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2025.02.11
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カテゴリ: 建国記念の日




毎年、この日(2月11日)と、
4月29日(旧天皇誕生日)が来ると、

小学生の頃、父方の祖父母の家に、行く事が、
多かったなぁと、思い出す日でも有ります・・・
(今もって、行った理由が、定かでは無いのですが)

わざわざ、真冬の2月に、当時、
バレンタインデーで、チョコレートを渡す習慣が、
全く無かった頃です(笑)


祖父母の家に、孫である我々兄弟や従兄弟が揃うと、
祖父が、うやうやしく、門扉の所に行き、
日本の国旗を、飾るのを、兄弟従兄弟が揃って、
直立不動の姿勢で、眺めていましたが、

https://item.rakuten.co.jp/sumitaya/10002935/

今の自分が、
明治産まれの、当時の祖父母の齢に、近くなったんで、
だいぶ、時代背景が、分かるようにはなりました(汗)

祖父母の家に、歩いて行く途中で、通る小学校も、
校門の所に、日本の国旗が、掲げられていたので、

当時は、それが当たり前だったなぁと(しみじみ)


ふと、思い出し、ブログを書こうと思い立った訳ですが、
(小学校の隣に、図書館が有るので)

父方の曾祖父は、祖父が産まれた年に、
日露戦争が始まったので、祖父が曾祖父と会えたのは、
日露戦争後、復員してからだったそうです・・・


高等小学校しか出ていない曾祖父は、身体と命をはって、
負けたら終わりの戦争という勝負(≒博打)には、勝ち、
日露戦争の従軍者(逓信省の技手・・・当時は電信担当)は、
生きて帰ると、当時は英雄扱いだったそうで、
(幸いにも、五体満足で復員できた)

帰国後、福岡県の「直方郵便局」で局長を勤めた事から、

当時の成功体験を、息子である祖父にも、強制したようで、
尋常小学校卒業後、逓信省に入局させて、電信の技術者に、
苦労して、なったものの、太平洋戦争で、技術者として
招集された祖父は、戦後、幸い五体満足で、西貢から復員しましたが、
一緒に招集された同僚で、帰国できた人は、殆どいなかったそうです・・・

生き残れたエピソードについては、
父や祖母や、伯父叔母から、色々、訊かされてきたので、
機会が有れば書きますが、

「ついてないカタヤイネン」という

有名なフィンランドの兵士の、エピソード並みに有ります・・・

祖父は、自分の子供に関しては、浪人させても、
全員、大学まで行かせたので、復員後に、新しく出来た
「電電公社」に、勤めた際に、学歴が無い事で困ったようです・・・

結局、祖父は、孫の我々には、
一度も戦争の話はせずに亡くなりましたが、
戦争から、生きて帰って来なければ、今の私は、間違いなく、
この世には、存在していないので、感謝しか無いです。m(_ _)m

ここまで、書いてて、色々と、思い出せたのは、
通っていた、小・中・高校の、教師の方々は、戦時中は、
陸軍従軍者が多かったので、学校行事も、軍隊方式に近く、
(登山とか、海での遠泳とか、徒歩での遠足とか)

更に、当時通っていた、剣道教室のお爺ちゃん先生の方々が、
元海軍将校だった方で、準備運動が、海軍体操でした(^^;)

8月15日も、小学校と中学校は、何故か、登校日で、
冷房の無い、講堂で、太平洋戦争の生き残りの方のお話を、
生徒全員が、聴くという行事は覚えてますが、今、思うと、
たいへん貴重な機会でしたが、内容は全く覚えていません・・・
(申し訳ない・・・)

ただ、通っていた高校が、神道系の学校だったんで、
神道の授業で、大日本帝国時代の祝日の話で、
今の建国記念の日は、太平洋戦争に負ける前までは「紀元節」
だと教わり、神社で「健国祭」をやっていたのは覚えていますね

今思えば、
明治・大正、昭和の戦前生まれの人の、常識としては、
太平洋戦争後も、祝日に、国旗を、家の前に掲げるのは、
共通の習慣だったようで、

当時(1980年代前後)高校時代の友達に、この話をしたら、
友達の祖父母の家でも、同じだったり、
親が、大正生まれの家の子は、今も実家で必ず、やってると、
答えられて、やっぱりそうか!と思ったものです(^^;)

両親は、戦前生まれなので、戦争に参加は、していませんが、
終戦前に遭った「熊本大空襲」と「大阪大空襲」では、
同級生が、死傷してるので、リアルに戦争を体験してるので、
(死体の片づけとか、負傷者を救護所に運ぶなど)

平和の価値は、戦後生まれの我々よりも、
身体で理解してるのは、分かりますが、
翻って、今の日本は、大丈夫なのかなぁと、
実際に、自分が還暦を過ぎて、思うのは、

日本は、もう戦争は、出来ないなぁという事です(爆)

流石に、攻める事は無いでしょうが、
攻め込まれたら、私の様に、還暦を過ぎても、徴兵されて、
前線に放り出されたら、命は無いものと理解しています!

曾祖父も祖父も、攻める側で、
日本の外(≒外地)で、戦ったので、
日本の中(≒内地)で、外国と戦った日本人は、
明治開闢後、誰も居ないので、

日本で戦争が始まったら、
外国に、逃げるくらいしか、考えがつきません(大爆発)

今年で、戦争が終わってから、80年が経ち、
私が、小学校5年生の時が、戦後30年だったんで、

その頃から、50年経つと「平和」の二文字は、
「建国」の二文字と比べると、麻雀の役並みに、
安い手になっちゃった気がします・・・

尤も、
直近30年間の国内政治の「失政」で、
「日本」自体、国が保てるのか、定年退職してから、
8ヶ月経って、色々、見える風景が有りますが、
来年の2月11日も、建国記念の日が祝えたら、
いいなぁと願うばかりです!

それでは、今日は、これくらいで

では、また、次回にて!





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最終更新日  2025.02.11 22:49:46
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