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人生は色々で・・・周りの人生を見ると自分の人生がなんだか物足りないちっぽけなもののような自分が精一杯頑張っていないような自分がぬるま湯に浸かっているようなそんな気分になるときもあります。 自分が中途半端な人間であることを、自信を失った小さな人間であることを、何も頑張ることができない情けない人間であることを、責めたこともあります。恥ずかしいと思ったこともあります。でも、今はちょっと変化しました。あのころはそれがすべてのように思っていたことも・・・ただ、今は・・・ちょっと違うんです。気持ちには全く変わりありません。人形作家になる・・・という夢もしかり。ただ、今は・・・それらは私を飾るアクセサリーであって、ないよりはあった方がいいけれど、なくてはならないものではない。そんな風に思ったりしています。 どんな状況にあっても、その中に幸福を見いだせる揺るがない自分の境涯。それを獲得したときに自分の探し求める絶対的な幸福と充実があるのだろうと想像します。 お金がないから不幸なのでもなく悩みがあるから不幸なのでもない。 反対にお金があるから幸福と言うこともなく悩みがないから幸福と言うわけでもない。 人間は複雑です。 何かを求めて求めて行くけれどそれは結局、相対的な幸福であって絶対的な幸福でないことが多々あると思います。 求めていた何かに行き着いたとき、私が求めていたものは?と手に取ろうとするとなんだか別なものだったような気がしてまた、探し求める。そんなことは良くあるものです。 幸福について論ずるととっても難しい。 時々、私は、人の一般的な苦労がうらやましく思える時があります。何故だろうと考えるに・・・苦労の中の人生に幸福と充実を見いだしてしまうから・・・?同じ状況に身を投じれば新しい人生が始まるような気がするから・・・?正解は見つかっていませんが、そんな時は、必ずと言っていいほど人と自分を比べている自分がそこにいるんです。 でも結局、私は今いる状況の中で私ができる事をするしかないんです。私にしかできないことを模索していくしかないんです。ゴミを拾って歩く。それも、今、私ができる事の一つ。自分で作ったものを売ってわずかだけれど寄付をする。それも、今私ができる事の一つ。そして、ちっちゃなちっちゃな平和活動。それも、私ができる事の一つ。人はそれを道楽と呼ぶかもしれません。人はそれを偽善と呼ぶかもしれません。人はそれを大きなお世話と呼ぶかもしれません。それでも絶対的な幸福を探し求めて、私ができる事をやっていくしかないんです。今はそう思っています。 私には歴史に残るような大きな事はできません。でも、私の心に歴史を残すことはできるはず。また、大切な身近な誰かの歴史を共に歩く事もできるはず。以前のように誰かに認められたいとも思いません。自分にすら認めてもらえなくてもかまわない。ただ、人生の中で一瞬一瞬たわいもないことでも絶対にこれだけは!と譲れないものを大切にしながら正直に頑固に生きれたらいい。今はそう思っています。 自分の気持ちはうまく表現できません。一生懸命表現してもそれがうまく伝わらないことが良くあります。だから、大切な事を文章に残すことはあまり好きではありません。でも、何か、伝えたい!と思ったら言葉で表現するしか手だてがない。そこで誤解が生まれたらそして自分が誤解をときたいと願ったらまた、言葉でそれを解くしかない。まるでぐちゃぐちゃに絡み合った知恵の輪みたいで、嫌気がさしてみたり・・・諦めかけてみたり・・・そして、また奮闘する。この繰り返し。その中でいつか世界中の一人一人が理解し合える時が来るといいなと思います。 たとえ完全に理解しあえないとしても、たとえ完全にお互いを言葉で表現できないにしても、ずっと死ぬまで言葉を使いながら共に生きていけたらいいなあ・・・そんな風に思います。人生の正解なんて数学みたいに簡単ではないから・・・その時々で答えがコロコロ変わるなんて事はしょっちゅうだから・・・。むっつかしい! 今、一番身近にいてそばで着かず離れず見守っている守り神。案外それは、背中が丸く小さく見える人かもしれないなんて思う今日この頃。幸福の青い鳥の話灯台もと暗しという諺があるくらいですからね。へっへっへ・・・ じゃあ!なが~くなりましたがこれにて失礼。
2002.11.21