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この1週間は、久々に本業が忙しくて午前様が続いておりました。そういえば、僕はエンジニアだったんですね(笑) 設計開発の仕事をしていると、技術的な理論や理屈を利用する側面と、アイデアとか発想ということを求められる側面とがあるわけですが、今日はこの辺について考えてみましょう 新しいものを生み出したり、何かしらの問題点を解決する過程というのは、僕のこれまでの経験では、大きく3段階に分けられます。Step1:枠組み作り・条件出し・問題点の絞込み Step2の発想が出てくる範囲を限定するための枠組み作りです。ただ漠然と「アイデアを出せ!」と言われても出てくるものではないので、大よその技術的要件を洗い出したり、問題点を絞り込んで、ここさえ解決できれば、というレベルまで論理的に追い込んでいきます。 要は、「この範囲のアイデアが欲しい!」ということを、はっきりさせるためのステップです。Step2:発想・ブレークスルー Step1で限定された範囲のアイデアが出てくる過程です。 えてして、「あ~そうか!」「こうすればいいんだ!」という気付きの表現を伴うことが多く、最もエキサイティングで最もワクワクする過程です。ただし、いつどのような形でそのアイデアが出てくるか、全く読めません(^^; 一番謎の多いところですね。Step3:アイデアの具現化 Step2で出てきたアイデアを具現化する過程です。 この過程は、これまで積み上げてきた理論や理屈・経験を総動員します。ここでまた何か問題点にぶつかったときは、その問題点について、このStep1~Step3のサイクルを回すことになります。 このうち、Step1とStep3は、あくまで頭を使って「考える」ステップです。 問題はStep2ですが、これはどんなに頭をひねって思考をめぐらしてもうまくいきません。どちらかというと、ぼーっとしてるときの方がいいアイデアが出てきます。 そう、アイデアは出てくるものであって、自分で出すものではないんです。 例えば、「携帯にカメラ機能を持たせる」というのは携帯メーカーの誰かの発想で、発想した本人(Aさんとしましょう)は、自分のアイデアだと思ってるはずですが、実はAさんの作ったアイデアではありません。 Aさん自身は、「携帯に入れられるくらいのもので、何か面白い機能はないかな・・」と、発想の出てくる範囲を限定したに過ぎないのです。そうしたら、「カメラ機能はどうだろうか・・・」というアイデアが、どこからともなくポン!と頭に浮かんだだけの話です。 思い付くという言葉は、この辺を実にうまく表現してると思います。どこからか思いが飛んできて、ペトッとくっつくんです。自分で作ったわけではありません。 これは別に僕のような設計開発業務をやってる人間だけの話ではなくて、日常生活のちょっとした工夫や、些細なトラブルを解決するのに「こうしたらいいや!」とか、「久し振りに○○さんに電話してみよう」といった他愛もない発想も含めて、自分の発想と言えるものは、実は何一つないんじゃないかと僕は思ってます。思いはどこからかやってくるからです。 では、この大元の思いを生み出した主体は何なんでしょう? あなたが今とらわれてるその思いが自分のものでないとしたら、自分って一体何なんでしょうか? こんなこと考えてると、色んな思いの集合体+肉体=自分と思ってきた人にとっては、自分というアイデンティティが揺らぎ始めるかもしれません。 そして、それこそが真の自由への第一歩だと思います。自分の思ってる自分という枠に自分を限定する必要はないんです。
November 22, 2004
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広島から帰ってきて以来、“満ち足りた感じ”が続いてます。 日常生活で特に何か素敵な出来事があって、というわけではなくて、何もなくても湧き上がってくる喜びというのが確かにあるのです。 もちろん、イライラしたり心配事が皆無というわけではありませんが、それらもふーっと流れていく感じです。「タバコをくゆらす」という表現がありますが、丁度あんな感じで、いろんな思いが煙のように漂って静かに消えていきます。 今なにか「頭にこびりついて離れない思い」に悩まされてる方も、たくさんいらっしゃると思いますが、その正体はタバコの煙のようなもんです。肺の奥までしっかり吸い込んで、その苦いタバコの味を心ゆくまで味わってから、ふーっと吐き出してしまいましょう(^^)b(前回の日記の補足)> 怒りたいときには怒っていいんです。> 泣きたいときには泣いてもいいんです。> 怖いときには怖がればいいんです。 この前こう書きましたが、日常生活でTPOを考えずにこれをやれると最高なんですが、なかなかそうもいきませんね。その場合、後で感情が吐き出せるシチュエーションを作ってからやりましょう。 コツは、その処理したい感情が出てきたときの自分の感じを思い出すことです。 そして、例えば恐怖なら恐怖の感じをどんどん膨らまして、その恐怖に自分が飲み込まれるようなイメージするといいようです(この前のサムスカラシュッティではそうやりました)。 無理に、全部を処理してしまわなくても構いません。いつか必ず出てきますから。 こういった自分が避けてきた感情をとことん味わってみると、実にスッキリして解放感と満足感が湧いてきます。 すると、ここで面白いことに気付きます。 怒りについていえば、僕らは普段、自分の怒りを相手にぶつけて相手の行動を変えることでしか、怒りは解消されないと無意識のうちに思ってます。 ところが、その怒りと向き合ってそれをとことん味わい尽くしてみると、相手の行動は全く変わらないのに、そのことがちっとも気にならなくなってる自分を発見するわけです。 他の感情でも同様です。自分の置かれてる状況は変わらなくても、そのことが気にならなくなるんです。 面白いですよね~。 僕らは、いろんな思いを味わうために生まれてきたと思う所以です。目の前の現実は、そのための手段にしか過ぎません。したがって、ひとつの思いを味わい尽くせば、結果として現実が変わっていきます。逆に、逃げつづける限り、何らかの形で同じ現実がどこまでもどこまでも追いかけてきます。
November 14, 2004
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昨日、無事に広島から帰ってきました。 無事にというより、生まれ変わってと言った方がいいかもしれません。とにかく、この10年間に山ほど体験した様々なワークショップの中で、もっとも満足度が高く、もっとも変化の大きかったワークでした。 昨日の段階ではまだ、ディクシャの影響で頭が痛かったんですが、今朝起きてみるとそれも消えてました。 なんと申しましょうか、日だまりの中で春風に優しく包まれてるような感覚がずっと続いてます。しかもハートのチャクラがあったかくて、そこから甘い蜜が湧いてくるような感じです。スキップしたくなるような喜びというよりは、静かに微笑みたくなる喜びですね。今日は会社で仕事してて、わけもなく嬉しくて涙が出そうになりました。 今まで、なんて肩に力の入った生き方をしてきたんだろうと、しみじみとそして懐かしく思います。今は肩に力を入れようと思っても、なんだかフニャフニャしてて入らない感じです。端から見れば腑抜けに見えるかもしれません(笑) さて、ディクシャって何ですか?という質問が来てましたが、それをちゃんと説明しようとすると、クンダリーニの上昇がどうのこうのとか、悟りとは?とか、宇宙意識があーだこーだとか、かなり長ーい話になりそうなので、いずれまた機会があれば、ということにさせてください。そもそも言葉で説明するのは限界があるし、、。まあ、目に見える作業としては、頭に数秒間軽く手を置いてもらうだけなんですけどね。 どうしても詳しく話が聞きたい人は、個別にメールか電話してください。そのときは僕の浅薄な知識と体験を総動員してご説明させていただきます(^^)v ディクシャの前処理としてサムスカラシュッティ(質のクリーニングという意味だそうです)というワークがありましたが、これもなかなか素晴らしいワークで、こちらの方がわかりやすいので、簡単にご説明しましょう。 一言でいうと、「ためこんだ感情を吐き出すために、その感情に身をまかす」です。 つまり、怒り、憎しみ、悲しみ、恐怖、不安、心配・・・普段は無理に押さえ込んでるそういった感情を、思いっきり味わうんです。 これは、たまった感情を消滅させる最も効果的な方法は、その感情を味わい尽くすことという原理に基づいてます。 実は、僕らは子供の頃から、感情に良い悪いの判断を持ち込んで、悪い感情は表現せずに心の底に押し込める癖がついてしまってます。 「○○がしたい!」というと親から「わがまま」と言われるので我慢したり、「つらい!」といって泣きたいのに、泣くと親の機嫌が悪くなるので、胸のうちにしまいこんだり。 最近では、プラス思考ってやつがくせ者で、たとえば、ある人からなにかイヤーなこと言われても「これもきっと何かしら自分にとって意味のあることに違いない」などと考えてしまって、その人に対する怒りの感情を、無理やりなだめすかしてるわけです。 でも、こうした感情は確実にたまっていき、自分の無意識下の行動(それはたいてい不調和な結果を生む)に影響を及ぼしたり、また病気の元になったりします。「ミューカス」といって、特に下半身の関節にたまりやすいそうです。 サムスカラシュッティでは、そうした感情を浮かんでくるままに、思いっきり表現し発散させることで、その感情を味わいつくし、処理していきます。 僕は普段は温厚な人間ですが、いや~出るわ出るわ・・・特に子供の頃に感じた両親に対する怒りはいっぱい出てきました。「大丈夫やけん、信用してよ!」とか「したいようにさせてよ!」「間違えてもいいやんか!」などと、号泣しながら叫びまくってました。 恐怖については、「子供の死」「失敗の恐怖」「怒ってる人の目」というのが、僕の3大恐怖として出てきましたが、これらもほぼ処理できたと思います。「お金を失う恐怖」というのもトライしてみましたが、これは全然大したことないことがわかりました。 当然ながら、このワークの最中の会場は阿鼻叫喚が飛び交うすさまじい空間と化しますが、自分が吐き出した分だけ確実に軽くなって、自分が空っぽになった感じがします。 終わった後、みんなで思い思いにハグするんですが、そのときの一体感がいいし、コップ一杯の水でさえも、なんだかとてもいとおしく感じて、思わず両手で大切に持って飲みました。 重たーいものを抱えてる人には、うってつけのワークだと思います(^^)b 怒りたいときには怒っていいんです。 泣きたいときには泣いてもいいんです。 怖いときには怖がればいいんです。 感情に良い悪いはありません。 僕らはあらゆる感情を楽しむために、この肉体を持って生まれてきてるんですから。 #この広島で行われたのと同じ2泊3日のコースが、今度の週末(金~日)に阿蘇の方で行われます。もし興味のある方がいらっしゃいましたら、メールしてください。僕が主催してるわけではありませんが、案内状を持ってますので。ちなみに、うちのかみさんも参加します(かみさんがどうなって帰ってくるか、楽しみ~)
November 8, 2004
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