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「第十二回愛勝日式典後の御言」1995年1月2日漢南洞公館第十二回愛勝日。式典の後、日本の幹部に日本語で語られた内容。 摂理は堕落による失敗の記録 今度、世界的に体制を変えたのは、本を見ないで講義するな、ということです。なぜかというと、原理の内容というのは、ただ文先生が開示したものではないのです。それは戦闘記録です。きょうも話したのですが、摂理は堕落による失敗の記録です。アダム家庭において堕落した、失敗したというのは、神の心情圏に恨みを残しているということです。それはアダム家庭から、ノア家庭からアブラハム、イサク、ヤコブ全体、モーセ時代から洗礼ヨハネ、イエス時代と、今までの二千年の歴史は、みんな失敗の記録です。 だから、神様の心情圏に恨みの釘が刺さっているのです。失敗したので、全体的に勝利したという立場に立つには、それをみんな抜き取ってしまわなければなりません。ユダヤ教を中心として、キリスト教を中心として、統一教会を中心としての摂理は、それを抜き取るためでした。 だから、個人完成という立場に立つためには、神の心情圏にある恨みの釘、その釘をみんな抜いてしまって、治した立場で喜ぶような立場に立たないというと、個人完成はできません。神様の恨みを解放してあげることによって、全人類、各自が恨みを忘れるのです。神様に、その恨みの跡を残している以上、人類解放はできません。根本的にそうなっています。 その恨みの釘のすべてを引き抜いてしまったのが原理の教えです。最後にサタンと闘ってみんな処分して、アダム家庭勝利、ノア家庭勝利、すべての勝利圏を立たせて、そのような神の心情圏にある恨みの釘をみんな抜いてしまうのです。そして、その釘跡の傷までも治してあげて、神を解放するのです。そして、神が喜ぶような立場に立つのです。そういう立場に立つには、堕落したアダムの立場より以上の価値を持った者にならなければなりません。 だから、自分が復帰されるということは、アダム家庭を代表した一つの基準ではないのです。歴史全体を代表して勝利した、神の恨みを解除した主体的な神の相対圏に立つ、その立場に立つことによって、完全救済、完全救済なのです。 だから、歴史は死んでいません。失敗の記録がちゃんと生きています。サタン世界、それが生きている以上、サタンの侵入はいつでも可能です。これをみんな取り除くことによって、みんな除外することによって、サタンは消えていきます。だから、それは単に、一家庭のことだけではありません。失敗の記録は全体だから、全体を代表して、すべてを除外するような勝利的な基準を自分一身に抱えてなさなければ、完成基準、理想的神創造の家庭基準には復帰できません。分かりましたか。 だから、今まで皆さんに、アダム家庭として話しましたけれども、昔話としてそれをとどめてしまったらだめです。自分において、相当する立場に立つという宣言です。アダム家庭解除の宣言です。それはただ一人だけというのではなく、アダム家庭というのは、全人類が抱えているのです。皆さんが逆から、イエス様時代、洗礼ヨハネ時代、モーセの時代と、みんなつなぐのです。そういうところまで引き受けないというと、アダム家庭の、その恨みの釘跡は処理できません。それはアダム家庭ばかりではありません。歴史を通して失敗したアブラハム家庭、モーセ以降、神の恨みを残しているすべての歴史の過ちを処理しなければなりません。そして、これはみんな自分勝手にはできないのです。 摂理史的、歴史的蕩減復帰路程 蕩減復帰は摂理史的、歴史的蕩減復帰路程を抱えています。これはあなた一人ではないのです。罪の株式会社の社長です。失敗したすべての結実が、自分に集結しているのです。それをみんな処理しないと解放できません。分かりましたか。 (「はい。」) そのように重大な歴史性を抱えていることを人間は知らないのです。だから、四千年の歴史の上に来たイエス様は、四千年の歴史の失敗、神様の心情圏に釘を打ち、恨みの釘跡を残していることをはっきり分かって、それを抜いてしまわなければならなかったのです。そういう勝利圏をなし得て、それを展示して相続してあげるのがメシヤの使命なのです。 国家的基準において、その解放圏をなそうとしたのです。全世界を代表して、そこには個人、家庭、氏族、民族、国家、みんな入っています。個人個人が皆、その道を行くべきなのですが、代表的に召命された中心核を送って、その勝利をなし得た立場は、神の代わりです。神の全体をみんな解除したのだから、イエス様の立場の神は、個人から家庭、氏族、民族、国家基準まで、いつでも往来することができるのです。そこには、サタン圏の侵入がありません。 だから、イエス様とその時の教えと一つになって、それをなし得た場合には、歴史的な再臨のメシヤが来た時には再び蕩減する道は必要ありません。四千年をさておいて、イエス様が失敗したとすれば、それ以降のことを解除すればいいのです。しかし、イエス様は何もなし得なかったのですから、それはもう最初の根元のアダム家庭まで、みんな失敗した結果になってしまったのです。分かりましたか。 サタンというのは、創世以来、堕落以降、今まで歴史を引っ張ってきた老獪で有能な者です。その者から解除されるには、神の心の痛みをなしたサタンより、増した立場に立たなければ解除できません。増すというのは、釘を抜いてしまうということです。 第二次世界大戦における連合国家群の勝利、これはキリスト教文化圏の勝利です。それはエバの勝利、新婦文化圏の勝利です。それはまさしく、平面的にそうです。イギリスは女を代表しています。島国です。アメリカはイギリスが生んだのですから、まさしくアベルです。フランスは怨讐です。イギリスとフランスとアメリカは戦っているのです。怨讐です。 アダム家庭において、エバを中心にして堕落したのです。エバを中心としてカイン・アベルを抱えて地獄を出発しました。それを蕩減するのは、国家基準において、それと同じ公式的形において、これを勝利することによってなされるのです。歴史的な道もみんな公式的にするのです。堕落したカイン・アベル、それを聖霊が来て一つにする、お母さんが来て一つにさせようとするのです。聖霊はお母さんです。 お母さんを中心として心身一体にならなければ、お父さんであるイエス様の愛の子供の種を受けることはできないのです。堕落はカイン・アベルから、そして母から、父から、サタンを中心としてみんな一体になったのですから、サタン世界の家庭伝統がなされました。世界は、そこから離れることはできないのです。完全にサタン世界に属しているというのです。 家庭で失敗した立場を蕩減するために、再び世界的エバ国家、世界的アベル国家、世界的カイン国家、このように組んだのが、キリスト教文化圏でした。第二次世界大戦における英・米・仏というのは、エバ国家、カイン・アベル国家、これは横的です。そのキリスト教文化圏は霊的救済だけです。 再臨のメシヤは、霊肉共に救済完成をなしにきます。その方の相対圏に立つことはできないということを、サタンはよく知っています。ですから、英・米・仏をアベルとして、これに対して、サタン的なカインとして日・独・伊を立てて、ぶつかるようにしたのです。誰が先に打ったのでしょうか。肉身が良心を打つというように、肉身はサタンのものです。 日・独・伊は、キリスト教文化圏破壊が目的です。ヒットラーも日本も、みんなそうしたのです。キリスト教、ユダヤ教、撲滅運動です。まさしく、それは反対なのです。戦後、エバ新婦文化圏、キリスト教文化圏による英・米・仏、連合軍の統一、世界的統一によって、日本とかドイツ、イタリアは、なくなってしまったも同じなのです。ゼロに帰ってしまったのです。 そのアメリカとイギリスとフランスが一緒になって、先生と向き合った場合には、もうそれでおしまいです。心身一体圏の新婦文化圏に、新郎と神様です。誰が神様を追い出したかというと、エバとカイン・アベルです。堕落したエバによってです。エバの結実体がカインです。そして、カインがアベルを殺しました。こういうふうになっているのです。その堕落のために、理想のアダムと神様を追い出してしまったのです。完全にサタンを中心とした男、女です。神様は、男を一人も持っていません。 第二次大戦後において歴史上、初めて、世界的なエバと世界的な子供を持つのです。それは復帰の目的でした。エデンの家庭の基準において、アダム家庭完成の基準においてなし得るべきことが、延長、拡大され、蕩減の復帰路程を中心として、世界的な基準におけるエバ、カイン・アベル、そこにおいて勝利を得たのが、連合軍の英・米・仏でした。そして、日本はなくなってしまったのです。 世界が初めて、完全にエバ文化において、宗教圏のエバ国家圏のキリスト教に統一されたのです。それがエバとカイン・アベルです。世界を代表した神様と旦那さんが選ばれたのです。エバと子供はサタンの血統です。これは渋柿の根っこをつないでいるのであって、神による真の愛、真の愛による真の生命体の根っことは関係ないのです。 だから、これを切ってしまって、再び接ぎ木することによって、世界途上において完成されたエバ国家、統一世界をなし得たエバ国家、カイン・アベル、それから連合軍の一体と、先生が一つになった場合には、その時にすでに、今の体制になっていたのです。氏族的メシヤを分配したとするならば、一つの群に何ダースもの氏族的メシヤが配置されるのです。七億以上のキリスト教です。 再臨主一人を追い出すことによってすべてがサタンのものに それが、日本は今何名ですか。これはみんなでたらめです。サタンの屑がいっぱいになっています。それを考えないといけません。そのために先生が時間を費やされています。先生がそれを組んだ場合には、先生は家庭を持っているし、一族を持っているし、国を持っているので、南北統一はすぐになるのです。先生は文氏を中心とした、韓国の全民族をつなぐのです。こんなくだくだしいことをやらなくても、日本のエバ国とか何とか、アダム国とか何とか、そういう話をする必要もないのです。 そうなった場合には、キリスト教は熱心です。再臨の主に出会った場合には、すべてを献納して、一方きりの道を行くように、徹底的に、歴史を通して精神伝統をきちんと訓練されています。でたらめに自分を中心として、生活問題や子供のことなどを考えるような環境ではありません。ところが、英・米・仏、連合国家群が、神の方にのみ立つべきだったのに、再臨主一人を追い出すことによって、創世以来、神の復帰路程を中心として、たくさんの犠牲の祭物を捧げてなし得て、勝利圏を得たそのものが、全部サタンのものになってしまったのです。 韓国でも、カトリックと共産党とが一つになって、キリスト教が共産党の活動を援助しています。経済的問題、政治的方策、みんな補助しているのです。四十年間、徹底してそうしてきました。再び文先生が帰ってくるということを知っているので、完全に、めちゃくちゃにして、帰るに帰れないような環境をつくってしまおうとしたのです。いかに神様、いかに文先生に能力があるといっても、原理原則があるとしても、原理原則に相対する何ものもない、そういう環境をつくってしまいました。 フリーセックス。愛の世界に、フリーセックスが通じますか。真の愛の世界には、フリーセックスという観念は絶対に通じません。めちゃくちゃ、話にならないほど、めちゃくちゃになりました。それからホモセクシュアル、男が男と結婚するという話はないのです。それは動物の世界にもないのです。昆虫の世界にもないのです。昆虫以下です。相対発展するすべての存在以下に、みんな落としてしまったことを分からなければなりません。それはいろいろな歴史の絡み合った背後によって、そういうふうになったのです。 神様は相対理想を所有しておられません。だから、末の時期には自動的に、男一方きり、女一方きりの結果に変わらざるを得ないのです。そうしないというと、神に帰ることができないのです。その一方きりになるのを、みんな自分の方式の方にまとめてしまう。麻薬とかホモとか、そういうふうにです。それは歴史において奇異、異様な現象です。 ローマが四百年間、キリスト教を迫害、撲滅した時代においても、堂々と生き残って発展してきたキリスト教です。第二次大戦後のキリスト教文化圏は、最上の宝座に座りました。宇宙全体を支配して余りあるような権限を持ったキリスト教が、なぜ四十年間に、こんなにめちゃくちゃになったのでしょうか。先人の培ったものが、後進国の一番しっぽの国からも、つばをかけられて、「ヤンキー来るな」と、通り過ぎるような関係になってしまいました。神の理想の世界の完成を破壊しようとするのですから、そうならざるを得ないのです。 今は非常態勢 先進国家が神の敵の立場に立っているのです。だから、全体家庭破壊です。後進国家が神の方に近いのです。上のところをサタンが狙った場合には、下の方は神の方がつかまざるを得ないのです。反対の方向です。だから、アメリカより、共産党の今のロシアの方が先生に近いというのです。南の韓国より金日成の北韓が、先生の方に全面的に寄与しているのです。歓迎しているのです。そういう異様な現象が起こっています。不思議な現象が起こっています。 それを知らない間に、みんな巻いてしまうのです。こんがらがってしまうのです。しかし、こういう原理の解読圏に立つことによって、歴史はどういうふうに回っているかを知っているから、生き残ることができるのです。分かりましたか。(「はい。」)それを分別しないといけません。 末の路程に来ているのです。夜が訪ねてくるのです。夜が通り過ぎれば朝が来る、朝が来れば夜の環境圏はみんな複雑に分かれて、一つの氏族の方に行きます。一つは天国のように。夜の十二時に分かれるのです。朝、分かれるのではないのです。サタン全権下に入ったのですから、堕落には、神の存在はないのです。だから、サタン的な夜のまっただ中に、神はずうっと分解されていくのです。だから今、アメリカは夜の光です。あんなにキリスト教文化圏の地上天国として、世界的権限を風靡した、権力を持った国が、今は悲惨なものです。ニューヨークなんか、女性は自由に歩けません。 それは、現実問題を蕩減復帰してくるのです。空間とか空中とかが、蕩減されていくのではありません。分かりましたか。(「はい。」)堕落したのは現実、平面上です。平面上で蕩減しないといけないのです。そういう観点で解決し、現実の実際圏に、きっちり合わせるような教理を持っている宗教はないのです。それは、堕落圏ではできないのです。天使長の後孫というのは、それを知ることはできません、真の父母の後孫がするべきであって、天使長圏の子女はすることはできないのです。 ニューヨークなどでは、みんな女の子はごう姦されてしまうのです。エデンの園でエバが堕落、分かれ目です。女の貞操をやられてしまうのです。そういう時代になっています。完全に、堕落した世界的な結実体になっているのです。それをいかに防備するかが問題です。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界まで転換する道をはっきり知らなければ、それは乗り越えることができません。 原理の道は、それができるのです。原理というのは、元の起源の理知です。それは創造理想の理論です。原理相対関係も、もちろん神の相対圏に立つのです。蕩減というのは、現実の問題です。これは現実の問題です。日本をエバ国家として、こういう観点から見た場合、エバ国家として使命を果たしていないのです。めちゃくちゃです。 国を失えば、国民の生命体も所有権もみんな取られるのです。日本の国が負けたとすれば、日本の家も土地も、みんな売ってでも、戦争損害賠償を払わないといけないのです。自分のものだから国は関係ない、そうはいきません。同じことです。 今は非常態勢です。日本がやられるような、摂理的に日本が行ったり来たりするそういう運命、判決を下す、その裁判の場で待っているのです。ひやひやする、そういう時です。裁判官が判決すれば、それ一方きりでやってしまうのです。そこには人情とか愛とかはありません。法律を中心に適用しなければ、すべてが破壊されてしまうのです。同じことです。 天宙復帰には家庭基盤の勝利が必要 今年の年頭標語は何ですか。「真の父母様の勝利圏を相続しよう」。圏です。圏というのは、場所ではないのです。個人圏といえば、世界的個人全体があるのです。家庭圏というのは、世界的家庭、霊界まで全部、そして現在、未来まで全部入るのです。そういう内容です。 真の父母様の勝利圏というものは、平面的な一家庭ではないのです。アダム家庭からのすべての失敗、アブラハムの失敗、イスラエル民族全部の失敗、モーセの失敗、イエス様の失敗。神の傷つけられた恨みの釘を、先生はすべて抜いてしまいました。アダム家庭からノア家庭から、みんなです。そうなると、サタンは大攻撃、世界的攻撃をします。だから、悲惨な迫害を世界的に受けるのです。全部が世界を代表しているのです。個人圏も家庭圏も、世界を代表しているのです。家庭圏内において個人がみんな入っているし、個人的圏において家庭も含まれているから、家庭を行ったり来たり反対する、二重に反対することができるのです。 だから、家庭を重要視するのです。個人を訪問すれば、家庭を通過し、氏族を訪問すれば家庭を通過、行ったり来たり、家庭があるのです。二重的に、それはつながっているのです。だから、家庭は神様を殺すことができるし、サタンも殺すことができるし、神様を解放し、サタンを解放することができるようになっているのです。 何が重要ですか。(「家庭です。」) だから、家庭圏の圏というのは、個人圏、家庭圏、氏族、眷属、天宙まで八段階入っています。いくら天宙圏を勝利したとしても、家庭基盤を持たなければなりません。家庭基盤の勝利がなければ、天宙復帰も話せない内容です。 犠牲の蕩減の原則によって、アダム家庭失敗を、何人、何百年、あるいは実体勝利、中心者をまとめて、峠を越えるのです。小さい峠を越え、大きい峠を越え、だんだんに家庭基盤を越えて、氏族、民族、国家的な宗教圏を中心として世界的になっていくのです。 先生に直結した絶対信仰 いかなる宗教にも再臨思想があります。イエス様再臨と弥勒再臨、それは最後の再臨であり、終末に来られる再臨主は「真の父母」です。愛を失ってしまったのだから、全世界に真の愛、堕落した以上の愛を持ってこられるのは、堕落した父母ではなくて、真の父母です。ですから、いくら宗教界に再臨思想があったとしても、それはみんな一人のことをいっているのです。東西南北の道があったとしても、富士山だったら富士山の頂上に上がって、中心に立ったものがみんなをつなぐようになるのです。 宗教界の中心は何でしょうか。それは先生が考えていることではありません。それは仏教でもなければ、イスラム教でもなく、儒教でもない、キリスト教です。その主流は一緒で、神と人間がはっきりと親子関係でつながっているというのです。神と被造物は主体・客体、それは相対関係をなしています。新婦、新郎、子女関係、兄弟関係。完全に家族を中心として、親子の関係につなぐのです。そういう内容を持った宗教はありません。 イエス様は「自分はひとり子である」と言いました。ひとり子というのは、蕩減復帰原理から見た場合には、血統的、国家的中心者として生まれてきたということで、その証拠というのは、原理の観点からはっきりしているのです。 それで、宗教はキリスト教を中心としてまとめられざるを得ません。キリスト教を中心として、外的、サタン的な世界を包囲、消化しなければ、天国に変えることはできないのです。それが第二次大戦後のキリスト教文化圏の勝利でした。キリスト教がなくなったわけではないのですが、それがみんなめちゃくちゃになり、統一教会がその立場を相続して完成するようになってきたので、キリスト教が滅んでいくのです。 秋になって霜が降り、寒くなれば普通の木の葉は、皆落ちてしまうのです。南はまだ落ちない、冬になっても落ちません。そういう伝統的な愛を中心として、伝統的なグリーン、エバーグリーンの内容を持つのが、愛の宗教のキリスト教です。キリスト教を中心として、世界を収拾しなければなりません。 先生の言うとおりにしないと復興しません。自分なりの方法をまとめた場合には、ぺちゃんこになります。それを先生は一番恐れているのです。自分とか、日本の色を出す者を、一番先生は嫌がるのです。統一教会は、韓国の精神でもなければ、日本の精神でもありません。 先生が教える内容は、神の伝統、神お一人だけが持っておられた思想です。それを反対する者は、みんな除外されるのです。いかなることがあったとしてもです。原理と金とを、替えることはできません。原理と堕落した人間、国とも替えることはできません。原理の中心なる愛は、天宙をやっても替えることのできない、絶対的価値を持っているのです。 それを抱えてきたのだから、先生は滅びません。天宙が迫害しても、その愛を、自分一身に替えても絶対的に尊重すべきものとして、一方きりの方向に行くならば、それを占領する何ものもありません。金も破壊することはできません。先生の言うとおりになるのです。分かりましたか。(「はい。」) だから、神の心情圏、恨みを解くその復帰というものは、先生に直結する以外にないのです。天は絶対信仰、絶対一体です。それは、アダム国においてなかったものです。動機には、絶対信仰がなかったのです。「真の父母の勝利圏を相続する」、大変なものです。それは人間一人ではない。全体、天宙的内容です。八段階における、すべての勝利が入っています。それを相続する、相続宣布です。いくら偉いといっても、相続しなければ関係ありません。それは先生の最後の勝利圏に、すべて棄てて一体化する以外に道はありません。分かりましたか。(「はい。」) 勝利圏の相続 勝利圏はアダム家庭の勝利圏です。ノア家庭勝利圏、ノア家庭の氏族全般が入っているのです。アダム家庭、氏族、民族全般が引っかかるのです。アブラハム、宗教圏、モーセ、イエス、それは全部入っているのです。先生を中心として新しく教えたすべては世界的精鋭です。それを今まで、二十日とか四十日とか原理講義を聞いても、完全なる統一勇士にはなっていないのです。蕩減して勝利した、という勝利式をしないといけません。パスポートをもらわなければなりません。何ももらっていないで、自分が完全なる統一教会員と思っているのです。 だから、「氏族メシヤ宣布して帰れ! と言ったのですが、みんな潜ってしまいました。そのような者を、神は使うことはできません。廃品回収にもならないのです。警告します。本当にみんな相続を宣言しているのです。自分の何かを取り残した場合には、完全相続できません。今から相続するように教育するのです。 その一家を相続するには、五人の兄弟がいたとするならば、自分という概念を多く持っている者は相続できません。主体はお父さんだから、父母であるお父さんを完全なるプラスにして、完全なるマイナスとなる立場に立つ者が相続するのであって、プラスの主権を持つ者は反発されてしまうのです。 世界的な戦争の問題ではないのです。天下分け目の一瞬の決定によって、上がったり下がったりするのです。だから真剣です。皆さんは、そういう真剣な経験がないのではないですか。法廷に立って、判決を待ったことがありますか。いかに真剣でしょうか。先生はよく体験をしています。その問題と、宇宙裁判における神の前の判決とは、比較にならないのです。その判決は、数年を抱えたものではなくて、永遠を抱えた判決です。一度判決が下った場合には、永遠にそれきりで、そこには妥協はありません。真剣な道です。でたらめな道ではありません。 堕落したエバという、エバ国家を考えてみた場合には、本然のエバの本質をまとめて、国家的基準で蕩減しなければならない責任を持っているのです。そう考えるならば、世界的に誤ったすべての女たちのことも蕩減してあげて、全部正してあげた上に立って、神の方に向かわなければ、エバとして世界的に皆、相続できません。理論的結論です。 その女を無条件に立たせてあげたことに、感謝の念を持つべきであって、自分一人、一家族を考えて、教会はどうでもいいのですか。国があって、国民があるのです。親があって、家族があるのです。そうではないですか。それと同じです。神様があって、天宙があるのです。神様の存在価値を先に認めない者は、世界的存在条件も満たすことができません。はっきりしています。 相続するには宣布が必要で、今相続を宣布しているのです。世界的です。真の父母が話した内容は、偉大な偉業の知識に間違いないのです。自分がなし得ていない、勝利していないことは相続できないのです。相続するには、親のなし得なかったものをなすために相続をする、という考えを持たないと、相続する道はありません。 その親が八十パーセントの完成をして、まだ二十パーセント残っているものを、相続した場合には、その二十パーセントを完成して、百パーセントの価値を自分がつけてやるというような者でなければ、相続する資格はありません。いつか相続しても、何回も失敗する道が生まれてきます。 相続する範囲 今度、アメリカを発つときに、先生ははっきり教えてきました。第二世の使命は、先生が若い時にできなかった、それを蕩減復帰しなければならないということです。南北統一するための最小限の世界的環境は先生が勝利したので、あとは国だけをまとめれば、世界が歓迎するような基盤になってきました。 四十年間教育したそのあとに残すべきものは、第二世の使命として、建国精神を徹底する以外のものはありません。先祖の失敗を、自分の一家族が、なし続けてやってきたと同じような蕩減復帰をしなければなりません。そうでなければ、先生は四十年、こういう悲惨な迫害の道を行きません。 先生は立派な男、堂々たる男です。本当ですか。(「はい。」)連合国の失敗、反対して先生一 人を追い出したのが、世界的な堕落になってしまったのです。それを信じられますか。そんなことは、何でもないと思うでしょう。何でもないようなことが、何でもあるようなことになって、再びその国が存続する相対圏から消えていくようになってしまいました。これは気をつけなければなりません。 それで、君たちは相続したいのですか、するのですか。(「します。」) どうすればいいのですか。先生のなし得た勝利を、自分においてなし得ない者は、どうすればいいのですか。先生が青年時代になし得なかったその道を、君たちは自分の二世を通して蕩減復帰しなければならないのです。 その場合、先生は世界的基準で、青年たちを世界的に組む力があります。百六十軒を中心として国を平定した場合には、世界的に貫くのです。百六十国家の勝利を期待します。国を動かす立場で、氏族的メシヤとして、百六十軒と百六十か国をなすのです。そうすることによって、自分が一家族の方に回れば、一族が回り、一国家、世界が回るのです。 真の父母につながらない以上は、相続圏をなし得る未来の道はないのです。そのために、みんな統一グループの前に相続して、世界勝利圏の花が咲いて、天的全般的勝利を掲げて進軍するような日を、先生は待っているのです。氏族的メシヤのためのそれは、氏族チャーチ、家庭チャーチという名前です。八年前からやっているのです。心情圏を知らなければ、それは復活の道がないのです。そういうことをみんな本格的に分からないといけません。どういう原点に今いるかということを、はっきりと分からなければいけないのです。 勝利したものを相続することは必要ではありません。もう、他人も持っているのです。勝利していないものを自分がなすために相続するのです。相続する範囲もそうです。九十七パーセント創造された。三パーセントから五パーセントは自分が果たさなければならない、それと同じことです。分かりましたか。 二代でもって復帰したのと同じように、先生一代の勝利と世界的勝利圏は、みんな二世がつなぐことによって、二代でもって蕩減をしたことになるでしょう。分かりましたか。君たちは、家を売ったり、身を捧げてでも、南北統一をしないといけないのです。本当は、日本に住むことを許されないのです。それが、統一教会の二世の行くべき道です。 先生には国がない 日本人という名前、何々姓名、みんなほうってしまいなさい。日本の土地から生まれた、その体を憎み、日本の水を飲んで流れる血を憎めというのです。徹底した蕩減復帰をするのです。 サタン的世界の国とか、文化とか、すべてのものを、天上天国の世界をなし得た場合に、神様はそれを見たいと思いますか、見たくないと思いますか。蕩減復帰の道は、誰かから金をもらって運動を頼まれたからするのではなく、先生が自分でやってきているのです。 中心以外のものは、そこに同参できません。命令した以外の者に介入されて、存在の価値を見た場合には、サタン侵入の完全なる犠牲が残ります。これは、もうすでに先生がなし得たのです。こうしたことが、相続圏をなし得るようになっているのです。東西南北統一は、先生を除外してはできません。韓国民も、北韓もそう思うのです。 それで、先生には国がありません。日本の国が、それを持つ種の基盤に立ったとすれば、南北統一は問題ないのです。アメリカでは、南北統一はできないのです。種がありません。原理的な勝利、世界的な勝利の基準は、先生の実体を中心としていつでも証明できるのです。国家復帰といえば、証明される基盤はいずこにもないのです。その国の憲法が、それは世界というUN規模の国家一つでも残っていれば、UN的基準を凌駕しないというとできないのです。大変なことです。先生は六年間にそのような国をつくるのです。 統一教会も、統一氏族も、統一民族も、先生がつくるようになっているから、統一の国、超国家、超宗教、超民族的な国をつくるのです。そうしないと、世界が滅びるのです。日本は対立することはできません。誰もできません。今度、南米に行ったことは、そのためです。 それから、キリスト教から見た場合には、統一教会はアベルです。キリスト教が一つになるのがアメリカです。大きなアベル圏を中心とすれば、ローマ・カトリック、それはラテン文化圏で、南米だから、それは大変です。一つにすれば、世界統一をもたらすことになるのです。 ヨーロッパを統一するには、ドイツが問題です。ドイツが旧教、新教の分割の地だから、ヨーロッパを統一するのは、キリスト教の伝統の、ドイツ圏の伝統的神本主義が問題です。それは、はっきりした神本主義、はっきりした絶対主義です。 先生が残したものを相続 日本人というのは、気持ちが悪く思わないといけません。日本人は何の人によって天国に入るのですか。日本人として天国に入るのですか。日本人はいないのです。先生を中心として神の国を持ったとするならば、神の国のパスポートがある場合には、世界でチェックもしないで無事通過するのです。それが、国というものです。国が必要ですか。(「はい。」) サタンは国を持って、世界をかく乱してきました。 創世以来、神は苦悩のどん底に落ちてしまいました。讒訴続きの傲慢な態度を、神様は呪うこともできなくて、それに従ってきた神様の悲惨さを知らなければなりません。これを解除しなければ、面子も何もないのです。一身の恥ずかしさとか何もありません。先生はそういう生涯を続けてきました。今もそうです。はっきりしないといけません。分かりましたか。(「はい。」)) これは、先生の話ではないのです。霊界に行ってみなさい。日本人の意識が、何パーセントになっていますか。反発作用を起こすのです。超民族、超国家、天宙的、神の必要とする天宙愛でもって、土地を超えて、血を超えて、文化を超えて、それは人種を超えて、果たし得るものでなければ、主体なる神自体の相対圏に立つことはできません。神の子女になることはできないというのです。 いいものだけ相続して終わりというのではありません。皆さん、先生は八十パーセント、九十パーセント以上、完成させてあげたのです。五パーセント、七パーセントはやりなさい。国を探していくのです。もしも君たちがやらなければ、君たちをみんな切ってしまって、先生が国を、世界を、復帰しなければなりません。その時は、統一教会の者は、みんな開拓の立場において、みんな責任を追及します。 はっきりしてください。相続は、いいものばかり相続したいのですか、先生が残したものを相続したいのですか。(「先生が残されたものです。」) 一度、先生と因縁を持つことは安っぽいことではありません。何億万ドルかけても、先生の本心からつなぐことはできません。条件的なつなぎです。それも果たさないで、自分の一家族のことや、個人の負債ばかりに取り組んでも、ぺちゃんこになるのです。そういう一族を中心として、この日本の地が吹っ飛んでしまうのです。見ていなさい。日本列島は、太平洋に潜り込むかもしれません。今、世界的に、予言者が日本に対して予言しています。一九九八年から日本は滅亡する、太平洋に潜ると宣言しているのです。 国を中心として宣伝する国家代身地がないので、日本も何もみんなさておいて、モデル国家をつくるのです。どうですか。嫌ですか、歓迎ですか。モデルをつくった場合には、全世界の国が、その国を手本にして生き残ることができます。皆さんは、モデル国家建設のための労働者となり、農民とならなければなりません。 日本の運命は双子にかかっている 皆さん、民団を伝道しなさい。日本伝道を中止してでも、やろうという観念を持った指導者が何人いますか。霊的に見れば、十パーセントしかいません。日本の国は、韓国人を好きですか、嫌いですか。どう思うのですか。日本は先生に対して、五十年前に……、それは話ししません。みんな話したら、先生の前に顔をあげることができません。子供として育てるには、そんなことを言う必要はないのです。しかし、それをはっきり知らなければなりません。 エバの腹の中に、いびつな双子が入っているのです。生んで一つにしないといけません。カイン・アベル、ペレヅとゼラ、それは一つにしないといけません。ヤコブとエサウを一つにしないと、二つの国が戦うのです。大きい者が小さい者をはね飛ばすのです。日本のエバ国から、東京、日本の重要都市、みんな双子で争っているのです。これを一つにさせなければなりません。 日本の運命は、この双子にかかっています。朝総連と民団を一つにして、新しい国の標準となすことによって、日本の青年を中心として、日本の国を逆に引っ張ってくることで救われるのです。先生の言ったことは遊びごとではありません。 なぜ、韓国の幹部たちを日本に投入したか分かりますか。韓国の幹部たちを送って、つなげているのです。命を懸け、血を流し、涙を流しながら行くところに、死んでもついていきたいという、伝統的なつなぎを残すためです。それ以外に何もないのです。 それは、統一教会の発展のためでもないのです。日本自体を、いかに摂理圏に残してやるかという思いからです。それなのに、本心から歓迎する者は少なかったのです。このごろはちょっとよくなりました。 日本は韓国と一つにならなければ、日本に残るものは何もなくなってしまうのです。その子孫は、めちゃくちゃになってしまいます。それを恐れているのです。真剣な言葉です。 先生が残した一番難しいことを相続 先生に二つの宗教は必要ではありません。かえって世界的に、歴史に面倒くさいものとして残るのです。日本には統一教会があるのに、宗教は二つは必要ないのです。だから、二つのものを一つにまとめなければなりません。堕落によって神の前には、復帰されるエバと子があるとともに、堕落したエバと子があり、二重に存在しているのです。二重は創造理想ではありません。一重につくらなければならないのです。一重です。だから、次男の方に行って、長男を屈伏させていくのです。 もうすでにサタンは、民族、国家から世界的な国家圏をつくって攻撃してくるのです。それを凌駕しない以上は、開国がありません。いくら教祖として、平穏な生活、王宮生活をしても、それは何の役にも立たないのです。万民が伝統の精神として侍り得るような絶対的基準を、その生きた基準を残してやらないとすれば、世界の行く道がめちゃくちゃになってしまいます。日本を中心として日本的な方向を求める、それが恐ろしいのです。真の勝利圏を相続しなさい! 分かりましたか。(「はい。」) それで君たち、神様が生きているという話ですね。分かりましたか。相続は、いいものばかりを相続したいという者、手を挙げなさい。先生の残した一番難しいことを、第一番目に相続したいという者、手を挙げなさい。本当ですか。いつも手を挙げて誓いをして、なしたことが一つもないではないですか。(「今度はやります。」) 今度は大変です。 先生は今後、アメリカに帰りません。時々、何か用があって、通行客として帰るかもしれませんが、今そういう整備をしています。時は、そういう時です。そうしないと大変なことになります。みんなぐずぐずしていると汚れていく、汚いものが尻尾につくのです。大変です。相続を宣言しました。君たちが相続しなかったら、それは労働者や動物が相続するのです。動物にも劣ります。 あなたたちは、各県で重機を運転できる、修理をする要員をさっそく養成しなさい。ブルドーザーとかパワーシャベル、そういう重機です。開拓しなければならない。理想の国の前に、開拓勇士が必要です。 世界の国をつくる、それぞれの地から始めて、汗と涙を流しなさい。先生も先頭を切ってブルドーザーを運転します。重機を運転します。今朝、お母様と相談しました。私がブルドーザーを運転して、お母様が横に座って、喜びながら乗りますか、泣きながら乗りますかと。お母様は、喜びながら乗るそうです。国なき寂しさ、痛さをよく知っているから、国の地、自由の版図、それを願うのです。願いますか、願わないですか。願わない者、手を挙げなさい。一人もいないですね。 家や土地を失っても、五十倍の土地や家を買うようなところが待っているのです。希望あり? 希望なき?(「あり。」) だから、日本の「ありがとうございます」は、アリが十匹ということです。感謝だから、日本人は十倍以上労働しても感謝しなければならない、そういう跡継ぎの名前があるということは、有り難いということを忘れてはなりません。 鞭打たれて、「その地を涙で歩け」と言っても、反対してはいけないのです。なぜですか。国なき者だからです。日本の地でいかに反対されたか、それを忘れてはならないのです。先生は骨に刻んできたのです。忘れられません。これは、神の前に恥ずかしい過去を、きれいに清算しなければなりません。 氏族的メシヤを徹底化させなさい。日本の現状は、氏族的メシヤが徹底化されていません。先生の話は、遊びごとの友達の子供の話ではありません。分かりましたか。(「はい。」) これから行く道はもっとつらい道 世の中で寄生虫になるために、なぜ生きるのですか。先生は、それが大嫌いです。負債を残して死んでいくのは大嫌いです。アメリカにおいて、みんな責任を完遂しました。アメリカは、先生の包容圏に包容されています。十三万人の牧師を持っているのです。 温室にいたって、何も残るものはありません。ボロを着て、乞食をする以外にないのです。しかし、最後の橋を渡れば、天国への入籍が第一番にできることは間違いがないのです。一族のチャンピオンになる、それは間違いありません。それを知っているから、先生は生涯かけて、こんなことをするのです。 何も持っていなくても、翌日の朝、相続の手続きをした場合には、天下一品になるのです。反対した者は、一遍に自分の足下になるのです。そういうものがあるから、今まで一人ぼっちでやってきたのです。先生は、友達も何もいないのです。親もなければ、兄弟もなければ、国もなければ、何もありません。統一教会のメンバーも、本当に信じられる者は一人もいません。 気持ち悪く思う者は、気持ち悪く思いなさい。今から行く道はもっと大変です。もっとつらい道が待っています。それでもいいですか。生き残りたいですか。(「はい。」) そういう決意をする者、もう一回手を挙げてみなさい! (「はい。」) 確かに、統一教会は何も持っていません。それは先生もよく知っています。何も持っていないながら、最後には着物を売って、最後には手を切って、身を捧げてでも国を救うのです。目玉一つで国を抱えても、栄光の神を迎える王国、天国の主体国民になるし、天国の主体王族になるのは間違いないのです。 天宙的な立場で、サタンを永遠の地獄に葬り、神が永遠の天国の地の無限大の宇宙に拡大するような時代が来ました。後孫が、地獄のどん底の暗闇の世界に向かうことを願う人は一人もいません。そういうものは蹴飛ばして、その反対の世界に行くのです。いかなる苦労があっても、歓迎し、喜びで消化し、それを越えていこうというのが、統一教会の文先生主義です。神主義です。 皆さんは、何主義を尊重しますか。(「神主義です。」) 神主義ではない、真の父母の主義、親父主義です。子供の好きなものを断ちなさい。なすべきことをなし得なかった親の一心に残した恨みを、願いを、後孫が、その血統を受けた人たちが、相続して完成するのが、子供として決められた天来の法則です。今つらいことは、日本の若い者に、それはさせてもいいという結果になるようになりました、なった? (「なりました。」) 「なるよう」ではだめです。「よう」は千年も拡大するのです。 それから日本のメンバーとしては、済州島の教育をみんな徹底しなければいけません。教育しないから発展しないのです。信仰の重要性、世界を救うという観念が薄らいでいくのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.30
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一九九五年、年頭の辞「真の父母様の勝利圏を相続しよう」一九九五年元旦、年頭標語、それは「真の父母様の勝利圏を相続しよう」です。 一、真の家庭を正立する。 正立というのは正しく立てる、立たすことです。真の家庭を正立する。それが、真の父母の勝利圏を相続する第一です。真の家庭を相続して正立する。分かりましたか。(「はい。」) (一)心身統一完成。 重要な問題です。堕落したために心身が分立し、真の愛を持つことができませんでした。堕落のために心身が分割され、サタン的な愛によって、サタン的な偽りの父母によって、偽りの愛によって、偽りの生命を相続して、それを分割され、紛争するような人間になってしまったのです。その歴史をずーっと通過して、今までそれを勝利したことがありません。 世界にたくさんの戦争が起こったり、また止まったりしてきましたけれども、心身紛争圏の戦場は、いまだに一回も止まったこともなければ、休戦状態とか、やめたこともありません。歴史を超えて連綿として、つながっているのです。その紛争を、いかに処理するかということが、神の救済の最後の目標です。 堕落のために、堕落の愛のために、サタンの基盤が肉身に根を下ろすようになってしまいました。良心圏は、もともと神に直結するようになっていますから、主体になっています。天使長は客体の立場のものとして、愛の環境を持ったとしても、神のもとのプラスのところ、主体圏に根を下ろすことができないというのです。だから、相対圏に根を下ろす以外に、道がないのです。 その相対圏が肉体です。良心という完全なるプラスに対して、相対的マイナスになるべきところに、偽りの愛の種が下りてしまったのです。それは偽りの愛であるけれども、もともと原理に一致し得るその愛、アダム・エバが直結する関係の愛だから、その力は強いというのです。 長成完成基準において堕落した、その時の愛は堕落の愛であるけれども、天使長と因縁を持ったその愛の力が、その時の良心の力よりも強かったのです。それが問題です。それをはっきりしないといけません。堕落した時の愛の根を下ろした力が、堕落する時の良心の基準の力より強かった、それが問題です。だから、肉身は、良心を今まで引っ張りだこにしてきたのです。根源はそうなっているのです。 心身紛争の出発は、一体どこか! 紛争の動機の出発起点は、生命の発生の出発点、それは親たちです。親たち、それは夫婦一体になる愛の関係の本場です。夫婦が結婚して、初愛の関係を結ぶそのところ、凹凸が一つになる本場が、生命の出現地、出発地です。その本場において争いの内容があったので、結果としての生命体に、紛争として残らざるを得ないのです。動機からして、紛争圏の内容があったのですから、結果としての堕落した生命圏には、心身紛争が現れざるを得ないのです。これは理論的です。 こう見た場合に、結局は偽りの、過ちの愛によって、生命がつながれたということは、過ちの愛と本心は、争うようになっているのです。反発するのです。だから、堕落した結果を見た場合には、エバがアダムを誘惑するのを、アダムは嫌がる立場にならざるを得ないのです。喜んで、ではないのです。嫌がるのです。天使長と関係する時のエバ自体も、神の言いつけによって、そんなことはしてはいけないということを良心的に知っているから、良心の反駁を受けざるを得ないというのです。 だから、異質、違反する内容の愛の関係は、天使長とエバ、エバとアダムにつながっているから、親たちの根源の世界の関係は、偽りの愛によって、違法的な紛争的な愛の内容に、ならざるを得ないという結論になってきます。そういう内容を説明して、それは血統的堕落だと言えば、何も文句を言うものは一つもないのです。 われわれは堕落した根源まで、はっきりと知っているのです。サタン的な愛の道は、堕落する時において、良心の基準より強かったから問題であって、強くなかったとするならば、良心が肉身を引っ張りだこにして、自動的に神の方に帰るようになっているのです。 あなたたち自身もそうです。良心が肉身を引っ張りだこにしてきましたか、肉身が良心を一生引っ張りだこにしてきましたか。どうですか! (「肉身です。」)これが問題です。これが人類破壊の動機になったということをはっきり知って、いかにその解消作戦、壊滅作戦をするか、それが、陸上生活の生涯かけての使命なのです。それを正しておかなければ、神とか、神の国につなぐ道は永遠にありません。 だから、そういう関係を見ると、心身一体です。何によってですか。真の父母の勝利は、真の愛をなしてきたことにあります。真の家庭を正立するには、真の愛を中心としなければなりません。正しく立たせたその家庭の愛においては、第一に、自分個人において、心身統一完成をなさなければならないのです。何統一ですか。(「心身統一です。」) あなたは、もう心身統一をしましたか。良心はいつも、自分のやることを干渉するのです。良心は、自分がやることで、知らないことは一つもないのです。分かりながらも良心の命令に逆らって、肉身の願うところに、どんどんどんどん行っているのです。 それを、いかにみんな切ってしまうか。切ってしまうための、歴史的活動の体制が残らなければなりません。それが宗教圏です。だから、宗教を信じて救援するということはできません。大変な宣言です。宗教は、もともと救援の道をつなぐことはできません。なぜ、宗教を立たせるのかというと、この肉身を破壊するための工作なのです。肉身が良心を引っ張りだこにするのを、すべてなくすための世界的組織体制が、宗教圏なのです。宗教は、それをはっきり知りませんでした。 何によって、救援されるのですか。真の愛によってです。真の父母の愛によって、一つになるのです。一つにならないと、もとの基準に帰ることはできないから、神の国と永遠に関係を持つことができません。救援されるのは、宗教自体ではできません。肉身を引っ張りだこにするサタンの基盤を、壊滅するための方便として立たせたのが宗教圏です。真の愛に一体となった場合には、宗教は自動的になくなってしまうのです。分かりましたか。(「はい。」) だから、統一教会で「家庭盟誓」を唱える者において、心身一体、夫婦一体、子女一体がなされていない者は、「家庭盟誓」を唱えることはできません。「家庭盟誓」は、真の父母の勝利圏の、真の父母と誓約した安着圏においてなし得たのです。また、真の父母の血統転換をなし、所有権転換、心情転換をなし得て、心身一体圏をなし得た立場ですから、堕落しないもとのアダムの完成、個人完成体になった立場なのです。 個人完成、家庭完成、子女完成です。これを毎日、起きては祈りながら、きょうも心身一体、夫婦一体、子女一体の愛の家族内に立った者が、「家庭 それで、四十年の世界的蕩減の迫害が起きています。神が行くところに、逆らう者がないような勝利圏をわれわれは定着して、「家庭盟誓」をなせるのです。だから、先生の言うとおりに一つになった場合には、サタンは永遠に分立されてくるのです。その家庭には、何のサタンの侵入もないのです。宗教圏が必要ではないということです。分かりましたか。(「はい。」) だから、今から真の父母絶対信仰、絶対心情一致です。アダム・エバが、絶対信仰を持たなかった、絶対心情に一致しなかった、それを蕩減復帰するために、それを相続しなければならないのです。だから、第一は心身統一完成です。 (二)夫婦統一完成。 君たちは夫婦喧嘩をしますか。(「しません。」)それは主体が誰か、客体が誰か、はっきりしないといけません。主体は男です。先生が男だから言うのではないのです。神の愛と神の生命と神の血統をつなぐ内容を持っているので主体なのです。それは何かというと、子供の種を持っているということです。女は子供の種がないのです。胸も尻もみんな、自分のものではありません。子供のためにあるのです。女の顔は自分の顔ではない、旦那さんのための顔です。旦那さんがそういう顔を好むのです。それは柔らかくて滑らかです。女はそういうものを好みません。反対です。だから、夫婦統一をしないといけないのです。 (三)アダム・エバ、子女統一。 それはカイン・アベル、子供です。それが、みんな怨讐圏になってしまいました。心身分裂、夫婦分裂、子女分裂。神の創造理想には、カインがアベルを殺すということはありませんでした。サタンが侵入して、そういう結果をつくったということは、これは話ばかりではなく、事実なのです。事実問題を責任を持って解除することにより、すべてのものが神に帰ることができます。 だから、真の父母がいなければ、帰る道がありません。偽りによって汚れてしまったのですから、真の父母によって、真の愛によって、心身一体、夫婦一体、子女一体するのです。これは逆です。サタンの方に行ったものが、神に帰るのです。家庭完成をなさなければなりません。 それから国家完成です。それはイエス様を中心としてするのです。エデンの園において、アダム家庭が失敗したことを国によってまとめるのですから、国家的イエス様の失敗を復帰しなければならないのです。 二、真の国家を正立する。 誰がなすかというと、先生がするのではないのです。君たちがするのです。君たちは個人勝利、夫婦の関係、子女の関係を通過して、家庭全体が父母の後に従って、氏族、民族、国家を越えていくのです。国家、世界、天宙、神様まで越えていくのです。永遠を中心として、そういうふうになっているのです。みんなサタンに汚されたので、それを再び戻して相続しなければいけないのです。真の国家を自分が立てなければなりません。そうするには、心身一体、夫婦一体、子女一体をなさなければ、家庭的なプラスがないのです。 自分の家庭によって、それは相続段階、段階です。それは氏族圏を一つにし、民族が勝利した場合には、それが大きいプラスになって、国家的に投入する、そういう公式、代表的相対関係で復興していくのです。 (一)家庭的メシヤ完成。 メシヤというのは真の親をいうのです。真の親です。家庭的真の親を完成しなければなりません。それがアダムの立場です。それから、氏族的完成。国家基準は先生を中心とした場合には、氏族基準はイエス様であり、家庭基準はアダム堕落圏です。そうなった場合に、国家形成の基礎としてつなぐのです。だから、真の国家を正立する、その第一は家庭的メシヤを完成しなければならないというのです。 家庭的メシヤは、世の中にはいないのです。世界的なメシヤが来て、国家的メシヤを蕩減復帰し、国家的メシヤの基準によって、家庭的メシヤの基準を逆に復帰しないといけないのです。再臨の主は世界的勝利基盤を中心として、百六十国家の中心場を、サタンが占領した百六十国家の中心を、国を取り返すようになるのです。 そうすると、国を中心として地上定着、平面圏に立つというのです。だから、地上、平面的に完成されたアダム家庭となります。再臨の主の家庭が、百六十の中心になるのですから、平面的にアダム家庭復帰、イエス様家庭復帰、再臨の主国家家庭、みんな連結されていくのです。そこから、国家、世界、天宙と、縦的に三段階を通して神につなぐのです。地上を中心として三段階、アダムも三段階で、氏族、氏族の中には民族も入ります。氏族を拡大して民族ですから、国家という、こういう関係になるのです。三段階を中心として、国を中心として、世界、天宙と行って神様につながるのです。 (二)氏族的メシヤ完成。 先生が百六十国家を中心として、地上に定着するようになってきたのですから、皆さんは、平面的に、逆に、アダム、イエス様が失敗したことを蕩減復帰しないといけません。逆の方に行くのです。イエス様の失敗は、アダム家庭を救わなかったことですから、先生が全体的勝利をして得たものを、イエス様が氏族的メシヤを通して、家族メシヤ、アダムの失敗を蕩減復帰することによって、平面的アダム完成をなすのです。それは再臨の主の完成を、イエス様の完成につながなければいけないのです。イエス様の完成は、家庭的アダム完成につながれるのです。そうやって同じ価値が与えられるのです。 これは歴史的に見た場合には、六千年通じてきたのですが、神様が見た場合、アダムも神様の子供であり、イエス様も神様の子供であり、再臨の主も神様の子供です。それは何千年歴史を中心として、子供の失敗を蕩減復帰するために、世界を抱きながら摂理をなしてきたのです。 再臨の主が来ることによって、何千年の歴史も、これは三人の兄弟です。三人の兄弟が、一代圏に横的にまとめられなければ、兄弟の立場に立つことができないのです。それで、四千年の歴史を、縦的基準を、横的に一代圏の四十年でもって蕩減復帰して、アダム完成、イエス様完成、再臨の主完成圏を立たせることになるのです。その勝利した基準は、サタンの侵入を許さないので、全世界的に、サタン世界は自動的に後退せざるを得ないのです。 なぜ、四千年を四十年で蕩減しなければいけないのでしょうか。堕落した四千年の歴史の、旧約時代、新約時代、成約時代、縦的に今までなしてきたものを、なぜ四十年でもって横的に蕩減しなければならないかというのです。 四千年の歴史は、三代のアダム、三代です。第一アダム、第二アダム、第三アダムだから、長男、二男、三男です。三男が六千年間、三分担してやってきたことをつないで完成した時には、それはすべてが一代圏内においてまとめられるのです。一代は四十数を数えるのです。だから、イエス様は四十歳で世界制覇をなそうとしたのです。それは、みんな摂理の道です。一代圏にまとめられるのです。だから、兄弟になるのです。兄弟は一代圏に立つのであって、数千年間に立つのではありません。一代圏内の平面によって、アダム完成、イエス様完成、それは長男、二男、三男が勝利したのだから、一代圏において一つになるのです。 そうして、兄弟は平等な価値を持つのです。父母の前には、同じ愛の相対者であるのです。だから、世界的再臨の主の第三アダムとしての勝利は、第二のアダムの勝利としてまとめたいし、第二のアダムの勝利は、第一アダム、堕落したアダム家庭の勝利としてまとめているのです。再臨の主が、みんな同じ同位価値を分割してあげても、神様は歓迎するのです。 そうなるというと、アダムと再臨の主は同等な価値に立ちます。そうすると、アダムは先祖だから、第一代のアダムが堕落しないで勝利した先祖になるのですから、その第二代目は、親子関係でもってみんな平面的につなぐのです。勝利した父母と子女の関係は、親が勝利した場合には、子供は自動的に相続するようになっています。そうすると、アダム完成した第一代は、第二代完成にそのまま相続して、第二代から第三代、四代と相続します。アダム家庭の相続を手続きすれば、何千代もいっぺんにつなぐというのです。 だから、祝福です。祝福。堕落したために偽りの愛を中心として、誤った結婚式をやったのだから、今度は親子を中心として勝利した、それは真の父母の勝利によって、全体を平面的に親子関係でもって、世界的勝利圏を伝授、相続してやることができるのです。 だから、百六十か国の中心は先生になっているのです。サタンが百六十国家を支配してきました。それはイエス様の時代において、それをなそうとして失敗したのだから、中心者として、失敗したイエス様を復活させ、アダムを復活させて、等価価値の勝利圏に立たせて、地獄に行くのではなくて、反対に天国に行く祝福をしてあげればいいのです。分かりましたか。(「はい。」))理論的にこれをはっきり知らないと、サタン世界を凌駕することができません。 そういう意味において、真の国家を正立する。正立というのは、自分が分かっているから、それを自分が立たせなければならないのです。誰かが、立たすのではないのです。だから、正立、正して立たすという意味です。 その位置が家庭的メシヤです。それは国家的メシヤの基準において、日本の中心も先生です。百六十国家の中心が再臨の主、世界全部が、こういうふうに国家が復活していくのです。だから、イエス様は絶対不信してはいけません。イエス様とアダムの基準を埋め込んで、それは再臨主の基台になったのです。同じ相対基準になりました。相対は同位価値です。愛の相対と一つになった場合には、そうなるのです。同じ天国に入ることは、もう理論的です。 先生を中心として、氏族的メシヤを発布して、発送して、家族的メシヤをつくるのです。家族的メシヤが必要です。国家的正立の、家庭的メシヤを完成させなければならないのです。相続です。真の父母の勝利圏を、今相続していくのです。 今、先生自体から、個人、家庭、氏族、国家編成をやっていくのです。そういう国家的編成をなし得る以上、世界的な勝利圏をなす国家的編成をなせば、それはイエス様を復帰させることができるのです。氏族的メシヤが絶対必要でしょう。(「はい。」) 真の完成国家を正立させるには、氏族的メシヤがなければならないし、家族的メシヤにつなぐ道がなければなりません。だから、逆に勝利した、国家中心の先生、第三のアダムがずっと氏族的メシヤの立場でもって、家族的メシヤにつなぐのです。これは絶対必要です。三、真の世界を正立する。 公式的になっているのです。第一は、国家的メシヤです。それを基台として、世界的メシヤです。世界的メシヤが、真の父母と相対的に愛の一体圏、愛の一体関係を結べば、所有権が決定されます。そういう意味において、世界的メシヤ完成、天宙的メシヤ完成です。だから、イエス様は、お父様の愛を受けて、神様の愛まで受けなければならないのです。 天宙的メシヤの完成、先生を中心とすれば、そこまで通じるようになっているのです。だから、これをつなぐには、先生を絶対に信じなければいけません。アダム・エバの堕落は何かというと、信じなかったのです。絶対信仰を持つべきなのに、それを失ってしまっています。絶対信仰、絶対心情一体圏となるのです。真の世界正立には、国家的メシヤ完成、世界的メシヤ完成、天宙的メシヤ完成が必要です。それは、先生と一つになることによって可能です。最後には、神様とともにつながなければなりません。 四、真の地上、天上天国正立。 これは神の代わりの立場です。神が今まで歴史を通してきた目的は、地上天上天国を正立することです。最後の目的です。天宙的メシヤの使命を完成したのだから、地上に定着することによって、地上天国を正立するのです。それは永遠の天上天国と通じます。そのすべてを、自分によって正立させたことによって、それは完全解放、神の代わりに全能の権限を振るうような立場に立つのです。真の地上天上天国正立です。 一番は、真の天地、地上天上天国正立です。正立とは正しく立たせることで、成立ではありません。自分が正す。自分が正しくしないといけないというのです。アダム・エバが堕落して自分が完成する、その全部をなくしたのだから、完成基準を立たせるには、地上天国も天上天国も自分によって得られるという、その愛の因縁圏を持たなければ、神の代わりの立場に立つことはできないのです。これは最後の人間として、最高の目的です。 (一)天地を身代わりとした自我完成。 自分自身という話です。天地を代身、代表ではなくて、代身、身代わりとする自我完成です。 天を代表し、地を代表する自分を中心として、天地を代身した自我完成です。 (二)天地を身代わりとした家庭完成。 それが、完成したアダムの家庭でした。二番目は、天地を身代わりとして家庭完成です。 (三)天地を身代わりとした国家完成、国家形成。 国を自分なりにつくっていかなければなりません。 (四)天地を身代わりとした世界完成、世界形成。 (五)天地を身代わりとした天宙形成。 形成です。三番目は国家形成、四番目は天地を身代わりとした世界形成です。自分がつくらなければならないのです。自分がつくって、完成しなければなりません。五番目は天地を身代わりとした天宙形成です。 五、真の父母と神様解放。 これをなすことによって、自分を中心として神様と真の父母を解放するのです。それが親孝行になり、忠臣になり、聖人になり、聖子になるという話です。五番目は分かりましたか。真の父母と神様解放です。最後には、神様を解放しなければなりません。真の父母も解放しなければなりません。堕落はこんなに影響しましたから、それをみんな解決していかなければならないのです。 その一番は個人です。個人において、全世界が讒訴することのない、天宙すべてが讒訴することのないものにならなければならないというのです。個人から家庭、氏族、宇宙、存在すべてのものが、自分に讒訴することのない解放圏に立たなければなりません。題目の、真の父母と神様を解放した立場に立たなければならないというのは何かというと、天宙すべてのものが、自分に対して讒訴をする何ものもない、みんな神様みたいに尊敬する、奉仕する、崇めて献身するような者にならなければならない、そういう意味です。分かりましたか。(「はい。」) 神の解放に至る、このすべてをなし得ないと解放されません。それをなすまでは、神様は働かざるを得ないのです。蕩減復帰の仕事を続けなければなりません。先生が霊界に行っても、それを神様と共に続けてやっていかなければならないのです。神様と真の父母を解放しなければなりません。 そうするには、サタン的なすべてのもの、創造したすべてのものが、自分に対して讒訴をする一点もないような者にならなければ、神と真の父母を解放することはできないのです。大変なことです。分かりましたか。(「はい。」)個人において、家庭において、国家において、その国自体が、世界すべてから讒訴されるような国ではいけないのです。それから、世界において、天宙において、ここまでです。 そういうふうにして結論は、勝利と栄光が、神と共に充満することをお願いいたします。アーメン。勝利と栄光が、天に充満するようにお祈りし、お願いいたします。アーメン。簡単です。総合したそういう内容が、みんなここにあるのです。真の父母によって、完成できる勝利圏をなし得たのだから、こういう内容を全体的に皆さんに相続してあげるのです。そうするために、相続の許可を宣布しました。それを相続するには、こういう内容を満たすことによって、だんだんそういうところに拡大して解放を受けるのです。分かりましたか。(「はい。」) それで、もうすべてがおしまいです。創造理想、堕落しない本然の生によって、永遠の喜びとともに、無限の天国がつながるのです。 氏族的メシヤの使命を勝利すれば国も世界も救われる これは日本の国に帰って、先生がしたのと同じように、自分たちがつなげるのです。君たちは何の功労もないのですが、先生が勝利したものをただであげるのです。絶対信仰でもって、氏族的メシヤの使命だけやれば、国も世界も救われます。君たち一人が家庭的メシヤとして、完成したアダムと子供がいた場合には、氏族的メシヤを通じてつながれないと回りません。氏族的メシヤを中心として百六十軒をつなぐことによって、世界百六十か国が回るのです。これで完成しないと神解放圏はありません。これは必然の宿命的使命です。分かりましたか。(「はい。」) 君たちがしなければなりません。氏族的メシヤをするのは、今からは難しくないのです。統一教会がこういう内容を持って、氏族を一方向にまとめてしまうのだから、だんだんたやすくなるのです。 問題は、日本において、いかに統一運動のブームを起こすかということです。ブームを起こす火もないのです。自分の一族と対決しなさい。のるかそるか。そういう決戦を踏んでいけば、親たちは指導できるのです。親たちは自動的に屈伏します。その内容を見せてあげなさい。たくさんのビデオテープを見ただけでも、口が開かないのです。 親をまとめた場合、母を中心としてカイン・アベルです。自分の妹と組んだ場合には、一家が引っ繰り返るのです。子女、兄弟を復帰した場合には、お母さんは問題ではないのです。一年もいきません。いいものを買ってあげて、布団の中で、二人でお母さんを中にして抱えて、子供みたいに戯れるような環境から、お母さんを感動させるのです。自分の欲心を捨てて全体のために奉仕をする、そんな立派な娘とは自分でも思わなかった、それは感動します。為に生きるのです。 先生が十二歳の時には、一家族みんなが先生に屈伏してしまいました。自信がありますか、自信がありませんか。(「あります。」)恐れることは何もありません。神様以上に恐ろしいものはないのです。真の父母以上に恐ろしいものはないのです。サタンはもう根が折れて、死にかかっているのです。抜かれた木と同じように、差し込んでももとに返りません。もう、気が抜けてしまったのです。分かりましたか。(「はい。」) 問題ではありません。自信を持って、やってみなさい。本当にやってみなさい。男だったら相撲を取りなさい。兄さんが反対したら相撲を取りなさい。「そんなに兄さんは反対するけれども、私に力で勝つと思うのですか。力で負けた場合には、私の話を聞いてください」と。相撲を取ってのばしてしまえば、それでおしまいです。 自分の一人の兄弟も感動させられない! それはもう、統一教会から風呂敷を包んで帰りなさい。そんな者は先生は要りません。一人の兄弟も感動させられないような者がここに来たという、そういう無礼な話はありません。少なくとも、日本のリーダーと考えています。それなら、そのような実績を出すようにしないといけません。 反対されて出てきたのだから、悪い印象の兜をみんな被って、それを脱ぐことができないのです。そういう馬鹿なことをやっているのです。今から、全面的に兜を脱いでしまいなさい。まずもって、お父さんが反対するのだったら、堂々と正義の包丁を突き出すのです。問題ありません。 そういうことをすることによって、国が治まってくるのです。壊滅を目前にして、だんだん船で進んでいくように、死の寸前を量り知ったその者が、ただではおられないのです。肺病より恐ろしい堕落病にかかっています。非常に恐ろしいのです。いくら肺病になっても、地獄に行くのではありません。堕落病は、間違いなく地獄に行くのです。 そういう親兄弟をそのままにすれば讒訴されます。「娘として死力を尽くして、私をなぜ啓蒙しないのですか」と。口があるではありませんか。頭があるではありませんか。なぜ口を開けて、頭を使って話さないのですか。兄弟が讒訴するのです。サタンよりもっと恐ろしい讒訴をするのです。いっぺんに賛成圏に立つ、数千万年の歴史の苦労の霊界の痛みを瞬間的に跳躍して解放圏に立つ、自由ではつらつなその賜物を、みんな転がしてしまったのです。自分一人分かって、自分一人の救済のために、統一原理を教えたのではありません。国家救済、世界救済のためです。分かりましたか7(「はい。」) 口を見つめながら、毎朝讒訴しなさい。何日この口でしゃべったか。分かりましたか。家庭を恐れてはいけません。親父やかあちゃんは無力な者です。兄さん、姉さんは無力な者です。訪問してやってみなさい。「なぜ、統一教会に反対しますか、その理由を教えてください。新聞社に行きましょう」と連れていくのです。いっぺんに絶えてしまうのです。あんたたち、話はできるでしょう。話す力を持っているのですか。説明するその頭を持っているのですか。(「はい。」)それでいいのです。反対する者は、かついで行きなさい。今はそういう時期です。 四十年間迫害されてきました。「分かっている証拠は四十年間も叩かれる、そんな内容ではないではないか」と、父母の正面に座って、いちいち検討するのです。「誰が悪いのですか。お父さん、お母さん」と。子供が悪い、息子が悪いと言う親がどこにいますか。 国家救済、世界救済のために、この死に向かう世界において、フリーセックスに反対し、ホモセクシュアル、麻薬に反対しています。それに反対するのが悪いというのですか。純潔を唱える正々堂々たる娘、息子に、反対した親のほうが悪い親なのです。正面的に考えると、反対したら口を開けることができません。死んでしまうのです。 皆さん、帰れば自分の親とか、反対する周辺の親族関係に口を開けますか、開けませんか。(「開けます! )間違いなくやるんですね。(「はい! )一族を中心として今までに十人もいないというと、日本救済はできないのです。アメリカで先生がやったように、一月に一人ずつするのです。今は十分の一、百分の一でできる、やりやすい時代になりました。 だから、どこへ行っても、そういう人を集めて口を開けて、原理の内容を語った場合には、先頭に立ってみんな感動するようになっているのです。われわれは、恐ろしい真理の武器を持っています。断固結べば退治できないものはない、恐ろしい武器を持っているのです。 それを発動すれば、天下、サタンの世界は、一気に崩壊するということを知っておりながら、一族が地獄に行くことのないように延長されているのです。そんなことは、絶対自分においてはやらせないという覚悟を致し……(「ます。」)。言葉、答えははっきりしないといけません。(笑い)はっきりしましたか。(「はい。」) 自信を持って驀進しなさい 民団を動かさなければ、日本を救済できません。朝総連を指導するのです。だから、柳寛順です。柳寛順はアダム・エバの堕落した時と同じ、十六歳の女です。サタン的なエバ国家において、真の天的なエバの表象として、反日運動をやりながら、殺されて六つに切られているのです。そういう伝統的精神を、日本の女性たちは神の国に蕩減復帰しなければなりません。 そのような内容が、日本に残すべき女性たちの伝統的精神です。エバ国の姉さんです。その伝統を受け継いで、救国の勇士として、堂々とやっていくような精神を伝達させるために、柳寛順の大会をするのです。 柳寛順の大会の時に、統一教会のメンバーばかりではなく、三分の二を復帰しないというと、それは蘇生、長成、完成で整理された完成圏に乗り越えることができないのです。今、修練会に統一教会員を連れてくるためにやっているでしょう。同じです。自分を中心として上下関係、前後左右です。アメリカも同じです。分かりましたか。(「はい。」) 君たち、どうせ死ぬのです。死にますか、死にませんか。(「死にます。」)死なない自信のある者、手を挙げてみなさい。先生も死ぬその時のために、一生を命を懸けて走ってきているのです。神の前に、どういう最後の孝行を申し上げるや。神様の前に行って、霊界すべてが関係ないような反目的な立場、それは永遠の恐ろしさです。宝座に座った神様が、挨拶するために跳び下りてきて、自分を抱擁して、キスして、宝座の方に案内してくれる、そのように神様に侍ることが、先生の生涯の目標です。 そのためには、死んでも勝利する。その瞬間に対しては、未練になるものは何もない。ただ座っただけで、ただこういう名前だけで及第します。これはすべての聖人、それ以上です。だから、歴史が変わってしまうのです。だから、先生の名前は歴史と共に生きていくのです。分かりましたか。(「はい。」) 自信を持って驀進すべきです。轟きの音といったら、眠っている人、死にそうな老人が、臨終で最後の息を吸い込む立場でも、気がついてその音を聞きながら死んでいくような爆音を出さなければなりません。驀進していくのです。文先生は来るといっても、音が大きいのです。どこへ行っても、問題を起こしています。救援の因縁を結ぶために、問題を起こすのです。 神様が、それを語らざるを得ないような、運命の生涯を送ったのは事実です。それは観念ではないのです。実際です。君たちは、その価値ある弟子になるのですか、子供になるのですか。(「子供です。」)子供は死を共に行かなければなりません。聖子の因縁で共に結ばれているのです。先生の代わりに日本を救うような、驀進する聖子になる、勇士、勇女になるに間違いないという者、よく分かったに違い……(「ない。」)。神の祝福があらんことを願いつつ。アーメン。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.29
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久保木修己先生「神様との出会い」1988年5月18日に行われた「スプリング・フェスティバル東京」での久保木修己会長の講演をお届けします。久保木会長はこの中で、この道を本格的に歩むきっかけとなった「神様との劇的な出会い」を証しながら、「皆さんも確信をもって、力強く前進してほしい」と訴えました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.28
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「日本のモーセ」と呼ばれた 久保木 修己会長立正佼成会 と 世界基督教統一神霊協会(統一教会) 現 世界平和統一家庭連合 との因果関連記事【関連記事】久保木修己初代会長の講演(ビデオ)がお勧め!! | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)久保木会長 聖和13周年、立正佼成会は統一教会に準備された教団! | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp) 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.28
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MIRAIOH TV第2回活動紹介「ミライオーが行く!YSP北愛知!」151 回視聴 2022/06/26皆さん!こんにちは!今日はミライメーカープロジェクトの活動紹介第2回目ということで、YSP北愛知の中の「ボランチアーズ」の活動をミライオーくんがお届けします!YSP中日本では、未来を創るミライメーカー達が、地域を、そして日本を元気にしようと活動を展開しています。各地で活躍するミライメーカー達を、毎月1回紹介していきますので、皆さんのチャンネル登録とグッドボタンをお願いします!TikTok:https://www.tiktok.com/@miraioh_tv?la...一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.27
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第8回天の父母様聖会 孝情ヌリ2022/06/26 に公開予定 2022年 6月26日 09:30孝情文和苑 文和ホール & PeacelinkTV一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.24
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第23回神統一韓国平和フォーラム(2022.6.24)2022/06/24 09:00に公開予定です。(韓国語のみ)第23回神統一韓国平和フォーラム(2022.6.24)午前9時ヒョジョン文化院文化ホールとtv.peacelink.live一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.23
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「祝福二世の行くべき道」一九九四年十二月二十四日クリスマス・イブ、お父様はイースト・ガーデンに真の子女様と祝福二世を集められました。この御言は、その場で、祝福二世が果たすべき責任と行くべき道について、お父様が語られた内容を翻訳し整理したものです。一九九五年一月二日、愛勝日の御言の中でお父様は「今度アメリカで、二世の責任についてはっきりと教えました。それをすべて翻訳して、読まなければなりません」と語られています。 四十代までに世界を統一しなければならない 第二次世界大戦以後、世界は勝利したキリスト教の国々を中心として、お父様を人類のメシヤとして受け入れなければなりませんでしたが、失敗しました。 そして、すべてのキリスト教文化世界は、過ぎし四十年間、サタンを中心として一つとなって、個人、氏族、民族、国家、世界、すべての階層で、お父様に反対してきました。 それで、お父様は個人的基準で迫害を受けながら、それを勝利的基盤としてつくりかえ、家庭的、氏族的、国家的、世界的、天宙的基準で、勝利の路程を歩んできたのです。 それ以後、サタン側は中心の概念を完全に失ってしまったのです。ですから、すべてのものを失い、現在の複雑な状況が生まれているのです。 今、統一教会側は、それとは完全に反対に、個人から家庭的、氏族的、国家的、世界的、天宙的中心概念を固めてきたのです。統一教会側は、地上天国に向かって近づいており、サタン側は反対に、地上地獄に向かって近づいているのです。一方は完全勝利の道に、他方は完全敗北の道に近づいているのです。 二世たちは、神様の側と連結されています。サタンを中心とした、世俗的なアメリカ的キリスト教世界の文化背景と、関係を結んではいけません。きみたちは、完全に分別されなければなりません! そうでなければ、神様の天国と連結されません。 今は、世界的に深刻な転換点です。これを知らなければなりません。この世の中のどんなことも、そのまま信じてはいけません! はっきり知らなければならないのです。 それで、統一教会がアベルの立場で、アメリカを、キリスト教文化圏を救ってあげるために、私がここで二十年の間、働いているのです。 きみたちが「統一教会の二世だ」というなら、アベルである統一教会と、カインであるキリスト教を一つにすることにおいて、模範的な存在にならなければならないのです。 二世という言葉は、先生が十六歳からの青春時代、その時代を代身したものであるということを知らなければなりません。天の召命を受けて、十六歳からこの道を出発し、今まで迫害を受けてきた、すべての怨恨の全生涯を解放し得る代表者になるのが、二世の責任である、ということをはっきり知らなければなりません。 先生は青年時代から六十年の間、迫害されてきましたが、きみたちは迫害される立場ではありません。歓迎される立場で、四十代までにこの世の中を復帰すべき復帰路程の責任者にならなければなりません。 きみたち二世の年齢が四十代になる時までに、世界を統一しなければならないのです。 きみたちが二世だといって、二世とは何ですか。先生を代身したといって、何において代身したのですか。先生は迫害を受けましたが、きみたちは解放された立場で世界を全部統一して、一つの地上天国をつくるべき責任があるということを知らなければなりません。 ご父母様を中心とした伝統 今から、地上天国を建設していく中において、きみたちの伝統は、先生の直系の子女たちを中心とした伝統ではなく、ご父母様を中心とした伝統だということを、はっきり知らなければなりません。 ひとえに、真のお父様、真のご父母様の伝統、それが中心の根の中の中心の根です。真の子女様はアベルの位置にあり、きみたち祝福の子女はカインの位置にいます。きみたちは一つとなって、ご父母様の伝統に従わなければなりません。 伝統はただ一つ! 真のお父様を中心として! 他の誰かの、どんな話にも影響されてはいけません。先生が教えた御言と先生の原理の御言以外には、どんな話にも従ってはならないのです。 今、先生を中心としてお母様を立てました。先生が霊界に行ったならば、お母様を絶対中心として、絶対的に一つにならなければなりません。今、お母様が行く道は、お父様が今まで立てた御言と説教集を中心として、行かなければならないのです。他の言葉を述べるのを許しません。 今度、韓国においても、御言絶対主義をとることができるように措置したのです。どのような御言も、第二の御言を許しません。 堕落の可能性 原理の御言は、先生が歴史的に解いたものであり、勝利の基盤を築くための戦争勝利の記録です。サタン世界が失敗したものを蕩減復帰した、勝利の記録なのです。勝利の基盤になるものだというのです。神様が願う勝利の記録だというのです。 失ってしまったすべての全体歴史を探し立てることのできる勝利を記録したのが、原理の御言であるということを、はっきり知らなければならないというのです。 アダム家庭、ノア家庭、アブラハム家庭からモーセ家庭、イエス家庭、そして、再臨主家庭として立った真のご父母様を中心として、真の愛で勝利できなかったすべての失敗的な記録を、真の愛と真の父母の御名をもって勝利することによって、真の愛を中心としたアダム圏勝利、ノア圏勝利、アブラハム圏勝利、このように発展して、モーセ圏勝利、そして、イエス圏勝利の上に、世界的勝利の覇権を立てたのが、今日の統一教会の勝利の基盤であるということを知らなければなりません。 真のご父母様が個人的、家庭的、国家的、世界的、天宙的勝利の基盤を、神様の真の愛の基台の上にお立てになったのです。 サタンは、真の愛と連結された基盤を侵犯できません。真の愛と真のご父母様を中心とした、完全な勝利の基盤をつくらなければなりません。 二世の中で、いくら有名で立派でも、真のご父母様と連結され、一つにならなければ、堕落世界を再現し得る、堕落し得る可能性があるというのです。 お母様を中心として真の子女と祝福二世が一つに 今から五十周年に入るのです。来年には、世界的な半世紀を越えていくのです。ピークを越えていくときは、清算しなければなりません。分水嶺を越えるのです。ご父母様を中心として越えなければなりません。 二世が一つとなって二世時代を経て、お母様と一つとなって、四十年前に再臨主に反対したすべてを、世界的に清算するための道だというのです。ですから、お母様を中心として、カイン・アベルが一つにならなければならないのです。 お母様を中心として、真の子女と祝福二世は一つにならなければなりません。天宙的に勝利されたお母様を中心として、兄弟圏が一つになることによって、初めて、サタンは侵犯できないのです。神様が、その基盤と連結されるのです。 お母様は、天宙的に勝利したエバの位置にいます。真の子女は、天宙的に勝利したアベルの位置にいます。きみたちは、天宙的に勝利したカインの位置にいます。これが一つにならなければなりません。 カインとアベルが、天宙的に勝利したエバの位置にいるお母様と一つとなり、そして、お母様を中心として、すべてがお父様と連結されなければなりません。それで、地上天国に入り、その後、天上天国に入るようになるのです。 この時代に祝福されたきみたちは、先生の直系の子女を中心として、アベル・カインの立場で、お母様を中心として一つにならなければならないのです。 いくら困難な事情に置かれていても、真の子女と祝福二世は、天宙的カイン・アベルを代表しています。二人が一つになって、お母様を支えなければなりません。アベルの位置にいる真の子女と、カインの位置にいる祝福二世が、天宙的にエバの位置で勝利されたお母様を中心として、一つにならなければならないのです。 きみたちは、世の中のカイン的立場の人に対しては、アベル的立場にあり、彼らを抱いて一つにしなければなりません。そして、それを真の子女に連結しなければならないのです。これが、きみたちの責任です。 どうすれば、この世を、キリスト教世界を救うことができるか、それを考えなければなりません。これを知らなければならないのです。 きみたちが、真の子女と横的な統一の基盤、統一の世界をつくって、お母様のところに引き上げなければなりません。それを考えなければなりません。 天宙的勝利のお母様の位置、天宙的勝利の真の子女の位置、天宙的勝利の祝福子女の位置、すべて一つとなって、上に上がるのです。それがお父様の伝統です。 真の子女を中心として、きみたちが一つになれば、この世の子女たちはカインとして、きみたちに従っていくようになるのです。彼らには、中心の概念がありません。私たちだけが、その概念をもっているのです。お父様は、その宇宙的基台である父母と真の子女の基盤をつくりました。それは完全に新しい概念なのです。 きみたちは真の子女と一つとなって、究極的にお母様と一つにならなければなりません。この世には、中心の概念がありません。彼らはだんだん滅びていっています。どこを見ても複雑で、混沌の中にあるのです。彼らは方向を失ってしまいました。しかし、私たちは中心と方向が確実なのです。 ですから、お母様を中心として、真の子女ときみたち二世が一つにならなければなりません。これが宇宙的基盤完成の概念であり、観点です。 建国思想の徹底 きみたちはキリスト教世界を救い、世の中の二世たちを救わなければなりません。「すべての祝福二世たちは、大学街と高等学校で活動せよ」と、お父様が命令しました。 世の中では、高等学校がアベル的立場にあり、大学はカインの立場にあります。どのようにして一つにするのですか。世界は、それを一つにする力がありません。しかし、私たちは、これを一つにすることは問題ではありません。 お父様は、神様を中心として、真の愛を中心として、常に勝利の基盤を準備しました。きみたちは、お父様が与えた最も強力な武器を使って、私たちとぶつかるものは、そのどのようなものも残り得ない、という確信と権限をもっていなければなりません。 珍憲! 分かりましたか。(「はい! )今からは、珍憲を中心として活動していかなければなりません。孝進は学校にも行かなければならないし、準備すべきことがたくさんあります。 この時間を期して、指示します。孝進の代わりに、全カープの責任者として任命します。あなたは三女の婿として、サタン世界から選ばれた、きみたち二世を代表した立場であるし、先生が認定することによって、珍憲を中心として一つにならなければなりません。 先生が霊界に行っても、統一された基盤を中心として、今からお母様が第二の先生の代身者として、これを相続し、一つになって活動しなければならないのです。 きみたちは、イエス様の息子・娘と同様です。イエス様の息子・娘であるので、アダム家庭を救わなければなりません。氏族的メシヤになって、家庭的メシヤを輩出しなければなりません。 きみたちの立場は、イエス様が祝福を受けて生んだ息子・娘と同じなのです。完成時代基準ではありません。世の中を救うべき責任があります。はっきり知らなければなりません。 先生が世界的に勝利したので、先生の家庭を中心として、きみたち祝福家庭がカイン・アベルになって、上がっていって一つにならなければなりません。きみたち祝福を受けた二世たちがそうなれば、世の中を完全に一つにすることにおいて、問題がないというのです。 祝福家庭の二世たちは、きみたちの一族の二世たちだけ束ねればいいのです。それが二世時代です。なぜでしょうか。イスラエル民族が四十年荒野時代を経て、イスラエルを復帰して、カナン七族の二世を消化できずに、逆に消化されたというのです。 建国思想が徹底されなければなりません。きみたちは、建国思想が徹底されなければなりません! 「私たちに、どんな困難があったとしても、私たちの国と神様の国を地上に建国しなければならない! という思想が徹底されなければならないのです。 母親が誤ったのです。母親が誤って、息子・娘をきちんと育てることができなかったというのです。 いくら乞食のような身の上で、息子・娘たちに、もらい食いをさせたとしても、モーセの母親がモーセを王子として育てたように、カナンの地に入って血の涙を流しながら、二世を絶対、サタン世界に染めてはならないのです。 アベルがカインのために生きなければならないということ、その思想的伝統がなかったので、イスラエル民族が亡国の種になり、いまだに、うめいているということを知らなければなりません。 南北統一は二世祝福家庭がなさなければならない 先生が五月一日を中心に、お母様と共に今日まで、四十年蕩減復帰してきましたが、それは南北統一を主導してきたのです。 カープを中心として、カイン・アベルを完全に復帰し、北韓にまで影響を及ぼすため、今こうしていますが、きみたち二世で祝福を受けた家庭が、これをしなければならないのです。 ご父母様が今まで、南北統一をなすために歩んできたのに、きみたち二世は、今まで南北統一について考えたりしましたか。 二世の祝福を受けた家庭が、考え、勉強する目的も、南北を統一するためであり、ご父母様と天が願う国家の建国思想を受け継ぐためなのです。その目的のための一つの方向以外には、あり得ないというのです。 個人の出世のために学校に入った者は、天が掃いて捨てます! 天が掃いて捨てます! きみたちが行くべきところは、南北統一の伝統的思想を守るということです。イスラエル民族は、カナン七族の伝統に染められてはならないのです。 新しいご父母様の伝統を受け継ぎ、建国思想で南北韓の若い青年を指導し、世界の若い青年、カイン・アベルを一つにさせる統一されたアベルの立場として一つになることによって、統一世界になることを知らなければなりません。 珍憲と文聖岩と、なぜ二人をカープの孝進の下においたのか知らなければなりません。珍憲と文聖岩はカイン・アベルとして、二人が一つになり、今から孝進の代わりに、お母様と一つになるのです。 珍憲は真の父母の家庭と連結されており、聖岩は韓国の文氏と連結されています。 これは、アベル圏をなして、カイン圏である大韓民国と連結させなさいという意味なのです。このような組織的、摂理的過程が、まだ残っていることを知らなければなりません。 心と体の統一をなす 先生の指導を受けなければなりません。イエスが死なないで、復活した立場です。アダム家庭、ノア家庭、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、イエス家庭全体が、平面的造成に失敗したものに、先生一人を中心として、勝利的基盤の橋を架けるようになったのです。平面的勝利圏がなされました。 神様は初めて、すべての家庭レベルの中心をつくりました。個人的家庭時代の中心を真の父母としてつくり、氏族的家庭の中心、国家的家庭の中心、世界的家庭の中心、天宙的家庭の中心を真の父母としてつくりました。 それで、家庭連合を創設したということを知らなければなりません。このような時になり、先生が家庭連合を中心として、盟誓文を宣布するのです。 きみたちの家庭が、この七大条件を中心として完成するようになれば、先生が個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的な家庭的勝利基盤を伝統として、相続してあげるのです。 堕落が何かといえば、家庭を失ってしまったということです。「家庭盟誓」の一番初めの条件が何かといえば、「私たちの家庭は真の愛を中心として」、これが前提条件です。 それゆえ、何よりも個人的立場で、心と体が一つにならなければなりません。その基台の上に祝福家庭は、夫婦の愛を中心とした統一をなすのです。その上に、カインとアベルの統一がなされ、その基台の上に「家庭盟誓」を唱えることができるのです。そのようにできなければ、「家庭盟誓」を唱えることができません。 毎日、きみたちは、きみたちの家庭、父母、兄弟、夫婦、そして、きみたち自身の心と体を分析しなければなりません。分かれているときは、即時にサタンが浸透することができるのです。 堕落したアダム家庭が、敗亡の根本をつくりました。私たちはその堕落的基台を、完全に消さなければなりません。それが、私たちの使命です。真の愛の基準の上に、神様を中心として統一された個人、兄弟、夫婦、家庭をなさなければならないのです。 そうできなければ、天国と連結されません。そして、地上天国とも連結されません。それは、きみたちが神様の圏内に属することができないということです。 お父様から孝子、忠臣、聖人、聖子の基準を相続 祝福家庭は、イエス様の位置にいます。イエス様は祝福を受けて、家庭をなすことができませんでした。きみたち祝福家庭は、イエス様の完成的位置にいます。イエス様の家庭は、氏族と国家を救わなければなりませんでした。 どのようにすれば、きみたちの家庭と氏族を連結することができるかを考えなければならないのです。これが祝福家庭と二世の使命です。 今まできみたちは、氏族的メシヤの概念をもっていませんでした。きょう、このようにしてイエス様の恨みを解くのです。それで、クリスマスの日に、わざわざ来るように言ったのです。 家庭で孝子になり、国で忠臣になり、世界で聖人になり、天地で聖子にならなければなりません。神様が孝子をもてず、忠臣をもてず、聖人をもてず、聖子をもつことができませんでした。 きみたちは、お父様から孝子、忠臣、聖人、聖子の基準を相続し、サタン世界を清算しなければなりません。それが、きみたちの最高の目標でなければなりません。 全世界に影響を与えるべき使命 カインとアベルが、お母様を中心に一つとならなければなりません。これが復帰の道です。お母様と一つとなったカイン・アベル、その三人がお父様と一つになって、それをなせば、その中心に神様が臨在されるのです。 その公式を個人、家庭、氏族、国家、世界、天宙に、どのように拡大させるかというのです。真のご父母様も同様です。右翼・左翼も同様です。右翼と左翼がありますが、どうすればお母様と一つにすることができるかというのです。 私たちが建国する国は宇宙的国家なので、国連の基盤にならなければなりません。私たちは真の愛で、その中心を占め、世界的に広げなければなりません。それが、私たちが願う勝利の目標です。 家庭基盤には、お母さん、カインとアベルがいます。高校生がアベルであり、大学生はカインです。世の中は外にあり、カープは中間に、高校生は内側で、横的に一つの基盤をつくって、神様の家庭をつくらなければなりません。どのように連結するのでしょうか。世界平和青年連合によってです。 世の中の心を代表する世界平和宗教連合を、私たちが創設しました。今まで、体を代表した政治世界が、心を代表する宗教世界に血を流させました。今まで、体が心を征服していたでしょう。これをどのようにして解放するのでしょうか。真のご父母様を中心とした宗教世界が、これをすることができるのです。 それゆえ、お父様が心を代表した世界平和宗教連合と、体を代表した世界平和連合をつくったのです。 お母様は、お父様から相続して、外的に右翼と左翼を抱くのです。サタンの子女たちを抱き、振り返り、家庭的基盤内で、公式に従ってカイン・アベルをどのように一つにして、お母様の位置をきちんとなすのか、そして、アベルの立場である高校生、カインの立場である大学生を、各家庭でどのようにお母様の任務と連結させるのか、このようなことが重要なのです。 アメリカの女性たちは、この基盤をつくることができません。神様の観点では、大きな困難があったとしても、お母様を中心に、カイン・アベルを横的に一つにしなければなりません。その基盤を、公式に従って、私たちが必ずつくらなければなりません。そのようにできなければ、私たちは神様の側に立てないのです。 各家庭で高校生はアベル側に、大学生はカイン側にいます。カープの若者たちは、一つに連結されなければなりません。そうなれば、それは神様のとても大きなアベル圏になるのです。それを、世の中のとても大きなカイン圏と一つにするようになれば、完成です。 私たちは国連の基盤の上に、これをつくることができます。きみたちは、そのような目標をなさなければなりません。 お父様の目標は、ブリッジポート大学をどのようにして国連大学にするか、どのようにしてアメリカを一つにするか、どのようにして日本を一つにするか、どのようにして世界を動かし、影響を与えることができるかということです。 それで、お父様は南米に行きました。大きな土地に、巨大な農場を計画したでしょう。百六十か国の理想的氏族代表を集めて、神様の真の愛を教えて、人類を一家族にする、そのような基台を全世界に広げるのです。 お父様を中心として、完成段階まで教え、何年か訓練し、思想武装し、理想をもち、各自の国に帰って、空腹にあえぐ人々を救うのです。これが世界平和をなす、最も大きな目的の中の一つです。 すべてのものが、一つの平和世界をつくる完成基準の理想世界に近づいているのです。お父様は、そのような基盤をつくりました。どのようにして、真実なる真の子女に、これを相続させられるか、これがお父様の目的です。 一世たちは、お父様を信じず、四十年間反対しました。今、二世たちは、私たちの故郷に近づいています。きみたちは、故郷に理想的家庭、氏族、国家、世界、天宙の基盤を築かなければなりません。 これほどまでに困難な状況でも、お父様は世界的基盤を築きました。世界の指導者たちも、これを認定するでしょう。きみたちはお父様の基盤と連結して、全世界に強大な影響を与えなければなりません。これが、きみたち二世祝福子女たちの使命です。 二世が蕩減の道へ お父様は四十年前に、王の中の王としての影響圏をなさなければなりませんでしたが、その基盤を失ってしまいました。これを、どのようにして復帰するのでしょうか。 お父様の失ってしまった若さを中心として、十六歳から四十歳まで、きみたちはお父様の王の中の王としての基盤をつくらなければなりません。その話は、きみたち二世が再度、蕩減の道を行かなければならないということです。 きみたちは、理想的家庭、氏族、国家基盤をなそうという精神で進まなければなりません。それが最も貴いのです。強力なご父母様の伝統と行動を相続して、従うのです。この道が、二世が従わなければならない道です。 きみたちが、その伝統を相続して、きみたちの家庭から、氏族、国家に、だんだん拡大して前進していかなければ、地上天国はなされないのです。これは妥当な結論です。 純粋な血統を後世万世に きみたちがどのようにして、ご父母様と一つに連結されるかが重要なのです。アダム家庭は、信仰と真の愛と、真の愛を中心とした血統を失ってしまいました。 真の愛と連結された完成の中心を通して、真の愛、血統を受け継ぐことができるのです。今から、真のご父母様の家庭を中心として、安着がなされます。 きみたちは真の父母の前に、不平を言うことができません。きみたちは「私はこれをやりたいです」とは言えません。きみたちは、サタンの根、野生のオリーブの根を切り捨ててこそ、真の愛の新芽を相続することができるのです。そうできなければ、復活できません。不平は言えません。 絶対的な信仰と愛によってのみ、真のご父母様の血統と連結されるのです。どのようにして、この血統を相続することができ、純粋な血統を後世万世に伝えてあげることができるか、それが祝福家庭の目的なのです。 今から、二世の祝福家庭は、歴史を通して拡大しながら、どのようにして血統をきれいにできるか。 堕落世界の汚れた血統を、神様は一番嫌われ、真のご父母様も一番嫌われ、きみたち二世も一番嫌わなければなりません。理解できますか。 後世万世にどのようにして、血統を、純潔を守るか! 地上天国は、その理想的主流でなされます。この伝統を中心として立てるために、お父様がどれほど深刻であったか、きみたちには分かりません。 数千、数万年の創造歴史の後、待ち焦がれたその時点に至る時、サタンが浸透して、神様はすべての次元で失ってしまわれたのです。今、時が近づきました。きみたちの方向は、はっきりしているということを知らなければなりません。 きょうは、最後のクリスマスです。イエス様は、きょうでクリスマスの日が終わることを願いました。それで、お父様はきょう、「イエス様の位置が、きみたちの位置だ」と宣布したのです。 そのような概念をもって、そのような決意をすれば、キリスト教の霊界がきみたちの家庭に下りてきて、天使長の立場で協助することでしょう。 きみたちは、このような公式の道に従わなければならず、サタン側に流れてはいけません。もしそのようになれば、神様と連結することができず、地上天国に入国できないのです。理解できますか。時が来たので、これを宣布しました。 お父様は、すべてのものをみな教えてあげました。きみたちは今、はっきりと知り、きみたちの道をどのようにして行くかが重要なのです。 そのようにしますか! きょう下されたお父様の教えに従いますか! 良心をおいて誓いなさい。 きみたちが、このような道に従えば、天の祝福が共にあることでしょう。 聖婚誓約あなたたちは、神様の創造理想を完成する、成熟した善男善女として、永遠に夫婦の因縁を定立することを、神様と真のご父母様の前に約束しますか。 (「はい。」)あなたたちは、真の父母となって、今後、子女たちを御旨にかなうように養育して、統一家の全体と人類と神様の前に、必要とされる指導者として養成することを約束しますか。 (「はい。」)あなたたちは、真のご父母様を中心として、統一家の伝統を相続し、後代の統一家の後孫たちと人類の前に、誇るべき伝統を伝授することを約束しますか。 (「はい。」)あなたたちは、創造理想を中心として、神様と真のご父母様の御旨を相続し、神様と真のご父母様のように、世界の人々を愛し、地上天国建設と天上天国建設の基本となる理想的な家庭を形成することを約束しますか。 (「はい。」) 祝 祷 主礼 文鮮明先生 愛するお父様 天地が注目する真の父母の御名のもと、聖別された子女たちを、お父様、お育てになり、彼らを中心とした祝福のひと日を、どれほどどれほど…。 創世以後に創造過程を通して、その目的達成の実として、神様の真の愛を中心とした真なる生命と真なる血統を残そうとした創造本然の理想を、私たちの人類始祖たるアダムとエバが、あなたの創造の本然の心をなしえず、その御旨成就のための真なる男性として、真なる女性として、真なる夫婦の因縁を結べず、堕落することによって、エデンの園から追放された後、長い人類の歴史路程は、悲しみの涙と、悲しみの血痕と、嘆息の歴史でつづられてきた戦争歴史であったことを、私たちは知っております。 これを再び、天が取り戻すために、救援摂理は復帰摂理であり、復帰摂理は再創造摂理でありますが、これを通じて再び探して、本然の基準に取り戻すためのお父様の苦労が、どれほど大きかったかということを知るものでございます。 そのような統一家のすべての食口たちと、祝福家庭たちと、後世たちを代表した真の父母の家庭の子女である四番目の娘と四番目の息子が、天地が注目する中で、真の父母の御名の前で、聖婚式を挙行することのできるこの時間が、どれほど偉大なことであり、神様がどれほど喜ばれているかという事実を、人類は知らないのでございます。 しかし、統一家はこのことを知り、一心誠心を尽くして、天が願われるその御旨を崇め、氏族を越え、民族を越え、国家を越え、国境と宗教、人種、あらゆる歴史的伝統をみな越え、神様の愛から超家庭的基盤の上に立って、統一家は国際合同結婚式という名を残し、数多くの事情を歴史過程に残してまいりました。 お父様! 誰かのために、このようなことをしたのではございません。あなたが創造本然の理想の真なる家庭をなして、エデンの園において、私の息子、私の娘といいながら、神様の愛を中心として、アダムとエバの家庭に自ら、縦的中心になる創造主がお父様として、定立された立場に定住して、アダム家庭の血族と共に、永遠に生きることのできる幸福の土台を整えようとされたのですが、それをなせずに失敗してしまったのです。そのことゆえに、追放しなければならないアダムとエバを、ご覧になるお父様の心の世界が、どれほど恨み多かったかということを誰も知りませんでした。 この恨みの歴史を取り消してしまい、解放の歴史を備えるために宗教圏を立て、旧約時代と新約時代、成約時代の再臨の時まで訪ねてこられました。このお父様の受難の歴史を慰労してさしあげる、たった一つの道は、神様の愛を中心として、神様の生命と神様の血族を残すことのできる家庭を中心として、この地上に氏族、民族、国家編成をなすことでございます。このようなお父様の宿願がありますので、統一教会は今まで、受難過程と迫害過程を克服しながら闘ってまいりました。 今日の世界は、あらゆるサタン世界の終末的な現象を展望する、個人主義膨張時代を迎えております。後には天使長の立場のような、男性が男性を中心として、女性が女性を中心として、愛という、結婚という言葉を残し、夫婦生活ということを残す、退廃的な地獄的現象をなす過程にあります。統一家は本然のお父様の創造理想を求め、真なる男性と女性、真なる夫婦の因縁を備え、永遠なる神様の愛と、永遠なる神様の生命と、永遠なる神様の血族を備え、永遠なる創造主であられる縦的父母に侍り、完成したアダムとエバには横的父母として侍り、心情的基準で出発起点を一点にして、平和的統一、愛的統一の世界に、地上天国を代表することのできる家庭形成を見つめているのでございます。 このような祝福の道を断行してから、四十年の歴史を経ながら、家庭的限界を越え、氏族、民族、国家、世界的版図を越え、天宙史的なあらゆるものを越えて、神様が直接、この地に臨在して、成約時代を発表できました。そして、真の父母と成約時代に安着することのできる時代を経て、真の父母の勝利圏を万民、人類全体の家庭の前に、真の父母の家庭が主体になって、対象的家庭的平準化理想を地上に広めるための、摂理史的勝利圏を迎えたこの時でございます。 この時に、四番目の娘、四番目の息子を中心として、祝福をするということは、地の数を越えて、四十年歴史に三十六回を中心として、四千年歴史を再蕩減する四十年歴史的蕩減路程を勝利的に収めた基盤の上で、新しい天の転換時代に光となり、誇りとなることができるのでございます。この息子・娘たちの祝福の場を、お父様、貴くご覧ください。 天が直視し、地が直視する中、厳粛に、この式典を天に奉献する式として、お受けくださいますよう懇切にお願い申し上げます。 このようなことが繰り返されることによって、世界で成長している青少年たちの没落した道徳的な腐敗様相を踏んで上がり、新しい未来の天国に向かい得る、理想的平和の世界、愛の統一世界に向かって、前進することのできる標的となさって、万天下に広がっている青少年たちを、あなたの愛で抱くことのできる、天の標的として立てることのできる、転換的祝福の記念式になることができますように、天よ、祝福してください。 あなたの経綸の中、進行するすべてのことは、勝利的な結果を誓いながら、あらゆることに方向を備えて、進行するうえで、思いどおりになり得ることだけが、天が望まれる願いであることを知っております。きょう、このように祝福を受ける息子・娘たちが、天の真なる子女の姿、アダムとエバを失ってしまった悲しい事情を踏み越えて、天に心から侍ることのできる孝子、孝女、忠臣、烈女、聖人の道理と、聖子の道理を備えて、天全体に侍り、神に侍り、永遠、不滅、永生、幸福の路程に向かって、前進することのできる勝利的出発起点になるよう、祝福してくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。 きょう、この時間を中心として祝賀するためにここに集った、あなたの来賓を祝福してください。また、全世界の統一家の食口たちが、心を合わせて、一心一体を備えて、精誠を尽くす所にはすべて、愛のひもが至り、彼らの心と体が一つになり、統一的な恩賜の中、お父様、喜びのひと日として祝うことのできる、天宙史的な記録となるよう祝福してくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。 今、ここにいる文権進、文和延、文善進、文仁渉、この二組の夫婦に、新しく天の家の直系子女の家庭の出発として、夫婦の因縁を許しますので、お父様、お受けくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 永遠に、永遠に、祝福した御手を撤回されることなく、祝福の恩賜を備えて、家庭を越え、国家を越え、世界を越え、共に万民解放基準まで勝利の盾を立て、その圏内のすべての万民を、解放の恩賜の場に同参させるよう、共に祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 このすべての聖なる式典を、心を一つにして祝う、すべての人類と共に、統一家の食口と共に、ここに集中する心と共に、ご父母様の心と共に祝う場を、天が喜んでお受けくださいますことを懇切にお願いしながら、このすべての祈りを真のご父母様の御名によって祝願いたしました。アーメン。アーメン。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.22
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「二十一世紀と女性の使命」日付:一九九四年十月十二日場所:韓国、ソウル、リトルエンジェルス芸術会館行事:女性指導者セミナー(真のお母様) 中国からお越しいただいた女性指導者の皆様と国内各界の女性指導者の皆様、そして「世界平和女性連合」の幹部の皆様。きょう、韓国と中国の二国の女性指導者が一堂に会し、平和世界を模索し、また世界女性時代の到来を確認するこの場において、私が激励の言葉をお伝えできますことを光栄に思います。 二十一世紀を数年後に控えた私たちは、激動の二十世紀とともに、また別の新世紀を自らの生涯の中で経験できる特別な立場にある人たちです。これは単に二つの世紀にわたって生きるという意味だけではありません。人類歴史を貫く摂理は二千年を単位として進行するので、二十世紀を締めくくり、二十一世紀を準備することの意義は、実に大きなものなのです。 歴史とは移り変わるものではありますが、今世紀はその変化の幅があまりにも大きく、予測ができないがゆえに、現代の人々は恐れさえも抱くようになるのです。科学技術が高度に発達した未来社会は、果たして人類に幸福ばかりをもたらしてくれるのでしょうか。何年かのちに近づく二十一世紀の人類は、高次元の情報化社会において、いかなる生活様式で暮らすようになるのでしょうか。未来を暗くする人類が直面している数々の問題は、いかに解決されるのでしょうか。倫理と道徳と新しい価値観の確立の問題、犯罪と麻薬、エイズ問題、青少年問題、戦争と飢餓、宗教紛争などは、どのように解決するのでしょうか。このような問題に対する根本的な解決がない限り、二十一世紀にかける人類の夢は決してかなうことはないでしょう。今や、各国の個別的な問題としてではなく、人類の全体的な問題として解かなければなりません。天から啓示された新しい真理によって、問題が解決され、将来が明確に予見されなければならない時なのです。 二十一世紀を目前に控えた女性たちは、これまで女性の真の価値を知らない男性たちから、きちんとした待遇を受けられませんでした。十九世紀の西欧における女性の参政権獲得運動から始まった近世以降の女性運動は、女性解放の旗印のもとに発展してきました。フェミニズム、男女平等、女性労働運動など、主に男性を相手とした女権回復の運動でした。このように女性運動の主流は、女性だけのために男性と対決する形態が大半でした。しかし、私が「世界平和女性連合」を通して展開する運動は、これとは異なるものです。神様の創造理想を中心とした新しい理念基盤の上で推進される、女性だけのためではなく、全体のための女性運動なのです。 男性優越論者は、男性と女性がその生まれながらにしてもつ気質と役割ゆえに、自然と男性が優越した位置に定まったと主張します。言い換えれば、男性と女性は、その気質が生まれたときから異なり、それに従って男性と女性の役割が異なるようになり、それによって男性と女性の身分と位置が上下の地位、すなわち男性優位に定まったという理論です。これまでフェミニストたちは、この理論に過敏な反応で立ち向かってきたと思います。女性は、あらゆる面で男性のまねをし、また男性のような役割を受け持つことによって、男性と対等な地位を確保しようと努力してきました。 それにもかかわらず、完全な男女平等は成し遂げられませんでした。これは問題の本質を知らなかったからです。女性の役割が男性と異なり、その生まれながらにしてもつ気質が男性と区別されたからといって、女性の価値が男性よりも劣り、その地位が低いわけではありません。女性の不幸は、女性が神様からもらい受けた本性と役割がいかに貴いものかを知らないところに由来しているのです。多くの女性たちが、自分のもっているものを忘れたまま、別な一方の男性の気質と役割を女性の標本であるかのように、まねしようというところから問題が引き起こされてきたというのです。 敬愛する女性指導者の皆様。女性は、無形の神様の性相と形状、そして陽と陰の二性のうちの一性を代表する個性真理体です。ですから、女性は、もう片方の神様の一性を代表する男性と競争関係にあるのではありません。また男性の単なる補助者ではなく、男性を全きものにしてあげるべき独立したパートナーなのです。神様は、男性と女性の人間を造られるとき、それぞれを互いの理想的対象体として立て、真の愛によって一つになるようにしました。 真の愛の理想を中心として見ると、女性は男性の完全な愛の対象であり、価値から見て、男性と女性は絶対平等の存在なのです。ここにおいて、男性と女性の気質が異なることは問題になり得ず、かえってそれが愛の刺激を誘発する要因となるのです。本来、真の愛によって一つになった男性と女性は、互いに同じ地位となる同位権をもつようになります。また真の愛によって一つになった男性と女性は、いつどこでも共にする同参権をもちます。さらには、真の愛によって一つになった男性と女性は、互いのものを第二の自分のものとして共有する相続権を得るのです。このように、神様の真の愛の理想のもとに一つになった男性と女性は、同位権と同参権だけではなく、互いのものをもつことによって価値的に完全に平等な存在となるように創造されたのです。 したがって男性と女性は、相手の気質と役割をまねたり、それを羨んで取得したりする必要のある対立関係ではありません。真の愛によって、自分のものを相手に与えることによって、相手側をさらに完成させてあげながら一つになることによって、互いを共有する関係なのです。 女性指導者の皆様。女性は、神様が女性だけにお許しになった貴い本性と愛情をもち、子女を身ごもり養育しながら家庭を指導するという、重要な役割をもっています。女性は、愛の結実を抱き、育てる自己犠牲を通して、一族と人類の代を継いでいきます。外的な母親の労苦も重要ですが、胎教から子女の心性を正しく育て、人格を涵養する母性の役割というものは崇高なものです。 今後人類は、だんだんと世界化と多元化が進む社会の中で暮らさざるを得ません。未来の世界において、女性の崇高な役割は、家庭単位ではもちろんのこと、社会全体が切実に求めるようになるでしょう。つまり、人類の未来全体を宿し、生んで養育することが、歴史的な次元の母親の役割であると言えます。母性の役割がないとするならば、人類の希望と明るい将来はどこに宿るというのでしょうか。未来の主役である善男善女たちはどこから生まれ、誰から基礎教育を受けるのでしょうか。 敬愛する女性代表の皆様。歴史は長い間、男性主導のもとに続いてきました。ほとんどの男性たちは力によって人類を誤った方向に導いたのであり、葛藤と分裂、そして不条理な社会をつくってきました。そのように、歴史の遺産として山積し、清算すべき問題として直面している課題もまた多いのです。人類が二十一世紀を希望の中で迎えるためには、今や女性の役割が絶対的に必要とされるようになったのです。真の父母を中心として天運と共に到来した女性時代を迎え、世界の女性たちは、施しを実践する真の愛運動を生活化し、新しい家庭と新しい社会をつくっていかなければなりません。一つの世界家族として共に暮らすべき二十一世紀に向かう、そのような国際化と世界化の趨勢の前に大きな障害要因となるのは、極端な個人主義と利己主義です。しかし、その道へと突き進む人の心は、真の愛によってのみ克服することができるのです。 真の母と一つになった女性が、愛の感化力によって天道にかなった子女を養育し、母子協助によって夫を全きものにしてあげ、理想家庭を築かなければなりません。これは正に真の父母の真の愛、真の生命、真の血統を受け継ぐ運動なのです。このように立てられた理想家庭を通して理想的な社会、理想的な国家、理想的な世界を創建していかなければなりません。女性指導者の皆様は、この運動の主役となってくださることを願います。 この目標を達成するために、自覚した各国の女性たちの協力と国際的な活動が求められています。各国の指導者たちは世界の共同利益を国益よりも優先しなければならない地球環境の条件と国際関係を切実に感じて実践する時が来るでしょう。 今回の韓中女性指導者たちの集まりと交流が、理想世界を成し遂げるための国際的な女性活動の模範となることを期待します。国境と人種と宗教理念の壁を跳び越え、一つの世界を指向する歴史の進行の前に、両国の女性指導者たちの協力が、アジアの平和はもちろん、世界の平和を成就する転機となることを祈りながら、激励の言葉を終わりにします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.21
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「絶対信仰と絶対愛」1994年10月9日韓国・中央修練院にて み言は生きている 皆さんが統一教会について考えてみたとき、原理のみ言を中心として、うれしくて「このみ言であれば天下統一は問題ない」と考えて、前後の見境なく、昼夜狂ったような時がありました。その時から数十年がたてば、その時の基準以上にありますか、それともそれ以下ですか? それを皆さんの良心に手を当てて聞いてみなさい。良心は知っています。分からないという良心はないのです。 さあ、死んでいますか、生きていますか? 答えは簡単です。それ以下になっているでしょうか? それ以上に狂って、「南北を統一し、アジアを統一し、世界を統一するために十字架の道は問題ない。私が先にその道を越えて行こう!」と言い得る気迫に満ちているかということが問題です。それでこそ、生きているといえるのです。生きていますか、死んでいますか? 自問自答してみてください。停止は死亡と通じます。生きているものは育つようになっています。 統一教会員の顔つきを見ると、萎縮しているように見えます。一週間断食はなぜしたのですか? 一週間断食の、七日目の夜一二時になれば、お粥やご飯に目と体と心が傾いているのであって、神様のみ旨を思い、神様が寂しい立場にあるので解放し、世界がサタンの地獄に向かっているのを解放するために、それを一層考えながら、その峠を越えた人が何人いますか? ご飯が貴いことを知ろうとして、断食をしたのでしょうか? み旨の道において、それ以上に難しい道が、今後自分の目の前に近付くのを越えるための精神的な姿勢を備えるためなのです。それを土台として、ケープ・ケネディの人工衛星発射基地と同様に、そこから跳躍ではなく、飛躍するようにと言ったのです。 皆さんが韓国にいれば、先生に負けないように努力すべきなのではありませんか? 韓国を誰が救ってくれますか? 先生が世界を救うために出ていけば、皆さんは韓国だけでも救おうとしなければなりません。先生のような体を持った人が多くいるのに、どうしてできないのでしょうか。先生のみ言はみ言のまま、流してしまいました。そのみ言が讒訴する道を、どのようにして避けるつもりでしょうか? 先生はみなやって指示したのです。気ままに語ったようなみ言ではありません。み言を現実化できないとき、そのみ言が皆さんを審判するということを知っていますか。 天国に入るのを妨げて、「このような条件を越えたか!」というのです。皆さんは死んだような状態ですが、み言は生きています。郭錠煥!(はい)。数十年の間、韓国教会に指示したすべての重要項目を選びだしなさい。(はい)。それで、ここにいる責任者たちに配布して暗記させなさい。(はい)。これからでも、その峠を越えなければならないのです。そのみ言は死にませんでした。先生の相対的価値を設定するために命令したのです。そうして、同じ天国に入るために準備したのに、み言はみ言のまま置いて、対象的実体はありません。ですから、先生が再創造しなければ、行くべき道を行けないという運命に陥るのです。これではいけません。一度神様が選んだのに失敗した者は、二度訪ねて使う道理がないのです。 信じられない立場で信じることが基盤になる アメリカが天に仕えて新婦国家として、中心的責任を果たさなければならなかったのです。神様が来られる再臨主を迎えるために準備させたのに、アメリカが失敗するようになるとき、神様はアメリカを再び選ぶことができません。アダムとエバが失敗したので、アダムとエバを中心として復帰が不可能なため、分立して、息子・娘時代に摂理したように、失敗したアメリカを救うためには二世の立場で先生がアメリカに責任を持ち、アメリカを選出したのです。 アメリカは旧約を中心として、新約が連結されているため、成約時代を摂理していく再臨主においては蘇生・長成・完成の基盤になる旧約・新約がなくては完成の土台がないので、しかたなく、アメリカを立てざるを得ないのです。このようなすさまじい事情を知っていましたか? 皆さん、原理のみ言でアダム家庭ならアダム家庭は死んでいません。生きています。失敗というのは、死んだ失敗ではなく、生きた失敗として残っています。神様は、このような失敗したものを生きた標本として、勝利的基盤を築かずには、天国に入ることのできるヤコブの家庭、モーセの民族、イエス様の国家摂理があり得ないというのです。再臨主も同様です。みな生きています。原理を勉強すれば、アダム家庭は私たちの家庭と同じなのです。 ノアも同様です。いつノアと同じ信仰を持ったことがありますか? 一二〇年の間、アララテ山の頂上に船を造る狂った人がどこにいますか? 船を造ろうとすれば、川辺につくればいいではありませんか? ですから、どれほど反対を受けたでしょうか? 狂人と言われるのはもちろんのこと、さまざまなうわさを聞き、さまざまな迫害を受けるようにさせたのです。東西南北に見えるすべての山の微々たる動物までも、「あのようなぼけた人、あのような狂人じいさんがどこにいるのか」と、後ろ指を指すようになっているのです。全部が無視する立場で、神様は生きているという権威を立てたのが、ノアの時の審判だということを考えなければなりません。 皆さんがそのような信仰を持ち、統一教会を信じ、統一教会を立てるために努力しましたか? ノアは休みながらやったのではありません。雨が降ろうが、雪が降ろうが一二〇年の間、すべての万物を収納させる船を造らなければならなかったのです。その村で寄付でもしてくれたでしょうか? 狂った老人だといって、けなしたのです。 アブラハムも同様です。神様がアブラハムをカルデアのウルから導き出しました。アブラハムは偶像商の長男として、自分の家を出るとき、その神様の命令を信じることができたでしょうか? 信じられないものを信じて出てきたのです。後には、神様はアブラハムに、「イサクを燔祭に捧げなさい」と言ったのです。アブラハムに「あなたの子孫を天の星のように、地の砂のように繁栄させよう」と祝福したのに、一〇〇歳の時、生まれた息子(イサク)を裸にして「祭物にして捧げよ」ということは何という命令でしょうか? 狂ったことです。誰が信じられますか? 信じられない立場で、信じることが基盤になるのです。なぜでしょうか? 堕落が信じることのできる立場で信じられなかったので、信じられない立場で、信じなければ天に対する信仰の芽が生じません。それが伝統的な信仰世界で、神様が摂理する転換時代の公式になっているということを知らなければなりません。 アブラハムが祭物を裂くことにおいて、失敗しませんでしたか? それ(裂くこと)が何でもないと思ったのです。皆さんも、先生のみ言を何でもないと思ってはならないのです。歴史的な宣言です。祭物を裂くこと以上に価値ある先生のみ言を、どれほどこぼしてしまったことでしょうか? そのみ言が皆さんに、千年、万年の讒訴条件として残されているということを知らなければなりません。アブラハムが、小さなハトを裂かなかった失敗によって、天上天下にない摂理を中心とした、サタン世界と分立的な勝利の覇権(主義)を取り戻してくる、神様のみ旨が誤ったのです。ですから、そのみ旨の前に自分たちが今、不信するすべての態度や行動は、アブラハムの祭物の失敗の何十倍、何百倍になるということを知らなければなりません。 イエス様の荒野四〇日断食祈祷と三大試練 アブラハムが祭物を失敗することによって、夢うつつの時に「おまえの後孫は四〇〇年の間、異邦の僕になる」と言われたのです。そのような祭物の失敗が、国権回復の過程を経るときにおいて、石板を割ることが生じ、モーセが荒野で銅の蛇を上げるようになったのです。そのようなことが、イエス様が十字架にかかり得る条件的な権限を、サタンに全部引き渡してしまうようになったのです。そのことを知らなければならないのです。 それを引き渡したがゆえに、イエス様が荒野で四〇日断食をして立つようになるとき、試練を受けるようになったのです。石は何でしょうか? 石でもってパンになるようにして食べなさいというのです。荒野の先祖たちのすべての讒訴条件をかけて、「歴史的な解放を成し、その歴史を蘇らせて、主人になった者だと考えてはいけない」というのです。「モーセも、おなかの空いた群れを引っ張ってきて石板を割った。だから、主人の立場に立ってはいけない。パンを願って、モーセが石板を割ったことを反対の立場で蕩減復帰しようとせずに、石をパンに変えて食べなさい!」というのです。それは何を意味するのでしょうか? 滅びゆく民族を代表して立てたのに、歴史をかけて試練したのです。それを知っていますか? その次には、イエス様を高い宮の頂上に立たせました。イエス様は大祭司長として来られたので、宮の王です。宮の頂上に連れていって「不信するイスラエルの国から追われて、宮の頂上から落ちる様は何か」という話です。違いますか? 「行く所がなくて、荒野に出ていって飢えている、みじめな姿である。それは宮の頂上から落ちたそのものである。悔しく無念なことではないか? 今、宮の頂上に上がって、祭司長の責任を果たすことができますか?」という話です。 そのとき、イエス様が何と言いましたか? 主なるあなたの神を試みてはならないと言いました。神様は宮を通じて息子を訪ね、解放を求めるがゆえに、解放権限を中心として世界のすべての宗教を統一し、天の一つの足場とするのが決定的なのに、あざけるなというのです。「神様の摂理の道を行く私に何ということだ? 私が宮の頂上を取ろうとするのに、なぜ妨害するのか? このよこしまなやつ!」とサタンを一掃したのです。そうであるといって、イエス様がサタンを引っ張り回すと思いますか? 一か所で幻想を描いて、天地を代表した立場で一問一答したのですが、ここで引っ掛かれば、すべての歴史的な条件の実体対象として来られたイエス様は没落してしまうのです。 三つ目は何ですか? サタンは高い山に行って、イエス様に天下の栄光のすべてのものを見せてあげながら、「私にひれ伏すように」と言ったのです。それに対してイエス様は「この邪悪な者、そのような試練をするのか? 天下の主人は神様であり、キリストなので神様の前に敬拝せよ」と命令したのです。サタンは、過ぎし日のすべての失敗を掲げて打つのです。このような話をなぜするのでしょうか? 歴史時代に代表者として来たなら、彼(イエス様)を立てるために歴史を編んできたすべての過ちは、自分自身で蕩減しなければならないという話です。先生の話も同じです。 先生が話したすべてのことが標題になって、皆さんが実体対象者として勝利の覇権者になって、天がそれを中心として万国を駆けることのできる千里の馬のような自分にならなければなりません。そうではなく、み言に引っ掛かるようになるときは、許しがないというのです。千万倍の蕩減路程が訪ねてくるという事実を知らなければならないのです。何の話か分かりますか? これは歴史的事実です。 ヤコブの戦略とエサウの痛哭 ほかにも見てみなさい。聖書に帰って、イサク時代にリベカを中心として見れば、世の中の誰も信じられないことをさせるのです。自分の夫をだまし、長子権を弟に奪ってあげるという母が世の中のどこにいるでしょうか? 摂理のみ旨が間違ったので、正すためには間違ったものを直さなければなりません。このように来たのが、反対にこのように上がらなければなりません。そのように上がろうとするので、反対的なことをさせざるを得ないのです。 エバが神様の長子アダムをだましました。それに、お父さん(神様)をだましたのです。そうして、長子権を失い、次子によって摂理していこうとするので、歴史的な恨みの峠があり、千年万年、未来に向かって嘆息の峠が待っているという事実を、神様は知っているのです。リベカはその内容を知りませんでしたが、指示に従って行動をするのに躊躇しませんでした。同様です。 今日、逆説的な路程を開拓すべきなのが、摂理史の主動的責任者だという事実は、聖書の歴史を見るとき、否定することができません。もし根本が壊れて、失われたら、全く同じものを持ってきて修理しなければならないのです。蕩減復帰は反対の経路をたどるのです。 そうして、エサウとヤコブの路程で、弟が兄さんの長子の嗣業を奪うために、二一年の受難の道を行ったのです。ラバンの家に行って、どれほど苦労したことでしょうか? そのように数多い事情の中で歳月を送りました。普通、男性なら、そこに引きこもっていられません。おじが、どのような人間かといえば泥棒です。けれども、その困難な環境を耐えに耐えながら、二一年の間、不平もなく過ごしたのです。ですから、人が知らない道を行く背後には、天が見守ってきたのです。滅びると思った人が滅びず、滅びないという人が滅びたのです。 そうして、ヤコブがエサウの家に帰り、兄さんに会うとき、どのようにしたでしょうか? 羊の群れ五、六〇匹を数十回持っていって捧げました。一度に持っていって捧げれば、一度あいさつするだけですが、数十回あいさつさせたのです。ヤコブの戦略がどれほど緻密だったでしょうか? そのようにしながら、ヤコブが兄さんであるエサウに会ったときは、贈り物として牛と羊を捧げたときより、一〇〇倍謝礼をするのです。羊がエサウに捧げられるとき、エサウの周辺を取り巻いていた四〇〇名近い兵士たちがいて、すべてのことを見ていました。 そして、ヤコブが兄さんであるエサウに会うとき、「兄さん、元気でしたか」と言ったのではありません。「わが主、お兄様」と称賛し、「神様を見るようだ」と言いながら、遠くから七拝して、近づいたのです。走っていきませんでした。走っていくはずみに、どんなことが生じるか分かりますか? 殺そうと準備した兵士を率いているので、そこで被害を受けないために、涙を流しながら、進んでいったのです。 そのようにして感動し得る環境になって、エサウがヤコブを抱き締め、顔をすりつけながら痛哭し、「お兄様、罪人が訪ねてきました。千万回、お礼をいっても足らないので、その場でたたき殺してください」といって、兄さんが贈り物を受け取ったのです。エサウは、人間の皮を被っては、それ以上の行動をすることができないので、贈り物を受け取ったのです。共に涙を流し、一つになり得る場が、天地史において転換起点になったということを誰が理解できたでしょうか? 行動は一人による一瞬の行動ですが、その内容は天地史のとてつもない歳月が引っ繰り返るのです。そこで、とてつもない価値の基準が引っ繰り返って、地獄から天国に転換され得る土台が準備されたと誰が思ったでしょうか? 七〇〇〇名を糾合する役事 モーセもかわいそうな人です。千辛万苦して、今からカナンの地を望み、ヨルダン川を渡るべきはずが、天がおまえはカナンの地に入れないと言われたとき、胸がつまったというのです。モーセもカナンに入らせてほしいと、どれほど神様の前に切に祈祷したことでしょうか? その悲壮な事情を通告しましたが、神様は冷静なおかたです。事情によって摂理が変わるなら、このような長い摂理は必要なく、アダム家庭で復帰し得る道がありました。それが通じません。非情な立場で、モーセは一世とともに荒野で消え去ってしまったのです。 ただ、ヨシュアとカレブ二人だけがカナンの福地に入りました。一二支派の代表を偵察に送りましたが、一〇支派の代表が反対しました。入ることができないと痛哭する事情圏内で、ヨシュアとカレブだけが、神様が生きておられるから問題はない、と言いながら環境に影響を受けなかったので、彼らだけが入ることができたのです。これが、イスラエル一二支派が分立する遠因になりました。ヤコブ家庭でレアとラケルの一〇兄弟と二兄弟が分裂したことも、イスラエル二支派分裂の条件になったのです。このように内外に生じたことが、天国(南朝二支派)と地獄(北朝一〇支派)を分ける歴史的な二大条件になったということを忘れてはならないのです。 このようにして残った二支派を中心として、イスラエル建国思想を求めていった天はどれほど苦しかったことでしょうか? これをイエス時代前に統一すべきはずだったのに、できなかったため、南北朝分立時代にエリヤを送り、統合する運動をしたのです。北朝のバアルとアシラ像と八〇〇余りの祭司長を一か所におき、エリヤが祭物をおいて水をかけ、火をつける実践テストをしたのです。「南朝、北朝は神様が願うものではない。一つにならなければならないことはおまえたちも願い、私たちも願うので、祭司長たちが試合して、本当の神様が生きている所に糾合しよう」と約束を固くして、北朝を代表した一〇支派の祭司長八〇〇余名が天に対して、あらゆる精誠をいくら尽くしても、だめなのです。しかし、エリヤはただ一人で現れて、神様に祈るとき、そこに天から火が下り、祭司長と祭壇までみな焼いてしまったのです。そうすると、国民たちは「私たちの祭司長、私たちの司祭たちを全部殺したエリヤを殺そう」と言ったとき、逃げて祈祷したことがあります。「神様、神様! 私だけが残りました。私の霊魂を受け取ってください」とエリヤは祈祷したのです。このとき、天が語るには、まだバアルに属していない七〇〇〇余名の群れが残っているということを通告するのです。一〇支派のほとんどを失い、七〇〇〇名だけ残りました。彼らを中心として南朝と北朝の統一聖業、すなわち、神様の国建国を成就しようと通告したのです。この歴史が死なずに生きています。 それが実体として現れるべきなのがイエス時代でした。洗礼ヨハネを中心として、七〇〇〇名がイエス様と一つとなっていたなら、イエス様は十字架で死にませんでした。このような恨みの歴史をどのように解いていくかが分からない人々は、絶対従順になりながら、順応すべきはずなのに、自分勝手に生きて、亡国の種になるとも知らずにいたのが、そのままそっくり亡国の種になってしまったのです。何の話か分かりますか? それゆえ、先生はダンベリーに入って七〇〇〇名の米国牧師を糾合する役事をしました。それを監獄から始めたのです。七〇〇〇名を韓国に連れていって、韓国と一つになる役事をしたのです。 世界的カナン復帰を目前にした四〇年荒野路程 モーセを見なさい。エジプトから出てきてペリシテに行けば二一日路程です。実際、そうだというのです。直行すれば、短い日数で行けるのに、全部ペリシテを恐れたので、躊躇することによって、紅海を割って、シナイ半島を通じて帰らなければならなかったのです。反対に行くのです。 また、紅海が前に横たわるとき、神様が私たちをエジプトから出したのに、紅海が横たわるとは何ということかというのです。後ろに軍隊がついて危険に置かれるようになったとき、モーセは大変なことになったというのです。未来の建国理念を置いて出発したこの民族が、どこに行こうとするのかというのです。モーセはどれほど深刻だったことでしょうか。ですから、命を懸けて紅海を割るのです。紅海を割っていくことはいいことではありません。条件になるのです。また再び不信することがあれば、行くべき道がふさがってしまうというのです。蕩減の路程は、失敗したものが行けば行くほど解けるものではありません。歴史に荷物として残り、未来の塀として残るのです。 このようにして、シナイ山を越え、カデシバルネアに二一日目に到着するはずなのに、一八か月目に到着しました。数か月という期間に整備し、ヨルダン川を渡ろうとしましたが、そこで磐石を二打したことによって問題が生じたのです。このことによって、荒野四〇日路程が四〇年を送ることになり、その中でイスラエルの第一世は、はげたかのえじきになりました。モーセと一つにならなかった民族は、はげたかのえじきになったのと同様に、今日、統一教会で先生と一つになれなかった第一世は、はげたかのえじきになり得る立場に立っているということを知らなければなりません。 この二世という者たち。自分のお父さん、お母さんの失敗が何か分からず、自分が勉強できず、自分が貧しいと不平をいえる立場ではありません。これは、(今、生きている時代)砂漠と同じです。四〇年荒野時代です。世界的カナン復帰を目の前に控えた四〇年荒野路程を行っているのです。幼い人も年を取った人も、その国の王になり得る資格者も、避難民もこじきも、共に行くのです。高い低いはありません。先生はこじきの王です。子供たちゆえに、家を持ってはならないのです。 私がアメリカにたつ七二年までは、月給を与えませんでした。国がないのに、誰が月給をくれますか? 荒野路程なのに、誰が月給をくれますか? 自分たちが努力をしなければなりません。マナとウズラを食べたように、どのようにしてでも自分が努力をして解決していかなければなりません。先生も皆さんと同じ立場で歩んできたのです。歴史は生きているということを知らなければなりません。 祝福家庭のかわりに先生の家庭が蕩減 そのすべての代表的歴史は、カイン歴史を中心として蕩減条件を立てるために、経てきました。ですから、歴史的な先祖たちは蕩減の荷物を負ってきたのです。その蕩減の峠で勝利することによって、解放された基準を自分の後孫の前に父母の代身(アベルが父母代身です。反対に取り戻してきた父母代身)なので、そのようなすべての蕩減的条件に打ち勝ち、サタンからその代価を取り戻して、信じてきた環境の人に与えるのです。父母のものは子供が相続を受けるのと同じなのです。それが宿命的因縁です。宿命的だということは、死んでもやっていかなければならないのです。 父子の関係は宿命的です。夫婦関係は運命的です。夫ができなければ、妻がやることができ、お父さんの負債は息子が弁償してやることができるのです。しかし、本人だけができる立場は宿命です。お父さんとお母さんを取り換えることができますか? 父母と子息を取り換えることができますか? 死んでも永遠にその立場を備えて、続けるのです。宿命的な責任というものは、死んでも成していかなければならないのです。イエス様が父母の立場で来られて、宿命的責任を持ちましたが、その仕事を成せずに逝くことによって、楽園という待合室に行って待ち、宿命的責任を完遂し得る基盤が成されるときまで、待たなければならないのです。 それが一九七三年一月三日を中心として、先生によって祝福を受けることによって、天国に入って地上と連絡することのできる新しい時代に近づいたのです。ここで統一教会が失敗したことが、カナンの地と天国に入ることのできる合格者をつくれなかったというのです。 ですから、その家庭が蕩減しなければなりません。それゆえ、興進君が昇華したのです。イエス様が三三歳で救いの道理を立てたので、三三歳以前のすべての者は救援摂理に連結できないのです。天上世界で霊的天国を成したとしても、地上世界でイエス様の年齢以下で死んでいった人々は、天上世界と因縁を結べないのです。ですから、興進君が一〇代の少年としてイエス様との橋を架けてあげたのです。イエス様が地上世界で一代に立てられなかったものを、橋をつなぎ合わせるために、若い立場で救世主の責任を代身して霊界に行ったのです。そのことによって、イエス様と霊界が真の父母の家庭と連結され得る因縁の設定が生まれたというのです。そして、イエス様と霊界が真の父母の家庭と連結され得る時代に入ってきて、歴史は急変、転換時代に入るのです。ところが、祝福家庭が果たすべき責任を果たせなかったために、先生の家庭が蕩減するのです。 見なさい。先生の家庭で二番目の娘も逝き、二番目の息子も逝きました。先生の三代圏内においては、二番目の人たちがみな客死しました。このようにみるとき、蕩減原則は恐ろしいのです。 興進君が相対的権限を持って、地上で真の父母の祝福を受けることによって、霊界にいる人々が地上の人と祝福を受けることができる時代になるので、連合時代になるのです。それは、大ざっぱな計算でなるのではありません。四隅が合って水がもれてはならないように、合わせていかなければなりません。四〇〇〇年の間、天をとろかせて食べたサタンなので、どれほど巧みですか? サタンが統一教会の人たちに押されていきますか? とんでもない話です。先生がいるので、それができるのです。皆さんはどのような名を語っているのですか? 先生の息子・娘ではありませんか。血筋を受け継いだというので、真の父母という名の前に真の子女の称号を持っているので、父母の勝利の覇権を相続し得る立場にあるのです。それが恐ろしいのです。 国のない恨み では、父母の後継者となり、何年持ちこたえることができますか? 問題がそこにあります。殻だけ残って中身のないこじきのような群れです。どこに行って、飛んでいくか分からない群れです。父母がそれを残しておいて、目を閉じて死ぬことができないという事実を知らなければならないのです。 南北統一を成就せよと、どれほど通告したことでしょうか! どれほど民族の前に批判を受けるでしょうか! 「世界統一家庭堂」を中心として、民族教育をして家庭編成を促進化せよと言ったのに、その名前も忘れているはずです、この者たち。女性たちが中心になって、「世界統一家庭堂」を中心として、カイン圏である国家と政党を収拾しなければならないのです。そのような教育的基盤を準備したという条件を立てなければ、国を探して入ることができません。先生はそのような条件をみな立てました。そのことを知らなければなりません。 第二世の人々の精神はただ一つ、神様が探そうという私の国を探しだそうということです。四三〇年の僕暮らしの中で積もった恨みがあるとするなら、国のない恨みです。イスラエルは、自主的な国を持つことができなかった民族でした。 大韓民国の歴史五〇〇〇年、七〇〇〇年を論議するときに、一度でも自主的な国家を持ち、世界に誇ったことがあるでしょうか? 李ビョンド博士の本によれば、侵略された回数が韓国動乱まで合わせて九三二回です。そのように記録されているのです。どれほど悲惨なことでしょうか? 刃物で刺された人がいないでしょうか。孝婦(=孝行心の厚い嫁)の称号をもらった人が犯されなかったでしょうか、あらゆることがあったのです。それを知らなければなりません。 この少数民族の背後には、長い歴史に恨みが漂っているということを知らなければなりません。恨み多い民族! これを誰が救うのでしょうか? 天だけが教えるのです。皆さんの心の奥に、そのような恨みを持っていることを知らなければなりません。その恨みの荷物を背負い、建国理念を探していかなければ、この民族は消えてしまいます。神様ご自身の悲しい事情と、痛ましい事情に韓民族が一番近い距離にいるので、韓民族を神様が守ってきました。 格菴遺録の驚くべき内容 皆さん、『鄭鑑録』という本がありますが、『格菴遺録』というものもあります。私は五年前に、その原本を誰かにもらいました。私はそのような本を読むのは好きではありません。世界からそのような本がたくさん送られてきます。 アラスカのコディアクにいるとき、『1999年』という本を読んでみました。サブタイトルは何かといえば、「ノストラダムスを超える南師古の驚異の大予言」というのです。一九九九年はどのような年でしょうか? ノストラダムスの予言によれば、この世界は滅亡すると言っています。 また、予言には、その前にメシヤが来るといいました。今、六年足らずになりましたね。そのときになれば、世界が滅亡するといって、全世界が今、気掛かりになっています。ノストラダムスは有名な人です。ヒトラーが出てきてヨーロッパを打ったすべてのことも、詳細に予言したのがみな当たってきたのです。四五〇年の間にあったことがみな当たりました。 西欧ではそのような予言が出てきて、世界的予言をしたのですが、アジアの韓国では、それより六年後にそのような人が現れました。すなわち、一五〇三年にノストラダムスが現れ、一五〇九年に南師古が現れましたが、彼が予言した内容は何でしょうか? イエス様が再臨することを予言しました。今から四五〇年前であれば、キリスト教という言葉も知らないときです。二〇〇年前に旧教(カトリック)が韓国に伝播されはじめたと見ていますが、四五〇年前にそのような話を南師古はしたのです。 彼が予言した内容はどうでしょうか? 南師古の予言に比べれば、ノストラダムスの予言は何でもありません。その予言は月まで当てています。その本を見れば、近代一〇〇年史に限っては、そのままそっくり詳細に合うのです。歴史家が書いたといい得るほどになっているのです。誰でも疑い得る内容になっているので、ソウルの国立図書館に納本されている『格菴遺録』の筆写本の写真も撮り、移し書きもして、疑問なら問い合わせるようにと書いているのです。 その本(『ついに解明された1999年』)についても、あまり関心がなかったのですが、一番最後の章を読んでみました。五章が最後ですが、その中で再臨主は南朝鮮、大韓民国に来るとありました。私はそれを見て、驚き倒れました。再臨主に該当する八つの条件に適合する人物がいるという結論が書いてありました。(拍手) そのかたは韓国で生まれるとありました。また、北韓で生まれて、島国に行ってから、南韓に帰ってくるというのです。日本を経て、南韓に帰ってくるという説明までしているのです。また、善男善女のカップルをつくってあげるとありました。さらに、監獄暮らしをしなければならないというのです。 そして、息子・娘が多いというのです。また、統一教会の祝福を受けた息子・娘がどれほど多いことでしょうか? その次には、新しい宗教をつくって、世界を一つにしなければならないというのです。夢のような話です。また、共産党をなくさなければならないというのです。 そして、南北が分かれるというのです。第二次大戦後、連合国の勝利で、キリスト教文化圏を中心とした歴史にただ一度だけしかなかった統一世界は、来られる主(真の父母様)のためのものでした。ところが、そのキリスト教は主が雲に乗って来られるということを信じて、人として来られた主を、イエス様のように荒野に追い払いました。国家の怨讐、世界の怨讐として追いやったのです。 今、四〇年が過ぎ、再び春が巡ってきたので、今日、統一教会の名前と文先生の名前が復活し、世界の頂上に立つようになったのです。四〇年を蕩減して、その立場を再び取り戻せなかったなら、全部流れてしまうのです。その次は、このような話があります。天も一つであり、父も一つであり、母も一つなのに、父が二人になるので、北には赤い父、南には白い父がいるというのはどういう話でしょうか? 血統転換、所有権転換、心情転換 第二次大戦後に、英・米・仏が新婦圏を中心として世界統一基盤ができたとき、新郎として来られる主を迎えることによって、神様に侍るようになるのです。新郎として来られるかたは、家やパンやお金を持ってくるのではありません。彼が持っている財産は、真の愛と真の愛の種です。 それゆえ、統一教会に入ってくる数多くの女性たちは、その真の愛が慕わしいのです。先生がどこに行っても会うために、夜も昼も無我夢中です。一二歳から八〇歳の女性たちは全部そうなります。なぜでしょうか? 女性は真の父母の相対的位置に立っているからです。ですから、春の風が吹き、誰でも同じ気持ちになるのです。 エバが堕落することによって、四大心情圏を喪失しました。一人の男性に誤って対することによって、そのようなことが起こったので、これを蕩減復帰するために、反対に世界のすべての女性は、一人の男性である夫に出会って、四大心情圏を回復しなければならない立場にあるのです。ですから、その男性に会うようになれば、お兄さんのようであり、夫のようであり、お父さんのように感じるのです。そうして、妹の立場から妻の立場、お母さんの立場まで、その心情を体恤しなくては、蕩減復帰が不可能なのです。 それゆえ、先生が大邱に行けば、霊界が全部教えるので、女性たちは大邱に押し寄せてきます。私が和新百貨店に二度行きましたが、そこに女性が何人か待っていて、あいさつをするのです。「何のためにきたのか?」と言うと、「霊界から、先生がここに来られるので、早く行けと言われて、時間を合わせて駆けつけました」というのです。そのようなことがたくさんありました。 再臨主に簡単になれるものではありません。ある人が、先生は洗礼ヨハネで、自分は再臨主だという人がいますが、とんでもありません。再臨主になろうとすれば、霊界に入って、神様の玉璽を受けてこなければなりません。文総裁が霊界に入ることによって、四三日の間、霊界で争いが起こりました。地獄のどん底から、天上まで全部が「文総裁は異端者だ」というのです。それを下から整理していかなければなりません。一番最後には、聖人たちです。彼らと神様の前で談判して、正義の主人が誰かという決戦をしなければなりません。そのときの題目は何でしょうか? 霊界に来たすべての人々は、神様の血統ではないのです。血統転換しなければならないということを知っているのかと追及したのです。 二つ目は何でしょうか? 所有権転換です。「地上に生きながら、自分の所有権を持った者は天の国の背反者だ」というのです。宗教の教祖たちがいくら優れているといっても、ここには引掛かっているのです。 その次には、心情圏を転換せよという話です。一族の心情圏です。人は誰でも四代を中心とした親族は、どこででも糾合できるのです。最小限六親等までです。その圏内にいる人々は糾合するようになっています。四代までは大部分、一つの地方で暮らすのです。これは一族が一つの垣根です。個人は蘇生であり、家庭は長成であり、氏族が完成です。四位基台完成というのは、一代、二代、三代です。 それゆえ、一族を中心として個人蘇生です。心と体が一つにならなければなりません。心と体が偽りの愛で分かれてはなりません。ですから、霊界で争うときには、「おまえたちは、心と体の闘いをしてから来た者たちではないか! 異端が何だ?」と、対抗して争っていくのです。 最後には、霊界に大混乱が生じるので、神様が審判場で判決を下さなければなりません。ところが、神様まで反対するのです。「文総裁は、おまえたちがいうように異端者だ」というのです。なぜそのように言われるのでしょうか? アダムが天に背反したので、蕩減復帰によって、神様もアダムの完成者に背反しなければならないのです。そうしてこそ、神様の心に積まれた恨みが解かれるのです。 そうして、全体がみな反対し、神様まであちら側に立っているのに、ただ一人、文総裁が残ったのです。そうかといって、混乱の渦中にいる霊界をただほうっておくことができないのです。神様が最後に判決を下さなければなりません。「文某がいう血統転換、所有権転換、心情転換が事実である」というのです。そのような勝利の覇権者として、額に玉璽を受けて下りてこなければならないのです。 霊界でこのようなものを整備するための闘いをして勝利したので、地上でも闘いをしなければならないのです。地上でもすぐに血統問題が引っ掛かるのです。サタン世界から妻を復帰してこなければならないというのです。血統転換をしなければならないのです。 その次に、天使長圏で持っているすべてのものは、自分の財産ではありません。神様の財産を全部泥棒していったのです。それを取り戻してこなければなりません。そして、自分の一族を中心として、世界版図を連結させなければなりません。誰でも東西南北に連結された版図で、自分の一族を中心として、世界的版図に伸びていこうと考えるのです。このような心情圏を全部転換させなければなりません。一番目が何ですか? (血統転換)。二番目が何ですか? (所有権転換)。三番目が何ですか? (心情転換)。 血のにじんだ祭壇 このような事件がいつから生じたのでしょうか? 堕落してから生じたのです。堕落する前には、アダムとエバの所有であり、神様の所有だったのです。皆さんも、アダムとエバが祝福を受ける前の立場と同じなので、結婚する前に所有していたものを、天の前に帰し奉らなければならないのです。皆さんが統一教会の祝福を受ける前に、この手続きを終えて祝福を受けるのが原則です。それで、統一家を中心として祝福を受けた家庭が多くなればなるほど、サタンの血族世界はだんだん小さくなるのです。 所有権が全部天に帰っていかなければなりません。それゆえ、この歴史発展路程の思想と主義を中心として、個人所有時代が過ぎ去ります。氏族所有時代、民族所有時代、国家所有時代を経て、世界所有時代に越えていくのです。それで、共産主義や社会主義をもって、この世界のすべての国は、私の国だといったのです。 サタンは天の所有圏時代が訪れることを知っているので、前もって、これをまねて、天のものになるのをふさぎ、反対するために、世界を制覇し、国家管理体制を主張したのです。所有は国家のものだといって、共産党一党統治時代を主張したのです。 それが、今後来る理想世界のモデル型になるのです。ところが、偽りでもって失敗したのです。その思想的方向だけを引っ繰り返せばいいのです。神様がいない、神様がいるという唯物、唯心の闘いをしましたが、共産党が神様に侍って、その道を行けば、世界制覇を瞬く間にすることができたことでしょう。 所有権転換のために中間の立場に立てた家庭が、どのような家庭でしょうか? 「世界基督教統一神霊協会」で祝福を受けた家庭です。天使長とエバが一つとなって、その直系の代を継いできたこの世界において、天の逆賊たる天使長家庭と、天の側に立った天使長家庭の代表として分立したのが、祝福家庭です。それゆえ、祝福家庭は完成級で祝福してあげたのです。それ以上の道を行くかたがご父母様ですが、ご父母様と絶対的に一つになってこそ、直接主管圏が連結されるようになっています。そのためには、七年の歳月を経なければなりません。 一九四五年から一九五二年まで、七年路程を中心とした世界浄化時代があったということを知らなければなりません。完成期七年路程が残っています。それがご父母様が行くべき道です。その期間は全世界のキリスト教文化圏が長成期完成級を越えたので、完成期完成級にすべての国々が入ったため、サタンはその世界についてくることができず、そこで別れなければなりません。その七年路程を成せずに完全に失ってしまったため、再度、旧約時代と、新約時代を蕩減しなければなりません。四〇〇〇年歴史を蕩減せずには、真の父母も解放圏を迎えることができないのです。 一四年(蘇生、長成です。一九四五年から一九六〇年まで一四年です)の間、このような受難の道を経ていくのです。イスラエルの国でできなかったことを、韓国で清算しなければなりません。アメリカが第二イスラエル圏になったので、第三イスラエルは第一、第二イスラエルの土台の根を受け継ぐべき立場に立っているので、韓国で一四という期間(蘇生、長成、完成期間)を中心として主権基盤を超えるための闘いをするのです。血のにじむ闘争です。 聖婚式をする直前の日まで、治安局に行って調査を受けました。お母様まで呼ばれていくことが起こったのです。そのときに反対した一二人は統一教会の幹部になる人たちでした。ですから、そのとき、統一教会が滅びるとうわさがあったのです。全面的な国家弾圧時代に入るので、それを聞いて、みな離れていって、国家に協力したのです。イエス様の一二弟子が反対したのとぴったり同じです。一二数が全部国家と協力して、統一教会の文先生を監獄に入れ、統一教会解散の命令をしようとしたのです。そのような調査にぶつかったのです。そのような争いの場を克服してきたのです。 イエス様が死ぬか、生きるかという渦中で決断をして、生死の圏を踏み越えなければならないのです。死んだ者になれば、その死亡圏から流れていくかもしれませんが、生きた者なので、踏み越えなければなりません。その闘いを中心として聖婚式をするのです。聖婚式をするのも考えてみなさい。四〇歳の婚期を過ぎた独身ではありません。離婚した者が、一七歳になる乙女を世界のお母様にしようというのですから、それを誰が理解できるでしょうか? お母様になるためには、一〇代でなければならないのです。聖進様のお母さんも、十八歳のとき先生と婚約したのです。大ざっぱな計算で、適当にして越えていく道ではありません。そのような血のにじむ事情は誰に訴えますか? 周囲にいる女性たちは、全部原理を通して再臨主に侍り、真のお父様に侍ることを知っています。そうして、生活するのに必要なもの、一生暮らすことのできる準備をするのです。それで、三代(おばあさん、お母さん、娘)が一つになって、「私の家はこれこれの準備をした」という勝負をするのです。そのような家庭が、三家庭ほどではなく、世界的に数百家庭が生じるのです。 お母様の復帰路程がどれほど熾烈だったが分かりますか? アダム一人を見いだすための歴史が、数多くの闘争をしながら、血を流し、曲折を経てきたのと同様に、お母様を見いだすことにおいて、どれほど多くの犠牲の代価を支払ったかしれません。 お母様の基準を受け継ぐために、数千年前に啓示を受け、準備していた人が代を継いで、この時代まで来たのです。聖火を中心として消えないようにして、これが地上の終わりの日まで続いてきたのです。火を消さずに終わりの日に、お母様の火まで移させるための血のにじんだ祭壇を引きずって、実体として勝利した生きた祭物であるお母様を捜し出したのです。 先生についても同様です。生きた祭物、裂く祭物でなく実体として天に対することのできる新郎を求めてきたのです。このような曲折の蕩減路程を歩んできたという事実を思うとき、お母様に対していいかげんに対することができないのです。そこ(お母様を見いだす歴史)には、おばあさんの悲運の歴史、数多くの中年の女性たちの恨み、姉や妹と同じ女性の恨みの歴史がにじんでいます。このすべての恨みを解いてあげるために、代表的に選出されたかたがお母様だというのです。 そのようなお母様と結婚して、三段階試練の過程を経るようにしなければなりません。歴史的に女性たちがそのように経てきたので、そこを経なければなりません。今まで統一教会のすべての女性たちがそのような準備をしたのに対して、お母様がそのような女性たちに、お母様のように侍る役事をしなければならないのです。それで、お母様は結婚しても、先生と暮らせないのです。三年の間、分別生活をしながら、お母様がいる所に誰かが訪ねてくれば、お母様は自分のお母様のように侍るのです。おばあさんが来れば、「よく来られた」といいながら、娘の立場で侍るのです。 三代に祝福を約束した、その人々の孫娘のような立場で侍ることによって、天の法度を教えてあげなければなりません。これがアベルが行く道です。私が天国に行く道は、一生を犠牲にしながら行くのです。一日も、心置きなく自由に遊んだときがありません。負債を負った者の生涯のように、生きているということを知らなければなりません。先生が地方巡回をするといえば、お母様が出てきて、どれほど共にいきたかったでしょうか? また、私はお母様に知らせるべき責任があるために、(離れた家に住んでいるお母様の所に)人を送って、お母様が(お父様の前に)出てきてあいさつするようにさせたのです。そのとき、地方巡回するときは、七四七ジープで行きました。 そのようなときは、お母様を連れていかなければならないはずなのに、連れていきませんでした。後ろには、年を取ったおばさんに乗るようにといい、前に先生が乗るのを、お母様は「行ってらっしゃい」といいながら、涙を流し、後ろを向いたのです。そのようなときをたくさん見たのです。それは、夫としては見ることができないのです。 なぜ、このような道を行かなければならないのでしょうか? しかたがありません。この道を越えなければなりません。三年半の間でした。どれほど共に行きたかったでしょうか? どこに行くにも、そのような人々を教育し、指導しなければなりませんが、それはお母さんがすることではないのです。真の夫の立場に立つことは簡単ではありません。真の妻の立場に立つのも、このように大変だったのです。堕落の恨みの穴が、これほど大きいとは、誰も知らなかったというのです。 「神の日」を設定し、世界舞台に出発 一九六〇年度を中心として、旧約時代を完成して、世界舞台に出発するのです。それから一四年たって、世界舞台にお母様と息子・娘を中心として出発したのです。この自由世界のキリスト教文化圏が反対したので、これを再び収拾するための七年路程と同じ道に出発するのです。 一九六八年一月一日、「神の日」を設定しました。七年路程で、ご父母様が一つになる道を行かなければなりません。その峠を越えるために、世界の女性たちがお母様と一つになり、世界の男性たちがご父母様と一つになったという式を行わなくては、神様の解放の日を立てることができないのです。 ただ「神の日」が現れたと思いましたか? サタンが退くことのできる蕩減条件を提示したものが、神様の心にも一致し、サタンにも一致してこそ、分別された新しい世界の出発基地が生じるのです。「神の日」を立てることによって初めて、地上世界に神様が直接干渉することのできる時代に入るのです。それゆえ、世界舞台に出発するのです。 自由世界全体が、再臨主と神様に侍ることができずに追い出したので、再臨主は世界舞台に出発するとき、神様に侍っていかなければなりません。ですから、「神の日」を設定し、六八年から三年間はすべての家庭が、家庭を捨てて出動したのです。七二年までに共に越えていくのです。そのとき、七七七家庭まで全部動員しました。家も捨て、赤ん坊も孤児のように捨て、出動したのです。これが世界に行くための国家総清算蕩減の期間でした。三年路程を中心として、分別期間を立てなくては解決できないからです。 それで、家庭を中心として金日成を防御する立場で、大韓民国に対して忠節の道理、忠臣の道理を果たさなければならなかったのです。祝福家庭は愛国者の模範家庭として行動しなければならなかったときでした。困難な環境でそのようなことを果たして、勝利的条件を立てることにより、先生が主人の資格で西欧の社会を収拾する道に出発したのです。全部公式的なのです。一つでも手薄なら、そのまま越えることができません。 救国世界大会を開催したときが、一九七五年でしょうか? そのとき、その大会を中心として、世界六一か国と韓国を一つの血族として結んだのです。そのようにして、世界舞台に血族基盤が残っているので、世界を導いていくことができるのです。こうすることによって、本格的な闘争時代に入ったのです。 一九七四年までは、キリスト教文化を収拾するために、新・旧約のみ言を通して、大歓迎を受けたのです。そのとき、表彰されたものは、一〇〇〇枚以上になります。このようにして、キリスト教から大歓迎を受けましたが、国家の歓迎は受けられませんでした。救国世界大会をすることによって、大韓民国を収拾することのできる伝統的世界と連結する勝利的条件を席巻したために、その基盤の上に本格的に西欧の国と衝突していくのです。 このように衝突して監獄にまで行ってきながら、新しい次元に復活していくのです。先生が西欧で二〇世紀の十字架を負ったということを知らなければなりません。それがダンベリーの監獄だというのです。そこで復活しなければなりません。復活して、五〇の新聞社を通して、アメリカの朝野に宣戦布告するのです。そのとき、ブッシュ前アメリカ大統領が先生の攻撃対象でした。そこで彼らが屈服する条件を立てたので、そのまま越えていったのです。 兄を救うべき使命のある統一教会 それでは、真の父母と成約時代の峠をどのようにして越えたのでしょうか。千辛万苦、事情の多い恨みの峠を越えながら、恨み多いため息をついたことを誰が知っていますか? 地を打ちながら、「あすの峠に誰が責任を持つのか?」と言いながら、同役者もいない虚空に向かって、一人分別していくべき運命を嘆いたときがどれほど多かったか、それらのことは誰も知らないのです。しかし、神様は知っています。 ただ一つの願いは何でしょうか? 私が霊界に入るときに、神様が私にどのように対してくださるかということが問題です。私がそのみ前に立つときに、神様が玉座に座っておられ、ご自分でも知らずに走りおりて、ご苦労だったと抱きついて、キスをしてくれながら、「永遠なる祝福があなたにあることを祈る」ということのできるそのひと日が願いです。そのことを地上に残さずには、死のうとしても死ぬことができないのが、真の父母の事情であることを知らなければなりません。 世界中の統一教会員たちがご父母様の願いに従おうと、苦労しながら、寝る所もなく哀れな立場に置かれながらも歩んでいるのです。雨が降る夕方には、屋根の上から落ちてくる雨を見ながら、彼らのために涙を流しているのです。そのような先生がいるということを、統一教会員たちは知っているので、先生は負債を負わないのです。彼らが死んでいくときに、「先生、千年、万年生きてください」といいながら、福を祈っていくことのできる歴史的伝統を残しているということを知らなければなりません。 モーセがヨルダン川を見詰めながら、ヨシュアに責任を引き渡す歴史がありました。三次にわたって失敗路程を歩んだモーセは、カナンの地に入ることができないのです。二世が入ったのと同様に、イエス様もモーセの三次路程と全く同じように洗礼ヨハネを代身して、三次の路程を行きました。しかし、失敗することによって、一世のイスラエル民族は荒野で滅んでしまい、二世としての世界的カナン復帰の後継者を探していく道が再臨時代まで、十字架の闘いの路程だったのです。 右側の強盗と、左側の強盗のような歴史的悲運の事情がどれほど多かったことでしょうか! その中でキリスト教に従ってきた人々がどれほど多く、惨殺されたかを考えなければなりません。彼らの願いは何ですか? イエス様が願われた再臨のひと時、解放のひと日をもって、歴史的恨みを蕩減することです。そのような願いがあったので、すべてのキリスト教徒たちは再臨のひと日を中心として、死線を越えてきたという事実を知らなければなりません。今も、そうしているのです。 その人たちは、私たちの兄弟です。その人たちは私たちとふたごです。エサウとヤコブのような事情に立っています。兄さんを救ってあげなければならないのです。それが統一教会の使命だというのです。私たちは天国に行き、兄さんたちは地獄に行けという亡国の心情は、サタン世界にもありません。 大韓民国を救うべきであり、怨讐の中の怨讐である北韓を救うべきアベル圏なので、その怨讐圏に責任を持って、消化させるべきアベル的伝統の思想と、その精神がどこにありますか? 皆さんの血が沸き上がっていますか? 洗礼ヨハネが背反者になり、結局、首が切られたという便りを聞いたとき、イエス様があきれて、「天の因縁の中で勝利の大王に侍って、天下に名高い大役者になるべき運命があのようになったので…」と言って、恨み嘆いたのです。キリスト教が先生から離れたとき、その悲運と悲嘆の事実に、どれほど胸が痛かったか分かりますか。それを忘れることができません。 真の父母と成約時代安着 怨讐を愛さなければならないということを、今から話そうと思います。私がなぜ歴史を編み、このような衝撃的な宣言と刺激的な話をするのでしょうか? これが神様の事情です。その事情が死んでいません。胸にこびりついた恨みをまだ解けずにいます。青春時代に神様の孝子の道理を守れなかった恨み! 国を持てずに、忠臣の名と、号を持てなかった恨み! 万国を代表して、聖人の道理を果たせなかった恨み! 天と地の勝利の覇権を備えて包括できず、神様を解放して聖子の道理を果たせなかったその恨み! このような恨みが残っています。どこで解きますか? 皆さんの骨髄を取りだして、弁償しても不可能なことです。胸の中にある心情を壊して弁償しようとしても、そうでき得る痕跡を見いだせない悲痛な事実も知らない、この悖逆無道な者たち! 今からでも、ご父母様が孝行できなかった片鱗の道理でも果たすために、自分の一身が死んだとしても、万民を代表して、やろうという心を備えた者たちが残っていないという事実がどれほどあきれかえることですか? 国がどこにあり、世界がどこにありますか? 理想的家庭がどこにありますか? 国を救えといったのに、何をしましたか? 数十年の間、世界の戦争の場で、すべてを屈服させ、「真の父母と成約時代安着」という名言を持ってきたのに、安着することのできる家がどこにあり、安着することのできる環境がどこにありますか? 皆さんを使って安着できますか? 新たに自覚しなければなりません。 歴史は生きています。歴史に流れてきたご父母様の思想と神様の思想を中心として比較し、自分がどのような存在かということを知るために、良心と一問一答しなければなりません。先生の前に反抗し、先生の言うことに不平不満を言うことのできる自分でしょうか? 頭を上げることのできない気持ちを感じながら、地に鼻がついて、永遠に贖罪を求めても許しを受けることのできない立場にいることを悟らなければなりません。 皆さんは、妻と息子・娘のことしか考えていないでしょう? 民族がどこにおり、神様がどこにおり、真の父母様がどこにいますか? 祝福を受ける以前はよく働いたにもかかわらず、祝福を受けてからはすべて停止し、後退するではありませんか? 家庭が国家を形成するようになっているのであって、個人が国家を形成するようにはなっていません。家庭が氏族をつくり、民族をつくってこそ、国家が形成されるのです。家庭的十字架を経てこそ、家庭的解放時代が来るということを知っていますか? 「父母の日」を国民の祝日に 私が一つ通告しましょう。今、「父母の日」を制定するために一九九三年七月二八日、アメリカの国会で、お母様の講演にとても感動した全国会議員が、その日を祝賀の日として制定しました。それで今年七月二八日、朝野のすべての上下両院議員が集まって大々的な祝賀式をしたのです。それが終わるやいなや、これを一年の国民の祝日にするのではなく、永遠の国民の祝日として選ぶための計画を立てて、二か月、四〇日間で下院、上院を満場一致で通過しました。アメリカの歴史と共に、永遠にその日を「父母の日」として記念するようになったという、とてつもなく恐ろしいことが起こったという事実を知らなければなりません。(拍手) それは、ただ座っていて成るようなことでしょうか。上院、下院の議員たちがこれに反対したなら、首が落ち得る危険があることを知っているからです。一時にやってのけるのです。今、一〇日で大統領がサインをしなくても、このことは通過した結果として国民の祝日になることを知るべきです。そして、アメリカ大使館を通して世界的にこの日を国民の祝日とするのです。今、世界的に父母が亡国の種となっており、また、退廃思想の根拠を父母たちがつくったので、これを世界的に国民の祝日として定め、旗を国連に持っていって差し込むのです。 今後、アメリカですべきことは、全国家的に母として立派な人を表彰することです。分かりますか? 国会議員を立てて訪問し、彼ら自身の基盤を通して宣伝し、結集させるべき運動を起こそうと準備しています。それはアメリカだけではありません。アメリカがなれば、国連もそうなるのです。全世界的にその日を慶祝日として、世界各国の代表がお母様を表彰し、数週間ずつ讃揚しながら放送する時代が、私たちの目の前に訪れてきているということを知らなければなりません。(アーメン)。先生はこのようなことをしているのです。 日本では、昨年の八月までに統一教会は滅亡するといったのです。滅亡とは何ですか? レバレンド・ムーンの夫人が全国で講演会をしたのです。金城鉄壁のように反対しましたが、日本のすべての重要都市にお母様が行って、太平盛大に万歳を叫ぶ勝利の覇権をつかんだという事実は、驚くべきことです。そのようにまで反対し、八月に滅びるといったその国で、一言もお母様の講演の席上で反対した者がいません。それだけではありません。一六万名の女性たちを水澤里と済州島に連れてきて、教育するというのは何という話ですか? それで滅びましたか、栄えましたか? (栄えました)。 韓国の国会でもそうです。「ほかの国ではそうかもしれないが、私たちの国ではだめだ!」といいましたが、やりましたか、できませんでしたか? (やりました)。やりました。大学街を復活させるといったとき、安企部も「滅びる兆しになって、不可能なことをしようとしている」といいましたが、やりましたか、できませんでしたか? 今、運動圏の子供たちがCARP(原理研究会)を自分たちの戦場の先頭者として闘うために協力しているのです。そうして、北韓の青年と南の青年がお母様を中心として、一つにならなければなりません。 アメリカ国会は、アメリカの五〇の州を中心とする場所です。国連は自由世界の国会と同様です。それをお母様が母の立場でカイン(国連)・アベル(アメリカ国会)を抱いた立場に立っています。家庭でエバがカイン・アベルを抱き、地獄に向かったのですが、世界的な立場でカイン・アベルを抱きました。そのようになったので、お母様の懐にはカイン世界的国家、アベル世界的、勝利的国家が連結されたのです。しかし、日本では国家基盤ができていません。失った英国、アメリカ、フランスを取り戻せなかったというのです。カイン国家とアベル国家を取り戻したので、今、エバ国家である英国と同じ国を探してこなければならないというのです。 サタンはそれを知っているので、総攻撃の態勢です。サタンが讒訴するというのです。レバレンド・ムーンがアメリカをサタンの懐から抜き取り、勝利の覇権を握ったのですが、日本には国家的覇権がないというのです。この国家的覇権を与えれば、おしまいになることを知っているので、総攻撃をするのです。ドイツと日本がその代表国です。サタンは、レバレンド・ムーンが、自分(サタン)の足先にあるその国を中心として摂理してくるのを知っているので、それらの国を立てて攻撃し、勝たなければならないといって、ドイツと日本が総攻撃して立つのです。私は、四〇年前からそのことを知っていて、準備してきた男です。準備できなければ、滅びるのです。 ですから、エバ国家の精粋舞台を再教育するのです。男性たちは全部天使長なので、自分の実利を追求するから後退せよというのです。全部取り上げて女性に与えるのです。そして、女性も韓国男性と結婚するのです。私以上に活動することのできる男がおり、これ以上に活動することのできる女性がいるなら、反対してみなさいというのです。男性たちが反対すれば、全部地獄に行き得る天使長になってしまうのです。そうなってはならないので、再び生かす収拾をして、女性たちが宣布式を通して、男性を生かしてあげるために、橋をかけてあげ、男性・女性を共同的に編んで越えてきているのです。 再創造の公式的内容とは ところで、全世界の祝福家庭は、どの立場にいるのでしょうか? 二つの家庭があります。一つはサタン側の家庭であり、もう一つは天の側に立って神様の希望の完成級を越え、世界を越えるべき家庭です。 ご父母様がこの峠を越え、安着の時を迎え、世界的な「真の父母と成約時代安着日」を宣言できないことによって…。安着は、世の中のすべての反対の環境を全部掃き捨て、独自的な立場で天を代表して行事をしなければなりません。そうしてこそ、安着するのです。それによってはじめて、天と地を代表した一つの中心家庭が立てられるのです。分かりますか? 皆さん、再創造の路程を通して、復帰の路程が成されるといいました。再創造の公式的内容とは何でしょうか? 神様によって創造されたすべてのものは、必ず主体と対象があるのです。これが公式ですが、それを摂理史に適用したのが、カイン・アベルです。アベルが主体なら、カインを再創造しなければなりません。怨讐です。高い怨讐の塀を崩して、(カインが)自分の観念がなく、習慣的意識がない、土と水と空気のような原料と資材の立場に帰って、アベルが再び自分の相対的弟をつくらなければならないのです。兄さんが死んで、弟にならなければならないというのです。 復帰歴史はどれほど難しいことでしょうか? それゆえ、カインとアベルに分立する歴史が堕落以後、今日まで続けられているのです。民主世界はアベルであり、共産世界はカインですが、サタンは兄の立場で覇権をつくってくるのです。すべてがそうです。第一次大戦も主導した兄の立場がカインであり、第二次大戦もカインであり、第三次大戦もカインです。カインが先に打ってくるのです。 しかし、第一次大戦は先に打ったほうが負け、第二次大戦も先に打ったほうが負けました。さらに、第三次大戦も先に思想的に打った共産党が負けるのです。なぜでしょうか。カインである兄は、弟を打って殺そうとしたのです。七五パーセントまでは勝つことができます。長成期までは勝ちますが、残りの完成期はサタンも超えられないのです。このような闘いを歴史を通して個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様にまで八段階歴史を連ねてきましたが、この公式的戦略戦術は変わりありません。 偉大な家庭に兄弟がいるというとき、兄はその国のどこに行っても誇ることのできる立場であり、学力やあらゆる面ですべて備えた立場であり、弟はそうではないとしましょう。その兄は、弟が父母に孝行し、一〇〇〇年史の恨みを解く生活をするのを見たとき、ささやき声で、「おいおい、おまえそうでなく、薬でも飲んで自殺しろ」と言ったときに、それを父母が聞いたなら、どうなるでしょうか? 父母の心の中から怒りが爆発するということを知っていますか? 「信じていたこいつめ! おまえは一家の代表者であり、万国の代表者の名を受けることを願ったにもかかわらず、こんなはずがあろうか!」と言って、兄のすべてのものを取り上げて、ばかでもいいと言って、弟に譲り渡すのが父母の心情であることを知らなければなりません。 悲惨な立場で孝行し、忠臣の道理、聖人の道理、聖子の道理を果たそうとする息子(弟)がいるのに、兄がいくら世界を支配することのできる力を持ったとしても、先に弟を打ったとき、それを納得することのできる父母はいないということです。 天上世界の王や后、王子・王女を入れる器たれ 悪魔は、世界を支配する王の中の王の立場にいます。ですから、天が、後世の天の国の全権を相続させてあげる者として立てた、小さなイエス様のような者は何でもありません。三〇代の青年で、客死した人はたくさんいます。ところで、どうしてイエス様の死が、天と地の恨みとなり、死亡の世界と生命の世界を分ける基準になったのでしょうか? それはイエス様が、メシヤとして策定されているからです。 メシヤとして策定された人は、メシヤとして成功しなければならないのです。しかし、イエス様はガリラヤの海辺で漁夫の友となり、売春婦たちの友となったのです。哀れに客死した彼の墓が連結され、今日、復活の世界の新しい再出発形態を備え、第二次大戦以降に、キリスト教文化圏が世界統一をもたらしたのです。 それは彼がメシヤであるために、可能だったという事実を知らなければなりません。世の中の人が知ろうと知るまいと、その目的の結実は地上に必ず成就されるので、世界統一圏が現れるのです。その統一圏を、来られる後継者の前に引き渡してあげ、平和の世界を創建するために約束の土台を許諾したのですが、キリスト教が歓迎しなかったことによって、それが全部崩れてしまったのです。 旧約時代にエリヤが雲に乗ってくると思って、待っていましたが、エリヤは雲に乗ってきたのではなく、洗礼ヨハネとして来たので、亡国の種になったのと同じです。イエス様は、今、洗礼ヨハネの立場に立っているのです。エリヤと同じ立場で雲に乗ってくるという預言を残したし、この地上で洗礼ヨハネの責任を果たし、来られる父母に侍らせる立場にあるのです。そのような洗礼ヨハネと同じ使命を持った人は、キリスト教世界にはたくさんいます。 彼らに全部証しましたが、証を受けても、「反対される文総裁がそうであるはずがない! 行かない!」といって、みな滅びてしまいました。朴長老もそうであり、羅雲夢もそうでした。その部下たちが統一教会だけが残ると、どれほど多くの啓示を受けたか知っていますか? 最近、純福音教会が大口をたたきますが、長くはありません。その部下たちは、統一教会に信徒たちを送らなければならないと啓示を受けましたが、「違う」といっているので、その純福音教会がどれくらい生き延びることができると思いますか? 統一教会はそのようなすべてのことを知りながらも、覇権主義者の心で「おまえは私の話を聞きなさい」という話もせず、じっとしています。国にも話さず、黙々と行くのです。神様は語らずに勝利の覇権を得て、世界が自然屈服することのできる立場まで来たのです。語って影響を与えれば、自然屈服はできないのです。 今日、皆さんにこのような話をするのは、屈服せよといって話すのではなく、覚醒せよといって話すのです。すでにみな屈服したのです。主人になり得る資格がないので、衝撃的な決意を誓えと、忠告するのです。 皆さん、蕩減復帰といえば何でしょうか? サタン世界がこのように行くとき、避けていくことのできる柱です。民族を復帰するための柱です。世界の終わりの日に、来られるメシヤは世界を復帰するための柱です。死亡と地獄に通じる道から、反対に帰らなければなりません。死亡の世界と反対の道に向かわなければ、天国を探し立てることができません。一八〇度、全く反対の道を探さなければなりません。 今日、フリーセックス、親不孝者、亡国の種として退廃思想に陥って、自己第一主義をもって個人主義の王になり、自殺の行路しかない道にみな入っているのです。自分が振り返れば、世界、国、社会、親戚、家庭、父母もないので、寂しい立場でどこか行く所があるでしょうか? 一人、お金持ちの家の軒下や柱にもたれて恨み嘆きながら、雨や雪の降る日、寒い夜や暗い夜にはどこも行く所がありません。このようなヒッピー、イッピーたちは自分たちが世界で最も優れているといって、威張っていた昔の自尊心を持ち続けながら、一年二年と過ぎるようになるとき、それを死んでも続けたいので、名もなく、どこかに行って死体も探しだすことができないように、自殺する人がたくさんいます。 蕩減の道はその反対なので、いくら困難で、死の道だといっても、希望を持って天国を統治することのできる王子の権威を持って、その反対の道を行くことのできる者たちが現れなければなりません。破綻主義的な荒漠たる砂漠世界のような家庭圏内に、希望に燃えるあすの日の光を迎えることのできる群れが、現れなければならないのです。 そのような個人が地上で、天地が尊敬し得る人格基準を完成し、家庭、氏族、民族、国家、世界的な価値を得れば、サタン世界とは正反対になるのです。そして、地獄でなく天国に行くようになるとき、サタンさえもうらやましく思う環境を備え、天国の主導的な責任を果たして、神様に侍り、神様の前に栄光を帰し奉らなければなりません。神様を解放してさしあげなければなりません。そうすることのできる者が現れるというのです。それが統一教会の人々なのです。 統一教会には、個人完成のための徹底的かつ理論的な思想基盤があります。家庭においても、父子関係においても、天理が願う孝行の道があります。国家はこうでなければならず、民族、世界、天と地はこうでなければならず、また、神様はこのような解放の基台を持たなければならないということをすべて知っているのです。 そのようなことを知っていても、背反者には許す道がありません。問題は、そのような天が願う形態をすべて備えて、天の栄光の実体を奉献することのできる内容を持つか、持てないかということなのです。いくら金・銀・宝石でつくった食器を持ったとしても、その中にかけらや砂が入っていたなら、価値がないのです。たとえ皆さんは無価値だとしても、天上世界の王や、后を入れることができ、王子・王女を入れることのできる食器になれば、その食器が一文にもならないものだとしても、その入れられたものの価値によって、天下が尊敬するので、屈服するのです。その国の王にさえも、同じ価値で敬礼を受けることのできる立場に至らなければならないということを知らなければなりません。 荒野で必要な二つの火の柱 復帰路程の歴史とは、人の歴史ではありません。皆さんの一生において越えなければならない峠です。イエス様の時代を考えてみてください。どれほど悲惨であり、どれほど恨み多く生まれたことでしょうか? 私生児です。真の父母として来られたかたが、そのような運命でした。そのような環境圏内に生まれたならば、曲折があるということを知らなければなりません。マリヤは、ヨセフと暮らしてはならなかったのです。このようなすべてのことをはっきりと知らなければなりません。教会の責任者なら、これらのことはみな知っていて、そのように講義するのではないですか? 勝利的実績基盤の上で、それ自体を証す言葉が原理のみ言です。「アダム家庭」といえば、統一教会の文先生の家庭を代表したものです。ノア家庭、アブラハム家庭もみな同じです。ヤコブの家庭は氏族的基準で家庭的出発基地定着であり、モーセは民族的出発基地定着、イエスは国家的家庭基準の定着、再臨主は世界的家庭基準の定着ではありませんか? そうなるためには、個人的な家庭から民族、国家、世界を代表することのできる家庭がなくては、そのような伝統的歴史を引き継ぐことのできる、天の国の勝利の後継者になることができないのです。勝利の相続権を受けることのできる家庭が出てこないということを知らなければなりません。歴史は生きているのです。サタンは失敗したすべてのものを皆さん個人の前に提示し、「どうだ、この者たち!」というのです。 この前、私はコディアクで少数の群れを中心として、人類を代表するすべてのことを解説してあげました。これを越えなければなりません。そのみ言は永遠に残ることでしょう。まず、自分の自覚です。価値もない零点の自分を発見しなければなりません。イエス様は死なんとする者は生きるといいました。それは自分の観念的意識、存在意識がない立場です。私は何々の学者だという愚かな考えはしてもいけません。原資材にならなければなりません。 再創造は新しい原資材の立場、完全に零の立場になって、やらなければなりません。自分の存在意識と概念があってはできないのです。零の立場で考えるべきことは、不信した私たちの先祖であるアダムとエバを記憶しなければなりません。 零の立場で、二つの火の柱が必要ですが、その火の柱とは何でしょうか? 「絶対信仰と神様を絶対的に愛する心は変わらない!」ということです。アダム家庭の不信仰によって、不倫の愛の種で天地を滅ぼしたので、私の一身でこの根を抜き取らなければなりません。 創世以後に、延長された千年・万年の恨み深い歴史以上に耐え、それ以上に困難があるとしても、克服しても余りある私を発見して、堂々と宇宙に宣布しながら「私を越える者は来い」と、大言壮語して、いで立って行くべき道なのです。出発とともに、その道が下がっていってはなりません。 個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰に上がらなければなりません。ヒマラヤ山脈の一番頂上である、エベレスト山頂のようなものを越えなければなりません。それを越えれば、相対的に下り道ではなく、無限な平地が展開されるというのです。その平地に天国建設が始まるのです。斜面ではいくらよい家を建てても地が崩れ、台風が来れば壊れるのです。ですから平地でなければなりません。 自由に「おまえ、どこで住みたいか?」と聞けば、「四方が平地であるその中央で住みたい」というのです。平和や幸福に聞いても、同じ答えを出すというのです。天国はどこから出発したいでしょうか? 坂道ではありません。無限な広野の平地の中で、垂直の立場で出発したいと答えるというのです。 皆さんの心が神様を中心として、この生活舞台が九〇度を備えることのできる平衡舞台に、垂直的関係の中心の位置に立ったかという問いには、非常に答えるのは難しいことです。死んでも、それを備えずには、天国に入ることができません。 自分を知らなければなりません。アダムとエバは自分を知らなかったので堕落しました。ですから、自分を知って、その後には神様の息子・娘として生まれた自覚、神様の愛と一致し得る自覚を持たなければなりません。そのためには、絶対信仰と絶対愛の心を持たなければなりません。堕落した世界で妻、子供、父母、国王を愛する以上の立場に立ってこそ、堕落圏を超える愛の基準が出発するということを知らなければなりません。死を超えてでも、その愛の心を、一秒も変更することのできない心情を持ってこそ、天の国に残され得る出発がなされるということを知らなければなりません。これが二つの火の柱なのです。 砂漠からカナンの地に行くに際して、何を持っていったでしょうか? 不信したことを嘆き、真の愛で愛せなかったことを嘆きながら、毎日それを取り直し、高く育てていくのが信仰生活です。それが大きくなるに比例して、世の中のすべてのものが自分の発展の相続的土台となって、永遠に、永遠に勝利の天国に向かって前進することができるということを、はっきり知らなければなりません。それが荒野で必要な二つの火の柱だというのです。 カナン七族がいるところに上陸した二世たちは、激しい風霜を越えて、神様を信じることにおいて絶対的だという信念と、二つの火の柱が案内する道を行くところには、敗者がいないということを知り、勝利者として相続圏を受け継いだと誇ることのできる、堂々たる精兵、勇士たちとならなければならないというのです。そのような事実を忘れては、その国、その目的地に到達できません。先生が今日まで来ることができたのも、そのような心情以外には何もありません。 火の柱の実体になろう いくら恐ろしい世界舞台に立ったとしても、私が行く道は、はっきりしているのです。遺言することのできる標準は、はっきりしているのです。子女に相続してあげる標準は、はっきりしているのです。神様の前に誇ることは、はっきりしているのです。「あなたの恨みがこもったすべてのものを、世界舞台で蕩減するために、永遠不変の絶対的な信仰の高貴さをお返しします。それ自体が私です」といわなければなりません。「あなたが成そうとされた高貴な愛自体、歴史を経て恨みをかけて思慕して越えたその曲折の坂道、恨みの道を通し、あなたが探してこられた、愛の実体として願ってこられたそれ自体がここに来ました」といってから死んでもいいし、地獄に行ってもいいと、いうことのできる心を持たなければなりません。何の栄光も願わない心を持たなければなりません。それでこそ、神様が私を踏んで、踊りを踊ることのできる舞台になり、私たちを引っ張っていき、死亡の谷を埋めることのできる土と岩になると考えなければなりません。 栄光、自由、幸福は神様だけが持たなければなりません。その次に息子・娘が持つことができるのではないかというのです。これは理論的なことです。そうすることのできる標題の私を失ってしまいました。どんなことがあっても、これを探さなければなりません。息子、妻、お父さんが問題ではありません。また、国が問題ではありません。問題は私なのです。 結論は何ですか? ヨシュアとカレブが持っていたような二つの火の柱です。絶対的な信仰と、第二創建国家を絶対的に愛する人です。それ自体はある意味では絶対的な信仰と、サタン世界を凌駕する為に死に、死んでも行こうという絶対的な愛の心情以外にはないのです。 今日、私たちがそのような決意をし、暗くなっていく夕焼けを見詰めながら、恨み嘆いてはなりません。あすの朝のために黎明を越えることのできる勇士の姿を備えるための決意をし、総攻撃命令を待つ皆さんにならなくては、南北統一はできません。先生が願ったその日を成すことができません。 先生の故郷が侵略を受け、なくなり得る環境にあったことを私はみな知っています。父母の怨讐であることを知っていながらも、愛の心で抱いてあげたことを、金日成は忘れることができないでしょう。神様には怨讐がありません。怨讐を怨讐視すれば、二元論になってしまいます。そうなれば、神様がどれほどあきれかえるでしょうか。 口を持っていても語ることができず、目を持っていても見ることができません。五官を持っていても、表示もすることのできない復帰生涯路程であり、永遠なる生の路程であったというのです。誰ゆえに? 自分ゆえです。男性ゆえであり、女性ゆえです。世界を見れば、男性・女性しかいません。この二人の問題が解決すれば、世界平和の門は広く開けられるのです。 平和の動機がそれです。各自が火の柱にならなければなりません。夫婦が火の柱です。おじいさん、おばあさんが火の柱であり、父母が火の柱です。子供の父母が火の柱になるのです。相対的です。創造圏内では主体・対象圏を備えなければ、前進できないのであり、環境を導き、行くことができないのが法度です。 この法度を摂理史に適用したのがカイン・アベル歴史です。アベルがカインを再創造しなくては、その上にあるもっと大きな所に行くことができないのです。それは公式になっています。分かりますか? (はい)。 一〇月九日。一〇月はいつも、私たち統一教会にとっては解放の月であり、喜びの月でした。恨み深い九数を踏み越えて、解放の一〇数を持ち、天の解放のために、地上天国解放のために飛躍をしなければなりません。神様の懇切な要求は、この地上に飛躍することのできる勇士たちが存在することです。それゆえ、このような決意の前に、このような対象的価値になることを決定する、この瞬間であることを知らなければなりません。 新しい、永遠なる平和の広野時代を建設することのできるその火の柱になり、勝利的覇権者になることを決意する人は両手を挙げ、神様の前に立って誓いましょう。 神様と真の父母と人類の前に、今日の二つの火の柱になり、敗北的な歴史的環境である韓半島で、新しい闘いをしに行く火の柱の実体になり、勝利の王になって、天の栄光を代身して進む精兵になろうと決心しますか! (はい!)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.19
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「完全な家庭理想」1994年10月4日漢南洞公館 一九九四年十月四日、アメリカから帰国され、帰国歓迎会で韓国の幹部に韓国語で語られた内容を翻訳したもの。 真の愛が「家庭盟誓」の前提条件 摂理的な観点から見るとき、復帰摂理の時代は終わったと見ます。復帰摂理時代が終われば、本然の創造理想の世界に入っていくようになるというのです。復帰摂理時代が終わるという話は、堕落した世界のサタン権限世界が終わり、神様が地上と天上世界を直接管理する時代に入るということです。このような時が来るので、統一教会では「家庭盟誓」というものを宣布しました。 「家庭盟誓」は一般の人がするものではありません。「家庭盟誓」というものは、どんな人でもできるようにはなっていません。「家庭盟誓」の七大条件の先頭には、「私たちの家庭は真の愛を中心として」ということが前提となっています。それはどういうことでしょうか。サタン世界と関係のない基盤だということです。 堕落することによって、偽りの愛を中心として、偽りの生命、偽りの血統が連結された世の中となりました。これを克服し越えていくために、何を持たなければならないかといえば、真の愛と真の生命と真の血統の場を占めなければなりません。そうでなければ、これを克服することができないのです。皆さん、これをはっきり知らなければなりません。 なぜ、「家庭盟誓」に真の愛を前提条件としたのかといえば、エデンの園で堕落がなかった、本然の世界に入っていることをいうためなのです。分かりますか。真の愛と真の生命と真の血統が、神様と共に一体的理想をなしたならば、そこには偽りの愛と偽りの生命と偽りの血統がないのです。そのような人が地上で暮らすことによって、地上天国と天上天国がなされるのであり、永遠なる世界の出発が形成されるはずだったのですが、これを堕落によって全部失ってしまったというのです。 それゆえ、歴史を通して、今まで数多くの宗教家や数多くの聖賢、賢哲たちが現れましたが、そのすべてが真の愛とは何の縁もありません。このようなすべてのものを解決するために、イエス様がこの地に来て、新郎新婦の基盤を築いたのです。メシヤが来てすべきことは、新しい家庭と新しい氏族と新しい国家と新しい世界をつくり、新しい皇族圏を設定することです。 皇族圏の直系の先祖は誰でしょうか。堕落しない、神様の直系の子女として、真の愛を中心として、真の生命と真の血統の基盤を中心とした人です。そのお方が種です。その種から根が出てくれば、中心の根になるだろうし、そこから中心の幹、中心の芽として大きくなっていくのです。これが縦的に大きくなるにつれ、それに対応して横的に世界に拡大していく立場として、家庭と氏族が連結され、民族、国家、世界が連結されるのです。 ですから、真なる根、真なる幹、真なる芽を中心として連結された枝も、真の愛の枝であるからには、そこで結ばれた実は本然的アダム家庭になるのです。中心の根になることができ、中心の幹になることができ、中心の芽になることのできる起源の種が実として現れるとき、その実を、家庭における夫婦を中心として植えておけば、一族の新しい中心の根になり、中心の幹になり、中心の芽になるようになっています。それゆえ、実は同じ価値があるのです。 このような観点から見るとき、今日、統一教会は「家庭盟誓」の二番目に出てくるように、神様と真の父母様を中心とした代表的家庭となり、中心的家庭になるのです。自分の家庭は、ただ懸け離れた、金氏なら金氏の家庭ではありません。祝福を受けた家庭が大韓民国の島の端で暮らすとしても、島の端で暮らす家庭ではありません。 アダム家庭と同一の価値を備えるべき祝福家庭 祝福というものは、堕落しなかった本然的基準の神様の愛と連結され得る基準なので、堕落しなかったアダムとエバの家庭と同じ価値を持たなければならないのです。分かりますか。そうしてこそ、同じ種になるのです。個々の家庭は、アダム家庭の価値を持つようになるのです。同じ種の価値を持たなければなりません。 それゆえ、真の愛を中心として本然の種となるべきアダム家庭で、不孝だったすべての内容がいくら拡大するとしても、祝福を受けた家庭は、本然の家庭と同じ価値を備えなければならないというのです。分かりますか。そうでなければ天国に入れないのです。例えば、アダム家庭で完成した先祖が霊界にいるなら、それは、後孫として皆さんが祝福を受けて復帰された価値と同じなのです。平面上で同じ位置に立つことができるのです。そうではないですか。 このように考えるとき、私たち祝福家庭は、それと同一な価値を備えなければなりません。同一な価値を備えるようになるということは、自分が現在立っているある氏族を通して、ある人の息子として生まれたということではないということです。 祝福を受ける立場は、大韓民国の金氏なら金氏の息子として祝福を受けるのではありません。神様の直系の堕落する前のアダム・エバと同じ立場で祝福を受けなければなりません。それはどういうことでしょうか。その家庭を中心として、全体を代表しているということです。アダム家庭が全体の代表になり、アダム家庭の一点を中心として宗族が連結され、氏族が連結され、世界まで発展するのです。一点を中心として球形と円形で発展するのと同じです。 これと同じように、中心の位置は、アダムと同じ本然の種の位置を自分が相続し受けたので、アダムがなそうとした氏族、民族、国家、世界型を、級は異なりますが、同じ内容の価値を備えなければならないというのです。 このように見るとき、真のご父母様が真の父母と成約時代を発表し、安着したという事実はどういうことでしょうか。それは、天宙史的な代表的家庭であり、中心的家庭として、今まで世界に拡大されたサタン世界の舞台を完全に整理し、平行圏内で世界大家族を中心とした中心の位置に定着することと同じです。分かりますか。(「はい。」) 歴史的に見るとき、真の父母と共に同参して暮らした家庭がないのです。私たちの先祖で、真の父母の歴史を受け継ぎ、価値的に同一的内容を備え、この地上に生きて逝った人がいないというのです。分かりますか。これを蕩減しなければなりません。 今まで歴史的に数多くの人類が、真の父母を中心として生きることができなかったことを、真の父母を中心として祝福を受けた人々は、氏族を中心として全世界版図に平行基準で連結させなければなりません。それができるというのです。問題は家庭です。氏族も家庭から編成されるのです。十二氏族を束ねれば民族になります。民族から国家が形成されるのです。すべての根本の理想的単位、世界形成の単位、国家形成の単位、民族形成の単位、氏族形成の単位は何でしょうか。家庭です。その単位が完全になるときは、すべての氏族も完全な編成がなされるのであり、民族、国家も完全な編成がなされるのです。分かりますか。(「はい。」) 天国と地獄の根は心と体 それゆえ、皆さんの家庭はどのような家庭でしょうか。真の父母を代身した家庭です。真の父母は、世界的なすべての家庭とぶつかったというのです。サタンは真の父母の家庭をなくそうとし、真の父母の家庭が定着できないように、ありったけの力を振り絞ったのです。それで、個人的な迫害時代、家庭的な迫害時代、世界的な迫害時代まで経ました。このすべてにおいて、霊界全体とサタンが総動員して妨害したのです。天は守護してくれます。そうかといって、天が直接、先頭に立って開拓をしてくれるのではありません。 アダムとエバが失敗したため、アダムとエバが完成しなければならないのです。神様が天国をつくってあげることはできません。神様が天国をつくってあげるとすれば、歴史時代の長い期間は必要ないのです。一瞬のうちにつくることができます。自分たちが過ったため、復帰するためには必ず蕩減路程を経なければならないのです。 そのため、すべての歴史は、今まで祭壇という過程を経て分別してきたのです。ただ分別するのではありません。必ず祭物という過程を経なければならないのです。その祭物的祭壇が宗教です。どのような宗教でも、宗教を中心として文化を分立する役事をしたのです。 このような全体の文化圏を総合した、主流的宗教圏を立てなければならないのでつくったのが、イスラエル民族を中心としたユダヤ教であり、自由世界を中心としたキリスト教だというのです。それで、この宗教版図を中心として分立してきたのです。 それゆえ、最後になって、天とサタンが、全世界万民を中心として総清算すべきことが、アダム家庭から始まるのです。アダム家庭においてカインは何でしょうか。左翼です。左側の強盗と同じです。アベルは右翼と同じであり、右側の強盗と同じです。アダム家庭で分立されたのをイエス時代に統合しようとしたのですが、国家的基準で失敗したのです。ですから、サタンを中心としてアベルを再び打つことができたのです。なぜでしょうか。父母がいないからです。中心がいないというのです。それで、再臨の時まで連結してきたのです。 アダム家庭で失ってしまったものを国家で失ってしまったため、世界的途上で、キリスト教文化圏を中心として裂いておき、清算しようとしたのが第二次大戦です。聖書でいうハルマゲドンの戦争は、ほかでもなくこの戦争をいうのです。 イエスが十字架で逝ったので、来られる主に侍ることができなければ、十字架の道を行かなければなりません。十字架から下りてきて右翼を清算せずには、再臨理想、真のご父母様の理想、創造理想が実現されないのです。このように祭壇を中心として闘ってきたすべてのものが、キリスト教文化圏を中心として清算されなかったため、統一教会を中心としてこの仕事を代身しなければならないのです。 ですから、統一教会は自分の家庭を中心として生きるようにはなっていないのです。自分の国を中心として生きるようにはなっていないのです。摂理史において、このような最後の判決を下すべき宗教圏全体を総合し、宗教圏と反対である政治圏を操縦すべき責任があるというのです。 私たちを見れば、私たちの体と心が分かれているのです。心の世界を糾合するために宗教圏として発展し、体の世界は政治圏を中心として発展しました。体はサタン圏です。いつもカインがアベルを打ってきたのです。そのことが家庭や国家や世界から始まるのではなく、個人から始まっているというのです。皆さん自身の体を中心として根を張っています。地獄の根、天国の根が生じた所は世界ではありません。終わりの日の世界が地獄と天国ではありません。地獄と天国の根はどこにあるのでしょうか。どこまでも、皆さんの体と心にあるということを知らなければなりません。今までそれが分かりませんでした。 数多くの聖人たちが教えてくれましたが、相対的世界に適用しようとしたのであって、自体で闘う、この根拠地を爆破させることができませんでした。統一はここからです。ここから始めなくてはいけません。分裂した本然の所はどこでしょうか。国家ではありません。そこがアダム家庭です。アダム家庭の夫婦ではありません。夫婦になる前に、エバからアダムからその闘いが始まったのです。体と心がそこで分かれたので、統一的に一つに収拾するために、迫害する反対の世界を全部清算して、本然の世界の根を求め、その根を是正しなくては完全な木になれないのです。 アダム家庭の失敗を世界的に蕩減 アダム家庭においてエバが過ったのです。エバが過ったものを蕩減復帰しなければなりません。蕩減復帰するには、天の側も必要ですが、サタンも必要とする立場に立って、対峙してこれを連合させなければなりません。 私たちの体と心を中心として良心と体が闘う、そのすべてのものは、アダム家庭で失敗した因縁を連結させ、世界版図に引っ張っていくのです。そのようにして最終終着点をなし、清算すべきなのがイギリス、アメリカ、フランスです。イギリスは島国なので、女性を代表します。アメリカはアベルを象徴し、フランスはカインを象徴します。歴史的に見れば、イギリスとアメリカが争いました。それらが世界的国家として連合したという事実はどういうことでしょうか。心の世界、天の側のエバとカインとアベルが、世界的に実を結んだものを天が取るのです。 出発は体を中心としてなされました。サタンが体を中心として二つに裂いたので、それと対峙し得る個人、家庭、氏族、民族、国家を越えて世界的版図でも、それとまったく同じ立場で、日本、ドイツ、イタリアがあります。日本は島国です。ドイツはサタン的アベルです。それゆえ、キリスト教抹殺主義を唱えたのです。それは神様抹殺主義です。イタリアと一つになりました。イタリアは天使長のように行ったり来たりするのです。変わりやすい民族です。 このように見ると、内的事情がまったく同じなのです。しかし、方向が異なります。一つは天の国に向かおうとし、一つは天がないという無神論的基準、人間的基準で決着をつけて、人間が構想し、悪魔が構想する理想世界をつくろうとするのですから、争いをせざるを得ないというのです。 そのとき、連合軍が勝つことによって、日本、ドイツ、イタリアはなくなるのです。元来は、侵略を受けた国が戦争の損害賠償を請求すれば全部なくなるはずですが、時がそれではいけないので、天が保護してあげたのです。兄弟の時代を経て、父母が来る時代なので、それではだめなのです。これを防御した人が蒋介石です。日本を防御してあげたのです。 このような摂理史の歴史的内容を、今日実際の歴史に符合させられずにいます。先生が現れることによって、この内容をこのように確定し、結末をつけるということを知っているので、この歴史時代は新しい時代に転換できる道を探し得るのです。それがどこに起こるのでしょうか。 世界途上で勝利したイギリス、アメリカ、フランスを基準として覆されるのではありません。英・米・仏が枢軸国を統一したなら、統一した家庭基盤がどこで設定されるでしょうか。英・米・仏の主権者たちの家庭ではありません。新婦であるエバを中心としたカイン・アベル基準だったので、来られる再臨主を中心として家庭が定着しなければならないのです。初めて家庭が定着するのです。神様を中心として創造理想の完成基準を家庭でなそうとしたことを、世界的勝利基盤の上でなすのです。すべての家庭は兄弟の家庭になるのです。カイン・アベルがなくなるのです。 カイン・アベルがなくなるということは、父母が自由に四方に巡り歩いても侵害するものがなくなるということです。個人的境地はもちろん、家庭、氏族、民族、国家、世界的基準で思ったとおり巡っても、反対がないというのです。そのようにならなければなりません。そうするための中心的存在が、新郎として来られるメシヤだというのです。 皆さんは新婦を中心とした家庭だというのです。失ってしまったカイン・アベルを一つにして、その基盤の上にキリスト教文化圏が立って、来られる主に出会うのです。このようになれば、家庭的メシヤを通過するのです。分かりますか。それを知らなければなりません。家庭的本然のメシヤ、夫を迎えた家庭が出発できるのです。これをはっきり知らなければなりません。 主に侍ることによって、アダム家庭で失ってしまったものを取り戻すのです。その次には、アダム一族が失ってしまったすべてのものを取り戻すのです。その次には、イエス様が失ってしまった国家基準を取り戻すのです。初めてイエス様の版図を中心とした世界的基準で世界国家基準を連結させ、霊界と肉界が分かれたことまで連結させるのです。これを分立させたのは誰でしょうか。アダム家庭です。アダム家庭が繁殖して悪なる家庭をつくったことを、反対に蕩減して、真の父母の因縁を結ぶことができなかったことを持っていって再度くっつけなければならないのです。 それをくっつける真の父母は複数ではありません。複数ではないので、長い歴史を中心として新郎となられる主が来られれば、新婦となるお母様を中心として息子・娘が一つとなるのです。一つとなったという事実は世界史的です。ですから、その父母と完全に一つになるすべての家庭は、父母が定着すれば、周辺で同じ平行線上で世界史的な家庭を越え、氏族、民族、国家、どこを経たとしても塀がなく、動くことができる時になったということを知らなければなりません。皆さん、それを知らなければなりません。 祝福を受けた家庭は世界を代表した家庭 では、再臨主をなぜ送らなければならないのでしょうか。真の父母を失ったためです。アダム・エバの家庭で真の父母と共に暮らした人はいません。真の父母と暮らさずに偽りの父母と暮らしたので、偽りの父母の統治を受けなければならないのが地獄です。これを分けておいて、真の父母に侍るために、独身生活を通してアダム創造時代を経るのです。それで、高次的な宗教は独身生活をしたということを知らなければなりません。 なぜでしょうか。真の父母が今まで結婚式をできなかったのに、地上で真の父母を探す者たちが結婚式をすることはできないからです。それで、独身生活を強調したのです。独身生活を経て、真の父母に出会って、真の父母に個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的基準で侍ったという因縁を取り戻さなくては、世界解放圏を迎えることはできないのです。原理講義をしようとすれば、これをはっきり知らなければなりません。 再臨主が必要であり、真の父母が必要なのは、歴史時代において個人、家庭、氏族、民族、国家、世界に発展してきたすべての家庭が、真の父母と共に暮らしたことがないからなのです。再臨主が来たとき、英・米・仏が統一されていたなら、真の父母を中心として家庭統一から始まるのです。真の父母を中心として家庭連合。家庭が一つになるなら、氏族は問題ではありません。民族が問題ではなく、国家が問題ではありません。なぜなら、真の父母は、世界的版図の上に来られるのです。世界的版図の勝利的基盤の上に来られる父母なのです。 このお方は、何をするために来られるのでしょうか。家庭時代の代表的な真の父母として来られるのです。氏族的な時代の真の父母として、民族的な時代の真の父母として、国家的時代の真の父母として来られるのです。 では、真の父母と一つとなって祝福を受けた家庭には、どんなことが起こるのでしょうか。真の父母と主体・対象として一体理想圏内に入れば、どんなことが起こるのでしょうか。相対となる祝福家庭も、真の父母に従って、真の父母の生活のすべてのものを受け継ぎ、蕩減もなく越えていくというのです。家庭的に真の父母の心情を受け継ぎ、氏族、民族、国家、世界的に受け継ぐ資格を備えるので、真の父母の対象圏に立つことができるのです。 そのようになれば、皆さんの家庭一つを持ち上げるなら、その家庭だけが持ち上げられるのではありません。そこには、真の父母はもちろん、世界、国家、民族、氏族など、すべてが連結されて持ち上げられるのです。 このように見るとき、祝福を受けた家庭は、名実共に世界を代表した家庭だというのです。分かりますか。(「はい。」)ですから、下を見下ろすとき、自分が世界を代表した家庭として、真の父母の血族の前に、氏族、民族、国家の数多くの血族の前に恥ずかしくない、神様を代身した家庭にならなければならないということは間違いのない事実です。 このような意味で代表的家庭であり、中心的家庭です。アダム・エバの家庭と自分の家庭は同じ価値だというのです。ですから、皆さんはここではこのように暮らし、あちらではあのように生活するということはできません。 アダム・エバの家庭という一つの起点を中心として、氏族はその周りになるのです。家庭は核心です。核なのです。核は移動できません。そのような自分の家庭を中心として、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様を解放することのできる立場を備えなければなりません。神様と同居できなければなりません。神様が家庭に同居でき、氏族、民族、国家、世界、天地が同居できる家庭的価値の内容を備えてこそ、堂々と天国に入ることができるのです。 アダム家庭は世界家庭の代表でしょう。時間的な未来を残していますが、その行くべき所は全世界家庭の代表の立場です。しかし、今日、蕩減復帰の原則によって、私たちが立った立場は世界的代表の立場です。逆さまです。そのような立場ですが、アダム家庭を代表した立場を訪ねていかなければなりません。 自分自身が、このすべての八段階の基準家庭を訪ねていくことにおいて、真の父母を中心として、神様と共に暮らした心情的基準は変わってはなりません。それでこそ、天国に入ることのできる私たちの家庭になるであろう。(「アーメン。」) 聖子の道理を果たすべき祝福家庭 それで、盟誓の第二番に出てくるのです。家庭では孝子、国家では愛国者になるのです。孝子というのは、地上におけるサタン世界の孝子ではありません。歴史にない、初めて現れる孝子です。神様は、アダム家庭を失ってしまった恨みを残したのです。それゆえ、真の父母を捜し出すためにさまよってきたというのです。ですから、真の父母自体が、どれほど貴いかということを知らなければなりません。 このような家庭であるので、死亡世界を越え、神様の愛を中心とした直系血統圏内に入るのです。このような真の父母の歴史性が、世の中に結実として現れたのが祝福家庭です。この祝福家庭は世界的です。世界平面図上で祝福を受けるのです。この下には数多くの国家があり、数多くの氏族があり、数多くの家庭があり、数多くの個人があるのです。反対になったのです。ですから、代表型です。ゆえに、アダム家庭が世界的家庭完成によって統一世界をなしたならば、その価値と私にもたらされた価値は同じなのです。種です。世界的な種だというのです。 それゆえ、孝子にならなければならず、忠臣にならなければならず、その次には何ですか。聖人にならなければなりません。聖人だけではいけません。聖子の道理を果たさなければなりません。 世界という舞台を中心として、神様がアダム・エバに相続させてあげたのです。分かりますか。天地を相続させてあげた価値の基準を中心として、この伝統的歴史にアダム・エバが種となって繁殖したすべての者が、同じ価値を持つのです。国なら国でも同じ価値を備えるのです。一つの王を中心として、兄弟と同じになるのです。息子・娘と同じだというのです。そのような社会、そのような国にならなかったのです。 ですから、地上で聖子の道理を立てなければならないのです。聖子とは何でしょうか。それを知らなければなりません。国というのは、すでに国民が守る法があり、王宮の皇族が守る法があるのです。王宮で守る法は、いつも垂直を中心として連結しなければなりません。それを知らなければなりません。王宮では垂直です。いつも垂直を中心として、伝統の法が生まれなければなりません。 その次に、国家はこの垂直に従い、横的に法がつくられなければなりません。それゆえ、国家には二つの法があるのです。同様に、地上天国時代にも二つの法があります。地上で実体として王に侍って暮らすべき国民だというのです。国民だとしても、自己の家庭において、家庭を中心としてだけ暮らすのではありません。そこでは縦的な王宮法を尊重視しながら、家庭で父母に縦的に侍って暮らすように、王に対して父母の代身として侍るのです。縦的基準を尊重視しながら、そこに水平的基準を築いていかなければなりません。これは万民が同じです。すべての国民の家庭が同じです。 代表家庭である王宮の法は、縦的な天の国の法と、過去、現在、未来においても変わることのない神様の創造理想的価値、真の愛を中心とした心情的価値の中心の根となり、中心の幹となり、中心の芽となり得るものを守っていかなければならないのです。 では、聖子になるためには、いくつの法を守らなければならないでしょうか。地上の国の法と地上の宮殿の法、天上の国の法と天上の宮殿の法をすべて守らなければならないというのです。そうなれば、横的世界に行っても東西南北で歓迎され、縦的世界に行っても東西南北で歓迎されるのです。前後、左右、上下で歓迎されるようになるとき、聖子の道理を果たすことができるのです。 これは祝福家庭が、絶対に成し遂げて逝かなければならないのです。これをなさずに逝けば、あの世でも合いません。合わないので、自然に合わない立場に落ちて、恨みの一族になってしまうのです。分かりますか。 これは話だけではありません。深刻です。このような観点から見るとき、サタン世界の孝子が問題ではなく、サタン世界の忠臣が問題ではありません。忠臣というのは、歴代王朝の王たちは死んでいると考えるのではなく、自分の前に生きて取り囲んでいると考えるのです。歴史を引き継ごうとすれば、それ以上でなければなりません。 このような観点から見るとき、真の父母という言葉がどれほど恐ろしい言葉でしょうか。先生が本当に真の父母ですか。本当に再臨主ですか。本当にメシヤですか。これに対する確信がなくてはだめなのです。事実ならすべて終わるのです。この世で恐ろしいのは、これしかありません。 神様の救援摂理の目的がそれではありませんか。アダム家庭を取り戻そうというのです。アダム家庭で真の父母を設定できなかった、そのことをなすために、引っ張って、引っ張って、引っ張ってきて、サタンの偽りの家庭でさまざまな冷遇を受けながら、血を流し、死地まで行ったのです。 長成期完成級までは、サタンがいつでも殺せるのです。先生の時代である再臨時代は、長成期完成級の時代を越えたので、サタンは殺すことができません。ありとあらゆる迫害をし尽くす中で、恨みを残し得るすべてのものを引っかけて、引っ張っていくことはできるかもしれませんが、殺すことはできないのです。なぜでしょうか。蘇生、長成圏はサタン圏内ですが、完成出発圏はサタンが主管するのではなく、神様が主管する立場なので、殺すことはできないのです。 ご父母様のご家庭において蕩減 ところで、なぜすそをまくり上げて働かなければならないのでしょうか。子女たちが越えていくべき道を築いてあげなければならないのです。分かりますか。アダムは直接主管圏内に進むことができませんでした。そこに進んで行くべきものが家庭でした。 先生が聖婚式をした一九六〇年は、アダム家庭が堕落した長成期完成級の位置です。その位置で、完成期を連結させる出発をするのです。その出発は、七年路程を中心として迫害を受けなければならないのです。そこで一つになれないときは、全部蕩減しなければなりません。興進君がそのとき逝ったのも、皆さんの家庭が先生の家庭と一つになれなかったからです。 ご父母様の家庭は、全体家庭を代表してこの道を行きますが、符合し一つになることができる相対がなくなるときは、相対の条件に該当する価値を、地を代身して蕩減しなくては進むことができないのです。そのようなことを先生が知ったので、一切ほかのことを考えません。食べて、寝て、遊ぶということを忘れて、行かなければならないのです。 一片丹心という言葉があるでしょう。どういうものが一片丹心ですか。目や耳や五官が、全部それぞれぶらぶらできないということです。いつでも一つです。一片です。一つの切れ端のようにならなければなりません。丹心。真心がこもっていなければなりません。ほかのことは考えないのです。二つの心はあり得ないというのです。仕事もし、遊びもし、御旨の道も行くというのではありません。仕事もその仕事であり、遊ぶのもその仕事です。御旨の仕事をすることを、遊ぶこと以上に有り難く思って行かなければなりません。 見なさい。真の父母を捜すために、天がどれほど苦労をしたかを考えてみなさい。先生が現れる前までは、アダムを捜す道だったのです。それを捜すために、数多くの宗団を中心として、再臨の預言をしてきたのです。ゆえに、世界的な宗団には再臨思想があるのです。その宗団の再臨主は数人ではなく、一人です。真なる男性を捜してきました。神様の心情と通じることのできる男性だというのです。アダム・エバは神様の心情と通じません。 神様の心情と通じようとして、先生は今までアダムが失敗した人間世界の未知の事実、霊界の未知の事実を全部掘り下げて暴きました。サタン世界がどうであり、天の世界がどうだということを知っています。それを知ったので、神様の事情が分かったのです。神様が復帰路程でアダムを探してくるために、アベルの役事をしながら血をどれほど流されたかを知っています。長成期完成級にいるときまでは、サタンが思うとおりに殺すのです。それは国家基準です。神様が国家を探し立てることができる、そのときまでは国家で殺すのです。 サタンは、一つの国家があって、その国家が天の国になるならば、自分の舞台が一気にすべて倒れてなくなってしまうので、数多くの国家をつくっておいたのです。この世界の数多くの国家は、神様がつくっておいたものではありません。サタンがつくっておいたのです。 今、百八十二の国家が国連に加入していますが、百八十二の国家だけではありません。数千の民族があります。こうして、言葉まで分けておきました。言葉が分かれたのは問題ではありません。サタンがこのようにしてしまいましたが、真の愛を中心として一つになるときは、すべてのものが収拾されるのです。 アダムとエバの結婚式は神様の結婚式 神様とはどのような方でしょうか。私たちの縦的なお父さんだというのです。それを知らなかったのです。神様が愛と人間の中で、どこに定着するかという問題、これは深刻なのです。出発基地が異なれば結果が異なるので、理想世界は現れることができないのです。アダムの愛の根が神様であり、アダムの生命の根が神様であり、アダムの血統の根が神様です。アダムは長子ですが、神様の体です。神様は見えない心を代表した縦的父母ですが、その心的な存在が自らを実体として横的に展開したのです。なぜ、展開したのでしょうか。横的基準でのみ繁殖することができるからです。縦的なものは一点しかありません。 なぜ人間を創造したのでしょうか。相対的人間を通して横的基盤を占めることによって、子女を繁殖することのできる道があるからです。では、それは誰の子女でしょうか。アダムの子女ですか、神様の子女ですか。神様が誰の子女であることを願って、つくったのかという話です。これが問題になるのです。神様の子女です。それゆえ、神様の子女であると同時にアダムの子女です。このようになるのです。 では、アダムの子女は何であり、神様の子女は何でしょうか。違うものでしょうか。違うとすれば、地上天国は天上天国に連結できません。分かりますか。理論的に問題になるのです。それゆえ、神様の息子・娘であり、アダムの息子・娘です。これはどこから決定されるでしょうか。 もし、異なるなら、結婚式を二度しなければならないという話です。最初は神様の結婚式、その次にはアダムの結婚式。しかし、そうではありません。一度に二人の息子が現れるのです。一度に二人の息子が現れますが、その二人の息子が二人になってはなりません。一人にならなければならないのです。 神様は創造の計画をどのように立てたでしょうか。縦的な神様の直系形が心です。垂直は永遠に必要なのです。皆さんの息子・娘が育つにしたがって、一族の垂直が大きくなるのです。横線と対置するような比例的な発展をするのです。 このように見るとき、神様が結婚式をしなければならないでしょうか。どちらですか。(「しなければなりません。」)なぜ、どうしてですか。(「アダムとエバの結婚は神様の結婚です。」)いや、結婚式をしなくては息子・娘を生むことができません。相対がいなければ息子・娘を生むことができないのです。ほかの理論は必要ありません。息子・娘を必要とすれば、相対が必要なので、神様も息子・娘が必要なら、結婚式をしなければならないのです。 その結婚の相対は誰でしょうか。アダムとエバです。アダムとエバが一つにならなければなりません。一つになってこそ、アダムとエバは神様の二性性相に似るのです。そうなれば、神様は、自分に似たので、これを串で刺さなければなりません。これを串で刺して、地に広げなければなりませんか、垂直に立てなければなりませんか。(「垂直に立てなければなりません。」)垂直に立てなければならないのです。そうするためには、串で刺さなければなりません。 ですから、アダムとエバの結婚式は息子の結婚式であると同時に、創造したお父さんの結婚式になるのです。そのお父さんと息子を結合させるのが生殖器です。ですから、夫婦は心が合わなければなりません。これは絶対的条件です。 心が合う夫と暮らしますか、合わない夫と暮らしますか。体が別、心が別を願いますか。絶対的に一つにならなければなりません。絶対的に一つになることができる公的基準が立たなければ、真の愛が内的な心の世界と外的な体の世界を刺し通すことのできる軸がなくなるのです。この軸は一つです。ですから、家庭の軸がぴたっと立つようになれば、その家庭が大きくなって世界に連結されるのです。そのようなものが一つの中心ですが、その球形体を中心として多くの垂直で連結されて神様と連結されるのです。分かりますか。 夫婦生活が幸不幸の根源 アダムとエバが結婚する初夜が、愛の根であり、生命の根であり、血統の根である神様が、アダムの心の中に入り、エバの心の中に入って、神様の結婚式になるのです。愛を誰が先に感じなければならないのでしょうか。根である神様が先に感じなければなりません。生命の刺激と衝撃も、神様が感じた後に相対的にアダムが感じるようになっているのです。なぜでしょうか。根が先に感じなければならないからです。主体が先に感じなければならないのです。 血統がどこで一つになるのでしょうか。愛する所で一つになるのです。凹凸(生殖器)をなぜつくったのでしょうか。そのためです。絶対的です。宇宙のすべての統一的起源は、相対的基準がなければならないのです。環境世界は必ず主体と対象の関係があります。動物世界でも人間世界でもみな同様です。 女性は凹であり、男性は何ですか。(「凸です。」)これは永遠に離れることができないのです。それを合わせて、回って暮らすのが夫婦生活です。今、私が何といいましたか。それを合わせて、回って暮らすのです。 だから、夫がどこかに行けば、妻も共に行き来しなければなりません。東西南北が分かれることはできません。東西南北は分かれることはできず、軸は分かれることができず、上下は分かれることはできません。それが一つになる所で父母の喜びがあり、子女の喜びがあり、夫婦の喜びがあり、兄弟の喜びがあるのです。 皆さん、夫婦生活がうまく合わなければ、兄弟たちが心配するでしょう。父母が心配するでしょう。妻がそうなら夫が心配し、息子・娘が心配するのです。これが百パーセント合い、永遠に回らない限り、その家庭に永遠なる幸福は定着しません。自由もここからなされるのです。これがすべての幸福と不幸の根源です。これが合わなければ不幸です。不幸なら地獄に行くのです。地獄になぜ行くのでしょうか。これが合わなければ行くのです。真の愛を中心として合うようになっていますが、合わなければそれに比例して蹴られるので、日陰の世界に行くのです。行ってみなさい、間違いないのです。 夫婦の生活がどれほど聖なるものですか。アダムとエバが成熟したならば、神様が天下全体の被造物を代表して訪ねていくのです。心情世界で描いていた理想と幸福のすべての与件が、花咲いた場で香りを放つために訪ね入るべき所が、アダムとエバの結婚式場だというのです。そうなれば、すべての鉱物世界の相対圏が万歳するのです。 そうではなく蘇生段階で一つになったとしても、長成段階に通じることができず、完成段階に通じることができないのです。中心がないので、通じることができません。違いますか。中心があってこそ東西南北、上下、前後にすべて通じるのです。そうでなければ通じることはできません。ふさがってしまうのです。だから、万物の嘆息が出るようになるのです。 神様と人間が完成して永遠に一つになり、真の愛に触れれば、私たちの細胞がすべて同じ喜びを感じるとともに、万物世界まで一つになって喜びを感じることができるのです。それゆえ、すべての被造世界は神様の産毛と同じです。神様の一身だというのです。髪の毛も自分でしょう。同じです。 そのような観点で、神様が喜ぶことによって初めて、愛の根と幹と芽を中心として大きくなっていくにつれて、自分も大きくなるようになっているのです。そのようになれば、病気になりません。 本当に、アダムとエバが完成すれば、神様が完成するのです。そうでしょう。神様が完成できなかったので、嘆息しているのです。なぜでしょうか。愛の定着地を探せなかったからです。その定着地が、アダムとエバの凹凸なのです。神様を中心として縦的に定着するのです。家庭完成です。堕落することによって、この縦的な基準の定着地を立てることができなかったので、全部転がり落ちて、栄えたり滅びたりしながら、今まで来たのです。 統一家は、真の父母が定着した基準を中心として、絶対的に相対的な価値、内外で同一的な価値を備えて暮らそうという夫婦になれば滅びることはありません。天国と神様を所有したその上で暮らすのです。サタンは干渉できないのです。そのような驚くべきことが地上で決定し、今から新しい歴史の出発をしているという事実を知らなければなりません。皆さんは分からないでしょう。 女性が母の立場で自分の夫を生む 先生は誰でしょうか。(「真のご父母様です。」)私は真の父母とは考えません。真の父母になるためには、復帰路程で真の僕にならなくてはならないのです。真の父母は僕であっても真の父母であり、乞食でも真の父母です。 そのような意味で、廃物のように扱われるアフリカの人々までも救わなければならないのです。その人々にも真の父母としての役割を果たさなければならないので、二十年の水産事業を終えて帰ってくるとき、日本人代表、韓国人代表、西洋人代表を選んで、「私がしていたすべての水産事業に、きみたちが責任を持て」と、祝福を譲り渡してきたところです。 今は海洋事業が終わったので、南北統一を指向して、その道を積極的に行かなければならないのです。私たち統一教会の教会員たちが南北統一しなければなりません。神様の真の愛と、神様の真の生命と、神様の真の血統を中心とした一族として、先生が呼吸するとき共に呼吸し、苦しいとき共に苦しみを感じ、先生が痛感するとき共に痛感する心になれば、この国を自分勝手に支配できる者は存在しません。反対するときは即刻処断を受けるのです。 キリスト教のローマ帝国四百年苦役時代を考えてみなさい。彼らは誰を迎えるためにそのようにしたのですか。メシヤを迎えるためなのです。二千年キリスト教歴史、四千年復帰摂理史、六千年歴史は、誰を迎えるためのものですか。メシヤを迎えるためなのです。メシヤとは誰ですか。真のお父さんなのです。真のお父さんを失ってしまいました。 ですから、女性が追い回され、捕らえられながら、今まで流浪の民になったのです。女性の生命が奪われたのです。女性が今まで、悲運の歴史、悲しみの歴史をつづってきたのは何ゆえでしょうか。愛というもののゆえです。「私の夫はどこにいるのだろうか」と、夫を探すのです。男性たちはすべて泥棒です。すべて浮気をするようになっています。二人の女性に対している天使長です。だから、男性が東西南北へ女性を踏みにじりまわるとしても、女性は控訴できません。女性は立場を定めることができませんでした。 しかし、お母様が現れ、女性解放をされたので、女性たちは、夫がどういうものかということが分かりました。お母様が、先生を中心として心情的な伝授をされたので、多くの女性たちは先生に属するようになったのです。男性は天使長です。エバが天使長を生んだように、女性が母の立場で自分の夫を生んであげなければなりません。 四十日の聖別期間とは何でしょうか。堕落した女性が、本然的、霊的に新郎と一つになる期間です。一つにならないで息子を生むことはできません。父と母が一つになる立場に立たない限り、天使長を息子として生むことはできないのです。聖別期間がどれほど厳粛な期間であるのかを皆さんは分かっていません。皆、分からないまま過ぎてきました。分からなかったので大丈夫ですが、分かっていたら皆引っかかります。この期間は真の父母の実体につながる期間です。天と地すべてを相続することのできるパイプが連結される、この驚くべき恵みの時間を誰が分かったでしょうか。これは遊びではありません。原理を再度鑑定して、蕩減復帰の路程で、反対の経路で回っていくということを考えると確かなことです。 千辛万苦しながら、行くべき道を行こうとしている先生です。このように先生は、一人で戦争の場に出ているのに、泥棒みたいなことをやっている統一教会の者たちは、骨も残さずきれいに清算するつもりです。先生はこれを正さないで進むことができません。 これから、韓国から手をつけ始めて、無慈悲なことが起こったらどうしますか。それで、六年間という期間があるのです。先生がやってきたのと同じく、皆さんも、そのような基準を中心として先生の代わりに六年間、今年を入れて一九九四年から二〇〇〇年までの七年間でやっていかなければなりません。先生が御旨のためにひたすら真心で歩んできたことを、皆さんが代わりに受け継いで、これを高く賛美し、伝授されるための行いをし、自分の子孫たちに伝えてあげるための公義の生活をしなければいけないというのです。 父母様のために苦労することに対して、感謝して歩まなければなりません。統一家の人は、口をもっていたとしても、五官をもっていたとしても、自分の思いで不平を言うことができないことを伝統として伝えるべきです。コソコソと話したりしてはいけません。 夫婦仲が悪くなるとすべてがふさがってしまう ご覧なさい。初めて歴史に真の父母の家庭が定着しました。では、真の父母の家庭とは何でしょうか。神様が創造される時、創造物自体には何の観念もありませんでした。そのようなものをもってアダムを造られました。だから、そのアダム・エバも、自己観念があってはいけないのです。一体一心、一心一体は神様のみです。父母様のみです。他の心を持たないで、ただ神様の愛を受けることのできるその日だけを願っているべきです。 お嫁に行けなかったオールドミスが、お嫁に行けるようになったら、お嫁に行く日が嬉しいでしょうか。新郎に会う日が嬉しいでしょうか。お嫁に行く日が嬉しいのではありません。新郎に会う日なので嬉しいのです。新郎に会うということは、女性がただ、ある男性に会うということでしょうか。何でしょうか。それは愛に会うということです。このようなことを思うと、調和というものが不思議でなりません。 歌を歌う男性や女性を見ると、みんな愛の歌を歌っています。一生、愛にすべてをかけて生きています。そうしながら、愛の問題で泣いたり、喚いたりしています。愛のために泣く人がどれほど多いでしょうか。泣いたり、喚いたり、騒いだりするその恨みのために、息子・娘や親戚の前で、どれほど多くの罪を犯しましたか。夫が過ちを犯すと、自分の子供たちであれ、何であれ、隣の犬、家の猫までも殺したくなるのが妻です。 このような複雑な事情により、周りにどれほど悪い水を流したか考えてみてください。悪い水を流しておいたままでは天国へは行けません。きれいな水を残して行かなければなりません。誰もが来て飲みたいと思い、体を洗いたいと思い、また再び訪ねてきたいと思う水を残して行かなければならないのです。 今まで愛の喧嘩のために、夫婦が一つになれなかった複雑な事情があり、環境にどれほど悪い影響を与えたか考えてみなさい。皆さんの中に、今もこのように生きている人がいるかもしれません。 女性の心には、ひたすら夫に尽くす心だけで、いっさい他のものがあってはいけません。家庭を一つにするのです。神様が訪ねて来られるようにしなければなりません。神様も人格の神、愛の神ですから、自分が望む理想の所に訪ねて行くのです。皆さんが夫婦生活をしている家に、神様が訪ねて来られたら、何日間泊まられると思いますか。 皆さんは、本当に愛する夫に対して、自分の接し方や振る舞いが自由にできますか、できませんか。夫の前で、着てる物をさっさと脱ぐのをためらいますか、どうですか。恥ずかしさがありません。これが自由です。男性の秘密の世界、女性の秘密の世界を目をつぶって越えて行くことができ、抱いて越えて行くことができ、好んで越えて行くことができる、峠の中の一番高い峠です。恥ずかしい峠の中の一番高い峠です。どれほど真面目に、どれほど真実に、越えて行かなければならないかが分かる自分であるかどうか、振り返ってみることができなければなりません。遊びの道ではありません。神様に仕える立場です。 統一教会の文先生がこのような話をするので、悪い教主だとうわさされるのですが、悪い教主ではありません。天理がそうなっているのです。これが狂ってしまう時は、天地がすべて崩れていくのです。 皆さんも、夫と仲が悪くなると、舅、姑、息子、娘、みんな嫌になるでしょう。愛の絆がすれ違い始めると、すべてのことが嫌になります。天下がふさがってしまいます。夫に対する道、子供に対する道、親に対する道、すべてふさがってしまいます。これを四方にふさがらないようにするためには、自分を祭物にしなければなりません。それ以外に道がありません。尽くしてあげる道しかありません。自分のために行うとふさがってしまいます。 自分の観念があってはならない 本当に先生は真の父母ですか。(「はい。」)何を見てそう思いますか。本当に、真の父母の価値がどのくらいか分かりますか。ローマに行けばカタコンベ(注・初期キリスト教徒の地下共同墓地)があります。二千年前のクリスチャンたちは、墓地の町で暮らしながらも、自分の先祖が腐っていく水を踏んで行き来しながらも、復活の一日を待ち望む希望を持って生きていました。腐ることなく復活するという言葉が、驚くべき役事を起こしたのです。墓の洞窟の棚で横になっている自分の母親が腐っていくのですが、再び復活して自分を歓迎し、勝利の覇権を携えて出て来る時には、何も欲しいものがなくなり、両親と共に神様の前で万歳できるという、その一日を待ち望んでいたのです。 このようなことを考える時、肉的復活をするということをよく教えてくれたと思います。とにかく、よい結果の所へと行ける足場になり、掛け橋になっていたのです。敵国を越えて還故郷できるようにしてもらうと、その敵国の橋が有り難く思われるのです。このように大勢の人が犠牲になったのです。 彼らはメシヤを迎えたでしょうか。メシヤを迎えるということは何のことでしょうか。新郎を迎えることではありませんか。また、キリスト教二千年の歴史を考えてみてください。「主よ! 来りませ。」と言いながら、どれだけ多くの血を流したことでしょうか。数千、数億の人が、その一つの基準を中心として家庭が破綻し、一族が滅び、国が滅び、あらゆる曲折を経てきたのです。この祭壇を、天が引っ張ってきたのです。 個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的な版図まで引っ張ってきました。このように引っ張ってきて、民主と共産世界に分立されたことを韓半島を中心として緩和し、世界解放圏を準備して、来られる主に再び版図をつくってあげようとしたのです。そのような戦いをこれまでしてきたという事実が、本当であるということを考える時、真の父母にどう対するべきでしょうか。 神様は、神様自体を解放することができないのです。なぜでしょうか。アダム・エバが堕落したからです。神様を解放するためには、アダム・エバが完成して、このすべてのことを明らかにして、サタンを取り除いてこそ、神様を解放することができるのです。神様自身が解放することのできない千秋の恨みの基盤を、真の父母によって解放してもらうことができたということが、どれほど驚くべきことであるかを知らなければなりません。 このような歴史的悲運の曲折があったということを考える時、皆さんの家庭の問題が問題ではなく、氏族、民族、国家の問題が、問題ではありません。先生には、そのようなことが問題になりません。 今日の日本の食口たちを見ると、そろえたい物をすべてそろえて、食べたいものを食べながら暮らしています。命が問題になりますか。このような問題は重要ではありません。完全な家庭の主体の前に、完全な家庭の対象は自己の観念を持つべきではありません。女性も男性も自己の観念があってはいけません。一途に真の父母から造られることのできる純粋な原料にならなければなりません。神様は自己の観念があるものを創造されたのでしょうか。そうではありません。すべてのものに、父母様以外あってはいけません。これが原理観です。 アダム家庭の原理や、ノア家庭の原理を学ぶのはなぜでしょうか。すべてが失敗の歴史です。その失敗した歴史を先生が収拾したのです。これを理解し、先生と内外に一つにならなければなりません。御旨の前における方向は、みんな同じであるべきです。先生が世界を越える時、皆さんの心も一緒に世界を越えて行かなければなりません。一緒に行けなかったことを悲しく思い、うつ伏せになって夜を明かし、涙を流しながら毎日を過ごすべき皆さんであることを知らなければなりません。 アブラハムの家庭はどうでしたか。献祭の失敗により四百年の苦役をさせられました。献祭の失敗で、百歳で生んだ実体のイサクをナイフで刺すようになったのです。これは誰のことでしょうか。先生はそれ以上の道を行かなければなりません。先生は祭物を捧げるように言われたら、おじいさんからお父さん、お兄さんの三代まで祭物にすると決心をしていました。そうしなければ越えていくことができません。このように戦ってきたのです。彼らは、先生がこの道へ来る時、協助してくれず、皆反対しましたが、それをすべて克服してきたのです。誰かに言われて行くのでもありません。これが先生が復活した場面です。歴史的に失敗したすべてのことを収拾して、天の側の橋につなげてきているのです。 先生の一番の悩み モーセが失敗しました。四百三十年間を失いました。三次の蕩減路程を経なければなりません。モーセが磐石を二度打ち、石板を壊したことによって、また荒野でヘビを上げたことによって、イエスは二次の蕩減をしなければならず、死ななければなりませんでした。 このような問題が歴史的な因縁となってきましたが、その因縁を誰が切るのでしょうか。このような蕩減路程が厳然と残っています。生きているのです。死んだのではなく生きているのです。失敗も生きています。皆さんも同じです。皆さんは、時が来たらどういうことをするという心でいますか。故郷を懐かしんだり、自分の一族を考えたりしてはいけません。先生は堂々としていました。磐石を二度打つことのできる悔しさがしみる立場、モーセのように血気にはやって踏んでしまうような立場に立っているということを先生は分かっています。 だから、皆さんを見ようとしないで、かえって北韓の人たち、共産党員を見ようとするのです。自由世界、民主世界を見ようとしません。見たら、モーセのように血気にはやり、何をするか分かりません。磐石を二打し、石板を壊し、ヘビを上げるようになるでしょう。きっとそのようになるのです。皆さんもはっきり分かってください。 それで先生は、アフリカの人たちが飢え死にするのを助けてあげようとしています。皆さんからかき集めて、彼らに基盤をつくってあげようとしています。先生がその基盤を準備していることを知らなければなりません。「歳月よ過ぎて行け、私は船に乗らなければならない。強風よ吹け! と思いつつ、朝五時から夜十二時が過ぎるまで船に乗りました。行く道を急ぐ男なので、休む暇がありませんでした。二十年を一日のようにして歩んできました。だから、天が祝福してくださり、驚くべきことが起こる時代に入ってきたのです。先生の言っていることが分かりますか。 真の父母であるメシヤを、この国はどのように待遇していますか。この国の待遇を考えると悔しいばかりです。使い捨てた杖のように考えて、利用しようとする統一教会の者たちが多いのです。どうなるか、霊界へ行ってみなさい。皆さんは、審判台の前で千年、万年の恨みを抱いて、慟哭の涙が止まらない悲運が待ち受けていることを知らないのです。レバレンド・ムーンはそれが分かるのでここまでやってきました。先生の話が分かりますか。(「はい。」) 父母様が定着する時代が来たので、世界平和家庭連合をつくりました。これは驚くべき事実です。今まで苦労した人たちは、自慢できるものが何もありません。これから入ってくる人たちに希望をかけて、先生が再度教育します。怨讐だったクリスチャンたちが入ってきたら、再度通告して、統一教会が父母様に侍ることができなかったので、六千年の神様の心情を通告します。彼らは皆さんを踏んで越えていくと思います。 先生が今度来るとき、なぜ飛行機が故障したのでしょうか。警告です。分かりますか。真の父母の価値がどんなに貴いですか。神様は今まで旧約時代、新約時代を経て、数多くの祭物の血を流してきました。今日の統一教会の祝福とは何でしょうか。イエス様より高い位置に立つのです。国家と世界を受け継ぐことのできる勝利の覇権的基盤が許されたのです。世の中の男女が生きるのと同じではだめです。今からでも気を引き締めなさい。分かりましたか。(「はい。」)統一教会の家庭なら、その家庭らしく生きなければなりません。 盟誓文に対する時は、体と心が一つにならなければなりません。体と心が一つにならずに盟誓文を唱えることはできません。真の愛が前提条件です。夫婦が一つにならずに唱えることができません。 アダム家庭の堕落とは何でしょうか。体と心が分かれ、夫婦が分かれ、息子・娘が分かれたということです。これを皆さんの家庭で収拾しなければなりません。皆さんの家庭で妻が堕落してはいけません。息子・娘が堕落してはいけません。サタン世界とは関係のない家庭にならなければなりません。そうなるためには、皆さんの家庭が、サタン世界で上ったり下がったりする分水嶺を越えなければなりません。それなのに、ここにぶら下がっていたらどうなりますか。そのような伝統は統一教会にはありません。国がまだ設定されていません。 先生が一番悩んでいるのは、祝福家庭が犯した過ちをどう処理するかということです。神様は憤慨しています。エデンの園からアダムを追い出した恨みの歴史、数千万年の歴史を通して神様としての扱いも受けずに、恨みの道を歩んでこられた創造主の立場というのはいかなるものでしょうか。どうしてそのようになったでしょうか。エバのせいです。女性のせいでそうなったのです。女性たちははっきりと理解しなさい。分かりましたか。(「はい。」) 南北統一、アジア統一、世界統一 一生復帰路程を行くのに、もらい食いしながら生きてもいいではありませんか。神様は乞食になって同情されながら、着るものも着れず、掛けるものも掛けられず野宿しているのに、皆さんは何が悲しいのですか。神様の愛で包まれるその場に立ったならば、それで幸せではありませんか。 ところで、神の国を裏切ったイスラエル民族が、渡り鳥のような身で、乞食の身で生きたことを知っていますか。彼らは、モーセがシナイ山で四十日断食をしているとき、金の子牛をつくり踊りを踊っていました。今の皆さんが、そのようなまねをしているのです。まったく同じです。私にはそれが分かります。しっかりしてください。 南北韓を収拾しなければならないのですが、これは韓国のためではありません。世界のためにやっていることです。金日成は死にました。金日成の時代は過ぎていきました。二世は先生の側です。本当に不思議です。二世は先生の側なのです。エジプトの地で、二世は殺さなかったのですが、長子は全部殺しました。二世、金日成の息子・娘は、先生が救ってあげなければなりません。 アフリカの人たちを救ってあげなければなりません。彼らを兄弟として見れば、貧しい兄弟たちなのです。それで、今まで船をつくり訓練してきたのです。水がある所には船はいつでも行けるからです。このようにして運輸事業を指令する時を迎えました。アフリカの木材やアラスカの木材などを輸送船で運ぶのです。アメリカには剰余物資がいくらでもあるので、これを積んでいって大きい港に降ろしておくのです。大体、大きい港は川に沿っています。数十万隻の船を中心として連合会を形成して、埠頭に物さえ降ろしておけば、一晩で船に積んで運ぶのです。 二つの川があると必ず山があります。この山が問題なのです。山があるので道が曲がっているのです。でも、これからはそれが問題になりません。ブルドーザーなどで新しい道路をつくります。先生が道をつくるように命令さえすれば、できるようになっています。これが世界高速道路の準備です。そして、韓国にいる女性も男性も、六か月の動員をしなさいと言えば従いますか。(「はい。」)六か月間動員しますか。六年間動員しますか。準備をしなさい。兄弟たちを助けなければなりません。父母様の御旨がそうなっています。 これから先生が、どのようにやっていくかは皆さんよく分かっていますね。あれをしなさい、これをしなさいと言われ続けてきて、もう終わったと思ったら、そうではないでしょう。「ああ、ああ」と言いながら、今は腹まで空いて、足首も折れてしまい、「どうせ死ぬなら、一度先生の話に従い、船押しでもして死のう」と、涙を流し慟哭して、「お父さん、お母さん」と泣きながら死んだら、地獄へは行かないでしょう。 南北統一すれば、それで終わると思いますか。どうですか。南北が統一されれば、アジアを統一しなければなりません。アジアが統一されれば、それで終わると思いますか。その次は世界を統一しなければなりません。世界を統一すれば、天と地を統一しなければなりません。このような道を行かなければならないのです。 先生の話を聞けば、当たり前のことではありませんか。これに対してはみんながよく分かっています。みんな分かりきっています。これを避けて行こうとしたら雷に打たれます。永遠の雷です。先祖の雷、親の雷だけではありません。子供の雷にまで打たれます。行くことができなかったので、祝福された親の墓を掘り起こしてしまう時が来るというのです。「先生はこのようなことは教えてくれなかったのに、私の親は何をしたんだろう」と言いながら…。 先生も同じです。私を本当に愛してくれた母親でした。その母に向かって怒鳴りつけました。その母の写真は探し出しましたが、父の写真がありません。兄の写真、祖父の写真は持ってきたのに、父の写真は探せなかったので、他の写真も掛けておくことができません。お母様は「なぜ掛けないのか」と思っています。これには順序があるのです。父の写真は私が北韓へ行って探すか、金正日に伝えて探そうと思っています。他の写真はワシントン・タイムズの方で小さいのを最高に拡大し、一番立派な写真にして額縁に入れておきました。しかし、父の写真がないのに、母の写真を掛けることができますか。父母の写真がないのに、兄の写真を掛けることができますか。父母の写真がそろってないのに、祖父の写真を掛けることはできないのです。 良心的な人が出世する時が来る これほど家庭が大事なのです。三代圏を中心として、神様が一代ならばアダムは二代です。この二代が中心です。自分の家庭の父母は、世の中の家庭の家庭的な王であり、女王です。ですから、高めなければなりません。そうすると、親孝行はどうしろと、教えてあげる必要もありません。父母に対して神様のように侍らなければなりません。また、夫と妻は神様の体なのです。神様の代わりに侍らなければなりません。父母に侍ることによって、子供たちは神様にどう侍るべきかを習うのです。このように二人が神様のようになり、お互いが侍ることができる父母になってこそ、子供たちの前に、全世界的な家庭中心の王と女王の立場に立つことができるのです。 このような家庭理念を、今のサタン世界で実践しようとする気狂いが文総裁です。しかし、世界の家庭はすべて破綻してしまいました。天使長の子孫なので、すべて相対圏がありません。彼らの前から神様の国と世界はすべて奪われてしまいました。アメリカの国民にも、アメリカという国はありません。社会もありません。家庭もありません。父母もいません。妻子もいません。すべて個人主義者になり、自殺するしかない段階に来ています。天使長の運命になってしまったのです。 私たち統一教会は今、自殺するしかない環境で、泣いたり喚いたりしながら生きていますが、食べ物がなくて、子供を見て慟哭しながら生きていますが、みんなの心には家庭があります。その家庭には、新しい社会が芽生えています。その社会には国が芽生えています。その国には世界が芽生えています。その世界には天宙が芽生えていて、天宙には神様の解放の声が聞こえてくるのです。 そして、離れていた神様が世界を越えて、国家を越えて、私たちの家庭に訪ねて来ると、万国平和の基地が私たちの家庭になり、栄華の版図が私の家庭から始まるのです。その時、皆さんは万歳を叫び、力のある限り、のどが裂けるまで自分の恨みを神様の前に告げれば、いくらでも慰められる時が来るのです。その基盤が家庭なのです。 家庭でおじいさんを愛せなかった恨みの歴史を、神様の代わりにおじいさんを代表として愛するのです。そのおじいさんは父です。父に侍ることのできなかった恨みを、自分の家庭で解かなければなりません。また、その方は夫です。その方は自分の息子・娘です。その息子・娘を神様のように愛して、私は「私の行くべき所がある」と言いながら目を閉じて死んでいくのが、人生の本然の道理であることを知らなければなりません。妻はほかならぬ神様です。この妻を通して、神様の子女が繁殖しているということは驚くべき事実です。栄華の花が四方に咲くことのできる未来の王国から歓迎される基地がつくられるのです。子供が多くても神様は多いと思われません。 才人という言葉を知っていますか。昔、歌を歌ったり踊りを踊るのを職にする人を才人と言いましたが、この人たちは人間扱いされませんでした。私が住んでいた村から十里くらい離れた所に才人たちの村がありました。しかし、才人たちは私たちの村の前を通ることができませんでした。彼らが鉦を叩きながら通ると問題が起きたのです。 このように人間扱いもされなかった人たちですが、今はこのような人たちが世界を滅ぼしています。彼らには節操がありません。近い親戚と夫婦になったりしています。このような悪魔の膨張主義、地上地獄派を一元化するための主義がヒッピー族たちのフリーセックスです。逆になりました。世の中のすべてが出世しました。分かりますか。人間扱いされなかった人たちが一番出世しました。 過去には、頭のいい人の時代、その次は力のある人の第一主義時代、その次は、労働者を中心として下人の立場にいた人たちまでみんな出世しました。最近は、才人たちまでも出世したのに、良心的で修道していた人は出世できないのです。しかし、この人たちが出世する時が来るのです。分かりますか。それをなすのが真の父母の使命です。そのような国を収拾して義の王国を立てなければならないのが、私たちが行くべき宿命的使命であることを知らなければなりません。分かりますか。 聖子の道理を果たすために身悶えしてこられたお父様 今は、私たち統一教会人も立ち上がる時です。大韓民国の統一を探してくるために四十年かかりましたが、これから世界統一を探していくためには何十年かかると思いますか。六年間かかると言ったら走りますか、走りませんか。答えてみなさい。女性たちは下着だけ着て立ち上がりますか。海水浴場に行くと水着の姿ではないですか。海水浴場に行けなかった統一教会人たち、陸地や海へと、どこへでも脱いで行って、一度何でも自由にやってみたくありませんか。 世界に希望がないと言って、みんな逆に打ち込んでいます。ナイフですべて切ってしまいたいのですが、そうできないから再度教育して、根が腐っていなかったら、もう一度譲ってあげようと考えています。分かりましたか。(「はい。」) 南北統一の勇士になりますか、世界統一の勇士になりますか。(「世界統一の勇士になります。」)南北統一の勇士にならずに、世界統一の勇士になれると思いますか。答えてみなさい。先にするべきことはどちらですか。南北統一の勇士にならないで、世界統一の勇士になると言って、いくら世界統一しようとしても世界統一の勇士の中心がいません。今、南北統一の勇士の中心として先生が現れたのです。 先生は、ただ行ったり来たりしている人ではありません。先生が準備しなかったら統一教会の人たちは哀れになったでしょう。今はどういう時ですか。真の父母の全権時代が来たのに、皆さんが私の言うことを聞かないと、私がどんなことでもできる時なのです。目の前に来ています。南北韓の問題、世界の問題、アメリカの問題を解決するため、昼夜なく戦ってきた先生であるということを知らなければなりません。 私が神様の前に乞食のようになって、「神様、私を助けてください」とは言いませんでした。先生は死んでいません。神様のために歩んでいるのに、「助けてほしい」と言う必要がありません。神様が知っていながらも助けてくれないとしたら、その神様は神様の役割を果たしていないのです。先生はこのような信念を持っています。分かりますか。 この世界を滅ぼすことがあっても、神様は真の父母を放すことができません。全世界のクリスチャンたちが文総裁を追い出しましたが、この文総裁の後に神様がついて来られました。私は四十年間渡り歩きながら、孝子になれなかったことが恨みになっています。忠臣の道理を果たさなければならないのに、果たせなかったことが恨みになっています。聖人、聖子の道理を果たしても余裕があったはずなのに、それができませんでした。もうすぐ八十歳になります。いつそれをしますか。二世たちは何も知りません。これが問題です。深刻なことです。 孝子になれなかった孝子の道理を、忠臣になれなかった忠臣の道理を果たさなければならない二世たちの責任は大きいのです。聖人の道理、聖子の道理を果たすことができなかったことを、皆さん自身が果たさなければなりません。そうしてこそ、この地上に来た先生が、天上世界へ行っても自由に大手を振って歩くことができるのです。分かりますか。(「はい。」)孝子とはどのような孝子ですか。歴史にない孝子です。私が手をつける限りは、歴史にないことをやります。最高です。 統一産業の草創期に、一日に三回ずつ行ったこともあります。二回行ったのは数え切れません。行って来るだけで三時間もかかるのに、何のためにそうしたでしょうか。忘憂里峠を通りながらも、「この地上で職場を愛することにおいて、私を凌駕する人はいない。お前たちも私に似れば、統一産業にも祝福の道が開かれる」と思っていました。水産業も同じです。台風が来るという警報があった日の夜、十二時半に出動命令をしたのです。台風が何の関係がありますか。風が何の関係がありますか。死ぬのが何の関係がありますか。 真の父母の価値が、どれほど貴いか分からなければなりません。その方によって神様が解放されるのです。そのために、神様が孝子に会えなかったから、先生が代わりに千万の孝子よりも素晴らしい孝子の道をつくろうと身悶えしてきたのです。ご飯を食べても、何かをしても、その信念しかありませんでした。それを知らなければなりません。 国もなく、天の前に忠臣の道理を果たすことができない自分が、情けなくて顔を上げることができません。それゆえ、神様に「文総裁はどんな人ですか」と聞くと、一週間も慟哭させてしまうのです。はっきりと理解しなさい。先生の一代において、孝道を果たすことができませんでした。忠臣の道理、聖人、聖子の道理を果たすことができなかったのです。 私たち統一家にこのような伝統があり、国に誇ることができ、山野を越えて世界を感動させることができる群れが現れるならば、彼らの行く道には、数千倍の祝福が加算されて訪れてくるということを忘れてはいけません。 良心はいつも自分を保護する 一つお話しします。皆さんの愛の相対が、皆さんより百倍素晴らしいことを願いますか、千倍晴らしいことを願いますか。(「千倍です。」)千倍と万倍では、どちらを願いますか。(「万倍です。」)万倍と十万倍では、どちらを願いますか。(「十万倍です。」)十万倍と億万倍では、どちらを願いますか。(「億万倍です。」)億万倍と無限倍では、どちらを願いますか。(「無限倍です。」)その心はどこから来ましたか。(「神様からです。」)そのような人を探しましたか。そのような相対を探しましたか。その心をもっている本体が、神様だということを知らなければなりません。 その神様に抱かれることができる愛の相対は、自分の何千万倍、何億万倍、無限倍の価値的存在として迎えたい心があるということを知らなければなりません。このような伝統を受け継いだので、男性も女性も、自分の相対は無限の価値的な存在として賛美できるのです。それで、主体者と相対者の価値が違います。人格的価値が違うのです。 皆さんも、愛する妻に自分の真心の限りを尽くして買ってあげながらも、もっとよいものを買ってあげたいと思うはずです。そうですか、そうではないですか。夫たち、どうですか。できないから、恨みが生じるのです。できないから、涙と恨みで経を唱える仏陀よりも、もっと深く妻を愛してあげるのです。このように見る時、願いどおりにはやってもらえないけど、本当の愛の心をもって妻を愛する夫に侍る女性は不幸な人ではありません。他の人よりごちそうを食べて、他の人より一日多く楽に眠るのが幸せではありません。分かりますか。 皆さんの何千万倍以上の価値的な存在として愛することができる、夫を尊敬する、その心自体は天下を押さえることができます。その心を支配できる王はいません。それで、このような福が私たちに残されたのです。これはどこから来ましたか。神様からです。 このように見る時、天宙を創造した能力を持っておられる方が、相対が自分より何千万倍素晴らしいことを願うなら、その創造の能力以上を伝えてあげたいでしょうか、伝えてあげたくないでしょうか。(「伝えてあげたいです。」)それはどういうことでしょうか。「愛する人に願うものはすべてやってあげましたが、さらにもう一つもっとやってあげたいです」と言う時、神様に能力があれば喜んでやってあげるはずです。能力がなかったなら、しかたなく抱き合って泣くことはできるでしょう。事情を理解しようと泣くことはできるでしょう。涙が先立つのです。そのような内容の心情が因縁になって、それを理解できる私たち人間は偉大なものです。 神様はいまだに完成していませんね。神様は完成しましたか、完成していませんか。完成までは行けませんでした。天宙解放がまだなされていません。誰のためにそうなりましたか。神様は男性的ですか、女性的ですか。(「男性的です。」)それを知らなければなりません。「夫」といえば、すでに内的神様の縦的な血統が流れているということを知らなければなりません。それは枝にすぎませんが、根と芽まで連結されたものなのです。 このように見る時、皆さんの家庭で一番よいプレゼントは神様ではありません。父母でもありません。父母から、自分の願う千万倍のものをもらうことはできません。師も一番よいプレゼントではありません。最高のプレゼントは良心なのです。皆さんの良心は、父母に先立っています。その良心は、自分を生んでくれた親以上に自分を愛するのです。自分を生んでくれようとしますが、堕落のゆえに生むことができませんでした。死にました。 偉大な父母、歴史にない父母が、良心であることを知らなければなりません。自分一人でどこかへ行って、何か悪いことをしようとする時、自分の母が夜も昼も訪ねて来て、「やめなさい! と言いますか。良心は、夜昼なくどこへでもついて来て、悪いことをしようとすると、「やめなさい! と、自分を保護するのです。 億千万時代の師よりも先立つのが良心です。良心は間違いなく、自分をよく知っています。良心をだますことができますか。自分が、自分の良心を教育しようと思ってみましたか。「私の良心は教育が必要だ」と考えてみたことがある人は手を挙げてみなさい。そのように考えてみましたか、みませんでしたか。このようなことを知らなかったでしょう。 良心には教育が必要ありません。皆さんは、行くべき道をはっきり知っています。間違いなく知っているのです。良心が願う道を行かなければなりません。永遠に、永遠に、またとない師を神様が私たちに下さったのです。だから、師を凌駕するのが良心なのです。 その次に、良心は神様を凌駕しています。神様も、自分が愛する相対におんぶされたいはずです。だっこされたいはずです。皆さんはどうですか。皆さんも新郎におんぶしてもらうと嬉しいでしょう。夫たちも同じです。赤ん坊みたいに、だっこされると嬉しいですね。母親が、お尻をとんとんしながら子供を愛するように、十分も二十分もそのように愛される夫になりたいでしょう。同じです。このようにできるところまで、深く導くことのできる要素、中心的な軸があるというのです。主人の中で、神様よりもっと立派な主人が良心なのです。 良心をだますことはできない では、エデンの園でアダム・エバが堕落した後、堕落したことをアダム・エバが先に知ったでしょうか、神様が先に知ったでしょうか。(「自分の良心です。」)そうです。良心です。良心が神様より先に知りました。神様は結果を持って訪ねて来られ、「アダムよ! アダムよ! と呼んだのです。アダムの良心が先に分かったので、木の下に隠れて、無花果の葉でそこを隠したのです。神様はそうしろと命令もしなかったし、思いもしなかったのに、自分の良心を通してそのようなことが行われたのです。 神様はその結果を知り、「お前は罪を犯して、そこにいるのか」と言われました。神様が「アダムよ! アダムよ! と呼び、「なぜそこにいるのか」と聞かれたということは、相手の人格を自分以上に尊重されたということです。分かりますか。 その時のアダムの答えが間違っていました。「あなたが私に与えてくださったエバによって、このようになりました」と答えてはいけませんでした。自分で責任を持とうとしませんでした。良いことは自分のことにして、悪いことはすべて人のせいにしようとするでしょう。皆さんもそうでしょう。しかし、本心は違います。神様の前に率直であることを願うのです。だから、神様より先に自分を主管できるのは良心だということを知らなければなりません。それゆえ、良心的に生きた人は、神様の前に尋ねてみる必要がありません。万事が通じるのです。堕落した人間が一生、良心の呵責を受けずに生きることができますか。これはすべて霊界のコンピュータに記録されるのです。 あの世に行けば、あっという間に分かります。弁明できません。天はそのような装置をみな備えて、皆さんを鑑定、管理、指導しているということを知らなければなりません。良心をだますことができますか。良心が自己のすべてを知っていますか、知りませんか。夫婦は喧嘩をした後、口をあけて弁明していますが、誰が間違ったのかは、自分では分かっています。愚痴をこぼしても、そのようなことを知ってこぼすのですか、知らずにこぼすのですか。どうですか、女性たち! 知って愚痴をこぼしますか、知らずにこぼしますか。 知らずにこぼすという女たちは死ななければなりません。罰が当たらなければなりません。腐ってなくならなければなりません。知っていて愚痴をこぼすので問題が大きいのです。そのような家には福が来ません。福が来ても、驚いて逃げてしまうというのです。良心はそのようなものです。それゆえ、神様より、師より、父母よりも素晴らしい贈り物を、私に与えてくださったということを知らなかったというのです。 良心の欲心がどれほど大きいでしょうか。神様の欲心より大きいでしょうか、小さいでしょうか。皆さん、女性の欲心は、夫の欲心より大きい方がいいですか、小さい方がいいですか。欲心は悪いものではありません。夫も欲心が深いですが、夫の欲心よりも大きいことを願いますか、小さいことを願いますか。皆さん自身もそのように願いますが、夫もそのように願うのです。それはどういうことでしょうか。神様より皆さんの欲心が、もっと深くなければならないというのです。人間の欲心の包みは、神様をいくつほうり込んでも余りあるほど大きいというのです。その包みがそのように大きいですか。 では、この包みをいついっぱいにしますか。神様が、永遠にいっぱいにできないようにつくりました。違います。神様が自分の腰が曲り、骨が溶け砕けて水のようになって、流れるくらいになって、「私の愛する人よ」と言って、心が奪われるようになれば、創造の能力を永遠に持っているので、願うものをつくってあげることができるのです。天下をすべて占領した後に、神様まで占領したとしても、心から愛する対象は千万倍の価値になることを願うので、第二創造、無限の世界を創造することができるのです。 立派な良心を持たなければならない 気分はどうですか。皆さんは、創造された世界の一片隅にくっついて生きようとは考えるなというのです。神様と一つとなって、愛する息子・娘が、愛する妻が要求するものを、お父さんと夫の立場で与えてあげても恥ずかしく、また与えてあげても、また与えたい心がなければなりません。あの世に天上天国がないのを、私によってつくって、天上に入ってきたすべての霊人たちが「万歳! 感謝します」と言えるものを、つくってあげたいという心を持てば、神様が相対できるでしょうか、できないでしょうか。神様がそのようなものを創造できるでしょうか、できないでしょうか。私はできると思いますが、皆さんは? (「できます。」)私はできると思いますが、皆さんはできますか、できませんか。(「できます。」)みんな似るには似ましたね。(笑い) ですから、棒でなぐってでも意識構造を正して開発してあげれば、心の包みの願いを果たすことができる時代が来るというのです。それでは先生の心の包みは、欲心が深いでしょうか、欲心がないでしょうか。このような先生に従ってくれば、何か利益が出そうですか。(「はい。」)(笑い) 先生がぞっこんほれ込んで、「ああ、お前でなければ私は死ぬ」と言いながら、夜も昼も門の前でうつ伏せになって、わあわあ泣きながら、「出てきて、一緒に行こう」と言うことのできる息子・娘になってみなさい。そうなれば、運が開けるというのです。霊界に入って「神様に紹介してください」と言えば、紹介してあげるでしょうか、あげないでしょうか。「紹介されたくない」と言っても、紹介してあげるのです。 既成教会でよく食べ、よく暮らす立場にいた者が統一教会に来ても、それ以上の立場を求めるのであって、それ以下の立場は受け入れることができず、冷遇すればふろしきを包んで出ていくと思います。ところが、最高の場所まで、先生の奥の間にまで来て暮らそうと考えています。準備をしなければなりません。(「はい。」)先生はそのような目ざとさ、鼻ざとさがあります。目ざとさだけあってもいけません。鼻ざとさもなければならず。耳ざとさもなければならず、口ざとさもなければならず、手ざとさもなければならず、体ざとさもなければならず、心ざとさもなければなりません。そのようなことを全部知らなければなりません。先生は適当に生きるようでも、道理に通じた人なのです。分かりますか。 立派な良心を持っていなければなりません。朝になれば「良心のご父母様、おはようございます」と言わなければなりません。これは父母より以上なのです。「良心の先生、おはようございます」と言わなければなりません。(笑い)十年だけやってみなさい。霊界と通じることは問題ありません。精誠を尽くす必要がありません。道を極める必要がないというのです。「神様以上の良心、おはようございます」と言いなさいというのです。 ですから、どこに行っても、神様が前に立つようになるのです。未来において神様を動員し、第二創造の世界を願うことのできる、相対的価値を備えているという驚くべき自己自身であることを忘れてはならないのです。 そのようなことを知る人は、体が問題でしょうか。取るに足らないではないですか。難しい、難しいという考えを持ってはなりません。 難しいというのは、何が難しいのですか。楽しく興味のあるような仕事です。自分の一生においてそのような仕事に出合ったので、神様の前に行くとき、「おい、いつかのことを私は忘れられない」と言えば、「ああそうですか。私は忘れましたが」と言いながら、神様を恥ずかしくさせ得る度胸を持たなければなりません。統一教会で、孝子になれず、忠臣になれず、聖人になれず、聖子の道理を果たせなかった、その恨みを解いていくべきなのが、子女の道理です。分かりますか。心配してはいけません。 先生はこれらの基盤がすべてなくなるとしても、三年以内にこれ以上につくることができると思っています。そのような度胸を持った男です。 お父様の基盤 私がいいニュースを一つお話ししてあげましょう。お母様がアメリカの国会において講演したその日を「父母の日」として一年の間記念しました。それが七月二十八日ですが、それを七十日以内に、アメリカの永遠の「父母の日」として策定しようといいながら、今まで活動しましたが、下院議員が二百二十五名サインをしました。これを七十日以内にやってのけようといって、旗を掲げて闘っています。上院を通過するのは問題ではありません。 さあ、それが上院まで通過すれば、ワシントン・タイムズで「これにサインしなければなりません」と電話すれば、早朝に誰かが聞く前に、大統領がみなサインすることのできる環境があります。これをサインすれば、駐韓アメリカ大使館で「父母の日」を祝賀するでしょうか、しないでしょうか。大々的にするようになれば、大韓民国の大統領が参加しなければならないでしょうか、してはならないでしょうか。全世界で次元が変わるのです。それが目前に近づきました。 それゆえ、お母様をアメリカ国会に立て、国連総会に立てました。世界国家どこに立てても、全部通過したのです。それで女性解放が始まったのです。分かりますか。女性時代の先生たち! 女性解放の時代を迎えました。(笑い)前に座って、そのように暮らして死にますか。美しく食べ、美しく暮らし、美しくもてなされて、そのように生きて死にますか。もてなされるのは、毒薬を飲むことよりも恐ろしいのです。 私はきょう、ネクタイを締めずに来ようとしました。ただ来ようとしました。文総裁はグロスターに行って、十年近く船に乗りました。それでも、人々は文総裁が誰なのか知りませんでした。「ニューホープに毎日のように座って指示する人は、統一教会の水産事業に関係するお年寄りだ」という扱いをしたのです。「いつレバレンド・ムーンが来るのか」と尋ねるのを本当にたくさん聞いたのです。(笑い) 十年の歳月を送りながらも、私が誰だか知らなかったのです。「文先生が、においのするこのような所に、何のために来ようか。来るなら、飛行機に乗ってくるだろう。船に乗って行き来するはずがあろうか」と考えることでしょう。「その方は忙しい」と言うと、まんまとだまされました。まんまとだまされたのはいいけれど、私がまんまと冷遇されたという話です。暗行御史(注・李朝時代に勅命で地方の行政、民情を探るため潜行して回った勅使)が出動すれば、ふるいに掛けて捕まえるべき人が多いでしょう。 今度、グロスターでもそうです。私が誰だか分からないのです。ところがおかしいことに、どこに行き魚を釣っても、私が先に釣り、一番たくさん釣ります。ですから、望遠鏡を固定して研究してみると、「ああ、あれはレバレンド・ムーンだ」ということが分かったのです。分かった後は、そこに現れないのです。速い船で一時間走って行くことのできるような所に行くのです。ですから、いくら探して見ようとしても、そんな船はないのです。激しい波をかき分けてくれば、どういう福が落ちているといって来るでしょうか。一か月の間、そのようにしながら訓練をさせてきました。 世の中で偉いという人は、看板をつけて、格好をつけて行き来するでしょう。それは狂った人です。私は看板をつけずに後ろに歩いても、看板をつけた人々が全部、私の尻にぶら下がるようなことが起こるのです。それが本物だということを知らなければなりません。それが偽物ですか、本物ですか。(「本物です。」)私は偽物なのか本物なのか分かりません、皆さんは分かるでしょう。私はそのようにして滅びませんでした。 私は食べて、寝て、暮らすことにおいては、超越した人です。とうもろこしご飯を持ってきても、何を持ってきても、どこに行って寝ても超越した人です。それゆえ、世界の数多くの複雑なことをみな収拾してきたのです。 今、フィッシュ・パウダーが研究されていますが、全世界の政府が目をひっくり返して「合資会社をしましょう。お金は出してあげましょう」と、飛びついてくるのを嫌だといいました。泥棒根性を持って、詐欺を働いてくる者たちなのです。私たちが基盤を築いて詐欺に遭わなくなるときは、堂々と分けてあげようという話です。 そして、輸送事業をしなければなりません。アメリカの余剰物資を買って運ぶために、また韓国を経て、日本の北海道を経て、カムチャツカ半島を経て、水産事業の品物を運搬するための計画を立てているのです。 フィッシュ・パウダーがどれほどいいか分かりません。それをつくろうとすれば、無尽蔵の魚が必要です。アラスカのベーリング海峡に無尽蔵の魚がいますが、それでも足りません。これをしなければ、ベーリング海峡でロシアとアメリカと日本と中国を中心として争いが生じます。無限の高級たんぱく質を持った魚たちが自然死しているのは、人類の前に大きな罪です。これを捕れるようにしなければなりません。 私はそれを知っているので、これを平和の基地とし、周辺にある強大国を説き伏せて出資させ、飢え死にする人々を生かそうというのです。余剰物資が積んである倉庫の門を開けなさいというのです。無尽蔵の物資があるのです。ですから、輸送する船を中心として、今後、世界船長協会をつくろうと思います。人類の公義のために協助をして、人間の道理を果たすことのできる仕事をしようと言えば、私の話を聞くようになっています。そうして、アメリカに立ち寄ってから帰る船が空の船なら、そこにすべて余剰物資を乗せて運ぶのです。 そして、港のような所に行って降りるとき、私たちの仲間が持っていって運ぶのです。それで、三か月余裕のある食料貯蔵運動をしようというのです。私の話が何の話か分かりますか。カナダ政府にもすべて打診をしました。「文総裁には、こうこうこのようなものがあるので、協助するように」と言っているのです。 死ぬ前まで苦労していくことを決意 さあ、何もしないで生きていて死にますか。悪口を言われながら歩き回って、人を生かしてあげて死にますか。(「人を生かしてあげて死にます。」)十人生かしてあげれば、十人生かしてあげた賞を神様が報いてくれるのです。文総裁は報いてあげません。私の前に皆さんが負った負債だけでも、何百年、何千年持ってきて納めても、全部支払えないようになっているのに、なぜ報いてあげますか。(笑い)ああ! この者たち! 祝福してあげた価値が、どれほどになるか分かりますか。祝福を受けるために数多くの国が滅んでも、まだ受けられずにいます。イエスの名のゆえに滅びた国が、どれほどたくさんありますか。 自分が祝福を受ける立場まで来たことを考えると、とても驚きます。ああ、ウジムシのような者たちを祝福してあげて…。運が悪くて韓国の地に生まれ、既成教会の泥棒連中があくどいことだけして反対し、世界の風波にぶつかってあえぐ身の上…。歴代先祖たちがそのように追われ、定着できずに避難しながら生活した民族なのです。李丙壽博士の統計によれば、韓国は九百三十二回も侵略を受けました。かわいそうな民族なのです。 そのように、ふろしきをまとめるのに忙しく生きてきたのはなぜですか。神様がひとときに活用しようと、そのようにさせたのです。活用する時になってみると、資本でもあって、祝宴をする財布でもあると思ったのに、全部乞食のふろしきです。祝宴までもすべて神様がやってあげなければ、できないようになっているのです。分かりますか。 真の父母の価値が、どれほど大きいでしょうか。天と地は、真の父母でなければ収拾できません。神様が解放されません。ですから、神様が千辛万苦しながら、今まで受難の歴史路程、悲運の歴史路程で、多くの痛哭をしてきたということを知らなければなりません。その方々の前に、皆さんが備えるべき姿勢が、どうあらねばならないかということを知らなければなりません。皆さんの良心に聞いてみなさい。いくら忠誠を尽くしても、良心が皆さんを称賛するか聞いてみなさいというのです。私の良心はそうです。 今、これくらいやって、世の中の誰にも負けないようにやりましたが、私の良心としては誇ることができません。私はできません。皆さんは自信がありますか。八十歳に向かう立場で天下統一して、解放のラッパの音が山野を越え、虫けらや動物までも天の前に栄光を返すことを望んできたのに、それが夢のような立場に立っています。誇ることができません。 ですから、先生は決意しました。これくらい生きてきたので、善なる仕事を始めるときから苦労したので、善なる因縁を結ぶときまで苦労で行くことを決意しました。私は死ぬ前まで、誰の世話にもならずに行こうと決意しました。それが先生の決心です。しかし、私が備えた生涯の福は、統一教会と後孫たちの前に残してあげようと思います。その残した福が千年万年に達し得るなら、千年万年、統一教会と統一教会の後孫は滅びないというのです。分かりますか、何の話か。(「はい。」) 先生が生きたように生きれば滅びません。みな滅びると言い、倒れると言いましたが、滅びませんでした。お母さんまでも、そのように思いました。親戚まで反対し、国まで反対し、世界も反対しましたが、滅びるようになりましたか、なりませんでしたか。そのようなことを知り、今からまた行きましょう。 ご父母様と絶対的基準で一つとなるべき時代 結論は何でしょうか。真の父母と皆さんの良心が、どうだということが分かったでしょう。この二つなのです。 そうして皆さん、真の父母をもう一度見なさい。そのような良心を持って、お母さんとお父さんを愛し、妻子を愛し、国を愛し、世界を愛しなさいというのです。ご父母様に対する皆さんの態度が、絶対相対的基準で一つとならなければならない時代に入ってきたのです。ご父母様の家庭が定着したので、このような絶対基準を中心として、皆さんが完全に一つにならなければなりません。自分の観念があってはなりません。 ですから、体と心が一つにならず、夫婦が一つにならず、子女が一つにならなくては、盟誓文を唱えることはできず、先生をご父母様と呼ぶことはできません。今まで呼んでいた父母は、皆さんが利用するためのものです。そのような言葉は、私は聞きたくありません。それゆえ、盟誓で徹底化することのできる基準を立てなければなりません。 そして、今まで世界基督教統一神霊協会で祝福を受けたのは、天使長の立場で祝福を受けたのです。長成期完成級です。完成期完成級で受けたのではありません。それゆえ、間違えばサタンが引っ張っていくことができるのです。しかし、ご父母様が定着して中心を確定したので、先生を絶対に信じていけば、サタンが引っ張っていくことができません。今は分水嶺を越えました。今までは坂道でもって、上がったり下がったり数千年を反復しましたが、今は越えて平らな道に入ってきているのです。時が違うのです。 それゆえ、世界平和家庭連合を中心として、この基準にすべてのものが吸収されるのです。今まで統一教会の祝福を受けたのは何のためでしょうか。天使長の血統を受けて、天の側にも、サタン側にも行くことのできる家庭的基盤なので、天の側に来ることのできる基盤がありませんでした。祝福をしてあげることによって、天の側に越えてくることのできる家庭基盤が連結されたのです。 今は真の父母がすべて越えて、皆さんだけに相対することのできる時代が過ぎ去りつつあります。皆さんは天使長の立場ではありません。真の父母として定着したことによって、定着したその伝統を皆さんが受け継ぎ、完全な家庭的プラスの前に完全なマイナスの家庭を形成しなければなりません。それが一つにならなくては、理想的家庭の土台を中心として、氏族、民族、国家編成が不可能なのです。そうでなければ地上に天国基地が形成されないというのが、原理が教える道理です。 ですから、今後、統一教会の信者たちは韓国語を話せなければなりません。統一教会の祝福家庭は、原理観を中心としてアダム家庭を形成しなければなりません。ノア家庭を形成しなければなりません。それをすべて先生が復帰するために、千年万年こびりついた恨みを解くために、自分の本家を訪ねていく郷愁の心で監獄に行き、それを越えながら行ったのです。 皆さん、考えてみなさい。ノアが百二十年の間、アララテ山の頂上に船をつくったのです。そのように狂った人がどこにいますか。船をつくろうとすれば、川辺につくるべきなのです。神様がなぜそのように役事したのでしょうか。全部が反対しろということなのです。すべての人が反対しろというのです。アダム・エバの一族が、全部反対しろというのです。それによって、ただ一人しか残らないのです。そうでなければ、将来、一人だけを探し立てるべき、歴史の代表であるアダムの礎石になれないのです。 そして、アブラハムが供え物一つを失敗したというのは何ですか。皆さんは、先生の話をどれほど守りませんでしたか。供え物の失敗よりも恐ろしいのです。それが統一教会の歴史に生きています。死ななかったのです。そのようなメガネをかけて見詰めるのです。 原理の御言は神様のメガネです。ですから、そのメガネに傷があってはだめなのです。その傷をなくすことのできる人がいませんでした。先生の時代になって、これを全部きれいにし、傷を消したのです。アブラハム・イサクの家庭が生きています。モーセ家庭が生きているのです。それを反復しようとするので、カナン福地復帰、世界路程四十年を中心として引っ繰り返すのです。ペリシテのまっすぐな道に進めば、三週間以内に行けるのに、シナイの荒野に回りました。度胸がなく、自信がありませんでした。天を信じることにおいて、資格がないというのです。 皆さんは環境を信じてきたし、自分の夫や妻を信じてきたのであって、先生を信じてきませんでした。自分の生活を信じてきたでしょう。それではいけません。そのような観念は、完全な家庭理想を再創造することにおいて、対峙的な条件にはなっても、協助的な条件には絶対にならないのです。 それゆえ、文氏の家門であっても、文氏の家門であるという思いを捨てなければなりません。そこに純粋な材料として立たなければならないのです。 すべて盟誓文のとおりに ここにおばあさんたち、おばさんたち、たくさんいますね。この家庭理想を引き継ぐためには純粋でなければなりません。歴史的なすべてのものを、みな忘れてしまわなければなりません。それが条件になってはなりません。純粋でなければなりません。神様が土と水と空気でつくったのと同様に、本然的な内容を備えて、神様の創造性だけがあるようにしなければなりません。そこに、自分を中心とした概念的なものが入ってはならないということを考えなければなりません。 「誰かがこうなので、私もこのようにする」というやりとりは必要ありません。分かりますか。そのような時代に移ってくるので、すべて盟誓文のとおりにしなければなりません。私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と永遠に一致していくのです。善悪を知る木の実を取って食べろ、食べるなという話をする必要もありません。血筋が連結されています。分かりますか。 キリスト教は、主が来るのを願って、どれほどたくさん犠牲になりましたか。その人々が見るのに、恥ずかしくないですか。その人々が見下ろさないと思いますか。そのように犠牲になった人々が、霊界から皆さんの家庭を見て、「あいつら、あれ何だ。駄犬みたいに。霊界に来てみろ。われわれがただではほうっておかない」と、待ち構えています。 良心がどういうものであるか分かったでしょう。(「はい。」)先生の家庭がどういうものであるかが分かり、良心の力がどれほど大きいかが分かったでしょう。体の支配を受けたことを清算し、解放的基盤から、神様まで解放してあげることのできる行軍のラッパの音を鳴り響かせながら、南北を経て、アジアを経て、世界を経て、地上の基盤で跳躍し、天上世界に飛んでいく私だということを自覚しなければならないのです。分かりましたか、分かりませんか。(「分かりました。」)はっきり分からなければなりません。 私が話すのが好きで話すのではありません。訓示です。先生の話を聞いて実践しようという人、両手を挙げて誓いなさい。誓いだけして、どうしますか。一度も守ることができないでいながら、(誓いを)続けますか。下ろしなさい。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.18
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[22.06.19] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2022/06/19 09:15に公開予定です。PeacelinkTVホームページ一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.18
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「成約時代安着と家庭完成時代」1994年5月22日ソウルの本部教会 個人の救いの時代から家庭の救いの時代へ 今日、すべての家庭制度に破綻現象が起きています。今までの歴史はサタンを中心とするものであり、世界の歴史の発展において、サタンは神様の御旨に積極的に反対してきました。百八十度反対の方向へ展開してきたので、家庭時代が訪れるにしたがって、その家庭は破綻する世界の家庭形態として現れるのです。ゆえに、世界や国家が問題ではありません。社会が問題ではなく、家庭がすべて破綻状態に陥るのです。このように家庭の破綻時代が訪れるということは、神様の摂理においても、新しい方向として家庭時代が訪れてくるということです。 悪の世界が終われば、摂理的方向が根本的に違ってくるのです。今まで、すべての宗教は独身生活を強調してきました。高次元的な宗教、旧教を中心として続いてきたキリスト教のすべての背後の指導者たちは、独身生活を強調したのです。パウロを中心として見ても、家庭を持ってはいけなかったし、仏教の比丘僧を見ても家庭を持たないで今まで来ました。 しかし、今はそのような時代が過ぎたのです。個人の救いの時代ではなく、家庭の救いの時代へ移行するために、すべての宗教指導者たちは、好むと好まざるとにかかわらず、自分も知らずに、家庭を持たざるを得ない時代になったのです。仏教において皆、妻帯僧になり、今日カトリックにおける神父や修道女たちの背後を見ると、ローマ教皇庁を中心として、全世界の神父たちの中でも八十パーセント、百パーセントに該当する人々が家庭的な関係を持っています。カトリックの伝統から見ると、全部腐敗したような時代へ移っていくのです。 しかし、一般の人々は神様の全般的な摂理観を知りません。その全体の動きを知らないので、今まで教えられてきた信仰の基準から見れば、全部腐敗したように見えますが、歴史は腐敗したのではありません。入れ替わるための、摂理的な大発展の時代へ移行するために、そのような現象が起こるのです。 なぜ今日、家庭において離婚が起こるのでしょうか。離婚問題が起こるということは、離婚してはいけない時代が来るということです。堕落世界の人々が、終わりの時にもそのままの状態であるならば、この世はサタン世界として永遠に続くのです。ですから、離婚問題を提示することによって、新しい再編成、新しい家庭的相対理想を探していくことのできる時が来るのです。それもやはり、家庭転換時代が来るための神様の摂理があったのでそのようになったのです。 すべての歴史の流れというのは、人間によって動くのではなく、神様の世界全体の運勢を通して、神様の摂理によって連結していくために、そのようなすべての現象が起こるのです。それは交替しやすくするためです。今の時代はすべてのことにおいて自由です。自分勝手にできる時代が来れば来るほど、もっとよいかもしれませんが、世界においては、孤独な立場に落ちて自殺する人がだんだん多くなっているのです。自殺する人が多くなるということは、深刻な信仰の世界が、孤独なサタン世界と交替するために、そのようなことが起こるのです。分かりますか。サタン世界が退くときには、神様がその退いたあとを受け継ぐための時代へ入るのです。交替の時代に入るのです。 成約とは家庭を中心とする言葉 それでは、成約時代の安着という言葉はどのようなことでしょうか。今までは旧約・新約です。成約という言葉はありませんでした。一体、成約というのは何を標準として言う言葉なのでしょうか。成約というのは国を中心として言う言葉なのでしょうか、民族を中心として言う言葉なのでしょうか、アジア、六大州、東洋を中心として言う言葉なのでしょうか。成約というのは、家庭を中心とする言葉なのです。 年の初めに、父母様が世界的に宣布したことは、「真の父母と成約時代安着」です。真の父母がこの地上に来てしなければならないことは、家庭を定着させるということです。神様は男性と女性をつくり、創造理想である三大祝福をなぜ与えられたかというと、家庭完成をなすためでした。「地に満ちよ」という三大祝福は個人でなすのではありません。家庭でなすのです。ですから、家庭というのは、私たち個人として定着することのできる安息の場なのです。理想の一つの基地です。 どんなに優れた男性や女性が暮らしていたとしても、その家庭には父母がいなければならないのです。また兄弟、夫婦がいなければならないのです。家庭には父母、夫婦、兄弟が必要なのです。それは、人間がこの地上に生きているということの重要な本質的内容なのです。その内容、そのカテゴリーを離れれば、幸福もないし、自由、平和、天国もありません。私たち人間が理想とするすべてが壊れていくのです。どんなに優れた男性や女性がいたとしても、家庭がなければ、それは不幸な人たちなのです。分かりましたか。 最近、独身生活を強調し、ホモ、レスビアンなどが先進国では問題になっていますが、そのようにならざるを得ないのは、近親ソウ姦関係によるのです。おじいさんが孫を蹂躙し、父が娘を蹂躙するのです。性解放時代、フリーセックス時代が来たので、自由に接触するのですが、それが遠い村の知らない人や隣近所の人ではないのです。一番近い親戚関係で起こってきたのです。 おじいさんであれば自分の嫁と関係して、それが十年、二十年、死ぬまで続くのです。そのようにされた女性は、そのおじいさんが死ぬまで、下品な老人、動物的な老人とこのように思い続けるのです。このような近親ソウ姦について皆さんは知らないでしょうが、アメリカの実態はめちゃくちゃです。ある名高い人々が集会を持つと、女性たちを入れ替えて寝ているのです。エイズのようなものは、瞬時に世界に広がるでしょう。これを防ぐことのできない時代に入ってきたのです。 このような時代が来るということは、近親ソウ姦関係を絶対に否定する神の御旨の世界が来るということです。それを考えなければなりません。なぜならば、サタン世界は神の御旨が成就する時が来ることを知っているので、それを滅ぼすために、その時が近づいて来れば来るほど、この世の中にはそれに反対する現象として現れてくるのです。 潮水が流れ出るようになれば、最初に出るのは汚水ではありません。しかし、だんだん一番低い所まで流れていけば、汚水が流れていきます。そのように入れ替わる時には、反対の現象が起こるのです。汚水が出ていくようになれば、先に出た水が押し寄せてくるし、きれいな水が入ってくることができるのです。このように見ると、すべての交差期間にはそのような現象が起こるのです。 現在この世の中を見れば、国を信じることができません。国を信じることができないのに世界の誰を信じますか。そればかりではなく、自分の社会を信じることができません。不信風潮の社会になっているのに、国の誰を信じますか。そうではありませんか。氏族、親族たちを信じることができないのに、社会の誰を信じますか。社会を信じることができません。親族だけでなく、家庭においても兄弟、父母、妻子を信じることができないのに、いかに親族を信じますか。父母、兄弟、妻子を信じられないのに、自分自身を信じることができますか。ですから、不信風潮が社会だけでなく、自分自らを不信するような、そのような社会の中で苦痛を受けているのです。 それは何かというと、自分を絶対信じ、家庭を絶対信じ、社会を絶対信じ、国家を絶対信じ、世界を絶対信じることのできる、神様の新しい時代が訪れてくるので、そのような現象が起こるのです。一つの時代が過ぎ、一つの時代が来るのです。過ぎ去っていく時代は滅びるしかなく、それは肥料になるのです。新しい時代は、それをすべて肥料にして発展していくのです。歴史が善なるものとして広げられるためには、そのような現象が起こるのです。 また、宗教というのは全盛時代に現れたのではありません。必ず、腐敗した時代に現れました。このような反対的現象が交差するようになって、新しい時代を創建しなければならないので、新しい宗教、新しい革命的な理想を中心として発展していくのです。今まで住んでいた平和な村の環境が急変して、反対的な現象が起これば、その反対と同じような世界が、そのような社会現象の背後について来るということは、誰も考えることができませんでした。 このように見る時、世の中が滅んでいくと失望してはいけません。神様の摂理を受け継ぐために、このような反対的な現象が出てきたのですから、摂理の中にいる人は新しい希望と望みを持って、新しい世界と新しい理想に向かい、たどっていける時が来るということを確信しなければなりません。今まで私たちはそのように考えることができませんでした。 成約時代は各家庭が定着する時 このように見る時、成約時代は何かというと、各家庭が定着する時をいうのです。定着するということは、天と地を代表した家庭になるということです。天地を代表することのできる家庭がなければならないし、天地を代表することのできる幸福の基準になる家庭が出てきてこそ、そこから天地の社会、天地の国家、幸福の基盤になれる全体的な平和の世界が訪れてくるのです。そのようなすべての基盤が家庭なのです。 そのためには、アダム家庭であれば、一つのアダム家庭において、それは今日、横的に世界化された五十億人類の中の一つ一つの家庭ではありません。五十億人類をさかのぼって、代表的な立場で、堕落しない本来の頂上の立場まで上がって、神様と接ぎ木する立場まで上っていくのです。ですから、アダム家庭は男性・女性二人でつくった家庭でしたが、その家庭は家庭の中心であり、氏族の中心であり、氏族が広がったとしても、そのアダム家庭を中心として連結されているのです。民族編成が起こっても、アダム家庭を中心として民族編成、国家編成、世界編成が起こるのです。 それでは、アダム・エバの家庭は何かというと、世界を代表する家庭です。国家を代表する家庭であり、民族を代表する家庭であり、一族を代表する家庭であり、男性ならば男性各々の個人を代表する家庭なのです。代表であるので、各個人がその家庭を離れることはできません。それゆえに、そのような家庭を男性・女性が離れてしまえば不幸になるしかないのです。 このように見ると、代表的基準で安着しなければならないのが、アダム家庭であったのですが、安着できませんでした。神様と一つになることができず、定着できませんでした。堕落したので追い出されてしまったのです。追い出されたということは、留まることのできる本然の基盤を失ってしまったということです。追い出されたので、戻ってきたいのならば、神様がおられる本拠地を中心として、その周辺を回りながら、帰ってくる道を望むしかないのです。 人類歴史がこのような事情になることによって、その周辺を回り、また回りながら、人類歴史がどれほど延長されてきたか。数千万年人類歴史が延長されてきました。ところで、神様の救援摂理が地上に着地し始めたのはアブラハム、イサク、ヤコブ家庭からです。定着をどこから始めたかといえば、イサクからなのです。 イサクが供え物となって、供え物から復活したのです。供え物というのは、堕落によってサタンの血統を受け継いだことを、サタンの巣になったことを全部破壊させるものなのです。血を流してきれいにするのです。死ぬ場に立たせてナイフを振り上げ、イサクを殺そうとしたのです。供え物であるからです。ナイフで刺そうとするとき、すでにそこからサタンが退くのです。ですから、神様が「供え物として羊を捧げなさい」と言われたのです。このような戦いを通して分別させ、神側の人として、生きた供え物として、残された一族の出発がイサクの家庭から始まったのです。 ヤコブは天使長と戦いました。天使長とは、サタン側の霊的な世界の代表である天使長をいいます。人間が堕落したということは、サタンである天使長に負けてしまい、僕になったことをいいます。ゆえに、ヤコブが立派であるのは、天使長とすもうをして屈伏させたということです。霊的実体に勝つことによって分別しました。その分別されたイサクの血族に対してサタンが侵入しないように、すもうをして祝福を奪ってしまったのです。そこから、サタン、天使長によって堕落した人類を回復させることのできる伝統が始まったのです。ではイスラエルとは何かというと、天使長に勝ったアベルです。アベルの血族が定着できる時代へ入ってきたのです。このような内容は聖書にありません。 今日キリスト教において、救われた以後の神様と人間との関係の理想的連結ができていなかったために、どんなにキリスト教が世界化されていても、世界を引っ張っていくことのできない嘆息圏内にいるのです。堕落前の神様と人類とその家庭と世界との関係を中心として見る時、神様の創造理想の中には堕落の概念はありませんでした。堕落以後、別個の概念の形態を経て地獄が生じたのです。地獄によって死亡圏が生じて、それを清算するために救援摂理が始まったのです。しかし、救援摂理を何千万年たっても成就できませんでした。それが問題です。 それは何かというと、心情的な面で神様の直系の立場に入らなければならなかったのですが、悪魔の直系に入ってしまったのです。エバが人類の母の立場だったのですが、神側から見ると、母を失い息子・娘を失ってしまいました。今日、この地上にいる男性はどのような立場かといえば、天使長の一族です。 本来の完成したアダムの種が、地上に着地することができませんでした。堕落しなかった、神様が理想としたアダムを中心とした愛と一つになり、その愛の基盤の上で連結され、植えられなければならない真の生命の種、真の愛の種をこの地上に定着させることができなかったのです。堕落することにより偽りの愛と偽りの生命の種を植えてしまったので、神様とは相対することができないのです。神様の怨讐の子供が植えられたのです。血筋が違ってしまったのです。その血筋を再び変えるということは、強制的にできません。だから、神様の救援摂理がこのように難しいのです。 自然屈伏し、自分が死んで、神様の息子・娘を生かしてあげなければなりません。神様の息子・娘のために死ぬという立場に立たなければ、アベルがカイン世界を相続することができません。堕落したサタン世界の系列から見ると、兄が弟の前に、兄の立場と自分の家庭、国家、世界の権限を渡すことのできる、そのような姿勢を持たずには、アベルが長子権の立場に入ることは難しいのです。 長子権、父母権、王権、皇族圏は、指折りの計算で適当に出てきたのではありません。それは、避けることのできない復帰の公式路程です。れんが塀を積み上げて家をつくるのと同じように、一段でも積み過ぎて合わない時には全部合わないのです。その建物は不合格です。 絶対的に一人の男性と一人の女性 神様の救援摂理も公式摂理をしているために、サタンと反対の公式路程を通して収拾してきたのです。それが救援摂理路程です。ですから、すべての宗教は独身生活を強調し、統一教会は祝福を強調してきました。これは宗教の歴史にないことです。祝福を受けなければならないし、結婚をしなければなりません。結婚は自分勝手にするのではありません。神様の命令と自分の父母の許可を受けなければなりません。これが伝統です。 神様と自分の父母から連結されてこそ、結婚の歴史が連結されるのです。自分勝手に結婚するのではありません。なぜならば、結婚とは最高に貴いものを父母から相続する厳粛な立場なのです。相続する前には、その最高の尊い主人が神様ですが、神様から連結されてその福を受け継がなければなりません。だから結婚というのは、五十億人類を代表した立場で、神様がつながったその立場に上がり、連結されなければならないのです。 種というのは、どんなに種が多くても、元になる種だけに内容と価値が現れるのです。それでは、人間の価値は何かといえば、愛を中心とした家庭の形成ですが、その家庭の形成が一つの種と同じなのです。数千、数万になったとしても、アダムとエバが持っていた本然の価値と同じでなければなりません。それが異なるようになれば、種が異なるようになります。今日、堕落した人間たちの知らないことが何かといえば、そのような代表的種の立場で、実を結ばなければならないことを忘れてしまって、五十億人類の平地で、一対一の立場で会うことが結婚になってしまったということです。これはサタンがつくっておいた、神様の最高の理想を全面的に滅ぼすための戦略舞台です。 女性というのは、男性において一人しかいません。分かりますか。男性においても一人の女性と一つになっているのであって、二人ではありません。二人になっているのであれば、エデンの園で一人の男性を中心として、エバを二人つくるはずです。そうではありませんか。何の話か分かりますか。絶対的に一人の男性、絶対的に一人の女性です。 現在人類が五十億ですが、将来百億にもなり千億にもなり、霊界まで合わせると数千億になりますが、その顔は、目、鼻、口、耳の四つです。この四つを展示すれば数千億の顔になりますが、二つとして同じ顔がありますか。男性も二人の同じ男性、女性も二人同じ女性がいますか、いませんか。いないのです。一人、ただ一人です。一人一人が会うようになっています。 それでは、女性自身が、数多くの人の中で、この四つが付いている顔を見て、自分の夫を探し出せますか、探し出せませんか。(「探し出せません。」)できないのですか。自分の夫を忘れてしまうということですか。韓国の四千万人の中の、二千万の男性の中に混ぜておけば、これも自分の夫のようだし、あれも夫のようですか。絶対、一人しかいません。二人いれば大きな問題なのです。 本来は、男性や女性が、一人の男性、一人の女性でなければならないので、絶対的に一人しかいないのが原則にならなければなりません。このようなことを全部知らなければなりません。標準に合わないものは、除去してしまわなければなりません。だから、一人の男性は一人の女性に対さなければならず、一人の女性は絶対的に一人の男性に対さなければなりません。なぜでしょうか。真の愛というのは、絶対的な立場で会うので、二人はあり得ません。一人の男性、一人の女性であって、一人の男性に二人の女性、または一人の女性と二人の男性ということはあり得ません。絶対的でなければなりません。 このような原則をおいて見る時、神様が人間の祖先を創造された時に、二人だけをつくられたのです。堕落する可能性があったので、エバを信じることができず、善悪を知る実をつくったということは、何かといえばエバのことをいうのです。善なる実にもなれるし、悪なる実にもなれるのです。そのようなものはエバしかいません。良い夫に会えば良い実を結びます。どんなにできの悪い女性であっても、王子に会えば王子の息子・娘を生み、マフィアややくざに会えばその息子・娘を生むのです。善と悪が対する所で実を結ぶので、女性というのは名字がありません。 女性は男性に従って愛で一つになる時、同じ価値を持つようになっています。その同じ価値を連続させるためには、夫の生命の種をもらい、赤ちゃんと一つになることによって、愛することによって、同じ立場に立つようになります。ゆえに、女性は空っぽです。お母様は気持ち悪いかもしれないですね。私は帰ったら叱られるかもしれないので怖いです。 女性には名字がありません。しかし、韓国は独特な国です。全世界の女性たちを見ると、嫁に行けばすべて夫の名字に従うのですが、韓国だけ特別です。それは何かというと、特別な男性の種をもらうための受け皿として残すために、韓国の女性には名字があるのです。それで、韓国から女性の代表が現れる可能性もあります。 千辛万苦、身悶えしてこられた神様 皆さんの子供の中で、お父さんが二人いればいいという子供がいますか。皆さんのお父さんは、絶対的に一人必要ですか、二人必要ですか。お母さんはどうですか。それはなぜかといえば、原理・原則のゆえです。女性が堕落し、二人の男性に対するようになったので、女性が二人の男性を狙いやすいのです。今日の社会の家庭破綻の要因の七十パーセントが女性です。 この女性を皆、火をつけて火葬し、なくしてしまえばいいのです。しかしそうなれば、再臨主とか、真の父母が生まれてくる畑がなくなってしまうのです。家がなくなるというのです。神様もかわいそうです。しかたなくそれを引っ張ってきたのは、未来の希望である再臨主、メシヤを地上に送って、新しい国をつくるためでした。そのためにどれほど待っていたかといえば、何千万年です。初めて着地し始めたのが、四千年前でした。信仰の先祖がアブラハムです。そこから初めて、神様が信じることができる代表者を立てることができたのです。 明日、結婚式を行おうと式場を準備して待っている夫が、その前の晩に妻を盗まれたのです。その男性と同じような立場が神様でした。神様はあきれてしまったのです。神様が結婚式をしようとしたのですが、妻を盗まれて突然いなくなってしまったのです。神様は気分がよかったでしょうか、よくなかったでしょうか。皆さんはどうですか。顔が白くなるでしょうか、真っ黒になるでしょうか。白くなり真っ黒になったのです。 神様はその女性を失ってしまいました。その女性は盗まれて男性に引っ張られていき、強奪されて子供を生み始めました。数十年の間にたくさんの子供を生み、昔の本然の夫はどのように暮らしているか行ってみよう。妻がいないなかで、一人でどのように暮らしているのか、一度行ってみよう。たくさんの子供たちを連れてきたその女性に対して、神様は、「やー会いたかった。よく来た」と言うでしょうか。それともむちで打つでしょうか。頭を殴るでしょうか。皆さんはどうしますか。追い出すでしょうか。保護するでしょうか。接待するでしょうか。追い出すだけでなく、穴を掘って埋めてしまい、姿も見たくないし、再び思い出したくないのが、愛の世界の特殊性です。 そのような人を堕落しなかったものとして、自分の愛を中心として血筋が異なっていない愛として思うことのできる立場に立たなければ、神様の本性的心構えとして救援摂理をすることができません。救援摂理は、本然の天国の立場に入らなければならない御旨があるので、堕落せずに結婚式を行い、本来の妻として愛し関係を結んで生まれた息子・娘のように思える気持ちにならなければ、救援摂理はできないのです。 ゆえに、神様がどんなに千辛万苦、苦心焦思を重ねて、数千万年身悶えしてこられたか。今日のキリスト教は夢にも思わないでしょう。神様は聖なるお方であり、神様はすべての万国の大王様であり、平和の主人、それはとんでもありません。一番、孤独なお方です。このような話を聞いてみると、神様は、すべての万民を愛で抱き恵みを注ぎ、うれしければ、ハ、ハ、ハ、と笑う神様だったでしょうか。泣き叫びながら地を叩き、方向を探すためぐるぐる回りながら嘆き、恨みを抱いてこられた神様だったでしょうか。 このようになった時、嘆かない神様だったでしょうか、嘆く神様だったでしょうか。それを知れば祈祷することができません。犬ころの子、盗賊の子を受け継ぎ、その子供たちが神様の前に行って、本然の根を汚すことを考えもしないで、「あー、わが息子に福を与えてください。福を与えてください」。福とは何ですか。呪詛しかありません。だから、そのような宗教は滅びるのです。終わりの日には、すべて消えていきます。仏教にしても他の宗教にしても、すべて終わりです。そこには理想的家庭がなく、理想的氏族、理想的国家、理想的世界がありません。天国が何ですか。極楽が何ですか。 だから、神様が救援摂理をして、全部区別しなければなりません。その中で特別に神様のために生命を捧げても感謝し、アダム・エバの背信的歴史を越えなければならないのです。それを知らなければなりません。堕落する前、人類の先祖以上の神様が現れることを待ち望みながら、ご飯を食べずに待ち、寝ることもせず待つことのできる心情を持った孝子・忠臣・烈女以上の立場に立たなければなりません。 聖書には、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」という言葉があります。忠誠を尽くし、孝子・忠臣・烈女になった立場でも生命を捧げようとする、そのような基準の人々が、堕落した世界の孝子以上、堕落した世界の忠臣以上の神側のそのような人々が、死ぬ立場において生きるのです。地獄のどん底に入った生命が何百個、何千個であったとしても神様とは関係ありません。露骨に言えば、そのような言葉になります。 アダムが堕落して落ちたので、堕落圏内を抜け出すためには、それ以上上がらなければならないのです。死亡圏内から抜け出して生命圏内で生きるためには、死亡圏内にある汚されたすべてのものをきれいに洗い、否定してしまってこそ、神様が好む新しい人間になることができます。宗教の道は否定から始まるのです。何パーセントではありません。百パーセント以上否定するほどよいのです。生命を完全に殺してしまい、また殺してしまうほど、神様の恨みの塀がぼろぼろ崩れるのです。 真の愛による調和 ここに集まった統一教会の群れは、そのような実力を持った信仰生活について考えてみたことがありますか。ただ信じるだけでは天の国へ入ることはできません。個体の個人と家庭、個体の国家を中心として入る道がないので、神様は代表者を送るのです。男性の代表者が家庭の男性を代表し、国家の男性、世界の男性、神様を代表できる、そのような代表者を送るのです。男性の代表がいれば、女性は影と同じです。アダムを通して女性をつくるのです。だから、メシヤが来る時には、「夫婦として来る」とは言いませんでした。「新郎・新婦が来る」と言わなければならないのに、なぜ「新郎だけが来る」と言ったのでしょうか。なぜですか。 神様は創造する時、アダム、新郎をつくりました。新婦というのは、二つの世界を失ってしまったので、霊的世界の上弦・下弦と同じです。弦というのは弓の弦を意味すると思うかもしれませんが、そうではありません。弓とゆみづるを合わせていう言葉です。バイオリンや弦楽の弦をいうのではありません。この弦というのは、弓偏なので弓と一つになった紐をいうのです。弓は紐がなければ曲がりません。上弦・下弦、これは見えません。心の世界です。 神様が何もない世界で創造される時、何を考えたでしょうか。設計をしようとすれば、線を一本引かなければなりません。その線が標準となりその線を中心として、三角定規を当てて九十度の角度に合わせて引きます。このようなことを考えた時、神様も創造世界を考える時、線を引いたでしょう。二つの点を連結したものを線といいます。その線の中には調和がありません。どんなに研究をしても面積がありません。足を踏む土地がありません。ゆえに、直線上には調和がないのです。 神様は、すべて三点を通して、三点から宇宙が始まったのです。それでは、相反のない三点理想形は何でしょうか。神様の構想の中に、直線を引いて上弦・下弦の線を中心として、神様の理想ということを考えた時、上・下を連結させる円形を考えざるを得ません。円形になれば、相反はありません。両点を連結させ円形運動をしなければなりません。線一つ続ければ、永遠に続くのです。この宇宙の慣性によって、一度だけ回り始めれば、永遠に回るのです。本当に不思議なことです。 神様はそれだけを考えたのでしょうか。横的な理想の形態を考えたならば、縦的な理想もなければなりません。横的・縦的だけでは平面にしかなりません。主体性を具現しなければならないので、前後問題が出てきます。ここでも同じく、球形を考えなければなりません。では、理想的球形世界とは何かといえば、距離も同じく、すべての高さも同じく、角度も同じものが理想形なので、完全に太陽のような球形体が理想です。創造をするときに、あのような球形世界を考えながらつくったのです。 この宇宙はどのようになっているかといえば、すべて球形体に似ているのです。球形体に似てこそ運動をしてもぶつからないのです。これが球形体になっていなければ終わってしまうのです。運動も重力によって、比例的な重さに従い直行するのですが、慣性力によって同じ軌道を描きながら回ることができるのです。宇宙は小さいものや大きなもの、すべてがそのように存在します。ゆえに、三数は絶対的なのです。三数を離れることはできません。皆さん、種を見ると、なぜ表面が固いのでしょうか。三つの皮でいっぺんに包まれているためです。何の種でもすべて固いのです。なぜならば、そのような原則があるからです。このような話をすればきりがありません。 それでは、神様は何を中心として、このような理想的な調和の作用を起こしたのでしょうか。もちろんすべての作用も必要ですが、神様が必要とするものは、お金でもなく、知識でもなく、権力でもありません。愛を中心としてなそうとするので、男性・女性がいなければならないのです。男性と女性が東と西にいれば、東にいる女性は西側を見ますか、東側を見ますか。「来い、来い」と言いながら、お互いに引っ張るのです。引っ張るために、回ることができる軌道は一つしかありません。お互いに引っ張り合うので回るしかありません。少しでも動き始めると、運動が起こるのです。運動とは、重力と引っ張る反射作用、遠心力と求心力によって運動が始まるのです。 「家和万事成」です。家和とは、各々違う個性が一つになるということです。おじいさんの和、おばあさんの和、お母さんの和、お父さんの和、嫁の和、その次は新郎の和、それで三代が一つにならなければなりません。一つの円形を描くことが、すべての和をなすことなのです。おじいさんの和や孫の和が同じでなければなりません。それを同じようにするものは何でしょうか。お金でもなく、知識でもなく、権力でもありません。それは真の愛だけが可能なのです。真の愛というのは、本質的神様から始まった愛なのです。 皆さん、堕落することによって神様の愛が始まりましたか、悪魔の愛が始まりましたか。悪魔です。この血は悪魔の血です。サタンの歴史的な恨みの血を出さなければなりません。神様を痛哭させ、元の先祖を追い出した恨みの血、この血を持ったことを嘆かなければなりません。だから、自分を完全に否定しなければ、本然の血を受けることができません。ゆえに、宗教は否定から始まるのです。 真の宗教、仏教やキリスト教には、出家という言葉があるのです。家を離れなければならないし、一族を離れなければならないし、国を離れなければならないのです。家庭を離れて、お父さん、お母さん、妻子と離れて探しに行かなければなりません。それは何かといえば、すべて自分と関係のある人間関係の世界を完全否定しなければならないということです。否定してどこへ行くべきかというと、その社会の行く方向に行くのではありません。それは堕落した世界と連結された世界なので、その世界と百八十度反対の道を探して行かなければならないのです。 それで修行の道は、乞食以下から、地獄以下からさかのぼって、その国のすべての迫害と困難を甘受し、消化していかなければなりません。そこからサタン世界を解放することができ、神様と連結できる道が始まるのです。しかたがありません。この原則によって、天上世界と地上世界、地獄と天国の境界線が設定されたということを知らなければなりません。自分全体を否定した時がありますか。否定される立場があれば、自ら進んで死ぬ場に入らなければなりません。絞首台に行っても、自ら進んで紐をかけ、自分で台を踏まなければなりません。死んでから生きるのです。ですから、死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬのです。そのままでいれば地獄に行くのです。 神様の生命と神様の永遠なる愛の関係です。愛とは神様の愛であって、サタンの愛ではありません。神側の人々の愛にならなければならず、サタン側の人々の愛には絶対なってはいけません。ゆえに、サタン世界の愛を求めていくということは、サタン世界の愛によって嘆息しながら痛哭せざるを得ない世界へ行くことなのです。お父さんとお母さんは息子・娘のために痛哭し、夫は妻のために、妻は夫のために痛哭し、すべてのことを否定する、滅亡する立場です。天の国へ入るための否定ではありません。願って否定するのではなく、願わないで否定するので、これは滅びる立場に入るのです。しかし、宗教は、願って死ぬ場へ行くことによって、反対の世界に行くので、宗教の行く道とサタン世界の愛する道とは正反対だったのです。 夜明けの時代を迎えた統一教会 文総裁は男性としては使い道があるでしょう。顔もこれぐらいなら落第ではありません。昔は、村では賢い男、美男子という言葉だけ聞いたのであって、愚かだという言葉は、この世の中の人々から聞きました。「あの野郎! 愚かなやつ! とどのくらい愚かであれば、一生涯悪口を言われるのでしょうか。それは愚かな者ですか、優れた者ですか。皆、「死ね、死ね」と言ったではありませんか。文総裁の四十年の生涯で、安らかな日があったでしょうか。 このように美男子である男性が、愛する妻を中心として結婚し、女性と男性が布団の中で愛し合ったことがあるでしょうか。ありません。教主が露骨にあのような話をすると思うかもしれません。露骨な言葉は、率直な正義と通じるし、正直と通じるのです。率直は不義と通じるのではなく、正義と通じるのです。だから、文先生は、神側で見れば、また霊界に行って見れば、かわいそうに見えるし、賢く見えるのです。しかし、サタン世界ではいつも、「あの野郎、殴り殺せ、死ね、死ね」と言われました。 日本や全世界でもそうでしたが、今はすべて峠を越えました。今は反対に、全世界が文総裁の後についてこなければなりません。夜が過ぎると朝が来るのと同じように、逆の世界になりました。統一教会は春が来て、サタン世界は夜に向かって過ぎていく時が来ました。そして、サタン世界は希望のない暗い絶望であり、統一教会は絶望だと思っていたのに、夜明けの時代が過ぎ、新しい朝が来ることによって、鮮明時代が来るのです。文鮮明真理の王国になるのです。(拍手) 「鮮」は魚の偏と羊だから、陸地と海と通じるのです。「明」は日と月だから、空中と通じます。「文」の字は早く書けば、父という字と似ています。真理を通して、説明できる真の父という言葉が一番近い所にあります。私も知りませんでしたが、話をしているうちに分かるようになりました。ですから、文家は悪くありません。文家の人々はとても正直で、どこに行ってもだまされます。お金を貸してあげても、「返せ」と言えないのが文氏です。それで生き残れるでしょうか、滅びるでしょうか。そのように愚かで腹がないので、サタンも嫌がるのです。サタン世界すべてが嫌がるのです。 神様が、サタンが好む人を拾うと喧嘩になるので、愚かな人を拾ってポケットに入れたのが宗教のポケットです。そうですか、そうではありませんか。身を滅ぼし、愛を失い、悔しくて生きる道がないので死ぬしかないと、引っ張られて仏門に帰依し、宗教の道に入ったのが、宗教の群れです。廃品を利用する所が宗教なのです。廃品をよく手入れすれば、新品よりよい物を開発することができます。 とても粘り強い先生 成約時代安着と家庭完成時代。これは皆知っている言葉ではありませんか。成約時代とは何のことをいうのでしょうか。父母が生まれ、子女が生まれ、その家庭が、天下の平和の世界、統一の世界になっても、反対するものがありません。障害物がありません。 今日、文先生が戦って勝ったことは、全世界が、天地がすべて通じる中で定着したのです。それは立派ですか、立派ではありませんか。嘘かもしれませんよ。どのように信じるのですか。信じられますか。統一教会は信仰生活の中で難しい時に教えてくれるのです。困難をスルスルと越えてきた教会なのです。先生は、このようなすべてのことを教えることのできる秘訣を持っていて、その先生の話を信じたくなくても信じなければならないように訓練された群れが、統一教会の群れなのです。よかったですか。 一度笑ってみてください。口を開けて、手と足を伸ばして、ハ、ハ、ハと笑ってみてください。サタン世界にその声が聞こえると、あまりにも耳が痛いので、その声が聞こえない所へ逃げていくのです。私の笑い声が怖くて逃げていくのです。サタンを見ることのない環境で暮らしてみたい、それが神様の願いです。今日、皆さんが生きている所は、目には見えませんが、サタンが前後にいるような環境なのです。 しかし、私はそのようなことを見ることのできる目を持っているために目が小さいのです。小さい目は遠くが見えるし、透視することができるので、芸術家か宗教家になります。絵を上手に描く人の中で、目が大きい人がいますか。探してみなさい。目を細めて彫刻をしなければなりません。私も目が小さいので、宗教家になったのかもしれません。 昔、目が小さくてうわさになりました。お母さんが赤ちゃんを生み、その赤ちゃんをさっと見ると目がないというのです。どんなに見ても、線もなかったそうです。このように見たり、あのように見たりして、あることはあったのです。それで、村で小さい目というあだながつきました。村の文氏の中で大家で五山に住んでいたので、「大家の五山の家の小さい目」といううわさが立ちました。 私が小さい目という言葉を聞いた時、どんなに嫌だったか分かりません。ナイフで腹を刺して、塩につけて食べたいほど憎かったのです。私はひどくしつこい男です。だから、世界が反対する局面でも生き残りました。そうでなければ生き残れず、荷物を包んで逃げるか、千里万里いなくなったでしょう。統一教会も世に出てくるはずがありません。神様が私のような人間を立たせ使ったので、このくらい残っているのです。先生のような粘り強い人がどこにいますか。とても粘り強いのです。磐石を割るとしても、割ってから死ぬのであって、割らなければ死ぬことができません。 それで、私の母親は怖くていつも、もちろんうれしくて言うのですが、「ああ、できの悪い種だ。どうしてあのように一度だけ決心して、十年も続くのか」と言ったのです。お母さんのスカートにつかまって、朝、会うとせがみ、昨日もそうだし、一か月後もまたせがみ、それをやってほしいというのです。一年後もそうだし、やってもらうまで続くのです。お母さんが死ぬ前には、やってあげないわけにはいかなくなるのです。「とても悪い種に嫁に来たなあ」。その言葉は、素晴らしい種の母親だという意味です。そうでしょう。 女性が好む男性のことを足りない者と言うのです。自分の主張の半分も通じないので、女性の言うことを聞くのであって、自分の主張が強ければ、なぜ女性の言うことを聞くのですか。そうではないですか。女性の言うことを聞いて、そうしましょうというのは、それは半分です。実際に男性と女性は半分です。半分のものが会って、全人になろうとするのが結婚ではありませんか。上弦・下弦を中心として見ても半分しかありません。上弦は片方だけではだめなのです。右弦・下弦・前弦・後弦、すべてが運命共同体なのです。一つが落ちれば、すべてが破壊されるのです。 人間を見ても、その本質的な内容は父母・妻子・子供、この三つです。これはどこから来たかというと、神様から来たのです。神様も「父母にならなければならない。妻子にならなければならない。子供にならなければならない」。このようなことを考えたのです。子供というのは少年時代、兄弟時代まで入ります。神様においては、神様の少年時代があり、兄弟の時代があり、新郎・新婦時代を経て、父母時代へ発展するのです。それは神様が動機になって、見えない動機が見える形態として現れたのが人間だったので、肉身が見えない心の対象の実体であるように、見えない神様が第一の神様ならば、見える第二の神様には完成したアダムとエバがなるのです。 愛する相対は自分より優れていることを願う 自分の愛する相対は、自分より愚かであることを願いますか、優れていること願いますか。どれほど優れていることを願いますか。どんなにできが悪くても、最高を願います。最高を願いますか、最低を願いますか。何の相対ですか。愛の相対です。愛の相対はすべて二人しかいません。女性からいえば、東の方を見れば夫がいて、上を見ると神様がいて、下を見ると子供がいるのです。子供も自分より優れていることを願うし、夫も自分より優れていることを願うのです。私たち人間がそのように願うならば、その願う動機の内容はどこから来たのでしょうか。神様から始まったのです。神様も自分の愛の相対が、自分より優れていることを願うのです。 神様の愛の相対に、誰がなることを願われたでしょうか。それはアダム・エバしかいません。分かりますか。ゆえに、アダム・エバが完成したならば、神様ご自身もアダム・エバに敬礼するのです。愛の相対であるアダム・エバが自分より優れていれば、神様はどんなに喜んで踊りを踊るでしょうか。千年、万年、僕の暮らしをしてもよいと思うのです。 皆さん、愛して恋患いをして死刑宣告を受ける人において、万年僕になっても、その夫や妻と一つになり、結婚して暮らせるかと聞かれたら、両手で歓迎しますか、歓迎しませんか。どうですか。僕でもよいというのです。どんなことがあっても暮らすというのです。神様がどんなに優れていたとしても、愛の相対は神様も必要なのです。このような話をしようとすれば、新しいことをたくさん語らなければなりませんね。 神様にも生命があります。神様は愛の主体であり、生命の主体であり、血統の主体であり、良心の主体なのです。正しいですか、正しくないですか。愛はありますが、見ることはできません。愛を見ることができますか。生命を見ることができますか。良心を見ることができますか。触ることができますか。神様を見ることができますか。できません。良心はどこにありますか。生命はどこにありますか。愛はどこにありますか。私の中にあるのです。 では、神様は何かというと、生命の根です。愛の根です。それは否定することができません。血筋の根です。良心の根です。それでは、それはどこにありますか。良心は私の一番深い所にあります。一つになっているので、問題は何かといえば、感じることができないのです。一人で生命を感じることができますか。一人で愛を感じることができますか。一人でじっとしているのに、良心を感じることができますか。できません。それが問題です。重要な話です。すべての幸福の基地が、そこから始まるのです。一つになっているため感じることができません。分かりますか。統一教会の文先生が、歴史上初めてこのようなことを話すのです。それは笑うことではありません。なぜそのようになるのでしょうか。 皆さんが、もし三十パーセントの愛を一人で感じ、愛の対象者が百パーセントの存在であるならば、三十パーセント引いた七十パーセントの刺激しか感じることができません。それが数理的に正当な結論です。七十パーセントの愛の刺激を感じて満足しますか。それは自分の感じることが、いつもぶつかるのです。私は分からないが、愛する相対は、百パーセント、百二十パーセントとなって、そこに雷が落ちるのです。 一人しかいないのに自分一人で、愛する美男子に対する以上に、ハ、ハ、ハと笑えば気違いです。ところが、このような草の葉一枚をつかみ踊ったり歌っても、相対がいれば気違いにはなりません。分かりますか。人間はこのような姿になってしまいましたが、その条件的対象の価値は無限な価値です。数千万年、これ一つをつかんでいても気違いではありません。愛する人々の貴い内容が入っているため、千年の間見て、笑い、歌っても気違いではありません。それはどういうことでしょうか。相手の価値は、無限なる価値であるということです。分かりますか。 一人で笑う人は気違いです。一人でじっと眺めていると、気が抜け始めます。目というのは対象があるので見えるのです。人がいないのに話してみなさい。気の抜けた人、無価値な人になります。なぜ一つになったら、分からなくなるのでしょうか。 皆さん、ここからしばらく下りていくと肥料工場があります。先生がないと言ったら、皆さんは何と答えなければなりませんか。(「あります。」)ある。先生の悪口を言っても大丈夫なのです。事実なので、ないと言う人が気違いです。正しい答えは天下をつかむのです。どの国でもどこに行っても、困難がある時には自分の生命も投げ捨てられるような大胆な男が必要であり、それを見て喜んでいる女性がいればよいのです。女性は大胆ではありません。 自分と違うから笑うのであって、同じならば笑うことはありません。同じ者同士が笑うと縁起がよくありません。汗をびっしょり流して向かい合って笑うと、気分が悪いし、縁起もよくありません。しかし、汗をびっしょり流しているのに、無力な女性がその後ろの方で、見て笑えば、力が出るし縁起がいいのです。本当ですよ。私のようにたくさんの言葉を語り、大衆を指導する経歴のある人が嘘をつくでしょうか。 真の愛は、作用すればするほど大きくなる 一つになる目的は何かといえば、完全な対象を、百パーセント主体・対象として一緒に合わせるためであり、それは一パーセント少なくてもいけません。真の愛は、増えるようになっています。今の力の世界、力学の世界では、入力は出力より大きいという公式ですが、愛においては入力が出力よりも小さいのです。お母さんの愛が、子供を百パーセント愛したら、お母さんの愛の包みは空っぽになりますか、それとも満たされるでしょうか。百パーセント愛すれば空になりますか。百パーセント以上、もっと愛したいですか。百パーセント愛しても、もっと愛したいのです。 小さいものが作用すれば大きくなるのです。ゆえに、聖人の行く道は迫害が多く、すべて死んでいってしまいましたが、歴史を全部のみ込んでもあまりあるものだったのです。作用すれば、だんだん大きくなるのです。 ガリラヤの海辺で、ローマへの反逆罪で死んだイエスは、三十三歳の青年でした。客死した悲惨な一人の男性が、どのようにして世界を統一したのでしょうか。動けば動くほど大きくなって、そのようになりました。どんな内容を持って動いたのでしょうか。真の愛を中心として、神様と関係のある内的な愛の因縁をもって動いたので、動けば動くほど大きくなったのです。 ゆえに、かわいそうなイエスはガリラヤの海辺で死んだのですが、キリスト教文化圏が世界を統一しました。第二次大戦以後、一度統一しました。活動してだんだん小さくなるのであれば、そのようなことがあり得ますか。だから、聖人の道理は歴史を動かすのです。世界を生かすために、超国家的基準の愛の因縁を残したからです。それは神様に属するのです。 世界のために犠牲になるということは、神様の直轄圏内、神様の真の愛の圏内に入るということなので、彼をたたけばたたくほど、それはさらに大きくなるのです。転がせば転がすほど、もっと大きくなるのです。ゆえに、統一教会の人も、真の愛に属する人々はできるだけ転がしなさいというのです。転がしやすいのは、上り道ですか、下り道ですか。(「下り道です。」)ゆえに、統一教会の文先生は坂道で転がし、どん底に投げ込む専門家なのです。本当です。 そうして、どん底にうまく転がして出れば、ピッチャーがボールを投げると、キャッチャーが受けるように、このように受けてひょいと自動的に上がるのです。谷間へひょいと上がるのです。その反作用は愛の力の反作用なので、最初に出発した峠よりも、高い峠を越えて行くことができるのです。同じ原理の同じ結論です。それは正しいですか、正しくないですか。そのような理論が出てくるのです。 真の愛の舞台において、あらゆることをされ、どん底に転がり落とされても、絶対に滅びることはありません。文総裁は、反対、迫害をよく消化して、「死ね、死ね」と言われて、下へ逃げて倒れたとしても、だんだん大きくなったので、世界の歴史にない成功の実績を残すことができたのです。それは正しいことですか、正しくないことですか。全国民が見ている中で、国のためにその怨讐のもとで生命を投げ出して死んだ人は、歴史を動かすことができる偉大な力の主人公になるのです。 ゆえに、真の愛の道とは、愛のために生命を惜しみなく思うことなのです。生命を小切手のように投げながら、希望に満ちた行進をできる人が、真の愛を持って生きる人々の姿なのです。統一教会の人々は、皆そのようにしなければなりません。そのようにしましたか。私は自分の生命を賭博場でかけて、最後のカードを出し、生きれば生きることができるし、滅びれば滅びるしかない、そのようなことをたくさんしてきました。 どうせ一度は死ぬのです。二度死にますか。死ぬのなら正しい立場で死のうと思ったのです。ジャンピングして限りなく広い湖まで来ると、そこで生きた龍が口に挟んで飛翔し、太白山の頂上に登らせてくれる、そのようなこともあったのです。いつも迫害を受けて、滅びるのではなく発展しました。そうですか、そうではありませんか。そして今は、どこで私をまた迫害するのか探し回っているのですが、迫害がなくなったので残念です。 それでは、私の責任は何でしょうか。迫害をすることです。天下の福が私の包みの中に入ってきたので、真の愛の迫害をよく受ける人に福を分けてあげなければなりません。むちで殴りつけようとして、それに打たれようとお尻を出して訪ねてくる人が、統一教会の食口の中に何人いましたか。私は自ら神様を求めていきました。神様が、私のところに訪れてきたのではありません。 同じ道理から見ると、統一教会の食口たちは、文総裁にお尻を百回、千回、もっと打たれようとしてみましたか、みませんでしたか。鶏の生命のない卵を有精卵といいますか、無精卵といいますか。なぜ、無精卵といいますか。生命の種が入っていないからです。生命の種が入っていない人は、無精卵と同じような生命として終わるのです。 氏族的メシヤの使命 今年の年頭標語は「真の父母と成約時代安着」です。今まで真の父母はジプシーの群れでした。故郷もなく、本然の地がありませんでした。故郷を求め、さまよっているジプシーの群れと同じだったのですが、今は本郷の地に戻ってきたのです。 還故郷という言葉があるでしょう。統一教会は他の宗教と違い、出家という命令がなくなりました。それが宗教の世界で、どれぐらい幸せな言葉になるか分かりません。故郷を訪れることのできる宗教が現れたのです。またその次には、結婚をすることができる宗教が現れたのです。そして、先祖の位置を探して定着しなければならないのに、先祖の位置を失ってしまったのです。偽りの先祖から真の先祖にならなければなりません。それが氏族的メシヤの使命です。皆、ご存じでしょう。 朴普煕! 氏族的メシヤになりましたか。新聞社を辞めて、故郷に帰ろうと思いませんか。北韓の金日成に興味を持たないで、自分のお母さん、お父さん、そして、かつて暮らした故郷の地にもっと興味を持たなければなりません。じっと見ると、朴普煕は北韓に対してもっと興味が大きいようです。(「違います。」)本当ですか。今日、政治世界の秘談、歴史の秘話になる話を、一言聞かせてあげましょうか。 金日成は昔の天使長の本然の立場に入って、アダムの身代わりに神様の立場、実体になりたいのです。日本がエバ国家ならば、新郎のアダム国家は韓国です。それでは、三天使のアメリカは復帰されたアダムの立場であり、天使長の立場ですが、自分の利益のためなら堕落する可能性が多いのです。 中国も十三億を持っているので世界一と言い、ソ連は共産世界の二十数か国を指導した頭です。全部ナンバーワンという立て札を持っています。金日成と中国とソ連はすでに友達になりました。ですから、アメリカだけ引っ張り出せば、金日成は私だけ抜き出して、南韓はなくなると考えるのです。すでにそのように見ています。 ソ連と中共を料理し、アメリカだけ引っ張り出せば、三天使長を率いる代表者になるのです。そして、金日成が日本までも占領できる日韓戦争を宣布する日には、一瞬のうちに終わります。このようなことは文総裁が初めて話すのです。最後までそのような計略をする可能性があるので、このような話をしています。 金日成は韓国を退けて、アメリカを中心として一つになれば、何をするかというと、韓国は金日成が所有し、日本には関心がないので、北海道はソ連に分けてあげ、南側は中国に分けてあげ、真ん中、大阪地域はアメリカに分けてあげると言えば、関心があるでしょうか、ないでしょうか。日本はこのようなことを知りません。 それを防ぐために、私は今準備しています。早いうちに学生運動を展開し、大学内に原理研究会の立場を早く確立しなさいというのです。韓国を信じられますか。行政府に左翼分子が浸透し、今でも命令さえあれば、あらゆる行動が起こせる環境が整っています。煽動され、騒ぎ、放火する輩は学生たちです。 アメリカが経済問題、ソ連も経済問題、中国も経済問題、ゆえに日本にある金の包みを分けてもらおうとします。原理的に見れば、堕落する時に、アダム・エバを中心として三天使長の戦いが起こりました。それが世界的に起こったので、世界国家的次元で秋の刈り入れの時期を迎えたのです。アダム国家の大韓民国を中心として、日本は裸になったエバ、堕落したエバです。金銀宝石で飾り、誰でも来なさいという状況です。そこにアメリカ天使長、中国天使長、ソ連天使長、すべて天使長です。これを食べようと、互いに見張っています。誰が日本を料理するのか見張っているのです。 アダムは、このような局面で日本を失ってはいけないので、エデンの園では奪われたけれども、世界的な秋の時期には奪うことができないように、交差結婚をしてしまったのです。息子・娘を全部一つに結んだので、息子・娘のお母さんは全部背負われるようになっています。背負われるとそのお母さんは自動的に再臨主と一つになって、天下統一を残すことができるので、交差結婚をしたのです。交差結婚をするといって、私がどれほど迫害を受けたか分かりません。これは偶然、過ぎていく言葉ではありません。そのような実戦において戦い勝利し、基盤を残した男になったので言う言葉なのです。 天使長がエバを奪っていくようになりましたか、なりませんでしたか。(「奪っていけませんでした。」)ですから、エバを連れてきて殻を脱がせて、十六万名を十六か国と同じように、サタン以上の全体条件を立てて、今教育中です。本来ならば、今年の二月までにすべて終えようとしたのです。しかし延長になれば、特別祈祷をして延長しないと、大きな問題になるのです。日本の経済の問題が、峠を越えられるか、越えられないかが懸かっています。そこで、中心者、代表者である文総裁が責任を持って、日本の死亡圏を乗り越えさせようとしているのですが、その人々はかえって私に反対しているのです。来年八月までに統一教会をなくそうとしていますが、なくなるでしょうか。反対に九月には横腹をけって頭を押さえてしまうのです。 南北の青年たちを一つにし、統一の時代へ 国際連合と米国は、第二次世界大戦以後、新婦圏アベル兄弟です。米国は新婦となるアベルの立場で、キリスト教文化圏であり、全世界もキリスト教文化圏です。これがカイン・アベルと一つになって全部分かれたものを一つにしなければなりません。第二次世界大戦で英・米・仏を平面的に失ってしまったので、世界を平面的に蕩減するために、お母さんが現れて、復帰されたお母さんが世界の女性を代表してすべて戦ってきたので、サタンはこの女性に対して手をつけることができないのです。このようにして逆に復帰してきたのです。お母様が立つことのできる国がないので、そこから日本を接ぎ木してきたのです。 反対されることがとてもありがたいのです。日本でそのように騒いだことが、九月のバトンを受け取って、八月を越えて始まったのですが、一言も反対しないで皆が歓迎したのです。時がそのように違ってきたのです。太陽が昇るようになれば、夜は朝までには後退しなければなりません。朝日に反対してもだめです。きれいになるのです。ちょうどその時になって後退するので、静かに夜明けの朝日を見ながら、天下がすべて調和することのできる環境でカバーしたのです。それで、日本の国が復帰されました。英・米・仏が再蕩減して、新婦圏完成、国家的次元が連結されました。英・米・仏の上に新婦資格を完成して一つになったので、来るべき新郎、再臨主と神様に侍ることによって統一天下になるはずだったのですが、失ってしまい、今もう一度探し求めて来ました。分かりますか。 再臨主と神様が来られ、南北統一、統一天下をなすことのできる祖国光復をなさなければならないのです。今は、一九四五年の英・米・仏の統一圏を復帰した立場で、新婦圏のお母様を中心として連結されたカイン・アベルを完全に統一した立場に立ったので、この国は金日成がいても問題はありません。問題は何かといえば二世です。 真の父母を中心としてカナン福地に入り王権が成立されれば、王権の前に二世たちを中心としてカイン・アベルです。上陸したイスラエル民族とカナン七族がカイン・アベルです。その二世だけを中心として国をつくったならば、そこから統一天下、祖国光復が建設されるのです。それができなかったので、歴史を通じ世界舞台を越え、再臨主まで延長されてきたのです。 今残ったのは、南韓の学生と北韓の学生だけです。だから、今まで南韓において、私たち統一教会の原理研究会と運動圏(政治活動をする学生たち)との戦いをする中で完全に追い出されました。棍棒で全部たたかれ、全部追い出され、完全に敗北したのです。このような実情で、息子・娘がいないのであり、アベルがいないのです。アベルが死んだので、復活させなければなりません。誰が復活させなければなりませんか。母親が再び生んであげなければなりません。それで、この四十の峠を越えてきたのです。お母様がそれをしなければ大変なことになるので、これを引っ繰り返しました。完全に引っ繰り返しました。私がそのように言った時は、それは不可能であると、誰も信じなかったのです。 全世界の平和青年連合をつくるのです。卒業生たちと学校の在学生、これがカイン・アベルです。女性たちがこれだけをしっかり握り、これだけが一つになれば、その中心でお父さんとお母さんが神様を背負ってその上に上がり立てば、天下統一は自動的になされるようになっているのです。 成約時代はご父母様が定着するのです。ご父母様は今までさすらい人だったのです。長成期、完成期、完成級の七年間、世界的な戦いをするため定着せずに、故郷の地がなかったのです。今は世界のすべての外的な整備をして、故郷の地に来て、韓国に来て、カープと共産圏、このアベル・カインを一つにしようとしたのですが、皆追い出されました。基地を失ってしまったのです。ですから、お母様を通して、再び生むようにしなければならない責任があるのです。先生が動機になるのです。分かりますか。 先生と一つになって、四十個、すべての峠を越え、四十周年になる前にこれを清算しなければなりません。そうでなければ、四十周年の峠を越えることができません。このようにして向きを変えたのです。神様が保護してくださって、よくできましたか、できませんでしたか。誰がなしたのですか。(「お父様がなされました。」)いや、お父様ではなく神様がなされたのです。 時を知らなかったならば、大変なことが起こるのです。そして今は、主客が転倒されました。南韓が引っ繰り返したのです。南韓を中心としたものがアベル圏になったため、北韓の学生がカインであり、これだけを一つにすればよいのです。同じ舞台に、北京に引っ張り出しました。今、引っ張り出されてくるしかないのです。これをしなかったら大変なことになります。世の中が知らないことを、すべてが糸束のようにもつれたものを、ピンセットで逆さまに解き明かすのです。 今は全部解けました。北韓の青年たちと南韓の青年たちだけを、カイン・アベルだけを一つにすれば、統一は自動的にできる時代に入っていくのです。金日成や金大統領に遠慮することはありません。血を流さず、どれほどよいことでしょうか。ここに安企部の手先たちが来ていたら、文総裁がこのような不敬なことを言っていると報告しなさい。(笑い)文総裁を引き抜く実力があるかないか、頑張って自由行動をしてみなさいというのです。 米国が私のおしりについて来るのです。ワシントンが私の風を、私の台風を防ぐことのできない段階を迎えました。クリントンの行政部の行使権が、文総裁の息遣いに動かされるのです。そのようになるだろうとは天下に誰も知らなかったでしょう。神様が生きていらっしゃるので、夢のような事実が起きているのです。 日本の女性たち、昨日も三時四十分に終わりました。帰ったら四時が過ぎていました。そして一時間三十分休み、私が今こうしています。それにしても、八十歳の年寄りが倒れないのは立派でしょう。なぜだか分かりますか。鞭で打たれて、浮浪者のような者たちから拷問されても耐える訓練をしたので、いまだに、十時間立って話をしても、さしつかえない余裕満々な男です。知らなければなりません。しっかりしなさい。この生ける屍の群れのような統一教会の者たち! 私はそれをよいとは思いません。 「家庭盟誓」と一致する家庭に きょうの朝、生き返りましょう。何を中心としてですか。家庭を中心としてです。今まで個人の誓いをしながら、全部失敗しました。「私の誓い」という個人の誓いで失敗したので、しかたなく家庭で復帰しようとするのです。そのために、家庭の盟誓文をつくるしかなかったのです。四十の峠を越えてみたら、私はこうすることができる立場にいるのですが、従って来たこの者たちが皆、大きな打撃を受けて活力を失っていたのです。 「家庭盟誓」をつかんで、私がなしたので私をつかんで離さずに死の峠でも従っていく限りは、その家庭が生き残ることができる第二解放圏ができるのです。すべて「家庭盟誓」を宣言しなければならないということを分からなければなりません。(「アーメン。」)滅ぶ家庭、滅ぶ社会、滅ぶ国家、滅ぶ世界、滅ぶ天地歴史、滅ぶサタン、滅ぶ時代になったので、反対に繁栄する個人、社会、国家、世界の神様圏を崇めて、家庭の最初の出発、安着した、サタンが意のままに動かすことができない、定着された家庭の世界的統一前線が始まらなければならないのです。(「アーメン。」) そして、ご父母様が安着して息子・娘を生んだので、関係を結んだので、安着しなければならないのです。分かりますね。だから、「家庭盟誓」の内容を捧げなければなりません。その次は家庭完成時代、安着する時代です。家庭完成時代は、「家庭盟誓」と一致するような家庭になるならば、家庭理想を完成する家庭となり、サタンと永遠に離別して、天の国へ直行することができる家庭、氏族、民族、国家となるのです。直行行路がきちんとあるのです。それを願いますか、願いませんか。 それでは、盟誓文の第一は何ですか。真の愛を中心として、本郷の地を求め、求めなければなりません。神様の創造理想である地上天国と天上天国を完成することを盟誓ではなく、創建しなければなりません。創建、創建しなければならないのです。私の手でつくらなければなりません。悪魔の世界をきれいに取り戻さなければならないのです。サタン世界圏を完全に回復させなければなりません。だから、完成ではなく創建です。これが違うのです。 二番目は何ですか。代表的家庭です。神様と真のご父母様に侍り、代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の道理を完成することを誓わなければなりません。今までの歴史時代において、神様に不順、不孝し、逆賊になったことをすべて踏み捨てなければなりません。家庭でもそんな連中が多かったし、国家でもそんな連中が多かったし、世界でもそんな連中が多かったし、天地でもそんな連中が多かったのです。そのすべてのことを代表して、皆真のご父母様と一つになって、このような家庭を完成しなければならないということです。分かりますか。 それをすることによって初めて、神様の本然的、アダム・エバが堕落しなかった本然的理想形である四大心情圏、真の愛を中心として四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成することをお誓いいたします。このようになった家庭は、そうすることができる立場に立つのです。神様と真のご父母様に侍り、天下の代表、イエス様のような世界完成したそのような立場に立って、神様に対するようになる時には、サタンとは永遠に関係ないのです。解放的自由の舞台の上に立ったので、本然の理想的な四大心情圏、真の愛を中心として四大心情圏と三大王権を完成できる立場に立つのです。三大王権はおじいさん、お父さん、息子の王権です。皇族圏というのは、これは直系のことではありません。 堕落したために長子たちが復帰されて長子権が復帰され、アベルが長子になった後、長子は次子の立場に立ったのです。今まで世界の人が怨讐となって、長子の立場で天の側のアベルを殺してきたからといって、すべて殺してしまうことはできません。分かってみれば、それはお兄さんであって、お兄さんの立場から弟の立場に、お兄さんと入れ替わっただけで兄弟だったのです。ですから、このような群れたちを、世界の人々を皇族扱いするのです。統一教会がアベル的皇族であれば、サタン世界はカイン的皇族です。統一教会の人たちは、このカイン的皇族を一つにしなければ、天国に入ることはできないのです。分かりますか。 ご父母様と一つになれば、反対がないために、順理的に皆従うようになっているため、ご父母様と一つになってこのような難しいことを解決しようとするので、氏族的メシヤ圏を設定しなければならないということを知らなければなりません。氏族的メシヤ圏を完成し、このような原則的な盟誓をしなければならないのが、三番までの盟誓です。分かりますか。この立場に立つならば、天の国の民、地上天国、天上天国の道理からすべてのものを受け継ぐことができるのです。 それでは、四番目は何ですか。神様の真の愛を中心として、創造理想である天宙大家族理想を形成しなければなりません。このような基盤があって、神様が願う天宙大家族です。そうではありませんか。カイン・アベル、世界が大家族です。四大心情圏、三大王権をすべてなした立場で大家族理想を完成し、そのような立場に立たせておくことによって、自由、平和、幸福の世界を完成することをお誓いいたします。これが順番のとおり、このようになっています。 祈祷する時には、この盟誓文を唱える 次に五番目は何ですか。私たちは毎日、このように生きるのです。地上天国をなして大家族をなすのに、その大家族がどこを標準にして生きるのかといえば、それは天上世界のより大きな大家族です。毎日この相対的世界の大家族が拍子を合わせて、統一を形成しなければならないのです。統一に向かい、前進的発展を促進化するのです。前進的発展とは、そのように一つになって動かずにいるのではありません。発展しながら、家庭時代から氏族時代、氏族時代から民族時代、世界化、すべて進んでいかなければなりません。前進するのであり、停止する場合には地獄と連結されるのです。一歩でも前進することによって、繁栄と天国に連結されるのです。前進的発展を促進化しなければならないのです。しきりに足どりを早めなければなりません。前進を早くしなさい、早くしなさい。 今日、統一教会の人たちは、毎日のように霊界を中心として歩調を合わせることを考えますか。何か月に一度考えますか。だから、勝手気ままになるのです。毎日毎日、検討するのです。大家族をなしたとしても、また堕落することができるのです。これを保護するために、前進的統一に向かって、前進的発展を促進化、促進化するのです。その次は何ですか。することをお誓いいたします。ここには完成という言葉はないのです。今まで、天上天国統一完成ができなかったということです。促進化して、そこに合わせるように努力しなければなりません。これが絶対に必要なのです。世界大家族をいくらなしたとしても、これができなければ、すべて途中で解散してしまい、めちゃくちゃになってしまうのです。分かりますか。 仕事をしても、どこに行っても、座っても、休んでも、いつも主体的霊界の前に対象の影と一つになって、これが停止せず、発展することによって、家庭から氏族、民族、国家、世界の上を越えるべき立場に立って、初めて地上天国、天上世界、本然の統一的神様の理想世界を完成するのです。促進化をしなくてはならないのです。分かりますか。順番がそのようになっています。 次に六番目は何ですか。天運を動かすのです。真の愛を中心として、真のご父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となるのです。真のご父母様が受けた受難のすべては、自分がよく生きるためではなく、すべての人類を自分が解放するため、天運を分けてあげ、天倫を渡してあげるためだったのです。真のご父母様に従ってくる天運を、そのまま渡してあげなければなりません。福の基となりなさいということです。分かりますか。 いくら促進化し一つになったとしても、その人が地上に来て、自分なりの福だけ受けて戻ってはいけません。地上に功労を立てて、すべての人が満足し、大きな天運の恵沢を受けることができるものを残していかなければならないのです。ですから、先生は今まで、幸福で自由な環境で天下を動かすことができ、福を受けることができるこのような環境で、父母の御旨を立てるために、反対の道をすべて経て、万民にまで天運を相続させるためにきたのです。 真のご父母様の家庭の代表者として、皆さんたちも天運を分配してあげる家庭とならなくてはなりません。そうすれば、真のご父母様の後ろに従って、天の国で一緒に呼吸をして、上に行って生きることができる面目を立てることができるのです。これは必要ですか、必要ではないですか。順番が全部整っています。聞いたらぐっと入ってくるでしょう。 いつでもお祈りする時は、この盟誓文を唱えなければなりません。ですから、お父さんがこの内容に引っかかれば、お母さんの前に、家庭の真の主体として新しい使命をなせなかったと、悔い改めなければなりません。また、お母さんがなせなかったならば、お父さんと息子・娘の前に悔い改めなければなりません。このようにしてでも、私たちの家庭を正しく、神様、主体の前に、対象の立場を喪失しないように維持していかなければならないのです。一生の間、自分の後孫たちを背負っていき、いつまでも導いていかなければならないのです。分かりますか。 福を分けてあげられる人にならなければなりません。盗みはいけません。統一教会に入ってきて、今まで奪ってきたこの者たち! 皮を剥ぐつもりです。私は無情な人です。御旨のために、お母さんを私の目の前で追い出した人です。愛する聖進の母親を追い出した人です。大韓民国をすべてあきらめて壊して、カイン世界を救うために、ありとあらゆる監獄生活をすべてして帰ってきた人です。 神様の御旨のためには、反対する世界を越えるためには、百八十度異なる道を、個人、家庭、氏族的反対を受けながら生きてきて、歓迎を受けることができる舞台に戻ってきてから引き継ぎ結ぶのです。そうしなければ、二つの世界を消化することができません。だから、ご父母様が天運を集めて、死亡の世界に福を与えるのと同じように、皆さんたちも、そのようにしなければならないのが六番目の盟誓です。分かりますか。 世界平和は、心身統一と家庭統一から その次、七番目が重要なのです。私たち家庭は真の愛を中心として、どんな血統ですか。本然の血統です。堕落しなかった、アダムの堕落と全く因縁がない、本然の血統を引き継いで、何ですか。血統と連結された心情文化世界を完成することをお誓いいたします。私たちの世界は心情文化世界であり、神様のただ一つの愛を中心とした統一家族、一つの家族です。 高い人も低い人もなく、五色人種が一つの家族生活をしなければなりません。富める人は、これからそのような時が来ます。全世界を動員して、平準的生活を定めましょう。そのようになれば、世界公議会はどのように定めるでしょうか。どの国を中心として定めるのでしょうか。このように見るとき、北韓があのように貧しいので、貧しい北韓を中心として基準とみなすのです。アフリカではありません。 アダム国家を中心として、一番貧しい人、北韓があのように貧しくなって、食べるものがなくて、大騒ぎし、乞食のようになるのを見て、世界の資産家など、富めるキリスト教文化圏がその立場に降りていき、上がってこなければならないのに、降りていくのが好きでないのです。そのような人は地獄へ行くのです。文総裁はそれを自ら進んで降りていきます。あのどん底の地獄に入っていき、再びよじ登ってきて、すべてを勝利して上がってきたのです。そうしましたか、そうしませんでしたか。同じです。 ですから、北韓を救わなければなりません。北韓を食べさせていかなければなりません。私たち統一教会が稼いで、食べさせなければならないと考えなさい。今の世の中には、そのような法はありません。世の中にはそのような法はありませんが、神様にはそのような法があります。それはいくら研究しても分かりません。分からないから反対をするのです。それが分かったら、福を受けたでしょう。 本然の血統と血筋、血筋です! 千年、万年、この後孫が罪を犯さないように、精誠を尽くさなければならない第一先祖とならなければならないのが、統一教会の祝福家庭たちなのです。その前において、再び堕落したらどうしますか。見ることができないのです。即刻、追い出すのです。 これからは、代表的な家庭になるので、堕落したら赦しがない時代に入っていくのです。恐ろしい世界が来ます。ですから、私は話すことができません。結論を言うことができないのです。祝福を受け、そのように堕落して生んだ息子・娘を神様の前において見ることができません。これは何重の罪を犯したことになるので、地獄に逆さまに投げ込まれても、神様は見ることができないのです。ですから、男女関係、愛の小枝を通じたことが、このように恐ろしいということを知らなければなりません。 ゆえに、本然の血統なのです。本然の血統と連結された神様の血統です。連結された心情文化世界です。どこに行っても神様です。その心情文化世界では、すべてが和動するのです。ふー、このように息をすれば細胞たちも拍子を取って、一緒に息をしなければならないのです。同じです。神様の真の愛から、為に生きる、為に存在する、この原則において一元化し、より為に生きることへ前進することによって、神様を栄光のお方にすることができる道があるのです。自分のために生きる人は、神様を栄光のお方にすることができません。 なぜそんな話ができるかといえば、自分の愛する相対者は自分より優れていることを願うのが原則ならば、百ぐらいの神様の愛があったとしたら、百だけ投入すれば、百パーセントぐらいの相対しか現れないのです。それで、百パーセントを千回、万回、億万回投入して忘れるときにのみ、億万倍の限界線を越えた愛の対象を捜し出すことができるのです。そのように理論的になっているので、私たちは投入して忘れ、投入して忘れるのです。父母が私のために投入し、負債を負ったならば、そこにプラスさせ、私は息子・娘に投入し、その次にまた、その息子・娘は孫に投入すれば、ますます大きくなるようになっているのです。小さくなれないのです。それが心情文化世界になるのです。だから、自分を中心とした堕落の後孫は、絶対に栄光を受けることができない時代が来るのです。 その心情文化世界は、本然の神様の文化世界であり、堕落しなかった、完成したアダム文化世界です。文化が二つではなく一つであり、言葉も一つであり、習慣も一つであり、伝統も一つしかない、このような統一の世界になるでしょう。そこでのみ神様が、個人と共に住み、家庭で住むのです。このようなことを知らなければなりません。 ここで総結論として、このような盟誓文が必要になったのは堕落が原因なのです。堕落がなかったならば、盟誓文も必要ではないのです。今、完成した家庭になるということは、堕落の愛の基準を越えた立場で話すのです。分かりますか。盟誓文を唱えるのは、堕落の基準を越えた立場で唱えるのだということを、日々実感して生きていかなければなりません。 それでは、堕落の基準を越えた立場とはどこにあるのですか。心身が統一されている立場です。皆さん、体と心がまだ激しく戦っているでしょう。それはどういうことかといえば、盟誓文を唱えようとすれば、心身が統一されていなくては、大きな声を出して唱えられないし、天地に自分の顔を振りながら誇らしく唱えられないのです。堕落したその根がまだ、すべて甘柿の影にあるということを知らなければなりません。分かりますか。 心身が統一された立場で、真の家庭になるべきなのに、偽りの愛は心身を分裂させてしまったのです。復帰された家庭は、心身が統一された家庭の立場に立って初めて、「真の愛を中心として」と言うことができるのです。「真の愛を中心として」と言う時は、心身統一されている上でいう言葉です。いつもそれを考えなければなりません。分かりますか。 その次は何かといえば、心身統一と男性女性、夫婦統一です。エデンの園で堕落し、夫婦統一がなされなかったのです。その次には子女、父子の関係が統一できなかったのです。そして、カイン・アベルと父母が、お母さんお父さんが別れてしまいました。これが歴史の癌的起源なのです。それは偽りの愛によって分立された最初のモデル形なのです。 この一つの範疇となっているため、「真の愛を中心として」と言う場合には、体と心が一つになり、父母が絶対に一つになり、父母と息子・娘が絶対に一つになった上で、初めて言えるのです。絶対的な勝利の自信に満ちた立場で唱えなければならないのが、私たち統一教会の盟誓文である。(「アーメン。」)確かですか。(「はい。」)心と体を統一しなさい! 世界平和は心と体の統一と家庭統一から、それが起源です。それができなければ、いくら統一されても、皆さんと皆さんの家庭とは関係がないのです。正しいですか、正しくありませんか。 夫婦同士が争うのに平和がありますか、幸せがありますか。父子同士が争うのに幸せがありますか。ありません。偽りの愛によって、偽りの父母の生命と愛と血統を通じて始まることによって分かれたのです。私たちは真のご父母様を中心として、真のご父母様の真の愛と真の生命と真の血統を中心として、一つになり統一された立場に立ったので、これを越えた立場に立つことによって、真のご父母様の子女の名分を備えることができるのです。これが公式的な結論だということを否定できないのです。 ゆえに、まずこの問題をすべてこの盟誓文に織り込んで、第一番、第二番もその上で形づくらなければならないのです。分かりますか。これを唱える前に、そのような自覚をはっきり持たなければなりません。一つになっているかいないかは、自分自身が分かります。それは教える必要もありません。 「家庭盟誓」は千年、万年の表題 そして、今私が教えてあげていることは、良心は神様を迎えることができる第一の対象であるということです。その対象は神様の愛の対象で、神様よりも何千倍偉くなることを願う愛の相対なので、良心以上に絶対的に尊いものはないのです。神様よりも素晴らしいものが、私の中に入っているのです。そして、良心は父母より前に立つのです。良心は師匠より前に立つのです。良心は神様より前に立つのです。 そのような良心と一つになる時、神様もその懐の中で永遠に離れず同居することができるのです。良心を絶対的に中心とすれば、宗教が必要ないのです。お祈りが必要ないのです。解放です。分かりますか。統一教会もすべてなくなるのです。父母よりも勝る立場にいるのです。どんな師匠が良心の師匠になろうというのですか。師匠が何だというのですか。良心がすべて知っているのです。 ねずみも航海する時、船が破損しそうならば先に逃げてしまうのに、人間が真の愛を中心として一つになった立場で、それを分からないでしょうか。すべてを分かるようになっています。教育が必要ないのです。全部、分かるようになります。堕落した人間も、自分の一生のことについて知らないことが一つでもありますか。ありません。神様よりも前に立つというのです。 そのような驚くべきものを、神様が私たちにくださったのです。千年、万年求めても求めることができない、尊い父母の代身、師匠の代身、神様の代身として尊いものをくださったのです。これを疎かに取り扱い、蹴飛ばして、自分勝手に蹂躪したのです。この体のためです。それが分かったので、分かった群れとしては、そのままにしておくことはできません。分かったので、解放することができるのです。真理を知ることによって解放しましょう。分かりますか。 体と心が一つになれず、夫婦同士が戦うのです。不義を許すことはできません。自分の子供たちをすべて浮気者にしてしまいました。そのような家庭は、祝福家庭の数に入れることはできません。すべてこの原則で整備しなければならないのです。私が話さなくても、この原則にどれほど一致しているかを悟ってください。自分の家庭でこれに合わないことがあれば、お父さんが間違ったら、それを誰が審判するかといえば、一番近い人が審判するようになっています。堕落したときも、一番近いお父さんが審判しました。妻が間違ったら、夫が審判しなければなりません。お父さんが間違ったならば、子供がしなければなりません。子供が間違ったならば、お父さんがしなければなりません。 このような公義の時代に向かって、私たちは準備をし、恨みの路程を自分の一生に残さず、天上世界に移動し、移住していかなければならないのです。今日、堕落した人間として整備しなければならず、そのような姿で、これを処理していかなければならないのが、私たちの宿命的な運命の道なのです。宿命は変えることができません。死んでも、なしていかなければなりません。分かりますか。 だから、そのようなご父母様の安着時代を中心として、主体の前に恥ずかしくない家庭完成時代を迎えなければならないので、ここで私たちは、「家庭盟誓」が必要だったのです。これは、千年、万年の表題になるのです。驚くべきこのような盟誓文を、堕落した宗教の仮面を脱いで、解放の立場に立って唱えることができる、この驚くべきことに感謝しなければなりません。涙なしには唱えることができません。多くの恨みの血を流して、血の祭壇をこの統一教会まで引っ張ってきて、その血の祭壇において自分を踏み越えなければ、この世界から天の国に行くことができないのです。この祭壇がなくてはならないのです。 それは真のご父母様が今まで引っ張ってきた歴史的な旧約時代、新約時代の血を連結してきて、成約時代の先生の生涯は血を流してきた路程だったのです。このような完成的な段階を踏んで、私と一つになって向こうから越えるようになる時、億万サタンはここから永遠に離別する驚くべき事実を実感しなければなりません。そうすれば、実際の天国が私の天国になるのです。はっきり分かりますか。 きょうお母様も、「郭錠煥が話をしたらどうですか」、郭錠煥も「本部教会に行かないでください」と言ったのですが、私がこのような話をしてあげなければならないのです。郭錠煥が千回話をしても、歴史の記録に残すことはできません。先生が残しなさいと言えば、残すようになっているでしょう。先生の御言は、残しなさいと言わなくても、残さなければならないのです。しかも、米国で勝利して韓国の祖国の地に帰ってきたら、何よりも最初の聖日には、私が話さなければならないようになっているので訪ねてきました。 だから、そのような重要性を知ってください。先生が提示したこの盟誓文は天の国全体が願い、天の国でもこれを唱えます。天の国には家庭がないのです。私たちが行かなければなりません。協助して、家庭完成、国家完成、世界完成が起こることによってのみ、天の国の家庭再編成が行われるべき時が造成されるのです。先生が行き、主導しなければなりません。神様ご自身は主導できないのです。このようなことを言うので、異端者の首魁としての扱いを受けるのが適当だと見るのです。異端の王でしょう。聖書にはないでしょう。聖書には全然ないことが事実以上にはっきりとしているので、それがキリスト教より本物の間違いない異端だとしたら、異端を好む神様になるのです。正統だとしたら、唾を吐く神様になるしかないのです。 だから、神様も変わったのです。復帰する神様、悲しんでいる神様、喜んでいる神様と変わらなければならないので、救援摂理に必要だった新約、旧約は必要ではなく、成約時代が必要になるので、神様は、キリスト教が好きではない統一教会を好きにならなければならないようになりました。(「アーメン。」)きれいになりました。 今からはご父母様に侍る時 では、考えてみなさい。このような膨大な内容を、このようにしてすべて方向を定めたので、先生は今からはすることがありません。私は何をしなければならないですか。お母様と部屋で喧嘩をしなければならないですか。世界の舞台を回りながら見物し、旅行をしなければならないですか。どんなことを願いますか。(「旅行されることを願います。」) 今からは反対に、ご父母様に侍らなければならない時が来ました。税金を払わなければならない時が来ました。ですから、今から盟誓文を唱える人は、三人家族であれば、五人家族としてご父母様に侍って暮らさなければなりません。人間の恨みは何でしょうか。ご父母様に侍ることができず、真のご父母様と共に暮らすことができなかったことが恨みであるので、その恨みを解くために、一生の間ご父母様のお写真とご父母様の旗を中心として、天理の大道の目印として侍り過ごさなければならないのです。 そして、家庭生活をする中で、三人家族は五人家族として、その二人の費用は公金として預金し、かわいそうな人を助けてあげなければならないし、かわいそうな息子・娘を勉強させるために学校を建て、公共資金として活用しなければならないということを知らなければなりません。 また次には、一か月に一度ずつ通り過ぎるお客さんに、先生の代わりに精誠を尽くして、家の中で侍り、もてなさなければなりません。通る乞食にも、先生のように侍ってあげるのを願うのが神様の心情です。ですから、乞食を無視できない時代に入るのです。旅人を疎かにもてなすことができない時代に入っていくのです。これからこのような時代になれば、町内、村内を通り過ぎる人たちを、部落ごとに、自分がつくったいいものは、朝食、昼食、夕食を中心として、何時から何時まで、冷めないで温かいうちに、道端を通る人がおなかをすかしていたら、必ず昼食を食べて、夕食を食べていくことができる準備をしなければなりません。そうすれば地上天国です。 家庭を中心とした出世時代 そして今からは、家庭を主とした出世時代が来ます。ここで大統領になったとしたら、大統領一人ではありません。大統領の妻は副大統領になり、その息子・娘は国家の内務長官、外務長官、その重要な部署を任せることができる能力があれば、大臣をしなければなりません。そうでなければ、代理を立てて、それを代行する家族責任制国家時代となるのです。なぜならば、家庭の標本を中心として連結されたのが国家であり、国家にはそのような数多くの家庭が属しているので、家庭を中心として絶対的に信任を受ける人が、行政部署の管理責任者になるのです。分かりますか。 そこでは、父親が勝手にできません。すでにすべて法ができているし、教本、教材ができているので、このことを無視することができません。お父さんとお母さんが知っている以上に正直にしなければなりません。父母が決定したとしても、息子・娘が、長男が公認しなければなりません。なぜですか。家庭統一しなければならないのです。家庭で失ったので、世界復帰時代と同時に、家庭全体が和合してその国を守り、家庭自体も守っていくそのような時代が来るので、家庭出世時代が来るのです。分かりますか。 そのような家庭になるため、「家庭盟誓」が必要です。そのような成約時代安着よりも、家庭完成時代が必要だという論理も必要だというのです。ゆえに会社に行くと、会社の社長はお父さんの代身であり、その会社の社長の代わりにお母さんがいつでも行って、社員たちを全部呼んで、会議をすることもできるのです。秘密がないのです。社長がどこに行って何をしているのかを、毎日報告を受けるようになっているのです。浮気をすることができますか。お酒を思うとおりに飲めないようになっています。 そして、これからは二重組織です。体と心が統治され、主管を受ける力が等しくならなければなりません。体だけ元気になれば、押す力が等しくなくなり、到達せずにストップしてしまうのです。そして、政治においても比例の基準が、体と心のように半分を中心として国のすべてを治めなければならないのです。 これからは行政部署、司法部、警察署があれば、男子警察署だけでなく、女子警察署があって、男性を監督しなければなりません。男子警察署は女性を監督しなければなりません。お酒を飲んで、真っ昼間から酔っ払って歩く人を捕まえるのです。誰が捕まえるかといえば、皆女性です。神様を苦しめて、神様の御旨の版図を破壊する行動を受け継いでいる第二の後継者になってしまうのだと、こらしめるのです。サタン世界から復活した女性たちにならなければならないので、軍隊といえば女軍大将です。警察署の中では内務府長官です。 男たち! 天使長のように誤った者たちを捕まえて、スティックを引き抜いてしまわなければなりません。浮気する者たちを皆、引き抜いてしまわなければなりません。そのようにしても、罪にならない時が来るかもしれないというのです。イスラエルは石で打ち殺したのです。石で打ち殺すよりは少しはいいでしょう。度を越えればすべて隔離し、人間の世の中と、千年、万年、勝手に往来できないように分離しなければならない時が来ます。大移動、分離時代が来ることを備えなければなりません。そこでは人種関係、すべての国境関係、文化関係を無視します。そのようなプログラムが先生の頭の中に、ぎっしりと組み立てられています。 一番悩まされることが何かといえば、祝福を受けた後、浮気して、また結婚して子供を持ったことをどうするかということです。そのような法はないのです。そのような種を見たくありません。そのように恐ろしいことなのです。祝福というのは、流れていく拍子に合わせて、流行歌を歌いながら変わる、そのようなものとは違います。万年定着です。万年固着だということを知らなければなりません。間違いなくそのような時が来るのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.17
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「天運の支援を受けることのできる運動」一九九四年五月一日 午後六時 リトル・エンジェルス芸術会館にて 尊敬する内外の貴賓の皆様! そして各界指導者の皆様! 今晩、世界基督教統一神霊協会創立四〇周年を祝う晩餐を、このように盛況なものにしてくださったことに、心から感謝いたします。特にこの場には、平素他の宗教に肯定的な価値を認めて、宗教間の和解、協力のために多くの苦労をされた「世界平和宗教連合」の指導者たちが、国内の各宗教指導者たちと共に参席してくださり、さらに意義のある場となりました。 各宗教の指導者である私たちが、神様のみ旨の下に相互に協助し、尊重しながら共に仕事ができないとすれば、人間の中にある利己的な欲望と共に内在する葛藤と敵対感は、誰によって解決することができるのでしょうか? きょうのこの場は、神様がごらんになられてもたいへん喜ばれる場です。 今回「悪の実在とこれに対する各宗教の対応」という主題の会議でも、他宗教の伝統の説明を通して、多くの有益なる経験をされたことと信じます。各宗教において考えられている悪の根源とは何でしょうか? 今までの悪に対する原因分析と対処方案が完全であったでしょうか? これらに対する深い研究は、信仰生活がより積極的で、活力あふれるものとなるための助けとなることでしょう。さらに歴史と現実の中でほしいままにされる悪に対して、より自信をもって対応することによって、宗教の社会的役割と位置を高めることでしょう。 また、この場で「科学の統一に関する国際会議」と「世界平和教授協議会」の活動によって、学問間の調和と統一そして絶対価値を模索することに精進してこられた碩学たちと共に、祝賀できることをうれしく思います。 私は歴史を収拾して人類の理想を実現するうえにおいて、学者たちの研究と決断、そして人類を先導する先駆者的な実践がとても重要だということを早くから考えてきました。その間、世界百余か国から一万名を超える高名な教授たちが、私の意図を理解して声援してくださったことに感謝いたします。 過ぎ去った日々を回顧する時、暗鬱なる環境において、神様から摂理のみ旨に対して天宙的使命を迫られたその時がはっきりと思い出されます。当時は、み旨に責任を持つ民族の事情が、貧困と失意・葛藤と戦争による試練の連続でした。み旨の花を咲かせる国もありませんでした。第二次大戦の終結とともに解放されましたが、神様の臨在される統一の祖国がありませんでした。 さらに、み旨のために準備された基督教の基盤は、逆に非難と迫害を加える敵対勢力に変わりました。イエス様がそうであったように、どん底から孤独な道を通して開拓するしかありませんでした。助言者も協力者もなく、受難の道を克服してきながら経験した、生きておられる神様のささやくような勧告と、深い愛を私は忘れることができません。 私が知っている神様は、儀式に束縛されたり宗派に執着されません。枝葉的な教理理論に左右されるかたでもありません。神様は私たちの純粋で身にしみる霊魂と直接交流する生きた交際を願われます。霊界世界を動かすことは、地上世界を動かすことよりさらに大変ですが、もし霊界を動員することのできる内容と条件があれば、その結果と反響はどのくらい大きいでしょうか? 霊的世界と地上世界を合わせた天宙の創造者であり主宰であられる神様が、協助され支援することを決定なさるならばできないことがあるでしょうか? しかし、堕落したこの世界では、サタンが先手をとって攻撃するので、神様の側である善側は先に打たれていくしかありません。しかし神様は、先に打たれて受難を受けられますが、後にその損害賠償まで合わせて奪ってこられる作戦に勝利してこられたのです。今日の統一教会のすべての基盤は、順調になされたのではなく、連続したサタン側の攻撃の下に、自己の犠牲と蕩減条件を立てた基台の上に、神様が支援され準備されたのです。私たちが過去の受難史を振り返りながら感謝する理由もここにあります。 私が受難の道を開拓してくる間、前途が見えず暗澹たる時がどのくらい多かったでしょうか? 状況がどんなに切迫して道がなくても、これを人為的に分析して対処したりはしませんでした。 ただ神様の不変の原理、天道によって解釈し答えを求めました。世の中が何といっても、人がどのように見るかにかかわらず、神様がどのように考えられ、ごらんになるのかに焦点を合わせて生きてきました。 霊界と地上世界は、互いに断絶された別個の世界ではありません。一つの根本の存在原理の下に相互交流、授受する相関関係の中にあります。私たちの協会も本来神霊を通して統一する神霊協会として出発しました。 神霊とは何でしょうか? 一時的、部分的な霊力や霊的作用をいうのではありません。真の愛を中心として霊界と人間世界が調和、共鳴することのできる神様の愛の力です。為に生き、投入して真の愛の生活を通して人の心に感動を与えるのはもちろん、霊的世界の協力も得る運動が統一教会の運動です。 尊敬する内外の貴賓の皆様! 統一教会が今や四〇年、サタンを分別する期間を完全に超え、今や光明天地において自由に神様に侍り証しする新しい時代に入っていくのです。このように天運の加護を受ける統一教会は真の父母によって立てられた伝統に従って、投入する真の愛の正道を実践しながら神様の創造目的をこの地上に成就することでしょう。 もう一度、皆様すべてに感謝いたします。皆様がますます健康であられ、皆様が携わられる公義の仕事の上に、神様の祝福が満ちあふれることを祈りながら私の話を終わります。ありがとうございます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.16
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第22回神統一韓国平和フォーラム(2022.6.17)2022/06/17 に公開予定(韓国語のみ)第22回新統一韓国平和フォーラム(2022.6.17)午前9時ヒョジョン文化院文化ホールとtv.peacelink.live一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.16
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ヒーリング聖歌 安らぎの森とハープの調べ 聖歌1番「復帰の園」世界平和統一家庭連合の聖歌をハープで奏でるヒーリングミュージック「復帰の園」です。鳥のさえずりと小川の流れの音に合わせて、心と体に平和が訪れることをお祈りいたします。「家の裏には、栗や松の木が茂る小さな山がありました。季節に合わせてきれいな花が咲き、様々な鳥のさえずりが、まるで合唱しているかのように聞こえてきました。暖かな春には、家々の垣根の間から黄色いレンギョウが明るくほほ笑みかけ、裏山ではツツジが真っ赤に咲き乱れました。村には小川が流れ、水がカチカチに凍る真冬の時期以外は、いつもちょろちょろと愛らしい音を立てていました。私は、鳥のさえずりと同じように、その川の音を自然の合唱として受け止めながら育ちました。今も思い浮かべると目頭が熱くなるほど、温かな感情を抱かせてくれる、母の懐のような故郷です。」(自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』韓鶴子著)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.16
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「心情文化世界の創建のために」日付:一九九四年五月一日場所:韓国、ソウル、オリンピック公園体操競技場行事:「世界基督教統一神霊協会」創立四十周年記念式 尊敬する内外の貴賓、紳士淑女、そして世界の食口の皆様。私はきょう、協会創立四十周年を迎え、深い感慨を抱いてこの壇上に立ちました。一九五四年、数人の人たちとソウル北鶴洞(プッカクトン)の小さな家に「世界基督教統一神霊協会」の看板を掛けて、公式的な出発をしたのがきのうのことのようですが、四十年もの歳月がたちました。 協会創立四十周年の感懐 私がこの協会を創立したのは、ある個人的な目的を達成するためではありませんでした。ただ神様のみ旨を地上に成就するためでした。考えてみれば、迫害も多く、様々な形の受難の道を歩んできました。親も兄弟も親戚も理解できなかった道であり、さらには社会と国家から追われた生々しい記憶もあります。 最も胸が痛むことは、神様が準備されたキリスト教徒たちからの迫害であり、今でも一部では道理に合わない批判をしています。実に多くの障害物を越えてきました。 このすベての苦難の過程において、背後から守り、導いてくださった神様の深い愛に感謝を捧げます。それでは、神様の救世のための聖人の道理とは何でしょうか。神様が聖人を立てられた目的はどこにあるのでしょうか。神様が求められる聖人は、彼が死んだのちに次の歴史の中で賛美される、そのような聖人ではありません。神様は、この悪の世界を救うことのできる聖人、この時代を神様の善のみ旨で消化できる聖人を求めておられるのです。 この地上の罪悪歴史を清奠するために、悲惨な罪悪の中に入ってそれを撃破して整理する聖人、神様が最も心苦しく思われる問題に一人責任をもち、解決しようと堂々とこの世の悪と対決しながら、勝利の行軍をすることのできる聖人を求められるでしょう。したがって、聖人の行く道は平坦ではあり得ず、無理解と迫害が必然的について回るのです。 私は生きてこのみ旨を成し遂げてさしあげると神様に誓い、寝ても覚めてもその思いに没頭しました。千万回誓いながら、決意を固め、監獄のどん底でもこの誓いを立て、残酷な拷問により死境をさまよう時にもこの誓いを立てました。 神様の人間創造の動機は真の愛 神様のみ旨は、信じる人だけのものではありません。万民万象が神様のみ旨のもとにあります。神様のみ旨は漠然としたものではありません。太初に神様の中心にあった創造理想、すなわち創造目的が神様のみ旨です。字宙万象と人間は、すべてその創造目的のもとに造られたのです。 永遠で絶対の神様になぜ創造が必要だったのでしょうか。神様にとって絶対に必要なものとは何でしょうか。物質や知識、または権力でしょうか。そのようなものは、神様が望みさえすれば、いつでも作って手に入れることができ、また神様自身が自由に調節することができます。しかし、真の愛だけは神様も思いのままにすることはできないのです。 真の愛は、ただ相対圏を通してのみ見いだすことができるのであって、一人だけでは愛の刺激を感じることができません。これが、神様が相対的な被造世界を必要とした理由です。神様は真の愛の理想ゆえに世界を創造されたのです。 鉱物界、植物界、動物界を観察すると、たとえそのレベルは違うにせよ、愛の理想を中心として相応、和合、授受できるよう、ペア、すなわち主体と対象に創造されていることが分かります。そして、人間は被造世界の代表者であり、中心であり、神様に最も近い愛の相対として造られました。人間は神様の真の愛の対象なので、人がいなければ神様の真の愛の目的は成就されないのです。 このような点で、神様の真の愛の相対である人間の価値がどれほど貴いものかを知ることができます。神様はその創造理想である真の愛を、最高の絶対価値をもつものとしてお立てになりました。絶対的な神様でも、真の愛の前では絶対的に服従したいと思うのです。 そのような原理のもとに造られた人間と万物も、神様のようにその真の愛に絶対服従するようになるのです。より高次元の真の愛に向かって、すべての生命力が一目散に走っていくのです。宇宙万象の存在秩序と価値も、すべてこの原則のもとに決定されます。真の愛を中心とした神様と人間の関係は縦的な親子の関係です。 神様の息子、娘として造られたアダムとエバは、まず神様から父母の愛を受けながら子女の心情を感じて成長していきます。そして、互いに兄弟姉妹の心情を感じながら成長します。その次に、神様の祝福のもとに真の夫婦となり、互いに愛し合いながら夫婦の心情を感じるようになっているのです。それとともに、子女をもち、真の父母となるとき、子女を愛しながら父母の心情を感じ、さらには神様が自分たちを子女として愛される、その父母の心情を経験するようになっています。 このような子女の心情、兄弟姉妹の心情、夫婦の心情、父母の心情を四大心情といいます。人間が完成するためには、神様の真の愛のもとで四大心情を完全に体恤しなければならないのです。この基台が理想的な家庭です。人間に対する神様の創造理想が成就される最小単位が、四大心情圏を完成した家庭です。 真の愛の主人であり、起源であられる神様は、父の立場でこのように人間に絶対不変の真の愛を相続しようとされたのです。真の愛の中では完全な調和と統一が形成されるので、神様の真の愛は、子女である人間に完全に相続されるのです。 それだけではなく、真の愛の属性として、同居権と同参権も自然と生ずるので、人間は神様の子女として同行し、共にいることができるようになっていました。そうして、人間は神様の真の愛に酔って各自が理想と幸福を所有すると同時に、自然にこれを相対と共に子孫たちに伝承するようになるのが創造本然の世界でした。 真の愛は直短距離を通る しかし不幸にも、人間始祖は天使長の偽りの愛によって堕落することにより、結果的に彼らは真の愛による真の夫婦になることができませんでした。彼らは、神様の許諾なしに子女を生んだ偽りの父母、偽りの先祖になったのです。このように人類は、真の先祖、真の父母から生まれることができず、神様が願われない血統をもって生まれるようになったのです。 自然界を見ると、レベルは低くても、すべて愛の秩序のもとに調和していますが、ただ堕落した人間世界だけが愛の秩序を守れずにいます。数限りない罪悪の闘争と苦痛はここに由来しているのです。神様が意図されたこととは反対になった人間世界を、神様は放っておくことはできません。 神様は、堕落した罪悪世界を創造理想の世界、すなわち原状に回復させようという救援摂理をされます。ですから、神様の救援摂理は創造目的を復帰する摂理であり、それはすなわち再創造摂理となるのです。天意に従って復帰摂理の主役を担ってきたのが宗教です。宗教は、神様の真の愛と真の父母思想を中心とした本然の理想的な家庭、さらには理想的な世界を復帰する目的のもとに立てられたのです。 メシヤは真の父母として来られ、偽りの父母から生まれて植えられた偽りの根を引き抜いてしまい、本然の創造理想を復帰する重大な責任をもって来られる方です。この世界が真の愛と真の家庭へと復帰されるためには、まず真の父母の位置が確立されなければなりません。正にこの使命のために神様は私を召命したのです。堕落によって本来のみ旨が成就されなかったので、神様は失ったものを回復するための摂理において宗教を立てられ、メシヤを送られたのです。 神様の不変の目的は、真の愛の理想世界の実現です。宗教の目的は、真の愛と真の家庭が実現化されることです。反対に、このような目的に寄与せずにそれ自体のためだけに存在するならば、その宗教は、神様の名を語ったとしても、神様とは関係がありません。宗教のために神様や世界があるのではありません。 本然の真の愛、真の家庭の世界へと回復しようとされる神様のみ旨のために、宗教は立てられました。そして私が過去四十年間、世界的に展開してきた超宗派的な活動をはじめとする学術、教育、思想、文化、芸術、言論、科学、技術、産業などの事業は、すべてこの目的のために推進しているのです。 私の生涯は、このことのためにすべてを投入して捧げてきました。私は監獄の道と凄絶な迫害の峠を越え、死地を乗り越えながらも、世界の五色人種(すべての人種)に対して、私を生んでくれた親よりも、私の兄弟よりも愛そうという天的な父母の心をもって生きてきました。 真の愛の行く道は、直短距離で通じる道です。真の愛の実践には前提条件や弁明があり得ず、いかなるものも決定的な障害にはなり得ません。ただ自己犠牲によってために生き、与えることで直行する道です。 私の世界的な業績に対し、たくさんの方から称賛を頂き、有り難く思います。実際、外的に現れた今日の結果も重要ですが、その動機と過程は、もっと重要なのです。どの分野の仕事も、整った良い環境と条件の中から簡単に始めたものではありませんでした。 神様のみ旨をこの地上に成し遂げてさしあげようという一念で情熱を燃やし、投入できるものはすべて投入しながら、礎石を据えて出発し、収めた業績です。どんなに悪の勢力が吹き荒れても、大胆に立ち向かい、既に始めた公義の仕事を育成し、守っていくために身もだえしながら、投入しては、また投入してきました。 心情文化世界の創建と祝福 紳士淑女の皆様。神様がこの時代を経綸するために願われる宗教は、「父母の位置にある宗教」です。父母の心情を抱いて進む宗教を求められるのです。私は、真の父母思想を教育し、各自がその伝統に似た真の父母になりなさいと教えています。まず家庭において真の父母となり、氏族において真の父母となる氏族的メシヤの使命を果たすように指導しています。 真の父母の心情を抱いた信徒、真の父母の心情を実践する宗教となってこそ、葛藤と憎悪の罪悪世界で神様のみ旨を実現させることができるのです。他の宗教や教派を軽蔑し、敵対視する宗教は、世界平和の実現にも、神様の摂理にも有用ではありません。 天運は調和した平和世界を指向します。ところが、現実はどうでしょうか。冷戦時代が終息したにもかかわらず、いまだに克服すべき対決と紛争の素地があまりに多いのです。人種間の紛争、宗教間の葛藤などの根本問題を解決し、人類一兄弟、世界一家の和合時代を成し遂げなければならない課題は、「真の父母主義」を通してこそ解決が可能です。 統一教会の四十年の開拓の基盤の上に、真の父母と成約時代を迎えた私たちは、「真の父母主義」の実践によって、新しい心情文化世界を創建していかなければなりません。神様と人間が、真の愛の父子関係として統一されるとき、その愛の調和の中で、人間は理想と幸福の実体となります。 この真の愛で形成された心情圏は、どんなに小さくても宇宙と連結され、その中で起こる出来事の波紋は、万象と霊界にまで波及するのです。霊界を含む天宙は、すべて同じ神様の真の愛の原理のもとに存在するからです。 神様と人間との間の縦横、前後的真の愛の関係は、人間相互間の理想的真の愛の関係の根本であり、その完成は四大心情圏を体恤した理想家庭においてのみ成し遂げられるのです。心情文化は、このような四大心情を完成した理想家庭の統一圏の中で、平和と幸福と自由と理想の心情を交感し、共同体恤する生活の中で花咲くのです。 このような世界には宗教が必要ありません。特別な信仰儀式が要求されない、生活全体が神様に侍り、真の愛の一体心情圏の中で共に暮らすのです。「生めよ、ふえよ、よろずの物を治めよ」とおっしゃった神様の祝福を成し遂げて暮らす、天国生活そのものです。神様が理想とされた創造目的の完成なのです。 心情文化世界を創建するために、私たちは、真の愛、真の父母思想の教育を通して人格を涵養し、神様の祝福のもとに真の愛の家庭を築く運動を、より一層広げていかなければなりません。生活信仰の鍛錬を通してために生き、投入しては、また投入する真の愛の人格がつくられてこそ、理想的な夫婦、理想的な家庭が形成されるのです。この道こそが極端な利己主義、個人主義、物質主義の惰性から抜け出し、人類に明るい未来を期待できる道です。この道こそが不倫と青少年の堕落、そして家庭破綻を防ぐ道なのです。 国際合同祝福結婚を通した真の愛の家庭運動によってのみ、民族間と人種間の紛争を根本的に解消することができます。宗教の壁を越えて、このような天意に従う真の愛で家庭理想を完成するという奇跡的なことが成し遂げられ、来年行われる三十六万組の国際合同祝福式には、より多くの宗教団体が参加するでしょう。 また、「世界平和女性連合」の活動を通して、真の愛の母の理想像を教育しています。すべての女性たちが、真のお母様の心情をもって子女を正しく養育し、教育してこそ、真の家庭の理想が実現されるのです。今こそ、神様のみ旨に従って自覚した女性たちが、堕落した世界の男性たちを正しく教育する時が到来しました。全世界的にこのような運動が拡大されていくでしょう。 心情文化世界創建のための学術、言論、海洋事業 心情文化世界を形成していく過程において、宗教の役割は、実に大きいのです。宗教間の和合と協力なしに、世界平和を成し遂げることはできません。これまでも、このことに全力を尽くしてきましたが、これからも、宗教人たちが宗派間の高い壁を崩し、神様のみ旨を地上に実現するという大きな目的のもとに連合活動をしていくことに率先していきます。「世界平和宗教連合」を積極的に支援し、また『世界経典』を配布、教育することによって、宗教相互問の共同善を悟らせるために努力するつもりです。宗教人たちが実践と協力と模範を通して、神様のみ旨を成し遂げていくために先頭に立つでしょう。 私が創設し運営しているいくつかの機構の活動も、一層活性化させようと思います。実質的で現実的な世界の問題を解決し、神様のみ旨を成就する基盤を築いてきた数多くの組織があります。元現職国家元首たちで構成された「世界平和連合」は、世界の紛争や国家間の葛藤を仲裁し、平和が持続するように努力し続けるでしょう。 「国際勝共連合」と「南北統一運動国民連合」も国家的、または国際的に対峙する思想や理念を、「神主義」と「頭翼思想」によって消化する実践運動を広げていくでしょう。 先端科学技術の発達と情報通信の革命的開発によって、未来の人類の生活様式が想像を超越して変わっていくことが予見されます。また一方では、人間の無限な欲望と利己的開発によってもたらされる全地球星の環境問題と大気圏の管理問題が、人類の存亡に直結しています。次世代の主役たちが、自己中心的な思考と短絡的満足への一途をたどっていくことをそのまま放置するならば、人類の未来はどうなるでしょうか。 実践する真の愛、真の父母主義を中心とした絶対価値が立てられなければなりません。人が四大心情圏によって縦横に連結された不変の愛圏である家庭の上に安定するとき、初めて文明の利器が真の幸福の手段となるのです。 ですから、「国際文化財団」の「科学の統一に関する国際会議」と「世界平和教授アカデミー」の活動を通した良心的碩学たちの献身と教育と実践が、より価値あるものとして要請されます。私が新しい百科事典を編纂する意図も、新世代の正しい教育のための作業です。様々な教育機関を運営し、学術活動を支援しているのも同じ目的です。韓国の鮮文大学とアメリカのブリッジポート大学などを育成し、「世界大学連盟」に発展させる計画も、すべては、到来する心情文化世界の基盤を教育するためのものです。情報化時代を迎え、新聞などの印刷媒体と電波媒体を世界的に支援、育成することによって、正しい言論を通じた大きな次元の社会教育をしています。 神様の心情では、地球上に飢える人がいるということが、どれほど胸痛むことか分かりません。私はこれまで、産業技術を開発し、発展途上国に伝授することにより、技術の平準化を成し遂げようと努力を重ね、今年、「世界平和技術研究所」を設立し、既存の研究所と共に世界技術の標準化に寄与しています。 海洋摂理にも二十年以上の間、投入し続けながら、海洋資源を通した食糧資源対策を立てています。「国際救護親善財団」の活動とアフリカなどの地における農業と軽工業指導活動を通して、多くの成果を上げています。今年、韓国でも二つの総合福祉財団を設立しています。 み旨を相続する者となろう 満場の貴賓の皆様。食口の皆様。私はきょうのお話を終えるに当たり、改めて神様に感謝を捧げたいと思います。神様のみ旨のために生きるという、極めて純粋な動機の一心で生涯を駆けてきた私を見つめながら導いてくださった神様は、私の何千倍もの困難と苦痛を耐え忍んでこられました。ここにすベての栄光を神様にお捧げいたします。 また、四十年の業績がどうして私だけのものでしょうか。多くの苦労をした食口の皆様と後援者の皆様に対し、心から有り難く思っています。神様のみ旨は、本来万人の願いなので、皆様すべてがその代表者となり、また真の父母の代身者となって、み旨を相続する人となり、義であり、善なるみ旨を広く結実させてくれるようお願いします。 そして、神様が願われる本然の心情文化世界が一日も早くこの地に実現されるよう共に努力しましょう。最後に、国内外の貴賓の皆様が、きょうこの場に参席してくださったことを感謝申し上げます。皆様の御家庭と皆様の行われることに神様の祝福が常に共にあることを祈りながら、私のお話を終わらせていただきます。ありがとうございました。【関連記事】「天一国摂理史--家庭盟誓制定宣言(1994年5月1日) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)」一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.13
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[22.06.12] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2022/06/12 09:30に公開予定です。PeacelinkTVホームページ一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.11
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特別報告1 神アフリカ大陸摂理報告 - バンスンマン宣教所長 20220605一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.08
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「真のお父様の孤独なる四〇年生涯」「世界基督教統一神霊教会」創立四〇周年記念式典を迎える一週間前一九九四年四月二十四日 ベルベディアの礼拝で語られた御言 第二次世界大戦直後の摂理を再蕩減 きょうは四月の最後の聖日であり、次の聖日は五月一日です。五月一日は、私たちの教会が創立四〇周年を迎え、記念行事を行う日です。そのため、韓国の本部教会では大々的な準備を行っています。「世界平和宗教連合」や、あらゆるサミットクラブなどの、有名人たちが集まってきます。そのため祝賀の宴を催す準備をしていることを皆さんは知らなければなりません。 第二次世界大戦以後、キリスト教を中心として、一つになるべき世界で一つになれなかったために、ヤコブから今までの四〇〇〇年歴史を、再蕩減するため四〇年生涯が必要でした。 第二次大戦直後、英・米・仏が先生と一つになったならば、この世界は七年間で、神様のみ旨を成就することができたのです。しかし、その摂理が延長され、今日まで蕩減路程を歩んできたのです。その時代を再び迎えるために先生は四〇年生涯を通じて、膨大な準備をなしてきたのです。お父様一人で四〇年生涯を歩んできました。 四〇年の間にこのことができなければ、歴史的に大変なことが起こるのです。四〇年間で、四〇〇〇年遅れた歴史的なすべてのことを、この世界を中心として再整備しなければなりません。考えてみれば、今日まで四〇年間、歴史も大きく変わりました。四〇年が過ぎた今、世界が一つにならなければならない時になっているにもかかわらず、どのようにして世界を一つにするのか、その方法が分からないのです。 問題は何かというと、歴史を今日まで発展させてきたのは、ただ人間の力だけではなかったということです。このことを人々は知りません。そこには必ず悪なるサタンが先行し、神様が後からこれを復帰してこられたということを知らないのです。私たちの原理からみれば、カイン、アベルの関係です。カインが先行して、アベルが蕩減復帰してくるのです。 人類歴史は、宗教圏と非宗教圏でなされてきました。非宗教圏はカイン世界であり、宗教圏はアベル世界です。全世界には多くの国がありますが、その多くの国々は、終末になるとみんな国の行くべき方向が分からなくなります。宗教も終わりの日になって、行くべき道が分からないのです。なぜかといえば、根本がはっきりしないからです。 人類歴史の非宗教圏も、人間がどのようにできたかということが、はっきりしていません。宗教圏も神様のことを信じて奉ってきましたが、根本がはっきりしていません。はっきりしない歴史を経てきたのです。アダムとエバの堕落ゆえに、はっきりしない世界が出発し、その世界がそのまま続いてきたのです。アダムとエバが根本を分からなかったために、復帰摂理を歩んできたアベルやカインも分からない立場でした。 神様はすべての歴史を知っておられながらも、アダム、エバのときに知らない状態で堕落したのと同様に、人類に堕落の事実を教えてあげることができません。もし、いま教えてあげることができるならば、アダム、エバのとき、堕落が生じなかったという結論になります。そして、長い歴史も必要ありませんでした。瞬く間に復帰できたはずです。 それで神様は、神の息子である完成したアダムをこの地上に送られて、知らない人たちに教えてあげなければなりません。神様と一つになった完成したアダムを送るための運動をしてきたのが、数多くのキリスト教と、数多くの宗教の歴史です。これは、キリスト教でいうメシヤです。メシヤが来るということです。 仏教では、弥勒仏が来るといい、儒教では孔子、イスラム教ではマホメットが再び来るといっています。このように、すべての宗教には再臨思想があります。再臨主はどのような人物かといえば、すべてのことが分かり、全人類が堕落しないように、神様とサタン世界のことが分かる内容をもってこられるかたです。それがメシヤです。メシヤはサタンの正体が分かり、カインとアベルが何であるかが分かり、今まで宗教が何をしてきたかをはっきり知っているかたです。そして、神様のことがはっきり分かることによって、一つの方向を立ててすべてを地上天国、天上天国へつなげていこうとするかたです。これが救援摂理であり、蕩減復帰摂理の歴史なのです。 神側から、最後の日の全宗教や人類を救うことのできる、ただ一人のメシヤを送るのです。天の側の人です。ですから、数多くの宗教がありますが、この宗教は僕の僕の立場から、僕、養子、庶子、息子へと復帰してくる環境的条件をつくるための、すべてを準備した宗教でなければなりません。 四〇年間で歴史的右翼と左翼を清算 宗教圏を中心としてみれば、宗教は主に男性よりも女性たちが信じてきました。堕落した世界を見ると、男性と女性は半々です。ところが、宗教圏の七五パーセントは女性が占めています。なぜ女性たちの方が宗教をたくさん信じているかが問題です。 来られるメシヤは、女性世界を収拾した後に、世界を収拾しなければなりません。男性は何かというと、天使長です。真のアダムは神様と同じ位置にいます。神様は、女性と子女を持っていません。失ってしまいました。神様は創世以後、人間の堕落のため、女性と子女を持つことができなかったのです。ですから、終わりの日になれば、全世界の女性と、宗教圏の女性を一つにしなければなりません。 そして、アベル側の女性が出てきて、カイン側の女性と一つになるようにさせなければなりません。これを一つにするためには、復帰路程のカイン、アベルを一つにしなければなりません。そうすれば一つになります。堕落するとき、家庭でアダムとエバ、カインとアベルが別れたのです。アダムとエバが父母で、カインとアベルが子女です。これを復帰していくので、カイン、アベルを家庭で一つにしなければなりません。家庭で別れたものが、世界的に分かれたので、世界的な基盤で、このようなことを復帰すべきです。 これが世界的には、右翼と左翼になっています。復帰は逆に上がらなければなりません。アダム家庭で堕落したことによって、アダムの子女は、カインが左翼、アベルが右翼になったのです。アダム家庭からこの言葉が出たのです。 イエス様の時代に、アダム家庭が失敗したことを国家的レベルで復帰して、カイン、アベルにあたる、イスラエル民族とユダヤ教を一つにしようとしましたが、イエス様の死によって再び右翼と左翼が戦うようになりました。右翼と左翼が現れ、それが現在まで続いています。イスラエル民族がカインで、ユダヤ教がアベルです。カイン、アベルが一つにならなければ上がっていけないのです。宗教圏、非宗教圏がありますが、代表はカイン、アベルです。(ボードに書かれる)宗教圏、非宗教圏が一つになることによって、カインとアベルが一つになるのと同じです。父母さえ一つになれば、国家的な統一がなされるのです。 再臨の時代には、左翼と右翼が一つにならなければなりません。イエス様の時代に戦ったものが、統一されなければならないということです。ですから、母を中心として、父が来なければならないのです。母の役割をするのがキリスト教です。キリスト教は新婦の宗教です。 ところで、再臨主は新郎の資格をもって天から来た父です。その父は天の父と一つになった立場です。米国がアベルなら自由世界がカインになって、これらが母を中心として父と一つになったならば、アダム家庭で失ったすべてのものを、世界的に蕩減復帰できるのです。第二次世界大戦以後の世界は、キリスト教を中心として一つになった世界です。英・米・仏と日・独・伊のアベルとカインが一つになった世界で、キリスト教文化圏、すなわち新婦文化圏と、カイン文化圏が一つになり、自由世界、全世界が一つになって、来られる再臨主を迎えれば、新婦を迎えて統一世界へ入るのです。このような概念を持たなければなりません。 終末には神様は、女性と息子・娘を訪ねてこられるのです。そして、神様の代わりにアダムが捜すのです。エデンの園で、母を中心として子女を失ってしまったので、復帰摂理においても、母を中心として子女を捜すのです。それが成し遂げられると、その次には父が来て、その母と子女を捜さなければなりません。新婦とその息子・娘を失ってしまったので、新婦の宗教であるキリスト教が誰のものになるべきかというと、アダムのものにならなければなりません。 アダムとエバの堕落によって、カインとアベルが左翼と右翼に分かれました。このカインとアベルをイエス様の時代に、国家的次元で統一して、一つにしようとしたのですが、イエス様の死によって失敗し、再びカインとアベルが左翼と右翼として戦うようになったのです。それで、再臨時代に世界的レベルでキリスト教文化圏を中心として、カインとアベルを一つにし、母の教会、すなわちキリスト教を中心として、来られる再臨主を迎えなければなりません。そうすれば、エデンの園で母と子女を失いそれを復帰するために、宗教圏とその中にいる子女を収拾して天国へ入ることのできる道が開かれるはずだったのです。しかし、これができず失敗したので、もう一度蕩減しなければならないのです。これが先生の四〇年生涯です。 世界的レベルにおいて、母とカイン・アベルが父と一つにならないので、韓半島を中心として、分裂という結果を生んでしまいました。北朝鮮の金日成主席と韓国の文鮮明先生は、偽りの父と真の父です。ここで一つになっていれば、韓半島が分断されることはありませんでした。ですから現在アメリカは、韓国を離してしまうと大変なことになります。今、金日成主席がアメリカに対してどなりつけています。その理由は、アメリカが「トゥルーファーザー」と言っているからです。天使長がアダムと一つにならなければならないのに、そうならないので「この野郎、この野郎」と言うのです。 このように歴史が失われたので、四〇年間で共産世界が現れ、左翼、右翼がまた出てきたので、再び先生を中心として清算しなければなりません。ですから、先生が反共の戦線に立たざるを得ませんでした。左翼を打ち、右翼を守らなければなりません。理論的に左翼を屈伏させ、理論的にキリスト教を収拾しなければなりません。歴史的にこれをきれいに整理すべきです。 お母様を中心とする摂理 神様がどのように摂理されてこられたのか、今日、この世界は知りません。先生はアメリカを中心として、ここ、新婦国家で失ってしまったものを取り戻し、今は韓国へと向かっているときです。それで昨年からは天使長国家のアメリカでカイン、アベルを中心として、国会と国連を連結しています。お母様が連結するのです。女性解放運動を中心として、お母様が連結しなければなりません。新婦国家の代表がアメリカであり、国連は自由世界の代表国家と同じです。アメリカが失敗したことを、お母様が一つにして、日本を経て韓国へ入っていきます。 日本も統一教会に反対していますが、お母様が収拾し、日本をエバ国家と任命して今、韓国へ入るのです。平面的に入っていくのです。韓国にはご父母様がいるので、ご父母様を中心として二世だけを収拾すればよいのです。大学の原研と学生運動圏だけを収拾して、南北の学生たち、カイン、アベルを連結できれば、二つの国があっても問題になりません。自然に一つになります。ですから、お母様が四〇の大学に入り、そこで第二次大戦以後の母と自由世界を代表し、カイン、アベル形態を代表する蕩減条件を立てるのです。 このようにすれば、英・米・仏と日・独・伊など、自由世界が一つになった基盤の上で韓国へ入って、父母がカイン、アベルを抱いているので、金日成主席も、北朝鮮も問題になりません。現在、韓半島の南北統一は先生でなければできません。韓国も、金日成主席もそう思っています。このような時が訪れているので、堕落していないアダム家庭において、神様と共に暮らすことのできる「真の父母と成約時代」を先生は今、世界的に発表せざるを得ないのです。 お母様が、世界四〇か国で「真の父母と成約時代」を発表します。これらの国に、今まで勝利したすべての基盤を接がなければなりません。お母様を中心として、韓・日・英・米・仏をはじめ、四〇か国で一つになる基盤をつくらなければなりません。そうすることによってアメリカを中心として、キリスト教文化圏、西欧文化圏が一つになって、お母様の前に至り、第二次世界大戦以後の摂理を蕩減復帰できる条件が成立したのです。 自由世界はカインの立場、アメリカはアベルの立場で、この二つが子女として一つになり、母と一体になったならば、真の父が再臨主として来られます。そこから神様の理想世界が始まります。 四〇年生涯を通して誰がやったのですか。誰にも知られないようにして、先生一人でやってきたのです。ですから、アダムとエバが堕落したとき、神様が干渉できなかった、それ以上のすべてをアダムが捜し出して、全部編成し、サタンを屈伏させることのできるこのような体制を備えて地上に再臨しなければならないのです。 歴史が整理できましたか? 誰も知らない歴史ですが、間違いのない歴史です。先生一代を通して戦ってきた記録です。では、これからの歴史はどうなるべきですか? これから残るものは理想的世界だけです。宗教世界は混乱し、国家世界も混乱しています。堕落した後、心と体が混沌としたように、心の世界を決めるのは宗教の仕事であり、体の世界を決めるのは政治の世界ですが、この宗教世界と政治世界に混乱が生じているのです。なぜこのようになったのでしょうか? 堕落したからです。ですから、堕落前の状態に戻っていかなければなりません。これを今まで知らなかったのです。 私たちが分かっていることは、再臨主である真の父母が現れることによって、アダムが堕落するとき神様が干渉できなかった、それ以上のすべてが分かる位置に入ってきたので、このようなことはすべてきれいに整理されるのです。未完成的アダム圏内を干渉できなかったのですが、完成的アダム圏が出てくることで、神様と一体となり、神様と直接関係を結ぶことができる時代へ入っていくのです。 国家的母となるべき女性たち ところで、きょうの説教の題目は、「真のお父様の孤独なる四〇年生涯」です。その四〇年生涯は、誰も経験できない闘争の生涯でした。これまでの歴史にない、悲壮な闘争の歴史をたどってきたのです。四〇年前に、このようなすべてのみ旨を知って、当時のキリスト教文化圏が先生を受け入れていたならば、七年以内に地上天国、天上天国がつくられたのです。ですから、サタンはレバレンド・ムーンが四〇年間どのように蕩減してきたかがすべて分かるので、英・米・仏をめちゃくちゃにして、この四〇年間で完全に地に落としてしまいました。来られる主が収拾できないくらい、めちゃくちゃにしてしまいました。サタンは地上地獄を拡大しておいたのです。 アダムとエバがティーンエイジ(一〇代)の時に堕落したので、すべてをサタン主管圏にして、ティーンエイジを完全に堕落させてしまいました。フリーセックスだの、ホモだの、レスビアンだの・・・。 サタンはこう言います。「神様、アダムとエバがあのようにしたのだから、私が占領したこの世界を私の好きなようにすべきではないですか?」。サタンがそのように言ったとしても、神様は止めることができません。そのため現在、アメリカや自由世界が病気にかかって死んでいくのに、治せないでいるのです。 それはアメリカの力でも、自由世界のいかなる宗教の力でもできません。また政治力、軍事力でもできません。ただ一人、レバレンド・ムーンしかできません。そう思っていますか? そう信じますか? 知っているのでしたら、皆さんが医者にならなければなりません。皆さんが、アメリカの三三〇〇の大学の若者たちを全部救わなければなりません。それは女性たちがしなければなりません。お母様の代わりに、皆さんが国家的な母にならなければなりません。 それで、家庭から転換しなければなりません。自由世界のアメリカの思うようにはなかなかできません。国ではできないのです。家庭からやっていかなければなりません。ですから、氏族的メシヤを中心として家庭を全部転換するように話しました。家庭が基本にならなければなりません。氏族的メシヤを送り、一つの地域内に一二名以上の氏族的メシヤができて、完全に消化していけば、七年もかかりません。 本来、先生は第二次世界大戦後に、氏族的メシヤを送る摂理をしたかったのです。もし、それができていれば、七年間で勝利できたはずです。それが四〇年もたった今、混乱し、さらに複雑化してしまいました。サタンが基盤をすべて破壊してしまったのです。 キリスト教文化圏の人口が一〇億以上になりましたが、全世界はどのようになっているか見てみなさい。当時、氏族的メシヤの救援摂理を憲法として定めるべきでした。それができなかったために、四〇年間遠回りして現在に至りました。一九四五年から七年が過ぎれば一九五二年です。ここに四〇年を足すと一九九二年であり、一九九三年から二〇〇〇年までが七年路程です。先生はもうすぐ八〇歳になります。世界を一つにしなければなりません。これはどんぶり勘定ではありません。公式的に摂理が動いているということを、皆さんは知らなければなりません。 では、キリスト教が先生を受け入れなかったのはなぜでしょうか? それは再臨観の問題です。再臨主は雲に乗ってくると言いました。旧約時代に失敗したことを、新約時代に蕩減復帰し、完成させなければなりません。イエス様の時代にあって、メシヤが来るということは、その前にエリヤの再臨があるということでした。ところで、エリヤの再臨がどのような形でなされたのかというと、洗礼ヨハネとして来たのです。メシヤの再臨の時も、それと同様です。 新約時代の終わりに、クリスチャンがつまずく理由は、イエス様が雲に乗ってこられると信じ込んでいることです。これらを蕩減復帰しなければなりません。エリヤの再臨が洗礼ヨハネであったように、イエス様個人が再び来るということではないのです。それが文鮮明先生です。 蕩減復帰は不可解です。ですから、イエス様を殺したように、キリスト教がレバレンド・ムーンを打ち殺そうとするのです。六回も監獄に入ったのもすべてキリスト教が反対したからです。レバレンド・ムーンを殺そうとしたのです。旧約時代にイエス様を殺したように、新約時代に統一教会のレバレンド・ムーンを殺そうとしたのです。しかし、先生は今、先生を殺そうとした怨讐を救ってあげようとしています。アメリカは先生の怨讐です。 ですから、蕩減復帰四〇〇〇年の歴史を四〇年の間に蕩減した、その複雑な内容を先生一人で清算してきたのです。その内容をすべて理論的に体系化して、知識人たちが理解できるように解決して世界と戦っています。全世界に対して、レバレンド・ムーン一人で戦うのです。「世界平和宗教連合」を創設し、「世界平和連合」、「世界平和青年連合」、「女性連合」を創設して蕩減復帰していくのです。 世界平和は真の家庭から始まる このようにして、(ボードに書かれる)母の次は青年、子女の復帰です。それで、「女性連合」をつくり、その次は「心」の立場に立つ宗教において、「世界平和宗教連合」をつくり、「体」の立場に立つ政治界において、「政治連合」をつくるのです。この「心」と「体」を一つにし、男性と女性を一つにしなければなりません。世界平和を実現させるということは、心と体を一つにし、男性と女性を一つにしなければなりません。 現在、アメリカの家庭が間違っているのは母親の責任です。母親が子女を正しく導くことは簡単なことです。世界平和を成すためには、心と体を一つにし、そのようになった夫と妻が父母になり、父母と子女が一つになればみんな実現されるのです。 これがアダム家庭(ボードに書かれる)ですが、堕落して心と体が分かれました。男性と女性が堕落して父母と子女が分裂しました。ですから、世界平和は他のところにあるのではありません。これから、これを中心として宗教国連をつくり、その次は政治国連、女性国連をつくります。これが一つにならなければなりません。女性は母の立場で、政治国連がカイン、宗教国連がアベルの立場です。今、先生はこれをやっています。三つの国連がアダム、エバを中心として、ここに再臨主が来られます。これはアダム家庭で失ったものを、世界的なレベルで蕩減復帰することです。 今回、韓国で第二回世界平和会議のとき、民間国連をつくることを宣布しました。三段階(分野)の国連をつくることを発表したのです。今の国連の行く道は漠然としています。国連では世界平和を実現することができません。一八四か国全部が、自国の利益を追い求めて世界全体を無視した態度を執っているからです。 世界の七五パーセントが宗教圏です。人類の半分は女性です。女性はお金をたくさん持っています。今は復帰時代なので、女性がすべてを持っています。エバの堕落で、お金がサタンに持っていかれたのですが、復帰においては女性の所に集まるのです。ですから、世界をどのようにしたらよいのか、分かると思います。 アメリカが生きるためには、私の言うことを聞かなければなりません。世界を生かそうとするためには、私の言うことを聞かなければなりません。私の言うことを聞かないと、みんな滅びます。真の父母というのは永遠に一つです。トゥルーファーザーといってトゥー(Two)ではありません。一つです。オンリーワンです。アメリカでも必要とし、キリスト教、仏教でも、各国でも必要です。個人、家庭、氏族、民族、国家、どこでも必要なのがこの名詞です。堕落したすべてのことは、真の父母によって解決されなければなりません。解決できなければ偽りの父母です。真の父母が来て再び復帰し、解決してくれるという話です。 個人が真の父母に従っても、家庭が従っても、氏族、民族、国家、世界が従っても天国へ行くのです。これは何の話かといえば、今日まで皆さんは個人的に統一教会を信じ、真の父母に従って天国へ入ろうとしました。しかし、これからは家庭が信じれば家庭が、国家が一度に信じれば国家が、世界が一度に信じれば世界のみんなが天国に入るということです。何の意味か分かりますか? アメリカの大統領が、これをアメリカの憲法として宣布すれば、アメリカの全国民が天国へ入ることができます。憲法さえつくっておけばよいのです。そのような時が来ます。地上に平面的に全部現れて、みんなはっきりと分かったので、誰もが分かるようになっています。堕落によって家庭から真の父母がいなくなったので、真の父母を家庭に迎えるため、氏族的メシヤを通して家庭を救うための摂理が行われるようになったのです。 家庭を救うために氏族的メシヤを送るのです。家庭が問題なのであり、家庭が真の父母を必要としています。家庭こそが中心的出発点なのであり、国家でも世界でもありません。ですからお父様は、氏族的メシヤと家庭の救いのために送り出したのです。それができれば、氏族、国家、世界を救うことができます。 統一教会の氏族的メシヤ宣布は、本当に偉大なる最後の戦略です。平和は家庭の真の父母から始まるのです。心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女が一つになることによって、真の家庭が誕生します。そこから平和と地上天国が始まります。これが基礎です。愛の王国、生命の王国、血統の王国、また地上天国と天上天国、そして幸福、平和、希望の世界が家庭から始まるのです。ですから、心と体が一つにならなければなりません。堕落によって分かれた心と体、男性と女性、息子と娘が一つになるべきです。どのようにすべきかということは、理論的に知っているので、別に問題はありません。 真の父母は心と体の一体、夫婦の一体、子女の一体をなしました。これが理想的モデルです。真の父母は世界的ですから、先生は世界的に天国をつくらなければなりませんが、皆さんはこのような真の父母によってすべて学んで知っているのですから、皆さんの家庭的天国だけをつくればいいのです。皆さんは、真の父母によって、心と体、夫婦、子女が一つになって、アダム家庭が堕落して失ったものを取り戻さなければなりません。これがスタートです。そうすれば、平和、幸福、自由、統一、天国、万事がオーケーなのです。 では、アメリカの家庭の中で、(ボードに書かれる)この基準に到達している家庭が一家庭でもあると思いますか? 全部地獄です。神学博士でも、いかなる博士でも地獄行きです。それにもかかわらず、この家庭は宇宙を代表し、天宙を代表するといえますか? 先週も説教で代表者、中心者にならなければいけないと話しました。 アダムは未来の氏族の王です。また国の王です。先生だけが真の父母ではなく、皆さんも真の父母に、みんなならなければなりません。大きな木も、大きくなるためには、そこに細胞の繁殖があります。皆さんはその細胞にならなければなりません。先生は大きな木に例えることができます。全部種、根本が似ています。 先生が混乱した霊界を収拾 それで、このようなことを収拾するために、霊界、肉界に混乱が起こっています。女性と息子・娘を選べず、区別や整備ができなかったということです。先生がすべてアダムの位置から、真の父母の位置まで上がっていこうとすると、サタンは反対しますが、神様は協助することができません。世の中を収拾するためには、霊界を収拾しなければなりません。それで、先生がこのような真理のみ言を探求して主張すると、サタンが反対し、神様も反対するのです。人間が神様を捨てたので、神様も人間を捨てるのです。それは蕩減なのです。 霊界へ入り、これら全員で四〇日間の戦いが行われました。神様のみ前で大会をして攻防戦をしたのです。四〇日間、全霊界が大騒ぎでした。「レバレンド・ムーン、成約時代が何だ!」と、どなっています。しかし、神様もこのみ旨でなければならず、すべてのことが、こうでなければ世の中を理論的に収拾する道がないというのです。 孔子は、神様が人格神であるということを知りませんでした。神様が人格神であるということが分からなかったのです。「神様ー!」と言いましたが、漠然としていたのでした。みんな質問して、失望したのです。お父様はイエス様に、あなたが再臨論について、イエス様ご自身でなく、他の人物が来るのだということをなぜ話してくれませんでしたか、なぜ雲に乗ってくるなどと言ったのですかと言いながら失望したのです。再臨し、空中で千年王国を成すことができますか? 霊界へ行けば、全部間違っていたということが分かります。後で、神様ご自身がすべて誰が正しいのかを判定されます。神様が後に、レバレンド・ムーンが正しいと言われるのです。(拍手)そのようにして神様の承認を受けるのです。 混乱している霊界を収拾し、地上世界を収拾しなければなりません。統一教会にはいろいろな人がいます。中には、レバレンド・ムーンは洗礼ヨハネで自分こそがメシヤである、などと言い出す者もいます。私がこの位置にいるのは、ただこうなった訳ではありません。霊界に行って神様の承認を受けてこなければなりません。霊界を統一したので、地上においてメシヤとして認められたのです。混沌としていた霊界が先生によって、収拾されたのです。 今まで、仏教圏、儒教圏、キリスト教圏、イスラム教圏などが、それぞれを中心に壁をつくって他を排除していましたが、これをみんなぶち壊しました。(ボードに書かれる)そして全部統一して一つの方向にしなければいけません。二つの方向ではありません。霊界がそうなると一つの方向に行きます。そして、地上へ来て、地上に五〇億の人類がいるとしたら、五〇億の方向がありますが、これを一つの方向にしなければなりません。レバレンド・ムーンを中心として、サタンが反対して殺そうといろいろなことをやるのですが、だんだん一つの方向になっていきます。 今は世界平和のための平和主義者は、文先生であると言われています。そうなれば、先生に強い関心を持つのです。それを知っていますか。宗教指導者、政治指導者、最高指導者、学者、言論人などの組織を全部つくって糾合するのです。統一教会の皆さんは、このような先生を正しく知って、先生がしなさいという指示に従っていますか? 行動をしなければ、知っているだけではいけません。ハーバード大学の博士号をもらったとしても、何の意味がありますか? 知っていながら、じっとしているとしたら、それは何も意味をなしません。何もしないと、奪われてしまいます。共産世界の人たちに全部奪われてしまいます。その人たちは世界を救うといって、さまざまなことをしてきたので、その人たちに奪われてしまいます。 ですから、霊界の混乱を全部収拾し、地上の混乱を収拾して一つの方向にしなければなりません。それから、世界の政治家、最高の学者、言論人など、有名人をみんな連結すれば、この人たちが先生を証しますか、証しませんか? 彼らは自分の分野であらゆる実験をし、あらゆる本をよく読んできました。このように地上世界で優れているという者たちを全部屈伏させなければなりません。 今回、ゴルバチョフ前大統領を呼んで質問をしたり、さまざまな話をしましたが、後で、文先生の話がみんな正しいと言っていました。彼はよく聞いていました。私がゴルバチョフ前大統領について行くべきですか? ゴルバチョフ前大統領が私についてくるべきですか? 私はそのくらい有名です。だんだんレバレンド・ムーンの名前が復活します。 先生が霊界の混乱を収拾したので、これからは地上の混乱を収拾する段階が見えるのです。そうではありませんか? どうですか? 見えますか? ここに集まった皆さんは賢い人ですね? 皆さんは「世界は私たちの手にある」と思いますか? 思いませんか? (笑い) ですから、先生がいなくても、先生の代わりに皆さんができるということです。そうすることのできる時が来たので、今は、優れた人でレバレンド・ムーンに反対する人はいません。皆さんは、もう先生がいなくてもできるということを知っています。そのことを、先生が知らないはずがありません。知っているので、「真の父母と成約時代」を発表しなければならないのです。これは歴史になかったことです。 真の父母は永遠に一つです。他に誰もいません。二つではなく一つです。真の父母に、霊界と地上が全部順応しなければなりません。成約時代とはどういう意味ですか? 創造理想が完成されるということです。それが事実なら、どんなに素晴らしいことでしょうか。 お母様を立てるまでの歩み 今まで先生はあらゆる迫害を受けてきましたが、誰も同情してくれませんでした。霊界が反対し、サタンはもちろん、神様も反対しました。地上もそのような立場にある先生に反対しましたが、今は最高の立場に上がっています。ですから、世界に宣布しても反対する人はいません。国家代表が全部集まって拍手をしました。では、先生が地上に来て成すべきことは何でしょうか? 国を捜し、世界を一つにすることも問題ですが、本来のエデンの園で失ってしまったアダムとエバを取り戻すことです。エデンの園のアダムとエバが堕落したので、世界は全部怨讐になってしまいました。これを反対する基準から段階的に上がってきて一つにし、統一的基盤をつくったところで、世界のすべての家庭をサタンの侵犯を受けない、真の父母が勝利したそのような位置に立たせることが先生の生涯の目的であり、神様の摂理の目的なのです。 宗教界はいわば、女性と息子・娘を捜すことを目的とします。個人としての女性と息子・娘ではなく世界の女性と息子・娘を捜すのです。ですから代表した立場です。ここにカインとアベルを中心として家庭、氏族、民族、国家、世界があります。これを一つにします。それゆえに家庭という形は小さいのですが、世界的基準からみれば、この源泉は同じです。こうなれば、母を捜すことが問題です。第二次世界大戦直後に母を迎えていれば、何の問題もありませんでした。それで、母親を捜すように、再び地上に横的に展開してきました。 ところで、エバが堕落した後、霊的に神側とサタン側を行ったりきたりしたように、宗教圏内の女性たちが行ったりきたりしています。女性の世界は、このような霊的世界の分かれ目に当たっているのです。これを一つにしてあげなければなりません。一番最後に代表の位置である頂上に上がってきて、世界の全女性を代表した一人の女性が現れなければなりません。地上世界は堕落したエバ圏であり、アダム、エバの完成圏ではないので分からないのです。知らないでそのようなことをしているのです。 ですから、そのような女性が現れるべきですが、先生はどんな女性に会わなければいけないかというと、「私が神様の奥さんです」と言える天の女性です。そうして、世界最高の頂上に上がっていきながらも、またそこで行ったりきたりしています。一度は神様が教えて、一度はサタンが教えるのです。 それが分からないので、これを先生は分別させてあげなければなりませんが、そうしようとすると天も反対するのです。天も、それを信じてはいけないというのです。レバレンド・ムーンは天上世界でも異端であり、地上世界でも異端だというのです。またある時は、レバレンド・ムーンは絶対にメシヤであり、神の代身だとも教えるのです。 先生が地上に来て、洗礼ヨハネがイエス様を敬ったように、エバとして、女性として自分の新郎になるのだと公に証せる証し人が必要です。メシヤであると証しできる女性が、再臨主であると宣布しなければいけません。女性が自信を持って証ししなければいけません。霊界で戦ったのと同様に、蕩減復帰するのです。天国の長官、天国の総理、イエス様の代身、神様の代身の立場まで上がっていくのです。蕩減復帰しなければなりません。そうするためには女性に対して、神様のように仕える過程を経ていかなければなりません。六か月以上、僕の立場で蕩減歴史を行かせるのです。そのようになっています。 後にその女性が、お父様を神様の代身者であると証ししたその日からは、その女性は主管権を転倒しなければなりません。そのような基準があったので、お母様を選べる基準が立ったのです。数多くの霊的な女性たちが集まってきました。一〇代から八〇代までの七〇年代にあたる女性たちが横的に並んで先生をテストするのです。その女性たちがみな、先生を自分の新郎だと言いました。これは全世界的に大変なことでした。 これを八〇代から収拾しなければなりませんでしたが、縦的な基準で勝利した基準を中心として、横的な基準でこれを整理しなければならないのです。彼女たちに、自分が神様の婦人であるということを、全部主管権の転倒をさせなければなりません。横的な面の業をしなければならないのです。その神様の妻であるという女性たちに対して、伝道しなければなりません。その場で信じなければ、その女性は気がおかしくなります。そのくらい、恐ろしいのです。 次には、八〇代から一〇代までの女性たちに、横的、霊的な面から、縦的横的に恩恵を与えて、彼女たちに与えておいた新婦権を取り戻さなければなりません。縦的、横的に取り戻さなければなりません。地上で準備していた新婦権を取り戻さなければならないのです。八〇代から七〇代、七〇代から六〇代、六〇代から五〇代というようにして一〇代まですべて取り戻さなければなりません。先生は新婦を選ぶ権限を持ち、メシヤになれる権限も持っています。そして、先生がすべての天国的な横的面を取り戻して選んだ人がお母様なのです。 旧約時代完成の一九六〇年にイエス時代を中心として祝福しました。国家的次元を超えたことです。堕落した位置から復帰して上がっていかなければなりませんが、ここ長成期完成級から七年を越えていくのです。これが全部サタン圏内の支配を受けていたので、迫害があるのです。先生の息子・娘はもともと苦労をしてはいけませんが、キリスト教が反対したので、苦労しながら、先生の息子・娘までも迫害されながらこの位置(長成期完成級)まで上がってきたのです。 二世を収拾する時 一九九二年四月一〇日、お母様が女性解放運動を宣布しました。元来、第二次世界大戦直後に、新婦権の勝利権をもって新郎を迎えればよかったのですが、失ってしまったため、蕩減してお母様を再び選びださなければならないのです。ですから、全世界的に新婦圏、女性たちがお母様の分身になり、その女性たちが初めて一つになれる時代がやってきたということです。新婦圏が平面図上で女性解放を宣布することによって、第二次世界大戦直後に失った基盤を再び取り戻します。ですから、女性時代に入るのです。一九九二年、それで、女性を捜すのです。 女性を選び、お母様を選んだ後は、子女です。これが二世です。二世は何かというと、イスラエル民族がカナン復帰の際、四〇年荒野時代に苦痛を受けたように、先生がイスラエル王国権を取り戻すための四〇年荒野時代に入りこの地球上で、イスラエル民族に対するカナン部族のような世界の反対の群れの中に立っていました。これはイスラエルの第二世が上陸したのと同じなので、子女を二世といいます。世界自体がそのようなカナン四〇年路程と同時期であり、カナン復帰と同じです。 二世というのは、祝福の二世も二世ですが、一九四五年以後に生まれた者も二世といいます。クリントン大統領は二世の最後です。先生の責任は何かというと、第二次世界大戦以後に生まれた者たちを、全部二世として受け入れることです。しかし、これはカインであり、祝福を受けた者たちは二世なのですが、それらをアベルと見るのです。祝福家庭は二世たち、大学を収拾すべきなので、先生の息子、娘たちもみんな大学にかかわりをもってこれを続けてやっています。大学はすべて二世たちが収拾しなければなりません。お母様とアベルが一緒にカインの二世を救うために、今大学での講演を行っているのです。 イスラエル民族がカナン復帰をなして、カナンの地に入り、自分たちが影響を与える立場であるにもかかわらず、既成家庭とそこの息子・娘の影響を受けたことによって、樹立すべきイスラエル王権を失ってしまいました。これを蕩減復帰して、私たち二世の母たちはどうすべきかといえば、サタン世界に染まらないで、逆に天の国の地上天国を建設する上で伝統的思想を植えておくべきなのです。 ホモセックスだの、フリーセックスだの、全部いけません! お母様の収拾は先生がしなければなりません。お母様は子女たちを収拾しなければなりません。どのように収拾するかというと、世界の女性たちがお母様の分身になって、息子・娘たちを抱いて、強制的にでも天の側へ立ち帰らせるのです。お母様は昨年、世界二六六か所を回って大会を行いました。皆さんもこのようにすれば、国が救われ、親戚が救われます。全世界的な大会をしたのです。これは現実問題です。漠然としたことではありません。先生が四〇年間戦った現実問題です。 皆さんも今、現実問題にぶつかっているのです。天国を探さなければなりません。それで、お母様を再び捜し、子女を捜すことを今、先生がしているので、大学や、米国で講演するのも先生を中心としてお母様に受け継がせて、お母様の時代がやってきたのです。そして大学まで動かしてきました。お母様が大学の講演をすれば一大事となるのです。既成教会の反対は今は気にする必要はありません。今は二世です。大学生と中高生さえ伝道すればいいのです。二世たちを誰が救わなければならないのかというと、女性であり母親です。 五〇億人類の中で、三分の二以上が第二次大戦以後に生まれたと見るべきです。全世界の女性が完全に一つになれば、今後家庭での息子・娘の収拾は問題ありません。祝福家庭の女性たちは、自分の子供をアベルとし、五〇歳以下の人たちをカインとして、一つに収拾しなければなりません。そうしてこそ初めて、母親として天国に行くことができるのです。それが公式です。それがどんなに難しくても、成し遂げるのが母親としての使命です。そうすれば世界が神様の主管下に入るのです。 このような四〇年間があったので、母を再び捜さなければなりませんでした。このような複雑なことをしてきました。息子・娘を捜すため、一六〇か国のカイン世界の反対を受けながらすべて成してきましたが、これらはどうせ、これからついてくるようになっています。祝福家庭の皆さんが、第二次大戦以後の人たちさえ収拾すれば、これは自然に収拾されます。先生がつくっておいた基盤をもって、すべて収拾されるのです。 では、今まで既成結婚をした夫たちはどうすればいいのでしょうか? 彼らは天使長です。母、息子・娘、真の父母が完全に一つになって、真の父母の公認をもらえば、皆さんはその夫と暮らせるし、その息子・娘たちをもう一度つなげてあげることができます。ですから、全世界の女性たちはこれからお母様の分身です。一つにならなければなりません。その次に、先生は女性の大将です。大将は軍隊用語です。軍隊では絶対服従しなければなりません。軍隊では例外がありません。絶対服従しなければなりません。女性の皆さん、私に服従しますか? (イエス)。何をもって服従しますか? この点は、私以上に皆さん自身がよく自覚しなければなりません。さもなければ、再び堕落の道を行くことになるからです。 アメリカの女性もそのようにしますか? (イエス)。道がありません。アメリカ・ウーマンも、アメリカ・クィーンも関係ありません。お母様を四〇年間で再び収拾し、二世の息子・娘を収拾して、夫を収拾する道を教えてあげました。それを誰がすべて成したかといえば、先生一人で成したのです。 先生に侍りよく理解しても、お母様には時が至らなければ教えませんでした。息子・娘も親に対して、うちの親は統一教会だといって、不平を言いました。父母様が、このような数千年の歴史を歩んできたことを知りません。平面的にだけ知っています。今や女性と、皆さんが生んだ息子・娘たちを救うために先生が苦労したことを知らなければなりません。 飢餓に苦しむ世界に責任を持つ 今世界で、一年に二〇〇〇万人が飢えて死んでいくことに対して、誰が責任を持ちますか? 先生しか責任を持つ人はいません。すでに、私たちが海洋摂理を始めてから二〇年になります。その日は記念日にしなければなりません。この二〇年間に、海を連結していける、海洋の流通機構に対するすべての準備をしておきました。 人間は水と土地さえあれば生きていけます。白人はアフリカの人たちに農作の方法を教えてあげなかったので、いまだに彼らは知りません。ですから、お父様は、水があれば魚を養殖することができ、土地があれば農作することができるということを教えてあげたのです。今テキサス農場をつくっています。昨日も行ってきたのですが、お母さんたちが釣りさえできるようになれば、子供たちは飢え死にしません。海には魚がたくさんいます。子供が飢えて死んでいくのをただ見ていますか? お母さんは魚を獲って食べさせ、家畜を飼い、農業をして食べさせなければなりません。 ですから、知っている人を指導しなければいけませんが、アメリカの女性がするべきですか? そうではありませんか? 皆さんはフィッシングをし、ボートを買うことを考えていないではないですか? これからは伝道する必要がありません。全世界的なメディアを通して伝道するのです。餓死していく人にフィッシング、ハンティングを教えてあげなければなりません。そうすれば、全世界が生きていけます。 先生は、宗教指導者がどうして釣りをし、ハンティングをするのかなどと、いろいろなことを言われてきました。神の息子・娘が餓死していくのに、魚を生かしてどうするのですか? あなたたちはボートに乗って釣りを習いますか? 女性たちは、子供の死んでいくのをただ見ていますか? これはお母さんたちの責任です。そして、食べるものがないのは、交通がつながってないからです。全世界は船を造り、道路をつくり、流通機構をつくらなければなりません。これさえ始めれば、統一教会の人数は瞬く間に、数億、数十億になります。皆さんは、船を買い釣りを習って、アフリカに行ってハンティングをしますか? 皆さんは、みじめなアフリカの母親たちに釣りや狩りのしかたを教えるのです。そうすれば、子供たちを養うのは問題でなくなります。周りにいる女性たちもそれを見て習うようになれば、さらに多くの子供たちが救われます。これは母親の使命です。 ですから、先生は全世界に女性組織をつくりました。小さな村の隅々まで、母親たちが連携していかなければなりません。そうすれば産物を遠隔地に流通させることが可能になります。では、準備してください。二四フィート、二〇フィートの船を何隻ずつか造って、全部展示しなければなりません。二〇年間海洋摂理にかかわった者たちが全部逃げてしまい、私一人が残りました。それは事実です。 しかし、いずれこのことは成し遂げられます。昨日もテキサスへ行って、五時にここへ帰ってきて、それから海へ行ってきました。こんなに熱心です。その人たちを生かすために、なるべく自分で獲った魚は自分では食べません。海で一生懸命に過ごしたら、陸地で一生懸命になす時がきます。今度の六月三〇日、海上はあなたたちが全部責任を持って、陸地のハンティングの準備をしてください。 宗教指導者がフィッシングをするとか、ハンティングをするとかいわれながら、今まで続けてやってきてよかったですか? お父様は漁師の王様です。農業でも、何でもしなければなりません。 生涯の目的を立て天上世界の勝利者に 「真のお父様の孤独なる四〇年生涯」、これからもこのように生きていきます。もうすぐ八〇歳になりますが、今も若い皆さんには負けたくないという気持ちです。統一教会の先生は、このような年になっても働こうとするのに、若者が統一教会に入って遊ぼうとします。これではいけません。それをやめさせなければなりません。 ですから、「真のお父様の孤独なる四〇年生涯」、このように歴史的にすべてのことを収拾し、このようなすべての世界的問題を解決するために努力してきました。これは言葉だけではなく事実です。実績として残っている事実です。お父様の模範的な生き方の前に、恥ずかしくない皆さんの生涯を築き上げるべきである、ということを知らなければなりません。この地上生活が天上世界の所有権を決定する重要な時期です。一度きりの生涯をどう生きるかです。一度の生涯が大事です。 お父様は地上での生活のあり方が、霊界でどれほど重要になってくるかをよく分かっているので、真剣な生き方をするのです。世界の為に生きてつくった実績が、霊界でお父様の財産になるのです。それと同様なことが、皆さんにもあてはまるのです。 きょう、先生がこのように一人で公的なことのためにどれほど涙を流し、どれほど地を打ちたたき、どれほど悔しい思いをし、どれほど努力してきたかをもう一度反省しながら、今、皆さんの財産、皆さんの本然の国、世界をこの地上で努力して成し遂げて、天上世界の勝利者になることを願いつつ、話をしました。 四〇年間み旨を歩むということは、そのような計画がなかったならばできません。サタン世界が全部反対します。それと同じく、皆さんも個人的に人生の目的を立ててください。先生のような、生涯の目的を決めなければなりません。生涯学校、生涯学校生活であると思いなさい。学校では単位を取らなければならないので、そのためのコースを行かなければならないのと同じです。生涯もそうです。 いくら反対があり、どんなことがあるとしても、自分の行くべき道を最後まで行かなければなりません。自分の道を行けなかった人は結局、反対を受けるはめになります。自分のやっていることが正しいことであることを、再確認すべきです。このような過程で、困難だった時代が、いつも自分を救ってくれる支えになったのです。皆さんも生涯の目的を決めて、一つの国を救うとか、一つの地域を救うという決心をして、昼夜なく一生懸命にやれば、天は必ず協助してくださいます。それを休まず、食べず、決心していけば必ず成功します。先生が四〇年歩んでくる間に、ただ直線の道を来たと思いますか? 直線で来たのではありません。皆さんの行く道も同じです。 ある程度の時間がたつと、必ず何かが起こります。蕩減復帰です。ここである程度やると、その分また延長させようとします。その理由を私は知っています。必ず何かがあります。夢のような四〇年がこのように過ぎ去りました。「真の父母と成約時代」を宣布し、「真の父母と成約時代安着」を宣布したということは驚くべきことです。天に感謝しなければならないことです。 安着という言葉は知っていますか? 涙なしにはできないことです。神様は、先生の悲惨な環境の事実をよく知っておられます。先生のために、神様もたくさんの涙を流しながら日々を送られたのです。先生が地上で成すことが、霊界を通して世界に連結されるということは夢のような事実です。 先生の息子・娘は先生に似るべきです。そうなれば、父母様が行く所に一緒に行けます。先生がこのように詳しく教えてあげたにもかかわらず、霊界へ行って自分の願わない所に行くとするなら、それはどれほど苦痛なことでしょうか。知らなかったらそれでも済みますが、知っていると苦痛です。二重、三重の苦痛です。ですからそれを忘れずに皆さんも、いくら困難でも決めたその道を成功させる皆さんになってください。そのためにきょう、このような話をしました。 これからはみ旨を知った立場で、皆さんの行く道を決心し、先生に負けない生涯を送ろうと決心するこの時間になることを願います。それでは、元気でいてください。日本の女性食口、男性食口を教育しなければなりません。頑張らなければなりません。皆さんは若くて、先生は年寄りであることを忘れないでください。 ゴッド・ブレス・ユー! (神の祝福が皆さんと共にありますように!)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.07
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(TC-062-日本語)_開会式み言(李基誠 天心苑長)_第1538回 修錬会一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.06
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天苑宮天勝教会新出発感謝礼拝U-ONE NEWS 2022年6月3日号をご覧になられた方は既にご存知と思いますが(こちら)、これまでの天福宮教会(ソウル)が「天苑宮天勝教会」に名称を変更しての最初の感謝礼拝となります。2022/06/05 09:00に公開予定です。(韓国語のみ)天一国10年天暦5月7日(2022.6.5)午前10時一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.04
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[22.06.05] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2022/06/05 09:30に公開予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.04
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「真の父母の日と天地人愛完成の日」1994年4月11日韓国・九里市・中央修練院 一九九四年四月十一日(陰暦三月一日)、第三十五回「真の父母の日」の記念式典が行われ、礼拝での内容。 「真の父母の日」「真の子女の日」「真の万物の日」「真の神の日」 「真の父母の日と天地人愛完成の日」、これはどんな意味ですか。真の父母の日が、いつから始まりましたか。今までは父母の日、子女の日と言っていましたが、今からは真の父母の日、真の子女の日、真の万物の日、真の神の日、このようにしようと決定しました。 今まで、神様も真の神様になれませんでした。堕落によって、復帰の恨を抱いた神様になったのです。それゆえに、復帰の恨の峠を越えられない子女たちも、真の子女になれなかったということです。ですから、真の万物の日、真の父母の日、このようになれなかったのです。 きょうは真の父母の日を設定してから、三十四周年になる日です。イエス様の年齢を見れば、イエス様は三十三歳で亡くなられたのですが、その時、もし祝福行事をしていたならば、三十四歳までかかったでしょう。摂理史を見る時、イエス様が三十四歳で祝福できなかったことを、世界的な基準で、父母様を中心として、祝福の世界化をなせる時になったのです。イエス様が世界的な家庭理想をなせる再出発の時になった、このように見るのです。また、おもしろいことに、父母の日を設定した三十四年前も陰暦の三月一日が陽暦の四月十一日でした。その日がちょうど一致したのです。それは皆、摂理的に意味のあることだと見るのです。 「真の父母」という言葉はいつから始まりましたか。堕落がなかったら、人間始祖が生まれた時から始まったのです。その時は、父母の日に「真」という言葉をつけなくても、真の父母の日になったのです。堕落したために、復帰過程において「真」という言葉を使うのです。 真の父母という言葉は創世以前よりありました。神様の創造理想において、すべての目標は何ですか。真の父母という目標を中心において、万物をつくられました。まず神様は日と月をつくり、その次に大地をつくり、次に空気をつくり、水をつくり、そのように環境をつくっておかれました。 その環境の中には、必ず主体と対象があります。これは創造の原則です。創造の公式です。皆さんはそれを知らなければなりません。環境の中には必ずプラス・マイナスがあります。プラス・マイナスが合わさって一つになれば、それが発展するようになり、また他のプラスと一つになっていこうとするのです。主体と対象があって、その主体と対象が、小さい所から大きい所へ発展するためには、ある主体と対象が一つになり、より大きいマイナスになって、もう一つの大きな主体を中心として一つになるのですが、これを統一教会では、対応的相対という言葉で表現しています。 主体と対象を結ぶものは愛 ところで、人間が堕落することによって、神様の救援摂理が始まりました。救援摂理というのは、正常な位置から落ちたため、再び戻って行くことです。人々が病気になって、病院に入って生死の境地をさまよい、そこから病気を治して出て来る時には、救われたと言うのですが、それを別の言葉で言えば、復帰された、正常に戻ったと、このように言います。 本来、堕落がなかったなら、救援摂理の歴史はなかったのです。堕落した人間が、再び帰るためにはどうしたらいいのですか。病気になった人が、病気になる前の状態に再び帰るためには、病気の苦しみを味わうと同時に、それに対する付帯的な要件を備えなければなりません。入院費や薬代などが必要なのです。それと同じように、神様の救援摂理の路程も、再び帰るためには蕩減というものがあります。そのままでは帰れません。そこに該当する条件を立てて帰るのです。それを蕩減復帰と言います。間違ったことを清算するためには必ず代価を支払わなければならないのです。救援摂理歴史は蕩減復帰摂理です。このように統一教会は、救援摂理の総歴史に対して結論を持っています。 蕩減復帰摂理は再創造摂理です。再創造摂理は、そのままでやるのではありません。必ず環境というものがあります。神様が天地万物をつくる時には、そこには必ず主体と対象がなくてはならないのです。 万物の中には鉱物があり、植物があり、動物があります。この鉱物世界も必ずプラス・マイナスの運動をしています。人間たちは分からないけれど、すべてが運動しているのです。原子も分子も全部、主体と対象になっています。人間たちは分からないのですが、すべて存在するものは、磁石のような作用をしています。地球の重力よりも強いため表に現れたものが磁石であるだけで、その他のすべてのものも自分なりに作用しています。そのため、鉱物世界もいつも主体・対象関係になっており、植物世界も主体・対象関係、動物世界もオス・メスを中心としてすべての作用をするのです。また人間世界は男性と女性を中心として作用します。 その作用の中心は一体何ですか。主体と対象関係を中心として作用するようになったその動機は何ですか。その内容は何ですか。これが重要です。自分なりの運動をするために、プラス・マイナスが損害を出すために運動するものはありません。必ず、二つとも利益になることを願っているので、作用するのです。 皆さんもそうでしょう。市場に損をするために出る人はいないのです。毎日のように出て、たった十ウォンでも利益が出てこそ、それを続けるのです。それと同じように、主体と対象関係も、損をするために動くのではなく、必ずプラスになるために動くのです。 その両者が共に利益になるようにする内容は何ですか。これが問題です。それは見えるものではありません。お金を持って、プラス・マイナス二つが利益になることはできません。また、知識を持って、双方が利益になることはないのです。権力も同じです。 このように見る時、その内容は何でしょうか。それは愛というものです。主体と対象を全部結んでいく、その主流の骨髄に行く流れ、内容、方向性が何かというと、愛なのです。その愛はどこへ行きますか。小さい所から大きな所まで行って、何をしようとするのでしょうか。これが問題です。宇宙はどの方向に集まっていますか。この方向性をとらえられなければ目的観がありません。今日の共産主義者たちは、進化論を主張するために目的観がありません。しかし、すべての存在物が主体と対象になっていれば、必ず愛というものを中心として始まるのであり、それを連結させていく道が愛の道です。 そのような愛の道を探していくのに、どのように行けばいいのですか。全部その道を行こうとすれば、小さなものは大きなものを橋渡しとして、大きなものはもっと大きなものを橋渡しとして、もっと高い所へ高い所へ行くようになるのです。学校の方向というものを見たとき、皆さんが国民学校へ行った後には中学校へ行かなければなりません。その次には高等学校、次には大学校、大学院、このように高い所を目指して行くのです。 欲心もそうでしょう。欲心もだんだん大きくなります。一番始めは「地方の国民学校で落第さえせず上がっていければいい」、次に「そこで一番になればいい」さらには「二学年でも一番」、全部一番になるのを願うのです。人の欲望というものは、低い所へ行こうという道はありません。 それでは、このように主体・対象関係をなしていく一つの方向性に、だんだん高まろうとする道があるというとき、その道は一体どのような道なのでしょうか。それが宇宙の根本になって、宇宙の内容になって、宇宙の目的と連結できる一つの流れなのです。流れが勝手に行くことはありません。動機があって、目的に向かって、一つの方向性に向かって行くのです。その内容は一体何か。それを愛というのです。 力よりも作用が先 すべての万物、鉱物までも全部相対に会って高められ、植物から動物世界へ発展していくのです。植物はどうかといえば、鉱物を吸収して生きます。また植物は動物の前に吸収されるのです。それで、はしごのように上がっていきます。動物に植物が全部食べられ、それで滅びるのではなく、発展していくのです。全体を見ればそうなっています。 その次に、動物の中でも、低級な動物は大きな動物に吸収されるようになっています。海の魚を見てみれば、海の深い所から水面まで温度の差があるのですが、温度の差に従って魚の系列が数百系列あります。一番小さな魚は表面にいて、もう少し大きなものはもう少し深い所にいて、もう少し大きいものはもう少し深い所、そのようにして鯨のようなものは底の方に住むのです。全部、大きいものが小さいものを捕まえて食べます。そのようになっています。 ここにいる日本食口の中で、先生が話す韓国語をよく聞き取れない人、手を挙げてみなさい。(ここから日本語で)一九九〇年度までに勉強するように、先生はちゃーんと言いました。一九九〇年以降は通訳は使わないと世界的に公言したのに、君たちが勉強しなかったのだから、君たちの責任であって、先生の責任ではありません。分からなくても仕方ありません。これから、再び勉強しないといけません。分かりましたか。 (韓国語に戻る)これを、ダーウィンは弱肉強食と言いました。ちょっと見れば、それは合っているように見えます。強いものたちが小さなものたちを捕まえて食べます。そのような自然界の現状を見る時、合っているように見えますが、物質自体も発展し、高尚な理想がなければならないのです。高次元的な愛を求めていこうとすれば、そのようになります。物質として求めていく、その目的はどこですか。このような問題にもなります。 人は二つの内容を持っています。精神的内容と物質的内容です。この精神が先か物質が先か、意識か存在か、という哲学にかかわる問題が、唯物史観、唯心史観を中心として、終末的な世界に混乱状態を与えて、その後の方向まで混迷させてきたのです。 ダーウィンは種の起源を中心として神を否定しました。すべての万物は進化して発展してきたという進化論が問題なのです。それが正しいか、正しくないか。統一教会はこの問題を中心として共産主義を打倒していくのです。今日、理論的な面から、それが正しいのか、正しくないのか、さらにそれを実際に実験し、科学的な評価によって全部決定し打倒するのです。 端的に話すと、共産主義では「精神というのは物質の副産物だ、物質から出てきたものだ」と言います。唯心世界では「精神から物質が出てきた」と言います。どちらが正しいのかという問題を中心として、世界が上になったり下になったりしてきました。この共産主義というものはなくさなければならないでしょう。 すべてのものは運動をするようになれば消耗するのです。運動して大きくなる方法はありません。運動していけば必ず小さくなります。電気をみても、入ってくる力と出て行く力がありますが、運動するため、入ってくる力よりも出て行く力が小さくなるのです。入力は出力よりも大きい、このように見ます。 この観点で見る時、アメーバが運動するようになれば、それは小さくなるのであって大きくなれません。発展という言葉は、運動する前のアメーバよりもっと大きくなって出てくるときに使うものです。この論理は科学的な結論です。この食い違いにどのように答えられるのですか。これが問題になります。 その次に、アメーバから人間まで発展してきたのですが、そこには数千系列があります。その系列の中では、必ずオス・メスの愛の門を通して種の繁殖をするのです。低いものは、低い所から愛という関係の門を通して、繁殖して拡張する運動をするのです。それでは、アメーバからの数千系列のこの愛の門を、どのように通っていくのですか。愛の門もなく上がっていったということですか。そのようなことは狂った考えです。 次に宇宙の根本を見れば、この宇宙の環境の中には主体と対象があります。全部が運動をするため、これは問題になります。最近、科学者たちは、この宇宙は「力」でできていると言います。力が先か、作用が先か、それが問題です。 男女が愛し合うようになるとき、父母たちが反対すれば、生命を懸けて、首を吊るか、投身自殺をしようとします。そのような力がなぜ出てきますか。男女は最初にどうなりますか。目が合うようになってウインクをすれば笑います。このようにして作用が生じるのです。相対的関係がなされれば、作用の力が生じるのです。愛という力の前に、愛を連結することのできる作用を加えていかなければなりません。このように見るのです。 それでは作用が先か、力が先か。力よりも作用が先なのです。作用を経なければ、作用のすべてのものを合わせていって連結させなければ、力が現れないのです。力を出そうとするとき、考えることから、このようにしなければならないという心の作用を起こして、大きな覚悟をして、パッと力を出すようになっているのです。だから、力を出すためには作用を経なければなりません。 それでは、作用は一人でできるのでしょうか。これは根本問題です。一人ではできません。作用するためには、環境の中には主体と対象があるのですが、必ずこれを通してやらなければなりません。 男女が好き合えば、目が合い、それで近づくことを願います。心が作用すれば、近づいて来るようになるのです。女性たちは、男性たちが近づいて来ても嫌ではないのです。じっとしていないで、私をちょっと触ってくれたらいいのに、というようになります。それで触ってあげれば嫌がらないのです。このように発展していきます。愛というのは最後に一つになる力です。そのため、力が出てくるまでは、必ず作用を経ていかねばならないのです。作用というのは一人ではできません。分かりますか。一人ではできないのです。 堕落により心と体が反発 それで、すべては相対になっています。我々の顔を見てもそうです。目が一つだけだったら、どれだけ便利でしょう。なぜ目が二つなの? 宇宙の公式に合わなければならないからです。すべてのものは、主体・対象が運動をしながら、一つの中心を中心として連結されるのです。この中心が三点です。運動することは、必ず中心を中心として三点に連結されるのです。縦的に見ると、このような運動をしても三点が連結されるので、宇宙の構成要素は三点を骨子にします。それで顔も三段階になっているし、目も三段階になっています。白い部分、褐色の部分、真っ黒な部分と三段階です。このように見る時、作用というのは一人ではできないのです。このように理論的追求をして、それが正常化されて常識的な基盤になればいいのです。真理は常識を逸脱するものではありません。 宇宙のすべての力がある所には必ず作用があるのですが、作用するには必ず主体と対象の関係を通してなされるのです。このような観点で見るとき、救援摂理は復帰摂理ですが、そのままでは行けないので、蕩減しなければなりません。罪を犯せば、刑務所に入って服役をした後に釈放され、出て来なければなりません。同じです。蕩減復帰するには、そのまま指折り計算式に勝手にできないのです。すべてのものは、原理原則を通さなければなりません。それで、統一教会は「復帰は再創造原理に従ってしなければならない」と、このようにいうのです。環境においても、主体と対象が一つにならなければならないのです。絶対的に一つにならなければなりません。一つにならなければ復帰もできないし、天理の存在世界は違ってくるのです。 心と体が、一つになったこの宇宙の公式、原則的な環境圏内に、プラス・マイナス、主体・対象関係のルールに反発するのです。心は体を引っ張って、消化して一つになろうとし、体は心を引っ張って一つにしようとするのです。なぜこのようになったのでしょうか。堕落したためです。堕落しない公式過程を経るためには、主体の前に、対象を一つにすることのできる行いをしなければなりません。 それでは、体に従って心を屈伏させて、どこへ行くのですか。政治家たちが良心をごまかして、詐欺をして、独裁者のように世の中を自分のものにする、そのようにしては滅びてしまうというのです。体は、持っていればもっと持っていたいし、もっと持ちたがるのです。どこまで行くのでしょうか。世界を皆持ったとしても、この体は、何か良いものがあったら全部持とうとします。世界を自分のものにしたのですが、その中に金鉱があり、ダイヤモンド鉱があれば、自分がその中で一番良いものを集めて、皆持とうとするのです。 そのため、あてどもなく回り、あてどもなくさまようのです。主体・対象関係はないのです。ですから、これが問題です。それを主体として相対的関係になれば、どこへ行きますか。家庭で始めて、国家を過ぎて行って、世界を全部あちらこちらへ引っ張って回るのです。 しかし、良心というものは縦的です。そのために、良心があることよって定着するのです。良心がなそうとするままに体が屈伏すれば、体がやろうとすること以上に価値を持つようになっているというのです。それを知らなければなりません。良心がやろうとするとおりにやるようになれば、体がやろうとする以上のものを求めるのです。なぜでしょうか。人は高い理想を持っているためです。そのために男性たちは肩を広げ、胸を張って歩きなさいというのです。 女性は謙遜さが大切 女性に対して、胸を張って肩を広げなさいという言葉を聞いたことがありますか。女性たちは肩を広げても小さいのです。女性は腰だけが大きく、男性は肩が大きく反対だというのです。このように反対になってぴったり合うのですが、女性も同じようになれば、倒れていくのであって、それでは亡国の世界になることを知らなければなりません。 最近、肩を広くして歩く女性たちが、たくさん出てきているでしょう。亡国の輩、終わりの日になったのです。それで、女性は道を歩いてもどこが運動するのかといえば、腰の運動です。男性たちは、速く歩けば肩と腕を振りながら、ビュンビュン通って行きます。女性たちはなぜそうなのですか。子供を宿すようになっているためです。速く行ってためになることはありません。軽く両手を振って歩くようになっているのです。生理的にそうです。ですから、肩を広くして歩き回る女性たちから浮気が始まるのです。浮気者はそのような連中が多いとみるのです。それだから、女性は謙遜でなければなりません。 女性のものは何もありません。全部子供のものです。顔は女性のものではなく、男性のものです。女性は空の入れ物です。それは私の言葉ではありません。そうなっています。空の入れ物だといって寂しがってはいけません。空っぽのかごが悪いのですか。悪くありません。空のかごへ何を入れるのかによって価値が違ってくるのです。 神様はアダム・エバ二人しかつくられませんでした。二人しかつくらなかったのですが、アダム・エバには息子・娘を二人だけ生めと言われましたか、たくさん生めと言われましたか。生めば生むほどよいのです。統一教会の教会員たちは、一ダースずつ皆生みなさいというのです。皆さん、村のような所を訪ねて行くとき、一人で行くのがいいですか、群れをなして行くのがいいですか。一人では寂しいのです。どこか分からない、他人の街へ入って行くようになったとき、気勢を上げて堂々とやるためには、多ければ多いほどよいのです。多いほど堂々とするのですが、老人たちをたくさん連れて行って、堂々とするのですか。自分より年の若い人が多ければこそ堂々たるものです。同じです。皆さん、天国に入るとき、一人息子を連れて行くのですか、多くの者たちを連れて行くのですか。はっきり答えなさい! (「多くの者たちです。」) 人間が堕落することによって、神様が理想とする天国は空いています。それを知らなければなりません。今日、既成教会の人たちは、何かにつけて天国へ行くんだと大げさにいいますが、天国へ行くなら、天国の規格に合う生活方式と、その国の法度に従い、すべてのことに合うようになって行かなければならないのです。神様が天地を創造するとき、法を中心としてつくりました。すべての実体は法の上で動くのです。天国を創造するとき、法に従ってなしたため、その法に合う姿を備えなければ入れません。泥棒の輩が、平和な村に入って来て住むことはできないのです。このような法をすべて知らなければなりません。ただ信じて天国に行くというのは、無知で愚かなことです。泥棒の輩よりもっと恐ろしいのです。信じて天国に行く? 霊界に行ってみなさい。パウロがどうなっているのか。 愛による男女平等権 皆さん、女性たちが男女平等と言うでしょう。ここに数多くの女性たちが集まっていますが、「男女平等権を唱えるべきだ」と、そのように思いますか。女性はご飯を食べることでも、男性の半分しか食べられません。また体重も五分の一は軽いのです。小さい人は五分の二軽いのです。例を挙げれば、日本の娘さんたちは半分にしかなりません。それでも平等権でしょうか。背丈で見ても同じだと言えますか。歩いても小さい足でついて行こうとすれば、のそのそとついて行きながら、「ああ、死にそう」と言うではないですか。それが平等権ですか。 ここにいる女性たち、社会において女性がいつでも問題だというのです。男女共同オリンピック大会があれば、女性が一種目でもチャンピオンになることができますか。言うのも恥ずかしいです。百ある中で、一つもないということなのです。 裁縫するのは女性たちがうまいといいますが、ミシンの先生に女性はいません。デザイナーにおいても、世界的な人の中に女性はいません。何に秀でていますか。子供を生むこと一つしかありません。女性が世界的なチャンピオンになれるのは、子供を生むことしかないのです。違うと思う者は手を挙げてみなさい。事実がそうです。事実は事実に従って話さなければ、それは気の小さい男性です。 気分が悪くてもしかたがありません。事実ですか、事実ではないですか。(「事実です。」)女性たちが事実だと答えたので、私は今、永遠に事実として信じ、自信を持って話します。さあ、何が平等権ですか。愛を中心として一つになることです。愛を中心として平等になります。結婚しない女性が平等権を主張できますか。女性権運動する人は男女平等だと言います。私がアメリカに行くと、「レバレンド・ムーンは男性主張者だ!」と、こうなのです。その女性たちを集めて、一人一人に聞き、「あなたたちのそれが平等権か」と言えば、すっと縮みあがるというのです。 アメリカに行くと、「女性が主体なのか、男性が主体なのか。誰が子供を生んだのか。女性が皆生んだでしょう!」と言うのです。それは合っている言葉です。「子供を生むのに、主体は女性ではないですか」と言われたとき、「ああ、それもそうだ」と言いました。それで「東洋では男性を主体とし、西洋では女性を主体とするようだが、それはどちらが正しいのか」と尋ねてみると、「それは東洋が間違っている、西洋が正しい」と、そのように話をするのです。 それでは、「引っ張られて行く人が主体か、引っ張って行く人が主体か」と尋ねてみれば、「引っ張って行く人が主体です」と言うのです。女性と男性とどこかに行けば、引っ張るのは男性でしょう。引っ張って行くほうが主体だというのです。それでは、行ったり来たりするのが主体ですか、位置を決めてじっとしているのが主体ですか。じっとしているのが主体です。男女を見るとき、女性のほうが、行ったり来たりするのです。人が話すとき、心が命令するままに言うのですから、体が命令するままに心が決定して、このようにやりたいと言っても、口が言葉を話しますか。 その次に、隣近所を歩き回りながら噂を流し、大げさにするのは男性ですか、女性ですか。(「女性です。」)それは間違いありません。そして唇を見れば、男性の唇が厚いですか、女性の唇が厚いですか。男性の唇が厚い場合が多いでしょう。唇においても、誰が主体かといえば男性が主体です。そして、顔にもう一つ、あるものとないものを見るとき、もう一つあるほうが主体です。女性たち、ひげがないではないですか。 だんだん男性が主体だということが確実になってきました。手を見ても、男性たちは、毛がこのように出てこそいいのです。また、活動することにおいて、尻の重い人が活動できますか、軽い人が活動できますか。男性は尻が小さいのです。女性は座って暮らさなければなりません。 男性がなぜ、絶対的な主体かといえば、愛は男性から始まるからです。女性はくぼみです。受けるのが主人ですか、与えるのが主人ですか。プラス・マイナス、ペアが悪いのではありません。ペアになって落ちれば悪いですが、ペアになって上がって行けばいいのです。どちらがプラスですか。それは男性です。そして、子供の種は、女性にあるのですか、男性にあるのですか。(「男性にあります。」) 無形の神様が、実体の神様の代身として置き換えるのです。上弦・下弦が連結されているのです。連結しなければならないので、神様が人を創造せざるを得ないのです。上弦がプラスなら、下弦はマイナスにならなければならないでしょう。見えないものと見えるもの、これがプラス・マイナスにならなければならないのです。 見えるものが貴いか、見えないものが貴いか。見えないものが貴いのです。女性たちは負けました。さっき言った男女平等権というものは、男性と女性が完全に愛することができる資格者になってこそ、男女平等権を叫ぶことができるのです。 男女平等権は、唯一愛だけをもって言うことができます。愛とはどんな愛ですか。一日限りの愛ですか。最近のフリーセックスは一日限りの愛です。そんな愛を持って平等権を主張することはできません。変わらない愛であればこそ、平等を主張できるのです。 愛は生命と良心と血統の根本 皆さん、ダイヤモンドがなぜ宝石になったのですか。それは炭素で、木炭と同じです。それがなぜ、宝石の中で一番良い宝石になったのですか。硬いことにおいては何にも負けません。その硬いことを占領されません。不変です。硬いことにおいて変わらないので、ダイヤモンドは宝石の価値があるのです。金はダイヤモンドみたいに硬いですか。柔らかくて、爪で引っかけば跡が残り、実際は飴みたいでしょう。冬に、飴はぽきんと折れますが、金は春の季節の飴のようです。黄金色の光、輝きにおいて変わらないのです。光において千年、万年、歴史を超越しています。それゆえに宝石なのです。また真珠においては何がいいのでしょうか。ハーモナイズ、色合い、全部調和をなすのです。 春の季節になれば、和合の環境がつくられます。地と天が合わさって和合するのです。そのため、すべて霧がかかってぼやけたようになります。秋の日と違うでしょう。和合の色を持っているため、誰が見ても純化され心が安定するという、その意味において、その色が変わらないのです。これをハンマーでゴンと叩けば、皆壊れてしまいます。その色一つが変わらないので宝石になっているのです。貴いものになるのです。 それでは、神様はどんなお方ですか。すべての面において変わらないお方です。このような結論が出てきます。神様の性稟において、目を見ても一つ目ですか、鼻を見ても一つ鼻かというのです。皆さんは二つの目を持っているでしょう。この目玉で見るのですが、心を通して見ようとし、体を通して見ようとする二つの目があるでしょう。ここで体を通して見れば悪いことで、滅亡するのです。死亡に流れていきます。しかし、心の目を通して行くのは、永生の道を行くのです。宗教と非宗教圏、二つの群れに分かれるのです。体は同じものを取り扱うとしても、変わらない価値を認めようとしません。悪魔は毎日変わるのです。気まぐれものです。 それでは、人において、どのような人が宝物のような人なのでしょうか。人において変わらないものは何ですか。それはお金だ! お金は変わりますか。(「変わります。」)また知識だ! 知識は変わりますか、変わりませんか。大韓民国の知識は大韓民国だけで使えるのであって、どこへ行っても使えるものではありません。法を中心に、風物、地理、歴史、全部大韓民国だけで必要でしょうが、他の所へ行けば使えないでしょう。通じないのです。何百年、何世紀を克服しなければなりませんし、過去、現在を克服しなければなりません。 それでは権力だ! 「草花は十日の命」という言葉があります。花は十日間しか続かないということなのです。いくら誇ったとしても、長く続かないのです。権力がどのくらい続きますか。大統領になって、その権力が永遠に続きますか。継続できないのです。権力も変わり、知識も変わり、お金も変わります。これが好きな人は変わる世界に行くのです。それは理論的に合うことです。真理は理論に合わなければなりません。 それでは、人において変わらないものは何ですか。良心は変わりますか、変わりませんか。また生命は変わりますか、変わりませんか。名前は変わらないけれど、人は変わり得るのです。それで、名前を残そうとする人が多いでしょう。人において変わらないものは、良心と生命です。幼い時の生命や、中年の時の生命や、老年の時の生命、生命は貴いものです。いつも私と共に一つになろうとします。限界線を越えて、いつも長くいたいし、長く生きることを願うのです。長生きを願う何かがある、これなのです。 その次には自分です。大韓民国が長く長く続くのを願います。それを人でいうなら血統です。「血は水よりも濃い」という言葉がありますが、血筋に従って連結されるのです。血筋は変化を好みません。大韓民国なら大韓民国を、一族なら一族を保護しようとするのです。すべての動物も本能を中心としてそうなのです。 その次には何が変わらないのですか。血筋も行けば途切れます。断たれないものは何ですか。それが愛だというのです。愛により始まって、途切れることのない生命に連結され、愛において男性と女性の生命が激突して、一つになって血筋が生まれるのです。その根本が愛です。人間の根本生命とか、伝統とか、自分の妻や子供という血筋は連結されるためのものです。それが何によって動員されるのかといえば、その母体が愛だというのです。愛がなければ、男女二人が一つになれますか。一つは天、一つは地ですが、それをどうやって一つにしますか。人間の調和をもってしてはできないのです。 愛というものは生命の根本にもなり、良心の根にもなり、血統の根にもなります。ところで、その愛が行ったり来たりすれば、血筋も行ったり来たりするし、生命も行ったり来たりするし、良心も行ったり来たりするというのです。そうなれば大変でしょう。そのため、愛だけは変わらずにいなければならないという論理を、我々は嫌でも認めざるを得ないのです。それだから、愛を変わらない宝物の位置に立てなければならないのです。 その愛が貴重で貴いものになるには、その愛だけは変わってはいけません。このような論理が成立します。そうなれば、その人は貴い宝物のような人になるのです。このような結論を下しても、どこの誰もだめだという人はいないでしょう。愛が変わるのを願いますか、変わらないのを願いますか。(「変わらないのを願います。」)なぜ。生命よりも貴く、血統よりも貴く、良心の根であるため、良心より貴いのです。 天地人愛完成 それでは、私が貴重な人だという時、皆さんは大韓民国の宝となるのですか、世界の宝となるのですか、天の国の宝となるのですか。きょうの御言の題目が、「真の父母の日と天地人愛完成の日」ですが、それは何のことですか。その愛が、大韓民国で変わらない愛の代表者になりますか、それとも、世界で変わらない愛の代表者になりますか。天地とは、天と地をいうのですが、天と地の変わらない愛の代表者になりますか。また、この天と地の根本になり、その中心になるすべてのものをつかんで、意のままにかき回すことのできる、その根となる愛を中心として代表できる者になるのですか、どうですか。 天地人愛とは何ですか。天地人の愛をいうのです。天の愛、地の愛、人の愛、それが皆入るのです。天地人愛完成の日。完成の日、それは良い日ですか、悪い日ですか。(「良い日です。」)きょうだけ良い日ですか、永遠に良い日ですか。(「永遠に良い日です。」)それで救援摂理が可能なのです。変わるものは全部風呂敷きに包んで、投げ捨てるのです。皆、摘んで捨て、下着だけになっても恥ずかしくありません。私はふんどしをして歩き回っても、変わらない愛を持っています。そうしても恥ずかしいことがないでしょう。天地人愛完成をなすのです。その頂上に上がることができるのです。 それでは、その頂上に根となる神様がいたら、そのような代表者として神様に会える資格がありますか、ありませんか。神様に会ってどうするのですか。「神様、私と愛し合いましょう」と言えますか、言えませんか。今の立場を言うのではなく、天地人愛完成したそのような位置を言うのです。そうなればいいですか、悪いですか。 神様は変わらないものが好きですか、変わるものが好きですか。(「変わらないものが好きです。」)神様ご自身が億千万歳を生きるとき、億々万々歳生きるそのような人がいれば、ぴったりくっついて放してくれますか、放してくれませんか。(「放してくれません。」)おお、神様を完全に自分のポケットに押し込めることができる、そのような力を持って、「神様、来い来い」と叫べば、神様もしかたなくついて行くしかありません。杖を持った、何万歳年を取ったおじいさんになりますが、ノソノソと、私が行く所へついて来ざるを得ないのです。 人間が行かなければならない最後の終着点が何かというと、知識の王者でもなく、百万長者や億万長者でもなく、世界を統一した人でもありません。ただ一つ、愛を中心として、天上世界、地上世界、万有の存在の前に、私に従えといえる、このような位置に立つことです。その位置に立てば、すべての万有の存在は主体・対象関係で結ばれているために、愛について行くのです。それぞれの愛に従います。鉱物は鉱物なりの愛、植物は植物なりの愛を中心として連結されるようになっているのです。 信じられる人は一人もいない だから、そのような位置に立った自分の後に、百万千万長者、世界の宝物などが全部、ぞろぞろとついて来るようになっています。気分がいいですか、悪いですか。(「いいです。」)文総裁は何も持っていません。世の中において稀な人です。皆さんも同じように稀な人たちじゃないですか。私はもっと稀です。なぜ。世の中で悪口をたくさん言われてみると、自分に近い人たちは皆落ちていって、一人しか残らなかったのです。分かりますか。一生悪口を言われて生きた人ですから、どれだけ多くの人々が来て、くっついて離れていったか分かりますか。このような凡人たちは、くっつこうとして来ましたが、少しだけ行けば、皆離れてしまいました。寂しいですか、寂しくないですか。寂しくてもしかたがないですね。 イエス様の弟子の中で、ペテロが使徒だとか何とか、既成教会で大げさに言いますが、その使徒の中で、使いものになる者は一人もいません。背信者の後継者です。このようなことを言うと、既成教会では私を見て異端だと言います。ペテロ、ヤコブなど十二弟子は背信者の後継者ですか、信じる後継者たちですか。 イエス様は失敗者ですか、成功者ですか。失敗者です。どんな失敗をすれば十字架に架けられて死ぬというのでしょうか。そして復活の四十日間に、離れていった十二弟子を集め、再び導いたので、それはどれほどかわいそうですか。失敗者の収拾です。既成教会はそのようなことを知らないでいるのです。私がそのようなことをみんな知って話してあげると、新しいことを言うと、「おお、異端だ!」と言うのですが、誰が異端なのか正統なのか、見なさいというのです。異端だといって、その異端を誰が分かりますか。霊界へ行ってみなさいというのです。 私は霊界の隅々まで、皆くまなく探して、こういうことをしているのです。世の中の物情に精通し、天上の物情を広く知って、神様がいかなるお方で、イエス様がいかなるお方で、素晴らしいと言われる聖者に会って、皆確かめて現れた人なのです。そのため、孔子もわが弟子、釈迦もわが弟子、マホメットもわが弟子と言ったということなのです。そうしたら「おお」と騒ぎが起こったのです。イランのホメイニが、教団の名において文総裁死刑式をしたでしょう。マホメットを自分の弟子と言ったので、死刑だというわけです。 それがもし、霊界に行って事実だったらどうしますか。私は見て知って、実験して話すのです。それを見ることもできず、聞くこともできず、知ることもできなくて、どういうつもりですか。反対に行くのです。決裁がどうなるのか知っているのですか。 見なさい。私一人ぼっち、このように哀れな存在となって、四十年人生を寂しく生きてきました。今も、寂しくても私の友人は一人もいないのです。ここにも信じられる人は一人もいません。皆さん、自分自身が信じられますか。自分も信じられない世の中なのに、誰を信じるのですか。しかし、私は私を信じます。そこが皆さんと違います。世の中は自分を信じませんが、私は私を信じます。私一人、私を信じます。私が言ったことは、私が信じているので、そうならなければ、私がなしておくのです。それが世の中と違うのです。分かりますか。私は私を信じるので、私が言ったことは間違いなくなしてしまうのです。 普通の人たち、世の中の人たちは、言ったことは流れてしまいますが、私は私を信じるために、私が言ったことがもしできなければ、私が必ずなしてしまいます。それが違うというのです。 そのようにして家庭を越え、今は国を越え、世界も越えました。今回ゴルバチョフが来たでしょう。今度は私の弟になって行きました。「あなたは私より十歳以上年下だから、弟の中の弟です」と言うと、「あ、そうですか」と車に乗って行きながら、「私はレバレンド・ムーンの弟だ、兄弟だ。いいですね」と言ったのです。 私の言うことを聞いて、南北総大会をすればどれだけいいですか。三十八度線の緩衝地帯で、米軍、北韓の人民軍、韓国軍に囲まれた中で、両国が連合大会をすればどうなりますか。統一が近づいて来ますか、来ませんか。今や私の言う通りにすれば英雄になるというのです。 そういうことは私は得意です。国もなく、一人だけしかいないけれども、そのようなことがうまくできるようになっているのです。今は、世の中が、文総裁のやることを信じようとしています。今まで、世界をポケットに押し込んでおける準備を皆しておいたのです。 主体である男性は真の愛と真の生命の種を持たなければならない さあ、どこから話に入りましょうか。男女平等から道を外れました。言葉の本来の意味を失ってしまってはいけません。男女平等権において、男性が主体だ、そして神様が主体だと言いました。男性は神様に似ているがゆえに主体なのですが、主体になるためには何を持たなければならないのでしょうか。真の愛と、真の愛の生命の種を持たなければなりません。なぜ愛が必要かといえば、変わらない愛を持つ人は、真の愛と生命の種を受けるのにも喜んで受けることができ、喜んで受けたものを喜んで与えることができるのです。与えるのは子供の種をあげるだけではありません。女性たちが受けて、子供を身ごもって、父母と夫に与えるのです。それが平等権です。 そのような愛を持って、変わらない愛の下で生まれた息子・娘は、永生せざるを得ません。そのような愛は永生するのです。皆さんは永遠なる愛を望みますか、一時的な愛を望みますか。永遠なる愛は神様と通じるのです。神様が根ですから、神様の根と連結された真なる母、父の愛は真の愛であり、真の愛を中心として連結された真の生命の種を受けるのです。そのような真の生命の種を受けたがゆえに、神様から直接伝授されたがゆえに、その息子・娘は永生するようになるのです。これが理論的結論です。 皆さんは永生することができますか、できませんか。(「できます。」)どのようにしてできるのですか。真の愛を持たなければなりません。変わることのない女性とならなければなりません。だから、未婚の時、お嫁に行ったならば、再びお嫁に行かなければなりませんか、行くべきではないですか。お嫁に行った女性が浮気をすべきですか、すべきではないですか。(「すべきではないです。」)自分の夫よりハンサムな男性がいる時、「あの男性と一度暮らしてみたい」と、そんな心を持つべきではありません! いまだそんな輩たちが多いというのです。 変わる愛はだめです。愛は二つの道ではありません。一つの道です。前にも話したように、植物世界、動物世界、すべての万物も皆、授けて受けるときにおいて、愛ゆえにただ一つの道になるのです。小さい愛は大きい愛に橋渡しを頼むのです。小さいものは、しきりに大きくならなければならないので、はしごを登ってひっきりなしに上がって行きます。広くなり、高くならなければならないのです。 統一教会を保護するための神様の戦略 人間の生活における基台、家庭形態の模型基準は何でしょうか。それは兄弟、夫婦、父母ですが、それはどこから来たのでしょうか。神主義から来たものです。神様が一番愛するものは何でしょうか。息子・娘です。また、神様の家庭の夫婦はお互い愛し合います。死ぬのも生きるのも一緒であり、永遠に足を紐で縛り、一つとなって生きていく中で、子女を生むようになります。そして、父親、母親となるのです。兄弟、夫婦、そして父母です。神様もそのように成長されたのです。 今日、既成教会に聞いてみるならば、神様はいっぺんにパッと大きくなったといいます。あまりにも万事を知らないのです。神様は第一です。では、第一のその内容はどうなっているのでしょうか。そうした話が論理的に合わなければなりません。原因と結果を知らなければなりません。既成教会では原因が分かりません。結果も分かりません。 統一教会では原因がはっきりしていて、未来がはっきりしているのです。世の中がどうなっているか、はっきりしているので、統一教会は自信満々です。既成教会では「雲に乗り再臨のメシヤがやって来る、主よ、主よ」と叫ぶのです。しかし、いったいどんな奇跡が起きるというのでしょうか。死んでしまうと、大地を叩いて慟哭するのです。どんなに騒いでも、何億年経っても、雲に乗って決してやって来ません。 旧約聖書に、エリヤが雲に乗ってやって来るという記述があります。ユダヤの国ではエリヤが来て初めてメシヤが来ると今も信じていますが、エリヤが来たという話を聞いたことがありますか。(「ありません。」)聞いたことのない話であるがゆえに、イエス様は異端と言われてきたのです。 イエス様は「エリヤは洗礼ヨハネである」と言いました。ですから当時の人々は、今の既成教会の人々と同様、「異端者イエス、洗礼ヨハネがエリヤだというのは、おまえがメシヤと言いたいがために言っているのではないのか。悪魔の手先バアルの王よ」と叫んだのです。 マラキ書にはエリヤが、来るべき主の道を整えると書いてあります。雲に乗っていった人が人間としてやって来たというので、「こいつ、おまえはメシヤと言い張って人々をだまそうとしているのだろう」と言われました。イエス様は詐欺師となったのです。 イエス様が詐欺師となって死んだのと同じように、今の既成教会では、主は雲に乗って来るはずなのに人間としてやって来たというので、詐欺師呼ばわりし、悪魔呼ばわりするのです。私が悪魔の王となったのです。詐欺王です。これは正統に通ずる話なのでしょうか。正統なのか、正統でないのか、あの世に行けば分かるでしょう。 私を信じて滅びたという人を見たことがありません。統一教会を信じてきて損害を被りました、私は損害賠償を請求します、という人を見たことがありません。統一教会を信じて十年になれば、それだけよい人になったでしょうか、悪い人になったでしょうか。さえない人も良い人になっていったのです。やくざ者が皆、愛国者になったのです。それは良かったのですか、悪かったのですか。 ある人たちは、「統一教会に通う信者たちはよいのに、師匠が間違っている」と言うのです。その話はよいことです。詐欺師連中は来るなということなのです。こんなにも素晴らしい広告が果たしてあるでしょうか。売国奴たちは自分たちの腹の痛まない所を探し回るのですが、もし彼らにとってよいと言えば、盗賊たちがまずやって来て、ありとあらゆるものを何か分からなくしてしまうのです。他の人たちを追い出すためにです。「統一教会に通う人たちはよいけれども、統一教会の先生は詐欺師だ、魔王だ」、こうした話は先生の所には届かないのです。神様が戦略的にそのようにするのは、統一教会を保護するためなのです。(「アーメン。」)(拍手) 私は拍手が嫌いです。注意を喚起しなければならない時に、サタンがやって来て、聞こえないように拍手をするのです。拍手をしてしまうと、その前に何を言ったか忘れてしまいます。ですから、拍手をしなくてもかまいません。いつでも一日中拍手をしてもらったと思っているので、静かにしてください。その代わり、話した内容を忘れることなく覚えてください。 統一教会の者たちで、一つ間違いないことは、統一教会に入教して十年なら十年いただけ変わったというのです。上がるように変わったのですか、下がるように変わったのですか。(「上がるように変わりました。」) 本当ですか。(「はい。」) では、どうして先生が悪口を言われるようにするのですか。皆さんが悪口を言われたくないがゆえに、先生が悪口を言われるのです。簡単なことです。なぜずっと先生の悪口を言うのでしょうか。皆さんが黙っているからです。統一教会の人たちは素晴らしいのですが、その素晴らしい人たちの話を聞きますか。説教してみなさいというのです。そうしたら先生が悪口を言われるでしょうか、ほめられるでしょうか。 尹博士。(「はい。」)お父さんが他界していますね。他界する前に伝道しなさいと言ったのに、霊界でどうするのですか。最近になって、「入会願書を書いてから行きました」と言ったそうですが、間違いなく書いてから行ったのですか。私は見ませんでした。私はそのおじいさんの顔を知りません。統一教会に入って、間違いなく変わったことだけは事実です。そうですか、そうではありませんか。(「そうです。」) 神様も一人でいると寂しい さて、神様もすべての環境の中に介在し、入っていったでしょうか。環境には必ず主体と対象があるとするならば、神様もそこに入っていかなければなりません。天地のすべては主体と対象に創造されています。神様がそうであり、動機がそうであるので、結果がそうなったのです。 では、神様が主体であり、私たち人間が対象であるというならば、その主体と対象は何を中心として関係を結んでいるのでしょうか。(「真の愛です。」)愛を見たことがありますか、ありませんか。(「ありません。」)愛に触ってみましたか。見ることもできず、触ることもできないのに、そのようなものを好む人たちは狂った人たちですね。では、良心はありますか、ありませんか。(「あります。」)見ましたか。(「見ていません。」)それでは、生命を見ましたか。(「見ていません。」) 生命の形態が備わっているのが「私」だということは知っているものの、どのようにして生まれたかはよく分かりません。また、力に触ってみましたか。力に触ってみることはできません。電気の力を見ることができますか。電気はどんなに速く流れていくでしょうか。捕まえようと思ったら、すでに行ってしまっているのです。 神様を見ましたか。(「見たことがありません。」)神様に触ってみましたか。(「触ったことがありません。」)存在しているのは知っていますか。(「知っています。」)どのように知っていますか。(「心で知っています。」)心がどのように知っていますか。先ほど話したような作用をしているのです。私たちの良心は最高の善を指向しています。千年万年前の人々や、今の人や、あるいは、千年後の人に関係なく、良心はいつも最高のものを願っています。運動するのです。主体と対象の関係になって、それは運動するのですが、プラスの存在があるため、「私」がマイナスの位置に立って作用をするのです。そこには必ず主体がなければなりません。その主体の名前はどんな名前でもかまいません。神様でもよいし、何でもよいのです。主体と対象なくしては作用は起こりません。良心作用の背後には必ず主体と対象がなければなりません。そうだからこそ、神様がいるという論理が成り立つのです。 神様も一人でいたらよいでしょうか、それとも寂しいでしょうか。(「寂しいです。」) 寂しいのです。そこのおばあさんもそうです。おじいさんも一人でいると寂しいでしょう。(「寂しいです。」) ところで、ソウルで最もにぎやかな所でも、人々は夕方五時になると帰宅し始め、午前一時、二時にもなると静かな都市となります。人々は皆、どこに行ったのでしょうか。家に帰って何をするのでしょうか。愛を求めて帰るのでしょうか、食事を求めて帰るのでしょうか。(「愛を求めて帰ります。」) 主体・対象といえば男性と女性です。一日中、男性と女性の話ばかりするので、「文先生は女性が好きなんだ。だから美人の中の美人を選んで結婚したんだ」、そのような結論を人々が出すのです。お母様は美人ですか。(「美人です。」)皆さんよりも美人ですか。(「はい。」)だから、天宙のお母様なのですね。神様も一人でいると寂しい。文総裁も一人でいると寂しい。お母様も一人でいると寂しい。二人が別れていると寂しい。このようになるのです。 別れていると、会いたいですか、会いたくありませんか。皆さん、会いたくて会いたくて泣いたことがありますか。(「はい。」)お母さんに会いたくて泣き、慕わしい人と会いたくて泣き、そして、女性が男性に会いたくて泣くようになれば、天下が首をたれるというのです。どうしてでしょうか。 この世界の半分は男性です。そして、半分は女性です。泣くので頭を下げるようになります。男性は女性の方を見つめ、女性は男性の方を見つめるのです。これが夫と妻となると、こうやって見つめ合います。手を合掌し、「ありがとうございます」と言いながら、「どうか天地の福をお受けください」と言いながら、私に福をくださいと言わなくとも、福を受けるようになっています。しかし、女性が夫以外の男性、男性が妻以外の女性を見ると「くーっ」と言いながら顔の表情が変わっていきます。さあ、この二つの場合のどちらがよいですか。(「最初の方がよいです。」) 皆そのように生活していますか。自分の夫に会いたくて地を叩き、家の中を引っ繰り返したとしてもかまわないというのです。家をつぶしてしまってもかまいません。妻が帰ってきて「どうしてこんなことしたの」と聞くとき、「あまりにもあなたに会いたくて、会いたくてたまらなくてこうなった。会いたくて、会いたくて、土を掘ったらこうなった。そして、力を入れて壁を押したらこうなった」と言ったときには、もっとよい家が与えられることを知らなければなりません。そして、新しい家を建てて、二人で新しい家に入って生活したらどうでしょう。踊りを踊りながら愛し合うようになるというのです。そうすれば一大傑作夫婦となります。 では、神様も一人でいると、寂しくて、会いたくて泣かれたのでしょうか、泣かれなかったでしょうか。(「泣かれました。」)だから、統一教会の文先生は悪口を言われるのです。おばあさんをはじめとして、女性たちがやってきて、先生の足首をつかんで、このようにさわろうとするからです。 二時間もたつのに、まだ序論にしかならないですね。(笑い)しかし、序論だけ聞いたとしても、普通の教会で四十分間説教を聞くよりも、何倍も多くのことを習ったでしょう。もうこのぐらいでやめて、レクリエーションでもしましょうか。きょう、この喜びの日に、真の父母の日をお祝いし、先生に楽をさせてあげなければならないのに、このようにこき使って、先生がやつれるようにするつもりですか、皆さん。(笑い) 昨日だったか、一昨日だったか、私が健康なので、お母様が「お父様が私より長生きするのは間違いないですね。足腰もしっかりしているし、昼夜なく、それも行ったり来たりしながら八時間も立っていられるのだから。私は一時間ですら、立って話すことはできません。だから、お父様が間違いなく、私よりも長生きすることでしょう」と言ったのです。 父母の日のような行事をすると、私が死ぬほどの苦労をするのです。お母様はこのようにも言いました。「三十分でまとめられる話を、長々と話して、三十分、四十分でまとめて話せる頭を持っていながら、どうしてそんなに長く話をするのですか」と言うのです。「頭の回転が悪かったら仕方がないのですが、短くまとめることができるのに、どうしてそんなに長く話すのですか」と言うのです。女性が好きだからですよね。(笑い・拍手) 愛の対象には自分より高くあってほしいと望む 神様も一人でいると寂しいでしょうか。(「はい。」)間違いないですね。神様は目に見えない原因的存在であり、人間は目に見える結果的存在です。私たち人間の中で、目に見えないものは最も尊いものです。良心も見えず、愛も見えず、生命も見えず、神様も見えません。だからといって、存在しないのでしょうか。存在しないのではありません。存在するのです。存在するのに、なぜ分からないのでしょうか。それは、私と一つになっているからです。 良心は誰でも持っています。神様も持っています。神様は良心の根であり、生命の根であり、血統の根であり、そして、愛の根なのです。一番低い底に神様がおられることを知らずにいるのです。間違いありません。皆さんが神霊に満ちた祈りをすれば、「神様はどこにおられますか」と尋ねると、「やーやーここにいる」と、おなかの中から声が聞こえてきます。そのように神様が話すのです。遠いところにおられるのではありません。 ですから、人間とは実に奇妙なものです。釈迦のような方も解脱の境地に達してみると、天も地もみな「私」の中に、「私」の手の中にあると言ったのです。「天上天下唯我独尊」という言葉は、天上天下において「私」が最も高いところにおり、神様も「私」の中におられるということです。天下万象がすべてそうなっています。そのことは正しい言葉でしょうか、間違っている言葉でしょうか。(「正しい言葉です。」) 人間は神様より高いのですか、低いのですか。私は人間が神様よりも高いと思っています。だから、私は異端だと言われるのです。まずは、神様が最も高く、二番目が私だと言うので異端だと言われ、次に、神様より人間が高いと言うので、また異端だと言われるのです。イエス様より「私」が高い、こうなるのです。お父さんより「私」が高い。このような結論が出るのです。 では、こうした結論をどのように解き明かすつもりですか。愛の対象には、自分より高くあってほしいと望むではないですか。愛の対象、第一の対象は何でしょう。歴史的に残すことのできる対象は、縦的な対象と横的な対象です。縦的な対象は神様であり、横的な対象は息子・娘たちです。また、女性にとって縦的対象は夫であり、横的対象は息子・娘です。 ですから、皆さんがお嫁に行こうとするとき、夫となる人が自分よりさえない夫であることを望みましたか、もっと素晴らしいことを望みましたか。(「素晴らしいことを望みました。」)自分よりもさえない夫を望んだ人は手をあげてみてください。手をあげたものは追放しなければなりません。悪口を言ったとしても、罪ではありません。 東洋人も同じであり、西洋人も同じです。過去の人、現在の人、未来の人も同じなのです。過去、過去、過去というと、おじいさん、おじいさんのおじいさん、最初のおじいさんまでさかのぼって行くのです。最初のおじいさん(祖先)の願いもそうであり、根源である神様に尋ねてもそうなのです。 「人間たちは、自分の愛の相対が、自分より優れていることを願うのですが、神様はどうでしょう」と尋ねると、神様は、「みんな知っていてなぜ聞くのか。おまえが好きなものは、私も好きなんだ」と、こうなるのです。神様も同じです。神様も同じなので、相対をつくるために、百パーセント分の力だけ持っている神様は、自分の愛の相対には、何千パーセント、何万パーセント、無限に投入、永遠に投入したとしても、終わりにしたくないというのです。それが事実であるならば、どんなにかよいでしょう。 あなた方の夫が、自分より千倍、万倍、素晴らしくなったらどうしますか。愛し合うようになると、千倍、万倍、素晴らしいその位置まで共に行くのです。神様も、自らが創造されたその相対が、千倍、万倍、素晴らしくなると、同じ位置まで上がるというのです。そして、無限に高い位置まで行きたくなります。ですから、大宇宙は無限に高く、広いのです。すべて愛の圏内で管理されるためにそうなっているのです。分かりますか。 愛の速度はどれほど速いでしょうか。それに勝るものはありません。億万里をあっという間に行って帰ってきます。愛は最も直短距離を通ります。最も早い直短距離を通って行くのです。それに勝るものはありません。ですから、天が上にあり、地が下にあるとするならば、神様の愛は直短距離を通じるので、垂直に行く愛なのです。 ところで皆さん、「良心は正しい」ということを、なぜ言うのでしょう。人間を万物の霊長というのは、立って歩くからです。正しくまっすぐな神様の愛を、垂直に受けることができるのです。ライオンなどの動物は垂直の愛を受けることができません。なぜなら、永生できないからです。どうして永生できないのでしょう。垂直と通じることができないからです。動物は横的です。 西洋人は動物みたいです。なぜなら、あいさつするときに横的に握手をするでしょう。東洋人は縦的におじぎをします。天地を代身するのです。東洋人は文字を右から書き、また上から下へ書きます。縦的法度に従っています。西洋人は横的になっているので、左から右へと書くのです。正反対です。西洋に行くと、女性でも男性でも、うつぶせになって寝る人が七割以上もいます。しかし、東洋では、うつぶせになって寝る者は障害者として扱うのです。また、東洋では「こっちに来て」という動作をこうやってしますが、西洋ではこのようにします。西洋ではもらいますというのが、東洋ではあげますということですね。全部相対的になっています。 このように見るとき、西洋文明も必要であり、東洋文明も必要となるのです。この必要な両者を、何でもって一つにするのですか。主体・対象関係で天地は調和しているのに、この両者が調和しないときには相衝突する世界として、故障した機械として、破壊状態となります。これは工場であるともいえます。最高の精密機能を持った機械工場です。ぱちっと合うと動きだします。では、ぱちっと合って動きだすための潤滑油として何が必要でしょうか。それが愛なのです。すべてにおいて、潤滑油のような作用をします。壊れてしまいそうな状態のところに愛を注入すると、うまく越えることができ、スムーズに動きだすのです。愛による調和は、神秘的な調和なのです。 代表概念を持ちなさい ですから、神様も、自分の相対に、百パーセントの自分と同じだけの相対であってほしいと思っていません。神様も、神様よりもっと高い相対を求めているというのは真理です。では、「私」はどのような位置に上がらなければならないのでしょうか。全体を代表しなければなりません。代表概念です。代表観念、代表愛、代表思考、すべて通じるのです。そのような代表的な概念を持たなければなりません。 皆さんは韓国の人ですか、日本の人ですか。「私は韓国人を代表した」というのと、「韓国人と日本人を代表した」というのではどちらがよいですか。二つの国の人々を代表したほうがよいですか、一つの国の人々を代表したほうがよいですか。(「二つの国を代表するほうがよいです。」) それでは、二つの国の人々が兄弟姉妹の関係を結ぶのがよいのでしょうか、三つ、四つの国の人々が兄弟姉妹関係を結ぶのがよいのでしょうか。または、百六十か国の人々が兄弟姉妹の関係を結ぶのがよいのでしょうか。(「百六十か国の人々です。」)では、過去と現在、そして未来のすべての女性たちと姉妹結縁を結ぶ代表的な立場がよいのでしょうか、百六十か国の女性だけを代表した立場がよいのでしょうか。(「過去、現在、未来すべてです。」)よく分かっていますね。 欲心はすべて成就することができます。人間の欲心は成就されないというのが、歴史的にすべての人が評価した結論ですが、文総裁は、人間の欲心は、誰でもすべて成就することができるという結論を下しているのです。どうしてそうなのでしょうか。代表者だからです。代表者の概念を持ったからなのです。皆さんは統一教会を信じています。統一教会では個性真理体を主張しています。なぜ個性真理体を主張するのでしょうか。代表概念が最上の概念だということを打ち立てるために主張するのです。 私は世界中を回ってみましたが、同じ顔の人は一人もいませんでした。馬は成長すると、八十パーセント、九十パーセントは同じようなのに、人間だけは同じ顔の人が一人もいないのです。「私」が一番なのです。人類を代表した、歴史的人類を代表した「私」なのです。生命力というのは、脳が大切なのですが、脳にだけ生命力が宿っているのでしょうか。指先にはないですか、ありますか。(「あります。」)高い低いはありません。常に「私」が一番なのです。そのように考えなければなりません。 それで、「私」が歩いて行くとき、天と地が皆、あとについてきて、また神様も間違いなく、「私」のあとについて来なければならないのです。「私」は五十億人類の中の一分子として、あとについて回る細胞のごとくあることを願うのですか。それとも、それらの細胞を引っ張っていくのがよいですか。どんな考えを持たなければなりませんか。大きなことを考えなければなりませんか、小さなことを考えなければなりませんか。大きなものは、小さなものを吸収しなければならないという、新しい論理を打ち立てたのです。 そのような代表概念、一番という代表概念を持ちなさいというのです。チャンピオンは一人しかいません。チャンピオンが二人いるということはあり得ません。「私」は一人しかいないのですから、宇宙のチャンピオンです。そうした考えを持ちなさいというのです。自覚の中でも、恐ろしいほどの自覚を持ちなさいというのです。 オリンピックの金メダルを、一億円くれるからといって売ってしまいますか。後孫たちの前に、何万代、何億代の一族を代表し、光り輝くチャンピオンとなるのと同じです。代表、チャンピオンの中で主流となるのです。皆さんの家庭において、お父さんであるならばお父さんが、全体の家族を代表しているという概念がないため問題なのです。酒を飲んで帰ってきて、妻を殴ったり、子供を足で蹴ったり、代表者がそうであれば問題です。代表者は責任を負わなければならず、保護しなければなりません。育成しなければなりません。中心者と代表者は同じです。中心者は責任を負わなければなりません。中心者は全体を保護しなければなりません。また、全体を発展させなければなりません。そうではありませんか。そうした代表概念が必要なのです。 代表者は保護し育成し責任を負わなければならない 世の中に困ったことがあれば、「私のやるべき仕事だ」という考えを持ち、「私がやらなければならなかったのに、手をつけることができなくてこうなってしまった」と述懐する、そのような人に対して、世の中が神様のごとく思う、そういう人が代表者です。分かりますか。 神様と同じように為に生きようとしなければなりません。神様が彼らのために存在しているように、為に生き、なお為に生きようとする人が中心存在となります。神様が人類を救おうとされたように、神様の代わりに人類を救うために、昼夜なく精誠を尽くすのです。他の人々は食事をし、休み、遊び、寝ますが、人類を救おうとする者にとっては、遊んだり寝ることが問題ではありません。一切がそうした思いを持ち、他の人々が流さない血と汗を流しながら祈祷するのです。このようになれば、間違いなく神様の代表者であると同時に中心者となるのです。 統一教会の代表者であると同時に、中心存在である文総裁は、全体に責任を負わなければなりません。また保護しなければならず、育成しなければなりません。中心の立場にある中心存在も全く同じです。中心存在は、全体に責任を負わなければならず、全体を保護しなければならず、全体を育てなければなりません。ですから、代表的な位置、中心の位置に立って行かなければならないのです。それゆえに、統一教会に困難な問題があったならば、自らが先頭に立たなければなりません。代表の立場、中心の立場に立ちなさいというのです。 皆さんの良心は宇宙の中心に立とうとしています。皆さんはすべて、代表の位置を願っているのです。それが人間の欲望です。ゆえに、代表の立場と中心の立場に立って、人生を神様の為に生きたのと同じように、為に生きた人は神様の友となることができるのです。 神様から始まったものが、回って行って、神様に戻り、ぴったり合うのです。「私は始めであり、終わりである」このようになります。始めと終わりがしっくり合うのです。そして再出発するようになると、もっと大きくなって、もっと大きくぴったり合うようになるのです。 一点を中心として、「私」を中心として個人がぴったり合い、「私」を中心として家庭がぴったり合い、「私」を中心として国家がぴったり合い、「私」を中心として世界がぴったり合い、私を中心として天宙がぴったり合うのです。したがって、私は神様の代表者となります。これをきちんと成し遂げると、神様と個人的な友となることができ、神様と家庭的な友となることができ、神様と国家的、世界的、天宙的な友となり、天宙と神様と対等な立場に立つようになるのです。 例えば、日本人が結婚する時、日本人の六千万分の一の男性、日本人の六千万分の一の女性ではありません。本然の世界の人であるならば、私は六千万を代表する男女です。その二人しかいないのです。その男女がチャンピオンです。その愛のチャンピオン同士の結婚が私の結婚です。 どうしてそうなるのでしょうか。人間がその立場に登って立つことにより、その上には何もありませんが、神様はいるのです。神様がこのようにおられるから、天地のすべてのものは、中心の立場を中心として存在するようになっているのです。「私が最高だ」となります。「私」から、この中心の一番上から、座標軸が一番下まで、ずーっと延びているので、この代表者の位置を中心として存在している全体は、「万歳、万歳」と歓迎するのです。 二十五億男性が一番底で、「あいつ一番上に上がって、あの欲望の塊のようなやつ」とは言わないというのです。すなわち、一人の代表する人が天に侍り、えいっと努力をし、一番上から一番下まで統一するので、一番底から「万歳、万歳、万歳」と言い、アダム・エバも「万歳」、神様も「万歳」と言うようになります。それで終わりです。そして、その次に、二人が結婚するのです。未婚の女性と男性が一緒になって、神様と初愛の関係を結ぶならば、天地完成がなされます。なぜかというと、神様も愛を求めて来るからです。愛の世界を求めて行くとき、愛の相対は人間であるというのです。 アダム家庭は上下完成、左右完成の標本 きょうは真の父母の日ですが、真の父母の日とはどんな日ですか。今まで話してきた、こうしたすべての代表者である男性と女性が、愛を中心として一つになるならば、全体代表者となるのです。ここにおいて、神様を中心として愛の関係を結び、統一されます。天上統一、地上統一、右弦統一、左弦統一、前弦統一、後弦統一、完全に球形世界を統一するのです。そして、その後は中心の位置へ進んでいきます。これが先ほど話した代表者と中心愛です。一番上に上がって一つとなって、ぐるっと回すならば中心となるのです。分かりますか。 中心軸を通って降りてきたものが、こうして横的に立たなければなりません。すなわち、個人、家庭、氏族、民族、国家の代表者の立場に立たなければならないのです。そうなると神様と私が一つになり、神様の愛の一体圏をなすことができるので、すべて終わりです。無限の世界として無限に発展するのです。こうして一番上まで行くと、このようにそれ自体が回るので、これが次々に連結していくと、循環的軌道を通じて横的縦的価値圏を形成します。家庭、氏族、民族、国家、世界、それが私の家庭であり、私の国なのです。 主体と対象が愛を中心として結ばれているのです。愛によってこのように見るとき、人間の愛が最も中心となって、その次に動物の愛がここに連結されます。それから、それより小さい細胞まで連結され、このように上下になっています。動物も、見えませんが良心を持っているのです。 右側は全部男性が代表し、目に見えない良心と体を持っており、女性も良心と体を全部持っているので、右弦、左弦、上弦、下弦が一つになるのです。これは兄弟圏を意味しています。これに東西南北を合わせると十二面となりますが、上弦のものを下弦に、下弦のものを右弦へ、この十二面を中心として前弦のものを上弦に持ってきて合わせるとばちっと合うのです。このようになると、見えるもの、見えないものが全部一つになってしまうのです。 何で統一されるのでしょうか。愛で統一されるのです。頭翼思想でもって左右が統一される論理を打ち立てるのが、愛を中心とした神主義です。この神主義だけが真の父母を完成することができるのです。 代表的な愛をつなぎ、中心的な愛に変化させるのです。神様の喜びは、垂直を通り、人間のすべてが理想的な中心となり、軸をつくって千年万年と回って行くことにあるのです。これは人間において一つの軸、個人の方向、家庭の方向、氏族の方向、民族の方向など、方向の軸は一つしかありません。こうして個人の家庭から、世界の平和の家庭を代表する頂上になります。そうであるがゆえに、アダム家庭は上下完成、左右完成の標本だというのです。 アダム・エバが堕落しなかったら、その標本が、そのまま横的に、家庭、氏族、民族、世界へと広がっていくのです。そしてアダム・エバの統一された愛を中心として、自分よりも素晴らしくなることを願う、より為に生きる愛を中心として、授け、受けするようになるときには、天地がどんなに大きくとも、調和の世界として一つの体のようになるのです。 一人の男性と一人の女性が愛でもって一つになるとき、二人くっついてくるくる回るならば、宇宙を旅行することになります。皆さんも愛を中心として夫婦が結婚し、子供を生み、しっかり生活し、子供を結婚させたならば、夫婦で世界一周しながら暮らしたいでしょう。 愛を所有すれば対等になる こうして神人愛の完成の日となるのです。真の父母の日はそのような日です。こうした日ができたらどんなによいでしょう。この宇宙は私たちのために創造されたのですが、この宇宙はどれほど広いことでしょう。皆さん、太陽系がどれほど大きいですか。この太陽系の一千億倍も大きいのが宇宙です。一千億倍、実際はそれ以上に大きいのです。この数字は、人間が計算することのできる限界から導き出した数字です。実際はそれ以上に大きいのです。 とにかく膨大な宇宙です。この宇宙を、私たちはあっという間に行ったり来たりできるというのです。では、この大宇宙の中に、ダイヤモンドの星のようなものが一つだけあるでしょうか、数万個あるでしょうか。ダイヤモンドが欲しい人は手を挙げてください。私があげましょう。夫婦ですべきことをすべてして、愛し合うならば、飛んで行きたくなるのです。それが霊界に行くための準備となります。皆飛んで行きたくなるような思いを持ったことがあるでしょう。こうした思いを味わったことのない人は犬や豚と同じようなものです。 人間というのは、年を取っても、夫婦で世界を飛び回って、下がったり上がったりしながら、生きてみたいものです。そして、無限の世界に行くことのできる訓練、準備をしなければなりません。したがって、年を取ると、旅行しながら夫婦で一緒に死にたいと思うのが、この地上に生きている人間の最大の願いだというのです。このことは合っていますか、間違っていますか。(「合っています。」) 「私は違います」という人がいたら、「私はそうです」という人が目をかっと開け、「私はそうです」と力強く答えて初めてお互い和合するのです。和合することを知らなければなりません。先生が一人で声を張り上げたらおもしろいですか。和合が必要なのです。「私は死にます」と言えば、皆さんは「私は生きます」、そのように調和されなければなりません。皆さんが死んでこそ、先生は生きるのです。 そうであるがゆえに、高い、低いということはないというのです。神様も愛を探し求めるためには、私たちにくっついて求めなければなりません。一人で生きてきた文総裁も、しかたなく女性の後に張り付いて生きなければならないのです。 このくらいなせば、世の中は私のことを「出世した人」と見ています。世界的に私が築いてきたこの基盤は、歴史上の数多くの人たちが、何代にもわたって築くような基盤なのです。そのような意味で一番だと見ています。また、私のことを平和の門を開けた代表者であると見ているのです。今は、名高く有名になりました。最も高い頂上に登り詰めたのです。その次には中央に行くのです。代表者の名前を持った後で、次に何かにならなければなりません。中央に行って、また基盤を残せば、世界は私のもとにくるのです。 皆さん、やくざな男たちが恐ろしいですか。ひとこと言い返すようならば、首を切られてしまうのです。しかし、そんな男たちの家で、最も恐ろしい人が誰かというと女性たちです。やくざの家に住んでいる女性たちを見てみると、その恐ろしい体の大きながっしりとした男たちが、体の大きな女性を連れてきて生活をしているのではありません。体の小さな女性と生活しているのです。昔、私はやくざの巣にも全部行ったことがあります。全部反対なのです。顔が大きく、体の大きい男性は、顔が小さく細い女性と生活しています。その女性が瞬きしながら、「それはだめです」と言うと、「では、それはだめだ」と男性が言うのです。「よいです」と女性が言えば、男性は何でもするのです。 ですから、女性たちは世界を支配する男性たちを料理するのです。ゆえに、女性たちは体が大きくなければならない、ということはありません。男性たちはお尻に肉がないので、三時間座っていてもお尻が痛くなるのですが、女性たちは三十日間座っていても痛くないのです。女性の骨は細く、男性は全部骨というくらい太いのです。女性たちはこの肉と骨、クッションがどれほどよいでしょう。このクッションがあるので、骨に与える影響が弱いというのです。ですから、お尻を大切にしなければなりません。みだりに誰かに与えたりしてはいけないのです。分かりましたか。(「はい。」) この愛の理想は最高を願うのです。皆さんは全部最高を願っています。ではどのようにして、その願いを満たすことができるのでしょうか。それは、代表の概念を持って満たすことができます。結婚する時には、二十五億人類を代表した男性が結婚するのであり、二十五億人類を代表した女性が嫁に行くのです。結婚というものは、絶対に一度しかないものです。そして、頂上に登るのです。では神様も、二十五億人類を代表した男性と女性が結婚式を挙げるというとき、参加してみたくないですか。(「してみたいです。」) 私の口からではなく、皆さんの口から答が出たので、どんなにか気分がよいでしょう。神様は創造されるとき、神様が九十七パーセントの責任を負い、人間が三パーセントの責任を負い、共同創造主の立場に立てたというのです。だからこそ相対となるのです。そうでなければ相対となれません。付属品となるのです。分かりますか。付属品です。 ゆえに、女性は男性の付属品ではありません。たとえ、背も低く、見栄えが悪かったとしても、愛を中心とすれば、神様の前に相対として現れることのできる資格を持っているかのごとく、堂々と現れることができるのです。女性の皆さん、気分がよいでしょう。愛を所有すると対等になるのです。愛さえ持っていれば、どこへ行っても登って行くことができます。神様に乗って上がって行くことのできるものが愛なのです。愛する妻を背負って歩いたからといって、誰が何か言いますか。ところで皆さん、妻を背負ったことがありますか。 神様の愛を完成させる主体は人間 では、この真の父母の日が、地球上においてなぜ必要なのでしょうか。堕落のゆえにです。こうした思想的構造において、必然的結果に到達できないのは、堕落のゆえです。その必然的結果を再び成就するため、こうした論理的条件を経て到達できるよう、完結するための軌道に従い、人間世界を代表した過去、現在、未来の歴史を代表して、ようやく神様が願われた最大の一日を設定したのが真の父母の日でありました。 きょうは何の日ですか。(「真の父母の日です。」)今までは父母の日と呼んできましたが、今、私が峠をすべて越えて来ました。統一教会には今や迫害はありません。迫害する人がいるならば消えてしまうのです。私は言論機関をつくりました。アメリカの千七百に及ぶ言論機関は、私を最も恐れています。今まで、私を亡きものにしようと悪巧みを図り、弾圧してきた全世界の言論界の人々を一掃しなければなりません。 世界に基盤は皆築いたのです。アフリカに行って、王として扱われるのがよいですか、ここで僕として扱われるのがよいですか。真の父母の日は一度しかない日です。この一日より、必然的に新しい世界が始まります。そうなっていないので問題なのです。この一日の上に積まれていくのです。 地上天国、このためには四大心情圏、三大王権という言葉を聞いたでしょう。すべて神様の目に見えない実際の姿なのです。子女、兄弟、夫婦、父母は見たことがあるでしょう。この四つが重要なのです。赤ちゃんの段階で分かれます。しかし、分かれると言っても、ただ何となく分かれるのではありません。一つから分かれて、そしてまた合わさっていかなければなりません。合わさって、どこに行くのかというと、ここから、中央に上がって、それから無形の神様は、ここから降りていくのです。そして、水平移動をして真ん中で一つとなります。神様と人間が一つになるのです。ゆえに人間と神様は天地愛なのです。天と、地の人の愛が一つになるならば、すべてが完成します。 真の父母の日はすべてを完成させ、神様の愛を完成させたということです。人間がいなければ、神様の愛を完成させることはできません。それを今まで誰も分かりませんでした。人間という存在が、このように価値があり、貴重なものであることを知らなかったし、愛を中心として、神様までも完成させなければならない責任と使命のある立場であるということを知らなかったのです。その使命を果たそうと、皆さんの良心は神様を占領し、神様を思い通りにしようとするのです。神様を占領し、神様の愛の頂上まで、神様の愛の軌道に乗り、永遠に存続していきたいのが、人間の欲心だというのです。 誰を完成させるのですか。神様の愛、神様の創造理想を完成させるのです。神様も愛のために人間をつくりました。神様の愛のゆえに創造されたその対象が、神様よりも素晴らしくなることを願う、このような欲望を持っているために、その人によって愛を完成することができるのです。 神様を完成させる主体は神様ではありません。人間であるというのです。どうしてでしょうか。愛の対象が、自分よりもずっと高く高くなることを望んでおられる方であるがゆえに、神様の愛の目的を完成させることのできる対象なのです。その対象を通して、より高い存在にぴったりくっついてこそ、神様も大きな喜びを感じることができます。 神様の愛を完成し、大きな喜びを感じさせてくれるのは、神様自身ではありません。やはり人間だというのです。人間を通して神様は、ハッハッハッと笑うようになっています。神様自体としては笑う道はありません。それで皆さんも、一つになると感じることができないのです。 一体となると感じなくなる 神様は愛を持っています。神様は生命の根本です。神様は血統の根本です。神様は良心を持っています。しかしながら、持ってはいるものの、感じることはできないのです。文総裁もそうです。私も生命・愛・血統・良心を持っていますが、私が愛だ、生命の基本が私だ、歴史は私のものだとしても、感じることはできません。どうして感じることができないようになっているのでしょうか。感じることがいけないのでしょうか。 もし私が、生命があるということを五十パーセント感じたならば、相対が百パーセントの存在として現れたとしても、五十パーセントは感じることができず、五十パーセントしか感じることができないというのです。何の話か分かりますか。これは大事な話です。今までこの世界にもなく、哲学にもない話です。この話は文総裁から始まった話なのです。天地の秘密の中の秘密です。 一つになると、分からなくなるのです。徐々に近くなると見えてきますか、見えなくなりますか。見えなくなるので、分からなくなります。ストップするのです。零は出発です。「私」からです。愛も「私」から、生命も「私」から、血統も「私」から、地上天国も「私」から、天上天国のスタートラインも「私」からです。それが零点です。 皆さん、胸のここに手を当ててみなさい。左の胸の鼓動を感じますか、感じませんか。聴診器で聞いてみると、爆弾が爆発するように、ドカンドカンドカンと戦場のようです。それをどうして感じないのでしょうか。一日に何回か胸の鼓動の音を聞きますか。忙しくなると、一年十二か月間聞かないこともあるでしょう。私は知らずに寝ていますが、心臓は休んで眠りますか、働いていますか。(「働いています。」)休むことはありません。 ところで、どうして分からないのでしょうか。零点照準です。生命も零点照準です。良心も零点照準、地上天国も喜びも零点照準です。悲しければマイナスです。それでぐるっと回っていくのです。回っていきながら、ここでぴったり合うようになっています。このようになると発展するのです。上がっていくのです。停止、すなわち動かず一点で回るならば、死と通じます。 皆さんが毎日成長していかなければ、もうすでに滅亡と地獄に通じているのです。何か一つでも成長しているならば、生存、繁殖と天国に通じます。そうした原則から、個人を中心として見るならば、一番最初に個人がこのようになり、大きくなっていくのです。上がっていきながら、それを見るとこのようになります。個人一つ、家庭一つ、民族一つ、このように大きくなっていくのです。 ですから、これを中心として回っていくならば、徐々に高く上がって行きます。大きくなっていくのです。宇宙はこのように発展するのです。そうした立場において、皆さんは宇宙の中心にならなければなりません。まず初めに、この中心に合わせなければなりません。大韓民国のサッカー代表選手が、その次にはサッカー界の中心存在となるのです。オリンピック大会のマラソン選手は、マラソンのコーチの中心となります。代表の立場で中心の位置に立っていくのです。公式がそうなのです。 「私」という女性は、二十五億人類を代表した女性だという自覚を持ってこなかったのです。今までそのように考えてきた女性がいますか。皆さんのお母さんもそうでしょう。代表の母の立場で、代表の息子・娘を育ててこなかったことが問題なのです。神様の王子・王女として育ててあげる必要があります。その代表が誰かというと、アダム・エバと全く同じ立場なのです。アダム・エバがこの人類の代表です。神様のアダム・エバです。天の国の天上天下を治める大王の王子・王女なのです。 また、皆さんの家庭の父母、祖父母も、皆さんが王子・王女となるのを願っているでしょう。その位置です。代表の位置です。そこで愛と一つになっているならば、神様と一つになっていくようになれば、代表であるので中央、女性代表、男性代表であるので主人となります。そして、皆が好むというのです。「わあ、わあ、万歳」と言って、全国民が四千万であれば四千万、一億であれば一億が万歳と言うのです。 一昨年のオリンピックで、マラソンで日本選手と韓国の選手が最後まで競い合ったとき、日本国民は日本選手が金メダルを取ると確信を持っていたのですが、負けました。そのとき、日本人は「ふー」と言い、韓国人は「万歳、万歳」と言いました。この二人が両国を代表していなかったのでそうなりました。全体を代表していたら、その全体が万歳と言ったのです。 愛の本宮、生命の本宮、血統の本宮 男女が一つとなり、心と体と、愛と生命と良心と、すべてが一つとなり、頂上の代表存在となれば、全体の代表となるのです。全体が喜ぶのです。ですから、結論は右弦の男性と左弦の女性です。これを東西南北に例えると、男性は東で女性は西です。太陽は東側から昇り、西に向かって行くのです。全部、東から力を受け、西に回って行きます。ですから、女性は男性に対して相対的な立場に立って、男性が上がれば女性も自動的に上がるのです。 だから、女性は善悪の実なのです。善の実を結ぶこともでき、悪の実を結ぶこともできるのが女性だというのです。善悪の実というのは、女性の生殖器を指します。天の国の王と関係を結べば、王子・王女を生むし、やくざと関係を結べば地獄の王子・王女を生むのです。善なる相対と一つになると頂上に上がり、悪なる相対と一つになると一番底に落ちて行きます。そのような自覚を持たなければなりません。 悪い話を聞くのは皆嫌いです。しかし、よいことばかり言ってよくなるという話がどこにありますか。よいことも言い、悪い話もして、両方話すことでよい人にもなり得るのです。よい話を標本として、警告するために悪い話をするのは、よい話をすることよりも価値があります。今話したことがどんな意味か分かりませんか。分からないならいいです。よいことばかりであったら、大変なことになるのです。 人間にとって最も貴重な場所はどこですか。男性にとって、女性にとって一番大切なものは何ですか。女性はある一つの部分ゆえに女性となったのです。その一つの部分とは何ですか。(「愛の器官です。」)愛の器官、生殖器です。それは何かというと、生命を植える機械だというのです。その名称はどんなにか素晴らしいことでしょう。生命を植える道具、それが生殖器です。それは小学校の子供も知っています。愛の器官と言ったら、小学校の子供たちが分かりますか。分からないのです。ですから生殖器と呼ぶのです。恥ずかしく思わないでください。 生殖器をハングルで何と言いますか。(笑い)恥ずかしいのでしたら、恥ずかしさを持って生活しているということではないですか。誇りに思わないと、その言葉が解放されません。恥ずかしく思うこと自体がおかしいのです。恥ずかしく感じるようになってしまったので、恥ずかしいのです。 恥ずかしいことはありません。最も貴重なものです。結婚して初夜の晩に夫婦がそれを合わせるときに、愛が連結されます。愛がそこから始まるのです。一人ではできません。一人では愛は出てきません。これが愛の根源です。愛の最初の出発です。人生路程における愛の根本的、起源的基準であるので、その根本を王宮と言うのです。そうした王宮の中の本宮です。愛の本宮です。シャキッとしなさい。 アダム・エバもそこから出発しました。氏族の祖先となる皆さんは、愛の王宮です。それを見いだせなければすべてが破綻です。このことを知らなかったのです。それが人生の愛の始まりです。その過程を経ずしては愛は出てきません。生命の出発地、生命の本宮なのです。それが分からなかったのです。ここでもって、男女の二人の生命が連結されます。この場所で、愛の炎でもって、ポッポッと熱くなり、パンと弾けるのです。パンパンと弾ける渦巻の中で、赤ちゃんの種が生じてくるのです。役事が起きるのです。 愛と生命と血統は三位一体です。離すことはできません。ですから、愛する人は皆、生命力の復活を運んで来るのです。愛する相対を思うと、火がつくでしょう。愛する夫を思うと火がつくのですか、つかないのですか。火がつかないようだったら、間違った生き方です。火がつかない時は、また嫁に行かなければなりません。これは笑うような話ではありません。天地の大道を説き明かしています。歴史は千年万年変わっても、これは変わってはいけません。 愛の本宮であり、生命の本宮です。そして、その次は何でしょう。血統の本宮です。ここから喜々楽々、すべての幸福が始まります。幸福の本宮です。理想の本宮です。平和の本宮です。希望の本宮です。ここが脱線してしまったがゆえに、すべてが壊れてしまったのです。そしてその場所が、天上地上天国の出発点です。スタートラインです。 愛し合うその場所から、地上の天国が出発するのです。天国に行くことのできる息子・娘を生み、天国家庭が生まれてくるのです。地上天国の出発がここから、すべての理想もここから、天国へ行って飾ることのできるすべての内容が、ここから出発するのであり、ここを離れては天上世界を満たすものは何もありません。堕落したために、天上世界は空いているのです。 体は悪魔の基地 こうしたことを知ったために、文総裁は一生涯、苦労してきたのです。滅びの道を行き、地獄に行く者たちをどのようにして防ぎ、どのようにして神様の懐に向かわせるのでしょうか。死亡の父母から生まれたがゆえに、悪魔の手にかかって死んで行くのを防がなければなりません。 真の生命の根源的な財宝の中の財宝、このすべての人間理想の要素を破綻させる悪魔と共に偽りの愛を私の手につかみ、サタンが最も好む破壊的生活環境圏を、神様が最も好む生活圏に変えようとしてきたところ、神様とサタンは百八十度の怨讐であるため、神様が愛する文総裁をサタンが殺そうとしてきたのです。個人的に亡き者にしようとしてきたし、家庭的、氏族的、民族的、国家的にも亡き者にしようとしてきたのです。しかし今では、こうしたすべての障害を越えて、世界の中の誰一人として、私に指一本触れることができなくなり、私を仰ぎ見るようになり、世の中が逆に巻き込まれてしまいました。 理想世界が定着し、出発するためには、男女のその部分に帰っていかなければならず、その部分を再生していかなければなりません。サタンはフリーセックスです。理想的な生殖器がどこにありますか。破壊的です。滅亡的です。破壊的なものになってしまったのです。その部分は天国の軌道を敷くことができたにもかかわらず、破壊されてしまいました。そして、この破壊された部分を皆、文総裁が正そうとするのですから、悪魔が一番憎く思ったのです。文総裁死ねと、五十億人類が皆発砲し始めました。 統一教会の文総裁に反対しない者がいなかったのです。数多くの教団、宗教、キリスト教に始まり、仏教、イスラム教まですべてです。しかし私は、皆生かそうとしました。アメリカから、ソ連から、中国から、日本から韓国まで、大韓民国の国民までも皆、私を殺そうとしてきました。それは間違っていたことですか。(「はい、間違っていました。」)では、その者たちが滅びるでしょうか。それとも、殺せと言ったその対象である文総裁が滅びるでしょうか。(「彼らが滅びます。」) 天倫を中心として、より為に生きる愛を持って、愛の対象を探し求めて行く者は、神様の代身存在となります。その者に天運がついて回るのです。天運は主体・対象に働きます。神様が主体であれば、私が対象です。打ってみなさい。打つ者は皆、引っかってしまいます。ですから、迫害は悪いとばかりは言えません。 皆さん、心と体が闘っていますね。それは堕落の贈り物です。世の中はどうして悪なる世界なのでしょうか。闘うがゆえです。人類歴史は、戦争史としてつづられてきました。サタンはどうして闘うのでしょう。私たちの体は悪魔の基地となっています。偽りの愛が根付いたのが、この体なのです。それに対して、良心は全部、神様の愛に錨を下ろしています。とことん神様の愛です。 良心は体とは反対に行こうとします。良心は本来プラスであり、そこに偽りの愛がプラスとなり、相反するのです。ここで問題は何かというと、体を打ってでも従わせなければならないということです。「天地を強奪したこの悪魔の輩め。その基地が私の中にあるんだ。国や家庭にあるのではない。世の中が悪いのではない。相対が悪いのではない。私が悪いんだ」。このことを自覚しなければなりません。統一教会が他と違うのは、このことを知っていることです。 体は悪魔の基地となり、分岐点となりました。その一つは死亡の道であり、地獄まで拡大するのです。悪なる個人、悪なる家庭、氏族、民族、国家、世界を通じながら、地獄に直行するのです。もう一つは、善なる個人から、善なる家庭、氏族、民族、国家、世界を通じて天国に行くのです。 分岐点、三十八度線を中心として、南北に分裂しています。また右翼、左翼です。これを統一しなければなりません。これを統一するために、心の世界の宗教圏統一のために、世界平和宗教連合をつくりました。体の世界は政治圏です。政治が良心をいつも打ってきたのです。ですから、この政治圏を一つとするために、世界平和連合をつくりました。心と体を一つにしなければなりません。 人類の祖先であるアダム・エバを中心として、カイン・アベルに分かれました。カイン・アベルは左右と同じようなものです。この分かれたものを、イエス様の時代には、家庭で失敗し、統一できませんでした。イエス様の時代に国家的な成功をなし、メシヤ宣言をしなければならなかったのですが、イエス様が亡くなることにより、右の強盗、左の強盗に分かれ、左翼思想がここから始まったのです。この二つが分かれて世界的戦場となりました。 来たるべき主は、この世界に来られて、闘っている二つの世界を一つにしなければなりません。右翼と左翼を一つにしなければなりません。共産主義と闘わざるを得ず、また民主主義を一つにまとめる作業を今までなしてきました。以上のような観点から見るとき、第一代先祖、第二代国家的代表として来た祖先の失敗を、第三代先祖は世界的先祖となるわけですが、これらを収拾しなければなりません。そのため平準化運動をしてきたのが文総裁なのです。 左翼、右翼はだめなので、頭翼思想、人間のつくり出した思想ではなく、神様の愛の主義でもってなすのです。神様の愛の主義は、神様だけではなく、人間までも包括するので、そこから統一的理想世界が出発するというのは理論的結論です。ゆえにこの思想は、世界を統一できる思想だというのです。その時が目前に来ました。 こうした思想を中心として、第二の責任者たちを早く育てて、世界に輩出するために行っているのが先生の教育です。韓国のこの者たちは信じることができないので、日本人を連れて来て教育しているのです。日本人がだめなときは、もっとサタン側の悪の輩であったドイツ人を連れて来て教育するつもりです。ドイツもだめなときは、また再びイギリスに回って行くのです。そのような過程にいることを知らなければなりません。今、座っているこの場がどれほど貴重なものか分かりましたか。(「はい。」) この世を審判する前に内部を審判 男性が生まれてきたのは女性のためです。右というのは左という条件が存在してこそ右であり、そのように認定するのです。左がないのに、右を主張するのは狂っています。後ろがあって前が決定されるのです。女性のゆえに男性が決定されるのであって、凹があるから凸が必要なのではないですか。女性というものは男性を前提条件としています。そのため、男性は女性のために生まれてきたという論理を否定することはできません。 男性たちが、男性のために生まれたというのは間違った考えです。女性たちは、女性のために生まれたと考えると滅んでしまいます。自分のものではありません。フリーセックスが何なのか。ホモセクシャルが何なのか。また、レズビアンが何なのか。動物世界にも、昆虫の世界にもありません。徹底してすべてを摘み取らなくてはなりません。 この世で浮気をし、他人に大騒ぎさせ、大学界を荒らし、すべての青少年を荒らし、それでも満足できなくて麻薬に荒らされていく、この砂漠化の波動をくい止めなければならない責任が、統一教会にはあるのです。分かりましたか。(「はい。」)分かった人は手を挙げてみなさい。 食べて遊んで休めば、この世界は滅びてしまいます。休んでいる暇がありません。人には悪口が必要です。苦言を吐く人、おじいさんが必要です。私は、トップの人を連れて来ておいて苦言を吐く人です。教授たちに対しても、「年寄りたち、何をしたのか」と、このように言います。ノーベル賞をもらったずば抜けた人々を前にして追い込むのです。「十年前に会った人、十年の間何をしたのか。それをかじり、しゃぶり、削り取る、皆寄生虫じゃないか」と追い込むのです。恐ろしいのです。 真の父母の価値がどれほど大きいかといえば、皆さんが千年の功績を立てても、真の父母に会うことはできません。これは一度しかないことです。過去にもなかったし、未来にもありません。一度しかないのです。先生が流した一滴の汗が、紙や服についたら、千年万年、自分の家庭に伝授して自慢することのできる価値があるのです。 先生は寝ることもできなく、血の汗を流させておいて、体面をつくろうこともできないこの者たち! 恥ずかしいことも分からず、横になって寝るのですか。聖日の朝、その家は罰が当たります。祖先たちが「おまえたち! 寝てるとは何ごとだ! この世が滅びるというのに寝ていられるのか」と、こうなるのです。 「父母様」と、言葉だけはうまいものですね。父母様に侍ったことがありますか。私が夜を徹すれば、もっと夜を徹したとき、侍ったことになるのです。私が苦労すれば、もっと苦労したとき、侍ったことになるのです。従っていきながらも、皆さんが全部寄生虫となってしまいました。寄生虫は寄生する虫だということです。まさしく寄生虫という名にぴったりです。 偽物を好む者たち! 統一教会の者たちは、そんなものを好んでいます。もう粛正しなければいけません。統一教会の、ただ遊び、食べて、すべて教会を食いちぎる、このような者たちを許せない思いが込み上げてきます。この世を審判する前に、このような者たちから審判しなければなりません。私が教えてあげた道理に一致しなければ、きれいに整理しなければならないのです。 福を受けようとすれば、為に生きなさい きょう第三十四回を越えて行く時です。今までは父母の日、子女の日、万物の日、神の日を過ごしてきましたが、今からは、「真の」という字をつけなさいということです。真の時代がやって来たのです。そうなると、自分のために生きる人はすべて消えてしまいます。自分のために存在し始めると、なくなるのです。 神様自身も、人間のため、自分よりも千倍も万倍もよくなることを願い、そのために今も投入を継続しているのです。今まで数千万年経てこられましたが、いまだに神様は投入しては忘れているのです。それゆえ、許すことができるのであって、そうでなければ許すことはできません。 先生の話を聞きませんか、聞きますか。(「聞きます。」)耳は宝です。最近は、なぜ悪口がこんなに頻繁に出てくるのか分かりません。それは、私の心ではありません。私はそんな人ではありません。かわいそうで難しい人がいれば、私の服を脱いであげて、私の食事をあげて、尽くしてあげる、そんな人がなぜこのようになったのか分かりません。 時が来たのです。私の棒に誰が一番打たれ、死にそうになるかということです。私がこのことを断行することができずして、この世を整理することはできません。私はたくさん打たれました。ありとあらゆることをされました。それを清算する道を行かなければならなりません。私の代わりにできる責任者がいないときは、私がそのことをしてでも、正しくしなければなりません。皆さんの息子・娘が犠牲になるとしても、このことをしなければならないのです。私は正直に話しているのです。 さあ、きょうは真の父母の日を中心として、その方と一緒に、天上天下のどんな群れよりも、ここに代表的な群れとして集まったので、真の父母の日に恥ずかしくない、真の息子・娘になると決心する人は、両手を挙げて誓いましょう。(「アーメン。」)誓いは上手です。(笑い)誓ったとおりに、誓った内容を実践するのです。先ほども言ったように、私は約束したように、私はすべて成し遂げてきました。すべて成し遂げてから教えてあげたのです。すべて成し遂げておいたことを蹂躙する者は許すことができません。 人間にとって最も貴いところがどこでした。生殖器です。それが最も貴いのですが、最も汚い所に一緒にくっついているということが分かりました。肛門が、最も貴いものの横にあるのです。おしっこが出てくるのは、最も貴いところからです。なぜ、そのようにつくられたのですか。最も高い所に行こうとすれば、肥だめを経て行かなければなりません。何のことか分かりますか。受難の道を行けということです。 よい種を蒔くときは、肥料を埋めて、その横に種を埋めて踏むのです。その種を無慈悲に踏まなければなりません。そうすれば、虫も入らず、空気も入らず、地熱と合わさって、温度の平準化した所で芽が出るのです。芽が出るには肥料が必要です。神様はすべてを知っているため、福を受けようとすれば、受難の道を行けというのです。為に生きよというのです。為に生きることができなければ、悪口を言ってでも、為に生きるようにさせなければなりません。 堕落した世界では、為に生きることを、この肉身は嫌がります。それゆえ、統一教会は断食しなさいというのです。奉仕しなさいというのです。したがって、標語を定めて、父母の心情を抱き、僕の体を受肉し、汗は地のため、涙は人類のため、血は天のために犠牲にしなさいというのです。その涙は自分のために流す涙ではありません。天と地のために汗を流し、天と地のために涙を流し、天と地のために血を流さなければなりません。そうすれば反対に生命が現れるのです。 悪口を言われることに不平を言う者は、すべて化け物になるのです。不平を言い、すべてを呪い、ひそひそ噂をし、批判をする前に、自らを批判しなさいというのです。聖書にもそうあるでしょう。他人の目のちりを見て、自分の目の梁は見えないと言っているでしょう。自分が問題だということです。 世間が平和になることが、自分の平和のためになるのです。そうなるためには、良心の独裁者となることです。体の独裁者がこの世を滅ぼしてきました。良心的な独裁者となって、体を無慈悲に治めなければなりません。二者択一ができなければ地獄行きです。許しはないのです。 流れる水は必ず海に行きます。海水は塩辛い水であり、淡水とは違います。だから淡水の流れは、海水に入っていくとき、ゆっくり流れるのです。すべてがゆっくり流れて混ざって入って行きます。そうすれば、そこにいる魚が死なないのです。 霊界は海と同じようなものです。今日、人間の住む国々は、川の流れと同じです。個人は雨粒と同じであり、支流が合わさり、大きな川となって、海へ入って行くのです。海に入って行くようになると、淡水にいる魚と海にいる魚はそこで一緒に生きながら、徐々に海水魚も淡水へ上がって来ることができ、淡水魚も海へ入って行くことができるようになるのです。海に入る川の急流を見ましたか。平らでしょう。そうなのです。お互い天理が保護するためのものなのです。 水が流れるようになると、必ず主流に向かって流れます。主流に従って、すべての川の支流が流れます。主流というものは悪い所です。汚い所です。深い所です。深い所は臭いが出ます。人生が福となり得る道を行こうと思えば、汚いものが集まる主流に行け、ということです。真なるものを望めば、汚いものを避けて行ってはいけません。何のことか分かりますか。その国を救うためには、きれいな所より汚い所に責任を持たなければなりません。便所に行って用を足すとき、いつも考えなさいというのです。 いつも他人の世話になり、食べさせてもらうことを好み、他人をむさぼり、盗みをする悪者が潜んでいます。したがって、宗教は断食し、奉仕し、犠牲を払い、祭物になれというのです。祭物という存在は、存在意識がないものです。日本人なら、日本人という意識があれば、世界の祭物となれません。「私は韓国人だ」という韓国人意識があれば、韓国の祭物になれるかも知れませんが、世界的祭物とはなれません。 日本人でも世界的意識を持たなければなりません。世界的意識を越えてこそ、神様に対することができます。存在意識を克服しなければなりません。統一教会の教会員として、どこかへ行って「私は統一教会の教会員です」と言うなということです。神の民として、神様の息子・娘として行かなければなりません。分かりました。(「はい。」) 自分の一族と中、高生、大学生を伝道しなさい では、昼食時間に、ここで三千名が一軒ずつ家を訪ねて行き伝道することと、昼食を食べることとどちらがいいですか。どんなことをするのがよいですか。三千軒伝道しますか、昼食をとりますか。(「伝道します。」)十二時を越えても、そんなことがあれば間違いなく行動開始するのです。一日を得ようということです。一日一日を得ることができれば、一日が千年万年に代わることができます。それを訪ねて行くのです。そうでなければ、四千年の歴史を四十年でどうやって蕩減するのですか。見当もつかないことです。厳然たる言葉です。 私が皆さんに世話になっていますか。(「私たちが世話になっています。」)どれだけ世話になりましたか。あなたたち百人を燔祭として捧げても、返すことができないほどの世話になっているのです。真の父母が与えたすべての福に、この者たちが、偽りとなったものを接ぎ木して、その福をすべて失ってしまっています。アフリカでは昔ダイヤモンドを見つけても、ダイヤモンドであることが分からず、ガラス玉だと思って、子供たちがつぶて打ちして、投げ合っていました。それと全く同じです。 韓国の者たち! 私に呪いがしきりに出てきます。時にさえなってみなさい。祝福を受けた者たちの中には、逆さに吊り下げられて、皮をはがれる者が出るかも知れません。私は、今後、残忍にならなければなりません。そのようになれる素質の豊富な人です。そのようにできる性格の人です。憤慨すれば夜眠れない男です。 神様の愛を知り、神様を解放するため、今まですべてのものを捨ててきました。今、私がなす責任をすべてなして、世間の人々に責任を追求しなければならない時が来ました。それは何十年、何百年後のことではありません。何年、何か月、何日後に来るのです。分かりましたか。(「分かりました。」)それでは、一食食べて十日間伝道しますか。(「はい。」)十日間伝道すれば、一人ずつは伝道しないといけません。ここに三千名いれば、三千名間違いなく十日間で伝道しなければなりません。そうする人、手を挙げて。 そのようにしてでも伝道して、自分たちを生かすのです。天国に行くとき、財産が何か知っていますか。先ほど話したように、天国に行くときは、群れになって行くべきだと話したでしょう。このサタン世界の人々を接ぎ木して、野生のオリーブの木を真のオリーブの木につくって、真のオリーブの木の畑で収穫して、倉庫にいっぱい埋めてくれることを願っているのです。あの世での自分の財産となります。間違いないというのです。 私は霊界に行って皆さんの責任は持ちません。私は百六十か国の宣教国をつくるため、このようにしています。水晶体とならなければなりません。先生に似なければなりません。どんな面も似れば、父子の関係となるのです。百六十か国を立てるため、先生は迫害を受けながら、死の峠を越えながらこのように来ました。皆さんは歓迎を受ける立場なのに、何ができないのですか。自分の一族が歓迎するのです。一族が、皆さんを先生のように、死ねと六回も監獄に入れたりはしません。 カインたちを救ってあげて、故郷に帰ることのできる道をすべて整えて、氏族的メシヤ、還故郷命令をしたのです。これがどういうことか分かりますか。できなければ大変なことになります。天国へ入籍できません。よく分かっているでしょう。自分の下に、百六十家庭は最小限必要です。私だったら一週間もかかりません。 これからは、大学界と中、高等学校以外伝道してはいけません。自分の一族と自分のお母さん、お父さんと、中、高等学校学生と大学生だけ伝道するのです。二世時代です。一世は皆滅びるのです。モーセの言葉を聞かないで上陸作戦をするときは、モーセも死に、一世も皆滅びました。私は死んだりしません。二世と共に上陸するのです。この地が二世の地です。それゆえ、二世に責任を持つのです。一世は皆消えていきます。そのように反対して、どんな体面で文先生に従って行くのですか。二世圏だというのです。 それゆえ、全世界的に、先生の息子・娘とお母様を中心として、三千三百の大学で今から始まるのです。日本、世界の各大学界、中、高等学校学生たちを収拾しなければなりません。アダム・エバが堕落したときの年齢である十六歳から二十一歳まで、三年さらに足して二十四歳までの青少年を収拾しなければなりません。それを私が責任を持つのです。そのような時が来ました。 おばあさんたちが先生を見に漢南洞に来ても、皆入れなくしようと思います。来ようとすれば、息子・娘を何人か連れて来なければなりません。そのような時が来ます。世間は知らないのです。皆さんは時を知らないでしょう。大豆を植える時なのか、小豆を植える時なのか分からないのです。先生は知っています。知っているのでこれまで生き残って来たのです。分かりましたか。 サタン世界の息子・娘を取り返して、天の国の民へと連れて行かなければなりません。皆さんが息子・娘となり、天の国の民として連れて入らなければならないのです。連れて入るその数が、皆さんの版図圏です。あの世の領域を相続することのできる材料となります。伝道をどれだけしたかということが、あの世では福となるのです。分かりましたか。(「はい。」)このようにはっきりと教えてあげているのに責任を果たさなければ、私は知りません。 さあ皆立ちなさい。今から先生の御言に絶対服従しますという人は座り、服従しないという人は立ちましょう8(拍手)それなら福を受けます。間違いなく福を受けます。先生が行く天国について行くことでしょう。 為に生きれば自然と代表の立場に立つ それでは皆さん三千名が一つの所に行くのです。今まで統一教会で三千方向であったものが一か所へと行きます。数多い民族、ヨーロッパの人、日本民族も皆国家を越えて一か所に集まるのです。世界を越えて一か所に行きます。天と地が、地獄までも一か所に行きます。それで神様の愛の道を訪ねて行くのです。そうするためには、高き者の前に小さな者は犠牲となるのです。それで結論は簡単です。個人は家庭のために犠牲になるのです。 家庭が八人ならば、その八人は皆自分と同じ人なのです。自分を中心として家庭を屈伏させるという人は、他の七人を犠牲にさせるのです。だから、それを保護するためには、私が犠牲にならなければなりません。垣根とならなければなりません。そうなれば、その八人がすべてさらに高い所へと発展するのです。 家庭は氏族のために犠牲にならなければなりません。氏族のためにしなさいというのです。そうすれば、その氏族の代表の立場に立つようになります。為になれば、自然と代表の立場に立つようになります。全体のためになれば間違いなく中心存在となります。分かりましたか。 氏族を代表して、すべての受難、難しい問題を私が責任を持っていけば、自然と中心存在となります。それで、私について来ないようにと言っても従って来るのです。おじいさん、おばあさんも皆、ためになります。そんな道があるために、統一教会は公式的な結論を備えており、家庭は氏族のため、氏族は民族のためとなるのです。 氏族が十二氏族以上になれば民族になります。イスラエルが十二支派を編成して、イスラエル民族となったのです。その民族が広野にいれば、国ではありません。移動するときは国ではありません。自分の土地がなければならず、国民がいなければならず、主権がなければなりません。これが三大原則です。イスラエルが上陸して移動したこの民族は、民はいても土地がありませんでした。土地がなく、その次には、伝統となるものが何もありませんでした。 神様を信じませんでした。女性のせいです。乞食の群れとなって、四十年、荒野と砂漠で生きてきたことを考えてみなさい。服も着ることができたでしょうか。考えてみなさい。カナン七族は羊もいるし、牧場もあるし、家はある、整然と住んでいる、とこうです。そこに行って、物乞いをしながら憤り、皆が食べ残した物をむさぼり食いながら、息子・娘をつかんで慟哭しながら、教育しながら泣くのです。今、苦労するのは我々の祖国を探すためであり、神様の国を立てるためのものですと、妻がそのように言わなければなりませんでした。 しかし、母が行って来ては父の批判だけし、自分がこんなに苦労するのはあの年寄りのせいだ、年寄りのせいで自分が苦労するのだと考えるのです。違います。女性は男性のために、一族のために生きなければなりません。夫に王のように侍らなければならない、息子に王子のように侍らなければいけないのです。それなのに、帰って来ては夫の不平、自分の一族の不平、すべて不平だけ言うというのです。 一家をつかみ、一族をつかみ、国を編成しなければならないのです。町内、村内に難しいことがあれば、先に行っては解決し、その次には、他の町内に飢え死にする人がいれば、自分が一食食べなくても、その人を生かしてあげるために、ご飯を食べるのをやめて慟哭し、訪ねて行く、そうしなければなりませんでした。しかし、天が立てた建国思想を失ってしまったのです。 皆、再教育です! 今日韓国に来てみて、滅び行くイスラエルと全く同じです。この貧しき者たちよ! 不法をはたらく者たちよ! 先生が血の汗を流し、韓国民族を生かすためにこれまでなしてきたのに、この者たちが国を滅ぼすのです。それは大韓民国の国ではない、滅びゆく国ではありません。永遠なる理想の国を滅ぼすようなことをしているのです。何を考えているのですか。 統一教会の祝福を受けた家庭が、二人一緒になって騒動を起こす子供を生んだとするならば、どうやって処理するつもりなのですか。方法がありません。原理にないのです。天の国に方法がありません。追放されるのです。太平洋に、音もなく…。これは完成級でなしたため、その種を見せてはいけないのです。私の手で祝福して、私の手でその血族をすべて消し去らなければならないという事態が起こってしまうのです。 あなたたち皆そうです。自分の息子・娘がかわいいと大学院に送りますが、今後を見てみなさい。どうなるか。私が大学院をつくって、皆をすべて教育するかもしれません。あなたたちの国は恨が余りにも多い。先生の目の前に火でも出ないように、祝福家庭たち、きちんとやっていかなければなりません。分かりますか。(「はい。」)きょうからでも、真の父母にきちんと侍りなさいということです。 先生は三十五年の間、誰よりも、聖日を、敬礼式を守ってきました。息子・娘が来るようになると、皆つかまえて、私が探し歩きながら教育してきたのです。そうしてみたら、息子・娘が、父母だけが苦労しないで、私たちにもさせてくださいと言うのです。今はアメリカの大学界で、自分たちが前に立ち皆すると言って、今もずっとやっています。そんな家庭はないといって、有名になってしまいました。世界的に有名になってしまいました。息子たちは優秀でしょう。息子の自慢ではありません。今後、大学界のすべて、自分の先生たちを追い込むのです。このような家は滅びるでしょうか、栄えるでしょうか。(「栄えます。」)栄えなければなりません。滅びるようになったものは同情することができません。滅びるようなことをしたのでしょう。しっかりしなさい。分かりましたか。(「はい。」) 自分の主張だけを一番だと考えてはいけません。自分の命令は絶対に立てようとする、それはいいのですが、天が見つめるその基準と合うか合わないか、それを見立てなければなりません。自分が実践してから言いなさいというのです。それゆえ、謙遜にならなければなりません。今言っていることは統一教会全体に言っているのです。分かりましたか。(「はい。」) 本来は、もう新時代に入って来たので、昔の位置にそのまましがみついていることを、私はよく思いません。教会であれ何であれ、旧約時代の人々、皆二十年以上になる人は公職から退いて、故郷に出て行くようにしなければなりません。そんな時だというのです。分かりましたか。私も二十年後にアメリカに行ったのです。 そして今後、原理勉強を徹底させなければなりません。プログラムをつくって、一年経って原理講演会をすることのできる実力のないような人は、元に戻らせるのです。早く多くの国際舞台に立てなければなりません。そうでなければ世界の運勢を逃してしまいます。 皆再教育です。再教育を受けたという先生のサインを受けなければ、こちらに越えて来ることができません。そうでなければ、統一教会の将来において、世界百六十か国の今後に、後進の大列の前に、伝統を皆壊してしまいます。通告します。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.06.01
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