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marnon1104 @ Re:三峡老街へ(11/27) New! 三峡、日本統治時代の建物が残っている そ…
パパゴリラ! @ Re:三峡老街へ(11/27) New! 山峡街は日本統治時代の建物が並ぶとあり…
moto,jc @ Re:烏来老街にいく(11/26) New! おはようございます ビビアン・スーさん…
あきても @ Re:烏来老街にいく(11/26) New! 外国に行っても行きたい場所 一人で行け…
ララキャット @ Re:烏来老街にいく(11/26) New! へえ、現地語で話しかけられましたか? …
Sep 18, 2021
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カテゴリ: カテゴリ未分類
1962年に西部劇映画の集大成が公開されました。

この映画は俯瞰的に上っ面をなめるような作品ではなく、ひとつの家族、ある開拓一家親子3代にわたる生活を通した叙事詩映画なんですね。
アメリカ映画では珍しい部類です。
物語は全5話に分かれてて、西部開拓時代の1839年~1889年までの50年間の物語。


この作品の見どころは、これまで西部劇に出演したスターたちが、それこそ端役にいたるまでキャスティングされていることです。
例えば第1話では、ロック・ハドソン、エリザベス・テイラー、ジェームズ・ディーンと云うとてつもない大俳優が出演した西部劇「ジャイアンツ」に出演してた"キャロル・ベイカー"が。
他にジョン・フォード監督の「リバティ・バランスを射った男」に出演してた"ジェームズ・ステュアート"や端役で「真昼の決闘」や「続・夕陽のガンマン」などで悪役を演じた西部劇の申し子"リー・ヴァン・クリーフ"も出演してます。
第2話ではギャンブラー役でグレゴリー・ペックが、第3話では南北戦争で北軍をひきいたウィリアム・シャーマン将軍役に"ジョン・ウェイン"が出演してる他に、まだ若かった"ジョージ・ペパード"が北軍兵として志願する役をやってます。

第5話では、保安官役にグレゴリー・ペック主演の西部劇「マッケンナの黄金」に出演してた"リー・J・コッブ"が登場してます。
しかも全編を通してナレーションを"スペンサー・トレイシー"がやってるのですから、どんだけ出演料がかかった映画なんでしょう。




そもそも西部開拓時代と云うのは何時ごろのことを云うのでしょう?
19世紀だと云うのは想像つきますよね。
19世紀でも1860年代~1890年のフロンティア消滅までを西部開拓時代と云い、ノースダコタからテキサスまで南北にわたる6つの州を対象にするそうです。

それってどんな時代かと云うと、西部開拓時代が始まった1860年は、日本で大老井伊直弼が桜田門外で暗殺されたときです。
つまり幕末の始めと云うことですね。
1861年に南北戦争が始まって、翌年にリンカーンが奴隷解放宣言を出します。
1866年に日本では薩長同盟が成立して、翌年、大政奉還となりますが、坂本龍馬が暗殺されたのもこの年です。

西部開拓時代の終焉1890年(明治23年)には、和歌山県串本沖で「エルトゥールル号遭難事件」が起こってます。
日本に派遣されてたオスマン帝国海軍の木造フリゲート艦が、折からの台風による強風にあおられ沈没した事故です。

そして、そのお返しが1985年のイラン・イラク戦争で、イラクがイラン上空の航空機を無差別に攻撃すると宣言したにも関わらず、当時の日本政府は自衛隊による邦人救援ができなかったとき、トルコ航空が自国民救援のための旅客機を2機に増やして、215名の日本人を救出してくれたのです。
西部開拓時代の初期は、土地の大部分が公有地で、広い土地で畜産も農業も自由だったそうです。
地方の法執行機関もほとんどないのに、軍は特定の場所に集中していて、広大な大地は無法地帯に近かったそうです。

町ではダンスホールやサロンがカウボーイの食事をまかなってました。
カウボーイを襲う牛泥棒は深刻な犯罪だったようです。

この時代、西部の人の暮らしってどんなのだと思われます?
とにかく不潔そのものだったのです。

先ず歯を磨く習慣がありません。
当時、自分の歯ブラシを持つことは贅沢なことだったのです。
そのため、ほとんどの人が歯に疾患をもってます。
写真で口を開けている人がほとんど居ないのはそのためです。

少しでも口内を衛生的に保ちたいと思う人々は、歯ブラシで歯磨きをしましたが...ゾッとする話しですがだったのです!
歯の間に古い乾燥した肉が挟まったときは役に立ちましたが、その代わり感染症のリスクを常に抱えてたのですね。
お風呂やシャワーは今なら毎日の習慣ですが、西部開拓時代の人々にとっては稀有な贅沢でした。
家族全員が同じ湯船で入浴するのが普通で、しかもお湯は1週間くらい使いまわしてたのです。

水不足が繰り返され、風呂を沸かすのも木材が必要なため、開拓地ではお風呂に入らない生活が数週間続くことも珍しくありませんでした。
カウボーイに至っては数ヶ月間、きちんとしたお風呂に入らないこともあったそうです。
また西部開拓時代の石鹸は、動物の脂肪や植物を原料とした粗悪な板状のものがせいぜいで、精製されていないため腐食性が強く、肌が荒れて痛みを伴うことがあるのに、それさえもとんでもない高級品だったのです。

しかも、この時代の人々は「入浴は健康に悪い」と信じていたのです。
洗いすぎると毛穴が開き、細菌や病気が体内に侵入しやすくなると考えてたのです。


ここまでくるとトイレなんてどんなか想像できますね。
西部開拓時代の人々にとって、トイレは非常に初歩的な作りのもので、地面に穴を掘って小屋を建てただけの屋外設置のものです。
まぁ、屋外設置だけは、昔の日本の田舎も一緒でしたけどね。
と~ぜんハエの大群がブンブン飛び回っていたのはアタリマエ。
西部開拓時代、食卓の衛生管理はほとんど行われていませんでした。
食事を共にする人たちは、すべての食事道具を共有してたのです。
使ってるコップやお皿、ナイフやフォークは回し使いで、同時に誰でも使えたのです。
しかも、調理道具を洗うこともしなかったそうです。
もっと想像だにしたくないのが酒場のカウンターに置いてあるタオルです。
このタオルは...みんなが共有で口を拭くために設置されてたのです。

西部劇でサロンのシーンがでてくると、必ず登場する唾壺(痰壺ではありません)。
西部開拓時代、唾を吐くことはごく普通のことでした。
カウボーイの多くはタバコを噛み、茶色い粘液を唾壺に吐き出してたのです。
サロンではカウンターに沿って床に置かれていたので、いつも周囲に唾液が飛び散っていたそうです。
スプリングが入ったベッドは1900年代以降になってから登場しました。
それ以前はマットレスと云っても、ほとんど中身が藁や干し草でできていたのです。
しかも、めったに交換されることが無いので、藁や干し草にはシラミなどの虫が寄ってきて、寝ていた人たちに付着していったのです。
布団やリネンを殺菌するための薬品もありませんでした。
ホテルのベッドも同様です。
いいがですか?
ざっと見渡してもこのバッチさです。
と~ぜん感染症なんて普通にありそうですね。
日本でお風呂に毎日入るのなんてアタリマエの時代に、西部はこんなに遅れてたのです。
もちろん文字認識率なんて、とうてい日本人にかなうべくもありません。







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Last updated  Sep 18, 2021 05:45:28 AM
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