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巨椋修(おぐらおさむ)

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少年の凶悪犯罪がマスコミで取り上げられるたびに、取り沙汰される論議。


「もっと少年を厳しく罰するべきではないのか!?」


という事について、今回は語りたいと思います。


少年の凶悪犯罪増えているかどうかは以前に書いた、 『少年の凶悪犯罪は増えているか?』 をご覧いただくとして、今回は、少年法を厳罰化するかどうかということですね。


さてさて、我が国日本の刑罰というのは、先進国にしてはそれほど厳しくないことで知られています。

唯一厳しいのは、死刑制度があるくらいでしてね。

ヤクザや、再犯を繰り返すような人でない限り、相当な犯罪をやっても“執行猶予”で釈放されます。

お金持ちであれば、保釈金や示談金を積むことによって、実刑をまぬがれることも可能。




でも、慰謝料や示談金を積んでも、なかなか許してくれないのが、少年法。

大人だったら、示談金でなんとかなるかも知れないのに、少年だと少年院に送られてしまうことが多いんです。


なぜか?


刑務所は懲役というくらいですから、“懲らしめるため”にあるのに対して


少年院というのは、刑務所ではなく “矯正施設” だからです。


つまり、少年院というのは、教育のためのものなんですね。

だから、なかなかお金でかんべんしてくれないんです。
(なんとかしてくれる場合も、ないではないみたいですが……)


他にも、児童自立支援施設というのもありますね。

昔は、『教護院』と言われ、非行をする少年、非行行為をするおそれがある少年を保護教育する施設です。



この児童自立支援施設は、学校の機能も含まれていて学校教育を受けることができます。

もっとも、最近では、児童自立支援施設への入院児童が減ってきて、公設民営化の話しも出てきているそうです。

入所してい少年から話しを聞いたことがありますが、なかなか管理が厳しくて大変とのことでした。

問題のある施設もないではない。

その一方、少年院や児童自立支援施設に行くことで、はじめて三度三度の食事をするようになったという少年もいる。



また、親がまともな養育ができない場合や、虐待を受けた児童が送られてくる場合もあります。

児童自立支援施設というのは、そういった少年の、保護・教育の施設ということですね。



おっと話しがそれた。

少年法の厳罰化についてでした。


まず、わたしは厳罰化には反対なのですよ。


少年が罪を犯したら、厳罰によってそれを抑制するというのは、悪い事をする子どもに対して、殴りつけてそれを抑制するのと考え方で、非常に短絡的なのです。

これは、体罰にもいえることですが、恫喝と暴力による人間支配となります。

わたしは、そういった 体罰にも反対 なのですよ。




さてさて、前述したように大人なら執行猶予がつく犯罪でも、少年は施設に送られ、保護・教育を受けることになっています。

厳罰化するよりも、この保護・教育に重点を置いてほしいと思います。

例えば、少年院から出た場合、保護観察という市民ボランティアが、少年を見守るというシステムがありますが、残念ながら、保護監察をする人(保護司という)が、かなり不足しているらしい。

厳罰化よりも、そういった面においての強化が必要なのではないかと思います。


また、少年院、児童自立支援施設は、矯正・保護・教育が目的なのですから、厳罰化よりも、そちらの方に力を入れてほしいですね。





最近よく言われているように、加害者は保護され、被害者はやられっぱなしであるというのも事実です。

少年に殺されてしまった親の気持ちはたまったものじゃないでしょう。

輪姦された少女の親に対して、支援者と称する人が


「この子たちに罪はないんです。悪いのは社会や環境です」


などと訴えている姿を見ると、あんぐりと口が開いてしまいます。

多分、“支援者”と称する人は、自分の娘や息子が、二度と立ち直れないようなダメージを受けたり、殺されたりした場合でも、そういえる人たちなのでしょう。


犯罪というのは、“他人に悪影響を与える行為”ですから、実際には被害者本人だけではなく、その周囲の人も被害を受けるということになります。


よって、法律は、少年法にせよ被害者感情や保証・保障を考慮に入れたものじゃないとならないと考えます。

よって、それを取り扱う人は、私情や感情に左右されることなく、厳格に裁く必要があると思います。


それは“厳罰化”ではなく、一生をかけて罪をあがなっていくというものであってほしいと思います。



被害者感情から言えば、「加害者を殺してもあきたらない」という思いがあります。

一番カンタンなのは“ 被害者家族に復讐の権利を与える” ということになるんでしょうけど、それだと西部劇や時代劇の仇討ちものになってしまう。

わたし自身、愛する者を傷つけられたら、そうするかも知れないという感情があります。

そうさせないためと、社会の秩序を守るために法律はあるわけで、そこは充分に考えないといけないところです。





また、社会としては、少年に犯罪を犯させないようにする教育と環境を作る必要があるでしょう。

これは少年に対する教育だけではなく、大人や親の教育が一番大切なのかもしれません。

少年犯罪というのは、大人社会の鏡であるとも思うからです。







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Last updated  2005年11月16日 00時43分38秒
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