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第1話『桃』 篠原哲雄film 久しぶりに桃畑の広がる故郷に帰ったOLの淳子に、教師と付き合っていた、15歳の頃の思い出が蘇る―――。 このての作品は苦手。篠原哲雄監督の『はつ恋』や『深呼吸の必要』は、なかなか評価がいいけれど、私的にはまずまずの作品だった。監督との相性もありそう。演技下手な長谷川京子がイタく、中学時代を別な女優さんが演じているのもイタイ。中学生という年齢が微妙だったとはいえ、ハセキョーはいいとこどりな感じがする。「いやらしくなければならない。ただ厭らしいだけの行為にしなければならない」 15歳の少女の心の声。この台詞だけは、なんとなく理解できるような気がして良かったです。わからない方が幸せな台詞ですね。原作/ 姫野カオルコ 出演/ 長谷川京子 池内博之 野村恵里 第2話『太陽のみえる場所まで』 廣木隆一film ホストに貢いだ日出美は、借金を返すため、タクシーの女性運転手と乗客の熟女ホステスを人質にとるのだが――― この作品も苦手、、。空回りしまくっていて、映画を観ながらこっちが恥ずかしい気持ちにさせられてしまう(笑)片桐はいりさんは大好きなんだけど、どうにも笑えなくて、テンションにつていけませんでした。妄想で飛び出した南国と、歌謡曲の踊りもツボにはいる余地なしです。原作/ 室井佑月主演/ 大塚ちひろ 石井苗子 片桐はいり第3話『夜の舌先』 松尾スズキfilm 工場務めの根暗な正子は、好きな男の髪を入れて眠ると、夢に現れ妄想を叶えてくれるという香炉を手に入れるのだが――― ここにきてやっと、観られる作品が登場。5作品のなかで一番絡みばっかりなのだけれど、間に挟まれる工場での日常シーンは、何気にくすっと笑えるし楽しい。何よりの収穫は、妄想される役・浅山君を演じた近藤公園でしょう。普段は脇役の多い男優さんですが、かなりセクシーで巧いです。最近では、『銭ゲバ』の冒頭で殺されちゃう新聞屋のお兄ちゃんを演じていましたっけ。絡みばかりなわりにはカラッとしてて、監督の手腕を感じた短編。やっと幸せと快楽を手に入れた根暗な正子は、それが永遠に続くように、一生目覚めないことに決めてしまう――ありきたりだけれどよく纏まってる感じがしました。脇役のキャラがたってます。原作/ 唯川恵出演/ 高岡早紀 近藤公園 第4話『女神のかかと』 西川美和film 小学生の真吾はガールフレンドの母親・梗子の美貌に心奪われ、それに気づいた梗子は誘惑の眼差しをおくる―――。 この作品はありがちなテーマだけれど、好きです。母親を演じた大塚寧々がステキすぎて、ポーっとなりながら見終えました。少年が大人の女性に憧れる、そういう永遠のテーマを、かなり奇麗にまとめた一遍だと思います。単身赴任している父親との、微妙な距離感が良かった。それとさりげない別離。こんなお母さんがいたら、男でなくたって見惚れてしまうにちがいない。原作/ 乃南アサ出演/ 大塚寧々 森田直幸第5話『玉虫』 塚本晋也film 町外れの田舎で、じじい(小林)だけをお客に暮らしているホステスの女がいた。ある時、じじいが初めて若い男の客(加瀬)を連れてくる――― そもそもこの映画を観たのは、敬愛する塚本晋也監督の、この一遍が観たかったから。ここまで時おり溜め息つきながらみてきて、『玉虫』が始まった時には手を叩いて(というのはウソですが)喜んでしまいました。やぱりピカ一です。おもしろい!石田えり、加瀬亮、小林薫―ってすばらしい配役ではありませんか。この時点で流石~と思っちゃう。みんな 艶っぽいです。‘じじい’(という役名の男)は、お金持ちで、女を田舎の寂びた一軒家に住まわせ、もう何年も通い続けていた。二人の絆は深い。ある時、じじいが初めて二人連れで女の元にやってきて、若い男の客と女は意気投合してしまう。じじいが酔って居眠り始めた隙に、ふたりは求め合うのだが、、、。怪しげな民家、とても堅気とは思えない謎の男じじい、そしてとにかくいい雰囲気。色っぽくてもの凄く素敵な女性を演じるのは、石田えり。相変わらずどろどろしていて、暴力的で、いやらしいのだけど、このカッコイイエロス、さすが塚本さんです!原作/ 小池真理子出演/ 石田えり 加瀬亮 小林薫冒頭とエンディング、そして真ん中に、セクシーなダンスが挿入されていて全体が構成されています。私的には、女性を描いたこの一連の作品群に似合わないと思います。違和感。このシリーズは『Jam Films』の流れからきているのですね。なんか妙に納得。
2009.03.29
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(あらすじ) 43年ごろのナチス・ドイツ占領下のワルシャワ近郊を舞台に、仲間同士の遊びにスリルを味わっていた少年たちが、次第に状況に目覚め、抵抗運動に加わっていく姿を描く―――。 ワイダの代表作である初期の『世代』『地下水道』『灰とダイヤモンド』は抵抗三部作と言われるそう。長編デビュー作であるこちらにもすでに、若者たちの青春と抵抗、挫折と可能性という、3作共通のテーマがしっかり描かれている。どの作品も好き。ドイツ軍の貨物列車から石炭を盗もうとしたスタフは、失敗して友人を亡くす。逃げ出して辿り着いたある居酒屋で、木工所で働く職人に出会った彼は、見習工として工場に雇われることになる。夜間通うようになったカトリック学校で、スタフは初めて抵抗運動に関するアジテーション演説を聞き、演説していた少女・ドロタに惹かれて地下組織へと入るのだったが・・・。ポーランドの地下活動もの映画の魅力は、緊迫感はもちろんのこと、状況を自分たちの手で変えようとする、強力なエネルギーに溢れているところにある。敵はあまりに大きく、あまりに強く、残酷だというのに、立ち上がって戦う強靭な力。この時代この国に生きて、命を懸けて時代と戦った人々の勇気には敬服するばかり。 ポーランド映画馴染みの役者さんがたくさん出演している。一番後ろの少年はポランスキー若者らしい無鉄砲と、異性への憧れと、使命感と。精一杯にいまを生きる主人公たちの生が眩しい。時代背景が怖ろしいからこそ輝く命の灯火は、ワイダの三部作のなかに燦然と輝いて描かれている。本作ではより未来に希望の余韻を残した最後だ。指導者として尊敬し、同志として親しみ、ひとりの女性として愛していたドロタとの、悲劇的な別れがやってきたとしても、悲しみで立ち止まってなどいられない。時代の荒波にのまれて、抵抗せずにいることなど、もうスタフにはできない・・・。余韻として残った希望は、1944年を描いた『地下水道』、1945年を描いた『灰とダイヤモンド』へ継がっていく。たくさんの苦しみを経て、いつかポーランドに平和がきたことを思うとき、そのワンシーン・ワンシーンが心に残る。やっぱり抵抗三部作は好きだ。監督 アンジェイ・ワイダ 原作・脚本 ボフダン・チェシコ 撮影 イエジー・リップマン 音楽 アンジェイ・マルコフスキ 出演 タデウシュ・ウォムニッキ ウルスラ・モジンスカ ズビグニエフ・チブルスキー ロマン・ポランスキー タデウシュ・ヤンツァー(モノクロ/88分)
2008.10.29
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1962年、香港。新聞社の編集者であるチャウ(レオン)夫妻がアパートに引っ越してきた日、隣の部屋にもチャン(チャン)が夫と引っ越してきた。チャンは商社で秘書として働いている。ふたりとも忙しく、夫や妻とはすれ違いが多かった。やがて、チャウは妻がチャンの夫と不倫していることに気づく。復讐心からチャンに接近したチャウだが、ふたりは次第に惹かれあっていく―。 原題のIN THE MOOD FOR LOVE. そのまんまの物語。 醸しだされる雰囲気で、まったりと愛のムードに酔わされて、心がほんのりと色づく。 あまりに感傷的で、西洋かぶれといわれても、カーウァイ監督が作りだすラブストーリーは素敵だ。 大人の恋愛模様を、極力二人だけで演じさせ魅せる。出会い、意識し合い、触れ合い、時を重ねていくプラトニックな濃密な時間は、別れの時をカウントダウンしながらギリギリまで、愛のムードを放ち続ける。 けして完璧なスタイルではないけれど、恋愛もののトニー・レオンの色気は無敵。シャイな仕草がステキだ。マギーも視線や体のラインまですべてが美しい。色とりどりのチャイナドレスに身を包んだ彼女は佇むだけで絵になる、本編の主人公。 絶えず繰り返される一つの音楽(夢二のテーマ)が、これでもかとさらに情感を掻き立てた。後半からは『キサス、キサス、キサス』が鳴る。 結ばれることのない男女の、数年に及ぶ深い愛を、とにかく雰囲気で愉しむ映画だった。ムードに酔いながら、ラストでは切なさに胸震わせ、大人の愛を噛み締めるように感じる映画だった。 チャウはカンボジアの遺跡アンコールワットで、いったいなにを囁いたのだろう。 愛の痛みを知ったすべての人が、その言葉を想像しうる。そしてきっと胸が痛くなる。 製作・監督・脚本 ウォン・カーウァイ 撮影 クリストファー・ドイル リー・ピンビン 出演 トニー・レオン マギー・チャン
2008.08.19
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瓦屋根の古い家屋が建ち並ぶ小さな町。警官の友川(奥田)は、平和なこの街で荒んだ毎日を送っていた。そんなある日、喫茶店で知り合った少女に誘われホテルへいく。やがてふたりは本気で惹かれあい友川の退廃した人生も変わり始めるのだが―――。 先日の『風の外側』が記憶に新しい、奥田瑛二による監督デビュー作。原作は、中年男と少女の純愛を描いた、連城三紀彦の短編小説。なんとなく捨てておけない作品だった。フランス映画を意識した音楽や演出からは、ふしぎな情緒が漂う。昭和の匂いがぷんぷんするのに、どこかヨーロッパチックだ。北野映画を思い出すアートを取り入れた画面、監督自らが出演する奇妙な間、外国で評価されるところもちょっと似ている気がする。それでも中年男と少女の純愛から目を逸らせなかったのは、陽子役の小沢まゆの体当たり演技がとても好きだったからだと思う。陽子の母は放蕩の果てに再婚して家を出た、兄は知的障害者、祖父は彫物師。自分は学業の傍ら、まだ15歳で納棺師について死に化粧を学んでいる。とてもまともじゃない環境で育った陽子は当然大人びて、中学校でも浮いた存在で友だちもいない。そんな彼女がSOSを発し近づいたのが、背にじいちゃんの彫った刺青<比翼の鳥>が羽ばたく町の警官・友川だった――。 すべてを知って近づいた陽子の強い意志と、少女と本気で生き直したいと思いはじめる友川の真剣な気持が、行けばゆくほど切なくなる。障害を持つ兄のエピソードや、自殺した父親の記憶、友川と母の腐れ縁・・・・・ユーモアを交えながらも、小さな町に淀んだ過去が重苦しくのしかかる。情けない友川よりも、よほど真摯に現実を見据えて、陽子は生きている。写真のとおり、陽子は背に刺青を入れるのだけれど、これって『蛇にピアス』よりずっとヘビーだ。彫物師のじいちゃんが、今生の最後の仕事として陽子の背に刺青を彫らせほしい・・・・・・そう哀願するのだった。「そんなことしたらわたしお嫁にいけないよ ! 学校の検診だって温泉だって困るよ !」現実的に当然断った陽子だけれど、紆余曲折あって結局彫ってしまうのだった。友川の背に雄だけで羽ばたく鳥が両の翼と目を与えられるように―――。小沢まゆや奥田瑛二は、きっと『蛇にピアス』を見て甘ちょろいと思ったことだろう。じいちゃんの仕事道具はまだ電化されていない手作業、半端なく痛そうなのだ。小沢まゆの苦悶の表情がたまらなくいい。奥田作品のエロスはこんなところにも表れてくる。痛みに堪えて、やっと手に入れた<比翼の鳥>。フランス映画のようなラストシーンに、ふたりの幸せを素直に喜べる爽やかなハッピーエンド。あからさまに思えるオブジェには目をつむってしまおう。原作は別物のようだけれど、読んでみたいなーと思った。 † † †監督・製作/ 奥田瑛二 原作/ 連城三紀彦 『少女』 脚本/ 成島出 真辺克彦 出演/ 奥田瑛二 小沢まゆ 小路晃 (カラー/132min)
2011.08.21
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いやらしい。それに尽きる。が、けしてそれだけじゃない。どうしようもないほど、心は純情。前作とは違った、カラフルで幻想的な、ミュージカル仕立ての恋愛映画。出逢ってすぐに肌を重ねる、今風の恋愛を前にすれば、このプラトニックさは驚異的。体と心は別々の場所に存在できる。カンションの心の清さと、体の不純について思うとき、セイヨクなんて、取るに足りないものだと思えてしまう。極限の水不足が続く台湾。パリから帰国したシャンチーは、時計を買ったカンションと偶然再会した。当たり前のように一緒に歩き出したふたりには、やっと同じ時間が流れる。孤独に沈んだ時、ふと思い出す人だった互いが、今ここにいる。恋は動き出した。肉体など交えないでも居心地の良い場所をみつけて、それでも時に求めては、プラトニックさは守られる。いい関係だった。けれども、AV男優となったカンションの仕事場が、あろうことかシャンチーの住むマンションの一画であったために、彼の罪悪感は静かに募っていく。水不足を補うため、人々は西瓜ジュースを飲んでいる。西瓜は瑞々しくて、フレッシュで、艶かしくて、おそろしくいやらしい小道具だった。日本のAV 女優が出ているのは、台湾にはさすがに演じてくれる人がいなかったからだろうか。上映に際しても物議を醸したというから。台詞がそぎ落とされて、時間が刻々とただ流れていく。心が結ばれるのは簡単でも、体は難しいなんて変わっているけれど、こんな恋愛の有り様があってもいいと思った。やはりポップさが、ウォン・カーウァイの恋愛モノに似ていて、ミュージカルシーンに新しさはなくても、監督と役者の関係という面においては、他に類を見ないと思う。役者がここまでやれるのはミンリャン監督だから、そしてこの役者陣がいなければ、良質な本作はきっとなかった。リー・カンションの魅力はすごい!監督・脚本 ツァイ・ミンリャン 製作 ブリュノ・ペズリー 出演 チェン・シャンチー リー・カンション ルー・イーチン ヤン・クイメイ 夜桜すもも (カラー/112分/台湾)
2008.06.23
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武者小路実篤(1885年~1976年)に思い入れがあるわけでなく、ただ先日小樽文学館にて、偶然見つけていただいてきた、60年以上前の古い本。年代を感じさせる、味のある装丁と表紙が気に入ったもの。中身をぱらぱらとめくってみたら、存外に肩の凝らない文体が読みやすくて、思いがけず最後まで読んでしまった。白樺派――聞いたことあるような。wikiによれば・・・人間の生命を高らかに歌い、理想主義・人道主義・個人主義的な作品を制作した人たち。昭和21年に発行された、戦後まもない名残をふんだんに感じる中身だった。人間肯定や理想主義や、たしかに今ではきれい事に聞こえてしまうような言葉が列挙されているけれど、こういうのが求められた時代もあったんだ、たぶん。武者小路氏が立ち上げたという新しき村は財団法人として、埼玉県に今でも存在しているそうな。精神に基いた世界――それがどんなものか想像もつかないけれど、ユートピアという言葉が似合うような村ではなさそうだ。だって、現代の日本が抱えている尽きない問題の数々は、この本なのかで語られている通りに、日本が発展しなかった証拠でもあるし、日本のここが素晴らしい!という賛美はいちいち行き過ぎて感じられた。読んでる方が恥ずかしくなてきた。近視眼的、といわれても仕方ないなぁ、これならと思う。時代に触れた感じは心地よかったが、最後のほうでは宗教のようであるなぁとも感じた、読みやすい本だった。
2009.02.25
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心の病がきっかけで、夫の孝夫と共に彼の故郷である信州の山間にある村に診療医としてやってきた美智子。2人は町の人々との触れあいの中で、質素に生きる喜びを知り、人生について再確認するのだった…。 晩年の黒澤明作品で、助監督を務めていた小泉監督。初監督作「雨あがる」は、巨匠黒澤の遺した遺稿を元にしたもので、日本の情景と浪人の生き方が美しく、とてもジンとしたのを覚えています。この時主演を演じた寺尾聰は、今回の「阿弥陀堂だより」、そして最新作「博士の愛した数式」でも小泉監督作品に起用されて、穏やかな人柄を演じています。 パニック障害を発病し、都会から夫の生まれ故郷である信州の山間の村へやってきた、医者の美智子。診療所で週に三日働き、主夫である売れない作家の夫と共に、村の人々と接しながら次第に心を癒していくまでを描きます。徹底して日本の美を映像化した印象でした。美しい情景、美しい言葉、美しい人間模様――どれもこれも、日本人なら一度は心惹かれる和まされるシーンに溢れています。とにかくいいお話です。反面、意図的なものを感じてしまったのは残念でした。田舎暮らしはいいことばかりではなく、厳しさもあるはずですが、そういった陰の部分がまったくないのは、お話の域を出ない感じでナチュラルさにも欠けていたのが残念です。村の死者を祀る阿弥陀堂に暮らすおうめ婆さんは、そんな中、本当に素晴らしかったです。演じたのは北林谷栄さん。「ビルマの竪琴」や「となりのトトロ」でおばあちゃんの声を担当した方です。演じたとはいいますが、演技とは到底思えないナチュラルな姿は、彼女を観れただけでも鑑賞の価値が充分あった~と思えるほどでした。素晴らしい~ 村の人々は、死者と語らって生きています。死と隣りあわせで今生きていることを知っています。「目の前のことばかりに気をとられ、悩み事を増やさなかったのが長寿の秘訣かもしれません」「畑から食べたいものを摂って質素に生きるてきたことが、長生きに繋がったのだとしたら、それは貧しさのおかげです」そんなふうに、村の広報の後記「阿弥陀堂だより」に載せられるお年寄りの言葉は、いろんなことを内包していて素直にジンときてしまいました。阿弥陀様を信心して、死者と共に生きる。自然を始めとする全てのものに感謝しながら――それは日本人の美徳で、現代人は忘れかけていることのように思います。病に倒れる者、死期の近づいた者、それぞれに死と向き合う人たちのエピソードもまた、味があります。死を覚悟して静かに生きる孝夫の恩師を演じたのは田村高廣氏で、一月前に亡くなったことが偲ばれました。死を目前にして、あれだけ穏やかな心でいらたら、それは良く生きたことなのでしょう。自分もそうやって生きていきたいし、そのためには目先のことから、毎日をちゃんと暮らしていきたいな~と静かに思えてきた作品でした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 監督 小泉堯史 原作 南木佳士 『阿弥陀堂だより』 撮影 上田正治 音楽 加古隆 出演 寺尾聰 、樋口可南子 、北林谷栄 、小西真奈美 、吉岡秀隆 、田村高廣
2006.06.15
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“職業の為に汚されない、内容の多い時間を有する上等人種であり、社会からはみ出した余計者” の主人公。大助は、裕福な父や兄から援助を受けて、立派な家に住み、働くこともせず悠々自適な日々を送っている。飄々と生きる上等人種で、世間をばかにしたところのある、けれど穏やかな好男子である彼が、3年ぶりに再会することになる、親友の妻・三千代によって、抗いがたい思いの深さに道を外れてゆく物語―――。時は明治時代。どろどろしたものは一切なく、清すぎるほどの思いがあるだけ。静かで、格調高く綴られる、許されぬ恋の行くえが描かれる。何不自由ない大助でも、現実にはひどく無力だ。依存して好き勝手に生きてきたからこそ、人に頼ることができない立場におかれるのは、自業自得といえるかもしれない。お金さえ自由にはならない、情ない男。仕事上の責任を取り、借金を抱えて東京へ戻ってきた親友の妻・三千代の姿を見て、大助は心痛めるが、心臓を患い、体を壊した彼女を、どうしてやることもできないのだ。大助は、何度も過去を悔い、何度も義姉に頼み、お金を工面してもらうのだが、厳格な父親がすすめる縁談話に従うよりほかなくなってしまう、、、。世間体などかなぐり捨てて、愛する女性のために覚悟を決めるまでの物語なのだが、原作には、ここからさらに続きがある。親友と妻の裏切りを知った平岡は、引き下がる態度を示しながらも、病状の悪化した三千代を家に閉じ込める。ふたりは再会することのないまま、三千代は息をひきとってしまう。この時、事実を知り失意のまま電車に乗り込んだ大助は、狂いかけた精神で鮮烈な赤い光を見る―――この幻想的な原作のラストが強烈。映画でも電車内でのシーンは、3度、効果的に取り入れられている。幻想と象徴。回想と無声の情緒、たくさんの場面が心に染みる。存在感ある音楽も素晴らしく、原作に負けない良作だった。 監督/ 森田芳光 原作/ 夏目漱石 『それから』 脚本/ 筒井ともみ 音楽/ 梅林茂 出演/ 松田優作 藤谷美和子 小林薫 笠智衆 中村嘉葎雄 (カラー/130分)
2007.05.24
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ヤンヤンは祖母や両親、姉のティンティンと台北に住んでいる、ごく普通の少年。ところが、叔父の結婚式を境に、様々な事件が起こり始める。祖母は脳卒中で昏睡状態となり、母は精神不安定で新興宗教に走り、父は初恋の人と再会して心を揺らす。そして、姉とヤンヤンにも恋心が芽生え・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今夏、亡くなられたエドワード・ヤン監督の遺作。優しい時間の流れてる、すごくいい映画でした。カンヌで監督賞を受賞しています。現代の家族が抱えている様々な問題を、絶妙な距離感で描きます。祖母が突然倒れ、昏睡状態になった一家に、次々と起こる出来事。悲喜こもごもな、でもどちらかというとツライ現実を、リアルに映し出した素晴らしい作品でした。映像のすべてが、瑞々しい。日本版の予告編集をしているのは岩井俊二監督で、この瑞々しさ、似たものがあると思います。優しい時間、現代であってもノスタルジーを感じる、染み入るなにかが、大好きでした。初恋の女性とばったり再会して、青春時代をやり直そうとする父。突然昏睡状態となった母親に、自分の日常を語りかけるうち、その稀薄さに耐え切れなくなって山に篭る母。友達の恋人と付き合う姉。幼馴染と別れて、できちゃった婚した叔父。そしてヤンヤンは、初恋をします―――。描かれているのはヤンヤンからみた家族ではなく、一人一人の目線で経験された痛みや涙。叔父さんの結婚の直後、おばあちゃんが昏睡状態になって、思いもよらぬ問題が山積みになっていくのでした。たしかに、こういう時期って、あるのかもしれない。けれど、大なり小なりトラブルを抱えている家族も、やがては、まあるく収まって成長してゆきます。お父さんが、人生はやり直しできないと知り、現実を受け入れたように。お母さんが、山も下界と差がないことを悟ったように。お姉さんが、恋の幻想から醒めたように、叔父さんが今の人生を堅実に生きてくように・・・頑なに、意識のないおばあちゃんへ語りかけることを「意味がない」と嫌がっていたヤンヤンだって、しっかりと大人になっているのです。ラストは、おばあちゃんの死から、また何かが始まる予感がしました。家族のみんなが、それぞれの知らぬ間に成長したことを、隠したまま。お父さんの会社が倒産寸前で、立て直しを賭けた事業の相手役には、イッセー尾形さんが出演しています。間の取り方の特徴ある方ですが、「太陽」に続いて外国の作品にあっても、やはり巧いものは巧かった!不思議な魅力を持つ、ゲーム業界のトップという役柄でしたが、お父さんと急速に気のあっていく様がまたいい。音楽を通じて、手品を通じて意思の疎通をしていく、大の男・ビジネスマン二人が、私的にもとても好みなシーンでした。ヤンヤンがお父さんに言った言葉。「人は半分しか見えていないんじゃないかな。だって後姿は見えないでしょう」これって、外面を言ったのだけど、なかなか深い言葉として残っていました。半分しか見えていなかったものを、突然両面とも見る機会に遭遇してしまった一家の物語・・・そんな気がして。青春の裏側、理想の裏側、憧れの裏側、そんな色んな裏側を知って、一時はガックリきてしまうんだけど、そこから始まるであろう新しい視野は、想像するだけでもきっと明るい。ドキッとしてしまうような、驚きの現代風のオチもなかなかで。今年最後に、とても素敵な映画が見られました。こちらは死ぬまでに観たい映画1001本に選ばれています。監督・脚本 エドワード・ヤン 製作 河井真也 出演 ジョナサン・チャン 、ケリー・リー 、イッセー尾形 ウー・ニェンツェン 、エイレン・チン (カラー/173分/台湾・日本合作)
2007.12.30
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2009年の完成に向けて着々と工事が進む長江の三峡ダム建設プロジェクト。中国の一大国家事業により水没する運命にある古都・奉節(フォンジェ)を舞台に、時代の大きなうねりの中で繰り広げられる名も無き人々の人生を見つめたドラマ。 近代化の加速する中国と、21世紀とは思われぬような古都・奉節。この土地に、音信不通の伴侶を探しにやってきた2人の男女の物語を通して、中国のいまを詩情豊かに描き出す。淡々としていて、静かで、何度も何度も気を失いながら見終えた。長江やどこまでも広がる廃墟の情景は、中国の広大さを感じるには十分で圧倒的だ。自然豊かな素朴な画面にリラックスしてしまうのか、眠くてしようがないのは長回しのせいかもしれない。 そんなのんびり画面に、ちょっとした監督の意図で、UFOやロケットが突如現れるので、オチオチしていられないのだった。思い切りリアルな中国の現在を感じながら、都市と辺鄙な町にある大きな隔たりが不思議で、そこの隙間にまったく違和感なく、未確認飛行物体が投入される。炭鉱夫ハン・サンミンも、看護師のシェン・ホンも、ダムの下に沈んでいく古都を訪れ、働いたり知人の協力を得たりしながら、懸命に音信不通の連れ合いを探している。遠い土地に来て初めて気づくことや経験することの戸惑いは、そのまま近代化の波にのまれ、住み慣れた土地を追い出される人々の困惑に通じるところがあって、どうであれ生きている人々の日々の営みが哀愁持って描かれていく。近代化とはいっても、廃墟となったビルや家々を壊すのは、ハンマーを持った人の手だ。このあたりの遅れには驚きを隠せない。本編にも登場する、工事中の怪我や事故死。これが三峡ダム工事の現状なのだとしたら悲しい。まさに哀歌の「哀」だ。前向きに生きていく主人公たちとはうらはらに、物悲しい気持ちになる作品だった。監督・脚本/ジャ・ジャンクー 撮影/ユー・リクウァイ 音楽/リン・チャン 出演/チャオ・タオ ハン・サンミン ワン・ホンウェイ リー・チュウビン (カラー/113分)
2009.01.24
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ルネッサンス期のイタリア、ヴェロナの町。二大名門として知られるモンタギュー家とキャピュレット家は、血で血を洗う争いを繰り返してきた。ある日、舞踏会で出会い、一目で魅かれあったロミオとジュリエットは、互いの素性を知って嘆き合う―――。 これほど有名な戯曲を、映画も舞台も、まともに触れたことがありませんでした。惹かれずにきて、それでも、知らず知らずシェークスピアには触れることが多いです。『真夏の夜の夢』『から騒ぎ』『蜘蛛巣城』、大好きな『ウエスト・サイド物語』も。思い出せないだけで、他にもたくさんあるのでしょう。原作をモチーフにしたものは好きだけれど、そのまま映画化された有名な「マクベス」「リア王」「オセロ」といった作品は、未だ惹かれず未見。戯曲と映画、おかしなこだわりを持ってしまうからでしょうか。 舞台劇ゆえ、映画になっても、台詞は芝居がかったもの。詩的な言葉が次々と登場します。ルネッサンス期のイタリア。衣装から暮らしから演技から、すべてが整然と整い、可憐で重みがあります。色んな意味での中世の汚れというものも、ちゃんと表現されていました。ふたりの悲恋には、非の打ち所がありません。世間での評判もとてもよく、幾度も映画化された中で、こちらが一番高評価なようです。純粋に感動できる良作。まだ十代だった主演ふたりの熱演も見所です。ジュリエット役のオリヴィア・ハッセーは、何処かで名前を聞いたと思ったら以前観た『復活の日』。後に布施明の奥さんになった方でした。(離婚したけれど)素晴らしい作品であることを重々承知しながら・・・それでもやっぱり、私個人としては戯曲そのままの本編は苦手。芝居がかった演技、戯曲だから当然といえば当然ですが、心からは楽しめません。三谷幸喜作品を心底楽しめないのも、その辺にわけがあるのでしょう。反面、舞台劇を最高にいい映画に演出した『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』は大好きです。舞台でいくら成功している作品でも、俳優でも、題材でも、映画という土俵では映画らしくあってほしい――そう願ってしまいます。 監督 フランコ・ゼフィレッリ 原作 ウィリアム・シェイクスピア 脚本 フランコ・ゼフィレッリ フランコ・ブルサーティ 撮影 パスクァリーノ・デ・サンティス 音楽 ニーノ・ロータ 出演 オリヴィア・ハッセー レナード・ホワイティング マイケル・ヨーク ミロ・オーシャ ブルース・ロビンソン ジョン・マケナリー (カラー/138分/イギリス・イタリア合作/ROMEO AND JULIET)
2008.03.31
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やっと読み終わりました。慣れないものを手に取って、進まないこと2ヶ月。上巻は、夏休みに帰省する汽車の中でも読んでいて、一月以上かかりました。ようやく中巻に入り、その帯の言葉に苦笑い。―上巻読むのに4ヶ月。一気に3日で中下巻!― 金原ひとみ若き作家の言葉に元気付けられ、しかもここから加速して面白くなるらしいので、さらに読み進めていったら、本当に中巻から急激に面白くなりました。「罪と罰」の時も感じましたが、原稿用紙一枚にまとまりそうな出来事が、延々これでもかと、詳細に綴られていきます。これは文芸作品ならではなのでしょう。しつこくて濃くて、しょうがないのだけど、あとあとその積み重ねが重く響いてくるので味わいがある。100年以上前に書かれたなんて、思えないほど、まったく古いと感じませんでした。普遍な内容は素晴らしかったし、後半、法廷での長丁場は息を呑む劇的な展開で、まるで映画を観ているようです。19世紀中期、ロシア。卑劣漢であった父フョードル殺しの嫌疑をかけられた、その息子ドミートリイ。次男イワンと三男アリョーシャは、それぞれの想いを胸に、いざ裁判が幕を開けるのだった―――簡単なあらすじではこうですが、上巻ではまだ殺人事件は起こらず、三男アリョーシャの修道院での生活や、父代わりであったゾシマ長老の死などが濃厚に綴られていきます。カラマーゾフ一家の誰の人生にも、長い枚数を割いているので、徹底した人物像が伝わってきました。フョードルの息子と噂される、私生児スメルジャコフも加わり、渦巻く憎悪は強烈です。法廷での大弁論はかなりの読みどころでしたが、この小説は、次男イワンの無神論者としての語り(中巻)が、大事な意味を持っているのだそうです。欧米の人にしたら、神の問題は一大事で、書かれた時代を思うとストレートで真摯な内容になっているのだと思います。神ありき――という考えはとても身近じゃないけれど、罪や憎しみ、愛や慈悲について思うとき、やっぱりそこに神がいなければダメなんですね。おなじヨーロッパとはいえ、独特な文化ロシアをじっくり味わって、西ヨーロッパ諸国との違いを感じながら読みました。登場する多くの人が、病的で心神喪失気味で、尋常ではないテンション。読んでいて疲れるのは、心理描写が多く、ずっと重い雰囲気だからなのでしょう。それでも、長い時間かけて読んでいると、人となりが分かって、兄弟それぞれに愛着が湧いてきました。最低な男かと思ったドミートリイや、彼が愛する女性グルーシェニカも、最後には好きになっています。最低なのはカラマーゾフ父なのでした。この小説の乱痴気騒ぎがすごいですよ――と教えていただいてたので、そこも楽しみに。まさにその通りでした。ドミートリイが巻き起こす破天荒な騒ぎ・・・徹底して穢れて描かれる、嫌なヤツなのです。ところが、そんな彼にも、けして失わなかった気高い精神があることを後半で知らされると、人間性を疑ってかかった自分にハッとして・・・驚かされることになるのでした。長いけど、上巻で挫折するにはもったいない。頑張って中巻を手にするところまでいけば、勢いよくラストまで読めてしまう本でした。是非映画も観たいけど、手に入りにくそうです。
2007.10.01
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すべてセットで撮影されたという、ヴィスコンティの悲恋物語。原作はドストエフスキーの短編小説で、意外にも軽やかでさえあるメロドラマだった。主人公は夢想家らしいので、本編の青年マリオ(マストロヤンニ)は原作のイメージと違うのでしょう。夢想家に見えるのは、かえってナタリア(シェル)のほう。彼女の気性や不思議ちゃんな感じの行動が、良くも悪くも作品を左右している。名優マストロヤンニが哀愁漂う背中で、最後に魅せてくれなければ、違った映画になっていたはずです。ある夜、赴任先の港町で、マリオは橋に佇み泣いているナタリアと出会う。不慣れな町で孤独だったマリオは、いっぺんに恋に落ちるのだが、ナタリアはじつは帰らぬ恋人を一年も待ちわびて泣いていたのだった。それでも一途に愛するマリオに、彼女の心は傾くが・・・。残酷な結末が胸を痛くする。 舞台はほとんどが夜だ。彼女は「一年後の夜、この橋の上で会おう」という約束を守って、いつも待ちわびているから、マリオが彼女と会えるのも夜。深い別れの悲しみに耐え、狂わんばかりに恋しい思いをしているナタリアは、神経衰弱気味で心の浮き沈みが激しい。たんに、むかしのイタリア映画によく見られるオーバーな演出なのかもしれないけれど、そのテンションについていくことはできなくて、感情移入するのはマリオに対して。この作品の主人公は彼。すべてがセットだというモノクロの映像は、なかなかのものだった。‘物語’チックでとてもいい。(映画自体はそれほどでもないけど)後半部分に降る雪は文句なしに美しい!モノクロの映画の良さは、黒と白でごまかされた細部の認識を、美化されたまま受け入れられるところかもしれない。これがもしカラーだったら、雪はもっとニセモノに見えているだろうし、ここまで美しくはなかったはず。いままで観てきた映画のなかで一等というくらいに、素敵な雪のシーンだった。愛に破れたマリオに優しく寄り添うワンコが一匹。哀愁の背中がマストロヤンニの名優ぶりをみせつけていた。監督 ルキノ・ヴィスコンティ 原作 フョードル・ドストエフスキー 脚本 ルキノ・ヴィスコンティ スーゾ・チェッキ・ダミーコ 音楽 ニーノ・ロータ 出演 マルチェロ・マストロヤンニ マリア・シェル ジャン・マレー (モノクロ/107分)
2008.12.07
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1983年のロンドン。22歳のスイス人家庭教師エリザベスは、父親の負債を救うため、イギリス人貴族チャールズからある提案を受諾する。それは子供のいないチャールズのために、彼の子供を産むことだった。そして7年の歳月が流れ、彼女は家庭教師として未だ見ぬ我が子と再会するが...。 とても素敵な物語でした。冬の凍えそうなイギリスを舞台に、男と女の絆、そして母娘の絆を描きます。父親の窮地を救うため、名も知らぬ男の赤ん坊を身ごもり、出産することを受諾したエリザベス。男はイギリス人の貴族で、チャールズには事故で植物人間となった妻がいました。理由を語ることなく共に過ごした3夜は、それぞれの胸に暖炉の炎のように温かな想いと情炎を残します。7年後、我が娘の産声を忘れられないエリザベスは、再会できる唯一の手段である家庭教師として、男の邸を訪れるのです。再会した娘ルイザは母の愛を知らず、父親に溺愛されて我がまま放題。驚きを隠せないエリザベスでしたが、母としてルイザに向かい合う彼女の姿は力強く、優しさに胸うたれます。いつしかルイザの心も溶解するのですが・・・大人たちもまた苦悩をかかえています。植物人間となった夫人を10年に渡り看病し続けている邸は、まるで牢獄のようなのです。ルイザの寂しい気持ち、チャールズの悦びを抑圧した人生、我娘に真実を打ち明けられずにもがくエリザベス、この10年、密かに義兄チャールズに想いを寄せながら邸を守ってきた夫人の妹・・・・。それぞれが心痛めて暮らしている切なさ。幸せになりたい…そう願う優しい人々が、やがて牢獄のような邸から、光の差すほうへと歩みだせる一歩を手にするまで―――。エリザベスが愛しいのに、妻を気遣う優しさゆえ、一線を越えられないチャールズ。図らずも、父と母と娘がひとつ屋根の下に引きあわされる運命、どこをとっても切ないドラマがあり目を逸らすことができません。みんなが好感持てる人物で、だれにも幸せになる権利があって、ハッピーエンドを心から願ってしまいました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 監督・脚本 ウィリアム・ニコルソン 製作 ブライアン・イーストマン 撮影 ニック・モリス 音楽 クリストファー・ガニング 出演 ソフィー・マルソー スティーヴン・ディレイン ケヴィン・アンダーソン リア・ウィリアムズ ドミニク・ベルコート ジョス・アックランド サリー・デクスター
2006.03.15
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