このお話にかかわりのある父母そして母の従弟がなくなってしまった。
私はもっとも近しい人にもこの話を語ったことがない。
語るべきか語らざるべきか大変迷ったが、先日図書館で借りた本に、亡くなった人を生かしたいと思うなら、それを正確に語り伝えなさい、そうすればその人は誰かの心の中で生き続けるからと書いてあった。その言葉に背中を押され、最後の一人としてこの話をさせてもらう。
私が中学生のころ、母の従弟であるMにいちゃんが家にやってきた。母としばらく話をしていて、私を難波のお好み焼きを食べに連れて行ってくれると言う。母行っていいといったので、夜難波まで出かけて行った。
ある場所で女性が待っていてその人と一緒に3人でお好み焼きを食べた。お好み焼きを食べるのに一生懸命で会話の内容は覚えていない。
その後数日して、Mにいちゃんが家に来て父母と話をしていた。
うちの家はフランクなので、私は黙っていたが会話の内容はわかった。
その女性はMにいちゃんの元職場の同僚で寿退社したのだが、結婚して数年たって、急性白血病が発症した。医者のいうのには、妊娠とかしたら病気が悪くなるので難しかろうということだったらしい。その件で姑さんが、そんな病気持ちの嫁は困る。治療費は出すから離婚しろと強く迫られている。どうしたらよいだろうという相談をMにいちゃんにしたらしい。
それから先の話は私は知らないが、その人は治療費は出してもらって病気は落ち着いたが離婚したらしかった。
Mにいちゃんが、その人は仕事がなくて生活できないので、父の会社で雇ってやってくれないかと頼みに来た。
そして、その人は父の会社で事務員として働くことになった。
しばらくは問題なくやっていたようだった。ところが再び白血病が悪化して会社を休むことになって、父は上司としてその女性の入院している病院にいった。
女性の父母はなくなっていて伯母さんという人が面倒みていたらしい。
主治医がこのような病気になるのに心当たりはないかと伯母さんに質問し、父のいる前で伯母さんが話したことは「この子が1歳ぐらいの時に家族は広島に住んでいて、原爆の被害にあった。伯母さんの家に一家でやってきたが、父母は相次いで死亡し、この子が残った。ただ、被爆者というだけで差別されたりすることがあったので、その子が被ばくしたということは本人にも言っていない。」ということだった。
その女性は入院したまま結局病状が悪化した。父も母も時々見舞いには行っていた。吐血がひどくなる、昨日は洗面器に大分血を吐いたらしいと両親が話していた。私はハラハラしながらもどうすることもできなかった。私が高校に入学が決まったころ、彼女は亡くなった。
父と母とMにいちゃんが葬儀に参列した。
彼女は被害者なのになんで、離婚させられたり、辛い病気で苦しまねばならないのか 、その理不尽さが納得できなくて忘れることができなかった。
しかし、誰が悪いの、何が悪いの。これで良いわけはないと思いながらこの思い出を抱いて生きてきた。
そして私は原爆を憎む。
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