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2012年03月14日
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テーマ: ニュース(95827)
カテゴリ: ただの日記
元の意味はどうであれ、あの歌は,明治天皇が支配する時代に、「天皇陛下ヲ祝スル楽譜」として定められたわけだし、戦時中には、子ども達を戦争に送るための軍国主義教育の1つの道具として、教科書でも「君が代の歌は、天皇陛下のお治めになる御代は千年も万年もつづいてお栄えになるように、という意味で、国民が心からお祝い申し上げる歌であります。」と、教えられていた。

結果として、戦前の学校教育が、子ども達が進んで天皇のために死ぬように育てることの道具として使われた事への反省は、戦後の日本の教育の原点だった。「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民」を育てる事が目的と明確に唱われたし、それを「学問の自由を尊重しつつ」行うってことも基本とされた。こうした背景もあり、実際、戦後長い間、日の丸,君が代は,教育に義務づけられていなかった。文部省が通達したのもせいぜい1999年ごろ戦後50年以上経ってからだ。

当時、「戦争が終わって、もう、50年も経ったんだから」って、よく言われて,いろいろなことが変えられ、今もなお、様々に、変えられようとしているけど、これは、とても危険な事だと思う。社会には、政治を様々な方向へ動かす力が、同時に存在してる。その1つは、信じられないけど、軍国主義に近い物を復活させるってことだ。人間なら、のど元過ぎれば熱さ忘れるって感じかもしれないけど、戦争の反省をした後、何十年も経って、反省した記憶のある人が少なくなって、そうした力が、また少しずつ強くなって来る。歴史は,そうやって「繰り返す」んだなって思う。1つ1つの変化は、大した事が無いような事で、真の目的を隠して、もっともらしい理由で進められる。でも、1歩ずつ、最後には、大きな変化(逆戻り)を作ろうとしている。そして、その時では、もう遅いだろう。

そういう動きの中では、教育を変えることは、特に大事だ。戦前の教育がそうであったように、子どもの頃に、ある考えを自然に植え付けるって事は、恐ろしいほど簡単な事だし、彼らは、すぐ十何年後かには、選挙民となる。だから、教科書やら内容についても、また学問的でない事(教員研修や主任制度等々)にも、統制管理が徐々に強まったきた。教育が、その時々の政治から独立しているべきというのは、実際難しい事だけど、非常に大切なことだと思う。実際、戦後に定められた教育基本法の条文にも、学問の自由と同時に、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」とある。この条文は,行政が教育の方法、内容に立ち入ることを、基本的に否定している。いや否定していた。というのも、法律が変えられてしまったからね。新しい法律では、行政による管理がしっかりと認められてしまった。もう、一線は、越えられてしまったって事なのかもしれない。

でも、この本来の考え方に立ち返れば、行政(国,都道府県)の管理・統制が強まることを、教師達が反発する事は,教育の独立を守る教師達の本来の役割の1つと言っても良いと思う。もし、こうして反対する教師がいなかったら、ニュースにもならないうちに、時の行政のやり方が、あれもこれも、すんなりと教育に押し付けられていただけの事だ。それを考えると、職をかけてでも反対をアピールする彼らの行動は,非常に勇気が要る事だし、この問題を周囲に気付かせるだけでも,大きな意味のある事なんだろうと思う。





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最終更新日  2012年03月14日 09時42分13秒
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