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さて、50音順で日本で最初の苗字は何さん?50音順で日本で最後の人は何さん?(もう少し後で答えを書きます。考えてみてください)声優名鑑の最初のページはずっと愛川欽也だった。(今は知らん)ああ、そういえばこの人は声優だったんだなと、その時思い出すわけだが。芸能人でいうと相川七瀬もいい線いっていたんだが、キンキンにはかなわない。よくよく考えてみるとキンキンって、苗字で得をしてないか?昨日、「知識賢治」さんというカネボウの社長の名前のことを日記に書いたせいで、まさしく知識欲を刺激されて、図書館で苗字について調べてみた。「知識一族」というのは、薩摩(今の鹿児島県)の出水郡知識邑というところで発祥して、南北朝時代の南朝の忠臣を輩出した家系らしい。今は「知色」さんと表記している方が一般的だそうな。結構名門らしい。(太田亮著・丹羽基二編「新編姓氏家系辞書」 秋田書店)ついでに、芳文社の丹羽基ニ著「日本苗字大辞典」という本を手にとってみる。見るからに分厚いこの本。2000ページもあるが、ずら~~~~~~っと、苗字の表記と読みが羅列してあるだけ。なんと30万もの苗字を収録してある。この本は苗字の最初の文字の画数と、読みの50音順、最後の文字の分類の三種類あるようだ。3冊で6000ページ。ずら~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っとただ苗字のみの辞典。誰が何に使うんだ?この50音順の部を見てみると、50音の最初は、愛川さんどころの話ではない。30万の苗字の中の50音一番は何さんか?では、まず第三位から。第三位!「安々田」・「安安田」(ああた)さん。いきなり「アイ」ですら負ける!「あ」の次も「あ」。第二位!「阿相(ああい)」さん。おいおい!これ以上があんのかよ。で、輝く第一位は・・・・!「阿」・「砦」・「鴉」で、「あ」さん!!!砦とか鴉って「あ」と読むのね。意外。「あ歯科」というダジャレみたいな歯医者さんがあるけど、(タウンページで必ず最初になるので、お客をとりやすいという意味もあり)そのうち何軒かは本名かも知れんな。そうなると、最後の人も気になる。じつは、こっちの方が凄い。意外と「あ」は連想できるもんね。「渡辺」さんではないよ。さて、では30万の苗字の中で、50音順のいちばん最後の苗字はなんでしょう?第三位!「帯刀(をびなた)」さん!いきなり「を」かよ!!「たてわき」って読むんじゃないのかよ!たしかに「刀を帯びる」と訓読みすれば近いけど。ちなみにその前が「櫻坂(をさか)」さん。さらにその前が「分目(わんめ)」さんというらしい。五位でようやく「わ」とは・・・。第二位!「生実」(をゆみ)さん!読めねえ。まったく読めねえよ。「生」って「をゆ」と発音するのか・・・。では、衝撃の第一位は・・・・。その前にお知らせです。本日、午後1時30分頃、福岡県在住のぽえたりんさんが、「機動戦士Zガンダム・エウーゴ対ティターンズ」で、最終面をクリアしました。本人のコメントです。「いや~。ゲームってさ、攻略本を見ずにやると大変なんだよね。でも、苦労した分の発見もあるし。だから、自分の目で見て上手くなるのが楽しいわけじゃないの?勝因?そうだな~。『オレがニュータイプに目覚めた』だけだよ。いやあ、「宇宙」っていいよ。「そら」って読もうね」さ、自慢も織り込んだ上で(実は大したことではないらしいが)、50音最後の苗字は・・・「栂村(んがむら)」さん!!!「ん」ですよ。「ん」!昔、宮本輝の「彗星物語」という本での、おじいちゃんのセリフを思い出す。いちばんお気に入りだった孫娘・キヨミちゃんの結婚相手が「ンタニ」というアフリカ人だったんだけど、おじいちゃん、いきなりのことと、嫉妬心で、「大事な孫娘を、苗字が『ン』で始まるようなヤツに渡してたまるか!!!」と激怒したシーン。気持ちは痛いほど分かる。要はナンクセつけてでも大事な孫娘を手放したくなかったから、咄嗟にでたのね、そのセリフ。最初は大笑いしたけど。しかし、日本にもいるのね。「ん」で始まる人。ちなみに、「んのはら」「んまこし」さんという苗字が最後という説もあるらしいが確証は取れず。ただ、日本のほとんどの苗字を網羅したとされる上記の本によりました。昨夜は4時就寝。今朝は8時半起床。勉強足りず、結果はイマイチ。休憩中に、初めてZの最終面突破!クワトロ・バジーナでリック・ディアスでした。苦節2ヶ月。半泣きでした。その後、図書館で復習及び苗字の調べ物。いろいろと発見がありました。5時からバイト。終了後、ビデオを返しに行ったら、中身を間違っていた。しかし、さすがに疲れていたので、取りに帰るのもツライ。というわけで生まれて初めて「ビデオ延滞」決定。ま、200円とか、300円円のレベルらしいし。11時半に帰宅して、夕食。で、焼酎飲みながら、今に到る。
2004.03.28
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今日からかなり忙しくなってきますので、とりあえず昨日の予告どおりに書きます。夜に暇があったら書き足します。さて、今日の日記は一部ムナクソが悪くなります。したがって、18歳未満の方は読まないで下さい。中国の歴史で悪女の代名詞というと、「西太后」が有名です。映画「西太后」のラストシーンで、ライバルだった相手の手足を切断し、巨大な酒甕に入れて「あなたはお酒が好きだったわよね」というセリフの怖いこと怖いこと。これは、実は中国の唯一の女帝「武則天」が行った残虐な刑罰です。後宮の中に渦巻く情念。女の嫉妬心と執念の恐ろしさ。ひとたび自分が優位に立ったときの人間の冷酷さを表現するときに、たまに使われることがあります。しかし、いちばん冷酷だったと言えば、「呂后」でしょう。彼女は漢の高祖劉邦の正妻。お金持ちの家から、ゴロツキだった劉邦に嫁いで苦労の連続を味わった彼女。しかも、劉邦は皇帝になった後も、呂后よりも戚婦人という女性を寵愛しました。その上、戚婦人と劉邦との間の子・如意に危うく息子の皇位を奪われそうになったことで、彼女の恨みの念は頂点に達していました。劉邦の死後、呂后の息子が恵帝となりました。しかし、気が優しいというか、優柔不断な恵帝は彼女の言いなり。事実上、彼女が中国の最高権力者となってから、彼女の復讐が始まります。まず、戚婦人の幼い息子如意を毒殺。戚婦人は捕らえられ、頭を剃られ、首に鉄の枷をはめられ、囚人として米を搗く重労働を強いられます。しかし、こんなものでは済みません。その後、戚婦人は呼び出され、手足を切断されました。悲鳴をあげないように声帯を潰す毒を飲まされ、耳を焼かれて聴力を、目玉をくりぬかれて視力を奪われました。そして、呂后は彼女を便所に捨てたのです。かつて、中国では、便所に豚を飼っていました。ゴミや人糞を食べさせるためです。この刑罰を人テイ(豚の意)と言うのは人糞を食べる肉塊という意味です。戚婦人は手足を切断されたまま数日動いていたそうで、呂后は息子の恵帝にその姿を見せたとか。そのショックせいか、心優しい恵帝は夭逝してしまいます。人間の尊厳をこれほど奪う行為と言うのもないでしょう。権力のせいなのか、怨念のせいなのか。どちらにしても怖い話です。ちなみに、呂后の死後、彼女の墓は盗掘されました。信憑性は薄いのですが、彼女の遺体はまだ新しく、保存状態も良かったせいで、墓泥棒達に代わる代わる屍姦されたという話があるようです。本当だとしたら因果なものです。確かに、最近発掘された漢代の墓の女性の死体も、大変に保存状態が良く、発掘の生中継をしてい番組がまだみずみずしい女性の全裸を放送したため、性描写として放送コードにひっかかる程のものだったとか。この辺の話は興味深いんですが、なんせ過激すぎるのでなかなかテレビ等では紹介されません。ただ、こういう話の中に人間の恐ろしさというか、愚かさというか、まあ、本質が見え隠れしてくるものです。一応、忘備録として保存しておきます。さて、昨夜は2時半就寝。今朝は9時起床。眠い。納豆ごはんに、味噌汁、キムチ、もろみ。ぼちぼちと勉強。明日から本格的に忙しくなるので、昼のうちに日記更新。
2004.03.19
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今日は、福岡市美術館の横山大観展に行ったのだけど、更新できるかどうか不明。まずはメモをバラバラに。ようやく「タモリ倶楽部」。今回は「初潜入!Googleを巡る」。バラエティ番組では初めてGoogleに潜入。(ワールドビジネスサテライトは訪問したことがあるらしい(笑))。オフィスにはいきなりビリヤード台と、ダーツ、バランスボールが。ま~開かれた会社ですこと。お菓子もタダ。自販機もタダ。凄いね~。で、本題は地図マニアのタモリのための「Google earth」講座。もはや、知らん人はいらんでしょ?グーグルアースを楽しむBlogも楽しいし。凄いのは、「大根おろし」と名付けられたアメリカの軍用機の展示場と、ドイツの畑に忽然と現れた巨大な「虫」。航空写真のレンズに貼りついていた虫なんだそうな。ちなみに、調べてみると「大根おろし」は、32.1664210836, -110.854693107ドイツの畑にいる巨大な「虫」は、48.8578195935, 10.2052533712なんだそうな。それで、「知っとこ!」。「世界の朝ごはん」はウランバートル。ちょうど、小泉さんが行ったばっかり。モンゴル帝国建国800年ということもあって、今年は「日本におけるモンゴル年」ともなっている。ウランバートル市内も祝賀ムード。山の斜面には巨大なチンギス・ハーンの肖像も描かれている。そういえば、角川映画の「蒼き狼」のロケで、地元住民の反対デモが起きていたらしいが・・。市場経済に移行して発展しているウランバートル市内。この辺は、横綱朝青龍のニュースとかでも最近よく目にする光景。(とはいえ、相次ぐ雪害で、遊牧民たちは家畜を失い、近郊で野菜を作って生活していたり、ストリートチルドレンが下水道に生活していたりと、そういう影の部分もあるようだけど。)街中にある「ゲル」の中は、馬乳酒が出されるバーだったりする。馬乳酒は、モンゴルの人々にとっては重要な夏の飲み物で、栄養価も高い。朝ごはん代わりにもするそうな。日本で言うところの甘酒に近い感覚なのかな。それから、旧都カラコルムの宮殿を再現したホテルモンゴリアを紹介。あとは、ウランバートル市内ではおやつ感覚で食べられることの多い「松ぼっくり」。日本でも「松の実」を食べることはあるけど、モンゴル人は松ぼっくりのまんま買って、歩きながら食べている。朝ごはんも面白い。小麦粉をこねて、棒で薄く延ばしてから麺にして、これを、ニンジン、玉ねぎ、ジャガイモ、牛肉と一緒に煮込んだ「ツェイワン」。タウンページよりも大きい牛肉のブロックを煮込んだ「ウーマン マハン ゾーシ 」。味付けはどちらもチリペッパー。そして、ギョウザを牛乳とモンゴル茶で煮込んだ「バンシタイ」。どれも凄い。自分の手で麺もギョウザの皮も手際よく作れてしまう奥様は、童顔で清楚な、日本人にも好まれそうな顔立ち。ただし、鼻の下の黒子が愛くるしい。旦那は完璧なモンゴロイド。眉毛が濃くて、目が細くて、鼻が低い。モンゴルの新婚さんはちょっとだけチューで、思いっきりハグ。いいね~。このくらいで良いんだよ。それから、テレビ。今日も夕方に「チェッキュウ!」が花っち入り。うへへ。今週は緑。うへへ。NHKでは、「大好き!マウス」をやっておった。「マウス」はドイツの教育番組で、今回は「缶詰はどうやって作るのか?」。ドイツらしく論理的で、実直。日本の子供ウケするのかといえば、怪しい。夕方のニュースも斉藤斉藤。斉藤のスタミナの素で、ベッカムも使った棺おけみたいな酸素スーツを3局が同じ時間帯に紹介しておった。アホか。とりあえず、この辺で。
2006.08.22
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せっかくの休みにホークス戦を観に行こうかと思ったら、なんと中止なんですと。はー。いい調子で勝ち始めて、乗り気だったのに~。交流戦で、寺原を応援するためにソフトバンクを裏切った罰なんだろうか。とはいえ、今日は甲子園行きの切符のかかった福岡県大会の決勝で、こちらも満足。東福岡も沖学園も同じ博多区でどちらを応援しようかと悩んだね。しっかし、いろんなとこから引っ張ってくるものだなんだねぇ。高校野球のレベルでも。結局沖学園を応援して、東福岡が優勝した。今年は大分大会で、明豊の小野学人というエースが、片腕に障害を持ちながら、力投していたのも素晴らしかったし(9回まで無失点という好投)、大分南の工藤と、相手の楊志館の久原は、お互いに目の障害を乗り越えたものでどちらも、素晴らしいドラマだった。大分大会は楊志館が甲子園へ行く。名門校が勝つという、出来レースのように見られてしまいがちな高校野球も、地区大会からじっくり観ると違う。この時期はイチローも城島も松坂もあんまり活躍してくれるなよ!高校球児のニュースが小さくなるから(涙)。ちなみに、宮崎は日南学園。頼むよ~。さて、その後に花っちのニュースを。原稿を読む花っちを見るのは久しぶり。また痩せてビリーの野郎を呪う。あ~やだやだ。こら!ビリー!!花っちの脂肪を返せ!!「BLT」もデ・ジャヴで、こりゃ、何かあってますぜ。誕生日も近いし。さて、後はメモ。先週の「知っとこ!」。世界の朝ごはんはオランダの首都アムステルダム。なんか、つい最近やったような気もするけど、記録は残っていないな。オランダといえば、国民の背が高い国というイメージで、平均身長が183センチ!どうも、国土が狭いオランダでは牛に成長ホルモンを与えまくっているので、それを食べた人間がデカくなってしまったという俗説は、まんざらウソでもないらしい。まぁ、地球温暖化による海水面の上昇を警戒して身長を高くしているという俗説も面白いので調査は継続。花の国オランダらしく、世界最大の花市場アールスメーアという所を紹介しておった。サッカー場125個分という驚くべき巨大さを誇る市場でオランダの花の取引の45パーセントは、この市場で扱われている。それと、路上でリフティングを行う大道芸人も凄い。つま先でリフティングしながら、街灯を登るという意味不明のパフォーマンスは一見しただけで凄い。それとオランダのパンケーキ、「パネクックン」というらしいのだけど、ナポレオンに占領されたときにフランスのクレープが入ってきて、それがオランダに根付いたらしい。大きいので分けて食べるのが普通なんだそうで、食べ方はお好み焼きに近いか。トリはユトレヒトのミッフィー。ユトレヒト出身のディック・ブルーナが考案したキャラクターとして、日本でも有名。ミッフィーという呼び名は英語であって、オランダ語の本名はNijntje(ナインチェ)というそうな。本場のサイトはこちらを。ユトレヒトでは、信号機もナインチェのマークになっていてかわいらしい。まぁ、妖怪の町「境港」にはかなわんがね(笑)。新婚さんの朝ごはんは「田舎風オムレツ」と「パンケーキ」。パンケーキの具財は実にヨーロッパ的なイメージで、味も見当をつけやすい。オムレツは裏返さないのがコツ。奥様はまるで宝塚の男役のような方で、珍しくストライクゾーン外。さて、あとは「済NOW」。先週は、長湯温泉。湯布院は当分行かなくても良いけど、長湯は一年に一度は行きたい。あの炭酸泉と独特の情緒が好き。しかも水も美味いし。温泉に余計なものなんて要らんという立場なので、実のところあんまり発展して欲しくはない(笑)。とはいえ、長湯温泉の発展のために首藤さんという方が実直に長湯温泉の試みについて語っておられた。今は日本一という表現ではなくて「日本有数の炭酸泉」と表記しないといけないらしい。指導が入るんですと。驚くべきは、2030年には竹田市の人口は半減するという試算がでているとの事実。人口流出に歯止めをかけるのも急務で、そのためにも長湯温泉は頑張っていらっしゃる。それと、鹿児島の城山ホテル。一人二役以上をこなす従業員の分業が面白い。しかも、後のCMが「黒豚横丁」だもんな。東国原知事が福岡に来ても、福岡で流れるCMのほとんどが鹿児島、次が長崎。のんちゃんの「これで勝負!」は、「めんたいCAN」(参照)。缶詰に入った明太子で賞味期限が2年!旅行にも持っていける明太子というのがウリらしい。ちなみに、パッケージのキャラクターは「タイゾーくん」。趣味はサーフィンとカラオケなんだそうな。これを他県の人が見たら「福岡県民はどれだけ明太子に飢えているのだろう」と勘違いされそうな商品ですな。気に入った。あと「きらり九州」は有田。旅人が中島誠之助さんでドンピシャ。有田焼の祖である朝鮮人、李参平が発見した泉山磁石場から始まって、陶山神社や、顔料の問屋さんと個人的にも好みの話題を。鷹山工房の光る有田焼(参照)も、のんちゃんが紹介したヤツだな。それと、イタリア帰りの陶芸家にしだゆかさんという人も気になる。しっかし、TVQは有田が好きだよな~。というか、おれもTVQよく見ておるよな~、「ずっとQ系」だよな。そういえばこの前、すれ違いそうな人に見覚えがあって「よく見かける方だ、どこかでお世話になったかも知れん」と思ってお辞儀してから通り過ぎた。で、「誰だっけか?」と10歩ほど歩いたところで「TVQの山田さんだ!」と思い出して一人笑いした。何年か前に和田勉とすれ違ったときと同じ反応で、どうしてもお辞儀をするのな。テレビで一方的に知っているだけなのに。山田さんは知りもしないわたくしなんぞにちゃんと会釈してくれましたよ。さて、それからあとは・・田村先生が参院選の特番に出るらしい。多分RKBかな。もう、福岡の石田衣良状態ですよ。確かに田村先生は顔も良いしな~。なんでも、色つきのメガネは選挙の番組ではNGなんだそうな。「選挙を色眼鏡で見てはいけない」というダジャレのような配慮なんだろうか・・今日はこの辺で。
2007.07.27
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今日は今のうちに。といっても、大して話題があるわけでもなく。つんくの嫁さんの写真を見て驚いた。元モデルの加奈子さんって、「いでみっちゃん」じゃないのよ。「ももち浜ストア」でリポートやっとった・・Google検索かけても「無かった」とこになっていることに恐怖を感じるが・・・恐るべし。つんくの政治力。確かに可愛いからなぁ。ギリギリ残っている「出光加奈子」情報がこちら。ああ、同じようにレポーターの権英恵(ヨンヘ)ちゃんの情報も減っちゃったな。しかし、出光っちゃんの相方だったケン坊は、かわいそうだよな。昔の相方の竹山はカンニングとして全国区だし、今度の出光っちゃんは玉の輿・・。ケン坊と組むと、みんなどんどん大物になっていくよな。彼を置き去りにして。タモリ倶楽部でやっていた、工場マニアな方のページを発見。ブログはこちら。萌える工場たちに、確かに萌える人はいるはず。今日はこの辺で。
2006.04.25
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今朝は早起きして「大・水木しげる展」を見に行く。ホントはそんなに暇があるわけじゃないんだけど、今回は7月11日、今見逃すと大変。という言い訳で。京極夏彦・荒俣宏プロデュースということもあり、ま、期待はずれにはなるまいと思って行ってみると、多い。多すぎるぞ!展示品が。水木先生の生い立ちに始まり、今までの作品群、貸本時代の生原稿、鬼太郎に出てくる数々のアイテムのフィギュア、水木作品の源泉ともいうべき、日本の怪奇モノの読み物。地元の妖怪の紹介。境港市にもあるという妖怪たちのブロンズ像。最近やっている「東海道五十三次」のパロディの「妖怪道五十三次」。水木先生が訪ね歩いた東南アジアやアフリカの写真。そこで収集した民芸品や世界中の仮面のコレクション。今回の書き下ろしの水木先生の一生を描いた大巻物。3時間かかったよ。すごいわ。やっぱりこの人。というより、荒俣・京極の二人の水木先生への敬意とか、執着のなせる業か。とにかくボリューム満点。好奇心と想像力を刺激されすぎて、少しふらふらしてしまう。水木しげるというひとは、1922年生まれ、子供のころはとにかく胃が丈夫でガキ大将。日の丸の旗の上についている、金色の玉の上っ面のメッキを全部食べて腹を壊したくらい、食い意地の張った子供であったらしい。特技は絵を描くこと、空想すること、そして、自在におならをすること。展示品にも(話には聞いていたけど存在するとは)「な・ぷーん」という「水木しげるおなら入り缶詰」があるのはなかなか。「な・ぷーん」というのは、水木先生が子供のときに、四大節の行事で全校生徒の前で放ったおならのこと。あまりのよい響きに「な・ぷーん」と名づけられ、水木先生の生涯でも最高の作曲であるらしい。さて、それから落ちこぼれ街道まっしぐらの先生。遂には赤紙を受け取り、太平洋戦争に召集されてしまう。上官に「北と南どっちがいいか?」と問われて、寒いのが苦手なので「南がいいです。」と答えてしまい、ラバウルへ。激戦地に派遣され、爆撃で左腕を失う。切り落とされてから蛆が湧き、絶望的な状況だったが、なぜか食欲だけはあり、それもあってか回復。しかし今度はマラリアに感染。衛生状態が最悪のこの場所で夜な夜なジャングルを彷徨するほどの病に冒され、それでも奇跡的に生還。このとき現地の先住民とも親交ができ、「パウロ」と呼ばれて家族同然の扱いを受け南方の文化にも多くの興味を抱く。切り落とした腕が快方に向かうときの「左腕に赤ちゃんのにおいがするようになった。」というのは、素晴らしい表現ですな。帰国後も仕事を転々としながら、紙芝居、貸本作家として働くが、ほとんど収入にならず。極貧の状態で40歳の時に見合い結婚。しかし、「ガロ」の連載が始まると、一転人気作家へ。「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」「テレビくん」などのヒットに恵まれ、今や紫綬褒章を受章するなど、名実ともに国民的漫画家に。80歳を超えて、つい最近、「自分が幸せだと気づいた」そうな。ま~、とにかく作品だけでなく人物も面白いというのが、水木しげるという人。これだけでも十分なんだけども。あとは、水木作品といえば妖怪モノなんだけど、実は貸本時代は「ラバウル戦記」をはじめとする戦記モノ。近藤勇や南方熊楠の生涯を描いた人物歴史モノ。SFモノまであるらしい。読んでみたいなこれは。今回の展覧会、終わっても、まだまとめきれるシロモノではない。あ~も~おなかいっぱい。印象としては「女性が圧倒的に多い」というところか。よくわからんな。目的が。昨日はあれから12時に帰宅。実は両親が遊びに来ていて、カツオのタタキをいただく。ビールも久々に堪能。1時半就寝。8時半起床。朝一で「水木しげる展」へ。1時半に両親と中華。スポンサーがいると、良い食生活ですわ。それから学校へ。で、今に到る。
2004.07.09
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荘子です。一年最初の宮中祭祀・四方拝のつづきを。参照:四方拝と北斗七星。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005172/明治以降は廃止されたものの、1000年以上歴代の天皇が唱えていた「武曲星(×7)・・・萬病除癒、所欲随心、急急如律令。」の「急急如律令」という呪文は、歌舞伎の勧進帳の弁慶のセリフにも出てきます。「それ九字真言といつぱ、所謂、臨兵闘者皆陣列在前の九字なり。将に切らんとする時は、正しく立つて歯を叩く事三十六度。先づ右の大指を以て四従を書き、後に五横を書く。その時、急々如律令と呪する時は、あらゆる五陰鬼煩悩鬼、まつた悪鬼外道死霊生霊立所に亡ぶる事霜に熱湯を注ぐが如く、実に元品の無明を切るの大利剣、莫邪が剣もなんぞ如かん。(「勧進帳」山伏問答より)」参照:Kanjincho - Part 4.movhttps://www.youtube.com/watch?v=oQyLkKMGe5g(開始後7:00~くらい)「急々如律令」という道教の呪文を、鬼を祓うという意味あいで唱えるものであるとしています。この弁慶のセリフには、『荘子』にも登場する「莫邪(ばくや)の剣」の他に、道教に関係するものがあります。「臨兵闘者皆陣列在前行(りん・ぴょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん・ぎょう)」という「九字(くじ)」です。勧進帳では「九字の真言」として説明されるこの言葉、これも前回「「禹歩(うほ)」の時に引用した四世紀の書物『抱朴子』の「登渉篇」に載っているものです。『抱朴子曰「入名山、以甲子開除日、以五色糸曽各五寸、懸大石上、所求必得。又曰、入山宜知六甲秘祝。祝曰、臨兵闘者、皆陣列前行。凡九字、常當密祝之、無所不辟。要道不煩、此之謂也。(『抱朴子』登渉 第十七)』→抱朴子曰く「名山に入る場合、甲子開除の日を用いなさい。大きな石五寸・五色の絹を掲げれば必ず捜し物が見つかる。又、入山の際には六甲の秘密の祝詞知るべきである。「臨兵闘者、皆陣列前行(敵刃を恐れぬ勇士が前列に布陣している)」の九字である。常にこの祝詞を唱えなさい。要道は煩わず、とは此の謂いである。参照:Wikipedia 九字http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%AD%97参照:とびザル と一緒に九字結びhttp://www.youtube.com/watch?v=zjrOrqyk2gs忍者モノの時代劇ではおなじみの言葉です。「臨兵闘者皆陣列在前(りん・ぴょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん)」と「在」の字が入る違いはあるものの、本来は道教の書物の中に記録されています。弁慶が、「先づ右の大指を以て四従を書き、後に五横を書く。」というのが九字切りと呼ばれるもの。縦に四本、横に五本の線というのは、陰陽道でいうところのドーマンです。参照:Wikipedia セーマンドーマンhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3ちなみに、弁慶が「三十六回歯を叩くこと」云々と言っていまして、こちらも『抱朴子』に近いものがあります。『或問堅齒之道。抱朴子曰:「能養以華池,浸以醴液,清晨建齒三百過者,永不搖動。(『抱朴子』雑応 第十五)→ある者が歯を上部にする道について訊ねたところ、抱朴子曰く「華池によって養うことができる。 醴液に浸して、毎朝歯を三百回叩けば、歯がぐらつくことなどないだろう。『庚桑子曰「小子來!夫函車之獸、介而離山、則不免於罔罟之患。吞舟之魚、碭而失水、則蟻能苦之。故鳥獸不厭高、魚鱉不厭深。夫全其形生之、藏其身也、不厭深眇而已矣。(『荘子』庚桑楚 第二十三)→庚桑子曰く「聞きなさい。車を呑み込むほどの巨大な獣でも、ひとたび仲間とはぐれて山から下りてしまえば罠にかかってしまう。舟を呑み込むほどの巨大な魚でも、跳ねた拍子に陸に上がってしまえば蟻の餌食となってしまう。故に鳥や獣は少しでもその災いから避けるためにより高みを目指すことをいとわず、魚やスッポンは深い水底に潜ることをいとわない。生命を全うしようとする人もまた、人目につかない深い山林に身を蔵することをいとわない。紀元前の『荘子』には、隠者の記述が多くありますが、四百年以上経った後に書かれた『抱朴子』には、もっと実践的な、同時にもっと呪術的な要素の強い表現があります。『抱朴子』ともなると、個人的には、老荘思想や道家思想ではなく「道教」と呼んでしまいます。 にんべんに谷と書いて「俗」といい、にんべんに山と書いて「仙」といいます。世俗から足を洗って仙人になるというのが、道教のイメージとして定着していますが、隠遁の思想、というよりも山岳信仰と呼べるものは『抱朴子』あたりから見られるようになります。(ちなみに、『荘子』という書物には、「俗」という字はあっても、「仙」の字はありません。)『或問登山之道。抱朴子曰「凡為道合藥、及避亂隱居者、莫不入山。然不知入山法者、多遇禍害。故諺有之曰、太華之下、白骨狼藉。皆謂偏知一事、不能博備、雖有求生之志、而反強死也。山無大小、皆有神靈、山大則神大、山小即神小也。(『抱朴子』登渉 第十七)』→ある者が登山の道について訊ねたところ抱朴子曰く、「おおよそ、仙薬を求めるためであれ、戦乱を避けて隠遁するためであれ、山に入ろうと志さない者はいない。しかし、心得を知らずに山に入り、災難に遭う者が多い。故に諺にも「太華の下には、白骨がひしめいている」ともある。皆、一つのことに気を取られて、博く災難に備えるという術を知らないのだ。生を求める気概をもって山に入ろうとしても、かえって死を強いられることになったしまう。山の大小に関わらず、全ての山に神霊が宿っている。大きな山の神霊は大きく、小さな山の神霊が小さいだけの違いだ。『抱朴子』というと、中国の錬金術・煉丹術の書というような説明がなされやすいですが「登渉篇」は日本人にも身近なものが多いです。また、この入山の際の備えとして、いかにも道教な「お札」の記述が『抱朴子』には載っています。『上五符、皆老君入山符也。以丹書桃闆上、大書其文字、令彌滿闆上、以著門戸上、及四方四隅、及所道側要處、去所住處、五十步內、辟山精鬼魅。(同上)』→「老君入山符」である。桃の版木の上に赤字で筆を進める。大文字でびっしりと令を書き上げ、鬼神の出入口、その範囲の四方四隅、通路の要所に掲げる。するとその範囲五十歩以内に山川の鬼神や魑魅魍魎は近寄らない。参照:Forbidden Kingdom より。http://www.youtube.com/watch?v=TCF6RfXQJXoキョンシーとか式神に貼られるあれです。後には木札ではなく紙に書かれるようになります。今でこそ、日本のほとんどの神社仏閣の貴重な収入源となりましたが、「お札」や「お守り」の起源は道教です。四世紀の書物には、効能や用法まで書かれるようになります。参照:Wikipedia 神札http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%9C%AD「霊符」と言ったり「桃符」と言ったりして戸口に掲げるものです。これもまた「桃」です。↑の桃符は、日本では五月五日の端午の節句で魔除けに使われる「鍾馗」を象ったものです。昨日、九月九日は、菊のお酒を飲んで厄を払い、長寿を祈願する重陽の節句でしたが、五節句のうち三月三日は桃の節句ですよね。追儺と鬼、追儺と桃。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005171/九字切りや五行説を表す「セーマンドーマン」や、歴代の天皇が唱えていた「急急如律令」というのは、陰陽道や修験道の中で用いられてきたとはいえ、根元的には道教由来のものです。実は、伊勢の二見町というところでは、「蘇民符」というお札(かつては桃の木の札)を注連縄と一緒に門前に掲げる風習があるそうです。神楽の中にもスサノオが中国に渡って鍾馗と出会い、再び日本に戻って疫病を祓うというお話があるんですが、どうやらそれに近い由来のようです。参照:岩見神楽 鍾馗http://www.youtube.com/watch?v=U2UWnmCVKsoしめ縄の「蘇民将来子孫家門」と「急々如律令」はどのように読むのですか?http://www.ise-miyachu.co.jp/faq/?p=1335後で推敲します。今日はこの辺で。
2013.09.09
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ブルース・リー/李小龍(1940~1973)のつづき。参照:ブルース・リーと東洋の思想。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5180/今日も『燃えよドラゴン/Enter the Dragon(1973)』から。Parsons: What's your style?(お前の流派は何だ?)Lee: My style? You can call it the art of fighting without fighting.(流派?そうだな、“fighting without fighting”とでも呼んでくれ。)Parsons: The art of fighting without fighting? Show me some of it.(“fighting without fighting”?ちょっと見せてみろよ。)Lee: Later.(後でな)Lee: Don't you think we need more room?(ここじゃ狭すぎると思わないか?)Parsons: Where else?(どこでやるんだ?)Lee: That island, on the beach. We can take this boat.(あそこに島がある。この小舟で砂浜まで行こう。)参照:The Art Of Fighting Without Fightinghttp://www.youtube.com/watch?v=o_Ycw0d_Uow実はこのシーンは日本のお話をベースにしています。≪剣豪・塚原卜伝(つかはらぼくでん)が渡し船に乗っていたときのこと。乗り合わせた者の中に自らの武芸を鼻にかけている武者がいた。武者は卜伝の姿からかなりの使い手だと思い、勝負を挑んできた。卜伝はのらりくらりと挑発をかわしていたが、武者は引き下がらない。そこで卜伝は「あいにくこの舟では手狭じゃ。あの中洲はどうだろう」という。武者はそれに応じ、舟は中洲にたどり着いた。焦る武者が中洲の岸に飛び降りた途端。、卜伝は竿を突いて舟を出させた。「卑怯者、勝負せよ!」と声を荒げる武者に向かって卜伝は言った「戦わずして勝つ。これがわしの無手勝流(むてかつりゅう)じゃ。」≫参照:Wikipedia 塚原卜伝http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%9A%E5%8E%9F%E5%8D%9C%E4%BC%9D「五百年来無双の英雄」とも呼ばれる塚原卜伝の「無手勝流」の逸話です。(Wikipediaでは『甲陽軍鑑』が出典としていますが、私が知る限り、品四十あたりに塚原卜伝についての記述はありますが、このお話は載っていません。落語の「岸柳島」にもよく似ているので、江戸の頃に落語や講談で人口に膾炙したお話だと思われます。)参照:志ん生 岸柳島http://www.youtube.com/watch?v=2hWzyVyyKv8「戦わずして勝つ」と読むと、孫子の兵法を元にしたお話に読めます。『孫子曰「凡用兵之法、全國為上、破國次之。全旅為上、破旅次之。全卒為上、破卒次之。全伍為上、破伍次之。是故百戰百勝、非善之善者也。不戰而屈人之兵、善之善者也。」(『孫子兵法』謀攻篇)』→孫子いわく「凡そ兵を用いる法において、国を全うするを上とし、国を破ることを次とする。軍を全うするのを上とし、軍を破ることを次とする。兵卒を全うすることを上とし、兵卒を破ることを次とする。隊を全うすることを上とし、隊を破ることを次とする。これ故百戦百勝するは、善ならざる善であり、戦わずして相手の兵を屈せしめることは善の善(最上の勝利)と言える。」」「戦わずして勝つ」と、エシディシも知っている「兵は詭道なり!」。『兵者、詭道也。故能而示之不能、用而示之不用、近而示之遠、遠而示之近。利而誘之、亂而取之、實而備之、強而避之、怒而撓之、卑而驕之、佚而勞之、親而離之。攻其無備、出其不意、此兵家之勝、不可先傳也。』(『孫子兵法』始計篇)→兵とは詭道(騙しあい)である。ゆえに、できることをできないように見せかけ、使えることを使えないように見せかけ、近くのものは遠くに、遠くのものは近くにあるようにする。利によって誘い、混乱によって奪い、実によって備え、強いよって避け、相手を怒らせては乱し、へりくだっては増長させ、簡単そうに見せかけて相手を疲弊させ、親しげに見せかけて相手を離反させる。相手の備えのない場所を攻め、その不意を突く。兵家の勝利の秘訣ではあるが、これはまず最初に伝授すべきものではない。しかし、これ『老子』でも読めます。『以正治國、以奇用兵、以無事取天下。吾何以知其然哉?以此、天下多忌諱、而民彌貧。民多利器、國家滋昏。人多伎巧、奇物滋起。法令滋彰、盜賊多有。』(『老子』第五十七章)→正道を以て国を治め、奇計を以て兵を用い、無事を以て天下を取る。何故私はそう考えるのだろうか?天下に禁令が増えるたび、民はいよいよ貧しくなる。民に便利な道具が増えるたび、国家はますます暗くなる。人が技巧を凝らすたび、奇妙なものがわらわら増えてゆき、法令が細かくなるたびに、盗賊がいよいよはびこりだす。『善為士者、不武。善戰者、不怒。善勝敵者、不與。善用人者、為之下。是謂不爭之徳、是謂用人之力、是謂配天古之極。』(『老子』第六十八章)→優れた士は武力を用いない。戦上手は怒ることがない。善く敵に勝つ者は、敵と争わない。よく人を用いる者は、自らを下手に置くものだ。これを「不争の徳」といい、これを「人用の力」といい、これを「天に配される古の極み」という。『勇於敢則殺、勇於不敢則活。此兩者、或利或害。天之所惡、孰知其故?是以聖人猶難之。天之道、不爭而善勝、不言而善應、不召而自來、繟然而善謀。天網恢恢、踈而不失。』(『老子』第七十三章)→あえて勇たろうとすれば死、敢えて勇たるまいとすれば活。この両者は、一方は利であり、一方は害である。それは天の憎むところであるが、それを知る者がいるのだろうか、いないのだろうか。聖人ですら勇を以て事を為すことを難しいとしている。天の道は、争うことなく勝利をおさめ、何も語ることなく世界に応じる。天の道は招かれることもなく自ずからやって来て、ゆったりとしていながら、よく謀られている。天を巡らす編み目は粗いようでいて、なんら漏らすことがない。・・・「奇を以て兵を用いる」と「不争の徳」で読めます。『孫子』の冒頭も『老子』にそっくりです。『兵者、國之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也。』→兵は国の大事、死生の地、存亡の道、察すべからざるなり。『故經之以五事、校之以計、而索其情、一曰道、二曰天、三曰地、四曰將、五曰法。』(『孫子兵法』始計篇)→故にこれをはかるに五事を以ってし、これをくらぶるに計を以ってして、その情をそとむ。一にいわく道、二にいわく天、三にいわく地、四にいわく将、五にいわく法。『夫佳兵者、不祥之器、物或惡之、故有道者不處。』(『老子』第三十一章)→佳き兵は不祥の器であり皆これを憎むものである。故に有道者はその道を避ける。 『人法地、地法天、天法道、道法自然。』(『老子』第二十五章)→人は地に則り、地は天に則り、天は道に則り、道は自然に則る。・・・『老子』と『孫子』は共に、形而上学を含めた中国の思想の根源から端を発した書物であり、その仲立ちとして水の存在があります。本当によく似ています。参照:荘子と太一と伊勢神宮。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5176/「如水」の由来と諸子百家。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5179/特に似ているのはここ。『故曰「知彼知己、百戰不殆。不知彼而知己、一勝一負。不知彼、不知己、每戰必敗。』(『孫子兵法』謀攻篇)→故に曰く「彼を知り己を知れば、百戦して危ぶむことはない。彼を知らず己を知れば、一勝して一敗する。彼を知らず、己を知らなければ、戦うたびに必ず敗れる。『知人者智、自知者明。勝人者有力、自勝者強。知足者富。強行者有志。不失其所者久。死而不亡者壽。』(『老子』第三十三章)→人を知るものは智。自らを知るものは明。力が有る者は人に勝つが、自らを知る者は真の強者である。足を知る者は富み、勤めて行う者に志はあり、道を失わないものは悠久であり、肉体は亡んでもその存在は永遠である。『古之行身者、不以辯飾知、不以知窮天下、不以知窮徳、危然處其所而反其性、己又何為哉。道固不小行、徳固不小識。小識傷徳、小行傷道。故曰「正己而已矣。」』(『荘子』繕性 第十六)→古の身を保つ人は、弁舌で知を飾ったり、知識で世界の有様や、人の心を探ろうとはしなかった。ただひたすらじっとして人間の本性に立ち返ろうとしたものだ。他に何をする必要があるだろう?道はもともとちまちまとしたものではないし、徳はもともとこまごまとした理屈ではない。小さな知識は徳を傷つけ、小さな行いは道を傷つける。故に昔からこう言うのだ「何をするにしても、まず自らを正すのみだ」と。“All types of knowledge, ultimately mean self knowledge.(Bruce Lee)”→どのようなタイプのものであれ、全ての知識は究極的には「己を知ること」を意味する。『カンフー・パンダ』はここを外さない。参照:Kung Fu Panda 2 - Story of Po's Childhoodhttp://www.youtube.com/watch?v=RqjIkkwMlnw今日はこの辺で。
2013.11.24
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星がな~がれる夜~♪人は~変わるの~♪我が不治の病「人形劇三国志」が観たい病が発症してしまった。これ、うちの近所のビデオ屋さんにもないのよ。人形劇三国志とは、川本喜八郎製作の精巧な人形と豪華な声優陣で人気を博したNHKの人形劇。劉備 谷隼人 /関羽 石橋蓮司 / 諸葛亮 森本レオ / 張飛 せんだみつお という面々。特に森本レオの諸葛亮と、せんだみつおの張飛はハマリ役だった。まぁ、ちなみに最高なのは曹操の声の岡本信人。そう、渡る世間は鬼ばかりの幸楽に昔っからいる地味な人で、中島唱子のダンナ。芝居は上手くても思いっきりパッとしない人。でも、この声、さいこ~~なのよ。曹操はどうあってもこの人。岡本信人が死んだら、オレは泣くね。曹操が死んだと叫ぶね。この人形劇三国志。オススメ名場面といえば「落鳳玻に死す」。伏龍・鳳雛として、諸葛亮と並び称されたホウ統(←字が出ないのでカタカナです)が、主君劉備に降りかかる天命によってもたらされる不幸を、自らの死によってあがなう。というストーリーで、泣けるのよ。史実とは違うし、演義よりも勧善懲悪の色合いが強いけど(関羽が死ぬときに呂蒙がめちゃんこ悪役だったりするし)この「落鳳玻に死す」は、今まで読んだり観たりした作品の中で白眉!人形による表現力侮りがたし!まぁ、後は島田紳助と松本竜介が進行役だったり、細野晴臣の曲がバッチリハマッていたり、あの人形、関羽と孔明が180万とか言うバカ高い値段で売っていたりと話題満載!ああ、観たい。ま、福岡市総合図書館ではタダで観られるんだけど、遠い。ああ観たい。昨夜は2時就寝。今朝は9時起床。朝はコーヒーとカレーパン。昼は買出しに行って味噌汁と餃子と白身魚のフライ。納豆。長嶋さん、会話はすれども、半身不随だとか・・・。こんなことじゃ、長嶋語録で笑えないじゃないか!元気出せよ!長嶋!今日は家で勉強。三国志観たい病と禁煙のつらさから、思い通りに勉強進まず。5時からバイト。12時まで。で、今に到る。
2004.03.05
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荘子です。ユングが書いた鈴木大拙の『禅仏教入門』の序文というのは、いろんなところに使われています。参照:荘子と進化論 その90。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201109040000/例えば、≪西欧社会は、ここ数百年の間に自然科学の目覚しい発展を見、人道主義的社会制度を作り上げてきた。その点では、オリエント社会(原文ママ)よりも遥かに進んだと言えよう。しかし、人間の内なる心の面では、今日、最も学ばなければならないのは、我々西欧人なのである。鈴木大拙氏の『禅宗入門』の序文に寄せて、C.G.ユングは、次のように述べている。「周知のように、心をいやすという問題は、二千年以上にもわたって、危険を冒してもやまない東洋人の心を真剣にとらえてきた。そのための方法や哲学的学説が、おおいに発達した。西欧でも同じことがいろいろ試されてきたけれども、東洋に比べたら屁でもないものになってしまった。(原文ママ)」その上、アジアのことを知るにつれ、全ての象徴形式が、我々の心にどのような意味を持つのか、それを解く鍵は、インドとチベット、それに中国と日本の、ヨーガの伝承形式にある、ということがだんだんと明らかになってくる。本書の第二章と第三章をみれば分かるように、偉大な文明が持つ神話体系にあっては、モチーフの重要なものは、皆同じものであって、その多くは、元を辿ると、歴史的に同じ源に由来するものであった、と思われる。≫(『神話のイメージ』ジョセフ・キャンベル著)・・・これは、ユングの弟子であり、ジョージ・ルーカスの師、ジョセフ・キャンベルの著作からです。彼の場合だと、ネイティヴ・アメリカンの思想や、インドの思想(特にクリシュナムルティ)の影響も強いですが、ユング心理学を通して、東洋思想の理解を深めた人なんです。キャンベルは、世界中の神話を取り扱っていますが、基本的には非ヨーロッパ文明圏の思想から世界を俯瞰しているタイプの人です。その土台にユングがいます。参照:Wikipedia ジョーゼフ・キャンベルhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%ABエヌマ・エリシュと老荘思想。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5051たとえば、『スター・ウォーズ』でルーク・スカイウォーカーが目隠しをして稽古をするシーン。こんな修練は、西洋では見られないものです。日本か中国かのどちらかですよ。参照:Luke begins his traininghttp://www.youtube.com/watch?v=uIMXsacUlDAいわゆる「心眼」ってヤツです。The Tao of Kung Fu #18 - "Disregard how others see you." http://www.youtube.com/watch?v=JLilMtzOUbA&feature=related『一若志,無聽之以耳而聽之以心,無聽之以心而聽之以氣。聽止於耳、心止於符。氣也者、虚而待物者也。唯道集虚。虚者、心齋也。』(人間世 第四)→「志を一つにせよ。声を聴くのに耳ではなく心をもってせよ。そして、心ではなく氣をもってせよ。耳は聴くに留まり、心は知るに留まる。氣はすべてのものを受け入れることができる。雑念がないがゆえにすべての本質は虚にのみ集まる。無心でいるがゆえに、心斎といえるのだ。」参照:武道と田舎荘子。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5013・・・こういうのですよ。≪宗教的な変容の過程を理解するにあたって、禅仏教のもっている価値はこのようにきわめて大きいのであるが、それが、西洋の人間にとって、どれだけ役に立つかという点になると、おそらく価値は非常に小さいものではないかと思われる。なぜなら、西洋には、禅に必要な精神的前提条件が、欠けているからである。ひとりのすぐれた師匠とその不可解なやり方に対して絶対的な信頼を寄せるような人間が、われわれ西洋人のなかにだれかいるのであろうか。すぐれた人間的個性に対してこのように尊敬を払う習慣は東洋にしかみられないのである。≫(「禅の瞑想」『ユング心理学選書 東洋的瞑想の心理学』創元社より)参照:Qui-Gon & Obi-wan talk http://www.youtube.com/watch?v=l9gG3XiCU7Y&feature=relatedジェダイの騎士における師弟関係というのは、まさにそうですよね。これも東洋です。参照:ベスト・キッドと荘子。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5064ベスト・キッド http://www.youtube.com/watch?v=OGhSMu0bjck≪老子が「俗人昭昭、我独り昏のごとし」というとき、それは私が今、年老いて感ずることを表している。老子は高い洞察を得た人の典型であり、価値と無価値を見、経験した人である。そして、生涯の終わりにおいて、彼自身の存在、知ることのできない永遠の意味へ戻ろうとした人である。全てを知った老人の原型は永遠に真実である。このような型は、どのような知能の程度においても現われ、それが年老いた百姓であろうと、老子のような偉大な哲学者であろうと、特徴は常に同じである。それは、老年と極限である。しかし、そこには私を満たすあまりにも多くのものがる。すなわち、植物、動物、雲、昼と夜、そして、人間の永遠性。自分自身に対して不確かさを感ずれば感ずるほど、これら全てのものに対する親密性が私の中に育ってきた。実際、私を外界から離別していた疎外性が、私の内界へと転移され、私自身に対する思いがけない無知を、明らかにされたように思えるのである。≫(『ユング自伝』追想より)『ユング自伝』が、老子への思いで最終的に結ばれているのを見ても分かるように、ユングにとって老子は、必要不可欠の鍵です。ユングが、彼の夢の中に度々でてきた「フィレモン」と、老子のイメージを重ねています。アーサー王のマーリンや、指輪物語の灰色のガンダルフといった年老いた賢者のイメージです。参照:Wikipedia 元型http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%9E%8B他にもユングのいう原型としてのグレートマザー(Great Mother 太母)の「谷間のイメージ」と、『老子』の「谷神は死せず。これを玄牝と謂う。玄牝の門、これを天地の根と謂う。」という言葉と対比するだけでも分かるとは思えますが・・。参照:八雲とユングと胡蝶の夢。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5049で、マスター・ヨーダというのは、ユングのいう老賢者(Old wise man)の典型的なパターンを踏襲しています。『スター・ウォーズ・シリーズ』というのが、そもそもユング心理学を応用したかたちとしてある以上、マスター・ヨーダが老子や荘子の言葉をしゃべっても、なんら不思議ではないと私は思うのです。 参照:ヨーダ(Yoda)と荘子(Zhuangzi)。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5026荘子の道と、仏性、良知。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5027個人的には、ヨーダのモデルに諸説ありますが、鈴木大拙の可能性もありえるかなと思っています。思想もさることながら、風体と文法がよく似ています。・・・ただし、アメリカの場合、禅と鈴木というと、鈴木俊隆(Shunryu Suzuki 1904~1971)さんという、サンフランシスコで禅を広めた方もいらっしゃいますので、アメリカで鈴木老師(Suzuki roshi)というと、鈴木俊隆さんの方です。混同されやすいのでお気をつけを。スティーブ・ジョブズの場合、「Suzuki」と言われてどちらを連想するか聞いてみたいです。参照:Shunryu Suzukihttp://en.wikipedia.org/wiki/Shunryu_Suzuki参照:当ブログ スティーブ・ジョブズと禅と荘子。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5010当ブログ スティーブ・ジョブズと禅と荘子 その2。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5077ジョブズがルーカスフィルムからピクサーを買収したとき、こういうやりとりがあったそうです。≪(GMの会長だったロス・ペローが会社を追い出されたことにより)ジョージ・ルーカスにとっては、突然、あてにしていた買い手が消えたことになる。スティーブは、このときを待っていた。ルーカスとの交渉を熱心に進める。二人の交渉はスムーズだったはずだ。ふたりとも交渉成立を強く望んでいたし、心の平穏を重視する価値観も共有していた。ルーカスは「私は敬虔な信者ですよ」と信仰への傾斜を表現している。メソジストの家で育ったが「ここはマリン郡です。ここではみんな、仏教徒なんです。」ともいう。ルーカスとスティーブは波長が合うはずなのだ。≫(『スティーブ・ジョブズ-偶像復活』ショービジネスより) あんまり言われないですけど、ジョージ・ルーカスは仏教徒です。禅や老荘に知識があっても何の不思議もないのです。今日はこの辺で。
2011.09.18
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ブルース・リー/李小龍(1940~1973)のつづき。参照:ブルース・リーと東洋の思想 その2。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5181/今日も『燃えよドラゴン/Enter the Dragon(1973)』から。現在巷で出回っているバージョンでは挿入されていますが、古いバージョンでは公開されなかったシーンなんだそうです。Lee: Teacher?(先生。)Shaolin Abbott: I see your talents have gone beyond the mere physical level. Your skills are now at the point of spiritual insight. I have several questions. What is the highest technique you hope to achieve ?(私が見る限り、お前の技量はすでに身体的な域を超えて、精神における修養を要する域にさしかかっておる。そこでお前に問う。お前が望む最上の技量とは何だ?)Lee: To have no technique.(何の技も持たぬ事です。)Shaolin Abbott: Very good. What are your thoughts when facing an opponent ?(見事だ。お前は向かい合う相手に何を思う?)Lee: There is no opponent.(相手などという者はおりません。)Shaolin Abbott: And why is that ?(なぜ、そう思う?)Lee: Because the word "I" does not exist.(「私」というものは存在しないからです。)参照:Bruce Lee "I Do Not Hit" Full Complete Scenehttp://www.youtube.com/watch?v=hhvBTy28VJM・・・一応、少林寺での会話という設定なので、禅仏教を意識したセリフになっています。ブルース・リー自身がこの脚本に携わったものの、アメリカの観衆には理解されないだろうということでカットされてしまったようです。ちなみに、この前半部分は『マトリックス』のスプーン曲げのシーンでアレンジされています。Spoon boy: Do not try and bend the spoon. That's impossible. Instead only try to realize the truth.(スプーンを曲げようとしてはいけない。そんなことはできないよ。代わりに真実に気づこうとしなきゃ。)Neo: What truth?(真実?)Spoon boy: There is no spoon.(スプーンなんてない)Neo: There is no spoon?(スプーンがない?)Spoon boy: Then you'll see that it is not the spoon that bends, it is only yourself.(そうすれば、スプーンが曲がるんじゃなくて、自分自身が曲がるということに気づく。)参照:There is no spoonhttps://www.youtube.com/watch?v=ZaJPNrf1DPY参照:マトリックスと禅と荘子。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5054/ま、江戸時代だったら猫でも言っていることです(笑)。≪猫云。「我あるが故に敵あり。我なければ敵なし。敵といふは、もと対侍の名也。陰陽水火の類のごとし、凡そ形象あるものは、かならず対するものあり。我心に象なければ、対するものなし。対するものなき時は、角ものなし。是を敵もなく、我もなしと云。物と我と共に忘れて、潭然として無事なる時は、和して一也。敵の形をやぶるといへども、我もしらず。しらざるにはあらず。此に念なく、感のままに動くのみ。」参照:『田舎荘子』より「猫の妙術」。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5135/Shaolin Abbott: So, continue...(続けてみよ。)Lee: A good fight should be like a small play, but played seriously. A good martial artist does not become tense, but ready. Not thinking, yet not dreaming. Ready for whatever may come. When the opponent expands, I contract. When he contracts, I expand. And when there is an opportunity, I do not hit. It hits all by itself.(優れた戦いはちっぽけな遊戯のようでありながら、真剣になされます。優れた武道家は、決して緊張することないものの全ての事象に備えています。思考することはなく、それでいて夢みることもない。敵が押してくるならば、私は引き、敵が引くのであれば、私は押します。そして機が熟したとき、私は打ち込むことをしません。“それ”が自ずと打ち込まれるのです。)Shaolin Abbott: Now, you must remember: the enemy has only images and illusions behind which he hides his true motives. Destroy the image and you will break the enemy.(よし。ならば憶えておくがよい。敵は背後に真意を隠したまま虚像として表れる。その虚像を撃て、さすれば敵は倒れる。)“And when there is an opportunity, I do not hit. It hits all by itself.”というところは、日本のもので言うと、宮本武蔵の『五輪書』にある「無念無相の打(むねんむそうのうち)」とか、オイゲン・へリゲルの『日本の弓術』などが参考になると思います。『一 無念無相の打と云事。敵もうち出さんとし、我も打ださんとおもふとき、身もうつ身になり、心も打心になつて、手ハ、いつとなく、空より後ばやに強く打事、是無念無相とて、一大事の打也。此打、たび/\出合打也。能々ならひ得て、鍛錬有べき儀也。(宮本武蔵『五輪書』「水の巻」より)』「無念無相の打」は、『五輪の書』では「一大事の打」として重要な打ち込みという位置づけがされているものです。「いつとなく、空(くう)より後ばやに強く打事」というのは、簡単に言うと「無私」の状態から放たれる「無心の一手」で、意識的なコントロール下で簡単にできる類のものではありません。『五輪書』で、武蔵は「今此書を作るといへども、佛法儒道の古語をもからず、軍記軍法のふるき事をも用ひず。」(同上「序の巻」)と記していますが、武蔵の理論体系は、彼の独創を差し引いたとしても、禅仏教や、老荘思想の影響は残ります。『工錘旋而蓋規矩、指與物化、而不以心稽、故其靈臺一而不桎。忘足履之適也。忘要、帶之適也。知忘是非、心之適也。不?變、不外從、事會之適也。始乎適而未嘗不適者、忘適之適也。』(『荘子』達生 第十九)→工錘(こうすい)と言う名工は定規やコンパスなど使わずとも、真っ直ぐな線や真円を描くことができた。指が筆と一体となり、虚心のまま筆を進めることができたからだ。彼の心は一切の迷いがない。靴を履いている足の事を忘れるのは、足の型ににぴたりと合っているからだ。帯を締めている腰のあることを忘れるのは帯が腰の型にぴたりと合っているからだ。同じように、善悪・是非の判断を忘れているのは、心が自然と一つになるからだ。外物に振り回されないのは、内のありようと外のありようが逆らっておらず、安定していることにある。そして、自適の境地にから始まって、自適であるということすら意識しなくなる時こそ、本当の意味での忘我の境地といえる。・・・ブルース・リーの場合は、彼の師である詠春拳の達人、葉問から「無心であること」を学んだようです。ブルース・リーが披露したことで一躍有名になった“One Inch Punch(寸勁)”は、詠春拳から会得したものでしょう。参照:ヒューマン ウェポン 世界の格闘技 カンフー 2/5http://www.youtube.com/watch?v=cAqYsVaIHf4One Inch Punch Documentaryhttp://www.youtube.com/watch?v=Kx9iPFMriz0ブルース・リーはまた、こんなことも言っています。“Before I studied the art, a punch to me was just like a punch, a kick just like a kick. After I learned the art, a punch was no longer a punch, a kick no longer a kick. Now that I've understood the art, a punch is just like a punch, a kick just like a kick.”(Bruce Lee)→私が格闘技を学ぶ前、私にとってパンチは単なるパンチであり、キックは単なるキックだった。けれど、格闘技を学んだ後には、パンチはもはやパンチではなく、キックはもはやキックではなくなっていた。そして、格闘技とは何かを理解したとき、パンチは単なるパンチとなり、キックは単なるキックとなった。ここは、青原惟信(せいげんいしん)禅師の有名な言葉から。『老僧三十年前未參禪時、見山是山、見水是水、及至後來、親見知識、有箇入處、見山不是山、見水不是水、而今得箇休歇処、依前見山祇是山、見水祇是水。』(『五燈會元』巻十七)→三十年前老僧が未だ参禅しなかったころ、山を見るとこれ山、水を見るとこれ水であった。後に素晴らしい師とその知識に接し、得るところがあって山を見ると、山は山でなく、水を見ると、水は水ではなかった。今、休歇の処を得てその境地で見るに、山を見ればこれただ山であり、水を見ればただこれ水である。ブルース・リーが創始した「ジークンドー/截拳道」を見るときにも大切なことだと思います。『昔者荘周夢為胡蝶、栩栩然胡蝶也、自喩適志與。不知周也。俄然覚、則遽遽然周也。不知周之夢為胡蝶與、胡蝶之夢為周與。周與胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。』(『荘子』 斉物論 第二)→昔、荘周という人が、胡蝶になる夢をみた。ひらひらゆらゆらと、夢の中では当たり前のように胡蝶になっていた。自分が荘周という人間だなんてすっかり忘れていた。ふと目覚めてみると、荘周に戻っているではないか。荘周が夢の中で胡蝶になったのか、胡蝶が荘周になった夢をみていたのか、分からない。荘周と胡蝶にはきっと区別があるだろう。これを「物化」という。今日はこの辺で。
2013.12.02
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荘子です。前人未踏の69連勝の記録を持つ、不世出の横綱・双葉山の生誕100年。ということで、十一月場所に向けて双葉山の写真がいろんなところに飾られております。参照:Wikipedia 双葉山定次http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8C%E8%91%89%E5%B1%B1%E5%AE%9A%E6%AC%A1先日、双葉山ゆかりの「妙音の滝」を探しに行ってきました。 博多から自転車で二時間半くらい。双葉山の著作によると「福岡県筑紫郡安徳村から二里半ばかり」、現在の地名では筑紫郡那珂川町の上梶原というところにあります。不滅の記録69連勝を成し遂げた翌年、昭和15年に双葉山はスランプに陥り引退宣言までしています。しかし、その後思いとどまった彼は、五週間ほどこの上梶原に籠もり、妙音の滝に打たれて精神を見つめ直し、再び土俵に戻ったという逸話があります。それが気になって行ってみたんです。近くに静かで清らかな小川はあるんですが、肝心の滝は九州新幹線の開通に伴い、途中の水脈が断たれたせいか、現在はもはや滝と呼べるほどの水量もありませんでした。数年前から事実上の閉鎖の状態のようです。今日は、双葉山の「木鶏(もっけい)」について。この故事は『列子』の黄帝篇、『荘子』では達生篇に収められています。『紀渻子為王養鬥雞。十日而問「雞已乎?」曰「未也。方虛憍而恃氣。」十日又問。曰「未也。猶應嚮景。」十日又問。曰「未也。猶疾視而盛氣。」十日又問。曰「幾矣。雞雖有鳴者、已無變矣、望之似木雞矣、其徳全矣、異雞無敢應者、反走矣。」』(『荘子』達生 第十九)→紀省子(きしょうし)は、王のために闘鶏の鶏を養うことになった。十日目に王が「もう鶏は試合に出せそうか?」と尋ねると、紀省子は、「まだです。実も伴わずに威張りちらしているだけです。」その、十日後に王が「もう鶏は試合に出せそうか?」と尋ねると、「まだです。他の鶏の声を聞くだけで相手に飛びかかるようでは。」また十日後に、王が「もう鶏は試合に出せそうか?」と尋ねると、「いや、まだです。闘志が先走って相手を睨む癖が抜けません。」さらに十日後に、王が「もう鶏は試合に出せそうか?」と尋ねると、ようやく、「そろそろでしょう。他の鶏の鳴き声にも動じないし、まるで木彫りの人形のようになっています。ここまでくれば、相手の鶏は、こいつにはかなわないと、戦う前に逃げてしまいますよ。」「木鶏」は、『荘子』における「真人」の達した境地を闘鶏の鶏に喩えている箇所です。『且有真人、而後有真知。何謂真人?古之真人、不逆寡、不雄成、不謨士。若然者、過而弗悔、當而不自得也。若然者、登高不慄、入水不濡、入火不熱。是知之能登假於道也若此。』(『荘子』大宗師 第六)→真人ありて、しかる後に真知あり。どのような人を真人というのだろうか?古の真人は我が身の至らぬところに逆らわず、成功を鼻にかけたり、行いにはからいをもたなかった。このような者は、失敗をしても悔やまず、成功をしてもそれを誇らない。高所にあっても物怖じせず、水に入っても濡れず、火に入っても熱さを感じない。知が至り道に到達したものはこのようなものだ。・・・「心頭滅却すれば火もまた涼し」ということですよ。「眞人の息は踵を以てし、衆人の息は喉を以てす。」「その嗜欲深き者は、其の天機浅し。」など続きますが、「坐馳(ざち)」「坐忘」など修練を経て、眞人ともなると、外の現象に左右されない境地に至るということです。というわけで、今回は相撲道における双葉山の「木鶏」です。以下の話は陽明学者・安岡正篤(やすおかまさひろ)さんの著作で紹介されたり、双葉山の代名詞としてよく引き合いに出されていますが、双葉山本人の分というのは見当たらないので、今回は『相撲求道録(現在は『横綱の品格』として復刻)』より引用致します。≪木鶏の話 わたくしが安岡正篤先生にお近づきになりましたのは、神戸の友人中谷清一氏の引き合わせによるものでした。 中谷清一氏のお父さんは証券業者で、神戸の商工会議所の会頭までされた、あちらではかなり著名な実業家でありましたが、かねて父子ともに安岡先生の熱心な傾倒者で、そんなところから先生と私との御縁も結ばれたわけです。 東京で先生にはじめてお目にかかったのは、たしか私の大関時代であったかと思います。先生にはそれからしばらくお会いする機会があり、そのたびごとにいろいろなお話を承ったわけですが、もともと学校らしい学校にもいっていないわたくしとしては、先生のようなすぐれた方に親炙する機会に恵まれましたことは、このうえもなくありがたいことで、わたしくはそういうさいには、含蓄のふかい先生のお話に耳を傾けるよう心がけてきました。御自身がそれを意識していられたか、どうかはわかりませんが、先生もわたくしのために、なにくれとなく、よいお話をしてくだされ、酒席のそれでも、なんとなく体にしみいるような感じでありました。先生のお話によって、人間として、力士としての心構えのうえに影響をこうむったことはすくなくなく、こころの悩みもおのずから開けてゆく思いを禁じえなかったのです。 先生にうかがったお話の中に、中国の『荘子』や『列子』などいう古典にでてくる寓話「木鶏の話」というのがあって、それは修行中のわたしの魂につよく印象づけられたものですが、承ったその話というのは、だいたい次のような物語なのです。「そのむかし、闘鶏飼いの名人に紀渻子という男があったが、あるとき、さる王に頼まれてその鶏を飼うことになった。十日ほどして王が、 “もう使えるか”ときくと、彼は、 “空威張りの最中で駄目です”という。さらに十日もたって督促すると、彼は、 “まだ駄目です、敵の声や姿に昂奮します”と答える。それからまた十日すぎて、三たびめの催促をうけたが、彼は、 “まだまだ駄目です。敵をみると何を此奴がと見下すところがあります”といって、容易に頭をたてに振らない。それからさらに十日たって彼はようやくつぎのように告げて、王の鶏が闘鶏として完成の域に達したことを肯定したというのである。 “どうにかよろしい。いかなる敵にも無心です。ちょっとみると、木鶏(木で作った鶏)のようです。徳が充実しました。まさに天下無敵です。” 」 これはかねて勝負の世界に生きるわたくしにとっては実に得がたい教訓でありました。わたくしも心ひそかに、この物語にある「木鶏」のようにありたい――その境地にいくらかでも近づきたいと心がけましたが、それはわたしどもにとって、実に容易なからぬことで、ついに「木鶏」の域にいたることができず、まことにお恥ずかしいかぎりです。 安岡正篤先生から、わたくしの現役時代に、次のような御自作の漢詩二つを、相前後して頂戴したことがあります。過褒あたらず、衷心より恐縮にたえなかった次第ですが、これというのも偏に、わたくしの志を鞭撻しようとの思召しから出ずるもので、今日なお感激の念いを禁じえないところです。 万千鑽仰独深沈 万千の鑽仰ひとり深沈 柳緑花紅未惹心 柳緑花紅いまだ心を惹かず 胸裏更無存他意 胸裏さらに他意の存するなし 一腔熱血報知音 一腔の熱血知音に報ず 百戦勝来猶未奇 百戦勝ちて来つてなほ未だ奇とせず 如今喜得木雞姿 如今喜び得たり木雞の姿 誰知千喚万呼裡 誰か知らん千喚万呼の裡 独想悠々濯足時 独り想ふ悠々足を濯ふの時 わたしが昭和十四年の一月場所で安芸ノ海に敗れましたとき、酒井忠正氏と一夕をともにする機会にめぐまれ、北海道巡業中にとった十六ミリ映画をお目にかけたりなどして、静かなひとときを過ごすことができました。氏はその夜のわたくしを、「明鏡止水、淡々たる態度をみせた...」(酒井忠正氏著『相撲随筆』)云々と形容しておられますけれども、当のわたしにしてみれば、なかなかもってそれどころではありません。「木鶏」たらんと努力してきたことは事実だとしても、現実には容易に「木鶏」たりえない自分であることを、自証せざるを得なかったのです。かねてわたしの友人であり、また安岡先生の門下である神戸の中谷清一氏や四国の竹葉秀雄氏にあてて、 「イマダ モッケイタリエズ フタバ」 と打電しましたのは、当時のわたくしの偽りない心情の告白でありました。わたくしのこの電報はただちに中谷氏によって取次がれたものとみえて、外遊途上にあらわれた安岡先生のお手もとにもとどいた由、船のボーイは電文の意味がよく呑みこめないので、 「誤りがあるのではないだろうか」と訝りながら、先生にお届けしたところ、先生は一読して、 「いや、これでよい」といって肯かれたということを、後になって伝えきいたような次第です。(以上 双葉山定次著『相撲求道録』「交わりの世界」より≫・・・前回、江戸時代に書かれた『田舎荘子』での「木鶏」のアレンジ「木猫(木にて作りたる猫のごとし)」を引用しましたが、剣道と相撲道の違いはあれど、道は一つということです。≪「我隣郷に猫あり。終日眠り居て、気勢なし。木にて作りたる猫のごとし。人其鼠をとりたるを見ず。然共彼猫の至る所、近辺に鼠なし。所をかへても然り。我往て其故を問。彼猫答へず。四度問へども、四度答へず。答へざるにはあらず、答へる所をしらざる也。是を以知ぬ、知るものはいはず、いふものはしらざることを。彼猫は、をのれを忘れて、物を忘れて、無物に帰す。神武にして、不殺といふものなり。我また彼に及ばざる事遠し。」≫参照:『田舎荘子』より「猫の妙術」。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5135/今日はこの辺で。
2012.10.23
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昨日はあれから、9時に帰宅。どうも、最近疲れが溜まってしまって、頭も思うように動いてくれない。下半身は言うまでもないが・・。少しは気分転換のためにも、いろいろと好きなことをしたいとは思うのだけど、まだまだ余裕ナシ。ただ、8月までにバイトを復活させないと、生活が苦しい。いろいろ考えていくうちに、「一日いくらかでも好きな時間を作らんといかん!」と結論。最近控えていたビールと焼酎。さらにはビデオを借りてくる。さらにはテキトーに本を買って。いいのかな~。とは思うが、ま、今まで我慢しすぎた。のんびりしようということで。借りてきたビデオは「アイアン・ジャイアント」、「戦場のピアニスト」、「ZZ」「チャーリーズエンジェル」の2。にっかつロマンポルノの女優たちがママさんバレーをやるという、「ママズ・アタック」。竹内力主演の「岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説 番長足球」にもかなり惹かれたんだけどね。どうも、偏っているな。とりあえず、「E.T.」の頃から想像もできない成長を果たしたドリュー・バリモア目当てに「フル・スロットル」を。こういう作品は、ただぼ~っと観ていれば良いわけで楽。しかも、何にも残らないところが良い。ただし、ホントに何も残らないのも考えもの。歳を隠せなくなったデミー・ムーアの筋肉質な肉体に萎え。引き締まればいいってもんでもないな。で、それから100円で買った「江戸むらさき」。昔、スピリッツに連載されていてたもので、一時期単行本を読んだことがある。設定は時代劇パロディのギャグ漫画なんだけども。ま、基本は「うっかり八兵衛」いじり。なんで、あいつは黄門様一行についていく必要があるのか?というのは、よくよく考えるとおかしい。ちょっと調べてみると、基本的には「黄門様の身の回りの世話」「ムードメーカー」「弥七には及ばないが、盗人としての技術」を買われたものらしい。なるほど、だから「弥七」のことを「兄貴」と呼ぶのか。毎回団子をのどに詰まらせるか、「待ってくださいよ~。ご隠居~。」くらいしかセリフがないような気もしていたが。ちょっと見直す。しかし、いつの間にか「うっかり八兵衛」って、いなくなっていたのね。これが一番のオドロキ。最近はまったく見ていないからな~。番組の宣伝で大爆破とかのシーンをやっていたけれど、これが水戸黄門かよ?と見違えるほどの変わり様。世の中変わったもんだな。逞しいしな。今の黄門様は。12時就寝。8時半起床。今日は家でいろいろと。選挙がやばいということで、曽我さんの再開前倒し。インドネシア、今総選挙中なのに、迷惑じゃないの?デヴィ婦人を久しぶりに見る。そういえば、彼女がいましたな~。しかし、今回は今までと違って、予想の範囲内だし、意外と逆効果かも知れん。結局のところ、小泉内閣というのは、世論に敏感に反応することこそ真骨頂。人気取りこそ、小泉内閣の背骨であった。ところが、今回は却って見え透いていて、国民をバカにし過ぎではなかろうか。これで、もし曽我さんが、家族とともにインドネシアで定住すると言ってしまえば、これで終わり。むしろ、内閣ごと潰してしまったほうが、拉致問題は進展する可能性すらある。将軍様の思惑にまんまとはまって、自民党入れるのかな~。昼過ぎに外出。今日は遠出して、社会保険事務所へ。年金の免除申請へ。世の中、年金で揺れておるけれども、結構静か。面白いのは、この前来たときよりも、態度が格段に良いということ。やっぱり、いろいろ言われたんだろうね~。で、今に到る。
2004.07.05
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今日はまず、『スター・ウォーズ エピソード1 ファントムメナス(PHANTOM MENACE 1999)』から。クワイ=ガン・ジン(Qui-Gon Jinn)が、幼き日のアナキン・スカイウォーカー(Anakin Skywalker)に教えを授けるシーン。Qui-Gon Jinn: Remember, concentrate on the moment. Feel, don't think.Use your instincts. (憶えておけ。この瞬間に集中しろ。感じろ。考えるな。自分の直感を働かせるんだ。)参照:Remember, concentrate on the moment. Feel, don't think https://www.youtube.com/watch?v=l-UHYdJ6Q8M次は、『燃えよドラゴン(Enter the Dragon 1973)』から。“Don't think! Feel! It is like a finger pointing away to the moon. Don't consentrate on the finger,or you will miss all that heavenly glory.”(考えるな!感じろ! それは月を指す指のようなものだ。 指に注意を向けるな、そんなことでは天の輝きを見失ってしまうぞ。)参照:Finger Pointing to the Moon - Bruce Leehttp://www.youtube.com/watch?v=sDW6vkuqGLg クワイ=ガンもリーも共に「集中すること」について、“Don't think(考えるな)”と“Feel (感じろ)”と同じ言葉を使っています。もちろん、映画史上に残る名作『燃えよドラゴン』の有名なセリフを『スター・ウォーズ』のスタッフが知らないわけがありません。これは明白なオマージュです。他にも『シスの復讐(REVENGE OF THE SITH 2005)』で、ヨーダが素手になったときに、左手で小さく相手を誘う仕草をするのも、ブルース・リーの影響を示唆しています。参照:Star Wars - Yoda vs. Palpatine HD qualityhttps://www.youtube.com/watch?v=9DI8kkR9G0Qスター・ウォーズ・シリーズは、エピソード1に戻った際に、殺陣も、日本の武術の動きから、中国武術のそれに移行しています。明白な例としては、ダース・モール(Darth Maul)でして、俳優のレイ・パークはブルース・リーに影響を受けて、幼い頃から中国武術を学んだ、北少林寺の棍術の使い手です。動きを見るだけでも、他の俳優との力量の差が歴然としています。(ちなみに、これまた細かいですが、オビ=ワンの動きが格段に良くなる直前の身体の上下運動は『ドラゴンへの道(The Way of the Dragon 1972)』からでしょう。)エピソード1に登場するジェダイ、クワイ=ガン・ジン(Qui-Gon Jinn)も、わざとらしいくらい東洋的なキャラクターで、戦闘の合間に瞑想をするシーンなどは、その典型といえます。 参照:Obi Wan & Qui Gon Ginn Vs Darth Maul HD 1080p https://www.youtube.com/watch?v=yHqdESArkqUブルース・リーの思想は、もともと道教(特に老荘思想)と禅仏教に軸足を置いています。スター・ウォーズ・シリーズも、同様にこれらの思想の影響がありまして、ちょっと掘り下げるだけでも、同じ泉に突き当たります。参照:ブルース・リーと東洋の思想 その1。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5180/マスター・ヨーダと老荘思想 その1。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5025/さらに言うと、クワイ=ガン・ジン(Qui-Gon Jinn)の名前の「クワイ=ガン(Qui-Gon)」の由来は「気功(Qi-gong)」ではないか、という有力な説があります。だとすると、「フォース(Force)」と「氣(Qi)」の関係や、ジェダイの思想と老荘思想や道教との類似性も、説明しやすくはなりますね。参照:ジェダイ(Jedi)と道教(Taoism)。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005203/スターウォーズと道教 ~フォースと氣~。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005204/『一若志、無聽之以耳而聽之以心、無聽之以心而聽之以氣。聽止於耳、心止於符。氣也者、虚而待物者也。唯道集虚。虚者、心齋也。』(『荘子』人間世 第四)→「志を一つにせよ。声を聴くのに耳ではなく心をもってせよ。そして、心ではなく【氣】をもってせよ。耳は聴くに留まり、心は知るに留まる。【氣】はすべてのものを受け入れることができる。雑念がないがゆえにすべての本質は虚にのみ集まる。無心でいるがゆえに、心斎といえるのだ。」この「氣」の性質は、セリフで説明される「フォース」のそれともよく似ています。Luke Skywalker: The Force?(「フォース」って?)Ben Kenobi: Well the Force is what gives a Jedi his power. It's an energy field created by all living things; it surrounds us, penetrates us, it binds the galaxy together.(フォースとは、ジェダイの力の源だ。それはあらゆる生き物から作り出され、われわれの周囲も包み込んでいる。そして、それは、宇宙の全てをつなぎとめているのだ。)『生也死之徒、死也生之始、孰知其紀。人之生、氣之聚也。聚則為生、散則為死。若死生為徒、吾又何患。故萬物一也。其所美者為神奇、其所惡者為臭腐。臭腐復化為神奇、神奇復化為臭腐。故曰『通天下一氣耳。』聖人故貴一。』(『荘子』知北遊 第二十三)→ 生には死が伴い、死は生の始まりである。だれがその初めと終わりを知り得よう。人の生は【氣】が集まったもの。集まれば生となり、散じれば死となる。生と死とが一体であるとすれば、私は何を思い煩うことがあろうか? 故に万物とは一つのものなのだ。人は美しく立派なものを尊び、腐って汚いものを憎む。しかし、腐って汚いものいずれは変化して、美しく立派なものとなり、かつて尊んでいたものも、やがては腐って汚いものと変化する。故に『天下は全て一つの氣の巡り』という。聖人はそこに貴賤を設けず、その「一」を貴ぶのである。後で推敲します。今日はこの辺で。
2015.12.24
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ユングと老荘思想の続き。参照:荘子と進化論 その89。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201108290000/1928年、ユングが、マンダラのような絵を描いていたときのこと。一冊の本が贈られてきました。≪私は直ちにその原稿を貪り読んだ。というのは、その論文はマンダラと中心の周りの巡行とについての私の考えに対して、思いがけない確証を与えてくれたからである。これは私の孤独を破った最初のことがらであった。私は類似性に気づき始めた。私は何ものかと、そして誰かと関係を打ち立てることができるはずだ。この偶然の一致、この「同時性」を記念して、あまりにも中国風な印象を私に与えたこの絵の下に、私は次のように記した。「1928年、この黄金色の固く守られた城の絵を描いていたとき、フランクフルトのリヒャルト・ヴィルヘルムが、黄色い城、不死の体の根源についての、一千年前の中国の本を送ってくれた。」≫(『ユング自伝』より)『太乙金華宗旨』という道教の経典。これをきっかけに、さらにユングは東洋思想の研究にのめりこんでいっています。『易経』や『老子道徳経』はもっと早い段階で入手していましたが、さらに深い理解を示すようになったのはこれ以降だと思われます。リヒャルト・ヴィルヘルム(Richard Wilhelm1873~1930)という人は、「ドイツの租借地であった青島(チンタオ)を拠点にして、キリスト教の布教活動をしていた宗教家」という肩書はあるんですが、彼は中国人に洗礼を施しませんでした。むしろ、積極的に中国文化を研究、翻訳する作業に没頭しています。(ヴィルヘルム訳のドイツ語版『論語』は、森鴎外も持っていたそうです。)『太乙金華宗旨』をユングに贈った頃には、リヒャルト・ヴィルヘルムは、フランクフルト大学で教鞭をとっていました。(ちなみに、ハイデガーが『存在と時間』を発表したのが1925年です。)参照:ハイデガーと荘子 その3。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5022ピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker1909~2005)は、そんな時代の数少ない証人です。≪そうした遥か昔の頃には、日本やましてその文化について、ヨーロッパではほとんど何も知られていなかった。中国への関心は大きかった。たとえば、ロンドンにおける「私の発見」の数年前に学生として又若手のジャーナリストとして、ドイツのフランクフルトに住んでいた頃、私はその当時の偉大な中国研究者の一人であったリヒャルト・ヴィルヘルムが大学で清朝について行った講義にしばしば出席していた。大きな講堂はいつも満杯だった。ヨーロッパではすでに、中国美術の著名な収集家がいくつか存在していた。しかし日本の歴史に関する本は皆無であった。また、浮世絵以外の日本美術は、ヨーロッパの人々にとっては全く存在していなかったのである。私の読めるヨーロッパの言語で書かれた日本に関するものはほとんど無く、まして日本の美術について読んだり眺めたりできるものはもっと少なかった。≫『「私達の」日本美術』より ピーター・F・ドラッカー)・・・受けていたんですよね。この人。ヴィルヘルムの授業を。参照:『論語』と『荘子』のドラッカー。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5078で、鈴木大拙(1870~1966)です。日本以外では“Daisetsu Teitaro Suzuki”で“D.T.Suzuki”と表記されることが多いです。日本の禅仏教の紹介者であり、「東洋の心」を指し示せた数少ない日本人。釈宗演や西田幾多郎との間柄、漱石の『門』で「羅漢のような居士」のモデルでもあったりと、日本国内でも話題には事欠かない人ですが、彼の世界的な影響というのは、壮観の一言です。参照:A ZEN LIFE - D.T. Suzuki (Excerpt) http://www.youtube.com/watch?v=RVp9i4QIUUUWikipdeia D.T. Suzukihttp://en.wikipedia.org/wiki/D.T._Suzuki≪禅仏教についての大拙・鈴木貞太郎(Daisetz Teitaro Suzuki)の諸著作は、現代仏教に関する知識を世界に広めた最近10年ほどの著作の中では、最も優れたものに数えられる。また禅そのものはパーリ語聖典の集まりに根をもつ仏教という大木から生じた枝の中でも、最も重要なものの一つである。われわれは、まず第一に、著者が禅を西洋人に近づけてくれたことに対して、第二に、彼がこの課題を果たすに当たって示したすぐれたやり方に対して、いくら感謝してもしきれないほどである。東洋の宗教的な諸観念は、ふつう、われわれ西洋のものとは非常にちがっているので、単なる言葉の翻訳でさえ、しばしば非常な困難にぶつかる。特殊な概念の意味する内容は、場合によっては、翻訳だのしないままにしておく方がいいくらいである。たとえば、どんなヨーロッパ語への翻訳もうまくできかねる中国の「道(Tao)」という言葉を思い出してもらうだけでも、このことは明らかだろう。もともと原始仏教の経典そのものが、ヨーロッパ人の理解力には全く分かりにくいものの見方や概念を含んでいるのである。たとえば、原始仏教で言う「業(Kamma サンスクリット語はKarma)」という概念の意味する内容について、何か完全に明晰な内容を思い浮かべたり、あるいは考えることができるようになるまでには、一体どれほど精神的(あるいは風土的)な前提や準備が必要か、とても見当がつかないくらいである。私が禅というものについて知っている全てに従っていうと、ここでもやはり超えることのできない異質さをもった、一つの中心的な考え方が問題になってくる。この独特な観念は「悟りSatori」とよばれ、ドイツ語ではErleuchtung(明るくすること、照明、開悟、神来)と訳される。「悟りは禅の存在理由(レゾン・デートル)である。悟りなくして禅は禅ではない。」と鈴木は言っている。西洋の神秘主義者が「開悟」Erleuchtungという言葉によって理解しているもの、もしくは宗教的意味でそのように呼ばれている内容について把握することは、西洋の悟性にとってもそれほど困難なものではないかもしれない。しかしながら、東洋の「悟り」は、ヨーロッパ人にとっては、追求することがほとんど不可能な、特殊な種類とやり方による開悟なのである。≫(「禅の瞑想」『ユング心理学選書 東洋的瞑想の心理学』創元社より)これは、ユングが鈴木大拙の「禅仏教入門」のドイツ語版の序文に寄せたものでして、現在は英語版にも転載されているようです(英語版は1934年、ドイツ語版は1939年)。参照:Wikipedia An Introduction to Zen Buddhismhttp://en.wikipedia.org/wiki/An_Introduction_to_Zen_Buddhismインドから中国へ仏教が伝来したときに、老荘思想の観念が取り入れられたことと、仏教が中国化していく過程で老荘の哲学的な部分を取り入れた結果として、禅と浄土は老荘思想の影響を色濃く残しています。また、鈴木大拙は、『老子道徳経』の英訳のためにポール・ケーラス(Paul Carus 1852~1919)に招かれた方だという土壌もありまして、老子の西洋での人気を知っておりますし、西洋に発信する場合にも、東洋のこころを体現するものとして、老荘思想を織り交ぜながら禅を説明しています。ユングもこれを非常に強く意識しています。参照:アバター(AVATAR)と荘子と鈴木大拙。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5044参照:Jackie Chan vs Jet Li in The Forbidden Kingdom (Full fight scene in High Quality) http://www.youtube.com/watch?v=kzwaqN2-JjA仙人と坊さんに、区別のつかない部分があるんですよ。 河合隼雄さんの『ユング心理学と仏教』で、『ユングの生涯とタオ』の著者、デイヴィッド・ローゼンと河合隼雄さんとの書簡のやりとりがなされています。ローゼンが最初に 「底の石 動いて見ゆる 清水哉」と漱石の俳句を引用しているのも、鈴木大拙の『禅と日本文化』にある「禅と俳句」を意識してのことでしょう。 『ユング心理学と仏教』には、ユング研究所で禅の十牛図を使っているマーヴィン・スピーゲルマンというユンギアンも出てきます。これは、ユングがセルフの概念を提唱する際や、心理療法活用に際して、タオだけでなく禅からも取り入れている結果だと思われます。ユングに関係する人は特に老荘→禅ルートで思考する人が多いです。両極から無極へ至る思考があるんです。参照:Wikipedia 十牛図http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%89%9B%E5%9B%B3ピーター・ドラッカーの、禅を基軸にした日本人論は明らかに鈴木大拙のの影響が見られますし、ドラッカー夫妻が、日本の山水画や禅画を集めた山荘コレクション(Sanso collection)の趣味も鈴木大拙の『禅と日本文化』に触発されたものでしょう。『禅とは、西洋的な意味における哲学(Philosophie)でないところのすべてのものである。』(同上 C.G.ユングの言葉)今日はこの辺で。
2011.09.04
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ブルース・リーと荘子のつづき。参照:ブルース・リーと荘子。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005184/今回も『グンフーへの道(中国武道の研究)』から≪慈悲の女神、観音は、ときとして、それぞれが別の道具をもった千本腕の女神として描かれる。彼女の心が、たとえば剣を使うことだけにとらわれてしまったら、数にして999本におよぶそれ以外の腕は、まったく何の役にも立たなくなる。心が1本の腕の使い方にとらわれず、ひとつの道具から次の道具へと移りゆくことによってのみ、その腕のすべてが、最大の効率とともに、有用たることが可能になるのである。 たとえばわたしが木を見るとき、葉の1枚が赤いことに知覚すると、私の心はその葉にとらわれてしまう。こうなると、わたしには1枚の葉しか見えず、ほかの無数の葉はいつまでたっても目に入らない。もし、自分の注意を1枚の葉だけに向けるのではなく、なんの先入観ももたずに木を見れば、すべての葉が見えるだろう。たった1枚の葉がわたしの心を足止めし、残りのすべてを見えなくしてしまうのだ。しかし、心が立ち止まることなく進んでいけば、間違いなく何万枚もの葉を目にできるだろう。 それゆえ、一瞬でも立ち止まったとたん、あなたの心はもはやあなたのものではなくなり、他者のコントロール下に置かれてしまう。心がすばやく動くための計算をはじめたら、その考えそのものに、心が支配されてしまうのだ。チーサオを完璧に究めれば、身体と四肢は心からの干渉ぬきで、おのずと各部位に割りふられた動きをするようになる。テクニカルな技術が完全に自動化されているため、意識的な努力とはまったく無縁でいられるのだ。≫(ブルース・リー著・奥田祐二訳『グンフーへの道(中国武道の研究)』より)ブルース・リーが、詠春拳の黐手(チーサオ)のプログラムの中で説いている箇所で、同時に「不動智」について記述しています。ブルース・リーは「不動智」について別の書物でこう記しています。≪不動の智慧(prana) 不動の智慧は、まどいを粉砕する。動かないということは、目に入ってくる対象に「留まらない」ことを意味する。「一心」。「非断定。」≫(ブルース・リー著・奥田祐士訳『截拳道』「ブルース・リーの格闘哲学」より) この出典は、沢庵禅師が柳生宗矩に送った『不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)』から。剣禅一如という境地をあらわした、簡潔ながらも内容の濃い書物です。塚原卜伝、宮本武蔵ときて、今度は柳生の剣と移ります。武蔵の『五輪書』も、沢庵禅師の『不動智神妙録』も同じ寛永年間に記されたもので、「石火」「無念無相」「拍子」「空」などの用語の使われ方もそうですし、内容も似ています。その下地にある思想は同一のものでしょう。参照:Wikipedia 不動智神妙録http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8B%95%E6%99%BA%E7%A5%9E%E5%A6%99%E9%8C%B2ブルース・リーと東洋の思想 その4。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5183/ちなみに、沢庵禅師も「水のたとえ」を説きます。≪たとへば本心は水の如く一所に留らず、妄心は氷の如くにて、氷にては手も頭も洗はれ不レ申候。氷を解かして水と為し何所へも流れるやうにして、手足をも何をも洗ふべし。心一所に固り一事に留り候へば、氷固りて自由に使はれ申さず、氷にて手足の洗はれぬ如くにて候。心を溶かして総身へ水の延びるやうに用ゐ、其所に遣りたきままに遣りて使ひ候。是を本心と申し候。(沢庵宗彭『不動智神妙録』本心妄心)≫参照:「如水」の由来と諸子百家。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5179/おそらく、ブルース・リーが『不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)』に最初に触れたのは、鈴木大拙の『禅と日本文化(Zen and Japanese Culture)』の英語版であろうと思われます。≪千手観音とて、手が千御入り候はば、弓を取る手に心が止まらば、九百九十九の手は皆用に立ち申す間敷、一所に心を止めぬにより、手が皆用に立つなり。観音とて、身一つに千の手が何しに可レ有候、不動智が開け候へば、身に手が千有りても皆用に立つと云ふ事を、人に示さんが為めに作りたる容にて候。假令一本の木に向ふて其の内の赤き葉一つ見て居れば、残りの葉は見えぬなり。葉ひとつに目をかけづして、一本の木に何心もなく打ち向ひ候へば、数多の葉残らず目に見え候。葉一つに心をとられ候はば、残りの葉は見えず、一つに心を止めぬば、百千の葉みな見え申し候。是を得心したる人は、即ち千手千眼の観音にて候。然るを一向の凡夫は、唯一筋に、身一つに千の眼が何しにあるらん、虚言よと破り讒る也。今少し能く知れば、凡夫の信ずるにても破るにてもなく、道理の上にて尊信し、佛法はよく一物にして其理を顴す事にて候。諸道ともに斯様のものにて候。神道は別して其道と見及び候。有の儘に思ふも凡夫、又打破れな猶悪し、其内に道理有る事にて候。此道彼道さま/\〃に候へども、極所は落着候。扨初心の地より修行して不動智の位に至れば、立帰て住地の初心の位へ落つべき子細御入り候。貴殿の兵法にて可レ申候。初心は身に持つ太刀の構も何も知らぬものなれば、身に心の止まる事もなし、人が打ち候へば、つひ取合ふばかりにて、何の心もなし。然る處にさま/\〃の事を習ひ、身に持つ太刀の取様、心の置所、いろ/\の事を教へぬれば、色々の處に心が止まり、人を打たんとすれば、兎や角して殊の外不自由なる事、日を重ね年月をかさね稽古をするに従ひ、彼は身の構も太刀の取様も、皆心のなくなりて、唯最初の何もしらず習はぬ時の心の様になる也、是れ初と終と同じやうなる心持にて、一から十までかぞへまはせば、一と十と隣になり申し候。調子なども、一の初の低き一をかぞへて上無と申す高き調子へ行き候へば、一の下と一の上とは隣りに候・・・(原註)この事は私に百足の話を思い出させる。百足が、どうしてそんなにたくさんの脚を、一時にそろえて動かすことができるのか、と尋ねられた時、その問いが百足を「止め」て、それについて考えさせた。この「止る」ことを考えることが、脚の間に大混乱を起して、めいめい勝手に動こうとした。百足はそれで命を失った。荘子の渾沌の話も、これにかんして、はなはだ興味があろう。≫(鈴木大拙著・北川桃雄訳『禅と日本文化』「第四章 禅と剣道」より)このくだりは『荘子』とも両行するため、『不動智神妙録』の注釈にあえて『荘子』を入れています。もちろん、荘子の場合、同じ命題に関して、千手観音で喩えることはありません。彼の場合は、千の手よりも百の足の方です。『夔憐蚿、蚿憐蛇、蛇憐風、風憐目、目憐心。 夔謂蚿曰「吾以一足趻踔而行、予無如矣。今子之使萬足、獨奈何?」蚿曰「不然。子不見夫唾者乎?噴則大者如珠、小者如霧、雜而下者不可勝數也。今予動吾天機、而不知其所以然。」 蚿謂蛇曰「吾以衆足行、而不及子之無足、何也?」蛇曰「夫天機之所動、何可易邪?吾安用足哉。」』(『荘子』秋水 第十七) →夔(キ)は蚿(ムカデ)を羨み、蚿は蛇を羨み、蛇は風を羨み、風は目を羨み、目は心を羨む。 夔は蚿にいわく「私は一本足でぴょんぴょん進むばかりだが、あなたにはそうではない。あなたは今たくさんの足を使って歩いているけど、どうしているんです?」蚿(ムカデ)いわく「そうではない。あなたは人がツバというもの噴くのを見たことがあるかい?噴きだされると大きなものは珠のようであり、小さなものは霧のようだ。ツバ一つをとっても、数え切れないほど様々な形があるものさ。私の足の多さも、その様々な違いの一つだろう。天分というものに従って生きているのだから、どうしてこうなっているのかなんて、分からないんだ。」 蚿(ムカデ)が蛇にいわく「私には無数の足があるのに、足のないあなたに及ばないのはなぜなんだろう?」 蛇いわく「私も天分によって動いているだけで、自分の都合で変えることはできないんだよ。足がないからこうやって動いているだけで、これが私にとっての当たり前なのさ。」『且子獨不聞壽陵餘子之學行於邯鄲與?未得國能、又失其故行矣、直匍匐而歸耳。』(『荘子』秋水 第十七)→あなたは、寿陵の若者が邯鄲の都に歩き方を学びに行った話を聞いたことがないかね?その若者は、はやりの歩き方を学ぶことも半端なまま、本来の歩き方すら忘れて、這いずりながら故郷の寿陵に帰ったそうだ。・・・ブルース・リーが日本の書物を引用する場合、必ずと言っていいほど中国の思想の裏打ちのあるものから引っ張ってきます。おさらい。参照:Jedi Master Kit Fisto vs General Grievous http://www.youtube.com/watch?v=R-t9GlT9qmkObi-Wan Kenobi vs General Grievous http://www.youtube.com/watch?v=7oGf-a1Dqlc≪ムカデの話 マーシャルアーティストが求める流動性をもっともうまく描き出しているのが、このムカデの話だ。たくさんの足をもつこの生き物は、それだけの足を使ってどうやって歩いているのか、と質問された。足を止めて、日々の動きをどうまかなっているのか考えはじめたとたん、そのムカデは足をもつれさせて転んでしまった。だから人生は、ナチュラルなプロセスでなければならず、精神の進歩が人生の自然な流れのバランスをくずすようなことがあってはならないのだ。≫(『截拳道』「ブルース・リーの格闘哲学」より)今日はこの辺で。
2013.12.23
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この前、「タモリ倶楽部」でやっていた、「合理的な秋刀魚の食べ方」に感動して、実際にやってみた。今年はサンマの重さで、漁船が動けなくなったほど豊漁なので、今でも安くて美味い。魚屋に並ぶサンマも驚くほど活きがいい。目つきが違いますよ。残酷なようだけど「食べないで!」と訴えるような目をしている秋刀魚が一番美味い。「どうにでもすれば」と諦めているヤツは口説いてもつまらん(笑)。で、まずは塩をふっておいて、10分ほど寝かせてから表裏を5分焼く。焼いている間に大根おろしをしゃりしゃりと。はい、焼き上がり。脂ものっているし、新鮮なので、はらわたを味わうためにも焼きすぎないのが大事。正式な作法によると、焼き魚は左側の腹からいただくらしいのだけど、それがどうした!大衆魚を食う時に作法もへってくれもあるか!「合理的な秋刀魚の食べ方」というのは、板前さんが食事をする時に、5分くらいで朝食をかきこまないといけないので、できるだけ早く秋刀魚を食べるために考案されたものらしい。したがって、食べる前の段階で面倒な手順を全てやり終えてしまう。骨と身をより分けたり、表裏をひっくり返したりする作業の手間を全てカットしたもの。最後は食べるだけ。まず、お皿をくるっと反転させます。そして、おもむろに、箸の先で後頭部をブスリと。人間で言うと頭蓋骨の後ろ。ツボで有名な「ぼんのくぼ」の辺りを狙ってブスリと刺す。ここで重要なのは、刺した後にサンマの背骨をきちんと探り当てておくこと。で、 刺した箸をぐぐぐぐぐと尾の方へスライドさせる。三枚おろしと同じ要領。はい、これで、パカリとご開帳。この画がちょっとグロだけども、そこは目を瞑ってください。背骨もスッキリ取れてしまう。しかも、内部からだと面倒な小骨もポロポロ取れる。師匠曰く、体の中心線に沿って掬うようにすると取れるとのこと。要は肋骨をはいでしまうということか。そして、 大根おろしと、ポン酢を豪快にどぼぼぼぼ。食べる時に面倒なので、もう一度蓋を閉める。はい、身とはらわたと大根とポン酢が渾然一体となった完全なサンマの出来上がり♪石田靖曰く「恵方巻きみたいに手で食える」秋刀魚。ちまちましたことは一切なく、全部がぶりと食えるわけです。しかも脂身とはらわたを一気に食らうと、「これが本来の秋刀魚の味!」と唸らせるほどのハーモニー。個別に食うもんじゃないんですよ。まとめてがぶっと食らいつくのが正しい魚の食い方なんですな。感動した!これも民営化だね!まずは、この辺で。
2007.12.10
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再び、ヨーダ(Yoda)と荘子(Zhuangzi)について。参照:当ブログ 荘子と進化論 その21。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/200910090000/ヨーダの登場場面の中でも、深い印象を与えるのが、エピソード5での、Xウィングを持ち上げるシーンです。参照:YouTube Yoda Wisdomhttp://www.youtube.com/watch?v=PcjnbIF1yAAこの中のヨーダのセリフは、まさに荘子でして、面白いんですよ。というわけで、ウーキーペディアの、Quote:Yodaから引用致します。参照:Wookieepedia Quote:Yodahttp://starwars.wikia.com/wiki/Quote:YodaYoda:"No! Try not. Do. Or do not. There is no try."(違う!やってみるのではない。やるか、やらないか、あるのはそれだけじゃ!)・・・このセリフについて、日本人には、『徒然草』の「ある人、弓射ることを習ふに」第九十二段の方が分かりやすいですね。「ある人、弓射る事を習ふに、諸矢をたばさみて、的に向かふ。師のいはく、「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。後の矢を頼みて、初めの矢になおざりの心あり。毎度ただ得矢なく、この一矢にさだむべしと思へ」といふ。わずかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。懈怠の心、みずからの前にて一つをおろそかにせんと思はんや。 懈怠の心、みずから知らずといえども、師これを知る。このいましめ、万事にわたるべし。 道を学する人、夕には朝あらん事を思ひ、朝には夕あらんことを思ひて、かさねてねんごろに修せむことを期す。いわんや、一刹那のうちにおいて、懈怠の心ある事を知らんや。 何ぞ、ただ今の一念において、直ちにすることの甚だ難き。」(『徒然草』第九十二段)>「二本目の矢があるなどと思うな。次の矢があることに頼んで一本目をなおざりにしてしまう。当たった外れたなどと考えずに、この一本に集中せよ。」という部分。There is no tryでしょ?これの元ネタは、「荘子」の達生篇にあります。「以瓦注者巧、以鈎注者憚、以黄金注者昏。其巧一也、而有所矜。則重外也。凡外重者内拙。」(『荘子』達生第十九)→弓で賭け事をやるとき、ガラクタを賭けているならば上手く当たり、帯鉤を賭けていると当たりにくくなる。ましてや、黄金を賭けるとなると、周りすら見えなくなっているだろう。技量が同じであっても、賭けたものの価値に気を取られるからだ。外のことに気を取られて内のことが疎かになってしまうのだ。・・・この部分は「水を恐れずに、巧みに船を操る船乗りの心」の話の後半に出ます。いわゆる「雑念を払い」「無心でいること」の大切さを語る箇所です。吉田兼好という人は、『徒然草』の「文は、文選のあはれなる巻々、白氏文集、老子のことば、南華の篇。この国の博士どもの書ける物も、いにしへのは、あはれなること多かり。」と13段にもあるように、荘子の影響を多分に受けています。もちろん兼好法師は日本流のアレンジをいれています。ちなみに、「ある人、弓射ることを習ふに」の次の第九十三段は死の覚悟についてのお話です。Yoda:"For my ally is the Force. And a powerful ally it is. Life creates it, makes it grow. The force surrounds us and binds us. Luminous beings are we not this crude matter. You must feel the Force around you. Here, between you, me, the tree, the rock...everywhere! Even between the land and the ship." (ワシにはフォースがついておる。頼もしい味方じゃ。生命がそれを創り出し、育てる。そのエナジーが我々を包み込み、同時に繋いでくれておる。我々は偉大な存在・・・こんな粗末なもの(肉体)などではないぞ。自分を包んでいるフォースを感じるのじゃ。ここにも・・お主とワシの間にも・・木々にも・・あの岩にも・・あらゆる場所にじゃ!そう、そしてこの大地と戦闘機の間にもな。)ここは、『荘子』の知北遊篇にあります。「是天地之委形也、生非汝有、是天地之委和也」(『荘子』知北遊第二十二)→お前の肉体はお前の物ではない。これは、天地の気が集まってできた借り物なのだ。東郭子問於荘子曰「所謂道、悪乎在。」荘子曰「無所不在。」東郭子曰「期而後可。」荘子曰「在螻蟻。」曰「何其下邪。」曰在悌稗。曰「何其愈下邪。」曰「在瓦甓。」曰「何其愈甚邪。」曰「在屎溺。」東郭子不應。(『荘子』知北遊第二十二)→東郭子は荘子に「その偉大なる道(Tao)とやらはどこにあるのです?」と問うた。荘子曰く「道(tao)の無い場所なんて無いよ。」東郭子曰く「もう少し分かりやすいたとえはないかね?」荘子曰く「アリやオケラにも道(tao)はあるよ。」曰く「そんな下卑た生き物にもか?」曰く「ノビエや稗(ひえ)にもあるよ。」曰く「そんな粗末な物にもか?」曰く「瓦にだってあるよ。」曰く「もう落ちるところまで落ちているな。」曰く「大便や小便にもあるよ」東郭子は呆れて言葉を失った。ルークがヨーダの言葉に呆れるシーンと良く似ています。・・・この荘子の言葉はいろんなところに波及しまして、おそらく、「山川草木悉皆成仏」も道元の「草木国土これ心なり。心なるが故に衆生なり。衆生なるが故に仏性有り。」(正法眼蔵)も、この荘子の言葉の延長だと思われます。ありとあらゆるものに、宇宙の原理である「道(tao)」が存在し、同じように「仏(bodhi)」が存在する。ヨーダの場合には「フォース(force)」に置き換えられていると思うのです。そして、「在屎溺」。これもすごい。「仏とは何か?」と問われた雲門文偃が「仏とは乾屎蕨(かんしけつ・本来は蕨は木+厥)」・・つまり「くそかきべら」である、という禅の有名な答えがあるんですが、それですよね。「ち○ち○」の後に「う○こ」。対幼稚園児用・万能ギャグネタでありますが(笑)、人間が本来汚いものと認識しているものを受け入れるっていうのは、重要なことなんです。清潔なものばかり珍重するが故に文明的である、とは限りません。「故萬物一也、是其所美者為神奇、其所惡者為臭腐、臭腐復化為神奇、神奇復化為臭腐。故曰「通天下一氣耳。」聖人故貴一」(『荘子』知北遊第二十二)→故に、万物は一つなのだ。人は素晴らしい生命ばかりを尊び、腐って汚くなったものを憎む。しかし、腐った物のなかから新たな生命が生まれ、その生命はまた腐っていく。だから、天下を通して一つの気であり、聖人はその一つであることを尊ぶものだ。・・ヨーダのいるダゴバ星系のシーンでは泥にまみれるシーンが多くあります。「エピソード1」でもジャージャーがウ○コを踏んだり、ジャバ・ザ・ハットのゲテモノ食いのシーンとかは、道教思想の色濃い香港映画とかに見られる、不潔な描写を連想させるんです。綺麗だの汚いだの、役に立つだの、役に立たないだのという価値観が、世界を狭くさせることもあると思います。先週の新聞にありました。■パンダのふんで生ごみ分解 日本人にイグ・ノーベル賞■【ワシントン=勝田敏彦】ユーモアにあふれた科学研究などに贈られる「イグ・ノーベル賞」の授賞式が1日、ボストン近郊のハーバード大であった。パンダのふんから抽出した細菌を使って台所の生ごみを分解、9割減量する研究で、北里大の田口文章名誉教授と共同研究者2人が生物学賞を受賞した。 授賞式に出席した田口名誉教授は「パンダは見かけもユーモラスだが、ふんもほかの動物のふんとはかなり違う。主食のササがほとんど消化されずに出てくるので、実は悪臭はない。実験はとても美しいのです」とユーモアたっぷりに英語であいさつした。 (以上asahi.comより引用)・・・思い込みから抜け出ると、世界が広くなるのです。Yoda:"So certain are you. Always with you it cannot be done. Hear you nothing that I say?"(お主はすぐに決め付けおる。泣き言ばかりじゃ。私の言うことを聴いておるのか?)Yoda:"No. No different. Only different in your mind."(違わぬ。お主がそう思い込んでいるだけじゃ。)Yoda:"That is why you fail." (だから失敗したのじゃよ。)・・・思い込みを捨てるとか、既成概念を越えるとかなんとか、もうそんなのは『荘子』の「おはようからおやすみまで」そうです。そして、『Star Wars』において重要な言葉。Yoda:"Feel the Force."(フォースを感じるのじゃ。)これは、Bruce lee:"Don't think.Feel. It is like a finger pointing away to the moon."(頭で考えるな、身体で感じるんだ。それは月を指さすようなものだ。)参照:Youtube Finger Pointing to the Moon - Bruce Leehttp://www.youtube.com/watch?v=sDW6vkuqGLgこの、ブルース・リーの言葉と同じ意味なのでしょう。頭で考えることによって、人間の行動範囲は時間的にも空間的にも制約されます。同時に既成概念が、その制約に拍車をかけます。それに打ち克つには、身体で感じるしかない。荘子の言う、「目に見えず、形もなく、音もなく、言葉にすることのできないもの」。これは宇宙全体に行き渡っているだけでなく、個人個人にも備わっている。自分自身にある「小宇宙(道・仏・フォース)」は、「感じる」ことしかできない。方法論の一つとしてブルース・リーは「水になること」を勧めています。我々は、無意識のうちに人間が本来的に備えている能力にブレーキやリミッターをつけている、これを取り払うことで、自分自身を完成させる、という発想方法です。禅仏教においても、中国武術においても存在します。日本の武術がどこまで到達したかは、ちょっと分かりませんが。そして、ある境地に立ったとき、「自らの道が傍らにある」、「仏性に気付く」、ヨーダの言う「フォースと共にある」ということだと思うんですよ。あんまり長くなると大変なので。May The Force Be With You.今日はこの辺で。
2009.10.11
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えー暇はないんですが、「WiLL」と「正論」を読み終えました。注目は、「WiLL」。小林よしのり・田母神俊雄憲法に書かずに文民統制もへったくれもない■櫻井よしこ誰もわかっていない「文民統制」■渡部昇一ヒトラーも「文民」だった■潮 匡人防衛音痴のアホ、バカ文化人・言論人■柿谷勲夫軍の尻を叩いた朝日新聞■秦 郁彦陰謀史観のトリックを暴く 田母神論文、読者投稿 ■読者はこう考える10編■安倍晋三麻生総理よ、断固たる決意を!タモさんと小林よしのりの対談のレベルの低さ(いや、憲法出さんでもあんたの退職は自衛隊法で十分ですよという内容)と、渡部昇一、潮匡人、櫻井よしこという「キリスト教トライアングル」に挟まれて、「やっぱり、あれはおかしいだろ!」とまともな歴史学者・秦郁彦さんが反論していますが、現在も右翼論壇の異端裁判は進行中です(笑)。「田母神論文を殺すな!」という特集で、抹殺されそうな秦郁彦は、まるで、ダーウィンかガリレオか(泣)。とりあえず、象印賞(←古い!)は、櫻井よしこ 『誰もわかっていない「文民統制」』における、「楠木正成も犠牲者だった」に決定!櫻井さんは南朝正統論者の素養はありそうだからなぁ(笑)。そんな時代からもってきますか~~。この調子でほったらかしておくと、次の爆弾は、『「明治」「大正」「昭和」「平成」などなかった!!』と予想。普通に岳飛の話を持ち出して、「文民統制は中国人の考えた制度だ!」の方がはるかに説得力があるのにねぇ。いや、しかし、小林よしのりが「言論封殺魔」とヒステリーをあげているお相手の佐藤優は、「WiLL」にも「正論」にも連載持っているし(小林よしのりは連載一本のみ)、佐藤は「週刊金曜日」にも寄稿するしな(笑)。小林よしのりが干されている理由は「WiLL」での佐藤優の文章を読めば、大体察しがつきます。これは、佐藤優に軍配が上がって当然でしょう。本当におそるべし、佐藤優!石破農水大臣もそうだけど、両翼読んでしゃべれるヤツは、強いな!しかし、「WiLL」にも「正論」にも連載のある人間が、デカデカとマルクスの写真が表紙になっている「週刊金曜日」で、延々と資本論のすばらしさを語るという恐ろしさ(笑)。どっちも読んでいる自分も物好きだと思うけど、ラスプーチンというか、北一輝というか・・・凄まじいです。やっぱり彼は。まさに「インテリジェンス」の勝利ですな。ま、孫子の兵法も後半部分は、ほとんど諜報戦の意義について書かれているんだけど、まさに「兵は詭道(きどう)なり」ですな。で、「正論」にちょくちょく広告が出されている、「セ○クス教団」ことカルト集団「ザ○クス」の教祖がYouTubeに、例の「論壇」について動画を載せています。興味本位に見てみたんだけど、○イクス伯壬旭軍帥による論壇 張作霖爆殺[1/6]http://jp.youtube.com/watch?v=6fv4XMSr0ts↑「ザイ○ス」の教祖さんの方が、田母神論文よりも、渡部昇一よりも、中西輝政よりも、櫻井よしこよりも、小林よしのりよりも、論理展開がよっぽどまともじゃないですか!!張作霖爆殺についての「コミンテルン陰謀説」なんていう珍説よりも、ちゃんとまともなスターリン陰謀説を説明してくれているよ!!つーか知識だけでも「正論」「WiLL」の論者さんたちがカルトの人に負けてないか?(笑)。参照:帝国ZX(テイコクザイクス) ホームページザイン(ザイクス)の実態を告発・検証・思考する「ザイン帝國の真実」まだ「週末チェッキュウ!!」で二丈町の牡蠣をするという直前の所しか見ていないけど、月曜日には・・。今日はこの辺で。
2009.01.18
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暇がぜんぜんないですが、生きてはおります。大量のスパムコメントが載っている記事が田母神さんがらみのものばかりなので、右翼さんの嫌がらせなのかもね。さて、いろいろあっても、これは絶対に譲らない話を。・・・・(引用始め)・・・・センター試験 「日本史に不適切設問」つくる会が指摘2009.2.12 23:05 新しい歴史教科書をつくる会(藤岡信勝会長)は12日、大学入試センターに対し、先月行われたセンター試験の日本史問題について「南京での虐殺事件や、関東軍による張作霖爆殺事件など、学会でも異説がある事柄を歴史事実として扱っており、入試問題として不適切」とする申し入れ書を送付した。2月末までに見解を示すよう求めている。 設問では、3つの文章を年代順に並び替えることを求め、「日本軍が南京を占領するに際し、捕虜や非戦闘員を殺害」「関東軍参謀河本大作らが、張作霖を奉天郊外において爆殺」などが挙げられていた。 同会は「南京で虐殺事件が起き、河本大作が爆殺の実行犯と断定しなければ解答できず、特定の歴史認識を強要、誘導する設問」と指摘している。・・・・(引用終わり)・・・・元の記事は産経新聞の、こちら↓http://sankei.jp.msn.com/life/education/090212/edc0902122307002-n1.htm当ブログでは、この問題に関しては1月21日に指摘しています。参照:「センター試験と産経新聞。」http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/200901210000/そもそも、1月17日に実施されたセンター試験の問題を今頃話題にしようとしているところの速報性は、さすがの産経新聞。一ヶ月遅れましたね。そりゃ、産経の紙面では、今回のセンター試験の問題も都合の悪いところはカットしていたし(笑)。そういえば、南京虐殺事件がらみでも、「一年遅れのニュース」を堂々と社説に載せていましたね。さすが産経新聞。参照:「嘘つきは産経新聞。」http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/200812240000/え~、大前提として、元共産党員、藤岡信勝会長率いる「新しい歴史教科書をつくる会」のやっていることが、本当に的外れになってだいぶ経ちます。元共産党員、藤岡さんと産経とは、まだ関係はあるようで、12月には「正論」欄に載っていたし、月刊誌の方の「正論」にも寄稿しているしね。しかし、2月も半ばに入ってからセンター試験を問題視・・・どうなるのかねぇ・・・。政治的な要素はあるし、議論は大きかった南京なら「まだ」百歩譲って理解できそうだけど、田母神論文にもある「張作霖爆殺」についても、「学説に異論」って・・・中西輝政とか、渡部昇一とか、櫻井よしこが言っている妄想を、さも、学説のように(笑)。日本も独自に調査したし、昭和天皇の怒りを買って田中義一内閣は総辞職したのよ。それも無かったことに?「この事件の首謀者は河本大作大佐」と、昭和天皇も独白録でも言ってるよ。つーか、昭和天皇のお言葉を蔑ろにすること、すでに何回目よ?これで君が代がどうのこうのって、おかしいでしょ?そろそろ国賊の域ですよ。だいたい、1928年の段階で、コミンテルンが満鉄の鉄橋に60キロもの爆薬を取り付けることが出来るわけないじゃん。あれは、関東軍以外に不可能なんだって。そのくらい判れよ。何のための関東軍よ(泣)。そういえば、「WiLL」の3月号にも『「秦郁彦論文」の欺瞞』(古荘光一)とかで、まだこだわっています。コミンテルン陰謀説を(笑)。田母神論文と同じく支離滅裂な理論の展開で、まともに秦さんに反論すらできていないのだけど、ついには、「河本大佐がスターリンの工作員の指令で動いた可能性はないかどうか、新たな検証が必要だろう」などと(笑)。河本大作が「つくる会」の会長さんみたいに、共産党にからんでいたと・・・ここまで来ると、「ムー」とかにいる人が困ったときに「あいつは宇宙人に操られている!」とか言っているレベルの・・。しっかし、リアル・トンマノマントの指令は過酷ですなぁ(泣)。まぁ、自称ジャーナリストごときが、出所の怪しげな外国の文書を根拠に秦郁彦に反論するというなんざ、失笑ものですよ。「そういうのをな、アジアじゃ『仏陀に教えを説く』ってんだ!」(怒)。・・・いつからゴリゴリの右の秦郁彦を応援するようになったんだろう、おれは(笑)。ちなみに、張作霖については、大変貴重な映像がアップされているので、(こちらをどうぞ)。長生きしたからね。張学良は103まで生きていたんじゃなかったっけ。宋美齢も百歳を超えるまでの長寿だったし。参照:Wikipedia 張作霖爆殺事件http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E4%BD%9C%E9%9C%96%E7%88%86%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6あ、あと・・説明しよう!「トンマノマント」とは、タイムボカンシリーズの第四弾「タイムパトロール隊オタスケマン」に出てくる悪役の親玉で、毎回、三悪のオジャママンに「我輩の歴史書によれば・・」と言いながらタイムトラベルを利用して思い通りに歴史を改竄するよう指令を出す謎の人物である。「無茶ですよ」オジャママンが反論すると、「かまわん」とごり押しする碇ゲンドウタイプの怖いおっちゃんなのであーる。参照:オタスケマン キャラクターhttp://www.tatsunoko.co.jp/works/otasukeman/chara.htmlタイムパトロール隊オタスケマン - Wikipediahttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%91%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E9%9A%8A%E3%82%AA%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%9E%E3%83%B3さて、今後の進展はいかに?とりあえず、この辺で。
2009.02.13
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・バルタン星人の故郷、バルタン星の人口は20億3000万人。だそうな。(V)◎¥◎(V)フォフォフォフォフォ。(V)◎¥◎(V)フォフォフォフォフォ。(V)◎¥◎(V)フォフォフォフォフォ。(V)◎¥◎(V)フォフォフォフォフォ。(V)◎¥◎(V)フォフォフォフォフォ。(V)◎¥◎(V)フォフォフォフォフォ。意外と多いね。ヤツら。分身できるし、かなり場所取るね。ちなみに、・バルタン星人の名前の由来はシルヴィ・バルタン。なのよ。(「お気に入り」の所に証拠の記事を貼っておきます)昨日、「特撮エース」という雑誌を立ち読みしていたところ、バルタン星人の「宇宙忍者」というキャッチフレーズは、ウルトラマンの番組の前の忍者モノの番組の影響らしい。ウルトラマンの放送当初はまだ、忍者ブームであり、そのブームに乗っかる目的があった様である。安直なネーミングと思いきや、白土三平の「カムイ伝」以降、SFと忍術というのはかなり親密な関係があったらしい。確かに言われてみれば、忍者好きに科学好きは多い。特撮の世界、思ったより奥が深いね。オタクの世界でも「剣道三倍段」ならぬ「特撮三倍段」という言葉があるらしい。特撮オタクはアニメやゲームのオタクに比べて奥が深い世界にいるそうな。この、「特撮エース」。記事を読むたびに、少年時代に燃えた懐かしい怪獣の姿が蘇える。うわ!いたなぁ!『臼(うす)怪獣 モチロン』!!!月のウサギがもちをつくという想像力が実体化した怪獣で、臼の形をしたヤツ。名前もモチをかけてモチロン。多分、新潟に行ったんだよな。いいもち米を求めて。タロウだったかな。書いてて馬鹿らしくなってきたが、そういうのを観て育ったよ。オレは。悪い?ま、まだ20代だけど。悪い?怪獣話はこれくらいにして、と。昨夜は3時就寝。今朝は9時起床。朝ごはんは、納豆茶漬け(梅)にキムチ、もろみ、味噌汁。12時には図書館へ。休憩中に新聞閲覧。また、某所でネット巡回。やはり、6年前の酒鬼薔薇聖斗の事件関連の記事が多い。この6年間、いろいろと彼の審判での様子や発言を見てきて、彼が事件についてかなり真剣に向き合ったことを感じている。彼の罪は恐らく一生消えないし、遺族の感情が慰められることはないだろう。もっと長く彼を拘束すべきという意見が多いが、法は法。遡及適用できない以上、彼を社会に出すしかない。その上で過ちを償えるのか?それは彼次第である。むしろ、おかしいと思うのは今の社会ではないのか?あの事件から何を学んだのか?少年犯罪は減少どころか増加しているし、子供と大人との間の犯罪は虐待にしろ、殺人にしろ、改善されたとは到底言えない。思い出したように酒鬼薔薇聖斗について考えたところで、また何も学ばないのではないか?先月、古本屋で、この事件の被害者の父である土師守氏の「淳」が100円で売られていたのを目にした。これでいいのかな?結局10時まで図書館。11時に帰宅。夕飯食べながらニュース23。で、今に到る。しかし、焼酎が入ったほうが真面目になる性格をどうにかせねば。前半と後半の内容の落差が・・・。
2004.03.11
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荘子です。本日は、ブルース・リー/李小龍(1940~1973)について。現代において「代表的東洋人」を選ぶとしても、おそらく五指に入る人物であろうと思われます。米中が接近し、日中の国交回復の時期とも重なる1970年代に、彼は32歳の若さでこの世を去っています。ブルース・リーが世界的に認知され、カンフーブームが起こるのも、ほとんどが彼の死後の出来事で、日本における受容も同じようなものだったようです。参照:Wikipedia ブルース・リーhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BCアクションスターとして「伝説上の人物」として語られることの多いですが、彼にはワシントン大学で哲学を専攻していた思想家としてのもう一つの顔があります。もともと無名の頃にも自費出版で功夫の紹介本も出していたようです。大変な読書家で、またメモ魔でもあったため、「ブルース・リーの名言(Bruce Lee's quotes)」として、夥しい数の言葉が「彼の言行録から」ということで、世界中で引用されています。 現在は、ブルース・リーの死後に編集・発刊された『Tao of Jeet Kune Do(1975)』や『The Tao of Gung Fu(1997)』という書物で、彼の思想や哲学の体系を垣間見ることができます。残念ながら日本語では1997年に発刊されたジョン・リトルの『ブルース・リーノーツ 内なる戦士をめぐる哲学断章』くらいしかありません。前掲の二冊も「道(tao)」という文字を冠していることでも分かるように、ブルース・リーが影響を受けた思想というと、まずは老子、荘子、禅仏教。禅に関しては鈴木大拙やアラン・ワッツからの影響が見られます。後は孫子、孔子。西洋哲学で興味を持っていたのは、デカルトとスピノザだったようです。“Don't think! Feel! It is like a finger pointing away to the moon. Don't consentrate on the finger,or you will miss all that heavenly glory.”(考えるな!感じろ! 月を指す指のようなものだ。 指に注意を向けるな、そんなことでは天の美を見失ってしまうぞ。)参照:Finger Pointing to the Moon - Bruce Leehttp://www.youtube.com/watch?v=sDW6vkuqGLgこれは、禅仏教でよく使われる「指月の喩え」と呼ばれるもの。『世之所貴道者、書也、書不過語、語有貴也。語之所貴者、意也、意有所隨。意之所隨者、不可以言傳也、而世因貴言傳書。世雖貴之我、猶不足貴也、為其貴非其貴也。故視而可見者、形與色也、聽而可聞者、名與聲也。悲夫。世人以形色名聲為足以得彼之情。夫形色名聲果不足以得彼之情、則知者不言、言者不知、而世豈識之哉。』(『荘子』天道 第十三)→道を学ぶときに、世の人が学ぶのは書物である。書物は言葉を載せているものに過ぎない。一般に言葉は貴いものであると思われている。言葉が貴ばれるのは、それに意があるからであって、意には何らかの指し示すものがある。その意を指す「本質的なもの」というのは、言葉では伝わらない。にもかかわらず、世の人々は書物や言葉で、本質が伝わるとでも思っている。世の人がそれを貴ぼうとも、それは貴ぶべきものではない。目で見えるのは物の形と色、耳で聞こえるのは物の名前と音だけだ。悲しむべきことだな。人はそんなもので相手の心のうちまで理解できると思い込んでいる。だから言うのだよ。知る者は言わず、言うものは知らず、とね。このことが、世の人に理解されないのだ。禅と荘子の思想を見るとき、ここに差異はありません。ブルース・リーが始めた「ジークンドー/截拳道/Jeet Kune Do」の修練に、「Partiality(分限)」「Fluidity(流動)」「Emptiness(空虚)」と続く象徴的な図式があります。太極図と、十牛図を模したものですが、彼の著作を読む限りでは、単に観念的に作り上げたものではなく、彼自身の経験と彼の師である葉問の導きがあったからこそのものだと思います。参照:Wikipedia 截拳道http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%AA%E6%8B%B3%E9%81%93「以無法為有法 以無限為有限(無法を以って有法と為し、無限を以って有限と為す)」もそうですが、ブルース・リーの思想の一番根本的な部分を短く表現すると、やはりこれ。“Empty your mind, be formless, shapeless - like water. Now you put water into a cup, it becomes the cup, you put water into a bottle, it becomes the bottle, you put it in a teapot, it becomes the teapot. Now water can flow or it can crash. Be water, my friend.”(「心を空っぽにして、どんな形態も形も捨てて水のようになるんだ。 水をコップに注げば水はコップとなるし、 水をティーポットに注げば水はティーポットになる。 水は流れることも出来るし、激しく打つことも出来る。だから、友よ、水のようになるよう心掛けることだ。」(日本語訳は『Cowboy Bebop』#XX よせあつめブルース より))参照:Tao of Bruce Lee - Be like waterhttp://www.youtube.com/watch?v=V3B1JtMA0FcCowboy Bebop - "Mish-Mash Blues" - Session XX (unreleased) Part2http://www.youtube.com/watch?v=H3ZvNa5Ro20“Be Water”は、老子がメイン。『三十輻、共一轂、當其無、有車之用。埏埴以為器、當其無、有器之用。鑿戸牖以為室、當其無、有室之用。故有之以為利、無之以為用。』(『老子』第十一章)→三十の輻(や・スポーク)が車輪の轂(こしき)に集まる。中心に何もないからこそ車輪の用がある。土を捏ねて土器を作る。何もないからこそ器の用がある。戸口を鑿で穿ち、窓を開いて部屋とする。何もないからこそ部屋の用がある。故に、何かがあることによって利があり、何もないところに用がある。『天下莫柔弱於水、而攻堅強者莫之能勝、其無以易之。弱之勝強、柔之勝剛、天下莫不知、莫能行。』(『老子』第七十八章)→天下に水よりも柔弱なものはないが、堅強な者を攻めるのに水に勝るものはなく、水に代わるものはない。弱が強に勝ち、柔が剛に勝ちうる事を、天下に知らぬ者はいないが、それを行いうる者もない。『大方無隅、大器晚成。大音希聲、大象無形、道隱無名。夫唯道、善貸且成。』(『老子』第四十一章)→大いなる方に四隅はなく、大いなる器はいつまでも成らない。大いなる音は耳に届かず、大いなる姿に形はなく、道は隠れて名がない。その生育を善く助けるのは道のみである。参照:「如水」の由来と諸子百家。http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5179/≪われわれはおのれの役を立派に勤めるためには、その芝居全体を知っていなければならぬ。個人を考えるために全体を考えることを忘れてはならない。この事を老子は「虚」という得意の隠喩で説明している。物の真に肝要なところはただ虚にのみ存すると彼は主張した。たとえば室の本質は、屋根と壁に囲まれた空虚なところに見いだすことができるのであって、屋根や壁そのものにはない。水さしの役に立つところは水を注ぎ込むことのできる空所にあって、その形状や製品のいかんには存しない。虚はすべてのものを含有するから万能である。虚においてのみ運動が可能となる。おのれを虚にして他を自由に入らすことのできる人は、すべての立場を自由に行動することができるようになるであろう。全体は常に部分を支配することができるのである。 道教徒のこういう考え方は、剣道相撲の理論に至るまで、動作のあらゆる理論に非常な影響を及ぼした。日本の自衛術である柔術はその名を道徳経の中の一句に借りている。柔術では無抵抗すなわち虚によって敵の力を出し尽くそうと努め、一方おのれの力は最後の奮闘に勝利を得るために保存しておく。芸術においても同一原理の重要なことが暗示の価値によってわかる。何物かを表わさずにおくところに、見る者はその考えを完成する機会を与えられる。かようにして大傑作は人の心を強くひきつけてついには人が実際にその作品の一部分となるように思われる。虚は美的感情の極致までも入って満たせとばかりに人を待っている。(岡倉覚三著『茶の本(“The book of tea”)』第三章 道教と禅道より)≫・・・上記は「茶道は道教の仮りの姿」と主張する岡倉天心(1863~1913)の『茶の本(1906)』から。ブルース・リーの思想と軌を一にします。『吾終身與汝交一臂而失之、可不哀與。女殆著乎吾所以著也。彼已盡矣、而女求之以為有、是求馬於唐肆也。吾服女也甚忘、女服吾也亦甚忘。雖然、女奚患焉。雖忘乎故吾、吾有不忘者存。』(『荘子』 田子方 第二十一)→仲尼は言った「(中略)お前は外から見える私の姿をそっくりそのまま真似ようとしているが、移りゆく私の一部に過ぎないのだ。お前は過去の私という幻を追っているのだ。市場が終わったあとに馬を買い求めにやってくるようなものさ。変化し続ける形を、私自身も忘れているものだ。お前も、私の教えなど忘れいくのだ。しかし、何も患うことはないよ。お前が過去の私を忘れたとしても、私を忘れていないものの中で私は生き続ける。」参照:《武之夢 A Warrior's Dream》Donnie yen VS Bruce Lee http://www.youtube.com/watch?v=NTCBR9cnd7Q今日はこの辺で。
2013.11.10
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今日も暇ナシ。もう少しタモさん。第1回「真の近現代史観」懸賞論文作品集「誇れる国、日本。」を、読み終わりました!!ご丁寧に英文訳付き!英語でのタイトルは、「The shocking truth about modern history」!!まさに、ショッキングでしたなぁ(笑)。「Truth」って、こんなに安売りできるものかと思える論文集でした。素人が書いて、素人が審査するだけの懸賞論文に「真実」なんて使える勇ましさは大したもんだと(笑)。冒頭での元谷会長の「先の大戦はコミンテルンの謀略で始めさせられた」という快調な滑り出しから、最優秀賞、優秀賞、佳作に至るまでの論文を楽しく拝読させていただきました。「誇れる国、日本。」は、全国のアパグループで絶賛発売中!!価格はたったの1000円!みんなアパへGO!さて、タモさんのあの「論文(笑)」を最優秀賞を与えた懸賞論文で、一番気になっていたのは、大阪4区の中山泰秀衆議院議員の秘書が最高点をつけた、優秀賞の大学生の多田羅健志さんの論文だったのだけど、「戦後外交と歴史認識 近現代史にみる 二十一世紀日本の展望」やはり、まともでした。古典的リアリズムに基づいて、感情論ではなく現実感覚を持って歴史を読んでいきましょうというような内容。ま、文章の抽出はかなり粗雑だし、現代中国の世界戦略の見方もまだまだ甘いので、30万の価値はないけども、「田母神論文」などと比べるのは失礼なくらい、まともですよ。ゲロともんじゃ焼きくらいの差です。確実に「タモさん越え」しています。一読してあの懸賞論文の審査が出来レースであったことが分かる内容です。出典も右翼本といえるほどのものでなくて、・陸奥宗光の「蹇蹇録」、・伊藤憲一「国家と戦略」、・五百旗頭真「戦後日本外交史」、あたりからもあるし、タモさんの3分の1しか生きていないのにちゃんとバランス感覚がある。ま、外交に関してのものだし、リアリズムを探ろうとしているので「陰謀」だの「イデオロギー」にも無縁で、トンデモ臭はほとんどゼロ。ちなみに、タモさんの論文の引用元は、・ユン・チアン「マオ(誰も知らなかった毛沢東)」←張作霖爆殺のコミンテルン陰謀説のネタ元。・櫻井よしこ編「日本よ『歴史力』を磨け」←コミンテルン陰謀説の更なる上塗りのネタ元・秦郁彦「盧溝橋事件の研究」←タモさんは、おそらく読んでも理解できない。適当にページだけを漁って繋いだだけ。著者は大激怒。・黄文雄「黄文雄の大東亜戦争肯定論」←タモさんが本を出したワック出版。おそらく文庫。といったものであります。ちゃんとした本を読もうよ、タモさん(泣)。ま、そもそも、タモさんはこれらの本すら読んではいない可能性が高くて、たとえ読んでいなくても、右翼にとってのエロ本、「正論」「WiLL」「産経新聞」では頻出の論点ばかりなので、あの「論文(笑)」は、雑誌からパクってきただけだと、個人的には考えています。引用とかいう前に。「一番興奮した」エロ本の切抜きのスクラップと同じ要領であの「論文(笑)」ができて、最優秀賞を獲得したというのが今の予想です。というのも、あの人の知力のわりに、トンデモのネタが新しすぎるんですよ。多田羅さんの論文に問題があるとすれば、「未曾有」にルビをふっているところですかね(笑)。もう一つの「タモさん越え」は、http://yaplog.jp/conservative/archive/94「真の歴史の復活を求めて―検閲と東京裁判史観―」こちらは、ネットでも公開したプロ、岩田温さんの文章。明らかに、タモさんよりまともです。電波はないです。上記の2者が受賞できなかったのは、彼らがアパの会長の友達ではなかったから、もしくは、審査委員長・渡部昇一先生の考えに忠実に論文を書かなかったから。でありましょう。他の受賞者は、タモさんと似たようなレベルで、ネット右翼のコピペ集程度。もう少しまともな人もいるかと思ったけど。結論:「真の近現代史観」の懸賞論文は、完璧にヤラセでした。ということです。次は、文芸春秋に載っていた石破さんの、田母神を殉教者にするな!について、メモしたいけど時間切れ。今日はこの辺で。
2008.12.19
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