おじん0523のヒロ散歩

おじん0523のヒロ散歩

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

オジン0523

オジン0523

カレンダー

コメント新着

フリーページ

2026.06.06
XML

​​​​​​
旧東海道から山側へ登り「山崎宮」へ。

5月12日(火) 12:15
箱根登山鉄道の「山崎宮踏切」を渡り石段を登ることに。
急な階段で山の中に入るので躊躇したが。


長い階段の途中に鳥居が立ち、手摺が設けられていた。


階段には小枝が落ちていたが注意しながら登った。


階段途中の右側傾斜地に鳥居が立ち石祠、石碑があった。





階段を上り終えると廃墟化した社が建っていた。
山崎宮の周りには竹林が広がり境内には竹笹が散っていた。


開けっ放しの内陣には祠、お供え物があったが。


社殿の左側に石仏、石塔が立っていた。


説明板もなく不明だが。


笠付き墓石に「庚申供養塔」と刻まれていた。


社は解放状態になっており管理されているのか気になったが。


山崎宮は山の傾斜地にあるので境内は狭かった。


社殿の右側に登山道があったが「 春日局ゆかりの長興山紹太寺 」への道であろうか。


階段を見下ろす。





箱根湯本方面。
木柱に「山崎宮踏切」と。


旧東海道から国道1号の地下道を潜り駐車場へ。


車を停めた「 本間寄木美術館 P-2 」へ戻る。



国道1号沿いに「 山崎の古戦場 説明板 」があった。


柵の外側に説明板があった。


山崎の古戦場
安政5年(1858)、日米通商条約が結ばれ、外国との貿易が始まると、日本の経済は混乱して
しまい、幕府や外国への反抗が高まりました。その結果、尊王攘夷の運動が起き、勤皇派と
佐幕派が対立して、各地で混乱が起きました。
小田原藩は、最初勤皇派でしたが、途中で意見が分かれ、上総からの遊撃隊によって佐幕派
になりました。しかし藩主の決断により再び勤皇派になり、小田原を出た遊撃隊と湯本の山
崎において、激しい戦いが行われました。結局小田原藩と官軍が勝ち、遊撃隊は破れて敗走
しました。この戦いを箱根戊辰の役といいます (1868年)。      箱根町


この写真は明治の初め頃であろうか。


説明板の前から国道1号の小田原方面を望む。


説明板前から旧東海道へ戻り箱根湯本方面へ進むと国道1号の合流点に石碑が立っていた。
前方は山崎高架橋。


汚れていたが石碑には「 山崎の古戦場 」と。
傍には説明板はなかった。



明治維新の際官軍・・・・・・・・。
あえて汚しているのか、それとも不届きなものがしでかしたのか。


牛頭天王 ”へ行くため旧東海道を戻り道路脇へ駐車。


牛頭天王
所在地:神奈川県足柄下郡箱根町湯本987
旧東海道沿いにある牛頭天王入口。”山崎宮”と同様に山の中腹に鎮座している。
往古から早川の氾濫が度々あるので先人が中腹に建立したのであろうか。


白い看板には「牛頭天王神社入り口」と書かれているのだが消えていた。
また、牛頭天王神社の説明も書かれていたようだがこれも残念ながら消えていた。


よって以前(2018/12/4)撮影した写真から、
牛頭天王神社 (ごずてんのうじんじゃ)
古来部落の境には天王神社が祀られている事が多い。祭神は牛頭天王(スサノオ)を祭神と
する祇園信仰の神社であり、京都八坂神社の祭礼が全国に広まった一ツである。牛頭天王
はインドでは武塔太子と呼ばれ、祇園精舎の守護神とされている。名前の由来は諸説あり
古くはヘブライ語の「ゴゼー」がなまって「牛頭」になったという説もあるようだ。典型
的な神仏合祀の一例である。
スサノオノミコトは大変、力の強い暴れん坊の神様だったので、霊力が強く、これを祀れ
ば疫病神を除いてくれる、という信仰から多くの村境に祀られたと思われる。山崎も入生
田(小田原市)と、湯本村(箱根町)との村境にあり、湯本村の人達が村に疫神病が入ってこ
ないようにと祀ったものである。
旧湯本村の氏神だった頃、明治二十六年に神社の石段を作った時の記録によると。世話人
は湯本の湯場・神明町・仲宿・三枚橋・山崎の代表が名を連ね、全村七十五人が工事費を
寄付している。石段の数は百十八段あり、神社境内にある碑には世話人、発起人の名前が
刻まれている。
天王社の紋章は五ッ木瓜(イツツモッコウ)で、キュウリを輪切りにすると、同じような紋
様になる為か、祭礼には必ずキュウリを上げる。
山崎では、昔は初物のキュウリを天王さんに上げてからでなければ、食べなかった。また、
キュウリを切る時は輪切りにしないで、必ず斜めに切る、という風習があったようだ。
  参考書籍(古老が語る 箱根山崎の歴史(山崎の神社と信仰))より


牛頭天王は山の中腹にあるので箱根登山鉄道の下を潜って登る。


電車の通過を下から撮影できる珍しいスポットである。


山からの沢も流れていた。


長い階段が、下の説明板によると神社を作った当所(明治26年)は「118段」だったと。 


鳥居の扁額「牛頭天王神社」。


樹叢を見上げる。


階段を上ると石碑と石祠があった。


石碑には「天下泰平 村内安全 牛頭天王」と刻まれていた。 


祠の前には紙垂がない注連縄。


石祠


祠の後方には大きな岩、巨木の根がのびていた。


境内の隅には倉庫であろうか。周りは杉林で覆われていた。


反対側に周り祠の後方を見る。


境内には” 牛頭天王 ”に関する由緒等の説明板がなかった。


斜面には咲き終わったシャガの群生があった。


急な階段であったが手摺があるので助かる。


階段を下り振り返る。


かつては線路を横切ったようだが下を潜るように改造。


箱根への谷戸で早川が流れ、国道1号も走る交通の要衝になっている。


しばし電車の通過を待った。


13:00
目の前を箱根登山鉄道が通過。



                                      ー 続く ー





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2026.06.06 03:00:04
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: