PR
Keyword Search
Comments
Calendar
Category
「神様王権即位式」一周年記念礼拝の御言
「祖国と父母と長孫」(その1/4)
二〇〇二年一月十三日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿
今年一月十三日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿において、「神様王権即位式」一周年の記念行事が行われました。
この日、会場には、全世界から集まった教会責任者のほか、「『平和大使』修鍊会」に参加中の「平和大使」、第四次「世界入籍祝福家庭夫特別修錬会」の修練生、第四百九十九次「清平特別祈祷修錬会」の修練生たちが参席しました。また、この日が聖日であったことから、韓国全土からも大勢の教会員たちが集まりました。
このみ言は、当日、午前十時から行われた記念礼拝において、真のお父様が語られたものを翻訳し、整理したもので 文責・編集部)
(「真のご父母様を壇上にお迎えいたします。」)
さあ、ここには、新しいお客さんがたくさんいるのですが、そのお客さんの特別な名前が何というのか、 わたしもよく分からないのですが・・・・・・。何というのですか?(「「平和大使」です。」)平和は、良いものですか、悪いものですか?(「良いものです。」)どのくら い良いのですか?(「限りなく良いです。」)
地も引っ繰り返され、天も引っ繰り返され、悪なる世界が、すべてなくなって、天国に変わることのできる標語が、何でしょうか?「平和大使」です。「平和大使」は、悪なる世の中を引っ繰り返さなければなりません。「『平和大使」とは、何なのか?」というのです。
この地上に、神様の祖国はありません。神様の故郷がないのです。また、神様の国がないのです。「国」といえば、主権がなければなりません。それから、国土がなければなりません。そして、国民がいなければなりません。ところが、神様の主権が、どこにあるのかというのです。
今日のキリスト教が、神様の主権による宗教でしょうか? 長老派教会、聖潔派教会、何々派教会……。 ありとあらゆる乱雑な者たち。それは、福ではないというのです。それが、神様の主権を代身することはできません。また、彼らが暮らしている宗教圏で、神様の国を代身することができる所はありません。“地”がないのです。
そして、彼らは、天の国に直行することができる国民になることができずにいます。このような根本問題を掘り返してみるとき、神様は、”喜ばれる神様”になっていたでしょうか、“悲しまれる神様”になっていたでしょうか? どうですか?
国のない人、民のない人、国土のない人、そのような人は、かわいそうな人ですか、幸せな人ですか? (「かわいそうな人です。」)何ですか?(「かわいそうな人です。」)どれほど、かわいそうでしょうか?
例えば、家族三代が一緒に暮らしていて、その三代が爆弾でめちゃくちゃになって、いっぺんに即死したとします。その悲しみは、いかばかりでしょうか? しかし、その悲しみと、神様が、この大宇宙を創造 されて、人類始祖から始まって万民が神様の民となり、 この地球星が、天の祖国の地にならなければならないのに、それを、そっくりそのまま失ってしまわれた神様の悲しみとを比較することができるでしょうか? どうですか?
このような話をして、きょうの「神様王権即位式」 に関する話をしながら、話が横道にそれていくようになれば・・・・・・。
わたしは、み言をたくさん話す記録を持っています。また、話も上手です。その時間の記録は、十六時間四十五分です。分かりますか? しかし、どのようにして十六時間、続けるのでしょうか? 文総裁は、トイレにも行かないのですか?
人は、何時間ごとにトイレに行きますか? 五時間ごとですか、六時間ごとですか? 普通は三時間ほどでしょう? 三時間ごとにトイレに行くとするならば、 三掛ける五は十五ですから、その間、五回はトイレに 行っていなければならないはずですが、それなのに行かないのです。
ですから、"このおじいさんは、何か袋のようなものを腰に巻いて出てきて、そこに用を足しているのではないか? そうであるとすれば、ズボンの股下から廊下に流れ出てくるのではないか?”と、このように考えるかもしれません。実際に、そのように思って、近寄ってきて、見た人がいたのです。(笑い)まあ、このような話をすれば、切りがありません。
しかし、み言を一所懸命に語っていると、小便は、すべて汗で出ていきます。二十時間、話すとしても、 用を足しに行かなくても・・・・・・。
そのかわり、聴衆として座っている人たちは、大変でした。話を聞いてみると、面白いのです。(韓国語の) 「재미(チェミ)」とは何か、分かりますか? 一度、言ってみてください。(「재미。」)おじいさんたちは、年老いているのに、何の「재미 (楽しみ)」があるでしょうか? 「재미」と、言ってみてください。(「재미。」)
「재미」という韓国語が、いちばん美しいのです。 英語で言えば、「インタレスティング」と言い、日本語は「面白い」です。「面白い」の反対に「面黒い」があるということを知りません。(笑い)そこで、日本人が 笑っていますね。韓国語は、面白いのです。その「재미」という言葉を、三度だけ……。재미, 재미, 재미, 재미……。探してみれば……。
皆さんにとって、家庭に行って面白いことは、何ですか? それを捜してみましたか?(そこの)おじいさんたち。この人は、おじいさんですね。年は、いくつですか?(「おじいさんではありません。」)いや、 ひげが白ければ、おじいさんでしょう? 常識から外れた話をしていますね。ひげを真っ黒にしてください。(笑い)
おじいさんたち。一生において、「재미」のふろしきが、どれほど大きくなりましたか? これが問題です。 そのふろしきを、その国の王が見ても、「ああ、夜、寝ているときに、わたしが、この者のふろしきを持ってこなければならない。」と言う、そのようなふろしきを持った人は、その国で幸福な人ですか、面白い人ですか、不幸せな人ですか?
不재미、非재미、ノン (Non) 재미……。 「재미」の反対の言葉を探し出すのは、難しいのです。
また、皆さんの一生で、「ああ、大韓民国全体の博物館の中で、一等地を占領することができる「재미」を持った。」と言える、自分の「재미」のふろしきを持ちましたか?そして、それを神様がごらんになるとき、「やあ、わたしも、あれが必要だ。」とおっしゃることができる、そのような「재미」を持ってみましたか?
王たちも喜び、天地を創造された神様も喜ばれ、その「재미」が、どれほど面白いのか、口を開き、目を見開き、涙、鼻水、つばを流されながら・・・・・・。(ジェス チャーされる)(笑い)そのようになれば、"そのようにまですることができる「재미」がある。”と、結論を下すことができるのではないですか? 皆さんが、そのような「재미」を持っていないとすれば、そのような「재미」を持っている人の所に行って、一度、見物でもしてみたいと思いますか、思いませんか?(「見物したいです。」)
それでは、(ここにいらっしゃる) お父様がた。どこに行って、見物しますか? それが、大韓民国にあり ますか? 大韓民国にあると思いますか? 今、おじいさんが「嫌だ。」と言いましたが、“文総裁が、自分 たちのことを「平和大使」として任命したのは、それでも水準以上だったから、そのようにしたのだろう。” と考えたでしょう? 考えましたか、考えませんでしたか?(「考えました。」)
それでは、肩をいからせて、「えへん。おい、おまえたち!」と命令する、そのような面白さを感じたのですか? それは違うでしょう? 部落のすべてが好きですか? おじいさんが好きですか?
「好きなものは、夜に見ても良く、昼に見ても良く、夢の中で見ても、悪夢の中でも、おじいさんと出会えば、すべてのものが太平聖代(徳のある君主が治める太平な世の中の時代)になる。はははは……。」と言う、 そのような何かを感じましたか?(「はい。」何が「はい。」ですか?
あなたの本当の年は、いくつですか? 本当の年齢 は、いくつですか? (「六十七です。」)わたしにとっ ては、いちばん上の弟ですね、この弟!(「はい。」) しっかりと聞きなさい。(笑い)(お父様も笑われる) さあ、初めて会うのに、そのようなあいさつをする人を見たことがありますか? 韓国の年でいえば、わたしは、今年でいくつですか? 水を少し下さい。これは、黄善酢氏が飲んでいた水なので、わたしは嫌で す。お母様が飲んでいた水が、良いです。(笑い、拍手) 少し寄りかかっても、失礼だと思わないでください。
さあ、文総裁はハンサムですか、醜男ですか? (「ハンサムです。」)わたしは、「醜男」という言葉が、いちばん好きです。世の中から見れば・・・・・・
昔、若い時には、わたしがハンサムだといって、プロポーズしてきた女性たちが、本当にたくさんいました。わたしは、そのようには思わず、自分がハンサムだと思ったことはないのですが・・・・・・。
では、ハンサムな顔を持った人は、面白いでしょうか、面白くないでしょうか? まあ、このような話を していては、きょう、終日、昼食も食べさせず、夕食も食べさせないかもしれません。文総裁の話は、面白いのです。
それで、十六時間四十五分間、話をしたとき、その男性と女性たちは、面白いので、トイレに行きたいと思ったでしょうか、行きたくないと思ったでしょう か? (「行きたくても我慢しました。」)今、行きたければ、行ってきてください。
それで、十六時間四十五分、十七時間近く話してみると、女性たちが座っていた場所で、水おけをぶちまけたようになっている所が、本当にたくさんありました。男性たちの中にも、そのような男性が、若干いたのです。
世の中に、世界で一等になったものを集めて載せる有名な本があるではないですか? それを何ブックと いいますか?(「『ギネスブック」です。」)何ですか? (「「ギネスブック』です。」)「ギネスブック」というのか、わたしには分かりません。わたしよりも、よく知っていますね。
美男子で生まれれば、面白いでしょうか、面白くないでしょうか?(「面白いです!」) (笑い)それでは、 大衆の恥さらしです。何が面白いのですか?(「ハン サムだからです。」)ハンサムなことが、面白いのですか? 女性たちが皆、"あの男性と一度、暮らせればよいのに。”と考えるのに、それが面白いでしょうか? (「面白いです。」)(笑い)
それが面白いというのならば、悪い暮らしをしてきた者たちです。それは、面白くありません。面白くないというのです。ですから、わたしが、大衆の前で 「文総裁は美男子ですか、醜男ですか?」と尋ねれば、「美男子です。」と言うときは・・・・・・。
そのような歴史を話せば、逸話がたくさんあります。 普通の人が持っていない逸話が、たくさんあるのです。
さあ、それでは、本当に文総裁は、ハンサムですか?(「はい。」)(「ハンサムです。」)(笑い、拍手) (「ハンサムです。」)いくら、そのようにおべっかを使っても、弟にしてあげません。(笑い)だからといって、 義理の弟や、婚だというのですか? 婚にすれば、よいのですが?(「してくださらなくてもよいですが、 ハンサムなものはハンサムです。」)(笑い、拍手)(「ハンサムです!」)
わたしは醜男(ぶおとこ)なので、皆さんが、わたしよりもハンサムになることを願うのですが、そのように願う切実な心、それが「재미」です。「재미」が、どれほど凶悪でしょうか?
”人よりも劣る人たちが、より優れた人になるように。”と、切実に願う心を持ったことが、”面白い”の ですが、そのように思う人は、良い人ですか、良くない人ですか?(「良い人です。」)何ですか?(「りっぱな人です。」)それは、だれが「りっぱだ。」と言ったのですか?
サタン側は、「おい、こいつ。わたしは、いちばん面白くない。」と言うのです。しかし、天上世界で、哀れに腰を曲げて、歴史において恨に恨を抱いて生きてこられた神様は、「おい、サタン世界は、皆、「面白くない。」と言うが、わたしも面白くない。」とおっしゃるでしょうか、「わたしだけは面白い。」とおっしゃるでしょうか?(「……。」)
(答えられないのならば、)頭は、小学生の頭も持っていませんね。(笑い) “丸”か『パツ”で尋ねれば、 さっと答えられるはずです。(「お父様のためにと思う心があるので・・・・・・。」)
そうではなく、サタン世界は、"いちばん面白くない。”と思い、サタンに唆されて、「あいつがハンサムなのは、自分だけのためだ。」と言うのですが、神様がそれをごらんになるとき、それを”面白い。”と思われるでしょうか? 反対です。
サタン世界が、「醜いやつだ。」と言って、指を指すのです。そうして、この町でも指を指され、あの町でも指を指され、彼らは、ただ。監獄にほうり込んで殺したい。」と思い、すべてを先導して、部落、国の三千里半島(韓半島のこと)、世界版図、すべてを挙げて、 「面白くない。」と言うのです。そのようなとき、 神様は、どのように思われるでしょうか?(だれかが、何か答える)
ほかの話をしないでください。神様が、”面白い。” と思われるのか、面白くない。”と思われるのか……。 他の話をしないでください。そのようにすれば、試験の点数が減らされます。
(「平和大使」の)皆さんが、一週間、(修練を)一所懸命にやって、全員、卒業するというので、卒業証 を上げようかと思っていたのですが、それでは、わたしの耳には、聞こえが良くありませんね。(「面白くな い・・・・・・。」)サタン世界が、すべて「面白くない。」と言っ ているのですよ? (「すべてが面白くないので、神様も、面白くありません。」)
その代表が、文総裁です。世の中で、"文総裁は優秀である、面白い。”と思った人が、いましたか? ”愚かだ。”と思いながら、「面白い。」と言ったでしょう? そうですか、そうではないですか?
皆さんも、ここに来て座っていますが、文総裁が統一教会を始めるときに、"面白い。”と思った者は、一人もいないというのです。世界がすべて「面白くないやつ」、「処断して、消してしまわなければならないやつ」と言うのです。
それは、なぜでしょうか? 自分たちは、父母に孝行しているのに、文総裁が、「孝行しなさい、この者たち。」と言うからです。おじいさんやおばあさんも、本当のおじいさんになって、孫たちに気合を入れなさい、というのです。
それにもかかわらず、きせるをくわえて、自分たちは酒を飲み、ありとあらゆることをしながら、育ち盛りで罪のない少年たちに向かって、きせるをたたきながら、「おまえは、わたしの言うことを聞きなさい。」 と 言っているのです。
さあ、そのような世の中で、そのようなことを一から百まで、すべて反対にしてみたとき、どうして世の中が喜ぶでしょうか? しかし、秀でていることは秀でている、というのです。
そうして、大きな泰山、峻嶺を越えて、新しい世界を切り開いてから振り返って、「来なさい、来なさい、 来なさい。」と呼んでいるのですが、そのようなヒマラヤの山頂、エベレスト山の山頂のような所で「来なさい。」と言っても、行く人がいるでしょうか?「あいつめ、狂ったか? 嫌だ、嫌だ、嫌だ。」と、皆、言うのです。
さあ、ここに初めて来た(「平和大使」は)、五百十四人ですか?(「はい。」)だれが、祝福してあげまし たか?(「文総裁が・・・・・・。」) 何ですか? わたしも知りませんでした。(笑い)(「はっきりと知って、来ました。」)ええ、何ですか?(「はっきりと知って、来ました。」)
「はっきりと知っていた。」と言うのですが、その「はっきり」ということが、昔、皆さんが、そのようにはっきりと理解していれば、皆さんが先祖になって、 今ごろ、自分の子孫たちを祝福してあげ、天の国に直行することができるチケットを買ってあげることができていたはずです。そのようなおじいさんになっていたはずなのです。
それが、神様と、この世の中の万民が喜ぶことができる、正に”面白い”事件であるということを知りま せんでした。日がすっかり暮れて、真っ暗になったので、一般の宗教圏も真っ暗になり、国も真っ暗になったのですが、文総裁は、蛍の光のように、ぴかぴかと光って、異変を起こしているので、「あいつは、お化けだ。」と言っているのです。
わたしが、若い人たちの報告を聞いてみると、「今では、もう「文総裁」という言葉では足らず、「韓総裁」 という言葉では足らず、「真の父母」と言わなければならない。」と言いながら、「真の父母」という言葉を使っていた、という話を聞きました。
そのような話を聞いたのですが、ここにいる五百人以上の「平和大使」の中で、その言葉を使ってみたことがある人は、一度、手を挙げてみてください。こちらの人は、使わなかったのですか? (「これから使います。」)今、尋ねているではないですか?「使ってみたことがありますか?」と、尋ねているではないですか? これからは、「言うな。」と言われても、「悪口を言いなさい。」と言われても、千年、万年、だれが祈祷したとしても、文総裁ではなく、「お父様。」と言うのです。 世の中では、「その『お父様』という言葉が、いちばん悪い。」と言ったのですが、統一教会の人にとっては、「お父様」という言葉が、いちばん良い言葉であり、いちばん面白い言葉であるというのです。
神様がごらんになるとき、神様は、「真の父母、こいつめ。できの悪いやつ。」と、悪口を言われるでしょうか?
神様が、「早く入って来て、わたしの玉座の横に座りなさい。あなたは、難しい難局を収拾したので、わたしは年を取ったので、相続すべき処理方法の権限を打ち立てて、わたしの代行であるという立て札を立ててあげたい。」とおっしゃるとき、それに対して、「はい、 問題ありません。」と言えば、神様は”面白い。”と思 われるでしょうか、”気分が悪い”と思われるでしょう か? おばさん!(笑い)
おばさんも「平和大使」ですか? なぜ、ここに来て座っているのですか? (「「平和大使」です。」)「おばさんを「平和大使」に任命しなさい。」とは言っていませんが?(笑い)女性たちが、「平和大使」をしようとすれば、国を治めてから、しなければなりません。 気がついてみると、苦労のひもを引きましたね?
一人で十二人の「平和大使」を食べさせていくことができる女性は、「平和大使」になることができる資格があります。おじいさんたち。おかしな目を開けてはいけません。
また、「平和大使」は、国の十二の団体を食べさせて生かしながら、王宮において忠臣となり、聖人となることができるように教えてあげることができる主人になることができなければなりません。それが「平和大使」です。どうですか?(「分かりました。」)
神様は、すべてのものを失ってしまわれたのです。ですから、自分が、本当に孝子になろうとすれば、神様が失われたすべてのものを取り戻し、自分が持っているふろしきまで加えて、ささげなければなりません。そのような孝子になりますか? それとも、ただそのまま、ささげる孝子になりますか?(「きちんとやります。」)
さあ、尋ねているのに、答えずに、「きちんとやります。」とは、どういうことですか? 何も聞いていなかったのですね。ここの若い人?
神様が失われたものを、すべて取り戻したにもかかわらず、それを、そっくりそのまま神様の御前にささげるときに、自分が持っているものを、何でもよいからブラスしてささげなければ、そこに神様を慰労してさしあげることのできる道理はありません。 孝子というものは、父母が、すべてはできなかったとしても、その父母ができなかったことよりも、もっとりっぱに成せば、それが、本当の孝子なのです。
ですから、父母に従っていくのも孝子ですが、父母ができなかったこと以上に、父母のために生きることのできる人が、本当の孝子です。本当に分かりましたか? 本当の天の国の民になりたいですか?(「は い。」)
この世界には、六十億以上の人類が暮らしていますが、本当の民というのは、六十億の人類が、普通の愛国者になろうとするのならば、そのような心に対して、それを超えて、さらに加えることができる贈り物を自分で準備することができなければなりません。
そうして、世界の人類を超えて、その代わりに神様にささげてさしあげることができるとき、それらの人類を代表した忠臣の立場に立てることができるのです。それは理論的です。
日記帳に、「どこからか来た『平和大使」は、先生が語る以上の孝子になり、忠臣になり、聖人、聖子の道理を行くことははっきりしているのに、"それ以上に行こう。”という心で、このようにした。」と書かれて、歴史的人物になるというのです。分かりますか、分かりませんか?(「分かりました。」)
さあ、それでは、今から本論に入っていきましょう。「私は、面白い人である。」と、一度、言ってみてください。(「私は、面白い人である。」)気分が良いですか?「わたしは、面白くない人である! 文総裁は、 面白くない。」一般の人は、喜んで……。
酒場に行って、お酒の一杯も飲むことができない文総裁は、面白いですか、面白くないですか?「面白いですか?」と、尋ねているではないですか?(「そのようなところが、面白いです。」)「そのようなところが面白い。」と言うのですか? それは、どういうことですか? そのような話が、どこにありますか?(笑い)
「面白い」というのは、(いろいろなものが入り乱れて)まだらになっていれば、それで面白いのですか? また、わたしは、一生の間、たばこを吸ったことがなく、口にくわえたこともありません。たばこを吸ったことがある人たちの前で、「わたしの言うことを聞きなさい。」と言えば、聞きますか?
その人たちは、“面白い。”と思うでしょうか、“面白くない。”と思うでしょうか? 「たばこを吸ってはいけない。」と言えば、面白いですか、面白くないですか? なぜ、おかしな顔をしているのですか? それは、間題が大きいのです。
それから、男性たちは、『浮気したい。」と思うでしょう?(「いいえ。」)黙っていてください。お酒をよく飲み、よく踊りを踊るようになっています。(「いいえ。」)何が「いいえ。」ですか? 顔つきが、そのようになっています。顔つきが、そのようになっているというのです。
キリスト教を信じているから、それができなかったのであって、宗教を信じていなければ、そのようにする素質が、充分にある老人です。わたしが、人を見ることができないと思うのですか? (「一月八日から修練会に参加して、その日からたばこを一切、吸っていません。」)それは、イエス様を信じているか、宗教を信じているからでしょう?(「はい。」)
なぜ、ひげを、このように伸ばしてきたのですか? (「五十八年から伸ばしてきました。」)きょう、ひげをそれば、記念になるでしょう? 面白そうですね。名前は、何ですか? このような話をしていたら、切りがありません。
さあ、世の中が好み、「面白い。」と言われている人は、”亡国の種”であり、八〇パーセント以上の人が、 そのような”亡国の種”です。分かりますか? それ以外で、世の中が「面白くない。」と言う人は、二〇バー セントに満たないのですが、それは、未来の国と未来の国民が、「面白い。」と言う人です。
そのような人は、現在は、地獄のような環境で暮らしていても、未来において、天国で暮らすことができるのであり、そのような道が近いのです。 きょうの文総裁は、面白いですか? 面白い話を聞いていますか、耳障りな話を聞いていますか?(「面白い話を聞いています。」)この者たち。(笑い) たった今、話したのに、そのように言えば、学校で退学になってしまうし、それでは、学校の名誉を汚す人であり、 国を滅ぼす人ではないですか?(笑い) すみません。 初めて会ったのに、百年来の友達以上に扱って・・・・・・。
わたしは、そのようなことを、よくするのです。話を聞かなければ、気合を入れます。「こいつめ。おまえは、このようにしておいて、なぜ、大きなことを言うのか? こいつめ。腹に黒い炭の山を積んでおいて。」 と言うのです。先生には、そのような何かがあるというのです。
ですから、わたしは、神様までとりこにしてしまっ たではないですか? サタンまでも、とりこにしてし まいました。そのような話を聞きましたか? 先生には、そのようにすることのできる能力があると思いますか? 目は小さくて、鼻は大きいでしょう? 唇は、玉が転がるように、上手に話すことができるように なっています。
きょうから、“自分は、神様から見て面白い人になればよい。”と思う人は、手を挙げてみてください。それは、“これからは良い”という希望です。“きょうから、 自分は、面白い人である。」と決心する人、両手を挙げてください。
"自分は、面白い看板を掲げて、生涯、悪口を言われてもよい。”と、そのように決心して、“死の道でも行く。”という人、立ち上がって、一度、誓ってください。 わあ!(「誓います。」)何ですか?「立ち上がって誓ってください。」と、言ったのです。(「宣誓。」)
ここは、皆、座って誓っているではないですか? この者たち。わたしが、目をつぶってあげます。その 後ろにいる人たち、座ってください。
監獄には、罪人がいるのですが、文総裁は、そこに入っていっても、強盗殺人犯でも、憲法に引っかかって何年かの刑を受けてきた人でも、一週間で皆、わたしを好きになるのです。それは、なぜ、好きになるのでしょうか?
現在の立場から、未来に関することを話してあげるのです。分かりますか? 「あなたは、そのような考え方をしているから、そのようになったのです。それではいけません。このようにしなさい。」と、言うのです。
ですから、二週間以内に、わたしが監房長になります。先生には、そのような何かがあるというのです。 手を出さずに消化することのできる能力があるのです。それが何かというと、真のみ言です。分かりますか?
ですから、文総裁が監獄を出入りして、罪をたくさん犯したと言われて、監獄に六度も入れば、前科何犯になりますか? 六犯でしょう?
さあ、そのような人を相手にしたいですか? わたしは、監獄に入っていって、「監獄の聖者」という名前を持っているのです。”監獄で暮らす聖者”です。(「はい!」)(笑い)
監獄に行っても、面白いのです。面白いことをし、面白い話をし、面白い生活をし、面白くしてあげるので、「面白い。」というのです。分かりますか?(「は い。」)それ以上に良いものが、どこにありますか?
もちが食べたければ、もちをもらってくれるのです。 監房の中にかわいそうな人がいれば、面会で差し入れをもらった人に、「おい。差し入れでもらった物の三分 の一を持ってきなさい。」と言えば、持ってくるのです。 先生には、そのような弟子たちが、たくさんいます。 それは、すごいことですか、そうではないですか? (「・・・・・・。」)りっぱなことですか、そうではないですか?(「りっぱなことです。」)
どれほど愚かであったならば、監獄に入っていって大将になったりなどするのでしょうか? どれほど愚 かであれば、そのようにしますか? そこ (監獄) に は、問題のある人がいるのですが、そこで大将になる というのですから、もっと問題があるということでしょう? それなのに、どうして“りっぱ”なのですか?
しかし、それは面白いことです。分かりますか? ここに来た人たちは、きょうから、そのように考えてください。いくら世の中が大騒ぎしても、きょうから、“自分は、そのような環境で、いちばん底から頂上まで、面白いプログラムをするのに十年もかからない。三年後を見ていなさい。”と、考えるのです。
そのような決心をしないで、天の国の大使になれますか? 文総裁よりもできませんか、文総裁以上にやりますか?(「それ以上にやります。」)文総裁よりもりっぱになりますか、愚か者になりますか?(「りっばになります。」) 文総裁が、(不正を働く) どろぼうでないとして、自分の弟子たちに「真の息子、娘である。」と言って祝福してあげたのならば、「自分よりも、りっぱになりなさい。」と、勧告しなければなりません。「愚か者になれ。」と言う父は、りっぱな父ですか、愚かな父ですか? (「りっぱな父です。」)「りっぱな父」ですか? 「愚か な父」でしょう?
先生の話は、すべて理解できるようにしてください。 理解できれば、面白いのです。ですから、先生は、監獄に行けば、”監獄で面白い人”、建築現場に行けば、"建築現場で面白い人”です。
わたしには、友達がたくさんいます。ならず者たちの中に行けば、運動もすることができ、何か飛んできても、それを払いのけてしまうこともできる人です。防御術ができなくては、革命することはできません。
わたしは、昔、相撲の選手でした。運動も、できない運動がありません。分かりますか?(体も柔軟で) 今でも、この脚が、どこまでも上がっていくというのです。見てください。これ(脚)を、さっと、このよ うに上げれば、ぴたっと(頭に)くっつきます。ぴたっと、つくのです。(拍手)
運動をすれば、できない運動が・・・・・・。相撲をすれば、できないことがあるでしょうか? 相撲を取れば、強いのです。村中で、わたしを恐れない若者はいませんでした。過ちを犯せば、赦しがありません。
ですから、おじいさんから三代に対しても、気合を入れるのです。その気合は、家を火で燃やしてしまうほどです。大物です。一度、言ってみてください。大物。(「大物。」)
先生は、悪の世界に行っても、そこにいる人たちの心を入れ替えさせることができる男です。皆さん統一教会員は、悪の世界に行って、そこにいる人たちの心を入れ替えさせることができる男、女にならなければなりません。善の世界においては、機関車の役割をしなければなりません。機関車です。良いでしょう? (「はい。」)
ある村に、おじいさんが暮らしていれば、訪ねて行って、「おじいさん。何で大きなことを言うのですか? 私に一度、教えてみてください。」と言えば、三日もたたずに、わたしに屈伏します。わたしのおじいさんと母親は、そのようになって暮らしました。
ですから、先生は、十二歳の時に、一族の親分になりました。それは、りっぱな子孫ですか、愚かな子孫ですか?(「りっぱな子孫です。」)
ここの人たちは、昼なのか夜なのか、よく分からずに座っていますね。「平和大使」の名前までも、すべて忘れてしまいそうですね。(「……「ならず者」が、正しいです。」)「ならず者」ですか? 生まれたいように生まれたのですから、「ならず者」でしょう?
今からは、神様が好まれる「ならず者」になればよいのです。(「真の「ならず者」になります。」)そうです。真の「ならず者」です。
わたしは、世の中で「ならず者」という名前を持っています。(韓国の)八代の政府が、わたしに反対しました。(韓国の)政府が反対すれば、米国に行って、米国の大統領を、わたしが当選させるのです。米国でも、 わたしが三代を大統領にさせました。そのことを皆、知らないでしょう?
ここ(韓国)の三代までも、大統領になるうえで、 わたしが、その後援者です。ところが、この人たちは、すべて秘密にして、それを隠しているのです。わたしには、文書があります。発表すれば、このどろぼうのような系列たちの殻を、はぎ取ってしまうのです。
文総裁は、お粗末な人ではありません。あまりにも他の人がひどいので、神様が、わたしのことを信じて、全権大使から・・・・・・。わたしは全権大使です。全権大使なので、その王権が始まって、「おいおい、わたしは、全権大使の王にもなれないので、あなたがしなさい。」と、任せることまで・・・・・・。
何ですか? わたしが話しているのに、だれが口を開いているのですか? そこは、だれですか? ヨー
ロッパのメンバーですか? 韓国語が分からないので、すべて・・・・・・。ですから、韓国語を学びなさいというのです。さあ、分かりますか?
どこに行っても、”面白い親分”になってみましょう。そのようになろうとすれば、その秘訣は、何でしょうか? 拳が強いことですか? 相撲が強いことですか? 頭が良いことですか? 違います。ために生きなければなりません。
皆さん。ここに、(「平和大使」)五百余人を集めておいたのですが、その五百余人の人以上にために生きれば、皆、屈伏せざるをえないのです。皆さんは、どれほど人の世話になりましたか? 世話になった人は、 頭を下げなければなりません。よりために生きる人は、 中心存在にならなければなりません。
一度、言ってみてください。「ために生きる人は、間違いなく中心存在になる。」(「ために生きる人は、間違いなく中心存在になる。」)それを日記に記録しなさい、というのです。
さあ、それでは、盲目的ですか?「盲目的」の反対は、「有目的」です。盲目的ではいけません。なぜでしょうか? それは、なぜでしょうか?
まったく、「ために生きる」といっても、ために生きれば、目玉を抜かれ、鼻をそがれ、耳をそがれ、死ぬしかありません。知識をもってそのようにすれば、死にます。滅びるのです。力をもってそのようにすれば、 へし折られてしまいます。分かりますか?
お金がたくさんあるからといって、そのようにすれば、お金も飛んでいきます。そのように、ころころ転がる(돈다・トンダ)から「お金(돈・トン)」と言うのではないですか?(韓国語で「お金(돈)」と「転がる(돈다)」は、発音が似ていることから) 転がっていくのです。
しかし、真の愛をもって、よりために生きる人は、父の立場を経て、王の立場を経て、神様の立場まで継続するということを知らなければなりません。分かりますか?それは、なぜ、そうでなければならないのでしょうか?
皆さん。今から「平和大使」になろうとすれば、哲学的価値観を持って、根を植えなければなりません。 なぜ、ために生きなければならないのでしょうか? 悪の世の中で「自分に偉い」と言って誇る世の中で、なぜ、愚か者のように、ために生きなければならないのですか?
いくら偉いといっても、人生行路には、波乱、曲折がたくさんあるのです。高い所や低い所にぶつかって、「自分は偉い。」と言っていながら破産すれば、どうしようもありません。うまくいっているときにも、人からために生きてもらい、うまくいっていないときにもために生きてもらい、三度、そのようにすれば、訪ねていく所がなくなります。
「だれそれよ。世の中を見渡しても、父母までもわたしを捨てた。」という話があるではないですか? 「兄弟までも皆、わたしを捨てた。国までも捨てた。ところが、おまえだけはわたしを捨てなかった。捨てることができないということを、わたしは知っている。」 と、そのようにならなければなりません。
そのようになれば、父よりも、兄弟よりも、国の国王よりも、国民よりも、もっと尊重視するようになるということを知らなければなりません。そのようなことは、可能性のある話ですか、ない話ですか?(「ある話です。」)
<その2/4へ続く>
文鮮明先生御言選集 20020621 - 天地父母… 2024.11.15
文鮮明先生御言選集 20020612 - 鮮文ピー… 2024.11.11
文鮮明先生御言選集 20020611 - 第四十回… 2024.11.10