
その丸33年を経た節目となる日に、縁あって伊都国(現在の福岡県糸島市近辺)の高祖山(たかすやま・福岡県福岡市と糸島市の境に位置する標高416mの山)に登る機会を得た。
この冒頭の画像は、手前の黄金色の麦畑の向こうに控えた「高祖山連峰」を映したものである。
実は、その高祖山(画像の連峰のピ-ク)の南側(向かって右側)にもう一つの峰があり、これを「くしふる山」と呼んでいたという伝承がある。
その「くしふる山」こそ、「古事記」の天孫降臨の段において、ニニギ命の降臨地が「筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(クシフルタケ)」と記された、その「クシフルタケ」ではないかと推考する古代九州の歴史研究家がいるが、今回で二度目となる高祖山登山を経て、私もその推考に賛同の意を添えるものである。
ちなみに、「高千穂」の「千穂」とは〃山並み〃という意味なので、「高千穂」とは「高祖山連峰」と解釈できるとのことだ。
約20年ぶりとなる高祖山登山は天候にも恵まれ、午前9時頃に高祖山の西麓に鎮座する高祖神社の裏手から登り始めて、清々しい新緑の中を約1時間で山頂に到着。その際に山頂の標識を撮影したものが上の画像である。
道中では年配の男性と言葉を交わしたが、なんと御年87歳のお爺さんで、その矍鑠とした口調と若々しい足運びに驚かされた。そのまるで仙人のような方は、なんでも毎日のように高祖山登山を楽しんでいるとのことである。
当日の空は少し霞んでいたが、上の画像は高祖山の山頂から西北西の「糸島冨士」とも呼ばれる秀麗な山容の「可也山(かやさん・標高365m)」を映したものだ。そして下の画像は、同じ山頂から南南東に眺望できる背振山系の山並みを映したもので、中央のピークは金山(標高967m)である。
この高祖山登山については、「古事記」の神話物語を編纂するうえで土台となる、日本列島に描かれた図形があったとする研究書籍を参考に、その綿密な測量によって計測された最西端のポイント地点たる「高祖山」を体感する意図があった。
その古事記編纂の土台と思しき三角形を基本とする図形とは、以下に紹介する書籍を参考にしたもので、東方の三角形は「諏訪大社」を頂点として「香取神宮」と「伊勢神宮」を結ぶ二等辺三角形、西方の三角形は「出雲大社」を頂点として「三輪山(大神神社)」と「高祖山」を結ぶ二等辺三角形、そして東西を結ぶ中央の三角形は「伊吹山」を頂点として「伊勢神宮」と「三輪山」を結ぶ二等辺三角形である。
◎参考書籍 「実在した幻の三角形」 大谷幸市 著・卑弥呼の金印発掘研究会 刊(1987年)
この書籍が刊行された年に入手して以来、上記の三つの三角形を繋いだ・・・まるで羽を広げた鳥のような図形・・・が私の中で息づいており、私にとって節目の月日に標準を合わせるかのように浮上してきたという感じだ。
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上記の七つのポイント地点のなかで、なぜか「高祖山」だけ影が薄いというか、他に比べて注目度が低いわけだが、ここでは上記の「高千穂の久士布流多気(クシフルタケ)」の件を含めて、意図的に封印されてきた可能性を指摘しておきたい。
それを示唆するかのように、ようやく近年の1965年になって、高祖山の西方で発掘された「平原遺跡」では、代表的な出土物として直径約46.5cmという日本で最大の御鏡(大型内行花文鏡)が5枚も発見され、2006年には国宝に指定されている。
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