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On 2018/12/30, at 9:06, <??????@plaza.rakuten.co.jp> <??????@plaza.rakuten.co.jp> wrote:
2018年12月30日
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長らくご覧頂きました楽天ブログは今日で一旦中止します。以前にも同じ事を申し上げた事がありますが、続けて訪問して下さる方が多かったのでだらだらと続けていました。止めるのは以前のシステムで写真の掲載限度の枠が満杯になった為なんですが、楽天ブログの写真掲載のシステムが変り楽天写真館となり再挑戦してみたのです。しかし、限度枠は5ギガまで大きくなったのですが、可成り使いづらい方式で時間の少ない私には無理だと思います。これまでこのブログをご覧頂いた皆様には申し訳ありませんが、今日で一旦中止とさせて頂きます。染工房 遊の正式なブログ「遊そぞろ」はずっと続けて居ります。http://blog.some-u.com/このブログの後継として立ち上げた「染屋の独り言2」はこれから出来るだけ独り言を綴っていきたいとおもいます。それはこちら。http://ameblo.jp/someu/この二つのブログをよろしくお願い申し上げます。
2012年03月12日
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梅でさえ三週間遅れていると言われる開花ですが、工房の行灯は早桜の季節を早取りしました。遊にゃんの義経千本桜です。言うまでもなく奈良の吉野に身を潜め、頼朝に追われる義経なんですが、歌舞伎や能ではその周辺の人物や人物に化けた狐が主人公となります。この行灯は勇壮な義経の武者姿を吉野の桜を背景に描いたものです。これは昼の行灯。上は夜になって明かりを灯した行灯です。大寒気から一転春の陽気になったこの頃遅れていた梅も咲き始めました。この分だと遅れる筈の桜も思ったより早めに咲くかも知れません。
2012年03月05日
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久しぶりのブログです。先日、澤穂希さんがFIFAの年間最優秀選手に選ばれました。素晴らしい事です。監督の佐々木則夫さんも同時に最優秀監督に選ばれこんな嬉しい事はありません。出来過ぎだと戒めて過度の期待を掛けない様気配りしたいものです。そして何より嬉しかったのは表彰式に民族衣装たる着物を着て登場した事。余り美しいとは思わなかった澤さんが大層美しく見えました。着ていた着物も今時の着物ではなかった様に思います。テレビに露出する機会の多い若いタレントも正月とあって振袖を着ていました。AKBの彼女達はそれなりに若さと可愛さがありますが、着せられている振袖は今時の振袖。こちらが恥ずかしくなって目を背けたくなります。可哀想ですね。彼女達自信が恥ずかしいとは思っていないのだと思いますが、澤さんの選んだ着物と比較して余りの差に、着るものを自分たちで見付けられない若さを感じます。周りに居る大人達のセンスも貧弱なのでしょう。ぼちぼち価値の分かる目を持ってもらいたいと思います。澤さんのセンスは矢張り一流だったと言う事ですね。
2012年01月12日
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先日、京都へ単身赴任している方から耳寄りな情報を得ました。震災後関東地方はその虚脱感もあって再生には至っていないそうです。全国的に同じ事だと思っていました。勿論京都も。しかし、夏頃から観光客が増え出したのに気付きました。工房へ来られるお客様も昨年より増え出しています。中国を筆頭に外国の観光客も。秋が深まってくると白人系の外国人が目立ってきています。観光に於いては確かに復活に近い物を感じます。ただ、お財布の紐は硬めである事は間違い有りません。ところが、他の面で京都が好景気だと言うのです。それは自動車産業。京都には三菱自動車の大きな工場があるので三菱自動車が景気が良いの?と聞くと三菱は全く駄目だと。確かに三菱はスキャンダルから再生する途中ではありましたが、その瑕疵を誤摩化す体質は簡単には直りません。筆者も具体的には言いませんがその被害者の一人。消費者を誤摩化しても無理だと言う事を知らなければ再生は不可能です。コルトなど良いデザインの車が出来始めていたのに残念な事です。生産中止にしたラインも沢山あって、頼るは電気自動車のアイミーブだけだとか。それも日産のリーフにはてんで敵わないのだそうです。リーフ、確かに良い車だと思います。ちょっと大きめですが、もしもの際にその電池で一般家庭二日分の電気量をまかなえるという凄い発想は衝撃的でした。電気自動車は自動車会社でなくても部品を集めれば普通の会社でも作れると言います。確かにカートに近い物なら可能ですが、高速道路を安心して走らせたり、雨の日に横滑りしにくい構造等自動車会社の培ったノウハウが無ければ満足出来る電気自動車は無理です。その日産のリーフを筆頭に沢山の自動車会社の中で日産が一人勝ちだと言います。リーフに搭載する半導体は生半可な量ではなくその生産は京都に集中しているのだとか。その影響で京都の景気が日本で一番になっていると言います。ロームや立石電機、島津製作所、日本電産等の有名所を筆頭に小さな半導体関係の会社は目白押しです。家電の半導体は全く駄目ですが、自動車に搭載の半導体は好景気なのだとか。福島の原発近くで意気消沈したままの東京、慢心から沈没、やっと顔だけ浮上したトヨタを持つ名古屋、販売不振から沈滞したままのパナソニックの大阪。パナソニックの低迷は品質の低下が著しいから。小物の生産は殆ど中国、見事に直ぐ傷んでしまいます。海外生産しても品質管理が行き届いていない証拠、高くても品質の良さと長持ちをアピール出来るなら売れる筈。日本に帰っておいで。トヨタの慢心は自分たちが世界一だと思った時から。確かに品質、作った物に対する心配りは一流でした。しかしどんなに良い物でも多少の欠陥はあります。それを認めようとしなかった体質、作り手の意見だけで消費者の意見を聞こうとしなかった本質は改まったのでしょうかね。品質以外の特化したサービスで売上げを伸ばしたレクサスシリーズ。この行方も面白い物があります。ホンダも世界的には一つのブランドとして君臨してきましたが、体質が変わらないと三菱の二の舞になる気がします。私を含めてみんなホンダが好きです。しかし、二流のコピーを作ったり、ロボコップの様なデザインの車しか出来なければ愛想尽かしするしかありません。デザインするスタッフに女性を入れるべきです。折角良いデザインの車が出て、売れているのにロボ顔にチェンジする馬鹿。信じられない会社です。車として大好きなのがスバル。水平対向エンジンは重心も低く、吹き上がりが素早く、本当の排気音は良い特性があります。近年はその車体のデザインも急激に進化してきました。所がトヨタの傘下に入った途端、その進化は後退、酷いデザイン、トヨタ顔に。情けないですね。電気自動車に特化してはいない日産ですが、どのような道をたどるのか楽しみではあります。横道にそれましたが本当にもうちょっと景気がよくなって欲しいですね。
2011年12月12日
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タイトルを見て意味の分かった方は稀だと思います。バガスとはサトウキビの搾りかすの事。世界中で年間一億トンにもなります。殆どが廃棄処分、環境に取って邪魔者でした。ところが近年良質パルプとして注目されつつあります。タイの製糖工場ではその隣にこのパルプ工場が作られて効率化されています。木材パルプと違って軽量のため蒸解エネルギーが八分の一で済む省エネ材でもあります。廃棄処分で環境を悪化していたバガスが一転、良質の原料となったのです。そんなバガスを着物に使う畳紙にしようと取組みが始まりました。着物は年一回の虫干しが良いとされています。ところが一般の方でこれをされている方は稀。我が工房にも沢山の問題を抱えた着物が持ち込まれます。大半は虫干しをしなかった為に出るカビ。胴裏の黄変カビが表まで回るのが殆どですが、畳紙のカビが着物に移る事も良くあるのです。このブログをご覧になった方は一度着物を納める畳紙をご覧下さい。シミが湧いていれば即取り替えなければ着物にカビの胞子が飛んでカビが生えてしまいます。本来畳紙も虫干しが必要、年一回の交換がベストと言う訳です。バガスが環境に利する最高のパルプ、それを畳紙に使いたいと言うのは必然だったのかも知れません。立ち上げたのはたった一人の女性、NPO地球と未来の環境基金を窓口にしています。ご本人はネットのギフトショップを主催、銘仙を使った小物等を販売して居られます。ショップはSincerlyシンシアリー。ブログはこちら。可成り前から地下活動をしていましたが、終に地表に出現、プロジェクトがスタートしました。既に賛同者が続出、沢山の畳紙を使う企業が名乗りを上げています。現実のものになりつつあります。始まったばかりで実物が出来る所までまだ至って居ませんが、ガバスの畳紙が手に入る様になれば我が工房でも使いたいと思っています。賛同される方は登夢さんのブログやショップへお声をかけて欲しいものです。
2011年11月20日
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爽やかな印象を振りまいてブータン国王は今日京都へ。生憎の雨は迎える者にとっても残念だったと思いますが、雨の京都も良いもの。古都の一面を感じて頂けたと思います。イケメンの国王と言われていますが、奥様の美しさが際立っていますね。国王は被災者の小学生を前に自分の中に住む龍を育てる努力をしていますと仰いました。小学生は感動した様子、彼らにとってこれからの人生に役立つお話だと思います。龍は国旗にも使われ、ブータン国民にとっても生き様を左右する象徴と言われていますが、意味がしっかりあって良い国旗ですね。国王のお姿を拝見して先ず、気が付いたのは合掌される姿。アジアの仏教国では良く見られます。日本も一応仏教国ですが、挨拶に合掌される方は稀。坊さんぐらいだと思います。合掌は対する相手の中にある高貴な霊性を感じて自然に出るもの。或は感謝の気持ちが高揚して自然に手を合わすものだと思います。本来強要するものではないと思いますが、習慣として教え込んでも気質に良い影響を与えるかも知れません。ブータンが半分鎖国状態だった頃にヒマラヤ探検隊の一員として訪れ、その後農業育成のボランティアとして訪れた西岡京治さんはそのまま定住、貧農国家だったブータンを普通の農業国家まで導きました。当初は全く受入れられなかったのですが、地道な努力と工夫で現地の人の心を開いていったのです。その献身的な努力は同じ日本人として誇りに思うと同時にその姿こそ合掌したくなる姿であります。その死に際して国王は西岡さんに最高の人を意味する「ダジョー」の称号を贈りました。今回の訪日での国王の態度はそんな西岡さんの功績が陰にあったからこそだと思います。振り返ってそんな西岡さんに自分はなれるだろうかと自問してみます。勿論そんな努力は出来そうにありません。しかし、その生き様に興奮、感動する自分は西岡さんに近づける可能性だけは持っていると思っています。同じ様な場面はなくても違う生き方で爪の垢をちょっと飲んだ程度に。
2011年11月19日
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我が工房では時々白大島と言っても絣の入ったものですが、それを染める事があります。奄美大島で大島紬の生産会社から直接依頼を受けるのです。以前は西陣の産地問屋から縦ぼかしや友禅で訪問着を染めたりしていました。既にその産地問屋は廃業していますが、大島の生産会社は今なお頑張っています。大島紬は「大島三代」とか「大島は女中に着せろ」と言われます。「大島三代」と言うのは文字通り三代に渡って使えると言う意味、「大島は女中に着せろ」と言うのは大島は高価なので女中が居る家庭の奥様用、女中に着せて使い倒してこなれてから着ると言うもの。それだけ丈夫だと言う事。水をくぐる毎に着易くなると言います。私の家内も着るものに迷ったときは縦ぼかしの大島を着ます。それだけ着ていて気持ちが良い訳です。裾さばきの気持ち良さは他のものでは味わえません。私も大島のアンサンブルをもっていますが、気持ちのいい事は間違いありません。三代に渡って着られると言いましたが、実際にはちょっと無理があります。と言うのは昔の大島は短尺で生地巾狭めが普通だったからです。古着を預かって解くと揚げが殆ど無いのが普通です。当然なのは全て手織りだから、手間が無茶に掛かるから。ところが現在はその批判が届いたのか女物でも生地巾は1尺5分は当り前、生地の長さも丹後縮緬顔負けが増えてきました。まるで男物の様です。白だけでなく普通の大島(無茶に高価な)を仮絵羽し、位置付けに金加工をするなどしましたが、何故か後ろめたさを感じます。手織りの珍品を汚している様な気分。そんな話を生産会社の社長と話をしていた数日後、お客様のご主人から男ものの大島を依頼されました。そのご主人は生地巾が1尺1寸が必要だとの事。社長に問い合わせるとそんな生地巾は別織りしないと手に入らないのだとか。通常、1尺7分だと。お客様のご主人には、それしか手に入らない事を納得して見に来て頂きました。ところが奄美から届いた大島は生地巾が全て1尺1寸以上あります。大島の産地で言う生地巾は絣の切れ目から切れ目の間、耳の部分が生地巾に入っていなかったのです。お気に入りを気持ちよく選んで頂きました。話は大島の産地に移りますが、大島の生産業者は一軒のチェーン店に振り回されているそうです。大島に携わる人は激減、生産出来る古くからあった定番柄も少なくなってきたとか。そんな中で唯一そのチェーン店だけが力を入れてくれているからだとか。しかし、接待や価格の引き締めで青息吐息。呉服の生産現場は日本中どこも似たり寄ったりになってきました。今日来た奄美出身の従兄弟の子は元々糸関係、奄美での大島紬の商い額は最盛期の3%になったと言っていました。30%と違いますよ、3%ですよ。一軒の問屋の商うだけの額になったと言います。大げさと言っても近い筈、こうなると悲惨ですね。売れないと良い物が出来ない、出来ないと売れない。スパイラルに陥った様です。その中でも何とか良い物を残そうと頑張っている人達も居ます。消費者はそれを見捨てず、応援して欲しいものです。
2011年11月14日
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以前にもお伝えした事がありますが、東北での呉服の売出しではお客様の数が凄くて売上げも予想を遥かに越えているそうです。それも福島県。隣県ではなく被災地そのものです。具体的な金額も聞きましたが、結構なものでした。被災地に復興への意欲が旺盛だからこそ現れる数字だと思います。ただ販売方法はこんなものでした。十万までの袋帯、確か七万円均一だと思いますが、その帯を買うと振袖以外の着物がたったの五円。ただし、仕立は業者でするのが条件になっているのだとか。良く聞いた話ではありますが、当事者の内緒話に寄ると、以前にあった酷い業者の様に五千円で仕入れた袋帯ではなく、三万足らずで仕入れたものだとか。部外者から突っ込まれると「たけうちとは違うわい」と怒ったそうな。仕立も普通に納得出来る価格だそうで、室町に有り余った在庫を叩いて仕入れた物の様です。しかし、仕入れ価格が五円以下と言う事は有り得ません。ゲンナマでほっぺをシバケバ、一万五千円なら入手可能かなと言う所です。依然としてバッタ屋もありますからね。仕立は最近富みに技術が上がった中国かベトナムでの仕立だとは思いますが、日本での仕立とは価格が天と地です。確かに袋帯と仕立で利益を捻出しています。こんな販売方法は大きな資力のある業者でしか扱う事は出来ませんが、手っ取り早く無くなった着物を補充しようとする被災者に取っては有難い手法かも知れません。じっくり、良い物を選定したいと言う気持ちになるのはまだ先の事かも。
2011年11月02日
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工房の下職で糸目職筒描きを依頼している方が、京都の西陣会館で実演をやっています。市の依頼と言う形なので日当が出るので、仕事が無い職人にとっては有難いお仕事。三階と一階に分かれますが、一階は舞台や物産の販売店等があるので数人です。三階も本来舞台形式の大広間なんですが、その大広間に沢山の職人が実演を披露しているのです。震災前は沢山の観光客で一杯でした。震災後ゼロに。それがこの夏頃から少しずつ回復に。現在では半分近くまで復活したそうです。勿論観光客の殆どが中国人。それに混じっていかがわしい人物も登場。実演していた「ふくちゃん」は東京の日本橋の呉服商を名乗る男から、東京での実演を依頼されました。それなりに着物業界の事は知っているのですが、肝心な事になると意味が通じないのです。日本人なら知っている事なのに。それに発音がちょっとおかしい。良く聞くと中国人訛り。違和感を感じたので、実演を断りました。その後、一階に下りてみると彼の呉服商を名乗る男が別の実演者を口説いているのです。「ふくちゃん」を見ると慌てて退散、別の実演者(木彫)には材木関係者を名乗っていたとか。どういう風に実演者を利用するつもりか分かりませんが、中国人の詐欺師が横行している様です。先日のブログでは問屋外しが進んでいると書きました。もう一つ現実があります。振袖ではインクジェットの作品が殆どを占める時代になっていますが、その世界でも問屋外しが進んでいます。染屋が生地を仕入れてチェーン店に直販しているのです。染屋の名は伏せますが、チェーン店が行列を為しているとか。ここでも問屋外しが進んでいる様です。しかし、小売価格に反映されるかどうかは不明。どこもかしこも、生き馬の目をくりぬく様な生き様を見せつけられ、哀れを感じます。
2011年10月24日
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今日、下職の二軒で共通する話題を聞きました。染の着物が出来るには、問屋さんの直営の工房が制作する事がありますが、可成り稀な形態。殆どが、「染屋」或は「悉皆屋」が問屋さんの注文を受け、職人さんを巡り乍ら指揮、出来上がったものを問屋さんに納めています。その問屋さんも製造卸問屋で、室町などの総合卸問屋は製造卸問屋から仕入れているのが大半です。チェーン店の催事にはこの「悉皆屋」さんが作家と称して売子になり、一部で物議を醸しました。「たけうち」等の催事では裁判沙汰になった事も。この時、「悉皆屋」さんは室町問屋の依頼を受け製造卸問屋が指名して送り込んだものでした。ところが、ここ数年の着物不況はこの形態に変化をもたらしました。得意先の注文が激減した「悉皆屋」さんは直接このチェーン店の催事に反物を持ち込んだのです。生地を自分で仕入れて染め上げ、その催事で販売する訳です。チェーン店にしてみれば、問屋を通すより割安で新作を展開出来るのですから、願ったり叶ったり。この方法で売上げを伸ばしている「悉皆屋」が結構増えているのだとか。今の所安価な型物が殆どだそうですが、その内手描のものが増えるかも知れません。今日訪れた引き染め屋さんでは仕事が多めなのはそんな「悉皆屋」さんだけだとか。型屋さんでもそんな人が増えていると聞きました。つまり、製造卸問屋と室町などの前売問屋をスルーしているのです。催事さえ開いて客集めをしてくれる業者があれば、「悉皆屋」さんが問屋を通さず催事に反物を持ち込んでいる形態。この流れは戻らないかも知れません。
2011年10月19日
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室町のとんでもない不調から問屋筋の注文は激減しています。来年のカレンダー柄になる振袖の注文は来ていますが。ところが店頭で販売している小物は結構大忙しです。本家のブログに掲載した雅楽の手ぬぐいがあちこちに影響を与えています。格安で販売している手ぬぐいは別注でも同じ価格ですが、結婚式の記念に使うと言われて大層な時間をかけて柄を描き上げました。それが雅楽好きの皆様の琴線に響いたのだと思います。雅楽に関するハンカチや手ぬぐい等の注文が続いています。店頭でも正絹の生地を使ったシュシュが売れ続けて生産に追われ、無茶に安価なコースターも在庫が激減。これだけ忙しくしているのに懐が寂しくなる一方とは「なんでやねん」と皆で言いあっていますが理由は只一つ。数ヶ月前京都の料理旅館の若女将から本格的な訪問着を依頼され既に納品したのですが、その仕立が上がったのでお初に着用する姿を見に来て欲しいと頼まれました。お昼を頂いたのですが、流石にミシュランの一つ星美味しかった。若女将に素晴らしく似合っていてホッとした所です。我が工房では本格的な友禅の訪問着は長い間作っていませんでした。京都ならどこでも染めているのでそんなもの作らんでも良いと思っていたからです。作っていたのは世間に無いものばかり。それに近年はあることか友禅を中国でやり出したのです。お陰で友禅仕事は市内でも激減。友禅職人が現地指導しているのですから。ところが、本格的な友禅でも有り余る程作れば売れなくなります。生産していた「I」と言う会社は大赤字を出す事に。そんなこともあって作らなかったのですが、若女将に作った着物を見て自分も欲しいと仰るお客様がいらっしゃったのです。相談の結果、柄は御所解に。しっかり本格的なものにするつもりですが、図を描くのに可成り時間がかかっています。一度作った物を一からやり直したので余計ですが。少しづつですが出来上がってくると嬉しいものです。いつか本家のブログかメルマガに掲載したいと思っています。
2011年10月11日
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着物に使う生糸が高騰しているのはご存知だと思います。二、三ヶ月前で丁度倍になったそうです。一反の反物に使う生糸は約1キロ、それが織り上がって精錬されると700gを越えた辺りになります。ずっと1キロ3,000円を維持していたの6,000となっている訳です。染に使う白生地はそのまま3,000円の値上がりとなっています。工房でも、新規の仕入れからは同じく3,000円上がっています。一時ガソリンも安定した価格になっていましたが、ここ暫く値上がりしています。「円高なのになんでや」という感じですね。小麦粉も凄い値上がりだそうで、相場に興味ある人から聞きました。世界的に不況で投資家がこれらの先物取引に金を集中しているからだそうです。それに輪をかけているのが、中国のインフレ。自国の景気向上によって需要が高まり、輸出に回せないのが値上がりを助長している様です。我らは生糸に付いては敏感ですが、綿糸に付いても同じ事で、国内需要で輸出が制限まではしていないけれど、可成り減ってきた様です。綿布ではハンカチ用に仕入れていた品質が高く日本製ながら割安だった生地も生産が中止になりました。手ぬぐい用の生地もこれから仕入れるのは二回目の値上がりになります。一回目は販売価格を抑えていましたが、二度目の今回は販売価格に転嫁せざるを得ない様です。ところがです。よく考えると、円高だからこそこの値上がりで済んでいるんですね。普通だったら凄い値上がりになります。助かっているんですね。メリットもある訳なんですが、だれもその事を言いませんね。不思議です。ヨーロッパの不況も言わば産業の空洞化が招いたとも言えます。ドルをばらまいて物を買いあさったアメリカも落日模様。安い工賃を求めて、今や中国に産業が移転してしまったのだから。中国の繁栄とリンクしている様です。
2011年09月27日
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事故多発と言っても私の周辺だけの事、皆様は御心配なく。つい最近、自宅の前まで帰ってくると車が渋滞気味でした。すると片側車線の真ん中に「原チャリ」が倒れていました。そのバイクを何とかよけて通ろうとする観光バスが目に付きました。するとその向こう側、バスが通った陰に人が倒れていました。バイクの反対車線です。バイクからは20メーター程。びくとも動きません。沢山の人がいましたが、皆じっとしたまま。遠くから救急車のサイレンが聞こえてきたので、そのまま帰宅しました。通常の事故なら現場検証もあっという間に終わるのですが、片側通行止めにして夜中まで現場検証です。多分死亡事故だろうと思っていましたが、正にその通り、即死だった様です。無理な追い越しをしたバイクが車に接触、反対車線に転がった所へ車。正面衝突でぶっ飛ばされたそうです。事故で死んだ人を見たのはこれで三人目。嫌なもんです。嫌なのは事故に巻き込まれた人、振って湧いた災難ですが、これも前方不注意で傷害致死の疑いで送検されるのだとか。本当は被害者の筈です。目の前へ飛び出した人間をよけきれる筈はありませんからね。自分に非が無くても、降って湧く災難が有ると言う事をお知らせしたかった訳です。我が家族が工房に通うのは自転車。これもつい最近、家内が西本願寺の急ごしらえのバスターミナルで段差に引っかかり転倒、膝を痛打してしまいました。やっと歩ける様になりましたが、自転車には痛くてまだ乗れません。「遠忌法要の人ごみで迷惑を蒙っているのに、本当に迷惑な寺だ」と本末転倒な文句を言っていました。本人の責任であるのは明白ですが、言ってみたくなりますね。私も自慢じゃありませんが、三回転倒しています。事故は思わぬ時にやってきます。どうぞご注意を。
2011年09月14日
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時代の寵児であった紳介が失脚したのは私に取っても可成りショックな出来事でした。数少ない見て面白い番組は彼がメーンの番組が大半でした。彼は京都出身でしたが、中身は大阪人間そのもの。大阪人の機転を利かしたやり取りは紳介の芸を象徴するかの様でした。「こいつは最高やな」と思わず口に出る程。彼の出身校「大谷高校」は今では有数の進学校になっていますが、紳介の在校中や私の高校時代はそれは出来の悪い子が行く高校でした。高校時代、ハンドボールの同好会を始めていた私たちが既にクラブとして活躍していた大谷高校のハンドボール部と練習試合を行った事がありました。我が同好会に京都で一番強い有名な進学校「洛星高校」から転出してきた元ハンドボール部の方が一時入会していたのです。京都でも一番の強豪だったクラブ員は血の気も一番。彼は練習試合でも強烈な接触をいといませんでした。当然、一触即発の場面が来ました。我が同好会の内、彼以外は実に紳士的な人間ばかりでしたが、大谷高校の連中は全てヤンキー。先生が止めなければ、彼一人と大谷高校の連中全員との喧嘩になるところ。紳介がつっぱっていた写真そのものでした。しかし、そんな彼が更生?素晴らしい芸能人になった事は同じ京都人として誇り得る出来事だったのです。彼は小心者。大きな口を叩く割に叩かれ弱いのです。右翼をおちょくったばかりに街宣車に叩かれ、その始末を暴力団に頼んだのが事の始まり。一気に片を付けてくれた暴力団の凄まじいパワーを信仰してしまったのです。その親分が警察に捕まると、その警察を批判するメールを送ったのがある事件を契機に警察の知る所となりました。これに警察が反応したのが、今回の引退の引き金だった様に思います。警察はそれを批判する人や組織を放っておきません。今回の事件で紳介と渡辺元チャンプとのメールの内容がある週刊誌で全面暴露されました。本来、公表される事無い筈の貴重な資料であるメールの内容が公表されたのは警察のリークしか有り得ません。警察批判が紳介を地獄へ落とした様です。警察官は公衆の面前では間違いなく紳士ですが、それに乗じて罵詈雑言を浴びせると署内へ引っ張られた後はえらい目に合わせてくれる筈です。跡の残らないやり方で責められ続けるのは間違いありません。彼らも人間ですから公衆の前では紳士ならざるを得ませんが、公衆の目が無ければ本性を発揮します。検察や警察、彼らは批判を許しません。長年改革された事の無い組織は経年劣化、腐り始めます。それを改革しようとした人間は排除か抹殺されてきました。それも合法的に見える様に。「悪」との前面に対決してくれる組織だからこそ明瞭な組織であって欲しいものです。紳介のひ弱な性格が生んだこの事件は彼の番組を楽しみにしていた人をがっかりさせるだけでなく、彼に付いて行った弟子群を地獄へ落としてしまいました。何ともやりきれない事件ではありました。
2011年09月08日
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ネットショップでは着物や帯は仕立て上がって販売されている事が多いですね。裏物屋さんの話では中国製の半練りの胴裏が無茶に売れているそうです。買ってはゴミに出しているのでは思う程の大量だとか。半練りしているのは本練りにするとスケスケになったり軽過ぎて使い物にならないからと聞いています。半練りだと皺が入ると除去するのは不可能、スチームアイロンでも折れた跡は消えません。そんな半練りの胴裏を何に使うかと言うと勿論仕立てです。ネットショップで安く売る為に、仕立て上がりの着物用として激安の胴裏を使うのです。使用する胴裏の価格は最高で2,500円足らずとか、工房で使っている胴裏の半額以下三分の一に近い価格です。勿論仕立はベトナムでミシン仕立。着物の一番の魅力である解けば一枚の布になると言う特性は消滅、何回かは着用出来ても次の世代に残す事は不可能です。この胴裏も素早い経年劣化で紙の様になってしまうそうです。安かろう悪かろうの典型ですが、価格に見合った事なので文句を言う人は少ないかも知れません。古着屋さんの大繁盛から、仕立て上がり着物の隆盛に向っているのかも知れません。仕立て上がりでは裏は見えませんから、プリント着物でも十分なんですね。体型の一般的でない人はつまはじきになりますが。
2011年08月27日
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丹後縮緬や浜縮緬の組合等着物の生産に携わる所では毎年カレンダーを作ります。それぞれの組合が得意先へ意向を打診して提供を受けるのです。特に浜縮緬は高額と言う事もありこのカレンダーに掲載されるのは名誉とされていました。カレンダーとしては最大級で欲しい人が沢山居ましたが、一部千円以上した筈、簡単には贈呈出来るものではありません。十年程前、我が工房の作品が掲載された事があります。ずっと昔は掲載されるともの凄い注文が来たので期待しましたが、それほどではありませんでした。その作品は既に販売量が多く、業界に行き渡っていた事もその理由かも知れません。その浜縮緬のカレンダーに我が工房の振袖が掲載されました。勿論来年の。表紙と一月二月の二ページになります。枝垂れ梅文様、黒鼠に裾が深緑の染分けぼかし。先日得意先の社長から出来上がったからと一部頂きました。八月に来年のカレンダーが出来上がるんですね。本来はこのカレンダー秋も深まりを見せた頃に配布される筈なんですが、既に手に入れた小売屋さんも居られるとか。蛇の道は蛇と言う所です。商売熱心な小売屋さんは力がありますからね。さあ、百枚程注文が来る筈。お待ちしています。
2011年08月24日
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こんな話を聞いた事があります。豪華な蒔絵はきらびやかで荘厳です。しかし、豪華過ぎて華美が鼻につくと言う人も居られます。普通に見ればそう思えるかも知れません。ところが、現代の明るさから離れ、江戸時代の夜の明るさ、つまりロウソクを灯した部屋で金蒔絵を見ると蒔絵の本当の凄さが分かると言います。これは彼の文豪谷崎潤一郎が記した文章にあったと聞いています。なるほど、少ない光、それも微かな暖色系の光ならさもありなんと思ってしまいます。重厚さや侘び寂びが醸し出されてくるのです。日本の文化は現代の明る過ぎる生活では再現出来ないのではないでしょうか。日本は光を浪費していると言えます。蛍の光、窓の雪で照明を取るのは今や不可能ではありますが、言われてみればその通り。もっと暗い場所で生活や勉強していた事を思い出します。使い過ぎなのかも。今日、「京の七夕」に行ってきました。本家のブログには明日、写真を掲載するつもりですが、明る過ぎない明るさは風情があります。光と日本文化の整合性をもう少し考えてみる必要性があるかも知れません。それはそうと、大分前のメルマガで紹介した蒔絵、漆が完成に近づきつつあります。西陣の袋帯では蒔絵を使う事は創案されていました。細い一ミリ程度に裁断するので柔軟性が生まれたからです。今回は染帯の一種として蒔絵の帯を発表する一歩手前まで成功を納めています。漆は何回も重ね塗りを施します。そして、染とは全く反対の乾燥させるのに湿気を必要とするのです。試作は完成し、帯の加工が始まろうとしています。暫くするとお目にかかれる予定です。
2011年08月08日
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着物の染には仕上げの工程でどうしても世話になる工房があります。生地に付いた染料を定着させる工程である蒸しを主な仕事にする「蒸し屋」さんと生地の巾を出したり揃える「湯伸し屋」さんです。湯伸し屋さんは蒸し屋さんが兼業している場合もあり、比較的小規模で商いされています。ところが蒸し屋さんは沢山の工程をこなす為、それぞれの機械や作業場を必要としています。ゴムや蝋を落とす揮発水洗の機械、余分な染料や防染の為の糊を落とす水元の機械と川、蒸しをする着物の生地を沢山入れる大きな箱、自然乾燥させる大きな干場など。その為蒸し屋さんは大きな設備投資が必要な為、大きな土地と資金が必要な工場となっています。近年、着物不況は深刻さを増し、耐えきれなくなった蒸し屋さんの数は年々減っていました。残った数少ない蒸し屋さんも毎年続く赤字にも拘らず営業を続けていたのです。蒸し屋さんにも大きな声では言えませんが暗黙の内にランク付けがありました。トップの一軒を除いてはドングリの背比べに近いのですが。そのトップである「辻本」さんがこの八月一杯で廃業する事が決まったのです。その話は内緒で一年程前に聞きつけていたのですが、誰も信じませんでした。京都の染で高級な物を染めている染屋さんは大方この「辻本」さんに蒸しを依頼していました。腕も良いけど工賃も高く我が工房とは取引がありませんでしたが、親父の頃は同じ染の同人として仲が良かったそうです。京都の蒸し屋仲間の間では常にリーダーシップを取り続け、別格扱いされていたのです。そんな蒸し屋さん廃業ですから、良い物を扱う染屋さんに取っては寝耳に水の大ショック。代わりをする蒸し屋さんが居ないと嘆く事しきり。しかし、他の蒸し屋さんも後追い心中する可能性が無いとも言えないのが実情。大きな設備を保持していくのは至難の技。潤沢な資金が裏打ちされないと舞っていかないのです。我が工房の依頼先の蒸し屋さんは「染の地図が変りそう」と言っていました。続けられる赤字の年数は限られています。震災以来のどん底不況が本当に地図を塗り替えそうになってきました。我が工房はお客様の支援があり、着物だけでなく小物にも色んな形で注文が来ています。しかし、問屋筋からは仕事が消滅、初めての経験をしています。今こそ心細やかな工夫が必要だと思います。さあ、智慧を出し合って勇気を持って立ち向かいましょう。
2011年07月29日
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最近の情報では東北で行なわれている小売屋さんの売出しでは可成り成績が良いとの事です。期待していなかった売上げが予想を遥かに越えた売出しが続いている様です。避難して居られる方にもお買い上げ頂いたとか。夏前の浴衣の売出しでも予想を遥かに越えて、急遽東京や京都から取り寄せたと言う話も。有難い事です。その一方、着物の日本一の集散地である室町の問屋街は閑古鳥が鳴いている様です。染物も新作を作るべき製造問屋が生産を止めたままなので「適品」の少なさが余計に商機を逸している様です。我が工房の下職である職人さんや蒸し屋さん、湯伸し屋さんでも仕事が集まらず、半日の仕事が無い程。三月十一日を堺に仕事が無くなった人が無茶に多く居ます。職人さんは一日中の仕事があって食べていけるのが現実。仕事が無ければ即食い上げ。この状況は職人の世界の地図を又塗り替えそうです。廃業で昔出来た物がどんどん無くなっていく今、またもや大きな転機を迎えようとしています。一方で景気のいい話、一方で廃業の話。極端ですが現実です。
2011年07月15日
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着物に携わっている人でも青花に付いて知らない人が多く居ます。そこで豆知識として青花に付いて知り得た事を書いてみます。着物の友禅染ではその形の基本となる図案が必要です。現在の割と安価に染まる物は紙に描いた「草稿図案」を生地の下に置き、最初の工程として糸目(筒描き)を置くのです。糸目の線はゴムを使用します。これで下絵を省いて同じ物を量産出来、本来とても高価であった物を庶民でも買える様にしました。江戸時代より手描友禅の最初の工程では、白生地を仮縫い(仮絵羽と言います)状態にして、下絵師がそれをキャンバスに見立てて図柄を描き上げたのです。下絵師の腕の差がその工賃の高さに直結しますが、仕上がり構図の良さに直結するのは当然となります。その下絵に使われていたのが「青花」この青花が下絵に使われたのはこの青の色素が水に溶け易く、糸目を引いた後霧吹きで水をかけてやるとスッと広がってしまうからです。この広げてしまう工程を省いて「蒸し」に入ってしまうとこの青花は生地に定着。跡が残って難物となる危険物でもあります。現代では糸目が餅米の糊からゴムに変ったので使われる頻度が下がりましたが、一点物の高級品は殆どがこの青花を使った下絵が元になります。露草の栽培変種で一年草、滋賀県の草津が本場とされています。青花は一メーター位に成長し、丁度今頃七月から八月にかけて開花。花は午前中でしおれてしまうので開花中に収穫するのは大変な作業。その為「地獄花」と呼ぶ農家もあるとか。採集した花びらは集められ手もみ、青い色の液が出てきます。この液を和紙に染み込ませ乾燥させます。それを繰り返し濃度を上げていくのです。100gの和紙が400gになるまで。出来上がった青花紙は小さくカットされ販売。小皿に置いた青花紙に水を垂らすと青い汁が溶け出ます。その液が下絵の線になる訳です。青花は草津市の市の花に認定され、作り出された白い花は「くさつばな」と命名され健康食品など多様な効果を持った植物として草津の名産物にされようとしています。良い方向に発展しそうで嬉しいですね。
2011年07月12日
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福島の方々を思うと胸が張り裂けそうになります。遅々として進まない安全への道のりは県民の向上意欲を削ぎ倒しています。原発は建築や稼働中の経費は確かに安価ではあります。しかし、経年劣化によって廃炉される場合でも廃炉の費用は天井知らず。現在廃炉の工程に入っている東海村の原発は、その収束時期まで確定されない不安定さと費用の高さが問題になっています。結局は長い目で見れば原発が一番高くつく発電と言う事は間違いなさそう。原発が今後設置される場合、今回の大震災は見事な教訓となって多分日本製の原発は世界一安全なものになるに違いありません。しかし、問題があります。それを安定的に動かしている筈の人間や管理する人間に問題があるのです。東電や政府の体たらくには反吐が出ます。費用対効果の優先、隠し事、無知これらは事原発に関しては犯罪です。浜岡原発でも職員が白血病で亡くなっています。事故が起きた訳でもないのに被曝していたのです。これも広く知らされていません。小さな事故は全て隠蔽されていたのです。事あれば手の打ち様の無い原発は小さな事故のうちに廃炉すべきだったのです。嫌な事は後回しする人間の弱さが如実に現れていると言って良いのではないでしょうか。これほど無能力な政府や官僚を仕方が無いと、何もしない国民が本当は一番悪いのかもしれません。自分たちの国なんだから国民が何かしないと。
2011年07月04日
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我が工房では着物のクリニックも手がけています。その中でも多いのが衿に付いたファンデーションの汚れ。ファンデーションの汚れを落とすときは袖口も汚れている事が多いのでセットとして袖口の汚れも落とす事が普通です。シーズンの終りにファンデーション洗いをすると、洗い落とすだけで済む事が多い様です。ところがシーズンをまたいで汚れが長く付いたままだと、ファンデーションを洗い落としてもその跡が退色と言うか色がはげている場合が多いのです。地直し屋さんはファンデーションの油分が脱色効果を発揮しているのではないかと言います。その油分には効能があります。ファンデーションはお肌を白く見せるのが基本ですが、その中には脱色効果を発揮する薬品も含まれているのではないかと言う事です。これまでに何回かファンデーション焼けの事例を処理してきましたが、昨日も同じ事故を起こした着物を直させて頂きました。特に紺の色は退色する傾向が強い様で、綺麗に筋となって色が抜けていました。色をはめ込んで綺麗にしましたが、その分のコストがかかります。ファンデーションは丸洗いでも落ちますが、衿を洗うだけならコストも安め。シーズンの終りにはファンデーション洗いをお勧めします。
2011年06月26日
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パソコンがダウンしたのですが、その前は家紋帳を作る事に専念していました。どちらにしてもブログから離れていたのですが、今日パソコンの修理が終りご無沙汰していたブログをちょっぴり再開しようと書き始めました。本家のブログでは今日行った妙心寺の東林院や二尊院の様子を二十枚以上の写真を掲載して書いています。よかったら覗いて下さい。こちらのブログでは写真が満杯になったので掲載は出来ませんが。三ヶ月程前から工房のメルマガを始めました。その為にある程度ブログに載せる資料がメルマガに流れているかも知れません。そのせいかブログの数が減り気味でもあります。工房へのメールはアドレス付ですから、一回でも受けたメルアドには厚かましくもメルマガを送信しています。今の所断られる事も無く、送った友人からはお誉めの言葉を頂いています。プロの様な出来具合だと言う奴も。褒め過ぎだとは思いますが、独断と偏見で作っているので嫌みな所がある筈なんですが。送られてきても目障りな物は削除すれば良い事だし、迷惑メールに指定しておけば煩わしさから開放されます。それでも、嫌だと思って居られる方には迷惑な話かも知れません。遠慮なくストップの通知をして下さい。しかし、中身をご存知無い方からメルマガの配信を希望される事も増えて配信先は増える一方です。内容はそれなりに考えて、資料も集めます。家紋や浮世絵もその一つ。家紋の資料集めは家紋帳を作り始める事にまでなりそうです。浮世絵は集めているうちに凄い作家を発見。私一人が発見したのでは勿論ありませんが、希有な写実表現が既に知る人ぞ知る方であったのです。これは前々回のメルマガに掲載しました。着物の事となると、専門の染めに関する事なら大概の事はお教えする事ができますが、それ以外の歴史や着方では着物博士の様なブログに教えてもらう事ばかりです。特にとんぼさんという着物博士からは。そのブログはこちら。彼女はほれぼれする気っ風の良さと歯切れの良さだけでなく、周りへの気配りと母親としての愛情の深さを持つ希有な人でもあります。時々、資料をそのブログから頂戴する事も。そんなこんなでメルマガをやっています。不定期で今の所一ヶ月に二回あれば良い方と言う少なさですが。もし良ければ本家の問合せのページから申し込んで頂ければ幸いです。
2011年06月20日
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「我々は絶壁が見えない様にする為に、何か目をさえぎるものを前方に置いた後、安心して絶壁の方へ走っている」というのはパスカルの言葉だそうです。鷲田大阪大学総長が豊かな電力供給に何の疑いも抱かなかった事の反省に引用された言葉です。見ている筈なのに誰も見ていない事がある。皆が渡っているから付いて行くと赤信号だった。原発のこの惨事は勿論甘い基準で運転をし続けた東電の責任ではありますが、その怖さは政治家もそして国民も気付いていた筈。チェルノブイリの事故は良い教訓だった筈。いまだに解決されていません。そして、もっと問題なのは老朽化した原発がその建物や装置を壊して更地にまでする事が殆ど不可能である事。廃棄された東海村の一号機は未だ処理の途中で、完全な処理が出来る見込みは全く無いそうです。現在使用中の原発を老朽化によって破棄するにも、長大な時間と巨額の費用が掛かってしまうのです。この事は寝耳に水、国民に知らされていません。都合の悪い事は国民に知らしむべからずの自民党政治の悪癖だったのです。情けないですね。信用していたのに。いずれにしても次世代のエネルギーを追求すべき時期に来たと思います。何年も前にこんな提案がありました。赤道近くの洋上では年中風が吹いて波の高い地域があるそうです。その洋上に波力発電所を浮かべれば、その電力で海水を電気分解、水素を取り出せるのです。プラントの規模が大きくなると日本はエネルギーの輸出国になれると言う試算が出来たそうです。誰も手を揚げていませんが。宇宙に大きな太陽光発電所というものも。宇宙空間にあるので天候に影響される事がないので安定供給が可能。宇宙からは電磁波で地球に送電すると言うもの。不可能ではないそうです。植物アメーバの中には石油に近い油分を作り出すものが居るそうです。二三年前は淡水で昨年は海水で繁殖するものが発見されています。大きなプールを作ってプラント化すれば石油を輸入する必要が無い程の生産も可能だとか。夢の様な話に近いかも知れませんが、資金のある起業家なら挑戦してみるべきだと思います。国民は原子力の方向性に何かを見付けた様な気がします。
2011年05月21日
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日本は東北大震災により国の行く末を考える上で大きな岐路に立たされたかも知れません。震災で受けた各地の被害は日本人の類い稀な勤勉と智慧で解決される筈だと考える事が出来ます。問題は原子炉。世界で唯一の被爆国である日本は本来核アレルギーが充満している筈でした。戦後原子力に関する研究は占領国によって禁止されていました。解禁されたのは1952年のサンフランシスコ平和条約発効後。1956年には原子力委員会が設立され初代委員長には読売新聞社の正力松太郎社主が就任しています。勿論政治家として後押ししたのは中曽根康弘氏。当然、読売は新聞紙として原子力発電を推進するキャンペーンを張っていました。新聞は貴重な情報源ですが、多かれ少なかれ恣意的な偏向報道が常態化しているのは事実。自ずと情報操作や大衆の煽動という危険な面が意図せずとも存在する事を忘れてはいけません。気が付かない内に洗脳される危険があるからです。先の大戦時、国民に戦争を煽ったのは朝日新聞でした。しかし、悪いのは国民、まんまと乗っかって戦争遂行を後押しした事も忘れてはいけません。朝日新聞は今、反戦の先頭に立っている顔をしていますが、その戦争推進の反省や総括をした事はありません。つまり、マスコミは参考にしても、信用せず丸呑みしてはいけないと言う歴史を持っているのです。原子力発電所が過疎に近い場所に設置されたのはやはり安全に自信が無かったからに他ありません。福島の原発は東京電力の地域を超え、送電に一割もの損失を計上した上で建設されています。その地は過疎であり産業が貧困であったが故に発展を望む声が高かったのが受け入れた理由。首都圏近くでは危険過ぎると言う事に他なりません。確かに原発近くの市町村は経済的な恩恵を受けているのは間違いありません。それが原発を拒否する気持ちを削ぐのも事実です。もう一つの現実は日本人全体が受けている恩恵です。日本でも有数の水力発電である九頭竜ダムは発電量が約25万キロワットに対し福島原発の六号機では110万キロワットを産み出しています。大掛かりなダムは生態系を壊し、自然を歪め、住む人の移住を伴います。そんな負担が合ってこれだけの発電量。それに比べれば原発は小規模で済みます。工業立国である日本が成り立つには強大な発電が入用なのです。原発の現実は危険な面が二つ。一つは現在東海原発だけが廃炉され、解体が始まって十年以上経過していますがその作業は困難を極めています。と言う事は今ある原発を解体処理するにはとてつもない経費と時間がかかってしまうという現実です。もう一つはこの福島原発と同じく損傷した場合、原発が手の付けられない状態に陥ると言う事です。今直ちに収束しても、こぼれ落ちた放射性物質の為住居する事等全く不可能な事態を起しています。ましてや事態が明らかになるに連れ、収束が困難である事が判明、何れだけの時間が必要なのか、どれだけの放射性物質がばらまかれるのか全く不明になっています。技術立国の日本でこの事態です。東海村の原発事故があったのは1999年の事だと思いますが、完全な人為的ミスが原因です。福島原発も1990年代から沢山の研究者から耐震性の不備を指摘されていましたが東電と政府は知らん顔。震災直後アメリカから冷却剤の提供の申し出があったにも拘らず直後に断っています。受け入れて使用していれば違った展開になったのは明らかです。関電からの発電車の提供も断っています。面子にこだわるだけの能力が無いにも拘らず被害を増大させているのは、天下りの何も知らない幹部が多過ぎる為だと思われます。これは犯罪的な人災と言えるのでしょうが、他の原発で同じ様な事もあり得るのです。原発の圧倒的な発電量で繁栄を遂げた日本。とんでもない危険物だと分かった原発。恩恵と危険の諸刃の剣である原発。さてどの道を行くべきか、子孫の為に考える時期が来た様に思います。原発破棄は言うは容易く行い難い代物。潮流、地熱、風力、太陽など効率の悪い発電もやると決めてしまったなら、日本人の集中力で出来る可能性も無いではないと思います。
2011年05月16日
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京都の着物業界は特に染物に関しては、製造卸問屋と室町問屋と呼ばれる前売問屋で構成されています。前売問屋さんの中には仕入れ無しに、全てを製造している所も数は少ないのですが、存在しています。商売相手は地方問屋と小売屋さん。大半の前売屋さんは製造卸問屋さんから仕入れます。昔からちょっと有名な前売屋さんが倒産すると室町こぞって仕入れを止めてしまいます。まるで横並びの様に。そして売れ筋がちょっと評判になると殆どの前売屋さん同じ系統のものを仕入れます。ですから、染屋にしてもこの流れに乗ると一気に儲ける事が出来たのです。西陣は染め業界よりもっと強烈で、売れれば利益率が高いので「一夜明ければビルが建ち二夜明ければ夜逃げする」と言われていた程です。いずれにしても昔程、この様な事は無くなりました。ここ数年は値頃の着尺が売れると言うので、室町こぞって安物の小紋を仕入れました。それが大量の不良在庫となって室町問屋を苦しめてきました。それでも何とか糊口を凌いできたのです。ところが、今年に入って小売屋さんの個展に、お客様が戻り出したという明るいニュースが増え出してきました。少し光が見えてきたので少しずつ仕入れの量も増える気配を見せていたのです。そこでこの震災。見事に仕入れが止まってしまいました。その影響は勿論職人へ。仕事の量が超低空飛行していたのにそれよりもっと悪く、「無し」に近い状態に。昨年の友禅の生産高は減る傾向を変える事は出来ませんでした。しかし、インクジェットだけは生産高を伸ばしています。最も使い易い型友禅の小紋、もちろん振袖、訪問着に至るまでインクジェットが席巻する日が近いのかも知れません。
2011年04月28日
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日本人でこの震災に「何か貢献出来ないだろうか」と思わない人はいないと言う程、被災者へのボランティア意識が高いのは皆さん感じられる通りです。京都から行かれた方には現地の人は「京都からわざわざ来て頂いて」と感謝の言葉を受けると聞きました。京都新聞に寄ると、参加費一万円でボランティア希望者を募っているとありました。一万円は食費代の様です。泊まる所は市が確保したのだと思います。これなら行き易いですね。しかし、一般の震災へのボランティアは希望者が多過ぎて大半が断られているそうです。何も無い所へ行くのですから、寝袋、食料は持参でないと無理な話。旅館で泊めてもらってなんて考えても、現地の人でさえ泊まる所が無いのだから遠くからのボランティアは困難な様です。ボランティアは衣食住を自分で確保出来ない人が来られると迷惑な事になります。神戸の時は大阪や京都の近隣の人が大半でした。日帰りですからその分荷が軽くて済みます。今回は全国規模の希望者が殺到している様です。気持ちだけはあっても、暇も金もない我々は歯ぎしりをしながら見ているだけ。小銭を募金箱に入れるだけです。何かお手伝いを、何か気持ちを癒すものをと思うのですが。テレビでは野球のグローブを作る職人さんが、色んな学校等に呼びかけて不用なグローブを再生、現地の子供達に配るのが映されていました。素晴らしいアイディアだと思います。始まった学校生活に生かされるでしょう。着物職人である我々に出来る事は何でしょうか?泥に埋まった着物の再生は不可能としか考えられません。それに住む場所も確保出来ていない今、着物は邪魔者扱いになる事は明白。着物の補修の時期ではない様です。
2011年04月26日
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三陸沖は日本でも有数の地震地帯、それも世界有数の津波を伴う悪魔の顔を持っています。その反面、世界有数の漁場という天使の顔も持ちあわせています。この顔は美しく至福の時を過ごさせてくれます。悪魔の顔を持っている事等忘れさせてくれる程。悪魔の顔を出すのは世代が代わって忘れられた頃。ここに家を建ててはいけないと言う家訓も押入の奥に。今度の悪魔は悪魔中の悪魔、悪魔王。ちょっとした悪魔除けなぞ屁のカッパにやってきました。魔の手から逃げ得た人の話しを聞くと、逃げ方が上手かった、来ない場所に家を建てていた、運が良かったに集約されるかも知れません。運が良かった人以外は、全て油断をしていなかった事が助かった理由だと思います。先生の言う事を聞かず、一目散に高台に上がった子供も居ます。全校集会の様にグランドに整列させて避難が遅れて沢山の児童が亡くなった例も。沢山の子供を預かった先生が、いざと言う時どうすれば良いのか考えていなかったからこそ、直ぐ横にある山や校舎の上部に行かず曖昧な行動を取らせ自分も含めて子供を死なせてしまいました。東海、東南海、南海地震は今度の震災と同じく、一気に起こる可能性も指摘されています。今度の震災で京都、滋賀は十センチ東北へ地盤が移動しました。関西も可成りの地盤ストレスを抱え込んだ可能性があります。酷い余震が南へ移行しているのも気になります。可成りの確立で起こる事が予想されるこれらの地震に、果たして油断してはいないでしょうか。大阪は緩い地盤の上に建った都会、液状化や地下街の津波対策は万全なんでしょうか。話は変わりますが、工房へ自転車通勤して五年になります。最初の年は二回こけました。一回は手袋をはめるのに左ハンドルを右手で持ってしまいコントロール不能に。二回めは暗くて確認出来なかった敷石をよける為に急ブレーキ、逆立ちして。それ以来自転車でこける事は無かったのですが、今夜帰宅途中、道を塞いで歩いていた女子高生の重い鞄がハンドルに当たって転倒、油断でした。肘を擦りむき、膝を打ち、自転車の一部が壊れ、ズボンが大きく破れ悲惨。長く無事故であったのに矢張り油断です。油断は大敵です。
2011年04月22日
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震災のニュースで初めて法衣を着た人を見ました。幼稚園の卒園式が間借りした中学校で開催されたのです。数人の幼児が亡くなっていました。その卒園式に言葉を述べられたのが法衣を着た園長さんでした。お寺の和尚さんなんだと思います。画面に放送上の理由があるから、震災ニュースに出ないのかも知れません。日本人は四季折々の自然、山川草木に神仏を感じる特異な人種です。八百万の神々を本人の意識の外に感得しているのです。それは無宗教と紙一重ながら無宗教ではないのです。ですから、特に排他的でなく強制的でない宗教は暗黙に了解してしまいます。この態度は世界では珍しい事。包容力がある、或はだらしないとも言えるのかも知れません。初詣に法事、クリスマス、なんでもござれです。ですから、自分が信仰していない宗教でも、自分の為に祈って頂けるなら喜んでその祈りを受け入れると思うのです。被災地では沢山の遺体が並べられたり、土葬の様子が報道されました。もし私が死者の中に居たなら、どんな宗教でも良いから祈って欲しかったと思うのです。ずっと報道を見ていましたが、宗教者がお経をあげたりしている姿は見ませんでした。私が見ていなかっただけかも知れませんが。京都では西本願寺の親鸞聖人の大遠忌で賑わっています。バスで来てバスで帰られるので、西本願寺と前の堀川通だけですが。こちらも大いに賑わって欲しいとは思いますが、宗教者は現地で癒しの言葉を死者にも被災者にも呼びかけて欲しいと思いました。お相撲さんも重い腰を上げました。お年寄りは大喜び。良かったね。次は坊さん達、出番ですよ。
2011年04月10日
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今日、奈良からお客様が来られました。小物をお買い上げ頂いたのですが、京都の中京区役所の場所を聞かれました。娘さんの住所変更の届けに奈良から出て来られたのです。 住所変更位自分でやれば良いのにと思ったのですが、良く聞くとその娘さん看護士として宮城へ向われて不在だったのです。府立病院の看護士としてお医者さんと一緒に東北大震災の医療業務に向われていたのです。お客様には時々連絡があるそうですが、看護士さんは殆ど寝る時間も無いとか。こちらに帰る日なんて全く分からないし、まるで戦争病院みたいだそうです。現場の医者や看護婦のご苦労が目に見える様でした。それこそ、必死の看護を続けられている方達に、美味しいものを食べて頂ける様ボランティアに行きたいと思った程です。頑張っている人がいます。負けない様にやらないと。
2011年04月06日
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この度の大震災は大規模な破壊力をもって、沢山の命と資産をこの世から抹殺してしまいました。神戸の大震災の数倍にも及ぶ被害でした。神戸の時は関東に居られた方なら憶えがあると思いますが、何となく遠くの出来事だったのではないでしょうか。近くに津波が来た訳でもなく、新幹線や高速道路も直ぐに回復しています。割と局地的だったと言えるからです。今回の大震災は沖縄まで津波警報が出ました。関西は神戸を体験しその悲惨さは身に沁みています。テレビに津波が街を破壊する様を見て我が身の事と感じ、総毛立ったに違いありません。支援気分の高まりはこの大震災ではほぼ全国的に広がっています。被害の大きさももちろんですが、神戸を体験した関西人も我が事に思えたからに違いないと思います。孫さんの様に莫大な支援を表明する人も出てきました。石川遼君やイチローなどスポーツ選手も大きく手を挙げました。一般人にはとても真似ができませんがやれる事をやるしかありません。東京都知事の石原氏は自粛を提案しました。確かに停電の影響もあって街に繰り出す気分ではないでしょうが、自粛していて良いのでしょうか。神戸は復興途中であの「ルミナリエ」を強行に開催しました。そんな事している場合ではないと言う意見もありました。しかし、あのルミナリエは見事に神戸の人達の復興意欲を盛上げてくれました。奇跡的な早さで復興したのはルミナリエのお陰だと言う人が沢山居ます。自粛するのは一見理に適っている様にみえますが、経済活動を活発にする事で支援出来る次の資金が生まれてくるのだと思います。東京は火の消えた街の様になっているとか。浅草やデパート、ホテル色んな場所で閑散となっているとか震災支援の行事には人が集まっていますが、そんな気分にはなり難いくても楽しく街を盛上げるのも必要。催事を止めたり、縮小するのはこれでお終い、どんどん日本を元気にする催事を盛上げていくべきだと思います。無理矢理でも。日本国民こぞって意気消沈していては復興はもっと遅れてしまいます。
2011年04月04日
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先日、我慢していた歯の治療を始めました。急に奥歯が腫れ、驚いて触ると驚く程ぐらついていたのです。全く気が付きませんでした。朝晩、特に歯茎を中心に磨いていたので歯茎が悪くなる事は少ないだろうと思っていたからです。それ以後、触れると痛い奥歯の歯茎を一生懸命マッサージする様に歯磨きしました。それでもぐらつきは直らず、歯茎の痛みも消せませんでした。触ると痛い位なので辛抱していましたが、ぐらつきが急に酷くなり自分でも抜けるのではないかと思う程に。やってみましたが、簡単には抜けそうにありません。そこで舞台から飛び降りる覚悟で歯医者に向いました。歯医者は嫌いです。歯医者さんは「奥歯は抜くしか方法がありませんが、その奥に親知らずが横向きに生えています」とのたまいました。「親知らずが伸びて奥歯を横から押し込んだのでぐらついたのです」とも。この一言が地獄の入口でした。「親知らずはこのままでは悪さをします。一緒に抜きましょう」「はい」としか言えませんでした。レントゲンは中途を含めて三回。確かに大きな石の様な歯が奥歯を押していました。奥歯はあっという間に抜けましたが、親知らずは悪戦苦闘。思いっきり口を開けているのに「もっと大きく」直に開口器を装着。あごが外れそう。メスで切り開いて親知らずを取り出します。ドリルで砕いてテコで引き起こしているようです。歯医者も力仕事だとつくづく思いました。唇の端をテコのささえにします。痛い。口が裂けそう。左右のあごの支店が歯医者の押す力でネジ曲がるかも。痛い。麻酔がかかっているのに痛い。花粉症なのに鼻で息をして下さいだって。ドリルとテコの繰返し。とてつも長い時間。看護婦さんの頑張って下さいは何回聞いただろう。勝手に涙が出てしまう。思い通りいかない医者が看護婦を叱る。震災で亡くなった方を思い出しました。もっと苦しかったんだから負けない様に辛抱しよう。今まで生きてきて一番肉体的に辛い出来事でした。震災を思う事で辛抱出来たと思います。終わりましたと言ってから、まだ残っていました。どうなってんのや。手術の時間は一時間二十分。口が開いたままでした。テコの支店になった右の唇も傷だらけ。こっちには麻酔は無しやで。歯医者で顔に傷が出来るなんて聞いた事無かった。お医者さんの言い訳をたっぷり聞いて帰りました。
2011年03月28日
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今日、下職や得意先を回って工房に帰ると、来られる予定のお客様が既に座敷に上がり、着物や反物を広げて居られました。来られたお客様は神戸からで、二人とも着物姿。弟と話して居られたのですが、入口には別の二人のお客様が。ところがお客様同士が意気投合して着物談義の最中。神戸のお客様は我が工房の良さをアピール、恐縮していたのです。相手のお客様は東京から。仰るには東京の放射能汚染から逃げる為に京都へ来たとの事。取る物を取らずに慌てて家を出たとか。まあ大層なと思いましたが、神経質な人なら考えるかも知れません。勿論懐に余裕もないと無理な話ですが。事故の現場でない限り今の所、全くと言って良い程近郊でも安全な数字です。ましてや可成り離れた東京で被曝と言う事はありえません。今の所。しかし、格納容器が壊れたとの報道が事実なら、スリーマイル島並の放射性物質の空中放出が現実のものとなります。一応核反応は停止しているのですが、冷却不足が再び核分裂を引き起こす可能性もあります。そうなると原子炉容器の破損と言うチャイナシンドロームが懸念されます。チェルノブイリ級の事故となれば百年単位で近隣に住む事は出来ない事に。東電は隠していると言うより、津波に寄ってディーゼル発電機の故障以前に機器の故障が生じていて事態が掴めていないのではないでしょうか。別の発電機を持ってきて、付け替えれば良いだけな筈です。それなのにそれをしないと言う事は電源のスイッチを入れても水を注入しない電気或は電子機器の故障が生じていると思います。原子炉メーカーも名前が出るのを恐れて現場に行っていないのかも。情報の無さは人々を疑心暗鬼にさせます。ボケた事を言っていないで明らかにせえよ!
2011年03月16日
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大惨事になってしまいました。衝撃的です。皆様は大丈夫だったでしょうか?工房のお客様の中にも被災地の近くに住んで居られる方もいらっしゃいます。震災からこれだけ経ってもまだ停電のままの所が沢山残っています。寒い地域なのに暖房もままならない状況。火を持って走りたい気分になります。そんな所にはテレビもパソコンも通じません。文明は自然の脅威にはひ弱なものでした。原発もあわやと言う所まできましたが、なんとか出来るというお話です。しかし、安心出来る所までには至っていません。東京でも帰宅をする人達は寄り添う様に助け合っていたそうです。勿論、現地の避難場所でも。日本人の良い所だと思います。早く元の生活に戻れます様に。
2011年03月12日
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先日知った情報では、生糸の産地農家は価格の上昇を喜んで生糸の生産に力を入れ出したとの事。価格は上昇前の四割高。こんな嬉しい事はないと頑張り始めた様です。インフレで生糸の生産なんかやってられないと言う人達が帰ってきて、生産高も二年続きの減産から増産に変移したとの事です。しかし、ちょっと待て!生糸の価格は高騰前の二倍半、生産農家の販売価格は四割高。何処か、計算に狂いが生じています。中国人は世界一の商売人。足下を見るのはお手の物。世界的な大富豪が出る筈です。儲ける為なら何でもありと言う事を念頭に置いて相手をしないと、馬鹿を見るのは真面目に良心を信じて商売する人間だけだと思い知らされる筈です。中国の大富豪の人名が明らかにされましたが、その大半が共産党の幹部だとか。権力を使って富を増やしたのが明らかになったのですが、これで暴動が起きないのでしょうか。これを公表したのも不思議なら、黙っているのも不思議。不思議な国です。日本でも公務員の給料が民間より高額になって何年も経っています。公務員の給料は国民の血税そのもの。日本は国民が公務員に奉仕する不思議な国です。
2011年03月07日
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呉服屋さんは全国にわんさとあります。大分減ったと言われていますが。その呉服屋さんとは違って全国に京染屋さんと言うのが沢山ありました。お客様には先に白生地を売っておいて、必要な時に誂えの見本帳からお客様が柄を選んで京都の染屋さんへ発注するというものです。誂えだけで儲からないと呉服屋さんの様に出来上がった着物類も販売する様になっていました。その注文を受けていたのが京都の誂え悉皆屋さん。有名なのが一度破産した「ホリケン」さん。お得意先の数が圧倒的に多かったので、誂え以上に呉服の販売高が多くなって何処で道を間違えたのか倒産する事になりました。ホリケンさんの販売する量が半端でなかったので、京都の製造卸問屋はこぞってホリケンさん詣でに勤めた程です。それほど、「京染屋」さんの数も販売量も多かったと言う事です。しかし、京染屋さんは減りましたね。何にも噂を聞かなくなりました。誂えの見本帳や枡見本のブックを販売する染工場も激減。一年に一度発表する展示会はみやこめっせでいまだに開催だけはされている様ですが。読者の皆様の近くに京染屋さんが存在していますか?殆ど見かけなくなったか、呉服屋さんに変身したかのどちらかだと思います。時代はどんどん変遷していますね。さて、話は変わりますが、今日福岡からお客様が来られました。奥様が八十才の老夫婦。昨年三月にお越し頂いたとの事でしたが、憶えていませんでした。その時見た「遊小紋」を見て、次回来るときは注文しようと考えていたとか。このお年でお茶を嗜まれるとか、その仲間では最高齢だとか。遊小紋の注文を頂いた後、昨年発表した売出しの特価品が一反残っていました。半額セールの作品は売出しの後、一旦は適正価格に変更しましたが全ての作品を遊小紋並の価格設定に変更する事に。しかし、半額以下にしたものはそのまま店頭に並べてあったのです。以前の価格が十万円余りであった物が三万八千円ですから圧倒的な安さです。結局、遊小紋とその特価品をお買い上げ頂く事に。店頭販売での高齢の新記録でした。
2011年03月04日
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着物業界の不振は続いたままですが、中国のインフレがもたらす諸現象が大きく着物業界を揺さぶっています。生糸の高騰は今までもお伝えしましたが、それは中国のインフレが主な原因。安い工賃を求めて絞りの仕事の大半が中国で行われ、日本で消滅した技術も中国に移転していたのですが、絞りなんて安い仕事はやってられないと止める人が殆どだとか。要は日本の伝統技術が移転の果てに消滅したと言う事。疋田の最高級品の本疋田も中国では全滅、京都で数人の職人さんが残っているだけになりました。中国製の生地は特段の高騰で、日本の丹後などの産地と価格を並べる様になっただけでなく、安く設定されていた種類は生産そのものを終えてしまいました。既に手に入らなくなった物がありますが、まだ増えそうです。生糸が高騰しているから、日本産を使えば良いとか、日本産を増やせば良いとか言うのは簡単ですがそうはいかない事情もあります。日本産の生糸の品質が日本産と聞いただけで良い様に思われがちですがそんな事がないのが現実です。最高級の6等級の糸は日本産では殆どありません。2等級かせいぜい3等級とされています。着物に使う糸は6等級か5等級を使うので日本産を使えば生地難が起きてしまいます。特に縦糸に使うと太さの均一性の欠如や節などの問題が「さし」と言う生地難を生んでしまいます。日本産の生糸を使って良い物を織っていると宣伝はされていますが、織る人は輸入糸を使うより数段の苦労が要ると言います。緯に使えば事故率はぐっと減るのですが。仕立を外国でやる企業が増えています。中国での仕立が先鞭を付けたのですが、インフレの影響で離脱する所が増えてベトナム等の新興国に移っている様です。ベトナムではパールトーン社が先年から始めて居ますが、今では結構腕も上がったと言います。安い工賃を求めて奥地へ奥地へと進んでいる様ですが、施設は酷い物でトタン屋根に地面はむしろが引いてあれば御の字、ほどんど土間のままだとか。扱う手も汚い手なので文句を言うと入れ墨だったと言う笑い話もあります。安い工賃を求めて新興国に生産現場を移すのは、愚の骨頂です。いずれ、民度や生活水準が上がれば工賃が上昇するのは当たり前。今までに韓国や台湾で経験してきた筈が、勉強しない人達の多さには辟易してしまいます。ましてや、日本の伝統技術を本国から削除してしまう暴挙に至っては、犯罪的と言わねばなりません。
2011年02月25日
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我が友人が着物の小売屋をやっています。二年前の二回目の売出しから悲劇が始まりました。売出しをすれど客無し。「どうなっているんだろう」と電話が掛かってきた事もあります。客が激減したまま昨年を終わり、この月始めの売出しも期待はしていなかった筈です。ところが今回の売出しではお客様が前程ではないにしても、可成り戻ってきたと言います。大喜びしていました。名古屋圏ですから、嫁入り道具は可成り揃える風習があります。その風習が頼りの商いですから、風潮が変ればまともです。頼りない助言はしていますが、風土も変れば人間も変ります。どんどん良い小売屋さんになる様頑張って貰いたいものです。工房のお得意先に奄美の織元があります。大島と我が工房の特殊な技術のコラボで変った作品を作り出す為に時々注文を頂きます。伝統工芸師でもあるその織元の社長が昨日来られました。全国の問屋さんや小売屋さんの個展に赴いて販売促進をされています。昨年までは小売屋さんの個展に行っても、お客様自体が来ないので商売の話も何にも出来ないと言っていました。ところが、今年になって小売屋さんの個展で人が動き出した気配がすると言われました。ちょっと様子が良い方に動き始めた気がするとの事。工房でも未だ二月と言うのにお客様の数が増えてきた様に思います。何となくという感触だけですが。ネットからご質問や注文も少し増えたのではないかと言う気もします。2,3年前の様に高額なものが売れている訳ではありませんが、買いたいという意志を感じるのです。不況に倦怠感が出て慎ましくする事に嫌気がさしてきたのかも知れません。大企業の三月の決算は大半がいい結果を出すと言われています。内部留保に血道を上げる事は止めて、社員への還元や新社員を増やす事にも振り向けて欲しいものです。政治に期待出来ない分、大企業の責任は重いと思うのですが。
2011年02月17日
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京都は古より呉服の集散地。財閥となった問屋さんまでありました。呉服の小売屋さんからデパートに成長したお店も。着物と言えば京都。生産に関与する職人さんも群を抜いて大勢いらっしゃいます。京都の街を肩を切って歩いていたのは問屋さんの社員でした。夜の祇園も室町問屋さんの社交場でした。あちこちで出くわした人達が「まいど」「まいど」と挨拶する姿があったのです。そんな京都の呉服問屋の形態が変り始めたのは十年程前から。問屋のビルがマンションに変貌、何時も糞詰まりの渋滞であった室町通は今はすいすい。それでも一定以上の問屋さんが存在はしていたのです。ここへ来て新たな地鳴りが生じてきました。名前は伏せますが、製造卸問屋さんの名店数店がニッチもサッチも立ち行かなくなった様子。聞いたときは信じられませんでした。それほどのお店だったのです。やはり、それぞれ何年も赤字続きだったとか。ある店は廃業、ある店は小さなビルに移転、ある店は資金繰りに詰まってお手上げ状態。室町問屋さんへ卸す製造卸問屋さんは体質的に室町問屋さんより強いと言われていたのです。勿論室町問屋さんも廃業縮小が続いています。製造卸問屋さんの下には大勢の悉皆屋と職人がいます。これが路頭に迷う事に。失われる伝統技術は復活が困難。それぞれ結構高齢の方が多いのですが、再就職は難しいですね。お金の有り余った方はどんどん小売屋さんで着物を買って下さい。
2011年02月09日
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以前から、生糸の高騰はお伝えしていました。中国のインフレや生産農家の減少で生産国である中国の言いなりになっています。昨年末で既に高騰前の倍に。その影響でじわじわと生地が高騰しています。工房では昨年に仕入れた多めの生地が残っていたので、大きな影響は避けられていました。それでも帯系統の普通に使う塩瀬や古代縮緬は既に高く仕入れています。ところが、お陰様と言うべきですが、遊小紋等の注文が続いたので生地の在庫が可成り減ってきました。新規に仕入れる丹後縮緬の生地は二千円以上値上がりしています。面白い生地があったので実際にサンプルとして三反程仕入れました。福袋の特別企画で在庫の生地を染め潰すと、一気に新しく仕入れた生地に変更する事になるかも知れません。そうなると、遊小紋も価格の変更を余儀なくされる事になります。価格の高騰は生地だけではありません。仕事をする度に使う蒸しや湯伸しも石油価格の上昇に伴って値上がりしています。一旦上がると石油価格が下落してもそのまま。仕事量が減っているので値下げ出来ないのです。遊小紋は現在48,000円。多分四月位から最低50,000円前後に価格変更しそうです。仕立て上がりなら現在の86,500円から90,000円位に。そんな事もあってご注文はお早めに。
2011年02月04日
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工房では数台のプリンターを使います。普通にA4タイプのもの。草稿図案や小物の染に使うA2タイプ。そして雛形や角2封筒等大きめのものをプリントするA3タイプ。数ヶ月前そのA3タイプのプリンターのヘッドが詰まって補正出来なくなりました。エプソンの3300。長い事ご苦労さんで、見送った後に買ったのは同じくエプソンのPX-G5300。絵葉書を印刷する為に顔料インクのプリンターにしました。一時、エプソンは長期の変色防止の為と水滴でのにじみを防止する為に顔料インクへとシフトしてきました。しかし、色合いの不満からまたもや染料インクへと戻ってきている様です。PX-G5300はその変遷期の鬼っ子なのかも知れません。これを買った時使っていたパソコンはOSが10.2。旧世代のものでしたが、PX-G5300に付属のドライバーも完成品ではありませんでした。何せA4サイズのプリンターで縁なし印刷が出来なかったのですから。封筒の設定も出鱈目。種類はあっても「日本の封筒1、2、3」と言う名称だから大きさが不明。ちょっと無茶苦茶なドライバーソフトでした。それでも、給紙装置に不満はあっても使えてはいたのです。しかし、パソコンの方が動かなくなって買い替える事になってしまいました。買ったのはアイマック、OSは「10.6」に。エプソンのホムペからドライバーソフトをダウンロードして調整してみました。ところが、画質は劣化、設定以外の大きさのものをプリントすると訳の分からぬコメントを発して動きません。エプソンへ電話する事、三回目にしてやっと本来の動きを取り戻したのですが、今でも訳の分からぬコメントを発して動かない事しばし。騙し騙ししてやると何とかなっています。エプソンへ電話して思ったのは、相手が男だと不親切、無能力だと言う事。能天気な解答しかありませんでした。三回目の相手は女の子、画面を前にして適切な指示で設定を変化させる事が出来ました。どうして、男の子にこんな事が出来ないのでしょうか。男の子の能力不足と言うか、切実感の無さは深刻です。
2011年01月28日
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我が工房は手描屋なので着物に関してはプリントを使う事はありません。しかし、小物に手描は高くつき過ぎるのでプリントを使う事もあります。例えば、正絹では文庫用のブックカバーや兎柄の巾着など。綿生地には対応していないのに、薬品を使って染め付けた物もあります。その代表が和手ぬぐい。結構別注を頂くのですが、事故率が高いのが悩みの種。正絹に使う素材の生糸は自然界で最も長い桁外れの繊維です。その長さは一キロから一.三キロまでも。ですから、糸から生じるゴミは皆無に近いのです。反面、綿糸の長さは長くて十五センチ、綿ゴミを紡いだ様な物。埃の固まりです。プリントの大敵が埃。事故が起きる訳です。調子が悪ければ十枚染めて五枚がガラクタ市行きになります。手間のかかる掃除を頻繁にすると事故が減るのは分かっているのですが。そんな手ぬぐいに披露宴に使う手ぬぐいの別注が来ました。問題は柄。「舞楽」なんです。その舞楽を舞う人からの注文で、柄も指定「蘭陵王」と「納曾利」と言う舞。それぞれ「らんりょうおう」「のそり」と読みます。勿論、初めて聞く名前。凄い面を被って踊るのですが、何せ見た事がありませんからね。幸い、ご本人は舞楽を演じるお方、沢山の資料をお持ちでしたから早速送って頂いたのです。絵を書くのはコンピューターグラフィック。この場合、小さなファイルを下絵にして、それを精密に描き上げて行くのです。しかし、小さ過ぎて不明な部分が多過ぎる事や、同じ「蘭陵王」でも面や衣装が違い過ぎるのです。結局、お任せとなりましたが、二体の演者だけでなく同じ大きさの「火炎太鼓」と他の舞楽に使う「帽子?」も描き上げねばなりません。暇な時間を割いても二ヶ月程かかりそうです。えらい物を引き受けてしまいました。でもね、出来上がっていくのは愉しい物です。出来上がった舞楽の柄は自由に使わせて頂く事になっています。色留袖の図案にも使えそうです。勿論手描で。
2011年01月23日
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以前から「遊小袋」と称して三角袋つまり「あずま袋」を販売していました。小さめで評判も悪くはなかったのですが、もっと良い物をと言う事で、以前の「遊小袋は」はそのままに、新しく違うコンセプトで作る事にしました。以前の「遊小袋」とは全く違うものになっています。大きさは二回りは大きくなり容量は三倍ぐらい大きく、何よりも着物姿に見事にマッチしました。リーバーシブルに使え、小さいながら襠も、紐を結ばずボタンをかけるだけ。そのボタンも着物に合う様良い物を見付けてきました。自然な二色の竹の色が質感を高め、そんな節を利用したボタンです。上手く丸めてボタンをかけると可愛くまとまります。こちらでは写真の掲載が出来ないので本家のブログと近日発行するメルマガには発表する予定にしています。実は土曜日に発売を開始したのですが、その日に和服の三人のお客様が「良いわ!安いわ!」を連呼してそれぞれ一つずつお買上げ頂いたのです。作業中の手描友禅の様を少しも見ずに。展示用の作品も売れたので製造を急いでいるところ。本家のブログには明日辺り掲載予定です。是非御覧下さいませ。
2011年01月17日
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今の政治家に希望を持てない人が日本人全体の八割を超えたと言う人も居ます。もちろん、有権者のみの値でしょうが。阿呆らしい!そんな事を言うなら自分が政治家になってみろ、と政治家は言うに決まっています。この勝負政治家の勝ち。あちらを立てればこちらが立たずが政策の常。要は何をやっても国民から怒られるだけなんですね。問題は近未来を含めた将来の為に益となるか否かで決めず、目の前の大きな声で文句を言う奴の言う事を聞くだけの政策になっているからと言う事なんです。つまり、強面で強い口調で責め立てた者勝ち。自民党が国民に見放されたのもこの方式で政治が行われていたからです。政治家で官僚を動かした唯一の政治家が菅直人だったから、鳩山さんが政治家らしくなくアメリカ帰りの工学博士らしい珍な政治家だったから何かやってくれるのではないかと望みを託した民主党でした。鳩山さんは政治好きのおボッちゃま、菅さんは首相になりたいだけのアジテーター。子分どもも政治評論家なら良いけど、政治家にするには世間知らずの小学生でしかありませんでした。結局、政治は腹が物を言う事が分かっただけなんですが、それが今も小沢さん信仰の土台となっている様です。国民の大半が今の政治家に愛想を尽かし、真のリーダーシップを持つ政治家の出現を待っています。「出よ!現代のジャンヌ・ダルクよ!」と救世主を待つ人は居ても、これは危険な事です。かの理性の固まりに人間の顔を被らせた様なドイツ人でも、ヒトラーの魔法に掛かってしまったのです。何事にも動じない信念と引きずり込む弁舌で。今の日本人には無理な話ですが、可能性はあります。日本人は先の小泉さんの弁舌に化かされた様に結構流行に弱いのです。個人個人は立派でも大衆となると馬鹿になります。日本人は一人の英雄で動く事は稀です。小さな英雄が集まって大きな力を発揮するのが得意。危機感を持った個人個人が自分自身がジャンヌ・ダルクとなって身の回りを改革していくしか方法がありません。頑張りましょう。
2011年01月16日
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お客様からご希望の多かったメルマガを発信する事になりました。ブログと重なる部分がありますが、ブログでは公開出来ない事柄も発表する事が出来ます。工房のお客様や把握しているメールアドレスには一律にお送り致します。ご迷惑な場合は誠に面倒ですがこちらから「メルマガ不要」とご連絡をお願い致します。工房のホームページお問合せのページから。発信は不定期。内容は工房の新作や京都の観光情報、着物業界の情報などですが、時々脱線するかも知れません。近日発刊いたします!ご期待下さいませ。メルマガを受信希望される方はこちらまで。ブログの写真が満杯になったので写真を掲載出来るブログを新たにスタートしいています。良かったらお越し下さいませ。こちらです。
2011年01月13日
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明けましてお目出度うございます。可成り遅めで、申し訳ありません。今年は無茶にのんびりした正月でした。初詣とお墓参り、近所の運動公園へ散歩に出かけた位。四月に母が亡くなっていたので年賀状もお客様関係だけに出しました。仕事関係や友人には喪中葉書を出していたので殆ど来なかったので寂しいと言えば寂しい正月。それでもお客様からは楽しい年賀状も頂き、思わず頬が緩む事もあって嬉しいスタートを切った様に思います。そんな中でフランスのリヨンから凝った年賀状がメールで届きました。それをクリックするとそのホームページに。ブランド下着メーカー「リカキュチュール」からの年賀状です。一度素材を提供した事からのお付き合いですが、この年賀状をお裾分けします。ここをクリックして下さい。多分御覧頂ける筈です。新しい年に思うのはやはり厳しい景気の状況がどうなるのかと言う事です。日本の近未来を楽観する人も居れば、悲観に暮れる人も居ます。しかし、どちらも当たっていない様な気がします。日本人は楽にお金が入り過ぎました。政府に金を要求して恥ずかしくない人も増え過ぎています。頼っていただけでは矢張り駄目だと思います。日本人は元々勤勉。だから、こんな状況になればもっと頑張る筈なんですが、頑張ろうにも仕事が無い状況になってきました。そこで必要なのは自分で仕事を見つける事。アイディアや智慧を絞るのも仕事です。夢を見付けて実現させようと努力しなくてはいけません。簡単ではないのは重々承知。今目の前にある仕事をするのは誰にでも出来ますが、仕事を開拓して成し遂げるのはとてつもなく困難。しかし、やらねば生き残れない状況になっている事は事実です。還暦を迎えて人生がスタートすると言う人もいます。既にこえていますが。自分への戒めとして今年は頑張るぞ!
2011年01月06日
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今日で今年も最後、京都では朝から雪が振り出し、積もっていなかった屋根が白くなってきました。歳末の大賑わいを見せる商店街には大迷惑な空模様です。ところで、日本は昔から政治家や会社のトップに女性が座る事は稀でした。男が女性を自分が保護すべきもの、或は持ち物の様な意識があった事、女性自身にも控えめな事が美徳とされる事を受け入れて表に出ようとはしませんでした。それでも犯罪の陰に女ありと言われる程に、表には出ないけど裏からしっかり男を操縦していたのです。男はおだてりゃ木に登る口ですから、女性に取ってみりゃ操縦は昔から簡単なものでした。男は面子に生きる動物ですから、右肩上がりに経済が上向いていた時はその自尊心が充足され自信に満ちていました。戦後強くなった女性と靴下と言われて久しくなりましたが、それでも女性の能力が開花する時代は遅れていたのです。しかし、経済の発展の鈍化だけでなく、下降する時代を迎えた今、男達は面目を失う場面に当惑、自信を喪失しています。男の中で勇猛果敢で自信に満ち溢れて仕事をしているのは、大阪府の橋下徹知事だけの様な気がします。自信の無さを見せつけるのは我国の首相菅さんに象徴される政治家ども。幼児学級の様な集団だった事に幻滅を感じられた方は多かった様に思います。小泉さんが首相だった頃、普通の「おばちゃん」を法相に選任しました。面白い人だっただけに、この選定は無茶だと思いましたが案の定情けない場面を作っただけで終わっています。つまり、人を生かす人事をしていないから良くなかっただけ。能力に適応した仕事を任せばこれほど能力を発揮する人種はいないのです。この「おばちゃん」族、今は遊びが主な仕事。先日、平日の昼間に京都駅南の新都ホテルで忘年会をしました。ランチバイキング。何と、満席で後からのお客様は入れません。その中の客は90%以上が「おばちゃん」京都の観光客も「おばちゃん」が大半。遊ぶにもエネルギーがいるのですが、そのエネルギーを十分持っているからこそ起きる現象なんです。そのエネルギーを利用すべきなんです。その能力に合わせて適材適所に配置すれば、現在の閉塞状態を打破出来ると思うのです。学識豊かな方には滋賀県の嘉田由紀子知事に代表される政治家に。普通のおばちゃんにはこんな事を思い付きました。我国の青年は海外に出たがりません。臆病風に吹かれているのでしょうが、情けないものです。そこで、海外に進出する企業が現地で寮を建て、そこに賄いの「おばちゃん」を置くのです。言わばお母さんの代役。若者の話を聞く事や励まして頑張ってこいと尻をたたく事の出来る「おばちゃん」を。大阪の「おばちゃん」のバイタリティーは良くご存知。適材適所に「おばちゃん」を配する事で日本が活性化するのではないでしょうか。その智慧が男どもにあればですが。
2010年12月31日
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浜縮緬の広巾が生産中止となっている様です。滋賀県の長浜で織る古代縮緬。風呂敷用には1メーター余りの巾で織っています。この所注文が入っていませんが、大判の半円のストールの生地も一緒に。その生地はヤード巾と言いますから90センチ余り。半円にぼかして仕立ますから横巾は1メーター80センチ近い長さになります。裏に正絹の生地を付け、半円の周りには房を付けて売られていました。小売価格は二十万を越えていましたが、良く売れて注文が続いていたのです。見かけられた方も多かったのではないでしょうか。或るチェーン店では安く上げる為に裏無しで仕立てられていましたが、二十万をちょっと切った価格で販売されていました。工房でもショール関係の和小物は結構人気があったので、生地の仕入れ価格は高くてもいずれ染めに入りたいと思っていた素材なんです。しかし、丹後縮緬の広巾の古代は織られています。ただ、古代に関しては丹後は浜の相手になりません。質感や一旦伸びてしまうと元に戻らない、と言う丹後の古代は使うに恐怖感があります。今では改善されているのかも知れませんが。使われない期間があると即撤退の態勢に入るのが業界の常識になっています。売れないのに高騰を始めている着物の素材はその何れもが消滅の可能性を持ったのかも知れません。裏絹屋さんの話では綿素材のものでも極最近消滅したものがあるそうです。綿も気候不順でインドは輸出禁止、中国は輸出もするけど輸入もするという有様。高騰と品不足が小ロットのものから消滅し始めさせた様です。今の着物業界で生産が少なめなものは消えてしまう可能性が高いかも知れません。余裕があれば早めに手を打った方が良いのかも。希少なものから消えていくのは悲しくて辛いものです。
2010年12月28日
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12月26日朝から販売を開始しました福袋は当日夜に完売致しました。工房の営業が終わった後の時間にご注文を頂いたので、直ぐに返事が出来なくて気をもまれた事と察し致します。申し訳ありません。沢山の人にご提供出来ない事になりました。何時になるか分かりませんが、次回の福袋までお待ち下さいます様お願い申し上げます。尚、当ブログの写真が先の福袋で掲載限度となり、写真の公開は終わりました。文章でのブログはまだ続くかも知れませんが、別のブログに移転する事になります。アメバブログで始めました。こちらです。馴れないので見苦しいかも知れません。鋭意努力しますが、暫くはご辛抱の程を。このブログと同じくご愛顧下さいませ。尚、アメバブログ以外の方でもコメント出来る様にしてあります。苦言などありましたら、突っ込みをお願い致します。
2010年12月27日
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