ダイアモンド・ダスト

ダイアモンド・ダスト

Jul 4, 2015
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人が自分の考え方と違う行動を取ったりすると
いかにも相手のことを思って言っているという説教をしたがる。

しかし当事者で無い以上
当事者が考え続けて出した答え以上の説教には成り得ない。

そんな簡単なことも気づけないのは何故なんだろう???

情報量から考えたって
当事者以上では無いことは明白なのに
何を思って当事者に説教をするのか?

単なる上から目線であったり

それとも自分の無知の無自覚か?

情報が不足している状態のまま説教をするから
こちらの行動の意図を説明すると
結局こちらの行動や判断が正しかったと認める形にしかならなくて黙る。

説教がもたらしたものはというと
とどのつまりこちらの疲労感と不快感でしかなく
前向きに成りつつあった心に
マイナスのエネルギーを注ぎ
また停滞に引き戻す。

説教などというものは
社会経験が浅い子供に対して大人がするときくらいしか

社会経験がどうみてもこちらの方が豊かである相手から説教されても
的がはずれまくりで
なんだかなぁ。。。

こちらの行動を批判したり否定するのではなくて
もっとよくなれるという方法の「提案」をして欲しいものだ。





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Last updated  Jul 4, 2015 08:42:33 PM
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