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若い頃、信仰に入ってすぐに読んで、眼からうろこが落ちるように感激したことを覚えています。今読んでもあのときのような感激はない。ルターの代表作です。ルターは「宗教改革」をしようと思ってはいませんでした。自分が聖書を読んで感じたことを、みんなで話し合おうと提題を教会の門扉に貼り付けたのです。ルターはきっと、自分は生涯、一修道士として終わろうと思っていたのでしょう。推測です。しかし時代はそうさせなかった。「キリスト者の自由」を読んでも、カトリック教会や教皇に対する批判は見当たりません。ただ福音の中心を熱く語っているだけです。(その点、パスカルなどはカトリックの矜恃高く、フランスの新教徒を皮肉たっぷりと揶揄するのです。)フリー頁の右下に、「キリスト者の自由」の全文を載せていますので、是非読んでください。感想を教えてください!
2016年08月31日
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ウェスレー「キリスト者の完全」(気賀重躬訳)を夢中でテキスト化作業している。始めたらやめられない。土曜日も礼拝説教の準備そっちのけで遅くまでやった。9月いっぱいで作業を終えるスケジュールを立てたが半ば頃には終えられる。土曜日の夜せっせと更新したファイルが日曜日の朝、消えていた。履歴に残っているのに、履歴から出そうとしてもファイルが見つからない。原因はわからない。(神様が隠しなさったと思われる~土曜日にやったから)神様おゆるしください。と共に、これからは2カ所にファイルすることにした。めげずまたやり直し。「キリスト者の完全」は25章が白眉である。この25章には、過去ウェスレーが影響を受けたテイラー、ロー、ケンピス、そしてパスカルの敬虔が凝縮されていると直感する。いやいやクリスチャンの敬虔とは、このような言葉に凝縮されるのだろう。この作業で、はやくはやく25章にたどり着きたいのだ。そして、できあがったら、出来るだけ多くの人に読んでもらいたい。
2016年08月29日
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電車の中から綿飴のように浮かぶ雲を見た神様に息子はあの雲の向こうにいるのでしょうかあの雲の中にいるのでしょうかと訊ねると私と一緒にいるよと聞こえた気がした
2016年08月24日
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明日の家庭集会の礼拝のために、聖句を検索していたら鳥井一夫という人のサイトに行き当たった。その牧師さんの説教を読んだ。ボクはその説教の一言一句に感銘を受けた。この説教を明日の礼拝で朗読して良いとさえ感じた。この牧師さんは、改革派のかただった。改革派、つまりカルビニストということだ。改革派、カルビニスト、ああ深いかな!カルビン、あぁもっと深く知りたいものだ。「キリスト教綱要」も死ぬまでには読みたい本の一つ。
2016年08月20日
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ウェスレー標準説教の12「私たち自身の霊の証し」を読んだ。聖書に従って生きる者の良心が、神の真実を証しする、という内容。それはいかにもウェスレーの明晰な説教である。それはそうとして、この1篇の説教の終わりの方に引用されてあった詩に心を打たれた。 わたしの感じやすいたましいよ 逃げてくれ 罪がおぞましい手をさしのべて近寄ってくる 瞳のようにすばやく逃げてくれ 罪のわずかな気配を感じて逃げてくれ (藤本満訳)毛細血管を流れる血のように詩句が心の中に溶け込んでくるいったいだれの詩だろう?作者が書いてない。ウェスレー自身の詩だろうか?引用元が註で入っている。"Watch in All Things",st.10,Poetical Works,2,273検索しても出てこない。ウェスレーはだれの詩集から引用したのだろう?
2016年08月18日
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高校野球の人気はすごいな。人気カードは大きな甲子園の球場に観衆がいっぱいになる。ほんとうにすごいな。選手の一挙手一投足を審判が見ていて、判定をする。審判は規則を絶えず勉強しているに違いない。審判が規則に不案内だったとしたら、すばらしいプレーも支離滅裂になるだろう。それを考えていたらボクたちキリスト教徒もきっと神が定めた規律の中で生き、その中で生涯を終えるのだと思った。神の御心に従って、その中で考え、行きつ戻りつ、喜びも悲しみも受け入れる。全力でプレーをする。球を打って、三塁方向に走っていくようなことはしない。すべてを知り尽くした審判は神だ。アウト!セーフ!
2016年08月15日
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ほくろが一つ増えたかな?じっと目をこらすと蚊が停まっていた。ぴしゃんあたった
2016年08月10日
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8月6日 広島原爆忌8月9日 長崎原爆忌8月15日 終戦記念日
2016年08月09日
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いつも赤信号で止められる信号めずらしく青だったのでとまらず直進しようとしたらふいに自転車が歩道から右折まっすぐ突っ込んできた。バイク歴50年両輪急ブレーキなどかけた覚えがない。自転車を避けながら、両輪ロックしてバイクは派手に転倒。幸い当たらなかったが向こうの自転車も転倒青だからと浮かれて進むとこうなる。自転車は変幻自在に飛び込んでくる。最徐行が大切と改めて思う。帰ってから、右手を捻挫していることに気づき時間を追って痛みが増す。オー痛いこの痛みを忘れるな。
2016年08月06日
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いつも午前の散歩を糖尿病治療の一つとして欠かさない妻。最近は妻も元気になり、一人で行くことが多い。今日は朝から日差しが強いので蔭のある所を歩きたいというので、急遽、貝柄山公園に行くことにした。車で15分かからない。園内遊歩道は木がかぶさり日陰になっている。妻はいつものようにすれ違う人々に挨拶。一人の女性に声をかけ、言葉を交わし「イエス様の恵みがありますように」と言い、別れようとすると「ワタシ、クリスチャンなんです」そこからさらに打ち解けての会話となった。千葉に越してきて5年、初めてクリスチャンに出会った記念すべき日
2016年08月05日
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ウェスレー標準説教7番目の「神の国への道」を、右のフリー頁最下行に置きました。ウェスレーの説教を味わってください。西佐津間家庭集会のjimdoサイトに置こうとしましたが、長文を受け付けてくれませんでした。楽天ブログで全文を載せることができて、感謝しています。テキストファイル化は時間がかかりますが、でき次第またアップロードしたいと思います。著作権継続中のものは載せません。
2016年08月03日
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ウェスレー標準説教7番目の「神の国への道」をテキストファイルにした。野呂芳男さんの訳、キリスト教古典叢書の第9昭和33年刊なのでずいぶん古いものだ。藤本先生の新しい訳は平易だが、野呂先生の訳は格調が高い。並べて読むと面白い。本を裁断しOCRにかけてスキャンし、アクロバットでテキスト化する。古い本で旧字体なので識字率が悪く時間がかかった。でもテキストにすればいつでもどこでも読みやすい。(ボクの身の回りには裁断済みの本が散らかっている!)この説教を読むとウェスレーがどこに信仰の心を置いていたか、よくわかる。ウェスレーの典型的な説教の一つだと思う。キリスト教は心の宗教、心と行いが一つになって初めてクリスチャンと言えるとウェスレーは言う。そしてホーリネスはハッピネスだという。ウェスレーは自分が説教したとおりに強く、明るく、激しく生き抜いた。走り抜いた。
2016年08月02日
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妻が先年亡くなった友人の文集を出してきて読みふけっている。ボクにも読むように言う。「ここと、ここよ」読み終わって返すと、感想を求める。「ニルスのふしぎな旅」のニルスのような人だな。というと、それって何だっけ、と問う。スマホをとって検索するとあのアニメ、あの主題曲が飛び出してきた。最終場面で涙が止まらなかったことを思い出す。ああなつかしい。また見たい!
2016年08月01日
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