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ネット上って言うのは結構みんな「この場は家族や知り合いには絶対秘密!!」って方々が多い。そうかぁ~、私はことあるごとに「読んでね!」って、家族や好きな人たちみんなに宣伝しまくってる場なのに。不思議。結構、母と話す時にも、「あ~、これについてはわたしのオンライン日記でも書いたんだけど。・・・ね~、読んでる??」と言って、チェックを入れてたりする。Aと話す時も「あ~、これ、日記でも書いたのに~。早く日本語が読めるようになってね♪」Aも「早くかぐやが何を書いてるのか読めるようになりたいなぁ。」って言ってる。私の中ではそんな地位を占める、このサイト。で、この間も母に「そう言えば、お母さんを主題にした日記書いたよ。」って言ったら、「え?え?本当?どこらへん?どれぐらい?」「だから~~、私のページに行けばあるってば。つい最近だよ。題名まで『母の知恵袋』とか言って、完全にお母さんの話になってるよ。(と、少々誇張表現。ウッシッシッ)」それでも読むのがめんどくさい、内容を要約してくれだの、言い訳がうるさい!!やっと自分で読むように説得できたと思ったら、今度は「アドレスなんだっけ?」(何度も教えたじゃ~ん。泣)電話でアドレスを教え、最後にもう一回、「見といてね!!」と念を押しといた。(笑)そしたら次の日にとってもとろくてイライラするダイヤル回線でメールをチェックしてたら歓喜した母からのメール。何だか目立ちたがり屋なのかそうじゃないのかよくわからない、うちの母。でも、あのジャガイモ療法のことが一番上にあるってことだけでも感動してた!!(笑)「私のジャガイモ療法!これ、もう何年も人に広めたくてたまらなかったのよ!まだ残りは読んでないけど、一行目からこうだと期待大。ありがとう!!」と何とも感動しきりのメール。その後、電話で話した時に他のエントリーも読んだか聞いてみたら、うん、結構読んだ、との話。もっと初期に書いたものの方が親の話は出てるよ、と教えてあげたら「どれがわたしの載ってるやつか教えて!!」と言われた。う~~ん、と言われてもねぇ、今電話中だから調べられないし、(ほら、ダイヤル回線だから・・・泣)自分で調べて、と頼んだ。お父さんにも宣伝しといた??と聞いたら、何かやっぱり何だかんだと読みたくないだの何だの言ってたけど、アドレスを転送したら笑い声が聞えてきたから読んだじゃない?とのご報告。よしよし。そっか、父め、話題にされるのはいやだ、と言ってたのは建前だったか。(「周りを食い物にするモノ書き共」参照。)やられたぜ。っちゅーわけで、ネタにされることで喜ぶ人も周囲にいること判明!!しかも一石二鳥で親孝行もできちゃったよ。
2004年04月30日
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最近、某友人からある困ったチャンの話を聞き、私自身も、ある困ったチャンとの(ある活動がらみの)やりとりがあり、困ったチャン達について考える機会があった。ちょっと前に「常識って何?」という主旨のことも書いたけれども、自分なりに常識のラインが決まってないわけじゃない。私なりの「常識」とは(とっても日本的だと思うのだけど)思いやりをもって人と接する、何かをする時には自分のできる範囲内で相手や周りの立場や気持ちを考えてから責任を持って行動する。たまに、前もって一生懸命考えても思い至らない場合だってあるし周りのことを考えてから行動する、って言っても、何をどうしたって、相手にある程度迷惑がかかってしまったり相手を驚かせたり、ちょっと傷つけてしまう場合だってある。それでもやることをやらなければならない時だってある。それは自分の心の自己防衛、みたいなもんだと思ってる。他人にかかる迷惑ばかり考えて生きていたら、人と違うことは言えないし、できない。でもね、そういうことをしてる時でもなるべくインパクトは押さえようとする。避けられる衝突はできるだけ避けたい。し、ある程度は避けようとするのが当たり前だと思う。それがねぇ、その困ったチャンたちって、自分以外の人に気持ちがある、とか自分以外の立場がある、とか自分以外の観点がある、とか全く考え付かないようで。どうしたらこうなるのか私にはトンと見当がつかない。(と、ここが困ったチャンと私との共通点ね。私には、相手の視点が想像すらつかないの。笑)子供の頃って言うのは、こういうのも仕方がないな、と思う。だって子供って言うのは、自分の視野ってものを発見するのに精一杯なわけでしょ?逆にその自分の視点・観点ってものをしっかり持ってたほうが、それを中心に他の人の立場・観点・感情なんかもわかりやすいと思うのよね。だから子供がそうなのはいいんだけど。やっぱり20何歳になったらいい加減子供でいるのはやめて、普通に人と一対一で大人として責任感のある交流ができてほしい。こちら側にそんな気がなくても相手側を怒らせたり、傷つけたり、悪い印象を与える事だってあることは知っている。失敗をしてしまった時の対処法や謝りかたって言うのはやっぱり、相手の話をちゃんと聞くことからだよね。(違うかなぁ?)相手が不快感を示してきて、その理由を説明した時に、相手の話を聞いて(るふりをして)、単に「うわあ、ごめんなさい。ごめんなさい。」って言って、バァーッと逃げるのは最低でも十代後半で終わりにして欲しい・・・、と思ってしまう・・・。それははっきり言って、思いやりに欠ける行動、だと思うし、結局、その失敗をしでかした人は理由も聞かずに一応謝っておいただけだから全く同じ失敗を何度も繰り返すだろう。(成長がないなぁ~。)でも、謝る人はまだましだとも思うけどね。謝りかたも知らない人もいるわけだし。でもやっぱりなぁ、私にとっての常識って言うのは、単に謝るだけっていう所で終わってはいないなぁ。やっぱりそういうとこ、ちょっと基準が厳しいのでしょうか。わたしはわかったつもりよりもちょっと時間がかかってもいいからちゃんとわかろうとする姿勢を重視する。片方だけが相手の立場を思いやろうとしても結局、一方通行だよね。思いやりって思いやりって表現するのがそんなに難しいものですか。
2004年04月29日
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その1:火傷をした場合火傷をするとよく効くのは生のジャガイモをすりおろして火傷した部分に当てること。火傷をした直後でもすう~っとするはず。そのすぅ~感がなくなってしまったら(ちょっとじゃがいもがぬるくなってるはず)さらにジャガイモをすりおろしてぬるくなったものと交換。痛くなくなるまで続けたら水ぶくれもできずあとも残らず完治するはず。私が子供の頃どっかのホテルで滞在中何だかすごい火傷をしたらしい。でその時にホテル中を駆け回って助けを求めてたら厨房で働いてる人たちがそういう時は・・・、って言って教えてくれたらしい。水や氷よりもずっと痛くないし、効果的。でも理由はなぜか、とか他のもので代用が効くのか、とかは未だによくわからない。誰か知ってます??その2:風邪はい、極めつけ。生姜をすりおろし、(できれば昔風の粗い板みたいになってる器で)その汁をギューっと搾りだし、そのカスとともに上から熱い湯を注ぎ、蜂蜜など、嗜好にあわせて味付けしていただく。効力アップに梅干なんかを足すと猶好。で、これを一日に5回ぐらい飲まされると普通の風邪はあっという間(1日~3日以内)に立ち去る。とにかくすごい発汗&利尿作用がある。その3:口内炎結構子供の頃から口内炎ができやすかった私と母。そういう時は冷蔵庫から取り出したさっと水洗いした生のほうれん草の葉を「食べな」と渡されていた。ちょっとしみるから嫌がったら母が一緒になってモグモグ食べつつ、「ほら、こうやってよく噛んで、染み出たほうれん草の汁を傷口に塗るようにするんだよ」とお手本を見せつつ私にもやらせていた。(何だか目の前でデモンストレーションされてると何だか一緒になってやっちゃう、なんて騙されやすい子供だ、わたし。いや、実際だまされやすいんだけど・・・。汗)2~3日かかるけど。一応、ほっといたら治らないようなものもちゃんと治ってました。何だか母に「口内炎ができちゃって、痛いんだよね。」って言うと、「えっ、かぐやも?私も最近口内炎ができてね。ほうれん草食べなきゃ。」って言ってる時にちょっと嬉しそうに見えたのは気のせい?その4:腹痛お腹が痛いとなでなでしてくれた。暖かい手が痛いお腹を撫でてくれるのは気がまぎれるし嬉しい。根本的な解決には全然なってないけど・・・。その5:気持ち悪い時(今気分の良くない人はまた後日、気分が治ってからこの先を読みに来てね。)残念ながら何も伝授されてない。と言うか、生まれてから今までに3回しか戻したことのない私には必要ない。しかもその3回とも知らない間に起きた。一回目は小学校低学年の頃高熱にうなされていた時。その時戻したらしいけど記憶にはなし。二回目は小学校中学年の時に寝ている間に突然、ゲボッとやったらしい。やっぱり全く記憶になし。その頃は姉と一緒に寝ていてかわいそうな姉は被害にあったらしい。(笑)っていうか、当時は恐いもんなしの爆酔大魔王だったわたし。姉に驚かれてちょっと揺すられたぐらいじゃ起きなくて、姉に起されて駆けつけた母にユッサユッサと揺すられて数分後、やっと目覚めたらしい。起きたときにうっすらと、何だか首の周りが暖かい・・・・と思った記憶はあるけどそもそも何で起されてんのか全くわからず、泣きそうな顔のお姉ちゃんと心配顔の母を見て、「????」って感じだった。別に発熱も何もなく次の日も元気に学校に行った(はず・・・。よく仮病使ってたからなぁ。もしかしたらそれを口実に休んだか遅刻ぐらいはしたかも知れない・・・謎)最後は小学校高学年の頃、乗り換えも含めて一日がかりの長時間のフライトを降りるとき。立って出るのを待ってるだけ。そんな時に突然吐き気が・・・。母に知らせよう、とはするんだけどすぐ隣にいる母は向こうむいて何だかどっかのおばちゃんと楽しそうに世間話に花を咲かせてる。やばやばくるぞくるぞ!!やっ!!と思った時にはもう祭りの後。でも、その間20秒なかったと思う。母もちょうど向こうを向いたばかりだった。あまりに突然の出来事で(でも意識はあったから全てスロモでくっきり覚えてる)母も私も一瞬呆然。幸い小児科医がちょっと離れた所にいたのでその場で簡易検診。熱もなく、他に症状もなく、単に乗り物酔いしただけでしょう、だって。その後は一切なし。だから今日、Aが吐き気を催し、しかも吐いちゃっても何をしてあげたらいいのか全然わかんない。う~~、ごめんよぉ。何かいいアドバイスあったらおくれぇ~~!――追記――アドバイスをくれた皆さん、ありがとうございました。Aの体調は猛スピードで回復に向かってます。(笑)詳しくは掲示板にあるN☆さんへの返信に書いてありますが、何よりもこういう事態にうろたえてしまって、何をどうしたらいいのかわからない状態の時にいろいろと書いてもらえたことで少し落ち着きました。改めて、ありがとう。ついでに・・・この<追記あり>って言うの初めてやっちゃった~~~。うわぁうわぁ。ちょっとドキドキ。前々からちょっとかっくいい、やってみたい・・・、と思いつつも一貫性のない日記を書く傾向のある私には利用する機会がなく・・・。今回も「事後報告」とか言って別のエントリーにしようかと思ったけど、ちょっと<追記あり>をやってみちゃいたくて、やっちゃった!!えっと、これからもよろしく。
2004年04月27日
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帽子をかぶってみる。目深くかぶると周りの人の目が見えない。そうすると、道行く人のそっけない大学生の視線もそっけないOL風のお姉さんの視線も驚いたようなアジュンマ(おばさん)の視線もふてぶてしく、ぶしつけなアジョシ(おじさん)の視線も届かない、私からは見えない。自分が相手にも見えなくなってなってしまってちょっと透明人間になった気分。帽子は視界が狭くなるし危険だ、と思っていた。だから帽子は、かぶってもつばなし。でもある日、つば付きの帽子をかぶってみた。あの日、初めて会うHさんが目深くかぶっていたみたいにつば付きの帽子をかぶってみた。そしたら他の人の視線から解放されて自由になった気がした。でも、自分より目線の低い小学生には敵わなかった。
2004年04月26日
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体重減少、止まりました。ちょっと安心。だってあのまま痩せていってしまってたらまた食生活が普通に戻った時に思いっきり太るじゃん!!(リバウンドで)と思って嫌だった。でも最近、私の食生活は昔の軽い食事を数回に分けて摂る、系に徐々に戻りつつあるのにそれでも体重に対した変動は見られない。ちょっとは増えたけど。それぐらいが健康、って思える。今まではペースが恐かった。でも、鮎さんも書いていたが、アメリカはジャンクフードが多く、しかも私にはおいしそう!と思えるものが少ない・・・。そもそも食べられるものが限られてる私。(だってベジタリアンだから。)それはAも一緒。でも私は極めつけ、白いお砂糖と白い粉(小麦粉のことです)は体に良くないから家には持ち込まないように、という超健康食志向の母親の元で育ち、しかもそれがとっても実行しやすい日本という国に育ったおかげであまり「白いお砂糖」「白い小麦粉」系のものをおいしそう、とか食べたい、とか思わない。(でもご飯と味噌汁は毎日食べたい。だからAが週に何回もお味噌汁を作ってくれるととっても嬉しくなる)食べたい、と思っても何口かでもういいや、になっちゃうんだよね。でもだから韓国は何でもかんでもおいしそうに見えて参った参った。でも絶対太りはしなかった。やっぱり唐辛子パワーのおかげ??それよりも最近のビックニュースはやっとまた定期的に運動するようになったのよねぇ。武術の習い事、始めたんです。嬉しい嬉しい!!やっぱり体の調子も良くなります。今までダラダラ気味だった生活にも少しハリが出てきた!!何と言っても、そこで出会う人々との交流が嬉しい!!社交的な生き物なんです、人間って。私はさらにちょっとその極端を行ってます。新しい人に会うのが好き。いろんな人と知り合いになるのが楽しい。友達の輪を広げるのが好き。性格が合いそうな人たち、くっつけるのが大好き。人とおしゃべりするのが好き。ひとりひとりの面白さや美しさを発見するのが大好き。脱線しました・・・。とにかく、先生はいいし、そこで出会う人たち、とっても気さくでいい人たちばかりだし、とっても満足。Aも一緒に行ってるので、私紅一点だったりするのだけれど、何も心配事もなく気楽に行っております。韓国でもM氏と一緒に習い事してた時に感じたけど、やっぱり習い事って一緒に通う人がいたほうが楽しいし続く。うん、そんな感じ。これでやっとまた健康的にダイエットにのぞめるかしら。また一ヶ月に1~2kgほど、と言う一昨年の夏韓国に行って以来のペースを取り戻したいものです。
2004年04月25日
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日本人であるための条件。1、 日本人に見えること2、 日本人っぽい名前(特に苗字)を持っていること3、 日本語が自然に読み・書き・話せること4、 (日本的な感覚で)常識外れのことをしないこと重要と思える順に並べてみました。今日分析してみるのは3番目の「日本語が自然に読み・書き・話せること」ってやつ。まずは読み・書き、だけど。これは教育されないと身に付かない、なんてことは自明のことなので、「自然に話せる」って事に関してだけ。これは日本語だけに限らないんだけどね。最近再度アメリカに引っ越してきた際にストレスが溜まってしまってどうの、って時、実は辛かったことのひとつにこれに関連することがあった。この場合は教養のある英語話者(イングリッシュ・スピーカー)として、という壁だった。これに関して言えば日本語も英語も韓国語も一緒、だと思う。ある言葉が「自然に」話せるかどうかってのはその言葉と関連した文化に精通してるかどうか、という問題もある。でもまず初めに「自然に」話せることはどういうことかを最初から順を追ってみていくと・・・。日本語や韓国語の場合、多分発音がネイティブ「らしい」か、ってことが一番重要視されるんじゃない?次に、文法。特に、TPOに合わせた使いこなしができるか、ってこと。上手く、かつ自然な言い回しがどれだけ使えるか、ってのも重要。この壁が乗り越えられたら次は、その文化の歴史や文学や時事問題にいかに精通してるか、ってのが判断基準。まず発音の問題だけど。そんなの元々耳がいいか、ガキのころからしゃべってたか、の判断基準にしかならない。まあ、母国語を子供の頃からずっと話して来た言葉、というふうに定義するのだったらいいけど。それでもかなり微妙な判断基準だと思わざるを得ないよ。私、アメリカで韓国語の授業受けてたときに、両親とも韓国人で周りに韓国語を話す人もいる中で育ってきたチェミキョッポ(韓国系アメリカ人)のコで、韓国語の発音がすごいアメリカアメリカしてた子がいた。でもやっぱり韓国語を少しでも聞いて育ってたから韓国語に関する勘も、耳も私よりもずっと優れてたよね。このコの母国語って?韓国語?英語?逆に、同じクラスで子供の頃アメリカに移住してきた韓国系アメリカ人のコ、韓国語はぺらぺらだったけど英語にまだ韓国語っぽいアクセントが強かった。このコの母国語は?これが両極端な二例。クラスの残りの人はほとんど韓国語が書けなくても、聞けば理解できたし、何とか意思疎通するぐらいの韓国語能力はあったし、話す英語に特別、移民っぽいアクセントなんてなかった。発音やアクセントなんてあんま頼りにならない、と思う由縁。(なんかの指標にはなるかもしれないけど。)次に、文法。特にTPOに合わせた使いまわし。どうかな。こんなの経験の問題で、使わなきゃ覚えないし、だから会社面接時のマニュアル、とか敬語の使い方、とか正しい手紙の書き方、とかいう本が町に溢れてるんでしょ?「日本人として当たり前の常識」?それよりは「日本社会で働いたことのある人なら自然に身に付くかもしれない礼儀作法」の間違いなんじゃないの?これってジェネレーション・ギャップの問題だってかなりあるし。韓国のほうが問題は深刻なようだけど、実際、日本でだって世代による感覚・常識の違いによる摩擦は起きるし。この壁が一応、全部乗り越えられた後でそれでも待ってる試練。それは文化への精通度。なぜかさぁ~、現代文化に精通してる=普通の○○人、ってスタンスが強いんだけど。個人的には、はぁぁぁ~~って感じだよ。これが前回ちょっとストレスの原因にもなったりとかしたんだけど。「エッ?これも読んだことないの?あれも?信じられない!!君ほど教養のある人が!!これぐらいは教養のある普通のイングリッシュ・スピーカーとしては当然だよ」と、言われた。ざけんな、アホ~~~~!!じゃあ、日本文化・文学・歴史についてちょっと試験やったろうか、おりゃ!って感じ。私、英語に外国語スピーカーっぽいアクセントもないし、適当に周りの雰囲気に合わせられるから、よく勘違いされるんだよね、普通のアメリカ人、だって。でもさ、英語で教育受けたのなんて(日本での)高2の途中から。基本的に、まだ日本語のほうが読みやすいし、自分のやってることの関係もあって暇があれば英語よりは日本語のものを読むほうが多い。そりゃぁ、子供の頃から英語ばっかり読んでて英語で幼稚園から大学まで行って、家帰っても周りの大人もみんな英語の本を読んでそれについて語り合ってるような、大人になっても暇さえあれば英語のもん読んでる、って人にかなう訳ないじゃん!!いい加減にしろよ!!「教養のある」って言葉が曲者なんだよね。韓国の語学学校でもよく言われた。みなさんには「普通の」韓国人なみの韓国語が話せるように教育してるんです。「普通の韓国人なみの」って「一般教養のある」韓国人って、大学卒業レベル、ってことになってるけど実際はねぇ~。その「大学」のレベル設定が、「ある程度以上」の大学にされてる。しかも、もうちょっと掘り下げてみると!それが一般的に一流大学を指してるってことが発覚するからたまんない。そんなの。ひとつの言葉しか話せなくてもそのレベルに達する人すらそんなにいないってのに・・・。って言うか、大学も卒業してない人は?「一流」大学ってさ、あれだよ、二流や三流やそれ以下が存在するから存在できるんだよ。そうじゃなきゃ、みんなただの大学じゃん。そこに基準合わせて、それを「普通」って呼んで、どうするの?この感覚、結構日本でもまかり通ってるような気がする。実際はみんな「自分の基準」を「普通」に置き換えてたりするんだけど。見かけや育った環境が特殊なのに日本語を自然に話せる人がいると、あら探し始める人っているよね。例えばよくあるのがさ、「へぇ~日本語よく知ってますよね。ところで、納豆とか刺身とかって好きなんですか?」ってかさ、ここで嫌いって言っちゃうと、やっぱりね、って思われる。でも、聞いてる本人が納豆とか刺身が嫌いで食べられないって場合もよくあるし。私の母、よくこれ聞かれたよ。今でも聞かれるよ。日本に30年以上も住んでんのにさ。日本語、TPOに合わせてしっかり使い分けれるのにさ。日本文化について、納豆クエスチョンしてる本人よりも知ってるから、悔しくて相手はあら探し始めるんだよね。このテ、卑怯なんだよ。ガイジンはガイジンの枠にはまっとれ!って感じなのか?私が辛くなるよ。母親の「私の日本語はまだまだだから」っての聞くと、「違~~~~う!!」と思う。本人の完璧主義的な性格にも問題があるけど、未だにこんなにコンプレックスを感じるのは周囲の雰囲気の問題も大いにある、と思う。逆にね、地域学(エリア・スタディーズ)やってる学者って研究してる国の言葉もまともに読み・書きできないのにその国の文化や歴史についていっぱい知ってる場合がある。(やっぱり言葉を知らないとある程度の限界はあると思うけど。)それって自分のわかる言葉でその国や地域に関しての本や研究文献をいっぱい読んでるからなんだよね。だから外国から注目されてる国の事情って結構、国外にも知れ渡ってる。何も不思議なことはない。文化についての精通度と言葉の流暢度って一致してる場合もあるけど、実はネイティブ・スピーカー間でも一致してない場合のほうが多いんじゃない?「当たり前の」とか「常識的な」とか「一般の」とかきらいだな。誰の定義なの?って聞きたくなる。(実際、聞くし。)そういう基準、他人や自分に向かって使ってもいいけど、他人に向かって使う場合はまず考えてね、「この人は人間としてどういう人?この人はどういう経験をしてきた?」こういうことを知るのって本当は時間がかかる。初めて会った人からすぐ聞きだせることじゃないし。すぐわかることじゃないし。肩書きや見かけや経験が自分の知ってる別の人と同じだからって今自分の眼の前にいる人と自分の別の知人とが同じ人だとは限らない。逆に、自分にそういう厳しい基準を課せて苦しんでる人を見ると、もっと自分を褒めてあげて、自分の長所やすごい所をもっと自分に自慢していいんだよ、と思う。人に言える肩書きだけが全てじゃない。いろんなことを見てきた、耐えてきた、潜り抜けてきた、何かについて突き詰めて考えた、そんな心の強さや人生経験だって立派なもの。目に見えなくても心で見たい。「日本人」って枠に当てはまる人って、そもそも誰なんですか?
2004年04月23日
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今日はぁ~、同じサイトを日々徘徊していて、元々は別のネット友を通して知り合ったお友達と1時間ちょっとの長電話。楽しかったよ~!!!え~っと、その時話題にのぼった年齢としわ、について。自分たちの顔の皺や顔の張りの衰えはいや!って言ってたし、本気で思っていた。でも、その後、ちょっとネットを徘徊していたら、中森明菜の晴れやかな顔が!!素敵~。明菜が(馴れ馴れしいって?)自分のレーベルを立ち上げるって記事だったんだけど、素敵な表情で写真に写ってた。まあ、首の筋肉の衰えは確かに見えたけれど、明菜は絶対に昔よりもいい表情してる!!!いいわぁ~~と惚れ惚れ。そう、他の人の年齢の証となる顔の特徴は好きだったりする。そもそもAに最初にドキッとしたきっかけがAのお父さん譲りの目じりの笑い皺。あらら、ドッキュ~ン!!って、思って、テーブルの向こうにあるその笑い皺に手を触れたい・・・・と思ってかなりムズムズしてた。それにはるか大昔に韓国語を教えてくれていた先生に韓国で晴れて再開したときも確かに目の周りにちょっと皺は増えていたけど、10年以上経った今も先生のちょっとアンニュイな美しさは衰えてなかった。と言うか、若かった頃のピカピカの金が、落ち着いてて、でもすごい存在感のある深みのある金色の輝きに変わっていた。素敵に年齢を重ねた人を見ると、私もこうなりた~い!!と思ってしまう。でも、その人をそう見せるのは生きてきた年月と経験の積み重なり、と分かってるから焦らず今の瞬間瞬間を大切に、とは思うんだけど。しかも、自分の顔に皺とかを見つけると普通に焦るし。これは何でだろう。今日はね、ふと鏡を見たら、(あまりまじまじと自分の顔を鏡で見ないほうなんで)顔が昔よりちょっと痩せててビビッちゃったんだよね。それでこんな話になりました。くだらないことかもしんないけど。何となく書いちゃった。そんな日です。
2004年04月22日
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今日の内容は我ながらちょっと厳しい口調だよ?気をつけて読んでね♪―――――――――ある国の言葉を上達させたい!またはがんばって習得した言語のレベルを落としたくない!と思ったら、一緒に習おうとしてる同士で集まる、先生を雇う、語学交換をする、その言葉を話してる人たちの集会に顔を出す、その国の本を読む、ビデオを見る、テレビ番組を見る、食べ物を食べる、マンガを読む、などなど、その国または言葉の文化に浸る努力をするのが一番なんでは?そういう意味ではペンパルとか最近ではチャット友、メル友作りに精を出すのがいいよね。と、思う。外国人のお友達を見つける、と言うのは習った外国語の実力維持のために必要、と思われてたりする。まあね。でも、私が日本でよく耳にしたのは一方的に相手をただの練習台に使おうとする場合。そんじょそこらにいる英語しゃべる人、ってお友達にしちゃえばタダの英語の先生になってくれる候補者じゃないし。昔はそうでもなかったけど、最近日本に来る日本語をネイティブ並みに話さない人って、ほとんどは、わざわざ日本語を学びに来たとか、そうでなくてもなぜか日本語を学ばなければならない立場にある人たち。そういう人を引捕まえて、「レッツ・ビー・フレンズ!ティーチ・ミー・イングリッシュ!!」ってどうよ??ああ、そう言えばこれって「ハローハロー!!」って意味不明のことを叫んで走り去っていく子供らの態度に共通してるもんがあるような気がする・・・。ああ、「悪気がない」のは分かってます。でもね、「ごめんですんだら警察いらん!!」じゃないけど、「悪気がないですんだら、思いやりや礼儀は必要ない!!」って感じ。人にそういう意味不明のことを叫んで、笑いながら走り去っていくことって動いてない肖像にもできる行為、でしょ?そういうことを人間にすると、珍獣扱いうけてるんだな、って思うんだよね。自分の人間性を否定されたような気分になる人もいるんだよね。特にたださえ見知らぬ土地で慣れない生活してる人がそういうことされるとガク~~ウンと落ち込むこともあるらしい。でも、理由は何であれ、そういうことしないのは当たり前のマナーです。子供がそういうことしちゃっても平気、って思えるような雰囲気で育ってる、ってことだなぁ、そういうとこ、子供は社会の理想像を残酷なほどに反射してしまってるよなぁ、と思ってしまう。私も自分の国や習いに行った先の国の人に英語の練習台にされたり、されそうになったりすることもしょっちゅう。そういうときどう感じるかというと、日本では、「ああ、(また)日本人と思われてない」という疎外感を感じたり、「なんか(また)珍獣扱いを受けてる」とか、「日本語で話したって勘違いが起きる可能性があるってのに、英語がまともに話せない相手と英語で話そうとしたって伝わるものはたかが知れてる。この人は本当に大切なことに関して伝えたいことはないんだろうな。」と思ってそれ以上その人とは話す気が失せる。日本語の練習台にされるのは別にいいんだけど。自分の日本語に自信があるし、私は自称、日本語伝道師だったりとかするんで。(笑)もうここまで来ると救いようがないぐらい。日本語に対するこの執着心をどうしよう、ってぐらい。(笑)でも本当に話をしたい時には(英語を話す相手の場合)日本語の練習はやっぱりそっちのけになる。って言うか、それが普通だと思う。本当に話したいと思って、どっちかがもっと流暢に話せる言葉があるんだったらそっちになるのが当たり前。同時に、チャンポン語になるのも当然、自然、問題はない、と思う。悪いけど、英語で日本語と同等レベルのコミュニケーションかそれ以上ができる人でないと、英語では話したくないね。そもそも、私の英語が怪しくなる。私の英語はある意味ネイティブじゃないので、相手が怪しい英語をしゃべってたら私の英語までつられて怪しくなる。そんなリスクは負えないのさ。自分勝手なようだけど。韓国で一番困ったのはこっちは韓国語を習いに来てるのに、私が拙い(でも相手の英語よりは上手い)韓国語を話しても、相手が「英語を使うチャンス!」とばかり英語でしか返してくれない時。おかげでこっちの韓国語もあまり上達しない。納得できるケースはお互いの言語を習おうとする、語学交換の場合だけ。それなら、私も相手の言葉が習えて、相手も私の言葉が習えるし。じゃなかったら、家庭教師代払えよ!!!って感じだ。ふう~~~。韓国のほうがなかなか微妙だったけどね。全く初心者だった頃はやっぱり怪しくても何でもいいから、日本語か英語が話せる人がいてくれたらホッとしたもん。そうじゃないと意思疎通がままならないから。でもさ、でもさ、ある程度以上(ってそんな対した程度じゃなくてもよ)になったら、韓国語のほうがよっぽどお勉強になるし、よっぽどコミュニケーションも成り立つ。でも言葉と言うのは、とどのつまりはコミュニケーションの道具。ってことは、お互い最も意思疎通のできる言葉(言葉たち)を使ってコミュニケーションできりゃあ、いいじゃん。と思う。お願いだから、語学を習いに来た人を英語の先生扱いして侮辱するのだけはやめてね。その愚痴を聞かされるのはわたし、なのよおおおおお。あ、あと、見かけで何語を話すのか判断するのも。韓国で白人だからって英語ネイティブでもない、すごい怪しい英語を話す「英語の先生」なる人物と何人遭遇したことか・・・・。恐ろしかったよ。これで見かけがアジア人だと本当に英語話せるかどうか怪しまれた、って言うんだから・・・。あのさぁ~~。金髪=英語ネイティブ黒髪≠英語ネイティブって図式は存在しないんだよお~~~。
2004年04月21日
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ここのサイト、実は私にとっての秘密のアッコちゃん的サイトなんですが。どうもねぇ、楽天内でのいろんな人の日々の日記やプロフィールを読んでいると、ああ、わたしこういう人たちのためにあのサイトを立ち上げたのに~~。身分を隠してる身だから、何も言えん!!(ギーギリギリ!!!)と何とも悔しい感じ。(でも、実はよく見ると、右側のお気に入りリンク集には入ってるんだけど・・・。誰もそんなの見ないって?)だから今日はばらしてみました。ほほ。でも、本家ではばらさないでね、お願い!
2004年04月20日
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私、最近、努力してるわけでもないのに、どんどん体重が減っている。何でだろう?何でだろう?と思って日々の生活を振り返ってみる。すると、答えはすぐそこに。それは、Aと暮らしてるから。最初Aと出会って一緒に食事してた頃って、「いやあ、私と同じぐらい食べる男の子ってよくいるけど、運動選手でもなく、ぽっちゃりしてもいない大人の男の子で、私よりも大食いの人は初めてだ・・・」と思って感心してた。そりゃあ、私より背は高いけど、普通はそれすらもあんまり関係ない、わたしの場合・・・。(笑)だからてっきりAは大食いだと思ってたのねぇ。しかも食事した後は必ずデザートを食べたがるし。それが、一緒に住みだしてからその謎が解けた!!Aは朝ごはんを食べず、間食もあまりせず、基本的に一日二食の人。しかも、そのうち一食は確かにすごい量なんだけど、残りの一食はそんな対した量じゃなくて、間食サイズともいえる場合もある。そのくせ、太極拳に凝ってたりするから、運動もまあまあしてるのね。しかも、背が高い。で、一般的に女性よりも筋肉質の多い男。基本代謝量がすでに高いわけよ。それでも韓国にいる頃は食事もいつも一緒にしてたわけじゃないし、「デートしよ!」ってことになると喫茶店に直行してケーキを食べたりしたから、その効果の程は現れなかった。それが、アメリカに引っ越してきて、韓国みたいに、おいしい、安い、健康に良い食堂があっちこっちにゴロゴロしていず、あまり外食してるような収入もない状況にぶちこまれるや否や、どんどん痩せてきてる。つ~か、ちょっとでも努力してダイエット中だったら、「いけないよ、これは。ちょっと食事量を増やさなきゃ。」と、自分で思ってしまうぐらい。って、私は超安全思考だから、なんだけど。私にとって一週間に1~2kg減はなぁ。自然に起きてることだから危機感がないだけなんだけど。私は今のところは決まった時間までに家を出なきゃいけない用事はない(と言うか、ひたすらストイックにお家でお仕事しなきゃいけない状況・・・)本当は日中もっと活動的にしていなきゃいけないAも私につられて、ちょっとまだバカンス気分を楽しんでる困った二人。私は夜、日が沈んでからのほうが仕事がはかどるコウモリ人間だったりするので徹夜に近いことをしでかし、朝は午前を過ぎてから起きるのが日常だったりする。でも、そんな中、食事は一緒にしたい。というわけでお互いに合わせてたりすると、起きてくるのが昼過ぎの二人にもちろん朝なる単語も朝ごはんなる単語も行為も存在しない。あるのは、昼と夜のみ。最初の食事が昼食なんだか夕食なんだかちょっとはっきりしない時間にドデ―ン!と。(たいてい起きてから2~3時間後の出来事)で、Aはしっかりあのすごい量を平らげてる・・・。でもでもさぁ、私いっぱい食べれるけど、いっぺんにそんなにいっぱいは食べられないんだよねぇ~~!!だから結局昔の私の普通の一食分だけ食べる。そうすると、一日に食べる量が賞味、一食半、または多くても二食、とかになる。どんどん痩せるわけだよ・・。もちろん一人で食べたっていいんだけどさ、やっと軌道にのって来てる時に食事作るのも集中力が落ちて、命取り。それにもし何か作っても、Aと一緒に食べたいな、と思って結局Aが帰ってくるまで待ってしまう。どうせ近いうちに帰ってくるのは分かってるから。それにそれに何よりも怠け者の私は自分で作るよりはお腹を空かして帰ってきたAが何かおいしいものを作ってくれないかなぁ、と夢想してるうちに時間はどんどん経ってしまい、結局Aが帰ってきちゃって、そういうことになるんだよねぇ。くふ♪あ、今気付いたけど、これはいわゆる「生活の乱れ」に起因した体重減少??そっかぁ~。でもね、今の私はやっぱりちょっと(?)自分の健康体重をかなり上回っているので、こういう時期があってもいいかな、なぁんて思ってたり。私は今、普通に食事して適度に運動してれば痩せてしまうぐらいの体重にある。自分にとっての健康体重(ってのは平均体重でもないんだけど)をかなり上回ってしまってる。そしてこの生活は多分そんなに変わらない。食事回数と運動量は増やしたほうがいいだろうけど、食事内容は変えないほうがいいだろうし。普通、付き合う人とかってダイエットの大敵になってしまう場合が多いような気がするんだけど、Aの場合、一緒に住んで共に行動することで力強い味方になってしまってます。不思議なものです。
2004年04月19日
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最近、鷺沢萠(さぎさわ・めぐむ)さんの死で思うこと。それはやっぱり文章ってすごいってこと。彼女が亡くなっても彼女の片鱗は彼女の書いた作品の中で生き続ける。それは彼女の生活、とか彼女の考え、とかそういう具体的なわかりやすいものをも含めてだけど、それ以上に、それ以外にも、彼女の文章を通して生き続ける「彼女の片鱗」と言うのは、彼女の想像力や文章を通して話をつむぐことのできる、というその才能の生命力が感じられるってこと。その生命力の素晴らしさって言うのは、彼女の作品を読むひとりひとりの読者の中にある声と彼女の紡ぎだした文章の中にある声とが重なって共鳴しあえる可能性を秘めている、ってところにあると思う。そして、その新しい共鳴が起きるたびに、彼女の作品はまた新たな形でこの世に蘇生するのだな、と思う。だから文章はすごい、と思う。よく言われることだけれど、やっぱり文章は人に永遠の命を与えるなぁ、と思ったり。(今日の日記はヴァルター・ベンヤミンWalter Benjaminという、ナチス支配下のフランスから逃亡途中、謎の自殺を遂げた思想家の書いたものに多大に影響をうけてたりする。ホロコースト記念日にもちなんで。)
2004年04月18日
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ひとつ、アメリカ対日本の文化の違いで感じることは人が嫌な気分になったときにその責任は誰にあるのか、という時の捉え方の違い、というものがあるような気がする。どういうことかと言うと、この間私がものすごく落ち込んでしまった時に、(ところで今はいたって元気。心配かけてしまったみんな、ごめんね。)Aとその原因についていろいろと話していたら、いろいろな時点でAは「それってかぐやのせいじゃないよ。相手が感じたことや言ったことに対してかぐやが責任を感じることはない。」としょっちゅう口にしていた。実はこれ、過度に責任感が強い私はよく言われることでもあるのだけれど。(日本でもアメリカでも韓国でも。)これだけじゃ何だか不可解か・・・。果たして以下でちゃんと説明できてるのかは謎だけど、もうちょっと説明すると、Aが言っていたのは、相手と私との感覚の違いから来る意見の摩擦が起きてそれで私が傷ついた場合に、その傷ついたのが全部私のせいだ、と思わなくていいんだ、ってこと。相手の言動で自分が傷ついた場合にそれを自分の感覚のせいにしてしまう、というのも何とも不思議なことなのかも知れないけれど、日本の優等生タイプの人にはよくある傾向だと思う。何でそうなるかと言うと、「自己を振り返る」「自己反省」という態度が美徳とされていて奨励されているから。加えて、私は過敏だという自己認識がある。でも、過敏なのは生まれつきのことで過敏でなかったことのない私は、一体どういう時に自分が過剰に反応しているだけでどういう時に適度に反応しているかの差がわかんない。だから自分が傷ついた時は、全て一緒くたに自分のせいにしてしまう傾向がある。「ああ、こんな些細なことで傷ついてしまうのは私が細かすぎるから・・・」とか「やっぱり私は過敏だから・・・」とか。(何だか自分で書いてて笑っちゃうけど、ほんとの話。)それを見てAは、かぐやが傷ついたことには相手にも責任がある、と捉えたわけで。これは贔屓目に見てるだけではない、と思う。と、言うのもアメリカ人(や実は西洋人一般のことでもあると思うのだけど・・・)にとっては「社会批判できるぐらい自己主張できること」と言うのが美徳。つまり、眼の前にあることを冷静に分析して、自分の意見を表明できるところまで持っていく、という実力を持っていることが理想とされる。逆に自己の身を振り返る、という、(まあいわゆる反省のことですが)コンセプトは立場が弱い。それはつまり自分の周りから目をそむけて自分に注目してしまうことになるから。(ような気がする。あくまで自論だけど。)だから、自分が傷ついたり、いやな目に合ったりしたら、それは自分の感覚のせいでなくて相手(=社会)のせい、という見方も日本よりもずっと一般的に市民権を得ているような気がする。なぜなら、周りを冷静に分析するって行為は、自分の感じたこと・思ってることは正しい、という前提に立たないと成り立たないから。だから自分がどうにか感じた理由は自分でなく周り(=社会)に原因があるはず、(って論理かな?)でも、だからあまりに極端になると、何でもかんでも相手のせいで自分に原因は全くない、という何とも困った人になる。(これはちゃんとアメリカでも「困ったさん」の内に入る。例えば授業での成績が悪かったのは自分が努力しなかったからじゃなくて、教授のせい、(゚o゚)と言って、教授や講師に抗議しに行く学生とかね。こういう人って一学期に必ず一人はいるらしい。お疲れ様です、こんなやつらの面倒みてる方々。)こういう人、日本の若者にも最近増えてきてるけどねぇ、「若者の無責任さ」ってこういうことも指してるんではないか、と思う。でも逆に、日本で美徳とされている自己反省を基軸にした、全てのことを自分の責任とする態度っていうのは、(周りも同じ感覚で生きていれば、相手が嫌な思いをした、と聞いた時点でお互い謝りまくればすむので問題はないのだけれど、周りがそれと違う感覚で生きていると、)周りとの摩擦が起きたときに、その嫌な気持ちを自分で抱え込む結果になるだけでなく、そう感じてしまったことに対する自分に対する罪悪感みたいな自己嫌悪みたいな気持ちを抱え込むことにもなるので、すごく苦しくなる。いわゆるアメリカ的価値観を適度に受け入れて生きていく利点って言うのは、もうちょっと気楽になれる、ってところか。ただ面倒なのは、「それ、嫌だな」とか「そう言われると不愉快だな」って言った時に、アメリカ的感覚相手の人になると、単に、「不愉快にさせてゴメンね。」でなくて、「えっ?ウソ!?どうしてどうして??」と言って、すぐ問題の原因を見つけ出して、それを解決しようとするから、自分の思ってることや感じてることと、自分の周りで起きてることの因果関係をハッキリとつかめてて、それをはっきりと表明できないといけない、ってことか。何かに傷ついて取り乱してる相手を前にした場合は、とりあえず相手の言いたいことだけ聞いてあげて、表わしたいことだけやらせておいて、(ここまでが多分、応急処置的行動。)理由とかそういう「お話し合い」は後回しにする、という心のこもった応対のできる人もいるけれど。それでもいつかはじゃあどうしてそう感じるのかを全部説明できないと納得してもらえないところは面倒、と思ってしまうこともある。たまには、「あ・うん」の息でわかってよ!どうしてそこまでこと細かく説明しなきゃなんないの!って頭にくることもあるけれど、逆にそこまで説明する機会が与えられるって言うのは、相手が自分の考えをしっかり聞いてくれようという意思があって、たとえ自分が考えてみなかった視点からでもちょっと考えてみよう、という場合しかないので、お互い何か新しいことを学べる機会が与えられるって点も、ある。とっても違う環境出身の人たちと相互理解を目指そうと思ったら、「わかったつもり」になるのが最大の敵なわけだから、そういう意味では何でも説明する、という態度に起因する「できるだけはっきりと話し合う」と言うコミュニケーション・ツールが便利かも。過敏で極端に責任感を感じてしまう傾向のある私は、そういうわけでこないだみたいにちょっと何かがあったときに自分の中で溜め込んで、グチグチしちゃって、ああいうふうに自己嫌悪と混じった、思いっきり激しい落ち込み方をしてしまう。でも、今は大丈夫だよ。nuki@さんみたいに目は痛くならなかったけど、目が腫れるまでは十分泣いたし、その時に心に溜まってたモヤモヤも一緒に流し出したからね。
2004年04月16日
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最近、いつもの私らしくなくメソメソしてる。かわいそうなAは昨日のお昼から一日中泣き止まなかった私の機嫌を直そうとがんばり、それと同時にそもそも何で私が泣いているのかを探り出そうとしていた。昨日の晩にやっと少し気が晴れてきて、安心してたら今日の朝になってちょっとしたことでまた泣いてしまい、珍しく電話してくれた母に何でそんなに精神不安定になっているのかを説明しようとしてたら、また泣いてしまった。こんなに泣いたのは約2年半前以来。あの時にあんなに泣いたのは13の時におばあちゃんを亡くして以来だったから優に10年以上は経っていた。それなのに、今回は惨事が起きたわけでもなく、当然、誰か知ってる人の身に何かが起ったわけでもなく、単にストレスにやれるているだけ。まいっちゃうね。それでこんなに涙が出るんだから。私、子供の頃はどんなに泣きたくても泣けない人でした。どんなに悲しくても、辛くても、悔しくても、泣いちゃいけない、弱みを見せちゃいけない、ぐっと我慢してこらえなきゃいけない、私は強いんだから、と思ってきたから気付いたら、辛い時や苦しい時は胸が苦しくなったり、頭が痛くなったり、体が強張ったり、体のどこかが痛くなるようなそんな人になってました。でもその代わりに得たのは、「強いよね」「偉いよね」「すごいよね」と言う言葉。これは「だから頼れる」の意味にも、「だから私の感じてる苦しさはあなたには理解できない」の意味にもなりえる、(言葉っていつでもそうだけど)両刃の剣。私だって普通の人並みに心は痛みます。体だって痛みます。でも人一倍我慢もできます。だから私の中にある、一人ぼっちにされたくない部分、簡単に傷ついちゃう部分、人一倍過敏な部分に周りが気付くのがいつも遅い。表現方法のリハビリはここ何年かしてきたから、もっと上手くなったけど。今回は、初めて会うAの家族と親友に対して、いつもニコニコして、周りに無理なく合わせられて、聞かれた質問にはハキハキ答えて、適当にディベートのお相手もする、スーパー彼女を演じてしまいました。やることがそれだけで他に特別することがないんだったらそこまでストレスもたまらないのかも知れないけれど。そもそも私にはすでに「すでに一回逃した締め切りに間に合うのか」という焦りがある。加えて、(AはAで帰米を私だけのために3ヶ月以上延期したわけだから)今回は私がAのために引っ越して来た街だが私、この街に住むのは初めて。アメリカに住むのが初めてじゃない、と言っても、アメリカは基本的に私にとっては外国。それに大都市、と言うのはそれぞれの個性がハッキリしてる。ここは私が今まで住んだことのない車がなかったら生きていけない大都市の世界。基本的に都市のコンセプトが嫌い。Aの周囲にいる人たちも私とそんなに気の合う人たちではない。というか、その人たちのペースが良く飲み込めないし、だからすごく気を使う。アメリカの「リラックスして」と、日本の「気を使わないで」は同じ意味のようであって、相手によっては意味が全然違う。Aの周りにいる何人かの強烈なキャラって私が今まで本当に付き合ったことのない(実際は避けてきた)いかにもアメリカアメリカしてて、あまり他の人の基準、(他のアメリカ人の基準をも含め)ということに無頓着、って言うか、そういうものが存在してることは頭ではわかってるんだけど、それが実際の対人関係にどういう影響を及ぼすのか全くわかっていない人がいたりする。で、そういう人に限って目立ったり、場を仕切って、全てをパーフェクトにしたがる傾向がある。これもやっぱりAの周りにいるキャラなんだけど、すごく優しいがゆえに、普通に人に気を配れ、当たり前に他人を思いやれ、だからこそあまり知らない相手とは適度に距離を保てる。でもそういう人は人柄も印象もソフトだから、仕切りたがり・目立ちたがりがしゃしゃり出てくると、背景に溶け込んでしまう。その場では力強い味方にはなってくれない。Aは、自分にとって大切な人たちだから、私にとってもそういう地位を占める人たちになってほしいみたい。私がそもそもここに来れた理由はしなければならないことがあるにも関らず、それが場所を選ばない段階にあるから。でもそれはとどのつまり、締め切りがそれほど近くに迫っているってこと!!この締め切りに間に合わせるためのプレッシャーが何よりも大きいのに、それ以外の見知らぬ、特別好きでもない、街や人に囲まれて、嬉しくないことどころか、昔の嫌な思い出を髣髴とさせるようなことばかり言われたり、質問されたり、ストレス溜まるわけだ・・・。でも、この泣く、っての、どうにかなんないかなぁ。もう、泣くのもいやだ。涙って視界が曇るから何もできなくなるんだよね。
2004年04月15日
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嬉しい!韓国を発ってから、ネットに接続はできたけど日本語フォントが全く読めなかった期間が一週間とちょっと。(Aの実家に滞在中。)それからやっと私たちだけの住処に引っ越したはいいけれど荷解きやら、ネット契約やら、お祭りの準備やらに追われ、普段楽しみにしてるオンライン日記は読めない、友達からのメールも読めない、故に返事も書けない、という三拍子揃った生活からやっと脱出!!日記を書くのは返事を出すべき人たちに返事をしてから・・・。とか思ってたけど、このペースじゃいつその時点にたどり着けるのかが不明。接続方法は昔懐かしダイヤル接続だし。コンピューターの調子は、韓国を発つ直前に診てもらったとおり、かなりヤバイ状態にあるし・・・。でもとにかく、日記のネタはありすぎるぐらい!!何気で日記はいくつか書いたりもしてたし!そのうち(いつかは不明だけど)アップしよう!ところでshaqさん、(見てる~?)私の記入率、終に46.5%まで落ちたよ~。
2004年04月09日
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