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すっごい久しぶりにニューヨークに行ってまいります。今回はいつも泊まらせてくれる友人が彼氏と暮らし始めてからの初めての訪問なので楽しみ!!Aともニューヨークで落ち合う予定。友人の彼氏はとっても優しくて、いい人なので私も大好き!Aは私のニューヨーク仲間とは一人としか会ったことがないので、「大丈夫??」とわけのわからない不安を抱えてます。そういうわけで更新もしばらくお休み。いっぱい書き込みして言ってね☆
2004年09月28日
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最近見かけたウェブ広告で「ダイエットしてるように見えても、ダイエットしてないように食べられる」と言うのがあった。ビックリ仰天!!!こんなの最悪!と思った。ダイエットしてるように見える、と言うのは憔悴してる、ってことですか?それとも、最近みんなが理想化してるツィギー・ボディー(最近はケイト・モス・ボディー?)はダイエットなくしては維持できないことを認めてる??どっちにしろ、とんでもない広告だ!と思い、最近のダイエット熱についてまた考えさせられた。そして自分のダイエットに対する長年の執着心についても。私は昔から筋肉質で見かけのわりには体重があった。9歳の頃に身体測定で友達はみんな「標準体重」の「やせめ」に入っていたのに、私は「標準」上にあったので、「太ってる。ちょっと痩せなきゃ」と思ったのをきっかけにダイエットなるものに興味を持ち出した。(この時点でちょっと異常だと思うんだけど・・・。汗)結構、実行に移すのも早くて、13の頃には一日のカロリー摂取量を1500~1600カロリーに抑えて2キロ減量に成功していたり。(当たり前だ。育ち盛りにそんなことしてたんじゃ。)偏食系ダイエットは「不健康」と言って目の敵にしていたから、手は出さなかったけど、その年齢でカロリー制限すること自体十分不健康だと思える。中学・高校時代はそういうことを繰り返していた。何度も言うようだけど、私の実際体重は常に見かけよりも5キロほど重かった。(今もそういうところはあまり変わってない。)骨太だし、筋肉質。割とがっしりした体格なわけだ。(よく勘違いされるけど、元は日本側の祖母としか思えない。他の3人はみんなわりと華奢なつくりだから。)ってなわけで、昔からいろんな運動なんかも好んでしていて、大人になっても全然やめないので、「標準体重」なんてなんのその、って体。どちらかと言えば、男性の「標準体重」のほうがよっぽど参考になったりする体だ。それでも、ここ過去3年はちょっとストレスがたまり過ぎたり、生活の乱れで、私にとっても絶対重過ぎるという最高体重、80キロ近くになってしまった。それがなぜか(年齢的なものとやっぱりストレスと生活の乱れのダブルパンチ)で、3ヶ月のうちに一気に60キロ後半まで体重が落ちた。びびった。で、怖くなった。一時期は55キロまで行ったらいいな、な~んて思ってて、ついこの間もそういうことをAに口走ってた私がいたけど、(そういうところ、私はまだ洗脳されてると感じる。母親が常にダイエットしてる家庭で育ったAは今がちょうどいい、体重落とすことなんて考えるな、と説得に回っていた。汗)実際、私にとってのベスト体重は多分65キロぐらい、60キロ以下は(適度に運動しているのであれば)不健康の域に達してると思われる。でも、こんなこと、BMI数値とかは教えてくれない。160センチだもん。65キロだって肥満すれすれ、ってことになっちゃうんだよね。違うんだけど、私の場合。ま、とにかく、今日こんなことをわざわざここでばらしたのは、個人差あるんだよ、ってことを言いたくて。体重の数字なんて関係ない、って言ったって、それで自分の体重ばらさなかったら説得力ないでしょ?それにさ、体重書いてる人って、ダイエット日記書いてる人か、「理想的に軽い人」しかいないんだもん。つまんないじゃん。「軽い」ことがいいんじゃなくて、要はどこにその体重がついてるか、だと思うんだけど。
2004年09月27日
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多少辛辣かもしれないけれど、思うこと。それは「肌の色も目の色も違うけどみんな仲良く暮らしていけるわ!」的考え方がある程度、実践されたときの問題点。うそ臭さ。私は去年一年、通っていた大学院を休学して1、 うちに帰り、2、 韓国に語学留学し、3、 韓国で出会ったAの出身地で期限付き同棲をして、この8月末、また大学院に通いだした。その大学院がある街は、「いいところだねぇ。私もそこに住みたいわ」って言われることが良くあるのだけれど、私は個人的に結構嫌いだ。一年休学したのにはいろんな理由があるけれど、第一に韓国に語学留学するなら一番適した時期だ、と思ったことと(その時点で学校で2年修了してて、しかも1年目と2年目の間の夏に韓国に留学した)当時住んでいた、大学院のある街からできるだけ早く逃げ出したい、と言う気持ちも手伝っていた。どうしてそんなに嫌いかと言うと、西海岸びいきの人によくある、「東海岸はみんな気取っててやんなっちゃう」という態度に満ち満ちていたり、「ここは文化的には都会並みだけど、雰囲気は小さな町のよう」と自分の町に対する誇大妄想を抱いている人が大勢いたり、「私たちはマルチ・エスニックなの」と言っては、チョップスティックス(=お箸)が使えたり、スーシ(=刺身とお寿司→生魚の代名詞にも使われる)が食べられたり、カレー(インドの)が大好物であったり、チベット出身の「お友達」がいたり、インドを「放浪」したことがあったり、いろんな肌の色の「お友達」とお付き合いがあることを自慢する人がありふれてるからだ。韓国と日本の関係についての話をしていたら、多分韓国語もまともに話せないチェミキョッポやのほほんと日本で育った日本人なんかよりも近代韓国史に興味を持っている院生のほうがよっぽどしっかりした意見を持ってるかも知れないのに、(肌の色に関わらず)まだ「私のコリアンの友達によるとね(コリアン=多くはコリアン・アメリカン)・・・」と言ったほうが信憑性があったりする。おかしい・・・と思う。インドを放浪したことがあって、インドの文化がどれだけ「素晴らしい」かを知っているから「インド人やアジア人に対しての変な執着心はない」と言い切る、それでも「アジア人の彼女がほしい~」と言う人もいっぱいいる。あの・・・、だ。見かけ的には「多文化」っぽく見えても、それは肌の色や目の色の多様さに安心してるだけではなかろうか、と思う。どんなにいろんな色の何があろうと、文化的に「アメリカ」だろうが「西海岸」だろうがに染まっていてしまっては、頭の中や信じてることは結構みんな一緒で違う部分は「見かけだけ」という状態。そんな中で「多文化」なんて存在しない。それは見かけが「多様」なだけ。見かけとか、食べ物とか、違っても危機感を感じなくてすむ部分だけを拾い集めて「多文化博物館」を開催してるだけ。そういうところでは、思想的な違いとかで衝突が起きるはずもない。衝突につながるかもしれない「危険な」違いはもう抹消されてるから。そんなの嘘だ、と思う。一方で、見掛けに関わりなく誰でも受け入れられる、という点はいいけれど、ある一方で、思想的な、本当の意味での違いは捨てることを暗に期待されるところは大嫌いだ。「都合が悪いから」そういう中で見かけるのは、本当に自分と全く違う世界観が存在する人を消化できない態度。これはある程度の「田舎」出身者には共通することかもしれないけれど、私が余計性質が悪い、と思うのは、「見かけ的には多文化なところ」に漬かってしまった人の場合、「この人は本当に僕とは考え方が違うんだな」って納得するのに時間がかかり過ぎるような気がする。ひどい場合には最後まで全く気づかないでそのまんま。その街ができた当初って言うのは、確かにいろんな「越境カップル」は非常に暮らしにくかった。そういう人たちが安心して暮らせるところは必要だったし、今でもその必要性は否めない。でも、それを「私たちの多分化性を祝う」(直訳的でごめん!)に置き換えるのは違うような気がするよ。
2004年09月26日
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この間、日記のコメントでスルッと、「私の『ばら色』人生とはちょっとちょっと変わってるかもしれない・・・」と口(指?)を滑らせてしまいました。それに、「なになに?聞きたい」と言うリクエスト。考えてみたらそんなに変わってなかった・・・。でも、一応書いておきますわ。もちろん、生きがいがないとだめなんですが。この『生きがい』の内容ってのが、好きで大切に思える家族・友人と意思疎通がうまく行っている適度に忙しい社会に何か貢献しているか将来貢献する可能性のあることに関わっているという三本立てかな?結構重要視してるもの順だったりする。ちょっと意外と思われるかもしれないところの点にクローズアップ。「好きで大切に思える人たち」とのコミュニケーションはいつも必要。でも恋人とかそういう人はいなくても別にかまわないんですよねぇ。要は、お互い好きでその思いのたけが通じ合っていれば私はそれで満足。で、その「好き」の相手は恋愛相手でも友達相手でも何でもいい。(その間のいろんな形やそれぞれの変形もいろいろあると思うし。)で、「適度」に忙しい。これは私にとっては、一日中何かしらすることがあってちょっと食事をする時間もなくなるぐらい忙しくなるってのが理想的。ワーカーホリック的な発言しております。「暇」と感じる時間が3日間以上続くと、または人を見ない、または全く接触しない時間が3時間以上続くととっても淋しくなるし、虫の居所がとっても悪くなる。というわけで「一人の時間」とかあまり必要ないなぁ。寝るときなんてどうせ一人じゃん、的態度だ。ってそんな感じ。やっぱり表面上はなんてことないなぁ。ちょっとストイックな「ばら色」観かもしれないけれど。それはあまり「夢のような」世界に興味がないからで。私はとことんまで今住んでるこの世の中、ここにいる人たちにしか興味がない。あまり「夢の」世界とかそれ以外の世に興味がもてない。なんだかだんだん自分が「現世」にしか興味のない(想像の世界で自分を遊ばせることのできない)つまらない人間に思えてきたのでここらへんで打ち切っときますわ。
2004年09月24日
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2年前の夏に韓国に語学留学していたときに3泊4日の短い旅では会ったけれど、両親がそろって遊びにきてくれたことがある。で、そのときに連れて行った徳寿宮(トクスグン)で深~く印象に残る経験をした。おみやげ屋さんで何かしら買おうとしていた母。でも母は何度か韓国に行ったことがあるにも関わらず韓国語を一言も話せない。英語で話したほうがいいのか、日本語で話したほうがいいのか、判断しかねていたのだが、実は簡単な日本語のほうが簡単な英語よりも通じやすい、ということに気づき始めていた。でも、母を見ると、みんな一様に「イングリッシ、オーケー」と言うから、とりあえずは英語で話してみる。でも、てんで通じない。そこで日本語に変えてみても、やっぱりなかなか通じない。(笑)ようは、身振り手振りが一番早いんだけど、日本語を伴ったのが一番効率よかったりとかするのね。(笑)とにかく、そんな悪戦苦闘してるのを「手伝おうか?」と言っても、「大丈夫。一人でも何とかなる」とか言うから、ほっとこうとするんだけど、それもなかなか難しい。それで私たちが日本語や英語で談義したり、私が使えない韓国語でなんとかこちらの意思を伝えようとしていたりとにかくなんだか結構支離滅裂な情景を繰り広げていたかもしれない。そこでスラッとした年配の紳士の登場。こんな母と私に話し掛けてきて、手伝ってくれようとする。でもその頃には用事(=買い物:そもそもそんなに込み入ったことではないし。笑)もすむところだったので、丁重にお断り。でも、私たちの会話を結構遠くから聞きつけていたらしい。「日本語できますか?」と聞かれ、「はい」と。母も日本語が話せるのはなぜかと問われ、まあ、日本に長年住んでいるし、仕事が仕事なのでと説明した。それでどうしてここにいるのか聞かれたので「韓国語を勉強しに来ました」と言ったら、「どうして」と聞かれ、特に理由はないことを説明した。ある程度以上の年齢の韓国人にはどうして日本語を知っているのかを聞くのははばかれるのだけれど、どうも話がそっち方向に流れてたので、どうして日本語を知っているのかを聞いてみて、「あの、やっぱり学校とかで教えられたからですか・・・」と尻すぼみの声で聞いたら、突然、目をウルウルさせながらもニコニコしながら「僕は昔、日本に留学してたんです。大学時代はすごく楽しかった。とても仲の良かった日本人の同級生もいましたよ。」と打ち明けた。なんだか誇らしげだった。(まあ、当時の朝鮮から日本に留学できたのは一握りのエリートだったわけだから誇らしげになる理由もあるってわけだけど。)そして、私に向かって「あなたが韓国語を習っているのは素晴らしいことです。しっかり習うんですよ。がんばりなさい」と励まされ、何ともいえない情熱的かつウルウルお目々で見つめられ、「期待されてる」「私に何かを見出している」と感じたのでした。あんな目で見られたのは後にも先にもその人一人だった。つい最近までは。何なんでしょうね、あの情熱的な目。大きな希望を託しているような視線なんです。暖かくて、包容力があって、優しい。でもそれなりの厳しさも潜んでいる目。ああいう目線には本能的に応えたくなってしまいます。「任せて!あなたが私に託した夢をしっかりと成し遂げましょう!」って。でも内容がわかってないんじゃどうしようもないってば。(笑)
2004年09月23日
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注:これは愚痴もいいところ。あまりこういうのを読みたくない人は次の日の日記にスキップ!!そっちは心温まる話だと思います。人の話が聞けない、または理解できない人っていますねぇ、いっぱい。そんな人とゼミという濃厚に付き合わなきゃいけない環境にいるというのははっきり言って辛い。嫌だ。い・や・だ。この間、19世紀末から20世紀はじめの大韓帝国(現・韓国・朝鮮)についての授業で非常に面白いことが話題にのぼりました。それは(私も知らなかったんだけど)韓国人によく見られる中国に対する偏見はどこから来てるか、を歴史的に示してくれる箇所。ある歴史学者によると、多くの韓国人に見られる中国に対する偏見はこの時代、「文明開化」の名のもと、日本や欧米の「文明国」に追いつけ追い越せをやっていた時代に同時にそれまでの国同士の関係観がひっくり返っちゃったことに起因してるらしい。それまでは韓国や日本も含めた中国周辺の国々は「中国さまさま」と何百年にも渡ってやっていた。だから、その時々の中国の皇帝が「天子」で自国の王様よりもエラい人とみなされていたのが、イギリスや日本との度重なる戦争と敗北とでどんどん国力や世界的地位が落ちていくように見え、逆にいつの間にか、それまで何様でもなかった「日本」という近所の小僧がのし上がってきた。お隣の中国がいろんな国に何度となく乗っ取られそうになるのを見てる大韓帝国は「どうしたらその運命を逃れられるか・・・」と思索し始める。その一環として、それまで「中国さまさま」で通してた華僑主義を一転させなきゃならなかった。加えて日本の「私が一番エライ。私が亜細亜(アジア)諸国の光となって諸君を導いてあげよう」と言う言葉と、西洋思想にも通じていた思想や教育機関に頼る上で日本がその頃、打ち出していた「反華僑思想」に影響を受けたであろうことも考えられるし・・・。と言う訳で、前置きが長~くなってしまいましたが、つまりは現代の多くの韓国人にも見られる(らしい)中国に対する偏見は現実に基づいたことよりも思想的なもので、(と言うか、「偏見」というものは定義からしてそうですね。)その考えが歴史的にいつ出てきたものなのかが示されていたわけよ。と言うか、その場で話題とされていたのはそこ。ポイントはぁ~、しつこく繰り返すようですが、中国に対する偏見は「偏見」であってそれがいつ頃、どのように台頭してきたかを私たちは話し合っていた。そこで出た、H子のビックリ発言。「ああ~、これってわかるぅ~。私、前に中国系アメリカ人の彼氏がいたんだけどね、その人に『どうして韓国人は中国人を見下すんだ?』って聞かれてぇ~。その人は中国の歴史も勉強した人だったから・・・。でもね、中国史って言っても、古代史のほうを勉強した人だったのね。だからさ、近代の中国の、その、情けないっていうかぁ~・・・(ここでちょっと口ごもる)って言うか、そういう部分の中国を知らないわけでしょ?だからぁ~・・・」っつ~かっっっっ!!!!!(激怒)今、あんたの言ったようなこと自体の「偏見的発言」の源についてたった今お勉強していたんですけどっっっ!!!あなたのお耳は一体どこについてるの???状態。ゼミには中国人の子も2人いて、その人たちの前でそういう「近・現代の中国は偏見されるに値する」みたいなことを言ったってことも信じられなくて(口ごもって「言うのも悪いけど」的態度を見せるのは不十分もいいところ)マジで人格を疑った。ここでここまで激怒したのには他にもいろいろあるからなんだけど。でも、そんなことに労力を割くのはもったいないと思うので、H子の話題はここで終わりにしようと思う。ああぁぁ~、胸クソ悪い!!
2004年09月22日
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だめ。もう我慢できない。本当は明日の授業のリーディングを終えてから何か書こうと思ってた。でも書きたいことがどんどん出てきて、もう我慢できないのね。いろんなものを読んでることでなんかこう脳が刺激されちゃったりとかしてるし。読んでばっかりで何も書かずにいるのも辛い。で、今週末ある瞬間ひらめいたこと。それは人間のアイデンティティーって記憶に基づいているのでは、ってことだ。ほら、個人個人ってどうやって判別するわけ?って永遠の問いかけ(?)があったりするわけじゃないですか。人って、ひょんなことで見かけが全然違っちゃったり、成長していく上で見かけも考え方とかもどんどん変わっていってっちゃうわけでしょ?そしたらその人がまだ「同じ」人間であるかどうかはどうしてわかるわけ?と思う。他人から見た場合でも、自分から見た場合でも。そしたらそれはやっぱり「思い出」とか「記憶」かな、と。自分だったら、「過去の自分」(やったこととか感じたことや考えたこと)の記憶が「自分は誰々だ」っていう確信とつながっていると思う。だから記憶喪失になって過去の自分が全く思い出せないと「自分」という存在がつかみきれなくて辛いのだろうだろうし。(あ~、そんな簡単なものじゃないとは思うけど。)そして他人が自分を「自分」だとわかって(=認識して)くれるのは「自分」にまつわる記憶を持っているから。と思ったら、そうか、アイデンティティーとか自己認識とかって「記憶」がカギなのね。と一人で納得。「記憶」と個人や共同体に関する本はいろいろあるけれど、(そしてそれを結構読んでたりする自分は絶対にそれにかなり影響を受けてるけど。笑)やっぱりそれが「自分のもの」になったときの感覚は違うわ、うん。なんか、アイデアを頭で考えて理解するのと自分で身を持って実感するのって全く違うんだよねぇ。その感覚のギャップが面白くていろいろなアイデアを突き詰めて考えるのがやめられない・・・ってところもあったりする。
2004年09月20日
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久しぶりにいろいろと書き溜めていたものをアップしてみました。全部日記のほうに収録したので、どうぞごらんくださいませ。何でこんなに時間が空いてしまったか、簡単に。実はですねぇ~、先週の初めにA訪問から帰ってきたときにルームメートBに知らされたのは、1) トイレが完全に壊れちゃったよ~2) ネット回線の差し込むところを友達が壊しちゃったとの二件。トイレは次の日の晩に早速直してもらったから良かったんだけど、ネット回線の接続ものがねぇ、また注文しなきゃならなくて結構何日かかかっちゃったのよねぇ。それでその間に書き溜めておいたものがあり・・・。今日はそれをアップしてみました。といっても・・・、また明日からしばらくネット接続できない状態に逆戻りしてしまうのだけど・・・。それに授業も8月末に再開してしまい、修士論文もまだ終わってないのに何やってるんだろ、私・・・とちょっと焦り気味。ううう~~~。精神状態向上対策として今日はうちに帰って速攻、Bの健康器具にまたがりエネルギーを発散してみました。おわり。
2004年09月15日
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どうして性的対象に見られやすい、という印象を持つのか。高校生のころ、いろんなことがあって、私は主に性的対象としてしか見られてないんじゃないか、と感じるようになりました。女だったら誰でもそう感じるものだ、と反論されたこともある。特に高校生のころなんて、ホルモンが過剰に生成されてて馬鹿な男子校生はそれをどういう風に消化すれば良いのかわかってないんだから、となだめられたこともある。確かに女性(だけ)を主に性的対象としてみる風潮は強い。でもそれだけではないと思う。結構、何人かの男子生徒が私と何らかの性体験することを求めるような素振りを見せてきた割には、私と付き合いたがるような人や私を好きそうな素振りを見せるような人はほとんど現れませんでした。(それどころか、私と付き合いたがった人は一人も現れず、私を好きになってくれた人は中学・高校を通じて一人のみ。)高校生のころに最初に付き合ったのは部活の先輩だと前に書いたけど、そのころ、その先輩が私に好印象を与えた理由のひとつにその人は私に普通に優しくはするけれど、別に私を他の人と違って見たり、特別扱いしてるような素振りはしなかったことがありました。「ちょっと違う」ぐらいの意識はあったと思うけど、別に、だから「軽そう」とか「ヤレせてくれそう」とかそういう偏見を持って私を見てなかった。そして実際付き合ったときには、私をすごくすごく大切にしてくれました。別に相手を「落とす」ことが好きだから一見私に興味を持ってなさそうだったのが良かったのではなくて、見かけだけで私に対して妙な先入観を持たないのだったら、私を好きになってくれれば、それは私の内面を認めてくれてるから、と先輩の動機が信用できるような気がしたからです。外見が理由でチヤホヤするような人は信用できない。それは、自分が相手の先入観とは異なったことをしたら、その事実を無視されるか、それを理由に手のひらを返すように態度が豹変するから。ってこんなこと、当然かもしれないけれど、それが自分の性格や生い立ちや、自分ではどうしようもできないことでそうされたらどう感じるか。「ハーフなの?じゃあ、英語できるよね?!」「うん・・・」「うわぁ~、すごいねぇ~」は「ハーフなの?じゃあ、英語できるよね?!」「えっ、僕、日本語しか知らない・・・」「え~、うそぉ~、なんだぁ~、つまんな~い。行こ。」の裏返し。と同時に、「英語の得点が高いのは当たり前じゃん。」(国語の得点も高かったのは無視。)の態度ともよく組み合わされる。そのときに感じる屈辱感はプライドの高い人ほどすさまじいのかもしれない。でも、ここまで傷つきやすい心を持っていて自分に誇りが持てない人だったら、私は今までにすでに打ちのめされて心身ともにボロボロになっていたと思う。そう考えると、私は自分の自信の強さに救われてきたかもしれないとも思う。そして、その自信は親や幼いころに出会った大人や友人たちの助けを借りてすくすくと育てられたものだとも思う。だから今でも家族や(想像の中だけでも)幼なじみやニューヨークで出会った友人たちに対する依存心が強い。グループとして、まとまりのある人間の集団として私のことを偏見を持って見ない人たちが、そこにだけ存在する。心の拠り所はそこです。その人たちと一緒にいるときは新しい人と会うたびに構えなくていい。馬鹿なことを言う人がいたら、その人たちが私の周りにバリケードを張ってくれる。私が一人でがんばらなくていい。自分でいていい、居心地のいい場所がその人たちのいるところにはあるから。
2004年09月14日
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今までに付き合ったり、マジで好きになった人たちを一列に並べてみたら、外見に一貫性は全然ないと思う。好み的には(アメリカの基準でいけば)ヒョロッとしてて、適度に筋肉がついている体が好き。でもそれって多分日本の基準で行けば、まあまあ筋肉がついている体、ってことになるのだと思う。でも、そうでない人とも付き合ったことはあるし、要は健康ならばそれでいい。私にとって関係ないものを列挙していけば、肌の色。唇の厚さ。背の高さ。(確かに高いほうが見栄えはするけれどねぇ・・・)髪の毛の色。目の色。車の種類。(車が必要なところにすんでいたら、持ってるだけでも上出来でしょう。)で、今まで付き合った人たちの共通点とは何だろう?(見かけは本当にみんなマチマチ。)と、この間Aにボソッとつぶやいてみてハッとした。みんな、とっても優しいのだ。もちろん、失敗をしそうになったこともあったけれど・・・。(優しくない人と付き合いそうになったことがあるってことね。)私にはみんなとっても優しかった。要は、Aに話すような「良い思い出」になってるような人たちはみんなとてつもなく優しかった。私は優しくされるが好きらしい。面倒見てもらいたいのだ。甘えんぼ。意外かなぁ?「やっぱり」って感じかなぁ?それと、私にとってかなり重大なのが見かけを元に私に興味を表さない人。私は一目ぼれ、とかって信用できない、とどこかで思ってるかもしれない。Aはそういう意味で、話せば話すほど私に興味を覚えていく様子がわかって、嬉しかった。見かけでなくて、私と話をすることによって私に惹かれていったらしいのがすごく嬉しかった。Aも今まで付き合った人を一列に並べたら見かけに一貫性はないらしい。好みのタイプ、と言うのもあまりはっきりしてないらしい。付き合ってる当時の人が「好みのタイプ」なんだって。本当にいいやつだよね。
2004年09月13日
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私、デートコースとか、そういうのに気をとられるのはつまらないと思っていた。基本的には相手が面白いかどうかであって、いる場所とかは特別不愉快な場所とかでない限りどこでもいいじゃん、と思っていた。デートスポットとか、人気のデートコースを気にするとかって単にほかの人がやっていることをしたい、とかお金をかけることで相手に対する思いやりを表明してるようなだけって感じであまり好きじゃなかった。今でも分相応以上にお金をかけた贈り物は好まない。かわいそうにAはそれでせっかく私の誕生日に奮発をしてくれたのに奮発をしたがために余計私を怒らせる、という目にあった。(私って付き合いづらい人だろうな、と感じる一瞬。笑)Aと付き合いだして変わったところはいっぱいあるけど、特に自分で驚いた変化と言うのはデートするのに良さそうなところを気にかけるようになったこと。Aと一緒にいたり、ほかの人と会っていたり、一人でどっかに行ったときにふと、「あ、きれいだな。」「あ、雰囲気良いな。」と思ったら、Aにも「見せたい」Aも「連れて来たい」「Aと一緒にまた来たい」「ここでAとデートしたい!」と思うようになった。それも、別に付き合いだしてすぐそうなったのではなくて、付き合い始めて、一緒に暮らし出して何ヶ月かしてからそうなった。その前は単に一緒にいたい、今、傍にいてほしい、という欲求しか感じなかった。場所なんかどうでも良くて、とりあえず傍にいてほしい、という欲求。寂しがりの私は側にいてくれる人が現れるとどういう関係にあるかに関わらず、こう感じる。いったい私の中でどういう変化がおきたのかは知らないけれど・・・。こういう今まで経験したことのないような感情を持つようになるっていうのはなかなか新鮮で面白いものですね。あまり恋愛とかに関してロマンチックになるタイプではないので、(愛情はたっぷり注ぐけど、言うことも考えることも恐ろしく現実的だと思う。)私の中にもそういうロマンチックな側面があったのかと驚くばかり。そして、楽しい。そういう心の変化がおきて、離れているときをも楽しめるような余裕もできました。「今度会うときはあそこの景色を見せよう」「今度は~に一緒に行こう」と、会えない淋しさよりも今度会ったときにすることへの期待に心が傾くから。
2004年09月12日
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辛いものが極端に苦手だったと言うA。いまや、そんなこと、どこ見る影。作るものの90%以上に唐辛子とにんにくが入ってるという徹底振り。でも韓国に着いた当初、辛いものが食べられないために苦労して、徐々に自分を辛いものに慣らさせたんだって。笑ってしまいながらも「すっげ~」と思った。そこまで努力するってことに。なんだかね、自分で料理するときでも、外食するときでも我慢できるギリギリのところまで唐辛子やコチュジャンを入れて、その量を徐々に増やしていったらしい。そして、韓国で辛いもの好きになったAは今まで辛すぎたために食べられなかったメキシコや南米料理に挑戦したい・・・と思いつめるようになり・・・。こないだ、なんともおいしいびっくり料理を披露してくれた。さて、唐辛子を使うことで有名な伝統料理としては、もちろん韓国料理。そしてメキシコ料理。Aがキムチ作りに挑戦したことはもう書いたけど、Aがパスタ・マニアだとはまだ言ってなかったかもしれない。お店でおいしそうなものを買って、それをもとにいろいろと組み合わせて作ったくれたんだけど、その料理の「名前はまだない。」(出典わかる~??)まあ、一応「メキシカン・ラザニア」「モレ・パスタ」「モレ・グラタン」「メキシカン・グラタン」等々、いろいろ考えてみました。でも呼称はどうでもいい。見かけはラザニア風。で、材料もかぶるところはある。でも、味も主原料もまったく違う。と、いうわけで、間単に作り方だけ。鍵になる材料はモレ(Molé)というメキシコのピリカラ・ココアソースです。要はラザニア麺を一箱ゆでて、ラザニアを作る要領で具の間にしく。ここからは具の説明だけ。私、部屋の整理をしていて作っているところをちゃんと見ていたわけではないので本当におおまかな説明だけど・・・。具・一は、ズッキーニとたまねぎとわけぎをにんにくと唐辛子とオリーブ油で炒めたものだった模様。オリーブ油はきっとたっぷり使ったんであろうと思う。玉ねぎがきれいに透き通っていたから。具・二は、ちょっと固めの豆腐一丁をぼろぼろにほぐしてモレ・ソース一瓶をぶっ掛けたもの。一瓶は多分500グラムぐらいのもの。(豆腐は、もしかしたらちょっと炒めて水気を少し飛ばしてあったかもしれない。)あれ、そういえば、どこかで卵をほぐして、具に混ぜてボリュームを出してたはず!でもそれがどっちの具に入っていたかは不明だわ・・・。ズッキーニのほうかな・・・。そしてトッピングは、チーズの上にトマトを軽く炒めたトマトソースとトマト炒めの中間のようなものをのせたもの。で、これをオーブンでこんがりするまで焼く。すると、ピリッとしたおいしいパスタ料理のできあがり!モレの作り方がのってるサイトを一応見つけたは見つけたのだけど、モレの存在をわずか何年か前に小耳にはさんだ程度で、数日前に初めて食べた身としてはちょっと圧倒されるサイトでした。なんだか、こんな大変そうなものを作る気力は今の私にはない。というわけで、サイトのリンクをコピペしてAに転送!!その気になれば、凝り性のAが全てをいちから作ってまたあのおいしいモレ・ラザニアを作ってくれるかもしれない!!!(そして付け合せはキムチかしら??)と期待に胸を膨らませながら・・・。今週末はまた何かおいしいものを作ってくれるかな??くれるかな??(ジュルルルル・・・)完全に餌付けされてるよ、わたし。
2004年09月02日
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うちのお父さんが昔、南端の田舎に住んでいたときにしてたことです。って、別にペットとして飼ったりしてたわけでなくて、戦後の日本で極貧生活を送っていた家族の大切な収入源だったらしい。そのおかげでお父さんは今も豚好き。そしてトンカツも好き。(もちろん食べるのが。)ここらへん、矛盾しとらんか??と思ったりもするのだけれど、動物が好き!と言いつつも、ペットを飼ったり、飼いたがったりする立場にいる私としては、ペットを飼うと言うことは、人間側がどんなに良心的であろうとしても、結局動物のほうにしてみたら、自由を拘束されたり自分の家族や仲間と引き離されるだけの結果になるという場合が多いことを考えると、動物のことも思いやって、と口では言ってても限りはあり、いろんな矛盾を抱えながら生きているってことが生きている、ってことだから、ということで冗談以外では突っ込んだりしません。で、お父さんの話しに戻ると。豚は一頭ずつしか買わなかったらしい。 豚を買ってきては、育てて卸業者に売ってたらしい。養豚業が主な収入源でもなかったので、ちょっと脇でやってたぐらい。小さい畑も耕してたと聞くし、(そのころなら誰でもそういうことはやってたらしいけど)まあ、今風に言えば、小規模な兼業農家だったのかなぁ?戦後の貧しいころだから、みんなできることは何でもやってたんだろうね。で、家のお父さん家の場合は豚を飼うこともそれに入っていた。昔は食べ物もなかなかなくっていつもひもじい思いをしてた・・・って親戚で集まるたんびにお父さんやおばさんたちはいつも言ってるから自分の家で殺して食料にすることはしなかったの?と聞いてみたら、冷蔵庫がなかったし、みんなですぐに食べきれる量ではないから、それはしなかったなぁだって。そっか。確かに切り分けてちょびちょび食べるって言うのは、冷凍庫や冷蔵庫がなかったりしたら無理だなぁ、だから伝統的には大きい動物(牛とか豚とか)まるまる一頭殺しては大晩餐会だったんだ、と思い当たった。ふぅ~ん。豚を育ててると言っても、豚を入れておく小屋なんかもお父さんとおじいちゃんが一緒に建てた掘っ立て小屋。豚も大きくなってくるとブヒブヒ言っては鼻面で出入り口の部分を押してそのうちそれが功を奏して逃げ出すらしい。それを「ああ~~~」と言って追いかける少年のころのお父さんとまだ中年のおじさんだったおじいちゃん。「一生懸命に追いかけてるとさぁ、豚も太ってるからね、疲れてきて逃げ足が遅くなるし、そのうちその場でドゥッと倒れるちゃうんだよねぇ。それでさ、追いついてみるとフゥフゥハァハァ息してるんだよ。それでさ、「悪い奴だ」と思いはするんだけどさぁ、かわいくてね。ヨッコラセと押して立ち上がらせて、一緒に家に帰るわけ。鼻面で押した壊したところはトンカチでトントンやって直してね。定期的に脱走するんだけど、あっちも逃げるのがお仕事。こっちも追いかけるのがお仕事。って感じだったなぁ」ニコニコしながら話すお父さん。今でも豚を見かけると嬉しがってそばに行っては、なでたがる。なんかブヒブヒ言ってたりすることもある・・・。あれ??
2004年09月01日
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