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こんちは、かもしだ(元ボディ・ショップ店員)です。 送別会とか、Gさんへのお礼を終えて、仕事を全て終えましたので、ワシントンへ視察という名の観光に向かいました。とは言っても、やはり視察の面は歴然としてありますので、記録やら報告は欠かせません。腹に力が入らない状態で何とかぎゃんばりました。 メンフィス空港からワシントンまでは2時間ですが、時差があるそうで、1時間戻しました。損したような得したようなヘンな気分です。着陸30分前には、乗客は一切席を立つことが許されません。1時間前から、アナウンスはありましたが、我慢できなきゃたらして下さいと言わんばかりの厳密さです。31分前ならいいんですね。 ワシントンナショナル空港に着くと、そこはロナルド・リーガン空港だとのこと、正式な名称は一体どっちだ、ということはさておいて、やたら人名を公の施設に付けるのは止めて欲しいなりと思った次第です。報告書に記入する時困るんだよね。すいません。 アメリカの国内線の空港と日本の地方空港と違うのは、バゲッジ(預けた荷物)の引き渡し時のチェックが無いこと。あのやり方では、空港の外に居る人が、テコテコ入ってきて、吐き出される荷物を持って帰っても、誰もチェックデキネーゾ、と思いました。空港職員は吐いて捨てるほど居るんだから、その辺何とかしろよ、首都だろ、とか思いました。 ま、日本が神経質すぎるという考えもあるかな、と思い直しましたけど。 アーリントン墓地に始まり、様々なワシントンのモニュメントを見て回りました。東京タワーの周りも墓地だらけですが、ワシントンも墓、もしくはそれに準ずるモニュメントだらけですね。やはり、国として数々の戦争や調停を経てきた国、数え切れないほどの民族が一同に住まう国だけあってシンボルとしての戦争(戦勝)記念碑は首都には必須アイテムなのでしょうね。 ペンタゴン・ショッピングセンターはペンタゴンの目と鼻の先にあり、ペンタゴンの駐車場は警備員さえ居ない状況でした。ワシントンに入ったニンゲンなら誰でも、ペンタゴンの建物に入れるって感じです。いや、ホントに入ったわけじゃないんでアレですが。 ショッピングセンターでは、例のフセイン・トランプが売ってました。最初は、対アメリカの重要人物を52人印刷して、配ってたトランプでしたが、大分版を重ねて居るらしく、「おかげさまでぶっ殺すことができました」みたいな、カードも多々ありました。テロリストの人権は無いとあからさまに表現してるトコが非常に怖く、またうらやましかったです。 硫黄島記念碑、朝鮮戦争記念碑をはじめ、沢山の具体的なモニュメントがワシントンにはたくさんありました。1000人とか10000人や100000人単位なら、モニュメントも必要ないんでしょうが、1000000人規模になると、パッと見てわかる、しかも3世代ぐらいは長持ちする政治の正当性を記念碑で表現することは必要なんでしょうね。 国会議事堂とホワイトハウス、トーマス・ジェファーソン記念道、リンカーン記念堂を結ぶと、十字架になるといったガイドさんの言葉が忘れられません。911はやはり、形を変えた宗教戦争だったのではないか、と改めて思う次第です。 州によって食料品に税金がかかったり、かからなかったり旅行者にとっては面倒な面もありましたが、無事にアメリカの全ての日程を終えるコトができました。 帰りの飛行機の中では、超B級映画が4本も放映されてました。全部、途中で眠ってしまいました。 そんな、こんなで無事日本へ帰ってまいりました。 ぎゃふん。
2004.08.28
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こんちは、かもしだ(元中畑銅メダル)です。 日本を離れると、腹具合が悪くなることがわかりましたが、大腸に善玉菌を大量に投入する方法が皆無です。そこで、同行の人と手分けして持っていったレトルトおかゆを食し、少しでも胃や腸の負担を軽減しようと試みました。いや、一番事態が切迫してたのは、同行の方々の中で私だったんですが。 へにょへにょ。 それでも、おかゆを食べて2時間ぐらいしたら、気のせいか体調がよくなってきました。もともと、暗示に弱いので、自分の中で完結した理屈に身体が反応しただけなのかも知れませんが、とにかく上向きになりました。同行の方もおかゆに入ってた梅干しを随までしゃぶってましたが。 到着してすぐの頃の肉肉肉の食事攻撃に遭っていた頃、現地の担当者、あ、このGさんは7月に日本に市長さんと一緒に来てた方で、居酒屋で何度も酒を飲んだ気の合う方ですが、その人から「何かリクエストがあったら遠慮無く言ってくれ」と言ってくれたので、「南部のケイジャン料理を食べてみたい」とふっかけてしまいました。 テネシー州の北に接しているケンタッキー州は言わずと知れたフライドチキンが有名です。もともとはお袋の味で、実際カーネル・サンダースがフライドチキンの店を出すまで、専門店は無かったくらい当たり前の料理だったらしいです。 おそらく、テネシーは南部なのでおフランスを源流とするケイジャン料理も素晴らしくいい味してるんではないかと、お願いしちゃったわけですが、それほどポピュラーではなかったみたいで、料理店に案内してくれるんかな、と期待してたんですが、わざわざ自宅で作ってキャセロールに入れて宿舎まで運んできてくれました。 ガンボ、 というレンズ豆とかセロリとかたくさん入った香辛料の絶妙な煮込みでした。野菜は全てそのGさんの庭で取れたもの、とのこと。とろみは米でした。まじ、美味しかったです。肉で疲れ切った胃や腸におかゆ同様染み渡りました。 うまうま。 後日、Wマートへ行ってみたら、材料入れて煮込むだけのケイジャン料理の元というか、箱のレトルトっぽい商品が数種類売ってました。買ってくればよかったなあ。 平成15年12月より、日本より米国へは一切の食料品の郵送は禁じられています。持ち込みはいいんだけど。お返しにこっちの乾燥料理送ろうとしても送れないんだな、とほほ。 長島ジャパンは、専門の料理長連れていって、おにぎりとかカツ丼とかバンバン食わせてたみたいす、ね。長打が出にくかったのはやはり、大腸の菌が不足したせいです、きっぱり。
2004.08.26
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こんちは、かもしだ(元チョバムアーマー)です。 メンフィスに迎えに来てくれてたGさんとともにテネシー州を北上大学のある小さな町に着きました。同行の方と添乗の方と3人で大学のアパートを借りての滞在スタートです。 初日の夕食は、機内食で胃袋がバカチンになっていたこともあり、マグドでした。 というか、強制的にマグドでした。 翌日朝から、移動手段がないので、早速Gさんにクルマを出してもらい、アメリカの田舎ならどこでもあると言われるWマートへ行き食材を調達してきました。ミソも醤油もありませんでしたが、日新のラーメンはありました。 ここは、どらい・カウンティなのでお酒を堂々と買えません。こそこそ買います。店を出る時は、紙袋で隠さなくてはなりません。その割にみんな買っていってました。不思議だす。 ものの本によると、テネシー州の有名なウイスキー「ジャック・ダニエル」は、もともと東海岸の開けた場所で人気が出たらしいんですが、禁酒法とか酒作る奴には重い税金かけるぜ法のために、人気のない南部に移って酒造りを続けたのが始まりらしいです。 で、小麦でホントは作りたかったらしいんですが、土地柄トウモロコシしかなかったので、コーンでウイスキーを作ったらしいです。 酒に歴史あり。 様々な大学の施設を案内してもらい、大学のIDを作ってもらいました。学食を使えるぞーと思いましたが、よく聞くと休み中なので休業中のこと、ざんねん。近くに映画館とか無いらしく、学生会館では無料で1週間に数回映画を上映してました。スパイダーマン2とかもやってました。見なかったけど。 大学周辺で色々と仕事をし、その一端として小旅行の日がきました。F湖という地震で陥没して湖になったところへ行きました。自然博物館やワイルドな遊覧船、様々な野鳥を見て、最後に保護されている白頭ワシを見ました。やはり猛禽類はこわいでした。檻の中に入っている説明のお兄さんが、噛みつかれるのを期待してましたが、ざんねんながら無傷でした。ぐへへ。 ジェット・ラグと呼ばれる時差をやっと直した頃の旅行でしたので、ここで体力をほとんど使ってしまいました。肉中心の食事が続いたことにより、大腸の微生物クンたちが限りなくゼロに近い、そんな感じの腹具合でした。納豆の夢を見ました。 カルピスでもいい。いや、ヤクルトでも、とうなされましたが、手に入るはずもなく大正漢方胃腸薬で我慢しました。 またしばらく、仕事が続き、休みの日Gさんが同行の方の「本場のゴスペル聞きたいねん」、という無茶な希望を聞き入れてくれ、黒人さんのあつまるバプテスト教会の日曜学校に連れていってくれました。 ものすごい勢いのあるお説教でした。神父さんはピアノを弾きながら祈りの言葉を静かに伝え、マイクの前に立つとヒトが変わったように集まった人々に怒鳴り散らします。 南部の黒人の虐げられてきた歴史が、ラグタイムを産み、ブルースを産み、ジャズを産み、いやそれぞれの音楽の生まれは違うんでしょうが、溜まったモノを吐き出す行為としての音楽が限りなく美しく感じました。 神父さんの出してる自主制作CDもらっちゃいました。ぐへへ。 もちょっと、続きますよん。
2004.08.23
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こんちは、かもしだ(元緑茶はいかがですか)です。 8月中旬まで、アメリカ南部行ってました。日本は酷暑だったと聞いてますが、あちらは、気温は高くても30度で、風があり、過ごしやすかったです。 とは、言っても仕事なので気の抜けない2週間でした。 お盆に不在なので、出発前に親父の墓参りを済ませ、中くらいのキャリーバッグと大型のバックパックにウエストバッグに荷物を詰め、出かけました。 大型のキャリーを一つ買って。それに荷物詰め込んでもよかったんですが、現地での配布物やその他諸々仕事関連のグッズが荷物配送不手際とかで、全滅しちゃうと向こうでの仕事が全く意味をなさなくなるので、機内持ち込み可能なバックパックにも1/3程グッズ入れて背負っての移動となりました。重かったす。 仕事じゃなきゃ、この1/3の荷物で済んでます。 成田からは、13時間。ノースウエスト航空でデトロイトへ直行しました。長かったす。乗って機体が安定すると、すぐに飲み物とスナックが出ました。ぽりぽり。機内は湿度を20%程度に抑えているという情報もあるので、ちゃんと水分補給をしました。食べ終えると、今度は機内食です。牛か鳥の選択でした。エコノミーとビジネスの差は「料理」と「キャビンアテンダントの態度」と「座席の狭さ」です。私は運良く希望の鳥料理をゲットできましたが、隣に座っていた同行の方は希望が叶わず牛でした。どちらもまあまあ美味しかったので、どうでもいいす。 食べ終えてもたもたしてると、映画が始まります。機内のヘッドフォンのチャンネルを合わせると日本語も聞けましたが、出発までの出国審査とかあちこち走りまわったことが響き、眠くなってしまい、合計3本放映された映画を一本も見れませんでした。ま、レンタルで借りて見るほどの映画でもなかったので、どうでもいいす。 映画が始まると機内は、自然に内窓が降ろされ暗い雰囲気になります。長い機内生活に映画と暗さでメリハリをつける、といった感じ。寝るヒトは寝る、映画見る人は見る、本読みたいヒトは読む、といったのんびりした雰囲気です。 乗ってすぐ放映されていた、エコノミー症候群の予防「足首運動」を時々思い出しながらやり、寝たり起きたりしてました。ううむ、小腹が空いたなあ、と思うと食パンの半分くらいのブラウニーが水とともに出ました。たまに、水持って来てくれるのでノド乾いた時はありがたかったです。 デトロイト着の2、3時間前くらいになると、今度は仮想朝ご飯です。腹あまり減ってませんが、軽い食事が出ました。朝は熱い緑茶とコーヒーも頼めます。もしゃもしゃ食っていよいよ着陸。着いた時間は丁度、成田を出発した日時の2時間前でした。軽いタイムトラベルをしてしまいました。 時計を合わせて、といっても、私は楽天でワールド仕様の電波時計を購入し、持っていきましたので、合わせるのに時間がかかり、サマータイムの設定に失敗し、結局同行の方から時間を聞きながらの空港入国審査でした。 入国審査はとても時間がかかりました。単なる観光ではないので、同行者が全く英語を話せないことが時間のかかった理由です。目的とか同行人数とか訊かれても、その都度説明できず、デトロイトからメンフィスに向かう国内便接続に危うく乗り遅れるとこでした。っていうか、完全に乗り遅れてるので、出発を待ってもらってました。 メンフィスまでは2時間。国内便は、フランクです。笑顔も庶民的です。国際便よりいい感じ。でも、操縦が荒いです。 やっとメンフィス空港。目的地まであと3時間のところまで到着し、現地の担当者に会うことができホッとしました。のも、つかのま、同行のうち2人分のトランクがはき出されてきません。添乗の方に確認してもらうと、デトロイトにまだありました、とのこと。なんじゃそりゃ、とおもいつつ、ここは旅先、冷静に判断するのじゃ、と思い直し別便による空輸を依頼し、目的地まで陸路運送を空港会社に依頼してもらい、連絡を入れてもらうよう手配してもらいました。 あと、何回かに分けてアメリカ旅行を書きますね。お付き合いくださいませ。
2004.08.21
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