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「わたし、小説家か何かになろうかなぁ~」と何気なく発した言葉に父がちょっと苦い顔をした。言い難そうに、「う~ん・・・小説家は止めたほうがいいんじゃないか・・・」と、ちょっと申し訳なさそう(?)に言う。(そりゃそうだろう、小説、自分でも昔からよく読んでる人だから。)何だかもうちょっと問い詰めてみたら、「小説家とかモノ書きってのは、自分の周りを食い物にする職業だよ。」だって。まあ、確かにそうだ。実際に自分の身の回りに起きたことをネタにしたら自然とそれに関った、自分と関係のある人の話も出てきちゃうし、もしフィクションを書いたとしてもやっぱりアイデアは自分の周りの人から得る場合が多いでしょう。特に、日本の文学批評のトレンドを見たりとかしていると、別に執筆者の実生活に直接関係ないかも知れないのに、とにかく何でもかんでも筆者の周りの実在の人物や所在との相関関係を探りたがる。そしてそれを基に小説なりを読み解こうとする。ってぇか、それって娯楽性や芸術性という想像の産物、という小説やいろんな「読み物」の特徴を思いっきり無視したやり方だ。でも、実際そういう解釈の仕方が主流。だから、どっかの小説家が何か自分の身の回りの事や人にヒントを得て何かを書いたりとかしたら、それは即、イコールその人・事柄になってしまう。まあ、三島由紀夫の「宴の後」裁判なんかもあるとおり、何でもフィクション、というカバーの元、書いたって許される、ってものじゃないのだけれど。実際、私だってこのオンライン日記でいろいろ書く時には自分の身の回りに起ったことを話題にするし、人のことも話題に出す時はその人のことをも、いわば「食いモノ」にしてるわけだ。今、ここでも父とのやり取りを元に日記を一日分完成させたかと思うと、これも立派に父(の発言を通して、父)を食いモノにした例。もちろん、この日記が事実に基づいてる、と仮定すればの話ですが。
2004年03月21日
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父に続き、同じ時間の、同じ航空会社の飛行機でソウルに到着した、かぐや母。ついた早々、前日に私の財布喪失事件のことを聞いていただけあって、早速お金やら財布の心配やら、とっても親らしい心配をしてくれる。私はどうせ、一週間もしないうちにアメリカ財布に変わるわけだし、韓国財布はしばらく用無しになるわけだから、ちょっと不便だけど、その間の親やAからのお恵みマネーは服のポケットにでも入れておくかな?といつも通りずぼらなことを考えていたら、しっかり母に、「だめじゃない、そんなことじゃ」とお叱りを受け、「財布ぐらい買ってあげるから」と、財布ショッピングに行ってまいりました。しかもお金も「大移動をする前なのにお金が足りなかったら不安でしょ」と言って、十分くれた。ありがたいこってい、ほんとに。今度このお金と財布も無くしたら、もう顔向けできん、と思いつつもありがたく頂いた。何だか、「お金、いくらぐらい必要なの?かぐやにも困らないぐらいあげたいんだけど、僕もあまりなくなっちゃうと困るからねぇ」と言って、親子なのに、何だか友達同士みたいに、二人でお金をギリギリ山分けしてたのとは全然違う。やっぱり頼りになるなぁ、母。父もちょっとは見習ってください!!(笑)
2004年03月18日
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今日は父が出張がてらソウルに来る日。説明できないもやもやを胸に秘めつつ、大手振って学校の授業をさぼれる理由にニヤニヤしつつ、父に久しぶりに会えるわくわくに胸をいっぱいにしつつ、行きました、父を迎えに。そしたらぁさぁ、どうゆうこったい。毎度のごとく、かぐや父、「ああ、僕さぁ、向こうの空港を出る時にさぁコート忘れちゃったんだよねぇ。」ってぇかさぁ、いいんだけど、私も人のこと言えないし・・・。何を隠そう、私もそうやって父を迎えに行ってる間に財布を・・・。一体、盗まれたのか単に落としただけなのかわかんないんだけどね。とにかく今、その財布は手元にない。幸い、クレジットカード類は全部速攻止めたけど。でもその時にみんな一応、「誰かが使おうとした形跡はありませんね」って言ってくれた。ありがたい。で、考えてみたら財布の中身なんて、運転免許証とか、クレジットカードとか、銀行カードとか、とにかく無い間は不便だけど、結構すぐに代わりがあるもんなんだ、と喜んだんだけど。実は後日食事とかしに行ったときに、いろんなお店のクーポンとかお得意様カードとかってあるじゃない?ああいうのがことごとく入っていて、そういうのは全く取り返しがつかないことに気づいた時にちょっと愕然とした。でもね、卒論があと一ヵ月後に提出締め切り、な~んて大変な時にコンピューターを盗まれた経験もあるこのかぐや、(その時の超遠距離からの迅速なるフォローありがとう、父さん母さん。)そんなことぐらいじゃめげません。気付いたら財布がなくなってた、なぁんておとぼけなことをした時にはさすがにかぐや父に「立派な遺伝子ありがとう」と嫌味なことを言って、父の気持ちをちくちくさせるクセは、でも辞めたほうがいいかも。ごめん、かぐや父。忘れっぽさとか、うっかりさは遺伝するものでないことぐらい知ってます・・・。(2004/03/22執筆)
2004年03月17日
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良い授業の要素とは先生だけにかかっていない。その授業に参加している学生・生徒にも良い授業の雰囲気を作り上げる責任はある。そしてその責任は(当然だと思うけれども)学生の年齢が高さに比例して重くなっていく。一般的には大学の現場では、働いたことのあるいわゆる社会人学生のほうが好かれる傾向があるらしい。これが何でかと言うと、一般的には 社会人学生の方が何で授業を受けているのか、という目的意識がはっきりしているから自然と授業というものに対する責任感が強く、宿題もちゃんとやってくる、授業に積極的に参加する姿勢も出来上がってるから、という理由らしい。もちろんこれも単なるステレオタイプに過ぎなくて、高校・予備校から直接大学に進学した人はいい加減、というステレオタイプ同様、実際はそうでない場合も多々あることは百も承知。でも、この社会人学生が好かれる理由と言うのには、他にもあるのでは・・・。それはもしかして先生を「先生」としてだけでなく、「先生」と呼ばれる教職についている人、という意識をも持って向き合うことが多いからかも知れない。私は、授業を良くするのも悪くするのも授業に参加している自分にも責任があると思ってる。だから自分のいる授業では(特に人数が少ないければ少ないほど)先生と協力して良い雰囲気を作り上げる努力をそれなりにはする。もちろん私は一人の学生に過ぎず、全て一人でこなしている先生に比べると努力度は落ちると思うけど。(というか、単純に計算してみても、雰囲気の10分の1かそれ以下の影響力しか持たない学生側である私の努力度が先生の努力度を上回ってたりしたら話にならない。)そこで、私の授業に参加する際のこころがまえ:一、 先生も人間。私も人間。で、以下は実はその前提から派生しただけのものなんだけど・・・。1、先生だってひどいことを言われたりされたりしたら傷つく。2、先生にだって好き嫌いはある。他の人同様、個人や家庭の事情、というものもある。3、先生とだって、人間対人間の付き合いである限り、相性というものはある。4、先生だって前に立っていろいろと教えていたら緊張するだろうし、反応がなかったらどう思ったらいいかわからないかもしれない。というか、多分学生にいい反応をしてもらったほうが安心して、ますます長所があらわれるだろう。5、先生にだって長所・短所・教え方のクセ、と言うものはある。ある一定の水準を越えているのだったら、後はそれを上手く見定めて自分の勉強法に一番合う方法を模索する。と、いう感じ。目に見えない、自分に言い聞かせてる心構えは1、2、3番。そして、一番意識して先生にわかりやすくアピールするようにしているのが4番。「授業中の良い反応」とは?まずは先生の話を集中して聞く姿勢をアピールする。それには普通に先生の方を向いて、一生懸命聞いてる姿を見せるか、(そこにただ座るのではなくて、ちゃんと先生のほうを向いて、先生の言うことに表情、またはあいづちを打つことで反応する)一生懸命ノートを取ったりしてる姿を見せる(ノートは先生の話してるタイミングに合わせて取るようにする。先生が間を置いたり、学生に質問したりしてるのにそれに反応しないと、ノートと授業内容が必ずしも一致して内容に見えたりする)のが一番効果的でしょう。私は、つまらない授業でも先生がまだ実力を発揮できてないだけかも知れない、と思ったら実はつまらなくてもこういう姿は一応、アピールしてみる。別に頭の中ではたまに別のことを考えていたり、ノートにちょっと違うことを書いていたりとかしても、基本的にはそっちに気を向けていれば基本的には一生懸命聞いているように見えるもの。そうしたほうが先生も安心して、自分の真の実力を発揮できるのでは、と思ってる。もし授業中そういう姿が見せられなくても、授業の後に何でもいいから授業内容に関した質問をするとか(それは前にやった部分のことでもその授業に一応関連があればオッケー。)宿題をきっちりきっちり提出するとか、そういうことをすればいいのでは?私はずぼらなので宿題キッチリ派ではない。というか、小学生の頃から、宿題をちゃんとやったことがほとんどない。そういうクセは大学3年生ごろからやっと少しだけ身についてきた。でも、そういうのって本当はすごい苦労する・・・。本当はもうちょっと勤勉なクセをもっと幼少の頃から身につけて置きたかった。とにかく、先生が授業中に言ってることをちゃんと聞いている、という態度はどの方法でもできるだけアピールする。上に述べた方法は全部網羅する必要は全くなし。ただ、注意点と言えば、単に与えられたものをこなしていくだけでは「真面目なのね」とだけ思われる可能性あり。(もちろんそれが好みの先生だっているのだけれど。)それだけでやる気を起してくれる先生ならばいいのだけれど(それが私の理想)、たまにそうでない困ったチャンな先生もいたりする。そういう場合の対策は、授業中に先生の言ってることを聞いてますよ、先生がいるのといないのとじゃあ、違うんです、教科書や参考書だけ見たって結局は先生がいないとダメなんですぅ~、ということをどうにかしてアピールすること。そうすれば先生も自分の授業中の態度における責任感を少し持てるのではないでしょうか・・・。と、まあ、こんなもんなんですがね。別の言い方をすれば、授業は誰かがしてくれるもの(学生側は完全に受身の立場)、という意識は捨てて、授業は先生と学生が共同で作り上げていくもの、という意識になったほうが良いような気がする。やる気のない困ったチャン先生や、教え方のクセが強くてちょっとわかりにくい先生に当たった場合、私はとにかく先生に質問をする。やる気のない先生には、そうすることで私が先生の言うことに耳を傾けてることをアピールする。教え方が私にあまり合ってない先生の場合は、そこで私の好みに合った答え方や教え方をした時に、「先生、その教え方、すごくわかりやすいです。」とか、「私、授業はこういうスタイルのほうが好みだったりするんですよね~。個人的な好みなんですけど。」とか言ってみたりする。(で、そういうことはもちろん授業中でなく、先生と一対一で話しているときに言う。)先生の教え方の嫌なところよりも、好きなところを強調して、ポジティブ・フィードバックをすることで先生が自分の長所をより発揮しやすい環境にすることが、結果的には授業に参加してる人みんなの得になる、と思ってるから。
2004年03月11日
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最近はシャワーを浴びる時はいつもそう。別に悠長に趣味でそういうことをやってるわけじゃないんだけど。こないだAがトイレ兼シャワー室のドアを開けて電気をつけたとたん、パンッ!!って音がして電球が爆裂したんだよね。だからそれ以来、窓も何もないところで何を明かりの元にしてるかというと、ぶっといキャンドルの先でチロチロ燃えてる灯。ところがこれがなかなか風流だったりする。だってシャワーを浴びたりしてる時って別にものがはっきり見えなくてもいいものじゃない?で、普段は上から明かりが射して自分の下にあるものは影になって暗く見える。こう、明かりと影の境が非常にはっきりしているんだよね。ところが元々弱い光しか発さないろうそくの明かりのもとだとどこまでが影でどこまでが明かりなのかがはっきりしない。ろうそくの火の影の下、ってちょっと古典的な表現がぴったり。ある意味全部、影の世界なんだけど。でも影=暗い、見えない、ってわけではない。こういうおぼろげな光って久しぶり。そう言えば、古語では明かり(光)と影、という言葉の使い分けはなくて、全てが「影」とあらわされていたはず・・・。そう考えると、すごく強い明かりの下でしか光と影の差は歴然としないことに気付く。そうか、今のように光と影がいつもいつも違うこと、反対のこととして捉えられようになったのは比較的最近のことなのかな、とも思い出す。それで、今自分の置かれてる状況に話を戻すと、住んでる所のごく限られた一部がそうなわけで、全部がそうなわけではないから別に不便さはそんなに感じない。これもこれでなかなか楽しいな、と思ってしまう。
2004年03月10日
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と、言うわけで、今日は幸せを数えてみます。まずは基本中の基本から。家族に恵まれている。両親には本当に何でも話せる関係にあることがとても嬉しい。小学生の頃から、ある友人に私はちょっと両親、特に母親に対する依存心が高いのでは。もうちょっと自立したほうが良い。とたびたび助言されてはいたけれど、私の性格と環境を考慮すると、私にはそれぐらい何でも話せる関係が必要だったと思う。特に、比較的若い年齢で家を出て、留学をしてしまった私だから、その時までに電話やメールを通じてサポートを得られるような関係が出来上がっていたことには感謝したい。次に、友人に恵まれている。地元の幼なじみ達と未だに定期的に連絡を取り合っていて、日本に帰国するたびに当然のように会う。地元に残った人もそうでない人もだ。他にも今まで住んだ所には、大抵一人は定期的に連絡を取り合う友人がいる。その友人のうちの誰かがたまたま私の住んでいるところに来るようなことがあれば、当然私のところに泊まりに来てもらう。私は対してもてなすタイプじゃなくて、寝床は用意するし、一日に一回は一緒に食事しようね。でも自分の日常生活は変えられないよ。とお客さんをほっとくタイプなのだけれども、その代わり自由時間は全て遊びに来てくれた友人に注ぐ。それにこれは両親の教育方針のおかげでもあるのだけれども、良い教育を受ける機会に恵まれている。そして、良い先生方や人生の先輩にも恵まれてきた。本当に辛いことや悲しいことについては話し出すときりがない。一回書いて自分の中から排出してしまうことは必要だ。一回書いてそれだけで解決するような問題については、結構億面なく日記にも書き込める。でも、解決の糸口が見つからないような、閉塞感に満ちた辛さや悲しみを感じることや深刻な悩みに関しては、自分をさらけ出しすぎているような気持ちになるのもあって、日記欄にかくことはできない。コンテンツページにはアップすることはあるけれども。愚痴もあまり書かないようにしている。ひとつには実生活でもう十分言ってるから。それをさらにまた書いてアップすると、相乗効果でさらにまた実生活で愚痴を言い、周りを不愉快にさせる、と言う悪循環に陥るから。愚痴と言うのは書くのならば徹底的に、または面白おかしく書かないと採用されない・・・じゃなくて単に読む人・書く人の気分を害するブツになる。だから書ける人はすごい、と思う。実は先生シリーズの原動力になったのは学校での担任の先生。教え方がひど過ぎて、授業に出てるとあまりのひどさにいろいろ言い出したくなるのだけれども、それをひとつも言えずに全部内に込めてるものだから、それが原因で頭痛がしたり、ストレスに敏感に反応する左手首がズキンズキンしてくるほどだった。(その原因のひとつには過敏である私の性格ももちろん影響している。)でも、その先生の悪い点は、主任の先生と本人も含め、毎日のように他の人に聞かせていたものだから、この日記にまで書いても仕方がないと思った。ここで書いたからって何が変わるわけでもないし。で、どうしてこんなに教え方のひどい先生にあたったことに憤りを感じるのだろう、と考えてみたら、逆に今まで教え方の素晴らしい先生に何人も会ってきた幸せがあるから余計に辛く感じるのだ、と言うことに気付いた。影は、明るい所がまぶしければまぶしいほど、暗く見えるものだから。だったら、もう既に恵まれてる中での不幸を数えるのではなくて、幸せを数えよう。そしてそれがどうして良かったのかを考えてみよう、と思った。そしたら反応もかなり良くて、余計に幸せな気分に浸れ(「やっぱりすごく恵まれているんだなぁ」)先生の教え方のひどさもあまり気にならなくなった。そしたら、まだ問題は残っているけれども先生もだんだん、教えるということに熱意を持って接するようになってきた。とても嬉しい。と言うわけで、辛い時、頭にきてる時、不安な時、悲しい時ほど、一旦その暗い気持ちや悩みを吐き出したら、一転して自分がどういうふうに恵まれてるか数えられたらいつも笑っていられるんじゃないかな。福の神も暗い顔をして神様の到来を待ってる人よりは、笑ってる人のほうに惹かれると思う。結局、福の神って自分の周りの人の象徴、だという側面もあると思っている。どうしたんでしょう、最近多いです、真面目モード。また大きな引越しをする前なのでワクワクする反面、大好きな韓国を離れるのが名残惜しいのと、大きな変化を迎える不安とが相互に押し寄せてきてるのか・・・。あっ、寝不足も絶対影響してるけど!(笑)とにかく今度はもっと元気な日記を書きたい書きたい!!
2004年03月09日
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英語の記事を某サイトにアップしました。見たい方はトップページの一番右下にあるリンクをクリック!!先生シリーズ、今第三弾を書いてます。2~3日中には書き終えられるはず。今回は矛先が学生・生徒側に向けられる予定。授業の良さってのは先生の力量一つにかかってるわけではないから。でも一応、今週末と来週の頭は期末試験があったりとかするのでその予告もウソになってしまったらゴメンナチャイ。
2004年03月08日
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恋愛と友情が相容れなく、どちらかを選ばなければならない境遇に陥ったことは二回ほどあるが、そのうちの一回は大学を卒業して、新しい街に移り住んで何ヶ月か経ったころ。比較的かわいめで、ノリのまあまあ合う、私と同年代の人、Cと知り合った。でも、それとほぼ同時期(それともちょっと前?)に別の人、Jに出会った。Jはとても優しくて、気遣いが上手で、それまでにそんなに時間を一緒に過ごした相手ではなかったけれど、とてもいい友達になれる予感がした。もしそんなに近しくなれなくても私のほうではすごく好きな人で、できればいい友達になりたかったし、もちろん傷つけたくはなかった。Cはノリも合うし、短期で付き合うにはちょうどお手ごろな相手、という感じ。でもあまり長期的には付き合える感じではなかったし、正直、そんなに長期的に付き合いたい相手だとも思わなかった。JにCのことで探りを入れようとしても、ちょっと様子がおかしいだけであまり詳しくは語ってくれない。過去に何かがあった、とまでは言ってくれるのだが、それ以上はまだ語れないから、と言ってそれ以上は話してくれない。話す機会がどんどん増えていて、この先何かあるかも・・・、でも長期的なものではなくて・・・、と思っていた私にとっては、CとJを秤にかけなくてはいけないのかどうなのか知りたくてならなかった。その「過去の出来事」が今も尾を引きずってることなのかどうなのか知らなければならなかったから。長期的に良い友人でいれる相手と短期間の(擬似)恋愛体験をする相手とどちらが大切かと聞かれたら、当然、答えは長期的な友人のほうだ。友人のほうが長続きするし、結果的には一番心を満たしてくれるから。そして特に、新しく引っ越した先には、一時期の戯れ相手よりは真の友達のほうが必要だ。でも、もちろんできることなら両方とも欲しい。それでJには直接聞いてみた。「過去のことはまだ話す準備ができていないのなら、それでもいい。でもこれにだけは答えて欲しい。もし私がCと付き合い出したら、私たちの関係に影響は出る?」それに対してのJの返事は、「こんなこと言いたくないけれども。・・・正直言うと、ある。多分、大したことにならなくても、かぐやとは普通には接することは出来ないと思う」と言うもの。それを聞いてから、私はどうしようか悩んだ。その頃の私にとっては明らかにJとの友情のほうが将来性がある、と思ったから。そしてその判断は今も間違っていないと思う。実際にCとの間に何も起らなかったのは別の人が介入したからで、結果的には、当時急激に仲の接近していた(はずの)別の友人にCを取られた形になったのだけれども、それが結果的には一番良かった。というのも、そのCを取った人、と言うのもちょうどその頃「何かがおかしい」と思わせるようなことがちょっとあってその後のその人との関係をどう調整していこうかと思案していた時だったから。二人の私に対する「裏切り行為」に胸は痛んだけれども、私にとってはちょっと厄介になりだしていた二人を、普通に見て私に対する「裏切り行為」という大義名分の元、同時に自分から遠ざけることが出来て、どこかでホッとしてもいた。まあ、そういうようなことをするような人たちだからこそ、私にとっても厄介者になりつつあったのだろう。その後、やはりその新しい地で一番信頼のおける友人になったのはJだった。Cとは一回だけデートしたことがあったけれども、その時にJのことを考えていて、車の中で思わずいつもの私らしくなく無口になってしまい、ちょっと雰囲気を壊してしまった。そのときにすでに私の中では、Cとの一時的な付き合いよりもJとの長期的な友人関係を優先させていたのだと思う。でもそんな私でも、恋愛を優先させたことだってある。今付き合っているAだが、Aと付き合うことで友人になる可能性のある別の人との関係を台無しにしてしまった。それはAに迫りだす前からわかっていたことだった。でもAの私に対する反応、Aについて話したときのその人の反応を見て、私にとってより将来性のある関係はどちらか天秤にかけた。結果、より満足感が得られるのはAとの関係だ、と思った。それは長続きしようがしまいが、Aとなら久しぶりに擬似でない、本気の恋愛ができる、と感じたからだ。反対に、別の友人候補とは真の友情を築く時間も機会もどれだけあるかわからなかったし、実際長くいることのない土地でそういう友人は私にはもう必要なかった。それに、当時の私にはM氏がいたから、私の必要とする友情を注いでくれて、私の注ぐ友情を受け止めてくれて、お互い刺激し合えるいい友人にはもう出会っていた。だからAを選んだ。恋愛を取るか、友情を取るか、私は場合によりけり。こういうことなのです。字に表わしてしまうとちょっと恐いような気がするけど、自分の気持ちに敏感に生きてると、自分にとっての本気の恋愛相手、友人相手とそうでない相手がイヤでもはっきりわかってしまうので、結果的にこうなってしまいます。
2004年03月04日
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え~と、恋愛と友情についてですが、私、一応女だけど、ちょっと『竹取物語』のかぐやひめよろしく、「身は女なれど・・・」的なところがあるので、場合により恋愛を取る場合も、友情を優先させたりする。何でそうなのか。それは昔よりも少しバランスが取れてきたから。実は昔はもっとひどかった。ひどかったって言うのは、実はもっと友情偏重者だった。何があっても友情優先。恋愛と友情どっちを取るか、ってもちろん友情、と思ってた。それもかなり長い間。私、結構小さい頃からいろんなことを考えたり、自分の生き方とか行動について考えたりしてた方なんだけど、いろんなことを考えたりしたりする上で、一番基本となる自分の信条、みたいなのを確立したのは8歳から9歳ぐらいのときだった。もちろん、その後もいろいろと学んだり、吸収していったりとかして、考え方や態度・立場を変えたりとかはしたけれど、それも自分の感覚的には全て、その頃に打ち出した「自分の信条」の延長線上にあった。これもまた、23歳から現在(25歳半)にかけて結構大変化をなしていったりしてるのですが。だから、もっち友情優先、と思い出したのはその頃。と言うか、軽く結婚否定者になったのがその頃。だからその延長線上で行ったら、友情偏重者になるのも当たり前?でも、それじゃあいけない、そういう意固地な立場を取っていたら自分が損するだけだ、と身に染みて実感し、そういう態度を改め出したのは大学2年の頃のあるいざこざがきっかけ。友情偏重者が恋愛偏重者(というか、その人は普通の「おろかな女」だっただけかも知れない)にひどいとばっちりを食ってから。(笑)何があったかというと・・・。まあ、かいつまんで話せば、片思いの人を取られたんですね、友人に。しかもかなり仲が良い(と思っていた)友人に。まあ、この友人を仮に友人Lとしましょう。そして片思いの相手はDとでも。最初にDと知り合いになって、そして好きになったのは私のほうだったんです。で、二人をお互いに紹介したのも。でも、恋愛に順番は関係ないと思う。だからその子が「だってかぐやが先に好きになったんじゃない」と言っても、だからって関心がない、または彼女に優先権がないとは思わなかったし、そうも言った。実は二人をお互いに紹介した時に、何か二人の間に流れる空気が変わったのを感じた。ちょっと「えっ??」と思ったけれど、今よりも極端な友情偏重者だった私。(で、Dにいくら片思いしてても、友人は友人。そしてもちろん友人Lも「友人」なわけだから。)しかも相性の合う人同士が一緒になることは素晴らしいと思う。(それは今も変わらない姿勢。)だからちょっとからかい半分に「いいじゃん、いいじゃん、付き合ったら?」ってちょっとけしかけてみた。でも、前々から「すごく久しぶりに素直に好きになれる人ができた」とDについて友人Lに話していた私。友人Lは「だってかぐやの好きな人でしょ」とか「かぐやが先に好きになったんじゃん」と言って取り合わない。でもその間、実は私に内緒で二人は付き合いだしてたんですねぇ。友人Lも結構積極的にDの誘いにのったり、Dを遊びに誘ったりしてたらしい。Dは私に内緒だと言うことをはっきりとは知らなかったらしい。(二人が博物館の展示を友人Lの親友も含め、3人で見に行ったことをDが私にしようとしたら、Lがそれを遮り、まるでLは友人と二人だけで行った風に話したこともある。)ばれたのは、何も知らず、でも約束をすっぽかされまくる、というとばっちりを受けまくってる私を見て、良心に苛まされた友人Lの親友が、実は友人LがDと恋仲であることを私にちくったから。その時はその親友も私と友人関係にあったし、私も親友と思っていた友人Lに裏切られたのか、という思いでいっぱいになり、二人で涙ダアダアでした。(ああ青春・・・―照)実は私、もううすうす何かあることには気付いてたから、二人が付き合ってること自体はどうでも良かった。それよりも、「もしそうなったら、私もDにアタックするのはやめるし、二人をそってしておくから、そう言って欲しい。私は何よりも私にとっての大切な友達を二人も失いたくない」と言っていた私を完全に裏切って、しかもその事実を1ヶ月近くも隠していたことに傷ついた。(その頃友人Lと私は週に何回も会ったり話したりしていたから、1ヶ月と言うのはかなり長い期間に感じた。)その後、このことについて友人Lと話したときに、友人Lは別にDと真面目に付き合おうと思ってたわけではなかった。それにかぐやの気持ちを知っていたから言うのが恐かった。自分に「かぐやはクールだから大丈夫だろう」と言い聞かせようとしても言い出せなった。と言われたけれど、そんなのは友情偏重者ではっきりしてる性格の私から見たら、弱虫の恋愛偏重者の言い訳にしか聞えなかったです。でもこれをきっかけに恋愛偏重者には気をつけよう、と肝に命じました。そして、そういう人のために自分が損するのはたまらない、また友人vs恋愛対象の人、という状態が生じた時には、友情vs恋愛なのか、というイデオロギーに振り回されずに、今、自分にとっては誰(友情対象になってる友人と恋愛対象の人間自体)が大切なのかをちゃんと見極めて、対処していこう、と思ったのです。幸い、そういうどちらかを選ばなければならないシチュエーションにはその後あまり数多くは遭遇しませんでしたが、それでもあることはありました。・・・続く
2004年03月03日
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寒いよぉ~!寒すぎ!!一体どうなってんの?春が来て、ポカポカ陽気になったと思ったのにぃ~~。なぜか冬に逆戻り。せっかくしまった冬用コートもまた引っ張り出し・・・。ああ、本当にうかつに送ってしまわなかったりして良かったぁ。でも、寒い寒い寒い!!そう、それで思い出したりしたのだが、帽子をテーマにしたフィクションをこの間書いてみようかしらん、と思ったりしたのだけど、結局やらずじまい。でも、やっぱりまだ書きたい。そのうち、本当に書けたらここにアップしよう。他にも書きたいことといったら、「国籍は本当に単なる紙切れか?」ってことについてかなぁ。って、最近今書いてること、または書きたいことについての予告ばっかり。最近、書く欲望がまたむくむくと起きてきたりとかしてるんです。定期的に起きるこの発作。もうそろそろ遊学期間も終わりに近付いてるからかしら。そうそう、今日はすんごい久しぶりに懐かしのM氏とチャットした。(詳しくは10月から12月24日頃までの日記ご参照。)すんごいすんごい懐かしかったの~。もう、何で今、隣にいないんだろう、ってくらい。次に会えるのはそんなに先のことではないってわかってるけど、それでもやっぱり・・・、次に会える日がとっても待ち遠しくてたまらなくなりました。
2004年03月02日
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この間カナダのキョッポの子と在日のキョッポの子とお昼する機会があった。実は在日の子とは前々から約束していて、カナダのキョッポの子がたまたま暇そうにしてたので、「いいのかな?」と思いつつもお昼に誘ってしまったのだけれど・・・。二人とも初対面の人とも当り障りなく、それなりに楽しくやっていけるタイプの人たちだったので大丈夫だった。同じキョッポと言っても、日本とカナダじゃ元々キョッポになった理由も現在の状況も全然違うので、(その割にはあまりそういうことについて直接話し合う機会もなかったりするので)ちょっとお互い興味深そうだった。カナダ・キョッポの(米国のもだけど)キョッポである由縁というのは、多くは国籍はすでにカナダなのだから、国籍を初めとする法律上の問題ではなくて、アイデンテティーや見かけに由来した社会生活上の問題。そういうところ、まだ国籍を初めとした法的なことが課題に残る在日キョッポとは話が全然違う。そもそもカナダや米国に渡ってキョッポになった人たちというのは多くの場合、自分か自分の親、またはその親の意志のみで、よりよい暮らし、よりよい教育の機会を目指して各国に渡っていった人たち。翻って、現在日本やロシアにいるキョッポの人たちの多くは、日本の朝鮮半島(韓半島)支配時に強制的に移住・連行させられたり、戦時中の極貧を免れ、よりよい暮らしを求めて日本に渡って行った人たち。だから移り住んだ国や移住した時代の違いももちろん、その国のマジョリティー(と思われている人たち)との容姿の類似・相違があるかないかというところでもアイデンテティー形成の軌跡がかなり違ってくる。これに個々の性格の違いを加味してしまうと、「キョッポ」と一言で括ってしまってもいろいろいる、ということは容易に想像できるのではないか。とにかく、その時に面白いと思ったのはそのカナダ・キョッポの子が私達に「日本ではキョッポに対する差別が激しいって聞いたし、あなた(私のこと)みたいな見かけの違う人に対しても差別って言うか、そういうようなことがあるって聞いたけど。差別のされ方は一緒なの?」これには在日キョッポの子も、私も一瞬躊躇しながらも、「もちろん」と答えるほかはなかった。ただその次に続く、「どういう風に?」というまあ、当たり前の質問は答えづらかった。まずは国籍の違いだろう。最近では日本国籍保持者のキョッポも、片親がキョッポであるハーフも増えてきたが、一般に日本で在日韓国・朝鮮人と言うと、まだ国籍が(南北分断前の)朝鮮籍、または韓国籍保持者だけのことを指しているという認識が一般的だと思う。で、まずは日本の場合、「キョッポ」と言うと国籍が日本でない場合が多いことを指摘。でもカナダや米国ではキョッポはアジアン、またはオリエンタルというマイノリティー・グループに見かけで自動的に入れられてしまう。そこが日本とは違う。日本ではキョッポは(国籍が何であろうと)口をつぐんでいる限りは、周りにいる日本人と見かけは違わない。同じ日本語も話す。多くの場合、名前までもが日本的であるか、そうでなければ日本的に聞える通名がある。逆に言えば、(特に国籍も日本籍である場合)自分で「自分はキョッポである」という主張を行わない限り、その特異性は埋もれてしまうのだ。逆に、私の日本での目立ち方はカナダ・キョッポの経験により近い。見かけで自動的に分別されてしまうからだ。そして、私の場合は実際に見かけの違いに伴った文化的背景や言語を内包している。でも、全てのカナダ・キョッポが韓国・朝鮮語を知らなかったり、韓国・朝鮮文化を知らないのと同様、私のような見かけの人でも日本以外のことに関しての知識が皆無な人だってカナダ・キョッポの中にはいる。結局、私が言ったことは、「日本では地域差も激しいからあまりはっきりしたことは言えないけれど、おおまかに言えば、在日キョッポの場合は、法的なことになればなるほど差別を受ける確率が高くなるんじゃない?見かけ的には変わらないけど、法的には違う立場にいるわけだから。私のような人の場合は、相手の先入観を肯定するような人だったら(英語が話せるとか)いいように特別扱いされるけど、そうじゃなくて、見かけは違うくせに中身は一般の日本人だったら、逆に差別されるだろうね。」というようなこと。どうも甘い見解だというような気がするんだけど、今のところはこれぐらいしか思いつかない。他の人はどう思うかとても興味のあるところ。反応は掲示板、私書箱、個メールなりでどうぞ。
2004年03月01日
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