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孤独とは、口で説けるものではない。身をもって味わうものである。そしてかみ捨てるものである。孤独になれば理屈抜きに寂しい、 今孤独である私そして夢 いつも夢 ずっと夢 今も夢 いつか現実、今は夢以上三つは、初めて一人で生活しての書き込みである。決して孤独が嫌だとは記していない。第一家族と住んでいた頃から孤独は私の唯一の友だった。人に囲まれているから孤独でないとは言えないのだ。そして、あの頃から夢を追っていたのだったと思い出した。
2006年01月31日
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待つこと、それは死よりも難し。いかなる苦行も待つことに劣る。そして人は死を待っている。待つこと近き将来を待つことは楽しいしかし遠き未来をまつことはつらい死はいつくるかわからないわからないものを待つほど 心苦しいことはない以上ふたつが手帳に書き込まれた最初のページである。なぜか死のことが出ているが、自殺しようとも、病気でもなかった。待つことが拷問のようにつらかったのだ。しかし何を待っていたのか?でも確かに待つことは世間知らずの小娘の心を狂わせた。勇気を持って私の秘密のページを公開いたします。この手帳が出てきたことも何かのめぐり合わせです。初心に帰ってまた出直しです。
2006年01月31日
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彼女はどこに行っても外国人扱いにされて、どこにも落ち着けるところは無いと言う。日本に母親と何事もなく住んでいたのに、成人になるとアメリカ人だからということで追放をくらった。日本だとアメリカ人、アメリカだとジャパニーズ、フランスだとエトランジェ(外国人)として自分の国=里がない。ベルギーでも同様で、ハワイから一緒のアメリカ国籍も持ったフランス人のご主人と数年生活していたことがある。両親と言っても、父親だけだが、日系一世なのでそんなに英語はうまくない。彼女は東京のアメリカンスクールに通っていたのでうまい。そんな彼女も浅草語でしゃべる。電話で私とおしゃべりする時は、日本語と英語とフランス語のちゃんぽんである。手紙も私はなるべく英語を書くようにしているが、日本語はひらがなとカタカナなら大丈夫である。最近彼女はフランス語を再度習っているので、フランス語で書くこともある。気の強い男まさりだけれども、とても優しい幸子さんが疲れているという。”山のあなたの空遠く、「幸」住むと人のいふ。噫、われひとと尋めゆきて、涙さしぐみかへりきぬ。山のあなたになほ遠く、「幸」住むと人のいふ。”今の私にしてあげられることは、遠くで祈ることだけだけど彼女はきっと乗り切ってやっていくだろう。上の詩は子供の頃からよく耳にしたもので、書道道具を探していて、えらく昔の手帳が出てきてしまった時に、中に私が書き入れていたのを見つけたものである。このブログでたびたび登場してもらっているアロマのヤスミンさんが、10年前のノートをご披露されたので、私もまたまた影響を受けてそれに習えということで、今週ちょっと30年ほど前の私の書き込みから拾ってみようと思う。ヤスミンさん:http://plaza.rakuten.co.jp/aromafan07/
2006年01月30日
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彼女は沖縄人と東京の浅草人との愛の子=相の子、つまり混血で国籍ではアメリカ人である。生まれは日本で育ちも日本なのに、アメリカ人ということでハワイに移り住んだ日系人である。お父さまは数年前にハワイで亡くなられたが、ご母堂は元気で日本で生活されている。上と下の兄弟はアメリカと日本と別々に住んでいる。私は彼女とブリュッセルで知り合った。今とにかく彼女はフランスに居る。彼女の人生を書いていくと本が一冊要りそうなので、端折らせてもらう。今彼女は生活に非常に疲れてしまっているので、励ましてやろうと思い立ったので、下手な文章よりもと考えて、書道をすることになった。墨を探し、紙を探し、そして文鎮と筆を見つけた。しばらくご無沙汰していたのでどこにしまってあるかわからなくなっていたのである。そこでとにかく夜中になってしまったが、気を静めてから紙に向かった。この時はまるで神に向かうがごとき気分になるまで待った。そして、一気に墨を含ませた筆を滑らしたのである。書いたのは、「幸福」と「幸子」の二枚である。幸子の幸は幸福の一字だよという意味なのだが、彼女に伝わって欲しい。その二枚を折る前に気がついたのが、署名である。以前に印を確か作ったはずであるので、どこかにあるはずとまた夜中の家宅捜査…あった、あった、しかも朱肉と一緒に出てきた。こんなにスムースに出てくるのも気持ち良い。久しぶりの捺印であった。押印とでもいうのであろうか。また続く
2006年01月30日
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昔風邪をひいた時、上司から「自己管理がなってない」と言われて仕事にひっぱられました。今まだ日本にはそういう上司存在しますか?自分の体の管理は自分でするのが理想であっても、生身の我々はいろいろと悩むものです。一人になった時、そっと内側からこみ上げてくる喜びを感じることが出来なったら、少し養生しましょう。そんな気分にならないのなら、無理にでも笑ってみましょう。馬鹿な自分に笑えばいいのです。昔ユダヤ人が収容所に入れられていた頃、彼らは独特のユーモアを築きあげました。それが今も残っています。そして生きています。したたかに生きるこつです。一番底にいるから開き直ってしまったのです。明るい気分になれば風邪など吹っ飛んでしまいます。重くなる前にふっと吹き飛ばしてやりましょう。ではよき週末を。。。
2006年01月28日
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以前にコメントいただいた空飛ぶメル友さんのHPに興味深い投稿がありましたので、ちょっとそのことを~マスクはマスカラードの語源(アラブ語)から想像つきますが、道化師の意味もあるようです。更にゴースト(幽霊)の意味も含まれているようです。白いマスクは日本では、通常は人に移さないためにします。最近は罹らないようにするようになってきましたが…さて、ラテン語ではパルソナ、パーソナリティ(人格)の意味もあります。さらにベルギーの超現実派(シュール)の画家マグリットは、ひとりの男性の顔の前に大きなりんごを描いてますが、「りんごを描いたのではない。りんごの後ろの顔を描いたのだ」と語っていました。甘いマスクとか言いますけれど、目に見えるものに惑わされないで、その裏に隠されている真実を見る力を養いたいですね。もちろん度がすぎても困りますけれども…私のマスクはこのブログでしょうか、被っているようで、実はよく見えていたりしてね。興味ある方はウィキペディアで検索してください。
2006年01月27日
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知りませんでした。スーパー投資家さんのブログページから入ったやさかさんのHPで 載ってました。(鳥のえさとしてとうもろこしは与えないところです。) 私はずいぶん昔洗ってましたが、いつもいつのまにか力が入って割ってしまったこと がありました。行商の卵やのおじさんから買うのでした。頭がつるんとして、毛が薄 くほあほあとしてましたっけ。(おじさんの頭ですよ、念のため) 卵の殻だけでなく、ガラスのコップ(高いブランディーのグラス)も洗っている時に 割りました。自動車のガラスもやりました。 でも瀬戸物は滅多に壊しません。お茶碗欠けたら~どんどこしょと捨てます。 金属は鍵をグニャーと折り曲げて壊したことは数回ありますが、その他は思い当たり ません。 ここんとこは何も壊してません。
2006年01月27日
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自分で好きなものを作れる。中に入っているものがわかっているので、安心して消費できる、使える。手を使うことによって脳の働きが活発になる。洗濯を手ですることによって、頭を使って水の消費など考える。うまく洗剤を溶かす方法も考える。プロの手はなるべく借りない。母の時代は障子も、襖も、ふとんも自分たちでした。妹たちが昼寝をしている時によく手伝ったものだった。けれど、畳のうちかえだけはプロに依頼していた。子供が多かったが、セーターは手編みで、服は叔母が洋裁をやっていたので制服からコートとかまで手作りというかオーダーメードであった。これが子供の私は嫌でたまらなかった。叔母が作る服にはポケットがひとつもないのである。布地は安物であっても皆と一緒の格好がしたかった。母も母で、ありきたりなスモックでなく、凝った刺繍を施してくれるものだから着るのが嫌だった。そのせいか、今では人と違うものばかりを求めている。料理もいつも手の凝ったものではあったが、分量が(母の習ったのが少量だったからか)いつも「ちょっとだけよ」であった。さらに駄菓子というものは食べたことがなく、父がもらってくる高級店舗の和菓子とか洋菓子が多かった。今そんな高いものには一切興味が無くなり、(例外はあるが)地元のお菓子を求めるようになった。癖のある味がいい。甘いよりもどちらかというと渋いものへと年のせいか変化している。が駄菓子とはどこの国でもあるが、大抵においてあのどぎつい色と臭いがたまらない。値段がびっくりするほど安いが、どうしても食べる気にならない。フランスの駄菓子にレグリースといって、黒い甘草か何かの色がついている。おいしいものではないが、くせになるらしく、口の中で溶けていくのである。誰かがアフリカ人はこれをしょっちゅう食べるから黒いんだと言っていた。これはまたしても差別である。しかし鳥に黒いえさを与えたら卵は黄色でなく黒くなるかもしれないではないか?このとにかく異様な駄菓子はフランスに行かないと簡単に入手出来ないが、一度是非試してみるのもよかろう。希望者には少しだけなら送ってさしあげる。封筒にいれて送るので住所が必要。私書箱にでもメール頂けたら送ります。ただいつフランスまで行くかがまだわからない。ベルギーにも良く似たようなのがあるからそれでもよければ知らせて欲しい。なぜか話がおかしくなってしまったのでひとまず終わり。
2006年01月27日
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以前、大阪訛りで某国際的に有名なところのガイドをしていて、あきらかに関東の方 に 「あなた、なぜ関西弁を使っているの」(=ちゃんと標準語お使いなさいよ)と言わ れたことがある。 「人の勝手だ」と心の中で当時の私は相手にしなかったが、今になって思っても、ご 丁寧に、かつ御節介であると思う。大阪弁でやったのでなく、幾分なまっただけであ る。 ことばの魅力は訛りであると思う。標準語というが、東京あたりのことばが元になっ て出来たことばなんて、「けったくそわるい」(気持ち悪い)というものである。 これは差別であるかもしれない。そうだ差別だ。 東京あたりの関東のアクセント(訛り)を使っているからといって、決してその人は 関西人より偉いということはないのである。 方言は「なんであかんのや」「あきまへんのんか」(なぜいけないのか)である。 意味がわからなければ、意思が通じないという不便さもあるが、訛りは自分の生まれ て育ったところの誇りのようなものである。 カタカナ語でアイディンティティー、いわゆる IDである。 太平洋戦争の頃のこと、鹿児島の言葉は読解不可能なことばとして、誰も意味がわか らなかった。もしアメリカ国籍を持った日本人、それも同郷の鹿児島男児がいなけれ ば、日本の勝利に一役買ったことになったかもしれないのだ。 (とは「二つの祖国」(山崎氏)から) 訛りを持つ皆様、どんどん使ってやりましょうね。 「なぁ~んも、あかんことあらへんで、ぎょうさん使うておくれやす」 と京都の友人なら言ってくれるだろう。
2006年01月26日
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(昨日の続き)外国語を表す最良の方法は?発音記号を使うのが一番良いのである。辞書の単語のうしろにある鍵括弧[ ]ではさまれたやつである。最初はとっつきにくいが、慣れると大半の外国語の発音がわかるようになる。世界共通であるからだ。発音学の学者たちが、世界の様々な言語を研究してここまでこぎつけたのだ。中国語はそれよりも独自の発音表記を持っている。しかしこれは先に触れた発音記号とは違う。漢字の読みということで、日本語の平かなみたいなものだ。つまりカタカナ表記では海外旅行の際実際に役に立たないのである。郵便箱はポストボックスでも通るが、ライスを 米か 虱の複数か アメリカの女高官のどれかだというようなものである。カタカナで書くと格好いいとかいう理由でよく使われるが、例えば「デイ-ベイト」と言うが、討論という立派なことばがあるのに、カタカナを使うのは、実際に意見を主張しあって討議するようなことなんて出来ない腰弱の姿勢が見えてしかたないのである。日本語の不思議さというのが、このあいまいさなのかもしれない。カタカナで表記されたことばが日本語になるまでがあやしい。ガイドと言えば、日本語である。死語であるが、オールドミスも日本語であった。そうなれば事は明確なのだが、そこまで行きつかない場合が困るのである。vanとbanを昔はヴァンとバンで区別したものだが今はみんな一緒のバンである。
2006年01月26日
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今度はスーパー投資家さんの影響で、シフォンケーキなるものを焼いてはみたが、どうも違う様であった。これはアメリカのお菓子であり、ヨーロッパでは無いのである。それでも何とか挑戦してみた。チョコレート入りのが出来あがった。シフォンとは、絹のような肌触りのケーキと言う意味らしく、私は思っていたクシャクシャのケーキの意味と違ったのである。他にも「シフォン」の意味は存在するのだが、前にも記したがカタカナであるとその実態がよくつかめないのである。カタカナ語のカタカナ表示の外国語は、決して読み仮名ではないのである。単なる目安にすぎない。質問サイトに「この単語は何と読むのでしょうか」というのがあるが、この質問者はカタカナで表示することを望んでいるのだろうか。そんなことだから、日本人は外国語がいつまでたっても上達しないのだと感じる。母でも「読みかな打っといてや」と言ってフランス語やドイツ語を渡してくれるのである。どうすれば良いか?スーパー投資家さん:http://plaza.rakuten.co.jp/hyakumannenn/
2006年01月25日
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(キャベツは)しんなりさせるために先に少し湯がくのである。あとひき肉(今回は豚)と葱と生姜に(邪道らしいが)ニンニクをたっぷり刻んでいれた。肉が充分に焼けているように、私は先にさっと炒めておく。その時味をつけて、さっと小麦粉をふっておく。冷ましてから半日常温で寝かせた皮に包むのである。揚げるか焼くかは好みである。お好み焼きは洋食焼きとも言った時代があったが、何故か西洋では見かけない。それにソースにマヨネーズとウスターソース等を混ぜるのは(大阪のほうだけにしても)ヨーロッパの方では変わったものである。特にこのマヨネーズは日本の市販のものでないと自家製のだといけない。私はマヨネーズも自分で作るのだが、お好み焼きに使うのであれば、日本食料品店に行って高いマヨネーズを買わなければならない。だいたいこちらで日本製品(食料品)を買う時は約3倍するのである。120円のラーメンが400円ちかくするということで、日本でヨーロッパのものを買う場合と似ている。まず輸送費が高いのである。飛行機で運ばれて来ると一番高く、船に揺られてなら安いのだが、賞味期限が切れてしまうのである。日本人旅行者に頼む場合には、いろいろと気を使い疲れる。おみやげもうまくリクエストしとかないとならなくなって、不便である。自分の欲しいものと、他人様が思うものとは違う場合が多いのである。同じ家族でもである。普段からひつこく、うるさく伝えておれば何とか欲しいものが手に入る。しかし日持ちのしないものが食べたいのである。「明日までにお召し上がりください」というのはいけないのである。それでも妹たちに頼んで持参してもらい、必死の思いで食べきるのである。「赤福餅」に「けし餅」に「羽二重餅」と「おはぎ」が一箱ずつであるが、我が家に着いた時、期限は1日以上だったが、賞味期限の近いものから並べて、毎日食後と、寝る前と、朝、と10時のおやつと、お昼と、夜食の前という風に順に食べきったことがある。決してしんどくはなかったが、飢えているのは私だけであったので、実にひとりで食べたものである。良いことが重なるとこうなるものである。日持ちするものは、大事に冷蔵庫なんかに入れておいて少しずつ頂くのである。ごちそうさま。これはグルメというよりグルマン(=食いしん坊)であるかもしれない。
2006年01月25日
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さて、ETMさんの巨大餃子(1月18日)を見てしまって、欲しくなったので週末に作ったのであるが、中身がたくさん出来すぎたので、あとは肉団子にすることにした。皮からうまく出来たのだが、やはりしっかり厚くしないと破れてしまった。でも10センチ以上の自家製餃子が8個できたのである。キャベツにするか、白菜にするか迷ったが、お好み焼きの残りがあったのでキャベツにした。ETMさん:http://plaza.rakuten.co.jp/musicbookfood/
2006年01月24日
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(溜まっているので切り出しします)漢字で適当に「あなたはこの週末楽しかったですか?」というフランス語を記しただけであるが、カタカナだとブザべパセアンボンウェーケンドとなる。しかしこれをいくら繰り返しても頓珍漢分(トンチンカンプン)である。月曜日の朝出社すると皆がこうしてあいさつするのである。特に過ごした結果を聞いているのでなく、大阪の「毎度、儲かってまんなぁ」と同じである。
2006年01月24日
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もしだめでもいつか出しますので、よろしく。ホリエモン逮捕のことが新聞に出てました。ライブドアはLivedoorって載ってました。スパのF1は今年は開催されないかもしれません。予算の問題で工事が間に合わないようですが…トルコでは豪雪で被害者続出。ベルギーは下がってもマイナス6度くらいだそうです。ではまたのちほど。
2006年01月24日
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どこに行ってしまったのだろう私の書き込みは?もう火曜日になってしまうじゃないのよ~あと一時間で間に合うでしょかねぇ。メーンディッシュは今何処?http://plaza.rakuten.co.jp/hirobastaff/diary/200601080000/で楽天さんの言い訳が載ってます。
2006年01月23日
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ロンドンで鯨が迷い込み、とっさの救援が効を奏さずあの世にいってしまった。解剖をして死因を追求するとあるが、何かおかしくないか。何か間違ってないか。注:これが見事送信されてしまったが、もっと長い文章がどこかでひっかかっている。そのうち出てくるだろう。よってこの書き込みは前菜のようなもの。鯨のオードヴルである。
2006年01月23日
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今日のブログを発信して、一時間以上になるのですけどブログに日記が出てきません。メールで返信を使用。たくさん溜めてあるのですが、だめみたいです。のちほど~
2006年01月23日
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私の周りでよく最近、首がまわらないとか、肩が異常にこるとか、腰がつらいとか耳にする。たいていは体の歪みで腰のところがポイントである。整体屋さんとでもいうのであろうか、そこへ行けば直してもらえるはずである。しかし自分の体は自分で何とかしたい。よって普段からヨガみたいな体操をすることを薦める。毎日少しずつ歪み固まったのだから、毎日少しずつほぐしていけば必ず元にもどる。はじめから歪んでいる場合もあるから、無理の無いように、「自分の体は完全なのだ」と信じてはげむと良い。生まれたときから障害のある場合でも、その障害を肯定してみることが大切ではなかろうか。うまく自分の体とつきあうことである。相性とかでなく、自分だけの体なのだから、他人の事は放っておけばいいのである。障害者を見る目は世間では厳しい、と言うより非情である。家族も同じように見られる。しかしこの世には、目に見えない障害者がいかに多いか知ってるのだろうか。実はそのほうが危険なのである。いくら整体屋さんに通ってもちょっとやそこらでは直らないだろうし、治せる人も少ない。心理精神学の医者でもである。結局自分のことは、自分で処理していかねばならないのである。
2006年01月20日
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もしシュトンプがたくさんありすぎる時には、これにひき肉を加えてグラタン皿にいれる。もちろん、火をつけないとならないが、こんがりと焼けた表面のチーズでだまされるくらいに美味しくなる。最初からこの「アシェ・パルマンティエ」を作れば、何のこだわりも無く食べれるが、これがシュトンプの次の日だとうんざりしてしまう。さらにこの変種グラタンの中にマカロニなどのパスタをいれてもいい。グラタンをオーヴンに入れる時は焦げ目をつけるとおいしくなるが、この時味のついたパン粉をパルメザンチーズとともに振りかけておくともっと風味があがる。母は南(大阪のなんば)でフランスパンを買ってきた時は、決まってそのパン粉のためだった。殻(=パンの外皮)の固いところと中身の(わざと)固くなったところをおろしていた。そのほうが袋入りのを使うより良いんだと言っていたのを覚えている。今ではどこでもフランスパンが手に入るから、毎日だってグラタンが食べれるのではないだろうか。しかしカロリーが高いので注意しなくてはならない。
2006年01月20日
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ひとつ週末にふさわしいことを~ベルギーでは(おかずに使った)野菜の残りを使ったポタージュ(スープ)を作ることが多い。私はこのポタージュ用にわざわざ良い野菜を買ってくる。さらに、ベルギーの定食屋さんでしか無いのだが、シュトゥンプなるものがある。これはポタージュのおかず版。つまり人参やねぎの残りをマッシュドポテトに混ぜる、ベーコンがあればそれも入れて、とにかく混ぜて作るのである。見た目は非常に悪いが、味をなんとかつければ食べれる。観光客が入るようなところでは出さないが、一般人の定食屋さんには金曜日、または木曜日からこれが出現する。フランスには無いので注文しないこと。ただでさえ、なまりのある外国人が別の外国語をしゃべるのを聞くほど気持ち悪いことはないからだ。
2006年01月20日
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動物愛護、保護協会の方から怒られそうですが、日本ではこの鯨の肉を今でも食べてます。なんとも言えない鯨味は、私好きです。日本が獲りすぎだということで、世界のあらゆる先進国で非難を受けていますが、大昔から鯨漁で生活している人たちがいるのです。北海道のほうでは、筑前煮のごとく好んで食するということを教えてもらいました。私ははるか昔学校の給食で少しついてたの覚えています。肉だけとって後捨てるのでなく、100%使用するので無駄がないということです。油、脂身、ひげ、そしてお香の原料まで使えるところは全部使うのですということです。とまれ、これも昔ですが、第一線を退いていたのに欠員が出たのでピンチヒッターで、私の学級の担当となった明治生まれ(祖母と同年)の恩師が、鯨の肉のことを語ってくれたのを(内容は忘れましたが)思い出します。映画ではグレゴリー・ペックの「白鯨」がなつかしいですが、あれは人間と鯨との一対一の戦いでした。
2006年01月19日
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近くのショッピングセンターに二軒のカフェーが、向かい合ってリニューアルされた。以前はどちらもパン屋に毛の生えた店であった。ケーキ屋さんでもあった。それが片方はいつも一杯で、もうひとつはがらがらである。値段はどちらも高いのだが、セルフサーヴィスとそうでないのとで、味はそこそこ。私はこのセルフのほうに行くのだが、昨日だけはお向かいさんに入った。人が少ないのでゆっくり出来る。映画批評も読めるとか思ってのことである。ここのギャルソンは3人とも可愛かった。さて、コーヒーについてはどちらもまあまあであるが、セルフでないところはタルトが不思議なくらいまずい。ケーキを見ても食欲をそそらないのである。「これじゃあ、反対側に行くわな~」と理解理解。しかも、タルトを素手で食べろというのか、何もついていない。反対側ならフォークなどは自分で勝手にとって、家にこそり持ち帰ることも出来る。それに自然派の使い捨ての素材である。こういうところには、お兄ちゃんよりも、お姉ちゃんのほうが好いのではないかと思う。これはただ単にそう感じるだけであって、特に好みはない。しかし愛想のいい可愛い子ならもっと好いかもね。あぁ、昨日ケヴィン様をミスったことが影響してしまって変な書き込みになってしまった。すんませんなぁ。
2006年01月19日
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昨日は予定を変更してハリポタより面白いファンタジーものにした。ケヴィン様はまたいつでも見れるし、シャーリーもまだまだ元気である。行く前にコーヒーとあんまりおいしくないタルトをかじりながら雑誌の映画批評に目を通していたら、ストーリー性が乏しいということでやめた。シャーリーのおかげで何とかセーフらしい。ダスティー・ホフマンの「卒業」の後談ということらしい。このシャーリー・マクレ~ンは私の好きな女優のひとりである。彼女は実にたくさんの映画に出演していて、賞もいっぱいもらっている。我亡き父の代からのファンである。気さくな感じがいい。そしてケヴィン様はええ男である。役が大抵悲しい男であるのが更にいい。(この意見はあくまで個人的。)さて、見た映画は「ナルニア」である。たまにはこういうのもいいだろう。特に券がただであり、3日のうちに使いきらなければならない場合は・・・
2006年01月19日
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日本語のある質問サイトに登録してます。今朝も覗いてみると、「語学を習うのに王道は無いものなのか」という質問がありました。私は一番好いのはもちろん現地で生活することだと思います。さらに、その言葉を使わないと生死にかかわる状況に追い込むことです。とは難い話でして、実際にうまくなりたければ(自然にしゃべりだすようになるという意味)彼女か彼氏をつくることです。そうすれば、まさに生きるか死ぬかに始終巻き込まれますし、外国人では珍しい方言も身につきます。私は今中国語習ってますが、意に反してベルギーに住んでますので、さらにつりあう中国人のパートナーをつくる暇もないので方言どころか何にも身につきそうもありません。こちらでは「湯につかる」という表現を使います。つまり環境に浸かりきって言葉をものにするというのです。で私は昨夜緑茶のお風呂に入りました。あんまり気持ち良かったので、浸かりきりました。(ごんべいさんのお茶屋さんのです。)しかし色はつかねど、効果はばっちりでした。一度お試しあれ。自分でつくる時はしっかり封をすることです。あとの滓は茶殻のように植木にまいたり、掃除に使ったり、乾かしてポプリにしたり、靴の中にいれたり、魚を焼く時にオーブンに入れといたりして使い切ってください。
2006年01月18日
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この日曜日まで有効の映画の券が財布に眠ったままでした。今はあまり興味のあるのが着てないので困りました。更にこの券が有効な映画館ではお金になる大プロデューサーの上映が多いのです。あんまり儲からなさそうなのは、他所か夜22時30分上映とかです。仕事オフでそのまま行くには中途半端な時間帯ばかりです。もちろん、早退すればなんとか…なんですが、これもねぇ~年末に「キングコング」を見たのですが、これは他所の映画館でした。今思えばその時に使えばよかったのですが、なんせ中華街の近くだったもので~ベルギーでは毎水曜日にプログラムが入れ替わります。外は昨日に続く雨だし、今日なんか映画日和なのです。決定:よっしゃ決めたで…よしんば、ケヴィン・コスナー様となつかし綺麗な長い足のシャーリー・マクレ~ンの映画にします。
2006年01月18日
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滅多な災難、災害から逃れられている私であるが、11年前の大地震は家族が受けている。実家は当時兵庫県で、寝ていた父が天井が目の前に来たと語ったのである。家の崩壊は免れたものの中はめちゃくちゃに散らかったということだ。体が傷ついたというのでなくても、多くの人たちが精神的ショックを受けたのである。目に見える怪我は治療することが可能であるが、目に見えない心の傷はなかなか癒されない。私はというと、一万km離れたところで、ただメモリー一番目の電話番号をひつこく、ひつこく気が狂ったように押し続けたのである。相当ラインが混んでいたらしく、やっと父の声を聞いた時には腰がくだけそうになったのを今でも覚えている。それからはユーロ・ニュースで状況報道を追い続けた。戦争でも自然災害にしても忘れてはいけないとは言うが、忘れられるものではない。
2006年01月17日
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妹と言いましても、すでに亡くなった妹ではなく、別の妹のことでございます。大阪からベルギーの私のところに遊びにきてくれた妹のことでございます。しかし、いくら妹と言いましても一応は所帯持ちなので、こちらに来るに際しまして、ご主人様に許可をもらうという段階がございました。そりゃ人妻ですから・・・床に両手をついて「だんな様、どうかお許しを~」って感じではないかと~ともかく彼女は同じ兄弟でありながら、私とは性格が似ておりません。他のメンバー/妹と弟とも似ておりません。何でも思ったことはすぐに行動に移す積極的な性格です。慎重な私とは違います。同じ親であることは、時々鏡の中で彼女に似ている自分を見てわかるのでございます。大体同じ親と言いましても、母親と父親は似ても似つかぬという具合で何がどうなって一緒になったのかいまだに私は理解できておりません。しかし次々に子供を作っていけば、それは「かすがい」になっていくものでございまして、それに子供が気つくのはずっとあとですから、親たちは平気で行動するのでしょうか。私は子供の時父が言う「子供はかすがい」の「かすがい」というのは、貴重な貝で宝石みたいな大事なものだと勝手に思い込んでおりました。今となっては自分の子供をかすがいにはしたくないと思う反面、貴重な宝であることに気つきました。
2006年01月16日
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先週のゴッホの旅はちょっと難かったでしょうか。 アンネの日記も難いですね。昨日のページは次第につのる収容所の怖さに少し触れて ました。彼女たちは一応はドイツ国籍をもっていたようですが、もちろんユダヤ人と いうことでパスポートは取り上げられていました。 気分を変えてベルギーのことを載せようとヒントをもらいに昨日は、わざわざベル ギーの展示会made in Belgiumというのに出かけてきました。しかし、あまりにたく さん展示してあって、腰がぐたぐたになるくらい疲れました。1.6キロメートルで 最低2時間ということでした。私は夕方4時から入って、6時過ぎに出ましたが、頭 くらくらするくらいになってました。外が冷たくて気持ちよかったです。 「キングコング」の映画は3時間ずっと座ったままでしたが、全然疲れませんでし た。 博物館的なのは子供かお年寄りしか行かないそうですが、こんなにしんどいものなら 当然でしょう。子供は学校から、お年寄りは割引なんかあっていつでも好きな時に行 けますからね。仕事してたら休みの日しか無いし、買い物はしたいし・・・ でも目的を持って出かける美術館はまた違いますよ。好きな人に会う時のように心と きめかせて行きますから。
2006年01月16日
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オランダ料理がおいしくないと言ったら、どつかれる(怒られる)かもしれないので、今まで一度もまだおいしいオランダの料理にめぐり合っていないとしておこう。私がオランダことネーデルランドに行って最初に駆けつけるのは、インドネシア料理屋である。安くて量があって、まさにこちらの人向きである。さらに、レストランはお昼からずっと開いているところが多く、気軽に入れて便利なのだ。私が白人でないので入りやすいこともある。フランスやベルギーでは特に(ドイツやスイスもだが)食事する時間が決まっていて、ファーストフード以外のものは時間帯をはずすと食事にありつけない。それがアムステルダムのインドネシア・レストランやチャイナ・レストランでは、高級なところはべつだが、お昼すぎの3時でも4時でもウェルカムなのである。こういうのは、フランスで常にカフェのゆで卵ばかりかじって飢えをしのいだ経験のないものにはわかるまい。特に最近はずっと開いてる食料の買えるスーパーマーケットが結構あるので便利といえば便利である。それらの店の大半は、非ネーデルランド人により運営されている。しかし電話一本で、あったかい中華どんぶりと冷えたざるそばを出前してくれるところは日本以外にまだ見つからない。電話オーダーでなら、冷えた注文と違うピザならベルギーでなんとかなるが…である。
2006年01月13日
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日本とオランダとの関係は深い。当時出島からは、日本のものがどんどんと海外に流れていった。しかしオランダのものはほんの少しづつだけであった。このオランダというのは、HOLLAND地方のことで国全体をささないのだ。ネーデルランドNEDERLANDがオランダ語で、英語ではTHE NETHERLANDS、つまり(平均身長は高いが)低い国と言う意味である。海面より下である。だから運河や水車が発達するのである。一度知人にブレダ出身(ホーランドでない)の人がいて、日本人がオランダと言うたびに、ホーランドじゃないんだ、ネーデルランドなんだと繰り返していたことがある。彼は手帳に地図を書いて説明ばかりしていた。オランダに行ったら、ネーデルランドと言ってあげよう。
2006年01月13日
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アムステルダムに来た日本人は必ずといっていいほど「アンネの家」を訪れるということである。私はまだだが、あんな恐ろしいところに行く気もしない。映画(オードリー・ヘップバーン主演)で有名になったが、まだ本を読んでなかったので、やっとこの年になって翻訳版を読み始めた。毎晩一頁というリズムである。(昨夜のページは隠れ家に入って少し慣れてきたところである。水の工事のせいでトイレに行けなかったとかいうところ)そして、今になって気がついたのだが、原作はオランダ語であったのである。読んでいるのは英語版であり、ロンドンで買ってきたものだ。なにもイギリスまで行って高い翻訳版を買うより原語版をいくらかは安くベルギーか、アムスで買えばいいものを何故かオードリー・ヘップバーンが英語をしゃべったので英語でなくてはと勘違いしていたにすぎない。あほである。(この「あほ」というのは大阪ではよく言うことばで、別に意味はない、ばかというよりゆるい)断っておくが、私の主義として原語を読むのであって、そのほうが作者の意図がわかるから、よって無理して原語を格好つけて読むのではない。といっても辞書を引き引きではなくて、さっと読んでしまうタイプである。横道にそれるが、このオードリー・ヘップバーンはベルギーにも住んでいた。どの家か忘れたか、確かにここだというプレートが小さく出ていた。ブリュッセルには、ヴィクトル・ユーゴだけでなく、他にも多くの有名人が住んでいた。この話はまた別の機会にする。さてアムスにはレンブラントの家もあるし、運河の飾り窓もある。観光するには、運河クルーズで約一時間ほどで飾り窓以外のポイントを回ってくれて便利である。それにブリュッセルにも飾り窓はあって、いろいろ労働問題で話題になっているが、この前には運河でなく電車が走っている。美術館が苦手の方にはパスしてもらってもいいけど、レンブラントの一枚でアムスの国立美術館にある自画像画でお気に入りがあるのである。ここはあの「夜警」のあるところである。あまりにも有名であるが、これは一見の価値は十分にある。ゴッホ美術館より空いている。日本で話題になったフェルメールもある。特にハーグのほうにも美術館があり、あの青いターバンの娘がいる。この映画も英語だったが・・・他にも広い空間にのびのびと展示されているのを見ると気だけでもリラックスする。キューケンホフの美しい花壇、周りのチューリップ畑、あくまでも平たい土地にゆったりと回る風車や水車を見ていると、小さいオランダなのに広々していることがわかる。人々はあくせくはしていないようである。にっこりする余裕を持っている。ワンダーランド、オランダである。と以上好ましい面を拾ってつづりました。まだまだ後日続けます。http://www.infoseek.co.jp/IMGInfo?svp=SEEK&imgurl=http%3A//www.rembrandt400-leiden.nl/layout/rembrandt_zelfportret.jpg&imgrefurl=http%3A//www.rembrandt400-leiden.nl/ja/renburantofanrainttedare/&h=230&w=180&sz=15&tbnid=Sb5FFhG3X9RByM%3A&tbnh=103&tbnw=80&smy=...+%3Cb%3E%A5%EC%A5%F3%A5%D6%A5%E9%A5%F3%A5%C8%3C/b%3E+%A5%D5%A5%A1%A5%F3++...&prev=/ITitles%3Fcol%3DWI%26qt%3D%25A5%25EC%25A5%25F3%25A5%25D6%25A5%25E9%25A5%25F3%25A5%25C8%26svp%3DSEEK%26nh%3D20%26st%3D120でレンブラント見てください。
2006年01月13日
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さて、あの教会はあとに回して町を一周してみたのである。ところが途中の印象派の展示されたシャトーで時間をくってしまい、結局小走りで先ほどのゴッホの家の裏横のある小道を抜けてあの有名なカラスの麦畑に出たのである。ここではシャッターをはばかりなくきった。誰もいない、広い畑であった。カラスが出る時間ではなかったが、中国人らしきツーリストたちと出くわした。先の畑にぽつんとバスが一台とまっていた。そのままひかれた一本の小道をいくと、目的の静かな墓地に出たのである。ヴァンサンとテオのVAN GOGH兄弟の並んだふたつの墓石が大きな糸杉の前に眠っていた。ツタでしっかりと覆われていたのが印象的だった。空はあくまでも青く、レンガの塀は赤かった。一匹のトカゲがスルスルと塀をつたって消えた。静かな空気が流れた。「ここまで来るのにご苦労さん」と言って(写真にとって)そこをそっと去った。あとは道を降りていくだけだった。教会では、なんとお葬式の用意で喪服姿の人が出入りしているところだった。お香も中からただよってきた。ふと、ここは自殺したゴッホの葬式を拒否したところだったと思い出した。そして、今回私も中にはいれない・・・とにかく外に出て、ついに問題の教会の前に立った。私の馬鹿チョンカメラでは反対側にある塀がじゃまして全体をおさめることが出来ない。建物は結構古いが普通の教会である。ゴッホが見たのはもっと色のきれいな教会だっただろう。屋根も赤い色が原作では鮮やかだった。時とともに形あるものは消えていく。しんみりした感動に浸ってパリに戻った私は、まだ明るく、非常に暑いので涼を求めてセーヌ川に出た。夏の休暇を過ごす人で一杯だった。しかしどう考えてもあの空はただ青いだけだった。そこで私なりの結論を出すと、彼は南仏が忘れられなかったのだろう。それであの深い群青色の空を描いたのだと・・・また、考えようによっては、あのふちの暗いあおさは浮世絵の影響のようにも見える。同じ空を想わせる最後の一枚「カラスのいる麦畑」を私はまともに見ることが出来ない。不気味であるうえに、何かにたかるカラスの鳴き声が聞こえてくるのである。にもかかわらず、アムスではカードから、カレンダー、ノート、カバンにマウスパッドにプリントされて売っている。平気でおみやげに買って行く人の気が知れない。これでひとまずゴッホの章は閉じる。
2006年01月12日
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手元にオランダ政府観光局からのメールがきているので、暇な方はどうぞ楽しんでくださいまし。。。ディック・ブルーナ・ハウス ミッフィーのお家2006年2月18日オープン(場所はユトレヒト)www.dickbrunahuis.com/jpアムステルダムにもブティックがあります。大きなオランダ産を小さく切ってくれるチーズ屋さんの隣です。小さいお店ですが、ミッフィーグッズで一杯です。以上は広告ですが、一セントもコミッションはもらってません。ではオランダを離れたゴッホの話にもどります。思ったより長くなりそうで困りました。それでも一読してもらったかたには感謝いたします。なるべく余計なおしゃべりはしないように気をつけます。
2006年01月11日
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つづき…わからないと余計に何としても知りたくなる性格を持った私は、画家ゴッホの墓参りを兼ねて(格好よく)巡礼の旅に出ようとしていたのである。とはいえ、実はすでに南仏のアルルからサンレミーの方は訪れてしまっていたのである。(この話は別の機会に「南仏の奇跡」とかで…)パリから60kmあたり北のAUVERS-SUR-OISEにさっそく出かけることにした。当時はマイカーがあったので、それでいけば良かったものの、パリに出かける気持ちのほうが勝って、タリス超特急の払い戻し、変更の一切きかない格安チケットを購入した。なんどもパリには出かけているので慣れたものだったが、夏の季節はやはりぶらぶら人が多い。しかしどうしてもあの教会が描かれた時期に行きたかったので混んだ時に無理して断行した。ところが、パリから郊外電車に乗る際になって、初めて気がついたのだが、直行車が無いという事である。つまり、途中で乗り替えなければならないのである。パリから約一時間とたかをくくっていた私は、この乗り継ぎ事情の悪いフランス国鉄の線路に投げ出されたかのように、真夏のじりじりの太陽(その夏は格別の暑さ)を避けるひさしも屋根もめぼしいものは何にも無い無人のような駅にまるまる一時間半、乗り継ぎで足止めをくったのである。「これじゃ帰りは3時間かかる」とパリに戻る最終の連絡ダイヤを確認した。あまりに暇で、他の電車も通らない、何度も何度も時刻表を見つめたせいで殆ど、上がりと下りも全部暗記してしまった。やっとのことで降りた駅には、何のそれらしき標識「ゴッホの記念館はこっちです。」がなく、ただ出口が線路の両サイドにあるだけ。とにかくまばらな人が行く方向に進んだ。そして、間もなく「ゴッホの記念館」の標識を見たのである。向かいのツーリスト事務所に駆け込んで(昼休みに入る直前)で簡単な地図をもらってひとまず、記念館に行った。しかし、午前の最終グループはすでにスタートしていた。「午後からだとパリにはヒッチハイクしかない。」と心の中でつぶやくと、切符売り兼記念品売り場担当のお姉さんが、「今は皆スライド室だから途中ではジョイント出来ないけど、終わるの待てばええんよ。」と裏口から入れてくれたのである。スライド室の扉の横にゴッホの部屋というのが目にはいった。誰もいないからいいか~と、シャッターを切ろうとしたが、止めて、そろりとそこに入った。中は狭く何にも飾りもなく、ベッドの枠だけおいてあった。壁に触りながらなぜか私は感動してしまい、シャッターどころではなくなったのである。その時隣から椅子が動く音を聞いたのでまたそっと部屋を出た。他のツーリストたちとお決まりのコースを回り、最後に最初のスライドを見るためにまたあの部屋の前に舞い戻った。次のガイドさんが、ゴッホの部屋の前で説明していた。なんと中には入ってはいけなかったのだ。写真も禁止ということは知っていたが。外に出ると抜けるように青い空があった。しかしブルーはあくまでも青であって藍ではなかった。(単純に青いのでなく、群青色という蒼や藍である。)その2につづく
2006年01月11日
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2004年11月かすんだような曇った日に画家のVincent VAN GOGHの遠縁にあたる映画製作者のテオ・ヴァン・ゴッホがアムステルダムの路上でイスラム教徒により殺害された。これはそれまで“平和”だったアムスの街を変えてしまった。このテオはイスラム教を批判する映画を作ったということで殺害されたのであったが、実際には、この批判はイスラムの内側から発生したものらしい。つまり、イスラム教徒である一女性がテオに製作を依頼したということである。詳しいことは省くが、この映画はイスラムサイドでなくとも大きく刺激を与えた事件であった。それ以後のアムスには私は出かけていないが、2005年に行きそびれたのであるが、なんとなく不安に感じる。画家のヴァン・ゴッホは一応自殺ということになっている。パリの近郊のAUVERS-SUR-OISEというところであった。私がいつからこのVINCENTに興味を持ったのかはわからないが、間違いなく彼をモデルにした映画が今でも鮮明に脳裏に焼きついている。(カーク・ダグラス主演)彼は自分の画にはこのVINCENTだけを残している。しかし、私は彼が描いたものよりも人物に惹かれたのである。だからどの画が一番好きと言われても、どれも好くて困ってしまう。ひいて言えば、糸杉が星空に伸びているのが好きである。ニューヨークにある画である。今回まさか、この日本人がなぜか好む画家のことをつたつたと述べるわけではないが、彼が日本に行きたかったということだけは述べておきたい。日本は彼のあこがれの国だったのだ。彼はオランダ人であるが、ベルギーにも、イギリスにもフランスにも訪れそれぞれに住んでいる。ブリュッセルにもアントワーペンにも居たのだ。オランダ語だけでなく、フランス語も堪能であった。子供の時から好きだったゴッホだが、父も好んでいたらしく、新しい家に引越した時に玄関にもちろん複製だが絵をかけようということで、ゴッホの最後の住地であるAUVERS-SUR-OISEの教会のに決めたのである。あのゆがんだ屋根や壁の教会である。ただゆがんだだけでなく、全体がずれたような感覚を抱いた私はいつか実際に見て、意図的なものかどうか確かめたくなった。さらに5年ほど前にふと、AUVERS-SUR-OISEが南フランスでなくパリの近郊であるということに気がついたのである。なんとばかなことかと思われてもしかたないくらいに、私にはあの青い空が南仏のものに見えていたのである。私は5年ほど南仏に滞在しているから、どうしてもそう思い込んでいたのである。パリの郊外であんなに空が蒼くなるはずがない。ということで他の印象派たちの絵も参考にしてみたものである。また、専門家に尋ねてはみたが、答えは得られなかったのである。http://www.blue.fr/vangogh/p13.htmを参考にしてください。 つづく
2006年01月10日
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オランダの乳製品は濃くておいしい。コーヒーのいまいちの味がミルクでミラクルにおいしく感じる。特にヨーロッパの北ではバターをたっぷり使ったビスケットが人気がある。この書き込みをしながらよく食べるのが、フランスのバタービスケットで製品になったPETIT BEURREである。メーカー名は伏せておくが、日本でも売っているらしい。(どうしてもこのビスケットのことを先に書きたくなったので、オランダに入る前にちょっとだけ触れておく。)口当たりはサクサクでバターの風味が心地よい。3枚づつ小袋に入ってるので食べ過ぎることは無い。私には朝のこの2袋でちょうどである。コーヒーでも紅茶でも緑茶でも何でも合いそうなサクサクビスケットである。このバターのにおいは、決してバタ臭くなく、なつかしいお乳のかおりなのだ。偽物もあるので本物にこだわるべきである。何のへんてつもないただのビスケットである。しかしいつも買ってしまうのである。オランダの生クリームもおいしい。コーヒーには牛乳で十分である。話を逸らすと、ワッフルが有名なのはベルギーである。
2006年01月09日
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あんた居(お)った、お~らんだーあなたは居たのか?居なかったんだという意味といって遊んだ経験はおそらく私だけだろう。さ迷えるオランダ人のことを書いている間に、ふとゴッホのことを考えてしまった。画家のゴッホである。彼はまさしくオランダ人であった。今アムステルダムに彼の名前の美術館があって、そこでは多数の作品とじかに向き合える。いつも人で一杯になるのだが、冬なら夏のような長蛇の列は無く、比較的容易く鑑賞できる。私はここにアムステルダムにひとりで行くたび出かけている。絵画とはひとりでじっくりと、自分のリズムで鑑賞するものだと思う。ベルギーはオランダの隣国である。少しだけだが、ゴッホが好きな私には何やら縁がある。しかし平均身長が180センチ以上もあるようなオランダ人にとって、私など蚤みたいな存在だ。それは横に置いといて、私のゴッホの旅の書き込みを少しだけしていく。興味のある方はご期待あれ。
2006年01月09日
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私が内地にいない間にいつのまにか、カタカナ語というのが出来ている。これが日本語独特のものであるということは日本の住民は理解しているのだろうか?昔カタカナは表記に使われたり、外国語を読みやすく!するためにもあったものだが、今はその他所の言葉のオリジンの発音を殆ど無視して、日本語の「漢字」(日本だけの国字も含めて) 「ひらかな」 「カタカナ」(第二次大戦敗戦後の使用状況) 「ローマ字」(カタカナに頼らず外国人の名前を書くため)に加えて新しく「カタカナ」パート2(第二部)ができあがっってしまったのである。「カタカナ語」と呼ぶならそれでも好いが、そうなると、「ひらかな語」や「ローマ字語」、ひいては「漢字語」としなければ、おかしくなる。すでに、「日本語」の「語」があるのに、その中に更にカテゴリーがあるというのは複雑な日本語が更に意味も無く複雑になっているのである。そのため外国人が日本語を習うのを非常に躊躇はするが、一度習得したら今度は誇らしげに関東のアクセントでしゃべりまくり、嫌味な印象を私の耳に残す機会が更に増えようというものだ。これは、スタンダードな日本語が東京語をもとにしてあるようなので、中国語の北京語のように、語学学校では東京のアクセントがつくのである。それ自体が耳につくというのではなく、自慢げにしゃべる外国人を聞いていると腹が立つだけなのである。マルセイユでパリのアクセントで口を開けば、戎橋(近くに「8」というとてもおいしいジュースの店が以前あった、大阪の中央)の駐在所で江戸っ子が道を聞くようなものだ。結論からいうと、これで更に更に日本が特殊なドメイン(これはフランス語の読みカナ)に押しやられるということだ。私は言うにも及ばず、この「カタカナ語」が大嫌いである。しかし人の声も同様であるが、アクセントや言葉がどうのこうのでなく、その人が問題なのかも知れない。「言葉は誤解の元」(直訳)とフランス語では言う。伝えたいことの7%ほどが言葉であって、あとは声の調子とか、態度とか、気持ちとかというのを読んだばかりである。声に出して会話出来ない方たちにとって、手話などの手段は不可欠ではあるが、もっと大切なのは伝えたい気持ちではなかろうか。言葉に惑わされてはいけない。手紙であっても、本当に伝えたいことは書かないものである。ましてや電子メールでの気軽な伝達方法では、じかに心が伝わりにくい。日本人が「じか」のつきあいが出来なくなる日はそう遠くない。
2006年01月06日
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妹がベルギーに来てくれました時に、ロンドンでB&Bを体験しようと二人で出かけたのです。夏の催しのカーナヴァルは見れなかったのですが、(ガイドに載っている週末と一週間ずれていたのです)帰るまでに時間がたっぷりあるからちゃんと食事しようということで、OXO(オクソ)タワーの上のレストランに行きました。彼女のクレジットカードで払うということで、(私のカードは制限越しそうだったのです)安心して注文しました。料理はコンチネンタルというか、ヌーヴェルキュイジ~ンというか、フレンチでもなく、ナチュラルでもなくでした。私は馬鹿でかいお皿に関心を寄せていましたら、妹のほうが、「あっ、髪の毛や」(大阪人です)と言うのです。確かに毛のようなのが入ってました。「呼んで換えてもらうか、お金引いてもらうとかしたら」と言って、私は知らん顔をしてました。彼女は給仕のお姉ちゃんを呼んで見せたのです。「これ、けぇやでぇ」(これは毛ですよ)と。すると妹よりもあきらかに若いお姉ちゃんは、「オー、ケー」と言って、そ知らぬ様子でお皿をそのままさげました。殆ど食べ終わってたのでよかったのですが!?、私は何か言う言葉も失いました。関東の友達が私と息子の会話を聞いていると、まるで漫才というのが理解できました。たくましい妹でさえ、「しゃぁないなぁ」(仕方ないね)ということで終わりました。あとは、ちゃんとデザートとコーヒーを注文して、お勘定を済ませてベルギー行きの超特急に乗りました。我々大阪人と生粋のロンドンっ子の間には何か通じるものがあるのでした。これは実話です。
2006年01月05日
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年末にいただいたドイツのおみやげバームクーヘンを食べ終えた。これが何だか知らない日本人はまずいないだろう。抹茶のバームクーヘンというのを楽天市場で購入したが、確かにバームクーヘンであった。昔、あれは樹の年輪だと言われて、歯が欠けるのではないかと心配したこともある。ところが、実物はほんわりしていて、甘くておいしかった。でもゆっくりと口の中で溶かして食べたのを覚えている。それ以後は一枚づつはがして食べたりしたこともある。その年輪ケーキを食べる際に、中央の穴の中に押し込められたアルミホイルにからんだ一枚の口上書きを引っこ抜いた。もちろんドイツ語だった。しばらくドイツ語とは仲良くしていなかったので、ちょっと不安だったが、ちらりと見ると、食べ方が絵で載っていた。どうやって切るかというもので、説明文も至極簡単であった。気を許して最初のほうを見ると、(読むと)このケーキのオリジンが載っていた。なんと、なんと、な~んと、バウムクーヘンはギリシャ発祥のお菓子らしい。オランダ国家の国花のようなチューリップがトルコ出身であるというのも驚いたが、今や日本の茶の間の国民菓子と化したバームクーヘンがギリシャ生まれであるとは…世の中おもしろいことが多いものだ。ベルギーやオランダあたりでとれた数の子が札幌で手に入るのもおもしろい話だが、我々が住むこの世界には実にいろいろな物が旅行しているということである。私はアフリカでとれる小豆を煮てぜんざいを作ったことがある。フレンチセパージのワインだけでなく、肥沃が残っているアフリカでは欧州種のりんごなどの果物も作って、ヨーロッパに輸出している。これは旅行というよりは、トルコの花で大儲けしているオランダ人、更に彼らはジパングにも来ているが、アフリカのダイヤモンドでこれまた、しこたま儲けている商売魂実に逞しいひとたちの為せる技であるというほうがふさわしいと思うのである。ついでに、ワーテルローと言う名も各地で使われているが、歌にもなったが、ワーテルローの戦いのワーテルローはベルギー、ブリュッセルから南へ15キロメートルほど行ったところにある。古戦場として今は何も無い畑の真ん中にポツンとライオンの山がある。この戦いではナポレオンが敗れてウェリントン率いるイギリス軍が勝ったにもかかわらず、この地を訪れる人たちは、ナポレオンを讃えにくるようである。こちらはコルシカ人であるが、フランスからベルギーからドイツ、ロシアまで攻めて敗れて、その際にその各地で置き土産をしたまさに、さまよえるナポレオンであった。
2006年01月05日
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今日は母の誕生日です。楽天市場で緑茶のお菓子を届けてもらいました。我らは母がいるから存在するのです。父だけでは出来ないのです。同じ血を分けた兄弟や姉妹がいて、従兄弟たちがいて、自分は皆と繋がってるのです。この親戚が非常に多いので、私はお正月だけは避けて帰国するようにし(とり)ます。こちらにもお年玉の悪習慣ありますが、大半は年が明けたら知らん顔してられるので便利と言えば便利…かなっ?!お葬式でも結婚式でも現金を包むというのは、日本だけなのかしら…ね。
2006年01月04日
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世界各国のニュースでは、2004年末の津波のような大報道がなかっただけでもほっとした年越しでした。あとは静かな悲劇が続くだけです。今年はどんな年になるでしょうか。ヨーロッパのほうは、寒く年越しでした。街中で久しぶりの雪用の帽子をかぶりました。大晦日には締めくくりに「キングコング」を見に行ってきました。3時間があっという間にたってしまいました。その前に中華レストランで海鮮粥を食べて、前から気になっていたしゃれたカフェに行ってカフェタイム、あと特別アイスのフレーバーを味見いたしました。内輪だけよということで、おすそ分け願ったのですが、これが今の季節にぴったりの味でした。フォアグラなどの肝料理と実によく合う果物。 といえば、そうです、無花果(イチジク)でした。現実に戻って、大掃除なんてできず終いで、パイをやっと一枚焼き上げただけです。祝日が日曜日だったせいか、思ったより落ち着いた時間が持てなくて、時間とのかけっこでした。でも気分だけは静かで、何でも来いというところです。今年こそは、今年こそはと毎年言ってますが、「今年こそは」です。皆様、健康第一です。またずけずけと思ったことを投稿していきます。
2006年01月03日
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