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若い頃、韓国の友人に、ソウルの商店街を案内された。ボクに物売人が近寄ってくる。「ボクが日本人だとわかるのでしょうか」ときくと「服装でわかるね。それから日本人って優しそうな顔をしている」えっ、なに?日本人が優しそうな顔をしているって?日本人は歴史の中で残酷なことを繰り返してきた。キリシタン迫害の、世界でも類を見ない残酷性朝鮮、中国で繰り返した迫害史関東大震災の時の狂気の在日朝鮮人狩現代ネット社会の陰湿ないじめ優しそう、と、優しい、は違う優しそう、って柔弱なこと表、裏があることこんなふうに書き続けていると天からの声が聞こえた気がした「おまえが、その典型的日本人だと思うが」
2025年01月31日
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軽自動車の後部座席を倒し木の枝を剪定していっぱいに入れた。市の清掃事務所建屋内で、荷下ろしほっとして、さて帰ろうと発進動作。動作の手順は、まずブレーキを踏んでパーキングブレーキを解除しアクセルに足をかけゆっくりと発進する。ブレーキを踏み込んだつもりが、アクセルを踏み込んでしまった。ぶお~~~~~~エンジンが恐ろしい音を立てて吹き上がる。建屋内の職員が思わず振り向く。しまった! 改めて踏み直すぶお~~~~~~~~疲れていたんだ。動作が鈍る。ブレーキとアクセル踏み違えるなんて、あり得ない思っていたが・・・・もしギアがドライブに入っていたら,急発進そして破壊的結末を迎えるところだった。
2025年01月25日
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『米大統領が22日、性的少数者や不法に滞在する移民をめぐって、教会での礼拝で主教に慈悲心を持つよう諭されたことに反発し、「彼女(主教)と教会は当然、国民に謝罪すべきだ」とSNSで主張した。』MSNニュースより預言者にたてついて滅びていく、ユダやイスラエルの王様を連想した。時代は代わっても、王様や為政者の奢りは変わらない。主教は米誌タイムに「他者への慈悲を促したことについて謝罪するつもりはない」と述べた。この度の女性司教は、ヒットラーに脅かされて沈黙したかつての司教のようではなかったようだ。
2025年01月24日
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娘家族が住むオーストラリアは、真夏で40度にもなるという。その娘たちが真冬のわが家に里帰りしてきた。主人は少し遅れてやってくるそうだ。夜、娘と子供たちの会話がデスクワークをするボクにも聞こえてくる。ていねに、よく会話している。そして2人の子どもの話を良くきき、相づちを打ちさらにかなり子どもに振り回されている。子どもに振り回される母親ボクはよかった、と胸をなで下ろす。子どもを支配する親になって欲しくなかったので。今朝は「聖書を読む会」に全員が参加してくれた。それから、施設のボクの母訪問に孫が一人同行した。ひいおばあちゃんは、「だれなの?」とわからなかったが、同行した高校生の孫は、ひいおばあちゃんのためにお祈りをした。それはうれしかった。3代目のクリスチャンが生まれていたと思った。
2025年01月18日
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葬儀のことを、「告別式」と言い換えるのはどうなのか。「告別式」と表すのは仏式だと思う。「葬式」とか、「葬儀」と表すのがキリスト教だ。「告別」と言う方が、遺族の感情を和らげるのだろうか?若い頃、働いていた町の火葬場は町の隅っこ、行けばそこに釜があって、参列者の目の前で遺体が釜に入れられ終われば、そのまま釜から出されてくる。まだ熱気が残っていて、参列者は思わずあとずさりした。今は、全く異なる。御殿のように整備された火葬場死は美化され、参列者の前に、厳然たる冷酷な死のさまは隠される。
2025年01月18日
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オペラはCDで聴く方が、音楽を楽しめる。DVDの場合、映像があるから、字幕が出るのはうれしいが舞台や、登場人物の容姿や、演出で失望することが多い。オペラを聴くのは、モーツアルト、ベートーヴェン、シューベルトくらい。モーツァルトのドラマ音楽はドラマティックで、心に触れる音楽が奔流のように重なっている。ベートーヴェンの「フィデリオ」は、筋が単純なのが良い。済みきったアリアや、「囚人の合唱」が心を打つ。シューベルトはかわいらしい。序曲は短いけれど、好きだ。シューベルトはオペラ作曲家になりたかった。モーツァルトのような奔流はないが、キラキラした小川の流れ。「ロザムンデ」はオペラではないが、シューベルトオペラ解説書の一番後に載せられていた。ピアノ曲「楽興の時」の劇場版のイメージ。好きなオペラを一つだけ、挙げれば「フィデリオ」
2025年01月15日
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「成人の日」は東京新年聖会の日去年からYouTube参加に切替午前、午後と1回ずつ、妻とディスプレイに向かった。夕方は青年向け夕の部はネット環境が悪くなり視聴できなくなった。しばらく待ってスマホに切り替えると、聴けるようになった。若い説教者たちは中堅となり、堂々としてきた。頼もしくまたまぶしくもある。老人もたゆまず励まなければ・・・ボクたちが老いていく先輩たちを見てきたように、ボクたちが見られる時代が来ているのだ。
2025年01月13日
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午後は、亡き信徒さんの一年記念会をした。東京下町、教会の近くに嫁いできて、静かに信仰生活を全うした。司会は伝道師、ボクは奨励を担当、前牧師は祝祷をしてくださった。あらかじめ原稿を用意した。「人生は苦難に満ち、忍耐の道を歩む」そんな内容で話し始める準備をしたのだが食事を取りながらの、皆さんの思い出話は武勇伝とか、楽しいお話が一杯。使徒言行録に出てくるドルカスのような女性だとわかった。ああしまった、ボクが準備したお話の内容はふさわしくない。臨機応変はできないからな。ごめんなさい。
2025年01月12日
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12月半ばから母が感染症にかかり、訪問ができなかった。今日は許可を受けて母を訪ねることができた。寒さも幾分かは緩み、晴れ渡った午後、弟の運転で訪ねる。認知機能が少しずつ後退していることがわかる。しかし親子の交わりができた。母はうれしそうだった。讃美歌も全部歌えた。いつも読む詩篇23編も読むことができた。お祈りも前向きで、感謝にあふれていた。ただ「主の聖名によって・・・」は、忘れているようだった。帰りがけ、職員が言葉を添える、「この施設で最高齢ですよ」6月まで守られれば、満97歳天地の境で生きている、もう少しで、向こう側に移る。
2025年01月11日
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いつの間にかやってきた・・・・フレイル1日、6000歩くように、と言われてもがんばっても2000歩(15分)それ以上は無理かな、それでも2000歩は心がける。歩かないよりいいか。一歩を踏みだす足を上げるのが、しんどい時がある。今日は軽いな、と感じる時もある。小水も我慢できなくなった。若い頃は、水鉄砲のようにおしっこが出たが今は、コップを倒して水を注ぐようだ。ああ、懐かしいな、こどもの頃のおしっこ。フレイルが後ろから追いかけてくる。逃げろ!逃げろ!
2025年01月10日
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正月の実感がなかったけれどきのう息子が帰省してきてやはり正月なのだなと思った。老いたる父母がそれなりに元気だと確かめ明日帰るという、早いな。多忙らしいな。
2025年01月01日
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