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僕は日頃、ぼーっとしてるときもそうでないときも、雪が積もらないからつまらない!とか、カレーを食べると頭があったまる~(実は顔だけ汗かくんです・・)とか、新幹線には感心せん!といった、文字通りつまらないことを「いつも」考えてる人間です。 いわばダジャレ、今風に言えばオヤジギャグの類を、ご幼少の頃から愛好しております(^o^)v 今日は、自己弁護も兼ねて!(笑)、その効用について考察してみましょう。 まず、ダジャレとは何かを考えてみると、一言で言えばそれは「言葉の置き換え」です。ある意味の言葉を、似た音を持つ他の言葉に置き換える・・・この言葉の置き換えという作業に慣れていることが、ものすごく実生活に役に立つんです。 僕は過去何回か、毎日英語のFAXやメールをやりとりする仕事をしましたが、そのとき英作文のコツをつかみました。英作文のポイントは、いかに自分の知ってる英単語で表現できるように元の日本語を置き換えるか、なんですね。日本語の文章はそのままで、それを表す英単語は、、、とやっていくといくら時間があっても足りません。 人と話すときもそうです。 相手と深くコミュニケーションを取ろうと思ったら、相手の理解度に合わせて言葉を選びながら、その人にとってわかりやすく説明する必要がありますが、その際にもやはり、言葉の置き換えに熟達してると実にスムーズな説明ができます。 次に、ダジャレの生成過程における作業を、もう少し細かく見ていきましょう。 大きく以下の3段階に分かれるのではと思います。 (1)言語データベースのスキャン (2)スキャンにより発見された中から、最適な言葉を選択する (3)それを表現するのに最適なタイミングおよび自分の意識状態の選択(あるいは創出)(1)ある言葉を聞いてそのダジャレを考える際は、必ず自分の言語データベースにアクセスして、類似の単語を探してます。 その過程で、色んな言葉が浮かんでは消えるわけですが、このときに自分の言語データベースがリフレッシュされるのを感じます。つまり、どこかの本でちらっと読んで記憶に片隅にあるだけの言葉も、この作業を通じて自分が実際に使ったのと同じ印象を持つことができて、以後忘れません。きっと普段使わない脳内のシナプスが強化されるんでしょう。 また、この言葉を思いつく過程というのは、決してロジカル一辺倒な作業ではなくて、かなり神秘的だと思ってます。言語データベースに入力を与えると、中でなんだかカチャカチャとスキャンしてて、ポン!と答えが出てきます。いわば頭の中のデータベースサーバーに、「これこれに似た言葉を探せ」と意識でプログラムをしてるようなもんですね。 このとき中で行われている作業について、僕の顕在意識はほとんどタッチしていないわけで、一体このサーバーを動かしてるのは誰なんでしょうね。言葉だけではなくて、絵画だろうが音楽だろうが電子回路設計だろうが、あらゆる創造的行為の大元の部分は、自分の顕在意識ではないところで生み出されてると思ってます。(2)言語データベーススキャンの結果から、いくつかの言葉が浮かびあがるわけですが、その中で最適な言葉を選ぶという作業が、また楽しいですね。ここは明らかに顕在意識の部分の作業です。過去の経験とあわせて、最も効果的で自分でも楽しいと思える言葉を選ぶ・・・センスを磨く部分でもあるし、自己評価の練習にもなります。(3)中々いいのができたわい、と思っても、その出し方を誤って“真っ白けな空間”を作り出してしまうと喜びが半減します(^^; だから、否が応でもその場の“間”“空気”を読むようになります。これはまさに、相手の話に注意を払いながら、しっかり自分の言いたいことを言うという練習です。 さらに、思いついたダジャレがあまりにも今の話題とはずれてるときは、相手に違和感を感じさせないための前フリまで用意するわけですが、長年のこうしたダジャレのための演出努力が、僕のプレゼン能力の根幹をなしていることは、ほぼ確実です(笑) ダジャレを言う際に、相手の評価を期待して、笑ってくれないと落ち込むような感じで言うと、無意識のうちに相手が「重たさ」を感じるので、まず受けません。したがって、いかに相手にすがらずに自分で楽しむ状態を作るかがポイントです。こうした状態を作る作業は、心理学で言うところの自己肯定感を高めるのにとても役立ちます。 またその裏返しとして、図らずもはずしてしまった場合に、いかにしてメゲナイか、これが大事ですね。 昨今は、何かと「自分は○○で傷つけられた」という主張が横行して、傷つけた側を糾弾する意見が目につきますが、逆に傷つきにくい自分を作るためにも、普段からダジャレを飛ばすのはよろしいんじゃないかと思ったりもします。人は失敗を繰り返して、それでも大丈夫な自分を発見して強くなっていくもんです(^o^)v 以上、ダジャレの効用について、我田引水であることは合点承知の上ですが(笑)、長々と自己弁護をさせてもらいました。 今、争ってる国々、民族、組織、家族も、のんきに頭をひねってダジャレを飛ばしあえるような関係になってくれたらいいなあ・・・
January 28, 2004
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今日は、知り合いから紹介された「鳥居礼」という大和絵のアーティストの個展をやってるという市内のギャラリーに行って来ました。 実は出かける前に、たまたま秀真伝(ホツマツタエ:記紀以前の古文書)ことを書いたHPを見つけてブックマークに入れておいたら、なんとこの鳥居先生は、秀真伝の研究の第一人者でした。おー、久々に強烈なシンクロ! 西洋の近代文明が行き詰まりを見せてる今こそ、天地人が一体となった古代日本の宇宙観を復活させようと活動されてる方のようです。本を買ってきましたが、古代史や神話、哲学や物理、精神世界のことまでも含んだ内容なので、僕にピッタリ!と喜んでおります。 その後、ギャラリーの店員さん(♀:僕より10歳くらい上かな)とハーブティーをいただきながら2時間近く話しましたが、その方は、以前僕の知り合いが福岡で『ミュータント・メッセージ』(角川書店)のマルロ・モーガンさんの講演会を開いたときに、一緒に活動されてた方だということがわかって、ここでもシンクロでした、 で、そのとき聞いた内容がとても衝撃的だったんですが、それをここに書くことを、僕の身を案じて(大げさな・・)かみさんが心配してるので、少なくとも1週間は保留~(^o^)丿
January 25, 2004
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福岡の雪は、まだ所々は残ってますが、ちゃんと雪遊びができたのは1日だけでしたね~(残念)。でもあの日は一応、会社に行く前に娘と雪だるまを作ってから行きました。うちの娘は、まともに「つらら」を見たのが初めてで、美味しそうに食べておりました(笑) さて、我が家は今日は義父の7回忌の法事だったので、大分から親戚がやってきました。 当初の予定では、老若男女合わせて10人くらいがうちに泊まるはずだったんですが、雪と風邪により3人になってしまいました。それでも、仲の良い兄弟たちに囲まれて義母はとても嬉しそうでした。 年取ってからも兄弟がこうして仲良くつきあえるのっていいよなあ、と義母を見てていつも思います。考えてみれば親より長い付き合いになるわけで、仲良くしとくに越したことはないですね。 ところで僕は、昼間からたくさん飲み食いしたので、ややグロッキー気味・・・(^^;
January 24, 2004
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やりました! ついに福岡市内にも雪が積もりました\(^o^)/ いや~、なんだか雪が積もるとそれだけでワクワクしますね~。 雪国の人にとってはなんということもないことでしょうが、2,3年に一度、ちょぼちょぼと申し訳程度に降るだけの地域に住んでる人間にとっては、お正月以上に貴重です(笑) なんだかこう、普段なにかとゴタついて雑然とした世の中がしーんと静まり返って、白一色の清らかな世界に生まれ変わるようで、心洗われる思いとはかくなるものかという気がします。 その気になればわずか一日で世の中を変えることができるんだぞ、と神様が教えてくれてるようにも思います。 僕らの心の中のゴタゴタにも、たまには雪を降らせてあげて、あ~自分の心も捨てたもんじゃないなあと感じてみるのもいいかもしれませんね。 なに? 解けた後がドロドロ? 心配めさるな。中途半端に解かすからいかんのです。どうせなら雪解け水で、ゴタゴタを全部流し去ってしまいましょう!(笑) さて、明日の朝は早起きして雪だるまを作る予定です(^o^)b
January 21, 2004
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夏休み明けあたりから、膝がよく痛むようになって、お灸をしたりつぼシール貼ったりしてました。毎日20kmの道のりを自転車通勤してますので、まさか運動不足ということはないだろう、やっぱり冷えが原因かなと思ってました。なんせうちの会社のビルは、エアコンの送風口が床にあるので、夏場はやたら足元が冷えるんです。 でも色んなことやっても中々よくならないなあ、と思ってたら、10月に東京出張に行って、あちらこちらと歩き回ったり、飽きるほど階段の上り下りをしたら、その翌日---「おや、なんともないぞ?!」 この一瞬でわかりました。 いくら毎日自転車こいでいても、一日の半分以上は会社でPCの前に座りっぱなしなわけで、ろくに膝に体重をかけていなかったんですね。 それでさっそく、朝晩の通勤の20kmのうち4kmくらいは、自転車を降りて歩くことにしました。歩き始めは、膝だけでなくあちこちと痛みが移動するんですが、気にせず歩いていると、足があったまってきてどんどん潤滑油が出てくる感じです。 そうしてはや4ヶ月・・・もうほとんど痛むことはなくなりました。 いや~、なんとかなるもんですね~。だいたい体の不調なんてのは、使い過ぎてヘロヘロになってるか、使わなさ過ぎて怠け癖がついてるかのどっちかだなと思った次第です(笑)
January 19, 2004
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今日は娘の入学に備えて、机とベッドを見にここに行ってきました。 ここでは、お兄ちゃんの机とベッドも揃えて「当たりやったね~」という思いを強くしてましたので、初めから買うつもりで、部屋の寸法に合わせてプランを練りに行ったという感じです。自然な木の風合いがいいのと、後々のレイアウト変更の自由度が高いので、福岡近郊の方はぜひおすすめです。マリナ通り店のお姉さんの接客態度も、落ち着きと気品と頭のよさがうまくミックスしてて、実にすばらしい!(笑) で、今日はそのお店でバランスチェアなるものを、じっくり味わってみました(興味ある人は、googleで調べてみてください)。 で、感動! Lycos時代からおつきあいの方はご存知でしょうが、僕は昔、ここから3回シリーズで、腰骨を立てることについて書いたことがあって、今でも鋭意努力中なんです。ところが、普通の椅子でやろうとすると、悲しいことに30分続けるとヘトヘトになります。腰骨を立てることにのみ集中してない限りできないんです。 ところが、このバランスチェアだと、それが無理なく当たり前のようにできる!! 正座が腰に良いことはご存知でしょうが、この椅子に座ると、いわば“ゆるやかな正座”といった感じになります。正座からお腹と足の圧迫を取り除いて、腰骨がシャンと立ちます(だから妊婦さんや腰痛持ちの人にもいいそうです) まったく、今までの努力はなんだったんだろうという感じです(^^; 背中が丸くなったり、つい足を組んでわざわざ腰骨を歪ませるようなことをしたくなるのも、椅子の出来が悪いからだということがよくわかりました。 椅子の座面が平らな椅子より、前が下がってる方が自然に腰骨が伸びます。試しにお尻の後ろ半分の下にクッションでも入れてみるとよくわかります。 とても気に入ったので、子供たちの分は元より、書斎の椅子も買い換えようと思ってるんですが、これが結構なお値段なんです(^^; 通販やオークションで安く売ってるのは知ってますが、やはり椅子は実際に自分で座って確かめたやつの方がいいし、一生使える家具だと思えば、ここは投資のしどころかなとも思ってます。 それに我が家は、「心と体の健康のためとあらば、直感で選び理性で判断してOKとなったものには、ほぼ見境なくお金をつぎ込む」ということを長年やってきて、その結果病院代はほぼゼロとなってる家ですので(※貯金もそんなもんですが・・笑)、この椅子も多分我が家にやってくることになるでしょう。 それにしても、姿勢に与える椅子の影響の大きさを痛感した一日でした。 昨今の小学校の授業参観に行くと、授業中ちゃんとした姿勢で先生の話を聞いている生徒がほとんどいないことに愕然としますが、学校では難しくても自宅で背筋を伸ばす癖がつけられれば、これはその子にとって大きな財産だと思います(背骨は気の通り道なので、ここの歪みは万病の元なんです) 椅子には、ぜひお金をかけましょう(^o^)丿
January 17, 2004
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※本日、マイクロソフトの方からセキュリティ関連のパッチがUPされてます。 皆様、Windows Updateをお忘れなく。 実は、速読の通信教育を受けようと思ってます。 僕は本を読むのは決して遅いほうではありませんが、読みたい本の量と読書に当てられる時間が反比例している現状を鑑み、なんとかしたいと思ってる次第です。 それで、どこの通信教育がいいのか調査をかけようとしてるんですが、もし皆さんの中で経験者の方がいらっしゃいましたら、“こっそり”でも結構ですので、情報を提供してくだしゃんせ♪ 原理的には、何らかのテクニックにより、集中力を高めるんではないかと思ってます。それもギンギンのβ波的な集中力ではなくて、ポワッとしたα波的な集中力。スポンジが水を吸い込むがごとく、本の内容が頭にスーッと沁みてくるような、そんなイメージかな。 請う体験談。
January 14, 2004
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昨日は、晴れ着の女性を何人か見て、なんだろうなと思ってたんですが、成人式だったんですね。どうも成人式というと1月15日という印象が強くて、ピンと来ませんでした(^^; 成人式の起源はよくわかりませんが、かつて「奉公」ということが行われてた頃は、1/16と7/16が「薮入り」といって、奉公人に自由が与えられる日(それ以外は休日なし!)だったので、それと関連してるのかなと勝手に思ってます。 ちなみに、僕は大学1,2,3年と、3回成人式に出ました(爆) 最初の2回は目黒区、3回目は世田谷区です。だって、成人式ってタダでたくさん飲み食いできるし(貧乏学生だったもんで・・・)、B級とはいえ芸能人も来るし、そのくせ誰が入ってもわからないしで、毎年楽しみにしておりました。もちろん、“二十歳の献血”も3回やりました(^。^)b その成人式が、最近はなんだか荒れるらしいですね~。 荒れるというから、かつての安保闘争のように、自衛隊イラク派遣反対デモとか市長の吊るし上げでもやるのかと期待したら、ニュースを見ると、なんだか情けない気が、、、(^^; 最近は、中学・高校のクラブの試合まで親がついていったりするらしいですが、成人式まで親が目を光らせるとは・・・・それのどこが成人じゃい!(笑) 若いうちは正義感が強くて、世の中の矛盾が許せなくて、言いたいことがたくさんあるのはわかる。ならば、そうした自分を認めさせるのにもっと効果的な方法を選んだらよかろうに。それとも、若者が意見を表現する場って、そんなに枯渇してるんでしょうか? 僕が思うに、やはり「自分はこう思う」という自分の考えを表現し、さらに意見の相違を超えて相手とコミュニケーションを図る練習が、子供の頃から不足しているのではないかと感じてます。今の子供たちばかりではなく、僕らの世代だってそうです。 教育は国家百年の計といいますが、ぜひ今から百年後のために、あらゆる教育現場に「コミュニケーションの時間」の創設を!
January 13, 2004
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今日はかみさんが一日仕事なので、子供たちと遊びました。 近所に鴻巣山という、展望台もあり散策にも最適な山があるので、3人で行ってきました。子供たちのリクエストにより、パンと飲み物を買って展望台で食べましたが、こうしたちょっとした“買い食い”だけでも大喜びです(笑) 食べた後は、山の中を走り回ったり、落ち葉をたっくさん集めてベッド作って寝転がったり、思いっきり遊びました。睡眠不足のお父さんは、最後の方は石に腰掛けて、コックリ、コックリ・・・ さて、しつこく生命場の話を書こうかと思います。 昨日までよりもっとぶっとんだ話ですので、眉にツバつけるのを忘れずに(笑) 生命場の正体は、現代科学でははっきりとつかんでませんが、でもこの生命場の存在は、ちょっと練習すれば誰でも感じることができます。 心を落ち着けた状態で、自分の手のひらを、自分あるいは家族の体に少しづつ近づけて行きます。すると、皮膚に触れる数cm手前くらいで、ピリッというかザワザワッというかチカチカっていうか、微妙な変化を手のひらに感じるポイントがあります。人によっては、フワフワと押し返すような感じを受ける場合もあります。同様に、1m前後のところでも同じような感触があると思います。もっと離れた場所でも感じる場合がありますが、離れれば離れるほど、精妙な感覚が必要になってくるし、感じる距離や感じ方も人によって様々です。また、僕の友人にもいますが、人によってはいわゆる「オーラ」として視覚で認識できる人もいます。 しかも、生命場はどうも多層構造になってるらしく、エーテル体とかアストラル体とかメンタル体とか、精神世界の方では誰がつけたか知りませんが名前までついてます。多分、無限と言っていいぐらい何層にもなってて、そして一番外側の層は、きっと「すべて」すなわち神そのものだと、僕は思ってます。 さらに、この多層化した生命場は、その人の意識の各階層に対応してて、自分の意識の浅い部分ほど肉体に近い生命場に、深くなるほどより外側の生命場にアクセスするようです。 そう考えると「深い意識ほど影響力が大きい」ということがうまく説明できるんですね。 いくら表面的な浅ーい意識で「宝くじが当たる!」と思ってても、一方で意識の深いところで「そんなの無理だよなあ」と思ってたら当たらないんです。意識の深いところで「当たる!」と確信できれば必ず当たります。 深い意識は、より大きな生命場に対応するので、その領域の意識で生きている人は、言わばそれだけ大きな自分で生きているわけです。自分の肉体を超えたところに与える影響が大きいと言ってもいいと思います。 ここで今度は、「あの人には宝くじを当てさせない」と思ってる人が出てきたらどうなるでしょう? その場合、「宝くじが当たる」と思ってる人と「当てさせない」と思ってる人の、どちらの意識が深いかによって決まるように思います。なぜなら、より深い方が相手の生命場を包み込んでしまうからです。 こんな感じで、いろんな人の周囲に多層の生命場が展開し、それらが幾重にも重なりあった“綾”として、この宇宙が存在しているのではないか、と考えてます。 ポイントは、意識の深いところに降りていくほど、自己が拡大し多くの人と重なり合うことができるということです。誰かとうまくコミニュケーションがうまくとれない場合は、その領域まで深く入れない、何らかの心理ブロックが自分の内側にあるんじゃないかと思うんです。 それらの心理ブロックをひとつひとつはずしていって、もし最も深いところに到達できれば、それは全宇宙と一体となることを意味します。素敵でしょ?(^^)v 当然ながらこれはただの仮説ですが、現在のところ僕はそんな宇宙モデルを抱いてます。少なくとも、ごく普通の人がなんとなく抱いてる「ビッグバンにより宇宙が発生し、やがて銀河系・太陽系・地球ができて、そこに偶然生命が生まれ、それが偶然進化して人間になりました。だから、今あなたがいて私がいるのは、偶然の結果であって何の意味もありません」という寒々とした宇宙モデルよりは、親しみがわくんですけどね~。 初めに、場のエネルギーとしての意識ありきで、意識と意識の重なりあいの中で、その周波数の差により生じた“うなり”の成分が、肉体やら物質として現れているのではないかとか、、、いろんなこと考えてます(^^) 以上、とっても抽象的なわかりにくい話でゴメンナサイ m(__)m 本人の理解が未熟だと、わかりやすく説明するなんざぁ到底無理々々(笑)
January 12, 2004
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昨日と今日は、子連れで実家に遊びに行ってきました。昔は何にもない田舎だったのが、大きな道路沿いに次々と大型店舗ができて、一大ショッピングセンターのようになってて、行く度にビックリですね~。 今朝は、広ーい公園で凧揚げをしました。おそらく300mを超えるくらいに、今までで最も高く上げました。そのくらい上げると凧が豆つぶのようで、ちょっと目を離すとすぐに凧が空に溶け込んで行方がわからなくなります。 そこは着陸前の飛行機がよく通るので、うちの母は、「飛行機にぶつかったらどうしよう」とか「損害賠償はいくらになる?」とか、とんでもない心配をしてました。僕とオヤジは大笑いです(^o^) さて、自己組織化力はというのは生命場の働きによるものではないか、という話を前回までにしましたが、その続きです。もし前回までの仮説が正しいとすると、病気の原因は、肉体の“鋳型”である生命場が、歪むなり周波数が変わるなり、なんらかの異常をきたしてるせいだと考えられます。 こう考えると、ヒーリングなどの生体エネルギー療法の効果がうまく説明できます。肉体そのものではなく生命場を整えることによって、その結果として自己組織化力がうまく働くようになり、病気が治っていくと考えられるわけです。 #余談ですが、イギリスやドイツではヒーリングは正式な医療行為として認められていて、 保険診療の対象にも入っているそうです。ヒーラーという国家資格すらあります。 では、どうして生命場がそんなことになるんでしょうか? そもそも生命場は何の影響を受けるのか? これはやっぱり、意識の影響が大きいというか、それしかないと僕は思ってます 例えば、なんだか調子が良くて、自分というものの存在が大きく広がった感じで、何でも自分の思うようにいくような気がしてるときの体の様子はどうでしょう? そういうときは、血のめぐりが良くて、手足は末端まであったかいし、心なしか背筋も伸びて堂々としてると思います。 逆に、つらいことだらけで落ち込んでて、自分がちっぽけな存在で何やってもうまくいかないと感じてるときは、どうでしょう? こういうとき、手足は冷たいし、背中はシュンと丸くなってると思います。 これは、そうした自分の意識によって、生命場が広がったり、縮こまったりするせいじゃないかと思うんです。生命場が広がれば、その分肉体もリラックスできるので、血管が広がって血のめぐりがよくなり、逆に生命場が縮むと血管も収縮し、生命場の圧力により背中が押されて丸くなるんじゃないかと。 プラシーボや「病は気から」という現象も、その人の意識状態が生命場に影響を与えた結果として起こると考えたら説明しやすいと思います。意識と肉体をつなぐものこそが、生命場だと思うのです。いや、ひょっとすると、生命場こそがまさに意識そのものなのかもと思ったりします(意識は、脳味噌にあるわけではないと思ってるので)。 また、東洋医学で言うところの経絡(けいらく)も、肉体にはそうした特殊な経路があるわけではないので、これは生命場上のエネルギーの通り道なのではないかと思うんです。そうだとすると、陰陽五行説に規定してあるような感情と五臓六腑の対応関係も、ある感情に対応して、その臓器のあたりの生命場が影響を受けるという具合に解釈することができます。 以上より、自己組織化力を高めようと思ったら、その肉体の外側になる生命場を整えること、そのためには自分の意識の見直しをするのが一番だと思うんです。 特に、慢性的な病気は、自分でも気がつかない“意識の癖”に起因することが多いです。癖だからこそ自分で気がつかないし、気がつかないからこそ何度も繰り返すんです。 よくあるパターンですが、「自分の体は○○がダメだ」と思い込んでいる人。確かに今はそうかもしれない。でもそう思い込めば思い込むほど、その現実はより強固なものとなっていきます。 どうせなら、「こんなになるまでご苦労さん」「いつもお疲れさんね」と言って、具合の悪いところに手を当てて、軽くなでてみませんか? それだけで思わず涙が出てくる人もいるでしょう。 そうやってもし、あったかい自分を感じられたとしたら、生命場はエネルギーに満ちあふれ、自己組織化力は間違いなく向上しています。それを続けて、心の底から今の現実に「ありがとう」が言えるようになったら・・・奇跡が起きます。 いやな現実も、心の底から受け入れてしまえば終わるんです。そうして、人は次のステップに移行します。 #もう少し続きを書くかも・・・
January 11, 2004
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昨晩は、夜中に帰って2人ともすぐにダウンでした。 明日も取引先とノミニケーションです。なんだか今年に入って飲みつづけのような・・・(笑) さてさて、自己組織化力の話でしたね。 異常をきたした生体組織が元に戻ろうとする力は、一体どこから来るんでしょうか? えーっと、ネタ本がブックオフにオサラバしてしまったのでうろ覚えの話ですが、今から数十年前に、エール大学にハロルド・サクストン・バー教授(スペルがわからん・・)という人がおりました。 このバー教授、人体といわずいろんな生物の周りの微弱電位を測定しまくった人なんです。測定したい体の部位のそぐそばに電極を近づけて、「ここは何ミリボルト・・」と、次々にデータを取っていったらしいです。 そうやって、山ほどデータを取った結果わかったことは、生物の体の回りには、目に見えない“鋳型”のようなものがあるということ。教授はこれを、生命場(=Life Field)と名づけました。場が、その生物の体を形作ってるというんです。 イメージとしては、U字型磁石を紙の下において、紙の上に砂鉄をまくと、目に見えない磁力線に沿って、砂鉄が並ぶような感じでしょうか。 バー教授の研究によれば、例えば胃ガンの人は、ある部位(確か左手の親指の付け根だったかな?)の電位が異常値を示すといった具合に、病気と生命場の異常が対応づけられるんだそうです。“鋳型”がおかしくなった結果として病気になるわけです。 また、女性の生理について、これもそれに対応する部位が、実際に生理が始まる3日前ぐらいから異常値を示すようになるということも書いてありました。つまり、生命場の変化の方が先で、肉体の変化が後なんです。 ついでに言えば、精液の周囲の生命場も測ってましたが、面白いことに、その持ち主(親?)が近づくと、如実に電位が変動するらしいです(笑) ことほどさように生命場って面白そうだけど、その正体はよくわかりません。もちろん正統な科学が認めている話でもありません。だから、眉にツバつけて聞いてもらった方がいいですが、少なくとも、現代科学ですら自己組織化力の正体は皆目わかってないわけだから、注目に値する研究だとは思ってます。 僕の見解としては、まだ現代科学でとらえきってないある種のエネルギーが、生命の場を形成し、それがわずかにこの次元に漏れこんできたものが、電位の変化という形で計測されたのかなと考えてます。 この生命場という概念を導入した方が、理解しやすい話があります。 「卵割」って覚えてますか? 昔、生物の時間に習ったはずですが(笑) 受精卵が、2つ、4つ、8つと、どんどん細胞分裂していき、やがて桑実期を経て、それらが目や心臓や手足になっていく、というやつです。 そのとき、この細胞は目になる細胞、この細胞は足になる細胞、と決まってるんだそうですが、例えば目になる細胞と足になる細胞をはぎとって、それらを入れ替えてまた受精卵の方に戻したらどうなると思いますか? ---実はなにも起こりません。目も足も正常に生えてきます。目の位置から足が生えたりはしません(笑) これなんかも、どの細胞が何になるかという情報は、細胞そのものではなく、“場”が持ってると考えれば、納得がいきます。 ごく普通に、指先をケガした場合だってそうです。 指先から血が出てやがて凝固して、カサブタの下で修復作業が急ピッチで行われているわけですが、そこに新しく生成された細胞は、なぜ元通りなのか、不思議に思ったことはありませんか? 以前、僕はしげしげと指先を見ながら考え込んだことがあります。 各細胞にはDNAがあり、それには全身のたんぱく質情報が入っているわけですから、新たに生成される細胞は、どんな細胞にもなりうるのに、なぜ元通りになるのか。 僕は設計・開発をなりわいとしてて、いつも感じることは、なにかを作り出すには、必ず誰かの意思が必要ということです。誰が、その細胞にそんな姿になるように指示したのか?どうして、指先に目ができたり、ヒゲが生えてきたりしないのか?(笑) その指示をするのが、生命場という場のエネルギーなのではないかと思うのです。生命場という鋳型に合った姿になるように細胞を導く、あるいは細胞の潜在能力を引き出す役割を持ってるんじゃなかろうかと、、、。 以上、生命場の働きこそが自己組織化力ではないか、という仮説を述べましたが、次回は、生命場自身についてもう少し見ていきたいと思います。 ---- to be continued.
January 8, 2004
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年間購読している政治経済情報誌に載ってる、ある精神科医のエッセイを毎月楽しみに読んでいます。ちょっと前の号に、自己組織化力について書かれてました。 曰く「生物の組織には自己組織化力というものがある。たとえば傷を消毒し縫合するのは医療技術であるが、その後傷がふさがっていくのは組織の自己組織化力による」 『選択』2003.11号 遠山高史「不養生のすすめ」より 著者はさらに、人間の体を桶にたとえて、今の医療で桶の1枚の側板を修理することはできるが、バラバラになった側板を集めて桶にすることはできないという話を書かれてました。 でも生物の体の中では、こういったことが当たり前のように日々行われているんですよね~。 この自己組織化力というものに現代医療が注目し始めてまだ20年程度で、その正体はほとんどわかっていないというのが実態だそうです。でも、この自己組織化力こそが免疫を司り、健康を維持するための主人公であることは、ここまで読んだだけでも、皆さんおわかりでしょう。 この自己組織化力について、あれこれ考えていることを書いてみようと思ってますが、明日は朝が早いので、今日はこの辺で。 明日の夜は、かみさんと「でえと」なので、酔っ払ってなければ続きを書きます(笑)
January 6, 2004
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新年早々いきなり残業となりました。ふ~。 残業のときは、かみさんが持たせてくれたおにぎりを7時ごろに食べるようにしてます。周りのみんなは、家に帰ってから晩飯を食べるようですが、夜の11時や12時になってドカっと食べると、睡眠時間は多く必要になるし、次の日はきついしで、ろくなことないので、数ヶ月前からこうしてます。だいたい、一日の半分以上を会社のPCの前でじーっと過ごしてるだけなので、カロリーを消費しないんですよ(^^; おにぎりをパクつくときは、うちのビルの最上階の食堂に行って食べます。そこは博多湾を一望にできる展望フロアになっていて、「やけに夜景がきれいだなあ」などと、つまらないことを考えながらモグモグやってます。 暗ーい海の向こうには、志賀島や能古島の街の灯がゆらゆらと揺れています。それを見ると、星明りすらない夜に海を渡って旅をして、ふと島の灯を見つけたときの安堵感のようなものが、ふつふつと蘇ってくるんですよ(わかるかな~・・・) これは、かなり古代の感覚だなあという感じです。。 日本人は単一民族と言われてますが、実はいろんな民族が“溶け合って”できた民族だと思ってます。その中には、南の島々や大陸の方からやってきた海洋民族もたくさんいたことでしょう。実際に、縄文後期あたりからは、日本海という海の幹線道路を通じて、青森から北陸~出雲は密接に結びついていたとか、太平洋も渡ってたとかいうという話もあるし、僕らの体には、そうした海の民としての祖先の血が間違いなく流れてるなあと思うんです。 都会に暮らしていると、つい人ごみにむせてしまって、他人との距離をとりたくなりますが、もし、「そこに人がいる」ということの安心感、ありがたさを味わいたかったら、夜の海はおすすめです(^o^)v
January 5, 2004
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いよいよ冬休みも残すところあと1日ですね(ううっ) あわてて会社の資料等を引っ張り出して勉強しとります。あ~眠い(-_ゞ ゴシゴシ さて、皆さんのお宅にも様々な年賀状が届いたことと思います。うちも毎年楽しみにしてますが、年々写真付きのやつが増えてきましたね。これからはメール添付あるいはWebベースのも増えてくることでしょう。メディアの発達に伴い、挨拶の方法もずいぶん様変わりするもんだなと思います。 本来、年賀状というのは、年始の挨拶に行けないところに、自分の身代わりにハガキを出すというのがそもそもの趣旨だと思うんですが、今は年始の挨拶は、せいぜい実家に行くだけで、後はすべて年賀状だけになってしまいましたね~。 下戸の礼 四谷赤坂麹町という江戸川柳が残ってますが、これは、酒を飲まない下戸は、四谷赤坂麹町のような“(当時の)ド田舎”まで年始の挨拶に行ける、という意味です。それだけみんなあちこちに年始の挨拶に行ってたんだろうと思います。 確か僕が子供の頃はまだ「ハガキで失礼します」という言い方が残ってました。その後電話が普及し始めて、しばらくの間「電話で失礼します」が使われてました。今はたまーに「メールで失礼します」を目にしますが、ほどなく意味をなさなくなるでしょう。 その人の真の姿を伝えようと思ったら、直接会うのが一番だと思うんですが、でも人によっては、メールの方が自分らしさを思う存分発揮して生き生きしてる人もいるし、良い悪いでは判断できない問題だなと思います。 ただ現代人が、人と人の直接のつきあいに弱くなりつつあることは確かですよね。 故・山本夏彦氏がよく書いてましたが、電話が普及するまでは、来客は突然やってくるもんだったんですね。訪問する方もされる方も、それを当たり前と考えていた社会がついこの前まで存在していたんです。 今は、事前連絡なしに他人の家を訪問するのは失礼かなと思って憚られるし、訪問された側は「こんなに散らかってるときに突然来ないでよ~」と、悲鳴に近い怒りを覚えたりします(^^; もし、いつ誰が来るかわからないとしたらどうするか・・・方法は2つあると思います。 (1)いつ誰に来られても恥ずかしくないように、いつも家の中をきちんとしておく (2)ありのままでもOKとする(自分の不完全さを許す) うちの義母などを見てると、目に付いたらすぐに片付ける癖がついてますから、昔は今よりは(1)の家庭が多かったと思いますが、一方(2)の家も結構多かったのではと思います。 僕の生まれ育った家も、僕がおもちゃの刀でふすまや障子をメッタ突きにして、ほとんど紙はなかったという話ですから(笑)、現代の感覚で言えばとても人を呼べる状態じゃないでしょう。 なんというか、社会全体が寛容で、あけっぴろげで、人と人との垣根が低くて、「まあ、そんなもんさ」で済ませられる部分が、昔は多かったような気がするんですよね~。 もっとゆるりと、自分にも他人にも甘い、お気楽な世の中が来ないもんかと、ズボラな僕はいつも思います(^^)### 年賀状笑い話 ### 大学時代の卓球部の友人で、いつも僕とダジャレの掛け合いをやってた奴がいます。そいつに以前こんな年賀状を出しました。 お年玉付年賀ハガキは、当たりが出た場合、切り取らずに郵便局に持っていって、窓口で切り取ってもらうんですが、そのお年玉くじの番号の下にこう書きました。「この男はとても口に出せない恥ずかしい病気の持ち主です。窓口の方、くれぐれも ご注意ください」そうしたら、このハガキが当たったらしいんです(爆)そいつは勇敢にもこのハガキを郵便局に持っていったら、窓口のおねえさんがニヤニヤしながら切り取ってくれたそうです(^o^)
January 3, 2004
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年末から、子供たちと何度か凧揚げをしました。小学校が校庭を開放してるので、電線を気にせずに思いっきりやれるんです。もっと大勢来てて凧揚げ大会になってもよさそうなものなのに、いつも我が家だけ・・・(^^; それにしても、三角凧はよく飛びますね。僕が子供の頃にこんなによく飛ぶ凧があったら、もっと凧揚げに夢中になってただろうにと、、、その分を今取り返してます(笑) 2,30mくらいじゃたいして面白くないので、糸をつないで100mくらいはあげてますが、そうすると、糸の出し入れが大変なんです。巻き取るのに時間がかかるし、子供がやるとすぐにからまって、後でとんでもないことになります。 何かいい手はないかと、アウトドア好きのお隣のご主人と話してたら、「釣り竿のリールがいいんじゃないですか」ということになって、生まれてはじめて釣具屋さん行って、¥980の折畳式釣り竿を買いました。 それを昨夕、子供たちと実験してみたんですが、最初は釣り竿そのものに慣れなくて苦労したものの、後はバッチリです。糸の出し入れはスムーズだし、釣り糸は切れないし、釣り竿をグイグイたわませて凧揚げしてる姿は、大物を釣り上げた釣り師のようです。釣ったエモノはもちろんタコですが(笑)~・~・~・ 今日は、午後から友人が遊びにきたので、夕方までずーっと飲んだり食べたりして楽しいひと時を過ごしました。 夜は、子供たちと人生ゲーム&百人一首。 全くもう、息子が一日中人生ゲームやろう、やろうとうるさくってかなわないんです(^^; 百人一首は、坊主めくりと源平をやりました。源平というのは、2人で50枚ずつ分けて交替で読むんですが、息子がかなり読めるようになってたのと、僕とチームを組んだ娘が、3枚ほど取ったのには驚きました。 坊主めくりは正月以外も時々やってましたが、これは娘も一人前にやれます。「小野小町は美人で有名」という話を以前したせいで、他のお姫様と交換してでも、小野小町を取ろうとする変な奴です(笑) 坊主めくりをやってる横に、人生ゲームの箱が放り出してあったので気がついたんですが、坊主めくりって、人生に似てますよね? だいたい65%くらいの平凡な日常と、15%くらいの落ち込み(坊主)と20%くらいの上機嫌(お姫様)があるという・・・。まあ、人によって程度差はあるでしょうけどね。 少なくとも、初めからそう思ってしまえば、たいていのことは受け止められるもんです。そして、次は坊主かなお姫様かな、というあのドキドキ感を楽しみたいですね~。坊主めくりのあの楽しさがわかる人には、人生を楽しむ素質があると思います。 所詮、人生もゲームです(^^)
January 2, 2004
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あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたしますm(__)m 我が家は昨晩、5歳の娘が生まれて始めての夜更かしに挑戦し、紅白終了後から初詣に出かけました。境内の広さの割に参拝客が少なくてお参りしやすい近くの神社が、なぜか昨日は黒山の人だかり。拝むまでに30分近く並びました。回りに居た人も、「ここでこんなに多いのは初めて」と言ってましたので、やはり不景気故の神頼みってとこでしょうか。 並んでる間に、娘は少し眠気がさしてきたようですが、神殿に近づくにつれ気分がのってきて、「二礼、二拍、一礼」の後、神殿に向かって投げキッスをする始末(笑) その後は、達成感に満ち溢れて、まるで『はじめてのキャンプ』(林明子著)のなほちゃんのようでした(^o^) おかげで今朝は、10時起きののんびりした元日の朝でした。 毎年お正月は、僕もかみさんも着物です。着物を着て神棚や仏壇に手を合わせてると、自然に背筋が伸びてくるから不思議ですね。うちのかみさんが着物を着ているのを見て、娘が自分も着物を着たいとダダをこねはじめたのには、驚きました。やっぱり女の子ですねえ(笑) 御屠蘇を飲んでからは、いよいよ期待のお節です。あんまりいい写真は撮れませんでしたが、こんなのです↓ 上の方にお雑煮と、食前のデザートとして吹き寄せ玉子ときんとんが写ってます。他には黒豆があります。 最近の若者はお節を食べない人も多いと聞きますが、ちゃんとした食材を、愛情込めて、ちゃんとした調理法で料理すれば、ものすごいご馳走なのに、、、。おそらく、いにしえの京の都の帝も、お江戸の将軍さまも、こんな贅沢は味わってなかったんじゃないかと思ったりします。 子供たちが毎年取り合いをするだし巻き玉子は、今年はタイとアラのすり身が入っている豪華版です。年末に僕と娘がスリ鉢でゴリゴリやりました。 お雑煮は、うちのかみさんの実家に伝わってるやつで、蒸し雑煮なんです。中身はシンプルで、かつお菜、ブリ、蒲鉾、人参です。蒸し雑煮だとカツオのダシが濁らないので、まるで極上のスープです。 黒豆も、表面のツルッとした感じと中身の柔らかさのアンバランスさが楽しくて、これをつまみながらチビチビ酒を飲むのも好きです。 そう、酒といえば、僕の大学の卓球部の後輩が、山形の造り酒屋の娘で、毎年ここの酒蔵から純米大吟醸「自然流」を2本、お正月用に取ることにしてます。 もう10数年飲んでますが、面白いことに毎年味が微妙に違ってて、特に今年はすごい!素晴らしい出来栄えですね。鼻に抜けるときの香りがなんともフルーティでたまりません。いつもはお猪口に1杯しか飲まない義母が、3杯飲んでました。明日は来客があるし、今年は2升じゃ足りないかも(笑) 贈答品にも喜ばれるので、お酒好きの人はぜひどうぞ。 おっと、凧あげの話を書こうと思ったら、長くなりましたのでまた明日(^o^)/
January 1, 2004
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