがずっと付いていてくれるのが理想だ。できることならパックツアーに頼りたい。とはいえ、魅力的なツアーが一つも見つからなかったのだから、仕方ない。僕はオーランドだけで3回目、アメリカ全体なら10回くらい行っている。そもそも英語圏だ。ドイツ行きのような戸惑いはほとんど無いだろう.....。...そして、これを読んでいる方のご期待通り(?)、やはりトラブルは起こったのだが、それはまた後のお話。 |次へ>
2013/04/14
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本日の総書記ちゃま 官僚A:やってくれましたにだね、第一書記ちゃま! 国際問題になってますにだ! 韓国がミサイル配備してきますにだ!第一書記:いやまあ、その..我慢の限界だったにだね。..官僚A:今回は日米韓どころか、中国まで怒っちゃいましたにだよ。どうしますにだか?官僚B:なあに、中国はポーズで怒ってるだけにだ。心配いらないにだ。日米韓は戦争が怖いから、どこかで諦めるにだ。官僚A:いや、中国人の一部はプリキュア見たいから日本と戦争したくないって言っているにだ。歩調を合わせてくるかもしれないにだ。総書記:プリキュア見られないのは困るにだ。..官僚B:プリキュアはいつものように中国がコピーして回してくれるから大丈夫にだ! 中国は味方にだ!官僚Aだとしても諸外国の手前、しばらく援助は凍結にだよ!官僚B:多少の犠牲はノー・プロブレムにだ。それより核爆弾開発成功は喜ぶべき快挙にだよ! 人工衛星打ち上げに続く快挙にだ!官僚B:そういえば、いつの間に我が国は人工衛星を造ったにだか? 確かあれは大陸間弾道弾じゃなかったにだか?第一書記:いやまあ、その..横に撃ったつもりが打ち上げちゃったにだね。官僚A・B:にだ??第一書記:結果オーライ..にだよ。官僚B:100kgもある物体が衛星軌道を回ったですにだ。人工衛星じゃなかったら、あれは何ですにだ?第一書記:実はちょっとした手違いで..棺桶にだ。官僚A・B:にだ??第一書記:いやまあ、その..つまり、お父ちゃまは名実共にお星様になったにだ。官僚B:どこをどう間違うと、総書記ちゃまの遺体を衛星軌道に打ち上げちゃいますにだか?!官僚A:むぅ...、総書記ちゃまって、体重100kgもあったにだねぇ...第一書記:総書記ちゃまだけではないにだ。棺桶に入れてあったものも合わせて100kgにだ。官僚B:遺品ですにだね。何が入っていましたにだか?第一書記:僕が隠しておいた薄い本がちょっぴり..官僚B:薄い本というからには軽いですにだよ? それが重くなるほど入っていたにだか?第一書記:衛星軌道に乗ると知っていたら、隠さなかったにだ~! 毎晩、お空を見上げて泣いてるにだ~!官僚A:お父ちゃまの"遺体"に向かって泣いているわけじゃないのが"痛い"ですにだね。..官僚B:まあ、いずれにしても核開発成功はめでたいですにだ。これで諸外国に睨みをきかせられますにだ。総書記:いやまあ、その..あれは核実験じゃなくて..にだ。官僚A・B:にだ??総書記:地下施設を査察したのは事実にだが....あれは核爆発じゃなくて..その..おならにだ。官僚A・B:にだ??総書記:我慢の限界だったにだよ。地下室ならばれないと思ったにだよ。官僚B:へ?...総書記:にだ。官僚A:今のは単なる疑問形にだ。官僚B:おならにだか?...官僚A:いわゆるひとつのプーにだか?総書記:にだ。官僚B:へぇ...官僚A:日本まで揺れたにだよ。...総書記:........官僚A:........官僚B:........メガトン級にだね...官僚A:........総書記:........官僚A:........核爆発じゃなくてガス爆発ですにだね。官僚B:........官僚A:........歩く劣化ウランにだね。総書記:........官僚B:なんで正直に言わなかったですにだか?総書記:言おうと思ったのに、世界中が盛り上がっちゃったので、言えなかったにだ。官僚B:まさかまさかの国際問題ですにだ。総書記:今から日本と中国に、あれは核爆弾じゃないと言っても駄目にだよね?..官僚A:........官僚B:........総書記:プリ..官僚A・B:プリキュアも制裁範囲内にだ!!!
2013/02/13
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「スタートレック:クリンゴン」 データハウスビーグルが過去のスタートレック・ソフト群をiPhone向けに移植開始!不意に舞い込んだニュースに心が躍った。懐かしい! そして『なるほどその手があったか!』と手を打った。「スタートレック:ボーグ」もあるぞ、「スタートレック:クリンゴン」もあるぞ、そういえば「キャプテンズ・チェア」も「インタラクティブ・テクニカルマニュアル」も「オムニペディア」(あれは違うか?)もあるぞ!…これからしばらく楽しみが続きそうだ。ゲーム「スタートレック:クリンゴン」(iPhone/iPod Touch用)1997年近辺は「スタートレック」ファンにとって幸せな時代だった。TNGの日本語放送が全7シーズンを走りきり、DS9もそれに続き、さらにVGYが始まり、映画版もカークとピカードが競演したかと思えばボーグがもの凄くカッコ良くなってスクリーンに再登場。シリーズのホットニュースが海外からも国内からも断続的に供給されてファンのモチベーションは上がりまくり、全国各地のファン組織も全体に健在だった。僕らのいたNiftyのスタートレック・フォーラムもたぶんあの頃が一番賑やかだったと思う。出版物を含めて、商品もいろいろ出続けた。当時データハウスビーグルが送り出すソフトはどれもファンには涙もの。米国版のローカライズでありながら、ちゃんと日本語吹き替え版の声優を使い、用語も当然パーフェクト。版権元との交渉や採算あわせはさぞや大変であろうに、次々に良作ソフトをリリースしてくれた、神のような会社だった。(注:スタートレック世界の「神」と呼ばれるキャラクターは概ねろくな存在じゃないので、「ありがたい会社」に言い換えます(笑)。)当然、僕はそれらのソフトを軒並み買い続けた....と言いたいところだが、正直に白状すると、実はこの「スタートレック:クリンゴン」は買っていない。あまりクリンゴンに興味を感じていなかったこともあるが、当時は今以上に仕事が忙しくて、休日出勤はもとより、会社泊まりや出張の回数も多く、家でじっくり遊ぶ時間がほとんど無かったのだ。しかもその頃ちょうど結婚したこともあって、いろんな意味で余裕も無くなった。(クリンゴンを自称する女性と結婚したのに奇妙な話だが。) 周囲のファン仲間の熱狂をよそに、いくつか買い集めたソフトも何度か触っただけで埃を被りがちで、少しずつ買うタイトルを諦めるようになっていった中に「クリンゴン」も入っていた。だが、今回は家で遊ぶPCではなくて「iPhone」だ。僕は今もほとんど終電帰りで、家で遊ぶ時間は取れないが、これなら通勤中や得意先への移動中(?)に遊べる! これは15年前の雪辱のチャンス!というか、あの頃たまたま手を付けなかったおかげで、2013年の今になってデータハウスビーグルのソフトをまるっきり新作気分で楽しめる!...そんなわけで昔をいっぱい知っているくせに、ソフトの中身に対してはまるっきりビギナー、このちぐはぐ感が今回のブログのポイントだ(笑)。昔話をし出したらきりがない。前置きはこのへんにして、肝心のレポートに入ろうと思う。 「スタートレック:クリンゴン」はムービー主体のアドベンチャーゲーム。基本的にはTVさながらのムービーを(それもTVと同じ配役の吹き替えで!)楽しみながら、時々画面上の選択肢を選ぶだけ。よほど臍曲がりでなければ、途中まではサクサク進む。(そして途中でぼこぼこ死ぬ)どちらかというとゲームを楽しませるというより、新作ドラマを見せる方が主体で、そこに多少のインタラクティブ性を付加したというのが趣旨だろう。何しろ、このゲームのためだけにガウロン役の役者を呼んできて、シリーズの制作スタッフ達がシナリオを練り、いくつもの名作エピソードを撮ったライカーことJ・フレイクスが監督し、ちゃんとTVのセットを使って新撮映像を撮っているのだ。まさに本物の「新作」! それもスタートレック史上初(?)の、クリンゴン文化を"じっくり"体験できるエピソードだ。予算の大半がかかっているであろうムービーパートをきっちり見せずしてどうする?..というところかな。まずいきなりガウロンが画面に登場。こっちにお構いなしに、クリンゴン語で喋りまくる。すみませんが総裁、日本じゃ3人くらいしか理解できないと思います。 途中からユニバーサル・トランスレーターが稼働して(?)日本語になったので、ようやく僕にも理解できるようになった。相変わらず地球人は軟弱だとか言ってる。クリンゴンを教えてやると言いつつ、それを軟弱な連邦のホロデッキシステムでやろうというのがオチャメだ。それに、あの当時と違ってDS9を最終回まで見てしまったせいか、ついつい頭の中で「悪いけど、あんたそのうち決闘に負けて死ぬよ。」と思っちゃうのが申し訳ない。とにかくそのガウロンに誘われて、いよいよクリンゴン体験のシミュレーションプログラムが始まる。 始まりはクリンゴンの宴の席。ようやく一人前の戦士になる日が来たということで、どうやら祝ってくれているらしい。クリンゴンはとにかく無骨な種族で、柔らかいベッドには眠らないし、食べものはほぼ"生"だ。当然「美食」の概念なんか無いんだろうと思っていたら、何とグルメ談義してるやつがいる!(笑) しかも地球人から聞いたレシピが最高だとか言ってる! クリンゴン、意外に幅広いぞ。なるほどガウロンが言う通り、地球人はクリンゴンの一面しか見ていなかったわけだ。ガウロンも意外にいいやつだ。ガチガチの武闘派で後先構わず戦う印象があったが、実は思慮深く思いやりのある人間..じゃなくてクリンゴンのようだ。カーデシアを攻めたいばかりに、惑星連邦との長年の同盟関係をあっさり切っちゃった奴とは思えない。戦いに向かう旅の途上もクリンゴンのあり方を厳しく教えてくれる。でもなあ、この人そのうち決闘で死ん...いやいや考えまい、考えまい。(笑) 自分達の船の中も、戦いが基本。(笑) いつ自分の持ち場を奪われるか分からないし、食事も無くなるかもしれない。油断も隙もあったものじゃないが、不思議に嫌な感じがしない。いつも"死"を目の前に置いて生きるようなところがあって、甘えとか弱気を自然に排除できる。清々しいような、達観したような、確かにそれはそれで満足できる生涯になるかもねぇ。..それに"力"だけが絶対ではないらしい。力が衰えても名誉は別なのだ。讃えることもクリンゴンのうち。意外に良いかも、クリンゴンライフ? クリンゴン好きは世界に数多いと思うけど(注:あくまでファンの中での話)、そんなわけで皆さんの気持ちがちょっとだけ解った気がする。このホロデッキ・シミュレーションがクリンゴンを学ぶためのものとしたら、まんまと成功してますな。 死を覚悟して早々と盛り上がるクリンゴンの皆さん内容をあまりネタバレするのもどうかと思うので、このへんにしよう。選択肢型のアドベンチャーゲームは昔からある様式であり、方法論はおおむね2つだ。1つは選択肢で大きく枝分かれするストーリー構造を持っていて、プレイヤーの選択次第で物語が大きく変化していくタイプ。ゲーム的であり、プレイヤーを積極的に引き込めるし、繰り返し遊んでもらえる。その半面シナリオを書くのは大変で、物語をいろいろなパターンで書かなければならない分、一つ一つの筋が細めになりがち。もう1つはこの「スタートレック:クリンゴン」のように、ほぼ一本道のストーリーに少し枝葉が付くタイプ。先にも書いたように、伝えたいストーリーが明白にあって、少しだけプレイヤーに参加した実感を得てもらう。はなからゲームにせず、ムービーだけ見せても良さそうだが、時々区切った方がプレイヤーの集中力を繋ぎやすく、注目して欲しいポイントに目を向けさせる効果もある。僕自身はゲームデザイナーとしてどちらのタイプのシナリオも書いた経験があるが、是非もなく前者が好きだった。ゲームである以上、プレイヤーに一方的にストーリーばかり語るのは筋が違うというか、潔くない気がしてしまう。プレイヤーに終始参加してもらい、悩んであがいてもらってこそ、作り手の醍醐味だと思っていた。でも、この「スタートレック:クリンゴン」は"ほぼ一本道"の方法論がよくマッチしていると思う。新撮ドラマをフルに堪能できるし、ガウロンが保護者として付いている設定のおかげで、プレイヤーの選択肢が少ないのが不自然になっていない。クリンゴンの生き方を知ってもらうシミュレーションプログラムというメタファにもピッタリだ。これを前者のタイプのゲームにすると、プレイヤーが選択肢の部分ばかりに集中してしまって、物語の大筋が頭に残らなくなってしまう。スタートレック世界に浸る、という感じでもなくなってしまう。そもそもゲームとして難易度が上がるので、プレイヤーの幅を狭めてしまうかもしれない。なるほど、骨格に据えるストーリーがしっかりしていれば、こういう作り方はじゅうぶん有効なんだな..。さて、とりあえずゲームクリアしたものの、ガウロンが「いろんなパターンを試せ」と言っていたことでもあるし、明日もチャレンジしますかね。こんな感じで、将来的にいろんなシミュレーションプログラムがiPhone内(?)の「ホロデッキ」にストックされたら楽しいだろうなあ。..データハウスビーグルさん、次は「スタートレック:ボーグ」あたりをお願いします(^^)/ 【プログモニター 他の皆様の記事】ホらデッキ名誉マーケティング iPhone/iPod touch(iOS4以降)対応『スタートレック(TM):クリンゴン』Digital WackysiPhoneアプリ「スタートレック:クリンゴン日本語版」レビューDaHjaj gheD[Hov leng: tlhIngan] vIQujta'!
2013/02/11
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ここ一週間の出来事先週木曜日に、突然風邪っぽい症状がぶり返した。身体の節々は痛いわ、胃腸はぎゅるぎゅる鳴るわ、微熱は出るわ、頭は痛いわ。定時で会社を上がって、早めに寝ることで、何とか金曜日夕方の来客対応ができるくらいには回復したものの、腹痛だけが残った。朝から晩まで下痢状態で、そのせいか食欲も湧かず、何も食べなくても全く空腹を感じない。そんな状態が木・金・土・日..、さすがに月曜日の時点で「いくら何でも長くないか?」と思い、近所の診療所に行った。症状を見る限り、今流行の「感染性の腸炎」の疑いが濃厚だそうだ。感染性...、ああうつるんですなあ。..(=迷惑なやつ)朝から何も食べなくても、夜まで平気な状態だ。「食べたくないなら、無理に食べなくて良いので、ポカリスエットを常温で置いておいて、一時間に1口でもいいから飲むように」と医者に指示された。私、ポカリスエットは苦手でございます。..中途半端に甘ったるい水で、特に常温となると胃カメラを飲む前のムーベン(胃腸洗浄の液体)みたいで..(^^;)一方、処方箋を持って行った薬局では、薬を渡されて曰く「一日三回、食後30分以内にお飲みくださいね。」 結局のところ食事はしなくていいのか、しなくちゃいけないのか?という大いなる矛盾に悩んだ末、妥協案で一日2食(一食といっても食パン1枚くらい)にして、むしろ死ぬ思いでポカリスエットを一日かけて飲むのだった。何とか少し復調し始めた..かな? でもまたぎゅるぎゅる言ってるな。(今ここ)
2013/02/05
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仕事の買い出しで出向いたヤマダ電機の店内で「風の谷のナウシカ」のテーマソングが流れていた。懐かしいな。これと「さよならジュピター」のイメージソング・松任谷由実の「ボイジャー」は、就職して働き始めた頃、ラジオや街でよく流れていた曲だ。おかげで自分が西暦何年から仕事を始めたのか、いつでも簡単に思い出せる。1984年の春だ。海の向こうでリドリー・スコットのCMとともにMacが産声を上げ、任天堂のファミリーコンピュータが発売されて一年経っていなかった頃だ。つまりコンピュータによるデジタルデザインとコンピュータゲームの快進撃が始まろうという時に、僕は今で言うアナログのグラフィックデザインを学んで、アナログボードゲームを創る仕事に就いたのだった。話がそれかけたので無理矢理元に戻すが、ナウシカの歌が耳に入ったら幸せな気持ちになった。あの30年も前の、なんとも言えない気持ち。これからボードゲームを仕事で創れるんだ。作ったゲームが日本中のおもちゃ屋さんで売られるんだ。信じられない気持ちと、胸の奥の方から静かに湧いてくる高揚感。他の社員のようにうまく作れなくてお払い箱になるとか、実は辛い仕事で挫折するとか、それこそ負けることなど全く頭に浮かばなかった。自分はいつか凄い仕事ができると信じて疑わなかった、若い時にありがちな感覚。偶然耳に入った音楽一つで、ちっぽけな会社経営に胃を痛める50歳のオヤジから21歳の若造に、ほんのひと時のタイムスリップ。いいもんですな。あの頃の自分は、当時世間的に全く認知されなかった(注:友達に言っても「何それ?人生ゲームみたいなやつ?」くらいの反応しかなかった)ボードゲームの仕事を10年続けられたらツイてると思っていたけれど、まさか15年続けた後、30年後に再び戻ろうとしているなんて、思いも寄らなかっただろうな。ところで何ていう歌だっけ、ナウシカの歌? ※初めてiPhoneの「楽天ブログ」アプリで執筆・投稿しました。
2013/01/31
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最近見ているドラマ「八重の桜」「火怨・北の英雄 アテルイ伝」映画館でイベント上映している「宇宙戦艦ヤマト2199」は言うまでもない(←どこかでゆっくり語り倒したい)として、今TVではこの2つが面白い。どちらも次の放送を楽しみに待つという、幸せな時間をもらっている。たぶん「八重の桜」は戊辰戦争以外よく知らなかった幕末の会津を見せてくれていることや、あの会津言葉がどこか「獅子の時代」(NHK大河ドラマ)を思い出させて懐かしい気持ちになるためだろうと思う。今までのところドラマ上の破綻は特に見あたらないし、主人公を無理に持ち上げている気配もないので安心だ。ここ数年の"視聴率だけハイレベル"大河ドラマ(←天地人とか江なんて具体名は言わないけど)だったら、今ごろ八重がいきなり京都に駈けていって新撰組に説教したり、勝海舟に驚嘆されたりするところだが、幸いそんな気配はない(笑)。ぜひこのままの調子で行って頂きたい。「アテルイ伝」は、まずこのドラマをやってくれること自体が嬉しい。奈良時代のあたりは大人の事情があるのか、ふだんほとんど取り上げられないし、ましてや被征服民族視点の物語だ。それを今回は"ヤマト"(つまり朝廷)を偽善化せず、平和な蝦夷を攻める侵略者として非難し続けている。NHKはそうでなくっちゃ。蝦夷についても知らないことばかりなので、ドラマに出てくるキーワードをきっかけに、自分でいろいろ調べることができる。(=ドラマは鵜呑みにしちゃいけない。)それに、この作品もどこか懐かしい。「風と雲と虹と」(NHK大河ドラマ)に近い感じがするのだ。都(平安京)のやたら面倒くさくて無駄なしきたりに幻滅して、板東(今の関東)に戻って理想郷を創ろうとした平将門の物語。戦いたかったわけではないのに、領土侵略を撃退しているうちに朝敵になってしまい、民衆に慕われながらも滅んでいく。自分は関東の人間だから、いわば将門と同じ立ち位置であり、感情移入はひとしおだった。中学生の頃、毎週テレビにかじりついて将門を応援していた、あれに近い気持ちでアテルイを応援している気がする。どちらも最期を知っていたのに、それでも応援したくなってしまうから、歴史ドラマは面白い。
2013/01/27
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本日の大河ドラマ年末年始は例によって夫婦両家の実家回りと初詣。東京→(京都)→信楽→小田原→越谷と回って、帰宅が3日の夕方。さらに翌日から、社員旅行で一泊二日の湯河原行き。今日はようやく家に一日いられるはずだったが、湯河原行きで風邪を引いたようで、薬を飲んで静かにしているうちに終わってしまった。やりたいことはいろいろあるのに、なかなか進みませんな..。今年も新しい大河ドラマが始まった。アメリカの南北戦争から戊辰戦争に繋いでいく意外なプレシークエンスはハイビジョンならではの美しさで、砲弾を受ける鶴ケ城のCGも八重の銃撃もかっこよかった。綾瀬はるかがなんか凛々しい。毎年楽しみなオープニングタイトルも良かった。ダニエル・クレイグ版007がクレイグの彫りの深い青眼を何かと印象的に使うように、綾瀬はるかを大きく扱ってシャープなイメージを創っていた。さて、どうなりますかね。まだ第一回だし、そもそも新島八重という人を僕は全く知らなかったので、史実との絡み云々は判断できない。さすがに少女時代の八重だけで75分間追いかけるのは厳しいと思ったのか、お兄さんに吉田松陰や佐久間象山を絡ませていたが、まあ話が乖離したわけではないし、良いんじゃないかと思う。僕は作品評を時に厳しく書くので、ここを読んでいる中には短絡している人もいるかもしれないが、別にけなす趣味があるわけではない。たまたまここ何年もの大河ドラマが、思わず仰天するほど変テコな描写のてんこ盛りで、”脳内補完”程度じゃどうにもならないほど凄かった(??)だけなのだ。大河ドラマは学生時代から楽しんできた。できれば今年こそは毎週一回の楽しみにしたいので、傑作とまでは望まないにせよ、良作になるといいなあ..と心から思っている。
2013/01/06
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本日の早出し情報来年9月(日本だけ他より遅く)公開の最新作「スタートレック イントゥ・ダークネス」のトレーラーが公開されたわけだけど..これうーむ...「スタートレック」なのかなあ、これ? いや、前作がもの凄く良く出来た映画だったので、今回もきっと面白いのだろうと思う。激しいアクションと壮絶なバトルがあった方が観客を呼べるだろうし、話題にもなりやすい。それほど儲かっていないシリーズだから、常に攻めに行かなきゃ駄目だろうとも思う。ただ贅沢を言わせて頂ければ、今度こそは本来あるべき「スタートレック」に戻って欲しい。つまり、"宇宙探検"の物語にだ。宇宙を破滅させる強大な敵に敢然と立ち向かう無敵のヒーローではなく、未知の宇宙を突き進み、未知の生命体とでっくわしてハラハラドキドキの大冒険、そして最終的に交流に成功して、次の星に向けて旅立っていく、あのテイスト。それこそ底抜けに楽天的な未来をクールに描いて欲しい。まあ、トレーラーの段階(どうせミスリードを誘うよう、意図的に編集されている)で心配してみても始まらないので、おとなしく待つことにしよう。..(^^;)壮絶な死闘の果てにマッコイが敵を治療して、カークとその敵がにこやかに握手、その横でスポックが「論理的な判断です、キャプテン。」と言ってエンドマークが出てくれたら、僕は拍手を惜しまない。(笑)
2012/12/06
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本日の映画鑑賞あの007シリーズが50周年だ。そうだった、ちょうど自分が生まれた頃からやってるんだよなあ...と、ファンとしては何だか感無量。(正確には、第1作「007ドクター・ノオ」が公開されたのは50年前の10月5日。)50年の間にボンド役は6人目になった。その6代目ボンド・ダニエル・クレイグ登板の三作目、今回もかなり硬質なアクションで、冒頭からもの凄いシーンが続けざまに展開する。『いやいや、だめ、それ死ぬって!』とハラハラドキドキ! これは「カジノロロワイヤル」以来のテイストで、過去のボンド役者には無かったスリル。タイトルが出る前だけですでに映画一本分の迫力だ。しかも今回は(事前情報さえシャットアウトしておけば)衝撃的な出来事でプレシークエンスが幕を閉じる。とはいえ今回の物語、よくよく思い返すとスケールはかなり小さい。敵が何というか...子供かよ?という感じ(注:ネタバレを避けてチープな表現にしています)で、世界征服を目指すというより腹いせしている感じ。主題はMとボンドのパートナーシップだ。二人が互いに相手に対して持っている複雑な心理が繰り返し描写される。さすがはジュディ・デンチで、「女性のM」を初代並に深みのあるキャラクターに彫り込んでいる。ダニエル・クレイグも冷たい殺し屋の匂いを消さずに、優しさやさりげないユーモアをほんの瞬間だけ垣間見せる。二人のやりとりは本当に見応えがあった。物語はそこに集約していくので、敵のスケールが小さいのも計算のうちだろう。物語はMの過去を追ううちに、いつの間にか(今まで描かれなかった)ボンドの過去に踏み込んでいく。「こんな家なんて!」とボンドが呟くシーンが胸に突き刺さる。過去を精算して、決別して、いろいろな要素が一新されて、次回こそは正真正銘の「007」になるであろうという期待感。ファンの一人としては007がスクリーンを駆けるだけで心ウキウキなのに、少しずつ本来の「007」世界に繋がっていくのが嬉しい。アストン・マーティンDB5は形ばかりじゃなく、機能的にもちゃんと"あの時のまま"での再登場だし、Qの武器は無駄遣い(?)されるし、最後の最後でそこにいるべき役者が揃って、なじみ深い光景が画面に現れて、『帰ってきた!』。何だか見ているうちに涙が出てきた。あとはダニエル・クレイグのビジュアルかなあ。...3作観たけれど、いまだにMI6というよりはKGBのスパイに見えてしまう。どこかロシア的で、ピアース・ブロスナンかティモシー・ダルトンと対峙させたら、確実にクライマックスで死ぬ役に回りそうなキャラクターだ。(心なしか顔がローワン・アトキンソンに近づいちゃった気もしないでもないし。)このポスター(↓)で見る限りは、しっかりジェームズ・ボンドなんだけどなあ。..でもダニエル・クレイグ版は「"リアル"ジェームズ・ボンド」なのだと思う。過去4代のボンドはあくまで綺麗に映画化された007像で、実在したボンドやMはもっと地味でむしろ怖い。ボンドはマティーニこそ飲むが、映画に出てくるようなハンサムではないし、プレイボーイではない。だって殺し屋なんだもの。..そんな風に捉えたら、何だか全てがしっくりはまった。(僕の頭の中で。)
2012/12/01
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本日の雑感 しばらく前に取材を受けた記事が昨日WEB公開された。単なるすごろくを超えた、プレイヤー同士の白熱バトル「パーティジョイ」今昔物語例によって雑多に(しかも通りにくい声でもごもごと..)喋ってしまった内容の要所をうまく拾って、まさに伝えたかった内容にまとめあげて頂いて感謝!「パーティジョイ」は当時の世代にそれなりに浸透していた割には時代の主流にはなりえず、それこそ"知る人ぞ知る"存在でしかなかったと思うので、こういう機会には思い切り伝えることにしている。記事の端々にも出てくるが、僕らは明けても暮れても(暮れるどころか..だけど)全力投球だったのだ。僕ら、なんでこんなに必死になっているんだろう?..それは、これを遊んでくれるのが子供達だからで、子供の頃の楽しい思い出がどれだけ大切か忘れちゃいけない、単なる飯の種にしたら自分の人生を無駄に過ごすぞ..そんな気持ちで取り組んでいた。それが時代とともに消えていって、何も無かったかのように時が過ぎていく。それが寂しいような、悔しいような思いがずっと心のどこかにあった。だからタナカマ氏に取り上げて頂いた時も、今回も、喋れるだけ喋った。自分だけではなく、当時切磋琢磨した同業者(ほとんど連絡が取れない..)の思いも篭めてのことだ。僕の直接の先輩でもありライバルでもあったSさん、S社の心優しいゲーム好きのYさん、1年違いでS社にやってきて張り切ったWくん、駆け出しの頃の僕を導いてくれたB社のKさん、ゲームマニアで商売そっちのけだったB社のNさん、僕をのせるのがとっても上手で可愛かったB社のOさん、先輩・同期、そしてたくさんの後輩達.. みんな日常生活のほとんどを使って頑張っていたわけで、あの熱気を何とか伝えられたらと思ってのことだ。だからリミッターをはずして喋った。で、そのおかげで申し訳ないことが二つ。まず、当時他社でボードゲームを担当していた方が見ておられたら、ごめんなさい! 全部が"ただの双六"だったとは思っていません。ただ当時は残念ながら、他社の熱気を感じられる機会が一度も無かった.. きっと同じように頑張っていたゲームデザイナーがいたはずです。決してパーティジョイだけが頑張ったわけではありません。..まず、このことをきちんと書いておきたいと思う。もう一つは、まるで双六が悪いみたいな言い分になりかねなかったこと。 僕も「人生ゲーム」がきっかけでボードゲームの魅力を知った人間であり、双六を否定するものではない。マスがあってコマがあってサイコロやルーレットで進むゲームが双六だとすれば、僕が創ったボードゲームの3/4くらいは双六の範疇のはずだ。嫌だったのは、メカニクスとして無思慮に双六を持ち込む姿勢だ。例えば「人生ゲーム」は人生がテーマだからあれで正しい。「人生とは重き荷を背負って長き道を行くが如し」と言ったのは徳川家康だ。人生は道を進むこと。CMで言っていたように"人生は山あり谷あり"で、それが本当に山や谷を立体化しちゃっているところに「人生ゲーム」の楽しさがある。メタファーとして完全に正しい。でも、格闘ゲームやスポーツゲームで道をゆっくり歩いていたって意味はない。そういうのが安易だと思うし、当時のゲームにはけっこうそういうものがあって、それがとにかく大嫌いだった。きちんと書いておきたい。双六は大切な文化です。さて、前を向こう。
2012/11/30
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本日のご挨拶おかげさまで、去る11月11日に50歳の誕生日を迎えました。ちょうどその日に米国オーランドに旅立ってしまったので、せっかく頂いたメッセージにもなかなかお答えできず、大変失礼いたしました。この場をもってお礼の言葉とさせて頂きます。..ああ、固い(^^;)こういう微妙なラインをつかなきゃならない文章は難しいですね。(^^;)やめましょう。いつも通りでいきます。mixi、Twitter、Facebook諸々、バースデーメッセージの数々をありがとうございました!(^^)/先にも書いたように米国に行った関係で、今年の誕生日はいつもの1.5倍と長い一日となりました。(もっとも前半12時間はほとんど飛行機の中でしたが..)目的地オーランドのウォルト・ディズニー・ワールドでは、何かの記念日であることを申告するとバッヂがもらえ、それを付けて歩くと至る所で祝福されるシステムがありますので、僕は正直に11日の間だけ「ハッピーバースデー」バッヂを付け、翌日から帰国日までは(結婚式からちょうど15年後なので)「ハッピーアニバーサリー」バッヂを付けて歩きました。誕生日も含めて、おそらく人生で最も祝福の言葉をかけられ続けた一週間だったと思います。何はともあれ、節目の年です。20代はボードゲームの10年でした。父のデザイン会社を手伝いに行く途中の玩具店でふと見かけたボードゲーム「パーティジョイ」が何かの啓示であったかのように、デザイン学校卒業とともにまさにその「パーティジョイ」の開発に携わり、キャリアを積み、やがてその実績を買われてコンピューターゲーム業界に引っ張られて視野を広げた後、まるで計算されたかのようにボードゲームの世界に呼び戻されました。常に「ボードゲーム」が僕の行く道を決め続けていきました。それはその後も続きます。30代はネットワークの10年でした。フリーで仕事をしながらPCの使い方を覚えた僕は(未知の領域を求めて)パソコン通信の世界に足を踏み入れました。これがあまりにも面白くて「PCの向こうにいる人達とのコミュニケーション」が自分の追うべきキーワードになりました。そんな中で結婚もしましたし、やがて得意先から「ゲームもインターネットも知っている強みで、文字だけでユーザーが一日中楽しめるゲームを考えて欲しい」と依頼が入り、「遊べガス」というコンテンツを創るに至りました。それはどこかボードゲーム的で、僕はこれを創るためにここまでやってきたのか..と思えてしまうほどのものでした。40代はその「遊べガス」も終了し、また会社組織上の都合で初めて「ボードゲーム」を1本も創らない10年間になりましたが、振り返ってみると「起業」の10年でした。人的なネットワークが繋がったり切れたりしながら結果的に今に繋がる筋が整い、それなりに経営ノウハウも学ばされつつ、いろんなきっかけが積み重なって会社から独立し、その人的ネットワークに編み込まれるように会社が動き出し、何とか軌道に乗ってきたところ、それが今現在です。よく聞く話のように「一念発起して起業した」とか「ひらめいた」とか、「組織の殻を飛び出した」のではなく、何だか波にもまれるように会社を創ってしまった。でもよく考えてみたら、自分が一番やりやすいスタイルってこれかも?..そんな感じです。しかも起業後、僕はボードゲーム的なアプリケーションを2つ創りました。元の会社にいたら創れなかったはずで、そこにも少し運命を感じます。僕が現場を離れそうになると、必ず「ボードゲーム」は僕を引き戻すのです。そして50代。目の前には再びボードゲームの世界が(昔とは全く違う形で)広がっていて、戻ってこいと手招きをしています。背中には会社があり、そろそろ次の段階に進めとプレッシャーをかけています。40代に我慢して組み立てた環境にのって、20代・30代からのスキルをぶつけてみせろと言われているかのようです。とまあ、そんなことを最近よく考えるんですね。..(長いよ)考えてみればこの業界、間違いなく仕事をさせてもらえそうなのはあと10年。もしかしたらもっと短いかもしれないし、運と成果に恵まれれば15年くらいはいけるかもしれませんが、確実に言えるのは「そろそろ締めるべし」ということですね。何かを残したければかなり気合いを入れなきゃいけないし、どうやらここまで僕を引っ張ってくれた「ボードゲーム」に恩返ししたいなら急がなければいけません。会社にも予定通り社員が増えるとすれば、自分の後まで会社を残す準備も始めなければならない。...そんなわけでまたまた忙しい10年が始まった模様です。お礼のはずが、途中からただの抱負になりましたが、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。(笑)
2012/11/24
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2012ドイツ旅行記[11]フランクフルト経由で帰国[現地時間:2012年10月21日(日)]続きこういうメッセージは嬉しいですなさて頃合いの時間だ。手荷物検査、出国審査を終えて搭乗口に向かうと、なぜかそこでもチェックを行っていた。今さら何をチェックするのか?と思ったら、機内預け荷物の手続きだった。列が2つあって、一方はもう預ける荷物がない(既に預け終えた)人の列だったが、とにかく狭いスペースに人がぎゅうぎゅうなので、そちらに並びたくても動きがたい。 結局荷物を預ける方の列に並んで、係員に「OK」とだけ言われて通過した。NH6136 ロンドン17:05→フランクフルト19:45 [FlightAware記録]この機体も飽きたなあ..そんな調子だから、飛行機も遅れた。搭乗も遅れたが、搭乗口を離れたら離れたで滑走路に他の飛行機が何機も並んでおり(僕らの後に少なくとも5機確認した)、なかなか飛び立たない。『フランクフルトでの乗り継ぎ時間は1時間しかないのに、もう40分遅れてるよなあ..』こっちも好きでフランクフルトを経由するわけではないので、いざとなったら"そういう経路にした"ANAが何とかするだろう..くらいの気持ちでのんびりだ。(^^;)(もっとも、この飛行機はルフトハンザ航空の機材・乗員で飛んでいるので、油断は出来ない..)それにしても今回の旅では、乗る飛行機がことごとく遅れたことになる。※実際には出発時間とは「駐機スペースを離れた瞬間」を指すので、離陸が遅れても「遅れ」とは見なさないらしいです。ルフトハンザ航空はこれしか出さないんだなあ..(この冷たいパンをかじるの、何回目だ??)フランクフルト空港に着くと、プラカードを持った係員が待っていた。やっぱりギリギリだったらしい。 「よろしければご案内します。」焦っているようでもない、微妙な対応だが、とにかく係員の後についてそそくさと移動。スタスタスタスタ....ゆっくり見物したかったけどねぇおお、何だかNCC-1701-Dのブリッジみたいなベンチ!手荷物検査もさっさと済ませて、せっかくのフランクフルト空港を取材できないままANAの搭乗口に到着した。ちょうど搭乗が始まったところだった。待ち時間ゼロで再び機上へ...こりゃあ、今度の飛行機だけはちゃんと定刻に飛んでくれそうだなぁ...と思った。今度は正真正銘、ANAだし。(かなり期待)NH210 フランクフルト20:45→成田(翌日)15:00 [FlightAware記録] 日本人率、急上昇日本の飛行機に乗ると、心底ほっとする。やはり言葉が全て通じるのは楽だし、そもそもサービスのきめ細かさが段違いだ。ましてやANAは今、JALの再生・追い上げムードでピリピリしているはず(笑)。何だか疲れがドッと出てきたので、ここで無理に原稿を打つのはやめた。ぐずぐずしていると食事だなんだで、あっという間に日本に着いてしまうので、日本で見逃していた映画をさっさと観ておこう。「ダークシャドウ」「ロボット」(インド映画のあれ)「ダークシャドウ」はさすがにティム・バートンで、ビジュアルが良かった。もう一度綺麗な液晶画面で見てもいい映画だ。WOWOWでやるまで待つけど。(笑)機内食では和食の誘惑に駆られた。「若鶏の唐揚げとごはん」味噌汁付き。....でも、家に帰ればまあちゃんがおでんを用意しているので、ここは我慢。自宅での感動を減らさないために、あえて(?)洋食にしておく。クリーミーな海の幸とターメリックライスその代わり、飲み物は旅の間一度も飲む機会がなかったウイスキーだ。シーバス・リーガルはあまり好きではないけど、この時はなぜか甘めで美味しかった。さらにキャビンアテダントが籠に入れて運んできた赤ワインまでもらって、料理に対してアルコール過剰。健康診断でのγ-GTP値はこの際忘れた。ANAの機内でダッツが出てきたことは報告せざるを得まい(一部の方のために)そして、到着前の軽食では和食に屈した。鮭粥鮭の塩加減が良くておかゆに合うが、大丈夫。帰ればもっと美味しい日本食を食べられるに違いない。(^^;)そして肩と腰の痛みがいい加減辛くなってきた頃、飛行機はまさに予定時間ピッタリ(正確には2分早く!)成田新東京国際空港に着地した。ANA、グッジョブ!去年よりもずっと慣れた割に、去年以上にトラブルがあった今年のドイツ行き。楽しかったけど、疲れた。..明日は普通に出社かと思うと、ちょっとよろめくものがある。(苦笑)去年は朝到着の便で成田に着いて、そのまま出社したものだったけど、やはり少しは体力が落ちたのだろうか?さて、来年はどうなりますことやら。来年ことは出品したいし、現地にも皆で行けるといいな、と思っているのだけれど。
2012/11/23
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2012ドイツ旅行記[10]いよいよ帰国[現地時間:2012年10月21日(日)]続きホテルに戻って荷物を受け取ろうとしたら、スタッフTが抱えた袋を見たフロント係が声を上げた。 「おお、フェラーリ!」フェラーリファンかと思ったら、ローマっ子だった。そのへんの話でひとしきり盛り上がって、いよいよ出発。何だか最後まで良い感じの街だ。駅に向かうヒースローエクスプレスであっという間に空港へ帰路の予約はANAだが、まずルフトハンザ航空のコードシェア便でフランクフルト空港に向かうので、ルフトハンザ航空のカウンターに向かった。自動チェックイン機付近に女性係員が立っていたので、せっかくだから無理しない。(笑) 機械をいじりもせずに、プリントアウトしておいたバウチャーを渡して手続きしてもらった。係員が操作してもらう横で画面の流れを横で見ていたが、こりゃ頼んで正解だったな..と思った。難しい..いずれにしても離陸3時間以上前にチェックイン完了。昨日のブリティッシュ航空とはひと味違う。だが、トラップはそのすぐ後だった。機内預け荷物が1つ拒否されたのだ。重さじゃない、数だ。 「2つ目は超過料金です。」そんなはずはないだろう。予約時に確認した限り、2つまで無料だぞ? ..とはいえ、コードシェア便では運用側ルールが適用されるので、ANAの規定は通用しないし、国内便は1個だけでも不思議じゃない。そういう例自体はよく聞いている。かといって、一つ何とかしろと言われても困る。他のスーツケースに入る量ではないし、そもそも他のスーツケースはたった今ベルトコンベアを流れていってしまった。少し粘ってみたが、駄目だった。仕方なくボストンバッグを1つ持って引き下がったが、どうも釈然としない。これで乗り込むときに「機内へは規定サイズ以内のバッグとハンドバッグ程度の2つだけです。」と言われたらどうすればいいのか? そんなことを考えている僕の前を日本のサラリーマンが3人通り過ぎる。全員キャリーオンバッグ付きのスーツケースを引っ張っている。 「あれはどうなんだろう?」スタッフTが呟いた。 「もともとセットだから1つみたいなものだからなあ..大丈夫なんじゃないの?」僕はそう言いながら、不意に気づいた。いや待てよ、絶対に何かおかしいぞ?もう一度予約票(インターネット予約した時のプリントアウト)を見直してから、すたすたと先ほどのカウンターに向かった。幸い誰も並んでいないので、ノンストップだ。先ほどの係員が気づいてこちらを見たので、わざとニヤリと笑いつつ、ボストンバッグを指さして「こいつの件だ!」と知らせながら近づいた。係員はというと、さてどう出るつもりかな?という表情で僕を見ている。僕は予約票を突きつけた。 「ここを見てくれ。ちゃんと"2PC"と書いてあるだろ?」係員は予約票を見ると、間髪入れずに言った。 「オーケー!」何がオーケーだよ。余計な手間を掛けさせやがって。(苦笑)あとは待ち時間だ..キャビアの店(こういうのを平気で買える社長になりたい....(笑))奥に見える店のチョコレートをおみやげにした(かなり好評だった)ハロッズも出店している一応ここでも取材をする。適当に周囲の写真を撮って、後で書く原稿を頭の中で組み立てた。まあ何とかなるだろう。階段を上がったところにパブらしき店があったので、昼食にした。またしても「フィッシュ&チップス」を頼んでしまった。スタッフTは別のものを頼んだので、今度は一人で平らげなければならない。(笑) しかも置かれているソースが昨日の店より少ない。何とか食べきったが、心なしか昨日の店ほど美味しくなかった。...どうでもいいけど、店内の世界時計、日本の時刻が1時間間狂ってます(苦笑) #11に続く
2012/11/23
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2012ドイツ旅行記[9]ロンドン散歩[現地時間:2012年10月21日(日)]またしても、朝4時に目が覚めた。フロントに降りたら「グッモーニン、サー!」と挨拶されて、当然僕も「グッモーニン!」と返すわけだが、自分でも不思議なくらいに声が響いた。おお、僕でもこんな声が出るのか!? 何の弾みか知らないが、自分でびっくり。(笑)このホテルは今回の旅で唯一の"朝食付き"だ。トーストを焼く機械が面白かった(注:たぶん僕が知らなかっただけ)ので、ちょうど焼いている女性に聞いたら、ニッコリして操作を教えてくれた。昨日からずっと感じていたが、イギリス人は総じて気さくで親切だ。ドイツ人は助けを求めてくるまでは声を掛けない。寡黙なだけだが、どこかしかめ面にも見える印象。(日本人に近い?)でもイギリス人は「どう? 何か困ってたりしない??」と微笑みかけてくる感じだ。そして、なるほど紳士の国だ。ものすごく自然にレディファーストを実行し、心に余裕を持っているのか焦らず、列も乱さない。何だかパディントン駅に降り立ってから半日足らずで、すっかりイギリス人が好きになってしまった。20年くらい前に通っていたANAの英会話教室(ブリティッシュカウンシル)を思い出させる雰囲気を感じたせいもありそうだ。朝食を終えてもまだ8時過ぎ。ドイツの例を考えるとまだ早いかもしれないが、ぶらぶらと街歩きしようということになった。風景や気になった建物を見ながら歩いていけば、繁華街(どこか知らないけど)に着くまでにはちょうど一般の店が開く頃になるだろう。ざっと考えたコースはホテル前の道路からまっすぐメリルボーンロードに入り、ベーカーストリート、メリルボーンハイストリート、オックスフォードストリート経由でリージェントストリートに入るというものだ。要所に設置された案内板がとっても解りやすい今回は時間も無いので、いわゆる観光スポットは全部パス。どこかの通りを歩いてデパートや商店の2つ3つに入ればいいやと思っていた。だから有名な二階建てバスもひょっとしたら目にしないかもしれない。....絵に描いたような揃い踏みたくさん走ってるじゃん!(笑)下手すると4台並んでるじゃん!(笑) 朝の四ツ目通りの都バス22系統か?(注:毎朝、何台も縦に並んで走っていきます。)見ないかも?どころか、少し広い道は特徴的な二階建てバスと黒い箱形タクシーのハーモニーだった。ぶらぶら歩いているうちにベーカーストリートにやってきた。さすがにその標識を目にすると気になってしまう。シャーロキアンではないけど、シャーロックホームズ関連の何かしらを眺めていきたい。で、ろくに確認もせずにベーカーストリートに入り、ジョン・レノンが住んでいたアパートを偶然通過。ホームズの住所(..小説上の)は実は反対方向だった判り、あわてて引き返した。リージェントパークの入口近くに「シャーロック・ホームズ博物館」はあった。外観だけ、ハドソンさんの店(「伝統的イギリス料理」のはずが、中はオフィスだ..)よく考えたら、なぜこの人はホームズの家を警備するのか? こんな人が立っていると、やっぱり入りたくなってしまう。入ってみた。この建物は実際に「貸部屋」として登録されているそうだ(というより、ちょうどいい住所の賃貸住宅を博物館にした)盛んに写真を撮る日本の子(きっと大ファンなんだろうなあ..)なかなかの雰囲気。原作を知っていたらさぞ楽しかっただろう。日本に帰ったら読み直そうと心に誓った。かっこつけてみた(ホームズは室内で帽子を被らないと思うけど)ゆっくり歩いたせいか、いつの間にか残り時間が少なくなっていた。足早にリージェントストリートに入り、まずフェラーリショップを発見。これはスタッフTのためにも寄ろうと思っていた。スイッチが入ってしまったスタッフTをフェラーリショップに置いて、僕は反対側の大きな玩具店を見物した。残念ながら、とりたてて目を引くものはなかった。でもロンドンで「007」の広告付き二階建てバスを見ると、なんか感激!もう時間切れだ。ピカデリーサーカスまでたどり着けなかったのはかなり残念だが、ここで諦め。無理すればあと1時間くらい何とかなりそうだが、多少時間に余裕を持っておかないと何が起きるか判らないのが今回の旅の教訓だ。リージェントストリートを少し戻って、今度はオックスフォードストリートをまっすぐハイドパークまで進み、エドガゥアロードを北上。このエドガゥアロード、何だか中近東ゾーンだ。並んでいる店がことごとくレバノン料理の店やら、金銀細工の食器あるいは水タバコの器具を売っている店ばかり。興味深いが寄っている時間もないので、そそくさと通り過ぎた。 #10に続く
2012/11/23
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2012ドイツ旅行記[8]ロンドンに着いた[現地時間:2012年10月20日(土)]つづき飛行機はなんと1時間近く遅れ、ヒースロー空港に到着した。入国出国にやたらと時間がかかるとか、係員の質問が細かく、かつ解釈が硬くて融通が利かないとか、荷物が無くなる空港ナンバーワンだとか、...とにかくヒースロー空港についてはいろいろ聞かされてきたが、係員はごく普通だったし、荷物はちゃんと出てきたし、とりたてて問題は感じなかった。到着が遅れたのは空港のせいじゃないキューブリックか実相寺昭雄作品に出てきそうな天井入国審査を終えてゲートを出たところで、制服姿の女性が盛んに何か呼びかけている。きっとツアー客か経由便の客を探しているんだろうなあ..くらいに思って通り過ぎかけたところ、聞こえてきたセリフか耳に入った。 「ん? エクスプレス?」 「はい! お乗りになりますか?」 「ヒースローエクスプレス?」 「そうです。」なんと、空港からロンドン市街に向かう列車のチケットを売っていたのだった。ここで「往復」で買えば改めてパディントン駅で買うより安いし、復路は明日でもいいらしい。券売機で悩まずにすむのもありがたいので、さっそく2名分購入した。車内はこんな感じヨーロツパにしちゃ珍しい(?)綺麗でかっこいい車体パティントン駅まではわずか15分。ほんとにあっという間に着いた。成田エクスプレスもできればこうあって欲しい。(笑)(そういえば「ヒースローエクスプレス」って「成田エクスプレス」と全く同じネーミング構造だな)パディントン駅だからパディントンがいるパブもある回転寿司もある...え?(^^;)ドイツのフランクフルト中央駅もこんな感じだった。ヨーロッパの終着駅って良い雰囲気だ。それにイギリスらしい質感が至る所に感じられる。彫りの深い建物や黒ずんだ赤茶レンガにすすけた落書き、暗色系の柱とグレーの壁。決めつけるわけでは無いが、僕がイメーシしていたイギリスの配色そのままだ。誘導サインもしっかりできている。床を使うのは良いアイデアだ。外はすっかり暗く、しかも雨がしとしと降り始めていた。今夜泊まるホテルはこの近くだか、正確な位置を調べ忘れたので「地球の歩き方」が頼りだ。このへんのブロックのどこか..くらいの情報で、夜の雨の中を探さなければならない。(苦笑)いい雰囲気ですなあ....雨だけど。難なく見つかった。同じ形式の建物(というより同じ建物かも)が長々と続く一画に、看板だけが違うたくさんの小さなホテルが入っている。そのうちの一つだ。外観狭い...こういうシャワーブースところで駅からの道筋、視線の隅に入っていた英国パブの数々が気になって仕方がない。スタッフTと雨の中をさっそく繰り出したが、今ひとつ入りづらい(混んでいるとか、狭いとか..)。一通り歩いた結果、無理せずに駅構内のパブに入ってみることにした。「英国パブ」デビューだ。さあ、入ってみようまず座席を確保してからカウンターに行き、注文する。ビールは欲しい銘柄を指させば注いでくれるので、受け取る。料理は座席番号を伝えて席で待つ。量が多いと聞いていたので、ビールは一人一本ずつ、料理は「フィッシュ&チップス」を1つだけ頼んで二人で分けることにした。カウンター裏は忙しいビールの銘柄が一目で分かる確か、左2つを頼んだこれが本場の「フィッシュ&チップス」....「フィッシュ&チップス」は確かに量が多かった。そのまま食べていても飽きるので、付近のカウンターに置かれているいろんなソースを勝手に持ってきて、思い思いにかけて食べる。暖かいうちは美味しかったが、最後は少し持て余した。でも、ちょっと好きかも?それにしても、店員さんが気さくて皆良い笑顔。特に最初に注文を聞いてくれたキャロル・ダーン似?の女性店員さんがとても好印象だった。スタッフTと話しながらビールを飲んでいたら、あっという間に酔った。せっかくだから種類を変えて何杯か飲むつもりだったけれど、一杯ですっかり満足してしまい、部屋に帰るや否やまたしても眠ってしまった。 #9に続く
2012/11/23
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