そこで冒頭画像は、加計呂麻島と奄美大島を結ぶ船中から、大島海峡の”紺碧の海”を撮影したものだ。今まで見たことのないこの美しき海底には、思わず平家物語で謳われる”竜宮城”を彷彿とさせるものがあった。
実は今から約40年前、「安徳天皇」への個人的な思慕により、沖縄の聖なる島の「久高島」へ渡ったことがあった。
その経緯はやはり、”安徳天皇は生きていた”とする「平家の落人伝説」で、参考にした書籍はもう手元にはないが、その”あらすじ”を憶えている範囲で以下に記しておく。
・下関の壇ノ浦で入水し崩御したとされる安徳天皇は、実は合戦の前に”身代わり”が立てられており、本物の安徳天皇は家来に守られ鹿児島の硫黄島に移り住み、同島に永住した。
・天皇の晩年において、娘に琉球王族との婚儀が成立し、「三種の神器」の”勾玉”を娘に渡した。婚儀のため沖縄に赴いた娘は、その直前に破談となったため、落胆して久高島で入水する前に、”勾玉”を島内のある場所に埋めた。
・それが昭和の時代となり、神眼の開いた人の手によって掘り出され、ご託宣により昭和天皇のお后である香淳皇后のお手元に届けられた。
いずれにしても、以上の記述内容がキッカケとなり、沖縄の聖なる島「久高島」に渡ったのであった。
・・・もしかすると…その皇位継承の”勾玉”には〔おおいなるもの〕が宿っていたのかもしれない・・・
さて前回からの続きとなるが、加計呂麻島の「生間港」より峠越えを含む約15分の徒歩で、平 資盛(すけもり)を祀る
「大屯
(おおちょん
)
神社」に
辿り着いた。
そこで上の画像は、入口にある鳥居から当社の佇まいを撮影したものである。
次に上に掲げた2枚の画像は、撮影した当社の本殿と由来書きを上下に並べたものだ。そして下の画像は、上の由来書きに記された資盛の墓碑(中央の石碑)を撮影したものである。
この上の画像に映る看板は、当社の出入口に掲げてあった”紙の仮面をかぶって踊るユニークな芝居”とされる「諸鈍シバヤ」(国の重要無形民俗文化財)の解説である。
奄美大島を統治した資盛を統領とする平家三卿の、往時は最大の拠点であった加計呂麻島の”諸鈍”にて、おそらくいかにして在来の島民たちと和合していくかということも含め編み出された村芝居・・・その伝統芸能が約800年も続いてきたことは、平家三卿による平和な治世を現代に伝えているといえるだろう。
海岸べり近くの「諸鈍長浜公園」を歩いていると、その場所が松竹映画”寅さんシリーズ”第48作の『 男はつらいよ 寅次郎紅の花 』のロケ地だったことを、たまたま現地を通りがかったことで初めて知ったのであった。
山田洋次監督が寅さんと加計呂麻島に寄せた思いを綴った記念碑を、海沿いのデイゴ並木と共に撮影したものが上の画像で、その記念碑の文章が読めるよう拡大したものが下の画像だ。
そして最後は、加計呂麻島は諸鈍長浜の、抜群に美しい空と海である。(つづく)
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