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NHK大河ドラマ 『おんな城主 直虎』 。第38回の部分的な感想です。今回もあまり興味がわかない高瀬のパートや、とわと龍雲丸の愛の語らいのパートは、ほぼカットです。でも、武田関連のドラマで様々に描かれてきた信玄の客死が、このドラマではアレが引き金だったとは・・と、意外な展開に軽い衝撃でした。(笑)井伊谷に攻め入ってきた武田軍は、民百姓たちは逃散、食糧も持っていって無いと知り、激怒した武田信玄は村々を焼き払うよう家臣に命じました。そして井伊谷城にいた城兵たちは皆、無事に川名の隠れ里に逃れました。南渓和尚(小林 薫さん)は武田信玄(松平健さん)がいる本陣を訪れました。「民百姓を逃散させたのは近藤康用を追いつめるため、民百姓は近藤の支配を望んではいない、井伊の家名を復し我らにこの地を安堵してほしい。」信玄を前にして、策士・南渓和尚の命がけの交渉です。南渓和尚をひとかどの人物と見た信玄は、酒の席を設けて南渓和尚をもてなしました。同年代の者同士、酒を酌み交わしながら互いの境遇や思いを語り合いました。南渓が信玄に、戦事に飽いたり疲れたりしないか?と尋ねると信玄は・・・甲斐の国は山に囲まれた厳しい土地、他国を襲い切り取らねば、生きていけなかった。戦に強くなることこそが何よりの生業。疲れてる暇さえなかった。信玄も領民を思う領主の一人であり、好き好んで戦をしているわけではない一面を見た南渓は信玄に、来世生まれ変わったら何になりたいか、自分が朝な夕なに祈願して差し上げると伝えました。そうしたら信玄が「生臭(坊主)のくせに」と返すので、この愛想笑いです。さすがは南渓和尚、井伊家の交渉事の第一人者、接待の手本ですね。信玄は夜空を見上げながら、「お天道様になりたい、あちこちににらみをきかせ、天地を調略し、どこもかしこも恵まれた土地とする」と。最初から肥沃な土地を持った領主にはわからない思いかもしれませんね。信玄は少年のような表情で来世の夢を語りました。そんな信玄を見て南渓は「まことの天下布武」と返し、信玄の中にも日の本の安寧を願う気持ちがあり、己の野望のために生きているわけではないと感じました。一方、武田軍に襲われた井伊谷は辺り一面焼け野原に。井伊直虎(とわ/次郎:柴咲コウさん)は手をついて、百姓たちに謝りました。でも百姓たちは「なんでおとわ様が謝るんね。」「大事なものはみんな持ちだしている。」「一人も死なんかった。」と口々にとわをかばいました。さらには「焼かれたってことは、田畑は灰だらけ。武田は肥しを撒いてくれたってこと。」「肥しはおらの家だけどの。」「ハハハ・・(笑)」失ったものは仕方がないと、気持ちを明るく切り替えて、この後は皆で村の再建に励みました。(この場面は感動でした)さてそのころ、徳川家で居候している今川氏真(尾上松也さん)は、従者とともに笙を奏でていました。「今日はおばば様(寿桂尼)のご命日。おばば様は笙がお好きであられたゆえ。」呆然とする徳川家康や徳川家臣たちを前に、氏真は気にもとめずに奏でてます。「死してなお今川の家を守らん、と仰せでしたし。」という従者の言葉に氏真坊ちゃまは、「うん。この苦境も(おばば様が)なんとかしてくださるかもしれない。」と素直なキモチで天に向かってつぶやきました。一方、武田の本陣では宴が開かれ、舞の得意な家臣が舞を披露していました。そして信玄も家臣も、このまま織田をひねりつぶすと意気揚々でした。とはいえ、男ばかりで色香がないのもつまらないもの。信玄のために家臣が寝所に遊び女を用意していました。ところが!、暗闇で遊び女が顔を上げたとき、その顔は今川の亡き寿桂尼(=氏真のおばば様、浅丘ルリ子さん)で「冥府より、お迎えに参りました」と。驚きのあまり信玄は絶叫して吐血し、そのまま謎の死を遂げてしまいました。これはもしかしたら、氏真坊ちゃまの祈りが天に通じて、「甲斐の虎、武田信玄、実はあの世からおばば様を呼び戻した蹴鞠小僧の神通力で死す」とか。そして信玄の死は、密かに南渓和尚の耳にも入ってきました。信玄の死は世の人々にとって一大事です。話を聞いたニャン渓も思わず「にゃうっ!」と振り返りました。龍雲丸(柳楽優弥さん)と共に堺に行くと決めたとわだけど、心に何かかかるものがあり、それを龍雲丸に見透かされていました。情にもろくて、泣いたり怒ったり忙しい。それはもう、ふつうの女なんだ。そいつがなんでか、兵一人使わず町を手に入れ、ひと一人殺さず戦を乗りきり、したたかに世を変えていく。そんな女がほかにどこにいるんだよ。龍雲丸の言葉と同じようなことを小野政次(高橋一生さん)が生前とわに伝えていて、領主としてのとわを力づけてくれてました。 ⇒ ⇒ コチラ 。井伊に残ることを決め、龍雲丸と別れを告げたとわ。正直なところ、ドラマ中盤も含め龍雲丸ととわの語らいのパートが長くて、いいかげん見るのに疲れたと思ったらこの構図!中村与太夫を演ずる本田博太郎さんに、しっかり笑わせていただきました。そして天正2年(1574)、井伊直親の13回忌の折に、徳川家臣の松下家に行った皆が井伊家に里帰りしました。これは成長した虎松(菅田将暉さん)との、初めての対面となりました。
September 25, 2017
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NHK大河ドラマ 『真田丸』 。第41回感想の後半で、前回の日記の続きになります。見張りや村人たちが宴会で気分良く酒に酔っている中、隙をついて真田左衛門佐幸村(堺雅人さん)とその一行は密かに九度山の村長の屋敷を抜け出しました。しかし監視の竹本義太夫(宮下誠さん)が酒に見せかけた米のとぎ汁を飲んだとき、幸村たちの脱出に気がつきます。村長・長兵衛(木之元亮さん)の「村外れの森に、寂れた寺がある。落ち合うとすれば、あそこです。」という言葉に従い、竹本たちはすぐに後を追いました。一足先に行って寺の中で潜んで待っていた一行のところに幸村が合流し、急ぎ出立をと思ったとき、障子の向こうに人影がありました。それは佐助(藤井隆さん)ではなく、村の若者の九兵衛(大内田悠平さん)で、幸村の後をつけていたのでした。自分も一緒に大坂に連れてって欲しいという九兵衛。「山を下りる近道を知っている。」一刻も早くこの九度山を抜けたいけど、この者を信じてよいのか、幸村は迷いました。そして追手の竹本たちはすでに寺を囲んでいて、中に踏み込んできました。しかしそこには幸村たちの姿はありません。「寺と申しておったではないか!」と責める竹本に「なにしろここは高野山。寺は山ほどございますでなぁ。」と長兵衛はスッとぼけます。長兵衛を相手にしていられない竹本は怒って「もういい!」と家臣たちを引き連れて去っていきました。皆が去った後、長兵衛は庭の石灯篭の陰に隠れていた佐助に会釈をし、そしてある方向に思いを込めてゆっくりと一礼をしました。そして実は別の場所にいた幸村。九兵衛を信じることにし、道案内を頼みました。そこに佐助も合流して一行は九度山を出ていきました。最後に、幸村もまたある方向に頭を下げて一礼をして。信繁(幸村)が九度山を脱出した知らせは、すぐに駿府の徳川家康(内野聖陽さん)のもとに届きました。家康はすっかり歳をとり、信繁の名前は何度も忘れてしまうけど、かつてその父・真田安房守昌幸にこっぴどくやられた記憶は忘れられません。「その息子が大坂方に加わると敵の士気が上がる。 奴だけはどうしても大坂城に入れとうない。」そして服部半蔵(浜谷健司さん)が幸村暗殺に動きました。幸村一行が潜む屋敷に商人に扮した半蔵が潜入。しかしそれを佐助が見破り、忍び同士の戦いが始まりました。庭での物音を聞き、幸村と内記が駆けつけます。逃げ場のないところに追いつめられた半蔵。「我に秘策あり。」そうつぶやいた半蔵が繰り出した秘策とは・・・「全力で、押しとお~~る! うわ~~っ!うわ~~っ!」父祖伝来の?、敵陣突破するときのアレでした。 。゚( ゚^∀^゚)゚。アーッハハ八八ノヽノヽノヽその翌日、幸村は大坂城に入る前に入念に変装していました。きり(長澤まさみさん)から「どこから見ても得体の知れないジジイ」と言ってもらって大満足です。支度が整ったらきりに「参るぞ、きり。」と。源次郎にそう言われて、きりも嬉しくて大満足です。源次郎に大事にされるがゆえに、大坂城への同行を許されなかった春(松岡茉優さん)。逆に今までさんざん雑に扱われたけど、でも源次郎の行くとこはどこへでもついていける自分。そして今、ようやく源次郎の中心に自分が来ました。この三十年の忍従が、やーっと報われたね、きりちゃん。息子の真田大助(浦上晟周さん)を従者にして、ジジイに扮した幸村は入城しました。「勝手知ったる大坂城」の厠で変装を解いた幸村は、先ほどとはまったく別人の颯爽とした姿に。受付をする木村重成(白石隼也さん)のところで名を『真田左衛門佐幸村』と改め、豊臣秀頼(中川大志さん)に会いに行きました。「私を覚えておるか?」と幸村に声をかける秀頼。あの幼かった秀頼は凛々しく、品格と知性あふれる若者に成長していました。「もちろんでございます。」幸村は秀頼をまぶしく見上げました。「また会えてうれしいぞ。 此度もまた徳川を相手に、縦横無尽に戦ってくれ。」秀頼の言葉を受けて幸村は早速、この城に集まった10万の兵が食べる兵糧のことを尋ね、意見します。幸村の頼もしさに顔をほころばせる秀頼。しかし傍に控える大野治長(今井朋彦さん)は、何か面白くなさそうな視線を幸村に向けていました。これから幸村が事を進めるときに苦労の種となりそうな、茶々の乳母子の大野の存在がそこにありました。大阪市の玉造にある明星高校の壁面には、このような作品があります。真田幸村は、なんといっても地元のヒーローですものね。
October 18, 2016
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一昨日の土曜日に放送された ブラタモリ #76 。名古屋の熱田を紹介する回でした。その前の週に放送された名古屋城のことは、これまでにどこかで聞いたことがある話がほとんどでした。なのでこの熱田の回もそんな感じかなと思っていたら、自分が知らなかった・気がつかなかったことが次々と。そしてとても興味深い回になりました。以下は番組の印象に残った部分のまとめです。尾張名古屋は約400年前に徳川家康がつくった町。江戸時代初期、徳川家康は当時、人がほとんど住んでいなかった細長い台地の北の端に、名古屋城と城下町を一から築きました。でもどうして家康は、この台地を選んだのでしょう。その理由がこの、台地の南の端にある熱田なのです。家康は台地の南の端にある熱田の湊を整備しました。熱田は台地の端なので、熱田神宮を出た周辺は道路が下り坂になっていました。私もこのあたりは何度か通ったことがあります。でも緩やかな坂だったことには気がつきませんでした。番組で使った地図は、現代の地図の上に古地図を重ねています。そして古地図にも示されたこの形は、断夫山古墳です。古代からこの地は有力豪族が勢力を誇った場所でした。また織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった時の権力者たちは皆、熱田神宮を大事に庇護してきました。旧東海道に古い道標があり、そこには「東 江戸街道」、そして「南 京いせ七里の渡し」となっていて、船の渡し場に道が続いていました。現代の地図で見ると熱田から桑名に向かう船は海まで南下するように見えますが、当時このあたりは海でした。熱田より西の濃尾平野は土地が低く、大きな河川をいくつも越えなければいけないので、陸路はかえって困難だったのです。私は名古屋の西側で生まれ育ち、西側は土地がほぼ平らなので、これまで土地の高低差というものをほとんど意識することがありませんでした。でも熱田が台地の上と知って、これからこの界隈を通るときは坂というものを意識しそうです。熱田の湊の周辺も緩やかな高低差があります。これは湊が繁栄して人々の往来や物資の流通が増えたので、土地を増やすために海を埋め立てたためでした。
June 19, 2017
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NHK大河ドラマ 『真田丸』 。私の単純なアタマでは先が読めない、楽しい大河ドラマです。前回、上州の沼田城と岩櫃城を奪回することを決意した、真田の当主の昌幸(草刈正雄さん)。今回のテーマは、滝川一益に人質に取られた真田のばば様(とり:草笛光子さん)を、源次郎信繁(堺雅人さん)が救出しに行くというものでした。ただその過程で、長澤まさみさん演ずるきりは、いちいち口答えするわ、状況考えずにつまらん自己主張したがるわで、もうどうしようもない面倒な女になってました。見ていて、イラッ…、イラッ…、ときてしまいます。だいたい源次郎が迎えに来て、一刻も早く小諸城を出なければいけないというのに、大事な忘れ物をしたからと部屋に取りに戻ってモタモタ。源次郎に「私は貴方からもらった櫛を大事にしてます」ってアピールしている場合じゃないってば…。で、そのロスタイムのために結局は逃亡に失敗し、信繁らを含めてまた滝川の人質に。なのにきりは文句ばかりキーキーぶーぶー。後で、とりのおかげで人質から解放されたら喜び全開。帰り道についでに温泉に行きたいと言いだす始末。あのー、この時代の武家の女は、お仕えしている人と運命を共にする、あるいは我が身に代えてでも守るものじゃないの?きりは不器用な女とフォローを入れても、ウザキャラ度のほうがはるかに大きくなっていますね。現段階では。その後は人質の駒として、滝川一益から木曽義昌へと引き渡されたおとり様と信繁一行。木曽義昌が人質らと対面して、「おぬしらは大事な駒じゃ。うわっはっはっはー!」って高笑いしていたのに、人質の中にとりがいるのに気がつくと顔がひきつって退出する木曽義昌。いったいどうしたのか?真田の人質の部屋をこそ~っと覗く木曽義昌。気が付いた信繁がうやうやしく礼をすると、木曽義昌を見たとりは「宗太郎。久しぶりです。」一方、木曽義昌も「はっ。おとり様、昔と少しも変わりませんなあ。」と、とりの前に正座して小さくなってます。不思議に思った信繁が、どういう間柄かを尋ねると、「私は、宗太郎の子供の頃をよーく知っておる。この子は信玄公の前で・・・(暴露話)」そして「宗太郎。」ととりに穏やかに呼ばれて、木曽義昌が身を乗り出したら、イキナリとりからビンタ1発。「大恩ある武田家を裏切りおって!」木曽義昌を叱り飛ばすばば様。事の展開をただ目を丸くして見ているだけの信繁。とりに叱られて「あのときは仕方なかったんだ。織田信長に脅され、木曽の一族を守るためには、他に手がなかったんじゃ。」と、とりの前で土下座し、「相変わらずコワイのぉ。」とボヤく木曽義昌。とり:「宗太郎。今すぐ、人質を返してやれ。」義昌:「せっかく手に入れた人質を…。人質というものは、 わしら力を持たぬ者が生き抜くためには、なくては ならんものです。わかってくだされ。」とり:「では、源次郎だけを返してはもらえぬか。 私はここに残ります。これでどうじゃ。」義昌:「それならば・・。」こんなことあるのかなあ・・なんて思いつつも、この場面は草笛光子さんが痛快だったので楽しく見ていました。木曽義昌を演じたのは石井愃一さんという方でした。表情がよく変化する面白い役者さんをまた一人発見です。源三郎信幸(大泉洋さん)の妻を演じる長野里見さんという方も、見ていて面白いです。ただ病弱な妻を演じているのに、なんか笑えるのです。なんででしょうねー。また今回は、ばば様救出のために小諸城に乗り込んだ信繁が、滝川の家臣と道家の家臣の間を上手く行き来して、人質の部屋に行く場面も面白かったです。部屋の前で見張りの兵に落ち着きがなかったのは、実は厠に行きたかったとは(笑)そして結局は真田の人質を取り返しに来たとバレてしまうのですが、それまでの信繁と滝川の家臣と道家の家臣の、三者のやりとりがサイコーでした。脚本を書く三谷幸喜さんもすごいし、演じる役者さんたちも呼吸がばっちり合ってて、ホント素晴らしいです、もちろん真田昌幸の草刈正雄さんも相変わらず魅力的でしたが、今回は草刈さんの部分は割愛いたします。次週は何があるのか、また楽しみです。真田関連の画像がないので、関係ないけど名古屋城の桜で。桜の枝がお掘に垂れ下がっているので、花びらがふわふわと浮いてます。
February 21, 2016
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今年のNHK大河ドラマの 『真田丸』 。若者の心をガッチリ掴みました。それゆえでしょう。単にドラマの視聴にとどまらず、彼らの自由な発想のまま、『真田丸』を楽しむ遊びが次々にネットに出てきます。その一つが“真田丸総選挙” 。先週投票は終わり、第1回の栄光の神7が決まりました♪ 1位 石田三成(山本耕史さん) 522票 2位 直江兼続(村上新悟さん) 464票 3位 真田信幸(大泉洋さん) 346票 4位 真田昌幸(草刈正雄さん) 319票 5位 出浦昌相(寺島進さん) 257票 6位 真田信尹(栗原英雄さん) 202票 7位 上杉景勝(遠藤憲一さん) 197票この『真田丸』では、登場する役者さんが皆さんそれぞれに魅力的です。嫌な役をやる人でもどこか憎みきれない要素を持っています。だから一人1票の投票が、ちょっと残念だったなあ。そう、貴重な1票なので、私は草刈正雄さん演ずる大好きな昌幸パパに入れました。でも世間的な人気は、最初から三成さんと兼続さんが群を抜いて得票を争っていました。三成も兼続も、どちらも一見するとクールだけど主君を思うハートは熱い、そんな姿が人々の胸を打ったと思います。そして、いつも損な役回りだけど生真面目に頑張る信幸@お兄ちゃんの姿も、人々の心をとらえました。この結果のスゴイのは、ドラマに登場する時間がホントに少ないのに、人気が高い出浦さまと信尹さまと景勝さま。カッコ良さでは出浦さま、大人の男の色香なら信尹さま、景勝さまは優しさに癒される、ってとこでしょうか。 8位 徳川家康(内野聖陽さん) 166票 9位 真田信繁(堺雅人さん) 135票10位 武田勝頼(平岳大さん) 122票11位 大谷吉継(片岡愛之助さん) 113票私、内野さんというと今まで「仕事はできるけど暗い」役のイメージでしたが、『真田丸』によってイメージがガラリと変わりました。「笑える家康」は、戦国ドラマの中で初快挙だと思います。そして主役の堺さんがちょっと低迷・・・に思えるけど、諸先輩方の存在感が強烈だから仕方がないでしょう。でも終盤は華がくるし、現場では先輩方の演技を間近で見て学べるから、素晴らしい機会だと思います。平さんは第1回と第2回に出ただけなのに、この人気です。たしかに、勝頼で感動したのは、私も初めてでしたから。愛之助さんの吉継も、見ていて品があって素敵です。こんな文章を読んで、順位の結果だけ見てもイマイチ面白くないと思います。興味のある方は「真田丸総選挙」で検索してみてくださいね。なんといってもUPされているポスターが、本当にこのまま使えそうなぐらいよくできていて、面白いです。この『真田丸』は、やはり堺さんが主役です。各ポスターでもラッピング電車でも、堺さんだけが出てますから。
July 10, 2016
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毎週日曜日のお昼にNHK-BSで再放送されていた2007年の大河ドラマ『風林火山』が、先日の18日に最終回となりました。11年前に放送されてた当時、私はこのドラマ全体の話の固さや難しさに頭がついていけず、途中で視聴をやめてしまいました。それが昨年の5月にこの『風林火山』が再放送されていることを知り、ちょうど昨年の大河ドラマ『おんな城主直虎』が私にはあまりにも物足りなかった反動もあって、再び見てみることにしました。そして見始めたのが第8回で、海ノ口城での攻防にこれぞ大河ドラマだとワクワクして見ていました。しかしワクワクして見ていたのはこのときだけ。その後はやはり話が固くて見るテンションが上がらず、第8回がファンの間では前半の神回と言われていたと後で知ったものでした。正直、また挫折か?なんて思ったりもしました。こんな日記まで書いていたのに・・・。※こちら ⇒ ⇒ 今、『風林火山』が面白い!そんなとき、何かのお導きのように T.KAORI さんが描く「風林絵」に出会ったのです。※こちら ⇒ 大河ドラマ「風林火山」風林絵まとめ ドラマの登場人物そっくりのイラストだけでも素晴らしいのに、毎回の見どころがわかりやすく紹介されていて、私は毎週ツイッターに T.KAORI さんのイラストがUPされるのが楽しみになりました。中でも特に私の好きなのがこの 風林絵 第34話 です。 (T.KAORI 様に掲載許可をいただいてます)この二人の三男と孫たちが時を超えてやってきました。11年前の本放送のときにはできなかった夢のコラボです。そして先日の『風林火山』最終回。1561年の第4次川中島合戦を描いたこの回は、もう圧巻の一言でした。中でもガクト(Gackt) さん演じた上杉政虎(謙信)が白馬に乗って戦場を武田信玄めざし単騎で駆け抜けていくシーン、そして信玄との一騎打ちは、もうガクトさんの美しさと迫力にただただ見入ってました。主役はもちろん山本勘助(内野聖陽さん)なのですが、ガクトさんがあまりに素敵でした。特別ファンでない私も魅入ってました。そしてツイッターのほうでもガクトさんに魅せられてシビれた人が続出していました。※こちら ⇒ ⇒ #風林火山最終回でインパクトに残った場面をUPしてみました。ガクトさんばかりで、内野さん、ゴメンね。勇壮で軽快な感じのこのドラマのオープニングの曲が大好きでした。たぶん歴代の大河ドラマの中でも一番好きかも。またこのクレジットが流れるときの騎馬武者隊が野原を駆け抜けていくシーンとか、背景が戦国ムードですごく好きでした。「我に続けぇーーっ!」 Gackt政虎が敵陣目指して駆け出しました。馬に乗れない足軽たちは馬でどんどん先に行ってしまう大将を追って付いていくのが大変だったでしょうね。千曲川の中で真田隊と村上隊は騎馬武者同士で戦ってます。馬が川の水しぶきをあげながら、ものすごい迫力です。Gackt政虎が目指す武田信玄の前には入り乱れて戦う両軍の兵たちが。(この最終回はこれみたいな構図のカッコイイ場面が多いのがいいです)目の前にある邪魔者(兵たち)を勢いで蹴散らして進んでいきます。乗馬が得意なガクトさんだから、白馬で駆け抜ける姿がすごく似合います。そして武田信玄との一騎打ちのシーン。スタントマンじゃなくご本人の出演だから堂々たるアップの顔です。この方はミュージシャンなのに、役者としても素晴らしいですね。ガクトさんがカッコ良過ぎてついついガクトさんのことばかり出してしまいますが、(〃 ̄ω ̄〃ゞこのドラマの主役は内野聖陽さんです。その内野さんが主演した別のドラマが、あさって(3月24日)と次の週の土曜日(3月31日)に夜9時からNHK総合で放送されます。 『どこにもない国』 こちらも見逃せない戦後史のドラマになりそうですね。信玄を討ち取りそこねて自軍の陣地にやむなく退却する Gackt政虎。乱れた髪も絵になるところが、さすがは Gackt様ですね。
March 22, 2018
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※前回の日記の続きです。NHK大河ドラマ 『真田丸』 。命をかけて生き抜く戦国時代なので甘いことは考えていられない時代なのですが、それでもたまに“いい人”が登場すると、ホッとしたりするものです。例えば、上杉景勝さんとか、豊臣方では豊臣秀長さんとか。では、ドラマの中盤です。大坂城内の書庫に向かう廊下を石田三成(山本耕史さん)に連れられて歩く真田源次郎信繁(堺雅人さん)は、三成にあれこれ質問をします。その折に、源次郎が真田の父に宛てた手紙が実は三成に検閲されていて、返却されてしまうこともありましたが。そして徳川が真田を攻めてきたら真田が滅びてしまうと、心配で仕方がない源次郎に、三成は言います。「殿下は本気で真田を潰そうとは思っておられぬ。 全ては徳川に対する気配りだ。 徳川に貸しを作っておきたいのだ。 徳川が真田を攻めたら、殿下がきっと止めてくださる。 これからの世は、大名は殿下の許しなく戦を仕掛けては ならなくなる。 もはや、戦で事を決する世は終わった。」そして書庫に着き、三成は源次郎に城内の見取り図を覚えておくように命じ、襖を閉めて大谷吉継(片岡愛之助さん)と密談に入りました。その話を源次郎は襖の向こうで盗み聞きしていますが。三成と吉継の話は、堺の商人たちをどうやって治めていくかということでした。そしてそのために、殿下(豊臣秀吉:小日向文世さん)と直に話すことができる千利休が邪魔であることに、二人は同意します。千利休は強敵だけど「必ず引きずり降ろしてみせます。」と三成は心に決めます。このあたりの山本耕史さんの表情は、つい『新選組!』の土方歳三のときの顔を思い出してしまいます。さてその後、源次郎はふと井戸を目にし、井戸に落ちて(落とされて)死んだ権三のことを想像していました。そしたらそこに加藤清正(新井浩文さん)が登場です。「同じことしてやろうか。」そう言って清正は源次郎の胸ぐらを掴み、それに源次郎は関節技で反撃に出ます。しかし源次郎は身体のデカい清正に抱え上げられ、あわや井戸へ落とされる!というとき--。豊臣秀長(千葉哲也さん)がちょうど通りがかり、「虎、やめないか!」と清正を制止してくれました。「おぬしも今や、三千石の領主なのだ。わきまえろ。」秀長に叱られた清正は、その場から去りました。秀長は清正に代わって源次郎に詫び、そして語りかけます。「こちらに来て、いろいろと驚いたのではないか? 我らは皆、兄上についてここまでやってきた。 生まれながらの大名は一人もいない。 わしもたいそうな名前を頂き、かような立派な着物を着て おるが、元をただせば、中村の百姓。 あっという間であった。 だから、心がついてきていないのだ。 虎之助もしかり、わしもしかり、そして、兄上も。 誰もが身の丈から外れた、地位と暮らしの中で、溺れかけ てる。それが今の大坂城だ。 虎之助はああ見えて、まっすぐな気性。 兄のためなら、命も惜しまぬ男じゃ。 容赦してやってくれ。」百姓から天下人にまでなった秀吉です。もちろん秀吉自身の身を粉にした働きや我慢や強運があったからなのですが、こうして分別ある弟・秀長や妻の寧が常に一緒にいてくれたから、という部分も大きいでしょうね。さて、場面は変わって徳川の浜松城。本多忠勝(藤岡弘、さん)の娘・稲(吉田羊さん)が父の指導の元で薙刀の稽古に励んでおります。でもね、忠勝パパったら、美しくて強くデキのいいこの娘が可愛くてしょうがないようで、殿(家康:内野聖陽さん)の前でも親ばか全開状態です。その姿に家康も、もう笑うしかないようで。そして家康からいよいよ真田討伐が始まると聞いた稲は、「父上、真田討伐、稲も行きとうございます。 憎き真田、この手で滅ぼしてやりとうございます。 エイッ!、ヤアーッ!」(稲の勢いに家康さん、びっくり)結局は稲は出陣はしないのですが、このおっかない父娘は、もう少ししたら真田源三郎信幸(大泉洋さん)のお舅さまと嫁御さまになるんですよね。それでもこの父娘は、この十数年後に源次郎と父(昌幸:草刈正雄さん)の命を救ってくれるだろうから、ウレシイ存在であります。そして場面は上田城へ。家康が軍勢を集めて真田攻めの準備に入っていると情報が入り、重臣会議です。でもそこへ上杉が援軍を断ってきたとの情報が入り、真田の周囲は全て敵という状態になりました。しかも家康が秀吉の下についたのであろうと推測も。「父上が早く上洛されぬから、このような事に!」お兄ちゃん、だんだんと存在感が出てきました。いや、貴方はこれからますます重要な存在になってきますよ。あの父娘と姻族になったら特に。さて大坂城では、家康は本気で自分に服従する気があるのか、家康の真意を測りかねる秀吉が最近の家康を知る源次郎を呼んで、考えを聞いていました。しかし源次郎は、全ては真田に勝つための算段で、家康の本心ではないと言い切ります。三成から「真田を守るための詭弁では」と言われると、「殿下の前でそのような小細工が通用すると思ってはおりませぬ。」と必死に訴えます。しかしこの後、片桐且元(小林隆さん)から浜松に使者に行くことになった話を聞き、さっきと話が変わったことを源次郎は知りました。真田が、真田が滅びてしまう!何か手立てはないかと、秀吉か三成がどこかにいないかと大坂城内を必死で探す源次郎です。そんな折に出会ったのが、あの茶々でしたが・・・。次回はどう展開するのでしょうか。秀吉は織田信長の元で死に物狂いで働き、自分が出世すれば一族の皆を引き上げてきました。でもこの先は、天下を統一して治めつつも、少しずつ何かが狂ってくるのでしょうね。
April 27, 2016
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2021年NHK大河ドラマ 『青天を衝け』 の感想です。今回は、前半は政治・経済での対立やせめぎ合いの間に、渋沢栄一(吉沢 亮さん)の娘・歌子(小野莉奈さん)の見合い話が入ってほのぼのとした空気が流れました。それが後半は、自分の生き方に悩む栄一を妻の千代(橋本 愛さん)がフォローして栄一が気を取り直したと思ったら、突然の永遠の別れになりました。私としてはできれば「明治十四年の政変」のほうをもう少しやって欲しかったのですが、いくつかの感想サイトを見ると、千代のシーンで感動だった方が多い感じでした。まあ私も若い頃ならラストの10分はボロ泣きだったかな。今回私の心に残ったのは「栄一は欲深い男」という言葉。たしかに、良い意味でそうだと思います。たぶん誰でも、例えば「〇〇大学に入りたい」、「〇〇を手に入れたい」などの “欲” が出たときから、それを成し遂げるために自分を奮い立たせて頑張ると思いますから。私は渋沢栄一氏は、世の中を良くしたいという欲をもち、それに向かって前進し続けることができる「頭脳、体力、親の財産、人の和」など持って生まれたものがあって、そして幾度も危機を乗り越えたり、幕末の動乱期に渡欧できて国内の危機に遭遇せずに済んだなど、そういった強運は渋沢氏の志の高さと信念に天が味方してくれたのか、なんて思いました。さて、地図のゼンリン社の資料です。開拓長官 黒田清隆さん。ちゃんと後世に続く事業も築いています。 ⇒ ⇒ こちら 谷中霊園には、青天を衝けに登場した人物のお墓がたくさんあります。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館も2か所でオープンしています。※埼玉県深谷市 こちら ※東京都北区 こちら ※こちらも盛り上がっています ⇒ #青天を衝け ドラマ内のことが解説されてます #青天ナビ 明治14年(1881)、海運業を独占する三菱の岩崎弥太郎に対抗するために、渋沢栄一(吉沢 亮さん)は海運業者の合本組織となる東京風帆船会社を設立しました。しかしそれを良く思わない岩崎は、栄一が事業に失敗して自殺したとかの悪い風説をあちこちに流布し、それを耳にした渋沢喜作(高良健吾さん)が驚いて慌てて栄一のところに噂の真相を確かめに来たでのした。この岩崎の策略により栄一の風帆船会社は開業前から暗礁に乗り上げ、同時に岩崎は他の商売人たちに三菱と手を組むよう呼びかけ、三菱の事業を拡大していきました。またこの頃、栄一が院長を務める東京養育院では物価の上昇や収容人数の増加でさらに経営難に陥っていて、栄一の妻の千代たちも院の仕事を手伝って経費を削減するために頑張っていましたが、たいした成果にはなりませんでした。東京府会での意見の多くは、税収が少ない今は養育院のために税を使うべきではない、貧民が慈善家や誰かに頼るようになったら惰民になる、という主張でした。 こちら しかし栄一は、国が一番守らねばならぬのは人であり救済は必要だと主張します。議会では互いに「あなたの意見が間違っている(意訳)」と激しく言い合うだけでした。(ここの部分のややこしい言い方の応酬は私の頭では理解不能でした)そんな頃、栄一の長女・うた(小野莉奈さん)は伊達宗城の仲立ちで旧・宇和島藩士の穂積陳重(田村健太郎さん)とお見合いをしていました。はじめは乗り気でなかったうたでしたが、穂積から「あなたの父上と母上はどのような方ですか」と問われたとき、うたは思いつくまま様々なことをしゃべっていました。次から次へと父母のことを話すうたは、穂積に心を許していたのでしょう。穂積もそんなうたを愛おし気に見つめていました。そしてうたが、ところで私のことは尋ねないのかと聞いたとき穂積は、「あなたのことも知りたい、僕のことも知って欲しい」と力強く言い、うたも「はい、是非!」と明るい笑顔で返しました。(=縁談が成立)一方この頃、北海道開拓使の官営工場が薩摩の五代友厚に不当に安く払い下げられると新聞に書き立てられ、政府を悪者にしようとするでたらめな記事に、伊藤博文(山崎育三郎さん)と井上馨は怒りをあらわにしていました。伊藤と井上は、北海道を狙っている岩崎に大隈重信(大倉孝二さん)が便宜を図ろうとしていることを知っていて、この機に乗じて大隈を排斥しようと考えました。そこで大隈が不在のまま臨時で御前会議を開くように事を運び、伊藤は会議後の夜中に大隈邸を訪れ、今すぐ辞表を出すよう大隈に迫って、大隈を政府から追い出しました。『明治十四年の政変』について ⇒ ⇒ こちら 大隈の失脚は五代友厚(ディーン・フジオカさん)にとってとんだとばっちりでした。五代は、自分は汚い商いはしていない、新聞の内容もでたらめばかりだが自分が反論したら大隈がさらに叩かれる、北海道の仕事を失ったがまた別のことをすると。そして「名誉や金よりも大切なのは目的、皆が協力一致して豊かな日本をつくることこそ正義だと自分は信じている。商売人としては岩崎のほうが優れている。」と言い、栄一に向かって「君は欲深き男だ」と付け加えました。春になり、歌子は穂積陳重と結婚し、身内のみでの披露宴を行いました。でも渋沢喜作が「結婚とは夫婦が苦楽を共にし、偕老同穴を互いに誓い合うものだ。楽しみも苦労も~~・・」と話が続くので、妻のよし(成海璃子さん)から「長ぇ」と声がかかり一同から笑いが。(身内だけの集まりだから、こういうのも有りかな)娘・歌子の結婚式も済み、夜になって二人で落ち着いたときに栄一は「自分こそが日本を変えてやるという欲に満ちている」と五代から言われたことがずっと気になっていて、千代(橋本 愛さん)にそのことを話しました。「若い頃は自分が正しいと思う方向に真っすぐ突き進んでいったが、今の自分は~~」と栄一が語ると千代は「お前様の若い頃は正しいと思うままどこへでも行って、お金も使って、生きる方向を突然変えて、何を考えているのかわからなかった。寂しい思いもした。」とこれまで秘めていた思いを夫・栄一に伝えました。でもその後に「お前様の心が、誰よりも純粋で温かいことも知っている。いろいろなものを背負うようになった今も堂々と仕事をしていて、心の根っこは変わっていない。」と栄一の本質の部分の良さを伝えました。千代の言葉で心が軽くなった栄一は、己の信ずる道を進む決意を新たにしました。ところがほどなくして、千代が突然病に倒れました。千代はコレラに罹ってしまい、医師からは子どもたちを近づけないようにと強く言われ、子どもたちは母を遠巻きに見舞うことすら許されませんでした。 ⇒ ⇒ こちら 千代がいないと自分は生きていけないと取り乱す夫・栄一に千代は、苦しい絶え絶えの息で「生きて。必ず、あなたの道を」と伝え、そして力尽きてあの世に旅立ちました。「お千代、逝くな!」ーー父の涙ながらの叫びが聞こえて母の死を悟った歌子とこと(森 美理愛さん)は母の傍に行こうとしますが、陳重と医師に力づくで止められました。感染症となった千代の遺体はすぐに火葬され、最愛の妻を失った栄一は千代が焼かれる炎の前でただ茫然と立ちすくむばかりでした。千代の死を、関わりの深かった大人たちはそれぞれの立場で受け止めていました。千代の従兄弟であり、千代が初恋の女性でもあった渋沢喜作。知らせを聞いて群馬の富岡から急ぎ駆け付けた千代の兄・尾高惇忠(田辺誠一さん)は長七郎、平九郎、そして千代と3人の弟妹が自分より先に旅立ってしまいました。栄一の妾であっても母娘で渋沢邸で一緒に暮らして千代に良くしてもらってた大内くに(仁村紗和さん)は、亡き千代への思いにふける栄一を遠くから静かに見守りました。そして栄一は千代が最期を迎えた場所を振り返って、千代と過ごした時間にさまざまな思いを馳せていました。
November 23, 2021
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NHK大河ドラマ 『真田丸』 。第26回感想の後半で、前回の日記の続きになります。朝鮮半島に渡った加藤清正らの戦果が思わしくなく、豊臣秀吉(小日向文世さん)は、せっかく子が産まれるというのに辛気くさい知らせばかりだと苛立っていました。秀吉は「何かぱぁーっと明るいことはないのか。」と考え、今いる諸大名たちで“やつし比べ”をやろうと思いつきました。片桐且元(小林隆さん)と真田源次郎信繁(堺雅人さん)が催しの準備に動きました。ほっかむりをして、さて出し物は何にしようかと悩む真田昌幸(草刈正雄さん)に出浦昌相(寺島進さん)は、徳川家康(内野聖陽さん)が「あじか売り」をやるから「瓜売り」はどうかと提案します。佐助(藤井隆さん)に節回しを教えてもらって昌幸パパが「あーじーよぉーしのうーりぃ。召されそーおぅらーえー。」と唄ってみたら、あら、いいお声♪佐助にも「お上手でございます」と褒められて、昌幸パパはますますノリノリになってきました。その姿を見て源次郎と源三郎信幸(大泉洋さん)は、「父上は立派です。どんなときも楽しそうだ。」「俺にはまねできん。」と戦略家の父を違った面で尊敬するのでした。さて太閤主催のやつし比べが始まりました。まずは片桐さんの猿回しです。最初は猿を上手に操っていたけど、そのうち猿に嫌がられて逃げられてしまいました。片桐さんを小馬鹿にするお猿さん、なかなかの名演です。そして自分の出番までに瓜売りの稽古に励む昌幸は、気恥ずかしくて演技できない源三郎に、「これも戦じゃぁ。真田、ここにありと、居並ぶ大名たちに 見せつけてやるのよ。」と気合いを入れます。演技指導の出浦さんも厳しい表情です。でもそこへ、源次郎が飛び込んできました。なんと、秀吉も瓜売りをやることになり、さらにまずいことに明らかに父上の方が上手だとのこと。さすがの昌幸も「なんたることじゃ!」と慌てます。片桐さんは、太閤殿下に恥をかかせる、もっと下手に、と言い、家康さんは、安房守に折れてもらうしかないと言うだけです。そこで昌幸はわざと秀吉の見える場所で稽古をして、秀吉に演目を変えさえようとしたけど、それも失敗。あれこれ考えるのがもう面倒になった昌幸は、「真田安房守、本日急な病にて参れません。」と自分が出るのをやめました。それで万事が収まったものの、あまりに馬鹿馬鹿しい結末に、昌幸は激しく落胆してふて寝です。佐助は悔し泣きするし、真田の皆は気落ちしてしまいました。結局このやつし比べは、秀吉が一番となりました。喜んではしゃぐ秀吉と、笑顔で秀吉を褒め称える一同。そして秀吉を称賛した後に、陰から冷めた目で秀吉の周辺を見つめる家康がいました。秀吉と周りが笑うその光景を源次郎は苦々しく見ていましたが、そこに真田のばば様(とり:草笛光子さん)の病が重いとの知らせが入りました。上機嫌で部屋に戻ってきた秀吉に、戦の目途がついたら父や兄ともども一度上田へ見舞いに帰らせてほしい、と源次郎は申し出ました。それを聞いた秀吉は言います。「安房守の母御となれば、よいお歳であろう。 そういうものは早いうちに会っておいた方がよい。 今日にでも帰るがよい。」こういうところが、秀吉なのですよね。昌幸が上洛して秀吉に献上した毛皮を、三成は臭いといって下げさせたけど、秀吉はそれを着て昌幸の前に出ました。伊達政宗が作ったずんだ餅を、三成と大谷吉継は食べたくないようなそぶりだったけど、秀吉は美味しそうに食べて「今度は自分が餅をつく」と気に入ったことを見せました。つまり、独裁者として暴走もするけど、常に相手の気持ちの底の部分は、できるだけくみ取っているのです。だから今回は戦のことはいいから早く見舞いに戻れ、会えるうちに会っておけと。そしてやつし比べのとき、皆の笑った顔が心からの思いではなく、士気などとっくに下がっていると、百姓からここまで上がってきた苦労人の秀吉は気づいていたのです。昌幸、源三郎、源次郎たちは上田に戻りました。ばば様・とりを見守って、昌幸の弟・信尹(栗原英雄さん)ら真田の一族がそこにいました。目を覚ましたとりは皆が心配顔で自分を囲んで見ているので「明るく見送れ」と。源次郎が「今から父上が、とっておきの芸を」と言ったので、昌幸は母のために思いをこめて瓜売りを演じます。でもとりは「うるさい。」って。(父上、可哀想)そしてそのままナレーションで永遠の眠りに・・・。と思ったら、とりの目が開いて「ちと早過ぎた」と言って起き上がり、「兄弟二人、ついておいで。」と、息子二人ではなく孫二人を連れて、上田の地が見渡せる窓際に行きました。「ばばはあの世へ行く前に、二人に言っておく。 これだけは忘れるな。 たとえ離れ離れになっても真田は一つ。 心さえ繋がっておればな。 真田の家を、この地を、守り抜け。 人は、誰も宿命を持って生まれてくる。遅いも早いもない。 己が宿命に、気づくか 気づかぬか。 見ておるぞぉ、ばばは。 怠るな。」ばば様は命の最後の灯を照らして、源三郎と源次郎の二人にこれからのことを言い聞かせ、文禄2年(1953)8月1日、その生涯を閉じました。瓜の画像はないので、桃で。昌幸パパの瓜売りは声がよくて、草刈さんらしくポーズも目線もすごくカッコイイです。小日向さんは、いかにも百姓っぽい演技をされてたと思います。草刈さんの瓜売り見て、全国のノリのいい茶の間では、瓜売りを口ずさんで踊る人が多数出現したとか。twitter 内では「パパが瓜売りをやってくれたら言い値で買う!」というのもありました。
July 6, 2016
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NHK大河ドラマ 『真田丸』 。第47回感想の後半で、前回の日記の続きになります。慶長19年(1614)12月18日、和睦交渉は徳川方の京極忠高の陣で行われ、豊臣からは常高院(初;はいだしょうこさん)に大蔵卿局(峯村リエさん)ときり(長澤まさみさん)が同行して会談に臨みました。徳川からは家康の側室の阿茶局(斉藤由貴さん)が来て、女たちの和睦交渉が始まります。阿茶局は豊臣方に、御上様(茶々)は人質としない、秀頼公も領地替えはしないし身の安全は保障する、城の明け渡しも要求しない、もし大坂を離れるなら好きな国へ、牢人たちも処罰はしない、と伝えました。大蔵卿局には好都合の条件で「良いことずくめ」と喜び、阿茶局は大蔵卿局と二人で話を進めてしまいます。常高院が意見したくてもできない雰囲気を察したきりは、幸村の指示どおり突如、「あーーっ!脚がつりました!」と叫んで演技して、流れを中断させます。そしてここでやっと常高院が、牢人たちのために領地を増やしてほしい、このまま仕官するつもりの者も大勢いると意見します。それを受けて阿茶局は、真田丸があると牢人たちがいつまでも居座る、真田丸を取り壊し、「ついでに」掘も埋めてしまおう、そうそれば牢人たちは出ていくしかなくなる、と言い出しました。大蔵卿局はますます大喜びです。しかしこれを認めるわけにはいかないので、きりがまた「脚が~~!」と演技して流れを止め、常高院が「その件はいったん城に持ち帰り、右大臣さまと相談して」と返します。これを阿茶局は、男たちに返すとまた血が流れる、私たちだけで決めてしまいましょうと即座に返して、大蔵卿局と二人で話をまとめてしまいました。家康が「真田丸がある限りどうにもならん」と言っていた真田丸を取り壊させ、「ついで」の話で掘も埋めさせる、徳川家康(内野聖陽さん)も大手柄じゃと喜ぶ、阿茶局の見事な手腕でした。関ケ原の戦いの前に家康が淀君(茶々)に、「ついでに豊臣の旗も」と許可を得たように、徳川家では「これこそ大事」という話は「ついでに」の後にくるようですね。和議で決まったことが大坂城の豊臣秀頼(中川大志さん)のもとに書状で届き、真田左衛門佐幸村(堺雅人さん)はその内容が何かおかしいと感じていました。和議に同行したきりに確かめたら、きりは掘を埋めることと真田丸のことが書いてないと言い、そこへ高梨内記(中原丈雄さん)が「一大事!」と駆け込んできました。そう、徳川方による真田丸の取り壊しが始まったのです。重臣会議の場で「私が許しました。」と胸を張って言う大蔵卿局の愚かさに、幸村の怒りが爆発します。「家康のまことのねらいはそこだった。 出城も堀も失っては戦えませぬ。 戦えぬ我らに、家康が約定を守るとお思いかーっ!」豊臣のために最高の仕事をしたと自負していた大蔵卿局が、幸村だけでなく息子の大野治長(今井朋彦さん)にまで「母上は豊臣をお潰しになられるおつもりか」と責められ、反省どころか最後は逆ギレでした。大蔵卿局は悪いお方ではないけど、主の茶々と秀頼のことしか頭になく、あまりにも牢人衆を毛嫌いしました。いくら上の者が上策をたてても、それに従い命がけで実行してくれる人たちがいなければ事がうまく進まないことを、まったく理解していないのです。そして、どんなに聡明でも致命的なまでに気が弱くて、さらには何が何でも自分たちに優位になるように事を運ぶ意思がない常高院には、豊臣家と10万人もの人間の運命を左右するような交渉事は、最初から無理があったのです。それに気がつかなかった幸村の大失策でしょう。足袋もはけない侍女の身分で、和議の場で発言が許されないきりが身体を張って頑張って流れを止めても、どうにもならなかったのです。それからあっという間に真田丸は破却され、掘も埋められていき、大坂城は本丸のみを残す形になりました。その姿に「これぞ、城攻めよ」と高笑いする家康と、そして「もはや勝ち目はない」と失意のどん底に沈む幸村がいました。幸村は牢人たちに、早く城を立ち去るように言い、次に春(松岡茉優さん)と大助(浦上晟周さん)には、上田に行き、兄・信之を頼るように言いました。しかし、そんな話をしていたところに五人衆をはじめ牢人の皆が続々と集まってきました。そう、大坂城がこんな姿になっても、彼らはまだあきらめていなかったのです。後藤又兵衛:「何のんびりしてるんだよ。早く策を立てて くれよ。俺たちはうずうずしてるんだ。」明石全登:「私は何のために九度山へ行ったのです。」長宗我部盛親:「わしらはおぬしに従う。」毛利勝永:「考えろ。どうすれば勝てるか考えるんだ。」木村重成:「あなたは勝つために、ここへ来られたのでは ないのですか?」作兵衛:「殿、徳川にひと泡吹かせてやりましょう。」大野治房、塙団右衛門:「お願い申す!」他の皆もそれぞれに幸村を鼓舞して叫んでいたら、そこへ秀頼が現れました。礼をとる幸村に秀頼も膝をついて顔を合わせ、幸村の手をとって言います。「望みを捨てぬ者だけに道は開けると、そなたは言った。 私は、まだ捨ててはいない。」秀頼の言葉に「かしこまりました」と応えた幸村を見て又兵衛が立ち上がり、他の皆も一斉に立ち上がって、鬨の声を上げました。「えい!」「おーぅ!」、「えい!」「おーぅ!」、・・・失意の自分を励まし、そして頼ってくれる同志たち。力強く鬨の声をあげる皆の姿を見て、幸村の闘志は再び燃え上がり、心の中で何かを決意したのでした。今年の2月に大阪明星学園の外(興徳寺の向かい)に設置された『真田丸顕彰碑』です。今年に入って真田丸関連の歴史番組がたくさんあるおかげで、真田丸のいろんなことがよくわかって面白いです。
November 29, 2016
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NHK大河ドラマ 『真田丸』 。ドラマを観ているとときどき、「あっちのドラマではこのシーンは…」なんて思うことがあるのですが、今回は多くの人の頭の中で “のぼう様” が活躍していました。では前回の日記の続きです。東山道を進み、上野の松井田城を攻略した後、忍城は真田源三郎信幸(大泉洋さん)が攻めていました。しかし忍城の抵抗もなかなかのもので、報告を聞いた石田三成(山本耕史さん)は、忍城一つ落とすのにどれだけ手こずっておるのかと苛立っていました。大谷吉継(片岡愛之助さん)が「戦は机の上の軍略どおりには運ばんものじゃ。」と意見しても三成は「しかし、これほど長引くとは」と、やはり苛立っていて、ストレスがお腹にきちゃってました。そして豊臣秀吉(小日向文世さん)に謁見するために5月の9日に会津黒川城を出ている伊達政宗はなかなか到着せず、ようやく6月の9日に、死装束というパフォーマンス付きで秀吉に恭順の意を示しました。伊達政宗も恭順したので、この小田原にいる理由もないと、秀吉は北条への総攻撃をすると言いました。しかし大谷吉継が、北条方で他に残っている忍城や鉢形城を先に落とせば、北条はもう降伏する以外なくなるだろうと、秀吉に進言します。秀吉は早くカタをつけたいのですが、徳川家康(内野聖陽さん)も吉継と同じ意見です。そこで秀吉が、佐吉(三成)はどうしているかと問うと、当初の見立てと変わってきたので算段のし直しをしていると、真田源次郎信繁(堺雅人さん)は報告します。そんな三成のためを思ってか、吉継が「石田治部は頭で考え過ぎるところがあります。 まことの戦場で采配を振るったことはほとんどありませぬ。 いかがでございましょう。 この際、石田治部に忍城を任せてみるというのは。」と意見を述べ、秀吉もそれを了承しました。たしかに、机に向かってあれこれ考え過ぎて、三成さんは疲れ果ててゲッソリやつれてましたから。その頃の北条家では、氏政(高嶋政伸さん)は「降伏するくらいなら城に火を放ち、わしは腹を切る」と、まだ徹底抗戦を主張しています。板部岡江雪斎(山西惇さん)が、徳川殿に頼んで助命嘆願し、お二人のお命は必ず守ると訴え、氏直(細田善彦さん)も父に、ここは江雪斎を信じて!と訴えます。それでも、まったく聞く耳をもたない氏政です。「ご隠居様は、かの早雲公以来代々の名家、北条を、滅ぼ されるおつもりかぁ!」江雪斎が涙ながらに訴え、ようやく氏政は「従いはしよう」と言います。しかし、今後北条は上杉と同等の扱いとせよ、本領は安堵して、以後も豊臣家の重臣として丁重に扱え、それならば頭を下げようと。この期に及んでも、あれこれ条件を出します。しかも、我が命と引き換えに家臣たちにはお咎めなきよう、ではなく、どこまでも自分の誇りと安泰が一番です。その言い分は案の定、秀吉を激怒させました。秀吉がいよいよ総攻撃を命じますが、大谷吉継と家康が、北条氏政は生かしておけば必ず役に立つ、死なせるに惜しい男と意見します。しかし北条をかばう二人の考えに秀吉はもう面倒になり、しばらく茶々と温泉に行ってくる、自分が戻るまでにカタをつけよと命じて、軍議の場を去っていきました。そして場面は、忍城近くの上杉の陣へ。三成が到着し、上杉景勝(遠藤憲一さん)、直江兼続(村上新悟さん)、真田昌幸(草刈正雄さん)、源三郎らに対し、本来ならば鉢形城攻めに向かっているはずなのに、なぜここにいるのかと叱責します。そして、これより方々は直ちに鉢形に向かわれよ、忍城は自分が受け持つ、自分なら4日で落としてみせる、と三成は豪語します。それを聞いて思わず「ハッハッハ」と苦笑する昌幸。「どのように攻めるのか」兼続が問うと、三成が「殿下は水攻めをお望みである」と言います。昌幸が、水攻めではどれだけ時がかかるかわからない、と意見します。それでも三成は、ここに来る前にぐるりと回って様子を見てきた、自分の見立てによれば都合4日で落ちる、と自信満々の強気の主張です。戦場での実践経験が乏しい三成の、まさに机上の空論を聞いている一同の、呆れ果てた顔、顔、顔。(特に兼続さんが~~笑)ドヤ顔の三成さん、後で“のぼう様”にやられますぞ。そして小田原では源次郎が大谷吉継の陣に呼ばれていて、吉継から、「源次郎、小田原城中へ行ってくれ。氏政に会って説き伏せてくるのだ。」と密命を受けます。なぜ自分が使者に?と問うと、行けばわかると。指示された場所に行くと本多正信(近藤正臣さん)がいて、もう氏政を説得できるのは源次郎しかいないと江雪斎から自分に相談があった、と話しました。そして自分も同じ思いだと。ただ城内には降伏に不承知の者も多いので、くれぐれも気をつけるようにと、正信の助言がありました。生きて帰れるかと不安に思った源次郎に、「佐助がいる限り、ご心配には及びません。」と佐助(藤井隆さん)が陰から護衛を申し出てくれました。城内に入った源次郎は江雪斎と合流。源次郎は江雪斎に、なぜ自分で氏政を説得しないのかと尋ねると、江雪斎は言います。「まことに追い詰められたときには、しがらみのない者の 言葉にこそ人は心を動かす。 まずは御屋形さまに会うてくれ。」源次郎と会った氏直は、両手をついて源次郎に「どうか、どうか、わしらを救ってくれ。」と必死に訴えて頼みます。江雪斎も「北条の命運がかかっておる!」と。氏政に会うために廊下を移動していると、予想どおり、降伏に反対する家臣たちが源次郎を襲ってきました。廊下での乱闘の後、庭に出たら敵に取り囲まれてしまった源次郎、危うし!すると佐助が煙幕弾をボオォーーン!(あたり一面真っ白に)そして門を出ようとした源次郎をつかんで引き寄せたのは、なんと、本能寺の変の後ではぐれ、行方知れずだった、あ、義兄上~~!(姉の松の夫、小山田茂誠:高木渉さん)義兄上とこんなところで再会とは。いつもながら、思いもよらない展開があるドラマで楽しいです。(画像は、上田城の東虎口櫓門です)
June 14, 2016
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NHK大河ドラマ 『真田丸』 。北条氏政は死ぬまでに多くの人に心を砕いて説得されて、ある意味幸せな人生だったのではと感じた回でした。小田原城内に入り、そこで義兄の小山田茂誠(高木渉さん)と思いがけない再会を果たした真田源次郎信繁(堺雅人さん)は、茂誠の誘導で蔵に隠れました。蔵の中で茂誠が北条に来たいきさつを話していたら、板部岡江雪斎(山西惇さん)が迎えにきました。源次郎は茂誠に「とてつもなくいい話がある」なんて、気を持たせたまま、話は中断しちゃいました。源次郎は北条氏政(高嶋政伸さん)の元に使者として赴いたものの、源次郎を憎き真田の使者だと思った氏政は家臣に、源次郎を殺せと命じます。(天井裏には護衛の佐助(藤井隆さん)がいます)源次郎は氏政に、自分は豊臣の使者として来た、勝敗は決している、城兵の命を救うためにも降伏を決心してほしい、徳川さまの手紙だけでも読んで欲しい、と訴えます。氏政は江雪斎も含め、家臣を下がらせました。そして城の外で何が起こっているかと源次郎に問い、そこで氏政は信じ難い話を聞くことになります。関東の大名や国衆で北条に従う者は誰もいない、頼みの伊達政宗も豊臣に下った、周辺の味方の城はことごとく落ちた、そして沼田は真田が奪い返した、と。豊臣の家臣として新しい道を生き直すよう、源次郎は氏政を説得します。降伏か否かの結論はまだ出せないけど、氏政は源次郎の話に耳を傾けたのでした。江雪斎は源次郎の働きをねぎらいました。城外に出る前に先ほどの蔵に戻った源次郎は、そこで待っていた義兄の茂誠に、姉の松が生きていることを伝えます。愛妻が生きていたことに喜び、むせび泣く茂誠です。でも姉の松が昔のままだと言いつつも、源次郎が「ただ…」なんて言ったために、またもや気を持たされて別れることになった茂誠さんでした。そして7月5日、北条氏直(細田善彦さん)は頭を丸めて、秀吉に降伏することを伝えました。その5日後、氏政も髷を落として秀吉に降伏しました。秀吉は、家臣の命は助ける代わりに、抵抗が長引いた代償として氏政には切腹を命じました。長年北条と戦ってきた徳川家康(内野聖陽さん)だけど、なんとか氏政を助けたく、上杉景勝(遠藤憲一さん)と真田昌幸(草刈正雄さん)とともに、氏政に会いにいきました。景勝は、髻を切って殿下に申し上げる覚悟だと言います。ミスター慈愛の景勝さまは、相変わらずその場のムードに流されてしまうお方のようです。そして対照的なのが昌幸で、「死にたければ死になされ」と言い出し、氏政を生かそうと必死な家康が思わず「安房守!」と振り返ります。しかしその真意は、生きておればまだまだ楽しいものが見られる、このまま秀吉の天下が来るとは思えない、もうひと暴れしたいとは思わないか?ということでした。家康、景勝、昌幸それぞれが氏政に生きるよう説得しましたが、結局はどうにもならないことでした。「ここまででござるか。」「北条殿、よき戦相手でござった。」氏政への、それぞれの涙ながらの手向けの言葉でした。控えの間で待っていた従者たちとともに真田家、上杉家の皆が去った後、江雪斎は庭に出て館に静かに一礼します。翌日、氏政は汁かけ飯で最期の膳をとり、切腹しました。家康らが氏政を生かそうと何度も必死になる場面を見て私は、最初はちょっとしつこいというか、なぜそんなに生かそうとするのかと思ってました。しかし自分のこれまでの経験を考えてみました。面従腹背させられた相手が目の前から消えたら、ただただホッとして喜ぶことでしょう。でもそれが、何かの利害関係があって幾度も幾度も戦ってきた相手のときは、あるとき急に利害関係がなくなったり、急にいなくなったりすることがあると、ふっと妙な寂しさや連帯感を感じてしまうのです。それが今生の別れとなると、なおさらのことでしょう。だから家康たちはあんなにも氏政をかばい心を砕いたのかと、私なりに思いました。さて、茂誠が案内した蔵の中で大量の鉛の延べ棒を発見した源次郎は、刻まれている印に見覚えがあったので、大谷吉継(片岡愛之助さん)に相談しました。そして、これはどうやら千利休(桂文枝さん)が鉄砲の玉をつくる鉛を北条側を売りさばいていて、結局は戦闘がなくて使われずに残ったのだろうということでした。急ぎ小田原城内に鉛を押収しに行く吉継と源次郎。しかし一足遅く、利休は証拠となる鉛を全部持って逃げ去った後だったのでした。(長くなったので、ここでいったん分けます)景勝さまが直江兼続に「なにも約束はしておらぬ。」って言ったとき、シリアスな場面なのに思わず笑っちゃいました。画像は、上田市観光会館に展示されている真田家三代の甲冑です。
June 20, 2016
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今日は一日ずっと断続的に雨が降りましたそして気温は、この時期とは思えないほど涼しく約27℃。去年の恐ろしい連日の猛暑を思うと、信じられない数値です。今日は特に出る用事もなく、先日放送分でまだ観てなかった 『江~姫たちの戦国』 の録画を観ていました。まあ相変わらず、といった展開でしょうか。以下は第11回~第30回にかけての、私の感想です。江 が言う 「戦は嫌にござりまする」 という言葉。この時代は誰もがそう思ったこと。しかし 江 の場合その背景にある思いは、父・母・夫といった身近な愛する人を失うという意味だけ。それがふつうなのでは?と思う方もあるでしょうけど、江 はふつうの女性ではなく、大身の姫に生まれ、今では徳川家の嫁なのです。かつての大河ドラマで山岡荘八氏が原作の 『徳川家康』 の中では、側室の中でも家康からの信頼が厚く、家康の最愛の女性だったといわれる西郷局(お愛の方、秀忠の生母)は、重病の床から家康に進言をします。「東へお移りくださいませ。(関東移封のこと) 殿がお忍びくだされば、民百姓は戦の苦から救われまする。」「出すぎたことを、お許しくださいませ。」と詫びつつも、側室の身であっても下々を気に掛けるお愛の方の姿。観ていて心にじーんと残るものです。それにひきかえ、江 の思いが及ぶのは自分とその周りの、まさに “半径3メートルの世界” のみ。なんと残念な姫、残念な奥方であろうか。では、このドラマの中では最初から 政(まつりごと) は気にもかけなかったのか?いや、違う。 ちゃんとその場面はありました。第1回の放送では、小谷山を散策して琵琶湖を眺めながら、浅井長政はお市の方に “頼み” をしました。「この土地と琵琶の湖、そしてここで暮らす民たちを、あなた にも愛してもらいたいのです。」 と。第8回放送では、北の庄で柴田勝家がお市の方と三姉妹に「上に立つものは常に下の者に心をくばっておかねばならぬ。 皆に支えられておること、断じて忘れてはならぬ。」厳しく言い渡しました。なのに!、それが三姉妹が秀吉に庇護されてからというもの、三姉妹の話題といえば恋愛、夫、子どものことばかり。これは平日のお昼のドラマか?・・・否、NHKの大河ドラマである。そうかと思えば、江 は秀吉をはじめ自分の周囲にいる者に、いちいちおかしな首の突っ込み方を平気でする。(これについては思い出すとイラつくので割愛。)秀忠の言葉遣いや態度は、あれが徳川家の嫡男か?(ちなみに 『篤姫』 のときは、篤姫が姿勢を崩すと、教育係りの 幾島から 「居住まい!」 と叱責が飛んだ)その他もろもろ、なんともおかしな展開、ありえんことの連続。脚本家の妄想が暴走したのか?、そんな印象でした。しかしそんな 『江』 でも、私の中では先週からは観る印象が変わってきました。なにが、どう、変わったのか。なんか文章が長くなってしまったので(汗)、また明日の日記で続けることにします。我が家のやんちゃ姫様(白にゃん、リリーちゃん)は、江姫様並みにあちこち動きまわるお方です。この画像の日記は コチラ です。よろしければ、どうぞ
August 20, 2011
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2018年NHK大河ドラマ 『西郷どん』 。第36回の部分的な感想です。今回から戊辰戦争の皮切りとなる鳥羽・伏見の戦いが始まり、幕末のドラマとして盛り上がってきました。兵たちが塹壕を掘って土嚢を積んで、砲撃のシーンもけっこうあって、野外ロケでの迫力ある演技や演出をじっくり味わえました。そして今回意外な展開だったのは、松田翔太さん演じる徳川慶喜が、これまでは慶喜が異国に日本国を売ろうとしていると思われてきたけど、実は慶喜なりに日本国を守ろうとしていたということでした。勝海舟@遠藤憲一さんとの場面はお二人とも感動でした。そしてもう一つの意外は、幾島を演じる南野陽子さん。私の中では 2008年の大河ドラマ『篤姫』で幾島を演じた松坂慶子さんが強烈に記憶に残っています。特に幾島が大奥に再登場したときは、百万の味方を得た思いの篤姫と、思わず同じ気持ちになりました。で、この『西郷どん』での幾島@南野さんはどうなのかなと思っていたら、これまた意外な形での再登場でした。「もす。」・・そうか、南野さんにはこれがあったか(笑)慶応4年(1868)1月3日夕刻、京の守りを固めていた薩摩を中心とする新政府軍は、大坂城から御所へ向けて進軍を開始した旧幕府軍と、鳥羽と伏見で激突しました。遠くから聞こえてくる砲撃音に公家たちは皆、恐れおののいて右往左往です。右の方が中山忠能役の緒方賢一さんで、この方が『宇宙戦艦ヤマト』のアナライザーの中の方だったのですね。(デスラー斉昭がご退場の後は、アナライザー忠能のご登場でした)兵力で勝る旧幕府軍の猛攻に新政府軍は劣勢を強いられていました。そこで形勢を逆転させるために最後の手段として、大久保一蔵は岩倉具視の指揮の元、ゆうに作らせた錦の御旗を戦場に持ってきて掲げさせました。錦の御旗の効果は絶大で、旧幕府軍は一気に戦意を失い、兵士たちは攻撃をやめ、次々と戦場から逃げていきました。吉之助は藩士たちに、このまま一気に大坂まで追い討ちをかけるよう命じ、戦況が有利になって士気の上がった新政府軍は追い討ちを開始しました。そんな中、戦場で吉之助の弟・信吾(錦戸 亮さん)が敵の銃弾に倒れました。相国寺は昨年の夏、NHKーBS『英雄たちの選択』の応仁の乱の回でしっかりと見ていたので、京都御所との位置関係がすぐに想像できました。 コチラ西郷吉之助(鈴木亮平さん)は弟・信吾の容態が内心気になるものの、戦のさなかに私情を挟むこともできず、作戦会議に出ていました。1月6日、旧幕府軍を追撃して八幡(京都)まで来た新政府軍は、対岸の山崎に布陣していた津藩が寝返り、徳川の軍勢に砲撃を始めたという報を受けました。形勢は不利だけど大坂城に籠城して時をかせげば戦えるという皆の強い思いに、徳川慶喜(松田翔太さん)はそのときは「余についてこい」と言いました。しかしその夜、慶喜は少数の重臣だけを連れて、味方の兵を戦地に置き去りにして大坂城を密かに脱出し、開陽丸で江戸まで逃げました。慶喜が江戸へ逃げたという報を受け、新政府軍は勝鬨の声を上げました。村田新八は吉之助に、戦は後は自分たちがやるから(瀕死の)信吾のところへと言うけど、吉之助は慶喜討伐の許しを得にと御所へと行ってしまいました。戦で負傷した者たちが手当てを受けている相国寺に突然、異人がやってきました。異人が京に入ることが許されなかった当時、異人は天狗や鬼のレベルでした。しかし同行しているのは薩摩藩の家老・大久保一蔵(瑛太さん)なのだから、皆さん、もうちょっと冷静になってもいいような。彼は世界最高峰の技術をもつ医者のウイリス(ネイサン・ベリーさん)でした。天狗じゃなくて医者とわかったとたん、お虎が信吾の治療を必死になって頼み、ウイリスの手術によって信吾は一命をとりとめました。他にもこのウイリスの治療によって、たくさんの命が救われました。術後、目を覚ました信吾に一蔵は、ウイリスをここに来れるようにしたのは吉之助だったことを話しました。「戦で何十人も死なせている自分が信吾だけを見舞うことはできない。」そう言うけど吉之助が内心は人一倍身内思いなのをわかっている一蔵です。なので信吾を救う手立てをちゃんと調べてありました。(やっぱ吉之助を陰で支えて役に立つことをする=正妻は一蔵ですね)慶応4年(1868)2月、吉之助たちは関東を征伐するために京を出発しました。世話になった鍵屋直助(西沢仁太さん)らに挨拶をし、まだ怪我が治っていないけど兄さぁと一緒にいたいという信吾の同行を許し、江戸へ向けて出発しました。3月6日、駿府城にて、新政府軍の大総督府は軍議を開きます。尾張の徳川義勝や静寛院宮(和宮)から嘆願が来ている、慶喜は上野の寛永寺で謹慎している、新政府軍の進軍をとどめるべきと林玖十郎(岡部たかしさん)は主張しますが、吉之助は「慶喜討伐は天子様の御命令」と主張。そして軍議の結果、新政府軍の江戸城総攻撃は3月15日と決定しました。謹慎している慶喜のところへ勝海舟(遠藤憲一さん)が来て、官軍が箱根の関を越えてもうすぐ川崎に入るという知らせを持ってきました。勝は慶喜に、旧幕府軍には洋式訓練された精兵がいる、最新式の銃も大砲も、なにより12隻の軍艦がある、本気になれば勝てると言います。さらに勝は、フランスの力を借りて大坂湾から京を攻撃できると続けます。しかし慶喜は、それならたしかに勝てるがそのときには日本は終わる、日本は異国の手に渡る、そのようなことだけはさせぬ、と強く言います。慶喜が戦を続けない、どんな沙汰でも甘受するという意思を確認した勝は・・幕臣の山岡鉄太郎(藤本隆宏さん)に、すぐに駿府に行くよう命じました。勝からの書状には、官軍は進撃をとどめ吉之助にはすぐに江戸に来て会ってほしいとありましたが、吉之助はそれを断りました。しかし切腹覚悟の山岡の説得に折れ、吉之助は勝の要求を受け入れました。薩長を中心とした新政府軍は、東海道、東山道、北陸道から江戸を目指して進軍していましたが、吉之助はそれらを一旦とめ置き先に江戸に入りました。江戸で久しぶりに磯田屋に入ってみたところ、自分たちが薩摩の者だとわかると食事をしていた人々が逃げるように一斉に出ていってしまいました。中村半次郎(大野拓朗さん)が「せっかく女子の酌で酒が飲めると思ってたのに」とボヤいだら「女子やったらここに一人~」と突然、幾島(南野陽子さん)が吉之助たちのところに現れました。相も変わらず薩摩言葉で挨拶する吉之助に幾島さま、思わず反応(笑) 第10回 幾島は吉之助に会うために薩摩藩邸まで出向き、それから磯田屋に来たのでした。徳川家臣の身なりになり、幾島に付き従う形で江戸城に入った吉之助。幾島や侍女たちが次々とひざまずくその先にいたのは・・今は天璋院(北川景子さん)となった篤姫でした。互いに地位も立場も大きく変わってしまった二人の、12年ぶりの再会でした。(このときに流れる尺八のBGMがすごく好きです)
September 25, 2018
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2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。この回は徳川家康の生涯の中でも最大の悲劇となった、1579年の「築山殿・信康事件」でした。いろいろな説があるこの事件で、ドラマではこれまでにない解釈がされました。ただ私としては、本当の瀬名(有村架純さん)は悪女ではなかったまではOKだったのですが、瀬名が素晴らしい女性であったという部分に重きを置きすぎて、その分、徳川家康(松本 潤さん)が身贔屓でいい加減で頼りない大将になってしまった感じを受けました。ドラマ終盤で瀬名との別れとなるシーン。瀬名が大事なのはいいけど、「国なんぞどうでもいい!知ったことか!」と家康が言ったのは嫌でしたね。1560年の桶狭間の戦いの後、今川から離れるとき、駿府に残る家康(当時は元康)の家臣の妻子たちが、家康の離反の見せしめに処刑されてます。家康の妻子は無事に人質交換が成立し、そこは回想シーンでも出てきて感動的に描かれたけど、それはあの者たちの犠牲があってこそのことだと思います。家康はそういったことを忘れて、家臣たちの痛みに思いが至らない大将なのか?とも思える描写でした。そして徳川信康(細田佳央太さん)の方は、このドラマでは戦場に出てはじめのうちは気分が高揚していたけど、あるときからトラウマなのか戦が恐くなってしまいました。今までに伝え聞く信康は、武勇の誉れが高いだけでなく、家康の側室・お万の産んだ男子を家康は周囲をはばかって遠ざけていたのですが、信康が「我が弟と呼びたい」と父・家康に認知させた優しさも持っています。だから岡崎衆は信康を慕っていて、ドラマでも信康が岡崎を出るシーンでは別れがつらい家臣たちが涙していました。二俣城での最期も、感動的ないいシーンでした。他には、例えば山岡荘八の『徳川家康』では、信康が自刃した後に、後追いで信康の小姓が切腹したともありました。今回のドラマ終盤では、瀬名と家康のシーンが回想も含めてかなり長く続いたので、それよりも「信康を慕って小姓が後追い切腹」なんてシーンを、小姓役をジャニーズの若手がやってくれてたらなあ、とか思ってしまいました。早いもので、ドラマが始まってもう半年が過ぎたのですね。あと半年、どんな展開になるか楽しみです。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #どうする家康 岡崎市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 静岡市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 浜松市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・ぎふ 関ケ原が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 天正7年(1579)、正妻の瀬名が構想した経済で東国を治める案に乗り、武田とは互いに戦を避けてきた徳川家康(松本 潤さん)でしたが、それはやがて織田信長(岡田准一さん)に徳川は武田と内通していると伝わり、家康は鷹狩りと称して出てきた信長に詫びを入れ、その後の指示を仰ぎました。織田の重臣の佐久間信盛(立川談春さん)は、内通の噂は虚説であろうと家康をかばってくれましたが家康は何も弁明できず、そして信長は「徳川の家中のことだから自分で決めろ」と言って去っていきました。その帰り道に家康は瀬名のいる築山に立ち寄りました。瀬名はこの騒動の元である自分と信康が責めを負う覚悟をし、五徳には実家の父・信長に自分たちの悪行を書いた書状を送るよう命じました。そして家康は「瀬名と信康は責めを負って自害したことにして二人を逃がす」と決め、側近たちとともにその手配に動きました。五徳の書状を持って信長のいる安土城に赴いた酒井忠次(大森南朋さん)は、書状の内容のまま瀬名と信康の悪行の数々を信長の前で読み上げ、瀬名と信康は自害と主君・家康は決定を下したと信長に伝えました。一方、家康の命を受けて瀬名と信康を逃がすよう動いていた服部半蔵は、二人の身代わりとなる者を見つけた、二人が岡崎を出た後にその者たちとすり替えて逃がす、しばらくは名を変えて別人として密かに生きて、世が変わればまた元のように、と計画を家康に報告していました。8月に入り、信康が岡崎を出ていくとき、城主だった信康を慕って仕えていた多くの家臣たちが涙しました。(このときすでに逃げるつもりはなく自害を覚悟していた)信康は別れ際に妻・五徳(久保史緒里さん)に「いつでも織田に戻るがよい。」と言いました。しかし(計画どおりいずれ信康が戻ってくると信じていたのか)五徳は「自分はこの先も『岡崎殿』と呼ばれたい。」と言って笑顔で夫・信康を見送りました。ただ山田八蔵(米本学仁さん)はじめほとんどの家臣たちは、武家の世の習いで主君・信康は二度と帰ってこないだろうと考え、辛い別れとなりました。(ここで一つ疑問が。そもそも信康がこうなったのは五徳の書状が原因だと考え、五徳を恨む家臣もいたと思うのだけど、そういう描写は無し。山岡荘八の『徳川家康』では、五徳の愚痴手紙はかなり前のことで一時の感情で書いてしまった、五徳が家臣団の前で信康の助命を家康に直訴して家臣団が五徳を見直したとあり、このほうが流れが自然に思えました。)家康は信康が半蔵たちの計画どおりに動いて、堀江城に入る前に逃げたと思っていましたが、信康は堀江城に入ってしまいました。家康は苛立って半蔵を叱りましたが、半蔵は信康自身にその気がなかったと。そこで家康はもう一度、大久保忠世のいる二俣城に移すと決め、今度こそ信康を必ず逃がすよう半蔵に命じました。しかしそれでも信康は二俣城に入ってしまいました。そして8月末、瀬名(有村架純さん)は築山を出立し、三河領を出た後は小舟で佐鳴湖を渡って冨塚に着きました。大鼠(松本まりかさん)は瀬名に、藪の中にいる瀬名の身代わりの女と早く入れ替わるよう促しましたが、瀬名はその女を逃がしました。瀬名の覚悟を悟った大鼠が瀬名の介錯の態勢をとると鳥居元忠(音尾琢真さん)がそれを阻止、そうこうしていると霧の中から小舟で家康たちがこちらに向かってくるのが見えました。9月15日、二俣城で謹慎を続ける徳川信康(細田佳央太さん)に、守役の平岩親吉(岡部 大さん)は早く逃げるよう再度促し、大久保忠世(小手伸也さん)は力ずくでも逃がすよう殿(家康)から命を受けていると説得しました。母・瀬名が無事に逃げた後にと考える信康は半蔵に訊ね、半蔵の返事からそれが嘘だと感じた信康は、皆の言うことを聞くフリをしました。そして隙をついて親吉の刀を奪い、その勢いのまま刀を自分の腹へ。あれだけ存命を願った若殿・信康の突然の自刃に親吉と忠世は激しく狼狽、でもこの傷ではもう助からないとわかると、守役として岡崎で信康に愛情を注いできた親吉は信康の体を抱きかかえてただ泣き叫ぶばかりでした。絶え絶えの息で信康は親吉に「我が首を、しかと信長に届けよ。」と命じました。そして「信康は見事、務めを果たしたと父上に・・。」と最期の力を振り絞って言伝を続けるけど、もう楽にしてやりたいと考えた服部半蔵(山田孝之さん)は信康の介錯をするから離れるよう親吉に言いました。信康が可愛くて信康から離れない親吉を忠世が力ずくで引き離し、信康が半蔵に視線を送って介錯を頼むと、半蔵は「御免!」と刀を振り下ろしました。(切腹してからの信康は、痛くて苦しいけど言伝を皆に伝えたい思いと、苦しいけど自分を愛してくれた親吉が自分を離さないのをどこか嬉しく思う気持ちと、でも苦しいから早く介錯をと望む気もちがあったのかなと想像しました。)浜松に戻っていた家康は、このふた月ほどの間のことで憔悴しきっていて、於愛の方(広瀬アリスさん)が家康に寄り添っていました。しかし小姓の井伊万千代(板垣李光人さん)から信康が自害したとの報を受けると、家康の疲労は限界を超えて倒れてしまいました。床に伏しても眠れない中で家康の脳裏に幾度も浮かぶのは、佐鳴湖を渡って瀬名を富塚まで迎えにいったあの時のことでした。自害を決意した瀬名を、家康は生きるよう必死で説得していました。しかし瀬名は、こうなったからには信康は生きていまい、だから自分も共にと。「(この騒動の)全てを背負わせてくださいませ。」ーー瀬名の言葉に家康は、「世の者どもはそなたを悪辣な妻と語り継ぐぞ。」と悲しさや悔しさが交錯した思いで涙ながらに伝えましたが瀬名は「平気です」と。そして家康の胸に自分の手をあて、「本当の私は、あなたの心におります。」と言った時、家康はこの世から永遠に去ろうとする瀬名を抱き寄せました。でも瀬名は「ここにいてはいけない」と家康に早く城に戻るよう促し、家康の供をしてきた本多忠勝(山田裕貴さん)と榊原康政(杉野遥亮さん)に家康を連れて行くように命じました。死出の旅立ちを決めた瀬名に悲しみの涙が止まらない家康でした。瀬名はそんな家康に「ずっと、ずっと見守っております。」と言葉と共に最期の微笑みを送り、家康もなんとか少し笑ってそれに応え、自ら小舟に行きました。家康を乗せた小舟が岸を離れ、家康がもう一度岸辺の瀬名を見たとき、やっぱり瀬名を死なせたくない家康は舟を戻せと命じました。暴れる家康を「ご覚悟を!」と必死で抑える忠勝と康政と、そして自分のためにここまでしてくれた家康を見て、もう思い残すことはないと瀬名は微笑み、首に懐剣を当ててひと思いに引きました。大鼠が瀬名の介錯をし、大鼠は瀬名の亡骸に土下座して別れを告げました。
July 4, 2023
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2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回は1570年の姉川の戦いでの物語でした。織田・徳川軍は浅井・朝倉軍に押されていたけど、徳川家康が榊原康政に命じて朝倉軍の側面から攻撃させてそれで朝倉軍が総崩れとなり、まず朝倉が、次に浅井が敗走していった、というのが一般に言われる話です。それをこのドラマでは、徳川家康(松下洸平さん)の判断で朝倉の側面を突いたのではなく、織田信長(小栗旬さん)が密かに家康に命じていた(しかも家康は弱腰で逃げたという偽の情報を流して)という展開でした。同じ歴史上の出来事でも、いろいろな解釈ができて、違った展開をつくれるものなのですね。 それとこのドラマでは、家康の側近として登場するのが(今のところ)石川数正(迫田孝也さん)だけなんですよね。家康が出てくれば徳川四天王と言われる「酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政」も一緒にいることが多いけど、ここではあえて後年、秀吉と深く関係する数正だけになってます。 あまりにもありえない展開は見ていてしらけるけど、脚本の八津弘幸さんは「そういう解釈もあったか」と思わせてくれる方のようなので、迫田孝也さんがどんな数正を演じることになるのか、興味が尽きないところです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄13年(1570)4月、織田信長(小栗旬さん)は越前の朝倉義景を討伐するために出陣しましたが、途中で浅井長政の謀反に遭い、越前の金ヶ崎城から命からがら京まで戻ってきました。信長を京に逃がすためにしんがりを務めた木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)は負った傷と疲れから、無事に戻れた信長の顔を見るなり安堵から気絶して、ずっと眠ったままでした。妹のあさひ(倉沢杏菜さん)が岐阜から看病に来ていて、あさひから自分が8日間ずっと寝ていたと聞かされた秀吉は飛び起きて、すぐに岐阜の信長のもとに向かいました。 そのころ岐阜城では帰還した信長のもとで、実は将軍・足利義昭から命じられて来た明智光秀(要 潤さん)が新たに織田家の家臣となっていて、家臣の皆に挨拶をしていました。 信長はすぐに折り返しての朝倉・浅井討伐に備えるために、木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)に鉄砲の手配がどうなっているのかを問いました。浅井長政に嫁いだ市(信長の妹;宮﨑あおいさん)の身を案じる小一郎は、鉄砲の玉薬を作る硝石が手に入らないため準備にまだ時間がかかると報告しました。信長は硝石の手配を佐々成政(白洲迅さん)に命じ、鉄砲が揃い次第、浅井を攻めて討ち滅ぼすと皆に言い渡しました。 そのとき小一郎がたまらず進み出て、うかつに攻めれば市の身が危ないと進言しました。小一郎は「そんなことはわかっている」と信長だけでなく他の重臣たちからも厳しく叱られ、柴田勝家(山口馬木也さん)から長政は市を離縁して織田に返そうとしたが市自身がそれを拒んだのだと仔細を聞かされました。 その浅井長政(中島歩さん)は、市を織田に返すと言ったもののやはり市にそばにいてほしいと願っていました。長政の思いを知った市は自分も胸の内を隠しておけなくて「実は私はあのとき金ヶ崎の兄・信長に・・・」と言いかけたのですが、長政は市の身を案じて「言うな。」と止めました。そんなところに重臣の宮部継潤(ドンペイさん)が来て、織田の間者を捕らえたと報告しました。庭に引き出されたその者は市に信長の危機を報せたあの若い侍で、信長は裏切りを決して許さない、たとえ身内でも!と言い、市に向かって哀れな女子よ!と罵りました。それを聞いて市が何か言おうとしたら長政は市の手を握り「あの者は市を守ろうとしている」と市を止めました。そして若い侍はその場で斬られました。 信長は市が長政を選んだから容赦しないと言い、小一郎はそれは殿(信長)を助けるために浅井に残った、和睦を!と訴えました。しかし信長は、京から岐阜に戻る途中で六角に襲われた、あれは浅井の裏切りに呼応したもの、ここで和睦をしたら六角のようなやからが次々と出てきて誰も自分に従わなくなる、だから織田を裏切った者の末路は地獄だと世に知らしめる、と言いました。 ではどのように浅井を攻めるかとなったとき、京で療養中だった秀吉が突然、軍議の場に現れました。秀吉は前に進み出て策を進言しました。小谷は近江きっての堅牢な城だから力攻めは無理、まずは浅井の根城を一つずつ潰す、と言ったら竹中半兵衛(菅田将暉さん)が懐から絵図を出して広げ、説明を始めました。 まず浅井方の苅安城と長比城(どちらも滋賀県米原市)を調略し寝返らせる、これで岐阜と京を結ぶ道が保たれ幕府からの援軍が呼べ、小谷を攻める際の背後の憂いもなくなる、横山城は小谷を守る要の城、ここは力攻めで攻め落とす、というものでした。 半兵衛の策に感心した信長は、長政は横山城を見捨てないから城から出てくる、直ちに取り掛かれ、時がたてば朝倉の援軍が駆けつける、その前に決着をつける、と家臣に命じました。 岐阜の屋敷に戻った秀吉は身内や側近の皆と軍議に入りました。小一郎だけでなく秀吉も小谷にいる市の身を案じていて、戦にならないよう苅安と長比の調略で時をかせぎつつ浅井に使者を送り降伏させよう、和睦ではなく降伏ならば信長も納得するであろうと考えていました。しかし苅安城と長比城は半兵衛がすでに調略済みであり、時をかけたとしても浅井が降伏するとは思えない、と半兵衛は考えていて、秀吉がそんなの嫌だと言ってもどうにもなりませんでした。小一郎は、なんとしても市だけでも織田に戻るよう説得するしかないと考えましたが、姉のとも(宮澤エマさん)は、すでに姫が生まれた市が子と別れるのは無理だ、と小一郎に意見しました。 そのころ岡崎城では徳川家康(松下洸平さん)のもとに信長から6月19日までに参陣するよう文が届いていました。側近の石川数正(迫田孝也さん)はすぐに支度を!と立ち上がるのですが家康は動かず、自分が間に合わなければ信長はどうなるのかと家康は考えていました。数正が、浅井だけなら織田が優勢、でも朝倉が援軍に来たら徳川なしで織田は勝てない、と意見しました。家康は数正が我が意を得たりとばかりに、そういうことを信長にわかってもらいたい、と信長を試すつもりでいました。 一方、京の二条御所では、信長の援軍要請に対し将軍・足利義昭(尾上右近さん)は援軍を出さないことにしました。今は我らの身を守ることが第一、信長は我ら幕府の後盾があればこそ大儀を掲げられる、わしは信長の強さを信じている、それが義昭の考えでした。 元亀元年(1570)6月19日、戦支度が整った織田軍は北近江に向けて進軍を開始しました。織田軍は半兵衛が調略済みの苅安城と長比城を通過し、横山城を一旦通過して小谷城の目の前の虎御前山に陣を構えました。 小谷城内では軍議が開かれ、長政は横山城の様子を気にしていて、宮部継潤はまだ攻められていないと報告しました。遠藤直経(伊礼彼方さん)は、ならば小谷城と横山城で織田軍を挟み討ちにすべく討って出ようと言い、宮部はそれは何かの罠だと慎重論で意見が分かれました。長政の父・浅井久政(榎木孝明さん)は、まもなく朝倉の援軍が来るからそれから動けばいいと家臣たちをなだめました。しかし長政は本当に朝倉の援軍が来るのかを疑っていました。 秀吉は市に織田に戻るよう、柴田勝家を通して何度も文を出していましたがいっこうに返事がなく、勝家も苛立っていました。小谷城内にいる市は侍女から織田が虎御前山に陣を構えたとの報せを聞き、兄・信長がすぐ近くにいることを知りました。秀吉の文は市の手元に届いていて、侍女は秀吉の言うとおりにしたほうがいいと進言しましたが、市は信長が出陣するときの「敦盛」を笛で奏でるだけで動きませんでした。 信長は横山城に討って出ると決め、皆に出陣の下知をしました。横山城が織田に取り囲まれたと報を受け、遠藤はすぐに出陣をと主張し、宮部はこれは罠だと再び意見が対立しました。そのときに朝倉の援軍が到着したのですが、来たのは国主の朝倉義景ではなく一門衆の朝倉景健(重岡漠さん)でした。その夜、長政は横山城を救うべく出陣しました。 夜が明け、信長の陣に徳川家康が到着しました。家康は信長に遅参を詫び、武田に備えていたと言い訳しましたが、信長の怒りは相当なものでした。信長の近習に取り囲まれ、信長には嘘が通用しなかった恐怖から土下座して詫びて許しを乞う家康。信長はおびえる家康の目の前に来て何か伝えたようでした。徳川の陣に戻った家康は、わざとの遅参が信長にばれたと数正に話し、自分はこれから姿を消す、そうでなければ信長に殺されると言って数正に後を託して消えました。 元亀元年(1570)6月28日、早朝、姉川を挟んで対峙した浅井・朝倉軍1万3千と織田・徳川軍2万1千の双方が川を渡って動き出し、戦が始まりました。(姉川の戦い)両軍の激突は凄まじく、戦場であっても敵の命を奪うことにまだためらいがある小一郎に秀吉は「今ここからは生き延びるために戦うのだ。」と言ってきかせ、木下隊も戦場に駆け出しました。乱戦のさ中、兄・秀吉を助けるために敵を斬った小一郎でしたが、すぐには動揺が収まりませんでした。 激戦は続き、やはり地の利からか浅井・朝倉軍が優勢でした。織田の陣営では、家康が敵ではなく信長を恐れて戦場から逃げたという噂が広まっていました。次々と押し寄せる敵兵。小一郎は生き延びるために、何も考えずに敵を倒していきました。その敵兵の中に恐ろしく強い者が現れ(浅井家家臣・藤堂高虎;佳久創さん)、秀吉と小一郎と蜂須賀正勝(高橋努さん)の3人がかりでもなかなか倒せませんでした。 一方、徳川軍も朝倉軍に押されていて、指揮を執る朝倉景健はこのまま一気に攻め込み信長の本陣まで突き進むよう命じました。徳川軍の不利な状況を見て信長の側近たちは戦場から消え失せた家康の行方に苛立っていましたが、信長はいたって冷静でした。「これでよい。頃合いじゃ。」信長はそうつぶやきました。 そのとき家康率いる徳川軍本隊が突然現れ、朝倉軍を側面から攻撃して朝倉軍は総崩れとなりました。実は家康は信長に遅参を詫びたときに信長から、戦場から一度姿を消し、合戦のさ中に機を見計らって敵の横っ腹を突くよう、信長から指示を出されていたのでした。家康の本隊が来るまでの間、石川隊だけでなんとか持ちこたえた数正はようやく安堵できました。 形勢が逆転し、迫りくる徳川軍を見た景健は全軍に退却を命じて逃げていきました。長政が浅井軍も撤退かと考えていたら側近の遠藤直経が駆け寄り、もはやこれまで、長政の御首級をもらうと長政に言いました。秀吉と小一郎と蜂須賀はまだあの強者と戦っていましたが、突如戦場に長政にを討ち取ったとの声が響きました。主君を失って男は泣き崩れ、それから戦場を後にしました。 長政を討ち取ったというのは本当か?と秀吉たちが考えていたら、先ほど長政の兜首を持って自分たちの前を通っていった男の兜を思い出した小一郎は、あの男は長政の側近だと気が付きました。小一郎は急ぎ男(遠藤)を追って信長のもとに駆けつけ、遠藤が信長の前に来たときに叫びました。見破られた遠藤は刀を抜いて信長に襲いかかろうとしましたが、信長にの側近たちにその場で討ちとられました。 直後、浅井の全軍が撤退していると報が入りました。信長は、追う討ちは無用、我らの大勝利だと判断。勝鬨をあげるよう皆に命じ、「エ~イ、エ~イ、オ~!」の声が幾度も姉川の戦場にこだましました。ただ秀吉と小一郎は勝利を気持ちよく祝うことはできず、先ほどまで双方が死闘を繰り広げた姉川の河原に足を運びました。累々と横たわる敵味方の死体、血で赤く染まれる川。生き延びるために必死で戦うしかなかったけど、その後に残ったものは地獄だと、二人は言葉を失い涙しました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
April 23, 2026
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2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回は織田信長(小栗旬さん)による比叡山の焼き討ちを背景にした展開でした。信長の命に背いて女・子供に情けをかけた兄・秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)。弟・小一郎(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は兄から宮部継潤(ドンペイさん)の調略を任され、理屈では動かない姉のとも(宮澤エマさん)の説得に苦労しました。 それでもともの夫・弥助(上川周作さん)が「侍になったからには」と考えることができる人だったのが助けになりました。後半で小一郎がともに「百姓だった昔とは違い、わしらは民を守る側になった。」と侍という地位の現実を諭し、夫の弥助も「わしらの万丸が大きな役目を果たすのだ。」と、自分たちは織田家の重臣の身内なのだと妻を諭して、ともがようやく受け入れた部分には静かな感動がありました。 調略成功の結果、信長から切腹を言い渡された兄を助けました。そしてラストで、万丸(小時田咲空くん)を迎えた宮部から、万丸が母・ともからの言いつけを守って宮部家で頑張っていると聞かされたときは、感動が大きかったですね。父母のもとにいるときは甘えて弱虫だったけど、環境が変わり自分の立場を幼いなりに理解したとき、急にしっかり者になる。現代でも子供が幼稚園・小学校・中学校と上がっていく段階でよくあることかなと思いつつ、ラストで泣かせてくれたな~、いい話を聞いたなと思いました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇元亀元年(1570)6月28日、近江で織田・徳川の連合軍と朝倉・浅井の連合軍が激突した姉川の戦いは織田・徳川の勝利となり、小谷城に戻った浅井長政(中島歩さん)は多くの家臣たちを失ったことを悲しみ悔やんでいました。妻の市(織田信長の妹;宮﨑あおいさん)は気落ちする長政に、いつまでも悔やんでいてはその者たちが浮かばれない、その者たちの死を無駄にしてはいけない、と言葉をかけました。市の言葉を聞いた長政は、信長がなぜこれほど強くなったのか今わかった、市がそばで信長を支えていたのだと理解しました。 一方、織田信長(小栗旬さん)は落城した横山城に入って一息ついていました。すると重臣たちが城の蔵にあった酒や肴をみつけて持ち寄り、木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)と弟の木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は信長に楽しんでもらおうと猿踊りをし、慰労の宴会を皆で楽しんでいました。信長は傷心ではないかと案じた秀吉は厠に立つ信長を追いかけましたが、信長はその心遣いは受け取りました。そして信長は秀吉に、自分は明日、岐阜に戻るが戦支度が整い次第またすぐに浅井を攻める、それまでこの横山城を死守せよ、そして(小谷城より約4.5km南にある)宮部城の城主・宮部継潤(ドンペイさん)を調略するよう命じました。 義に厚い宮部には駆け引きは通用しないだろうと考えた秀吉と小一郎は、村人に変装して継潤のいる寺を訪れました。戦場で見覚えがあった二人の変装を見破った継潤は人払いをし、命がけでここに来たことに免じて話を聞くことにしました。秀吉と小一郎は挨拶の後、信長がまたすぐに浅井を攻めに来る、そうなれば浅井に勝ち目はないから織田に味方するようにと、継潤に話をしました。 継潤は、信長は好かぬが、自ら出陣はせずに一乗谷でふんぞり返るだけ朝倉義景はもっと好かぬ、実は迷っていると二人に本音を語りました。そして寝返りの条件として秀吉の子を自分に差し出すよう要求しましたが、秀吉に子がいないと聞くと「近しい身内の子」で構わぬと言いました。 まだ子がない秀吉と小一郎にとっていちばん近しい身内の子といえば、姉のとも(宮澤エマさん)の長男の万丸(小時田咲空くん)しかいませんでした。しかし形式上は継潤の養子でも事実上の人質です。そんなのはともが許すはずもなく、ともの夫の弥助(上川周作さん)にも頼めそうにないことで、二人は頭を抱えました。 そのころ越前の朝倉義景(鶴見辰吾さん)と近江の浅井長政は比叡山延暦寺の天台座主・覚恕(黒田大輔さん)のもとを訪れ、自分たちに味方するよう頼んでいました。信長を嫌う覚恕は快諾し、手始めに織田方の宇佐山城(滋賀県大津市、延暦寺より南に約4.2km)を討つことにしました。元亀元年(1570年)9月、宇佐山城を守っていた森可成(水橋研二さん)は朝倉の急襲を受けて討ち死にし、その報を聞いた信長は激しく怒り、直ちに出陣するよう命じました。織田軍は比叡山を取り囲んだものの、比叡山に立て籠った朝倉・浅井軍とは膠着状態になり、山で暮らしていた女・子共たちは庇護を求めて寺に逃げ込み、そのまま2か月がたちました。長政は女・子供だけでも逃がしてやりたかったのですが義景はそれを許しませんでした。 さて岐阜の木下家では、小一郎はから万丸の件を聞いたともが怒り狂って暴れ、手が付けられませんでした。小一郎はともに、この調略がうまくいけば浅井との戦を終わらせ多くの者が助かる、宮部は万丸を大事にしてくれる、と説得しましたがともは市と浅井長政のことを例え、先のことはどうなるかわからない、絶対に嫌だと怒って立ち去りました。万丸の父である弥助も本当は万丸を手放したくありません。でも弥助は、侍ならば我が子を人質に出すことも従わなければならない、それが嫌なら百姓に戻るしかないと考えていました。 そんなところに兄・秀吉が戦場から戻ってきました。秀吉は小一郎と弥助に、将軍・足利義昭の働きかけにより戦は和睦になった、もう宮部の調略もしなくてよい、万丸の人質は無しになった、と皆で喜び合っていました。 しかし岐阜城に上がると、和睦を望んでいない信長は秀吉に激しく怒りました。柴田勝家(山口馬木也さん)が進み出て、このところ諸国での一揆が激しくてあのまま比叡山に釘付けになっていたら我らも危なかった、と秀吉をかばいました。それでも信長は、まもなく雪が降れば朝倉・浅井も領地に帰ることはできなかった、どうやら将軍・義昭が陰で朝倉・浅井を助けているようだ、と疑って明智光秀(要 潤さん)の前にきて光秀に返答を求めました。信長に気圧されながら光秀が義昭への疑いを否定すると信長は、これで気の煩いもなく比叡山の俗物どもを一掃できると言い、この先我らに従うかどうか、従わなければ女・子供も皆殺しとなる旨の書状を延暦寺に送りつけるよう命じました。その従わなかった場合の皆殺しは織田に刃向かうとこうなるという見せしめであり、それを光秀に命じました。信長の苛烈な命令に思わず息を吞む重臣一同。しかしそのとき秀吉が自分もその命令を受けると進み出たので、信長は光秀と秀吉の二人に命じましたが、ただし、しくじれば自分たちの命もないと心得よ、と念押ししました。 軍議の後で秀吉と二人きりになったとき小一郎は、なぜあんな命令を自ら引き受けたのかと兄に詰め寄りました。秀吉は、延暦寺には逃げ込んだだけの者がたくさんいる、せめてその者たちだけでも逃がしたい、と言いました。小一郎が、軍目付が目を光らせている中でどうやって殿・信長にばれずに逃がすのか!?と問うても秀吉は答えられません。秀吉は、ただ一つだけ、自分が侍になったのは無情に人を殺めるためじゃない、とはいえ殿に逆らうことはできん、と言いました。 秀吉は、此度は自分に何かあっても助けんでいい、その代わりに宮部継潤を必ず調略するよう頼みました。殿は浅井討伐をあきらめてはいない、万丸を預けて宮部を調略できなければこの先また戦で無駄な血を流すことになる、ともを説得できるのは小一郎だけだ、頼むぞ!と伝えました。 夜になり、小一郎は義兄・弥助と二人きりになり、万丸の件を頼もうとしたら、弥助は昼間の話を聞いていたとのことでした。弥助はいたって冷静でした。そして小一郎のほうを向き、思いを伝えました。「わしは侍になってよかったと思っている。このような暮らしができるのも秀吉はと小一郎のおかげだ。感謝している。侍ならば子を手放さねばならぬのも覚悟の上だ。万丸には立派な侍になってもらいたい。だがお腹を痛めて産んだともの気持ちはわしら男には計り知ることはできぬ。どれほどの悲しみか。でも最後にはきっとわかってくれるはずだ。お前の姉様は肝の据わった女子だから。わしはそこに惚れたんだ。」そう言って弥助は少し微笑んで涙をこらえていました。 元亀2年(1571年)になり、ついに比叡山の総攻撃の日がきて、秀吉と光秀は出陣しました。織田軍と僧兵たちとの激しい攻防が続きます。お堂に隠れていた女・子供たちは攻め寄せる織田軍にただ怯え悲鳴をあげるだけでした。秀吉にはやはりこの者らを斬ることはできず、信長の命に背くことになるけど、逃がしてしまいました。 そのころ小一郎と弥助は、ともとの話し合いを重ねていました。小一郎は姉のともに、子のいない自分にはいくら考えても姉様のつらい気持ちはわからぬと詫び、それでも説得を続けました。「わしらはもう百姓ではない。侍なんだ。わしら家族は守られる側ではなく、守る側になったのだ。一人でも多くの者が助かる道を選ばなければならない。人質などなくとも皆が笑って生きられる世をいつか作ってみせる。わしらはそういう侍にならねばならぬ。」母のなか(坂井真紀さん)と妹のあさひ(倉沢杏菜さん)も同席する中で小一郎は、昔とは違うということを切々と訴えました。 納得なんかできないけど、ともの頬を涙が伝っていました。夫の弥助も涙を流しながら思いを語りました。「わしは侍になってこれまで何をしたということがない。でもそんなわしらの子が多くの者の命を救えるのかもしれん。わしらの万丸が大きな役目を果たすのだ。誰にでもできることではない。その姿を見守ろうではないか。」 小一郎は「万丸のことはずっと見守り続ける。どうかわかってくだされ。」と言い、弥助は二人で土下座をしました。弟だけでなく夫にも説得され、そして母・なかが「万丸もまたいつか一緒に暮らせる(意訳)」と言い、ともはもうこの件を受け入れるしかないのだと悟りました。 比叡山では建物に火が放たれ、命を奪ってしまった無抵抗の者たちの亡骸を前にして、光秀は呆然と立ちすくんでいました。比叡山でのことを光秀が京の二条御所にいる将軍・足利義昭(尾上右近さん)に報告すると義昭は、人の所業とは思えぬと言って光秀を外道呼ばわりしました。光秀が詫びながら、信長は我らを疑っている、信長の目は欺けない、義昭との約束を果たすためにしたことだと訴えました。自分のためにそのようなことをさせてしまったたのかと思った義昭は、光秀に自分のもとに戻ってこいと命じて去りました。 後日、岐阜城では信長が光秀の働きを褒め、近江国志賀郡の領地を与え、城持ち大名としました。そして命令違反をした秀吉に切腹を申し付けたとき、小一郎がしかさず「お待ちください!」と進み出ました。小一郎が「お連れいたせ!」と言うと宮部継潤が現れ、信長の前に進み出てました。小一郎が「元・浅井家臣」の宮部継潤と紹介し、宮部が信長に挨拶をしました。宮部は、小一郎の情理を尽くした話に心を動かされて織田の配下になろうと決めた、木下家が身内の子を自分に預けてでもという覚悟を見せてくれたからには自分も約束を守らねばならない、と信長に考えを述べました。 小一郎は信長に、兄は見事に殿の期待に応えた、どうかこれを以って比叡山でのことはお許しください!と訴えました。信長は、それとこれとは別と言ったのですが、かつて比叡山の僧だった宮部が秀吉をかばう発言をすると、信長もようやく秀吉を許す気になり、秀吉をじろりと見て「此度だけだ」と切腹の命令を撤回しました。小一郎だけでなく光秀の目にも安堵の涙が浮かんでいました。 万丸が宮部のもとに行って3か月がたったある雪の日。木下家に宮部が来ていて、小一郎は万丸の父と母である弥助とともを紹介しました。ともは宮部の前に進み出て、万丸に渡してほしいと綿入りの腹巻を差し出しました。宮部が快く受け取るとともは、それから万丸が眠れないときは、それから・・と思いつくまま伝えようとしました。他家に行った弱虫の我が子がただ心配でならない母の姿でした。宮部は優しく受け止め、万丸が養子に来てからの三月、ただの一度も泣いていない、時折り寂しそうな顔は見せるけど懸命に耐えている、と様子を伝えました。「一人でも泣かぬ。強くならねばとおっか様からそう教わったのだと、万丸はあなた様の教えをちゃ~んと守っている。」とともに伝えました。万丸は自分の教えを守っている、宮部家で本当に大事にされているのがわかったともは宮部に「よろしくお頼み申します。」と心から頭を下げました。 そんなころ京の二条御所では将軍・義昭が三淵藤英(味方良介さん)から、光秀が近江の坂本に城を築き始めたとの報告を受けていました。光秀には自分のもとに戻るように命じたのに、光秀は信長の意向に従い城持ち大名になろうとしている。義昭は庭に降りて刀を抜き、信長がもつ力への腹立たしさと悔しさで、藤戸石を思いっきり刀で斬りつけていました。 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May 1, 2026
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NHK大河ドラマ 『真田丸』 。第46回は、勝ち戦を素直に喜ぶ秀頼がこれをきっかけに男としてもっと成長したいと願う姿を見て、そして久々に登場の出浦さまと信尹叔父上がそれぞれの本領発揮となる仕事をした前半でした。真田左衛門佐幸村(堺雅人さん)が率いる大坂方に真田丸での激戦で痛手をくらった徳川家康(内野聖陽さん)は、真田丸がここにある限り埒が明かんと力攻めをあきらめ、次の手立てを考えていました。イギリスからの大砲が届くのにまだ数日かかるので、その間ただ待っているのは癪に障ると、「30万の兵を三つに分け、代わる代わる一晩中、鬨の声を挙げさせよ。」と本多正純(伊東孝明さん)に命じました。「右大臣さまは、さぞ眠れぬ夜を過ごされるであろう。」敵方の鬨の声は精神的に追い詰められるし、眠れない日が続くと心身ともに消耗して疲れ果て、大事な局面での一瞬の判断を誤ることが多々あります。家康はそれを狙っているのでしょうね。一方、豊臣秀頼(中川大志さん)は、真田丸での大勝利で徳川方を相手にこのまま勝ち進めると思ったのか、絵図面を広げ幸村を呼んで「次はどうする?」と戦評定です。かつて第二次上田合戦のときに昌幸パパが「初陣で戦の怖さを思い知らされた者は、生涯、戦下手で 終わる」と徳川秀忠に対してやろうとしたけど、今の秀頼は逆に、初めて経験する戦で上手くいったことから、すっかり調子づいているようです。浮かれる秀頼とは対照的に幸村は冷静で、「何度も攻撃を仕掛ければよい」という秀頼を幸村は諭します。「ただ戦に勝てばよいというものではございませぬ。 いかに味方の命を損なわぬか。 ここは守りに徹するのです。 徳川が大軍をもって攻めようとも、大坂城はびくとも しなかった。そのことを天下に知らしめるのです。 さすれば、敵の中に心変わりする者が必ず現れます。 徳川を見限り我らにつく者が。それを待つのでござる。 攻めに転じるのはそれから。」幸村の言葉に納得しつつも秀頼には、父・秀吉が遺したこの城と安寧の世を守り、そしていずれ父を超えたいという思いがあり、幸村にこれからも力を貸してほしいと話をしていました。しかし、そんな話をしていたら突如、城外から大人数の鬨の声と大太鼓の音が響いてきました。いったい何事かと騒然となる大坂城内。幸村たちは調べに走り、そして御上様の侍女となったきり(長澤まさみさん)は若い侍女たちに、私たちを怖がらせようとしているだけ、怖がったら負けと励ましています。きりちゃん、どこに居ても頼りにされますね。それにしても大坂城周辺にお住まいだった皆さま。「戦になると民百姓が難儀をする」という言葉の意味に、田畑を荒らされ、家を焼かれ、物も婦女子も略奪される等の他、「深夜の騒音」という迷惑もあったとは。・・・たまりませんね。さてそのころ江戸の真田屋敷では、病で参戦しなかった当主の信之(大泉洋さん)が、平野長泰(近藤芳正さん)に頼まれた兵糧を大坂の源次郎(幸村)に届けるべく、出立しようとしていました。廊下で稲(吉田羊さん)が立ちはだかり信之を説得するけど、それでも信之は行こうとします。すると部屋の中から、まだ大怪我の療養中の出浦昌相(寺島進さん)が出てきて、もしこれが徳川に知れたら真田は終わりだ、と信之に進言します。それでも信之は「父上(昌幸)も源次郎(弟・幸村)も、さんざん無茶をしてきた。わしだって一度くらい・・」と、常に己を抑えて生きてきた自分だから今回くらいはと主張します。そんな信之に昌相は、昌幸はどんなに無茶に見えても、常に先を見据えていた、今のおまえの場合はそれとは違う、父親が必死に守ってきた真田の家を滅ぼすつもりか、大坂に行ってはならんと、心をこめて説得しました。たしかに昌幸パパは、世の情勢が変化したときに何度も危険な賭けに出て、ときには失敗もしました。でも耐えるときは耐えて、真田の家と我が領土と領民を守ってきました。その昌幸の、立場は家臣でも真の友でもあった昌相は、「このわしが行かせん。」と信之に詰め寄ります。「すまん」と、それでも大坂に行こうとする信之。でも説得できなかったときのために?(素っ破の常備品?)昌相は物理的に信之を止める手立てを用意してました。何かを投げつけたら信之が「うぉわっ・・!」いったいナニがあった?! ↑ ↑ 結局、平野が一人で大坂に向かいました。で、信之はどうした?・・・!!あらまー、全身がネッチョネチョになって身動きがとれなくなっていました。さすがは出浦さまね。(≧∇≦)ノ ゲラゲラゲラ (というか、お兄ちゃん@大泉洋さん、大変な役をご苦労様でした)その大坂では毎夜、家康による声攻撃が続いていました。将軍の徳川秀忠(星野源さん)は、一気に総攻めをすればよいのにと、父に少し苛立ってます。そんな秀忠を老臣の本多正信(近藤正臣さん)が「戦は、いかに兵を損なわずに城を落とすか、そこが肝要」と諭します。そのための策として家康は、幸村の叔父で今は徳川の家臣となっている真田信尹(栗原英雄さん)を呼んで、幸村を調略するよう命じました。佐助(藤井隆さん)の手引きで大坂城内に入った信尹は、厨で源次郎(幸村)と久方ぶりの再開を果たします。酒を一杯だけ呑んで、兄(昌幸)の墓のことなど身内の話を少ししただけで、信尹はすぐに帰ろうとしました。そしてそのときに信尹は幸村に、寝返ったときの褒美が書いてあるという家康からの書状を渡します。幸村を調略するために城内に忍んで来た信尹。なのにそれを「読まんでいい。」と。長い歳月の中で敵味方に分かれてしまったけど、そこに流れていたのは真田の叔父と甥の空気でした。帰り際に信尹と幸村は目と目で語り合い、信尹の思いがわかったのか、幸村は微笑みました。そして徳川の陣に戻った信尹は家康に「調略、不首尾に終わりました。」と報告。家康は半分は期待してなかったのか、「食えん男じゃ。さあて、次の一手は。」とつぶやくだけでした。(長くなったので、ここでいったん分けます)信尹を演じる栗原英雄さんの“目の演技”が大好きです。大げさに表情を作らなくても目に思いを込めるあの演技です。第10回の母上(ばば様)との再会の場面は感動し、今回の幸村との場面はカッコよくてゾクッとしました。(画像は大阪市の玉造にある三光神社です)
November 21, 2016
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前回の日記の続きです。嵐の相葉君が主演のドラマ 『ようこそ、わが家へ』 。感動の最終回の後半です。最後は、健太がやっとつきとめたニット帽の男との対決です。男は初めはしらばっくれ、次は「ささいなイタズラをしただけだから、示談金でどうだ」と健太を丸め込もうとします。しかしそんな話はとうてい受け入れられるものではなく、健太は言います。「僕は貴方を許しませんから。絶対に!」何を言ってももう逃れられないと知った男は、健太を殴ろうとつかみかかります。でも健太は、もう以前の弱腰ではありませんでした。あなたはもう、名無しさんじゃないんです。それでも殴れるんですか?ずっと陰でこそこそやってきたあなたが、面と向かって僕のことを殴れるんですか?こっちは、家族全員、正々堂々からだを張って戦ってきたんです。今さら殴られることぐらい、恐くもなんともないですよ。名無しでなきゃ、何もできない卑怯者の貴方に、僕は絶対負けませんから。ついに自分の負けを認めた男は、健太に深々と頭を下げました。その後、男(赤崎)は警察に連行されていきました。しかし!、この赤崎と明日香には、意外なつながりが!赤崎は以前、出版関係の集まりで明日香に一目惚れするも、明日香には相手にされないまま時間が過ぎたある日、駅のホームで明日香を見つけて近づこうとした。しかし、それを健太に割り込みと注意され、明日香には自分のことをまったく覚えてもらってなくて、逆恨みで倉田家への嫌がらせ行為となったということでした。結局、赤崎は在宅起訴の罰金刑であろうと刑事の予測。逆に赤崎の嫌がらせに便乗したフレネミー女2人(万里江と民子)は傷害、殺人・放火未遂という重罪を犯したのでした。また父・太一の会社では、真瀬の件では社長は自分の誤りを認め、太一に謝罪し、会社に残ってくれとお願いしました。でも太一は社長に、西沢を総務部長に推薦しました。母親の介護のためにお金がかかる西沢を思ってでしょう。契約社員から正社員の、しかも部長に推薦です。太一の優しさに感動した場面でした。明日香は倉田家での出来事を本にして出版しました。でも作ったのは、たった1冊だけ。それを倉田家に寄贈してオシマイでした。最終回はドラマの中のこの言葉が、最高に素敵でした。結局、悪意に満ちた人々は、愚直で真っ直ぐな人生を歩んでいる、お人好しの家族に負けたのだ。言ったもん勝ち、やったもん勝ちの今の世の中では、ズルをした人が得をすることが、たしかに多いかもしれない。だが、真面目に生きる人々が、最後には必ず幸せになれると、私は信じている。ドラマの全話を通して、たくさんの喜怒哀楽がありました。事件よりも竹中さんのほうが、恐くて憎たらしかったです。太一の会社での姿は、見ていて辛かったです。南果歩さん演ずる天然全開の珪子母さんには、何度もイライラさせられました。でも、おとぼけアンサーや陽気な早トチリで、これまた何度も笑わせてもらいました。観ている人の感情を揺さぶる。寺尾さん、南果歩さん、竹中さんは、やはりベテランの演技派である実感しました。でも相葉君が、自然な演技で一生懸命で、ホントによかったです。ドラマ序盤のころは次々起こる嫌がらせに怯え、どう対処していいのかわからない頼りない青年でした。しかし事件解決に向けて明日香とともに行動しているうちに、だんだん強くなっていきました。第5回では明日香を怪我させた男に立ち向かい、第9回では父に「こっちは俺にまかせろ」と決意して言い切り、そして最終回では赤崎の脅しに負けず罪を認めさせました。どの表情も、健太の成長を感じる印象に残るものでした。このドラマはいったい誰が悪いヤツなのかわからない部分があって、どの人も疑わしく思えました。でも八木や編集長や辻本君が悪い人でなくてよかったです。私の今回の思いがけない笑いの場面は、高円寺の町の銭湯。健太と編集長が裸の付き合いで並んで電気風呂に入っていて、相葉君がお湯にのぼせてフラフラでした。でも編集長の、「(円スタは)この町を元気にするのが仕事だからね。」という心意気が、いいですね。でもって、あの銭湯の壁画が、楽しい~。主題歌も明るくノリのいい曲で、歌詞も大好きでした。このドラマはたぶん主題歌のように、明るく納得できるラストだろうなと思ってたけど、そのとおりでした。たくさん優しいキモチになれた、最高のドラマでした。いいものを見ることができて本当によかったです。フジテレビのオンデマンドで、見逃した方のために1週間は無料で視聴できるそうです。 コチラ 「私は愚直者ですが、それでいいのですね?」岐阜市にある 岐阜大仏 様は、『OK』と仰ってます。
June 18, 2015
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今日は東海市(名古屋市の南に隣接)に行く用事がありました。ちょうどバイトもない日だし、東海市までただ車で往復するだけでは少々もったいない気もする。だからついでに、ちょっと半田市まで足をのばしてぶらりと見学してきました。高速道路を半田中央ICでおりて、まず『新美南吉記念館』へ。作品『デンデンムシノカナシミ』を現した記念碑昭和初期の童話作家である新美南吉はこの愛知県半田市の出身です。小学校の4年生頃の国語の教材でよく使われる『ごんぎつね』は新美南吉の代表作です。作品『ごんぎつね』。ごんが兵十に鉄砲で撃たれて死んでしまったシーンを再現したジオラマ。この記念館には『ごんぎつね』の他にも、新美南吉の代表作をジオラマで現したものがたくさんあります。話を読みながらその光景を見ていると、当時の時代背景を見ながら人のやさしい心を知る、そんな感じがしました。作品『手袋を買いに』。人間の家の中を覗く子ギツネ。さほど広くない記念館だけど、南吉の作品を懐かしくじっくり読んで、可愛いジオラマで南吉ワールドを堪能できる、なかなかよい所でした。新美南吉の作品は、検索サイトの『新美南吉童話集』ですぐでてきます。今このときだからこそ、新美南吉の作品を再び読んでみてください。お薦めです。キツネ(剥製)。南吉の作品にたくさん出てくる動物です。あら、いけない。気がついたらけっこう時間がたっていました。チビ子嬢も車の中で退屈しているわね。急ぎ車に戻ってふと彼女を見た瞬間、私ったら・・・さっき見たキツネ(剥製)となんか似ていると思ってしまったチビ子嬢。ま、そうよね。キツネはイヌ科の動物だから。記念館を出た後は半田の中心地を散策してきました。(この話は明日に)ぼくをテーマにした作品はなかったのかな・・?
April 19, 2006
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NHK大河ドラマ 『真田丸』 。毎回いろいろな見どころがあって面白いドラマです。今週も草刈正雄さん演ずる真田昌幸をはじめ、各武将たちの腹ン中の探り合いや駆け引きが、今までの戦国ドラマにはない解かりやすさで楽しめました。本能寺の変で織田信長が倒れ、日本中が大混乱に陥ります。昌幸のもとを訪れた明智光秀の使者が、他の国衆のところへ行かぬよう、使者を引き留めます。「今夜は当家で湯にもつかって、ゆっくりとなされよ。 十日ほどゆっくりとなぁ。」生き延びるために情報のコントロールです。でも家臣がいない、息子の信幸と二人きりになったとき、「ちくしょうーーっ!なんで死んでしまうのかのぉー。 信長めぇー。」この事態に父・昌幸が取り乱してキレてます。そして信幸が尋ねます。「父上の本心をお聞かせください!」今まで父上の突然の方針転換には何度も翻弄され、上杉への書状の件では騙されたこともありましたからねー。その昌幸の答えは、「わしの本心か。でははっきり言おう。まったくわからんっ!源三郎、教えてくれーっ。」信幸もびっくりの、まさかの父の混乱ぶりです。さすがの父・昌幸も、これからどうしてよいか本当にわからなかったのでしょうね。でもしばらくしたら昌幸も落ち着きを取り戻し、「この荒海を渡り切ってみせる。 国衆には国衆の生き方というものがあるんじゃ。 誰が最後の覇者になるか、しかとこの目で見極めて、 くらいついてやるわ。 面白うなってきた。」ここで本来の策士の顔に戻りました。さて、私が今週いちばん魅入った場面は「伊賀越え」。内野聖陽さん@徳川家康や藤岡弘、さん@本多忠勝ら一行が決死の山越えをする緊張の場面!・・・?。浜谷健司さん演ずる服部半蔵が、「ここからは拙者がご案内つかまつる。 伊賀は我がふる里にございます。 すでに道筋は、手の者に命じてほぼ抑え申した。 拙者にお任せあれ。」なんて頼もしいことを言ってたのに、落ち武者狩りの場面に出くわしたときに、実は急だったのであちこち(抑えが)抜けていると家康にもらします。ではどうするのかと訊かれ、半蔵は「押し通ります。拙者に続かれませ。うおおぉぉーーーっ!」家臣たちも次々と半蔵について出ていきます。半べそ状態の家康さん、もうついていくしかないよね。その次はほとんど崖になった急斜面を「ここがいちばんの近道になります。拙者についてきて ください。」半蔵さん、とんでもないことをサラリと言い、自分は先にひょいひょいと降りていきます。家康さん、周囲の家臣たちと顔を見合わせ、無言の圧力を感じたのか、恐怖に顔がひきつりながら、もうやけくそで急斜面を飛び降りていきました。そして途中の村でやっと休息ができ、「これほどうまい握り飯は生まれて初めてじゃ。」とご満悦の家康さん。忠勝とほっぺについたご飯粒を取り合っこして、「あと2里ほど。伊勢の海までもうわずかでござる。」と聞いて安心して喜んでいました。するとそこへ半蔵が来て、すぐに出立すると。「この先は明智の兵がおりまする。全力で押し通ります。」「またか・・・」家康さん、嫌な予感がしました。半蔵がフツーに言うその内容は、山道の全力疾走のこと。家康一行は明智勢に追いかけられながら、ラストスパートで山道を逃げていきました。林の中の一本道を、逃げる徳川、追う明智。忠勝がしんがりになって明智を追い払って、全速力で逃げていくこの場面の横からのアングルが面白かったです。全身ボロボロのヨタヨタになって、やっとの思いで岡崎城に帰還した家康は、「死ぬかと思った…」と阿茶局の膝に崩れ落ちていきました。ええ、本当に。敵だけでなく、身体能力差をまるで考えてくれない家臣のおかげで、まさに「死ぬかと思った」行軍でしたからね。あー、どの場面も笑いましたわー。今まで戦国ドラマをいろいろ見たけど、伊賀越えで笑ったなんて初めてです。これが笑いの場面になるなんて、さすがは三谷幸喜さんです。でも、半蔵の「いい加減&無茶ぶり」を怒ったり責めたりもせずに、「え?!そんなぁ…」って思いながらもついていく家康の姿がいいですね。笑いとやさしさを感じる脚本と演出にホッとします。来週からは小日向文世さんの秀吉の登場ですね。また武将たちの更なる腹の探り合いが楽しみです。こちらは伊賀よりも10キロほど北の甲賀の山中を通る新名神高速です。
February 7, 2016
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この10月から BS-TBS で放送中の 『水戸黄門』 。今週の放送で第4回になり、主役の黄門さまを演じる武田鉄矢さんをはじめ、助さん・格さんを演じるの財木琢磨さんと荒井敦史さん、そして風車の弥七を演じる津田寛治さんら、出演される役者さんたちがドラマに馴染んできた感じがあります。そして特に今週の放送では、助さん・格さん・弥七が敵対する相手との殺陣がけっこうあって、見ていても迫力とスピード感があって面白いものでした。で、ドラマに登場した悪役の皆さまを見たら・・おおっ!ヾ( ̄0 ̄; )ノ 平日の午後に再放送されている以前の『水戸黄門』でもおなじみの皆さまではないですか。そう、悪役の皆さまも7~12年の時を超えてドラマの中で悪いことやって、殺陣でやられているのです。さすがに皆さま、お歳を召された感じがありますが。中でも今回は福本清三さんが出演されてて、ドラマ内で見つけたときは嬉しかったですね。そう、斬られ役一筋で時代劇を支えてきた福本先生です。(私は道を究めた方を、勝手に“先生”と呼んでます)福本清三さんは出演していても、テロップに名前が出ることがすごく少ない方です。今回もテロップに出てませんでした。なので今回の日記は、福本清三さんへの敬意をこめて、福本さんの場面をたくさんUPいたしました。ちなみに前回の日記は ⇒ ⇒ コチラ弥七の津田寛治さん(右)と、ご老公一行を狙う柘植九郎太の長谷川純さん(左)。今作の『水戸黄門』では、殺陣では手元の技が多い感じです。もう一人、ご老公一行を狙う鉄羅漢玄竜(編み笠の人、小沢仁志さん)。左手に忍びの武器の手甲鉤をつけてます。手甲鉤はこの太さの木枠ぐらいなら、バキバキに折ってしまいます。弥七を演じる津田さんも、さすがに恐怖感があるみたいです。鍾馗の権兵ヱを演じるのは丹古母鬼馬二さん。この方は以前の『水戸黄門』でも、よく「○○の親分」を演じていました。宮城屋五兵ヱを演ずるのは赤塚真人さん。この方は今回は悪役ですが、良い役と半々ぐらいにやっていると思います。悪いお奉行様の森下与太夫を演ずるのは内田勝正さん(中央)。この方はほとんど悪役のように思えます。福本清三さん、その1。(役名はありません)今まで悪の手先として働いてきた夏川太十郎を悪奉行・森下の命により抹殺しようとする場面です。夏川にとどめを刺そうとしたそのとき・・・。弥七の放った風車で、斬ることができませんでした。さて、番組の終盤の殺陣(=大暴れ)の始まりです。財木琢磨さんと荒井敦史さんのお二人の息が合ってきたように感じます。助さん(財木琢磨さん)の室内での殺陣です。助さんが刀の峰で打ち払ったら・・・この方はなぜか前方に1回転しました。録画の一時停止をかけてもブレてしまうほどスピーディーです。格さんの荒井敦史さんです。脇差を持った殺陣もするけど、このときは従来の格さんのように素手でした。福本清三さん、その2。室内に上がって、今度は助さんとの殺陣です。助さんに峰打ちをくらって倒れるところなのですが、倒れ方が絶妙です。「見よ、倒れるときのこの身体の揺らぎを」って感じでした。親分が格さんにヤラレています。この親分は威勢はいいけど格闘は弱い人でした。やっぱ『水戸黄門』は楽しいわ~。
October 28, 2017
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2018年NHK大河ドラマ 『西郷どん』 。第44回の部分的な感想です。今回から、やがて西南戦争につながる不平士族たちの反乱が始まりました。西郷隆盛(鈴木亮平さん)も大久保利通(瑛太さん)も他の皆も、それぞれが己の正しいと思う道を進み、世の中をよりよくするためにそれぞれが努力しています。なのに互いに相入れない状況ができてしまって、それが避けられない悲劇へとつながっていくのかと思うと、ドラマにはあまり感情移入しない私でも切ないものを感じます。さてこのドラマで今回とても好感を持ったのが、西郷隆盛の妻・糸を演じる黒木 華さんです。私は黒木 華さんは『真田丸』のときは、出番の割には正直あまり好感が持てませんでした。無駄にウロチョロするのがかえって苛立ったほどでした。でもこの『西郷どん』では、前半はともかく西郷隆盛の妻になってからは、出番は少なくてもここぞというときに出てピシッと決めてくれるのが清々しいです。そしてふつうに話しても細くてよく通る声が耳に心地よく、私は黒木 華さんをすっかり見直した感じがあります。明治6年(1873)11月、東京から鹿児島に戻った西郷隆盛(鈴木亮平さん)は、畑仕事や狩りをしたり、あるいは書を嗜んだりして静かに暮らしていました。ところがそんなところに、西郷を慕う桐野利秋(大野拓朗さん)ら大勢の旧薩摩藩士たちが東京での役職を捨て、隆盛を追って鹿児島に戻ってきたのです。隆盛は皆に、おはんらは政府で重い役目を持っている、東京に帰れと諭します。しかし皆は、今の政府を正すために(西郷)先生にこそ東京に戻ってほしい、先生をだまし討ちにした大久保の元では働けない、と訴えます。隆盛を心配する西郷家の皆は、事の成り行きを見守っています。陸軍、近衛兵、警保寮にいた旧薩摩藩士が約600名も続々と鹿児島に戻ってきていると知った県令の大山綱良(北村有起哉さん)は、ロクに仕事もないこの薩摩で無職になった者たちをどうしたらいいのか、さらには精兵のその者たちがもし不満を爆発させたら、と先行きに不安を覚えます。(後の場面でわかるのですが、大山さん、実は後頭部が大変なことになってて・・涙)西郷になんとか立ち上がってもらおうと、桐野たちは連日のように西郷家に押しかけて西郷との面談を求めます。彼らの行動にいよいよ腹がたってきた糸(黒木華さん)は、旦那さぁはこれまで脇目もふらず国事に奔走してきた、それを間近で見ていたあなた方が今度は自分で走る番なのではないか?と臆せずに返します。返す言葉のない桐野たちは糸に一礼をして黙って引き下がりました。一方、東京では洋行帰りの村田新八(堀井新太さん)と川路利良(泉澤祐希さん)が内務省を訪れ、政府に薩摩の見知った顔がほとんどいないことに驚きます。東京に残った西郷従道(錦戸 亮さん)は二人に、せっかく欧米で学んだことを無駄にしないでほしい(薩摩に帰らないでほしい)と伝えました。新八と川路は、参議兼内務卿であり強大な権力を握る内務省の頂点に君臨する大久保利通(瑛太さん)に呼ばれ、大久保の元を訪れました。大久保は二人に、旧薩摩藩士たちが抜けた後の政府内の立て直しと、さらには西国各地で不満が高まっている士族たちを抑えるために力を貸して欲しいと。それに対し、新八は迷いがあるけど、川路は私情を捨てて政府に献身すると。そう話していたところに、岩倉具視が何者かに襲われたと知らせが入りました。3日後に犯人は旧土佐藩士の者たちだと判明し、これは朝鮮使節の一件で板垣退助らが辞職したことによる岩倉への意趣返しであろうと。政府内ではこれを機に佐賀をはじめ西国各地で士族たちの反乱が起きるのではと、緊張が高まりました。その頃、鹿児島にいる隆盛は熊吉(塚地武雅さん)と一緒に温泉に入りながら、糸が桐野たちを追い返したことなど熊吉から話を聞いていました。そして熊吉が、若さぁは東京に帰るに帰れなくなった600人の士族たちをどうしたものかと考えていると言うと、隆盛はそんなことは考えていないと。さらには一蔵どんがつくる新しい日本を早く見たいと、隆盛は笑っていました。しかしこのとき既に、政府への不満を募らせる士族たちは暴発寸前でした。鹿児島で大久保家の留守を守る妻の満寿や子たちには不平士族による嫌がらせがあり、隆盛は士族たちを抑えられないことを満寿に詫びました。満寿は夫の利通から何度も言われていたこともあり、子たちを連れて上京しました。明治7年(1874)2月15日、江藤新平(迫田孝也さん)率いる佐賀軍6千が政府軍が守る佐賀城を攻撃(佐賀の乱)。劣勢となった江藤は鹿児島まで逃れて西郷を頼り、共に決起をと促します。しかし西郷は起たず、この後江藤は政府軍に捕えられ、斬首のうえさらし首に。そして見せしめ的なこの処刑を大久保は「これは江藤さんの最後のお役目」と。さて、夫・利通が士族の反乱を抑えるために冷徹な政治的判断をしている頃、妻の満寿と子たちが暮らす新居に、お妾のゆう(内田有紀さん)が来ていました。不自然に笑顔を作りながら正妻とお妾の女の闘い!・・・ではありません。二人とも賢夫人なので、これからのことを理性的に大人の話し合いをしました。政敵は情け容赦なく厳罰に処し、強大な権力を持って今や恐れるものは何もない利通ですが、唯一、大久保家の内乱だけは恐れるようです。お妾のゆうから「満寿様と話し合ってきめました。1と6のつく日はウチに♪」と女2人の勝手な取り決めを聞かされて、利通さんは呆然。でもね、達熊くんだってお父様が急にいなくなったら悲しいですからね。佐賀の乱での江藤のことは新聞にまで書きたてられ、西郷家食客の川口雪蓬は、むごい仕打ちでこれを読んだ連中はみんな震えあがると。しかし隆盛は、逆にこの仕打ちで怒りを抑えきれずに暴れ出す者も出るに違いないと懸念し、実際に鹿児島の不平士族たちが暴発寸前になっていました。鹿児島の不平士族たちを放ってはおけなくなった隆盛は、彼らのために士族の学校を作ることを思い立ち、金策を頼みに県令の大山を訪ねました。隆盛の考えに賛同した大山は金策を引き受けました。するとそこに村田新八が現れ、自分も政府を辞めて鹿児島に戻ってきたと。隆盛は、せっかく欧米で勉強してきたのにと新八を批判しましたが、新八は一蔵(大久保)が目指す国づくりには賛同できない、自分も吉之助さぁ(隆盛)の作る学校を手伝いたいと、隆盛に強く申し出ました。そして明治7年6月、学問と武芸を次の世代を担う若者たちに教えていきたい、新しい日本をつくる一蔵どん(大久保利通)を薩摩からも支えたいと考える隆盛の、念願の私学校が開校しました。隆盛と大山は、一緒に学校をやろうと声を掛けてある半次郎(桐野利秋)がまだここにいないことを残念に思いつつも、開校の喜びを分かち合っていました。ただ大山はこの私学校のための費用を政府の金をごまかして作っていて、後にこのことが罪を問われることになるかと思うと切ないものがあります。その私学校での授業が進んでいたとき、どこからか一人の賊が侵入してきて、生徒の藩士たちを次から次へとなぎ倒していきました。銃にもひるまず相手を倒し、一同が息をのむほど恐ろしく強いその男は・・・私学校の教官となることを渋っていた半次郎(桐野利秋)でした。西郷の悪口を言う仲間の士族が許せない自分は、やはりどんなときも西郷と共にいたいのだと気がついたのでしょうね。「西郷先生、お世話になりもす!」 桐野は西郷に深々と頭を下げました。その頃、東京では大久保へ報告が上がっていました。西国の士族たちの動きが活発になっていること、西郷の私学校に士族たちが日ごと続々と集まっていることを聞いた大久保は、川路に鹿児島を監視する密偵の数を増やすよう命じました。
November 27, 2018
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愛知県西尾市にある華蔵寺のご紹介です。2つ前の日記の続きになります。華蔵寺は「忠臣蔵」でおなじみの吉良上野介のお墓がある、吉良氏の菩提寺です。吉良上野介というと、江戸時代の『仮名手本忠臣蔵』から始まり現代でもドラマや映画の『忠臣蔵』が何度も何度も放映されるためにで、すっかり悪者になっています。しかし何年か前からTVでも「吉良上野介は地元では名君であった」と言われるようになり、そして実際に吉良氏の地元を訪ねてみると、本当に空気感が変わっていました。何事も、一方だけの話を信じてしまうというのは良くない、ということですね。吉良上野介の汚名返上に関しては次回ご紹介いたします。まずは華蔵寺の全体をどうぞ。画像の左手が華蔵寺です。道路沿いにある駐車場から撮っています。右手の道路を進むと、前回ご紹介した花岳寺があります。お寺に入る手前の右手には、ハスの池があります。ハスの花が咲く頃には、さぞかし美しい風景になることでしょう。門をくぐって真っすぐ進むと、本堂のある石段があります。ただしこの石段は老朽化して危ないとのことで、通行禁止になっています。上に行く道は左右2つあり、今回は右手の道から進んでみました。華蔵寺の本堂と全体はこのような感じです。画面の奥の方に吉良氏一族のお墓があります。華蔵寺の梵鐘です。梵鐘は西尾市の文化財に指定されています。 こちら 梵鐘の周囲が、石垣と苔と陽光でなんとも美しい空間だったので思わず上の山門と下の山門が一直線になっていました。お寺のお手水です。水は流れていなかったけど、手水石の形やお地蔵様のアクセントが洒落ていました。お寺に行くとたいていはこのように、癒しの石像と出会います。ここも青紅葉の葉が綺麗で、秋になったらさぞや美しい風景になると期待です。
May 22, 2021
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2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。この回は、松平家康がいよいよ徳川家康(松本 潤さん)となり、そして甲斐の武田信玄(阿部 寛さん)が今川を裏切った駿河侵攻によって、家康は信玄から諜報活動の重要性と信玄自身の恐ろしさを学んだ回でした。信玄の諜報活動は相手の政治・軍事・経済だけでなく、全体の人間関係やメインの人物の好みや癖の他に、その人物に大きな影響を与える人物のあれこれまでもを調べつくすものでした。こういうのって、どうやってやるんでしょうね。さりげなくその場にいるだけでも難しい時があるのに、私みたいに話を聞き出すのが下手な人の場合、相手に「なんか探ってるの?」ってモロバレだし。そして情報を集めた後の情報の整理。現代でも話す相手がたくさんいる人の場合、この話題は誰のことだったかを間違えること、ありますよね。失敗したときにごまかすのが上手い人ならいいけど。まあもちろん、人それぞれ向き不向きがあります。だから仕事を命令する方は、それを考慮してやっているとは思いますが。それにしても現段階の家康さん。信玄のことは何も知らないわ、難しい仕事はベテランの部下に丸投げだわ、つい情に流されて流れを止めるわで、まだまだ頼りない小国の領主さまのようです。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #どうする家康 岡崎市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 静岡市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 浜松市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・ぎふ 関ケ原が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 永禄9年(1566)、三河平定を成し遂げた松平家康は正式に三河国の主(三河守)に任官されることになりました。ただそのためには家康が源氏の流れをくむ者であることが必要で、松平家の菩提寺の大樹寺では住職の登譽上人(里見浩太朗さん)たち寺の僧だけでなく、松平家の家臣も出てきて、皆で必死に家系図を探していました。その甲斐あって家系図の巻物が出てきて、つなぎの紙で飛んで(←?)、「得川」という源氏の流れをくむ名にたどりつきました。そして登譽上人から家康は源氏の末流と思われると言葉をもらい、金はかかったけど家康はめでたく「従五位下 徳川三河守 藤原家康 朝臣」と任ぜられました。源氏の名が欲しかった家康は若干不本意でしたが、このときはやむを得ませんでした。そしてこの頃、引間城(現在の静岡県浜松市)の城主・飯尾連龍が誅殺された後に妻の田鶴は女城主となり、今川氏真に忠誠を誓って徳川と対立していました。そんな折に徳川家康(松本 潤さん)は織田信長(岡田准一さん)から予告なしの鷹狩りの誘いを受け、また鷹狩りと称した軍議かと思い、大急ぎで甲冑を着けて信長の待つ場所に向かいました。結局はただの鷹狩りでしたが、このとき家康は信長から上洛するという話を聞かされ、木下藤吉郎(ムロツヨシさん)が京の事情を補足説明しました。これは先の将軍・足利義輝の弟・義昭からの誘いであり、我が殿(信長)が義昭を将軍にして天下に静謐をもたらす、難題だけど我が殿は必ずやり遂げるであろう、上洛には徳川から兵を借りたい、とのことでした。話が終った信長は去り際に家康に、武田信玄が今川氏真を見限った、今川侵攻の前に信玄に会って今川領の切り取りを談判せよ、一歩も退くな、信玄に渡すな、と言って尾張に帰っていきました。当時、今川は武田と北条の間で三国同盟を結んでいて、互いに侵攻はしないよう取り決めがあったので、家康は田鶴が守る遠江まで武田信玄(阿部 寛さん)に取られないよう、そのことを信玄に強く言うつもりでした。ところがこの時にはもう信玄は氏真の臣下の武将たちを次々と調略して武田の側に寝返らせていて、いつでも駿府を攻め落とせる態勢にありました。そこへ織田信長からの文が届き、今川侵攻の前に家康に会って欲しいとありました。信玄はここは信長の顔を立ててやろうと考え、家康に会うことにしました。後日、信濃と三河の国境あたりの寺で武田と徳川の会談となりました。信玄と対峙する自信のない家康は、信玄がいつ来るのかと落ち着かなかったけど、知らせで信玄が来ないとわかるとホッと一安心、ならば自分が武田側の使者の山県昌景(橋本さとしさん)と穴山信君(田辺誠一さん)に会うこともないと、対応を石川数正(松重 豊さん)と酒井忠次(大森南朋さん)に任せることにしました。(この場面、手前のお二方の数正と昌景は両者厳しいにらみ合い、奥のお二方は寺の探りをいれようとする信君とそれを防ごうとする忠次の攻防でした。)数正と忠次が知略の攻防を繰り広げている間、家康は本多忠勝(山田裕貴さん)と榊原康政(杉野遥亮さん)を連れて辺りを散策していました。途中、栗がすでに採られたイガを見て、忠勝には叔父・忠間の病状を訊ね、信玄のことを「甲斐の虎どころか猫」と小馬鹿にした話をして3人で笑っていました。するとそこへ4人分の茶を用意した僧が現れて、家康たちと一緒に茶を飲みながら「酒で弱った肝の臓には野ブドウが効く。」と先ほどの3人の会話に触れました。そして僧が「猫は嫌いではない。」と言ったときに3人は信玄についての話に何故この男がと思い、男が「非礼は詫びる。堅苦しい場は好きでない。このように肩肘張らず会った方が相手のことがよくわかる。」と言ったとき、3人はようやくこの男が武田信玄本人なのだとわかりました。この男が信玄とわかり、家康は思わず刀に手をかけましたが、辺りの林の中には信玄を護衛する忍びが幾人も潜んでいるのを察知した忠勝が家康を止めました。信玄は「駿河からは武田が、遠江からは徳川が、互いに切り取り次第でいかがか。ようござるな。」と話しながら団子を家康に食べさせ、有無を言わさず一方的に話を決めてしまいました。そして去り際に「奥方様へ。」と言って家康に紙包みを渡し、中には瀬名の好物である栗が入っていました。それは信玄が自分の妻の好みまで情報を得ているということであり、逆に自分は信玄に関することはほとんど知らなくて、家康は先ほど数正と忠次が言っていた“(大将としての)格”とはこういうことなのかと思い知り恐くなりました。永禄11年(1568)12月6日、武田軍は駿河への侵攻を開始し、それに呼応するように徳川軍も遠江への侵攻を開始しました。瀬名(有村架純さん)は田鶴に、飯尾家のために徳川につくよう、そして今川の世はもう終わったと文を送りましたが、田鶴からの返事はないままでした。12月10日、徳川軍は引間城を包囲しました。引間攻めの大将の鳥居元忠(音尾琢真さん)は女城主の田鶴に「飯尾家の所領は安堵するので開門して徳川に降伏を・・」と呼びかけました。しかしそれに対して田鶴は鉄砲を射かけることで拒否の姿勢を示しました。忠次が応戦で鉄砲組を前に出そうとしたとき、家康は説得のための時はまだあるから陣を下げるように命じ、忠次はやむなくそれに従いました。ただ、妻・瀬名のためなのか今川への義理なのか、戦で情に流されて矛先が鈍る主君の家康に、数正は苛立ちを感じていました。一方、駿府では武田軍が容赦のない攻撃を加えていて、12月13日には武田軍は全くの無傷で駿府を制圧していました。あの強大で繁栄を誇った駿府がこうもやすやすと攻め落とされてしまったのを知った徳川の誰もが武田軍の恐ろしさを実感し、これは急がなければ遠江まで武田に持っていかれると数正は危惧しました。そして「もはや猶予はない。夜明けまでに降伏せねば総がかりで攻め落とすと引間城に伝える。よろしいですな。」と家康に確認しました。一方、城にこもる田鶴(関水 渚さん)は瀬名への返事をしたためていましたが、岡崎の民への仕打ちを知らない田鶴にとって過ちは徳川であり、今川全盛期の美しい思い出だけが心にあったのでした。(この回の少女時代の回想シーンで、田鶴が実は氏真を想っている部分があり、第1回の放送を確認したら、庭先での武術の稽古でやはり田鶴が氏真を想っているシーンがありました。親友・瀬名の駿府脱出の密告、夫・飯尾連龍が家康と通じていることの密告。田鶴にとって氏真は、連龍に嫁してもなお想い人であり、今川は絶対的なものだったのですね。)総攻撃の期限となった夜明けを迎え、田鶴は甲冑に身を包みました。城と運命を共にする覚悟をした家臣たちに城に火を放つように命じて、田鶴は侍女たちを従えて門まで向かいました。鳥居元忠は総攻撃の態勢を整え、家康も総攻撃の下知を出そうとしていたとき、門が開いたと報が入ったので家康は陣幕の中から飛び出していきました。説得に間に合ったと考えて攻撃をやめさせる家康に、田鶴は「かかれ~!」と皆に攻撃を命じました。徳川の家臣たちは家康をかばって盾となり、正面から突撃してくる田鶴たちに防戦して銃弾を放ちました。ただ生き長らえるよりも己の信念のままに死ぬことを選んだ田鶴は銃弾に倒れ、家康の目の前でその生涯を閉じました。
March 21, 2023
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2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。この回は徳川家康(松本 潤さん)が今や天下人となった豊臣秀吉(ムロツヨシさん)に臣従するために上洛するか否かで、家康と秀吉の駆け引きが、秀吉の妹・旭(山田真歩さん)を巻き込んでの展開となった回でした。私はこれまでいろいろな戦国ドラマを見てきて、その中で旭の話は本当に印象が薄いものでした。これまででは家康は旭を正室として粗略に扱うことはないものの、妻としての情を感じることはありませんでした。でもこの『どうする家康』では、山田真歩さん演じる旭という人物と、旭に対する家康の心情の変化ととった行動がとても印象的でした。女人としての色香には程遠い自分が、兄・秀吉に言いつけられた役割をなんとか果たそうと、前夫との辛い別れのことは徳川家では微塵も感じさせず、努めて明るく振舞い周囲にとけこもうとしました。そんな旭のけなげさや相手への思いやりは、計算ではなく、於大(松嶋菜々子さん)と於愛(広瀬アリスさん)らの女たちの心を動かし、旭の味方となりました家康を唯一、遠慮することなく叱れる於大や、側室だけど家康に対して何でも追従じゃなく、自分の思うところをけっこう言ってしまう於愛の存在がいいですね。そしてラストで、旭の身の上や立場を思いやることなく今まで冷たい態度をとってしまったことを家康が詫び、「そなたはわしの大事な妻じゃ。」と旭にハッキリ言い、旭が嬉しくて泣いてしまうシーンは感動でした。そんな旭だから家康は、正妻として愛おしく思い、またそんな於愛だから家康は、自分の協力者であり奥の差配を任せる女人として頼りにでき、側室として愛おしく思うのかなと感じていました。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #どうする家康 岡崎市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 静岡市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 浜松市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・ぎふ 関ケ原が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 天正13年(1585)11月、徳川家の家老だった石川数正は一族郎党を連れて敵対する豊臣秀吉のもとに出奔し、徳川の家中は大きな衝撃を受けました。徳川家の全てを知る数正が秀吉についたから今度こそ秀吉は徳川を攻めてくるだろうと本多正信(松山ケンイチさん)は進言し、徳川家康(松本 潤さん)はすぐに守りを固めるよう井伊直政(板垣李光人さん)に命じました。数正が自分に相談もせずに去っていったことを酒井忠次(大森南朋さん)は寂しく思い、また家康は数正を思い出すことを不快に思うばかりでした。その家康は上洛して秀吉に臣従か秀吉と戦か、選択を迫られていました。11月末、天正大地震が発生し(現在の)近畿・北陸・東海(地方)にかけて壊滅的な被害をもたらしました。家康の領国も大きな被害を受け、於愛(広瀬アリスさん)が城の奥の片付けをしていたときに、数正が残していったけど家康に命じられても処分できなかった木彫りの仏と木箱を見つけました。家康が見回りに出るときに声をかけられた於愛はとっさにその木仏を隠したけど見つかってしまい、家康は不快感をあらわにしましたがそのまま出ていきました。そしてこの大地震は秀吉の治める畿内周辺の被害が甚大で、家康との戦に備えていた大垣城も焼け落ちてしまいました。寧々は秀吉に、もはや戦どころではない、領国内の立て直しが急務と進言し、もちろんそれを十分にわかっている秀吉は、家康という男の運の強さをいまいましく思っていました。そんな頃、前年の小牧・長久手の戦(1584)では徳川と同盟を結んだもののその後に秀吉の側についた織田信雄(浜野謙太さん)が岡崎城を訪れ、秀吉はまさに兵を差し向ける寸前であったけど大地震で中断し、家康は命拾いをしたのだ、早く上洛を、と話をしました。さらに仲介役で張りきるような顔で家康に、負けを認めるべき、天下は秀吉のもの、数正は賢かったと言葉を並べるので、家康もたまらず信雄が勝手に秀吉と和睦をせいでと言い返しました。忠次は冷静に、徳川は秀吉を信用していない、上洛すれば殺されるかもしれないと思いを伝えました。そう聞いた信雄は、ならば秀吉の方から人質を出せば家康は上洛するのだと考え、そのまま秀吉に話を伝えてしまいました。徳川に出す人質として秀吉は、妹の旭(山田真歩さん)を家康の正室にすればいいと考え、夫のいる旭を無理やり離縁させて岡崎に送ることにしました。もう正室は置かないと決めていた家康は不承知でしたが、秀吉の妹ならば大いに利用する価値はある、上洛はまた別のこと、と正信に進言され話を承諾しました。天正14年(1586)5月、旭は家康に輿入れして浜松に到着しました。披露宴の席では、今や関白の妹という地位になっても言葉や振る舞いは変わらず尾張の百姓のままという旭に、家康も家臣一同も驚きを隠せませんでした。そんな旭は、家康は自分に興味がないこともわかっていて、形ばかりの夫婦だ、自分みたいなので申し訳ない、と家康に思いを伝えていました。兄・秀吉から「徳川でうまくやれ。でないと次はかか様が人質に行くことになる。これくらい役にたて。」と言いつけられてた旭でしたが、姑の於大の方(松嶋菜々子さん)や家康の側室の於愛にも気さくに明るく接していて、於大も於愛も自分を飾らず偉ぶらない旭に好感を抱いていました。大坂や京の土産で話が盛り上がり、旭の周りにはいつも女たちの笑い声が響いて楽しそうでした。一方、大坂に行った数正のことを探った正信によると、数正は特にこれといった働きもしてなくて、与えられた屋敷で静かに暮らしているとのことでした。家康は数正のことを考えないでおこうとしていましたが、一人になると「私はどこまでも殿と一緒。」と言った数正の最後の言葉が脳裏をよぎっていました。妹を嫁がせても一向に上洛する様子がなく自分に臣従しない家康に、豊臣秀吉(ムロツヨシさん)は業を煮やしていました。そこで秀吉はいよいよ大政所の自分の母親を岡崎に人質として送る事を決めたのですが、ただし、かか様が着いたその日に家康が上洛しなければ、今度こそ天下こぞっての大軍を送って戦になる、これが最後通牒だと家康に伝えるよう、弟の豊臣秀長(佐藤隆太さん)に命じました。そして母・大政所が岡崎に来ると於愛から知らせを受けた旭は兄の言葉を思い出して一瞬顔が曇り、でもすぐにいつもの笑い話にしてごまかしていました。ただ旭の様子は何かおかしいと、於大と於愛はすぐに気がつきました。於大と於愛は家康のところに行き、上洛についての家康の考えを確かめました。あくまでも上洛を拒む家康に於愛は「あちらは妹君に加えて老いたる母君まで差し出すのに。」と言い、さらに旭の身の上が不憫であると家康に進言しました。それでも「旭は猿の妹。正室は瀬名一人。」と言って自分の考えを通そうとする家康を見て母・於大はたまらず「人を思いやれるところがそなたの取り得だと思っていたが。」と家康をたしなめました。そして乱世にほんろうされた於大だからこそ、ないがしろにされる者を思いやるよう、息子・家康に言いました。家康は女二人の言葉には返事をせずに評定に出ていったのですが、その途中で一人泣き崩れる旭の姿を見てしまいました。評定になり、秀吉の使者がこちらに向かっているから上洛するか否かの決断が迫られていることを、家臣たちも承知していました。本多忠勝(山田裕貴さん)ら若い重臣たちは相変わらず主戦論者で何年でも戦を続けると強気でしたが、家老の酒井忠次は彼らに「秀吉を相手に本気で戦えると思っているのか。どんな勝ち筋があるのか。」と考えを問いました。そして家康にも「本当は我らは負けたとわかっているはず。でもそれを認めないのは、亡き人(瀬名・信康)に心をとらわれているから。」と言い、その思いは忠勝と榊原康政(杉野遥亮さん)も同じでした。その時、評定のさなかとわかっていても於愛は中に入ってきて、自分には難しいことはわからないけどと言いつつ、(亡き瀬名が目指した)戦無き世は他の人がつくってもよいのではと進言しました。続けて忠次が、数正は自分が出奔すれば徳川はもう戦ができなくなり、それが殿と皆と徳川を守ることになるのだとわかっていたのだと言い、さらに正信がだから数正は己一人が間者となって罪を一人で背負ったと考えを述べました。そして於愛は数正が置いていった木仏と木箱を出し、中の押し花を広げました。それはかつて瀬名がいた築山に咲いていた花で、家康はすぐに気がつきました。於愛は、数正は言葉には出さなかったけど亡き瀬名と信康にいつも思いを馳せていたのではと言い、押し花と共に誰もが亡き二人に思いを寄せました。家康は忠勝と康政に、自分が天下人となることを諦めてもよいかと問い、さらに皆に秀吉にひざまずいてもよいかと涙を浮かべて問いました。忠勝が「数正のせいじゃ。」と言いだし、続けて皆も口々に「数正のせいで戦えなくなった。やむを得ん。」「やつのせいで。責めるなら数正だ。」と悔し涙を流しながら、でも心のどこかでは「数正、あっぱれ。」と思いつつ、今ここにはいない数正をののしりました。家康はようやく上洛して秀吉に臣従する決意ができました。一方、その石川数正(松重 豊さん)は大坂では変わらず仕事を与えられることもなく、妻の鍋(木村多江さん)と静かに暮らしていました。鍋は夫・数正のことをちゃんと理解していました。出奔すればこのような処遇に遭うとわかっていたけど出奔した、でもそれは殿・家康が大好きで殿と徳川を守るためだったと。鍋の言葉を数正は遮って「あほたわけ」と言ったけど、言葉とは裏腹の通じ合う優しい思いに二人は笑っていました。評定の後、家康は旭の部屋に立ち寄りました。家康が来て慌てて涙をふき、いつものように明るく、母が来ればまたやかましくなると家康を思いやりました。そんな旭に家康は「もうお道化なくてよい。辛い気持ちを押し隠し、両家の間を取りもとうと懸命に明るく振舞ってくれていた。なのに老いた母君まで来させる事になり、まことに申し訳ない。」と言って頭を下げました。そして上洛する決定を伝え、旭のおかげで家中が少し明るくなったと礼を言い、「そなたはわしの大事な妻じゃ。」と旭に優しく微笑みました。前夫と離縁させられた辛さや、兄・秀吉のために自分なりに懸命に徳川で努めてきた思いなどが一気にあふれだし、旭は嬉し涙が止まりませんでした。家康は旭を優しくいたわり、そして瀬名への思いを象徴する木彫りの兎を封印し、天正14年(1586)10月、大坂に向けて出立していきました。心の中では「自分が秀吉を操ってこの世を浄土にする。」と誓って。
September 6, 2023
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この1年、日曜日の夜が来るのが待ち遠しくて仕方がないほど夢中になったNHK大河ドラマ 『真田丸』 。先日18日に最終回を迎えましたが、ネットではずっと反響が続いています。ファンの一人として嬉しい限りです。その『真田丸』を自分なりに振り返ってみました。一番印象に残ったことは、主役側もそれに対立する側も、どの登場人物も魅力的だったことです。出番が少なくてもすごく印象に残る俳優さんが多くて、俳優人生を長く続けてこられた皆さんの実力と存在感をひしひしと感じました。脚本の三谷幸喜さんは『新選組!』で好きになりました。そして『真田丸』では、演出や俳優さんたちとの呼吸もピッタリって感じで、期待以上のものを見ることができ、本当にいいドラマでした。そこで、印象に残ったところを感想日記に書かなかった部分でちょっと出してみます。まず、信繁の妻の春(松岡茉優さん)。武士の妻としては少々頼りない感じでした。でも、家臣であっても年長の人には「さん」付けで呼ぶその育ちの良さは好感が持てました。また九度山での耐乏生活の中でも、娘の梅を気立てのよい品のいい子に育てました。それゆえ梅は、自分たちをかくまってくれた伊達家の重臣・片倉さまに一目で気に入ってもらえました。あとは春が、お世話になっている伊達家で障子をプスプスやっていないことを願うばかりです。次に竹内結子さんが演じた茶々。これまでに数々の戦国ドラマで、多くの女優さんが茶々を演じてきました。例えば『江』のときの宮沢りえさんの茶々は、織田信長の姪であり浅井家という大身の姫君らしい気品と、三姉妹の長女らしさを感じました。また『秀吉』のときの松たか子さんの茶々は、誇り高く品格も抜群の姫君でした。秀吉の前で披露した舞は、日舞とはこんなにも美しいものかと感動した瞬間でした。逆に好きになれない茶々もありましたが、それは割愛。そして『真田丸』での茶々は、どこか頼りなくてアブナイ女だけど、秀吉の側室になるときにはちゃんと正室の寧に挨拶し、寧と敵対することのない性格のいい姫君でした。そう、鈴木京香さん演じた北政所の寧さまも素敵でした。百姓から天下人にまでなった秀吉を支えてきた寧さまは、秀吉に対して唯一対等にモノが言える強さと、下の者への優しさもある素敵な女性でした。信州の真田家では、草笛光子さん演じるばば様に、戦国を生き抜いた女の強さを見ました。ばば様は木曽家でも徳川家でも人質になっても臆することなく、あの世に旅立つ前には可愛い孫二人には生きていく指針を与えました。また薫ママの高畑淳子さんと姉上・松の木村佳乃さんは、面白い部分もあったけどふだんはイラっとした人でした。でも、昌幸パパと源次郎が九度山に旅立つシーンでは、泣き叫ぶ薫ママと父たちに言葉を送る姉上に、感動して泣けました。なんでだろう・・・。この二人が、ふだんから戦国の女らしからぬ、あまりにもふつうの感情のままの女性だったからでしょうか。そういえば、ふつうじゃないのがなぜか笑えたのが、長野里見さん演じるこうでした。源三郎の正妻だった時代はとにかく病弱で、力なくゆら~っと歩き、煮たお芋を口に運ぶのにも気合いがいるなんて演技に大笑いしつつも感心しちゃいました。(第7回)そして正妻の座を稲に奪われてからでも、源三郎のそばを離れたくなくて侍女として稲に仕え続け、そこに真に誇り高いからこそ下座につける、人としての強さを見ました。そのこうの子・信吉(仙千代)と稲の子・信政(百助)。昌幸じじ様は「仙千代・百助」の順で呼び、忠勝じじ様は「百助・仙千代」の順で呼びました。この微妙な差が、ふつうの感情なのですよね。昌幸にとって仙千代は自分の孫だけど亡き兄の孫でもあるから、百助よりもちょっとだけ可愛いでしょう。そして忠勝にとって自分の血をひく百助は、目に入れても痛くない稲の子だから、理屈抜きに可愛い孫でしょう。でも百助にしたことは、仙千代にも必ず同様のことを。分け隔てせずに二人に愛を注ぐ忠勝の姿に感涙でした。この『真田丸』は男たちの駆け引きや戦闘以外の場面でも、このように心に残ったシーンがたくさんありました。でも一番驚きだったのが、長澤まさみさんのきりでした。ドラマのヒロインのはずなのに、はじめから1/3くらいまでは、ドラマの中でウザい存在でした。それが中盤あたりから、源次郎にどれだけ邪険にされてもいつも明るく傍にいるきりの健気さに視聴者は心を打たれ、いつしかきりを気持ちよく応援するようになりました。「鋼鉄メンタルのきりちゃんだって、あれじゃあ傷つくよ」特に源次郎とはそんなシーンばかりでしたからね。そして第49回のラストシーンで、きりの思いがようやく少しだけ報われたときに、視聴者は心から喜びました。一人の登場人物に対する気持ちがこんなにも変わるのだと知らされた、三谷さんの素晴らしい脚本でした。(長くなったので、ここでいったん分けます)ドラマの中であのとき源次郎ときりは、こんな風景を見ていました。上田市真田町の真田氏本城跡にあるロケ地です。
December 29, 2016
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NHK大河ドラマ 『真田丸』 。今日も楽しく興味深く見ることができました。このドラマ、オープニング映像がなんか好きです。音楽としては『新選組!』のときのように盛り上がる音楽じゃなく、やや地味な感じがするけど、お城の内外や山の風景の映像が、戦国時代の空気を感じていいです。登場人物も魅力的です。主人公の真田信繁の母・薫と、祖母・とりの、対照的な二人のキャラクターが面白いです。公家の出の母の薫は、今は戦国の世であることがやっぱりわかってなくて、周囲を手こずらせます。それでも嫡男の信幸は特別に可愛いのか、信幸の言うことには素直に従います。そんな信幸も、この母親の扱いをちゃんと心得てます。敵に襲われないよう農民の姿になり顔に泥を塗るときでも、「母上は誰よりも気品が顔ににじみ出ていますから、誰よりも泥を多くぬりませぬと。」優しく母の自尊心をくすぐって言うことをきかせます。信幸・信繁の祖母とりは武家の娘らしく「この戦国の時代はこういうものだ」という割り切りができていています。とりは信幸よりも信繁を贔屓する感じで、2人の女と2人の息子のバランスがとれています。そして私の中で今回最高に素敵だったのは、草刈正雄さん演ずる父の真田昌幸。小山田の裏切りで信幸ら一行があわや!というとき、「迎えに参ったぞーっ!」馬のいななきとともに家臣を連れて姿を現したとき、私はホッとしたと同時に胸が躍り、感動でちょっと涙が。そして父上@草刈さんの、頼もしく渋くカッコイイ馬上の姿に、思わず見惚れてTV画面にくぎ付けでした。これが若かりし頃の草刈正雄さんです。ホント、男前~~そういえば以前、こんな日記も書いてました。よろしければコチラも 草刈正雄と『汚れた英雄』 信幸一行の危機が回避され、皆が安堵したときに、薫が夫の昌幸に「殿ぉ~~っ!(涙)ごわがっだ(怖かった)~~。」と泣きつきます。そんな妻を、「これ、皆が見ておる。いい加減にせんか。おい。」昌幸は愛おしそうに優しくたしなめます。そして母・とりには「さすがは我が母上。肝が据わっておられる。」しっかりした頼もしい母だと讃えます。でも、妻の薫が「早く着替えをしたい」とか、息子たちがあれこれ心配事を並べると、「助けてやったのに、文句ばかりじゃな、おい。」なんて「なんだ?お前たちは」って顔をしながらも、「わしにとって最も大事なのは、真田の一族じゃ。」自分を囲む家族の顔を見ながら、こう言い切ったときの、昌幸の優しい頼もしい真田家当主の顔がなんとも素敵でした。うーん。。草刈正雄さんがこの歳になってますます魅力が出るなんて、私には思いもよらぬことでした(嬉)。他にも魅力的な役者さんが多いですね。徳川家康を演じる内野聖陽さん。『風林火山』で山本勘助を演じたときは、重苦しさで途中で見るのをやめましたが、今回の家康はこれまでの俳優さんと違った、ちょっと笑える家康を魅せてくれそうです。さあ、来週の見どころは何か、ワクワクしてきます。平岳大さんの武田勝頼の最期は、見事でした。「父上・・・今からそちらへ参ります。四郎を・・・たっぷり叱ってくださいませ。」 心に残る平さんの名演と台詞です。
January 17, 2016
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NHK大河ドラマ 『真田丸』 。第40回感想の後半で、前回の日記の続きになります。若き頃より石田三成らとともに豊臣秀吉に直参衆として仕え、秀吉の死後は秀頼の傅役として、片桐且元(小林隆さん)は長年豊臣家に仕えてきました。しかし方広寺の鐘銘のことがこじれ、これ以上自分が大坂にいてはいけないと思った且元は大坂を退去しました。これで事態は良い方向へ向かうだろうと且元は思いました。ところが思いもよらぬ形で事態はさらに悪いほうへ。徳川方は「秀頼に追われて且元が大坂を出た」⇒「取り次ぎ役の追放=徳川への手切れ」とみなし、徳川家康(内野聖陽さん)は大坂攻めの命を下しました。「徳川が攻めてくる。」豊臣秀頼(中川大志さん)は父・秀吉の恩顧の大名たちに書状を送って、豊臣方の味方につくよう呼びかけました。そして今、大坂城には徳川との一戦を望む浪人たちが続々と集まってきています。且元は、大坂に戻ることができなくなった自分の代わりに、秀吉への忠義が誰よりも深かった源次郎に、秀頼のために大坂城へ入って兵を預かり徳川勢を迎え討ってくれ!と必死に訴えます。しかし源次郎は、自分は大軍を率いて戦ったことがなく、さらに囚われの身、そして戦がそれほど好きでなはいと、且元の話を丁重に断り去りました。夜も更けて源次郎が屋敷に戻ったとき、きり(長澤まさみさん)が現れました。先ほど明石の姿を見てから源次郎がいなくなり、源次郎の様子がヘンなのできりは気になっていたのでした。「まもなく戦が始まる。」きりに問われたわけでもなく源次郎は話し始めました。「豊臣に加勢をしてほしいと頼まれた。」九度山で幽閉生活をしているものの、いつかこの時が来るとわかっていたきりは源次郎に「お行きなさいよ。」と。さらにきりは源次郎の心に問いかけます。「あなたに来てほしいと思っている人がいるんでしょう? 助けを求めている人たちがいるんでしょう? 真田安房守昌幸。徳川と二度戦って、二度勝った男。 あなたにはその血が流れている。 真田源次郎は安房守の息子。戦上手に決まってる。 誰も疑わないわ。あとは、はったりよ。 ここで一生を終えたいの? それでいいの? あなたは何のために生まれてきたの? 大事なのは、誰かが、あなたを求めているということ。 今まで何をしてきたの? 何を残したの? 真田源次郎が、この世に生きたという証しを、 何か一つでも残してきた? 何もしてないじゃない。 何の役にも立ってない。 誰のためにもなってない。 私が大好きだった源次郎さまは、どこへ行ったの? がむしゃらで、向こう見ずで、やんちゃで、 賢くて明るくて、度胸があって、きらきらしていた、 真田家の次男坊はどこへ行ったのよ!」きりから言われたことは、源次郎が心の中で見ないように封印していたことばかりでした。図星を指されて思わずカッとなって、きりにまた「うっとうしいんだよ!おまえは。」と言ってしまいます。さらに「思い上がるな!おまえの言ったことくらいはな、とっくに自分で問いかけておるわ!」と。どれだけ頑張っても自分は源次郎には雑に扱われ、大事にしてもらえない存在だってことは、長年そばに居て嫌というほどわかっている。それでも、こんなときでも源次郎から返ってくるのは、ただ苛立ちをぶつけて自分を拒絶する言葉でした。「もう言わない。二度と。」そう言ったきりを見て源次郎は言い過ぎたと思い、去ろうとするきりを呼び止め、「自分で問いかけるよりも、おまえに言ってもらうほうがよほど心にしみた。礼を言う。」とだけ言葉をかけました。きりが去った後もその夜の源次郎は眠れぬまま時間が流れ、一人縁側に腰かけて物思いにふけっていました。ベルの音とともに様々なことが脳裏に思い起こされます。秀吉に仕えていた時代に出会った人たちの言葉。生まれ育った信濃にいた時代の近しい人たちの言葉。そして何より父・昌幸とばば様が遺した言葉。様々な人々の言葉を思い起こすうちに源次郎から迷いが消え、そして心を決めました。まずは信繁の名の改名から。使う字は、真田一族に代々受け継がれる「幸」の字と、あと一文字は自分に関わりの深い文字からくじで。くじで選んでくれと言われて驚く大助(浦上晟周さん)に「八百万の神に託した」と説明し、そして大助が手にした紙には「九度山村」の「村」が。このときから源次郎は、『真田左衛門佐幸村』になりました。後に「日の本一の兵」と呼ばれて歴史に名を残す戦国最後の名将の誕生でした。きりが言った「ナントカ官兵衛様」、インパクト抜群のセリフでした。この瞬間、2年前の大河ドラマの主役(岡田准一さん)が視聴者の脳裏に再登場でした。(画像は、大阪市の玉造にある三光神社です)
October 12, 2016
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NHK大河ドラマ 『おんな城主 直虎』 。第49回の部分的な感想です。予告で「とわが龍雲丸と堺で再会」とあり、この時代に中年女性が浜松から堺まで男に会いに行くなんて、結局今作は脚本家さんが歴史の物語ではなくて、壮大な愛の物語でも描きたいのかと、私は初めは引き気味にTVを見ていました。でも二人のやりとりはいい意味で予想を裏切ってくれた面白さがあって、船上の長いパートを除き、今回はほぼ楽しく見てました。(来週はわからんけど)そして今回は家康のあの「伊賀越え」があり、今作ではどうやって描くのかと楽しみにしていました。なるほど、こういう形で魅せ場にしたのですね。(笑)演技派の皆さんの棒の演技、笑わせていただきました。「明智光秀が謀反をした後、京に上った徳川方が戦に巻き込まれず三河に逃げ帰れるよう、茶屋四郎次郎と計画してほしい。」井伊万千代(菅田将暉さん)はとわ(柴咲コウさん)に堺に出向いてほしいと頼み、とわもそれを引き受けました。(浜松から京都まで約230km・徒歩を快諾する中年女。2年前の萩-京の往復よりはマシだけど、んー、元気だ。)龍潭寺の2代目「にゃんけい」です。先代のにゃんけいもだったけど、ここの猫たちは人間の話をちゃんと聞いてて、世の動きをしっかり把握しています。おとわさま、政治的な活動をするときは尼姿になります。奥山六左衛門(田中美央さん)、中野直之(矢本悠馬さん)、瀬戸方久(ムロツヨシさん)とともに京に入りました。茶屋四郎次郎との打ち合わせの後、中村与太夫に協力を頼むために、とわは堺に入りました。異国の商人たちも出入りしていて珍しい物があふれる堺の町を見て、とわはコーフンして大はしゃぎです。堺から三河に直行で戻れる南蛮船を借りるには龍雲丸に頼むしかないと、とわは中村与太夫(本田博太郎さん)から助言をもらいます。安土城に入り信長の歓待を受ける徳川家康(阿部サダヲさん)と徳川家の重臣たちだけど、信長暗殺計画が常に頭をよぎって落ち着かんわ、急遽光秀が中国攻めを命じられて計画が狂ってドギマギするわ、そんなときに信長の怒りをかって激しく折檻される光秀を目の前で見て、一同唖然!控えの間でしばし休息する間、皆で話し合って再び練り直しです。このまま光秀を信じていていいのか、本当は誰が誰を暗殺しようとしているのか、あれこれ考えだしたらもうわけがわかんなくなりました。そして織田信長(市川海老蔵さん)がもてなす饗応のときがきました。膳を運んでくる小姓たちの先頭には、ナント信長が!(家康と徳川家臣たちは息をのんで再び唖然!)信長が手ずからの給仕という思いがけない展開に、ただただ驚く家康。「膳の上の景色も美しいほうがよかろう。」--今回の名言ですね。本多忠勝が恐る恐る、戦支度で急ぎ三河に戻りたいと申し出ると信長は「そなたらをねぎらいたい。どうかもてなしに付きおうてくれ。」~(信長の心の声)わしがこう言ってるのに断るの?、断らないよね?~(一同の心の声)はい、断れるわけがございません。ひいぃーーっ。一方とわは、龍雲丸と再会したもののちょっとした言葉のすれ違いから、南蛮船を借りるために南蛮人の男とアブナイ接待をすることに。日の本の国の尼姿の美女にこの男もメロメロです。男が迫ってきて、あわや!というときに、龍雲丸(柳楽優弥さん)が毎度の眠り薬入り吹き矢で男を眠らせてくれました。とわも万一に備えて酒に(眠り薬を?)盛ってたけど、とわのことはちゃんと龍雲丸が守ってくれ、そして誤解もとけました。信長の命により、軍勢を整えて出陣した明智光秀(光石研さん)。途中、愛宕神社に寄って参拝し、お御籤を何度も引き直していました。信長を倒す決意をした光秀は「敵は本能寺にあり」とつぶやくと、「我に続けーっ!」と叫び軍勢を本能寺に向けて駆け出しました。光秀が自分の命を狙っているとは露ほどにも思わない信長は、宿所の本能寺で家康に贈るための茶道具をあれこれ選んでいました。蝋燭の灯りでこれだけくっきりと影はできないから横から照明をあてているのだろうけど、光と影が綺麗な場面でした。安土から堺に入った徳川の一行。このとき家康は「信長は自分たちを討つつもりはないだろう、これは明智の作り話、信長とは長い付き合いだから自分にはわかる。」と家臣たちに言って、やはり京の茶会に向かうことにしました。京に向かう途中、一足先に京に行った松下常慶と本多忠勝から、嘘でなく本当に、明智が織田に対して謀反を起こしたとの知らせが。このまま三河に帰ろうとする徳川方を怪しんだ穴山信君の追及を逃れるために、各人が台本無しの即興での大芝居が始まりました。家康「仇討ちで京へ!」、榊原康政「我らには手勢がない。」、家康「ならばわしはここで腹を切る!」、万千代「なりませぬ~、殿!」なんてやってたら茶屋四郎次郎が現れたので、一行は伊賀を抜けて(予定通り)三河に戻ることになりました。山中の小屋で休憩していると、小野万福(井之脇海さん)と本多正信(六角精児さん)がひょっこり現れました。自分たちを疑っている穴山信君をどうしたらと相談していた翌朝・・・本多正信が、一足先に発つという穴山を案内してきたと言います。「野伏に襲われなどせねばよいのですが。」正信は家康のほうをチラ見しながら、このことを二度繰り返しました。そして無事に岡崎城に帰りついた徳川の一行。この先は軍勢を整えて上方に向かうなどせず、穴山領を拾いながら織田と明智の雌雄が決するまで時を稼ぐ、ということでまとまりました。
December 12, 2017
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この正月にBS日テレで放送された 『田原坂』 。約30年前に時代劇スペシャルとして毎年年末に放送されていたときには『白虎隊』ほどの感動はなかったのですが、今回改めて見直してみたら『白虎隊』にはない面白さがありました。次の日曜日からNHKの大河ドラマで鈴木亮平さんが主演で 『西郷どん』 が始まります。 『田原坂』では約6時間だったドラマを、大河ドラマでは 43分×50週=2,150分、2,150分=約36時間かけて制作することになります。『田原坂』で観たあの場面を、『西郷どん』ではどう描いてくれるのか、今から楽しみです。願わくば、終盤で西南戦争が始まったら、野外ロケでガッツリと戦いをやって欲しいものです。各方面からの隊が集まり、総勢が約3万を超えたとも言われる薩摩軍と、それを討伐した政府軍との戦いが、スタジオの中でチョイチョイとやってナレーションでまとめておしまいでは、あまりにもつまらないです。西郷隆盛の生涯の終盤の、私学校建設から西南戦争にかけては、物語がどんどん盛り上がると思います。少々気が早い話ですが、11か月後には大河ドラマを観て “涙腺決壊” 状態であったら、と思ってます。鈴木亮平さんなら、やってくれるかな。ドラマの終盤、西南戦争に向けて鹿児島から出陣するシーンです。総大将である西郷隆盛(右側の馬上の人)に対し、行進しながら敬礼をこうするのか、と思って見ていました。以前は気がつかなかったのですが、馬の鞍の下につける障泥(あおり)のデザインが階級によって違っていました。総大将は赤地に金の縁取り、各隊の将は青地に銀の縁取りです。桐野利秋を演じる勝野 洋さんです。勝野さんは殺陣のシーンで迫力あるのはもちろん、このときの馬上から「かしらぁー、左!」と号令をかける姿がすごく素敵でした。『西郷どん』で桐野利秋を演じる方は、どんな感じになるのかな。西郷隆盛を演じる里見浩太朗さんです。陸軍大将の上着には金色の刺繍やボタンはないけど、白い手袋と白いズボンで格の違いを出しているようです。鹿児島の町の人々は出陣を拍手で見送ります。西郷隆盛の身内の女たちは西郷に一礼をし、西郷もそれに応えます。元・会津藩士だった佐川官兵衛は、会津戦争の折に薩摩に賊軍にされた無念を晴らすべく、西南戦争に臨みました。下着には会津戦争で命を落とした仲間たちの名前が書かれています。本田博太郎さんの佐川官兵衛は、迫力満点です。最近の本田博太郎さんは面白い役が多いですが、若い頃はこうでした。九州各地での激戦の後、鹿児島に戻ってきた西郷は、最後の戦いに連れていけない2匹の愛犬を放して自由にしました。西郷たちが鹿児島に戻ってきたと聞き、鹿児島に赴任していた政府の役人たちは恐れをなして鹿児島から出ていきます。町の人々は「帰れーっ!」と叫び、棒やほうきで役人たちを、まさに「叩き出して」います。どこかの気の強いかーちゃんは騎馬戦状態で、役人が振り上げる刀にもひるまず「帰れーっ!」と叫んで役人たちを追い払っています。[DVD] 時代劇スペシャル 田原坂最終決戦で出陣する前日、西郷と生死を共にする者たちが集まり、村田新八が奏でるアコーディオンの音楽(ラ・マルセイエーズ)を聴いて、「地の底から力が湧きあがる、よか曲じゃ。」と皆で楽しんでます。ここは私の大好きなシーンです。翌早朝、西郷たちは城山の岩崎谷に出て政府軍との最後の戦いとなり、皆帰らぬ人となりました。この西南戦争によって薩摩軍 6,745人、政府軍 6,843人、両軍合わせて計 13,608人の戦死者を出し、ここに士族の反乱は終結しました。
January 5, 2018
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毎週日曜日にBS-TBSで8月11日まで放送されていた 『水戸黄門』 の第2シリーズの部分的な感想です。 第9回 ではドラマの中で熊本城が何度も映り、この城を愛して真に守り抜こうとした若侍たちを描いた回でした。ところで私、今更ながらですが、この『水戸黄門』ではちょっとした動作がその人の役柄を表しているのだと、やっと気づくことができました。例えば、ドラマ内で悪役に追われて逃げるときに、忍びの弥七(津田寛治さん)や詩乃(篠田麻里子さん)は煙を出す火薬玉を投げるのですが、ふつうの悪役の侍やならず者なら、びっくりして何もできないままです。でも今回では切れ者の隠密の桜井五郎蔵(河村 進さん)は、煙の中で見えなくても刀を振って斬る動作をしていました。(まあ隠密の忍の集団が詩乃の火薬玉で “みんな吹っ飛ぶ”のは、これは楽しい演出ってやつですね・笑)長年いろんな時代劇を見てきて今まで気が付かなかったけど、他にも、この人は自分の役をこのように考えて演じている、というのをドラマを見ていてよく感じました。そして「あの城は、私たち民の誇り」ーーおばば様の早紀を演じた水野久美さんのセリフです。3年前の4月に熊本地震で甚大な被害を受けた熊本城は、飯田丸五階櫓の「奇跡の一本石垣」に人々は勇気をもらい希望を感じたものの、お城全体の修復にはまだまだ長い時間を要します。そんな中でのこの第9回は、熊本城へのエールであったであろう、そう感じた回でした。吉姫に仕えていた大友源太(飯島寛騎さん)は江戸から熊本に戻ったときに、熊本藩を取りつぶして江戸の老中・柳沢吉保に渡そうとする清水勘解由の手の者に捕まり、ずっと清水邸の牢に閉じ込められていました。その源太を竹浦一郎太(奥田圭悟さん)が助け、仲間の元へ逃げていくのですが、それを清水の配下である隠密の桜井五郎蔵が後をつけていました。そしてその桜井を弥七と詩乃が追っています。ご老公一行は源太の家にたどり着き、源太の祖母の早紀(水野久美さん)と会います。ご老公は早紀から、熊本に戻ったはずの源太がまだ家に帰っていないと聞かされ、城内で何か起こっていると推察します。ご老公一行のために食事を用意する早紀は、本当は孫の源太が心配でたまらない、でも客人には気取られないよう「大丈夫」と笑顔でいる、水野久美さんの声と背中の演技です。追っ手から逃れた源太と竹浦は、仲間が待つお堂に入りました。しかしこのお堂は後から追ってきた清水の手の者に囲まれていて、それを知らせるために弥七(津田寛治さん)が現れるのですが、いきなり床下から。(笑)でも皆さん、びっくりして後ずさりしながらも、ちゃんと刀に手をかけてます。お堂から早く逃げるように弥七に言われ、侍たちは詩乃が誘導して逃げていきました。弥七が一人で隠密らと戦っているところに助さん(財木琢磨さん)格さん(荒井敦史さん)が加勢し、このドラマの見所の大乱闘になりました。源太はようやく家に戻ることができて、おばば様(早紀)と再会します。ただ源太たちがここにいることは清水の配下の者に知られていて、家はすでに取り囲まれているけど、気の強いおばば様は役人たちを追い返して籠城状態になりました。戦いが始まる前にまずは腹ごしらえで、ご隠居(水戸光圀;武田鉄矢さん)と弥七はこの地方の名物の「一文字ぐるぐる」を味わって満足しています。熊本城内では清水勘解由が藩主の細川綱利(吉姫の父)に都合のいい話を吹き込んで焚き付け、ご老公の暗殺を企んでいました。そして同じ頃、源太の家では吉姫が早紀から、藩主の綱利が幼い日にその座につけたのは水戸のご老公が後ろ盾になってくれたおかげ、しかし幼かった綱利はそのことを知らないままである、という話を聞かされました。さて朝になり、家を取り囲んでいた役人たちが攻撃を開始しました。役人たちは武器の他、梯子や盾を用意していてなかなかそれらしく、ご老公たちの反撃のシーンは、半分なるほど、半分これはコミカルというものでした。(それが面白い)それとこの、ご老公の籠城講座も興味深いものでした。ご老公の狙いは、籠城を続けていれば騒ぎが大きくなり、やがてお殿様の耳に入れば悪党どもが姿を現す、というものでした。しかし役人たちの手ぬるいやり方に業を煮やした隠密の桜井五郎蔵(河村 進さん)は配下の者たちに襲わせ、また源太の味方であった竹浦は実は清水勘解由の回し者で吉姫を人質にとり、ご老公一行と源太たちは役人に捕まってしまいました。(籠城終了)ご老公一行と源太たちは牢に入れられてしまいましたが、まあこういうときはたいてい、弥七や詩乃(篠田麻里子さん)が助けにきてくれるものです。(だから安心)桜井と対峙した弥七は「冥途の土産に教えてやる、オイラの名は風車の弥七ってんだ。」ーーつまり桜井を生かしてはおかないと宣言し、弥七は桜井をあの世に送りました。隠密や忍びは役目が果たせなかったら自害なので、これは仕方がないですね。皆が牢から出たところを役人たちが攻撃してきました。これはまあ、いつものシーンだし、役目としてもふつうのことなのですが、このときの役人の恰好が袴の裾を上げていて、何か理由があるのかなと思っています。そして大乱闘の後でご老公が名乗り、藩主・細川綱利(国広富之さん)をはじめ一同は平伏しています。しかしそれでも、刀をまだ持ったまま平伏しない清水がご老公を襲うのではと、助さん格さんは清水の動きを見張っています。案の定、追い詰められた清水がご老公に刃を向けて襲ってきました。格さんが清水を抑え庭に放り投げましたが、いくら庭(TVに映らない場所)に厚いクッションがあっても清水役の寺田農さんは76歳のお年なので、この後姿はたぶん他の方・・・でしょうね。(体が一瞬ま横になる飛びっぷりでしたので)「築城十年、落城一日」ーーこの天下の名城を守る気概を、いついかなる時も忘れてはいけないとご老公は藩主・綱利に説きます。清水勘解由の陰謀に気づかず、藩のことを真に思う者たちを苦しめてしまったことを綱利は己を悔いました。「彼らは熊本城を愛し、藩を守るために命を賭して立ち上がった者にござりまするぞ」ーーご老公に促されて綱利は早紀や源太らに頭を下げて詫びました。一件落着した後、ご老公(梅里)は江戸の老中・柳沢吉保に文を送って柳沢にくぎを刺しておいたので、柳沢は悔しくてたまらない様子でした。時代劇でよく出てくるこの文という小道具は、文面を考える人がいて、達筆な字で書く人がいて、こういった部分にも手を抜かないのが時代劇の良さだと思っています。
September 12, 2019
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今日は快晴の真っ青な空に加え、ぽかぽか陽気で気温も上がったので、やや冬用の長袖を着ている今は車内は暑くてたまりませんでした。(車内で音楽を大きめの音でかけているので窓を閉めているのです)午前中は仕事で、帰宅してからは換気も兼ねて家中の窓を開け放ち、心地良い風と陽気を感じていました。今日みたいな日にお出かけした人は、どこに行ってもいい景色が見られただろうな~と思いつつ、このPCの中にもそれなりにネタ画像がたまっているので、そちらをご紹介いたいたします。先月の終わりに用事があって名古屋駅に行ったときに、天気が良かったのでカメラも持っていきました。私が生まれ育った名古屋の街。そこにいるときは気がつかなかったけど、離れていると、なんだかんだ言っても名古屋はいいなあ、私は名古屋が好きだなあ、と思ってしまいます。駅前から少し離れた料金の安い駐車場に車を入れて名古屋駅前へ。午後4時半頃、まだ十分に明るくて青空が綺麗でした。名古屋駅の東口にあたる、JRタワーズの中2階にあるタワーズガーデンからです。JRタワーズ2階の外になるタワーズテラスから。南の方角を眺めました。17番線まである名古屋駅のコンコースを抜けて、西口に出ました。日没直後ぐらいの名古屋駅です。ちなみにこちらは別の日でしたが、雨が強く降っていて、ビルに霧がかかっていました。残照がなかなか引かず、午後5時半過ぎくらいにやっと暗くなりました。名古屋駅の西口川にある、控えめな噴水です。西口側の交番の前にある時計です。スマホが普及してからというもの外では時計というものをホントに見なくなりました。長針と短針があるアナログ時計は時間が感覚的にわかるので私は好きです。コンコースを戻って再び東口のほうに出ました。東口側にある金時計で、待ち合わせでよく使われます。(西口側は銀時計です)JRタワーズ2階の外のタワーズテラスから東(名古屋の中心地の栄方面)を見ています。昭和の時代のビルが建て替えられて、名古屋駅前が華やかになりました。名古屋駅に向かってくる車のライトが綺麗でした。この光はJRタワーズの12階の展望室から見ると、これまた違った美しさがあります。
November 14, 2020
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今週の月曜日から始まったNHKの連続テレビ小説 『わろてんか』 。私にとっては『あさが来た』以来の朝ドラの視聴です。今作はこれまでのNHK大河ドラマに出演して世間にお馴染みになった俳優さんがけっこう出演します。私の場合は昨年の『真田丸』で、情にもろくて優しいお屋形さま(上杉景勝)を演じて若者の支持を集めた遠藤憲一さんが気になってました。とりあえず『わろてんか』を見始めたら、遠藤さんは昨年のあの優しいお屋形さまを思い起こさせてくれる、笑いと涙の感動の演技でした。今週はこんな感じだったのをご紹介しますが、あまりネタバレしないようにしました。『わろてんか』をまだ見ていない方は、明日の土曜日の朝9時半から11時まで、BSプレミアムで1週間分90分の再放送があるので、これはオススメですよ♪老舗薬種問屋の当主・藤岡儀兵衛を演じる遠藤憲一さん。真面目で堅物で、でも人情には厚くて人望があるのだけど、眼力がスゴイので周りはときどきフリーズしてしまうことも。周りが緊張に包まれた次の瞬間、あることがあって一斉にズッこけました。第1回目の初めから、いきなり吉本流のお笑いでした。この時代の名家の食事風景です。当主と跡取り、女・子ども、使用人と部屋が分かれます。また食事の途中でも当主が箸を置いたら、皆も箸を置いて姿勢を正します。藤岡家の親せきで丁稚の武井風太を演じる鈴木福くん。福くんもこんな顔芸を見せてくれてます。ふだんから笑い上戸過ぎる主人公の藤岡てん(新井美羽ちゃん)。ドイツからのお客さまを藤岡家に迎えての大事なパーティーのときに・・・、どこからともなく黄色いチョウが2匹現れてこんなことになるものだから、笑い上戸のてんが笑いをこらえきれずに・・・。これがパーティーと取引きを台無しにする大騒動になってしまいました。お仕置きでてんを蔵に閉じ込める儀兵衛。でも、てんをお姫様抱っこで静かに下に降ろします。優しい~~。(子供を脇に抱えて連れてきて地面に放り投げるなんてしないのです)てんは父・儀兵衛から「笑い禁止令」を言い渡されました。祖母のハツ(竹下景子さん)は、てんがたしなみを身につければ落ち着くかと茶道・華道・お琴を教えるのですが、この後・・・(爆笑!、遠藤さんの表情も最高!)。てんにとって「笑い禁止令」は辛いけど、皆が寝静まった後で父・儀兵衛がこうして仕事の勉強をしている姿を見て、てんも考えるのです。その後でいろんなことが起こって、第5回放送の今日、てんは父・儀兵衛に手をついて一生懸命に謝ります。娘・てんの優しい気持ちを知って、てんに心配かけたことが済まなくて、遠藤さんがこんな表情をするものだから・・・(´;ω;`) 感涙。そして事件は収まって、儀兵衛は娘・てんを抱きしめます。「ああ、可愛い娘よ。」・・・遠藤さんのそんな声が聞こえてきそうです。
October 6, 2017
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今週の始め、ちょいと静岡県内を小旅行をしてきました。まずJR静岡駅から歩いて10分ほどにある 宝台院 に行ってみました。静岡市は徳川家康公が将軍を辞した後、大御所となって晩年を過ごした地です。そしてこの宝台院には、家康公の寵愛の深かった側室、お愛の方(西郷の局)のお墓があります。家康公の側室となり、家康公に心から仕え、人柄もよくて周囲の家臣や侍女たちにも好かれ、領民にも優しかったお愛の方でした。若い頃から苦労の多い人生だったけど、我が子の秀忠は2代将軍となりました。長年の苦労にも負けず、最後は報われた人生だった。庶民の私にはそう思えてしまいます。宝台院の門を入って右手側です。この日は桜の花びらが舞っていて、ちょっと特別な空間になりました。日々の安寧に感謝し、熊本の地の収束をお祈りしました。こちらのお稲荷さまにも、ちゃんとお参りしました。こちらがお愛の方の墓地です。また慶応4年(1868)7月、明治の世となる約50日前に、15代将軍の徳川慶喜公がこの宝台院で謹慎となりました。大河ドラマ『徳川家康』の中で、竹下景子さんが演じたお愛の方が、「戦をすると民たちが難儀をします。戦を避けるためにも(秀吉の命令に従って)殿は東(江戸)へ。」と病床から訴えたシーンは、今でも記憶に残ってます。
April 21, 2016
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NHK大河ドラマ 『おんな城主 直虎』 。前評判の高かった今回は、久しぶりにBSでまず見て、内容がよかったので8時からの総合でも見ました。その第28回の部分的な感想です。今川家の寿桂尼を演じる浅丘ルリ子さん。番組スタート時は、失礼ながらあまりにもお歳を感じてしまう姿に、ドラマの感想欄では「もう少し若い他の女優さんがよかったのでは?」という声がありました。でもドラマが進み「答えを選ばれよ!」のセリフなど、相手に有無を言わせない、まさに大家・今川家を陰で束ねるその迫力を、ルリ子寿桂尼さまから感じました。そして今回はその迫力でもって、本心とは裏腹な言葉がしれっとでてくる松平健さん演ずる武田信玄に対して、嫌味と皮肉を交えてそのつど言い返しつつ、なんとか孫娘を取り返そうとする寿桂尼ばば様。「ああ言えばこう言う」のお二人の言葉と表情の合戦が、もう最高でした。(口下手な私は今後の参考にすべく、ここで書き留めておきます。 青い字は武田信玄、赤い字は寿桂尼のセリフです)「お具合がよろしゅうないと聞いておりましたが、 ご息災で何よりでございます。」「神仏も、我には会とうないようにございまする。」「それは…神仏も正直なことを。」 ←(笑)「晴信殿、ご謀反の種となりましたは、我が孫娘。 この上は駿府に引き取り、亡き夫の菩提を弔わせ とう存じます。」「しかしのう、肝心のあれが、帰りたがっておらぬ ゆえに。償いに、武田に尽くしたいと申すのじゃ。」 ( ↑ ↑ 信玄の大嘘その1・笑)「なんという思い上がり! 我が説き伏せましょう。 いずこに?」 (← さりげなく居場所を聞き出す)「今は気鬱で伏せっておりますゆえ。」 ( ↑ ↑ 信玄の大嘘その2・笑)「気鬱ぐらいで情けない! それもまとめて説き伏せましょう。」 ↑ ↑ ↑この私が孫娘を叱って説教してやる、という形で面会に持ちこもうとするテクニックが素晴らしいですね。・・・でも、この恐い寿桂尼ばば様にそう言われると、ホント気鬱ぐらいぶっ飛んで、背筋がシャンとしそうです。松平健さん、華やかな赤の法衣が似合ってお洒落ですでもこれはドラマの演出ではなく、実際に赤い法衣を着た信玄公の肖像画が残っているそうです。松平健さんが「おちゃめな信玄を演じたい」とおっしゃっていたように、まさにおちゃめに、でもやってることに情けはなく、そしてけっして相手の思い通りにはさせない信玄さんでした。昨年の草刈@昌幸パパが信玄公に心酔していたのが想像できる、そんなマツケン信玄公です。今川家に戻った寿桂尼は、孫であり今川家太守の氏真(尾上松也さん)に、武田にとって鈴は人質だから簡単には手放さない、でもこれで北条家に頼みやすくなったと説明します。しかし、武田に出向いて鈴とその子を今川に返す話をまとめ、今川家に事の次第を伝えに来た北条幻庵に対し、話に納得がいかないと氏真は幻庵に怒りをぶつけます。寿桂尼は「労をとっていただいたのでございますよ。」と氏真をたしなめ、それでもまだ現状の苛立ちを幻庵にぶつける氏真を叱ります。「お見苦しや。泣き言を言うた者から負けるのです。」北条幻庵を演じるこのご老体は品川徹さんです。最近の作品では『花燃ゆ』では牢の中の長老を、『坂の上の雲』では、二○三高地の戦いで大迫尚敏を演じていました。寿桂尼ばば様の前では、己の無能さをいやというほど感じてしまう氏真は、やけになってまた享楽にふけります。そんな氏真の姿に心を痛めた寿桂尼は病に倒れてしまい、生死の境をさまよいます。寿桂尼ばば様が倒れたことで氏真も反省し、そして妻の春の励ましもあり、寿桂尼ばば様をこの世に引き戻そうと、氏真は館中の楽師を集めてばば様が大好きな雅の調べを送ります。もしばば様がこのまま帰らぬ人となっても、美しい調べに送られて冥土に向かわれるだろう。そんな思いをこめて氏真も一生懸命に演奏します。夢うつつの中で寿桂尼は、隆盛を誇っていた時代の今川家の、華やいだ宴の世界の中にいました。そしてそこには、逆縁で先に逝ってしまった息子・義元と、幼き頃の龍王丸(氏真)の姿も。氏真の思いが通じ、寿桂尼は意識が戻るけど、己はもう先は長くないと悟ります。そして寿桂尼は今川と縁のある者たちと、今生の別れを思わせるように一人一人と面談し、「このところ覚えが悪うなった」と何かを帳面に書きつけていました。寿桂尼が井伊直虎(柴咲コウさん)を呼びつけて面談するシーン。互いに失礼のないよう、正装しています。高位の者が着る紫地に金糸の法衣の寿桂尼の衣装も風格を感じるし、正装して唇にうっすらと紅をさす柴咲コウさんがとても綺麗です。直虎と互いに思い出を語る中で寿桂尼は、そなたが我が娘であればと心から思っていたと伝えます。しかしその後、寿桂尼は直虎の粛清を決意します。家を守るという事は、きれい事だけではすまない。それを理解している直虎は自分と似ている、そんな女子は衰えた主家に義理立てなどしない、と。賢くて行動力も粘り強さもあり、なぜか周囲の者を惹きつけ、皆この者のために自発的に動いてしまう、人の上に立てる気質をもつ女子。この者は自分を慕い、自分もこの者を気に入っている。もし我が娘、我が孫であれば、常に自分の傍に置いて、可愛がってあれやこれやと指南したい。しかし・・・相手はこれまで今川に臣従してきた小国の一つであり、理由があればこの者の身内を容赦なく成敗してきた。いったん裏切りの気配が見えたら、有能だからこそ、徹底して潰しておかなければいけない。・・・そんな寿桂尼の心の内を想像してみました。
July 18, 2017
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2019年NHK大河ドラマ 『いだてん~東京オリムピック噺』 。第22回の部分的な感想です。今回は視聴率はまことに残念な数値でした。しかし内容としては現代の若い女性の思いに通じるものがたくさんあって、神回とまで言われました。ただ私個人としてはそちらの内容よりも、ドラマの終盤で学校に苦情を言いにきた生徒の保護者に対する金栗四三の反論が、なんともズレてるのが気になりました。私は仕事で苦情処理とかはしてませんが、それでも四三のこの反論はいいことも言ってるけど勢いで押してるだけで、相手の怒りのポイントを理解した上で自分の思う方向にもっていこうという言い方ではないよなーと感じました。まあそういう部分が、自身のマラソンにしろ教育にしろ、何事にも一途な先生らしい部分なのでしょう。なので実際にお仕事で苦情処理や交渉事をやっている方が見ていたら、もっと「あー、ここはこう言えば・・」の連続だったのでは?と思ってます。あと否定的な意見が多い落語パートですが、どこかで話がつながっているなら別にあってもいいと私は思ってます。ただ今回は感動がなかったので、感想は省略しました。大正10年(1921)の春に金栗四三が東京府立第二高等女学校(竹早)に赴任し、初めのうちは四三が推進するスポーツに興味を示さなかった女学生たちですが、次第にスポーツに意欲的になっていきました。特にテニスで強くなった村田富江(黒島結菜さん)と梶原(北 香那さん)はフランスの選手が着るウエアに憧れ、黒坂にミシンを借りて自分たちでウエアを作っていました。名門女学校の生徒だから裁縫のたしなみもあるのですね。手作りテニスウエアでプレイする村田と梶原は各地で大人気でした。また二人が作ったこのテニスウエアも世間で話題沸騰となり、シマの夫・増野が勤める日本橋の百貨店には問い合わせが殺到、ショーウインドーに飾られた自分たちの名前がついたウエアを見て、スポーツを知った喜びをかみしめていました。西洋人のスタイルの良さに憧れる村田たちは陸上選手の脚が美しいことに気が付き、皆で金栗四三(中村勘九郎さん)の下宿にやってきて四三に脚を見せてもらってます。それにしても金栗先生、生徒たちとはいくら互いに異性としての意識が皆無とはいえ、着物の裾をはだけすぎのような。(着物の下は運動着の短パンじゃなくて褌・・?)ノリで四三の脚に触ってしまった女生徒たちでしたが、筋肉美をもつ四三の脚に憧れ、彼女らも一緒に走って鍛えることになりました。いつもなら一緒に走るシマ(杉咲 花さん)は走らず、その理由はおめでただったのでしたが、何もかも中途半端な今は自分の妊娠を素直に喜べませんでした。そんなシマにスヤ(綾瀬はるかさん)は「それはそれ、何の負い目もなか、丈夫な子を産みなっせ」とエールを送りました。さて、野口源三郎(永山絢斗さん)への恋に破れた二階堂トクヨ(寺島しのぶさん)はいよいよ「女子体育と心中する覚悟を決めた」とシマに話します。トクヨ先生は自らの決意の表れとして、頭を剃ってカツラをかぶっていました。大正11年(1922)4月、二階堂トクヨは代々木に全寮制の二階堂体操塾を創設し(現在の日本女子体育大学)、そこには講師として野口も招かれていました。さてテニスで大人気となった村田と梶原は、岡山高等女学校に招かれていました。しかしこの学校には長身で身体能力の高い人見絹枝(菅原小春さん)という選手がいて、村田と梶原は人見にまったく歯が立たずに完敗となりました。人見の身体能力の高さにすっかり魅せられたシマは人見に練習方法などいろいろと質問しまくってましたが、人見自身は勝つと周囲から「男だ、化け物だ」と悪口を言われるため、スポーツにはあまり積極的ではありませんでした。そんな人見にシマは、卒業後の進路が決まってないなら東京に出て陸上競技をやろう、この人はマラソンの金栗先生だと人見を熱烈に誘っていました。やがてシマは女の子を出産し、四三のところに挨拶に来ていました。四三はシマに、今度は女子陸上の大会を開催するというプランを話し、それを聞いたシマは人見絹枝を出場させてほしいと四三に提案しました。人見・・岡山の・・四三のトラウマがよみがえりました。(笑)そして大正11年(1922)秋、金栗四三主催の女子陸上大会が開かれました。このとき村田は人前で靴下を脱いで素足にスパイクを履き会心の記録をだしました。このことを四三は大喜びで、新聞記事を読んだ嘉納治五郎は女子選手がスポーツを楽しんで活躍するようになったことに、目を細めて喜んでいました。しかし素足を出して力走した村田の写真は、いかがわしい商売にも使われていました。たまたま通りがかって娘・富江の写真を見た父親の村田大作は激怒し、後日学校の四三の元に怒鳴り込んできました。四三は富江が大会で日本記録を出したことを力説しますが、娘の醜態がさらされたと怒り心頭の村田大作(板尾創路さん)には記録などどうでもいいことです。またオリンピックに出て海外の女性の姿を見てきた四三なら女性が脚を出すことに抵抗はないでしょうが、当時の男の価値観では許しがたいことでした。(価値観の相違はともかく)娘が新記録を出したことをなぜ褒めてやらないのか?!四三は勢いで力説し、大作はその場は引き下がりましたが後日、四三の依願免職を求める署名を集めて学校にもってきました。「金栗先生が学校を辞めさせられる、自分たちは以前の窮屈な生活に逆戻り」ーー身軽な服装で体を動かす楽しみ(スポーツ)を知った女子学生たちは学校や親たちに抗議しようと、机でバリケードを作り抗議文を貼って、教室に立てこもりました。生徒たちの騒ぎを知った先生たちは教室の前に集まりました。退学になっても構わない覚悟の彼女らは、四三の退職のこと、靴下のこと、女らしさとは?と納得いかないことを次々と主張していきました。女らしさを男の価値観で決めるなら男らしさも女が決めるべき、靴下を脱いだだけでガタガタ騒ぐ文部省やお上の顔色にビクビクしている先生たちも男らしくない!ーー四三の退職を阻止しようと立ち上がった生徒たちの叫びが止まりません。廊下にいる大人(先生)たちが誰も反論できずにいる中で、騒動の渦中にある四三がついに「村田ーっ!、梶原ーっ!」と大声で呼びかけました。生徒たちは初めて聞く四三の怒りの声に驚き、皆固まってしまいました。
June 12, 2019
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2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。今回は、反乱の兆しを見せる源 頼家(金子大地さん)を討たなければならない北条義時(小栗 旬さん)の「こうするしかないのだ」という葛藤と、終盤の頼家の暗殺が行われる場面が見どころでした。いや~、もう、頼家@金子さんと善児@梶原 善さんの、ラストでのお二人の殺陣は本当に素晴らしかったですね。あのシーンは何度もリピートして見入ってしまいました。頼家の最期でよく言われているような風呂場での悲惨な状況とかじゃなく、それこそ「見栄えのする最期」をつくった脚本と演出は、まさに見事だと思います。思えばこのドラマが始まってからずっと、クレジットで「善児」の名が出るだけで多くの視聴者に緊張が走り、今日は誰がやられるのかと身構えていました。それが前回の一幡との関わりの場面から、善児に対する視聴者の思いが180度変わったように感じました。だから今回のラストでは、感想ツイートの中には「善児、死ぬな!」という声もあったそうですね。演劇やドラマでは、はじめにある登場人物に抱いた観る側の感情が、あるときを境に反転してしまう、あるいは徐々に変化していってはじめと全く違ったものになっているということが、演者の力量次第で起こるとは聞いていましたが、まさにそうでした。感動の名演を、梶原善さん、ありがとうございました。善児役・梶原善さんインタビュー ⇒ ⇒ こちら 実は私、今まで気がつかなかったのですが、 ↓ ↓ NHK『鎌倉殿の13人』のHPでは、各回の『吾妻鏡』の内容を紹介しています ⇒ ⇒ こちら (「歴史」をクリックするとこれまでのがまとめて出てきます)こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館、鎌倉市にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 建仁3年(1203)10月9日、第3代鎌倉殿となった源 実朝(嶺岸煌桜くん)の政務開始の儀式である政所始が行われ、北条時政(坂東彌十郎さん)が行政の筆頭である執権別当ととして取り仕切りました。時政は鎌倉より離れた西の御家人たちの動きが気になり、西国の御家人たちに鎌倉殿への忠義を示す起請文を書かせるよう、京にいる娘婿の平賀朝雅に命じました。さらに時政は、亡き比企一族が所領としていた武蔵を自分が引き継ぐと勝手に決めてしまい、時政及び北条一族は他の御家人たちから反感を買ってました。北条に対する不評を三浦義村から聞いていた北条義時や時房らはそれを気にしていたのですが、肝心の父・時政は愛妻・りく(宮沢りえさん)の考える通りに事が運んでいて上機嫌で、りくは「次は武蔵」「次は御台所」と自分が権力を手に入れるためにやる事を、夫・時政にやらせようとしていました。たださすがの時政も「次の執権は(りくが産んだ子の)政範」と言われたときは快い返事はせずにごまかしていました。(りくが自分が産んだ子に継がせたい気持ちはわかるけど、時政にとって義時は頼朝挙兵の頃から長年一緒に戦って修羅場をくぐり抜けてきた子で、今では北条家の中でだれよりも頼りにしている、時政にとって特別な子だと思います。)11月に入り、修善寺に幽閉された源 頼家(金子大地さん)から幕府の重臣たちにいくつかの要求が届きましたが、それはとても受け入れられるものではないと意見がまとまり、三浦義村(山本耕史さん)が修善寺に使者に立ちました。頼家は父・頼朝が石橋山の戦の後にすぐ立て直したことを例にあげ、今は幽閉されているがそのうち軍勢を率いて鎌倉を火の海にして北条を討ち取る!と言いました。そして義村が頼家に「ならばやればいい」と言うと、頼家は義村に力を貸すよう頼みましたが、義村はそれを断り立ち去っていきました。修善寺でのことを義村から報告を受けた北条義時(小栗 旬さん)ら重臣たちは、頼家をどうするか話し合いをしました。義村は頼家の挙兵は無理だと考えるものの、大江広元(栗原英雄さん)は頼家の鎌倉に対する恨みの強さを懸念し、早めに手を打ったほうがいいと意見しました。時政が「やるか」と言ったときに何人かから「そこまでは」と意見がありましたが、時政にしたら頼家はかわいい孫で自分だって辛いのだと訴えました。結局このときは、警護を増やして当面は様子を見よう、警護は八田知家に、頼家に不信な動きがあればそのときは、という義時の意見でまとまりました。尼御台の政子は、自分の次男の実朝が鎌倉殿になったものの、実朝の性格的に政は向かないと考えていて、三善康信(小林 隆さん)に実朝に和歌を教えて欲しいと頼みました。康信は実朝のためにたくさん資料を用意して、元服したとはいえまだ12歳の実朝にわかりやすいよう、易しく教えていました。(現代の塾なら生徒に大人気の先生になりそうですね)鎌倉殿・実朝のことは母である姉の政子ではなく、乳母である自分が決めると考える実衣(宮澤エマさん)は、実朝が鎌倉殿としてふさわしい人になるよう厳しく教育すべきと考え、康信の教え方には不満でした。そして、建仁4年(1204)の正月の読書始の儀式で儒学の講義をした、京から来た源 仲章(生田斗真さん)を実朝の和歌の師にし、仲章に自分のやり方を全否定された康信はいたたまれなくなって、急ぎ退出していきました。持参した大量の巻物や書物を慌てて落とす康信を、実朝は心配そうに見ていました。頼家は修善寺に来た畠山重忠(中川大志さん)と足立遠元に、武蔵の領地を時政が狙っていると二人に疑念を抱かせることを話していました。鎌倉に戻った重忠はすぐにそのことを重臣たちに報告し、一同は頼家が京と通じているのでは?と考えました。そのとき修善寺を警護している八田知家(市原隼人さん)が入ってきて、修善寺に来ている猿楽衆の一人が京に向かおうとしていて、その者は頼家が後鳥羽上皇に宛てた北条追討を願う内容の扇を持っていました。皆は頼家が反乱の準備をしていると確信し、頼家を討ち取る決意をしました。義時は頼家を討つことを命じるために善児とトウが暮らす小屋に来ました。義時の弟・北条時房(瀬戸康史さん)は、頼家と上皇が結託すれば大きな戦になるから今のうちに火種を消すべしと、兄・義時と同じ考えでした。でも義時の嫡男・泰時は頼家を死なせたくないと純粋な気持ちのままで、時房は兄・義時にとって泰時は希望なのだと感じていました。しかし義時が何気なく奥の台に目をやったとき、兄・宗時がいつも持っていた巾着を見つけ、そのときに二人は長兄・宗時を殺害したのは善児であった確信しました。義時にとって泰時が光ならば自分は影の部分を引き受けると決めた時房は、自分が善児を斬ると義時に言いますが、義時は今の自分には善児を責められないと言って時房を止め、善児を生かし仕事を命じました。亡き頼朝の遺児であり自分にとっても甥である頼家を討たなけれなばらない義時は、その重たい気持ちを紛らわしたくて和田義盛の屋敷に来ました。するとそこには仏師の運慶(相島一之さん)が来ていて、義盛が座を外したときに義時は久しぶりに会った運慶と二人で話しました。運慶は15年ぶりに見た義時を「悪い顔になった」といいつつ、でも「まだ救いはある。お前は己の生き方に迷いがある。その迷いが救いだ。」と、そして「悪い顔だがいい顔だ。」と言ってくれました。間もなく鎌倉を発つ運慶は義時の顔をじっと見て、いつかお前のために仏を彫ってやりたい、いい仏ができそうだと笑ってくれました。夜になり、修善寺では猿楽が始まりました。頼家に逃げるよう注進に来た北条泰時(坂口健太郎さん)でしたが、頼家は逃げるつもりはないと言い、泰時に一緒に猿楽を観ていくよう言いました。しかし猿楽の奏者の一人に違和感を感じた泰時は、これが頼家の暗殺者かと直感し、舞の途中でその者に近づいて刀を抜くと、やはり善児(梶原 善さん)でした。泰時と善児の斬り合いが始まりそこにトウも来て、義時から殺さないように言われている泰時と、泰時を助けようと飛びこんできた鶴丸は気絶させられました。頼家の警護の者たちは庭でトウが引き受けて戦い、善児は奥に逃げて一人になった頼家と一対一で戦うことになりました。思ったより手強い頼家でしたが、善児があと少しで頼家をというときに善児の目に「一幡」と書かれた文字が飛びこんできました。善児にとって初めて愛おしいと思った幼子の名で善児に一瞬の隙ができ、頼家から腹を刺される反撃を受け善児は庭の舞台に倒れこみました。しかし善児を追いかけてきた頼家は背後からきたトウに斬られ、絶命しました。(ここで感想ツイートでは、「善児はおそらく字が読めないけど一幡の手習いを見ていて一幡の字だけは読めたから動揺した。」という意見が多数ありました。でも私は、善児はいわゆる忍びのようなことをやっていたので、武術だけでなく文字の読み書き等の教養も仕込まれていたのではと思いました。)やがて雨が降り始め、気絶していた泰時と鶴丸(きづき さん)は目が覚めました。しかし舞台の上を見たときにそこにあったのは、かつて主君として仕え、従兄弟でもあり、あれほど生を望んだ頼家の無残に斬り殺された遺骸でした。頼家の死を嘆き悲しむ泰時と、頼家の死を悼み、主人であり友である泰時の悲しみが自分も辛い鶴丸の姿がありました。元久元年(1204)7月18日、源頼家死去、享年23でした。深手を負いながらもなんとか寺から抜け出した善児でしたが、自分もこれで終わりかと思ったときに、背後から刀で再び刺されました。それは暗殺者として自分の跡継ぎにと育てたトウ(山本千尋さん)で、トウは自分の両親を殺めた善児を決して許してはいなかったのです。トウは「このときを待っていた。父の仇!母の…仇。」と言いながらもう動けない善児の体に刃を突き刺していき、絶命を見届けてその場を去っていきました。(善児はあれだけの深手で放っておいても死んだでしょうから、トウは恨み言だけを伝えて去ってもよかったのです。それでも善児を刺していったのは、半分は自分の恨みを晴らし、半分は苦しむ善児の介錯だったのかと。自分に武術を仕込んで暗殺者として生きる術を与えてくれた師匠への情もあったと思います。)
August 30, 2022
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2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。この回は、関ケ原の戦い(1600)から10年以上がたち、齢70を超える徳川家康(松本 潤さん)にとって、生涯最後の大仕事となる大坂の陣(1614--1615)に向けて、事態が動き出す回でした。二条城での家康と豊臣秀頼(作間龍斗さん)との会見は、これまで私が見た戦国ドラマでは比較的美しく描かれていたように記憶しています。でもこのドラマでは、どちらが上段下段となるかで家康と秀頼で攻防となり、家康が上段になってはいけないという、これまでにない解釈でした。そして徳川と豊臣との政権争いを、家康は戦にならぬよう穏やかにまとめたいと願うのに、茶々(北川景子さん)は「織田と豊臣の血をひく我が子・秀頼が、力で奪い取ってこその天下」と息巻きます。でもね、戦になれば侍たちは戦って勝っても負けても納得でしょうが、巻き込まれて難儀するのは民たちなのです。茶々はその視点がすっぽり抜け落ちていると思いました。父・浅井長政を小谷城で、母・市を越前北ノ庄城で、共に落城で失っていて、妹たちとは違って物心ついた歳だったから戦とはどういうものかを見てきたと思ったのですが、小谷や北ノ庄では民たちの姿を見ることがなかったのか。あるいは我が子・秀頼を天下人にという執念しかなかったのかな、とも思っていました。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #どうする家康 岡崎市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 静岡市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 浜松市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・ぎふ 関ケ原が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 慶長16年(1611)大坂では豊臣秀頼が元服して18歳になり、秀頼の母・茶々は「豊臣の代わりに政をしている徳川が、いつ政権を豊臣に返すのか。返さないなら戦も辞さない。」と考えていました。その頃、大御所となって駿府で過ごす徳川家康(松本 潤さん)の元に第2代将軍の徳川秀忠(森崎ウィンさん)が来て、大坂への対応を相談していました。本多正信(松山ケンイチさん)の報告によれば大坂では、牢人を養い武具や兵糧も集めて戦に備えていて、世間でも豊臣と徳川が戦になると噂になっているとのこと。秀頼の側近の本多正純(井上祐貴さん)は3月に秀頼を京の伏見城に来させ、家康への臣下の礼をとらせる、もし従わなければ力で、と進言しました。しかし家康は、上方では今でも太閤・秀吉が人々に人気だからその遺児の秀頼には下手なことができないと考えていました。そこで本多正信は、秀頼を二条城に来させ、あえて秀頼を上段に座らせ「徳川は武家、豊臣は公家」とし、公家だから城や武力は不要とすればよいと進言。家康はそのために北政所の寧々(和久井映見さん)に大坂方との仲介を頼みました。しかし案の定、寧々の話を聞いた茶々(北川景子さん)は不快感を露わにし、嫁の千姫(原菜乃華さん)は身の置きどころがなくなっていました。豊臣秀頼(作間龍斗さん)は千姫を優しくかばい、寧々も「今、天下を治めているのは徳川。豊臣は徳川の庇護の下にあることを忘れてはいけない。」と茶々たちをたしなめました。また加藤清正(淵上泰史さん)は、ここで出ないと心が弱い君と思われる、自分が命に代えても秀頼を守ると進言し、それを聞いて秀頼も納得。茶々は「そろそろ秀頼を世に披露する時」と考え、二条城に行くことにしました。慶長16年(1611)3月28日、いよいよ二条城での家康と秀頼の会見の日が来て、民の前に姿を現した秀頼は徳川方の想像以上の人気ぶりでした。秀頼が二条城に到着し、家康が玄関の車寄せで秀頼を下座して出迎えると、秀頼は笑顔で家康に近寄り初対面の挨拶をしました。その後もどちらが先に進むかなど小さなことでも互いに相手を立て合い、言葉遣い一つでも気を付け、双方の家臣たちも緊張の中にいました。結局この時は、家康が案内するという形で秀頼より先に進みました。奥の書院に入るとそこには寧々がいて、秀頼に上段に座るよう促しました。秀頼は辞退するけど家康も、豊臣は高貴な家柄で徳川は武家の棟梁だから及ばない、それがしきたりと秀頼に上段を促します。どちらも上段に上がらず、埒があかないと見た寧々は、ならば二人で上段へと促し、家康が動かないのを見ると秀頼は家康の手を取り、共に横並びにと促しました。そう聞いて家臣たちは敷物を上段に移動させ二つの座を用意したのですが、家康がそこに座るやいなや秀頼は下段に下がり、敷物のない場で家康に対しうやうやしく挨拶が遅れた詫びを言って頭を下げ、さらに秀頼は「武家として共に手を携えて」と言い、自分たちは公家ではないと家康に念押ししました。この若さでこれだけの機転が利く秀頼を、家康は警戒せざるを得ませんでした。二条城でのやり取りは上方の人々には「家康が秀頼をひざまずかせた」と伝わり、「天下の主は秀頼様!」「徳川を断じて許すな!」と怒りの声になり、大坂には前にも増して牢人たちが集まるようになっていました。阿茶(松本若菜さん)が秀頼をどういう人物と見たかと家康に訊ねると家康は、「(見た目は)涼やかで様子のいい(中身は)秀吉。」と答えました。(秀頼にはさらに、幼少の頃から母・茶々に吹き込まれた「家康を信じるな」という怨念で、大らかで素直な秀忠とは対照的な人物になっていると思います。)慶長17年(1612)、12年前に日本に漂着してから家康の庇護を受けているウイリアム・アダムスは三浦按針(村雨辰剛さん)と名を変え、領地も与えられ苗字帯刀を許されて家康の直参として仕えていました。按針が置時計の修理を終えた後、自分をここに呼んだ他の理由を家康に訊ねると家康は、西洋式の大筒を用意するよう按針に命じました。あれは恐ろしい道具だと快諾できない按針に家康は「大筒は戦を防ぐためのもの。大いなる力を見せつければ敵は攻めてこなくなる。」と目的を伝え、「よろしく頼む」と按針に念を押していきました。家康は置時計を見つめながら、戦に明け暮れた昔のことを思い出していました。そこに今川氏真(溝端淳平さん)が訪ねてきたので家康は少し昔語りをし、そして今は氏真が奥方と悠々自適に暮らしているのを思い、家康は羨ましくなりました。戦無き世をつくるために今もまだ苦悩を続ける家康を思い、氏真は「戦が無くなり王道で治世をする時代をつくるまで、あと少し。」と家康を励ましました。しかし家康は、いずれ起こるであろう大坂との戦を思って、自分の生涯は死ぬまで戦が続くのだと涙ながらに氏真に思いを伝えました。そんな家康を氏真は抱き寄せ「弟よ、弱音を吐きたいときはこの“兄”が全て聞いてやる。そのために来た。お主に助けられた命もあることを忘れるな。本当のお主に戻れる日もきっと来る。」と家康の苦悩を受け止め、そして励ましました。家康との二条城での会見以降、秀頼は豊臣の威光を復活させる事業を進めていて、その一つに京の方広寺の大仏の再建がありました。慶長19年(1614)に大仏の開眼供養が予定され、それを取り仕切る片桐且元(川島潤哉さん)は徳川を含めた諸国の大名や公家、そして商人に至るまで式に招くと秀頼に報告し、秀頼もそれを了承しました。大野治長(玉山鉄二さん)は秀頼を、これからますます輝きを増していく旭日の若君と呼び、そして家康を齢70を超える老木と例え、この先は“時”が否応なく勝負をつけるだろうと茶々に話していました。父・家康の老いは、2代将軍となった秀忠には大きな問題でした。世間では家康の亡き後は秀頼が天下人になるという意味の歌が流行り、歌の中に秀忠の存在はなく、秀忠は父の力があるうちに京大仏の開眼供養をどうにかしてほしいと考え、父亡き後の秀頼との戦いを恐れていました。そんな秀忠に家康は「自分の才を、弱いところと、その弱さを素直に認められるところをよく受け継いでいる。」と思いを語り始めました。「かつて自分も今のそなたと同じだった。でも戦乱の中でその弱さを捨てざるを得なかった。わしはそなたがまぶしい。」と。そして秀忠の傍に行き、静かに、でも言葉に力をこめて「戦を求める者たちに天下を渡すな。」と言い、王道と覇道とはと問いました。その問いに自信をもって見事に答える秀忠を見て家康は「そなたこそがそれを成す者と信じている。わしの志を受け継いでくれ。」と思いを伝えました。大坂城で日々鍛錬に励む若き秀頼の成長は目覚ましく、学問も武術も教養も、家臣たちがかなわないと思うほどでした。大野治長はその有り様は今は亡き乱世の名将たちを思い起こさせると言い、そう聞いた茶々は「家康を倒してこその天下」と悔しがりました。そこに片桐且元が京大仏と共に披露する梵鐘に刻む銘文の案を持ってきました。銘文の案に目を通す茶々はある部分に目が留まり、「面白い。」とつぶやいたかと思うと、何かを思い描いているようでした。梵鐘に刻まれた銘文の内容はやがて、本多正純から家康に知らされました。『国家安康 君臣豊楽』ーーその字は、家康の諱を2つに切り分け、さらに豊臣こそが君であるという意味を密かに込めている、というものでした。江戸から高僧の金地院崇伝(田山涼成さん)と儒学者の林羅山(笑い飯哲夫さん)を伴って秀忠が駿府に駆けつけ、家康は二人に意見を求めました。そして本多正信は豊臣との大戦はもう避けられないだろうと進言、家康も秀忠も家臣たちも覚悟を決めざるを得ませんでした。
November 29, 2023
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2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。今回の中で気になったのは、田沼意次(渡辺謙さん)の突然の失脚と、それに絡む人々の動きでした。意次の政策が通るのは、後盾の徳川家治(眞島秀和さん)あってこそで、その家治さえいなくなればとばかりに一橋治済(生田斗真さん)と大崎(映美くららさん)が暗躍していたように思えました。現代のように科学的な証明がない時代だから、何か事が起これば、それを利用して世論を操作するための噂を作り、もっともらしく語って噂を広めて相手を追い落とすのはやりやすかったかもしれません。地位は下だけど、上の者を操り思い通り動かそうとする治済と大崎。次は何をやってくるのかと、つい考えてしまいました。そしてこの時に起こった関東大洪水に関してです。利根川が決壊して大きな橋を押し流すほどの濁流となり、大水が場所によっては1m以上になりました。私は東京の地形や地名を知らないので実感がわきませんが、東京の地理を良く知る方はなるほどと思われたでしょう。ただ当時の江戸は今のような下水管はなく汲み取り便所で、し尿は農村部での肥料になるため厠に貯められていました。ということは、大水になれば厠からのし尿もあふれて流れ出しているから、長屋の人々が片付けをしているシーンがありましたが、消毒薬もない当時は衛生的にかなり問題があったのでは?と想像しました。ドラマの中で被災した人に飲み水が配られていました。現代では、災害時には一人あたり、1日3Lの飲料水が必要だと言われています。(飲み水1L、調理用1L、手洗いや歯磨き等1L)綺麗な水は、やはり大事ですね。NHKのステラnet のほうで、天明6年(1786)7月の関東大洪水の概要が紹介されています。 ⇒ こちら この大洪水は天明3年(1783)7月の浅間山の大噴火が間接的に関係しているとあり、ドラマの時代背景がよりわかって、大変興味深いです。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう 天明6年(1786)7月、連日降り続いた大雨によって利根川が決壊し、江戸の市中にも大水が押し寄せていました。松本秀持(吉沢悠さん)によると、大水によって永代橋や新大橋などの大きな橋まで次々と流され、人の胸の高さまで水がきていて人も家ものまれている場所もある、とのことでした。その報を聞いた田沼意次(渡辺謙さん)は直ちに舟を出して人々を救出するよう指示を出しました。市中の人々も大事な物を高い所に上げたり、家の出入口に土俵を積み上げたりして水が入ってこないよう必死に対策していました。連日降り続いた激しい雨がやんでようやく水が引いたものの、数多の家を失った者がいるため意次はお救い小屋を各所に設けて握り飯や飲み水などを人々に施し、仮住まいの普請を指図していました。蔦屋重三郎(横浜流星さん)の店は大きな被害を受けずに済んだので、歌麿や小田新之助(井之脇海さん)らに助けとなるものを渡していました。新之助がいる長屋は大水の被害が比較的少なかったので、家をなくした町人や流民たちが来て身を寄せ合っていて、皆で片付けに追われていました。新之助の家に上がって人目がなくなったら、重三郎はふく(小野花梨さん)に妻のていが縫った赤子の着物と、当分の間食べる米を渡していました。ただ長屋の他の皆さんに分けられるほど米はないので、くれぐれも内緒にするよう念を押し、二人も納得していました。あと新之助には紙と筆を用意したうえで筆耕の仕事を依頼し、新之助は有難く請け負っていました。そんな話をしていたら長七が来て、寺で味噌を配っていると教えてくれました。重三郎は帰るついでに施しをしているという寺に寄ってみました。施しを受ける人の中には米がないことに不満をぶつける人もいて、この先は大変なことになりそうだと重三郎は感じました。そんな中で重三郎は笠を深く被って人々の様子をみている侍が長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)だと気がつき、再会の挨拶をしました。「御先手弓頭」に出世した長谷川は市中を見回っていて、最近の江戸市中では盗みや押し込み強盗が増えているとのことでした。ご公儀はお救い米をもう出せないようで人々は困窮していて、長谷川は裕福な町方の助けが頼りだと言っていました。重三郎は寄合で、困っている人たちを助けないかと皆に提案しました。しかし、自分たちのことで精一杯で他を助ける余裕はない、流された渡し場の普請があるし普請のための材料費や手間賃が跳ね上がっている、米だけでなく紙も墨も絵の具もこれからどんどん値上がりする、と誰もが救済に反対でした。そして鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)からは「貸金会所令」のお達しがあったと言われ、被災した直後に人々に知れ渡ったこのお達しは人々の誤解を生んで田沼意次にとって逆風となってしまいました。松平定信を筆頭とする反田沼派の一派からは貸金会所令を直ちに取りやめるよう強く要望が出て、意次がどう説明しても受け入れませんでした。結局は将軍・徳川家治(眞島秀和さん)が裁可を出す月次御礼まで待つことになり、定信は能う限りの大名から取りやめの嘆願を集めると息まいていました。一方、そのころ家治は体調が思わしくなく、知保の方(高梨臨さん)が定信に教わりながら作って持参した「醍醐」を、家治は迷いながらも知保の気持ちを汲んで食していました。重三郎はその後も新之助たちに、米や野菜を目立たぬように援助していました。人々は貸金会所令のことを自分たちを苦しめる悪法だととらえていましたが、重三郎はそれほど悪い法令ではないのではと思っていました。でも新之助は懐疑的で、ふくはこの法令は立場の弱い者たちにシワ寄せがいくことになる、自分はそういう世界にいたからわかる、と言いました。実際、意次は大洪水の後で、米・水・油・材木・船賃などの値上げを禁ずる触れを出していましたが、それを守る者はほとんどいませんでした。そんな話をしていたら赤子を抱えた流民の女が二人、もらい乳にきました。重三郎のおかげでなんとか体がもっているふくは、困ったときはお互い様と他の赤子にも乳をわけていたのでした。知保の方が作った醍醐を食してから、家治は体調が急激に悪くなっていました。月次御礼にも出られず、反田沼派は意次が何か謀ったかと囁いていましたが、稲葉正明が意次を呼びにきたことで誰も何も知らないのだとわかりました。意次も家治も、この件を裏で操るのは一橋治済で、松平定信と知保が作った醍醐で家治が体調を崩したと周囲に話せないことも計算していて、今までに起こったいくつかの不可解な死も治済が裏で操っていると考えていました。家治は、治済が人の命運を操り将軍さえも自分が操る、それは将軍の控えに生まれついた治済なりの復讐だろう、と考えました。家治は自分はまだ生きて守りたいものがあるという強い思いがあり、意次に毒下しの得意な医師を連れてくるよう命じました。大奥では知保の方が、もしや自分が贈った醍醐のせいで家治の具合が悪くなったのかと心を乱していました。しかし大崎は、それを表に出すと醍醐作りに関わった者が何人も処罰されると言って、知保の方を抑えていました。後日、老中首座の松平康福(相島一之さん)の元に大奥から、意次が医師を変えてから家治の具合が悪くなったと訴えがあり、また他方では意次が毒を医師に盛らせたのではないか?という噂まで流れていました。康福は自分たちの身の安泰を図るために、まず意次に登城を差し控えるよう言い、その話の流れで老中を自ら退くことを勧告しました。意次は身の潔白を必死に訴えましたが、城内の皆の空気はもう意次の力ではどうにもならなくなっていて、康福は「全てを失うより、自ら退けば家名も禄も守れる」と意次を説得し、意次もそれを受け入れました。後日、屋敷で謹慎する意次の元に水野が来て、恩貸付金会所と印旛沼干拓の取りやめの決定と、じきに蝦夷の話もなくなることを伝えました。そして水野の様子から家治の容態がかなり悪いことを悟った意次は老中職を辞する決心をし、文を水野に渡しました。天明6年(1786)8月、いよいよ危篤となった家治の枕元に西の丸(次期将軍)の家斉と、その実父の一橋治済(生田斗真さん)らが呼ばれました。家治は絶え絶えの息で家斉に「田沼意次は“まとうど”の者である。臣下には正直な者を重用せよ。」と遺言しました。そして混濁する意識の中で「家基」の名を呼びながら床から這い出て治済のところまでいき、最後の力を振り絞って治済の胸倉をつかみ、目を見据えて「天は見ておるぞ!天は天の名を騙るおごりを許さぬ!これからは余も天の一部となって見ておることを忘れるな・・。」と言い、絶命しました。世の節目となる家治の死の一方で、市中では小さな死がありました。施しの米をもらって新之助が長屋に戻ると、ふくととよ坊が死んでいました。犯人はふくから赤子に乳をもらっていた流民の女の夫で、米を盗みに入ってふくを殺してしまったとのことで、夫婦で必死に許しを乞うていました。米次から報を聞いて駆けつけた重三郎は、もしかしたら自分が援助した米が原因なのかと愕然とし、米欲しさで妻子を突然奪われた新之助は「どこの誰に向かって怒ればいいのだ!」と慟哭しました。(このシーンでちょっと引っかかったこと。ご飯を炊くときにはいい匂いが漂うから、米のことを内緒にしようにも、炊飯の香りであの家には米があることは長屋の人にはわかります。他の長屋の人たちはどんな状況だったのか、妻から米があると聞いただけで盗みに入った流民の男は、あの家には「まだ余分に」米がある、という意味だったのかな?とか考えてしまいました。)
August 21, 2025
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NHK大河ドラマ 『真田丸』 。第31回感想の後半で、前回の日記の続きになります。心の支えにしていたロウソクの火を金吾に吹き消されてから、豊臣秀吉(小日向文世さん)はついに危篤状態になりました。秀吉の最期が近いので、なんとか茶々(竹内結子さん)と秀頼(石田星空くん)に秀吉を見舞って欲しいと願う真田源次郎信繁(堺雅人さん)は茶々のところに行きました。茶々は気が進まなかったけど、今夜が最後かもと意を決して、秀頼を連れて秀吉の見舞いに行きました。そのころ石田三成(山本耕史さん)は秀吉の回復を願って、褌一丁で一人庭で水垢離をしていました。(見事な後姿です。前回の上半身裸だけでも衝撃だったのに、この 褌一丁の後姿が映った瞬間、全国のお茶の間で「きゃあ~っ!」、 「おお~っ!」と歓声が上がったのではないでしょうか。)さて、茶々はようやく秀吉の見舞いに来たものの遠巻きに秀吉を見るだけで、秀吉に近寄れませんでした。でもそんなとき、幼い秀頼が「母上、私が参ります。」と父・秀吉の枕元に行って「父上。」と明るく声をかけました。少し前に茶々は、もし秀吉の見舞いに行けば、秀頼が秀吉の心の卑しさ、醜さ、冷たさまで感じ取ってしまうと嫌がっていましたが、茶々の心配をよそに秀頼は明るく優しい幼子のままでした。「立派な子に、育ててくれましたね。あの子なら、大丈夫。」寧(鈴木京香さん)は泣き崩れる茶々をいたわりました。その夜、秀吉は血だらけの少年が枕元に立って自分をじっと見る恐ろしい夢を見ました。その少年は、かつて信長時代に浅井家を滅ぼし、そのときに自分が処刑した万福丸(茶々の兄)でした。(サイトの下のほうに解説が出ています⇒⇒ コチラ )自分が死ねば、今度は我が子の秀頼が同じ目に遭うだろう。そう思った秀吉は三成に「家康を殺せ」と密かに命じます。三成は協力を仰ぐために、忍城攻め以来、自分の戦略の師匠と決めた真田昌幸(草刈正雄さん)の元を訪れました。三成の相談を受けた昌幸は、最初はよい返事をしなかったのですが、「我が真田はいっさい預かり知らぬこと」として、結局は家康の暗殺を引き受けました。家康暗殺の実行者は出浦昌相(寺島進さん)です。昌幸は出浦が徳川屋敷に向かう前に、「たとえ討ち損じたとしても、命は粗末にするな。」と強く念を押して送り出しました。そして出浦は徳川屋敷に忍び込んだのですが、家康の元に真田源三郎信幸(大泉洋さん)が、隠し子・仙千代のことをとてもではないが舅の本多忠勝(藤岡弘、さん)に打ち明けられない、どうか助けて欲しいと相談に来ていました。家康は、稲姫が後家になったら不憫だ、忠勝に言っておいてやるから今宵は帰れ、と源三郎を助けてやることにしました。源三郎はいったんは退室したものの、先ほど家康の部屋で妙な音を聞いたのが気になり、戻って家康に「忍びが近くに潜んでいるかもしれない」と伝えました。そしてその場にいた忠勝が天井の隙間を見つけ・・・!槍を天井に突きさした後、「曲者じゃあーっ!」と家臣たちを呼び、姿を現した出浦昌相との戦いが始まりました。まず出浦が徳川家臣2人をバッサリ。それから廊下で出浦を見つけた忠勝は「手出し無用!」と家臣たちに命じ、一騎打ちとしました。忠勝は戦場で戦いに生きてきた誇り高い男です。強い相手ならば弓や鉄砲を使わずに、一対一で自分が仕留めたいのでしょうね。それからの寺島進さんと藤岡弘、さんの一騎打ちの攻防は、もう迫力満点のカッコイイの一言でした。時代劇だから、やはりこれを見たいですよ。出浦はいったんは煙幕でその場を逃れ、屋敷内を移動していたら源三郎と鉢合わせです。驚いて互いに固まっていたとき、出浦の後から忠勝が現れ、出浦の背中に一太刀。傷を負った出浦は劣勢になり、さらに足にも傷を。庭で徳川勢に囲まれもう戦えないと思った出浦は刀を鞘に納め、その動きに徳川勢が一瞬ひるんだ隙に、今度は火薬を爆発させ姿を消しました。出浦は、心配して後をつけていた佐助(藤井隆さん)に助けられ、瀕死の状態で真田屋敷に帰ってきました。昌幸は自分のために命をかけてくれて、その果てにこんな姿になってしまった盟友の出浦を抱きかかえ、「昌相、昌相!(死ぬな!)」と呼び掛けるのが精一杯でした。一方、危篤状態だった秀吉は、苦しくなって家臣を呼ぼうと思ったら、なぜか呼び鈴が枕元になく床に転がっていました。寝台から転げ落ち、必死に呼び鈴に手を伸ばしたけど届かず、声も出せず、物音も宿直に気づいてもらえませんでした。そして絶命し、一人で孤独な死を迎えました。享年62。小日向さんの秀吉は、今までたくさんの方が演じた中で最高でした。特に老け込んでからの姿は老人そのもので、これが演技なのかと見入ってました。お疲れさまでした!(画像は、名古屋市中村区にある中村公園内の、若き頃の秀吉像です)
August 9, 2016
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NHK大河ドラマ 『おんな城主 直虎』 。第35回の部分的な感想です。小野政次(高橋一生さん)を失い、井伊谷城は徳川に奪われ、気賀では民までもが惨殺された井伊家の悲劇。でもその中から、皆がそれぞれに光を見出していき、少しずつ立ち直っていきました。私は政次ロスはないし、今回も若干突っ込みどころもありましたが、全体的に穏やかに見ていられました。堀川城が急襲されたことを知り、南渓和尚(小林 薫さん)らと共に駆けつけた井伊直虎(次郎法師:柴咲コウさん)。そこには泥だらけ血だらけになった屍が累々と転がっていました。「生きておる者はおらぬかーっ!」あまりの惨劇に直虎はただ立ちつくすだけでしたが、南渓和尚が生存者の救出に動き出しました。今まず何をすべきかを冷静に判断して行動する。本当に、この南渓和尚がいたからこそ井伊家はこれまでもってきた、そう実感する場面でした。瀕死の状態の龍雲丸(柳楽優弥さん)が直虎によって発見され、龍潭寺に担ぎ込まれてきました。担いできたのはもちろん傑山(市原隼人さん)です。どんなことをしても龍雲丸を助ける、直虎はその一心で看護にあたりました。薬を口移しで飲ませ、龍雲丸の身体を温石で必死に温め続けました。見せしめとなった堀川城の惨劇を知り、堀江城を守っていた大沢基胤(嶋田久作さん)は徳川に全面降伏しました。一睡もせずに龍雲丸を看護していて身体がもたなくなったので、昊天(小松和重さん)から休むよう指示された直虎。部屋を出たら中庭から少年が声をかけてきました。少年は鈴木重時(菅原大吉さん)の子・重好(下川恭平くん)で、亡き父のために直虎に経を読んでほしいと頼みに来たのでした。父のしたことはわかっているけど、どうか、憐れと思って。まだ幼いのに父の死によって元服して家を継いだ少年の頼みをきき、直虎は重時のために経をあげました。そして、これから父の代わりに出陣するという少年・重好に、武運を祈りますと言葉を送りました。暗いお堂に差し込む光と灯明の光と線香の煙が美しい場面でした。「頭、戻ってきてくれて、礼を言うぞ。そなたは次郎にとって生きる支え。」南渓和尚は龍雲丸にそう言いました。直虎を守るための存在として政次があの世から龍雲丸を追い返した、私はそう解釈しました。「和尚さまが口移しで薬を飲ませた。感謝するがよいぞ。」直虎の嘘を真に受けた龍雲丸。ちょうどそこに当の和尚が「具合はどうじゃ」と入ってきました。背景では若い僧侶たちが掃除に励んでいるけど、自由気ままに動くにゃんけい様の背景がやっぱ最高 そんなことは露知らず、南渓和尚は龍雲丸に「遠慮せずに言うてみよ。なんじゃ、水臭い。」なんて言いながら、イイ感じで近寄ってボディタッチしています。(笑)二人の様子を見てこらえきれずに笑ってしまう直虎。そして久しぶりに見た直虎の笑い顔を、和尚さまは感慨深げに見守ってていました。中野直之(矢本悠馬さん)が龍潭寺を訪れ、直虎に隠れ里の皆からの手紙を持ってきてくれました。手紙によると、祐椿尼(財前直見さん)をはじめとした皆は、高瀬(高橋ひかるさん)に家の仕事のあれこれを教えてもらい、薪割りその他なんでも自分たちでやっているとのことでした。なつ(山口紗弥加さん)も厨で働いています。これまで家人がやっていたことも自分がやる。隠れ里では皆が協力して、でも生き生きと働いて生活していました。小野亥之助(荒井雄斗くん)と中野直久(山田瑛瑠くん)は小石をいっぱい拾ってきて、小石に墨を塗り始めました。何が始まるのかと思ったら、小石を塗り分けて碁石の代わりにし、碁盤も自分たちで作って、二人で囲碁を始めたのでした。そして二人の碁の打ち方は、どちらも政次にそっくり。その様子を見たなつをはじめ皆は、悲しくて、でも嬉しくて、涙がとまりませんでした。そしてどういうわけか、皆で政次の真似をするようになり、皆で笑いあっていました。政次が皆の心の中で生きている。直虎はそう思うと嬉しくて、自分も泣きながら笑ってました。気賀の城を失い、財産を失ってしまった瀬戸方久(ムロツヨシさん)は、次の生きる道を「薬」に求めることにしました。昊天に教えを乞うために、家人の辰(山本圭祐さん)と共に揃って坊主になりました。。再び巨万の富を築いてやる--きれいごと抜きの商人魂が炸裂です。永禄12年(1569年)2月、掛川城は徳川のものとなりました。徳川に城を明け渡す前、今川氏真(尾上松也さん)は妻の春(西原亜希さん)に、北条家に身を寄せるとことを話していました。家康のことも、本人のいないところでも「徳川様」と呼んでいます。このドラマの氏真が、時勢も己の立場もわからないバカボンでなくて、好感がもてました。父・今川義元を桶狭間で失ってからの10年間は、偉大なばば様(寿桂尼;浅丘ルリ子さん)に逆うこともできず、大家・今川家は氏真にとって重荷でしかなかったのです。だからときどきヤケクソになって、こんなお馬鹿もしちゃってました。これからは自分のやり方で舵が取れるような気がする。肩の荷が下り、そしてこれからの人生に自信が持てた氏真の心からの笑顔を、妻の春も嬉しく見つめ笑っていました。
September 4, 2017
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2018年NHK大河ドラマ 『西郷どん』 。第45回の部分的な感想です。いよいよ西南戦争に向けて動きだす回でした。政府での要職を捨て、鹿児島で西郷の元で共に生きようと決意して集った私学校の者たち。そして故郷・薩摩に賊の汚名を着せたくない、薩摩の兄弟や旧友を守りたい、そんな思いも含め私学校内に密偵を送る政府の大久保や川路たち。どちらも薩摩を守りたい思いは同じです。しかしそれが双方うまくいかず、ついに堪忍袋の緒が切れた士族たちの暴発によっていよいよ後戻りできない事態となり、忍従して生きる彼らの思いを受けて西郷隆盛は決起します。今回の特に終盤の15分は感動の場面の連続でした。政府に政を問いただし、後は皆で鹿児島に帰ってくるだけのつもりだけど、もしかしたらこのまま戦になって西郷はじめ皆はもう鹿児島には帰還できないかもしれない。誰もが互いにそう思いながらも出陣していく者たちを見送る場面に感動で胸が熱くなりました。そして西郷たちを監視する政府内の大久保・弟の西郷従道・川路たちも、心の底では西郷隆盛を守りたいのでした。動き出した西郷をなんとしてでも自分が止めると、弟の従道、親友の大久保がそれぞれに名乗り出た場面は、西郷側とはまた違った感動で目頭が熱くなりました。さて、番組のお知らせです。大河ドラマ『西郷どん』の最終回となる12月16日(日)に、先日NHK-BSで放送された『英雄たちの選択スペシャル~西南戦争』の再放送があります。多くの薩摩出身の者同士が戦って死ぬことになった西南戦争で、どうして政府に残った薩摩出身の士族たちが多数いたのか。当時、政府側が圧倒的に優位だった情報戦とは、などドラマの中ではわからなかった話がたくさんあります。見逃した方は是非どうぞ!英雄たちの選択スペシャル12月16日 午後2時30分~4時30分 『決戦!西南戦争 ラストサムライ 西郷隆盛の真実』 。明治9年(1876)3月、政府より廃刀令が出され私学校の皆は憤慨します。県令の大山綱良(北村有起哉さん)は、この私学校はすでに政府に目をつけられているからと説得しますが、誰も従いません。そんな中、桐野利秋(大野拓朗さん)が前に進み出て「刀は侍の魂であるが、そのせいで西郷先生に迷惑をかけたくない」と自ら刀を大山に差し出しました。桐野に倣い皆も刀を差し出し、耐えて命令に従いました。しかし政府は廃刀令に続き。8月には士族の給金である金禄を廃止しました。追い詰められた士族たちは熊本で神風連の乱、福岡で秋月の乱、山口で萩の乱と次々に反乱を起こし、政府は軍を出動させ力でそれを抑え込んでいきました。私学校の者たちが決起しようとしていると聞いた西郷隆盛(鈴木亮平さん)は皆に、断じて立つなと強く言い聞かせました。明治6年(1873)には東京~長崎間で電信が開通していました。(このあたりも上記の 『決戦!西南戦争』 に出てきます)政府は私学校に中原尚雄らの密偵を忍び込ませていて、電信を使って鹿児島の様子を迅速に報告を受けていました。大警視の川路利良(泉澤祐希さん)から、鹿児島が非常に緊張した事態であると報告を受けた大久保利通(瑛太さん)は山県有朋(村上新悟さん)に、熊本鎮台にいつでも出兵できるようにと命じます。西郷従道(錦戸 亮さん)は大久保に、兄・隆盛を信じていないのかと尋ねます。そして大久保は、西郷の覚悟一つで日本中の不平士族が奮い立ってしまうと。大久保は密偵に私学校の偵察を、そして私学校が暴発したら身命を賭して説得しそれを止めよ、説得できなければ西郷を暗殺せよと命じていました。大久保の気持ちをわかっている川路は、自分だって薩摩の仲間を潰したくない、半次郎(桐野利秋)とは戦いたくない、と従道に思いを語りました。「故郷、薩摩に賊の汚名を着せてはならん」--川路からそう命じられて私学校に潜入していた中原尚雄(田上晃吉さん)も薩摩を守りたい思いは同じで、別府晋介(篠原悠伸さん)なら味方になってくれるだろうと信じて、鹿児島にある武器を政府の船が運び出す計画を打ち明けました。しかしすでに密偵と疑われていた中原はこの後、篠原国幹らに捕まりました。密偵から情報を聞きだした桐野たちは政府軍の武器庫を襲撃しました。私学校は今まさに挙兵の勢いとなっていると川路から報告を聞いた大久保は、山県有朋と川路に「来たるべき事態に備えよ」と命じました。私学校の者たちが暴発したと報告を受けた西郷は急ぎ学校に戻り、動くなという自分の命令に反した桐野たちを張り倒し、拷問を受けた中原をいたわりました。しかし桐野は西郷に、大久保は先生を暗殺しようとしたと進言します。そして桐野はさらに「この薩摩から新しい日本をつくるという先生の夢を信じて、自分たちは刀も禄も取り上げる政府の仕打ちに耐えてきた、その先生を暗殺しようとする大久保は許せない、大久保のつくる新しい日本に自分たちの居場所はない」そう西郷に涙ながらに訴えました。大久保の政策に歯をくいしばって耐えながら、それでも自分を慕ってくれる皆の思いを知った西郷は、皆で東京に行って政を問いただそうと言います。そこには全国の士族の思いを、新しい世を見ることなく散っていった先人たちの願いを込めて政の在り方を問いただす、そして「皆で薩摩に帰ってこよう!」と。私学校の皆で東京に出陣することになり、菊次郎も同行を願い出ました。しかし糸(黒木華さん)は、菊次郎の出陣だけは反対しました。糸は自分の産んだ子がいても、菊次郎のことを同じように大事にしてくれます。ただ戦になっても行くという菊次郎の意思は固く、隆盛は同行を許しました。出陣にあたり、西郷は大山に報告します。--「政府に尋問の筋これあり」兵と共に行くけど、これは政府を問いただすだけで戦ではないと。大山は「話すだけだぞ」と若い桐野と篠原に念を押し、自分はこの書簡の内容を政府や各県にばら撒いてやる、堂々と行ってこい!と西郷を激励しました。明治10年(1877)2月17日、鹿児島に50年ぶりの大雪が降った朝、西郷は東京に向けて陸路を出陣していきます。目的は話し合いだけど、もしかしたらこのまま戦になって無事に帰還できないかもしれないと、互いにわかっている川口雪蓬(石橋蓮司さん)と隆盛です。なので雪蓬の勧める酒を「今日だけは」と隆盛は受けました。そこへ桐野がやってきて、熊本・大分・宮崎の士族たちが我らに同行したいと次々に申し出ていると報告がありました。ここでは紹介されませんでしたが、薩軍本体 13000名、それに呼応する熊本隊(1500)、飫肥隊(600)、都城隊(1500)、延岡隊(1400)、竹田報国隊(600)などの諸国協力隊がおよそ8000名合流したとのことでした。(1987年テレビドラマ 『田原坂』 より抜粋)そしてさらに、元主席家老の桂 久武(井戸田潤さん)も西郷に同行すると言い、身支度をして現れました。「自分は薩摩一の弓名人」--桂にとって失いたくない誇りなのでしょうね。その頃、島津久光(青木崇高さん)も陰ながら西郷を見送っていました。海江田武次に「自分に目通りしたかったら、必ず帰ってこい」と言づけて。島津久光もまた西郷たちの無事を祈る一人だったことに感動の場面でした。そして出立の時がきました。息子の市来宗介を送る琴は兄・隆盛に「宗介も菊次郎もメリケンまで留学した国の宝。無事に帰さんかったら承知せんど!」と言葉を添え、島妻・愛加那との娘の菊草は島唄で父・隆盛を送りました。隆盛は妻の糸に留守を託し、政府の政を問いただすという大義を掲げ出陣しました。ただこの場面、野原をぞろぞろと行進していくだけでなく、ドラマ『田原坂』でやったような一番〜五番大隊の閲兵式をやって欲しかったです。 こちら あ~、軍服で馬上から指揮を執る桐野@大野拓朗さんが見たかったなぁ。政府と話し合いをするだけだという西郷の思いは伝わらないまま、西郷が大軍を率いて進軍を開始したと、熊本からの電信ですぐに東京の大久保に報告されました。兄・隆盛を絶対に死なせたくない西郷従道は、兄さぁを止めるから自分を鹿児島に行かせてくれと大久保に懇願しました。しかし西郷を死なせたくない思いは、幼き頃からの親友の大久保も同じでした。「おいが吉之助さぁ(西郷隆盛)に会いに行く!おいが行く。」--政治的に対立してしまい袂を分かった二人だけど、離れていても互いに思いあい、今はとにかく吉之助を守りたいという大久保の心に感動した場面でした。ただ大久保が行くと今度は大久保の身が危うくなるので、岩倉具視は「お前は日本を見捨てるつもりか?!お前は国家の要や!」と大久保を必死で引き留めました。
December 4, 2018
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2018年NHK大河ドラマ 『西郷どん』 。最終回の部分的な感想の後半です。最終回の後半は、西郷隆盛(鈴木亮平さん)と、そして彼と運命を共にすると決めた者たちがどのような最期を迎えるのかが気になるところでした。正直なところ私としては、主役である西郷の最期にはそれほど感銘を受けませんでした。しかし!!桐野利秋(大野拓朗さん)と川路利良(泉澤祐希さん)の場面には、ヤラレました。(感動、ここで涙腺崩壊)最初は大野さんの殺陣に目を見張りました。そして戦う桐野を見た川路が、半次郎(桐野)は大事な友だから、兵士たちから集中攻撃されて無残な姿になる前に、自分の手で半次郎をラクにあの世に送ってやると決めて引き金を引いた川路の姿に・・泣けました。私にとってここが最終回の最高の場面でした。主役が何が何でも一番に目立たなくてもいいと思います。主役も脇を固める皆さんも素晴らしい方がたくさんいて、皆で作りあげるのが大河ドラマなのだから。ところで、西郷が若き頃に斉彬様から賜り、西郷の心の支えでもあった短刀は、あれは最期の自害に・・結局は使わなかったのですね。視聴者の期待をあえて外したのでしょうか。でもラストで大久保利通(瑛太さん)が暴漢に襲われて命を落としたときに、大事な友である一蔵(大久保)のあの世への旅立ちを吉之助(西郷)が迎えにきて、あの「忘れもんをした」の名台詞・名場面が再びここに!予想してなかった展開に、これも本当に感動でした。ヤラレましたなぁ~。(T∇T)明治10年(1877)9月24日の明け4時がきて、城山に立てこもる西郷軍に対し、ついに政府軍の総攻撃が始まりました。(後半の戦闘シーンも素晴らしいものでした)戦闘開始となり、西郷の「チェストォーッ!気張れーっ!」の掛け声と共に皆は一斉に、目を輝かせてイキイキと山の上から下りてきました。しかし彼らの家族は城下に鳴り響く砲撃音を聞いて、ただじっと耐えていました。約7ヶ月前に西郷が決起したときに同行した桂 久武(井戸田潤さん)も、ずっとこの城山まで共に来た同士でした。弓名人の桂も奮戦しましたが、敵の銃弾を受けて戦死しました。城下に鳴り響く砲撃音を聞いて、今あの場所で戦っているかつての家臣であり、かつての友であった者たちを思い、島津久光(青木崇高さん)と海江田武次(高橋光臣さん)は静かに涙しました。大砲も銃も、政府軍の攻撃は容赦なく続きます。その中を薩摩軍随一の剣豪である桐野利秋(大野拓朗さん)は政府軍の抜刀隊を次々と斬り伏せていきました。桐野が戦う姿を見た川路利良(泉澤祐希さん)は部下たちをかき分けて前に出ます。これ以上政府軍の犠牲を出さないためにも、そしてなにより大事な友である桐野が政府軍の猛攻で無様な死に方とならぬよう、川路は自分が桐野を葬る決意をします。「おいが葬ってやっで…」--川路は「半次郎~っ!」と桐野の名を叫びました。戦場で我が名を呼ぶ友の声が聞こえた。半次郎(桐野)がふと動きを止めて振り返った次の瞬間・・・。半次郎が最期の力をふりしぼってその方向を見ると川路がいました。互いに顔を見合わせて、半次郎は納得したかのように無言の別れを告げました。(34分47秒からこのあたりまでのシーンが好きで、何度も何度もリピートしてました)戦って満身創痍となった村田新八(堀井新太さん)はもうこれ以上戦う力がなく、最期は自刃して果てました。そして西郷も激しく撃ちこんでくる政府軍の銃弾を受けてついに倒れました。政府軍の砲撃音がやんだ静寂の中で、もうあの世に旅立ったであろう西郷たちのことを思いながら糸(黒木華さん)がお参りをしていたら、延岡で西郷が野に放ったツンとゴジャが鹿児島の家に戻ってきました。(帰巣本能で2匹が帰還。思いがけない展開にここも感動で涙腺が…。(T▽T) ただ2匹がやけに綺麗なのでここは泥だらけのほうがそれっぽい、と思いつつ、 でもここにたどり着く前に甲突川を泳いできたと思えば、まあいいかとも)夜になり大久保利通(瑛太さん)は帰宅しました。妻の満寿から「吉之助さぁは」と訊かれたときに、常に互いにつながっていた大事な友の西郷吉之助を永遠に失ったことを、大久保は改めて思い知ります。そして床に崩れ落ち、涙を浮かべ「吉之助さぁ!」と何度も彼の名を叫びました。西郷の死は新聞の号外で全国各地に知らされました。ふき(高梨 臨さん)が持ってきた号外を見た徳川慶喜(松田翔太さん)は「何で逃げなかったんだ・・。」と西郷の死を悼みました。でも「牛男!」と慶喜が悔しさをにじませながらつぶやいた先には・・・この絵がありました。(ここは思わず爆笑!)余生では油絵も嗜んでいたという慶喜さんの、このときのモチーフ(創作の動機となった中心的な題材)がコレ。たぶん西郷が城山に戻ったときから、頭の中が「牛男・・牛・・」だったと推測。そして勝海舟、島妻の愛加那と、西郷に深く関わった者たちは彼の死を知って、それぞれに西郷に思いを馳せてその死を悼みました。弟の西郷従道(錦戸 亮さん)は、亡き兄をはじめ鹿児島の身内たちが東京で一緒に暮らせるようにと、大きな邸を建てて準備していました。政府と対立した身内を守ろうと精一杯やった従道を、妻の清(上白石萌音さん)は「いつかまたこうして鹿児島の皆さんと鰻を」と夫を優しく労わりました。戦争も終わって落ち着き、片足を失った菊次郎は義足をつけるようになりました。西郷家の皆が揃ったとき、糸は皆に「聞いてほしいことがある」と言って、延岡での夜に夫・隆盛が遺した最後の言葉を皆に伝えました。 おいが死んだことで、おかしいことはおかしいと言えん ようになるち、おはんらには決して思わんでほしか こいからの国づくりは、おはんらに託されちょ。さらに糸が「逆賊・西郷隆盛の子であることを恥じることはあいもはん」と言うと、寅太郎が「父上は西郷星になられたち、みんな拝んじょいもす」と続けたので、糸は「それはちごっ」と制しました。 旦那さぁは、人に見上げられたり拝まれたりして喜ぶ ような御方ではあいもはん。 いっつも低か所で、弱か者に寄り添って、あちこち走り 回っちょった。 誰よりも心の熱く、ふとかお人でした。明治11年(1878)5月14日、東京の大久保の執務室にて。西南戦争が終わってもいまだ人々の人気が衰えぬ西郷隆盛のことを、人々から不人気の岩倉具視(笑福亭鶴瓶さん)はボヤいでます。大久保はこれから赤坂に参内する用事があったため、岩倉の観劇の誘いを断って外出していきました。(このとき見せた大久保の笑顔が最後の笑顔でした)大久保を乗せた馬車が紀尾井坂(現在の東京都千代田区紀尾井町4)に来たとき、斬奸状を携え待ち構えていた不平士族たちに襲撃されました。「おいは…まだ死ねんど…。やらねばいかんこっがある…。まだ…。」新しい日本の国づくりの途中で、大久保利通は志半ばで凶刃に倒れました。薄れゆく意識の中で大久保の脳裏には、子供の頃に郷中仲間と出世の競争を誓いあったあの時の声と、そして立場は変わってもどんなときも互いのことを思っていた親友・吉之助の「忘れもんをした」の声が聞こえました。それは若き日の島津斉彬公が存命だった頃に、ささいなことで喧嘩をしたけどやっぱり互いの存在を必要として、吉之助さぁ(西郷隆盛:鈴木亮平さん)が自分を迎えに引き返してきたあの時の声でした。 ⇒ こちら (大久保利通(正助)の最期はこれをもってきたのかー!という感じで、魅せ方にぞくぞくした感動の涙の場面でした)吉之助「行っど!」、正助「行っど!」--二人で夢中で林の中を駆けていったあの日のことを思い浮かべながら、大久保は絶命しました。大人になって互いに進む道も立場も変わってしまったけど、全ては少年だったあの日から始まった、それぞれの人生でした。(ここで入る明るく力強いメインテーマの曲と、バックに流れる貧しかった若い頃からの回想の場面にまた涙。もう最高の演出でした!)
December 20, 2018
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昨日の土曜日ですが、夕方から名古屋の金山に出て、 陸上自衛隊 第10音楽隊 の方々による音楽まつりに行ってきました。この第10音楽隊は、名古屋市守山区に司令部を置く 陸上自衛隊 第10師団 の部隊の一つです。その第10師団は東海3県(愛知、岐阜、三重)と北陸の3県(福井、石川、富山)の防衛警備を任務とし、災害派遣、民生協力及び国際貢献(国際平和維持活動)などにあたっています。自衛隊の方々が大規模な災害が起きたときに派遣されて活動するのはニュース等でよく目にしていました。でもこういった演奏会を開いていることを私はこれまでずっと知らなくて、去年やっと知ったぐらいでした。だから今年この演奏会の情報が入ったとき、すぐに往復ハガキで申し込みました。昼の部と夜の部があり、夜の部が当選しました。実は昨日は県営名古屋空港のところにある航空自衛隊の小牧基地でイベントがあって重なっていましたが、私はこちらにも朝から行ってました。朝早くから自衛隊のイベントをはしごするという忙しい日でしたが、自分の楽しみで動けた充実した時間でした。またこうしたイベント等に出かけることによって得た知識等もあり、ためになった時間でした。(小牧基地での画像は後日ご紹介いたします)音楽会ではクラッシック演奏の他、和太鼓やドリル演奏もあり、どれも素晴らしいものでした。でも何より、国旗を掲げての国家の斉唱があったことに、自衛隊でのイベントを感じました。どの民族でも自国の国旗と国歌を何より大切にします。ところが日本では、最近では学校の式典等で国旗を出さず、国家も斉唱しない学校もあると聞きます。それはよろしくないことです。スポーツの世界大会があれば「日本」を意識するのだから、国民が日本人としての誇りを大切に守るためにも、日本の国の学校であるならば節目となる行事には国旗の日の丸と国家の君が代を欠かさないようにと、強く思います。すごく久しぶりに名古屋市民会館(現:日本特殊陶業市民会館)に来ました。会場では陸上自衛隊の制服が展示されていました。男性の制服&帽子は式典等では本当に素敵ですね。(自衛隊、警察隊、消防隊など)陸上自衛隊第10師団の活動の様子が紹介されていました。この時期のこの地方の大きな事故では 中華航空140便墜落事故 がありました。8年前の東日本大震災では隊員の方々は3か月以上の災害派遣がありました。またハイチ共和国(中央アメリカ)や南スーダン共和国(アフリカ)への海外派遣もありました。記憶に新しいところでは、昨年の豪雪と豪雨の災害派遣です。自衛隊単独であったり、消防隊や警察隊との連携であったりします。あるサイトに豪雪災害で助けてもらったトラック運転手さんが「自衛隊さんに何かあったら今度は俺たち(トラック野郎)が協力する」といったような話をUPしていて、義理人情の和に胸が熱くなった覚えがあります。第10音楽隊の活動の紹介です。音楽隊の隊員は音大などで音楽を専門にやってきた人たちだけど、自衛隊員としての基本的な訓練は積んでいる、と会場の自衛官の方からお聞きしました。陸・海・空それぞれの自衛隊のお食事のメニューが紹介されていました。海上自衛隊といえば毎週金曜日に食べるカレー。 ⇒ ⇒ 艦めしレシピ 航空自衛隊といえば “空揚げ(からあげ)” です。 ⇒ ⇒ 空揚げレシピ 陸上自衛隊には今のところ「○○めし」はないようです。でも1日あたり3200kcal 摂取しても太らないほど、毎日厳しい訓練を積んでいるということなのですね。(成人男性は1日に2500kcal 前後)陸上自衛隊の階級章が展示されてました。(やはり金はカッコイイですね)何かカラフルなものがあると思ったら、これは防衛記念章でした。自衛官の階級章・防衛記念章・各種き章については、自衛隊千葉地方協力本部のHPにわかりやすく載っています。 ⇒ ⇒ 防衛記念章 身につけているものの価値がわかると、より注目してしまいます。これは昨年から新しくなった陸上自衛隊の制服です。基調が緑色から紫紺になり、隊員の方は徐々に新制服になっているそうです。
March 3, 2019
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2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。今回は松平家康(松本 潤さん)の側室選びということで、あのニギヤカな三河家臣団はほぼお休みでした。でもさりげなく、当時の様子が描かれました。お家存続のために子はたくさん、そのために殿が側室を持つのもやむなし、でも家の奥を束ねるのは正室の役割だから側室は正室が認める者を、といった部分でした。ただ今回のお葉(北 香那さん)の展開については、私はこのパターンは好まないものです。鵜殿の分家ではあるけど、上ノ郷攻めのときに討ち死にした鵜殿長照の縁者であるお葉は、後に西郡局と呼ばれ、お葉の産んだ督姫も父・家康の勢力拡大に大きな役割を果たすことになります。歴史上の人物を、現代の感覚に無理やり合わせる感じがあるのはどうかな?というのが正直な思いです。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #どうする家康 岡崎市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 静岡市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 浜松市の大河ドラマ館は3月18日にオープンします。 ⇒ ⇒ こちら 岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・ぎふ 関ケ原が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 永禄7年(1564)春に三河の一向一揆を鎮めた松平家康(松本 潤さん)は三河の領内の支配を一気に強め、駿河の今川方への調略も徐々に進めていました。家康は酒井忠次(大森南朋さん)を伴って遠江の引間城を訪れ、城主の飯尾連龍(渡部豪太さん)と会談していました。家康は今川と戦をしたいわけではないと考えを伝え、連龍も自分が松平と今川の間をうまく取り持ちたいと家康に思いを語っていました。ただ連龍の妻は上ノ郷城攻めで家康が自害させてしまった鵜殿長照の妹・田鶴であり、家康はそのことを気にかけていました。またこのころの瀬名(有村架純さん)は岡崎城下の築山に居を構えて、誰でも気軽に立ち寄れる場所として民たちのさまざまな悩みや願いを聞いていました。ある日、家康の生母の於大の方(松嶋菜々子さん)が訪ねてきて、家康と瀬名に領土の拡大や他家との縁組で松平家を盤石なものにするためにももっと子を持つよう、果ては家康に側室を持つよう言ってきました。瀬名は姑・於大の話に最初は激怒しましたが、於大の話ももっともだと思い直し、家康の側室選びに自分も加えて欲しいと願い出ました。家康の側室候補には身分を問わず広く募集がかかり、城下からたくさんの女たちが我こそはと城に集まりました。側室選びには於大と瀬名に重臣の酒井忠次(大森南朋さん)とその妻・登与(猫背椿さん)も同席して面接が始まりました。まあほとんどが殿の寵愛を受けて女として出世を狙う、あるいは今より良い生活がしたい人たちでしょうが、中には適齢期でない年端もいかぬ娘や老婆が、あるいは子だくさんの女や自身の出世を狙って女房(娘?)を差し出す者もいました。(これ、お笑いの場面だろうけど、家康はこの先この者たちではないけど、後家や歳の離れた娘を何人も側室にしていくので、家康の今後を示してると思いました。)最初の頃こそ、母・於大や妻・瀬名に半ば強引に事を進められた感じのあった家康の側室選びでしたが、いざ始まってみるとけっこう興味をそそられる女もいたりして、家康さん、乗り気になってきました。ただ残念なことに今回の募集では家康以外の皆が認める者はおらず仕切り直しに。そんな折、下女たちの中で男でも恐れるイノシシを仕留めてさばいてしまうお葉という者の名があがり、仕事ぶりも人柄も評判が良くて於大は興味を持ちました。於大はお葉(北 香那さん)をすっかり気に入りました。お葉は今川家の重臣だった鵜殿長照の縁者でしたが家康に対する恨みは特になく、岡崎城で城勤めができることを有難く思っていました。それでもお葉は家康の側室になることは固辞していて、正室の瀬名からどうしてもと懇願されて頭を下げられ、お葉は断れなくなり引き受けることにしました。自分の側室なのに母や妻が勝手にお葉に決めてしまい、さらに初めてお葉を迎えた夜の出来事が強烈すぎて、家康はお葉から逃げてしまいました。そんなある日、行商人に扮した尾張の木下藤吉郎(ムロツヨシさん)が瀬名のいる築山に来ていて、瀬名と談笑していました。藤吉郎がどうしても家康に伝えたかったと、主君・織田信長の妹の市が近江の浅井長政に嫁いだことを報告しました。藤吉郎は長政を大人物とみていて、さらに「西の浅井様、東の松平様、このお二人がしっかりとお役目をはたしてくださりゃ(殿は)どえらいことができる!」と家康に謎めいた言葉を残して去っていきました。家康はしばらくお葉と距離を置いていましたが、お葉は気の利くことをさりげなくできる女で、家康はお葉を見直し側室に迎えることにしました。そして10カ月後、お葉は姫を産み岡崎城は喜びにわいていました。でも、その後も何かとお葉のことを褒め、苦手な薬湯も精がつくと喜んで飲んでお葉のところに行きたがる家康に、瀬名は複雑な思いを抱いていました。ところが、ある日お葉は突然、家康に「好きな人がいる。側室のつとめを終わりにして欲しい。」といとま願いを出しました。ところが、お葉が言う好きな人とは・・。家康も仕方なく認めてやり、お葉を姫の母として城内においておきました。永禄8年(1565)5月、尾張の織田信長(岡田准一さん)は京で将軍の足利義輝が殺害されたと側近の柴田勝家(吉原光夫さん)から急報を受けました。信長がこれでまた世の流れが変わると感じたように、甲斐の武田信玄も越後の上杉との戦いに見切りをつけ、次の狙いを駿河の今川氏真に向けました。信玄は側近の穴山信君と山県昌景と千代に氏真の家臣をことごとく調略するように命じ、東海の都・駿府(と海)を手に入れる野望を描いていました。そんな頃、今川氏真は引間城主の飯尾連龍が家康と通じていると謀反の疑いをもち、連龍を手討にしてしまいました。一方、その今川への狙いを定めた信玄はその前に三河の領主・家康に会おうと考え、家康に密書を送りました。でも信玄にどう対応したらいいのかわからない家康は、またもや混乱の渦の中に。
March 14, 2023
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2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。この回は天正12年(1584)の「小牧・長久手の戦い」の後半で、ドラマでは主役の徳川家康(松本 潤さん)よりも、家康の周りを固める榊原康政(杉野遥亮さん)ら若い大将たちの活躍や思いがより深く描かれた回でした。大河ドラマで2回にわたってやるから、康政のあの悪口の立札が出てくるかと思ったら、出てきました。でも発案が本多正信(松山ケンイチさん)で、悪口のネタを皆で考えたという展開がいいですね。あと「三河中入り」の作戦を正信が見抜き、軍議の場にいた皆がハッと気づき、人夫に突貫工事を命じて、時間が惜しい最後は若い大将たちも一緒に泥だらけになって働いた姿は、皆で一丸となって困難を乗り越えてきた徳川方らしい描写に思えました。ただ一つ、私が残念に思ったのは後半で「岩崎城の戦い」のことがナレーションもなく終わったことでした。岩崎城は長久手古戦場よりほぼ南に約3kmの位置にあり、三河中入りの池田恒興が岡崎に向かう途中にありました。この岩崎城を守る丹羽氏次は徳川方で、この時は弟の氏重が守る、兵の数は300ほどの小城でした。氏重と城兵たちは岡崎に向かうであろう池田勢をくい止めるために、全員打ち死に覚悟で7000の敵兵に挑んでいきました。そして丹羽勢は全滅してしまったのですが、ここで先発隊の恒興の進軍が止まった間に、最後尾にいた秀吉の甥・秀次に小牧山城を出た徳川方が追いついて、恒興が引き返していくことになったので、大きな意義のある戦いとなりました。だから少しでもこのドラマの中に組み込んでほしかったな~と思うばかりであります。※岩崎城のHPです ⇒ ⇒ こちら こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #どうする家康 岡崎市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 静岡市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 浜松市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・ぎふ 関ケ原が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 天正12年(1584)3月、羽柴秀吉との決戦のために徳川家康(松本 潤さん)は秀吉が陣を構える楽田城より南に1里半にある小牧山城を堅固な要塞に作り替え、そこを本陣として対峙しました。しかし両軍とも膠着状態のまま日が過ぎるばかりなので、本多正信が秀吉の悪口を書き連ねてそこら中に立札を立てて相手を挑発してはどうかと発案。榊原康政(杉野遥亮さん)もそれに賛同し、皆がそれぞれに秀吉をののしる言葉を考え、字が上手い康政が清書してあちこちに立札を立ててきました。それらの立札を池田恒興(徳重 聡さん)が集めて羽柴秀吉(ムロツヨシさん)に報告し、内容を読みあげました。あまりの内容に弟の羽柴秀長(佐藤隆太さん)は途中で読むのをやめさせました。でも秀吉は、この罵詈雑言の立札は康政が自分を怒らせようとしているのだと見ぬいていて、さらに自分はこれまでにもっと酷いことを言われ続けてきたのだと言って、こんなのは可愛いもんだと平然としていました。(たしかに秀吉は出世するまでは、さんざん武士たちから侮辱され時には蹴飛ばされて、人としての尊厳を踏みにじられても我慢し続けてきましたからね。)そして「この卑しき野人の子に家康はひざまずくのだ。」と笑い、同時に恒興の態度が大きいことへの苛立ちを密かに弟・秀長には漏らしていました。そろそろ秀吉が動き出すであろうと考える徳川方では軍議が開かれ、家康は本多正信(松山ケンイチさん)に意見を求めました。正信は自分が秀吉ならばここを攻めると机の外に石を落としました。本多忠勝(山田裕貴さん)は最初は「ふざけたことを!」と怒ったけどすぐに正信の言わんとしていることに気がつきました。それは絵図面の外、つまり秀吉は岡崎を狙うだろうという意味で、その意図を家康も康政も他の重臣たちもすぐに理解しました。康政は翌日から、堀と土塁を作る人夫たちに修正した図面を渡してこのように作るよう命じ、忠勝も人夫たちに急ぐよう命じました。徳川方がひたすら堀を作っているのを見た秀吉たちは、家康は小牧山城にこもるつもりだと考えていました。そこへ恒興と娘婿の森 長可(織田信長の小姓・森蘭丸の兄;城田 優さん)が来て、家康を引っ張り出す策があると言いました。それは家康の本領の三河を攻めるというもので、恒興の軍勢が密かに出陣して岡崎城を狙い、それを聞けば家康もすぐに出てくるというものでした。秀吉は「三河中入り」は気乗りしませんでしたが、恒興が自分がいるから織田家臣たちが付いてくる、ここは自分に従えと強気でした。秀吉は一晩考えると言い、恒興たちが去った後で、そんなのは自分もとっくに考えてたけどやるなら密かにやりたかった、恒興は己の手柄にするためにもう兵たちに言いふらしているだろうと、不快感をあらわにしていました。堀作りを急ぐため、忠勝や康政たちも人夫と一緒に作業していました。その折に井伊直政は本多正信かつて殿・家康の命を狙ったことがあるのかと問い、実は自分もそうだったと打ち明けました。直政は「なぜ殿は自分たちを赦し信じてくれるのか。戦なき世を作るのはそういうお方だ。」と言い、そして「ご恩に報いてみせる。」と自分に固く誓いました。また若い頃は自分の傘下にいた康政が(出世し、加えて)こんな見事な図面を描くようになっていたのかと、忠勝は思いを康政に伝えました。康政は「お主に追いつき追い越すのが望みだった。でも戦場ではかなわないから、おつむを鍛えた。」と言いました。そんな忠勝は「殿を天下人にするまでは死ぬわけにはいかん。」と決意を康政に伝え、作業に戻っていきました。秀吉は三河中入りを決定し、総大将を甥の羽柴秀次にして池田恒興と森 長可と堀 秀政に出陣を命じ、その軍勢は3万となりました。羽柴方出陣の報を聞いた家康は、あとは堀の仕上がりを待つのみでした。夜になり、康政から堀ができたと報を受け、中入り勢を叩く出陣となりました。一大決戦となる出陣に向けて家康は改めて皆に思いを伝えました。「弱く臆病だったこのわしがここまでやってこられたのは、今川義元に学び、織田信長に鍛えられ、武田信玄に兵法を学んだから。そしてなにより良き家臣たちに恵まれたからにほかならぬ。礼を申す。」そして力をこめて「この戦を我らの最後の大戦とせねばならぬ!今こそ我らの手で天下をつかむときぞ!」と家臣たちを鼓舞し、出陣していきました。夜陰に紛れて密かに小牧山城を出陣した徳川方は、羽柴方に気づかれることなく進軍し、榊原康政ら先発隊は白山林(現在の愛知県尾張旭市、長久手古戦場より北西に約4km)で羽柴方の最後尾の秀次勢をとらえました。「悪逆非道の秀吉に思い知らせてやれー!」ーー康政は皆を鼓舞し、徳川方の進軍に気づかず油断していた羽柴方に容赦なく襲い掛かりました。(このとき羽柴方で岡崎に向けて先発していた池田恒興と森 長可と堀 秀政は秀次のところに急ぎ引き返しています。)家康から旧武田の兵を任され、この一大決戦に向けてまとめ上げた井伊直政(板垣李光人さん)は出陣にあたり、徳川への仕官を決めたときに母・ひよから言われた「徳川様を天下一のお殿様になされ。井伊家の再興はそなたにかかっておる。」という言葉を思い出していました。「やってみせますぞ、母上。」ーー直政は今一度心に固く誓い、真に自分の家臣となった旧武田の兵たちを率いて出陣していきました。家康自身が戦場に出てきたと知った池田隊と森隊が襲い掛かってきましたが、直政隊はそれを壊滅させ家康を守りました。家康がいつの間にか小牧山城を出て、長久手周辺で三河中入り隊を叩いていると知った秀吉は、自身も3万の本軍を率いて出陣しました。その秀吉が龍泉寺城(長久手古戦場より北西に約8km)に来たとき、本多忠勝勢がわずか500の兵で立ちはだかりました。忠勝は名乗りをあげ「こっから先は一歩も通さん!」と羽柴勢に立ち向かい、鬼神の働きで秀吉の進軍を妨害しました。家康は色金山(長久手古戦場より北に1.5km)に陣を構えて総指揮をとり、長久手で池田恒興と森 長可を討ち取り、三河中入り勢を壊滅させました。その後で家康はすぐに小幡城(秀吉のいた龍泉寺城より南西に約2.5km)に引き上げ、さらにその翌日には小牧山城に引き上げていきました。秀吉はその報を聞き、すぐに引き上げを決めて西に戻っていきました。小牧山城に戻った家康は、堀や土塁の突貫工事からこの勝利の帰還までずっと働き続けた家臣の皆と、勝鬨で喜びを分かち合いました。一方、陣に戻った秀吉はこの敗北をなんとも思っていなくて、むしろこれで自分に対して偉そうな態度をとっていた池田恒興がいなくなってよかった、とまで言っていました。さらに弟・秀長と子飼いの武将の加藤清正と福島正則に「これは策ではない。三河中入りは池田恒興が無理強いしてきた策だ。わしの言うことを聞かないからこうなったと言い回れ。」と命じていました。そして亡き織田信長によって鍛えられ強くなった家康の力を認めつつも、この戦の総大将は信雄だから何も案ずることはない、と笑みを浮かべていました。小牧山城では徳川の皆で酒を飲んで歌って踊って、勝利を味わっていました。そんな中でただ一人、石川数正(松重 豊さん)だけは浮かない顔をして、宴の場から離れて考えにふけっていました。家康が数正を気遣い声をかけると数正は、会心の勝利と喜んでいる、忠勝ら若い大将たちは見事だった、されど秀吉には勝てないと思う、と。家康がその意味を問うと「一つ戦を制しただけのこと。秀吉は我らの弱みにつけ、そこにつけこんでくるだろう。」と数正は言い、その言葉が気になった家康はこれで我らの天下だと宴に浮かれる皆のほうを見て考えてしまいました。
August 23, 2023
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2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。学校の歴史の教科書で徳川家康の名前が最初に出てくる 1600年 関ケ原の戦い がいよいよ近づいてきました。若い頃は何かあるたびにオロオロと「どうする?」状態だった徳川家康(松本 潤さん)も、この関ケ原の戦いでは60手前の歳です。人生経験をいっぱい積んで、すっかり老獪になりました。若い頃から命をかけて自分に仕えてくれてきた家臣たちが、一人、また一人と去っていき、この回では音尾琢真さんが演じる鳥居元忠が「ようやく自分の番だ。」と家康を支え守ってきた誇りを胸に、戦って旅立っていきました。元忠本人は納得して喜んでの討ち死にでしょうが、負ける(=死ぬ)とわかっていても徳川のためにそれを命じた殿・家康の胸中は、あの時代の武将たちはさぞや複雑な思いだっただろうと想像しています。そして知恵者といえば真田昌幸(佐藤浩市さん)です。2016年の『真田丸』を見ていた人なら、草刈正雄さんが演じた昌幸がどういうことをやってきたのかわかっているので、「乱世を泳ぐは愉快なもの」というセリフを聞いて思わずニヤリとしたでしょう。でも佐藤浩市さんのちょっとした表情の変化などの演技で、初めて真田昌幸という人物を知った人でも、セリフの意味をなんとなく感じたのではないかと思っています。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #どうする家康 岡崎市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 静岡市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 浜松市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・ぎふ 関ケ原が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 慶長5年(1600)6月18日、徳川家康は会津の上杉征伐のために伏見城を鳥居元忠に託して出立、そして約1カ月後の7月17日に石田三成が家康を逆賊として討つために大坂城で決起し、城に残る大名の妻子を人質として捕らえていました。また三成が家康を断罪する書状を諸国に送っていることなど、大坂の動きは下野の小山に布陣する家康の元に次々と知らされ、いったいどれだけの大名が徳川の味方となるのか、家康も側近たちも計りかねていました。大坂城に残る家康の側室の阿茶(松本若菜さん)も兵たちに囲まれていました。しかしそれは阿茶を城から逃がすために北政所の寧々(和久井映見さん)が送った兵たちで、寧々は家康の頼みをきいてくれていたのでした。家康は今は徳川の味方をしているものの福島・黒田・藤堂らの豊臣家臣と、そして真田昌幸(佐藤浩市さん)の動向が危ういと考えていました。家康に同行している福島らを懐柔する策を本多正信に任せ、家康は諸将たちを明朝集めるよう命じました。夜になり真田信幸が小山に到着、しかし父・昌幸と弟の真田信繁(日向 亘さん)は豊臣方について信濃・上田に引き返していったことを確認しました。信幸の城である上野の沼田城に着いた昌幸と信繁は開門を要求、しかし信幸の妻で本多忠勝の娘である稲(鳴海 唯さん)は昌幸の考えを見抜いて開門を拒否。昌幸は、せめて孫に会いたいと頼み、稲は柵越しに離れて会うことを認めました。子供たちの「じいじ!」と叫ぶ声を背中で聴いて、昌幸は去っていきました。7月25日、これからどうするのか小山にて評定が開かれました。徳川家康(松本 潤さん)は諸将らに、三成が挙兵したこと、これから上杉征伐をやめて大坂に向かうことを伝えつつも、豊臣恩顧の諸将らには妻子を人質にとられているからここから去ってもよいと、そして乱世に逆戻りさせないためにも自分は孤立無援となっても三成たちと戦うと力強く訴えました。諸将たちが迷いながらも家康の考えに従うべきだと気持ちが傾いてきたとき、本多正信(松山ケンイチさん)が福島正則(深水元基さん)をちらりと見て促しました。正則は立ち上がって皆に「内府殿と共に!」と家康に味方するよう力強く呼びかけ、諸将らもそれに応じて、秀頼のために家康の味方になる決意を固めました。ここにいる諸将らの気持ちが一つになったことを確認した家康は三男の徳川秀忠(森崎ウィンさん)に、本多正信と榊原康政(杉野遥亮さん)と3万の兵と共に信濃に向かって真田を従わせることを命じました。「取りかかれーっ!」ーー家康の号令の元、諸将らは自らの意思で動き出しました。しかし上方では、7月19日には鳥居元忠(音尾琢真さん)が守る伏見城が豊臣方の総攻撃を受け、元忠は奮戦すれど多勢に無勢で、城は落ちようとしていました。かつては武田の忍びだった千代(古川琴音さん)だけど元忠に大事にしてもらって女子の心を取り戻し、大将・元忠の奥方として共に果てる覚悟でした。元忠は「数えきれん仲間が先に逝った。ようやくわしの番がきた。」と家康を守るために散っていった者たちを思い、どこかうれしさを感じていました。主君・家康が力を持つまでの時代は皆まだ貧しくて、元忠や側近たちは藁の具足で戦いに出陣していて、でも今は立派な具足をつけて天下の伏見城を枕に討ち死にができる、こんな幸せなことはないと一同は満足気でした。「殿、お別れだわ。浄土で待っとるわ。」ーー8月1日、伏見城は落城しました。下野の小山からいったん江戸城に入っていた家康は、渡辺守綱(木村 昴さん)から伏見城が落ちたとの報告を受けました。盛綱は家康に、直ちに西に向かって元忠の仇を!と意見しますが、本多忠勝(山田裕貴さん)は「今は、誰がどちらに付き、どう動くかを見定めるとき。」と静かに言い、自分が先に出て井伊直政と落ち合い西に進むと申し出ました。そして家康には、全国の諸大名たちを味方につけるために1通でも多く書状を!と進言し、家康も伏見城で討ち死にした者たちを思い「腕が折れるまで書く。」と。忠勝は家康に一礼して、西に向かうために退室していきました。この戦はより多くの者を味方につけたほうが勝つーー家康だけでなく三成も同じことを考えていて、家康は江戸で、三成は美濃・大垣城で、双方は連日連夜書状を書いては諸大名に送り、数百通が日の本全土を飛び交いました。双方の書状を受け取った大名の中には、どちらに付くべきか悩む者もいましたが、豊臣方に参陣して伊勢に布陣している小早川秀秋のように、立場的には三成につくけど戦上手は徳川だから「どちらにも転べるようにしておけ。」と家臣に命じておく者もいました。徳川方の先陣を切っていた福島正則や黒田長政らは怒涛の勢いで西に進撃を続け、8月25日には犬山城と岐阜城を落としていました。その勢いは同行している井伊直政(板垣李光人さん)と本多忠勝が驚くばかりで、正則は自分の手柄を家康に伝えるよう直政に言い、戦勝祝いの酒でご機嫌でした。ただ豊臣恩顧の諸将たちの働きが凄まじすぎて、これでは三成との決戦が早まってしまうと直政と忠勝は危惧し、それは家康も同じ考えで、自分と秀忠の本軍なしで戦が終わってしまうと、手柄が全て持っていかれるという思いでした。とはいえこれは福島と黒田が徳川と共に戦うと世に知らしめたことであり、家康はこの時を逃すまいと徳川の出陣を決めました。家康は信濃にいる秀忠に、真田にはかまわず急ぎ西に向かうよう、9月9日までに美濃・赤坂に着くように伝えよ、と家臣に命じました。3万8千の秀忠の軍勢は真田昌幸と信繫に迫っていて、昌幸は降伏の使者を秀忠に送るよう家臣に命じました。真田・降伏の書状を受け取った秀忠は「これで父上に任された役目っが果たせた。」と気分良く笑っていましたが、本多正信と榊原康政は真田の降伏を疑っていました。正信は真田信幸(吉村界人さん)に、父・昌幸に直ちに城を明け渡してここに来るよう伝えるように言いました。しかし昌幸は、降伏を申し出たものの信繫と上田城にこもったまま出ることなく、秀忠は話が違うと苛立っていました。ただ百戦錬磨の正信と康政は真田親子のやり方を「敵味方に分かれてどちらかが生き残る。これも戦国の世を生きる術。」とわりきっていました。苛立つ秀忠に正信は「稲を刈ろう(相手の食糧を奪おう)」と進言、康政が「そうすれば相手は城から出てくる」と補足し、秀忠は稲刈りを命じました。予想通り、稲を守るために真田が城から出てきて、ここは信繁の勝ち。城に戻った信繫に昌幸は「これで(豊臣に対する)自分の役目も十分果たした。あとは家康と三成、どちらの才が上回るかだ。どちらにしても真田は生き残る。」としみじみと言いました。父の言葉に信繫は複雑な思いもしましたが、「乱世を泳ぐは愉快なものよ。」と知恵を巡らせて生き抜き真田を守ってきた昌幸らしい言葉を語りました。9月8日、家康の使者として大久保忠益(吉家章人さん)がボロボロの姿になって秀忠の陣に到着しました。書状には「決戦が早まるので、真田のことは捨て置き西へ急げ。美濃赤坂に9日までに。」とあり、それは明日のことでした。忠益は利根川で書状を奪われ昨夜やっと取り返せたと遅参した理由を涙ながらに伝え、責任をとって切腹しようとまでしました。正信はこれを真田の忍びの仕業と考え、康政が真田の狙いは我らをここに足止めするためと補足し、秀忠は激しく悔しがりました。美濃赤坂にいる家康は、秀忠の本軍がまだ到着していないと報を受けました。秀忠を足止めするのは三成の策で、これで家康は本軍なしでの戦いになり、自分たちが秀頼と毛利を本軍として迎えれば兵力の差は歴然ともくろんでいました。三成はさらに家康を、大垣ではなく関ケ原に誘い出して討つつもりでいて、ただ家康もそれを見抜いていて、その誘いに乗ってやろうと考えていました。「これは天下分け目の大戦じゃ。」ーー家康は三成との決戦を覚悟しました。
November 8, 2023
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3つ前の日記の続きになります。愛知県犬山市にある 明治村 では、戦前のドラマを作るときによくロケ地となるのですが、2009年の冬から3年がかりでNHKで放送されたドラマ 『坂の上の雲』 でも、多くの建物がロケで使われました。『坂の上の雲』は私の大好きなドラマでした。話の続きを見るのに、次の年の冬まで1年間待たなければいけないドラマは初めてでした。でも魅力的なドラマだったので、本当に「首を長ーく」して、待ち遠しくてたまらない思いで待ってました。だからドラマの場面で、自分が見たことがある明治村の建物が出てきたときは、「あっ♪」って感じで嬉しかったですね。1丁目にある 三重県庁舎 です。本木雅弘さんが演じた秋山真之が上京して学んだ学校は、この建物が使われました。この中の1室で『坂の上の雲』の特別展をやってました。松山市内の名所案内(上)や、明治の時代を作った人々(下)がこのように紹介されてました。こうやって眺めていると、松山に行ってみたくなります。こちらは4丁目の 呉服座 です。ここが何に使われたのかというと・・・第2回放送の中で、真之や学友たちがときどき息抜きに遊びに行った寄席として使われました。先月の終わりに、こんな日記を書いてました。 『坂の上の雲』 ~ 再放送で改めて、感動! 第7回放送の中で、真之が病気で入院したときに使われた、4丁目の 名古屋衛戍病院 です。病室から見た風景がこんな感じだったので、この部屋でロケしたと思われます。
May 3, 2015
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昨年11月のはじめに、愛知県犬山市にある 明治村 に“住民登録”(=年パス)更新のため行ってきました。その折に現在放送中のNHK朝ドラの『まんぷく』のロケ地を巡ってきました。今日は 前回 の続きのご紹介です。新年になってから私はこのドラマを見るのが面倒になり、録画での視聴もやめました。とはいえ、昨年10月にこのドラマが始まり、ドラマに勢いのあった頃のシーンを思い出すと、明治村ではあの建物にあの俳優さんたちが来てあのシーンを撮影していたのかと思うと、興味が湧いてくるものであります。『まんぷく』の第2週で、福子は姉の咲が緊急入院したと聞き、大急ぎで入院先の真田山病院に駆けつけるシーンです。安藤サクラさんはこの方向から走ってきました。明治村の4丁目にある『名古屋衛戍病院』は、ふだんはこうなっています。ここは『坂の上の雲』でもロケに使われましたが、こちらの方向からは撮っていないので、2つのドラマを見ても別の場所に思えます。オマケ画像です。隣の建物の『日本赤十字社中央病院病棟』に行ったら袴スタイルの女性がいて、どこかのおっちゃんに写真のモデルを頼まれていたので、私も便乗して撮らせてもらいました。これは明治村の「園内の楽しみ方 体験」にある ハイカラ衣装館 でのものす。せっかくの機会だから思いっきり明治を楽しむのもいいですね。さて今度は、 第3週 で萬平が無実の罪で憲兵に捕らわれたとき、萬平を助けるために頼みに行った軍の大物の自宅に使われた場所です。明治村3丁目にある『西園寺公望別邸 坐漁荘』です。この 西園寺公望別邸『坐漁荘』は、中はこんな感じです。 ⇒ ⇒ こちら 『坐漁荘』を庭のほうから見るとこうなってます。庭に面したガラス戸が開いていたので、1階の座敷をこちらからパチリ。掛け軸があるのでここでロケしたかと思ったのですが・・このシーンは2階の座敷でした。ふだん何もない場所に、生け花や花瓶を置いて役者さんが演技をすると、あの時代のそれらしい風景に変わるのが素晴らしいですね。ちなみに2階の反対側の部屋はこうなっています。この日はちょうど小学生の社会見学があり、係の人のお話をみんな一生懸命に見学のしおりにメモしていました。(平日の明治村は、県内県外の小中学生の遠足や社会見学に、あるいは外国人のツアー客がたくさん入り、休日とは違うニギヤカさがあります。)
January 11, 2019
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