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〇古事記には素戔鳴尊が奇稲田姫(クシナダヒメ)の姿を櫛に変えて髪に挿し八俣の大蛇を退治した話があります。 古来より櫛には魔を除ける力があると信じられてきました。縁を切る時に櫛を投げたり、櫛の歯が折れるのは凶事の予兆とみて恐れたりしました。 「櫛は縁切り、簪(カンザシ)は形見、指輪は繋ぎ」という諺も残っています。 御神体が櫛で、大蛇が女性の櫛を飲み込み喉に刺さって死んだ故事による延喜式内古社の富山県の櫛田神社は大伴家持が勅使として訪れた記録もあるようです。 愛する人が旅に出ると、その安全を祈願して、その間、櫛を断つという禁忌の伝承も残っています。 櫛の話はこれ位にして、十七屋というのは飛脚屋の別称。十七屋は十七夜、それは「立待月」、「忽ち着き」をもじったとは何と風流な。
2016.11.20
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○唱歌は数えきれないほどありますが、中でも西条八十の作品が多いように思われます。でも掲題のものは お月さん ひとりなの 私もやっぱり ひとりなの お月さん 空の上 私は 並木の草の上 お月さん いくつなの 私は七つの 親無し子 お月さん もう帰る 私もそろそろ ねむたいの お月さん さようなら 明日の晩まで さようなら ご存知の方は居られるでしょうか?
2022.05.18
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〇当地、乙訓の筍の季に父がこの家に、野風呂先師や十七星さんらを御招きして小句会を催した時の印象が強かったことから俳句と接し、社会人になった翌年に休職するほどの病を得たのをきっかけに、数十年、俳句から遠ざかっていましたが、父の死の翌年ごろから再び句作を始めました。ここに並べあるのは、20年前、松尾大社での吟行句会等のものです。 手触りの「陰翳礼讃」春障子 バス時刻改変ありて山笑ふ 利休忌や石見半紙の句集繰る〇利休忌や国宝茶室ただ昏き 菅公の御霊呼び寄せ薄紅梅 逃げ水や善玉悪玉おもて裏 わかさぎの銀鱗美しき数珠上ぐる 沈丁や媚薬はなべて甘きもの 少女らに妖精見ゆらし草霞〇浅床のみそそぎ川の水温む〇へばりつく二村を分かつ雪解川〇春燈や井上流の指づかひ◎女神(ニョシン)像面あげ召さる桜ごち 出番待つ駕輿丁(カヨチョウ)船や桜東風 御供樽の百ほど積まれ風光る 初花や花肆(カシ)の気(ケ)もなし酒祖の宮 花肆(カシ)=遊女などいる色里・花街
2026.05.02
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〇明治政府は鑑札制度を採り入れて居り、芸人は遊芸稼ぎ人という資格証(のちに技芸師)が必要でした。相撲界も同じで、明治初期には裸とちょん髷は野蛮的だという風潮を流し、新規力士の鑑札を認めず、正業に就かせなさいという意見まで飛び交っていたようです。ところが明治11年、初代梅ケ谷藤太郎が大関になった頃には1月、5月の2場所制になったものの野天小屋ゆえ雨が降れば中止されるという始末でした。 明治42年に国技館が開かれ設立委員長の板垣退助が開館の挨拶を行ったとあります。それでも末期に活躍した太刀峯右衛門以降、目だった力士が出ず、昭和の初めには幕内力士の分離独立騒ぎもありました。 この危機を救ったのが35代横綱双葉山で、昭和11年から14年にかけての69連勝、優勝決定戦の日は会社・官庁も休業状態だったということでした。戦争で再び下火になりまつつも次第に昔日の隆盛に戻っていた矢先、昭和32年、国会で相撲協会の非公益性が問題視され、出羽海親方の切腹騒ぎもありました。 この折、事態収拾に活躍したのが双葉山(時津風)で、思い切った改革を図り、協会の安泰に寄与、33年から6場所制を定着させました。 こうして歴史を振り返ってみると相撲協会はいろん障害を乗り越えてきていますね。
2022.12.12
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某新聞の<私の会ったひと>シリーズNo8には舟橋聖一さんの玉章があって、里見惇が贔屓にしていた地唄の名手・玉葉さんが、昭和31年5月29日の夜、祇園の一力を出たまま奔流の疎水に入水。5日後、黒染の丹下ダムにて発見された由。洋服での入水は、みな剥げ落ちまる裸というケースが多い中、着物は水を吸うから帯が締り、帯締め1つほどけずにキチンとした身じまいで彼女は浮いていたそうな。 宮崎春昇さんの新しい作曲でレコーディングしたものを誤って家人が割った無礼を苦にしたから、或いは或る種の秘密を一身に背負いこんでの死とも推測されたものの、永遠の謎となっているそうな。京の有力者S氏が発起人となって玉葉の追善供養を嵯峨の某寺にて行われ、参拝者の出で立ちは、一力女将おきみさん ねずみ色のひら絽無地の着物に、うす紫の紗の帯。おれん姐さん すすき模様のひら絽古代紫。桔梗模様のかわらけ茶の帯。美与吉さん 茄子紺いろの紗無地の着物に、立湧模様の浅黄の絽の帯。子桃はん 美与吉と同じ茄子紺の紗に、なでしこ模様の黄色紗の帯。鶴子はん すい紗の紺無地に、黄のつづれ帯。お三智はん 茄子紺のポーラ無地の着物に、派手な桔梗模様の紗の帯。竹葉はん 臙脂色無地の紗のレース織に、水いろの絽の帯。子花はん 竹葉より明るめの臙脂色レース織に、ピンク色絽の帯。孝江はん 故人と同じ家の妓だから、白無地ひら絽に、帯は黒。屋寿枝姐さん グリーンの無地に、金茶のつづれ帯。うす明るい本堂に集まった着物の競艶に舟橋聖一さんは、思わずメモをとられたようです。焼香順は、S氏に始まり、万亭の女将、屋寿枝、おれんと続き、きれいどこの焼香が済んだのち、舟橋氏。 そのあと、嵐山の吉兆にてS氏主催のしんみりした小宴が開かれました。<夏の日が落ち、芳醇な酒が回るうち、みんなで玉葉の思い出を、われもわれもと語り出すと、いつまでも友情はつきないようで、これなら自決した玉葉の霊も浮かばれようと思うほど、くさぐさの話が出た・・・。>この記事の挿絵は「青春の門」でお馴染みの風間完さん。この切抜きは焼けて黄ばんでいます。
2012.09.17
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高校3年生の夏に大阪から当地へ越して来ました。その頃からわが家には車も無ければ自転車1台とてありませんでした。で、父や母は徒歩2分ほどのバス停から阪急バスを利用し、駅までの約1キロの道程にそなえていました。この日記に何度も書いてきましたように、父は趣味の多い、多忙な人でしたので、バスの到着時間ギリギリまで何かしていて、玄関を出る時は闘牛のような鼻息で出て行って居りました。 あんなに慌てるくらいならもう少し余裕をもって対処すれば良いのに・・・と冷めた視線で父のことを見ていましたが、親子のDNAは恐ろしい。実はおりくも最近そういう具合に句会に出かける時などは、やはり鼻息粗い猛牛状態になり、石段を降り自転車に跨ります。本日は特に出かける用事もありませんので、これから年賀状の準備にかかります。
2008.12.20
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〇某年某日、日記を綴っていると、家内が大月さんが写っていると洋間から呼びかけました。人気番組「よ~いドン」の放映中で、なるほど、画面には元同僚の先輩、大月透さんが歌手円広志さんのインタビュウーを受られていました。 私が千本支店の頃一緒に働いて居られたのですが突然、健康上の都合から早期退職されました。実情は、奥様に相談もせず、命よりも大事な剪画に没頭したいが為のご退職だったことを、テレビ画面を通して初めて知りました。年賀状は勿論、剪画を頂戴していました。大月さんとお弟子さんの作品展には何度となく足を運びました。また古巣の銀行のロビーにも再々出品なさっています。日本剪画協会の副会長を務められ蛸ともあり、聞き手の円さんも樹木などの絵画がお好きなようで、話が盛り上がっていました。そして「よ~いドン」の人間国宝認定証を受賞されていました。
2026.04.15
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〇世の中には綺麗に着飾った女性が居られ、またそれなりに化粧を施して居られるゆえ、街を歩いて居ても、電車に乗っても気分が華やぎます。化粧の側面を覗いて見れば、 シュニ先ずは魏志倭人伝の太古、「朱丹をもって、その身体に塗る」とあるように、古墳の埴輪には男女ともに顔面に朱が塗りこめていました。時代は下って、紫式部がお仕えした太皇太后彰子が田植えの様子をご覧になった折の早乙女と言えば、「若くきたなげなき女ども5、60人ばかりに、裳袴というもの白く着せて、白き笠ども着せて、歯ぐろめ黒らかに、紅赤こう化粧させて続けたり」とあって、これらを命じた道長の時代には化粧は日常茶飯事のことだったようだし、平安時代の女性たちの化粧は、眉と歯がポイントだったように思われます。毛抜きでげじげじ眉の手入れを怠らず、平安末期から鎌倉時代には、額の生え際と目の間に、大きく眉を描くようになっていたようです。ここ20年ほど前にも、太い眉がファッションとして流行りましたし、今では半弧の細い眉と舞台用のつけ睫毛ばかりが電車内に大勢居られますね。
2026.04.30
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〇牛乳の歴史はエジプト、メソポタミアなど古代文明から始まったようですが、東洋文明ではインドが一番最初だったとされ、「酪」とか「醍醐」の文字が、インドの古い仏教関係の文献に出ているんだそうな。 * お釈迦様は苦行者の集まる苦行林に入って難行苦行に耐えておられましたが、なかなか悟りを開けませんでした。今度はジョウバンザという岩の上に座して心の平和を求められました。しかし、肉体が衰弱しきっていました折、ひとりの少女が一杯の醍醐を差し上げると、お釈迦様は忽ち元気を取り戻され、世の中にこんな美味なものがあったのかと驚かれたようです。 *醍醐とは乳酸飲料、今でいうヨーグルトのようなものでのちのち、大量に摂取されたお釈迦さまは腸カタルに罹られ、お亡くなり(お釈迦)になったとも?
2026.05.03
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〇白百合が綺麗に咲く季節になりました。世界中におよそ80種類。日本には15種程度。『古事記』や『日本書紀』にその名が記され、『万葉集』にも10首詠まれています。茎が細いのに大きな花をつけるので、風に揺れ易く、その「揺れる」から「ユリ」と称されたのでしょう。 中国語ではユリを「百合」と表記し、それは根の部分が幾つもの鱗茎の球根になっているから。多くの鱗片が重なり合っている形態から百合の漢字を割り当てたようです。
2021.09.02
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