ヨカッタ探し

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December 3, 2005
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カテゴリ: 読書ろぐ
小川洋子『博士の愛した数式』


帰りの電車に乗る前に、本屋さんを物色しました。
畠中恵さんの『ぬしさまへ』を買うつもりだったんですが、
あいにく見つからなかったので、こちらを買いました。

この作品も、単行本で読みました。
わたしが初めて触れた、小川洋子作品です。
今度、映画化されるんですね。

交通事故による脳障害で80分しか記憶が持たない元数学者の”博士”、
その”博士”のもとへ派遣された家政婦である”私”と、


折々に挟み込まれる数学論が、なんだかとても美しく、
意味のあるものに思えてきます。
数の持つ美しさ、をサラリと伝えてくれる感じ。
むかーし、”数学”は”数が苦”だ、などと
数学が苦手な文系の友人がぼやいていたことがあったんですが、
博士がルートにしてくれるような授業を受けられたなら、
”数学”が実は”数楽”であったことに気付いたかもしれない。
無機質な数式が、美しい旋律となる…。
数に魅せられた博士は、記憶が80分しか持たなくなっても、
数と向き合う時だけは、自分を保っていられる。

この物語を読みかけで帰宅し、そのまま荻原浩さんの

そちらを読み終わって、またこちらの続きを読んで…。
記憶を失った者を見つめる人々のお話と、
記憶を失いつつある者のお話。
奇妙なサンドイッチとなりました。
病の形は違いますが…

確かに蓄積は終わってしまったのでしょう。
その後に会った”私”と”ルート”のことは、永遠に覚えられない。
それは、とてもとても切なく、悲しいことです。
でも、”私”と”ルート”の中には、80分を懸命にループする博士が
生きている。一方通行かもしれないけれど…。

大切な人を失った時、「胸の中に、あの人は生きている」
と自分を慰めたりしますよね。
あれってただの慰めじゃなくて、真実なんだと思います。
先に逝った人のために、自分に何が出来るか??
忘れないでいること。
誰かを覚えている、ということは、その誰かが生き続けている、
ということとほぼ等しいのだと思います。
そのことはつまり、今・ここの世界に確かに生きていても、
自分しかそれを知らなければ、無意味なのだ、ということ。
人間は1人では生きられない…。

読みながら、そんなことを思いました。





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最終更新日  December 4, 2005 04:15:56 PM
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